2007年 更新時のメッセージ 


■年の改まった雑木林に通って2日目、フットパス周辺で手入れを待っているフィールド

がまだふんだんにあることを、大きな喜びと感じる不思議さ。仕事がたっぷりあることを

何故こんなにうれしがるのだろう。きっと、自分だけの使命感が続いていること、資源循

環と利用の満足、確実に快適になるだろう林の雰囲気、これらを思い起こすから。それと、

気持ちのよいこの林を評価してくれる方々が、少しずつ増えていること、これがとても大きいかもしれない。(07/01/14)

■PCが不調で更新がおぼつかなかったとし始め。なにか、安定感のない年の初めという

のは少しいやなものですが、もろもろを丹念に改善していく作業はひとつの挑戦でもある

と言い聞かせています。ここまでPCなしで暮らせない日々になってしまったことと修復

の実力差は、ま、人頼みの情けない段階だった、と懺悔と反省をして出直しをはかってい

るところです。林の手入れも、腹案ではいろいろとチャレンジがありそう。いつになく積

極的に構えています。湧き上がる不安と戦いつつ。01/28

■まほろばに行くフットパスの分岐に、5本で株立ちしたシナノキがあり、この土曜日に2本を抜きました。倒して触れてみるシナノキの枝には、もうはちきれんばかりに膨らんだシナノキ特有の蕾がありました。これは一枝、持ち帰りました。公園で剪定されたサクラの枝とともに、今、茶の間で存在感を匂わせています。2/10

■年の初め、小樽のTさんから山仕事仲間としてのメールと拙著『林と心』の感想を寄せていただき、とても胸膨らむ思いをしたばかりですが、先週、九州は長崎のBさんから、里山の手入れをしているお仲間としてメールをもらいました。Tさんは還暦を確かすぎていらっしゃって、Bさんはわたしより一年若い。ああ、おじさんたち、地味なことやってるなあ、と一種隠し事を共有するような喜び。心の中でメッセージ「怪我しないで、がんばろうね」2/18

■森林療法家の上原巌さんが来訪。ここの林はわたしが見せたい素顔を、いつも見せてくれる。今日は上原さんを迎えて、思いっきり「早春の雑木林」の顔をしていた。林の向こうから、白鳥のような声がした。と、泣き声の主が小屋の真上を通過した。マガンだった。もうそんな季節なのだ。 2/25

■朝の目覚めのごとく、春の息吹を感じて棟が膨らむ。冬がしぼんでいたかといえばそうでもないが、生き物に勢いがあり、今日はシジュウカラの声が、ああ、春の声だとわかる鳴き方だった。マガンの声はもちろん、春の大きな引き金だ。加齢に伴い、もっている気は減衰していくから、気は時折補填するのだ。今、その時期だとからだ様がささやいているようだ。3/3

■萱野茂著『アイヌの碑』を読む。極貧の描写を読みながら、アイヌの人々は都市文明の対極にいたことを発見する。アイヌの人々は森羅万象に隣りあわせで生きてきた。土地の風土とつながり、森を畑とし、またドラッグストアとし、自然は心身の医者であり神でもあったが、都市の捨ててきたものばかりだ。文明から抑圧される自然の民。行間に、貧しさと豊かさを感じ取りながら。3/10

■四国を回る機会をもらいました。平地がなく山ばかりで小さな平地には決まって耕作地と集落。こんなところにも、と思うような山奥にも人々は隙間を惜しむように住んでいました。決して楽ではないはずの地勢で人々はどんな生業を得、どんな暮らし向きなのか。都市、田園、山里と並べてみると、田舎は快適、田舎は憧れ、などと決して言えない現実ですが、便利な現代だからこそそれが可能にできる、その道筋の知恵を今、静かに探している。3/17  

写真左は、カヌーイストとして一度は下ってみたい四万十川の薄暮。高知から愛媛に向かうとき国道441号の細い道が四万十沿いだったのは超幸運でした。が、道は細いつづらおり、そこにどっこい人々は生活していた…。

写真右は愛媛・松野町の森の国ホテル。本当に山奥の渓谷の滑床フットパス12kmはかつてから森のセラピーと滝のマイナスイオンに人々は惹きつけられていたようです。今、そのエビデンスが調査されようとしていますが、人間の感性がず〜っと先行していますね。

■ヨガの修行の第2段階に勧戒(ニヤマ)というのがあります。「心を聖化し積極化し平静に保つために必要なことを勧めるもの」(沖正弘)。これを歌ったのが宮沢賢治の『雨ニモ…』でなかったか、というのが最近のわたし的発見。自分だけの『雨ニモ…』を練ってかきあげ迷いのあるとき、心に疲れがあるときに立ち戻る。心を清浄にする心がけ、知足の構えなど、『雨ニモ…』には実に力強く描かれている。3/25

■3月の最終日、雪の消えたフットパスをゆっくりと歩いてみた。なんというのだろう、どこからか季節の喜びのようなものが伝わってくるのである。フキノトウを10個みつけて今年初の山菜料理に励む。

■先週24日、小屋のベランダで落ちていた女性の衣類、あれは天女の羽衣だったのではないかという話に掲示板が盛り上がった。

■ 今年から林のセラピー関係者とある医療施設の周りの林の手入れをすることになった。すでにシナリオや植生調べ、デザインの打ち合わせは済んでおり、もちろん地権者の了解も得られたようだ。わたしはそこで修景の基本的な作業を担当する。朝、本州にいるT先生から「よろしく」の連絡が入る。My pleasure ! そう応えたいところだが、この積極性を表現する手ごろな言葉がない。とってもいい言葉だ。奉仕は喜びだもの。4/7

■丸太を運んでいる間に骨盤が開いて坐骨神経痛を刺激するようになった。しびれた足で作業していた翌々週だったかにこんどは枝に躓いて足の親指を捻挫、足を引きずって通勤していると、列車内は風邪引きがごろごろ。遂に4月の頭に風邪を引く。満身創痍状態で、しかし、身体と対話する貴重な体験。「こうして老いていくのだろうな」という淡々とした感慨。もう走れないのだろうか、骨折や捻挫はこれからもっと起きるのだろうか、などと想像するが、恐れや不安はない。50の半ばを超えて、ステージが大きく変わろうとしているが、身体にも変化が見える。4/15

■ 今、北海道の地域で起業してきた人の足跡を基に、地域起業、地域ビジネスというのを自分の可能性と願望をごちゃ混ぜにして、小さなレポートを書いている。こんなことを書いても全く学問のジャンルではないとか、詰めがなってないとか、きつい指摘は日常的に自分でもしているが、そうこうしているうちに、ひょっとしてこれは少しだけ意味があるかも知れないと思い始めた。思い込みの強さなど反省すべき点はいろいろあるのだが、この不安、不安定の先には、地域の課題の解決策につながる視点があるように思えてきた。稚拙ながらたゆまずフォローしてみたい。4/22

■     「初緑」。そんなことば使われないけれど、雑木林の小屋の帰り、つたもり山林によって広場の緑を見たとき、思いついた。雪の少ない苫小牧は、むき出しの芝は茶色で春を向かえ、ある日緑になる。それのように見えた。緑の草が古い草丈を超えるのだろうか。新緑といえば普通、樹木のイメージ、しかし、新緑の一ヶ月ほど前に、広場の芝が緑になるのだ。それが新鮮でまぶしく見えることに気づいた。4/29

■「黄金」の連休は、出かける予定も立てないで変色したかに見えたのだが、いやいやどうして、収穫を象徴する「黄金色」のようだ。庭の草取り、奉仕、仕事など目の前に積み残されていた事柄をちょびちょびと片付けているうちに、前にあったモヤは少しずつ晴れてきた。草取りが象徴する日常の連続も、日々の糧として意味があるという発見はちょっと新鮮だった。5/6

■掲示板でやり取りしている間に「枝拾い同好会」が生まれた。自分が関わる林で、林道の枝を拾おう、というもの。宮沢賢治の、ホメラレモセズ、あるいはデクノボーと呼ばれる、そんな位相の行為だと思う。一方で、林道の枝拾いは、林をイヤシロチにしていく際の第一歩でもある。あくまで地味で自己満足の極致。そこに色々な意味を込めてみたいと思う。5/13

■ 風土とどこかつながりを持って生きている、という感覚は人生の最大の幸せである。人とつながり支えあっている、という気づきは肩肘の余計な力を緩めてくれる。そしてそこに感謝があれば、おそらく人は病から離れた場所にいられるのではないかと思う。このごろ、当ページのアクセスカウンターがよく回っている。きっと中高年の書き込みが活発なおかげだ。ネット社会で生まれる交流は、非現実とかバーチャルといわれ低く見られがちだが、この道具を人々はとても上手に使いこなすようになっている。これは、手ごたえのある、つながりを産んでいる。5/20

■もっと自由であっていい、という黙示をいただいて長らく迷っていたのだが、やはり、be free の声はどうやらわたしの「場の風」だと気づいた。実のところ、あらたな取り組みへのリクエストがいくつか続いて、いずれも関心の強い試みであるから、おろそかにしたくないものばかりだ。より自由になって本当にしたいことに没入セル「林住期」の真っ只中に入るような気分。これらにすべて関わっていこうとする自由な自分を祝福せねば。6/3

■ 苫小牧の植苗に建設中の「イコロの森」にお邪魔した。苫小牧の若い林は、林業の資源として低い評価しかないが、北大演習林(現研究林)やザ・ニドムそして我が苫東などが、雑木林の真価を余に発信してきたと思う。今回、イコロが新しいページを開くことになりそうだ。薪炭をとったあとの再生林だと思うが、放置されて伸び放題の林を、かなり上手に使おうというプロジェクトだ。6/10

■ 春はともかく忙しい。朝が早いから寝なきゃ、という声を聞きつつ夜が更ける。加齢とともに睡眠時間は減ったけど、10時間ぐらい眠ってみたいもの。わたしは9年ごとに節目が来ると感じている。あと、2週間で、今のステージがその丸9年。↓の林住期とも関連するのだけど、すでに、働きの方向とバランスが従来と少しずつ変わっているのがわかる。 6/17

■草も笹もとにかく伸びる。一週間に一回では追いつかないのではないか。ベランダの前のオオバコを刈るのでもいい時間が掛かる。しかし、張り合いがあるのだ。伸びる草を追いかける。先日、Hさんがフットパスを歩き、歓迎されている気がした、とノートに書かれた。かつて、同じように小道を歩かれたお客さんが、もてなされている気がした、とおっしゃった。こんなうれしいことはないのである。なんでもない営みに至福が宿る。6/24
■音を畏敬する。山と向き合い畏れのまなざしで拝むように、つむぎ出された音に畏れを懐く。地球がはらんでいる音の自然を、一人の翻訳家(演奏者)がシンプルなツールで再現してみせる。「地球交響曲第6番」である。音、音楽から人は生まれた。だからもう一度「音」の原初に返ってみる…。鯨の4楽章、ケリー・ヨストのピアノ人の交流に人と音、自然の原風景を見た。7/8

■この雑木林を真ん中において、ずいぶんと人のつながりが濃密になっているのがわかります。そのもとになっているのは、恐らく草を刈り、樹木を間引くという営みの継続。わたし的発見はその愚鈍とも見える汗みどろの実践の意味であります。なんで草を刈ったりする行為の中にこれほどまでの気づきが待っているのか、詰まっているのか…。手仕事と手自然。そこに大きなヒントがありそうな気がしております。7/15

■唯一のフライ専門ショップが6月末で廃業しました。はっきり寂しい話ですが、17万都市で十分なお客ができなかった結果なのでしょう。残念。オジサンたちはほぼ道具はそろって頭打ち、次の世代はフライ人口ができなかった…。むしろ、よくがんばってここまで続けてきてくれたというべきか。商売にならないのでは仕方がありません。フライは博物学をともない、まさに大人がやせ我慢してやるゲーム。地方を謳歌するひとつの柱だったのですが、ますます、FF人口は減るでしょう。無念。7/22

■書中お見舞いを申し上げます。何人かのお勧めを思い出して、恥ずかしながら過去のスケッチブックを画像にしてスケッチ集を作ってみました。まず、欧州旅行から。数回、何かの用事に出かけその折出来るだけスケッチブックを持参し、寸暇を惜しんで描くよう努めた結果の記録です。欧州の後はインド、次にネパール、最後に北海道という風に進めば上出来。ご笑覧を。7/28

■「林とこころの勉強会」のパートUが7月29日にスタートしました。勉強会の内容は、わたくし・草苅のやや偏向したメモで今回も掲載していきますが、ただいま雑用が込んで手が回りません。数日中には妥協してアップするよう努めます。その前に、精神科医・瀧澤紫織先生とわたくしめの往還メール(一部調整中)をプロローグとして載せました。17pの長編ですが、なにを目指した勉強会なのか、なにに注目しようとしているのかが、見えてくる面白い交換メールです。8/4

■普段、何気なく肩のあたりに注意を払うと、ずいぶん肩は緊張しているものです。かなり、気を使っているわたしでも、あ、また力が入っている、と気づくこと、しばしば。でも、先日、早く来てキャンパスを散歩して戻るとき気功の先生にばったりお会いした折、先生は「あら、ずいぶん、肩の力が抜けていてさすがいいポーズだなと思いましたよ」。ううむ、林の環境はわたしを無意識にリラックスするのだろうか。きっとそうなのだろうと思います。8/4

■土曜日は雑木林についてすぐ、先月ならった気功「外丹霊動功」を冥想テラスでした。みるみるリラックスして、どうもむき出しの自分になるような怖さがある。しかし、そういう自分を別の自分が気づいている、という構図は冥想に近い。林がやっぱり心の避難場所「アジール」なのだと思える。8/19

■ 忙しい週日は、週末も往々にして忙しいものです。26日の日曜日はそんな中にありながら、2回目の気功のレッスンを受けました。「林とこころU」の一環。十分なリラックスです。後は実践。気功もヨガも、頭ではなく実践。実践しないことには始まりはなし。気づきは実践の中にしかない。8/26/07

■2週間ぶりに雑木林の小屋と林道の草を刈る。手入れすることの幸せがじんじんと沸いてくるのは、風景を創る喜びとそこが気持ちのいい別天地(イヤシロチ)に変わる実感による。手入れという手仕事は、自然と人を結ぶ格好の入り口だ。9/01

■     懸案のスケッチを、ネパール、インドのトレッキングに北海道の山々を加え、一部をアップした。30年近く前の簡単なメモを読むと、当時の少し物悲しい多感な時期のにおいが濃密に蘇ってくる。山々や風土の描き方の線がとても弱弱しいのがわたしのスケッチの特徴かもしれない。そして全体的にさびしい。最近のドイツの絵などのほうがよほど元気があることがわかる。30枚以上を一気に撮影してアップしたら、昼飯を忘れていた。今、ビールで乾杯。9/02

 

■U病院の森林療法の取り組みが、北海道新聞と地元の苫小牧民報にとても多きく掲載されている。しっかりした準備とスタッフの取り組みを外側から拝見していると、普段は医療の現場の「不安」ばかりが強調されている別のステージで、やはり地道な奮闘が行われているのがわかる。これはしばしば語られることだ。これが、人の、特にこころと林が実はずっと強い信頼関係にあったという人類史を背景にした無意識につながるように思う。このHPでは、実はそのささやかな実験のメモだったのだと思い出す。9/16

■あらためて樹林気功の講座で気功をならう。自らの気のめぐりに、地形や樹木の気を取り入れる。生まれてずっと持ち合わせる気、すなわち「元気」をそうして補うのだ。心がけていると、ここは気を足してくれる場だ、というのが少しずつわかってきた。9/29

■過ぎ行く夏に感謝し、秋をお迎えするわたしだけの祝宴「秋まつり」。こうやって季節を祝うことで花鳥風月の意味もわかってきた。そしてこの林では実にさまざまな生き物たちとともにいることを体全体と五感で知った。今、ますますその感が強い。10/7

■少し、紅葉が始まった。キノコはほとんどでないで終わりそう。空には時折マガンが飛んでいる。カケスの姿が目立ってきた。10/14

■紅葉は狂ったように進んだ。その光景をじっと見ることが出来たから、これはなにより、冬を迎えるこころの準備になったと思う。10/28

■冬に備えて、薪ストーブの焚き付けを拾った。林の中にいること、そのものが喜びとなっている。恐らく、林に入る、そして「居る」だけで、土地との繋がり感覚をもてるからだろう。季節とも交遊している…。11/04

■環境から共に学ぶ、という若い元気な集いに参加の翌朝、雨が降りそうな雑木林で、今季の山仕事の手始めとして、風倒木を片付けた。かぼそい、優しい光に包まれる。11/11

■造園とランドスケープと地域を素材にした話の場に遭遇して、自分が「雑木林&庭づくり研究室」という造園と造景を目指したホームページのタイトルにこめてきた意味を思い出しました。人生の折り返しを越えた今、もっとも関心の高いほうへもういちど戻るようにしなくてはうまく人生に不満が残るのではないのか…。胸膨らむひとときに、そんな思いがむくむくと沸いてきました。しかし、ここのローカルな週末日常はそんな迷いを吹き飛ばすくらい充実している。11/16

■U病院のフットパスを手がける。長老と二人の作業はどんどん進んだ。午後長老の帰った後、間伐作業を少ししてからこの3月あたりに始めた林の仕上がりを見て回った。思ったようになってきた。そこに憩う人の場とにおいが生まれてもいる。手ごたえのある手仕事で生まれる「手自然」。作業の翌朝、けだるい心地よさに包まれ、手仕事のありがたさを思う。11/18

■林は仮面を脱がせる、という衝撃的な結論にたどり着いた。林とこころUの勉強会の準備中に、少しずつ、しおり先生との静かな議論の答えが見えてきたのだ。次回はいよいよ、林は冥想そのもの、というテーマにいく。12/02

■風景が少しずつ変わっていく快感。人間関係や社会は滅多なことで気持ちよい関係にかえることなど出来ないが、風景や雰囲気は「手入れ」という営みで変わる。植苗病院の林は、苫東の雑木林で身につけた手入れの感性で黙々ときたのだが、どうやらこれで正解のようだ。周辺社会関係の改善というのも、実は自らに課したテーマ。これは駄目もと。12/08

■昨日はU病院で山仕事、今日は昼前にしばし北大研究林を歩いた。人の暮らしと結びついた都市林。週末の二日、こうしてわずかな時間でも林で遊ぶと人はもっと幸せになれる。小鳥が手のひらに乗る楽園。水鳥が餌をねだる光景。12/09

■年の瀬が近いです。昨日から5cmほど雪が積もりまだらに解けましたが、この時期になると、夏旺盛に伸びたバジルやミントの茎が乱雑に見えてきます。刈り込んでみて、またまた漂う芳香。このいささか女々しいような芳香の気づきに幸せを感じるのです。この花鳥風月の世界、風土とのしたたかな繋がり感覚のもとだ、と実感するようになりました。12/16

■長老が、気持ちよかろうと思って笹刈りしたU病院のがけ上部のフットパスルートが、今日、雪面の足跡から獣道になっていることが判明。苫東でもそうでしたが、獣道に乗っかるときと、獣たちがこっちの道に便乗することがありますね。いずれにしても、安全で気分がいいことを彼らが証明してくれたと理解すると、世の中が楽しくなります。思い込みですけどね。でも、きっと一理ありそう。12/22

■今年、最後の山仕事を終えました。56歳というのは鍛え方によってはまだまだ力仕事の現役なのに最近は自信なし。無理ないよなあ、内業ばかりの世界だから。12/30■御用納めから戻って時間がやや早かったので近くの銭湯風温泉に。くつろいで一年を早々と振り返って、つくづく「おかげさまで」充実した一年だった、と。多くの方々に出会い支えられて…。あ、ちょっと早すぎたか(^_^;)