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晴林雨読願望
take /草苅 健のホームページ

 



勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている

一燈照隅
雑木林だより

 新里山からの日常発信

地域活動15年の歩みとこれから

 勇払原野の風土を共有する

  

●コンテンツ一覧
●日々の迷想 2023 & 2024 & 2025
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Oct 15,
2025

日々の迷想

■10/15 アマガエルよ、寒さの用意はいいのか



20mmに満たないようなアマガエルである。気温10℃余りで動きも鈍いどころか、冬を前にして生きるすべを思案している風な、他人事とは思えない風情である。蝸牛やカナヘビもいるにはいるが、それぞれ冬眠なり世代交代なり、ちゃんとできているだろうことは、想像できる。生き物の知恵として、きっと人間よりうまく対応ができているだろうと思われる。

■10/14 去年の今頃

今月の初めからガンの声や飛来が確認できた。ガンが過ごしたシベリアなど北の地方は冬が早いのだろうか、と向いの年配の方と昨夕立ち話したところだった。昨年は10/25 のブログに渡りのピークだろうか、などと記録がある。紅葉の盛りは月末だった。キノコの五目採りをしたのは10/26 だから、まだまだこれから秋の宝が堪能できるようだ。

■10/13 伯備線沿線の風景

先日の旅行では岡山からJR伯備線で中国山地を越えた。峠に向かっては高梁川(たかはしがわ)、日本海に向かっては日野川に沿って、特急「やくも」が走る。「やくも」はJR北海道のグリーン車のような乗り心地である。中国山地といえば、かつて車で地域振興に関するヒアリングに行ったとき、一日運転してもコンビニはおろかガソリンスタンドも見つからないような山国だったが、人びとは村落でスタンドを経営したりしてひっそりだがしたたかに暮らしていた。歴史もあった。伯備線沿線もほとんど同じ状態で、散在する村落と川を眺めているうち2時間余りで終点の米子に着いた。都会への人口集中、その一方に地方での生業、起業がある。もし地方で住むのならば現在とこれからの医療のこと、生業と収入、教育、家の存続のことなど、懸案は尽きないのだろうが、地方でなければ味わえない喜びもある。前期高齢者も後半に近くなると、その辺のさじ加減が少しわかってきて、いくつかの選択肢と取捨選択も頭の上では可能になる。折り返して、もし若かったら、と「もし」の仮想をしてもいい歳になった。都会もいいし自然に囲まれた田舎も捨てがたい。

■10/12 新幹線とお城の梁



いつものことながら田舎者のわたしには新幹線の技術には驚かされる。速度はもちろんだが正確さ、乗り心地、もろもろのサービスの安定、そして歴史ある動脈である東海道本線や山陽本線の利用度である。北のはずれの北海道にいると、人びとがこれほど多く使う乗り物とその背景に思いが及ぶ、というか想像が出来ない。相応の人口だから支えられているのであるが、これが中学校あたりの地理で習った太平洋ベルト地帯にあたるのだろうか、その相応の人口というのが北海道にいると見えてこない。

神戸から山陽本線で岡山、そこで乗り換えて伯備線、米子から山陰本線に乗り継いで行った松江では、名所めぐりの循環バスで、国宝のお城そばで降りて天守閣まで昇ってみた。1600年代の築城である。あのお城をきれいに石垣を積み囲み、内堀、外堀を設け、城は人力ではとても運べない巨大な角材の梁を縦横にめぐらして、文字通り手づくりしてある。この技術とそれを支える知恵や伝承という文明、あるいは文化というものが、新幹線という西洋起源の文明との対比の中で浮かび上がる。異質のようで同質性をもたないか。空襲で破壊されなかったこの城と武家屋敷のたたずまいなど、われわれの祖先の蓄積にふれることができたのは幸運であった。

■10/11 初霜近いぞ、花仕舞い

留守にしている間に気温がぐんと下がって花たちは花弁を落としてみすぼらしくなっていた。とりあえず昨日はハンギング2個とコンテナ4つを表から下げて捨てる段取りをした。根がしっかり伸びているから、実はハンギングやコンテナ本体から切り離すのにも難儀する。よく育った証拠であり、花たちに文句を言えない。使える土をふるい落とし、出窓の下に格納した。片付けを終えたらたっぷり2時間もかかった。奮闘した花々の始末を今朝、雑木林のわたし専用のくぼみに降ろした。これだけ低温になったのでキノコに期待したが急すぎたのか、どうやらボリボリは終わってシメジやエノキに変わろうとしているようだ。まったく端境の様相だった。明日は薪ストーブを焚こうか、と思う。

■10/10 安来と松江



週の初めから9日まで山陰をひとり旅行した。目的地はかねてからの関心地、安来の足立美術館とたたら製鉄の和鋼博物館、そして小泉八雲記念館の松江。足立美術館の庭園は期待にたがわず絶景だった。観光客でにぎわい聞こえる会話の半分近くは中国語系。美術館は特に新設された魯山人の作品をまとめて鑑賞できた。焼き物、書画等各種見てみると肌合いがとてもよく、かつて以上に好感をもった。とりわけ、長浜での作品「淡海老舗」(大正2年、幅40cm、長さ150cmほど)の木彫りあるいは彫り木に目が点になった。先月出来上がった我が静川小屋の看板の彫り木の看板に似ていたから。著名な芸術家と比べるのは失礼だが、これなら木を彫る動機につながるものを感じる。ネット検索すると、この頃長浜の魯山人の思いはこうだという。

「自分にとって一番大事なのは自然美である。己の芸術を生み出すとき、その自然美を意識することを一つに基準としよう。書画でも篆刻でも型どおりの職人芸に落ち込んでしまっては意味がない。
今、町には字画を綺麗に彫り整える職人の作が多い。
彫りにくい欅や楠などの堅木を探し、自然の木目を大切にし、人の心を射抜くような個性を発揮せねばならない。
既存の刻字看板を仰臥する篆刻で、その鑿の痕は鋭角的に立てて荒々しくみせてみよう。
より深く彫りつつ凹凸をみせればその彫琢看板は力強く彫ることで、遠くからでも人に認識してもらうという目的の表現を最大限発揮できるのではないか。これから一つの看板を彫琢するならば見る者に感激を与えるものを制作せねばならないのだ」。

看板、篆刻をしながら焼き物作家であった魯山人は「刻字看板」という領域もカバーして「彫琢看板」という芸術を産み出したのである。確かに彫刻のような看板であった。

庭は年間計画に基づいて人が手入れしている風景が印象的だった。理想の風景や庭を創るこんな仕事をしてみたいと思う人は少なくないだろう。もう遅いがわたしもそのひとり。

『流れのままに』の斉藤雅紀氏は「美は、手入れの中に宿る」で足立美術館について簡潔に美のありかを述べている。

■10/04 焚き火ときのこの風景、そしてガン初見



暑さもいよいよか。山仕事の帰りはおとといも長袖にうすいウインドブレーカーを着た。ボリボリが出始めたのが何よりの秋の兆候で、テラス上空に赤とんぼが増え、なんとガンの初見。おととい、声が聞こえたような気がしたのは、やはりガンだった。結構大量にキノコが採れたので、帰宅早々、お隣さんにお裾分けした。「大好きなんだよ~」と喜ぶ顔でこちらもうれしくなった。

■10/02 山形のだし



美味しい健康食的サラダ、山形の料理「だし」。たくさんの青紫蘇を隣家からもらったので、長ネギ、みょうが、ショウガ、キュウリを刻み、削ったかつをぶし、あぶった油揚げ、天かすを加え醤油であじつけ。地元山形では「なっとう昆布」というだし用のきざみ昆布で粘りをつける。ナスを入れることも。また、水っぽくなるというのでキュウリを入れない人もいる。野菜をたくさん取って元気になる。

■10/01 終わりのないサイバー攻撃と日常

8/18のブログで「SNSの功罪」という駄文を書いたばかりだったが、その後日本の総裁選で小泉候補陣営がステマ(ステルス・マーケティング)を行ったというニュースがあり、小泉氏本人も認めた。しかしこれを担当した議員へのお咎めや議員辞職へ波及することもなく、既存メディアもことのこの意味の大きさなどにはほぼスルーしている。

と今度は、モルドバの大統領選でロシアがサイバー上の介入をしていることが明らかになった。人間性悪説などという評論はもう時代遅れのたわごとになり、世界は24時間謀略で蔓延していると理解せよ、と諭されるような気分だ。英国に棲む方に「朝から連続テレビ小説を見ているような国民」とやや軽蔑されたことがあったが、なるほど世界はウカウカしていられないのであった。してわれら凡人は、この両極端な平和と謀略の間で股裂きにあいそうだ。

■9/30 池内紀氏の著作を読む

先月、池内紀著『出ふるさと記』を読んで以降、『無口な友人』『ニッポンの山里』『素白先生の散歩』という著作から エッセーを何篇か連続して読んできた。旅をしながら、あるいは散歩をする視線での随筆が多く、歩幅か波長が割と合ったのか淀みなくいつまでも読めそうだった。

シリーズでは『…山里』に似ているがもうひとつ『人と森の物語 ~日本人と都市林~』(2011集英社新書)が目に留まって開くと、第1章が苫小牧演習林の「甦りの森」で、石城謙吉氏『森はよみがえる』(講談社現代新書1994)が下敷きになっているようだった。森や緑、あるいは自然は言葉のイメージが独特の記号性をもつために暗黙の了解のように記号性の方に依存するきらいがあるものだが、氏は「ふれあい」「こころ」「癒し」を空々しいキャッチフレーズの乱用にいささかうんざりしていたようだ。メディアや公園設計とネーミングのトレンドが記号性に便乗して錦の御旗のような描かれることが、森や緑という本質を失墜させてきたようにわたしには見える。

演習林の描き方は下敷きとなった著作のストーリー性をほぼ忠実になぞっているが、表面的にはそれでいいのだろう。やや内情を知る地元民からみると、ある種の対立構造を仕立ててその中で奮闘した人を強調するので、その構造みたいなものがつい浮かび上がってきてしまった。物事の表層、その一枚下、さらいその裏…という風に様々なフェーズがあるということに思いをいたす良い経験をした。色々な考え方を短時間で知り、ふれることの出来るエッセーはだから止められない。

■9/29 早朝、庭の風水を考える



ハンギングやコンテナを表に出して100日が経った。2度の小台風にも耐え、花はスカスカになったがまだ咲き誇る気配がある。太陽が昇る前に庭に出て街路から庭を一望してみると、風水の気の流れというものが頭に浮かんだ。ベランダから庭を見下ろす方角は、風水の玄武から朱雀を臨む構えに似ており、気の流れを大きく阻害しているものはなさそうだ。花や木のしつらえも風水のタブーに触るものはなさそうで、南側に赤や紫の花はよく合致しているようだ。

気の流れが良いとすればそれにもっとも貢献しているのは、恐らく早朝の花びら掃除と花がら摘みであろうか。縁石やインターロッキングから萌え出る雑草抜きもある。一日1回ないし2回、箒と塵取りを手に掃除をすることが意外にも小さな庭の雰囲気をアップしている。それと大切なことは、花々が常にモリモリと元気一杯であること。これこそガーデニングの醍醐味である。5月の末に一度元肥と化学肥料を施した後は水だけ。今年は猛暑を警戒していたので一度も水切れを起こさなかった。10月20日ころまで約5か月、西洋起源の夏花を楽しめるのは北海道の幸運。今年はそれもあと1,2週間で店じまいにしよう。

■9/27 夏の終わりか秋の入口か



林道わきでサインの穴を掘っていて、むき出しの腕とシャツ越しの背中を数か所蚊に食われた。蚊がいないと思っていたこの雑木林にやはり蚊はいたのだ。しかし、開けたテラスにはいない所をみると、風通しの良い疎林はやはり不快昆虫の発生を左右するようだ。

気温は23℃で山仕事には少し暑いため、サインを4つ据え付けて腐朽廃材を移動する間に下着を2回交換した。歳をとると、不快感に敏感になるなんて聞いたことがないが、このところ乾いた下着、願望である。キノコはまるで顔を見せない。

作業に取り掛かる前に、焚き火の炉をブロックで急ごしらえした。網付きのドラム缶ではオキが残らないで下に落ちてしまうからだ。地面に直接こうして火床を作れば火持ちはぐんとよくなる。そうして作業中ずっと絶やさず燃やしておけば暖の用はもちろんのこと同心円状に枝拾いが拡大し、枝掃除にもなる。里山の核心部の枝は燃やすに限る。あいにく暑からず寒からずの日だったので、必要性は特になかったのだが、なんとか季節感を演出したくなったのだった。

■9/26 土地に詳しい人の話に耳傾ける



マチの風景としてやや殺風景な苫小牧は、以前から(米)西部のような、とか一時はアラスカのアンカレッジに似た、などと表現されてマイナス評価をする人が少なくなかった。わたしも赴任したての約50年近く前はマチにそんなイメージがあった。それに預かった現地の広大な広葉樹二次林はどこも皆伐跡地でとても若くてヤブだったから、こちらもどうも好きになれなかった。

しかし原野と日高山脈と支笏湖に続く森林、白老や静内方面の清流などは釣りや自然そのものが好きな人間にとって、不足を補って余りあるものだった。そして北大演習林など身近で豊富な都市林と呼べるエリアも充実していた。近海の魚も美味しく、行きつけの居酒屋で板前さんから地魚や調理の話を聞きながら料理をいただくのはどんな講義より面白かった。

近年たまに顔を出す近所のお寿司屋さんではアナゴの話になった。いつもはお酒のあてでいただくナマコは先日歯がかけて歯医者さんにもう止めた方がいいと言われたことを話すとやや同情された。「これからはナマコは諦めホヤで行こう」と内心決めたもののここにはホヤはない。

ところで好きになれなかった広葉樹林の方はあれから半世紀近く経って、今や美しい雑木林に変貌した。当時は樹齢25年生のころのヤブ状態で出会い、それから20年近くしてほだ木生産のため除間伐を開始した。それらの保育年を示すサインを今、小屋周りで6本立てている。その保育からもすでに30年あまり経過している。林の成長と履歴を知るのにちょっとした案内になるが、この情報を共有出来て懐かしがる唯一の人は、今入院中だ。

■9/25 歌に見る庶民の共感 39

文芸を読む趣味があって良かった。たまに活字中毒という言葉も聞くが、世に出た年月を問わず、今なら明治以降であれば新刊旧刊をとわず共感がある。敬う気持ちを多とし、いわばなんでも読みたい。読む意味もある。出来立ての歌壇俳壇の作品はとりわけ響くものあり。

畠の草取るや根の土落としつつ   寒河江市・Oさん
…丁寧な野良仕事の平凡な描写。この風景とこころの切り取りだけで和む。平穏と日常感、このごろ少しわかって来た。これで十分、これで満足。ちなみに寒河江は郷里の隣の市だ。今はどんなマチになっているのだろう。

友の家空家となりぬ昼の虫   東京都・Sさん
…空家は歌心を喚起する。生前のことを思い出すし、どうしているかなども想像してしまう。友人の家であればなおさら。散歩の途上に無常感すら感じ取ることがある。廃屋になると遅からず出てくる虫は回顧を増幅させる道具のよう。庭は原っぱに戻ろうとする。原っぱには懐かしい虫が戻る。日本の自然はもともとの風土を再現、復帰しようとする。

夫逝きてできなくなった半分こ林檎とパピコと扇風機の風   静岡市・Mさん
…つい家人との二人生活を並べた。うちもよく半分こするから。そうか、そんな淋しさもあるわけだ。パピコというのは知らなかったが半分こするように作られたようだ。簡単な、子供ようなしぐさだが、そもそも仲が良くなければ始まらない行為。

食みこぼす飯を拾いて淋しかりわが身の老いに気づかさるる朝   伊勢原市・Sさん
…御意、同感、数え上げればきりがないが、老いる自分というものに高齢者は自ら寛容になってくるから、はて初めて気づいた日はいつだったか、などと思いは遡る。従容として老いは受け止めつつ、必要な養生には努めねば。転ばぬよう、奥の筋肉を甘やかさないよう、そして好奇心も絶やさぬよう。

■9/23 山道の僥倖



チタンとセラミックが埋め込んである左の股関節に、筋肉が錆びているようなギクシャク感があり、できるだけ歩くようにしている。しかし近所の散歩には飽きてしまったので、できれば自然の中のハイキングをしたいところ。そういう時はもよりの森林公園などへ行く。

高丘のカラマツ広場から坂を登り始めてすぐ、造園関係で公私ともにお世話になったNさんと出会った。ボランティア仕事で径の風倒木を片づけていた。20年ぶり近い空白があってのことで、「Nさん!」と呼びかけられた相手の「はてな?」から破顔への一瞬の変化が、久々の幸運のように感じられた。

日頃、東の方の山仕事の帰り道、沿道のナラの大木の並木を愛でつつ通るが見事なそれらの並木道を彼が手がけたというだけでなく、そのもとになった移植実験がわたしの森林による景観形成の企図に強く連動していたから、実は日常的に思い出を繰り返していたのだった。そして少し不義理もあったので心のどこかでなんとか会うチャンスはないものかと思案していたのも事実だった。そうしてこの出会い。僥倖ということを感じつつ昔話に花が咲いたことは言うまでもない。

林は紅葉の気配がないが大型の葉っぱから落ち始めている。ドングリは多くない。気温、風とも心地よい。マカバ広場から池に戻る短い行程だったが、径のわきに山椒が実にたくさん生えている。これからは山椒コースと呼ぼう。

■9/22 雑木林保育と人たちの記録

小屋周辺の保育の履歴を調べるために、当ホームページの「雑木林だより」を遡ってみた。探していた林班の保育年は平成16年(苫東破綻から6年目、札幌通勤のさなかの週末山仕事だった)とわかったのだが、たどり着くまで閲覧した山仕事とよその山探訪の記録は思った以上に重厚だった。加えて実に色々な属性の方が小屋を来訪し案内しその何割かは泊っていった。このような往来が実は今の静川の里山再生につながったのだとわかる。「雑木林だより」という履歴はわたしのセカンドワークの足どりそのものであった。そしてそれは今も続いている。







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