晴林雨読願望 take /草苅 健のホームページ ![]() ![]() 勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている |
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●コンテンツ一覧 ●日々の迷想 2023 & 2024 & 2025 2021 |
first upload: Nov. 29 , 1998 last upload: Sept 15, 2025 |
日々の迷想 ■9/15 歌に見る庶民の共感 38 机の前に渡部昇一著『日本の歴史』と竹田恒泰著『日本国史』を置いていつでも開けるようにしている。そして実に良く開く。俳句、短歌、天皇の御製などを読む流れは、日本の歴史という大河の中に浮かび、とりわけ俳句は庶民の今を歌っているように見受ける。日本各地の庶民は元気だ。 ◎雨ふれば学校休む友のいた遠い昭和の傘の黒さよ 仙台市・Uさん …学校休むのは知らず。しかし珍しかったし貴重だった。わたしの郷里の実家には屋号入りの唐傘が何本かあったがさすがに通学には使った覚えがない。ただ黒い傘の骨を有料で治しに来る商売人がいた。鍋の鋳かけなども同じ職人だったろうか。昭和はそんな時代だった。 ◎先生はテキパキし過ぎて淋しいと老の患者ら口口に云ふ 所沢市・Kさん …まぶしい人もいる。まぶしいとつい本音が言いにくい。少し陰りのある、もごもごした、不明瞭なくらいの語りの方が、患者の気持ちがわかってもらえそうな、明朗な医者がやや反省を込めて投稿したものか。年寄りの気持ち、わかる。でも、そうか、と笑い飛ばす医者も好きだ。 ◎勤続の賞状持ちて面会せる六十男を母は褒めおり 小山市・Tさん …勤続だけでも十分立派な仕事。そんな当たり前のことを言ってくれる人などもういない。人生のハードルをうんと下げて自己受容することを、老いてから知った。 ◎うたた寝の妻へ団扇の風送るだんだん年取り愛おしくなる 田 川市・Hさん …これもちょっと昭和の風景っぽい。風送る行為の時、はっと気づく夫婦のきずな。もとは赤の他人なのに最も近いとは。検査入院で六人部屋に入った時、高齢の男性が呟いていた。 ◎大病の後の断捨離西日さす 行橋市・Nさん …気落ちして断捨離を決意か。病床で活用に見切りをつけた。断捨離は気持ちひとつだがそこまでの道のりが長い。痛ましいが大病は背中を押した。諦め、覚悟、西日はそれを慰めてくれる。 ◎洗脳の解けし八月十五日 八王子市・Tさん …八十年前、洗脳は解けたのか。戦争に傾斜させた集団規律は崩れたが、GHQの洗脳は今も効いている、と実は米国が驚いているという。東京裁判史観、戦後レジーム…、開明、脱却の日は来るのか。八月十五日はまだ揺れる。 ■9/14 前線通過の後始末 昨夜から今朝未明まで前線をともなう低気圧が通過して、庭は花々のコンテナが倒されたりした。からっと晴れた朝、荒れた後によくあるあっけらかんとした久々の惨状が目に入った。太陽と惨状がきわめてチグハグに映るのである。ベランダのテーブルも閉じたガゼボ(日よけパラソル)ごと飛ばされていて風の強さをしのばせる。まさにちょっとした台風一過さながら。 襟裳岬は風速30m弱、白老では12時間雨量370mmなど雨風は台風並みだったから予想以上の規模のようだが、雨のことばかり気にとめ風は頭から飛んでいて、そのうち収まると看過してしまった。そして気づいたときには夜半で暴風雨が吹き荒れていた。外に出て移動するには遅かったと観念して、被害が軽微であることを祈った。 草花はしかし良く耐えた。ハンギングは花弁がかなり落ちた以外はほぼ無傷、問題はコンテナだがこちらは倒伏の際に伸びた茎があちこちぐしゃりとつぶされてしまって、自慢だった四方見はまったく台無しである。人気ない五時過ぎ、ポット本体や底石や植物破片を数軒隣まで拾い掃き回った。掃いて取れない路面にこびりついた花弁は、乾いてからもう一度掃き集めることにしてひとまず家に引き上げた。花々は大ダメージだが、数日もするとなんとか元に戻ったかのように復元するのが常だ。植物は樹木と草花を問わず、時間経過とともにさりげなくすき間を埋め元に戻る生命力が救いだ。植物は歩き回ったりせず動きは遅いが、強いことにはあらためて感心する。 東北の実家で、イネや果樹や野菜などの暴風雨被害は子供心にも胸を痛め見てきたけれども、被害は結局受け入れ諦めねばならない。わたしたち日本人の精神のどこかに、この天災に対する諦め、従順さのようなものがいつのまにか埋め込まれているようだ。そうでないといつもひやひやして泣いてばかりいなければならない。これは戦いとか征服とは真逆だ。 ■9/13 朗読の魅力 徳冨蘆花の『ミミズのたわごと』を読んで、明治の文豪はすごいなあと思った。その流れで昭和の文豪のひとり、谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人の女』を手にした。谷崎の本は実は読んだ覚えがなく有名な随筆『陰翳礼讃』を開いた程度だった。この小説もうまいなあ、すごいなあ、とほとほと感嘆する。と、何気なく時折就寝前に聞くNHKラジオの朗読の番組を見ると、この小説が読まれているので早速聞いてみた。25回だとか書いてある。この朗読がまたうまい。男と猫と二人の女性の心のひだを、谷崎はきめ細かく読者を引き込むように描いて目を離せないが、朗読はそれより一段と凄味があって「引きずり込まれる」。ネットの解説をみたところ、「会話の軽妙さと人物描写を見事な関西言葉で俳優・本多信也が朗読」とあった。恐るべし、芸。 ■9/12 手づくりの愉しみ ![]() お盆のころに始めた看板の木彫りが順調に進んで、おとといの 9/10 、枕木の添え木に挟まれた看板をほぼ水平にはめ込むことができた。穴は深さ50cmと決めて掘りこんだが、人間の水平を審査する目は鋭いので水準器を使って何度もレベルを採るのに難儀した。そんなこんなで、行って戻っての手間数や枕木のとてつもない重さを考えれば複数人で簡単に片づけるのも手であったが、こつこつと少しずつ木彫りをするのは、まるで円空にでもなったような静けさ、穏やかさがあり、それをひとり、林の環境でこなせたことは喜びに昇華していくようだった。作業はいろいろ道草して彫り始めて足かけ8日目か9日目になるだろうか。 ■9/11 陰と暗がり 丸太小屋の内部が極端に暗いので気が付いたが、暗がりや闇にこそ神が宿ると思う日々がわたしにもあった。川幅2,3mほどの小さな清流の暗い深みにすら、なにか特別な生き物がいるようにも見えた。そのころ、ドイツ文学者の高橋義人著『ドイツ人のこころ』を読むと、かのドイツ人は黄昏時に人間が変わるのだという話があり、これも光線の陰りが特別な意味と影響を持つと示唆していた。林の暗さは黄泉の世界という理解や、罪びとが逃れるアジールという特性を持つことは、柳田国男の本やその後の経験で静かに重く認識をするようになった。 そんな回想をしていると、ひょんなことから谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』という随筆があったのを思い出して読んだ。アッケラカンの丘の上の晴天ではなく、薄暗がりのなかにこそ日本的美があるというのはわかるような気がする。が、この本で谷崎が指摘するように、文明は隅々まで闇を排斥し明るくする方向で日常を制覇してしまった。 山形の田舎の夜は、家の人たちが遅くまで畑に出ていたために家周りが明るくなるのは陽が落ちてからだった。その懐かしさはネパールやインドのトレッキングの際には、本格的に、かつ否応なく再現され、心身共にその薄暗がりに従った。暗がりは自己内観に繋がり、ひょっとすると宗教も近しく感じる。夜明けは文字通り希望である。こういった陰翳のある時間は、人間にとって実は涵養の秘薬となって教科書などより人の成長のために不可欠なものだと思う。 ■9/10 清流のある公園 ![]() 人工股関節手術をして丸4年経過し5回目の定期健診のため恵庭へ。帰途、千歳の青葉公園に立ち寄り公園を一回りした。北の方で千歳川と接して橋の上から清流が眺められる。よく整備された公園で住宅地にも近くアクセスもしやすいから老若男女、利用者も多い。清流に出会えるという公園はうらやましい。つい、川底や淵に魚影を探した。 ■9/09 難聴はやはり要注意 補聴器を使用し始めて丸2年。この間、聞こえないことは認知能力を低下させるということを体で実感してきた。聞こえないことをどうでもいいこととして聞き耳も立てず聞き流しているうちに、認知し理解し判断するという一連の動作をさぼってしまうである。その方がラクチンだから。自分でも次第と認知しなくなることを自覚するのだから、これはまずいと、意識して補聴器を付けるようにしていたのだが、その高価な補聴器の片方を6月に山仕事中に紛失してしまったのだった。(-_-;) 大方の高齢者にとって認知症はかなり身近な心配の種である。認知症なんて自然であり病気じゃない、などとうそぶいてもやはり不安感は誰もが持ち合わせているのではないか…。 と先日、タモリと山中伸弥教授のNHK番組「知的探究フロンティア」では認知症克服のカギを特集していて、難聴状態を防ぐことが認知症予防でもっとも重要なことの一つとされていた。高齢者はこれに孤立感を避けることだ、とされた。というわけで、難聴改善=認知症予防、と両耳装着へのとどめの一発を喰らった格好だ。再度高価な(ほんと高い)補聴器を買い、常時装着するようにするのか、しかしまだ迷っているところ。当座しのぎに使い始めたスマホのイヤホンタイプの集音器がまずまずの性能であることも理由の一つであるが、はてどうしたものか。 ■9/08 久々に観る金星とシリウス 未明の3時半過ぎ、2階の踊り場の東向きの窓からひときわ明るい星が見えたので、窓辺で見直したらなんと懐かしい金星のきらめきだ。右上には少し明るさをおとした、なんとも大人しい木星が出ていた。もしやと寝室に戻って明かりを消して南の空を臨むと、なんとシリウスもいる。 気づかなかったが正面に三星を真ん中にオリオン座すら座っている。晴れれば毎夜星空を眺めるにもかかわらず、星空の季節感はまったくつかめずにいたようだ。本音を言えば、夜9時から10時はこのところスター級の星が見えず、ボケ―っとお月さんを眺めたり、流れ星を待つだけだったからである。これは不覚だった。 ■9/07 花苗の生産力 ![]() ![]() 毎朝5時ころ、かなりの花がらを箒で掃くのが夏場の日課である。夜半に風が吹けばその量たるや相当なもので、道路まで散ったもの、時には向いの庭先まで飛んだ花がらまで片づけに行く。こうして日々集めた花がらは毎週2回、雑木林の小屋の裏の方の穴に捨てて土に還すという連環である。 小さな庭の掃除はお寺の雲水もかくやと思われるささやかな作務のようなもので、偶然こちらも作務衣を着て掃く。犬の散歩の人らもまだ通らない。開花と落花は、光と水とわずかの肥料で数か月続くこの再生産のドラマであり、そしてハンギングバスケットの砂利に芽生えた実生苗とそこに結んだ新しい花(写真右)はけなげな芽生えだ。生命の転変と向き合う時間はほぼ無我状態とあいなる。 ■9/06 小屋は冷暗所 ![]() 小屋の外は26℃、中は21℃。外で一輪車を操りながら、腐朽した薪材をもうボロボロの土になった有象無象とごっちゃにし何往復か移動して小屋に入る。と、中はエアコンの効いた空間のようだった。しかも暗い。汗がスーッと曳いていく感じが気持ちよい。そして薄暗がり。日常ではなくなりかけた明度であり、汚れもゴミも隠すばかりかこちらのほうも部屋の片隅に埋もれていく物体に変身するような、ちょっとした隔絶感がある。そのなかで明かりをつけて小屋日誌「雑木帳」に来訪をメモし本を開く。 ■9/05 シルバー川柳 「そろそろやってみるかなあ」。『シルバー川柳 きらめく昭和編』(河出書房2025)を読んでの感想だ。 登場するほとんどの作家はわたしより年上で、このくらい笑い飛ばせば人生後半が楽しくない訳がないし、笑い飛ばす元気は積極心そのものだ。ラジオ深夜便のぼやき川柳はもちろん、新聞雑誌の川柳欄はたいがい耳と目を通すので日頃から親しみは抜群だけれども、実は創ったことがなかった。絵手紙も20枚ぐらい書いて遊んだが、出す相手さがしも一苦労するなあ、などと言いながらとうに止めてしまった。川柳はどうか、またこの倣いか。とりあえず浮かんだらメモは取ろうかと思案中。 ちなみに今日乱読した川柳、いずれも秀作ぞろいだった。立ち止まったのは、 「数値では死んでいるはずと若い医師」 「お互いに結婚詐欺で五十年」 ■9/04 「みんなが悪かった」「みんなの責任」 自民党政治が危機なのか、結局組織が未熟でお粗末だったなのか、うんざりもし心配もしてみている人も多いと思う。おや、と思ったのは「悪いのは〇〇だけでない。みんなが悪かった」という総括。日本人特有かもしれない最後の逃げで、結果的にうやむやにして誰にも重い責任がないという、小中学校のクラス会議でも出るようなおきまりの結論だ。 その点明治以前の人はすごかった。責任を感じたらさっさと自刃するのである。自分ならどうか。責任は逃げたくないが、かといって腹を切る勇気は正直ない。身を引いてどこかに籠ってしまうことならできそうだが、さすがにそんな安易なことでもなさそう。(-_-;)。 ■9/03 煙突掃除の準備 九月になったらそろそろ自宅と小屋の煙突掃除をしたいと思う。これまで自宅は屋根に昇る必要もあったので業者に頼んでいたが、幸い薪の質がいいので煙突のトップの掃除が不要のようだ。脚立に乗って地上からで十分できそうなのだ。煤も少ない。委託作業は結構な経費が掛かるので、これからは必要な道具を用意して自分でやることにしよう。今日、札幌に器材の買い物に行くと、道具は1回の作業費程度だった。 雑木林の小屋の方はいつでも良い。いつものとおり、晴れた日にひとりでするがこちらは道具はすでにある。札幌の気温は31℃、戻った苫小牧の居間も30℃もあった。そんな日に、過ごしやすい秋を呼び込むべく冬の準備をする。これも嫌いではない季節感である。 ■9/02 ついに一線を越えられなかった英語 先日、若いころの黒柳徹子さんが英語でインタビューを受けているシーンを見た。とても流ちょうな英語で質問を100%理解して答えているようで実に羨ましさを覚えた。見ていたわたしは、反射的に英語の会話能力についての無念さを思い出した。 この思いは長年月の努力が報われなかったという悔しさそのものである。実に、10代のNHKの基礎英語、英会話はもちろん、成人後のマチの有料の英会話教室や札幌通勤時代は駅前の英語教室に出入りしたものだった。時間もお金もかなり費やしてきた覚えが一方にある。 が結果的に英語を母国語とする人たちとのスムーズな会話はできずに人生を終わりそうだ。どういう訳か度胸だけはあったので、単身で英語を使う海外旅行も複数回経験したが、めざしたような英会話の壁は越えられないうちに、難聴になって日本語すら正確に聴き取れなくなってしまったのである。 あとちょっとだったような気もする。だからこそあの越えられなかった一線、壁のようなもの、非常に悔しい。唯一の救いは第二外国語としてしゃべる外国人の face-to-face の英語は辛うじて聴き取れることか。その腹いせではないが、you tube の日本食の英語動画や字幕の映画などにはいまだもって執心して向かえる。しがみつくような学習意欲だけは十分にあるのは我ながら呆れるが、ひょっとしたらこれが救いかもしれない。こうなったら生涯学習だ!…世間ではこういうのをあきらめが悪いとか、往生際が悪いなどというが、費やした過去の時間を無駄にしたくないというのだから、これも一種のケチな根性と言うべきか。 ■9/01 歌に見る庶民の共感 37 人間の行動というのはそれが意図的なものである場合は、何らかの動機があり、その源に感動がある。芸術には感動を呼び起こす宝が潜んでいて美しさや優しさや快さや潔さや、しばしば美味しさなども加わる。せめてその感動の機会を日々の暮らしの中に持ち続けたいもの。 共感は感動の親戚みたいなものだ。今回の共感は老いが主題となった。当方のアンテナがそちらに伸びているせいか。ところで、猛暑の2025年夏、少しずつエネルギーが細くなってきたようだ。行ったり来たりでわずかずつだが。 ◎萎ゆる足とめれば聞こゆ力あるきんぽうげの声すかんぽのこゑ 志摩市・Kさん …急ぎ足では風のように過ぎる風景や野原の音も、静かな足どりならば別の物音が聞こえる。生き物の声が聞こえるようになるためには「衰え」が必要だと気づかされる。衰えや老い、時に恵みだと発想の転換をする。 ◎物語が三百ならんでいるようなシニアの集い三百の顔 仙台市・Eさん …このごろ当方も、この300は自叙伝の数だ、と気づいた。ある一時期共に、あるいはすれ違った友人知人それぞれの人生に思いを馳せる余裕がシニアにはある。シニアの集い、実はLINEなど使えば今は簡単にできるが、なに、二,三人の立ち話でよいのだ。その一歩。 ◎悩みつつ庭じまいする六月のアナベルの白美しすぎる 岩倉市・Fさん …今年限りで庭づくりをやめることに悩むのである。だが庭じまいは、どんなガーデナーにもいつか来るさびしい現実だ。庭じまいはやがて近所や通りすがりのマチの人へのメッセージとして伝わる。でも「淋しくなるね」とは言わない。言う側がさびしくなるから。 ◎「常念で雷鳥見たね」思い出を語りき友逝きて十年 東京都・Hさん …思い出を語る時間、友人、場。これさえあれば老年もうるおいがあるだろう。九〇歳を超えた高齢者はよく言ったものだ。「周りに知っている人がいなくなった」。きっとそのくらいの境地になると、いい友達を持てたことや、大事する関係を保てたことにしみじみ感謝するのだろう。今からでも遅くはない、はがき一枚、メール一本でもつながりが復活する。 ◎欲しき物食したきもの特になくデパートにいて老いを意識す 兵庫県・Wさん …まさに。もっとも端的なのは服。もう着ないだろう服がタンスに一杯。本はかなり処分したが、読みたいものは幸いにも次々と出てくる。食べたいもの、飲みたいものがあるうちはまだいい。そのうち、それも消えるのかと思えば、つらい。体を萎えない程度にほどほどに鍛え、雲り過ぎないよう感性を研いでおけば旅行だって行けるし味わえる。その積極心をどう維持するか。心身を鍛える?言うは易し。 |