晴林雨読願望 take /草苅 健のホームページ ![]() ![]() 勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている |
一燈照隅 雑木林だより 新里山からの日常発信 |
地域活動15年の歩みとこれから 勇払原野の風土を共有する ![]() |
●コンテンツ一覧 ●日々の迷想 2023 & 2024& 2025 2021 |
first upload: Nov. 29 , 1998 last upload: Jun 22 , 2025 |
日々の迷想 ■6/24 薪の館、発見して真似してみた ![]() 家人が2,3km隣の町内で「薪がたくさん積んである、うちと似たようなお宅があった」、というのでなんとなく見当を付けていってみた。なるほど、狭い敷地に息苦しいくらいに薪が積んであり、普通の一軒家では1年で使い切れない量だ。拙宅よりちゃんとして見えるのは市販の薪スタンドあるいはログラックというものを使っていて、一列の薪小屋にも木造りで屋根がかかっている、そしてそれはDIYのようでもある。 それではちょっと拙宅もログラックなるものを使ってみようかと、早速ネットで注文した。長さが2.4mくらいで高さ1.3m、幅は35cm、これを少し斜めにして道路側に寄せた。ベランダとの間に2mほどスペースが出来て動線が生れて、かつ、後ろにバケツや庭道具、自転車などが隠れる。それと地面と薪が接することがないので乾燥にはいいようだ。これでなんとなく、気分が一新。花も飾り始めたので、朝晩、ほうきで掃くのが楽しくなった。 ■6/22 やっと見えた明治維新の実像 昨朝、「翔ぶが如く」全7巻を読み終えた。今朝、雨降りしきる明け方に著者司馬遼太郎のあとがきを読んで茫然として時間を過ごす。茫然の訳はこの半年の間、暇を見つけて10pから20pというノルマを課して体力勝負のような読書をしてきたせいだ。それと維新という言う意味がようやくうすぼんやりからややはっきりと見えた安心、それと終了の安らぎのせいもあった。歴史を知らない70男が中でも興味が高かったのが幕末から明治維新とその後のあたりだった。この作品によって激動と表現される舞台裏を垣間見ることができたが、しかし、どうも言葉に尽くせない。示されたスペクタクルがあまりに大きい。茫然の理由はそこにもある。 司馬氏が15年来考え続け4年数か月で書き上げたというこのシリーズは、明治維新のあたりから明治10年の西南の役と呼ばれるエンディングまでを、西郷隆盛という実像のぼんやりしたヒーローと、近代日本の骨組みを実務した大久保利通を軸にして描かれているが、そこに薩長土肥の立役者とその配下、朋輩のエピソードが細々と拾い上げられ、時間と人を行ったり来たりする。記述の繊細さは、まるで著者自身のメモではないかと見まがうほどで、読むわたしの方はとても覚えきれない複雑さと量である。追いつけない迷路のような混沌に付き合わされる訳だが、わたしはフォローするのをすぐにやめた。また後半の6巻と7巻は中南九州一帯に展開された戦況を、地名や地形を丁寧に描写しながら克明に記述されるが、これも字面を追うだけで理解はできなかったし、読むのが苦痛だった だが明治維新というのが、武家社会だった日本が西欧標準に近づくにわか仕込みのリストラだったという実像は、これでもかというくらいに浮かび上がった。廃藩置県、廃刀令、地租改正、士族の消滅など、国の土台となる制度を根底から崩す荒療治を、たまさか維新前後に関わって勝者となった役者たちの、かなり恣意的なやりくりで進んでしまった。それほどの急ごしらえだった。ひずみは不満を募らせ、そのエネルギーは各地に貯まった。暗殺や反乱ののろしが挙がるのは当然だった。が、日本は欧米列強に近づく近代化の必要もあった。 司馬氏はあとがきで、日本の今を治めている官の機構は、所詮、「太政官政治」であること、それと同時に、関心を深く持って見つめているのは「土地問題である」と書いている。令和7年のこの激動と国民の不安も、そんな明治とその延長にあるととらえると、これまで遠くの時代と眺めていた明治維新とその後が、多少だがつながりを持って見えてくる。2段組、9ポほどの小さな活字、約330pの7巻という体力を使った本読みのおかげで得難い収穫が残った。2025年の記念すべき読書時間だった。 ■6/19 森林公園へ ![]() 身近なところを継続的に散歩するには少しばかり工夫がいる。ルートを代えたり、今なら花のきれいな庭を探して巡ったり、それも飽きたら数キロ車で出かけて市の森林公園や北大の研究林などへ。昨日は久々に初夏の緑ヶ丘公園と森林公園へ出向いた。カラマツ広場から展望広場までのコースがわたしには最も手頃だが、家人には笑われるほどショートルートである。けれども、歩くだけが能でない。山道のベンチや、池の芝生の椅子で何も考えないで座っているのは、歩くのが体にいいのと同じくらい、頭の休養になる。気温は28℃になっていたが、水面を渡る風で涼味抜群だった。 お知らせ 数日前、ニュースレター第34号をリリース。 ■6/17 スズメの集団子育て 居間の正面にあるオンコの茂みの中で、スズメの雛が元気に鳴いている。時折、物置の屋根に居たりするのを観察すると、くちばしが黄色く動きも鈍い。ところがそういう状態のところでわたしが庭に出ると、親鳥と思われるスズメがギョジギョジギョジギョジ…とけたたましく鳴いて尾羽を激しく上下させる。声は警戒音のようだ。ここまでは他の鳥でもよくあるが、うちの庭の場合、この警戒音を出されてほんの間もなく数羽のスズメが必ず駆け寄るように近くから飛んでくるのである。集団防御体制というのだろうか。近間で子育て中の母親たちの連携というものか。こんな観察をしていると、生き物との共生とか環境のシェアとかが、実にすとんと腑に落ちるというものである。鳥の観察は本当に楽しい。できればもう少いろいろな鳥が来ればよい、と思うが餌付けはちょっとためらわれる。残念だ。 ■6/15 ジュンサイ採り ![]() 去年も個人的に採ったジュンサイは、コモンズのメンバーにも若干のファンがいる。ただ、日頃から山菜に関心があって色々愉しんでいる人でも、ジュンサイ採りをしている人はまずいない。 6/14 は地元のひと数人と、ジュンサイ採りの下準備をした。月末に招待の予定。 ■6/13 バカになって打ち込まないと見えてこない世界 ![]() ![]() 山仕事に追われてサクラマスの時期に浜に来るのが遅れてしまった。海でフライロッドを振るには、バックからの風を受けないと無理だから、北風の吹く日を windy で見当をつけて出かける日を決める必要がある。5月以降、その北風の日とわたしの都合が合わなかった。もうサケ稚魚を追って水際で撥ねる魚は見当たらない。何度も通い、見て、地元の釣り人に最近の様子を聞き、考え、作戦を立てて試行錯誤しないと、釣りは成功しないのだ。これは釣りに限った話でなく、どの途でもバカにならないと先は見えないもののようだ。右と左に、10本ほどの投げ竿を立てた釣り人がいた。 ■6/11 約15立方の徐間伐、やればできるもの 霧雨の降る薪ヤードで今季の最後の自宅用薪割りをした。横取りされて失ったものもあるから、昨年11月から週2日の山仕事で合計15立方メートル(およそ通常の薪暖房3年分)の玉切りをしたことになる。そのうち10立方メートル以上の薪割りを今日の昼過ぎに終えた。長い手間のかかる時間が流れたが、林もきれいになって手応えのある山仕事だった。こんな風に少しずつ量を積み上げる仕事をしている間に、出来上がる総量と、それにかかかる手間を概算する歩掛の見当などが、随分と正確に出せるようになったような気がする。こまめな手仕事による「経験知」だ。これは意外にズシリした自信と喜びになる。「経験知」、これこそ歳をとるということか。 ■6/8 暗い小屋は落ち着く ![]() 気温18℃、くもり。新緑を過ぎると葉の茂り方は急ピッチで、小屋はたちまち暗い状態となる。しかし悪いことばかりでない。明るい林がまるで映画館の絵のようにみえるばかりか、読書に集中できる。電池を使った安い卓上ライトで十分本を読める。暗い小屋は引きこもりの大人の隠れ家だ。ひとり感覚を満喫できる。瞑想日和。 ■6/6 高齢者二人で薪割る 薪づくりはまだ続く。昨日は家人を連れて薪ヤードに出向き、薪割り機で2立方メートル近い薪を割った。重い丸太を持つ役目とレバーを引く役を交代しながら、終わってみるとずいぶんの量をこなしたなあ、と思う。家人は言う、「もう歳なんだから、買ったら?」。確かにそうだけど、薪づくりは、ひょっとしたら畑づくり同様、あるいはそれ以上にマイペースでできるのである。だから、80歳までやるぞ~と言い放っているのを、家人の方は見るに忍びないようだ。ともに70歳を超えた二人が、次々と薪を割っていく共同作業は、しかし悪くない風景だ。意外と強烈な思い出になる予感がある。それに家庭円満と互いの精神衛生にも一役買っていないだろうか。 ■6/4 大木のある風景 ![]() 財団の理事会で久々に札幌に出た。会場のホテルに向かう際に、大通りでプラタナスの大木に出会った。「こんな大木があったのか」。直径1mもある。ヨーロッパの都市で羨んだ大木が札幌の街の真ん中に存在する。 さらにその終了後、北大の農学部のある研究室に向かう時には、さらに太い、直径3mになんなんとするハルニレと向かい合った。これはわたしの学生時代に比べて明らかに大きくなっているはずで、こんな大木の存在に気づかなかった。 この大木の姿形で風雪に耐えているのは驚きだ。その、確実に経た年月に思いをはせる。強風時には枝も落下する。芝刈りの作業員も土木工事も錯綜して人通りも多い。田舎生活がもっぱらのわたしは、この人込みと錯綜が過度によるトラブル、つまり事故を連想させる。事故は確率の問題で保険で対応、とドライに割り切るのだろうか。自然保護系の有識者が、枯れてきたポプラの伐採に際してそんな発言をしていたことを思い出す。都会とはそういうことか。なんとも…。ああ、横道にそれた、大木の存在に対する感動だった。 ■6/2 ホヤをいただく ![]() 根室や三陸で新鮮なホヤを食べてから、ホヤは特別な食材に格上げされた。街のスーパーの店頭にも一時期殻付きのホヤが出るので、魚屋さんのクルージングが欠かせない。ああいうグロテスクなものをさばくのも楽しいものだ。今回はむき身のアカホヤを購入。アカホヤは道内産と聞くが産地は明示されていなかった。ミョウガ、カイワレとともにいただいた。磯の香りが濃い。 ■5/31 雑木林休暇 ![]() 山の先輩が雑木林に遊びに来られた。テラスで2時間余り歓談。持病や闘病など病気の紹介、山仲間の近況、大学の経過、それともろもろの社会問題、もちろん間には植物、鳥、昆虫の話しが挿入される。脳内活性化の時間でもある。山と森づくりに特化されたライブラリーも紹介。ここの林床に人工的に広げたスドキ群落も自慢。 |