晴林雨読願望
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勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中層をウシコロシの黄色が占めている
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●日々の迷想 2021& 2022 & 2023 & 2024

2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Mar 19
, 2024

日々の迷想

■3/18 ミニコミ誌が映し出す地域

「紙のまちの小さな新聞『ひらく』」3月号を一気に読んだ。特集は不登校を巡る問題だったが、記者の個人的な角度を交えて「自分事」として問題に寄りそう姿はいつも称賛せざるを得ない。美々ワールドの経過や弁天遺跡、文化サークル紹介など、ネイティブならではの人脈を駆使しているから見飽きない。市議会の質疑もほぼリアルタイムで活字に起こしている地味なパワーには脱帽だ。いつも思うことだが、次から次へとニュースや問題が湧いてくるのは世の常だが、苫小牧の地の利と製造業や流通産業の蓄積は生々流転に拍車をかけているように見える。お金になれば人が集まる話は、今号が紹介している明治以来のマッチ工場のエピソードにも顕著だ。

それと郷土愛に根ざした先達が風土保全に立ち上がってきたことも知っている。が、自然保護を唱える団体や政党がそれに乗っかるように関与してくる構図も見え隠れしてきた。古くは岩手の小繋入会訴訟、昭和40年代の熊本の水俣病訴訟など、根っこに地元の心の底から出るうめきのようなものがあるのではないか。そのしくみに気付くことが多くなって、いささか世間を見る目が変わった。市民や庶民というのは虫けらの如く日々を生きる。歴史のほんの一時を懸命に自分と家族とを養い、時々はあるミッションに突き動かされて時間を費やす。ミニコミ誌「ひらく」はそこをあぶりだしている。

■3/16 銀杏草と煮豚



早春の楽しみの一つは、磯の香、ギンナンソウである。小さな発砲スチロールにひとつまみ載せて400円近い。かつてはアメマス釣りの帰りなど、イワノリやフノリとともに磯で摘んだものだが今はそれができない。ちょっと割引が出たというので家人が買い求めてくれた。味噌汁にはなすだけで、磯の香りがよみがえり束の間の至福が味わえる。コモンズの研修でも泊ったことのある道南の銀婚湯では毎年この時期職員総出で一年分のギンナンソウ採りをすると言っていた。山仕事の朝、この味噌汁に久々に「とろろ飯」を加えた。

また、豚の三枚肉がやや安いと言うので早速買ってもらい、数日前だが角煮を作った。米のとぎ汁で3時間、薪ストーブで煮るだけの、超手抜きながら十分美味しく柔らかいことに気づいて以来、もっとも手軽なオヤジの料理として定着している。アクなども掬わない。翌夕はこの煮汁で大根を炊いた。鍋を放置できるクッキングスタイルはとてもいい。 

■3/14 独占、里山時間



晴れた早春の一日、山林に残されたカラマツの一部を自家用の薪にすべくひとりで運んだ。カラマツも里山時間も独り占め、と言いたいところだが、誰もうらやましがるわけではない。薪ストーブの世界では、カラマツは火力も落ちるし、知っている人はカラマツの目に見えないトゲをとても嫌がるからである。その辺の事情を反映して、林内にはカラマツやハルニレ丸太が残っているが、もう腐るのを待つだけだ。しかし、基本、それは贅沢というものだ。皮の手袋をすれば十分扱えるし、熱量だってナラの8割くらいはある。みんな、忙しすぎるのだ。それに、こんなまぶしい春の日に雑木林を歩けないのはお気の毒である。

■3/12 遺言のような後押しにふれて

「このやり方(体制)できっと大丈夫、うまくいくよ」。前の勤め先でトップが亡くなる3日ほど前に、病院にお見舞いに伺った際に聞いた短く弱いひと声だった。こちらはいつも迷いながらの運営で、自信などまるでない手探りの日々だったから遺言のようなこの一言にどれほど励まされたか知れない。人は、亡くなる前に許容とか寛容の態勢になるのだろうか、「励ます遺言」とでも言うべき得難い、かけがえのない肯定と受け取った。天の声のようでもあった。

 昨年の秋、今から20年前に「君の関わる里山のことを本に書いて残しなさい」と熱心に勧めてくれた先生が他界された。「雑木林だよりをまとめて(『林とこころ』の)2冊目を出しなさい」と電話で勧められたのも、確か亡くなる3日前であったから、このひと声もまぎれもなく遺言のような励ましに違いない。背中を押された気がして本気で取り組んでみると、最近の書いたものには切り込みもキレもない。感性の輝きが乏しい。そんななかにあって、10年、20年も遡った「雑木林だより」は、当時はこんなことを考えていたのかと驚くような筆致が随所にあり、学びの場も催しの企画もずいぶん精力的にこなしていたことがわかる。人は知力も体力も感性も衰えるから、時々の記録がかくも大切なものかとあらためて驚いた。この膨大な記録を読み返す時間は、単なる楽しみを超えて来し方のささやかな肯定に繋がっていく。

■3/10 勇払原野の地政学的位置と 「ユウフツ越え」


3/9 午後2時から、苫小牧市勇払の「勇武津資料館」で『ユウフツ越え』の講演を聞いた。講師は資料館の学芸員Tさん。

初期の北海道開拓は勇払川の河口あたりから始まったが、開拓に入った八王子千人同心は冬の寒さの備えもなく次々と死んだ様は実に悲痛だ。北海道の寒さは本州人の我慢レベルを通り越していた。甲州街道など交通の要衝八王子は、わたしには古い繁栄の都に映るが、先年、昭和天皇の武蔵御陵などをお参りしてその感を強くした。そこは温暖な武蔵野の面影が残っていた。

道南松前藩はともかく、道央や石狩空知の開拓は勇払川や千歳川、それと石狩川という川を船で遡上して内陸に移動して行われ、特に1700年代後半あたりから明治初期にかけては、勇払川から美々、駒里を越えて千歳川に入り石狩方面に出た。今日のテーマ「ユウフツ越え」は美々川から陸路を馬に船や荷を引かせて千歳川に行くそのルートを指している。Tさんの話では明治6年、札幌本道ができてからは、そちらの場車道に徐々に役目を代えていったという。

新千歳空港の滑走路でみつかった遺跡調査では、当時の轍(わだち)がしっかりと判別できる写真があり、今までなんとなく漠然と見てきたものが初めて現実味を帯びて伝わって来た。峠とも言える空港周辺は標高100m足らずではないか。そこを越えれば全く風土の違う日本海側に出るのである。古来の目の付け所はさすがに確かだ。

ここの地の利は古くから港の構想が湧いては消えしていることでもわかる。その一つのあだ花が「千歳川放水路計画」だったが、放水路は往時の人々の夢の実現でもあったわけだ。Tさんはそのいくつかの計画を駆け足で触れてくれた。自然保護か開発かと二者択一のようにマスコミでは対立軸に見立てて議論されてきた苫小牧だが、わたしには地政学的な運命だと思えたから、それをどのようにうまく折り合いをつけながら行くのかだ、と見てきた。放水路は「ユウフツ越え」の地域理解を踏まえて100年近い熟議を要する懸案だったのにもかかわらず、急ぎ過ぎて無謀であったかもしれない。

雑木林コモンズをなんとか利活用している当方にも実は無縁の話しではなく、極論すれば現在のコモンズ利用は、巡り巡って勇払原野の「地の利」の恩恵であり、ノベタンになってしまいかねない産業用地の中の、アソビのようなオアシスが苫東の緑地であると言えまいか。わたしたちはその一部の緑地管理プロジェクトに住民サイドから参画していることになろうか。

■3/7 カジカのブイヤベース風



先週あたりから魚屋さんにカジカが出ているので、おととい、エビやアサリとともに大好きなブイヤベース風のスープを作った。肝はもちろん小骨も一緒に煮込んだので見た目はいまひとつで時々骨をとりながらの、ちょっと手間のかかる魚料理だけれども、味は絶品なのでフランスパンを浸すなどしておいしくいただいた。昨日もワインを飲みながら食べて、そして今朝、若干のスープが残してあったので冷蔵庫のご飯でおかゆに。またもや若干の骨があって歯がかけないよう要注意だ。先週はイワシを煮つけたけれど、はて、今頃が旬だったか。食卓には店のニシン漬けも数回出たがどれもおいしい。少し暖かくなったら、来週あたり川エビ採りに出かけるのでいよいよ山海の珍味の季節到来である。

■3/5 歌に見る庶民の共感 25

今日は24節気の啓蟄。このところの雪で春の予感も少し遠のいた感がある。しかし吹雪で荒れた日などはまさに読書日和で、晴林雨読の理想に近い。そんな数日、佐高信著『俳論風発~15人の、この人あの歌』を読んだ。日本人のどこかに俳句を詠むこころが眠っていることに気づかされた。それで今回は、俳句を冒頭3つ。

◎退屈を生きる幸せ福寿草   姫路市・Sさん
…さりげなく謳いこまれたが平凡で退屈することの巡り合わせは僥倖であると思わせられるこのごろ。無為、何もしないで頭を空っぽにできることも、よくぞ人に生まれける、だ。

◎焼け跡の夫婦茶碗や能登に雪   東村山市・Sさん
…もう2か月たった。描写がリアルで情景が浮かぶ。みぞれ雪など降って、片づけに追われれば、心も体もくたくた、ぐしょぐしょになってしまう。食べ物、温もり、睡眠、そして安心…。足りないものばかりだ。

◎向かひ合ふだけの幸せ日向ぼこ  山形市・Kさん
…「幸せ」の句が目についた。ただ太陽と向き合うだけで幸福感を味わえるのはありがたい。のどかな縁側かと推測させる。手を合わせる気持ちになって一日が始まる朝の陽もうれしい。

◎ありがとうを他よりたくさん言えるから飲食店でアルバイトする  東久留米市・Nさん
…なるほど。感謝の気持ちを表わせると自分自身が変わるらしい。言霊が人を誘導するともいう。自信を失って来たら「自信を持っていいんだよ」と自らにささやきかけ、体が重ければまず起きて動けば心がついてくる、ともいう。

◎「ヘイ、シリ」と妻がスマホに語りかくすぐ目の前に俺がいるのに   草加市・Tさん
…「ヘイ」が笑いを誘った。スマホという小さなパソコンを小脇に抱えて生きているということは、記憶の脳と辞典を手にいれたようなもの。しかし間もなく、スマホのない休日、などという習慣がもてはやされそうな気がする。

■3/3 風土感覚の共有



苫小牧に住むようになってすぐ、鹿毛正三画伯の絵を鑑賞したのを覚えている。市民会館かどこかの学校だったか、とにかく公的施設だったと思う。それ以来色々な場所でお目にかかり、そのたびにどこか波長が合う方だなあ、と長い間思っていたが、このたびの市の美術博物館の個人展でじっくりまとめて拝見して、波長の秘密は北海道は胆振、苫小牧などの風土感覚にあるのだろうと合点した。上左は、画伯のアトリエに所蔵されいわば眠っていた作品だったとかで、10号ほどのネーミングのないものが多かったが、身近な山、林、渓流、湖、漁港などを氏の感性で写し撮ったものだったから、ここでも画伯の眼差しというものが感じ取れた。自然と言えばいつも開発によって破壊される一方のような報道が目立つ一方で、鹿毛画伯が自然を描いた作品は風土として受け止め地域を肯定的にとらえるような温もりを感じてきたのである。また、ある作品のわきに展示されていた『五匹の鮒』というエッセーを読んで、画伯は釣りが趣味で特に渓流が好きだったことを知った。これでまた親近感が湧いた。

漠然と自然が好きだとおっしゃる方は多いし、動植物に詳しい人も少なくないが、もっと大きく、「風土」という母のような入れ物を語る人は実はかなり少ない。ましてやそこに神がかったものを見ようとするような人にはほとんど出会わない。その視線というのは、俳句や短歌、あるいは詩のようなジャンルなのかもしれないが、自分ではもっぱら鑑賞ばかりで創作はほぼしない。先日、そこをともに語る人が身の周りにいない、とある北陸の先輩のはがきにあった。ただ日常、向かい合う場所がたとえ違っても日本各地の風土感覚は共有できるから、たまにお逢いして語る時は、深い思い出が残る。お酒でもちびちびやりながら肝胆相照らすというのは、特に高齢に差し掛かったものの憧れの光景でもある。

■2/29 大風が残したもの



強風が始まったのはおとといだっただろうか。これが夕べまで続いた。午前、ちょっとした作業で大島山林に出かけたら、薪ヤードには写真のような風紋ができていてアクセス路はシュカブラのように雪がとんがっていた。ブルーテントの妻側の一部にほころびが出来てもいた。風は自宅の薪ストーブにも影響を与えた。煙の吸い上げ、すなわちドラフトが良すぎてストーブの温度が必要以上に上昇するのである。天蓋(クッキンググリドル)の温度計がおとといも昨日も400℃を越え過熱状態だった。昨日、現場から帰ると家人が「温度が下がらず怖かった」、と。

■2/27 歴史小説で時代と歴史を垣間見る

歴史に関心を持たれている方には笑われるほど、当方は常識のない歴史音痴なので、遅ればせながら関心のひもを解いた時代物が、楠正成と毛利元就。楠正成は吉川英治の『太平記』で、毛利元就は内館牧子の『毛利元就』だった。今、内館・毛利の3巻目を読み終えるところに達した。

学びの成果は旅の思い出とともにある。後醍醐天皇に忠誠を尽くす正成は一時奈良は吉野そばに籠城したが数年前の奈良探訪を懐かしんだ。『毛利・・』では勢力図の周辺に昨年の萩と津和野を思い描いた。時代は2,300年違うけれども共通するのが、裏切りと忠誠の蠢きと武士や公家の心理戦だ。さすがに風景描写はほとんどない。

今となってはもっと若い時に読み始めるべきだと後悔しているが、反面、今のような白秋期というべき穏やかな時にまたとない道楽時間が得られた有難さも感じる。そして読むべき歴史はエンドレスに続いている、というのが何より嬉しい。負け惜しみでなく。(-_-;)

■2/24 高齢者中心の山仕事点描

雪が落ち着く2月の半ばころ、冬の間に手入れした広葉樹の丸太を道のない藪の中からスノーモービルで運び出し薪ヤードに積む作業が山場を迎える。今日は事務局が呼びかけたせいか、いつものメンバーが勢ぞろいしてほぼ完了した模様だ。



このスピード感のある動きを見てほしい。スノモが曳く鉄ソリに猛スピードで丸太を積み上げるのだ。その時間は1,2分、そしてすぐ出発だ。時には総重量1トン以上を載せる。4人のうち3人は、現役の勤めをすでにリタイヤした60代後半のメンバー、残る一人はバリバリの現役30代、幼い子供二人のパパ、働き盛りである。注目したいのは、冬の暖房用の薪を自賄するパワーは、このような筋肉をつかった肉体労働が不可欠だということで、まあ、実に原始的な人力作業を経ないと、林の恵みを使い切るカスケード利用は出来ないということである。薪がローカル流通となる所以でもある。

■2/22 かた雪の雑木林



小屋までかた雪の上をツボ足で歩いた。快適そのもの。小屋内部はとてつもなく寒いが、里山時間の独占はひょっとしたらとてつもない癒しの時間、もしかしたら宗教体験かもしれない、と思う。その宗教とは「自然神道」あるいは「産土信仰」。

■2/20 70歳からの風景変化

未明の時刻にひとりで起きていると、まあ、これまで思ってもみなかった静かな、少し成熟したような不思議な気分になる。なにか余計なものを捨てたような、諦めたような、かといって希望の持てるような、家族を思い知人や関係者を思い、再び、まあなるようにしかならない、などと自分に言い聞かせたり。しかし、悲観ではない。不思議なもので、このような時間は70の頃からちょっとずつ顕著になったような気がする。いわゆる老い支度であろう。白秋期の宝物。知力と体力は衰える一方で、霊力のようなものが研ぎ澄まされるような。ボケないで大きな病にも襲われず暮らすことは、周りの同年代の物故者や先輩方をを見渡すと大変な幸運だとわかるこの頃、加齢とは実にすばらしい体験だと思う。これで召されるなら本望だ、そんな風に生きたい。

■2/18 「小鳥のようにしあわせ」

恋文の方向にことが成就した時、芥川龍之介はこうつぶやいたらしい。毎朝、庭の雀など小鳥を観察している身として、さすが文豪、言葉選びがうまいと思う。朝の、テンションの高い時の小鳥の動きはきびきびして朝が来た喜びを実に体全体で表すからである。町内会の回覧板に、鳥インフル予防の観点から各戸の餌台設置は自粛してほしい旨の広報を見て、エサ台はすぐ止めたが、今年はそっと残りの餌をレンギョウの根元にほんの少々播いている。今朝は出窓の前のイチイのてんぺんにシジュウカラが来ていて、薪小屋の床でも何かをついばんでいた。シジュウカラの動きもいつもの「しあわせ」風だ。彼らはこのような本能の動きを失った時にはもう生きてはおれないのだろう。懸命という言葉が浮かぶ。

■2/15 雑木林を持続させるために「雑木林を伐る」

気温10度の中、スノーシューをはいて林を巡った。雑木林の主たる構成種ミズナラとコナラの更新状態をみるためである。雑木林をこれからもずっと維持するために、除間伐という一見まともそうな対応をすれば問題は解決しそうに見えるが、現実は甘くないのである。除間伐だと景観は当面維持できるが、若い木が育たないのだ。林内照度が足りないのである。

その結果、結論としてたどりつく「将来的にも雑木林景観を維持するためには雑木林を皆伐しなければならない」という逆説。本州ではもう30年以上前に、議論されていたことで、北海道ではどうかと言えばまだほとんど問題にされていないのではないか。そもそも雑木林に対する評価がいまひとつ聞こえない。そのうえ勇払原野は折角萌芽した枝もことごとくシカに食べられる。食害も覚悟して、それでも皆伐するのが次善の策だろう。

重い雪を我慢しつつ2時間あまり歩きながら、静かに覚悟する。今年の秋からは、雑木林を小面積皆伐して結果を観察しよう、シカがいても皆伐によれば更新して他の樹種と高密度の薮となり、ナラの萌芽枝が生き残り萌芽林ができるのではないか…。柏原ではブッシュ状になればしのげている何か所かがあった。それを思い出し一縷の光としたい。






2024/2/13 以前は   こちら