このたび、NPO苫東環境コモンズの法人登記を機会に、
コモンズの母体となった育林コンペを再現することにしました。
臨場感あふれる実況部分も入れた冊子を全編PDFにしています。 →
こちら



育林コンペ報告 U

雑木林からの発信

〜雑木林は気持ちいいな!もっと身近にあればいいな!〜

平成9年10月にスタートした苫東の育林コンペ。11年の11月に第1ステージの審査を終えました。これを機会に
参加者6グループの「思い入れ」と当日の実況をレポートした冊子「雑木林からの発信」を、1年遅れの12年12月に完
成しました。このページでは、各グループの代表のメッセージを抜粋します。


序にかえて

雑木林は思えば不思議な空間だった。
苫東工業用地の緩衝緑地としてあてがわれるはずだった広葉樹2次林が、
諸条件が整わず実力を出さずにいる内に、
取り囲む事態、いわゆる時代というものが変化して
空間は、ひとり産業だけのものではなくなっていった。

林はしかし、消滅を万が一免れたとしてもしても、もう、農業と林業の元には
すんなり戻ることや納まることはないだろう。
まして
ホンモノの一次産業のケアによってあずましいプロフィールを見せることは
ないのだろうと私たちは思う。
だからせめて、
次のステージのために人と緑・雑木林との関わりの入り口はこの辺、と
もっともっと見えるようにしていたい。
今度は腕に覚えのある市民のケアによって。

苫東の緑が「工業専用地域」というまちづくり計画の中にあったのは
幸いだった。
なぜなら、ふんだんな緑地を都市計画の中でどう活かしていくかが
21世紀の知恵比べで
人はその都市計画で環境を規定していくからだ。
都市計画、あるいはこれからの景域計画の中で議論しよう。
本当に市民が欲する緑はこういうものだ!……と。
あずましい暮らしこそ市民の願い、すべての基本で、そこは行政も市民もないのだ、と。

育林コンペはいつか息が切れるかも知れない。
が、小さな社会実験は必要度を弱めないだろう。
なぜなら、暮らしの中の本当の緑を
多くの市民が気づき獲得しようと動き出すのはきっとこれからだから。
そのときまでに私たちは、一人でできる「山仕事の達人」になっていたい。
身近な緑のどこででも、森づくりの旗を立てられるように。
(育林コンペコーディネーター 草苅健)

メッセージ

苫東・育林コンペのはじまり
〜「美しい森づくり」が身近な緑を再現する〜  

                  雑木林・育林コンペコーディネーター
                    草苅 健 (苫小牧市)  

 いつのまにか、わたしたちの身の回りから緑がなくなった……。これはわたしの住む地域だけでなく日本全体が20世紀に行き着いた環境の現状です。都市化とスプロールの過程で、十分な緑を内部に持たなかった、根元的には持つ気になれなかったのが原因だと言えます。それほどまでに、身の回りの緑との縁がうすれ、生活の快適さを下支えする緑をあきらめ利便と効率に走ったのが、残念ながら経済成長期の日本の歩みでした。

 わたしたちは、身の回りに緑を呼び戻しもう一度本当に快適な暮らしは緑と一緒に生まれるということにみんなで気付くために、まずもともとある郷土の林を、本来の美しさに戻すことを始めました。
 幸い、わたしたちの住む地域〜日本の最北の島:北海道の南部「苫小牧市」〜の外縁には、40年ほど前に伐採された広葉樹の2次林がまだ多く残されています。林で最も優先するのは萌芽を繰り返すコナラですが、コナラの群落はこの一帯が日本の北限でもあります。太平洋から6kmの距離にあり、標高は25m以下、地形は平坦、平均気温約7.5度、冬の積雪30cm以下、平年の霧日数44日。これが地域の地理と気象のプロフィールです。一帯500haの林の一角を借りて、わたしたちは、まず、混みすぎた林のツルを切り、枯れ木を片づけ、本数を少しづつ減らす作業を始めました。ここに、本来の美しい林のモデルをつくるためです。
 
美しさを目指す方法のひとつとして、グループごとに0.5haずつエリアをもって合計3haの林で保育のコンペをすることにしました。学生のグループ、女性だけのグループ、札幌のグループ、そして林業に携わっているプロのグループなど6グループが、週末などに家族や友人も伴いながら雑木林のケアセンターである小さなログハウスを足がかりに、近くの自分たちのフィールドに向かいます。コンペのルールは、劣勢のものから抜くことと、ha1500本を目途にすること、むやみにたき火をしないことなど、比較的簡単なことばかり。
 あとは、ピザづくり、バーベキュー、炭焼きの研修会、きのこの菌の植え付けと栽培、山菜取りとクッキング、隣接する沼でのカヌーなど、家族ぐるみで遊びながらの森づくりというのが実態です。失ってしまった緑とのつき合いの入り口を、まず「林の美しさと遊び」に求めることにした訳で、その結果として保全と感動がついてくるという仕組みです。

 99年の11月に、ここ2年間の保育作業結果の印象について審査会を開きました。審査を依頼したのは、野生動物の研究者、森の癒しに造詣の深い精神科医、林業行政の担当者の3人です。審査では女性チームがトップに選ばれましたが、「育林コンペcommpetition」と呼んできたものは、実はコンパcommparisonと呼ぶべき穏やかなもので、それが順当な所だと言うことが分かりました。

 この林には実はもうひとつの役割があります。それは日本最大の哺乳動物ヒグマが、支笏湖方面と日高方面を移動するときのコリドーに使っているのです。1995年、この近くの森で捕獲し発信器をつけた雄のヒグマ「トラジロー」が初めて移動の情報を提供してくれ、今も研究者が追跡しています。このほか、この森にはエゾシカやモモンガなどのほか、クマゲラや少なくないワシタカ類も生息しています。ウトナイのバードサンクチュアリも数キロの距離にあるなど、これら野生生物との共存も視野に入れて林のあり方を考えていくことにしています。

 ただ、ここでわたしがもっとも関係を深くしておきたいのは、他ならない「人」と「雑木林」です。美しさとなごみと、人の心に反射する林のすべてをここでできるだけ体験し、そしてできるだけ克明に日記のように記録していきたい。みんなの何気なく記された言葉の中に、きっとキーワードが見えてくるかも知れません。あるいはすでに出されているのかも知れません。

  明治以来、日本に赴任する外交官が、日本の歴史や日本人の自然観を知る上での必読の教養書とされる『日本史』(The History of Japan ;著者 Engelbert Kaempfer)が1727年、ロンドンで出版されました。ケンペルは長崎のオランダ商館の医師として在日したのですが、江戸幕府との往来に日本の自然風土を見聞し、文化、宗教、産業などについて記述したものです。この中でケンペルは、沿道の水田や畑、林は手入れされリサイクルされ、街並みの通路はよく掃き清められ……、と当時の日本の姿を記しています(「森とつきあう」渡邊定元)。

 荒廃してしまった雑木林も、地域の片隅の小さな活動からケンペルの見たような美しい緑の「ガーデン・アイランズ」に近づけたいという気持ちは、これからの日本人ひとりひとりの心の中に眠っており、やがて切実な願望になっていくのではないかとわたしは思いますが、昨今、国もグランドデザインの柱のひとつに「美しい国づくり」というテーマをあげ始めました。野生生物との共生の道を探りながら、美しく快適な生活環境を身近に獲得するために、わたしたちの作業が一歩を踏み出すことになればと念じます。



グループ代表のメッセージ

子宝森で見た夢は…

                             「お・こ・もり広場」世話人代表  濱田智子
 

育林コンペにエントリーすることになった平成9年夏、フィールドを預かるに当たって、この機会を利用して是非やってみたいと思っていたことがいくつかありました。当初描いたそれらの構想などを思い起こしつつ、2年余りの活動を振り返ってみたいと思います。

林業技術はどこ?

 技師や指導員という職名を与えられながら、実地での技術研鑚の機会の乏しい私たちにとって、フィールドを持てるということは非常に魅力的なことでした。自分と同じような林業職の女性(ばかりじゃないけれど)を集めて、技術研修の場にしよう! これが一つ目の構想でした。
 最初は気合を入れて、標準地を設けて毎木調査を行いました。しかし、回を重ねるうちに調査野帳はどこへやら…。選木研修会の構想もどこへやら…。結局は、とにかく立木密度が高すぎるからと、ひたすら枯損木と小径木(主にはサワシバ、アズキナシなど)の本数を落とす作業に終始していました。2年目が終わろうという頃になって、ようやく林全体が歩きやすくなり、いよいよ上層木にも手をつけようと、チェーンソー実地訓練となりました(でも私は欠席)。そしていよいよ3年目、最後の仕上げとして林道からの見た目を良くしようと、さらに本数を落とし(助っ人のチェーンソーマンが大活躍)、林縁の草刈りなどを実施しました。
 これらの作業で技術研修になったのかと考えると、はて?(ただし当初の調査で、樹種も判別できない林業サギ師もいたことを考えると、多少の学習効果はあったのかも) 除伐については、自分たちだけでは選木基準があいまいで、自信の無さともどかしさとを常に抱きながらの作業でした。広葉樹林施業の難しさを味わう研修には、なったでしょうか。
 ところで、技術というのは、それを必要とする明確な目標があって初めて生きてくるものなのに、私は伐採後の森林の姿や保残木の形質に明確な目標を描いていなかったということに、後になって気がつきました。みんなで作業するという行為その物が目的だったように思います。そんな森林施業に、技術などあろうはずがありません。この経験は、私の仕事である林業普及活動にも、一つの示唆を与えられました。それは、明確な目標を持たない客体にとって、林業技術は無用の長物!ってことだと思います。

おんな子供のにぎわい

 もう1つの構想は、「お・こ・もり広場」(おんな子供による森づくりの広場)のネーミングの通り、女性や子供主体の活動の場にしたい!ということでした。
 おそまつながら家に帰れば私も母親です。週末森に通うとなると、やはり子連れでできる活動の方が無理がありません。そればかりでなく、私自身幼い頃に裏山で遊んだ郷愁を暖めて大人になったので、幼児期の子供たちに自分と同じような森林体験をたくさんさせたい!という思いを強く持っています。ちょうど苫小牧に来て2年たち、同世代の知友人がたくさんできたので、そんな母親と子供たちを誘って森へ行こう!と思っていました。
 1年目は「リース作りの材料を集めよう」という企画を実行したところ7〜8組の親子が参加してくれ、たくさんのツルや木の実を収穫した後、落ち葉で冠やステンドグラス作りを楽しんでもらいました。私としては当初、このようなお母さんや子供たちを保育作業の担い手とは考えていなかったので、2年目の企画は森の中でゲームを…と思って現場の準備に出かけたのですが、混み入った林を見ているうちに作業の進行が気になってきて、「ゲームどころじゃない、みんなにも除伐作業をしてもらおう」と、伐採対象木にテープを結びました。翌日集まった親子には、のこぎりを貸出して、印のついた木を片っ端から伐ってもらい、柴を運んでたき火をし、焼きイモを楽しみました。これが予想以上に大好評! で「今度はいつやるの?」「また来てもいい?」と、皆さんリピーターになってしまいました。ゲームや森林浴もいいけれど、やっぱり木を伐る醍醐味は、一度知ったらやみつきになるようです。
 これ以外にも、北海道の技術系職場の女性たちのグループに参加を募ったり、苫小牧子供劇場のお母さんと子供たちや、口コミで誘って来てくれた知人の親子連れなど、「お・こ・もり広場」に来てくれた人数は、子供も含めると80名くらいになります。その大半が女性や親子連れだったことを振り返ると、まさに当初のネーミング通り、女子供のにぎわいでした。おまけにその実態は何と!子宝森。我が家の3番目も含めて、「お・こ・もり広場」の作業に参加した母親から生まれた赤ちゃんは、9人もいるのです!

伐ることから始まる森づくり

さて3つめは、「木を伐ることも森を育てることなんだよ!」ということを伝えたいと思っていたことです。
 世間一般には、伐採イコール自然破壊というイメージを抱いている人が少なくありません。特にそうした固定観念は、森林に無関心な人よりも、自然への関心や保護意識が一般の人よりもちょっとばかり高い人たちに強いという印象を受けます。地球的規模での森林減少や林地開発行為と混同されているような気もするし、林業技術や保育作業への認識不足や誤解からきているようにも思えます。
 そのような伐採否定と共に厄介なのが植樹信仰です。木を植えさえすれば緑豊かな環境を取り戻せるという誤解があるように感じます。木を植えるという行為は、自然生態系のリズムを考えると、むしろ逆らった行為とも言えます。人間が植えた木は、放っておいて勝手に大きくなるのではなく、元々その場所になかったものを植えるわけですから、育てるための手間がかかります(だから人工林の間伐遅れが林業上の大きな課題なのに…)。その辺の事情を考慮せずに、木を植えたいという信仰が一般的に根強いのではないでしょうか。育林コンペのスタート時点、道新の記者の取材に応じた際、「木を植えることも考えていますか?」という質問をされ、妙な感じがしたものです。こんなに木があるのに何故植える必要があるわけ?? やっぱり植樹信仰があるのかな…と。
 住民参加による植樹祭等は大変結構なことですが、多くの自治体担当者は、植えた後の樹木の管理に泣いています。そうした現状を目の当たりにする度に私は、植樹ばかりが森づくりのスタートではないということを、一般にPRできたらと思っていました。皆伐したら植えなければ再生できない森林もありますが、胆振の広葉樹林は、伐採と天然更新とを繰り返すことのできる森林です。そのような森林に対しては、伐採することによって残った樹木の成長を促し、森林全体を育んでいくという方法が、自然のリズムに合った森づくりの方法なのだということを伝えたかったのです(この場合、木材生産を目的とする人工林育成とは目的が違うので、誤解のないように。私は林業屋なので、林業生産活動や針葉樹造林を否定しません!) 要は、植えるばっかりが能じゃない、目的と地域の条件に合った森づくりをしようということです。
 幸い育林コンペの現場へ向かう途中の林は、林道を境に手入れした林とそうでない林との違いが一目瞭然なので、初めて来てくれた人には趣旨をていねいに説明し、林相の違いを確かめてもらった上で作業に参加してもらいました。広く一般にとは言いませんが、日常的に森林や林業と無関係の人たちにも多数来ていただけたことが、成果だったのではないかと思っています。

手前勝手に振り返って…
  
 全体を振り返ってみると、「森林と人間とのより良い関係づくり」という私自身のライフテーマに、自ら身を置くことのできた2年余りだったと思います。
 ちょうどエントリーした翌春は産休中だったので、ちょくちょく現場を訪れ(出産当日も行っていて、夜に陣痛が始まり翌朝産まれたのです)、作業シーズン以外の春から夏にかけての林の様子も十分に堪能することができました。おかげで、四季を通じて一つの林とじっくり向き合うことができ、とても懐かしく満ち足りた気分を味わわせてもらいました。こうした体験が、私の生活に豊かな時間をもたらしてくれたことは言うまでもありませんが、「お・こ・もり広場」の木々たちにとっても、豊かな育ちを与えたように思えてなりません。作業に入る前は、立木密度が高く枯損木の多い林でしたが、伐採することによって空間が生まれ、林床にも日光が届き、伐根からは旺盛な萌芽がたくさん伸びています。ひっそりと生きていた林に、躍動する生命の喜びを提供したような気がするのです(ちょっと大袈裟ですが…)。そんな手前勝手な夢を見ながら、自分の働きかけによる森林の変化を見届けてゆくのも、これからの楽しみです。
 最後に、こうした機会を提供してくださった草苅さんと、一緒に作業を楽しんでくれた皆様方に、この場をお借りして心から感謝の意を表したいと思います。本当にありがとうございました。



「森に思うこと」

               苫小牧レクリエーション協会   椿  勇 喜

 あっという間に2年間が過ぎてしまった気がします。当初は「あれもやりたい」「これもやりたい」という気持ちだけは大盛りのラーメンみたいなもんで、構想だけは大風呂敷を広げたものの、結局できたことはわずかばかり……。
 でもそんな反省の念とはべつに、他の団体の出来上がりや活動ぶりを聞いたりすると、やはり基本的な部分で森に集う仲間の考えは共通しているという感想を持ちました。
 私たちの目指すレクリエーション活動は、レ・クリエーション(Re-Creation)であるといわれています。創造的な日常活動(クリエーション)につかれたら、レクリエーションをすることによって再び(リ)、日常活動に戻っていく、これがレク活動の真髄とも言えます。
 日々のいろいろな仕事や人間関係に疲れたら、森に入って木を切り汗を流し、たき火にあたり、心地よい疲労感を覚えながら帰っていく。まさにこの2年間はレク活動そのものだった気がします。
 残念だったことは、いつも9月の最終土曜日で実施される「たるまえサン・フェスティバル」で境界の会員が全勢力を使い果たし、肝心要の紅葉の時期に森に足を運べなかったことです。
 今年(99年)はサン・フェスの前に一度徹底的にチェーンソーを使用して太めの木を切っておき、サン・フェス終了後にもう一度片づけをする予定でおりました。
 9/18に行った折りには、まだまだ木は青々としていました。人数が少なかったせいもあり2時間程度の作業を壮そうに切り上げ、ログ・ハウスの前で焼き肉パーティとなりましたが、大きなスズメバチの集団の大歓迎を受けました。ビールの空き缶やら肉にも関心を示していましたが、自分たちの範疇でないと判ったのか、周りを飛び回るだけでだれも刺されませんでした。

*育林コンペのアンケートの回答を以下に記述しておきます。
@こんな林にしたかった!
木に触れたり、花を楽しんだり紅葉を楽しんだり、また昆虫達とも出会えるような林を目指しました。
Aこんな作業をしました!
低い灌木や枯れた枝をノコで切ったり、株立ちしている木をチェンソーで切り倒しました。
Bもとの林と今の林の様子
作業を始めた頃は灌木やツルでうっそうとしていた森もすっきりしました。作業していても切り倒した木を運び出すことさえ大変でしたが、移動のための空間ができました。
C2年間の作業や林とのつき合いに関する感想
なかなかメンバーの日程が折り合わず、作業できた回数はわずかでしたが、森に来る度にきれいな空気に触れて、元気を回復しては家に帰れたと思います。
D次のステージに向けた抱負
いつも紅葉のきれいな時期に、ほかの行事の活動で勢力を使い果たし森に来られたためしがありません。来年(平成12年)こそは春の新緑と秋の紅葉を楽しめる日程を早めに設定したいと思います。



育林コンペは一粒の麦

                札幌雑木林ファンクラブ  孫 田  敏

 霧雨のような細かい雨粒がまるで体に纏いつくように降っています。ここは「シリ・エ・トク」、空と海が境がないようにどんよりと一体となっています。地の果ての地とはよくも名づけたものです。目を山に向けると、海端から切り立った山腹が、仰ぎ見なければならないようにそそり立ち、そこにはダケカンバやトドマツなどからなる針広混交林が広がっているように見えます。今日は雲が低く、その広がりはまるで無限のように思えてきます。そして、人との関わりを拒否しているかのようにも。森や林、広い北海道には様々な形態があります。この知床の森を見ていると、苫東の林の様子がまるで遠い国の森のように感じられます。(ここまでは7月に書いています。)
 長々とこの原稿を書くのをサボり、早半年以上が過ぎてしまいました。3年間の育林コンペ、これは私たち札幌からのグループ「雑木林ファンクラブ」にとって何だったのでしょう?
 3年間といいながらも、最初にわたくしごと私事で躓いて1年目はほとんど活動をしませんでした。「雑木林ファンクラブ」という素敵な名前を草苅さんから付けていただいたにもかかわらず、実は組織として動いているというほどのものはありません。私の知り合いに声を掛けて、それにのってきた人が会員ということになります。総勢10人をちょっと超えるぐらいの人たちです。
 夏場は暑いので、作業は冬の雪が積もったときだけ。火を囲むことと、刃物を持つことを楽しみに集まってきた人たちです。(勝手に私がそう思っているだけ)その中で実際に森の木を切ったことがある人は、たぶんたった一人だったでしょう。中には木を切るなんてかわいそうといっていた人もいたぐらいです。初めはどんな木を木っていいのやら迷っていつ時間の方が長かったでしょうか。草苅さんには一応の基準を教えてもらっていたのですが、現実に林の木を目の前にするとこれは切った方がいいのだろうか、残した方がいいのだろうかと悩むことしきりです。最初の1年は迷いながら、遠慮しながら木を切っていきました。
 かなり大胆に切るようになったのは2冬目からでした。私達のグループは誰もチェーンソーを持っていないということから、いっそのこと手鋸だけで間伐を進めていこうということになりました。最初切っていたのは直径7・8cm程度の木ばかり。しかし2年目ともなると大胆になり、直径20cm近くもある木に挑戦する人もでてきます。あくまで手鋸で。寒い冬の最中でも汗びっしょりになりながら作業を進めました。伐倒から玉切りに至るまで一本の木は一人で処理していたのですが、いつのころから集団で作業するようになってきました。玉切りは「解体」と称して数人で玉切りをするようになってきました。林業の作業班が自然に形作られる様を目の前に見たような気がしました。
 主要な構成種であるコナラも随分切りました。ちょっと切りすぎたかなと思ったくらいですが、あとでグループのBさんの一言。「生きているようだけれど、ほとんど枯れている。」私もそのあとよく見てみると、切ったコナラの大半は立ち枯れしていたものでした。下枝が枯れ上がっていて、上の方の枝の冬芽が生きているかどうかよく見えない。このため切るまではよくわからなかったのだと思います。随分間伐したと思い込んでいたのが、実は整理伐に留まっていたということがわかったのは、もう春も間近のことでした。見た目には武蔵野を思わすようなコナラ林ですが、実は結構病んでいるのかもしれません。
 切った木は大半がそのまま野積みにしたままです。もったいないと思っていたら。前述のBさんが家の薪に使うから持っていくと申し出てくれました。実際には切った量のほんお少しですが、多少は「地産地消」をすることができました。切った木を野積みのしておくと昆虫の棲み家になり、生態系には良いという考え方もできるでしょうが、ちょっと風倒で、というよりはずっと多い量です。本来は責任をもって処理しなければならないことなのでしょう。今回はそんな視点を持ったのはほとんど最後のころでした。次回からは‥‥。課題です。
 さて表題の話しです。
 私達のグループの活動はあまり活発なものではありませんでした。(懺悔)しかし、この体験は次へのステップとなったのです。Bさんは札幌の常盤で「カッコウの里を語る会」を主催しています。これまでは地元の自然を守ろうということや芸術の森周辺の清掃活動をしています。この会でも今年空沼に国有林の一部を借りました。すでに契約も終えました。活動の場を得、今年は森の中の幼稚樹をマーキングしておき、寒くなったら掘りあげて植栽用のポット苗を作る予定でいるそうです。
 木を切るなんてかわいそうといっていたYさんは、木を切るという林の付き合い方ではなく、木を切られてしまい土地形状も変わってしまったような原野状態のところで、木を植え始め、いずれは森を、とがんばっています。
 また私自身は、札幌にできた「北の里山の会」(今年の5月にでき、草苅さんに基調講演をいただいた)で活動を開始する準備をしているところです。札幌市有林の一部を借り、里山作りを実際にやってみようとしています。まだ活動の準備期間ですが、いずれ苫東の森に勝るとも劣ら\\ような森にしていきたいと思っています。
 決して根を詰めて作業はしてこなかった参加者面々でしたが、そのあとには様々な活動を始めることになりました。札幌のことしか知りませんが、この育林コンペを通じて感じた色々な思いを何らかの形で外に向けて始めていこうとしだしたのです。
 私達は育林コンペの中では、決して優秀な成績を収めることはできませんでしたが、育林コンペの中に、これからの自分達の進む道筋を見つけることができました。これがこの表題の由来です。これからも場所こそ違え、体験できる森作りを進めていこうと思っています。これから色々な場に出会うことがあるでしょう。でもこの育林コンペの体験をもっと、もっと広げて行きたいと考えています。
 「一粒の麦も死なずんば‥‥」とうことですが、育林コンペは死ななくとも新しい動きの素になります。今はまた活動が低迷していますが、いずれまた。


「雑木林で私が得たもの」
         
北大チーム 浪 花  彰 彦
            2000/4/2(北大苫小牧演習林技官)

1.はじめに

 北大チームは当初、北大苫小牧演習林の職員(当時の林長であった青井さん、山のベテランである林業技能補佐員の及川さん、そして新米の技官であった私)と、早稲田さんを中心とする北大農学部森林科学科の学生と大学院生、その連合チームとしてスタートしました。
 その後、演習林の職員は多忙のためなかなか活動に参加出来なくなってきたのですが、学生達は卒業に伴うメンバーの世代交代を繰り返しながら、徐々に仲間を広げ、現在の北大チームの活動基盤を作り上げてきました。
 中心メンバーが少しずつ入れ替わりながらも、チームの特色が引き継がれていくというのは、他のチームにはない北大チームだけの特徴だと思います。
 幸いなことに私は、チームの立ち上げからこれまでの間、ずっと活動に関わってくることができたのですが、とうとうこの4月から転勤のため北大チームを「卒業」する事になりました。
 そこで、これまでの活動を振り返ってみようと思います。
 ここで私は、北大チームが育林コンペに向けて、どのように雑木林の手入れを行ってきたかという点を中心にして、簡単にまとめてみようと思います。
 実は北大チームの活動のもう一つの大きな柱として、楽器の演奏やネイチャークラフト、野外料理といった様々な「遊び」があるのですが、そのことについては学生メンバーから紹介してもらえると思います。
 私の方はいささか固い話になりますが、しばらくお付き合い下さい。

2.育林コンペに向けて 〜北大チームの管理目標〜

 育林コンペに臨むにあたって、我々北大チームは、次のような基本方針を立てました。

    1) 大学で学んだ専門知識を活かして、従来の林業とはひと味違った、
      生物多様性を増やすような森林管理の方法を実践してみる
         → 「試みの場」としての森づくり

    2) 教室の中では学べないような、森作りに関する実践的な知識を
      しっかり身につける。
       具体的には、ノコやナタの使い方、樹種の見分け方、間伐の際
      の選木の仕方など。
         → 「学びの場」としての森づくり

    3) 森林管理をがんばるばかりではなく、クラフトや料理などの「森の
      遊び」をしっかり楽しむ。
         → 「遊びと安らぎの場」としての森づくり
  
  この基本方針を受けて、実際に行った作業を以下に簡単にまとめてみましょう。  

3.実際に行った手入れについて

 まず最初に林内を歩き回って、北大チームの管理エリアがどのような林で出来ているか調査しました。
 その結果、我々のエリアが林の特徴の違いから、大きく3つの地区に分類できることがわかりました。
 各地区の特徴は、次の通りです。

   <A地区>
     ・ 株立ちの本数が多く、曲がりや病気の木が多い
     ・ ツル植物による巻き付きがひどく、樹冠が発達出来ない木が多い
     ・ 全体的に発達が悪い    

   <B地区>
     ・ 細い木が非常に高い密度で生えている
     ・ 株立ちの本数は割と少ない 
 
   <C地区>
     ・ 20cm以上の中径木が多い
     ・ B地区の間伐が進んだ感じの林

 以上の3地区について、病気にかかった樹や枯れかかった樹を間伐する作業を中心とした手入れを行ってきました。
 林の発達が最も悪かったA地区では、曲がりがひどい木や病気の木を強度に間伐し、広く空いた空間で切り株から生えてきた新しい芽(再生萌芽)を育てることにしました。このA地区では、間伐を行った結果、林内が明るくなってササが繁茂し始めたので、多様な林床植物が生えることの出来るようにササ刈りも行いました。
 比較的素性の良い、細い樹が高い密度で生えているB地区では、林内に十分な光が入り、1本1本の木が十分に枝を張れるように、最上層の樹冠を構成している木を対象に間伐を行いました。
 また、結構太い樹が多いC地区では、とりあえず今期の手入れは保留して様子を見ることにしました。

 このように我々が行った森の手入れは、広葉樹の間伐が中心だったのですが、伐採する木を選びための独自のルールを、次のように定めました。
   a. 本数の少ない樹種はなるべく残す。
        → 樹種の多様性を確保する
   b. 間伐を行う際は樹冠が閉鎖している最上層の木だけを対象にして、
     中層のモミジ類や下層の灌木類は切らないようにする。
        → 森林の高さ別の多様性の確保  
   c. 鳥や動物の食べ物になるような実をつける木はなるべく切らない。
     ツル植物も全部切らずに、実をつけるものは残す。
        → 野生動物に配慮した森作り
 この選木のためのルールには、森林科学を学んできた私たちの森へのこだわりがよく表れていると思います。

 最近では、間伐が進んで比較的広い空間が確保できるようになったA地区の一角を「広場」として、ベンチや木道・ブランコ、刈ったササを利用したササ小屋等を作って、活動の拠点にしています。

4.これからの林の手入れについて

 これまでの2年間で、C地区のほとんどとB地区の半分程度、間伐が進みました。
 これからは、残った樹の成長や新しい稚樹の発生を見守りながら、残りの地区の間伐を進めていくつもりです。
 実際の作業時期としては、間伐を11月から3月までの間、ササ刈りは6月と9月の年2回行います。
 その他の時期は、ちょうど春の芽吹きや、紅葉・花の時期などに重なっているため、自然観察などでたっぷり森を楽しむ予定です。

5.まとめにかえて

 最後に、私が北大チームと一緒に森に関わってきた中で感じたことを書きます。
 最初に北大チームの活動が始まったとき、私の中には「自分たちが大学の森林科学科で学んできた森林の知識を、生きた森林の中で実践してみたい」という気持ちが強くありました。
 大学の講義や職場である演習林ではなかなか出来ないような、自由な森林管理の試みをこの苫東の雑木林でやってみたかったのです。
 そのために北大チームの初期の活動では、かなり「真面目に」というかストイックに森林の管理方法を考え、2年間で林を改良するための間伐の計画を立てたりしました。
 その当時の活動と言えば、ひたすら間伐作業を進めて、切りたおした木をナタで刻んで積んでいくという感じでした。
 そんな「林業的な」活動は1年ほど続きましたが、最初の計画ほど作業が進まないことへの焦りと、ただ邪魔な木を切り倒していくだけではあまり楽しくないという思いが強くなり、私自身が雑木林の手入れにあまり魅力を感じなくなった時期もありました。
 そんな私たちの活動が大きく変わったのが、活動2年目の春からだったと思います。
 新しく入ったメンバーに遊ぶ好きの人たちが多かったため、その春は広葉樹の芽吹きや咲いたばかりの草花の観察などして遊んでばかりだったのですが、ノルマに追われてノコやナタを手にするのをいったん止めて、雑木林の中でのんびり時間を過ごしてみると、私自身、「作業はいっこうに進まないけど、楽しいからまあいいや・・・」という気持ちになれました。
 それまでの私にとって苫東の雑木林は、自分の学生時代や職場で得ることが出来なかった、森林の知識を試すための実践の場であり、いわば「努力の場」だったのですが、こうして森の中でのんびり遊ぶことを覚えてからは、月に一回森で思いっきり遊んで、日頃の疲れやストレスを解消することのできる「遊びの場」へと変わっていったように思います。
 私もいまではすっかりお気楽になってしまい、雑木林の手入れについても、あくまで森での「遊び」の一つとして、自分たちが楽しめるペースでやっていけば良いのではないかと思っています。
 去年までの私であれば、「自然との関わりの中では、真面目さだけでなく遊びの要素も必要である・・・」とこの話を締めくくったところでしょうが、今の私はそんな一般論でなく、私自身で感じた気持ちを正直に書くことで、この文章のまとめにしたいと思います。

 苫東の雑木林とつきあった2年あまりの月日で、私は森の中にいろんな楽しいものがあることに気が付きました。
 特にこの1年間、北大チームの学生さん達と雑木林の中でのんびり過ごし、時には真面目な話などしたひとときは、私にとってすごく大切な時間でした。
 こんな風にいろんな人が出会えて、楽しくすごすことのできる場として、苫東の雑木林がこれからも在り続けてくれることを祈っています。
 また雑木林でのんびりしたくなったら、帰ってきます。
 また会える時まで、皆さんお元気で。

寄せ書き「参加者のことば」
北大チーム

 伐採作業からはじまって、ほだ木でのきのこ栽培や炭焼き。冬のクロカンや焚き火も楽しかった。後半は食べることが多かったかな?また、雑木林を通して得た多くの人とのつながりもかけがえのないものです。たった0.5haの雑木林だけど、こんなにもいろいろなものが詰まっているとは・・本当に驚きです。これから10年後、50年後に雑木林はどんな林になっているんでしょうか?
楽しみは無限に広がっていきます。(早稲田 宏一)

 早稲田さんと川嶋さんの誘いで林へ足を運び、活動開始の頃の選木、伐採を楽しみました。苫小牧に引っ越してから休日は都会が恋しくなり、林へは足が向かなくなりました。自分の活動を振り返ると、雨上がりに火をつけてもいまいち燃えない薪のようでした。森の楽しみかたもいろいろ。(北大・演習林 前野華子)

「雑木林と私、、、」
 4年から丸3年、苫東の雑木林とつきあってきた。関わり始めと比べると、林に対する感じ方も変わってきた。今ではとても思い入れのある場所になった。今までは森に行くことはあっても、どこか特別な場所に行く気持ちがあったが、苫東の森は行き慣れた場所に気軽に行く感じがする。今回はどんな林になっているのか、何か変わったことはないか、想像しながら出かけた。林の四季を体で感じることもできた。
 始めの頃の一生懸命やる作業も楽しかった。一本の木を見立て、慣れないチェーンソーを振るうこともできた。後半の林での遊び、料理、泊まりなどなど、普段大学で研究しているだけではなかなか味わえない貴重な経験もできた。そして何より林に出入りする多くの人たちと出会えたことが、自分に色々なことをもたらしたと思う。今後もここで得た経験を生かして、森林とのつき合い方を考えていきたい。

ちょっとまじめに書きました Ken Kurita

 「昔、人と雑木林は生活の中で深く関わり合っていた……。」このことを聞くにつれ、なんて活き活きとした森との関わりかたなのだろう、こういう生活を自分もできるのだろうか、やってみたいなあ、と漠然と考えるようになっていました。そういう中で苫東の雑木林での活動は、森を資源として実感し、森との関わり方の奥深さを垣間見る良い機会となっています。生活と結びつけて森と関わることは、まだまだ遠い世界の話しですが、自分なりの欲求にあった関わり方はできたように思います。木を伐る技術、クラフトづくり、たき火料理、草木染め、木の実で酒やジャムづくりなどなど、身も心も豊かになれる経験をさせてくれ、また、雑木林に足を運ぶ人々が、ふだんの生活ではみられない面をみせてくれるのも、雑木林ならではの力です。これまではいっぱい遊んで、少し施業のことを考えるというような森との関わり方をしていたので、これからはほだ木や薪炭材などを効率的に作り出す施業の方法などを、何年もかけてと森とつきあって実感できるような自分の居場所さがしをやっていきたいです。(吉次 さち恵)

 雑木林にしばらくごぶさたしているんですが、始めて行った時、食べることと遊ぶことがどうやらメインとわかり、感動でした。来年は、代替わりがあるようなので卒論にもめげず、主力メンバーとしてがんばりたいです。コジローよりは位は上なので、下克上されないように、気を付けます。(フクイアキコ)

 都合がつかず行けない時も多いのですが、いついってもすごく楽しくて有意義な時間が過ごせて、雑木林ってすごいなあと感動しています。フル参加を目標にできるだけ足を運びたいです。(2年目 田中聡子)

最高ですかー?
最高でーす。
札幌市中央区でのアーバンな生活につかれた心にはやっぱりこれ。雑木林、最高ですね。(少年 S)

 30代(みそじ)を越して不況日本で職探し。しながら…、炭焼きするとは思わなかった。なぜだ?
 ひたひたと31才のたん生日がやってきて、「あっ!」という間に通り過ぎて行こうとしているのに。
 リコーダーの練習をしていたのはなぜなんだーーーーーーーあ。
(亀山 哲)

 4年生で初めて雑木林に来てから早や2年。あの場にいくと、やりたい事がどんどんでてきます。人のつながりもできて、本当に、雑木林は色々なものが生まれてくる不思議な空間です。(好田 美穂子)

 森というものは不思議な空間のように感じます。人間の理解が及ばないようなものが何かあるような気がします。だからまた行ってみようと思うのですかね。
(鈴木雅博)

 96年のクマ檻設置に始まり、苫東の林は自分にとってとても思い出深い土地です。平地に広がる森林は、いつみても不思議な風景です。これまであまり活動には参加できませんでしたが、みなさまとのご縁を大事にしたいと思っておりますので、今後とも宜しくお願い致します。(浦田)

 M1になってから中心となってこの活動に参加してます。人を集めることの大変さと、自分が本当になにをやりたいかをみつめなおすいい1年でした。(おさむ)
  
 こんにちは,北大森林科学OBの網倉です。先日の苫東育林コンペでは,北大(演習林)チームの皆さんには大変お世話になりました。おかげで大変楽しい週末を過ごすことが出来ました。ありがとうございました。
  さて,北大チームの皆さんは活動毎に感想文を書いているということを聞きました。僕もせっかくですので,感想文のようなものを書かせていただきます。
  「のようなもの」としたのは,多少かたくるしい「批評」的なものも書いてしまおう,という考えがあるからです。皆さんがこの活動で「楽しむこと」,「遊び」に重点をおいているということは十分承知していますし,とっても良いことだと思います。そして,そういうものだけを追及する活動であるならば,外部からの「批評」というものはまったく意味がない,ということも承知しています。ただ,プレゼンをあれだけ凝ったり,今までの活動を冊子にまとめたりという取り組みを見ると,やっぱり何かしら周囲に向けた活動というか,社会の中で自分たちの活動はいったいどういう意味を持っているのだろうか,というところを模索している姿勢が感じられるわけです。そういうふうに,社会における自分たちの活動の意味みたいなものを考えようとするなら,僕のような初参加者の感想・意見・批評というものも多少役に立つのではないかなあ,と考えています。

  まずは純粋に感想から。
  雑木林はのんびりできるし落ち着くし,やっぱりいいですね。季節が晩秋だったというのも非常によい感じでした(僕の頭の中では,なぜか雑木林というと秋のイメージが強いのです)。みんなで食べるご飯もうまかったです。北大(演習林)チームは林自体もプレゼンも楽しかったですよ。コンペの順位は準優勝でしたが,インパクトは一番あったと思います。ログハウスでの一夜も,ああいう雰囲気に浸れたのはほんと久しぶりなのですごくよかったです。

  次に,皆さんの活動に参加させていただいて考えたことを少々書こうと思います。まず,「コンペ」という形でいろんなグループが活動をともにするというのが苫東コンペの一番の特色だと思うんですけど,これは非常に面白い試みです。青井先生(でしたっけ?)も仰っていたように,こういう形態の活動によって個性的な林相がパッチ状にでき,生態学的に見ても良いらしいですし,景観的にもかなり面白いものになっていたのではないかと思います。
  また,他のグループと関わることで自分たちのグループの特徴やこだわり,長所・短所を客観的に把握できるということも,こういう活動形態の長所としてあげられると思います。時間とパワーに余力があれば,他のグループとの共同作業なんかをもっと増やしても面白いかもしれません。
  他のグループといっしょに活動する,というのも非常に大事なことですが,あくまで個々のグループの独自性を保ったまま付き合っていく,ということも同じように重要です。自分たちのアイデンティティーを失わず,かつ別のグループのアイデンティティーを認めることは,他者との関係を構築するうえできわめて大切です(個人同士の関係でも同じことがいえると思います)。
  まあ,なにしろ北大(演習林)グループの活動の中でできた個人同士の繋がり,苫東コンペの活動でできたグループ同士の繋がりは,皆さん(僕も含めてですけど)の貴重な財産です。ネットワークの力は偉大です。何か問題(たとえば,苫東コンペ用地が突然開発の対象になったり,とか)が起こったとき,この繋がりが非常にものを言うでしょう。

  北大(演習林)チームの活動については,そのほとんどをプレゼンとできあがった林の状況から推し量るしかないので,あまり大きなことは言えません。が,なにしろ「楽しむこと」「遊ぶこと」に重点(というかこれが皆さんの活動のアイデンティティーなのかな)をおいている,というのはすごく魅力的ですね。こうなったら「雑木林の中でどれだけ面白いことができるか」というテーマに極限まで挑戦してほしいような気がします。
  あと,これは林政出身の人間だから言うというわけでもないのですが,苫東開発の経緯とか現状とか,そういったものを調べてみるのも有意義だと思います。コンペの代表さんが仰っていたように,苫東開発の方向性によっては皆さんの活動している雑木林は使えなくなる可能性があります。それどころか,皆さんの育てている雑木林そのものが開発の対象になるということだって十分ありえるのです。もしそういう問題が起こったとき,苫東開発の歴史なり今後の方向性なりをみんなで議論しておけば,行政に対案を示すことだって可能なはずです(簡単そうに書きましたが,苫東開発は石狩湾振興開発とならぶ道のビッグプロジェクトで,正直な話,一度開発の話が出たらそう簡単に撤回されることはないと思います。ただ,声をあげることは重要です)。それに,苫東開発の経緯を調べていれば,きっと北海道全体の開発の歴史が見えてくると思います(そして日本の歴史・世界の歴史と発展していくわけですね)。まあ,こういう話の方が僕としてはかなり提供できるものがあると思うので,もし興味があれば声をかけてくださいね。

  ......非常に短いですがこのあたりで終わっておこうと思います。ちなみに,僕はこの文章を第三者的な言葉遣いで書いてはいますが,苫小牧は近いですのでまた参加させてください。この文章の続きはその時にでもしましょう。
それでは。(網倉)



身近な緑が暮らしを快適にする

苫東地区森林愛護組合 forester 草 苅  健

《美しく、散歩したくなり、散歩すると元気が出て少し癒されなぐさめられ、たくさんの人を受け入れ、もちろん子供達を大歓迎で、産物で工夫して使えるものは生活に役立て、寿命に近いものはその直前で木材として利用し、繰り返し萌芽して出てきた若い木は薪炭やほだ木に回し、その代わり木々の都合も聞いて手助けも惜しまず、からまるツルはリースに、削りやすい手頃な木は木工で遊び、クマやシカ、鳥たちや昆虫、花やバクテリアまでひとつながりで合わせもち、時折、マチに住む人たちが来たときにはありのままを見せ、くつろぐというのなら場所と簡単な作業を提供し、地域の人たちが「これはわたしたちの財産であり文化みたいなもんだね」としみじみ語り合う。》
 わたしがイメージするいぶりや苫東の雑木林はこんな風であり、こんな方向でこれからもつきあってみたいと思うものです。―――――

これは平成9年のいぶり雑木林懇話会の会報に、当時の気持ちを正直にしたためた一文です。この冊子をまとめるにあたって、一番最後に全体を見回しながら何か書き記そうとしたときに思い出したのがこれでした。ここに記した淡い願望こそ、いろいろな意味合いが込められて必要十分なものではないかと考えられるのです。
  本来こうであればどんなにいいだろうな、という忘れかけたり、あきらめてしまっていたことを、できるだけ実現できるようにやってみること。そして得たものは周りの人たちに紹介していくこと。ここで行われてきた試みは、そんな流れの中のどこかに位置しています。
 そしてその行き着く先は「たった一人でやれる森づくり」。森や林を見る目と手入れの技術を体得したら、おのおののフィールドを探し当て、たった一人でもやっていける林にするのです。各地からいろいろな報告が届くことを願ってこの稿を閉じることにします。


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