晴林雨読願望
take /草苅 健のホームページ

 



勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている

一燈照隅
雑木林だより

 新里山からの日常発信

地域活動15年の歩みとこれから

 勇払原野の風土を共有する

  

●コンテンツ一覧
●日々の迷想 2023 & 2024 & 2025
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Nov 01 ,2026


日々迷想

■11/01 正倉院展

奈良の春日山原生林を歩くために旅行準備をしていると、NHKの日曜美術館が78回目の正倉院展を紹介しており、今週も開催中だと知った。宿を正倉院のやや山側奥に取ったこともあり、うかつだったことを悔やみつつダメもとで予定に追加した。1300年前に建てられた蔵の宝物を年に一回だけ一般に公開する。あまりに北海道と異質な世界だけに、想像しただけでも今いる時間と場所を忘れそうだ。奈良はこのほか橿原神宮と安倍文珠院など。

■10/31 チェンソー初日



朝日を浴びる焚火の煙は意外とカッコイイ。小屋のわきのヤマモミジはかなり葉を落としたがイタヤカエデは黄色でまだ頑張っている。ナラはといえば地味にほぼ散っている。カラマツがまだ紅葉していないから、本格的な寒さ前だ。あの、金色のカラマツの針葉が風に散るころ、もっとも寂しい晩秋の風景になって、寒さになれない体にこたえる。服装選びも本調子になっていないのだろう。

そんな10月最後の日、林道向かいのカラマツ林の風倒木を10本近く伐倒し片づけた。これで林道から100mまでは風倒木がほぼ見えなくなったが、まだ奥にはいくらでもある。チェンソーを使うこの秋の初日。ひとり、安全操作を誓い、今季も無事を祈った。

■10/30 歌にみる庶民の共感 54

歌の凝縮。凝縮しないと見えにくい、突き刺さってこないある考え、風景。日ごろ、漫然と話し続けるシーンがある中、哲学的に凝縮した一言で言ってよ、みたいに思うことはよくある。抽象を知らない人とは付き合わない、などという御仁もいた。わたしも一言に凝縮する人に一票をあげたいが自分ではそううまくはできない。下のごとく言葉を紡ぎ、歌を練り上げる労作もまさに特別室だ。

虫の秋地球ほどよく傾けり   横浜市・Oさん
…よくぞ地球は傾いてくれた。おかげで季節がある。銀河と星座と太陽系と地球の惑星である月の位置関係を想像してみると、複雑だ。古代、よくぞ運行を読み取った。作者の「よく」に思いを重ねた。

農やめよやすやすと言ふ稲の花   神戸市・Yさん
…この逡巡風景から、齢75から80とみた。稲の花の自然は今年も何事もないように咲くが、こちらは違うのだ。でも、できなくなるまでやるさ、と我に戻って。

妻の句は全部孫の句秋の空   佐野市・Kさん
…男性と女性では子供に対する気持ちが違う。おなかを痛めていないからだとよく言われるが、もともと男は放浪する孤独なのだ。女性はその点、太陽であり中心である。アマテラスを祖神としつつ男系の天皇を引き継ぐ日本。女性は畑であり男性は種であると考えると、道理は読める。

パソコンもスマホもなかった教室でただひたすらに先生みつめた  宮城県・Mさん
…そう、よくもまあ、見つめてた。二十四の瞳というが、瞳に見つめられたら先生稼業はさぞや冥利だろう。今、大人だって余所見ばかりしている。あの世が近くなると、そんなの全部関係なかった、と知る。

安青錦、羽生、山下、怪我ありてわれは離婚で強くなりけり   名古屋市・Yさん
…離婚はメンタルでも大きな代償だ。自ら招いた失敗は後悔が付いて回るが、やってきた身体の不具合は何らかの形で克服し、成功とか転換とか折り合いがくる。楽観こそ救いだ。

この場合どう感じるのが正しいか気になって口コミを調べる  久留米市・Kさん
…友人知人に聞くよりも、偏りがなく満遍なく見渡せる。AIも助けになることがある。話かわって今朝のワイドショウで孤独死を特集、「身の周りに見てくれる人いなかったのか」と。生身の肉親は遠い他人、時代は家族も人をも面倒がっているが、それは本音。されども、だ。

ねむるのを待って切る爪やわらかくきみがわたしを親にしていく  朝霞市・Kさん
…若い母親らしい歌詠みの滑らかさに感動。そして母親なら少なからず経験するだろう赤子の爪切り。親になって知る親心、親は子に育てられる。試されると考えると、少し怖い。

AIに悩み相談した後でやっぱり君と雑に話したい   東京都・Iさん
…そうだよなあ。このところAIの読み歌増えた。人の代わりをし始めた証し。喜怒哀楽、情緒備える人間の方が面白い、というのは人生一回りしてからか。

■10/29 令和8年の気候を花から振り返る

昨朝は雪が降って一時屋根が白くなった。そして今朝、5月下旬に植えたハンギングなどの花々の半分を摘み取り土をふるいにかけた。花弁も葉もかなり落としてスカスカになったが、まだまだ形はしっかりしていて表に出していても見ごたえはする。だが、今のうちが花という言葉もある。みぞれで濡れる前に乾いた状態での片づけを決めた。

台風や大雨などの荒れた天気に悩まされることもなく、コンテナの位置も全く変えないで5か月を全うした。北海道では西洋起源の夏花を春に植えて霜が降るまで楽しむのが普通だが、もう熱帯のような本州以西では考えられないことだ。暑すぎることはなかったが、その分昨年ほど花が誇ることもなかった。一方、水やりも切らさなかったので虫もつかなかった。ただ、伸び悩んだ苗があり掘り返してみると土が固めで根が伸びていなかった。重宝してきたコンポストの肥効が落ちてきた可能性もある。

一年が雑木林の保育と薪づくり、そして庭の小さなガーデニングで動く。どちらもいつまで継続できるのかが身近な懸案になってきた。林は80歳まではやるぞと宣言めいた発信をしている。庭は日常の小さな動作が求められるが運動は軽微だ。だから興味と気力を維持できれば終わりがない、とだけ心にしまっておこうと思う。

■10/28 正露丸を茶化されて

ドクターの問診時、深夜の不調を正露丸を飲んで治していると告げると、苦笑いされた。明らかに正露丸を見下している。数年前、憩室炎が疑われる大量の下血を「痔じゃないの?」と一笑されたこともある。医者は患者の見立てを素人判断として茶化す時がよくあるのだ。いずれも地元の医者だが、ぜんそくのような辛い咳が札幌の医院で百日咳と診断(血液検査かアレルギーだったか)されたとき、同じ症状だった家人は自宅近くの主治医にそのことを告げると「まさか今どき百日咳?」と言わんばかりの対応だったという。のんびりした地方ほどよくありそうだ。

地元の医者は不勉強と思うことがあるけれども、わたしにとって胃腸の万能薬・正露丸は確かに効く。が、処方されたジメチコンも確かに効いているようだ。前者はやや漢方くさく、後者はきちんとした西洋医学風の科学を印象付けるいつものあの包装だった。

田舎の医者がかつてそうだったように、緩いけれどもなんでも対応する、相談に乗る総合医という関係にも憧れながら、治してほしい性急さもこちら患者は求め、正確な診断はできれば大前提にしたい。しかも養生は医師との対話の中で築けたら申し分ない。医療は仁術、などという言葉もあったような気がする。人の体と健康なんて、そこそこおおらかでありたい気持ちと完治願望がわたしのなかでまだ交錯している。ホリスティック医療のある大家は、効くとなれば呪術師も使う、などのうわさも聞いたことがある。対症療法だけでなく、全体をみる。そんな選択がいずれまた現実として迫ってくる日が来るのだろう。

■10/27 高齢者の肉食と揚げ物

肉には人間の体内で作れない必須アミノ酸などが豊富で筋肉や脳細胞に欠かせないという。元気な年寄りはよく肉を食べている、と近年は肉食のススメもよく見かける。しかし困ったことに、わたしは数年前からすき焼きを食べるとおなかをこわすようになった。美味しい上質な肉ほど良くない。天婦羅や揚げ物も不調の元になった。この頃は上質ではなさそうなひき肉で作るハンバーグも、そして数日前は自作の美味しい餃子ですら深夜熟睡できず胃腸薬に手を出した。2年前、胃カメラの検査で逆流性胃腸炎と診断され、夕食は食べすぎないよう気を付け、これは克服できたようなのに、新たな難問である。

長らく迷っていたが、昨日はついに内科の主治医に症状を聞いてもらった。事前の問診シートの○×に夜中の膨満感と排便がやや不調と書いたところ、「おなかが張るならこれ」「便秘にはこれ」と処方のクイズのように片付けられそうだったので、夕食後十分時間がたったころにおなかが不調で眠れないこと、排便は憩室炎で入院した経験から力めないことなどを補足説明したのだが、主治医は別に反応しなかった。これならまだAI問診の方が気休めになる。

で、肉食は当分控えなければならないのか。当分ではなくてずっとなのか、天婦羅や揚げ物にもおさらばしなければならないのか、など心配が募る。細い綱を用心して渡るように、可能な量を探り探り、恐る恐る手を出すしかないのか。だとすると、加齢とは誠に不便で不憫で、かつ味気ないものである。

そうはいっても肉はコレステロールや資質が動脈硬化や糖尿病につながるのだし、タンパク質だって魚やホタテなどのいわゆる美味しい魚介類や野菜だってあったことをふと忘れている。よほど脂っこいものに染まっていたのだろう、と反省もしている。

■10/26 野鳥の本読み

子供のころ、兄がどこでどう捕まえたのか、カワセミ、カラス、コノハズクなどを飼っていたのを横で見ていた。わたしはといえば、庭で雑穀を食べているスズメたちをどうやって捕まえるか、本気で格闘していた。その前後だろう、小学校の6年生だったと思うが中西悟道の『定本野鳥記』のシリーズを時間をかけて全巻読んだ記憶がある。子供向けだったか、どうだったか、ずっしりと手ごたえがあったことだけは確かで、今になって思えばなんだか人生の方向を示唆されたような気がしている。

74歳の後半、近年の自宅庭で試みていた鳥の餌付けをあきらめ、雑木林の小屋の周りで再び小鳥の手載せを目指すことにしたのも、幼少の思い出によるところが大きい。たかが小鳥とか野生動物保護で反対と世相は言うが、実体験という一点において、野鳥の手載せは隠れてでもすべきだという主張がわたしにはある。

外堀を探る意味で『全集日本野鳥記1』を借り、下村兼二氏の「野の鳥の生活」と崎川範行氏の「ミミズクのポウ助」というエッセイを読んだ。絶妙な観察語りでやはり野鳥は別世界だと確信したところで、中西悟道著『定本野鳥記』の第1巻を読み始め昨日完読した。そこには、義務教育や自然保護の運動が矮小化してしまった自然とのかかわり方が提示されていて、頭で考える自然のみが大流行していくのではないか危惧させる。半世紀前、農学部の講座にフィンランドから留学していた若い女性が「日本人は森と頭で付き合おうとしている」と揶揄していたと漏れ聞いたのと似ている。フィンランド人は木と語る、とドイツ人に言わせた国柄だ。

『定本野鳥記』の感想はこれから徐々に綴っていきたい。一方で、昨日は巣箱を4つ用意し近くのフードショップに背脂を注文してストックしてもらっている。この個人的なときめきは、まるで引きこもりのような感覚のようである。これから始まる読書とフィールドの同時進行には実にワクワクする。

■10/25 今年も紅葉のピークは10/25かな



新緑のころから毛虫の食害にあった2026年(令和8年)は、あまりパッとしないうちに葉っぱが散り始め、ナラの紅葉は地味な茶色で終わりそうだ。例年、紅葉のピークは10月25日ごろで、ナラであっても良い年は赤みのある茶色になる。今日はたまたま忘れ物があって小屋に行ったがそこで出会った風景は、これ以上の盛りはないだろうなというものだった。二度芽を吹いてよく頑張ったと思う。

■10/24 季節の変化、体調の変化

治らない湿疹のためにクラシエの6番「十味敗毒湯」を飲み始めて、ドクターもどうやら効いたようだねと言った後、また新たな湿疹ができてきた。やはり湿疹の根源は腎臓か。となると、「八味地黄丸」を試す必要が出てきた。

また9月上旬からしばしば夜半おなかが不調になっている。一日2食の夕食は特に食べ過ぎないよう気を付け、脂物を抑えるようにしながらも、先日はついに少なめのハンバーグでも不調をきたした。すき焼きや天婦羅はもちろん極力食べないようにしている。

それに上行結腸に持っている持病の憩室炎の跡あたりがまた独特の存在感を増している。5回目の再発か。さらに首と肩のこりが進んで閉口していたところに、娘から首肩痛対策の動画が送られてきた。家人が頸椎ヘルニアと診断されて、わたしと症状を共有するようになったためでもある。その枕は旅行でよく使われるネックギアのようなものでJR沼ノ端駅近くの「無印」で扱う商品だったので、野幌の帰りに買って試してみた。これが意外といい。

一喜一憂、なんでも試していく。思えば間もなく75歳だもんなあ、とつぶやくとこれらの身体変化が妙に納得できるように思える。仕方ないよなあ、歳だもの…。まるで本音願望と現実の差を言い含めるような感じである。このところの季節変化とは、受け入れるという点で微妙に相似形に思える。

■10/23 野幌森林公園を歩く



野幌に
野鳥が手に載るところがある、誰かが勝手に餌付けをしているようだ、それは大沢コースのようだ、と聞いたので出かけてみた。樽前山に雪が積もった翌日ではあったが、快晴で森を歩くには最適だった。家人同伴である。6.5kmを約2時間、キバシリやカラ類が群れている林があったが、「小鳥たちが人間に向かって飛んでくる」という餌付けスポットには出会わなかった。

■10/22 樽前山に雪



さすがに少し寒くなってきた。小屋は10℃、内部は6℃、すかさず薪ストーブを焚いて、外でもいつもの焚火を始めた。しかし夜来の雨が上がったばかりで、火着きが悪くしばらくくすぶって団扇であおがなくてはいけなかった。野鳥の巣箱の寸取りをして、育林コンペのオーナーの名前を書くプレートを焚火で焼き付けをした。

紅葉は静かに静かに進んでいる。林を歩くととても穏やかな気分に包まれる。と思って帰途に就くと、どうも樽前山の方は雪雲で、風不死岳の斜面がちらっと白い。帰宅すると家人は「初冠雪の樽前がニュースになった」という。昨年のメモを見ると、初霜が10月25日、樽前の初冠雪は29日だった。これだけ暖かだったのに、ちょっと急すぎないか。

■10/21 小茄子と鉄瓶



郷里山形は東根市の小茄子を入手した。時節柄、嫁に食わすな、とされたあの秋茄子である。添付されていた粉末と、今ではプロと自他ともに認める家人の漬け方との競演が展開した。一晩漬けた1回目は添付の濃厚な調味、2回目以降は家人のあっさり目に軍配が上がった。旅行土産にもらったのはやはり郷里の鋳物で、燗酒用の鉄瓶。たっぷり2合は入る。これは間もなく薪ストーブを焚き始めたころに、今年のお焚き初めを祝って使ってみよう。

■10/20 地球温暖化とヒグマ

昨日のNHKスペシャルは知床のヒグマを追った特集だった。ヒグマという生き物を真ん中に置きながら地球温暖化が背景として大きく存在し、直感的にその原因が産業活動よりももっと根の深い地球環境にあると思われた。そう思わせる映像とコンテンツだった。かつてアラスカ大学の赤祖父教授が、深いところの低温の海水がどう移動するかにかかわるという説を唱えておられたが、それに近いのではないか。地球の大きな変動のひとこまに、人も野生動物も翻弄され、現実対応を迫られる。それでいてホメオスタシス(恒常性)が保たれる。チャールズ・ラブロック博士のガイア理論は確かそんなことを描いていた。「眼高視低」という言葉をどこかで聞いた覚えがある。現実と未来のこんな見方を指しているのだろうか。

■10/19 高齢で引退する理由

前から分かっていたことだが、理解力、判断力が次第に低下して今は格段に落ちている。一昨日、ある契約について打ち合わせをしながら確信に至った。入り組んだ規則、制度、大きなものでは法律などの理解で、的確なジャッジが不可能になりつつある、という自覚が湧くのである。

自ら色々な社会的関りから身を引いていくというのは、高齢になったものの自然だ。だから80代でもカクシャクと仕事をされている方々は驚異だ。90代などは超人である。読書はその点、理解などできていなくてもだれにも迷惑はかけないで済む個人的な営みだから、安心な世界を作ることができる。安住の場だ。この気づきは諦めであり希望でもある。

■10/18 秋が深まる



朝夕、時刻を問わずガンと白鳥の渡りの声が近く遠く聞こえる。今朝は200羽ほどの大編隊が頭上を南下した。編隊にやや遅れた2羽が列に入る際に、列を開けてくれていたのが微笑ましかった。なにか、合図を送っているのだろうか。

小屋では年1回の総会が開かれた。テラスわきにはクリタケが出た。初めてみる人が多く何のキノコか聞かれたが、歯ごたえは良いが味は特長なし、と答えるとさすがに採って食べようとした人はいなさそうだった。ハナイグチがわずかに採られていた。ヤマモミジが色づいた。あと10日当たりに紅葉のピークは来るか。

■10/17 因果不明の世界とAIと鳥

Eメールが使われだして間もなく、コンピューターウイルスが蔓延して使い物にならないのでは、などと敬遠する人も出た。昨今は最初から悪意のある詐欺まがいの迷惑メールも増えて、携帯電話も知らない番号には出ないのが当たり前になっている。おとといからあるSNSのアカウントが乗っ取られたようで使えなくなった。なんだか、AIが悪の手口まで教えてくれるとかで、ウンザリだ。これでは留まるところがない。

昨日の国会参院予算委員会の終了後、総理は、底意地の悪そうな質問と意見を繰り返して互いにやりあった野党委員のところに笑顔で歩み寄り、双方手を取り合うように会話していた。なんだか下手な芝居の舞台裏のようでげんなりした。悪いものを見た。

そして一転、今朝、遠くに渡り鳥の声がする。やがて北の方から50羽ほどの編隊がやってきた。すかさず200羽近い大編隊が上空を海へ向かっていった。昨日来、なんだか嫌なものを見、感じてきたことがこの編隊の光景で束の間ふっとかき消された。目と喉の消毒をしてもらったようだ。ずいぶんと単純な気分転換である。

■10/16 林と庭

今朝は10度近くまで気温が下がり、さすがに家の中も外も寒いと感じた。外は9℃、居間は19℃だった。いよいよである。陽が差すようになってから庭に出てみると、あのヒメクロホウジャクが来ていた。来てすぐひと当たり花弁をめぐって間もなく、隣の庭に移っていった。まるで偵察のようである。あと10日足らずで霜が降りるはずだから、いよいよ花の季節も終盤である。かれらはこれからどうするのだろうか。

と、昨日は庭のお客さん、一昨日は林にお客さんが来た。主宰するホームページ名が林と庭だから、偶然の一致であろうか、わたしもあと10日余りで後期高齢者だからいい記念である。二つの訪問とも好印象を持ってくれたのもすこし胸を膨らませた。庭に来た若い女性はベランダの椅子で用務をこなしつつ薪や庭の花を見おろして思い出に残る、とつぶやいた。コモンズの林で半日を費やしたお客さんからは、別れ際に新年のセミナーの講師を打診され、今朝、事務局に正式に日程と承諾の返事を出した。北海道で言うアスマシイ、気持ちのいい庭と林を創っていくことは動ける間の目標だから励ましをいただいたと勝手に思っている。

■10/15 土砂降り直後に山の人、訪問



札幌の森林ボランティアグループが朝10時に訪問。土砂降りの大雨がやや下火になったころだったが、小一時間は小屋の中でガイダンスと質疑と意見交換。11時からささみちフットパスを歩いて戻るころには晴れてきた。ほぼわたしより高齢の山の人ばかり。話もざっくばらん、しかも経験豊富。育林コンペに寄り、そば哲で昼食後、大島山林の薪ヤード、小径のショートコースを歩く。


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