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2024年、日々の迷想

■4/19 幕末の体制と日本人

幕末の長州を、吉田松陰から高杉晋作へと描く。画像とは違うが文芸春秋社刊全三冊のうち、2巻まで読み終えた。幕末とは日本にとって何だったのか、日本とはそもそも何者か、意外な見え方だったが、ひとつわかったことは長州は一つの「思想団体」だったことである。司馬氏が歴史的大実験と俯瞰してみせ、「壮烈さとおかしさ」とまで突き放して見せたところがまた興味深い。なんとなく氏はもっと惚れ込んでのめり込んでいると思っていたから。

昨年、萩を訪れ松陰神社や明倫館のひととき、そして懇切に案内してくれた博物館の学芸員さんのことを時々まだ思い出す。旅の前後の歴史探検、これは死ぬまで続きそうだ。そのために養生して自重せねば。







■4/17  川エビを揚げる


ようやく川エビも採れだした。
ピチピチ跳ねるので、当初は命をいただくという敬虔な気持ちになっていたが、人の常かこの気持ちはマヒするものだ。慢心しそうになっている自分を戒める。

こんな時はいつも、ジャイナ教の戒め、アヒムサ・アネカンタ・アパリグラハを思い出す。このアヒムサは「非殺生」であり、これを「意味のない殺生はしない」、とわたしは語訳して年に1度は風土からの養生食としていただいている。

まことに勝手な言い分だが、お許しいただきたい。

ちなみに採ったエビは多くなかったので、今日はキャベツとのかき揚げにしてみた。キャベツの焦げた部分の苦味がかった風味がわたしにはたまらない。

■4/14 令和6年の山菜シーズン開幕




周りの山菜好きが動き出した。
4/11 は白老寄りの水辺にアイヌネギを採りに行ったところ、ちょっと早く、例年なら一面のネギ畑にまだ数本しか見つからない。それでもそれをしっかり採集して、夕食でしばし醤油に浸したものをいただいた。胃に突き刺さる快感。

翌12日は、家人から安いホッキが見つかったと連絡が入ったので、裏山にフキノトウを採りに出かけカゴに少々摘んだ。早速夜はメニュウを変更して恒例のフキノトウとホッキのかき揚げへ。残りはフキ味噌にして数日の保存食に。写真右は1日たったもので、緑色がややアクのためかくすんだようだ。しかし、味は濃厚。これは日本酒とご飯に適。昨日は山仕事のおにぎりに入れた。

■4/12 歌に見る庶民の共感 26

◎ 戦争は終わりましたか地虫出づ    郡山市 Tさん
…啓蟄のころの歌か。ようやく春の気配を感じて顔を出したが、はて、どうか。蕪村のような洒脱感。人間にはこのような客観視が必要と知るがそうそうできることではない。「戦争」。遠い国ばかりでなく近い国の心配も絶えず、なんだか日常語になってしまった。

◎ われら地震列島の民冬椿    高岡市 Nさん
…高岡市は富山県。能登の大地震は他人事でない。地震列島という表現を他人事と考える日本人はもういないのではないか。日本各地で年間4000回も地震があるのだとか。今回の地震は高名な学者らが当面大地震はないと見立てたところで起きたから驚き。そんなこんな言いながら、今日も高さ数百メートルの高層建築は着々と進んでいるだろう。あたかも、これだけは大丈夫とプラス発想するように。

◎ 冴え返る所詮はひとりこれでいい    神奈川県 I さん
…冴え返る、は新春の季語らしい。春先の寒の戻り。折角温もりに慣れてきたのに体にこたえる。所詮はひとり、と呟くともろもろのしこりが解けて力みが抜ける。これでいい、という呪文も実に効く。肯定しないと力が出ないというから、この句自体がまじないのような力を持つ。「これでいい」、さらに「今のままの君でよい」、こんな言葉をかけられたい…。

◎ 北陸の手伝い何も出来ぬ我お笑い番組見るのを止める   座間市 Aさん
…同感、共感した人の顏浮かぶ。何もできないけど、と様子を見ている間に3か月過ぎた。心構えはもちろん、備えも現実味が増した。台湾の備えは日本を学んだとされるが、避難場所のブースなど日本よりはるかに早く居住性がよい。なぜ我が国は2,3周遅れるのか。世界はLGBTから引き返しているのに法制化してしまったり、『西欧の自死』で移民の行き過ぎが共有されていたのに日本は止まらない。

◎ 手仕事を途中のままに残しおくこの気楽さはひとり居の幸   防府市 Yさん
…一人住まいでなくても気ままに居られる環境は憧れるもの。機が熟したら片づける意欲もわく。何事も追われるうちは多少つらいが、自由意志は湧いてくる。気持ちの良いアズマシサを希求するこころは万人の心根に潜むはずだが、アズマシサの快感を経験しておく必要はある。そういえば気楽な境地があり得る、ということも知っておく必要があるということか。学習と体験。親が子供をキャンプに連れていく意味を連想。

■4/10 雑木林の森カフェ



春のシーズンが本格化。テラスを掃除して森カフェがオープン。

■4/8 風景画家/鹿毛正三画伯の随筆を読む



案の定、同じ郷土の空気を吸った人ならではの共感があふれて、それに画伯の人間臭さと人柄とがあいまって、しばし幸せな時間と余韻を味わった。50年近く前に作品と出会い今年美術博物館の個人展でまとまった作品群を鑑賞して、できればエッセーもと進んだのだった。共感の描写はキリがないほどあったが、風景画家ならではの山、港、海、湖など自然への視線が目を引いた。

特に面白かったエピソードは樽前山。恵庭に棲む画家仲間Nさんは、恵庭から見る樽前を「表樽前」と呼んでいたというから驚いた。白老に疎開し住んでいた版画家の川上澄生氏も社台あたりの樽前山が好みだったようだ。川上画伯の社台や、鹿毛画伯の別荘のあった樽前地区から眺める樽前山は大きくてこちらが本物の「表」だと個人的に思える。もし「裏」はと問われれば、わたしは美笛峠からちらっとだけ見える樽前山だと思う。ともかく、郷土、風土を語るなら、風景画家の声を聴くというのはとても有意義であることをあらためて知った。

■4/5 樽前の見える浜でサクラマスねらう



さすがに海のアメマスやサクラマスをねらって200kmも離れた日本海に出かける気力はなくなった。それで一昨年から年に一二度、地元のアングラーの実績を聞いて苫東の弁天浜にダブルハンドのフライロッドを担いで出かけている。案の定釣れはしないのだが、何も遠くに行かなくても樽前の浜や社台の自然海岸で十分だと思い直して今年は家から15分ほどのこの一帯に出かけることにした。樽前山が大きく見えるところで、車を降りて100m足らず、そして歩行がぎくしゃくなわたしでも砂浜は歩きやすい。実は運動と、海から「氣」をいただくための養生フィッシングだ。海や自然海岸はもともとパワースポットの資質を持っているのである。今日は手始めだから、PALMSという固いロッドで45gのジグを投げ続けた。小一時間でも肩と首が凝って来た。長靴をはいて気張らず安易に行けるのがうれしい。天気予報で風と波の状況をつかんでからだから、ヘビーなところがなく海を身近に感じる。さて今後どうなるか。

■4/4 今年一番の山菜「フキノトウ」食す



山仕事の帰り、勇払川の土手で小さなフキノトウを発見。大きさは2cmほど。今年の山菜初物なので、丁寧に出汁をとって吸い物にしていただいた。今日は、24節気の「清明」。生命がすべて輝く頃。今日は樽前浜でロッドを振る予定で、あと数日したらアイヌネギの様子も見てみるつもり。例年より1か月早い3月中旬から川エビの様子も見ているが、やはりまだ早いようだ。

■4/2 古い「雑木林だより」をのぞく

「林とこころ」の2冊目を出そうか、まだ迷いながら古い「雑木林だより」のリード部分をコピーして綴っている。リード部分の数百字をコピペする作業だけでは意味が浅いのでどっぷり読んでみた。特に2010年、苫東コモンズを立ち上げた頃の「雑木林だより59」や「60」「61」「62」あたりは、初々しい関係性があふれていて地域の人とのつながりもよく見える。

そんなことを思い出しながら、はたしてこのホームページにどれほどの方が時々のぞいてくれているだろうか、と過去や日頃の言動を類推しながら数えてみるとおよそ10人。住んでいる場所も全国に散らばっていて、いわば滅多に会うことができないこころの友達。そういう方々の顔を思い浮かべるだけで、なんだか今日はとても温かい気持ちになった。

■3/30 捨てられた材をエネルギーに代える作業終える



思わぬ3月弥生の大雪でなかなか作業が進まなかった線下地の片付けが昨日終わった。写真は午前の休憩時間。疲れを知らぬ若手に、年寄のわたしが水を入れた感じ。しかし、こういう集いと雑談は、今やっている通称「奴隷労働」をポジティブなものに代えることもある。晴れた日の雑木林の歓談はいつも楽しい。



■3/28 白秋期の山仕事



例年になく林の中にはまだ30cm近い積雪がある。昨日はこれから里山仕事の起点になる小さな集材場所、つまり土場をつくり始めた。ここに、携帯用のウインチで風倒木などを寄せるのである。少しずつ切ってみて、適当な広さになったら完成だ。一年を通じて今が一番山仕事のしやすい時期に当たる。自由に歩け、寒くなく暑くなく、葉っぱがないから明るく、風景は癒し系を通り越してパワースポットに代わる。

■3/26 熊小説


河崎秋子著『ともぐい』を一気に読んだ。家人が知人に借りたもので返却日が迫っていたためだ。数ページ読んで吸い寄せられたので、もともと大した用事のない日々だから予定をすべて返上して約300ページを読みふけった。一気呵成の読破が、これまた極めて快感であることを発見した。

作品では、釧路は白糠近辺のヒグマと狩人と彼の人間模様が、酪農に従事してきた著者のキャリアを映して余すところなく発揮されている。自然描写、動物目線、生殖に関するリアリティなど、際立ち引き寄せられた。時代設定は日露戦争の直前あたりだからまだまだ開拓時代にあたり、北海道らしい無骨な寂寥感漂う風土描写にどこか懐かしさを覚えたのは、わたしが近年そのあたりを時間的にさ迷ってきたせいだろうか。

昨年は、江別出身という千早茜さんの直木賞受賞作『しろがねの葉』を読み、前後して長塚節の『土』を読んで、土地を風土描写でイメージする癖がついた。別海町生まれの直木賞作家・河崎さんも筆の力はその面でもいかんなく出されていた。熊小説なるジャンルがあるか知らないが、帯には確かにそんな言葉があった。『しろがねの葉』『土』『ともぐい』、各々の描く世界は、今の世では想像を絶する世界だが、絵にかいたような幸せなんてないんだよ、という慰め、励ましになる、そんな心持で読んだような、そんな不思議な気がする。

■3/24 捨てればゴミ、採寸して使えば燃料、ああ歯がゆい無駄遣い



苫東コモンズ、何度目かの拾い物である。土地所有者に諒解をとって放置された長材を、小さく丸太にして運び出す準備をした。重機などないからすべて手作業で、トラックなど持たないのでレンタカーを借りての仕事になる。この一連の流れは、薪というローカルエネルギーを得る解決策と扱いにくさという壁が込められている。図式は超簡単。

■3/22 渡り本番

勇払原野の事務所で仕事をしていたころ、東京本部に転勤する職員の送別会を行うちょうど今ころ、厚真や鵡川の田んぼで採餌してウトナイ湖に戻るガンたちの壮大な飛行スペクタクルを眺め、わたしは自然との共生を肌で学んだ。あまりの光景にウルウルすることもあった。それらが苦く若い思い出としてよみがえってくる。春分の日は自宅上空でも朝から特ににぎやかだったし、今日も白鳥とガンの飛行が見られた。
一方、庭の雪は完全に溶けてこれからは見た目も一挙に春に向かう。こんな折り、昨日札幌の会議に向かうためJR南千歳に停めた車が駐車違反の切符を切られて落ち込んだ。駆け足で来る春に免じて、これで厄払いは終わった、とやせ我慢する一日だった。

■3/20 春分の日の田園と林




静川の小屋は、まだ結構な雪でざっと40~50cmはあった。陽ざしが強いはず、もう春分だ。樹木のシルエットはまぶしいほど。マイナス6度の小屋室内をベランダに出てすごす。小屋では辻まことの「山と森は私に語った」を読む。帰り、厚真の田園によると、マガンの楽園、遠くに日高モロシリ岳。

■3/18 ミニコミ誌が映し出す地域

「紙のまちの小さな新聞『ひらく』」3月号を一気に読んだ。特集は不登校を巡る問題だったが、記者の個人的な角度を交えて「自分事」として問題に寄りそう姿はいつも称賛せざるを得ない。美々ワールドの経過や弁天遺跡、文化サークル紹介など、ネイティブならではの人脈を駆使しているから見飽きない。市議会の質疑もほぼリアルタイムで活字に起こしている地味なパワーには脱帽だ。いつも思うことだが、次から次へとニュースや問題が湧いてくるのは世の常だが、苫小牧の地の利と製造業や流通産業の蓄積は生々流転に拍車をかけているように見える。お金になれば人が集まる話は、今号が紹介している明治以来のマッチ工場のエピソードにも顕著だ。

それと郷土愛に根ざした先達が風土保全に立ち上がってきたことも知っている。が、自然保護を唱える団体や政党がそれに乗っかるように関与してくる構図も見え隠れしてきた。古くは岩手の小繋入会訴訟、昭和40年代の熊本の水俣病訴訟など、根っこに地元の心の底から出るうめきのようなものがあるのではないか。そのしくみに気付くことが多くなって、いささか世間を見る目が変わった。市民や庶民というのは虫けらの如く日々を生きる。歴史のほんの一時を懸命に自分と家族とを養い、時々はあるミッションに突き動かされて時間を費やす。ミニコミ誌「ひらく」はそこをあぶりだしている。

■3/16 銀杏草と煮豚



早春の楽しみの一つは、磯の香、ギンナンソウである。小さな発砲スチロールにひとつまみ載せて400円近い。かつてはアメマス釣りの帰りなど、イワノリやフノリとともに磯で摘んだものだが今はそれができない。ちょっと割引が出たというので家人が買い求めてくれた。味噌汁にはなすだけで、磯の香りがよみがえり束の間の至福が味わえる。コモンズの研修でも泊ったことのある道南の銀婚湯では毎年この時期職員総出で一年分のギンナンソウ採りをすると言っていた。山仕事の朝、この味噌汁に久々に「とろろ飯」を加えた。

また、豚の三枚肉がやや安いと言うので早速買ってもらい、数日前だが角煮を作った。米のとぎ汁で3時間、薪ストーブで煮るだけの、超手抜きながら十分美味しく柔らかいことに気づいて以来、もっとも手軽なオヤジの料理として定着している。アクなども掬わない。翌夕はこの煮汁で大根を炊いた。鍋を放置できるクッキングスタイルはとてもいい。 

■3/14 独占、里山時間



晴れた早春の一日、山林に残されたカラマツの一部を自家用の薪にすべくひとりで運んだ。カラマツも里山時間も独り占め、と言いたいところだが、誰もうらやましがるわけではない。薪ストーブの世界では、カラマツは火力も落ちるし、知っている人はカラマツの目に見えないトゲをとても嫌がるからである。その辺の事情を反映して、林内にはカラマツやハルニレ丸太が残っているが、もう腐るのを待つだけだ。しかし、基本、それは贅沢というものだ。皮の手袋をすれば十分扱えるし、熱量だってナラの8割くらいはある。みんな、忙しすぎるのだ。それに、こんなまぶしい春の日に雑木林を歩けないのはお気の毒である。

■3/12 遺言のような後押しにふれて

「このやり方(体制)できっと大丈夫、うまくいくよ」。前の勤め先でトップが亡くなる3日ほど前に、病院にお見舞いに伺った際に聞いた短く弱いひと声だった。こちらはいつも迷いながらの運営で、自信などまるでない手探りの日々だったから遺言のようなこの一言にどれほど励まされたか知れない。人は、亡くなる前に許容とか寛容の態勢になるのだろうか、「励ます遺言」とでも言うべき得難い、かけがえのない肯定と受け取った。天の声のようでもあった。

 昨年の秋、今から20年前に「君の関わる里山のことを本に書いて残しなさい」と熱心に勧めてくれた先生が他界された。「雑木林だよりをまとめて(『林とこころ』の)2冊目を出しなさい」と電話で勧められたのも、確か亡くなる3日前であったから、このひと声もまぎれもなく遺言のような励ましに違いない。背中を押された気がして本気で取り組んでみると、最近の書いたものには切り込みもキレもない。感性の輝きが乏しい。そんななかにあって、10年、20年も遡った「雑木林だより」は、当時はこんなことを考えていたのかと驚くような筆致が随所にあり、学びの場も催しの企画もずいぶん精力的にこなしていたことがわかる。人は知力も体力も感性も衰えるから、時々の記録がかくも大切なものかとあらためて驚いた。この膨大な記録を読み返す時間は、単なる楽しみを超えて来し方のささやかな肯定に繋がっていく。

■3/10 勇払原野の地政学的位置と 「ユウフツ越え」

3/9 午後2時から、苫小牧市勇払の「勇武津資料館」で『ユウフツ越え』の講演を聞いた。講師は資料館の学芸員Tさん。

初期の北海道開拓は勇払川の河口あたりから始まったが、開拓に入った八王子千人同心は冬の寒さの備えもなく次々と死んだ様は実に悲痛だ。北海道の寒さは本州人の我慢レベルを通り越していた。甲州街道など交通の要衝八王子は、わたしには古い繁栄の都に映るが、先年、昭和天皇の武蔵御陵などをお参りしてその感を強くした。そこは温暖な武蔵野の面影が残っていた。

道南松前藩はともかく、道央や石狩空知の開拓は勇払川や千歳川、それと石狩川という川を船で遡上して内陸に移動して行われ、特に1700年代後半あたりから明治初期にかけては、勇払川から美々、駒里を越えて千歳川に入り石狩方面に出た。今日のテーマ「ユウフツ越え」は美々川から陸路を馬に船や荷を引かせて千歳川に行くそのルートを指している。Tさんの話では明治6年、札幌本道ができてからは、そちらの場車道に徐々に役目を代えていったという。

新千歳空港の滑走路でみつかった遺跡調査では、当時の轍(わだち)がしっかりと判別できる写真があり、今までなんとなく漠然と見てきたものが初めて現実味を帯びて伝わって来た。峠とも言える空港周辺は標高100m足らずではないか。そこを越えれば全く風土の違う日本海側に出るのである。古来の目の付け所はさすがに確かだ。

ここの地の利は古くから港の構想が湧いては消えしていることでもわかる。その一つのあだ花が「千歳川放水路計画」だったが、放水路は往時の人々の夢の実現でもあったわけだ。Tさんはそのいくつかの計画を駆け足で触れてくれた。自然保護か開発かと二者択一のようにマスコミでは対立軸に見立てて議論されてきた苫小牧だが、わたしには地政学的な運命だと思えたから、それをどのようにうまく折り合いをつけながら行くのかだ、と見てきた。放水路は「ユウフツ越え」の地域理解を踏まえて100年近い熟議を要する懸案だったのにもかかわらず、急ぎ過ぎて無謀であったかもしれない。

雑木林コモンズをなんとか利活用している当方にも実は無縁の話しではなく、極論すれば現在のコモンズ利用は、巡り巡って勇払原野の「地の利」の恩恵であり、ノベタンになってしまいかねない産業用地の中の、アソビのようなオアシスが苫東の緑地であると言えまいか。わたしたちはその一部の緑地管理プロジェクトに住民サイドから参画していることになろうか。

■3/7 カジカのブイヤベース風



先週あたりから魚屋さんにカジカが出ているので、おととい、エビやアサリとともに大好きなブイヤベース風のスープを作った。肝はもちろん小骨も一緒に煮込んだので見た目はいまひとつで時々骨をとりながらの、ちょっと手間のかかる魚料理だけれども、味は絶品なのでフランスパンを浸すなどしておいしくいただいた。昨日もワインを飲みながら食べて、そして今朝、若干のスープが残してあったので冷蔵庫のご飯でおかゆに。またもや若干の骨があって歯がかけないよう要注意だ。先週はイワシを煮つけたけれど、はて、今頃が旬だったか。食卓には店のニシン漬けも数回出たがどれもおいしい。少し暖かくなったら、来週あたり川エビ採りに出かけるのでいよいよ山海の珍味の季節到来である。


■3/5 歌に見る庶民の共感 25

今日は24節気の啓蟄。このところの雪で春の予感も少し遠のいた感がある。しかし吹雪で荒れた日などはまさに読書日和で、晴林雨読の理想に近い。そんな数日、佐高信著『俳論風発~15人の、この人あの歌』を読んだ。日本人のどこかに俳句を詠むこころが眠っていることに気づかされた。それで今回は、俳句を冒頭3つ。

◎退屈を生きる幸せ福寿草   姫路市・Sさん
…さりげなく謳いこまれたが平凡で退屈することの巡り合わせは僥倖であると思わせられるこのごろ。無為、何もしないで頭を空っぽにできることも、よくぞ人に生まれける、だ。

◎焼け跡の夫婦茶碗や能登に雪   東村山市・Sさん
…もう2か月たった。描写がリアルで情景が浮かぶ。みぞれ雪など降って、片づけに追われれば、心も体もくたくた、ぐしょぐしょになってしまう。食べ物、温もり、睡眠、そして安心…。足りないものばかりだ。

◎向かひ合ふだけの幸せ日向ぼこ  山形市・Kさん
…「幸せ」の句が目についた。ただ太陽と向き合うだけで幸福感を味わえるのはありがたい。のどかな縁側かと推測させる。手を合わせる気持ちになって一日が始まる朝の陽もうれしい。

◎ありがとうを他よりたくさん言えるから飲食店でアルバイトする  東久留米市・Nさん
…なるほど。感謝の気持ちを表わせると自分自身が変わるらしい。言霊が人を誘導するともいう。自信を失って来たら「自信を持っていいんだよ」と自らにささやきかけ、体が重ければまず起きて動けば心がついてくる、ともいう。

◎「ヘイ、シリ」と妻がスマホに語りかくすぐ目の前に俺がいるのに   草加市・Tさん
…「ヘイ」が笑いを誘った。スマホという小さなパソコンを小脇に抱えて生きているということは、記憶の脳と辞典を手にいれたようなもの。しかし間もなく、スマホのない休日、などという習慣がもてはやされそうな気がする。

■3/3 風土感覚の共有



苫小牧に住むようになってすぐ、鹿毛正三画伯の絵を鑑賞したのを覚えている。市民会館かどこかの学校だったか、とにかく公的施設だったと思う。それ以来色々な場所でお目にかかり、そのたびにどこか波長が合う方だなあ、と長い間思っていたが、このたびの市の美術博物館の個人展でじっくりまとめて拝見して、波長の秘密は北海道は胆振、苫小牧などの風土感覚にあるのだろうと合点した。上左は、画伯のアトリエに所蔵されいわば眠っていた作品だったとかで、10号ほどのネーミングのないものが多かったが、身近な山、林、渓流、湖、漁港などを氏の感性で写し撮ったものだったから、ここでも画伯の眼差しというものが感じ取れた。自然と言えばいつも開発によって破壊される一方のような報道が目立つ一方で、鹿毛画伯が自然を描いた作品は風土として受け止め地域を肯定的にとらえるような温もりを感じてきたのである。また、ある作品のわきに展示されていた『五匹の鮒』というエッセーを読んで、画伯は釣りが趣味で特に渓流が好きだったことを知った。これでまた親近感が湧いた。

漠然と自然が好きだとおっしゃる方は多いし、動植物に詳しい人も少なくないが、もっと大きく、「風土」という母のような入れ物を語る人は実はかなり少ない。ましてやそこに神がかったものを見ようとするような人にはほとんど出会わない。その視線というのは、俳句や短歌、あるいは詩のようなジャンルなのかもしれないが、自分ではもっぱら鑑賞ばかりで創作はほぼしない。先日、そこをともに語る人が身の周りにいない、とある北陸の先輩のはがきにあった。ただ日常、向かい合う場所がたとえ違っても日本各地の風土感覚は共有できるから、たまにお逢いして語る時は、深い思い出が残る。お酒でもちびちびやりながら肝胆相照らすというのは、特に高齢に差し掛かったものの憧れの光景でもある。

■2/29 大風が残したもの



強風が始まったのはおとといだっただろうか。これが夕べまで続いた。午前、ちょっとした作業で大島山林に出かけたら、薪ヤードには写真のような風紋ができていてアクセス路はシュカブラのように雪がとんがっていた。ブルーテントの妻側の一部にほころびが出来てもいた。風は自宅の薪ストーブにも影響を与えた。煙の吸い上げ、すなわちドラフトが良すぎてストーブの温度が必要以上に上昇するのである。天蓋(クッキンググリドル)の温度計がおとといも昨日も400℃を越え過熱状態だった。昨日、現場から帰ると家人が「温度が下がらず怖かった」、と。

■2/27 歴史小説で時代と歴史を垣間見る

歴史に関心を持たれている方には笑われるほど、当方は常識のない歴史音痴なので、遅ればせながら関心のひもを解いた時代物が、楠正成と毛利元就。楠正成は吉川英治の『太平記』で、毛利元就は内館牧子の『毛利元就』だった。今、内館・毛利の3巻目を読み終えるところに達した。

学びの成果は旅の思い出とともにある。後醍醐天皇に忠誠を尽くす正成は一時奈良は吉野そばに籠城したが数年前の奈良探訪を懐かしんだ。『毛利・・』では勢力図の周辺に昨年の萩と津和野を思い描いた。時代は2,300年違うけれども共通するのが、裏切りと忠誠の蠢きと武士や公家の心理戦だ。さすがに風景描写はほとんどない。

今となってはもっと若い時に読み始めるべきだと後悔しているが、反面、今のような白秋期というべき穏やかな時にまたとない道楽時間が得られた有難さも感じる。そして読むべき歴史はエンドレスに続いている、というのが何より嬉しい。負け惜しみでなく。(-_-;)

■2/24 高齢者中心の山仕事点描

雪が落ち着く2月の半ばころ、冬の間に手入れした広葉樹の丸太を道のない藪の中からスノーモービルで運び出し薪ヤードに積む作業が山場を迎える。今日は事務局が呼びかけたせいか、いつものメンバーが勢ぞろいしてほぼ完了した模様だ。



このスピード感のある動きを見てほしい。スノモが曳く鉄ソリに猛スピードで丸太を積み上げるのだ。その時間は1,2分、そしてすぐ出発だ。時には総重量1トン以上を載せる。4人のうち3人は、現役の勤めをすでにリタイヤした60代後半のメンバー、残る一人はバリバリの現役30代、幼い子供二人のパパ、働き盛りである。注目したいのは、冬の暖房用の薪を自賄するパワーは、このような筋肉をつかった肉体労働が不可欠だということで、まあ、実に原始的な人力作業を経ないと、林の恵みを使い切るカスケード利用は出来ないということである。薪がローカル流通となる所以でもある。

■2/22 かた雪の雑木林



小屋までかた雪の上をツボ足で歩いた。快適そのもの。小屋内部はとてつもなく寒いが、里山時間の独占はひょっとしたらとてつもない癒しの時間、もしかしたら宗教体験かもしれない、と思う。その宗教とは「自然神道」あるいは「産土信仰」。

■2/20 70歳からの風景変化

未明の時刻にひとりで起きていると、まあ、これまで思ってもみなかった静かな、少し成熟したような不思議な気分になる。なにか余計なものを捨てたような、諦めたような、かといって希望の持てるような、家族を思い知人や関係者を思い、再び、まあなるようにしかならない、などと自分に言い聞かせたり。しかし、悲観ではない。不思議なもので、このような時間は70の頃からちょっとずつ顕著になったような気がする。いわゆる老い支度であろう。白秋期の宝物。知力と体力は衰える一方で、霊力のようなものが研ぎ澄まされるような。ボケないで大きな病にも襲われず暮らすことは、周りの同年代の物故者や先輩方をを見渡すと大変な幸運だとわかるこの頃、加齢とは実にすばらしい体験だと思う。これで召されるなら本望だ、そんな風に生きたい。

■2/18 「小鳥のようにしあわせ」

恋文の方向にことが成就した時、芥川龍之介はこうつぶやいたらしい。毎朝、庭の雀など小鳥を観察している身として、さすが文豪、言葉選びがうまいと思う。朝の、テンションの高い時の小鳥の動きはきびきびして朝が来た喜びを実に体全体で表すからである。町内会の回覧板に、鳥インフル予防の観点から各戸の餌台設置は自粛してほしい旨の広報を見て、エサ台はすぐ止めたが、今年はそっと残りの餌をレンギョウの根元にほんの少々播いている。今朝は出窓の前のイチイのてんぺんにシジュウカラが来ていて、薪小屋の床でも何かをついばんでいた。シジュウカラの動きもいつもの「しあわせ」風だ。彼らはこのような本能の動きを失った時にはもう生きてはおれないのだろう。懸命という言葉が浮かぶ。

■2/15 雑木林を持続させるために「雑木林を伐る」

気温10度の中、スノーシューをはいて林を巡った。雑木林の主たる構成種ミズナラとコナラの更新状態をみるためである。雑木林をこれからもずっと維持するために、除間伐という一見まともそうな対応をすれば問題は解決しそうに見えるが、現実は甘くないのである。除間伐だと景観は当面維持できるが、若い木が育たないのだ。林内照度が足りないのである。

その結果、結論としてたどりつく「将来的にも雑木林景観を維持するためには雑木林を皆伐しなければならない」という逆説。本州ではもう30年以上前に、議論されていたことで、北海道ではどうかと言えばまだほとんど問題にされていないのではないか。そもそも雑木林に対する評価がいまひとつ聞こえない。そのうえ勇払原野は折角萌芽した枝もことごとくシカに食べられる。食害も覚悟して、それでも皆伐するのが次善の策だろう。

重い雪を我慢しつつ2時間あまり歩きながら、静かに覚悟する。今年の秋からは、雑木林を小面積皆伐して結果を観察しよう、シカがいても皆伐によれば更新して他の樹種と高密度の薮となり、ナラの萌芽枝が生き残り萌芽林ができるのではないか…。柏原ではブッシュ状になればしのげている何か所かがあった。それを思い出し一縷の光としたい。



■2/13 デコポンのママレード



熊本から届いたデコポンでママレードを作る。
4個の果皮を茹で白い皮をそぎ取り、水洗いしてから千切りしてゆでこぼし。グラニュー糖を控えめに加えて30分以上煮込んだ。焦げないように薪ストーブの前で本を読みながら時折かき回し、瓶も煮沸。

ストーブの前で読んでいた本、内館牧子著 『毛利元就』 が次第に面白くなって、昨日から中巻に差し掛かった。昨年訪問した萩や津和野、山口、あの辺の1500年頃のおさらいだ。周防、安芸、石見、備後、出雲、美作と、往時の国模様、お家存続をかけた駆け引きなど、歴史物初心者には面白すぎる。

■2/11 三月早い新緑



1か月前の1月12日、静川の小屋の周りで伐倒したナラの枝を持ってきて水に差していたところ、1か月もしないうちに緑が見え始め、今朝ははっきりと葉脈まで見えるようになった。勇払原野のナラの新緑は例年5月20日ころが始まりだから3か月早い新緑ということになる。実に可愛い。薪も残りが少なくなって、春も近いというサインがあちこちに見えて心が浮き立つけれど、新緑の芽はその点格別だ。お祝いのビールだ、「新緑先取り祭り」で。

■2/9 歌に見る庶民の共感 24

穏やかないい冬だ。立春を過ぎると陽ざしは春を感じさせるが、2/19 の「雨水」となればもう雪解けは近い。雑木林の丸太を運搬する手づくりルートの雪が消えてスノーモービルが難儀するのも近い。毎年、除雪ならぬ「加雪」をするのがおかしい。

◎ 夫には聞かれぬやうにこそこそとふたりの娘らの恋話聞く  横浜市・Kさん

……目に浮かぶ図。ワクワクの家庭のモデルみたいだ。その一方で漂うのがお父さんの仲間外れのような寂しさ、そこに共感する。父親というのはどうもそういう役割で、それはそれで良い。娘の幸せ願うのみ。

◎ 老人となりたる兄とわたくしと墓参の帰り手つなぎあるく  和歌山県・Sさん

……こちらは仲の良い兄弟のむつまじい光景だ。兄弟、親子、絵に描いたようにはいかないことも多いのだろうが、気持ちひとつで何とかなる。ぜひ、こういう関係は紡ぎたいもの。おととい、夜の外食の帰り、雪道が滑るので家人が腕を組んできた。実はこの方がお互いのためになる。杖代わりとはよくいったもの。お互い様。

◎ 暖房のほどよくきいた図書館で『遺書の書き方』ゆっくり読む   竹原市・Oさん

……これもイメージが湧く。ここ1,2年断捨離も進んで、先日は図書館でおひとり様の老後という意味のハウツウ本を借りた。誰にも迷惑をかけないでサクサクと御終いにしたいのは高齢者の共通した願いだ。それまでは旅行もし、美味しいものも食べ、飲んで、友人らともたまには語りたい。

◎ 三百が二百となりて今五十やうやくしがらみ無き賀状書く  国分寺市・Kさん

……ホントだよね、わたしも一緒だ。しがらみを越えれば賀状は実に楽しい。近年は寒中見舞いに切り替えたが、「どなたか不幸があったの?」などと聞かれることもある(笑い)。関係のリセット、良いことが多く再発見もする。

◎ 「初物じゃ」父が頬ばる焼きサンマ先週食べたことも忘れて  大津市・Nさん

……ぼけたのか、もの忘れか(爆)。前夜の食事を思い出すのが難しいことも確かにある。しかし、時間をかければほぼ間違いなく思い出す。そう、年寄はゆっくり時間をかければしのげることが多い。諦めないで考える、思い起こしてみる、、謎解きを楽しんでみる…。すこしコツをつかんできた。今年は娘が帰省した時、家人は奮発して一匹800円もする大きなサンマを買ってきてみんなで食べたのが忘れられない。

■2/7 風土を共有するのは気持ち次第



ここが工業地域の緑地の一角だとは思えないのではないか。30年近く前に手入れした雑木林では猥雑な林床が隠されて、すっくと立った樹木のシルエットが美しい造形を創っている。手頃な二股の木をみつけてデジカメを挟み、セルフタイマーで雪原の散歩を切り取る。自分のものではない環境だが、かくしてしばし共有することができる。

■2/5 苫小牧のシカ、まるで奈良公園化

いよいよ、予断を許さなくなった街のシカ。王子製紙の土場ではシカが、左右を確認して片道3車線の道路をゆっくり歩いて渡っていた。昨日は豊川小学校の北の斜面一帯(海岸段丘)を見て回ったら、雪が解けた斜面に10頭近くのシカが、まるで夜まで待機するかのように何かを食んで暇そうにしている。そして深夜12時ころ、床に就く前に庭を見ると角のあるオスジカがレンギョウのところに立っていた。思わず窓ガラスをたたいたところ、逃げて行った。朝、庭のオンコは無傷だったが「ついにオスジカがうちに来た」とショックだ。まるで、苫小牧は奈良公園化してきた。野生との共生など、まったく望まない。本件はいったい誰が真剣に対策を考えているのだろうか。

■2/3 長塚節 『土』 読了

小さな文字で350p、しかも茨城弁の会話が圧倒的に多い、ちょっと読みにくい一冊だったが、夏目漱石が「娘が大きくなったら是非読ませたい」といったという、さすがの力作だった。東京のすぐそばで、これほど貧しく、虫けらのような悲惨な生活を強いられていた小作農民らがいたことを、この小説は知らしめて農民文学の嚆矢とされる。土にへばりついた小作を描き出すのに、自然観察や行事などを含む風土理解が一級でなければならなかった。そうでなければ、主人公と地域社会の全体像を描けなかったのである。短歌を歌い上げる風物の観察とはそこで不可分であったのである。

長塚は地主であり、主人公は小作で、副業に開墾に携わっていたのであったが、明治40年頃の日本は関東であれ、雑木林を開拓して畑にするさなかだったことがわかる。林の描写も多く、「既に薪に伐るべき時を過ぎて、大木の相を具えて団栗がその浅いさらに載せられ右ように成れば、枯れ葉は潔く散り敷いて…」などという表現がさりげなく表れ、目をとめた。

土と向き合う農業は、社会にとってベーシックな営みであり、林はさらにそのひとつ前のステージのように描かれていることに、なにか、目からウロコの落ちるような思いで読んだ。藤沢修平の『白い瓶』から数えれば約二か月、長塚節の世界にどっぷり付き合ってきたことになる。ポッカリ、穴が開いた気分になっている。


■2/1 セキュリティの薄くない壁

かつて便利な電子メールが使われるようになってしばらくしたころ、偽メールやウイルスやアカウントの漏洩だったかもろもろで、もう電子メールは信用ならない、使えない、などと中止宣言をする人がいた。SNSも然り、現在でも悪用というべき他者の攻撃と詐欺などのため、どうも必要悪としてわきまえて使用せざるを得なくなった。

最近のカードの信用もセキュリティが益々厳しい。いや厳しすぎて、わたしが使用していたカードもある日から突如ワンタイムパスワードなるものが必要になって、聞けばこれからこのパスワード方式は他のカードも追随するらしい。スマホの操作ひとつとっても、ストレスになりかねないものも多い。このまま、難解で複雑な操作を求められたら、お手上げにしたいところ。

しかしもうすぐ70歳になる家人はついこの前まではまったくのIT弱者だったのに、テレビ番組や子供たちに聞きながらストレスなどと言わないで積極的に取り組んでいる。周りの同世代から見るともう突出しているようだ。それを見ていると、ネット社会はやはり終生付き合わざるを得ないのか、と思わざるを得ない。下手したらこういうリテラシーを進歩と呼ぶのだろうか。

■1/30 満72年の歯を抜く

すでに40年近くお世話になっている歯のかかりつけ医は、「可能な限り抜かないでいきましょう。そのつもりで歯をケアしてください」と励ましてくれていたが、ついに奥歯を一本抜いて数日後ブリッジをかけて埋めることになった。昨年から大きく揺れ動くようになり、モノを噛むのが難しくなったことと、歯周病菌が隣に感染するのを防ぐためだ。思えば抜いた歯は10代の後半にはすでに時々出血していた問題児(歯)だったから、われながらよく持ったなあ、という意味もあって、抜いた歯をもらって家で歯ブラシで磨き机の上でシゲシゲと眺めてみた。感慨もひとしお、ご苦労さんと声をかけたくなる姿である。と同時に、人の一生、余命、これからの養生などモロモロが偲ばれて、歯一本に凝縮された来し方を見る思いがする。がんばっておいしいものを食べて飲むために、というのは将来への欲張りな希望だが、老い仕舞いとでもいうような山型のグラフのような図が浮かび上がってくる。

■1/28  現役として動くことの限界と展望



除間伐材の有効利用として、伐倒した丸太の藪だし運搬が始まった。先週から十分雪が降ったおかげだが、降り過ぎてまだ雪が落ち着いていない。そんな中、雪に埋まった丸太を掘り出して鉄ソリに積みスノーモービルで作業ヤードまで運ぶのである。いつもの静川の里山はもうスノーシューでしかアクセスできないことと、今日は大島山林の運搬車スノーモービルのドライバーがいるのか心配だったのでメンバーが集結するこちらの山林に顔を出し、夕方まで藪だしやら積み下ろしなどの作業をした。若手会員と一緒の行動をするのは実に久々だ。静川の小屋は雪が落ち着いてからにしようと思う。

鉄ソリに載せスノモで曳かせる丸太の重量はは700kgから時に1トン。今日は新雪が40cm近いので数回スタックしてドライバーは一苦労した。今日のわたしはあくまでピンチヒッターだが、スノモの始動や運搬時の微妙なコツ、ルートの取り方など、若い人に伝えておくべきこともあるな、と思った。いわゆる、キャリアの長さに伴う、格好良く言えば、ここの里山作業の経験知であろうか。

こうして活動しながら、シニア世代の山仕事における働き方を改革、開発しておくことも少し意味がありそうだな、と感じている。足跡をつけておいてのち,、各々が各自の方法で獲得してこそ、年寄になってからめざす長い里山ライフを続けることが可能になる。90歳あたりまで生き延びるのは普通になった昨今、これからは生きがいと養生の選択が問われる。

作業をしながら 今日のパートナーの kuri ちゃんは、「北海道で丸太を人力で雪の中から掘り出すような、こんな本格的な山仕事をして薪を産み出しているなんて想像もつかないでしょうね」としみじみ言う。わたしが見ているSNSで発信されている本州の「薪活」の実情を話していた時の反応だ。逆に、この自賄いの手ごたえを感じて評価できる人がどれだけいるかはわからない。

■1/25 海のサクラマス用フライ



余市の「現代を生きる縄文人」と自称する山の先輩からサクラマスのフライ(左上)が届いた。今年は樽前浜でがんばってみる、というわたしの決意を聞いての、有難い応援である。

フライは、これまた岩内の後期高齢フライフィッシャー岩田さんのオリジナルで、仲間内の名称は「イワタ・スペシャル」。シンプルなシルエットでマテリアルも普通のものだが、なんとなく釣れそうに見える。サケなどの稚魚を模したものだと思うが、右下の赤、黒、黄緑のフライは熊石を中心にわたしが使い古したアメマス用のフライ。20年以上前に地元のフライマンが使っていて実績のあることから試作して愛用してきたものだが、これもポーラーベアーとエルクだけのシンプルなものだ。しかし、良く釣れるから不思議だ。その点、バルサを使うミノータイプなどは、かっこいいが消耗するのがもったいないという愛着が作用して、ついチャレンジを大人しくする。さて、これから気分を盛り立て、よたよた歩きでも今年は前浜をロッドを抱えてさ迷ってみようと思う。




■1/23 地域の文芸誌をいただいて読む

空気を共有する楽しみ、というのだろうか。

先日、地域活動で知り合った年上の方が、自らが関わっている文芸誌を今年も送ってくださった。雑読の癖と量は結構なものと思う自分だから、今さら地元の同人誌に目を通すというのも少しばかり抵抗があったのだけれど、文章のうまさ下手さや内容のレベルがどうのということではない、そこに感じる独特の面白さは何かと考えた。

素人だからエッセーなどはツッコミドコロがあって気になることはあっても、それを補って余りがあるような気がするのは、きっと共有する空気感ではないかと思う。うまく例えられないが、気心の知れた飲み友達と丁度良い距離感でゆったり飲みながら語るような時間が保証されるのだ。嫌ならすぐやめてもいいし、政治信条が違いそうなら最初から読まなければいいし、時々挟まれる地域ネタや地名から生まれる親近感など、悪くないのである。ああ、近所のオジサン、オバサンは常日頃こんなことを考えているんだ、と同類意識のようなものを覚えると方の力も抜けるというもの。そう、町内の良識あるご隠居と、縁側でちょっと一杯やる感じ。TPOによって読み分けようと思う。 

■1/20 雪にすべてを覆われて



週初めの2回の降雪で、シニアワークも完全な冬バージョンに変わらざるを得なくなった。小屋へはR235そばの動物検疫所前に車を置いて雪の林道を歩かねばならない。おかげで小屋はますます世間から離れた別天地に昇格する。大島山林はスノーモービルが動き出した。 

■1/18 小鳥の餌付けを止めた功罪

昨今、有識者の声などをベースに、マスコミ報道が決め手となって出来上がった暗黙の了解というものがあって庶民には反論が面倒になって来たコトがある。身近な例が、鳥の餌付け、もっと進んで小鳥の手載せ。ここ苫小牧では鳥インフル予防と野鳥虐待がきっかけか。堂々と手乗せを応援し庭で餌付けをしていた身としては、窮屈な気がして仕方がない。

今日は午後から、久々にあわよくば小鳥を載せたい、との思いで北大の苫小牧研究林に出かけた。かつては野鳥の餌付けや手載せのメッカで、市民が小鳥を手載せする場所があった。わたしも大好きな所だったが、少してらいも羞恥心みたいなものもあり、メッカのポイントから遠く離れたところで静かに手乗せをしていたのだった。メッカから1kmも離れたところでも、学習した小鳥は手にも頭にも乗った。

感動はすごいから、もちろん、というか、おもてなしの一環というべきか、わたしの勇払原野のフィールドに関心を持って本州や道内の遠隔地からはるばる来てくれる方々には、ひとつの森林体験として案内して、冬ならばよく手乗せを経験してもらった。ところが、中には激しく反対する方もいらっしゃった。なにかこちらが悪いことを奨励しているかの目線で振る舞われた。わたしが自然保護原理主義と呼ぶ方々だ。かなり、かたくなであった。

今日は午後からラフな格好で駐車場に行き、山の神林道の方へ歩いた。もちろん補聴器を装着してだが、残念ながらほとんど小鳥の声も拾えずシルエットもなかった。

話は飛ぶけれども、野鳥を手に載せることの、自然へのマイナスとプラスを、ここ苫小牧でこそよく議論すべきではないかと思う。都市林を標榜してきた大学の研究林の意味もそこにも大いにありそうに思う。自然との共存とか、野生生物の多様性とか言えば、全てが解決するわけでないのだ。世論をリードする大学の研究機関や有識者らは、しばしばそこにコミットする考察や実体験が欠けていることがないか。専門の研究対象から離れているのだろうが、研究者の発言は地方のマスコミにとって絶大だからミスジャッジも起きやすい。だから迫力ある討論や説得ができにくい。そこにあえて発言する独裁的自然哲学者にわたしは出会いたい。

■1/16 旧交をあたためる

年賀のやり取りで往時を思い出すことの多かったせいと、アルバムの整理などで、なにかと数十年前の付き合いがよみがえる。昨日は、30年以上前にヨーロッパの花の庭づくりを見に行った面々に連絡をとり、新年会に誘った。リタイヤした人ばかりだから、日程調整はいたって楽で助かる。つながりをリセットもする年代だが、これからはこうやって復活というのもある。関係の組み換えのようなものか。楽しみは創るものだ。

■01/14 年寄は半日仕事



神経痛が出て、いよいよ年寄の半日仕事を文字通り「否応なく」実践することになりそうだ。昨日は、新たに2,3本倒してから、2日前に伐っておいたナラを玉切りして小屋裏に運んだ。子供のソリ遊び用のこんなものでも100kg程積める。これを7か8往復。体力に合わせ、安全に、少しずつやれば片道50m余りの距離を2時間余りで鉄ソリ1台分を、伐倒から運搬までマイペースでできる。これが2年後の薪になる。薪割りは連休にマサカリで。

■01/12 春の兆しあり



1/11 の山仕事で伐倒したミズナラの先っぽを3本持ち帰った。芽が春を先取りして膨らんでいたからだ.。毎年こうして、桜やコブシの花芽を持ってきて自宅の出窓に置いて、2月か3月に先んじて開花を楽しむが、花芽でなく葉芽の葉っぱだけでも一足先に新緑を愛でるのだ。これは間違いなく一足先に春を告げる。思えば、この「芽」という字は、来るべき未来の明るいサインとして使われてきた言葉、一字だった。

■01/10 交流の喜び



サラリーマン時代の後半は年賀状が少し重荷になってくるのだろうか。70あたりを区切りに、その我慢していた重荷をそろそろ止めるというメッセージがチラホラ出始める。本当にそうだよなあ…。今でこそ年賀状の習慣なんか若者になくなって、職場の若い人から返信など来なくなった思い出もある。しかし、わたしはその辺の裁きがまだ中途半端である。

今年も寒中見舞いの葉書を書きつつ、やっと100枚を切った思い出の人たちと、葉書を通した交流が少し熱く感じた。特に熱く感じたメッセージ先にはスマホで直接年始の挨拶をして旧交をカムバックした。お互いの距離感を意識しながらの年賀状やその他新年の葉書のやり取りは結構デリケートな、しかし人生の機微に触れることのできる時間だと思う。

出す側、書く側には癒しのような面もないわけでもない。わたしなどは、送り先に不義理と無思慮のお詫びの気持ちが湧きつつ一筆に託して書くから、大袈裟な言い方だけれどいささか六根清浄のような気持ちが重なることも少なくない。年賀等のやり取りは退職後の近年はゆったりした時間の中で可能になったから、年賀のやり取りの文化、慣習には心からお礼を言いたい気がする。

■01/07 「貴老」の人

年末年始には色々な本に混じって曽野綾子氏の『人生の決算書』を読んだ。秀逸なエッセーと 読み応えのある素晴らしい short novel の一冊だった。その中でエッセーはもう90前後になる曽野氏の老いにちなんだ深い内容で目を見張った。そればかりでなく加齢の心構えの指南を受けた気さえする。

そうしているうち、93歳の山の大先輩から丁寧な淡彩スケッチ付きの年賀をいただいたので、10年ぶりくらいになるだろうか、スマホ年始と思ってコンタクトをとってみたら、声は元気で往年と変わらなかったので安心したものの、脊柱管狭窄症と狭心症などついに10の病気を抱えるようになって、歩行はもちろん畑仕事の草取りもできなくなったと、これは淡々と笑いながら話された。毎月1,2度は札幌市内のギャラリーを巡りもう70年近い短歌作りがライフワークになった、とおっしゃる。やりたいことを極めるため体の不具合と付き合ってかばいつつ人生の高みを目指しておられるのだった。

わたしは最近知った「貴老」という言葉を思い浮かべた。思想家の安岡正篤氏が書いていたもので「人間は生ける限り、常にぼけないで、なるべく有意義なことに興味を持ち、道理を尋ね、情熱を抱き続けることが肝腎である」としている。10の病を持ち、生かされていることを自覚しつつ生きる先輩はまさにそれだ。病に付き合って情熱をもって生きてくれることが、わたしなど傍の多くの後進に大切なメッセージを送ってくれる。

■01/04 ニュースレター第32号

苫東コモンズのニュースレター32号をアップ。ここ数年の近況を15枚の画像にまとめて発信。うち何枚かは苫東フォトコンに応募しましたが入選作はなし。

■2024/01/02 明けましておめでとうございます



苫小牧の2024年、令和6年の元旦は予想が外れて晴れでした。いつも目指す初日の出は頭から消えていたためご来光は見ずじまい。その代わりと言っては何ですが、年の瀬の雑木林の風景をアップしました。ヤブを整理して倒木などを除間伐したあとの顏です。初日の出とはちょっと真逆の風景のように見えますが、個人的には気持ちのよさという点でほぼ一緒のように感じるわたしは、ちょっとおかしいかな?


そしてもう一枚。同じく年の瀬の山仕事が小屋のそばだったため発生する枝で久々の焚火をしたもの。一旦火がつけばいくらでも燃やせる冬の焚火。なごみと憩いが、民話調の風土感とともに体に沁みてきます。

石川県の大地震、余震が続かない様、そして被害が広がらないよう祈るばかりです。



2023年、日々の迷想

2022年、・・・・・