| 晴林雨読願望 take /草苅 健のホームページ ![]() ![]() 勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている |
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first upload: Nov. 29 , 1998 last upload: July 13 ,2026 |
| 日々迷想 ■7/13 マスタケか ![]() 朝5時の自宅が20℃というこの夏一番の猛暑に、9時過ぎ、残してしまった刈払いに出た。蒸し暑さ100%だが、マスタケに出会ったのが救いだった。食欲ももろもろ、いつも季節ともに動くけれどもマスタケは撮影だけにして、食は通過した。 美味しいといううわさは聞かないし、海外では毒キノコの評価もある。わがボリボリも食不適と表示する図鑑もあるようだから、別に不思議ではないけれど、初物、ゲテモノを食するときは緊張はするものだ。食べない言い訳も、あまりすっきりしない(-_-;) ■7/12 歌に見る庶民の共感 52 この1週間、青空らしいものがなく雨もまだ降り足りなそう。言葉でこそ言わないけれども、本州から梅雨が北上してきたようだと感じる。洗濯ものを乾かすために、昨日はエアコンで除湿した。晴れないと星空も月も見えない。特に月が見えないのが寂しい。今回はまず心に響いた俳句から。 ◎ひとり居の屋根に青柿また落つる 奈良市・Nさん …情景浮かぶ、静かな深夜。柿食えば…、古池や…、これに匹敵する題材と言葉選び。様々な事情、風景が自然と湧いてきて、ひととき味わってしまった。 ◎筍の皮に値段の書かれあり 土浦市・Hさん …八百屋さんなどは今でもこうしている。トウキビの皮も実のところもったいない。杉の木をスライスした薄皮におにぎりを包んだりも、試すことがある。昭和の風景は和みを伴う。郷里では梅干を干す時期に重なったりして、筍の皮に仕込まれた赤ジソを包んで吸った。貧しい時代のおやつ代わりのアソビだった。 ◎父の日や和解はせぬが礼尽くす 筑紫野市・Nさん …なんとも渋い、重い一首だ。お互い許せない事情がわだかまっているのだろう。しかし、大人だ、ここは礼を失しない程度に。形は大事だ。いつか、雪解けが来るように。良識ある大人ですら、ままならない身近な関係。 ◎「こころ旅」代わりに旅をしてくれる田中美佐子の風の自転車 鴻巣市・Kさん …火野正平氏の代役でスタートしたはず。欧州の本格的な自転車縦断BS番組もあるが、こちらは日本の風景が見えてたまにみる。女性というのが最初は素人っぽさが強調されて意外だった。代わりに旅する、という趣旨がやっとわかった。 ◎かるがもの親子が列なし池をゆく水面を閉じるファスナーのごと 匝瑳市・Sさん …先日の道東旅行で陸別川の親子を見た。泳ぐのも歩くのも、カルガモは人々をくすぐる愛嬌がある。無防備さがヒヤヒヤさせる。しかし確かにファスナーのようなきれいな軌跡がのこる。そこにフォーカス。 ◎働いて帰れば妻が明るくて酒が美味しいこれが幸せ 山形市・Kさん …文句なしに賛成だ~。野菜や果物の収穫だったのだろうか。美味しそうに日本酒に口を寄せる光景が目に見える。畑と家と、今日の出来事に花咲く。そして笑顔のふたつみっつ。余計な憂いが何もない一日だ。明日も。 ◎胃薬と風邪薬だけあれば良いあとは自然の力を借りる 秋田市・Kさん …延命などというものに思いを致すこともある歳になればこそ、名言と思える。医者に行くころには治っているもの。腰痛や筋肉痛などはまさにそれ。養生の極意をそれとなく諭されている。作歌は励みであり、癒しだ。 ■7/11 ドナルド・キーン著『明治天皇(上・下巻)』を読み切る 今年3月に読み始めてから4か月、約1100ページ、長いが充実した読書時間だった(奇しくも皇室典範の区切りの翌朝だった)。そればかりでなく、読書生活としては『源氏物語』を読み切った時の達成感にどこか似ているが、こちらはそこに日本の激動の歴史が凝縮されているという特徴があった。歴史関係の本読みとしては、渡辺京二著『私の幕末維新史』に引き続いた。 今、手元に5枚の小さな読書メモがあり、感想をしたためる時に使おうと思っていた。が、メモ内容の詳細をいちいち書くのはもうやめた。大雑把にいえば、司馬遼太郎氏などによる歴史物語と違ってほとんどが著者の思い入れや情緒表現がなく、「明治天皇紀」をはじめとする文献の引用で延々と占められていることが、形の上の大きな相違点だった。日本語の文献を読んだ著者はまず英語で本作品を書いて、「友人」と称する角地幸男氏が再び日本語に訳している。その面倒さが不明だった。が、あとがきで著者は、「英語国民にも明治天皇のことを知ってもらいたい」とねらいを述べていた。ということは英語でも出版されたということだろうか。 それにしても明治維新前後、そして明治という時代がいかにめまぐるしい激動期だったことを知るには十分すぎるものだった。大政奉還後、嫌が応にも歴史の表に立たざるを得なくなった天皇を、あがめながら利用しようとする政府や軍の様相が史実の中でもいよいよ見えてくる。その裏腹か、天皇が国を家族のように憂慮しこまごまと心悩ますさまは痛々しいほどだった。質素を旨とする日々の姿、信条など、天皇の人間臭さをここまでにじませてくれた(資料からにじんだ)おかげで、納得できる新たな維新像がわたしのなかでできつつある。 下巻の中ほどでは、「日本人はいったん国が危険にさらされるや見解の相違など吹き飛ばしてしまうような強烈な愛国心をもつ」(珍しく著者の日本人観めいて興味深い)という意味の記述が目に留まった。だが、これは明治までではないのだろうか。昨日皇室典範改正案が衆院を通過したばかりの今朝の報道では、これまで保守系と目されてきた新聞が一面に「男系維持に固執した法改正」という趣旨の批判を編集委員記名のうえでしているように、伝統的なメディア各社は逆方向へバイアスを掛けることに懸命のようである。いまや、国民の多くは既存メディアから離れてSNSに真相情報を求めているとしばしば言われるようになったが、視聴率、購読数の増に向かった既存メディアの巧妙な言辞にどこまで独立していられるか、人気投票ではない「国民の理解」なるものの真相度合も知りたいものだ。 ■7/10 皇室典範改正案審議 9時から家人と審議風景を観る。言葉を選びつつ慎重に質疑され、答弁される。緊張が走っている。すでに活字化されているものを読まざるを得ないのは言葉の定義、経過、積み上げ、それぞれに意味が大きいからに相違ない。これがSNSのような言いっぱなし、瞬間芸のような無責任と基本的に違うところだ。やり取りを聞いていても言葉の奥にある意味を当方は理解できていないだろうなと自覚する。一方、関連するオールドメディアの報道を見ると批判の方が多い。国民の理解が得られていない、と。それでも万世一系の皇位継承に関する法案はひとまず壁をひとつ超えたと言えるようだ。こんな風にして物事は少しずつ進む。民主主義とは面倒くさいものとよく言ったものである。 ■7/09 歩行不安定と臀筋痛 体のふらつきは終らない。片足立ちは5秒も持たない。散歩ではウォーキングポールを使用し階段は手すりを使うのが常態化してバランスをつかさどる体幹が衰えている。表題の歩行不安定はそこから来ているとみて、それなりのトレーニングをしている。また、骨盤開きすぎもある。若いころ、ヨガのアサーナで開脚前屈で胸が床について喜んでいたころ、整体師に骨盤が開いていると指摘されて以来だ。今日は思い立って矯正ベルト・カシャーンを使ってみている。 一方、久々に臀筋がひどく痛い。家人は、昨日の薪積みが原因でないかという。この歳になると、身体の変化に気づきは多種多様に及ぶ。病気や故障とは考えず、その時々のちょっとした不具合と見て対処療法を思い出して試してみる。往々にして忘れたころに治っている。 ■7/08 自然の再生エネルギー 昨今、自然再生エネルギーといえば風力や太陽光や、時に小川の水力などもさすが、生まれ変わろうとする自然の植生復元、樹木の種の発芽、萌芽こそ再生するエネルギーだ。 ■7/07 今年の気温は昨年よりやや低め ![]() (↑気象庁ホームページから) 庭の花の盛り上がりがやや遅いと感じて、昨年の7月上旬の庭の画像を探して見たらやはりすでに夏らしく咲き誇っていた。4月1日から7月日までの積算温度(今回は基準を0℃に設定)を気象データから算出すると、昨年は約1220、2026年は1140と出たから、プラス温度の積み上げではやはりやや低い。上のグラフでは6月の最高気温は昨年が3度ほど高い。霧のせいもあるかと霧日数を見ると21日、22日とこれはほとんど差がなかった。しかし生活実感としては霧のかかる頻度は高く感じる。ただ、これから間違いなく盛り上がると思えば安心であるし、その分あせらずのんびり構えようと思った。小さな庭の主としては実はいささか気をもむのである。 今日は24節気の小暑で七夕、いよいよ夏の始まりだ。苫小牧は24節気の表現と四季の感覚がよく合うので、そろそろエアコンがほしくなるのか。季節と植物、食べ物、野生生物もろもろがつながっている感覚を日々観察していくのは庶民にとって大いなる幸せであり醍醐味なのだ。 ■7/06 『森の生活』、メモ追記 おとといの書き込みで入れ忘れたことのひとつ、「ヨタカは決まった時刻に鳴く」というソローの気づきである。そういえば、雑木林センターに聞こえるヨタカは夕方5時前後に聞こえていた。さすがにまずめ時に鳴くという印象だけあった。それがあるとき、ベランダにヨタカらしい躯を見つけて小屋裏のイタヤカエデの根元に埋めたことがあった。 そしてソローと坂本直行さんのこと。『森の生活』と直行さんの『開墾の記』との比較を書いたのはいつだったか、「日々迷想」のアーカイブを遡ったらもう一年近く前の2025/8/30 だった。 また、the spirit of Walden というソローの言葉を訳者はどう日本語にしたか。原書と訳本を開いてみると、「森の生活の本質」としていることが分かった。苫東コモンズのnewslettr の名前をいろいろ考えた結果「勇払原野の spirit 」としたのだが、「勇払原野の本質」ということになる。発刊当初、産土を念頭に魂という思いを込めたものだが、なるほど、本質という控えめな表現もいいなと思う。 ■7/05 神々が遊ぶ庭 カムイミンタラ。アイヌ語で神々の遊ぶ庭、と聞いたので、かつてわたしはとっさに大雪山の沼ノ原からトムラウシに向かう途中の五色が原のお花畑や、日高ポロシリ岳のカールあたりを思い浮かべていた。それがカムイミンタラはあちこちにあると知ってから、この言葉は極めて心地よい美しい光景を見るたびに頭にひらめくようになった。 夢があるいい言葉だ。それはきっと場と光と時間。自分にとって癒される場は往々にして周りの人にとってもイヤシロチである可能性が高い。胸が膨らむ光景、魂が目覚めるような、と表現してもいい。できれば身の周りに散在しているようなわけにはいかないものか。 四季の林に向き合っていると、日常的にメモしておきたい風景によく出会うから、気持ちの持ちようであるいは四季の移ろいの中にはカムイミンタラは遍在する(あまねく存在する)のではないかと思うのである。 ■7/04 ソロー『森の生活』漫画で深読み ![]() 色々な訳で読んできたヘンリー・デービッド・ソローの『森の生活』を、今回は漫画版の原書と日本語版で読み返した。原書は訳を照合する程度だったが大変わかりやすかった。秀逸だと思ったのは、漫画に挿入された言葉がソローの漏らす箴言、アフォリズムの詩のような効果を持ち、これまでとは違った直接性をもって伝わってきたことだ。読みやすさの原因はまず言葉選びの巧みさが何割か、しかし、共感を呼ぶそもそもはソローの森におけるひとりの内観だ。森と心の対話内容である。 ちょうどこの日は、20日前にこの本を借りたO教授家族が雑木林センターに遊びにきて、タイミングよく返却することになった。そして、森や林がこころに及ぼす話にも及んだ。もう忘れ去られたかのような領域だが、5月にスドキ採りで来られたKさんと瞑想の話題になった時と同様、人にとっての森林やみどりが取りざたされることになったのは、さすが雑木林センターだ、と思う。 ■7/03 近所の庭巡りにて 雑誌Bises が発刊されていたころだから30年も前の話だが、空前のガーデニングブームのような時期があり、道内各地で庭は女性を中心にして積極的な試みが展開された。そしてその後の一時、庭の殺風景を嘆いた時期があった。庭から花が消えたように寂しくなった。わたしの近所では世代が変わったかのように試みが細ってきていたのだ。思えば庭の担い手は高齢者がやや遠ざかり、次世代は子育ても忙しいし仕事もある。そんな転換期だったのか。 それが今朝自転車でご近所を回ると、ああ静かに自然体で自由に大人びた庭づくりが行われていたんだ、と納得するような庭をいくつか見た。よく見ると、それが隣近所に転々と伝播しているようにつながっても見える。オープンガーデンのように外に向かった派手な飾りでなく、好きだから少し勉強しながら、そんなおとなしい風情である。多年草が多く混じって世話もほどほどと見た。見ていて和む庭、そんな庭がこれから増えていくのだろうか。 ■7/02 「こなす」をいただく ![]() 郷里のブランド野菜「こなす」を入手した。これは夏の風物詩のように、毎日、あるうちは食べていたような日常生活的野菜だったが、離れてみるとブランドとなる逸品だったことがわかる。昨今ならネット宅配か札幌のデパートでなければ手に入らない。これを家人が浅くつける技をすでに身に着けているのはありがたい。家人の生地はたらこの本場だが、画像は白老産、奇しくもゆかりの品が並んだ。「こなす」は昨日からほんの2,3日、朝晩の食卓を飾る。 ■7/01 フットパスの休憩 ![]() 人工股関節にしてから、街中、野外を問わず歩いているときに座るところが欲しくなった。街中には意外と座るところがないものだ。椅子に早変わりする杖がほしくなりカタログを探したこともあった。年寄りのなかにはきっと欲しい人がいるはずだ。コモンズのフットパスでは休憩するベンチが欲しいと思い、2か所に上の画像のような場を作った。もう7,8年前になる。うれしいことにときどき、ここで休んでいると語る人に出会う。それに、自然風景は人工物があるとスケール感とコントラスト感覚で見え方が変わる。 ■6/30 睡眠時無呼吸とC-PAP 睡眠時無呼吸の治らない治療を始めて8年、就寝中の無呼吸症状はほぼ皆無になったが、できれば、あの酸素吸入のような装置はないに越したことがない。マウスピースの対応もあると聞いたので歯科医と相談したが現実の話にならなかった。最近、 facebook のC-PAP のグループに入ったところ、人間工学に基づいたC-PAP対応枕が紹介されていた。性能問題は形状と質だと素人考えで理解し、それと似た形状の枕を買い求め使い始めてみると、これが意外と良い。肩と首の凝りが軽くなった。振り返れば色々な枕を試してきたが、いまのところ収まりが一番良い。価格は3000円弱だった。 ■6/29 小屋の来訪者アライグマ ![]() 小屋の周りでキツネやタヌキはよく見かけた。しかし、薪に上り窓から内部を伺ったり、屋根裏のスズメバチの巣を落として食べたり、ベランダでセミなどを食べ糞を残していくヤツの実態は未確認だった。それが6月26日のam2:00頃のトレイルカメラの動画にばっちり。糞が二つ、ベランダの真ん中に狼藉を図ったことから判明。このアングルで夜中にエゾシカが映っているので、小屋周りはタヌキ、キツネが常時来ていることがわかる。ヒグマは数年前に足跡を確認したが、このところはない。 ■6/28 6月の葉っぱの美、極めつけはサワシバ ![]() 残りの薪割りを完了できず、あと少し後日に残すことにして大島山林を小さく回る。時刻はもう3時前後だったが、緑の表情は林道の一歩ごと違う。午前もいいがやはり夕方近くの微妙な陰り、弱さもいい。そしてやはり葉っぱのうつくしさは「サワシバ」。葉脈が透けるほど葉が薄い。こうして見ることができるのも、この木が大木にならず林の中層を占める役どころからである。地味だがファンも時々いるから面白い。 ■6/27 ニュースレター「勇払原野のspirit」を編集しながら 「地域開発」という言葉が久々に浮かんできた。「そうだ、わたしがかかわっているのは地域開発なのだ」。そう気が付いてこの半世紀を眺めると、明治初期の開拓期から長い絵巻物のはしっこに今があって、まるで開拓期の延長のようでもある。地域の歴史とはまさにそのとおりなのだ。現在の風土の切り取り描写、ニュースレター第35号。 若い人が精を出す森づくりと薪づくりから離れて、小屋周辺の里山景観づくりに隠遁してから、コモンズをよく俯瞰できるようになった。その結果、地域開発というキーワードがいまさらながら浮かび上がってきた。かつてはよく使ったワードながら開拓時代の延長のひとこまとは思っていなかったのである。この極めて個人的な発見は、レターを綴ってみることの効用だ。 ■6/26 流れ星についての見解 先週の旅行では陸別の「銀河の森天文台」で、若いスタッフの方が随分と長い時間話し相手をしてくれ、色々な基礎的事項を教えてもらった。一般に公開する天文台としては日本で六番目に大きい115cmの反射型望遠鏡を有し、パソコンに星の名前をインプットすると天蓋と望遠鏡が動きレンズ中央に星が見える、という優れモノだった。平日昼過ぎで貸し切りだったせいもあって天文のイロハをここでお聞きすることができたのだが、もっとも嬉しかったのは、わたしが2026年正月から5月上旬まで4つの流れ星を見たその数が、決して少なくないことがわかったことだった。 そもそも、一晩中夜空を眺めていても見られるのは2つか3つらしく、わたしのように夕涼みのように(真冬はしかし命がけ)15分やそこら、晴れた日のみの観察でこの数なら、まず喜ぶべき幸運だと言えるのだった。流星群が巡って来れば年間で15個などという年もあった。流れ星の数がその年の幸運さを占うとするなら、当方は毎年幸運続きということになる。 ■6/25 食葉の現場発見 ![]() ついに現行犯を見つけた。マイマイガだろうか。地元民放のTVでも大発生と報道していた。勇払原野だけではなさそうでこれから本格化するのだろうか。幸いなことに、食べられた葉の跡にはもう小さな芽生えがいくつも出ていた。どういう仕組みで再発芽のスイッチがはいるのだろう。 |