晴林雨読願望
take /草苅 健のホームページ

 

勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中層をウシコロシの黄色が占めている
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●日々の迷想 2021& 2022 & 2023 & 2024

2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Apr 19
, 2024

日々の迷想

■4/19 幕末の体制と日本人

幕末の長州を、吉田松陰から高杉晋作へと描く。画像とは違うが文芸春秋社刊全三冊のうち、2巻まで読み終えた。幕末とは日本にとって何だったのか、日本とはそもそも何者か、意外な見え方だったが、ひとつわかったことは長州は一つの「思想団体」だったことである。司馬氏が歴史的大実験と俯瞰してみせ、「壮烈さとおかしさ」とまで突き放して見せたところがまた興味深い。なんとなく氏はもっと惚れ込んでのめり込んでいると思っていたから。

昨年、萩を訪れ松陰神社や明倫館のひととき、そして懇切に案内してくれた博物館の学芸員さんのことを時々まだ思い出す。旅の前後の歴史探検、これは死ぬまで続きそうだ。そのために養生して自重せねば。







■4/17  川エビを揚げる


ようやく川エビも採れだした。
ピチピチ跳ねるので、当初は命をいただくという敬虔な気持ちになっていたが、人の常かこの気持ちはマヒするものだ。慢心しそうになっている自分を戒める。

こんな時はいつも、ジャイナ教の戒め、アヒムサ・アネカンタ・アパリグラハを思い出す。このアヒムサは「非殺生」であり、これを「意味のない殺生はしない」、とわたしは語訳して年に1度は風土からの養生食としていただいている。

まことに勝手な言い分だが、お許しいただきたい。

ちなみに採ったエビは多くなかったので、今日はキャベツとのかき揚げにしてみた。キャベツの焦げた部分の苦味がかった風味がわたしにはたまらない。

■4/14 令和6年の山菜シーズン開幕




周りの山菜好きが動き出した。
4/11 は白老寄りの水辺にアイヌネギを採りに行ったところ、ちょっと早く、例年なら一面のネギ畑にまだ数本しか見つからない。それでもそれをしっかり採集して、夕食でしばし醤油に浸したものをいただいた。胃に突き刺さる快感。

翌12日は、家人から安いホッキが見つかったと連絡が入ったので、裏山にフキノトウを採りに出かけカゴに少々摘んだ。早速夜はメニュウを変更して恒例のフキノトウとホッキのかき揚げへ。残りはフキ味噌にして数日の保存食に。写真右は1日たったもので、緑色がややアクのためかくすんだようだ。しかし、味は濃厚。これは日本酒とご飯に適。昨日は山仕事のおにぎりに入れた。

■4/12
歌に見る庶民の共感 26

◎ 戦争は終わりましたか地虫出づ    郡山市 Tさん
…啓蟄のころの歌か。ようやく春の気配を感じて顔を出したが、はて、どうか。蕪村のような洒脱感。人間にはこのような客観視が必要と知るがそうそうできることではない。「戦争」。遠い国ばかりでなく近い国の心配も絶えず、なんだか日常語になってしまった。

◎ われら地震列島の民冬椿    高岡市 Nさん
…高岡市は富山県。能登の大地震は他人事でない。地震列島という表現を他人事と考える日本人はもういないのではないか。日本各地で年間4000回も地震があるのだとか。今回の地震は高名な学者らが当面大地震はないと見立てたところで起きたから驚き。そんなこんな言いながら、今日も高さ数百メートルの高層建築は着々と進んでいるだろう。あたかも、これだけは大丈夫とプラス発想するように。

◎ 冴え返る所詮はひとりこれでいい    神奈川県 I さん
…冴え返る、は新春の季語らしい。春先の寒の戻り。折角温もりに慣れてきたのに体にこたえる。所詮はひとり、と呟くともろもろのしこりが解けて力みが抜ける。これでいい、という呪文も実に効く。肯定しないと力が出ないというから、この句自体がまじないのような力を持つ。「これでいい」、さらに「今のままの君でよい」、こんな言葉をかけられたい…。

◎ 北陸の手伝い何も出来ぬ我お笑い番組見るのを止める   座間市 Aさん
…同感、共感した人の顏浮かぶ。何もできないけど、と様子を見ている間に3か月過ぎた。心構えはもちろん、備えも現実味が増した。台湾の備えは日本を学んだとされるが、避難場所のブースなど日本よりはるかに早く居住性がよい。なぜ我が国は2,3周遅れるのか。世界はLGBTから引き返しているのに法制化してしまったり、『西欧の自死』で移民の行き過ぎが共有されていたのに日本は止まらない。

◎ 手仕事を途中のままに残しおくこの気楽さはひとり居の幸   防府市 Yさん
…一人住まいでなくても気ままに居られる環境は憧れるもの。機が熟したら片づける意欲もわく。何事も追われるうちは多少つらいが、自由意志は湧いてくる。気持ちの良いアズマシサを希求するこころは万人の心根に潜むはずだが、アズマシサの快感を経験しておく必要はある。そういえば気楽な境地があり得る、ということも知っておく必要があるということか。学習と体験。親が子供をキャンプに連れていく意味を連想。

■4/10 雑木林の森カフェ



春のシーズンが本格化。テラスを掃除して森カフェがオープン。

■4/8 風景画家/鹿毛正三画伯の随筆を読む



案の定、同じ郷土の空気を吸った人ならではの共感があふれて、それに画伯の人間臭さと人柄とがあいまって、しばし幸せな時間と余韻を味わった。50年近く前に作品と出会い今年美術博物館の個人展でまとまった作品群を鑑賞して、できればエッセーもと進んだのだった。共感の描写はキリがないほどあったが、風景画家ならではの山、港、海、湖など自然への視線が目を引いた。

特に面白かったエピソードは樽前山。恵庭に棲む画家仲間Nさんは、恵庭から見る樽前を「表樽前」と呼んでいたというから驚いた。白老に疎開し住んでいた版画家の川上澄生氏も社台あたりの樽前山が好みだったようだ。川上画伯の社台や、鹿毛画伯の別荘のあった樽前地区から眺める樽前山は大きくてこちらが本物の「表」だと個人的に思える。もし「裏」はと問われれば、わたしは美笛峠からちらっとだけ見える樽前山だと思う。ともかく、郷土、風土を語るなら、風景画家の声を聴くというのはとても有意義であることをあらためて知った。

■4/5 樽前の見える浜でサクラマスねらう



さすがに海のアメマスやサクラマスをねらって200kmも離れた日本海に出かける気力はなくなった。それで一昨年から年に一二度、地元のアングラーの実績を聞いて苫東の弁天浜にダブルハンドのフライロッドを担いで出かけている。案の定釣れはしないのだが、何も遠くに行かなくても樽前の浜や社台の自然海岸で十分だと思い直して今年は家から15分ほどのこの一帯に出かけることにした。樽前山が大きく見えるところで、車を降りて100m足らず、そして歩行がぎくしゃくなわたしでも砂浜は歩きやすい。実は運動と、海から「氣」をいただくための養生フィッシングだ。海や自然海岸はもともとパワースポットの資質を持っているのである。今日は手始めだから、PALMSという固いロッドで45gのジグを投げ続けた。小一時間でも肩と首が凝って来た。長靴をはいて気張らず安易に行けるのがうれしい。天気予報で風と波の状況をつかんでからだから、ヘビーなところがなく海を身近に感じる。さて今後どうなるか。

■4/4 今年一番の山菜「フキノトウ」食す



山仕事の帰り、勇払川の土手で小さなフキノトウを発見。大きさは2cmほど。今年の山菜初物なので、丁寧に出汁をとって吸い物にしていただいた。今日は、24節気の「清明」。生命がすべて輝く頃。今日は樽前浜でロッドを振る予定で、あと数日したらアイヌネギの様子も見てみるつもり。例年より1か月早い3月中旬から川エビの様子も見ているが、やはりまだ早いようだ。

■4/2 古い「雑木林だより」をのぞく

「林とこころ」の2冊目を出そうか、まだ迷いながら古い「雑木林だより」のリード部分をコピーして綴っている。リード部分の数百字をコピペする作業だけでは意味が浅いのでどっぷり読んでみた。特に2010年、苫東コモンズを立ち上げた頃の「雑木林だより59」や「60」「61」「62」あたりは、初々しい関係性があふれていて地域の人とのつながりもよく見える。

そんなことを思い出しながら、はたしてこのホームページにどれほどの方が時々のぞいてくれているだろうか、と過去や日頃の言動を類推しながら数えてみるとおよそ10人。住んでいる場所も全国に散らばっていて、いわば滅多に会うことができないこころの友達。そういう方々の顔を思い浮かべるだけで、なんだか今日はとても温かい気持ちになった。

■3/30 捨てられた材をエネルギーに代える作業終える



思わぬ3月弥生の大雪でなかなか作業が進まなかった線下地の片付けが昨日終わった。写真は午前の休憩時間。疲れを知らぬ若手に、年寄のわたしが水を入れた感じ。しかし、こういう集いと雑談は、今やっている通称「奴隷労働」をポジティブなものに代えることもある。晴れた日の雑木林の歓談はいつも楽しい。






2024/3/28以前は   こちら