〜風景から入る緑A〜

個性派樹木とかたまりの林

  樹形に覚える感動



《雪原の樹木たち》 

 冬の山を、スキーにシールを貼って累々と林を縫いつつツアーしていくというのは、本州にいた18歳まで考えても見なかったアソビでした。札幌の市街地を囲む山々のほとんどは、スキーツアーのゲレンデであり、稜線にテントをはって寝れば夜は眼下に札幌の夜景が見えるという具合です。

 ニセコ連峰も羊蹄山も、大雪連峰もそして道内の多くの山々はこうしてシールをつけてかなり自由に歩くことができるのでした。例外的なのは日高山脈のような急峻な峰。アプローチには不可欠でも尾根にとりついてからもスキーを使える山はそう多くありません。


 そんなスキーツアーで、私の関心は樹木の形とその連続としての林の見え方でした。尾根に当たる部分は結構緩い傾斜のスロープになっていたり、平坦であったり、そこには直径1mを越えるダケカンバ、シラカンバの大木、それらに混じってトドマツやエゾマツの針葉樹がドシンドシンとという言葉さながら雪原に突っ立ているのです。なぜ樹形が印象的になるか、それはきっと雪原があるからです。夏、このような林の下、つまり林床はネマガリ笹で覆われてまったく見通しの利かないササ群落です。それが、11月下旬から5月まで、ニョキリと樹木だけを見せてくれる。樹形を見て歩くのには絶好の季節です。樹木というオブジェを心ゆくまで観察する絶好のチャンスでもあります。昭和45年、18歳に始まったわたしの北海道ライフで、冬山における樹木のオブジェの影響は強烈で、いつしかその道にはまってしまいました。

 札幌はいち早くスキーツアーが栄えたところで、近郊の山々には、さすがスキーツアーの拠点となるロッジが点在し、小屋をつないでツアーすることができるのが強みです。そんな木々を縫って新雪のダウンヒルをするのが、心身を開放できる最高レベルの幸せであり、昔の学生らはそれをわざわざ「ギッフェルグリュック」などと独語で呼んでいたようでした。個性的な林、というよりも単木的に個性のある大森林地帯で、すべてを開放する。天候が悪ければ、仲間と小屋でたわいもないことを話し込む。これはやはり幸せのひとつだったと回想しますし、林のワンデリングも小屋の生活(ヒュッテンレーベン)も、とても快適な至福の時間でした。身近な緑と言うには、体力も時間も要求される苦行のような面もありますが、わざわざ出向いて会いにゆく価値のある体験だったことは間違いありません。


《単木と林》 

さて本題に入ります。わたしが雪原で見てきたような個性的な樹形をした緑とどうして里山の林で出会えないのか。わたしたちが日常目にしている緑化で使用された樹木は、どうしてあれほど無表情なのか。逆に考えると、雪原で体験してきた単木達のような、経験を積んだ熟年のような畏怖の念を抱かせる樹木とならば、わたしたちはもっとパートナーとしての緑に親近感を持てるのではないか……。

 ある時わたしは、「緑」という存在に近づく契機として、ひとつは単木で入って行くルートと、群、つまり林や森で入って行くルートと2とおりがあることに気付きました。これは緑の景観を作っていくいわゆるランドスケープの業務の中で体験したことです。関わっていた工業基地の中には、緩衝緑地や多くの公園予定地と企業の敷地がありいずれも一定の割合で緑の空間を創ることとなっていましたが、植栽するための気象の条件がきびしいここでは、成功するための方法のひとつとしてできるだけ小さい樹木(高さ1m以下)を植えて環境に順応させて大きくすることとしていました。この方法でも10年間で高さ10mの林を創っていくことができるようになっていました。

 しかし、この方法は工事が終わった直後には、まったく造園としての完成度が低いのです。植栽の自信が少しずつついた頃、もっと大きな、できれば10mくらいの樹木をもっと自由に動かせないか、地域に自生するカシワやコナラ、ハルニレなどで、道路予定地にかかっているものをみすみす伐採するのはもったいないと判断して、ていねいな根回しをしながら移植を始めてみました。火山灰のために根に土が付着しないで落ちてしまうので、現場の方ではいろいろ工夫しなければなりませんでしたが、結果は非常にいいもので、割合としては200本を移植して10〜20本の枯死があったでしょうか。

 ところが現実には大きな壁がありました。問題は樹形でした。造園の素材として既存の樹林地などから樹木を移動させようとする場合、樹木に新たに与えられるステージはそこそこの目に付くいわゆる「いい場所」ですから、樹形のすぐれた、造園で言う「四方見の良い」樹木を探すわけですが、これが吟味してみると広大な苫東とは言えなかなかないのです。特に「林」のような群状に生育しているゾーンでは滅多に四方見のいい、つまりわたしが雪原で見てきたような個性的な樹形はないのです。

 四方見のいい樹木が存在するのは、まず「まばらな林」。そして、「林の林縁部」、もっとも利用しやすいのは耕地の中央部に残された一列の樹林帯。採草地を作るとき土壌をめくった畝に更新してきた樹木たちの列の中にも四方見のいい個性的な形の樹木をたくさん発見できました。

 つまり、十分個性的な樹形であるための要件というのは、十分な空間を与えられて育つ必要がありました。四方に枝が張っていること、その枝が少なすぎないことが必要で、その条件が満たされるのは伐採後に更新した2次林ではない、ということでした。2次林風でも例外がひとつありました。それはカシワ林です。カシワ林だけは、林の立木密度が高くなく単木が威風をさらすところが多かったようです。これはカシワの萌芽力に由来するのではないかと考えられました。コナラやミズナラに比べてカシワの萌芽力は小さいのではないか。また陰樹の性格をもっていて、多少混みすぎたくらいでは葉を落とさないのではないか。

 四方見のいいものが単木として個性をもっていて美しい、ということならば美しい個体が群生した林を見てみたい、復元してみたい……。雑木林の保育を始める理由はここにもありました。樹形を決定づける大きな要因が密度ならば早い時期に密度をさげて保育できないだろうか。それができれば、樹木のオールスター戦のような、個性のある樹木が構成する雑木林が再現するのではないか。


《実生のわがまま》
 今述べたことは広葉樹の2次林を、手入れを早めていくことによってもっと単木的に美しい樹木の総合としての林が現出するのではないか、ということです。しかし個性的な樹木は果たしてそうやって生まれるのでしょうか。現場を見ているとどうもそうばっかりとは言えないようです。なぜなら、「わがままな実生」が目に付くからです。

 ナラに関して言えば、わたしが見てきた実生の樹木は地際から数10cm上部で枝分かれし、造林地を作ったりすると高さが1mくらいの時点ですでに樹形は丸いような印象を与えます。まっすぐな幹を素材にする現在の林業から見ると、このままではあまり価値のない樹木と言うことになります。

 大まかに言ってしまえば、実生はよく分枝する性格を持ち、伐採後などに発生する萌芽枝(シュート)はまっすぐに伸びる性質がある、ということになります。だから、道内でナラの造林をする場合、播種して2,3年後にいったんすべて刃物で幹をカットし、幼齢の時点から萌芽枝を発生させて林業の目的にかなう通直な幹をつくることが作業としてなされています。その萌芽枝がなぜ通直になる性質を持つのかは、いつか触れることにします。

 さて、話は戻りますが、個性的な樹形をもった樹木は十分な空間の中ではじめて育てられると述べましたが、人間が快適だと感じる林の状態も実は高木の疎林だ、という研究があります。快適な緑がそのような状態を求められるのであれば、なおさら、快適で地域の素質を十分表現した、そんな林ができないかという夢はますます膨らんできました。

《わがままと個性》
 実生が本来もっているよく分枝する性質、これは「枝が暴れる」としばしば表現されますが、樹木の個性というのは四方に伸ばした太い枝と、その集合である全体の樹形によって表現されていると思います。いわば、のびのびと伸ばす枝振りや葉振りなどの風貌が、とりもなおさず個性だと言うことになります。

 このような個性的な樹形をもった広葉樹は、林を歩いてみるとあちらこちらに発見することができます。印象的なことがふたつありました。ひとつは、わたしが長い間携わったつた森山林のことですが、ここで山の神のご神木を選ぶ際に育林のスタッフで探すことになったのですが、山の仕事に詳しい方が、

@山で一番多い木をこれに充当する
A伐採するのが危ないような暴れ木を選ぶ 暴れ木は倒れる方向を見誤る
B暴れ木は林業としての価値が低いからちょうどいい
というセオリーを教えてくれました。これはナルホドと思います。またこのようにして母樹を残すということは後継樹をつくる上でも理にかなったことでもあります。わたしたちは結局、直径が70cmほどもあるコナラをご神木に選びましたが、このコナラは、地上から1.5mほどのところで数本の枝が大きく横に張り出して、それは威風堂々としていました。

 また樹形として印象に残ったもののもうひとつに、苫小牧市柏原の実生のナラ林があります。柏原はその地名が示すようにかつてはタンニンを採るほどカシワが生い茂っていたと考えられますが、現在はと言うと、さほどカシワの純林があるわけではありません。この柏原の台地部と原野の縁の所に、植生分類では「ミズナラ・コナラ・ハンノキ林」があります。通常は、ミズナラ・コナラ林とハンノキ林は別々に表記されますが、柏原ではこれらが混在するエリアがありそのような名称が与えられています。

 ここはかつては海だった箇所でとてもほぼ平坦に見えますが、緩やかな、たとえば1000mで1m程度の勾配があります。もちろん、低い方はハンノキ林やヨシの群落があり、やや乾燥しつつある方は若いミズナラ・コナラ林になっていて、その中間にこのミズナラ・コナラ・ハンノキ林があるわけです。

 まず、これらはハンノキ林からはじめてミズナラ・コナラ林に代わろうとしている遷移のまっただ中にある1代目だと考えられるために、これは、実生だと判断されます。で、この植生の中に、若いのにとても個性的な樹群を発見したのです。実生は個性的に育つ、実生はわがままだ、という表現を、この林分は如実にあらわしていました。それが冒頭の写真です。また、この林の西はずれで直径が80cmもある暴れ木の大木も見つけました。これは残念ながら伐採されてしまって記録も残っていませんが、樹高が10m以下程度の林分でしたから、その個体は枝が横にだけ張っていて、まるでバオバブのような形をしていたのでした。コナラは風邪の強い場所では、決して樹群の高さから単一で飛び出て成長することはないからです。

 こう考えてみると、手入れをした雑木林の2次林と、実生の雑木林は似て非なる風景になると思われてきます。直幹性を持つ萌芽2次林と、低い位置から分枝した実生の林、それはトドマツやアカエゾマツなどが代表する林と……と書いて詰まってしまいました。そうです、実生の林が見あたらないのです。木登りのしやすい実生の林は、身辺からあらかたが消えて、もはや2次林の世になっていた……。

 これから、ドングリを播いて林をつくる森づくりが各地で行われていますから、その延長で個性派森づくりが主流になって、自由奔放な枝振りの樹木を低密度でゆったりした空間を与えて育てて欲しいと願うものです。もとからそこにあった、という個性的な樹木にわたしたちはきっと励まされるのだから。そしてその個性を感じる経験が、人にとって緑の入り口になるのだから。        (終わり)