晴林雨読願望
take /草苅 健のホームページ

 


勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている


一燈照隅
雑木林だより

 新里山からの日常発信

地域活動15年の歩みとこれから

 勇払原野の風土を共有する

  



●コンテンツ一覧
●日々の迷想 2023 & 2024& 2025
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Jun 01 ,
2025

日々の迷想

■5/31 雑木林休暇



山の先輩が雑木林に遊びに来られた。テラスで2時間余り歓談。持病や闘病など病気の紹介、山仲間の近況、大学の経過、それともろもろの社会問題、もちろん間には植物、鳥、昆虫の話しが挿入される。脳内活性化の時間でもある。山と森づくりに特化されたライブラリーも紹介。ここの林床に人工的に広げたスドキ群落も自慢。

■5/30 居場所を得る意味と光景



今年も5月の末になって小さな庭を飾る花の苗を植えた。わたしの花飾りは珍種やデザインを極めることなく、ただただ凡庸にモリモリにするだけである。その種の持っている本質を十分に発揮していくのをじっと見守るという楽しみである。不思議なもので、花屋さんでまとまった数量の苗を買って数日庭で慣らしてから、わたし流のレシピで用土と元肥と肥料を配合して水をやると、2日後には写真のような勢いを得た表情が見て取れる。まるで、これから数か月咲き誇ってみせるよ、という覚悟というのか居場所を得た安心のメッセージというのだろうか、その短い時間で表情を変える経過をしかと見逃さない。思えば、季節というのはこうしたサインの連続のことではないだろうか。

■5/28 歌にみる庶民の共感 33

ここのところニュースが庶民っぽいと思ったら、それは米(こめ)の話しだったから。インタビューされる庶民も選び抜かれた庶民っぽい答えをしている。ニュースは親族殺人、移民の暴力、SNSに喧伝される嘘情報、困った話は高齢者の詐欺被害。よくもまあ1000万円以上の大金をやすやすと盗られるものだ、といいながらこちらも偽メールに引っかかりそうになるから他人のことはいえない。しっかり頑張ろう、われら庶民連合!

◎天井の木目を見つつさまざまの思いは古(ふ)りぬ家もわが身も   竹原市 Oさん
…眠れない夜や風邪で寝込んだ日など、あかず眺めていた天井の模様。しみじみ自分とはだれか、ふと考える、そしてどこからか将来どうなるんだろうというちょっとした不安。と、今の部屋を見渡すと、壁や天井には情緒を刺激する模様などない。

◎履歴書を間違えぬよう書いている間違いだらけの人生なのに   熊本市・Nさん
…自分のことかと膝を打って改めて共感。人生、間違いだらけと突き放すと、しかし、やや開き直って落ち着ける。もう残り少ないはずなのに、あの時はこうすればよかった、と後悔をやめていない。ひとつ確かなことは、もう悔やんでも戻らないこと。そうは知っていても、折に触れ湧いてくる後悔。だから、自信をもって明朗な言葉で考えを述べる人をまぶしく感じる。

◎倒れぬよう幾度もたしかめ八尺の脚立に桃の花摘みをする   山梨市・Tさん
…目に浮かぶ光景と心配り。高齢になればもう脚立や梯子はご法度なのだが、雪下ろしや果樹の世話はそうもいかない。だから何度も確かめためらいつつ登るのである。わたしにも二回り近い歳の差のある兄から果樹が届いていた。脚立の光景を想像しながらお礼の電話をするのである。わたしも来週は脚立に乗って、オンコとレンギョウの刈込みが待っている。準備をして、自己責任だ。

◎毎日がフェイクニュースに漬かりいてだれも笑わぬエイプリルフール  宇部市・Kさん
…右と書けばだれかがすかさず左という。上と下、効果ありとなし、善と悪。身近なところではコロナワクチンは効果があったのかなかったのか、害はなかったのかあったのか、未だにはっきりしないが、思えばそんなことの繰り返しだ。オーソリティーは正解を出してほしい。が、一体どっちなのだという疑問の結論は、自分で出すしかないのはつらい。正解を聞いて信じるというわけにはいかないものか。

◎野の卓に老夫婦いて助六の輪ゴム外せば春静かなり   東京都・Aさん
…何と懐かしい田園風景、と想像したら東京の方だった。イメージされるのはおとぎ話のような光景である。助六寿司が効いている。野の卓の周りはタンポポが咲き桜の花びらが散っているのか。

■5/25 トキシラズ VS サクラマス

魚屋さんの店頭にトキシラズが出てきた。「世界のサーモンの中で最もおいしいのは苫小牧沖のトキシラズ」というグルメの評判をわたしはずっと信じており、最寄りの店頭に並べば、高すぎない限りシーズン中何度か食することにしている。実のところ、いつも苫小牧沖というわけにはいかず、時には釧路沖、昨日は様似産だった。家人が寄った店の人は、トキソラズとサクラマスを比べつつ、今日のものならサクラマスの方が脂が乗っているようだと言ったらしく、家人は食べ比べるべく切り身をひとつずつ買って夜は楽しいサケマスの宴と相成った。今回は身の柔らかいサクラマスの方が甘く味わい深いようだった。

■5/23 丸太運びを終える



小屋周りの徐間伐で里山的風景はこの30年足らずで着実に様相を変えた。しかも今年の新緑は一日ごと深みを増している。1年分の薪を確保するのにやはり1週間がかりという歩掛は妥当なような気がする。ひとりでたった1週間で冬の燃料が賄えるなら、驚異的でないか。今季は量が少し増えたために薪割りと薪運びに計2日を別に要したが、林からヤードへ丸太を運び出せばもう一段落である。晩秋から春先までの山仕事を、時間の無駄と見るか収穫とみるか。写真は今季最終便9往復目

■5/22 今年は普請の年か、人生の晩期はそもそもが普請か

なんとか身の周りをこぎれいに、安心で幸せな状況を創っておきたい…。こう思って手を打っているうちに、その行為を一言でいえば何なのかを考えた。メンテナンス、ケアという横文字が浮かんだが、先日の物置補修の作業を思い起こして「普請」なる言葉が落ち着きがいいように思える。おのれの身体も含め、身の周りも普請を要するものばかりである。昨日は静川の雑木林ケアセンターのベランダで防腐処理の段取りをした際に、基礎の丸太が何本も腐って揺れるのを発見した。屋根の雨覆いも腐っている。これは本格的な普請が必要だと、結構なまとまりのノルマ感覚が生れた。これもじっくり付き合わねばと思う。こうしてキーボードを打っているパソコンもOSもそろそろ入れ替えを待っている。

■5/20  病気自慢からボケ自慢

人生は70歳から、などとやせ我慢のような妄言をはいても、身体能力、理解力、判断力などは確実に落ちてきた。とくに基礎部分の認知能力は顕著で、これが聴力の衰えが大きく作用しているようだ。補聴器を付けるのが面倒になって、まあ聞こえないことは関知しないことにしよう、という無精をかこっていたら「これじゃあ、ボケる」と自分で警告のシグナルがともった。ドラマのつぶやきはもちろん、会話のキーワードを軽々と聞き漏らすから必死になって聞き耳を立てなければ世間からどんどん遠ざかるのである。

その点、アナウンサーの発声は素晴らしい。会話の語句の一言一言に音量の差がなく、すーっとすべての語句が明瞭に聞こえる。やはりプロだと関心するがこれを一般に求めるのは不可能だ。しかし確かに難聴からボケは始まる。正確に言えば難聴の「放置」から、だろう。70歳を過ぎる頃から、友人知人らと病気自慢を始めると話が長くなるようになったが、ボケも同様、大なり小なり高齢者に共通する症状だが、実は笑いごとですまない。笑ってとぼけてこらえているだけだ。老いとはそういうもの、悄然と受け入れよ、というが凡人は不安と安心、悲観と楽観を行ったり来たりし続ける。

■5/17 ハスカップ自生地探検隊



探鳥会の後、有志で出かけたハスカップ自生地は、乾燥化など驚くような現状だった。ホザキシモツケの繁茂に行く手を阻まれながら、これでは市民のハスカップ摘みも阻まれている、と想像された。かつては薮漕ぎを得意にした山男のわたしがウンザリする状態である。昨年は単身で薮の突破を期して進んだが敗退し、今年は多勢を頼んで踏査してみたが志半ばで戻ることになった。写真は、そんなヤブを突き抜けてたどり着いた、ちょっとなつかしいオアシスであった。

これまでいつも思ってきたのだが、こんな風に郷土の風土を代表するハスカップにたいして、実際に現場に足をおいて関心を寄せる「後見人」のような人びとは一体どれくらいいるのだろうか。いなくてもいいのか。わたしもかなりいい加減な付き合いしかしていないかもしれないが、風土と住民のあり方、あるべき方向というのは断言できるものがわたしにはない。従来の自然保護運動とは違うなにかであるべきだが、その具体像がわたしにはまだ見えていない。発信する組織のようなものがやはり必要なのか。

■5/15 断捨離とデスクの整頓



長い休暇の間に豊川町の実家の食器棚や洗面所などひととおり断捨離した長女の最後のターゲットはわたしのデスクとあいなった。ニレの集成材の厚い一枚板を特注して作ったシンプルな机だが、雑多なものが積み上がっていて、わたしにはとても便利で重宝なスペースだったが、家人や娘には不評だった。やったことはデスク整頓と言えるが実質的な気分は断捨離に近い。いわく運気があがるという前評判を作業を見、手伝っていて実感した。

わたしも断捨離のようなことをまったくしていない訳ではないのだが、重点的に本気でするのは限定的で、庭と里山の雑木林、それとたまに車、そして今年はようやく物置に着手したばかりだった。つまるところ、断捨離とは胸の膨らむ空間を創ることである。つまりイヤシロチである。身近な机、居間、庭、隣近所、家庭、コミュニティ、所属する組織やグループと対象は限りなく広がる。人間関係まで含めばその難しさがわかるというもの。したがって、近年のわたしはイヤシロチ創造が人それぞれの抱える人生の目的ではないか、とさえ考えるようになった。

■5/12 新緑のはじまりに



待ちに待った春の到来。目とこころの保養に、雑木林を歩く。3代にわたって手入れされた若い林(林道左)はなんとも清々しい。育林コンペのスタートエリアの1代めは平成9年から苫小牧のレクリエーション協会、2代目は12年からしばらくの間をわたし、3代目は25年からoyama さん。



家人と娘の3人で、大島山林でスドキ、静川小屋譜方面に移ってコシアブラ。2025年春の山菜ピークがついに来た。長い休暇を終えてビル街に戻る心境はわたしにはわからないが、今年は山菜採りと料理を楽しみ、薪仕事に打ち込んでくれ、家の断捨離を進めてくれた。ちょっと申訳ないほど手伝ってくれたので、わたしにも新鮮な2週間だった。

■5/9 自宅薪の搬入と薪積みという手仕事の意味



連休の晴れの日を利用して今年の薪の準備をほぼ完了した。単純な手仕事を安全に着実にこなしながら、頭を空っぽにする営みはいいなあ、とあらためて思う。娘や家人との語らいも増える。「晴林雨読」の実践でもあるから、晴れた日のいい光景だけが頭に残る。

■5/7 連休は薪づくり

今日は4月下旬から続く山仕事、薪づくりの骨休め。家人と娘が手伝ってくれるムードが自然に出来上がっているのはうれしいが、娘にはせっかくの連休を、父親の薪仕事に使ってしまい申し訳ないという気持ちもある。ただ、心のどこかにデスクワークや映像現場での仕事に従事する東京の日常では、結構なのリフレッシュにもなるはず、というわたしの勝手な思い込みと甘えもある。研究林での山アソビや山登り、キャンプ、カヌーなど、アウトドアのたしなみは幼少のころからさせてきた(いや、親の趣味につき合わせてきた)から野外は嫌いではなさそうだ。家人の方は昔、山おんなだった(今や都会志向で、デパート巡りなどは大好きだ)。それに一般に言われることだが意外と山仕事、林の散歩、薪割り、薪積みは心を癒すのである。本当のところの精神医学的効果はわからないが、非日常的な環境のもとで繰り返しの多い単純作業を、桜咲く広い緑のヤードでできたことは何かの思い出になってくれればよいな、と思う。そういえば、と思い出して去年の連休の「雑木林だより」を開いたら、まあ、似たようなことをしていた。

■5/6 歴史の中の北海道風景

明治期以前の日本の歴史を眺め渡すと、その中心は近畿であったり九州であったり、15世紀以降にようやく関東あたりが顔を出すような感じで、わが北海道ははるか遠くに人口密度の極めて低い未開地という歴史的位置にある。この歳になって、ようやく実像のようなものがぼんやりと感じ始めた感がある。先日、武光誠著『渡来人とは何者だったか』を読んでいた時など、朝鮮半島を経由する大陸との文化と人の往来を俯瞰するうちに、その変化の速さ、滅亡と存続のスピードに振り回されて訳が分からないほどで、かえって混沌としてしまった。武力集団や豪族あるいは国家という観点に立てば、北海道は霞の向こうであるが、蝦夷地を別の視点でみれば別の歴史ストーリーもあり得よう。幕末明治に至って、ロシアの侵略に備えた国防意識のようなものが芽生えて対応が始めるが、しかしその後の開拓から開発に至る150年は激動の変化を遂げることは、わずか1世紀の間に500万の人口を数えた世界史の稀有な事実を想っても夢のようでピンとこない。日本という国家はここに至って薩長土肥の維新活躍集団が、縦横に活躍するのだが、これも試行錯誤のイキアタリバッタリのヒヤヒヤもののようだったことも時の緊急性を偲ばせる。あまり格好のいい話ではなかった。

■5/4 旅の願望



旅は最小限の荷物しか持たないために所有物を切り離すことになり、そして自分の言葉を単純化することになり、かつ様々な人間関係を生ずるために自分を変化させる、のだという。なるほど、それは旅の魅力の一面を端的に言い表している。さらに旅先にはパワーアップする風景やモノもある。高い山、広大な海や川、巨木、巨岩は、古来、神々しいものの代表である。特に巨岩は地質年代の遠い時間が神々の依り代を感じさせるのだろうか。近くでは支笏湖の苔の洞門が隠れた人気スポットだった。

今日新聞の歌壇で読んだ「磐座(いわくら)に降りくる神に囀れる」という俳句に、広島厳島神社の弥山(2016 写真右)の大岩や沖縄の斎場御嶽(2011 セーファーウタキ=左)を思い出した。異界のような存在に驚嘆して我を忘れた。いずれも再訪したいパワースポットである。と同時に、股関節痛で登れなかった熊野古道のゴトビキ岩が頭に浮かんだ。是非動けるうちにリベンジしたいと心に誓ったのだが、家族はみんなやめておいた方がいいと冷たい。秋には奈良の山の辺の道の北ルート(昨秋は南ルート35km)を歩くので、桜井市の磐座(いわくら)神社を拝みたいと思っている。旅への期待、その期待そのものが生きるうえで大きな希望と励みなっている。

■5/2 浜ボーフウ



先日、帰省したばかりの長女と家人とで前浜に浜ボーフウ採りに出かけた。4月半ばには見つけられなかったのに、小さいものでももう左の写真ほどになっていた。畳1,2畳の広さに群生しているところもあるなどから推して、地域の人は浜ボーフウをもう食していないのかもしれない。40数年前、泊りに来た義父に写真右のように酢味噌あえにしてご馳走したことがあった。日本海沿いの岩内の人だったが浜ボーフウは初めて食べたといい、「うまいもんだな」とちょっとお世辞のように感想を語ったのを思い出した。舌の肥えた長女は「うまい!」とひと声。小一時間ボーフウを採った後は、海岸から山に向かいついでにアイヌネギもひと掴み採った。すき焼き用の牛肉が用意してあり「アイヌネギの肉巻き」にする、と彼女は言っていたのだが出てきた料理はシンプルでとても上品な「アイヌネギの牛肉炒め」だった。材料を見て方針変更したのだという。素朴に炒めただけで双方のうまみが良く出ていた。

■4/30 偉大なる林、生える木、そして木材や薪

物置の床と足回りの一部が腐ってしまい、基礎を持ち上げてちょっとしたリフォームを施した。腐れの原因は物置の壁に掛けたハンギングバスケットへの水やりだった。確かに実に長い年月、6月から10月上旬まであふれるほど水をやったので水浸しになったのは事実だが、乾くものと信じていたのが無知だった。だが逆の方に考えれば、水の処理を間違わなければ35年を優に無傷でこなせるわけだ。



静川のカラマツログは28年経過で途中15年ほど前にログエンドの処理をして昨年は防腐剤を塗ったので、あと30年以上はいけるだろう。昨年、法隆寺を参観した折、南大門の千数百年前の太い支柱の根元がつぎはぎされていて、学芸員のような宿の専属ガイドによると、地面に触れる部分だけ腐ったので集成材のように継ぎ足してあるという。確かに陶器の金継ぎのように宮大工の腕によるのか、精巧に補強されていた。

木の生えた林は美しく四季を彩り、生える木は適宜利用され、木材となれば処理を誤らねば1000年ももつ。万が一倒れて腐った場合はバクテリアに分解され、土に還る。その途中、薪として熱をとれば貴重な暖房となって二酸化炭素となって大気に戻る。林や木や木材との日常的な付き合いを改めて振り返ることとなった2025年の冬から春。薪ストーブの小道具類を物置に仕舞った。明日から5月、春モードに代えていこう。

■4/28 人生相談

実に様々な悩み相談である。お悔やみ欄とともに、毎朝読むのを欠かせなくなった。今や重点的に目を通す個人的なポイント。新聞紙面内の位置づけにおいてこの人生相談はいつの間にか急上昇してきたのである。その一方で政治や行政、経済の記事の重みランクが少しずつ下がった。世間から少しずつフェードアウトする歳のせいだろうか。それとも、政治や国際関係などはネットですませているからだろうか。

ところで新聞の相談で意外と多いのは夫婦、兄弟、親子という家族間の問題である。好きで一緒になった夫婦間の乖離もすごい。当然ながら離婚が増え、子供たちの犠牲はむごい。お互いの人格を無視したような事例に果たして自分なら耐えられるだろうか、と自問するときもある。横暴な夫がおしとやかで従順な妻の性格を蹂躙する…、人格破壊もでてくるのである。その逆もある。夫と妻、親と子、兄弟姉妹同士が、折り合いよく付き合うのはかくも難しいものかと溜息が出る。確かに、一度ひびが入ってしまった関係は戻りにくいから、お互いどう身を立てておくかが決め手になる。

恐らく、修養という言葉が縁遠くなった今日、この手の揉め事は減ることはなく増える一方だろう。挙句、裁判沙汰になって、事件発生時に罪を犯した側のこころの状態を調べるのに膨大な時間をかけるようなって久しいが、多くの人が病んでいると言えばそもそもことごとく病んでいると言わざるを得ない。

人の生きる道というのは、意識して求めていないとたどり着かない。明治期前の家制度というのも窮屈ではあったが秩序ではあった。英語のhomeを家庭と訳した明治後、変遷があり、今日の夫婦別姓の議論に繋がっている。大東亜戦争後、GHQは忌まわしく強い日本を崩壊させるためには家という仕組みをこわすために「核家族」を埋め込む必要があると考えた、とどこかで読んだ。親子だけがすむユニットを想定して集合団地の歴史は出来上がった。かつて人としての十全の感性は、基本ユニットとしての多世代同居の家で育まれた、ということか。残念ながらそこに自由はなかったということだろう。わたしたちの悩みは根深い。さて、どうするニッポン。




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