晴林雨読願望
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勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている

一燈照隅
雑木林だより

 新里山からの日常発信

地域活動15年の歩みとこれから

 勇払原野の風土を共有する

  

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●日々の迷想 2023 & 2024 & 2025
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Aug 18 ,2026



日々迷想

■8/18 他人が所有する、美しい田園風景の中を歩ける、という憧れ





ゆるやかな起伏の田園風景は美瑛などを例に出すまでもなく美しさが群を抜く。その中でも延々と続く牧場は、北海道では歩かせてくれるところはまずないのは残念だ。英国は、昔から村人が往来に使っていたという証明があれば、他人の土地でもフットパスとして認めてもらえる素晴らしいルールがある。ただし、牛たちが逃げないよう、柵を超えるゲートがあちこちにあって、それを跨いだり押したりして超えた。遠くまで見通せてクマがいないから解放される。風景を心から楽しむことのできる場とルールが整っているのは、田園風景を愛好するものにとって実にうらやましい。(画像は英国西海岸・ブリストル郊外)

■8/17 強力なマインドコントロール考、『「反日」という病』

副題は「GHQ・メディアによる洗脳を解く」、著者は木佐芳男氏で2018年に幻冬舎から出された。わたしが歴史、特に近現代史の無学に気づいてから一時は猛烈に読んで今も高め安定の日本現代史、特に大東亜戦争以後のエキスがほぼ満載されている。だから初めて知ったような驚きは大きくなかったが、これまで読んだ内容に新たに加わったジャンルがある。興味深かったそれは、岸田秀氏など精神科医による日本人の集団心理の分析である。言ってみれば「日本人のあなたはマインドコントロールにかかっている」というショッキングな分析である。参考文献リストが巻末に12ページある。ドイツなど欧州を含め、歴史学者、ジャーナリストなどの取材を踏まえた渾身の力作だ。

日本人の多くが自虐的な現代史観に陥ったのはGHQによる洗脳、マインドコントロールによることと気づくのは、実は容易ではない。そう仕向けたのは、東京裁判、新憲法、それと戦勝国である米国のWGIP作戦(War Guilty Information Program)である。このWGIP は実に用意周到に仕組まれ、プレスコードやラジオ放送による(米国寄り)真相プロパガンダ、焚書(皇統に関する文献などを焼却廃棄)など多岐にわたっていて、近年の米国の要人が「これほど効くとは思わなかった」と言ったという。今日のメディアの反日ぶり、自虐ぶりの発端はここにあるというべきかと思われる。戦争を扇動したメディアがこぞって反日的スタンスに転向した背景には、「自分たちはWGIP に従い反省した善い人だ」という巧みな転身があるとも指摘している。

このいきさつは、進駐軍を指揮したあのマッカーサー元帥が1951年5月3日にアメリカ上院軍事合同委員会で証言(偽証罪に問われる場)した内容が如実に示している。「Their [Japanese peaple's] purpose, therefore , in going to war was largely dictated by security. …したがって、彼ら(日本人)が戦争に突入した目的は、主にセキュリティ上の理由から、余儀なくされたものだった。」

また洗脳ぶりを示す指標として筆者・木佐氏は MC(mind control) 度なるものを提言している。定義が今一つわからない。が、自分がどれほど洗脳されているか、つまりMC度をを自己診断するには、個人的には南京大虐殺といわれる戦時中の事件があった、と信じるかどうかでわかると考えている。「南京」はまるでリトマス試験紙のような機能を持っている。戦後教育に教えられたままでいれば(=洗脳されたままであれば)、あの忌まわしい「南京大虐殺」は日本軍の手によって実在したものだろう、と見ているはずだ(=推定有罪)。わたしの周辺の多くも実はMC度は高く、楽しく歓談している途中、この件で大きく意見が相違したこともあり、それ以来、大きく溝ができたという残念な経験もある。俗に北と南の辺境にはリベラルが多いと言われてきたが、まさにそのような現実の中にある。この大いなる病から抜け出る方策と、戦後レジームからの脱却は実は双子のようなものである。

■8/16 旅のきっかけ、本の動機

歴史学者・磯田道史氏が京都の骨董街を歩くBS番組を見た。毎年京都には目的をもって旅行するが、歴史学者のメガネで街を見せられてなお一段と興味がわく。さすがに奥がある。骨董屋の店主との語りのうちに、ある言葉がきっかけとなって新たな掛け軸などが出てくると、磯田氏は「これを蔵の奥が深いというんですよね」と語っていた。家すじがよくて子供の時から古文書を読めたという。京都では御所の西にある宿に泊まることが多いので、骨董街は御所の東を通る寺町通りにあるから近い。昨年も歩いたがまた歩いてみる気になった。が、いかんせん京都の骨董は敷居が高すぎる。自然だらけの北海道から出ていく田舎者は、つい、尻込みしてしまいそうだ。

ところで、旅先というのはピピっとひらめき運命づけられるような気がする。芋づるのように興味がつながっていく。本も同じだ。ある本の中のある言葉や地名や名前がきっかけとなって、自分のちっぽけな知のため池にガラクタのようなものが集まって、まもなく忘れ去られる。これでいいのである。それが次の旅につながることもよくある。だから足腰はくれぐれも大事だと思う。

■8/15 終戦記念日とお盆

正午の黙禱の時刻に、近所にある行政スピーカーからサイレンがなった。先の戦で亡くなったものが肉親にいなかったおかげで、その昔郷里での8月15日は淡々とした先祖の墓参りの日だった。前日に済ますこともあった。単身北海道に渡った身だから帰省時以外には特に墓参りの用事もなく、単身赴任者のごとくなにか取り残された感じでボーっと過ごす。これじゃあんまりかな、と海岸に出て護岸を散歩した。何か反芻するのなら歩くのがよい。今日という日が昨日の続きであることは正月と同じだが、メディアのものものしさのせいか、8月15日は明らかに節目の日のような錯覚にとらわれるけれども、今日も粛々と読書と雑事をこなした。

■8/14 映画『ひろしま』

世界が緊迫しているせいか、心ある一部の成人日本人にとって、世界情勢や日本の位置、現代史、あるいは政治がらみのことを思い浮かべない日はなくなっているのではないだろうか。そんな中、終戦の日が近づけば、大東亜戦争に関する情報は増える。今年はいつも静かに思慮深いブログを書かれている、かつて職場をともした斉藤雅紀さんの『流れのままに』映画『ひろしま』を知って観たのが印象深い。昭和28年に日本教職員組合や広島市が中心になったと聞くが、惨状の映像に気を取られストーリーのことはほとんど頭に残っていない。文字通りの被爆の惨状はその他で見分してきた通りだったが、2時間足らずの映画を観終えてさすがに言葉がなかった。

ところで平和教育などでは特に熱心と言われてきた日教組が、どのようなねらいで主体的に制作したのかはよくわからない。そんな折に、月刊『正論』の9月号で長崎の原爆展示をただす市民の会代表の渡邊正光氏による「長崎原爆資料館偏向展示を正せ」というタイトルの投稿を読んだ。広島と長崎と場所は違うが、原爆被害の社会的扱いにおいて、実は様々な綱引きがあることはわかった。

■8/13 本があれば(最近読んだ2冊)

読書は、歴史旅、そして敷居のない対話。そう思うと人生はやることが満載という意味で洋々としているように見える。お盆近くなって読み終えた小さめな本2冊が手元にある。一冊は郷土歴史のまめほんの7『旭牧場物語』。王子製紙は戦後の引揚者を擁してまず従業員と家族約1万人分の食料の確保も急務だった。そこで今の市役所のある末広町と旭町の一帯を農場に、のち酪農の牧場としても活用するのである。当時担当された王子の職員が郷文研Kさんの求めに応じて病を押して書かれた。臨場感あふれる地域の歴史を書き残していく労をたたえたい。

2冊目は城山三郎著『どうせ、あちらへは手ぶらで行く』。城山氏の仕事場で見つかった9冊の手帳を編集したもので、氏71歳から79歳までの日々のメモがリアルに日常を垣間見せている。最愛の奥様をなくす前後から引きずり続ける哀歌ともとれる。平面的にとらえれば、高齢者が認知症や体の衰えに気付きだましだましあの世への準備をしている、そんな内容だから高齢者に取れば他人事でない重なりようだ。売れっ子の作家だった氏がごく晩年まで書くことに追われて悲鳴をあげそうになっている図が浮かぶ。家族が大切に描かれていて和んだ。

■8/12 より良き食生活にまっしぐらの野生



小屋番のあとに港に出てみた。工業港はやはりというべきか、ヒューマンスケールを超える。貨物船の大きさにまず驚くし、それを受け入れる港という受け皿も馬鹿でかい。掘りこみした土砂で湿地を埋め住宅地をいくつも造成した土地柄だ。それを計画した施策、インフラ、人手、いずれも膨大な年月と人の営みを想像すると絶句しそうだ。

その一方、この殺風景な機能一点張りの空間で時間を刻んでいるのが緑地、樹木。いつのまにか木だけが育っている。それも潮交じりの風雨に揉まれて、伸びずに、太っている。劣悪な環境の下で放置されて不貞腐れたように、たくましく太くなっている。まるで人を拒絶しているように外縁を固めている。

そしてエゾシカ。海岸線から内陸2,3kmあたりまで、おびただしい数のエゾシカが群れて輸送空間の芝を食べている。何回目かの刈払い跡の柔らかい草だ。彼らも最も旬でおいしく大量の「より良い食生活」を目指すのだ。今、シカたちは一年で最もおいしい食事をしている。

■8/11 歌に見る庶民の共感52

昨年買ったばかりのエアコンをまだ1,2度しか使っていない。それほど適温ということだ。日本中の庶民が猛暑と戦っているときに、この状態は申し訳なくて共感などという言葉ではまとめられない。そこは歌壇俳壇で。

朝の神夕べの仏朴の花   雲南市・Aさん
…語呂も素敵。家には神棚も仏壇もないが、朝日と夕方の樽前山の夕日がその代わりをする。言われてみれば朝は神様、夕は仏様が似合う気がする。ホオノキの花は白いハスにちょっと似ているような。なるほど、神仏どちらにも合いそうな、という発見。

たたかはぬ角のびのびと蝸牛   加古川市・Hさん
…角は戦いの象徴、武器だ。にょきっと出すカタツムリのやわらかい角は、平穏の象徴か。雑木林にも小屋にも脇役のようにたくさんいるので、つぶさないよう気を遣う。

新緑が目に飛び込むが痛くはない   塩尻市・Kさん
…たしかに。本当にほめたたえたい毎年春の新緑との出会いはインパクトがある。それが毎年来るというのが素晴らしい。今年の雑木林ではナラが葉を開いたとたんことごとく虫に食べられ、言っちゃ悪いが壮観でもあった。地域全体のナラが食べられたのである。そして7月土用のころに芽が吹いて新緑を2回経験。新緑は真夏でも絵になった。

匂い嗅がず賞味期限で廃棄するヒトが動物をやめた現代   所沢市・Oさん
…気にしないで食する当方はまだ動物の野生が残っているのならうれしい。家人は動物を捨てた。娘はわたしの血を引いた。しかし、わたしは一度だけ素人手作りのシュトーレンで食中毒になり入院した輝かしい経験あり。

二十歳にて古郷離れ八十五父母の死に目に会へず老いたり   国分寺市・Kさん
…しんみり悔やむ、悔やんでも悔やみきれない、と肩でため息をつく。「老いたり」がずしんと響く。

ラジオから「春が来て君はきれいになった」 それほどでもとはにかむ私  大垣市・Aさん
…これは笑みが沸いた。いるいる、の感じだ。拙宅の家人もこんな風か。イルカさんの名曲だ。彼女は1950年生まれの75歳というから、ひとつ先輩。

桜田さん一家が住んでいるのかと老母に聞かるるサグラダファミリア   宮崎市・Nさん
…なんとも呼びにくい名前で、サクラダと言いたい時期があった。力士「ワカタカカゲ」の類か。そのサグラダさんももうすぐ出来上がるのだったか。建築に100年以上かけるものが欧州では珍しくないが、あんな教会や尖塔、よく建てるものといつも思う。

いつ押すのいつ押すのって幼子の声が聞こえる市バスの中で   倉敷市・Nさん
…わがことのようだ。押してみたい欲求が募って興奮した時期があるもの。よくわかる光景であり、子供の思い出に重なる。

「あの時の鶴です」みたいな人が来て夫へのお礼の野菜預かる   鴨川市・Hさん
…これもまたまた微笑ましい、アルアルの話。例え方ひとつで目に浮かぶようだ。家庭菜園まっさかり、今、日本中でトマトやキュウリや、もろもろの自慢の野菜が行きかう。後半4作品にはユーモア賞あげたい。

■8/10 今年5つ目の流れ星

雨が多い今年は、残念ながら蚊がいる。それでも、蚊取り線香をたきながら庭で今年5つ目の流れ星をみた。靄がかかっていたのか、見落としそうな細い飛翔体だった。昨年は9月と10月だけでもまとまって5つ見たと記録にある。流星群が来ていただろうかと調べると、有名なペルセウス流星群は8月で、確か期待したのにこれは天候か何かで見られなかったのである。流れ星を数えるのは楽しい。今年もちょうど 8/12~14にかけてペルセウスが見えそうだ。晴れれば数を稼げる。

■8/09 大助(キングサーモン)のカマの照り焼き



今年は例年6,7月ころに魚屋さんに出る「トキシラズ(時知らず)」を全く見なかった。店員に聞けば当分入る見込みないという。一方7月上旬ころ解禁になった地物の毛ガニも高くて手が出ない、と思っていたら、米国産キングサーモンのカマが3つで約600円、それが半額だったので少し迷いつつ買い。出刃包丁で大きな鰭をたたききって、それでもしっかりした、脂ののった身が詰まっていた。もちろんトキシラズのカマもおいしいがもうとんと出回らなくなった。というか、もっと頻繁に、ひょっとして午前と午後の2回、店頭をみないとダメか。もっと店員情報を得るか、港の市場にいってみるか。専門家に聞いたところでは、鮭はまったく岸寄りしていないらしいから、次の気象変動、海流変化を待つしかないのか。どうも遠い話になってくる。

■8/08 不思議な読後感『ドミトリーともきんす』



穂村弘氏の対談で知った高野文子氏の作品を3冊読んだ。これはジャンルとしては漫画。どこか手塚治虫風の科学シリーズのような趣があり、実に不思議な読後感だった。このところ、就寝前の20分ほどは林芙美子著『浮雲』の朗読を連続してきいていて、その戦中戦後のねっちょりした心象風景、どちらかというと太宰治風の心中もののような展開になっていたせいなのか、雰囲気を一掃するような一冊だった。

湯川秀樹、朝永振一郎、牧野富太郎、中谷宇吉郎という4人の科学者が、「ともきんす」という奇妙な名前の寮に寄宿して、科学者的言辞を述べるのである。あくまでも4人が述べてきたこと、書いてきたことに基づいているようだが、挿入も組み合わせも面白く、内容が深い。

上の写真の右上のドミトリーの玄関と間取りは、なんと十勝岳のふもとにある白銀荘というヒュッテ(今も残っているはず)を参考にしており、ここは中谷博士が雪の結晶の研究をしたベースでもある。わたしも深雪の山スキーをするために何度か泊ったことのある有名なヒュッテだが、そういえばここでビールの過冷却の現象を初めて見て、サイエンスなるもののにおいを嗅いだ気がしたのを覚えている。主が出してくれたビールをつごうとしたら、急にムクムクと氷の泡が出てきたのだった。

■8/07 立秋

胆振地方はオホーツク海高気圧からくる空気に包まれて、北海道でも珍しい低温だった。22℃からせいぜい23℃である。申訳がないくらいの過ごしやすい天気で、24節気の季節感一致をまたもや納得する一日になった。今日は立秋である。一方、熊本は39℃近いというから大変な避難生活になるだろう。そこへ山火事が発生したという。台風も近づいている。熊本に住む山仲間のその後をほかの仲間が案じて囲むように情報を交換している。リンクした坂村真民の詩には、力をつくしてあとは神仏に任せよ、とあった。迷ったり悩んだりしたときには、こういう天の声のような言葉にふと気づかされる時がある。

■8/06 「ほむほむのふむふむ」、穂村弘を読む

ラジオ深夜便の番組「ほむほむのふむふむ」で知った穂村弘氏が、ある時に札幌出身であることがわかった。しかもその後まもなく、大学の山のクラブ(昨年創部70周年を迎えた)の後輩にあたると聞いて二度びっくりしたことを覚えている。その後、氏の短歌やエッセーを読む機会があって、ああ、なかなか今風の才能をお持ちだと気付いて以来、こんどは名前がよく目にはいるようになった。いわば、このみちの売れっ子の一人である。かつて歌壇俳壇でデビューしエッセーもものにする俵万智さん、黛まどかさんと共通するが、なんと3人とも1962年生まれである。

ふと、穂村弘対談集『あの人に会いに』を見つけ読んでいる。読むと、北海道人では珍しく現代日本の文芸にかなり強くコミットしていて、とくに詩や漫画、映像などクリエイティブな、かなり先端的な表現者とつながりを持っていて、しっかり響きあっている。谷川俊太郎や横尾忠則、荒木経惟など、庶民からみればいわば雲の上の、別世界の著名人と交友がもてているのである。こんな人は身近なところにはまったくいないから、こちらが後輩だなんだと勝手に親近感を感じていたのがちょっと恥ずかしくなった。しかしとにかく、謙虚で好感が持て、言葉選びにキレがあって心地よい。

■8/05 オーナー看板表示による所有感覚と責任感覚



ここ、苫東コモンズの育林コンペでは11のエリアを個人、またはグループが管理している。管理、というところをオーナーという仮の名を使って表示したのが変わっている。登記など所有権にかかわるものでなく、あくまで仮のオーナーであり、ある期間であっても自分が責任をもって見守り管理する、という誓いを促したものである。開始して30年近くも経てば、やはりひと気があって放置された林とは一味も二味も違う。「自分の林のように大切に目を掛ける」。

みんながそうとは言えないが、その気構えはだいじなことだ。土地そのものまでとは言えないけれども、林や自然は基本的に共有すべきでないだろうか。植生は放置すると荒れる日本という風土において、管理できない状況で林を専有するだけでは工夫が足りなさすぎないか。そのとっかかりとして林は「ノウハウと腕と志」のあるものがコモンズのように関わっていける気運や状態をうまく醸成できないか。そういった意味で、育林コンペは地味だが気の長い社会実験のひとつだと思っている。

■8/04 ジムへ顔出し

時々、筋力もつけておきたいなどと思う。歩き続けるのが最終目標だが、歩くだけでは飽きるしどうも物足りない。そこで気まぐれにコミセン2階のトレーニングルームに行ってみた。昼飯時だったので利用者はほとんどおらずランニングマシンなど小一時間、ちょっとした気分転換だ。ランニングとまではいかず時速5km程度のジョギング、それに自転車もやって心拍数をあげてみる。こうしていると、人工股関節周りの可動範囲は広がるようだ。

気になるっているのはふらつきだ。片足立ちができなくなって大分なる。めまいではなく、靴を履くとか階段を上下する際に必ず手すりを使うように、支えを要するようになったのである。メニエールではないと専門医に言われたことがあり、AIの解答を見る限りでは軽い小脳梗塞の線が近い。少し気を付けておこうと思う。

ところでコミセンに出入りする高齢者には完全によぼよぼの人も多かった。きっと将棋や囲碁のサークルかと思う。ジムに来た高齢者はたしかに髪は薄くともしっかりしていた。それに比べればこっちの方がヨボヨボだった。本来ならジムではなく文化サークルの方なのだろうが、逆らいたいのである。放置すれば錆びるのは何度も経験してきたからだ。老化、衰退に反抗してさてどこまでいけるか。

■8/03 花々がやっと誇り始める



ハンギングバスケットやコンテナの花々がようやくもりもりになってきた。園芸店の店先ではもっとも安価な花ばかりだが、何の心配もなくただ咲き競う花が100個も揃えばちょっとした壮観で「氣」が発し始めるように毎年感じている。これからは咲く傍らから種を着けて10月を迎える。

雨ばかりの毎日から急に日が差して花弁が少し焼けたように見える。ちょうどシーズン折り返しのような日なので、念のため化学肥料をあげた。丸いハンギングのために脚立で上部もチェックしたが、花柄がたまることもなくきれいだった。撮影は朝5時ころ。

■8/02 小屋番

10時、雑木林の小屋着。長雨で落ちた林道の枝を拾い、帰りはフットパスを通って戻る。今日の万歩計は3.2kmだった。自ら勝手に引き受けている小屋番は、「できるだけ足繫く来て」「居る」のがメインの仕事で、特に今は山仕事はほぼ休業。刈払いなど暑くてごめんだ。不快な作業は年寄りの体に悪い。居るだけでいい仕事とはわれながらうまい言い訳で、風呂屋の番台みたいだ。そんな事情でテラスの木陰で『イギリス的風景~教養の旅から感性の旅へ~』を読む。早朝の続き、佳境に入ってきた。

■8/01 なぜか懐かしさがあふれる風景



今年6月の旧陸別駅の朝の風景。郷里に鉄道も駅もなかったにもかかわらず、初めて訪れた昨年も今年も、なぜなのか懐かしさのようなものを感じるのである。

大きく開けた早朝の青空、錆びた鉄路、どこにでもある線路わきの木立、目に入るのはただそれだけである。70歳を超えるころにこちらに開拓に入った関寛斎翁の功績など思い浮かべずとも、平和で平穏な人々の営みを連想させるような何かがある。ひょっとして昨今失いつつある鉄路への哀愁なのか、とも思われるがよくわからず、ひょっとして来年も訪れることになりそうな予感がする。

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