晴林雨読願望
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勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている

一燈照隅
雑木林だより

 新里山からの日常発信

地域活動15年の歩みとこれから

 勇払原野の風土を共有する

  

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●日々の迷想 2023 & 2024 & 2025
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Feb 11,
2026

日々迷想

■2/11 コーヒーとシナモンロールのコンビ

自宅から車で2,3分のところにブーランジュ・オゾがあり、月に1度、朝のたまの贅沢にホカッチャをメインにした調理パンなどを楽しんでいる。その際に必ずシナモンロールを買うことにしている。コーヒーとの相性は、やはりシナモンロールに軍配を挙げたい。

国民一人当たりのコーヒー豆消費が世界一というフィンランドだが、彼の国の環境省とヘルシンキ大学、そして民間の財団のようなところにお邪魔した折、いずれでもコーヒーとシナモンロールを出された。食後だったりして手を出さないで終わったが、ホストらは食べていた。この組み合わせは、筋金入りだったのだとこの頃になってよく思いだすのである。

■2/10 明日は紀元節

父親は明治の生まれだった。そのせいか、旗日には庭先への日の丸掲揚を欠かさなかった。。また2月11日を紀元節と呼んだ。紀元節は昭和23年、GHQによって廃止されて平日になってしまったが、昭和41年、国民の8割以上の願いがかない、「建国記念日」として復活。わたしは中学生のころだ。しかし、その後、神話や歴史そのものが教育から長く無視されてきたせいか、紀元節の印象は一般に刹那的だ。さて今年は、どんな扱われ方をされるようになったか、改めてすこしその辺に注目してみたいと思っている。

■2/09 罰(ばち)が当たった、という総括

昨秋に政権が交代するあたりから特に、色々な運不運を眺めることができた。昨夜の投開票はその総仕上げでひとつの区切りに当たり、近年あまりないような悲喜こもごもを見た。振り返れば、国会や委員会その他での、テレビ受けのパフォーマンスや駆け引き、非難や揚げ足取りのような言動を視聴者たる国民がどう受け止めるか、お気づきなかった方々も実に多かったようで、先生方の人間としての質もよく観察することができた。わたしなどは国益など無視した悪意を感じたものもあった。

あるサイドは大敗を喫したわけだが、しかしピンとくるようなけなげな敗因分析は聞こえてこない。わたし流の、日本の庶民的目線でいえば、一言、「罰(バチ)があたった」という言うべきか。古来、日本人には良心というものがあり、お天道様に顔向けができないようなことはしてはいけないと親にも先生にも世間にも戒められてきたものだ。良心と照らし自らを律するのである。

このたびの一連の政治政局の動きと流れを人としての側面からみれば、良心に照らして是と思えたのか、そこを聞きたくなる言動がいくつか思い出される。庶民には庶民の良心の尺度があり、そこに照らせば「いかがなものか」と眉をひそめるシーンや出来事が、実は大盛だったのである。それらは政策以前の話だ。

■2/08 「日本列島そのものがパワースポット」という意味

「日本列島の底の方にある何物かが、人びとの心に、欧米人にはない何らかの変化をもたらしている」「言ってみれば、日本列島そのものがパワースポット」「日本列島そのものがパワースポットであることに気づけば、摩訶不思議が起きても当然と、素直に受け入れることができる…」。

昨日の朝方、寝たりて目を覚ました際、枕元にあった『古事記は日本を強くする』(中西輝政・高森明勅共著・2012年徳間書店)を開いた。その時に目に入った上記の文言に大きな感銘を受けた。日頃から気になっていたことが急にすらすらとつながったのである。この本はすでに一度興味深く読んでいて、実はこのページにもいくつか傍線が引いてあったのにかかわらず、である。

中西氏の要旨は、世界の陸地の0.25%しかない日本に、世界の火山噴火の20%が集中していて、その原因は地球にある4つのプレートの境界が日本付近でひしめき合っているから、としており、このことが日本誕生の神話とその後の国柄に強く結びついている、と言うのである。大胆な推論で大いに隙ありという世界であるが、論理性というフィルターをちょっと外してみる必要がある。摩訶不思議の中に噴火のほかに地震災害も含めて考えるとわかりやすい。地震は断層によって起きるが、断層ではゼロ磁場が出来ており、この磁場は人の精神を覚醒する力がある、とべつのところで聞いた。

建築家・毛綱 毅曠(もづなきこう)著『ガイア・インターネット』によると、断層の割れ目から発せられる磁場は、かつてのスーパーテクノロジーである陰陽師を産み、彼らはそこに神社を建立したとし、本の中で阪神淡路大震災で倒壊した神社の所在と活断層を重ねて図示して見せた。そして中西氏らのこの本はプレートに起因する、摩訶不思議と日本の神話『古事記』の誕生と必然を、極めてまじめに論述しているのである。

わたしには国際政治を専門とする中西氏の庶民向け論考を読む機会はしばしばあり、論述する歴史の総括や将来予測については世間でも高い評価があるが、氏が、一般にはなかなか結びつけることを憚りそうなテーマに、真正面から挑んでいることに驚いたものだ。が、もう一度読み返してみても説得力がある。むしろ、そうでないと日本の不思議は理解が出来ない。

奇しくも 2026/2/8 の今日、投開票が行われる衆議院選挙の結果ともこれは大いに関連していくことと思う。おそらく、高市首相は単独過半数を獲得し、与党が2/3の議席を獲得した暁には、頃合いをみて靖国神社を参拝するなど、停滞していた歴史認識にも新たな一手を投じるものと思われる。SNSなどによって、これまでの言論界やマスコミ報道とは別に、国民の多くは色々な議論と実態を看破し、お花畑的な言論から次第に距離を置き始めているように見える。

■2/07 雑木林が輝いて見える日



一年で雑木林が最も美しく見えるのはいつか、と問われると結構迷うものだ。言えるのは、その時々に「今」と答えたい気がする。今日は、その「今」だった。胸が膨らむ風景の中をコツコツと歩を進める安らぎは極楽、というのか、ちょっとした絶頂感がある。立春から3日目である。

■2/06 「樽前山麓の森林」 ~苫郷文研 まめほん3~

昭和50年代前半に苫小牧営林署長を務めていた鈴木康之氏による執筆。宇都宮大学の林学科を出られて林野庁に入られた。270年前の樽前山の噴火によって壊滅しただろう植生の上に、樽前山麓の森林は新たに出来上がったから、とても根が浅かったことなど、森林を守る前線に赴任した森林官が赴任4年間に見聞きし考えたことを20項目ほど記述されている。

その純朴な淡々としたタッチに好感を持つとともに、森を扱う方々に共通した静かな観察と客観的な視点などにも共感を持って一気に読み進んだ。いかんせん林野庁のエリートだから、欧州の森林官のように何十年も同じ土地で目配りするわけではないが、もしそうだったらどうだっただろう、などとと想像した。災害ばかりで土地生産性の低いこの地には、ほとほと手を焼いて、経済性を重視する「林業」より「保全を中心にした奥山」として育成することになったのではないか、などと思いつつ読んだ。


■2/05 「2025年は日本の新たな出発の年」

哲学者、森信三氏の表記予言が静かに反芻されている。しかも政治が変わる、国が生まれ変わりそう、そんな予感を感じている国民は少なくないようだ。選挙結果はどうなるだろうか。ながらくなかった国のありようへの期待、師の予言が当たれば令和の「維新」に近い。

■2/04 大島山林の大好きなスポット



沢型地形の合流部分で、沢は右へ下って500m程で遠浅川につながり、10km下流で太平洋に至る。この正面の手入れ風景がわたしは好きだ。この位置にシカの群れが大集会を開いていた(ように見える)跡があった。彼らにも安全な憩いの場でなかったのか。左の沢径と右から登る丘径もトレースした。今日はこのルート始点で、柴犬を連れた女性と出会って歓談。

■2/03 やや憂鬱なパソコン交換

windows10 のサポートが終了した。一方、パソコンの立ち上がりが随分遅くなってイライラさせられるようになった。2014年にW10に乗り換えたときはパソコン本体(プロセッサー)を交換して接続とデータ移動もなんとか自分でやれた。意外と簡単だという感想を持ったが、さすがに今回は面倒な感じがして気が重い。家人もプロに出張してもらったら、などと珍しく優しいことをいう。ある家電量販店で相談したら当方の今のデータ量約400GBであればおおむね4万5千円という価格表を見せてくれたが、いかんせん今はサービスをやめたという。

さてどうしたものか。パソコンを使い始めて30年あまり、同僚のアドバイスも借りてひとりで凌いできたものの、もう楽をして環境を手に入れたい、と思うのであった。が、この価格帯をみて、もったいないとも思う。どうせ暇があるんだからまたひとりでやれ、勝手に老け込むな、と内なる声は囁くのだ。久々のアルバイトだと思ってやるしかないかなあ、と傾き始めた。一旦そうなると頭の体操だとか、ボケ防止だとか、様々なプラス要素も浮かんでくる。

と思案している間に思い出したこと。それはかつてパソコンの不具合に悩んでいたころ、「OSを入れ替えるのに慣れれば何でもない」と知って実行したことである。当時のパソコンはバグも多かったから確かに何度か初期化してOSを入れ直している間に、パソコンというものが自分のものになった気がしたのだった。

その記憶に励まされ、キーボードは先月替えたばかりだしモニターはまだ十分使えるから…などと言い聞かせて心の準備に入った。しかしやっぱりパソコンが苦手な当方にとって、パソコン交換は不安がよぎって憂鬱だ…。

■2/02 庭にシカ

昨日は庭に積もった5cmほどの雪の上に一頭のシカの足跡がしっかり残っていた。公道から5m近く離れた位置にあるイチイの木に向かってきて、戻ったあとがある。しかし、どうしたことか食べた形跡は見られなかった。雪が比較的少ない今年は大丈夫かと油断して無防備にしていたので、早速シカ除けのネットをはった。さらにその周りににテラス用の椅子と蛍光色のスコップを立てかけ、障害物風に仕立てた。

シカはいよいよ餌がない。落ち葉も雪の下に埋もれた。固い木の皮などを食べる前に、まず里に下りて好物のイチイに手を出し始めた訳である。「食べ物がなくなればなんでも食べる」、シカ研究者はそう言っていたが、実は微妙に選り好みが激しい。

小屋の周りなどでシカの切実さを少し身近に感じるようになってみれば、緑のもの、枝先と芽、雪の下の草などなど、何なら食べるか、何から食べるか、についてやや彼らの身になって想像してみる。なんでも食べるとは言えやはり選り好み、優先順位があるのである。実際、庭や緑道に多いツツジやシャクナゲなどは食べていない。もちろん、植苗、遠浅などに多いコブシの稚樹も食べない。コブシは漢方のような独特の匂い(わたしには芳香だが)があるがあれが嫌いなのだろう。ツツジやシャクナゲは種類によっては毒があるようだ。

もろもろ勘案すれば、致命的になるほど雪が多く降らない勇払原野や道東の太平洋岸は、シカのパラダイスなのである。この冬も立春を過ぎれば、南斜面に当たる海岸段丘のあちこちでもう雪が解け始め、ササや草が見え始める。あと1週間の辛抱だ。これだもの、勇払原野のシカは減りようがない。

■2/01 「人生観の変わる国」の反省と覚悟



タイトルの「人生観の変わる国」は、今から30年前にニュージーランドに行った当時、かの国の観光局の日本語パンフの表紙に書かれていたフレーズだった。わたしはガーデンシティで名高いクライストチャーチともうひとつオークランドを単身訪問しただけだが、クライストチャーチの中心部にあるハグレイ公園(写真はそこのボーダー花壇)には目を見張った。カンタベリー平原という樹木のない原野に木を植えてできたと、園内の博物館で沿革を読んで知った。

実に美しいこのマチの繁栄の歴史を書いたその沿革の最後に、「(その結果)カンタベリー平原の元の自然は失った」という意味の文言で閉じていた。繫栄と失ったもの。人間活動の功罪のバランスを、覚悟を込めて表現するこのような「大人っぽさ」にわたしは感動した覚えがある。

1/29 の書き込み「政治の基盤変動 ~このマチにこんなに若者がいた~」をしたためながら、勇払原野で壮大な経済プロジェクトが展開している今、わたしたちにもこれまでは大きな声にならなかった功罪を見据えた覚悟を一種の合意のように、あるいは哲学のようなものに結晶できないものか、と考えたのだった。


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