晴林雨読願望
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勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている

一燈照隅
雑木林だより

 新里山からの日常発信

地域活動15年の歩みとこれから

 勇払原野の風土を共有する

  

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●日々の迷想 2023 & 2024 & 2025
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Oct 13 ,2026




日々迷想

■10/13 自然と風土へのこだわり

野生の動植物が中心の自然に比較的関心が強い当方だが、世間ではどうかといえば人それぞれで、うんちくを傾ける人もいればまったく無頓着な人まで千差万別だ。大雑把に言えば、あるべき論として一般に言われるほど庶民はいわゆる自然とか緑に関心はさほど高くない。高くはないが、迷ったり悩んだり病に苦しんだり、ふとした時に自然風土、森羅万象に助けられることがあって見直されることもある、というところか。

それを環境といえば、ちょっと理屈っぽくなって社会性が問われてくる。保護運動などに至っては主義主張の一種の戦いである。自然風土に限って言えば、科学的な側面とあわせ、情緒に近く古くから俳壇歌壇にもよく歌われる特長がある。万葉集や源氏物語では春夏秋冬、この素材と描写と思い入れなくしては存在しえなかったと思われるほどだ。そして人々は自然に対する特別な感性、第6感を持ち合わせていたようだ。現代は、日常的には自然など身近になくても生きていけるが、付かず離れず包まれていたい、そんな存在か。少なくとも、身の周りで日々役に立つ相手ではない。便利な都市こそ住みやすい。

当方は片田舎で反自然のような世界にこだわって人生終盤にきたというのだから、所詮たいしたことはない。今は、なんとか野生の小鳥を手に載せたい。餌で野鳥をおびき寄せ、春までには巣箱を作ろうかと思う。ふと復古調の懐古趣味のような、まさに超個人的な偏った好みのようである。掘り下げてみればきっと幼少時の体験にたどり着くのではないか。

これまでも自然と風土にとけ込み和むことは普段から限りなくあったが、だからと言って大切さを訴えるような気持ちにはなれない。生きがいとも違う。繁盛も衰退も自然といういい加減さが根っこにあるような気がする。養老さんの自然観は、そんなことも考えさせる。

■10/12 養老さんの自然観

自然と文明間の悩み事を俯瞰する大局を語らせると、養老孟氏の声には耳を傾けさせる重みがあるようだ。you tube をみると養老さんのそんなキーセンテンスをキャッチにした、いくつものシリーズが見える。

話はちょっと横にそれるけれども、「君は自然相手でいいね」とわたしに言ったのは出向してきて上司だった道庁の幹部の方であったが、役所の行政規則、あるいは議会、そして特に人を相手にするのは大変でうんざりだと顔は語っていた。養老さんは自分がこうして達観していられるのは実は自然が相手だからだという。いつまでも生きていられない人間にとって生老病死は「自然」であり、氏の悟りに似たオリジナルアイデアは、虫をはじめ死体などもろもろの「自然」とむきあってきたせいだとほのめかす。

わたしが言われた自然と養老さんの自然はもちろん微妙に違う世界だが、すべての変化をそうあるものとして受け入れるという気持ちは底通するものがあるように思う。そもそも変化を危機とみなしその対応を心配するから不安になり慌ただしくなるのであり、自然を相手にしていれば相応の覚悟が生まれると養老さんは言うのである。

世の中が、都市に人口が集中し地方が敬遠され過疎が進み始めたころ、氏は国民全体で参勤交代をすればよい、と提言して驚かれたことがあった。田舎に住んで、ときどきはじっくりと自然と付き合えばモノの見方は変わるよ、と言っていた。答えはまだまだ出てこない。

■10/11 ついに餌台にエサを撒く



北の森カフェの鳥見エリアに、ついに餌を置いた。ゴールは小鳥たちの手載せだが、そこをスタートから観察するためにトレイル・カメラをそばに移設した。これから、アニマル・ソルトを据え、紅葉のころに脂身を吊るしたら完成だ。さて、どうなるか。

■10/10 山菜を京料理のようにいただくとは



9/01の書き込み「旬を味わう「糸暦」」の続きで、郷里山形の出羽屋の山菜おせちを頼んでみようかと話題になってネットでスタンバイしていたら、予約解禁後の10分余りで完売になった。それではという次善の策というのか穴埋めというのか、この本を買うことになった。

読み進めた結果、ずっと手元に置きたい一冊であることがわかり、読み進まないで途中で本を閉じて「仕舞った」。もう少し余韻を楽しむ時間を伸ばしたい。また、これまで春秋と地域のふんだんな山菜を頂いてきて、それはそれでいいのだが、それらがまるで馬食といえるほど雑な味わい方だったように恐れ入ってしまうのである。

料理の数は約100、これからは山菜との向き合い方をただすような時に改めて開くことにしようと思わされた。
それほど上品な食文化の高みに達していて、作品中の言葉では「京料理」のごとし、と表現されていた。写真も聞き取りもプロの手になったさすがの一冊で、郷里のこんな存在を見聞するにつけほんわりと誇らしい気分がする。
と同時に、郷里から北にそびえていた月山のゆったりした容姿を思い出すのである。

■10/9 夏目漱石著『こころ』を読む

実に久々読んだ小説は『こころ』だった。が、なぜ久々と感じるのか、ちょっと分からなかった。きっと日常は「こころ」と遠く離れた、ドライな生活を送っている、そのせいだろうと推測が付く。『こころ』が描いているのは近現代人の西洋的自我の目覚めというのかもしれないが、漱石はそんな明治の悩みを代表している、という評論もかつて仄聞した覚えがある。小説は心のひだを余すことなく描く、読者はその一行一行を追いながら心理をトレースする。その極めて人間的なスピードが、日常の情報過多生活にはなくなっていたのではなかろうか。

過日、ラジオの朗読で林芙美子著『浮雲』を15分ずつ70回聞いた時も、やはり忘れていたものに出会った感があった。エゴイズム、嫉妬、数々の欲望、それに伴う倫理と迷い、そして描かれる世界は、じめじめ、陰湿、まるで人間であることが嫌になるような、どちらかといえば暗い絵を見せられる。まさに悩める人、のようにである。

いつの間にか、これらから遠く離れている令和のわたしの日常ができあがっている、ということがわかる。時代のせいか、そこに歳のせいもあるようで区別しがたい。ほぼ半世紀ぶりに読んだわけだが、この50年という失敗だらけで脂っこい、人生の濃い部分をくぐった前と後では、ずいぶんと『こころ』の印象が違うものである。

■10/8 秋晴れの日の出にて



今日も快晴だ。南へ車で5分、海岸に出てみる。朝5時45分、薄い雲からの日の出だった。それにしてもおびただしい流木が護岸の頭まで打ち上げられていて、歩行者も自転車も跨いで通っている。散歩中の年配者は、漁師さんのようななまりで「昨日の昼、台風のあおりだ」と教えてくれた。27号ははるか東方を過ぎたが、そのうねりはここまで及んだと、当たり前のような口調だった。今年一番の秋晴れだったのに。

■10/7 小鳥たちには普遍的な力がある



雑木林の小屋に鳥のスペースを創ろうと思い立ってから、いろいろと思案する間に、これはひとつの「世界」ではないだろうかと思うに至った。ちょうど昨日の「日々迷想」を書いた後、森林公園に出向いたのだが、大きな池の周りでも老若男女が鴨たちにエサをやったりして和んでいる。その風景は独特の癒しにも見える。そうしたついでに20年前に、まだ手載せができたころの画像を探してみると、わたしのドキドキや案内した人たちの感動の声を思い出した。画像は2007年12月のもの。やはりそこには現実からすこし離れた独特の「世界」があるように思う。

■10/6 75歳からの挑戦



今年から小鳥を手載せする「禁じられた遊び」に取り組んでみようと思う。薪の自賄いの目標年次の80歳までに何とかこぎつけたい。半世紀前は市内で手載せができる場があり、来苫のネーチャー派の客人のおもてなしのコースにしていた。自宅の餌台は事情で継続できず、代替の手載せ実現は断念した。そこではたと思い付いたのが雑木林の小屋の前だった。雑木林だより136にも書いたが、「この世の中で最も美しくもっとも心優しいものは野鳥たちである」。この原点に、素直にかつ忠実に戻ってみたい。写真奥は止まり木兼人工の藪、コシアブラ製。

■10/5 攻める養生 ~片足立ちの改善を通じて~

歩行がふらついておかしい理由の一つとして、そもそも片足立ちができなくなっていることに気付いた。特に左がほぼできないのだが、左足が外反母趾であることに一因がある。山仕事で根っこに躓きボキッと音がした20年以上前の靭帯損傷の後遺症だった。ネットのアドバイスによれば重心移動の動きをマスターすればよくなるというご託宣が耳に入ったので、このひと月、朝ヨガでストレッチをした後に重心移動を1,2分し、それを毎日数回続けていたのである。そうしたら、あら不思議、左足でも数秒間かそれ以上片足立ちができるようになった。足裏の筋肉が動き感覚がすこし戻りつつあるのもわかる。ついでに言えば、右の足先だけグーチョキパーができなかったのだが、この2,3年毎朝のストレッチ時に欠かさず動かしているうちに、左右とも同時に脳の命令が届いて動くようになった。

身体全体のことを言えば、70歳で股関節を手術で人工物にする前後から、痛む周辺をいたわりすぎて次第に体幹が衰えた実感があるので、まずできるだけ歩くことから始め、今夏からはジムで簡単なトレーニングを開始した。少し痛める程度の訓練をしないと体はなまる、という以前からの後悔と反省からである。かつて坐骨神経痛で朝に立ち上がれない日々を経験をしたときは、しびれる神経を指で見つけ揉んだためにかえって炎症を起こしたことがあったが、それを契機に改善したという成功体験も忘れられない。医学的には瞑(めん)眩反応というのだと医者に教えられた。

以来、攻めてみる、というのが癖になりつつある。固まって曲がらないなら曲げてみる、歩きたくないなら無理して歩いてみる。生半可な知識で思い込む癖は相変わらず治らないが、そもそも主治医は自分でしかあり得ない。次々とやってくる不調や不具合は、自分と対話しながら養生して行くしかない。

この頃は深夜におなかが膨らんで眠れない日が3週間近く続いたが、2年前診断を受けた逆流性胃腸炎が食べすぎが原因だったように、食事の量は減った今はさらに胃の消化能力が落ちて、消化しきれない食物が腸に入るためと推察された。これを腸内細菌がしきりに分解する結果、膨満感が生まれるらしい。このような食べすぎは食事中に満腹感が起こらないことに起因するようだが、これは脳軟化症の症状なんだとか。なんだかまた恐ろしい症状になってきた。

■10/4 江藤淳氏の身辺雑話

『閉ざされた言語空間』から氏のエッセイ『西御門雑記』に飛んだ。読み応えのある評論、歴史感で緊張感を味わったあとに、氏の人となりが伝わる箸休め的な本だった。といっても日本社会と自らの仕事への堅固な視座はある程度維持したままだが、居住する地域社会への批評家らしい視線が心地よかった。

定期刊行物に掲載された原稿だから、たくさんの読者のうちの誰かが間違いなく読む。評判も良くさらに継続を促されて、そのために日ごろ気づいたことを記憶して書き記しておく。身辺雑話と割り切った記事の収集の楽しみも伺われる。どこか当方の拙文にも似たところもあると言えば傲慢に過ぎるが、こちらは読まれるあてなど特になく、もとより社会への発信の意図もない、個人的な読書メモ代わりの雑記に過ぎない。しかもそれに満足している。

ただ、氏の雑記を読みながら、書き留めておく身辺雑話というのは、実はそれだけでも愉しいものであることは確かのように思えた。人によっては時に共有され普遍的な書くカタルシス、表出する快感というものも内在するような気がする。

■10/3 薪ストーブの初焚き



小屋のベランダは16℃、室温は8℃だった。恐らく外気は5℃以下に下がったのではないか。ホオノキやハリギリなど大きめの葉はすでに茶色に色を変えてフットパスに敷き詰められていて、ツタウルシだけは真っ赤に紅葉し始めた。いよいよ、秋本番だ。雁の渡り、キノコ、そしてやがては雪虫。毎年同じことが繰り返されるが、人はその微妙な違いを口にしながら気持ちをだんだんと冬モードに切り替えていく。

■10/2 小鳥の本読み、3冊同時進行

この世の中で最も美しく最もこころ優しいものは野鳥たちである…。中西悟道著『定本 野鳥記 全8巻』の紹介センテンスである。この秋から、雑木林の小屋で野鳥の手載せを試みるにあたって、あらためて決意を確かめるために手元に置いて読み始めた一冊だ。確か小学校6年の時、全巻を読んで野鳥の世界に目覚めたような気がする。それも生態学風でも生物学風でもなく小鳥の声を聴き分けたり手に載せるというごくごく単純な小鳥への願望であった。

鳥も豊富な田舎生まれだったから、純粋に野鳥に惹かれ、やがて野鳥の会にも入会したが、支部はそのころすでに開発反対の自然保護運動の団体に変貌しており、肌感覚がどうも合わない。例会には出ないで会誌を読むだけの会員を数年つづけたことがあった。日本の野鳥の生態、研究、随筆などをまとめた『全集 日本野鳥記』全12巻の1冊目も図書館で借りた。そこへ家人が持っていた沢野ひとし著『鳥のいる空』も併せて読み始めてみた。これがいずれも面白い。どれか一冊と絞らず、このまま3冊ずるずると行くことにした。

心のどこかで、2026年秋からの野鳥手載せの試みを何者かが応援してくれているような予感がする。しかし、雑木林が単純なほうが再生林であるためか、野鳥の種類や頭数が特に多いわけではないので、旧演習林のように簡単ではないことを覚悟しなければならない。中西翁のごとく、静かに工夫しながら、長年の野鳥への思いを糧に励むこととしたい。

■10/1 煙の存在感

ひとりの静かな雑木林の時間にひときわ存在感のあるのが「焚火の煙」。大げさに言えば、これがあればちっとも寂しくはない。いや、いつも寂しくはないのだから「ちょっとだけ心強い」というところか。沢登りでの沢の中やキャンプでの焚火も格別だが、何でもない、枝を焚くだけのシンプル焚火も捨てがたい。焚火という林の掃除である。

■9/30 クロホウジャク、見参



9/29 の昼前、近所の年配の奥さんと花談義をしていたら、もう花の季節は終わりというこの時に、ここ7,8年来訪を待ち望んでいたハチドリのような昆虫「クロホウジャク」がインパチェンスに飛んできた。だが、かつて庭にもっと花が多かった若い時期に、盛夏にはしばしば訪れていたものより小ぶりである。ヒメクロホウジャクかと後でわかった。

それにしてももう9月も終わりで、間もなく花弁は散り始める。奥さんとも「あと2週間で庭の花も終わりますね」、などとちょうど話していたばかりだった。しかしなにより、忘れず来てくれたことがうれしい。ふたりでしばし見とれてしまった。ご近所が静かに花談義をしてくれるのも有り難い風景に違いない。
(飛来した時スマホを持ちあわせず、画像はネットから拝借。シャコのようなしっぽが印象的だった)

■9/29 行平鍋で黒千石の煮豆を



確か「森の街・津別」の道の駅で買ったアズキ・黒千石をそろそろ煮豆にしようと思っていると、前から欲しかった行平鍋がタイミングよく送られてきた。豆は半分の250gを一晩水につけてから、クックパッドの大雑把なレシピで煮豆を作ることなった。内側に錫がコーティングされた新しい銅製の六寸の行平は使い勝手がよさそうでそれだけで楽しいから、料理に引っ張りだこにしそうだ。取っ手が広葉樹をろくろで削ったという自然ないい模様であるのもすっかり気に入っている。食と道具は、生活の中で大事なパーツを占める。

■9/28 正しく学んで正義の味方を知る

今の政権は比較的人気があると思うのは、首相や財務大臣など一部の閣僚が、私利私欲を超えて国益重視で足並みがそろい、かつ必死に激務をこなしているように見えるからだろうか。忖度ばかりですじの見えないおっさん的政治ではなく、「正義の味方」である。関西のテレビ番組に同名のものがあり、これでは文字通り、誰が正義なのかやや見え易く仕上がっている。これまで本当に見えにくい状況が続いた。

しかし、正義はどこにあるかはボンヤリしていては見えてこないからこれも厄介だ。ネットばかり見ていては、特有のアルゴリズムなるものによって、左をみれば左、右をみれば右にますます寄っていくようにできているから、気を付けなくてはいけない。そこに加え、マスコミが報道しないあたりに正義が眠っているからなおさらだ。

今日の新聞で慶應義塾大学のある先生が「フィルター・バブル」という言葉を使っていた。偏向するよう数多のフィルターが仕掛けられている状況を指したものだろう。フィルターの壁を突き通して正しく学ぶのは難しい。

■9/27 マジック・アワー



小屋のテラスで防腐処理をする間も、周りから枝を集めてせっせと焚く。煙が作業の連れ合い、パートナーのごとく存在感があるのである。そしてか細くなった火の気に枝を足すのが息抜きになる。

黄昏時にならずとも、秋は日脚が長くなって明暗のコントラストも柔らかいのに影が濃く、それだけでわたしは魅入られる。雑木林のマジック・アワーは午後3時前にもう始まる。

■9/26 雁、この秋初見

昨夜の月夜にどこかから雁の鳴き声が聞こえたような気がした。今朝は小屋で山仕事をしているさなかに、雑木林の梢に雁の編隊が見えた。やはり来ていたのである。しばらく胆振で落穂ひろいなどをするので、これからはにぎやかになる。キノコは出ていない。林床が乾いているような気がする。焦ることはない、昨年の大収穫は10月4日だったから。

■9/25 看板=領域表示=専有=OFF LIMIT(排他)



昨秋新設した小屋の看板について、なんとなく通過する人たちへのアピール効果のようなものを感じている。雑木林という広い庭をもった仮の大地主のようなイメージだろうか。通行車両がサインをゆっくり見ていくのである。雑木林センターの入り口だけでなく保育の実施年表示や、とどめの一発にあたる丸太の「持ち出し禁止」表示などを含めてのことである。150年前はだれの土地でもなかったかのような北海道のことであるから、専有とか土地所有とかの感覚はもともと緩くて、山菜はもちろん、放置してあるものは大体不要のものと決め込んで持ち去る人がいてもあまり不思議ではないが、薪にする目的で準備した丸太まで再三持ち去られては立派な窃盗、こちらにすれば「盗難」である。

これが看板等をまじめに設置するようにしてから、一帯は専有、なわばりなどの排他的な意味を強く持ち始めたようだ。英国のフットパスでは、パブリック・フットパスでも民地の境界によくオフ・リミットの看板を見たが、これは「ここから先は立ち入りダメよ」というもので、昨年来の看板はこの意味を明確に持った形だ。コモンズと銘打って手入れしているにもかかわらず排他的なアピールをするのは一見矛盾しているように見えるが、保育の産物を再利用することまで共有をうたっているわけではないので、この心理的境界線の認知はしばし時間がかかるかもしれない。雰囲気と環境を共有するという意味は、言うは易し、慣習として行うは難し、である。

■9/24 秋分の日にボリボリ初収穫



快晴の日が続くこのごろ、小屋の周りにはまだボリボリ(ナラタケ)は出ていないが、帰りに立ち寄った大島山林にはぽつぽつと目に入った。しかし、蚊はものすごい。逃げるようにフットパスをめぐって戻った。

秋分の日の「致知」からのメールで、坂村真民の一日一詩として「老いる楽しみ」が紹介されていた。

「老いることがこんなに美しいとは知らなかった

老いることは鳥のように天に近くなること
花のように地に近くなること
しだれ柳のように自然に頭がさがること

老いることがこんなに楽しいとは知らなかった」

秋分の日の翌朝、ボリボリをいただくわたしの思いでもある。

■9/23 一人時間の楽しみ、一人という自然

窓の汚れ落としという年一度の仕事を終えたひとりの黄昏時、居間のソファで本を開いていた時である。この穏やかさはすごいなと思った。この歳ならではの幸せである。しばしば訪れ、しばしば創る一人時間はどこか深いのは、思えば、人間はなりゆきで家族という社会に住むがもともとひとりだったという当たり前にたどりつくからだ。産まれる時も死ぬ時も一人だが、いずれも自分ではどうしようもできず介助されるという事実も予測もずしりとくる。

■9/22 ボンヤリと認知症の境

おととい、スーパーで2年ぶりにホヤを見つけた。隣には貝付きのホッキが5個で1000円の値で出されていた。昨日になって買っておけばよかったと思いなおしてあらためて出かけてみると、ホヤはなく、ホッキもなく、むき身のものが同じ1000円で出ていた。美味しそうだ、と同時に何となく剥く手間が省けると買い物かごに入れた。

台所にたって水洗いから始めようと思ったら、なんと手にしているのはホッキでなくホタテだった。これはどうしたことか。しっかり認識しないまま、ホタテを入手していた。ま、どちらも同じように食欲をそそっていたし、同じ場所に同じように置かれていたにしろ、台所でしばし唖然とした。これは問題が整理されるまで家人には内緒にしておこうとだけ思った。ただのボンヤリなのか認知症の始まりなのか。なにか、認識という手間を省いて自動的に処理していないか。

■9/21 『小さな村の物語 イタリア』

BS日テレの2007年に放送開始した長寿番組は、毎週土曜日の夕方、ビールなど飲みながらほぼ欠かさないで見る珍しい番組である。およそ化石のようになりかけた「家族」と、鍛治屋さん、パン屋さんなど「小さな生業」が主役で出てくる。一村一品、テロワール、アグリツーリズムなど日常的な地域振興の芽がふんだんに顔を出す。さすがイタリアである。目を見張るのは住宅の堅牢さと内部のデザインセンス、インテリア。村というバランスの取れた舞台も美しい。それに畑にでるにも庶民はどこかおしゃれである。

Wikipediaにはこんな風にある。《…幾多の歴史・文化に根差して、海なら海、山なら山、平地なら平地、それぞれの土地の気候や風土に自分の暮らしのリズムを合わせて生きる イタリアの小さな村の人々。形式上は紀行番組でありながら、実は、イタリアの特別でない"普通"の村人の人生を見ることで、「理想郷とは?」「人生をどう生きるか?」「美しく暮らすとは?」ということについて 哲学的に(あるいは、しみじみと)考えさせてくれ、また、見終えると親や友人に連絡をとりたくなるような番組を目指して制作されている》

また、番組概要はこう描かれている。
《美しく生きるということ…。
気候や風土に逆らわず、共存しながら暮らす。
先人たちが築き守ってきた伝統や文化を誇りに思いながら生きる。
人間本来の暮らしが息づく「小さな村」が今、注目されています。 
海に臨む小さな漁村、山肌にはりつくように佇む村、雪に覆われた山間の寒村…。
古き良き歴史と豊穣の大地を持つイタリアで、心豊かに生きる人たち。
〝豊かに暮らす 美しく生きる〟とはどういうことなのか。
私たちが忘れてしまった素敵な物語が、小さな村で静かに息づいていました。
番組ではありのままの時間の流れを追い、
村人たちの普段着の日常を描いていきます。》

豊かに暮らす、美しく生きる…。近年の日本では死語になりかかった世界ではないだろうか。大都市集中とは真逆の、こんな村なら住みたいと思わせるのではないか。こちらの日常はといえば、そんな世界に戻りたい、戻れないかと、あがいているようにも見えてくるのである。

■9/20 朝の集中

朝型、夜型とよく分類されるけれども、昔、小説家なんかは執筆仕事を深夜から朝までやったとよく聞いた。しかし、社会科学系の方の仕事ぶりなどを仄聞すると、大事な仕事は朝だというケースをよく聞く。確かに、パソコンに向かってする仕事などは朝に一気に進めた方がいいような気がするし、楽器の練習も午後や夕方よりも昼前の方が新鮮で身が入る。

いや、漠然と朝、というより、もっと正確に早朝という方がいいのかもしれない。瞑想も寝起きがいいと勧められたこともあるし、お茶を飲んで瞑想して散歩に出るという哲学者のルーチンを聞いた時には、ああこれが理想かなと思ったもの。体力知力とも残り少なくなってきたら、自分の身体の日周期に生活のリズムを合わせるというのは意外と肝心だということに気付いている。

■9/19 久々の「だし」


今日の素材は、みょうが、長ネギ、青じそ、カイワレ、しょうが、なす、これに天かす少々を加え、そばつゆで味付けした。これにあぶった油揚げなどを刻むのがわたしの定番だが、今回はさらに固くなったブルーチーズを摺って粉をほんの少量散らした。先日作ったばかりの山椒も一つまみぱらぱらと散らしてみた。家人は、このチーズ風味が気に入らず「もっとナチュラルなものを食べたかった」とクレームが来た。このごろはかように食へのこだわりが保守的になり反目することがある。お互いに結構わがままで自分の好みを貫くのである。わたしは十二分においしかった。冷やした日本酒とぴったりだ。スーパーでは安い恐らく地物のアナゴがあったのでこれも初めてアテにした。

■9/18 土地とよそもののボランティアをつなぐ役目考

「もうそろそろ役員を降りようと思って」というAさんに対してわたしは「この森とボランティアをつなぐために死ぬまで頼みますよ」と言った。「冗談じゃないですよ」とAさんは笑いながら答えた。あらためて考えるまでもなくAさんは今年もう喜寿を迎える。そういう当方だってあと数十日で後期高齢者だ。

わたしがこう答えたのも、もう10年以上前にこの町内で「よそものがやってきて森の木を伐り始めている」という評判が立って町内会とひざ詰めの3,40人からなる会議が開かれ、世話役兼事務局のわたしは単身代表して出席し「吊るし上げ」状態の質疑が交わされたことがあったからである。関係者のちょっとした手抜き、行き違いから生まれた誤解であることや、よそ者ボランティアの行為は理にかなった合法的なものでこちらにまったく落ち度はなかったことが結果的にはわかってもらえたし、これを機会に理解が増え入会する人も出たほどだったから、雨降って地固まるを絵にかくような出来事だった。

だから町内に住むAさんには、何の仕事もしなくてよいから、ただいるだけでよいから、と慰留したのである。ただ「死ぬまで」は余計だったかなと後悔した。それは二つ年下の当方のこれからを考えても当然のことだった。確かにこの組織の先のことはわからない。こういう時のわたしの覚悟は「その時はその時だ」である。これは解決策が思い浮かばないとき、わたしがこの歳でたどり着いた当面の肚の据え方であった。


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