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2024年、日々の迷想

■1/23 地域の文芸誌をいただいて読む

空気を共有する楽しみ、というのだろうか。

先日、地域活動で知り合った年上の方が、自らが関わっている文芸誌を今年も送ってくださった。雑読の癖と量は結構なものと思う自分だから、今さら地元の同人誌に目を通すというのも少しばかり抵抗があったのだけれど、文章のうまさ下手さや内容のレベルがどうのということではない、そこに感じる独特の面白さは何かと考えた。

素人だからエッセーなどはツッコミドコロがあって気になることはあっても、それを補って余りがあるような気がするのは、きっと共有する空気感ではないかと思う。うまく例えられないが、気心の知れた飲み友達と丁度良い距離感でゆったり飲みながら語るような時間が保証されるのだ。嫌ならすぐやめてもいいし、政治信条が違いそうなら最初から読まなければいいし、時々挟まれる地域ネタや地名から生まれる親近感など、悪くないのである。ああ、近所のオジサン、オバサンは常日頃こんなことを考えているんだ、と同類意識のようなものを覚えると方の力も抜けるというもの。そう、町内の良識あるご隠居と、縁側でちょっと一杯やる感じ。TPOによって読み分けようと思う。 

■1/20 雪にすべてを覆われて



週初めの2回の降雪で、シニアワークも完全な冬バージョンに変わらざるを得なくなった。小屋へはR235そばの動物検疫所前に車を置いて雪の林道を歩かねばならない。おかげで小屋はますます世間から離れた別天地に昇格する。大島山林はスノーモービルが動き出した。 

■1/18 小鳥の餌付けを止めた功罪

昨今、有識者の声などをベースに、マスコミ報道が決め手となって出来上がった暗黙の了解というものがあって庶民には反論が面倒になって来たコトがある。身近な例が、鳥の餌付け、もっと進んで小鳥の手載せ。ここ苫小牧では鳥インフル予防と野鳥虐待がきっかけか。堂々と手乗せを応援し庭で餌付けをしていた身としては、窮屈な気がして仕方がない。

今日は午後から、久々にあわよくば小鳥を載せたい、との思いで北大の苫小牧研究林に出かけた。かつては野鳥の餌付けや手載せのメッカで、市民が小鳥を手載せする場所があった。わたしも大好きな所だったが、少してらいも羞恥心みたいなものもあり、メッカのポイントから遠く離れたところで静かに手乗せをしていたのだった。メッカから1kmも離れたところでも、学習した小鳥は手にも頭にも乗った。

感動はすごいから、もちろん、というか、おもてなしの一環というべきか、わたしの勇払原野のフィールドに関心を持って本州や道内の遠隔地からはるばる来てくれる方々には、ひとつの森林体験として案内して、冬ならばよく手乗せを経験してもらった。ところが、中には激しく反対する方もいらっしゃった。なにかこちらが悪いことを奨励しているかの目線で振る舞われた。わたしが自然保護原理主義と呼ぶ方々だ。かなり、かたくなであった。

今日は午後からラフな格好で駐車場に行き、山の神林道の方へ歩いた。もちろん補聴器を装着してだが、残念ながらほとんど小鳥の声も拾えずシルエットもなかった。

話は飛ぶけれども、野鳥を手に載せることの、自然へのマイナスとプラスを、ここ苫小牧でこそよく議論すべきではないかと思う。都市林を標榜してきた大学の研究林の意味もそこにも大いにありそうに思う。自然との共存とか、野生生物の多様性とか言えば、全てが解決するわけでないのだ。世論をリードする大学の研究機関や有識者らは、しばしばそこにコミットする考察や実体験が欠けていることがないか。専門の研究対象から離れているのだろうが、研究者の発言は地方のマスコミにとって絶大だからミスジャッジも起きやすい。だから迫力ある討論や説得ができにくい。そこにあえて発言する独裁的自然哲学者にわたしは出会いたい。

■1/16 旧交をあたためる

年賀のやり取りで往時を思い出すことの多かったせいと、アルバムの整理などで、なにかと数十年前の付き合いがよみがえる。昨日は、30年以上前にヨーロッパの花の庭づくりを見に行った面々に連絡をとり、新年会に誘った。リタイヤした人ばかりだから、日程調整はいたって楽で助かる。つながりをリセットもする年代だが、これからはこうやって復活というのもある。関係の組み換えのようなものか。楽しみは創るものだ。

■01/14 年寄は半日仕事



神経痛が出て、いよいよ年寄の半日仕事を文字通り「否応なく」実践することになりそうだ。昨日は、新たに2,3本倒してから、2日前に伐っておいたナラを玉切りして小屋裏に運んだ。子供のソリ遊び用のこんなものでも100kg程積める。これを7か8往復。体力に合わせ、安全に、少しずつやれば片道50m余りの距離を2時間余りで鉄ソリ1台分を、伐倒から運搬までマイペースでできる。これが2年後の薪になる。薪割りは連休にマサカリで。

■01/12 春の兆しあり



1/11 の山仕事で伐倒したミズナラの先っぽを3本持ち帰った。芽が春を先取りして膨らんでいたからだ.。毎年こうして、桜やコブシの花芽を持ってきて自宅の出窓に置いて、2月か3月に先んじて開花を楽しむが、花芽でなく葉芽の葉っぱだけでも一足先に新緑を愛でるのだ。これは間違いなく一足先に春を告げる。思えば、この「芽」という字は、来るべき未来の明るいサインとして使われてきた言葉、一字だった。

■01/10 交流の喜び



サラリーマン時代の後半は年賀状が少し重荷になってくるのだろうか。70あたりを区切りに、その我慢していた重荷をそろそろ止めるというメッセージがチラホラ出始める。本当にそうだよなあ…。今でこそ年賀状の習慣なんか若者になくなって、職場の若い人から返信など来なくなった思い出もある。しかし、わたしはその辺の裁きがまだ中途半端である。

今年も寒中見舞いの葉書を書きつつ、やっと100枚を切った思い出の人たちと、葉書を通した交流が少し熱く感じた。特に熱く感じたメッセージ先にはスマホで直接年始の挨拶をして旧交をカムバックした。お互いの距離感を意識しながらの年賀状やその他新年の葉書のやり取りは結構デリケートな、しかし人生の機微に触れることのできる時間だと思う。

出す側、書く側には癒しのような面もないわけでもない。わたしなどは、送り先に不義理と無思慮のお詫びの気持ちが湧きつつ一筆に託して書くから、大袈裟な言い方だけれどいささか六根清浄のような気持ちが重なることも少なくない。年賀等のやり取りは退職後の近年はゆったりした時間の中で可能になったから、年賀のやり取りの文化、慣習には心からお礼を言いたい気がする。

■01/07 「貴老」の人

年末年始には色々な本に混じって曽野綾子氏の『人生の決算書』を読んだ。秀逸なエッセーと 読み応えのある素晴らしい short novel の一冊だった。その中でエッセーはもう90前後になる曽野氏の老いにちなんだ深い内容で目を見張った。そればかりでなく加齢の心構えの指南を受けた気さえする。

そうしているうち、93歳の山の大先輩から丁寧な淡彩スケッチ付きの年賀をいただいたので、10年ぶりくらいになるだろうか、スマホ年始と思ってコンタクトをとってみたら、声は元気で往年と変わらなかったので安心したものの、脊柱管狭窄症と狭心症などついに10の病気を抱えるようになって、歩行はもちろん畑仕事の草取りもできなくなったと、これは淡々と笑いながら話された。毎月1,2度は札幌市内のギャラリーを巡りもう70年近い短歌作りがライフワークになった、とおっしゃる。やりたいことを極めるため体の不具合と付き合ってかばいつつ人生の高みを目指しておられるのだった。

わたしは最近知った「貴老」という言葉を思い浮かべた。思想家の安岡正篤氏が書いていたもので「人間は生ける限り、常にぼけないで、なるべく有意義なことに興味を持ち、道理を尋ね、情熱を抱き続けることが肝腎である」としている。10の病を持ち、生かされていることを自覚しつつ生きる先輩はまさにそれだ。病に付き合って情熱をもって生きてくれることが、わたしなど傍の多くの後進に大切なメッセージを送ってくれる。

■01/04 ニュースレター第32号

苫東コモンズのニュースレター32号をアップ。ここ数年の近況を15枚の画像にまとめて発信。うち何枚かは苫東フォトコンに応募しましたが入選作はなし。

■2024/01/02 明けましておめでとうございます



苫小牧の2024年、令和6年の元旦は予想が外れて晴れでした。いつも目指す初日の出は頭から消えていたためご来光は見ずじまい。その代わりと言っては何ですが、年の瀬の雑木林の風景をアップしました。ヤブを整理して倒木などを除間伐したあとの顏です。初日の出とはちょっと真逆の風景のように見えますが、個人的には気持ちのよさという点でほぼ一緒のように感じるわたしは、ちょっとおかしいかな?


そしてもう一枚。同じく年の瀬の山仕事が小屋のそばだったため発生する枝で久々の焚火をしたもの。一旦火がつけばいくらでも燃やせる冬の焚火。なごみと憩いが、民話調の風土感とともに体に沁みてきます。

石川県の大地震、余震が続かない様、そして被害が広がらないよう祈るばかりです。



2023年、日々の迷想

2022年、・・・・・