晴林雨読願望 take /草苅 健のホームページ ![]() ![]() 勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている |
一燈照隅 雑木林だより 新里山からの日常発信 |
地域活動15年の歩みとこれから 勇払原野の風土を共有する ![]() |
●コンテンツ一覧 ●日々の迷想 2023 & 2024 & 2025 2021 |
first upload: Nov. 29 , 1998 last upload: Sept 12, 2025 |
日々の迷想 ■9/12 手づくりの愉しみ ![]() お盆のころに始めた看板の木彫りが順調に進んで、おとといの 9/10 、枕木の添え木に挟まれた看板をほぼ水平にはめ込むことができた。穴は深さ50cmと決めて掘りこんだが、人間の水平を審査する目は鋭いので水準器を使って何度もレベルを採るのに難儀した。そんなこんなで、行って戻っての手間数や枕木のとてつもない重さを考えれば複数人で簡単に片づけるのも手であったが、こつこつと少しずつ木彫りをするのは、まるで円空にでもなったような静けさ、穏やかさがあり、それをひとり、林の環境でこなせたことは喜びに昇華していくようだった。作業はいろいろ道草して彫り始めて足かけ8日目か9日目になるだろうか。 ■9/11 陰と暗がり 丸太小屋の内部が極端に暗いので気が付いたが、暗がりや闇にこそ神が宿ると思う日々がわたしにもあった。川幅2,3mほどの小さな清流の暗い深みにすら、なにか特別な生き物がいるようにも見えた。そのころ、ドイツ文学者の高橋義人著『ドイツ人のこころ』を読むと、かのドイツ人は黄昏時に人間が変わるのだという話があり、これも光線の陰りが特別な意味と影響を持つと示唆していた。林の暗さは黄泉の世界という理解や、罪びとが逃れるアジールという特性を持つことは、柳田国男の本やその後の経験で静かに重く認識をするようになった。 そんな回想をしていると、ひょんなことから谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』という随筆があったのを思い出して読んだ。アッケラカンの丘の上の晴天ではなく、薄暗がりのなかにこそ日本的美があるというのはわかるような気がする。が、この本で谷崎が指摘するように、文明は隅々まで闇を排斥し明るくする方向で日常を制覇してしまった。 山形の田舎の夜は、家の人たちが遅くまで畑に出ていたために家周りが明るくなるのは陽が落ちてからだった。その懐かしさはネパールやインドのトレッキングの際には、本格的に、かつ否応なく再現され、心身共にその薄暗がりに従った。暗がりは自己内観に繋がり、ひょっとすると宗教も近しく感じる。夜明けは文字通り希望である。こういった陰翳のある時間は、人間にとって実は涵養の秘薬となって教科書などより人の成長のために不可欠なものだと思う。 ■9/10 清流のある公園 ![]() 人工股関節手術をして丸4年経過し5回目の定期健診のため恵庭へ。帰途、千歳の青葉公園に立ち寄り公園を一回りした。北の方で千歳川と接して橋の上から清流が眺められる。よく整備された公園で住宅地にも近くアクセスもしやすいから老若男女、利用者も多い。清流に出会えるという公園はうらやましい。つい、川底や淵に魚影を探した。 ■9/09 難聴はやはり要注意 補聴器を使用し始めて丸2年。この間、聞こえないことは認知能力を低下させるということを体で実感してきた。聞こえないことをどうでもいいこととして聞き耳も立てず聞き流しているうちに、認知し理解し判断するという一連の動作をさぼってしまうである。その方がラクチンだから。自分でも次第と認知しなくなることを自覚するのだから、これはまずいと、意識して補聴器を付けるようにしていたのだが、その高価な補聴器の片方を6月に山仕事中に紛失してしまったのだった。(-_-;) 大方の高齢者にとって認知症はかなり身近な心配の種である。認知症なんて自然であり病気じゃない、などとうそぶいてもやはり不安感は誰もが持ち合わせているのではないか…。 と先日、タモリと山中伸弥教授のNHK番組「知的探究フロンティア」では認知症克服のカギを特集していて、難聴状態を防ぐことが認知症予防でもっとも重要なことの一つとされていた。高齢者はこれに孤立感を避けることだ、とされた。というわけで、難聴改善=認知症予防、と両耳装着へのとどめの一発を喰らった格好だ。再度高価な(ほんと高い)補聴器を買い、常時装着するようにするのか、しかしまだ迷っているところ。当座しのぎに使い始めたスマホのイヤホンタイプの集音器がまずまずの性能であることも理由の一つであるが、はてどうしたものか。 ■9/08 久々に観る金星とシリウス 未明の3時半過ぎ、2階の踊り場の東向きの窓からひときわ明るい星が見えたので、窓辺で見直したらなんと懐かしい金星のきらめきだ。右上には少し明るさをおとした、なんとも大人しい木星が出ていた。もしやと寝室に戻って明かりを消して南の空を臨むと、なんとシリウスもいる。 気づかなかったが正面に三星を真ん中にオリオン座すら座っている。晴れれば毎夜星空を眺めるにもかかわらず、星空の季節感はまったくつかめずにいたようだ。本音を言えば、夜9時から10時はこのところスター級の星が見えず、ボケ―っとお月さんを眺めたり、流れ星を待つだけだったからである。これは不覚だった。 ■9/07 花苗の生産力 ![]() ![]() 毎朝5時ころ、かなりの花がらを箒で掃くのが夏場の日課である。夜半に風が吹けばその量たるや相当なもので、道路まで散ったもの、時には向いの庭先まで飛んだ花がらまで片づけに行く。こうして日々集めた花がらは毎週2回、雑木林の小屋の裏の方の穴に捨てて土に還すという連環である。 小さな庭の掃除はお寺の雲水もかくやと思われるささやかな作務のようなもので、偶然こちらも作務衣を着て掃く。犬の散歩の人らもまだ通らない。開花と落花は、光と水とわずかの肥料で数か月続くこの再生産のドラマであり、そしてハンギングバスケットの砂利に芽生えた実生苗とそこに結んだ新しい花(写真右)はけなげな芽生えだ。生命の転変と向き合う時間はほぼ無我状態とあいなる。 ■9/06 小屋は冷暗所 ![]() 小屋の外は26℃、中は21℃。外で一輪車を操りながら、腐朽した薪材をもうボロボロの土になった有象無象とごっちゃにし何往復か移動して小屋に入る。と、中はエアコンの効いた空間のようだった。しかも暗い。汗がスーッと曳いていく感じが気持ちよい。そして薄暗がり。日常ではなくなりかけた明度であり、汚れもゴミも隠すばかりかこちらのほうも部屋の片隅に埋もれていく物体に変身するような、ちょっとした隔絶感がある。そのなかで明かりをつけて小屋日誌「雑木帳」に来訪をメモし本を開く。 ■9/05 シルバー川柳 「そろそろやってみるかなあ」。『シルバー川柳 きらめく昭和編』(河出書房2025)を読んでの感想だ。 登場するほとんどの作家はわたしより年上で、このくらい笑い飛ばせば人生後半が楽しくない訳がないし、笑い飛ばす元気は積極心そのものだ。ラジオ深夜便のぼやき川柳はもちろん、新聞雑誌の川柳欄はたいがい耳と目を通すので日頃から親しみは抜群だけれども、実は創ったことがなかった。絵手紙も20枚ぐらい書いて遊んだが、出す相手さがしも一苦労するなあ、などと言いながらとうに止めてしまった。川柳はどうか、またこの倣いか。とりあえず浮かんだらメモは取ろうかと思案中。 ちなみに今日乱読した川柳、いずれも秀作ぞろいだった。立ち止まったのは、 「数値では死んでいるはずと若い医師」 「お互いに結婚詐欺で五十年」 ■9/04 「みんなが悪かった」「みんなの責任」 自民党政治が危機なのか、結局組織が未熟でお粗末だったなのか、うんざりもし心配もしてみている人も多いと思う。おや、と思ったのは「悪いのは〇〇だけでない。みんなが悪かった」という総括。日本人特有かもしれない最後の逃げで、結果的にうやむやにして誰にも重い責任がないという、小中学校のクラス会議でも出るようなおきまりの結論だ。 その点明治以前の人はすごかった。責任を感じたらさっさと自刃するのである。自分ならどうか。責任は逃げたくないが、かといって腹を切る勇気は正直ない。身を引いてどこかに籠ってしまうことならできそうだが、さすがにそんな安易なことでもなさそう。(-_-;)。 ■9/03 煙突掃除の準備 九月になったらそろそろ自宅と小屋の煙突掃除をしたいと思う。これまで自宅は屋根に昇る必要もあったので業者に頼んでいたが、幸い薪の質がいいので煙突のトップの掃除が不要のようだ。脚立に乗って地上からで十分できそうなのだ。煤も少ない。委託作業は結構な経費が掛かるので、これからは必要な道具を用意して自分でやることにしよう。今日、札幌に器材の買い物に行くと、道具は1回の作業費程度だった。 雑木林の小屋の方はいつでも良い。いつものとおり、晴れた日にひとりでするがこちらは道具はすでにある。札幌の気温は31℃、戻った苫小牧の居間も30℃もあった。そんな日に、過ごしやすい秋を呼び込むべく冬の準備をする。これも嫌いではない季節感である。 ■9/02 ついに一線を越えられなかった英語 先日、若いころの黒柳徹子さんが英語でインタビューを受けているシーンを見た。とても流ちょうな英語で質問を100%理解して答えているようで実に羨ましさを覚えた。見ていたわたしは、反射的に英語の会話能力についての無念さを思い出した。 この思いは長年月の努力が報われなかったという悔しさそのものである。実に、10代のNHKの基礎英語、英会話はもちろん、成人後のマチの有料の英会話教室や札幌通勤時代は駅前の英語教室に出入りしたものだった。時間もお金もかなり費やしてきた覚えが一方にある。 が結果的に英語を母国語とする人たちとのスムーズな会話はできずに人生を終わりそうだ。どういう訳か度胸だけはあったので、単身で英語を使う海外旅行も複数回経験したが、めざしたような英会話の壁は越えられないうちに、難聴になって日本語すら正確に聴き取れなくなってしまったのである。 あとちょっとだったような気もする。だからこそあの越えられなかった一線、壁のようなもの、非常に悔しい。唯一の救いは第二外国語としてしゃべる外国人の face-to-face の英語は辛うじて聴き取れることか。その腹いせではないが、you tube の日本食の英語動画や字幕の映画などにはいまだもって執心して向かえる。しがみつくような学習意欲だけは十分にあるのは我ながら呆れるが、ひょっとしたらこれが救いかもしれない。こうなったら生涯学習だ!…世間ではこういうのをあきらめが悪いとか、往生際が悪いなどというが、費やした過去の時間を無駄にしたくないというのだから、これも一種のケチな根性と言うべきか。 ■9/01 歌に見る庶民の共感 37 人間の行動というのはそれが意図的なものである場合は、何らかの動機があり、その源に感動がある。芸術には感動を呼び起こす宝が潜んでいて美しさや優しさや快さや潔さや、しばしば美味しさなども加わる。せめてその感動の機会を日々の暮らしの中に持ち続けたいもの。 共感は感動の親戚みたいなものだ。今回の共感は老いが主題となった。当方のアンテナがそちらに伸びているせいか。ところで、猛暑の2025年夏、少しずつエネルギーが細くなってきたようだ。行ったり来たりでわずかずつだが。 ◎萎ゆる足とめれば聞こゆ力あるきんぽうげの声すかんぽのこゑ 志摩市・Kさん …急ぎ足では風のように過ぎる風景や野原の音も、静かな足どりならば別の物音が聞こえる。生き物の声が聞こえるようになるためには「衰え」が必要だと気づかされる。衰えや老い、時に恵みだと発想の転換をする。 ◎物語が三百ならんでいるようなシニアの集い三百の顔 仙台市・Eさん …このごろ当方も、この300は自叙伝の数だ、と気づいた。ある一時期共に、あるいはすれ違った友人知人それぞれの人生に思いを馳せる余裕がシニアにはある。シニアの集い、実はLINEなど使えば今は簡単にできるが、なに、二,三人の立ち話でよいのだ。その一歩。 ◎悩みつつ庭じまいする六月のアナベルの白美しすぎる 岩倉市・Fさん …今年限りで庭づくりをやめることに悩むのである。だが庭じまいは、どんなガーデナーにもいつか来るさびしい現実だ。庭じまいはやがて近所や通りすがりのマチの人へのメッセージとして伝わる。でも「淋しくなるね」とは言わない。言う側がさびしくなるから。 ◎「常念で雷鳥見たね」思い出を語りき友逝きて十年 東京都・Hさん …思い出を語る時間、友人、場。これさえあれば老年もうるおいがあるだろう。九〇歳を超えた高齢者はよく言ったものだ。「周りに知っている人がいなくなった」。きっとそのくらいの境地になると、いい友達を持てたことや、大事する関係を保てたことにしみじみ感謝するのだろう。今からでも遅くはない、はがき一枚、メール一本でもつながりが復活する。 ◎欲しき物食したきもの特になくデパートにいて老いを意識す 兵庫県・Wさん …まさに。もっとも端的なのは服。もう着ないだろう服がタンスに一杯。本はかなり処分したが、読みたいものは幸いにも次々と出てくる。食べたいもの、飲みたいものがあるうちはまだいい。そのうち、それも消えるのかと思えば、つらい。体を萎えない程度にほどほどに鍛え、雲り過ぎないよう感性を研いでおけば旅行だって行けるし味わえる。その積極心をどう維持するか。心身を鍛える?言うは易し。 ■8/31 看板の木彫り、一段落 ![]() 楽しい木彫り時間はハスカップのシンボルデザインを彫りこんでひとまず終わった。これから防腐処理をしてペンキで彩色し枕木を埋め込んだ土台と外枠に納めて完了だが、まだまだ時間がかかる。 ■8/30 これが人生の遍歴による成長という変化か ![]() 1975年、茗渓堂からの出版だから今から半世紀前。ほぼその頃に読んだはずで、それからそれ以降の50年間はわたしの仕事人生活にあたる。 驚いたのはその昔は覚えなかったであろう、開墾に挑んだ著者への新鮮な共感のようなものが湧いたことだ。50年近くの勤めを経なければきっと覚えることのなかった感慨に違いない。 勤めを終えて結構元気な隠居のような73歳の今、琴線がふれているのである。それは感傷でもなく、達成感というものでもなく、小さな山もあり谷もあった自分のフロンティアへの振り返りであり、愚直に向き合いあがいてきた己れと勝手に重ねているのだ。世代は違うが日高山脈を挟んで東と西でとおり過ぎてきた山や原野の北海道の風土感覚も少し重なるところがあるのだろう。 著者直行さん特有の、感傷を排した男らしい開拓者のような気骨が淡々と描かれた文章に、かくありたしと心が揺さぶられているのがわかる。ヘンリー・デービッド・ソローの『森の生活』に匹敵する、いやそれ以上の名著だと思う。きっとこの間にそう評価した人がたくさんいたはずである。そう思えばかすかにそんな記憶も戻ってくる。わたしの周りではかつて注目の作品だったのである。 ■8/29 食べたいものを見栄え気にせず ![]() ムール貝が好きだ。ヨーロッパでよく食べたバケツのような容器に入った安いワイン蒸しもいいけれど、不思議なことに冷凍ものでも十分美味しい。それと半端な冷凍イカがあったので、たっぷりのオリーブ油にニンニクの香りを一杯にきかせ厚い鋳物のプレートで加熱。アヒージョである。 大好きなアヒージョが結構なボリュームとあって、ビールを片手にやや興奮気味だったが、スマホ画像に納めたら、ごった煮の山賊料理風になってしまった。しかし、食欲はそんな見栄えを気にせず、大量の具は家人と二人で食べきり、味の沁み込んだオリーブ油は翌昼のスパゲティで再び復活し堪能できた。辛みは昨年奈良の山の辺の道の無人販売店で買ったミニ唐辛子たった1個だった。 ■8/28 懐かし曲を聴いてみる ふと高石ともやのブルーグラス風の曲を思い出して聞いてみた。「私を待つ人がいる」 LPはどこかにあったはずだがもうプレーヤーがない。「丘の上の校舎」もウルウル郷愁がにじむ。ちあきなおみの「黄昏のビギン」も忘れがたく、いつだったか楽譜を取り寄せて弾き語りをしていたこともあった。 竹内まりやの「駅」「人生の扉」、これらは今でもじんと来る。山本潤子「冷たい雨」は何度聞いたことか。エディット・ピアフや米国の3きょうだい・ブラウンズが謳う「谷間に3つの鐘が鳴る」、ときりがない。先日来、カーステレオやパソコンで、モーツァルトやビバルディなどを聞きあさっているうちに、邦楽にもチャンネルをあわせてみたところ、新しい楽しみがみつかった。 ■8/27 開拓や開墾の動機、継続の支え 北海道の開拓そのものに常々関心をもってきた。特に挑んでから多年にわたり艱難をくぐっていった心の支えは何だったのか、は興味が尽きない。たまたま木彫りの合間に小屋のライブラリーで坂本直行著『開墾の記』をみつけ開くと、直行さんはこう書いている。「…それにつけても、あのすさまじい重労働(take注;一日の食事は4回)貧乏に耐えて過ごした三十年は、なにによって支えられていたのだろうかと考えるのですが、それは私をとりまく自然の美しさと、私を打ちのめした自然の厳しさであった…」。 自然の美しさが心の支えになる…。人と自然のかかわりの原点のようなものがこのあたりにある。生きる糧も与えられる。その恵みは実に多様で、美しさ、感動が人を動機付けする。 ■8/26 歌に見る庶民の共感 36 毎週月曜配信の歌壇俳壇で、印象的でマークした歌が貯まったので今日は俳句に絞って共感発露。 ◎世のことは思案に余り花は葉に 高知市・Kさん …情報過多の日々には同感で、また自分ではいかんともしがたいこと多し。身の周りの世間のことは手が届くが世界や政治となると、これほどの情報に接するのは手に余るかも。一方、季節は何事もなかったように巡って花からいつの間にか葉っぱの世界である。この知らんぷりに心休まる。 ◎森凉し一樹一樹の風の楽 香川県・Fさん …木立を巡る風はこの夏、ことのほか涼しく感じる。十分な距離をとった立木は、一斉にではなく個々にかしがる。風が泳がせているように。それを眺めている自分がいる。束の間、幸福すら感じる。 ◎あいそなき顔を揃えて溝浚え 富山市・Fさん …アルアル。ふつう溝浚えは朝少し早い。サラリーマンにとっては久々の休みなのに、そんな思いも顔に出る。町内の付き合いが薄くなっているから尚更知らない顔ばかり。ついつい、仏頂面になっている。知らない人でもとりあえずは朝の挨拶をする、その基本があれば大分雰囲気は変わるのに、それが出ない。女性は比較的それがうまい。 ◎片手つき片膝つくや草むしり 柏市・Kさん …究極のアウトドア活動、草むしり。その際は手やひざをつくのがコツだ。俄然、作業がしやすいばかりか、なんだ自分はこの大地に生きているのか、と地面がいとおしくもなる。膝も手も多少汚れるので、薄手の園芸用ゴム手袋と、膝にはニーパッドを装着して万全を期すとよくはかどるのである。 ◎学校に慣れて「あのね」が増える初夏 相模原市・Sさん …微笑みつつ納得。だって1年生の新学期は日々新しい発見ばかり。授業も体育も友達も。これをうんうんと聞いてあげるのも大人の仕事。先日自宅で庭仕事をしていると下を向いてしぶしぶ学校の方に向かう女の子が目に入った。声をかけてあげればよかったと、その後の数日後悔しきり。 ■8/25 松下幸之助氏と土地成金 7月、屈斜路湖畔に泊った際に湖岸が私有地に蚕食されていた様子から、国立公園の環境行政に携わったKさんと土地の話しになって、歴史の浅い北海道でも土地には土地の古いいきさつというのがあることを仄聞した。実際、北海道にはかつて天皇の御料林があり国有の林野に引き継がれている。Kさんとの話のついでに司馬遼太郎著『土地と日本人』を再び読み直したのだが、最終章の対談相手は松下幸之助氏。氏は商いの神様らしく、司馬氏の問題意識を、不自然な土地成金というとらえ方で表現し、当時の土地ころがしを不労所得と断罪している。 それにからんで司馬氏は、戦前には結構いい暮らしをしていた人でも借家が多く、土地を所有しようなどという欲深い考えがあまりなかったと回顧している。先日のブラタモリでは江戸の前田藩の藩邸が東大の本郷キャンパスになっていることを紹介していたが、江戸時代の各藩の江戸屋敷が公園や財閥の土地になったりしているのは有名だ。明治維新のころの土地の名義交代は目まぐるしいが、そもそも不動産所得などという言葉もなかったのでなかろうか。 ところで秀吉の太閤検地は対象が農地だけで、山林は放置されやがて国のものとなったが国有地や国有林は戦時の資金に役立てる、つまり天皇領という暗黙の合意があったようだとも語られている。そして大方の日本人の潜在意識にはそれを是とする気持ちがあるように思う。ましてや百数十年前まではそのほとんどが誰の土地でもなかった北海道は尚更である。北海道の森林面積554万ヘクタールの55%は国有林で、150/179市町村に散在している。 しばしば訪れるリンク先HP『流れのままに』でSさんは、「「天に富を蓄える」という選択」というブログでマタイ伝を引用し「…地上に富を蓄えるのはやめなさい。そこでは、虫が食い、錆びつき、盗人が押し入って盗みます。むしろ、富は天に蓄えなさい。そこでは、朽ちることも、奪われることもありません。あなたの富のある所に、あなたの心もあるのです。」と訳しておられるのを目にした。土地は公有にすべしという根拠はこのあたりに深く繋がっていると思われる。 ■8/24 過不足なく与えると ![]() 龍村仁監督の映画「地球交響曲」の第1番で野澤茂雄氏が一粒のトマトの種から1万3000個の実を育てるドキュメントがあった。氏はその中で、植物は過不足なく必要なものを与えて安心させると限りなく成長する、植物には環境を読み取る心のような感受性がある、と述べていた。 わたしも植物を育てるもののハシクレとしてこのようなことを感じつつ、また思い描きながら、小さな庭の小さな植物と付き合う際のモットーとしてきた。必要な栄養を、などと連想してしまいがちだが園芸において栄養素を植物体内に移動させるのは水を媒体にするので、必要な栄養以上にまず植物の様子を見ながら水を切らさない必要がある。一度水を切らすとたちまち虫がついたりする。欠乏は外敵を誘引する。 今年、写真のレモングラスとパイナップルセージの小さな苗をコンテナに植えたのが5月20日ころだった。6月中旬ころまで伸び悩んでいたように見えたが、今や駐車場の角で草丈が1m近くまで伸びた。ぐんぐんと成長する姿は頼もしく美しい。ハンギングバスケットもほかのコンテナも植物に何の不足もないようにして、その植物が本来持っている成長の限界を見極めるのは園芸のひとつの楽しみ。太い大根、甘い大きなスイカなど、家庭菜園の練達者の歓びもかくやと思う。 ■8/23 木彫りの看板製作 ![]() 今年、静川の小屋(雑木林センター)の残る主な仕事は、エントランスの看板と煙突掃除、それと最後の刈り払い。やりだせばスムーズに進むだろうと算段しているが、看板は腐った薪材の片付けから丸太の土台据え付けまであるから、他の仕事と並行して少し長くなりそう。その看板は今日、本格的にノミを使って彫り始めた。借り物の9本のノミのうち常時使うのは2本、あとは娘の小学校時代の彫刻刀、それと今回買い増しした小さな丸ノミ。看板素材は、椅子に使っていた長さ4m、熱さ4cmほどのカラマツ板材。 11時から3時まで、休みなくノミ仕事に熱中した。彫りにあと2~3日、塗りと丸太への取付など完成まで3,4日は掛かりそうだが、まだまだ暑く蚊が出始めたから予定は弾力的にしたい。こういう手仕事は頭が空っぽになるかといえばそうでもなく、ガラクタのような想念がめぐることが多い。客観視すれば、結構つまらないことに不平不満を持ったり思い悩んでいたりする。己の煩悩のきれぎれを眺めつつこれは内観の時間だと知る。 ■8/22 去るものは日々に疎し 心に響く格言は多く、歳とともにその重みは変わる。言葉の重みはさすがである。近年、「去るものは日々に疎し」というありふれたフレーズにうなずくことが多い。70歳を越えれば、もうさよならが先行するのは当然だが、縁というものが薄くなった方々とはひとえに遠くなるばかりで、それもやむなしの気持ちになる。自然だと納得するから後悔もない。反面、価値観や考え方を分かち合うという僅かな方々が残る。無理がない自然体。歳をとるというのもいいものである、と思えるもの悲しさがこもる小さな悟り。 ■8/21 オクラを焼く ![]() オクラは焼いて食べるのが一番、というレシピを見たのでやってみた。ん~、ネバネバを消した新しい食感である。見た目もよろしい。酒を欲しくなる見栄えだ。 この夏は、お隣からキュウリを良くもらう。居間のガラス戸をご主人か奥さんがトントンと叩いてくれるのである。生きが良くて生でいただくのに一番。時々太くなりすぎるのが難点だが、葉っぱの陰で見落とすのだという。 Nさんからは昨日、無農薬の新玉ねぎ、ピーマン、ニンニク、ゴウヤ、トマトのアイコをいただいた。冷凍だがイカも生きのいいものを安く手に入るし生のサンマは一匹200円以下で手に入るようになった。こんな折、地物野菜のとれたての季節感はなにより一番だ。 ■8/20 猛暑の中の変化 お盆を過ぎてなお猛暑は終わる気配がない。例年なら、雑木林にそろそろ蚊が出始める頃で、9月になれば赤とんぼが飛んできてたくさん蚊を食べてくれ、などと願ったものだ。ただ、ドロノキの葉が落ち始め、ハルニレの街路樹が少し黄ばんできた。原野の道ばたにはススキが見え始めた。確かな秋のサインである。 この、ほんの少しずつの身の回りの変化が、大雨ごとに大きく急展開する。その大雨がふたつきた。この微妙な変わりように注意を払って秋を待つ。季節変化の観察というのは齢を重ねることとシンクロして気持ちを休める。ひとりの人間が大きな流れの中にあるという自覚が自然の中のリズムと足並みをあわせるからだろうか。 |