| 晴林雨読願望 take /草苅 健のホームページ ![]() ![]() 勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている |
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地域活動15年の歩みとこれから 勇払原野の風土を共有する |
| ●コンテンツ一覧 ●日々の迷想 2023 & 2024 & 2025 2021 |
first upload: Nov. 29 , 1998 last upload: Aug 10 ,2026 |
| 日々迷想 ■8/10 今年5つ目の流れ星 雨が多い今年は、残念ながら蚊がいる。それでも、蚊取り線香をたきながら庭で今年5つ目の流れ星をみた。靄がかかっていたのか、見落としそうな細い飛翔体だった。昨年は9月と10月だけでもまとまって5つ見たと記録にある。流星群が来ていただろうかと調べると、有名なペルセウス流星群は8月で、確か期待したのにこれは天候か何かで見られなかったのである。流れ星を数えるのは楽しい。 ■8/09 大助(キングサーモン)のカマの照り焼き ![]() 今年は例年6,7月ころに魚屋さんに出る「トキシラズ(時知らず)」を全く見なかった。店員に聞けば当分入る見込みないという。一方7月上旬ころ解禁になった地物の毛ガニも高くて手が出ない、と思っていたら、米国産キングサーモンのカマが3つで約600円、それが半額だったので少し迷いつつ買い。出刃包丁で大きな鰭をたたききって、それでもしっかりした、脂ののった身が詰まっていた。もちろんトキシラズのカマもおいしいがもうとんと出回らなくなった。というか、もっと頻繁に、ひょっとして午前と午後の2回、店頭をみないとダメか。もっと店員情報を得るか、港の市場にいってみるか。専門家に聞いたところでは、鮭はまったく岸寄りしていないらしいから、次の気象変動、海流変化を待つしかないのか。どうも遠い話になってくる。 ■8/08 不思議な読後感『ドミトリーともきんす』 ![]() 穂村弘氏の対談で知った高野文子氏の作品を3冊読んだ。これはジャンルとしては漫画。どこか手塚治虫風の科学シリーズのような趣があり、実に不思議な読後感だった。このところ、就寝前の20分ほどは林芙美子著『浮雲』の朗読を連続してきいていて、その戦中戦後のねっちょりした心象風景、どちらかというと太宰治風の心中もののような展開になっていたせいなのか、雰囲気を一掃するような一冊だった。 湯川秀樹、朝永振一郎、牧野富太郎、中谷宇吉郎という4人の科学者が、「ともきんす」という奇妙な名前の寮に寄宿して、科学者的言辞を述べるのである。あくまでも4人が述べてきたこと、書いてきたことに基づいているようだが、挿入も組み合わせも面白く、内容が深い。 上の写真の右上のドミトリーの玄関と間取りは、なんと十勝岳のふもとにある白銀荘というヒュッテ(今も残っているはず)を参考にしており、ここは中谷博士が雪の結晶の研究をしたベースでもある。わたしも深雪の山スキーをするために何度か泊ったことのある有名なヒュッテだが、そういえばここでビールの過冷却の現象を初めて見て、サイエンスなるもののにおいを嗅いだ気がしたのを覚えている。主が出してくれたビールをつごうとしたら、急にムクムクと氷の泡が出てきたのだった。 ■8/07 立秋 胆振地方はオホーツク海高気圧からくる空気に包まれて、北海道でも珍しい低温だった。22℃からせいぜい23℃である。申訳がないくらいの過ごしやすい天気で、24節気の季節感一致をまたもや納得する一日になった。今日は立秋である。一方、熊本は39℃近いというから大変な避難生活になるだろう。そこへ山火事が発生したという。台風も近づいている。熊本に住む山仲間のその後をほかの仲間が案じて囲むように情報を交換している。リンクした坂村真民の詩には、力をつくしてあとは神仏に任せよ、とあった。迷ったり悩んだりしたときには、こういう天の声のような言葉にふと気づかされる時がある。 ■8/06 「ほむほむのふむふむ」、穂村弘を読む ラジオ深夜便の番組「ほむほむのふむふむ」で知った穂村弘氏が、ある時に札幌出身であることがわかった。しかもその後まもなく、大学の山のクラブ(昨年創部70周年を迎えた)の後輩にあたると聞いて二度びっくりしたことを覚えている。その後、氏の短歌やエッセーを読む機会があって、ああ、なかなか今風の才能をお持ちだと気付いて以来、こんどは名前がよく目にはいるようになった。いわば、このみちの売れっ子の一人である。かつて歌壇俳壇でデビューしエッセーもものにする俵万智さん、黛まどかさんと共通するが、なんと3人とも1962年生まれである。 ふと、穂村弘対談集『あの人に会いに』を見つけ読んでいる。読むと、北海道人では珍しく現代日本の文芸にかなり強くコミットしていて、とくに詩や漫画、映像などクリエイティブな、かなり先端的な表現者とつながりを持っていて、しっかり響きあっている。谷川俊太郎や横尾忠則、荒木経惟など、庶民からみればいわば雲の上の、別世界の著名人と交友がもてているのである。こんな人は身近なところにはまったくいないから、こちらが後輩だなんだと勝手に親近感を感じていたのがちょっと恥ずかしくなった。しかしとにかく、謙虚で好感が持て、言葉選びにキレがあって心地よい。 ■8/05 オーナー看板表示による所有感覚と責任感覚 ![]() ここ、苫東コモンズの育林コンペでは11のエリアを個人、またはグループが管理している。管理、というところをオーナーという仮の名を使って表示したのが変わっている。登記など所有権にかかわるものでなく、あくまで仮のオーナーであり、ある期間であっても自分が責任をもって見守り管理する、という誓いを促したものである。開始して30年近くも経てば、やはりひと気があって放置された林とは一味も二味も違う。「自分の林のように大切に目を掛ける」。 みんながそうとは言えないが、その気構えはだいじなことだ。土地そのものまでとは言えないけれども、林や自然は基本的に共有すべきでないだろうか。植生は放置すると荒れる日本という風土において、管理できない状況で林を専有するだけでは工夫が足りなさすぎないか。そのとっかかりとして林は「ノウハウと腕と志」のあるものがコモンズのように関わっていける気運や状態をうまく醸成できないか。そういった意味で、育林コンペは地味だが気の長い社会実験のひとつだと思っている。 ■8/04 ジムへ顔出し 時々、筋力もつけておきたいなどと思う。歩き続けるのが最終目標だが、歩くだけでは飽きるしどうも物足りない。そこで気まぐれにコミセン2階のトレーニングルームに行ってみた。昼飯時だったので利用者はほとんどおらずランニングマシンなど小一時間、ちょっとした気分転換だ。ランニングとまではいかず時速5km程度のジョギング、それに自転車もやって心拍数をあげてみる。こうしていると、人工股関節周りの可動範囲は広がるようだ。 気になるっているのはふらつきだ。片足立ちができなくなって大分なる。めまいではなく、靴を履くとか階段を上下する際に必ず手すりを使うように、支えを要するようになったのである。メニエールではないと専門医に言われたことがあり、AIの解答を見る限りでは軽い小脳梗塞の線が近い。少し気を付けておこうと思う。 ところでコミセンに出入りする高齢者には完全によぼよぼの人も多かった。きっと将棋や囲碁のサークルかと思う。ジムに来た高齢者はたしかに髪は薄くともしっかりしていた。それに比べればこっちの方がヨボヨボだった。本来ならジムではなく文化サークルの方なのだろうが、逆らいたいのである。放置すれば錆びるのは何度も経験してきたからだ。老化、衰退に反抗してさてどこまでいけるか。 ■8/03 花々がやっと誇り始める ![]() ハンギングバスケットやコンテナの花々がようやくもりもりになってきた。園芸店の店先ではもっとも安価な花ばかりだが、何の心配もなくただ咲き競う花が100個も揃えばちょっとした壮観で「氣」が発し始めるように毎年感じている。これからは咲く傍らから種を着けて10月を迎える。 雨ばかりの毎日から急に日が差して花弁が少し焼けたように見える。ちょうどシーズン折り返しのような日なので、念のため化学肥料をあげた。丸いハンギングのために脚立で上部もチェックしたが、花柄がたまることもなくきれいだった。撮影は朝5時ころ。 ■8/02 小屋番 10時、雑木林の小屋着。長雨で落ちた林道の枝を拾い、帰りはフットパスを通って戻る。今日の万歩計は3.2kmだった。自ら勝手に引き受けている小屋番は、「できるだけ足繫く来て」「居る」のがメインの仕事で、特に今は山仕事はほぼ休業。刈払いなど暑くてごめんだ。不快な作業は年寄りの体に悪い。居るだけでいい仕事とはわれながらうまい言い訳で、風呂屋の番台みたいだ。そんな事情でテラスの木陰で『イギリス的風景~教養の旅から感性の旅へ~』を読む。早朝の続き、佳境に入ってきた。 ■8/01 なぜか懐かしさがあふれる風景 ![]() 今年6月の旧陸別駅の朝の風景。郷里に鉄道も駅もなかったにもかかわらず、初めて訪れた昨年も今年も、なぜなのか懐かしさのようなものを感じるのである。 大きく開けた早朝の青空、錆びた鉄路、どこにでもある線路わきの木立、目に入るのはただそれだけである。70歳を超えるころにこちらに開拓に入った関寛斎翁の功績など思い浮かべずとも、平和で平穏な人々の営みを連想させるような何かがある。ひょっとして昨今失いつつある鉄路への哀愁なのか、とも思われるがよくわからず、ひょっとして来年も訪れることになりそうな予感がする。 ■7/31 ホザキシモツケの夢 何の暗喩だろうか、朝方にホザキシモツケの夢を見た。ホザキシモツケといえば、湿原がちょっと乾いたあたりとか原野にふつうにあって、あまりに特徴がなく地味すぎて、しばしば邪魔な藪であった。近年は、ハスカップを被圧している、とわたしが糾弾して先日の踏査ではホザキシモツケの濃密な藪を漕ぐのを回避して回り道したくらいのものだ。 起きてから、彼らホザキシモツケには年輪があるのか、調査や研究の成果は出ていないのか、検索してみたが分類と園芸のほかは釧路の植栽試験レポートだけだった。さすれば、AIである。ホザキシモツケには年輪があるのか、と聞くと、あるにはあるが細すぎて判然としない、と出た。なかなか納得のできる答えだ。結局、夢に何か意味があったのか、わからずじまいだった。 ■7/30 庶民の間にある目に見えない溝について 対面する相手や周りとの間に、ある時ふと気づく溝、あるいは壁のようなものがある。俗にいうイデオロギーのようなものと、それを持たない当方のようなものでも感じるもの、たとえば従軍慰安婦の問題や河野談話への反応だったりする。そこに見え隠れするのは贖罪意識である。最もわかりやすいのが南京事件の有無に関するもので、「あった」と信じ反省し贖罪すべきと主張する人との間は、溝が埋まるのは至難だと思われる。 それこそ岩盤のような信念だ。試験の勉強ばかりにうつつを抜かし近現代史のほとんど素養がなかった当方などは、いい年になってからの読書という学習によって「あったんだろうな」という何となく染みついた歴史感覚から割と楽に脱出できたが、それでも当初は「まさか」という気持ちだった。完全にマインドコントロールされていたとしか思えないし、それが周囲も常識化され、事実そう教えられていたのである。この目に見えない溝による分断が解消される日はくるのだろうか。この根深さは深刻だ。 ■7/29 エドワード・グレイのFFスタイルを真似る ![]() ![]() 名著『フライ・フィッシング』を書いた英国人・エドワード・グレイは、晩年、フライで川に立つときは杖を突いていたのを昔映像で見た。たしかに危なっかしい状態であった。近年当方もこれをまねて杖を使い始めた。川に車を横付けにして、ゆっくり川床の石に気を払いながら進み、ロッドを振るときも左手は杖を握っている。が、よぼよぼは治らない。 そこまでしてやるか。答えは「やるべし」。これは老化のバロメーターであり、筋力衰えの現実を映す鏡だとわきまえている。 ■7/28 コーヒー豆を挽く ![]() このところ、梅雨のように湿っぽい日が続いている。これから数日雨が続きそうなので小屋番は内部の片づけと決めて、道具のようなものをロフトにあげたり、横移動したりした。 小屋時間をもう少し大事にしようと、今日はコーヒーミルの一式を持ち込んで、まず湯を沸かし豆を挽いて、コーヒーを淹れた。インスタントコーヒーもよくできているが、豆の香りはさすがに手作りの重さがある。 ■7/27 暴れ川という風土 人工物の元で繰り広げられる東京の人々の暮らしぶりをTVで堪能した翌日、隣町を流れる川にシンコヤマメのフライ釣りにでかけた。そこはほとんど人と会わない海岸から10km近いところだが、今年の大雨で支流が決壊し小さながけになってしまっていた。そこはソロリソロリ慎重に車で通過した。1時間半のフライを終えてから、ちょっと上流も見ておこうと100m先の橋についたら、なんとコンクリートと鉄の橋がなかった…。 そうだ、ここは暴れ川でいつも流路がえぐられているのだった。砂防のダムが上流にたった一つあるだけという清流である。それと一帯は土砂採掘の業者のエリアであり、道路も彼らの事業に合わせて切り替えられるのである。そうだ、この町は暴れ川の最小限のリカバーをしながら山と海の間の砂利、つまりインフラの基礎となるコンクリートの素材を、ほぼ無限に提供している、そういう風土だったのである。 なんだか、もやもやする。帰途、遠回りして別の川をふたつ回ったが、4,5年前の記憶が危うい。目印の建造物そのものが変わっている。国道に出ると沿道はやはり廃屋が目立つ。海岸の巨大な堤防と港、そして国道という基幹インフラ以外、どうも危なっかしい土台の上にある。 たまらない荒涼感にさいなまれそうになったが、まてよ、これがここの個性なんだと思いとどまる。北海道は当面、まだまだ開拓期で再び自然に戻りかけていると思うようになった所以でもある。かたや、ヒグマもエゾシカも自然離れをして里に愁派を送っている。どうもうかうかしている間に人と自然の、とんでもないダイナミズムの中にいるようだ。 ■7/26 東京のつゆ 新日本風土記で「東京 つゆのあとさき」を見た。何をいまさらと東京の風土記だろうと、多少を斜に構えて、ゆっくりストレッチをしながら見ているうちに、見入った。 太宰治の桜桃忌に集まる喫茶店、朝顔市、ほおずき市、沿線のアジサイ、水止舞、気象神社、雨の外人風景画家、傘屋さんなど路地裏から銀座まで、しかし濃い人情、抒情性はさすがであった。それを雨や梅雨でつないで見せられ、なるほど、雨やつゆは風景であり、風土そのもの、人々も雨つながりとも見れるのであった。 こういったきめ細かさから、歴史も文化も浅い北海道はかなり離れた位置にあるけれども、その軽さ、薄さ、荒っぽさもこれはこれで、「ま、いいか」と日曜の朝が始まった。 ■7/25 スドキの繁殖力 ![]() コモンズの現地は今、春の名物山菜、スドキの花盛りだ。これらが年々生息範囲を拡大させる源は綿毛を付けた種の拡散だ。かつて苫小牧に赴任した半世紀も前の当時は、スドキは苫小牧演習林では「山の神林道の〇○林班」などと情報を得て林班図を基に採りに行ったものだが、今や、その現研究林ではどこにでも見られるようになっている。 ■7/24 木と長く付き合う方法と限界 ![]() ベランダ(2004年制作)の床が一部へこむようになってついに2X8インチの米松(スプルース)をホームセンターで購入し、交換を要するパーツの寸法を測り裁断してはめ込んだ。ベランダはパーゴラ風になっていて街路からは立て板で緩く遮蔽されているが、この板も根元がぶれるようになったため補強した。裏からみれば不細工だが、正面は何事もなさそうに見える。 20年以上もよく持ってくれて有難かった。もともと素材は道産材をやめてレッドシーダを使ったのが長持ちの秘密だと思うが、これは外材に詳しいクラフトマン・Tさんの推奨のデザインと選択だった。が、さすがに水がたまる部位は腐ってきた。防腐剤を定期的に塗って、土台の沈下を時々補正したり、メンテナンスはよくしてきた。そしてこういった補強をすればさらに長持ちできる木材というものの面白さと限界を身をもって強く体験することになった。ベランダはわたしにとって日々の休憩スペースであり春夏秋冬、雨でも降らない限りは結構な時間をここでボーっとして過ごすから、ことさら印象が深いのだ。おかげで年間5つ以上、流れ星をみる。 奈良の法隆寺で、門の太い柱が根元の部分だけ木片で接ぎ木されているのを見た際、なるほど、補強の技と同時に木材の扱い方を教えられたような気がした。話は飛んで、ログハウスの丸太の防腐剤塗布は一昨々年ほぼ30年ぶりだったが、今年は雨覆いの部分の腐れ部分を取り換えようとしている。林のケアも興味深いが、林から生まれる木質材料の扱いまでこうして触れ合うことで、頭の知識だけだったのを、技や手触りを通じてさらに一歩本質へ近づいて深めている、といううれしい実感がある。 ■7/23 タサン志麻さん風ブイヤベース ![]() 家政婦・料理人として根強い人気のある志麻さんレシピの簡単ブイヤベース、今回はサバ缶と冷凍のシーフードミックスを使ったもの。トマトの缶詰もたっぷり入れたので仕上がりはトマト風味に引っ張られたが、レシピどおりにシーフードを塩水で解凍したためか、よく出汁が出ていた。 いつものわたしのブイヤベースは、魚のあらをメインにしてクルマエビとイカを入れてきたが、実のところ多少構えなければいけなかった。その点、志麻さんは「ブイヤベースってめんどくさいからあまり作らないのですが」と前置きしたので、すっかり安心。家政婦・料理人ってこれか~、とぐっと親近感が湧いた。 ■7/22 50代以降をどう生きるか(林住期の人生論) 作家の五木寛之氏が『林住期』を書いたのが2007年だった。そしてそれよりさらに20年前の1987年にエッセイスト・桐島洋子氏は林住期宣言をして再出発ののろしを上げた、となにかで読んだ。そして昨夕、桐島洋子著『林住期を愉しむ~水のように風のように~』を読み終えた。気功、ヨガ、氣、イヤシロチ、パワースポットなどの語彙に当方とも重なる道筋を感じてやさしく引き込まれた。 五木氏の方はかねてから、晩年の生き方を模索するようにして養生や仏教など年寄り応援歌のような著作を数多く書いてきたが、こちら元祖飛んでる女・桐島さんはバイタリティを溢れさせ、シングルマザーとして食や人付き合いにきらめいていて、エッセーなどで話題をまいてきた。ボキャブラリーも洗練されていて美的センスがいいのが伺われた。食と人を仲立ちに、バンクーバーとの二地域居住が楽しく描かれていた。そこに一貫するのはいわゆる美意識だろうか。 特にバンクーバーはまるで「終の棲家」を得たようなはしゃぎぶりで、まさにそうなんだろうなと思った。英国のいいところを寄せ詰めた感は、わたしも行ってみたいところだったために多少見聞きして憧れてもいた。たしか作家の大庭みな子氏だったと思うが、かの地に住んで女だてら、川の河口で船に乗って豪快にキングサーモンを釣っていたという場所だ。開高健のオーパシリーズでも覚えが土地である。 英国のいいところどりは、ニュージーランドも共通する。NZ政府観光局が「人生観が変わる国」というキャッチをのせたパンフレットを作っていたのが思い出深い。行ってみるとその通りだったので強いカルチャーショックを受けた。「世界にはこんな国があった…」。日本のガーデニングの世界でもバンクーバーのブッチャートガーデンが一時とても有名になったことがあり、そこは芦別のテーマパーク「カナディアンワールド」のモデルだと聞いた。 話は変わって先日、林真理子氏が書いた高齢期の生き方を描いた新書を手にして読んでみたが、同じ人生後半の生き方エッセーとしてはわたしが読みたいものとはだいぶ違って50ページほどで断念した。いろいろな林住期があることが分かっただけでも収穫だ。ただ、かくも人生を力強く謳歌してみせる桐島さんが現在、アルツハイマー型の認知症で介護を受ける生活を送っているようだ。人生の冬の時代、林住期の次のステージ「遊行期」を養生している姿も、後進の励みになるような気がする。 補足:五木氏は『林住期』のあとに『白秋期』も書いている。わたしは年齢的にもうこちらに属するようになった。 ■7/21 『王子製紙開業秘話~鈴木梅四郎小伝~』を読む 苫小牧郷土文化研究会の「まめほん」で昭和57年の発行。著者は小林静夫氏、王子製紙の人事部に勤務した経歴を持ち、当時の郷文協の「門脇会長に依頼され」、一年余りの準備を経てまとめられたと編集後記で紹介されている。「まめほん」では王子関係3部作のひとつで、建設の立役者とされる鈴木梅四郎氏を軸に書かれてている。 実に面白く読んだ。鈴木翁は三井財閥の出身で、三井といえば北海道で民間が開拓と開発に参画する際の最も大きな牽引者であったから、その構想の規模の大きさ、計画を進める際の用意周到さと大胆さ、そして肚の据わり方など、どうも尋常でなく大がかりだ。しかも明治43年創業の功労についても鈴木翁は「育てた方々が偉い」と周囲をこそほめたたえている人物である。 長い歴史を見る時に、登場人物はいつも小さな駒でしかない。人々は大きな事業を各々の持ち場で常に役割をこなす歯車のちっぽけなひとつであることが、自分の人生と重ね合わせてみてジンとくる普遍の事実である。その己の住んで歩んだか細い足跡を土地の歴史や、ときに日本の流れの中に見つけ映しとり少しずつ納得していくのは、老いゆく者にしかできない精神活動だと思う。 その際、土地にゆかりがある、縁を持っているというのは実は得難い宝であったことが浮かび上がってくる。常々、たっぷりと風土に触れておくというのも、このような宝につながる縁ではないだろうかと思われるが、こちらはいささかスピリチャルな様相も呈していくので賛同してくれる人はまわりにまるでいない。 |