無為の幸せ、来し方の受容
股関節の手術をしてからもうすぐ3年。日々の生活の動きが楽になって歩行の筋肉やバランスも良くなりつつある。それに、4,5km歩いた方が翌日、身が軽い。山仕事は各種あり歳相応のことを自分のリズムでやれるから、こんな幸運はない。 ひとさまの土地での目配り管理。訓練しないとできない伐倒作業も含む、コモンズの緑地管理の面積はざっと140ヘクタールと見積もった。なんと、このエリアの総緑地面積の5%にあたる。発注と請負の関係の仕事で換算すれば相当な時間と金額になる里山仕事を、ゆるい、地域活動のフィールドに置き換えてみた実験は、今、佳境に入りつつある。 |
無為の幸せ、来し方の受容 2024/07/02 tue 23℃ 晴れ後霧、そして土砂降り 「時々、訪れる方はいるんですか?」 「いないよ。毎週歩くのは自分だけ、径を刈るのもひとり。催しはしないし声をかけるのも面倒になったし」 古い山仲間が本州からやってきて、小屋から「ささみち」のフットパスを歩きながらの会話。70歳を超えていてほんのちょっとの手伝い以外はリタイヤしているので、聞けば厳密な予定のない自由な旅行である。K君は1週間、もうひとりのS君は2週間。前夜4時間半のゆったりした飲み会を街でやっての翌日だ。 フットパスを一回りしてからテラスの椅子に座って、「この年になると、何もしない無為の時間の良さがよくわかる」「追われるものが無いのは素晴らしい」…。ふたりともシビアな勤め人生活だったから、病魔にも襲われたはずだが、ふたりの表情にはそれらの来し方を飲み込んで受け入れている風がにじみ共感が持てる。それに林でのんびりする時間がふたりには得難い非日常のようだ。 先週の青年寄宿舎の後輩たちともそうだったが、今回の山仲間ともテント生活・山小屋生活・部会リーダー会・飲み会など濃密な時間をともにして来たから、時間を共にしやりとりした時間が長かった分だけ、人生後半の付き合いが長く続くような気がする。 蚊がいない。キノコはチラホラ出てきた。ここ胆振は適温で空気はさわやか、西日本のような大雨もない。昼前、急に霧がかかってきてたちまち涼しくなった。天然のエアコンが、これからは重宝される。 写真のとおりイグチが見つかったので採ってみた。傘に青変がある。ヤマドリタケの仲間かと想像しながら、ああ、そろそろキノコの季節かと。新緑終わって秋の匂い、季節は先走るものと遅れるものたちがリエゾンする。 林道の枝拾う 2024/07/04 thu 25℃ 7月1日の北風がよほど激しかったのだろうか、山仲間を雑木林に案内した時落ち枝の量の多さに驚いて、あらためて枝拾いに出直して来た。大きな枝があちこちに落ちているのを見て、大風のさなかは入林は控えるべし、と切に思う。太枝も少なくないから車だって間違いなく傷がつく。 林に入ってまず一番の仕事は「ささみち」フットパスに倒れていた直径30cmのナラの長材を玉切りして通路幅を確保した。これにキノコでも出てくれたらしめたものだ。倒れて2年以上放置したから運び出すのはやめた。 フットパスや林道の枝拾いでは左上写真の真ん中にある枝拾い棒を20年近く愛用している。先端のY字型の脇に落ち枝のバランスの中心と思しき位置を引っ掛けて、ポイっとスナップをきかせて林道わきに文字通り「ポイ捨て」するのである。コツがいるが慣れれば散策そのものも楽しくする。車を止めて前後50mを拾い尺取虫のように移動して、育林コンペの入口に到達。歩行距離は約6km。 徒労ともいえる枝拾いや小屋周りの頻繁な刈り払いは、実は盗難その他外部からの迷惑行為を抑制する働きがある。放置された場ではなく、人が頻繁に往来している痕跡を残して場の雰囲気を「つゆ訪のう者なし」の反対側におくのである。市街地から遠く離れた、こういう場所を防犯対策でがんじがらめにするのは不可能であるから、簡易で効果がありそうなことは一応しておこうというのが、いくつかの盗難を経験してからの戒めである。 今年はラン科植物「オニノヤガラ」がよく生えている(右上)。これが良く出てくる年はボリボリがよく発生すると森林系の誰かが言っていた。一方、ドクガが大量発生した翌年はオサムシが良く出る、といったのは養老猛氏だ。昨年、庭にドクガが出現して1か月皮膚科に通院したので興味を持って観察していたところ、物置に掲げたハンギングバスケットの花弁やつぼみが食べられ開花も遅れていることに気が付いた。てっきりナメクジが夜間に出ていると判断して懐中電灯で監視していたが、2晩目に見つけたのはゾウムシのようなオサムシのような黒い小型の昆虫だった。果たして真相はどうか、まだわからない。 左下、天然播種したスドキが群落をつくり始めた。スドキ、和名モミジガサは個人的にも女王の称号を与えている大好きな春の山菜だが、相当な繁殖力である。 話は戻って林道はかくして目立つ枝は片付いた(右下)。車体の高い車に乗る人なら、ただ踏みしだくのみだろうが、わたしのようなセダンのタウンカーはボデー下に枝を挟んでしまって始末に困る。それに太枝も多いから、これからもたとえ面倒でも都度拾う労を惜しまないつもりだ。 帰り道、いすゞ南のハスカップ・サンクチュアリに立ち寄ったが、駐車スペースからうっそうとしたヤブで、恐れをなして入林をやめてしまった。コモンズで調査観察していたころは、管理するNPOとしてわたしがアクセス路を刈り払いしていたが、手放してからは面倒を見る人がいなくなった。どうしようかと、実のところ少し迷っている。 ハスカップ摘みの風物詩は消えるのか 2024/07/06 sat 曇りのち雨 23℃ ■着々とフットパス刈る 今にも雨が来そうな中、7人が遠浅の薪ヤードに駆けつけた。わたしは単身、軽トラに乗ってフットパスを刈りに出て、ベンチにたどり着いて2回目の休息。 ササの伸びが驚くほどで、試験地裏を回るルートは上左のようにササがびっしり覆っている。 薪ヤードに残された丸太は、薪割り機2台であと1日か。今日はマサカリ組4人だから、相当な進捗のはず、しかし午後2時ころから雨が振り出した。みんな、本当によく働く。 ■ハスカップの風物詩、風化 気になったハスカップ・サンクチュアリのアクセス路。本当にもう市民が寄り付いていないのかを確かめるべく、調査時に使ったノーマルルートの入口まで刈り払った。 着手前の写真では、車止めから奥が見えないが今日の刈り払い成果はこのさきたった150m程か。途中、人が歩いた痕跡はほとんどなく、サンクチュアリへの登り口は既に不明なほどホザキシモツケが繁茂している。これでは、よほど慣れた人でないと、あのヘクタール3,000本の原生ハスカップが自生するエリアにはたどり着けない。慣れた筆頭を自認するわたしもチャレンジしてみたが、簡単に押し返されてしまった。つまり、すんなり諦めた。自宅近所のハスカップファンも、コロナの時期に来てみたら荒れていて入るのは止めたと言っていた。 100m先が見通せるならともかく、これほどの薮であれば、近年のヒグマ出没情報を思い浮かべると、とても入る勇気は出ない。今年は栽培地での採取もやめようとのながれであり、急速にハスカップから気持ちも離れそうになっている。食用はスーパーで求めよう…。こんな風にハスカップ離れは進むのだろうか。森も山もそうだが、「親しむためには、最低限、整備されたアクセスは不可欠」なのだ。 スズメバチに刺される 2024/07/11 thu 晴れ 26℃ ■やはり来たかスズメバチ 林道の枝拾いは育林コンペの看板から、コンペの最後・tomi-k さんのエリアまで終了。 途中、水溜まりの泥にはヒグマのサインはなし。 横切るシカ、薮からのぞくシカは数頭見た。蚊もヘビも出会わず、ときどき加温周りをうるさく飛ぶメマトイが付きまとった程度。 小屋に戻ってベランダでひさびさにリコーダーを吹こうと、楽譜4冊をベランダのドラム缶テーブルにどさっと投げおろした瞬間だった。何かがばらばらと飛んできて頭や体中に散らばって条件反射的に払いのけた。あちこち刺されて、絵にかいたようなパニックである。数秒で気が落ち着いて、蜂だとわかった。 さて、どこに?よくいるとテーブルの下の吸気口の穴に、大きさ1cm程の小さな蜂がぶんぶん飛んでいる。どれもこんなサイズで、どうやらクロスズメバチのようだ。いわゆる地バチだから地面の刈り払いの時に巣をこわさないように多少注意を払ってはいたが、ベランダで襲われるとは思っていなかった。刺されたのは額と右腕の付け根の2か所で済んだ。 そういえば10年ほど前まではベランダの屋根の裏にオオスズメバチが巣をつくり、サッカーボール大になるお盆のころ、何者かに叩き落されて食べられるのが数年続いた。犯人は当初ハチクマというタカではないか、と未だ見ぬ鳥の名前に期待を寄せたが、木登りの爪跡や糞からアライグマだとわかった。 そういえば10日ほど前、ベランダがアライグマの糞だらけで片づけたから、このクロスズメバチも遅からぬうちにアライグマがテーブル板をはがして、全部食べられることになるだろう。しばし観察である。 ■「わたしのハスカップの時代は終わった」、の感 先週のハスカップサンクチュアリに続いて今日はつた森山林のハスカップ畑に行ってみた。現状は写真の通り、実の採取どころかそもそも全滅状態に枯れていた。正確に言えば伐り戻せは萌芽更新をするはずだから再生の手立てを待っているところか。症状に対する対策はこの移植を担当した当方からもアドバイスし、所有者側は栽培農家にも相談したようだから、目の前の風景は対策は不作為のまま放置された状態ということになる。 苫東に関わって50年近くになるが、ハスカップの関わりはこれで終わったような気がする。朝のパン食には現在、カナダ産のハスカップジャムを食しているので、なおさらの感がある。 |
勢いつくササを刈る 2024/07/13 晴れ 27℃ ■ただ黙々と 年寄りでなくても一休みは不可欠。右はコナラの広場。 ミヤコザサもその他雑草も、ムンムンと勢いをつけて伸びている。フットパスを占領し始めたそれらをワイヤーで刈り払っていく。ツユを浴びるので口回りは日本手ぬぐいで覆い、ヘッドギア―のフェースマスクも降ろす。だから頭から背中まで汗びっしょりは当然の結果だ。これを苦痛だと思っていればただの労働だが、意外といやなものではない。単純な繰り返しは癒しだからか。これを午前中。 薪割り、薪積み。これほど遅々として進まない作業は珍しい。それもいつのまにか終わろうとしている。 ヤードの薪割りはいよいよ追い込みだ。6月に完了する見込みは外れて7月一杯になりそう。それもあと少し。積んだ丸太の間から繁茂し始めた雑草が、少し荒れた感じをにじませている。 ■「森はなくても十分生きていける」 午後から静川の小屋へ。熊の足跡はなし、クロスズメバチはせっせと働いていて、アライグマの蜂の巣襲撃はまだない。28℃くらいあるので、こういう日は鳥もあまり鳴かず、蚊もいないことがある。そうして快適な緑陰が創られかすかな風が林を抜ける。 2か月後に迫った市民向けセミナーの参考に、ライブラリーから一冊の本を取り出してめくってみる。かつてもう20年も前に読んで寄贈したこの本は、多くの付箋があり随所に傍線が引いてある。日本とドイツの、森や自然に対する社会と人々の関係差が実に良く描かれている。 このブログ表題は、本のタイトルを裏返したもので、今、日本人が心の底でひょっとして感じていることではないか、と思われる。それほど、森に寄りつく人々は限定的になっていないか。環境差だけでなく森と人の付き合いの歴史が違うが、そもそも入口が違った、の感すらある。 季節の節目に 2024/07/17 wed 曇り 28℃ ■枯れ葉が土になる、トンボが現る 勇払原野の雑木林では、前年の落ち葉が大体7月下旬からお盆ころの間に、突如土になる。そう、季節が脱皮するように。木漏れ日にみる今日の林床がまさにその様相だった。 小屋のテラスの椅子に見慣れたトンボが止まる。赤とんぼの前のノシメトンボか。いつもは蚊が出てくる8月末頃、丁度その時期に赤とんぼが出てくるので、彼らが蚊を食べてくれるよう祈るのが常だ。さいわい今は蚊がいないからテラスで無為の時間を過ごすのに都合が良い。 フットパスは無風、音なし。林道の反射ミラーで一枚自撮り。長袖シャツでは暑いと感じる日だが、小屋のベランダも中も28℃だった。この温度が季節の節目を呼び込むのだろうか。木々はこの高温多湿に歓喜しているように見える。 土地所有者のオフィスで打ち合わせまでの時間、前述のJ・ヘルマントの本を開く。さすが森の民の文化と伝統の国、示唆することが実に多い。 猛暑、到来に読書 2024/07/20 sat 晴れ時々曇り 27℃ ■日陰も暑い刈り払い 朝一番に大島山林のフットパスにかかった風倒木の枝2本を片づけると、もう全身汗まみれだった。正確に言うと始める前から汗をかいており、チェンソーを使う季節をとっくに過ぎているのを知っていてやっているのだから、いたしかたない。径のトオセンボは、しかし、取り除いておかねばならない、管理者の仕事だ。 フットパスの刈り払いは、昨年までの土場Bの径を池に下ったところで今日はやめた。これで旧ブルーテントから北側はすべて刈ったから、わたしのここでの仕事はこれにて一段落し、来週からは静川に専念の予定。若い人たち6人は、薪づくりの最終段階で、薪ヤードで奮闘中だった。 昼前に静川の小屋に戻って来た。草の伸びはさほどではなく今日は枝拾いして歩くだけにした。ヒグマなどのフィールドサインを見ておくだけでも意味がある。さいわい蚊はいないが、メマトイがうるさい。と、アカハツのようなキノコがフットパスの真ん中に。イグチもそろそろ。 落葉は次第にチリジリになってみるみる溶け始めている。先週から急に目立ってきた。 ■森に関する日独の違い 「日本人は緑は好きだが食傷気味なのではないか」。先日来、「人と自然が再び向き合うための行動変容」という関係者から与えられたテーマに向けて、あれこれと無い知恵を絞ったりする。カッコ内は環境省の自然公園局などで仕事をされた先輩とメールでやり取りしていた時に出てきたフレーズだ。 「日本人は森林や緑の中に身を置くことがさほど好きではないような」などというやりとりもあって、わたしも同意したばかりだった。答えは、意外と平易な言葉を使った大局観にあるような気がするのである。その延長を先週から、小屋のライブラリーの蔵書である、J・ヘルマント編著『森なしには生きられない』を開きながらひとり問答が続いている。自宅でも開いているが今日は雑木林のテラスのテーブルで、である。 1700年代、ドイツではゲーテやシラーなどの文学系や哲学、ワンダーフォーゲルなどの地域啓蒙活動も総動員して、森、かくあるべし、あるいは林業と環境保護などとテーマで大議論をすでにしているのである。その底に、人々の長い森との付き合いが下地にになっていることを思えば近現代の都市計画が言う森林空間としての認識が、ドイツはずいぶん先んじていると断じざるを得ない。 先の、与えられたテーマを反芻しながら、そしてメマトイがうるさく感じながら、少しずつコツコツと読み進めている。そして決して素早く読み進められないほど、立ち止まることが多い。とくにこの時間がコモンズという地域活動のさなかであることも、どうもシニアワークのわたしにはしっくりきている。 こうしてこの頃うっすらと気づいた結論めいた到達点は、「日本の都市計画は心地よい、使い勝手のいい都市公園を作ってこなかった」「欧米の猿真似でしかなかった」というもの。英国では産業革命後、労働者が緑を求めて暴動を起こす、などという魂がゆすぶられるような経験を、日本は幸運にもしないで来れたせいもある。風土のせいだけではない。ウィーンの森のような都市林に本気で取り組んでこなかったのではないか。「人と自然が再び向き合うための行動変容」のためには、そこに舞い戻らなければならないのではないか。 雑木林をケアする日常と背景 2024/07/25 木 晴れ 28℃ ■ちょいと裏山に行くように林に出向く習慣について ありがたい話である。週2,3回、裏山に出かけるように林に来て、数時間、小屋周りや林道の刈り払いなどをして、一帯が無事なのを確認し、支障があれば片付けこざっぱりさせて、最後に小屋掃除をしてから自宅に帰る。 れっきとした他人名義の林をある約束を結んで修景しつつ一年を通じて世話する。小屋の名前は「雑木林ケアセンター」だから、我ながら言いえて妙なネーミングだったと思う。行政界の林道(公道)がフリーパスだから、もちろん誰でもアクセスできる。そんな状況下でケアの一番の効果は、小屋荒らしがなくなったこと。 来歴をメモすれば、まず、センターとなる小屋は地域の人々が雑木林をケアする中心として平成9年に建ててもらった。林の手入れは平成2年に実験的に着手した。こうして30年以上が経ってみると、森林を管理する主体を含めもっとも適した方法がいくつかあることがわかってくる。しかし、実際に土地所有者や利害を持つ機関との関係作りや調整から始めるのは結構手間と時間がかかるから、自ら立ち上げるには少しばかり覚悟が要る。 土地を所有すること、ひいては風土を共有する意味など、この数十年の間にずいぶんと考えさせられたのは、いい学習体験になった。古来、墾田永代私財法から明治期の北海道の開拓地払い下げまで、歴史的出来事は興味が尽きない。 そんななかで排他的に土地を占有する所有権なるモノの強弱にも色々な課題と問題がはらんでいることはもはや自明となったが、つまるところ土地、とりわけ自然は共有するべきものだ、という気持ちが強くなった。手入れをしないで放置することは、奥山ならともかく里ではぜひ避けたいと強く思うが、希望と担い手の需給関係は絶望的で、目下のところ人々は自然とのつながりをさほど求めず、頭の自然保護観念の方が跋扈しているようだ。 それというのも日本の都市公園を巡る施策が欧米の真似をしただけで、人々が行きたくなる緑を用意できなかったことが大きかったと思う。日本特有のはびこる自然風土では、制御して快適な緑環境を創ることに失敗しているのである。つい、犬の遠吠え的余談になってしまった。(-_-;) アオバトの声、シナノキの香りのなかで 2024/07/27 sat 曇りのち霧雨 24℃ ■窓鋸(のこ) 林は無風で湿度が高い。不快というほどではないがこの蒸し暑さは北海道人は苦手でなかろうか。毎年猛暑時期になるとコナラの梢が土用ぶきして、生き物たちは逆に生き生きしているかのようだ。遠くでアオバトの声が聞こえ、小屋裏ではシナノキの匂いがする。シナノキは、はて、どこにあったか、どの木が匂っているのか。 小屋裏からのショートコース「奥のささみち」にピンクのコーステープを付け直しながら、草を刈る。横たわる風倒木を動かしながら、落ち枝をどかす。動かせない太枝が2本あったのは、北大農学部の名誉教授で会友の梅田先生から頂いた「窓のこ」で伐った(写真上)。北大農学部の昆虫学のN先生が愛用した由緒正しいのこぎりだとお聞きした。半世紀以上たったもののようだが、切れ味は落ちていない。一緒にもらった刀剣のようなナタもよく切れ、「窓のこ」と同様、小屋のメッシュネットの最上部に飾るようにかけている。 それにしても暑い。小屋に戻って汗びっしょりの作業着を着替えると、午前だけでも500ccの水をほとんど飲み切っている。 ここ10日ほど、落葉がかなりの速さで溶けだしているのが実感できる。テラスから見る落葉は、お盆ころには別の風景を見せているだろう。 ■薪割り、完了 午後3時前に、遠浅の薪ヤードにいくとようやく薪割りが完了したとのこと。3月の中旬ころからぼちぼち取り掛かったから、約4か月である。活動する正味時間は4,5時間だから集中して楽しめるレベルかもしれないが、毎週休みなく5~10名がせっせと稼働してきたので、昨年11月からの除間伐作業の約5か月を加算すると、ゴールの薪まで一年の3/4、9か月を費やしていることになる。薪担当のYさんによると、生産量は28棚とのことだ。みかけの層積75.6立方メートルということになる。 もともとNPOのコモンズのなかで、除間伐するメンバーは「苫東ウッディーズ」という小集団を意味していたが、今やほとんどがウッディーズとなり、さらにほとんどが薪ストーブ愛用者で構成されることとなった。自然愛好の趣味の領域を超え、地域の森づくりを推進する木こり集団となって、薪利用が活動の原動力になっている。伐倒する技術の上達願望も、継続の動機になっているだろうと思われるが、薪を自賄するという実利は、環境への心ある人を惹きつけるのかも。 |
はげ山にならない風土と萌芽に支えられた森林資源 2024/07/30 ■森林つらつら読書考 このところ、平工剛郎著『近世北海道山林史』、司馬遼太郎の街道をゆくの解題ともいえる『司馬遼太郎の風景11~砂鉄のみち』、それと宮本常一著『山に生きる人びと』をとぎれとぎれに読む間に、中世のころから日本の森林が社会のどんな位置にあったのかを静かに考えさせられた。普段は、人と身近な都市林のようなあり方や、人びとのメンタリティーに及ぼす林のパワーなどに関心を寄せて、特に経済や資源という観点ではあまり眺めてこなかったために、意外にも新鮮な印象でとびとび、ぐんぐんと読破した。 書きだせば駄文長文になりかねないので、それを避けるために本稿のタイトルに意図を表現するにとどめるが、北海道の松前藩に始まる木材資源利用の隆盛が過剰伐採を引き起こしたことは、さらに時代を遡るたたら製鉄の燃料用伐採に比べれば、まだまだ軽微なものであったことがわかる。 しかし、日本におけるたたら製鉄を可能にして来たのは、シナ大陸や朝鮮半島では降雨量の少なさから伐採後の森林がもとに戻らなかったのに対して、日本はモンスーンの雨のため森林が再生するという復元力によりかかって継続することができたことになる。司馬氏は、製鉄の民は、その風土を求めて日本に来たのではないか、と歴史の必然性を大胆に解読している。 製鉄の発祥は、紀元前12世紀のヒッタイト(今のトルコ)だと言われている。紀元0世紀ころ、シナで製鉄の記録があり、6世紀ころには山陰か壱岐対馬あたりで製鉄が始まったように読める。アニメ『もののけ姫』の舞台となったのは14世紀ころの室町時代とされるが、1000人単位のたたら製鉄集団が、山陰各地の山を伐り放題で荒らし、精錬で河川を汚し、地域を公害の悲劇に引きずり込む環境破壊という悪業の集団だったようだ。たたりは正体を確かめ誰かが懲らしめ止めなければならなかった。それが「もののけ姫」だった。皮肉にも、このような対立で生まれる鉄が、日本に文明と競争をもたらすのである。 宮本氏の『山に生きる人びと』は灘周辺の酒造業の繁栄を支える酒樽の需要と吉野の林業との関係にページを割いていて興味深かったが、木材とは時に、江戸への移出など爆発的な需要を支える重要資源になっていたことは、時代を超えて普遍的な真理のように見えてくる。富の根源である。 わが勇払原野は、いわゆる建築資材としての木材供給に対応する林業には向かなかったが、伐っても生えてくる広葉樹の再生力を生かして炭材を供給してきた。それがエネルギーの転換によって見向きをされなくなって一帯は「ヤブ山」と見なされ二束三文で取引されて、それらを1000ヘクタール単位で取得した企業が一転リゾートとして開発計画を推進し、今度は、そこが地域環境破壊になるから開発はやめてくれ、という世論が形成されている、ように見受けられる。森林の評価は、かくも変幻自在に変わり得る。その背景に横たわっているのは、野生動物にとっては放置された人の入りたくない森林の方が身を隠すのに安全で理由があろう。放置林をそのままにする≒自然保護、という図式もそこに由来する。 振り返れば、森林はエネルギーであり、建築の資源であり、地域環境の風土を形成する主役であり、心身の健康にも寄与し、都市公園や都市林として都市計画の骨格的インフラとなり、生物多様性の宝庫で、かつ、大気浄化にも一役も二役も立ってきた。さて、現代のわたしたちはどの地域でどんな恩恵を森林から受けているのか、これこそ千差万別である。 ただ、わたし的関心の一つは、私的所有権が余りに優先され過ぎて、放置されることによる環境劣化である。自然は誰のものか、土地はどのように管理すればよいのか、これはなかなか答えが見つからないまま、社会的な試行錯誤はまだまだ、ひょっとして半永久的に続きそうである。 盛夏は林に人も来ず、海はにぎわう 2024/08/03 sat くもり 28℃ ■風なし、キノコあり 小屋のフットパスを見回り1周。新しい近道ルート・コシアブラコースは写真のように道らしく見えてきたが、お盆前にもう一度刈り揃えておいた方が良さそうだ。落ち枝、埋もれ枝が多く、かなり撤去した。 落葉を突き破ってハツタケの仲間が顔を出している。そしてイグチも。 小屋は暗すぎて読書に向かないので、このところの読書はもっぱらテラスだ。蚊取り線香は持参したが、メマトイばかりで蚊はいない。林業家・速水亨氏の林業家からの発信「豊かな森林経営を未来に引き継ぐ」を読む。林業施策が林業家をつぶしていることがわかる。かつて、道有林を一般会計に鞍替えする際に、森林の公益的機能に逃げ込む様子と、その公聴会のようなものに呼ばれて的外れな発言をしてしまったのではないかという反省にとりつかれたことを思い出しつつ読んだ。 ■人を飲み込む歴史とプロジェクト 歴史とはゆっくり人びとの暮らしを飲み込むように進む、というようなことをこの頃は良く感じる。 身近なところでは苫小牧の港と工業開発だ。道内電力の半分近くを賄う苫東厚真火発では、岸壁が様変わりして家族連れのサバ釣りでにぎやかだった。防波堤の東側ではウインドサーフィンを楽しむ家族れでにぎわっていた。 巨大な開発は人のスケールを越えていてピンと来ない。明治維新から150年余り、歴史の浅い北海道ですらこうだ。皇紀2680年余りという日本の年月は、長いのか短いというべきか、わからなくなってきた。自分に70年生きたという物差しができたせいだろうか。人生100年時代を迎え、1世紀というのもさほど長くないと思えるようになったのはわたしだけではないような気がする。。 猛暑の雑木林 2024/08/10 sat 晴れ 30℃ 小屋は猛暑だった。 フットパスを一回りするとイグチなどが数種類でてきて、季節が巡っているのを感じる。風がなく蒸し暑いが蚊はいない。だからネットもかぶらず、落葉が解け始めた径を歩ける。この暑さのせいだろうか、滅多に顏を出さないビンズイ(ではないか?)がカラマツの小枝で尾羽をぴくぴくさせていた。 わたしはライブラリーのキノコ図鑑で今日散策で見たキノコをあたってみたあと、早々に暑さから退散した。ウォーキングに行く前にNさん夫妻がやってきて、ミニ土場で焚き付け採りを始め、わたしが現場を離れる頃もまだ手を休めず来るべき薪シーズンに備え枯れ枝を集めていた。猛暑に焚き付け、このチグハグバラバラ感、意外性がとても良い。 ザリッシュに背中押される?! 2024/08/18 sun 晴れ もうすぐ73回目の誕生日を迎える身としては、結局お前の人生って何だったのさ、と自問することが少なくない。で、どうってことなかったという落胆と反省も手伝って実相が少しだけわかりかけてきたような気がする。端的に言ってしまえば、林や自然の意味をよく反芻(旅をし学び)したそのうえで人にとってイヤシロチにあたるような林を創ってみることが目的になっていったのではないか、そのための勉強と実践を約半世紀もかけて泥臭く続けてきたと言えるのではないか…。 世界と日本の歴史を思い出せば、そういうことは王様や殿様や一部の大金持ちが権力と道楽で手を染めたもののようだが、こちらは世間の隙間を伺って、自らを週末木こりというやや卑屈な自称を用いつつゲリラ的に細々と林のガーデニングの真似事をしていた、そんな感じだろうか。 土地を取得して私的な公園を建設する(見渡せば個人や企業が日本各地で素晴らしい試みをしている)なんてことは所詮無理だから、他人の土地ながら自由度の高い共同利用的win-win の仕掛けを組み立て、自然の営みの時間スケールでは瞬間芸のようなステージを林の寿命に合わせて、例えば数十年でも風景として出現させてみることだった。(残念なことに、日本の植生の特徴は手を離せばすぐ元にもどるが) 振り返れば、色々な趣味や遊びに寄り道してしばし道草にふけっても結局、このイヤシロチ願望に戻って、それを書物で反芻したり値踏みしたり繰り返すことになった。小屋のライブラリーに寄贈した『森なしには生きられない~ヨーロッパ・自然美とエコロジーの文化史~』(J・ヘルマント編著)を自宅に持ち帰って、先日からまた読み始めたのもそんな背景がある。 今朝、すでに自分で傍線を付けていたある箇所を見つけて、なんだか励まされる思いがした。ドイツの森林美学の提唱者のひとり、H・フォン・ザリッシュの解説としてこんな風に書いているのである。 ザリッシュは、「混交した林が木材提供に役立てると同時に、散歩するものが森に喜びを持つように手入れしたいものだ、美的価値が一見してわかるような手入れは結果として間違いなく社会にとって長所を持つことになる」、という主旨であった。確かにドイツの森や田園は美しいのである。 実はザリッシュとの出会いは50年近く前だった。大学の卒業論文で、北海道の山歩きの経験と林学を学ぶ機会を利用して森林の美をテーマにして少し勉強していたころの、輝く金字塔に見えたドイツの林学の巨頭だった。その頃得た「美しい森林を求める」という動機が、なんと勇払原野の雑木林を実験場にこの年まで続いていたのである。ドイツや英国を中心にヨーロッパの森林や公園、あるいは田園にはそんな漠然とした下心を抱いて何度か出会う経験もした。 先月の7月20日の書き込みでもふれたが、ドイツにおける森林、あるいは耕地や草地を含む田園風景に対する審美眼と関心の高さ、それに社会的議論と吟味結果の蓄積は、おどろくほど重厚である。描かれたドイツに比較すると、日本は風土の質の差もあってまったく趣が違う。特に身の周りの社会資本としての森林や公園づくりは達成したインフラのレベルや合意形成の歩みの点で、緑のマスタープランなどの施策で欧米をめざしたものの、途中で頓挫しまったかのように停滞しているかのように映る。つまり欧州のような緑の成熟がない。これは行政の施策やマスコミ等のミスリードも原因しているのではないか。つまるところ、「緑」は虚構である。 そんななかにあって、100ヘクタール余りの森林修景の実験は、関係者の応援を受けながらも暗中模索の中だった。今のところ担い手も限りなく乏しい流れの中ながら、森林がエコロジーだけでなく、普遍的にもつ健康や美、エネルギーなどの機能面から、トータルとして大きく注目されるだろうことを期待する。我が国の人と森や林の付き合いの現在はどうも知的と概念的に過ぎていないか。見落とされがちなのは感性と霊性。ドイツ人やフィンランド人(ドイツ人が、フィンランド人は木と話すという)はここが発達しているように思う。林を歩くと気持ちが良い、林から暖房の薪が手に入る…、「緑」を概念だけでなく実利をしっかりとらえている。 一方、とかく放置されてそのままになっている北海道各地の林だが、民間の有志らが一念発起して独自の理念で手入れをしている情報がしばしば聞こえてくる。社会的な試みとしての自己実現の輪がいつか繋がって成果として見えてくる日が来るかもしれない。それは放置されやすい北海道ならではのスタイルの創造の一歩になるのかどうか。 (*自宅でレンギョウの2回目の剪定と草むしり。その合間に読書、そうしている間にむらむらとメモを書いておきたくなった) スズメバチ去ってどんぐり実る 2024/08/21 wed 晴れ 28℃ ■スズメバチ ベランダで巣作りをしていたクロスズメバチが先週あたりから見当たらないので、少し迷いつつ恐る恐る板を開けてみた。もう蜂はいない。7月6日にはいなかったから、そのあと巣作りをして1か月余りで巣立ったことになる。アライグマもその後襲ってこなかったと見える。かつてベランダの屋根裏に作っていたのはオオスズメバチかキイロスズメバチのようでいつも怖い思いをしたが、今回は幸いした。 ■ドングリが豊作 8/17 に遠浅川のそばの柏原で体長2mのヒグマが国道を横断したという情報があった。国道には早々に看板が立ててあった。今日通った静川の林道の泥んこには足跡はなかったが、それでもこれで苫東での目撃はたった3例目。そんなことがあるだろうか。勇払原野にくわしいヒグマの研究者に問い合わせたがよくわからない。 ただ、どうもドングリは豊作のようだ。これからどうなるか。 フットパスのアズキナシに目を奪われる。驚くようなショッキングな風景が小空間を埋めるのだ。今年の除間伐では、アズキナシをもっと大事に扱おうかな、と思う。 今日も晩秋からの抜き切りの目途をつけながら歩く。風倒木3本を無事にミニ土場に牽引するために、ルートの支障木を抜き切りすれば1年分の薪は確保されそうだ。里山における除間伐と薪の関係はそんなもの。この自然体が好ましい。 いよいよ、枯れ葉が土に還る。フワフワというあの枯れ葉感覚はすでになく、チリジリになってきた感じだ。フットパスに蚊はいない。 そこをそよ風が吹くから小径は実に快適で、ショートウォークから戻ってからテラスで松島駿二郎著「ケルト紀行」を読む。龍村仁監督の「ガイヤシンフォニー(2番か3番)」以来、ケルトの肌合いがスピリチャルで忘れがたいと感じていたところ、先月、司馬遼太郎氏の「愛蘭土紀行」に再び触発された。アイルランドに行ってみたい気が少ししてきたが、この歳でアラスカ経由の長旅はもう無理だろう。 ちなみに松島氏の本は梅田文庫からのもので、はってある付箋のページを開くとクレープの記述があった。記憶をたどれば、そのころ先生はイギリス、フランスに「そばクレープ」があると聞いて奥さまと食べに行っていたはず。その探索力と行動力には脱帽してしまう。 ミンミンゼミ、赤とんぼ、そしてアオダイショウ 2024/08/24 sat 晴れ 29℃ 室内26℃ 刈り払いなど山仕事をするのは辛い日だ。遠浅では4人がフットパスなどの刈り払いをしていたが、汗まみれ、草まみれだったはず。気温ほぼ30度における刈り払いはまさに苦行である。 さてわたしは、秋からの静川小屋周りの抜き切りに目星をつけるため、太目の掛かり木3本をはじめとして集材時の支障木など合計12本にテーピングしてナンバリングした。一部はフットパスをの搬路に利用して小型トラックで搬出可能だから、困難な作業ではないだろうと踏んだ。身体の機敏さや体力が急に衰えたシニアのわたしには大助かりだ。たったそれだけの、チョコチョコと歩いただけでTシャツが汗で不快に濡れたので早々に着替えた。 昨年から手掛けている隣接カラマツ林の枯死木処理の跡は、まずまず見られるようになっている。というのは広葉樹の更新がかなり見つかるのである。枯死したまま直立するカラマツをさらに抜き切りすれば、しっかりとギャップができ天然更新は早まる。「カラマツと広葉樹の混交林」実現の可能性はそう遠くないかもしれない。美しい光景を早く見たい。ただ倒れる方向を特定できないこともある危険な仕事だ。11月からはここも重要な場所だ。11月から年末まで20日ほどが勝負どころか。 ヤマグワの木に虫が湧いて蜘蛛の巣状になっている。まさか天蚕ではないかとビックリしたが、隣のコシアブラにも同じメッシュをつけていた。1cm程の幼虫が蠢いている。蛾の一種だろうと思う。 赤とんぼが飛ぶようになった。着替えてからは辛うじてしのげる爽やかな風もあったので、テラスでケルトに関する本を居眠りしながら読んだいたのであるが、ふたつみつ蚊に食われた。赤とんぼが出現すると蚊がいなくなる、という説もあるが、今日は逆に赤とんぼが出始めた日に今季初めて縞のある蚊にやられた。 そして珍しくミンミンゼミが鳴いている。はて、ミンミンゼミは胆振にいたのだったろうか。夕方、大島山林で刈り払いを終えたUさんに聞くと、温暖化で北上してきたのでは、とのことだった。丁度、山ヒルやナラ枯れを例に温暖化の話のつづきだった。話は生物たちの北上の事例から、身の周りのエアコンの普及(北上?)に移った。人間は体感する環境を変えようとするのである。そこに進歩と文明が生れるが、天邪鬼なわたしは、庭の打ち水と扇風機でしのごうと提案して家人に嫌がられている。 さらに静川から遠浅に移動する農道では、10年ぶりかでアオダイショウをまたいだ。なにか、今日は珍しい生き物に出会う日だ。 |
住民からみた生物多様性戦略 2024/08/30 fri くもり 27℃ ■第4回の苫小牧市生物多様性戦略策定委員会にて ①ヒグマ勉強会 委員会に先立って、多様性戦略で無視できないヒグマ問題について、専門家を招いた勉強会が開かれた。講師は、酪農大学の佐藤喜和教授とNPOもりねっとの山本牧代表である。住民側の安全に立って必要な場合は駆除も当然あり得るという立場が明確で、かつ客観性の高い講演であったため、現在抱える問題の整理に大変有意義だった。 わたしは特に今年のヒグマの目撃情報が植苗の一部に集中し、苫東エリアがたった3例(上の図)だったため、やはり移動経路に大幅な変更が始まったのかと考えていたので、その辺のことを質疑の際にお聞きした。 案の定、佐藤先生の発表でも札幌の出没が河川をコリドーにしており、山本さんの旭川の事例も河川だったから、苫東の出没が勇払川と遠浅川、安平川を中心にしたものとなっていると考えるのはまったく無理がないことがわかって来た。違いは先方2者が河川周りが住宅地であり、苫東はほとんど無人地帯という点である。 特に、苫東のオフィスで見せてもらった立地状況図では、苫東柏原地区の立地状況(下の図)は、平成7年当時、ヒグマ・トラジロウが移動していたルートを、現在は直角に阻むようにベルトがすでに出来上がって、ここを移動することをあきらめられたかのように見えることも参考までにお伝えし、おおむねそんな理解で間違いないのではないかとの講師の印象だった。 この図は、結構大事な情報を示している。わたしは目が点になった。野生生物の生存環境は、このようにして変貌をとげていくということを実感した瞬間だ。 ②市民の一人として苫小牧の生物多様性戦略に思うこと 検討が行われた素案はまだまだ粗削りで、苫小牧の事情も経過もほとんど知らない方が書かれたことは一目瞭然だったが、これから2回ほどの会合でどこまで修正できるのか気が抜けないものとなる。 特に、冒頭の戦略の目的に関する遡及では、苫小牧は自然保護と開発の課題先進地で、多様性維持については幸か不幸か蓄積が高いことを前に出すことで、行政や民間の先人たちが軋轢を乗り越えて現状の経済と環境を築いてきたことに肯定観を与えて、一部に残っている自虐的地域理解を払拭あるいは克服するいい機会だと思う。そうすれば、保護vs開発の構図によって、なんとなく地域を後ろめたくとらえてしまう若い人などに対して生物多様性戦略を契機に「いつの間にか先進地」という逆手に取った発信で明るいイメージを見せてあげることもできる。とすれば久々のヒットである。 個別の点では、 ・緑地や河川がヒグマのコリドーになって、住宅や工業団地に誘引することについての判断 ・市域全体の多様性ゾーニングとヒグマ対策のゾーニングをある程度重ねること ・北海道の資材流通のかなめとなった苫小牧港が外来植物の飛散の源になっていること などについてコミットしていくことも、行政自らの「行動変容」として重要ではないかと考えている。いずれにしても地域合意を得るためには相当の手間がかかるだろう。 ただ、結果がどうあれ、個人的には一連の検討会や情報収集を重ねている間に、いろいろな勉強をさせてもらい地域理解を深めることができた。これはコモンズという地域の自然や風土に関わるものとして非常に貴重な体験であることは間違いない。 新設フットパスの2度目を刈り払う 2024/09/01 日曜日 26℃ 室内21℃ 長雨が続いたが昨日の夕方頃から晴れ上がった。雨上がりの昨夜の夜空はさすがで、庭で椅子に座り空を眺めていると30分ほどで人工衛星が15,小一時間で流れ星が3つ観察できた。 雑木林の小屋番を1日遅らせた今日の林道は、水溜まりだらけである。丁寧に動物の足跡を観察していくがエゾシカばかりでヒグマのものはない。ところでヒグマはよく林道に足跡をつけ、かつ、フンもしていくが大好きなドングリは実は裸地の林道が最も見つけやすく食べやすいからではないかとこの頃は想像している。 朝は、育林コンペの終点まで車で移動し、林道の落枝を拾って往復した。小さなチェンソーを持参しているので、支障になる風倒木を2本片づけた。昼前からは6月に1回目の刈込をしたコシアブラのルートの2回目を行った。棹だけがたって残っていたがそれらをワイヤで刈るだけで大分道らしくなってきた。来年も2回刈っておけば再来年からは1回で大丈夫になる。径をふさぐハンノキの風倒木があったので、これは次回、チェンソーで片づけよう。 育林コンペの終点で、昨年までに自分で処理したツルがらみと風倒木のあとがちょっとしたギャップになって陽が射しササがまぶしく輝いていた(下左)。カラマツの風倒木処理地もそうだが、更新の姿をみるのはちょっとした楽しみで、それは山仕事をした者のみが得るちょっとした喜び=ご褒美に近い。 刈り払いはできるだけ肌を出さないようにしたいが、27度は暑い。ヘッドギアはやめ、首の日本手ぬぐいは省略、でも一応長袖のシャツは着た。大した動きはしていないのに午前と昼過ぎの2回、着替えた。これも着替えた時の乾いた快感があるからでもある。ブッシュカッターによる雑草の刈り払いは、庭の草むしりと並ぶ究極のアウトドア(ワーク)ではないだろうか。 そしてようやくテラスで一服。体が乾いた状態で『森林未来会議』を開き、オーストリアと日本の林業比較の節を読んだ。造材コストを低くすれば林業家の手元に残るお金が増え林業の魅力は増す。その根本は密度の濃い運搬路確保だという。また、雑木林の材の利用は太過ぎてはだめだ、というのが胆振の現場の結論だが、オーストリアに限ったことではないが直径50cmを超える丸太は製材所が引き取らないという現実も目に留まった。岩手大学演習林のヘクタール蓄積1000立方のスギ林でもそんな話を聞いた。大木は残して鑑賞し倒れてから仕方なく利用、これが胆振の現実対応か。 大島山林を1周する 2024/09/04 wed 晴れ 27℃ 昨年から本格使用を始めたハルニレの径は今年2回目の刈り払いが行われた。 もっとも愛する山菜・スドキが花盛り。間もなく綿毛が飛んで再び拡散する。いつの間にか林床はスドキが優先するのではないか。シカの食害を緩和するための皆伐試験地は文字通り「繁茂」「高密度」の展開。 作業延期となった 9/1 日曜日に4,5人が駆け付け半日で仕上がったフットパスの刈り払いは見事なスピード作業だ。あと半日もあれば全ルートが終わりそうだ。 B土場の近くで、夏には珍しい年配のご夫婦と出会った。地元の人はダニや蚊を嫌って晩秋から積雪期にかけてこの雑木林を好んで歩くからである。この時期は極めて稀。聞いてみると25年前まで遠浅にすんでいた方とおっしゃって、町内の知人に「昔に比べて山林が素敵になったよ」と紹介されてやってきた模様だった。かつては径がほとんどなかったこと、年配者たちが歩くスキーをしていたこと、近所の人や町会議員、町内会長などいろいろな話題にしばらく花が咲いて、山林とそれを取り巻く変遷と住民の思いを垣間見た。 やはり出た、蚊の猛攻始まる 2024/09/07 SAT 27℃ ■勇払の歴史と勇払原野の様子 今年3月、勇払の資料館(正式名称は勇武津資料館)の武田学芸員による勇払越えの講義を興味深く聞いたあと、展示されている資料を十分見る時間がなかった。半年の間、それが気がかりだったので、今日は山仕事の前に立ち寄った。 別の学芸員の方が約1時間マンツーマンでお相手してくれ、色々な質疑ができたので理解が大いに深まった。写真は、松浦武四郎の勇払の線描に国策パルプのもと職員が色を付けてくれたものという。勇払に八王子千人同心が到着したのが1800年、写真は1860年のころの会所だっただろうか。 左下に帆船が見える。北前船も来ていたらしくはしけで荷物を移動させたと学芸員はおっしゃる。勇払川には橋があり、かのイザベラ・バードもここを渡ったのだろうか、弁天沼は現在よりもはるかに広かったのだろうか、などと想像するのも楽しい。 以前、弁財天は1700年頃にはあったと聞いたが、絵右下の社がそうだったのだろうか。円空が樽前にやってきたのは1650年ころで、瀬川拓郎氏がいう胆振日高の砂金堀採り、つまりゴールドラッシュなどに至っては1000年頃、人の数は10万とたしか推定していた。岩手平泉の根本中堂の金箔の半分は北方、つまりエゾは胆振日高の産だと瀬川氏は書いている。日本の歴史を少しずつ垣間見ているだけのわたしだが、なんだか本当のことのように思う。そう思って歴史をつなぐのは幸せな時間だ。 ■蚊がいるのなら、早々に読書 蚊が出てきた。チェンソーをもってコシアブラ・ルートの風倒木を片づけに行くと、水溜まりには蚊柱ができるほどムンムンと蚊がいて追いかけられた。ついでにコシアブラに絡まったツルをさばいてみたが、それ以上のことはやめて早々に小屋に戻ってしまった。 外気は27℃。とてもチェンソーを操作する温度ではない。室温はなんと21℃。着替えて快適な環境のもと、ヤマザキマリの『CARPE DIEM 今この瞬間を生きて』を開く。ここは読書用灯り窓も機能して、集中して読書ができる。蚊が納まる初霜のころまで、山仕事はしばらく休んで小屋読書に徹しよう。そうだ、テラス焚火もある。 大島山林ではフットパス全ルートを仕上げた面々が後片付けをしていた。しばらく山の作業は休もうよと提案。ただこれから本格化するだろうキノコ採りはネットかぶりを覚悟で自由行動だ。 そういえば、ベランダにまたまたアライグマの糞がいまいましくも堂々と落とされていて、それがコクワ色の薄緑でコクワの種の粒粒が大量に混じっていた。からからに乾くまで放置しようとそのままにして来たが、もうコクワが出ているということか。2,3日前の森林公園では確かに山ぶどうがたわわに実っていた。 キノコと焚き火、季節がはじまる 2024/09/12 thu くもりのち晴れ 外22℃ 静川の小屋で車のドアを開けると、またもや煙のように蚊がやってくる。やれやれである。数時間いる間に、ジャージの作業着と軍手の上からも容赦なく刺された。一秒でも止まるのを許したら勝負あり、被害を受けて直ぐかゆくなる。さすがに今日は顔は防虫ネットをかぶって防御した。顔は守らないと「戦意喪失」する。むき出しの自然と付き合うには、ちょっとファイトの心構えも要る。 テラスの掘り込み炉をあけて焚き火する。炎と煙の正面は蚊を避けれても背中は別だ。焚き火と煙は蚊取り線香代わりにいぶしておく、というぐらいの気休めにしかならない。幸い、焚き木はふんだんに転がっているから、いつでも林の時間をあきらめて帰れるように適量を集めて燃やした。かつ、帰り際には炎や煙を残してはいけない。水をかけて消すのはできれば避けたい。 外はいぶしておいて自分は小屋に入って読書をするという願ってもない選択肢がある。暗い窓辺で小さな電池スタンドの明かりで本を読むと集中度がまるで違うのである。雑木林のライブラリー、正解だったと思う。今日はハーバード大学のラムザイヤー教授の国際シンポジウムにおける慰安婦問題の講演録など、少し重たいものを数編読んだ。 小屋の階段を上る人の音がしてガラス窓に顔を表したのは oyama さん。すぐそばでアカヤマドリが見つかったので、ひとつ分けてくれる、という。はじめて食べる、イグチの仲間だ。 帰宅後、傘をスライスして虫出しをすると数分後、あのボルチーニの香りがキッチン、居間、玄関中に広がった。図鑑のレシピに従ってバターで味付けしてみた。フランスではセップという高級キノコに近いらしが、日本人にはどうか。香りはかなり強いから、あるいは苦手の人も多いだろうか。 食後感は「なかなか玄人っぽい味」。小切りしたなす一本と和えた。焚き火とアカヤマドリ、そして蚊と読書、記憶に残る一日になりそうだ。ささみちフットパスでは「カエンタケ」を見つけたが、ちょっと奇異な怪しい美しさを感じた。 ダウンジャケットを着る 2024/09/14 sat 晴れ時々くもり 22℃ 室内18℃ この頃の雑木林のルーティンは、小屋に着くと同時に焚火をすること。今日も、蚊の猛攻は少しも衰えず、軍手、シャツと言わずずいぶん刺された。そんな中、この秋からの育林コンペの新しいゾーニングのために、オーナーのサインを作る。やや若い5ヘクタールの雑木林をコモンズメンバー共有の位置づけで除間伐を始めるのである。材は薪よりもシイタケのほだ木に向く。 昼の時間は読書。室温18℃で空腹状態だと寒いほど。そういえば、今朝自宅の西側窓の下につけた温度計はたった5℃だった。確実にぬくもりを失いつつある、そう思って今日は薄手のダウンを用意していたのでさっそく役にたって着用した。 午後2時ころ、大島山林に回ってみると、若いメンバーは半袖である。木の下は大きなドングリが落ちるといって、テーブルを移動して歓談中だった。ここ大島山林でも蚊の猛攻の中、午前中はフットパスの刈り払いを敢行したという。蚊のために当分共同作業はやめようね、という声掛けがわたしを含む数名から出ていたので今日は自主的な集い、サロン風であるが、これが実はのぞましい風土との付き合いだと思う。 ひとり歩きの森林公園、5kmあまり 2024/09/16 mon 晴れ 24℃ 市の高丘森林公園の walking 5日目、今日は霊園のさらに北のミズナラ広場から入った。税金の投入して管理する行政の公園はさすがに一定程度手入れが行き届いている。トイレまである。サクラ広場、中央広場、マカバ広場、アオダモ広場、カエデ広場、ホオノキ広場とつないで5.4kmを1時間20分でめぐった。 金太郎池に近いベンチで若い男性ひとりを見かけたほか、誰とも会わなかった。その若い人はスマホに夢中で顔もあげなかったので声をかけそびれた。微妙だったが話せばよかったと少し後悔。。 山ブドウが色づいて豊作のようだ。ひと房しゃぶってみたが、糖度を追求する栽培物にはない滋養のような味が舌に沁みる。先日、静川の小屋のベランダにアライグマの緑の種だらけの糞があったから、きっとコクワも当たり年なのだろう。 豊作と言えばドングリがその最たるものだろう。無駄と言えば無駄、ジャリジャリと踏みつぶさないと歩けないほどだ。クマなら50mも拾い食べすれば満腹になるのではないか。 ホオノキ広場に珍しく林がが開けた場所があったので近寄ってみると、樽前山に続く樹海だった。火山灰の上に成立した若い森林だとは言え、その広大さに押されしばしたたずんだ。風も強い土地柄だから、倒木も多く放置されているけれども、その土地柄をわきまえればとても好ましく見える。 広場にたかさ6,7mの株立ちの木があってたわわに実がなっていた。あまり見たことがなく、まず連想したのがハクウンボク。けれども実の付き方が全然違う。エゴノキのような殻斗のようなものはなく、道内は分布が道南までとされる。ワタゲカマツカに似るが葉裏に毛はない。果たして何か。 →その後、森林公園の主要林道わきに、たくさんのドウダンツツジが植えられていることに気づいた。見つけた場所は林道ではなく小さな広場だったが、この樹木も植えられたドウダンツツジが大型化したしたもののようだ。てっきり自生の自然木だと思い込んでいたし、3~4mもあったので大いに迷った。 自宅から金太郎の池の駐車場まで5km、錦大沼までは7km、研究林なら9km、支笏湖の国民休暇村なら25km。自宅周辺の町内散歩をやめたら散歩が楽しくなって、歩くのがつらいという感覚が薄らいだ。この調子なら奈良の「山の辺の道」約15kmは一日で通過できるような気がしてきた。 そういえば山小屋はどこも暗かった 2024/09/18 wed 曇り時々晴れ 24℃ 中18℃ テラスの焚火をセットしている間も相変らずの蚊である。軍手の上、シャツの上からも構わず刺してくるからフットパスを少し歩いて早々に外は諦め小屋に逃げ込んだ。 その小屋は人のよろずの営みを拒むように暗い。採光のための窓も結果的に不十分だった…、と考えた時に、待てよ、学生時代にクラブで管理していたパラダイスヒュッテや奥手稲山の家、山岳部のヘルベチアヒュッテと空沼小屋、山スキー部の無意根小屋、そのほか数多の小屋を思い出しても、そういえば入口ドアを開けた内部が光が射して明るい小屋なんてなかったのではないか…。そう考えたら、俄然、静川のケアセンターがいとおしくなってきた。「これがアベレージだ」。 築25年以上過ぎるこの小屋をひとりで管理してきたから、内外とも思い入れのあるモノばかりとなって、これは俗にいうカスタマイズだな、と気づいた。実は小屋でも土地でも排他的に専有するというのが実は一番あずましい、というのがわたしの経験で得た結論で、静川小屋の場合は空間が狭いからせいぜい一人か二人がいいところ。だから、文字通りプライベートロッジ風になってしまうのは自然だった。小屋は時々来ないと損耗するし盗難もあるから週2回の小屋番は当分継続することになる。なにより、建物の神様が喜ぶ。 もちろん、主たる機能は雑木林を保全するための資材置き場が基本であり、ライブラリーや暖を採るストーブすら脇役にあたる。そこに「ウラヤマニスト」の日常がほそぼそと展開される。 蚊のおかげで、このところは読書に励んでいる。単三の電池1個を入れた卓上ランプ二つと窓の採光で十分字が読めるから不自由はなく、それどころか小屋は限りなく集中できる。感性もピカピカに澄まされる。不快昆虫と騒音に邪魔されなければ瞑想にも最適なのである。産土(うぶすな)との一体感はこんな時間にやってくる。 緑のインフラと森林哲学 2024/09/19 thu くもり 24℃ 今日は久々に錦小沼を回ってみた。1.6kmだから短いコースだが4km近い大沼は単調であきるので、わたしには丁度良い。スズタケが枯れていて異様だが、蚊が居らず堪能できた。森の湖という雰囲気は抜群だ。 湿地を巡る木道もてすりや階段も補修されているから、さすがに行政の都市公園は違う、とその裏方作業の徹底には静かに驚く。駐車場や広場のインフラ整備と維持はもとより、である。 もう少し歩いてみようと隣の樹木園に向かったがシカ食害防備のためか入口がなく、さらに隣の青少年キャンプ場に入った。キャンプと言えば近年は道路向かいのオートキャンプ場が全国トップの人気だが、こちらのサイトはキャンプファイヤー・サークルなど、使われた形跡がなかった。 苫小牧は森林系の公園のグレードは特に高いと思う。欧州に引けをとらないと感じるが知名度が低いし、欧州の都市林のようだとPRしてくれる人も限られている。 だが、待てよ、と今日も気づいた。「待てよ」は9/18 の小屋の暗さに続くもので、その待てよ、とは「森系の公園というのは静かで混まないものだ。さびしいのが長所だ」ということだった。「森林は、集い系ではなく、どちらかと言えば哲学するところだ」というとらえ方である。 個人的なことを書けば、わたしの緑遍歴は、学生時代の山と森の「森林美」の発見に始まり、こころの「森林健康」、芸術を喚起する「森林感性」の関心を経てようやく「森林哲学」というカテゴリーが視野に感じる。日本、特に北海道の都市公園は欧米を参考にした設計が進んで各地にそれらしいコピーが誕生して維持されてきたが、現状は要するに「インフラが需要を先回りして追い越している」ということのようだ。 森林公園にあまり人が来ないこと、いないことは、誰とも会わないことも含めて、実はむしろ喜ぶべきことだという見方もあったのである。ただ、費用対効果の言い分がまかり通ってしばしば唱えられる「無駄」の評価に行政の担当側がどれだけ耐えられるかは大きいように思われる。そこに必要な「哲学」も実は成熟させ備えなければいけないのだろう。 尾根筋はパワースポット 2024/09/23 晴れ mon 23℃ 市の森林公園「集中walking」 は7日目。金太郎の池からカラマツ広場を通って湿地沿いをトン魚の池に出て戻る予定が、せっかく下った湿地沿いは径がなくなっていて仕方なくヤブをまた尾根に戻った。 かつて「イヤシロチ」を勉強しながら体験していたころ、尾根筋はパワースポットに近い、と発見し、その点ジュクジュクした湿地や沢地は木も枯れやすい「ケガレチ」だとわかったが、高丘の森林公園は尾根筋が多く道に迷いにくいばかりでなく、気持ちが良い、まさにイヤシロチだ。。それも尾根筋がきわめて明確である点は、だらりとした苫東の勇払原野とはだいぶ違う。 下の湿地から道なき薮を登って休んでいると、ここでは初めて男性に声をかけられてビックリした。補聴器をしていないので足音も気づかなかった。 サインがしっかりしている。マップの看板との整合という点では若干問題に気づいたが一度歩けば問題なくこなせる程度の話しである。それにしても、このフットパスが設計されたのはいつで、誰が担当したのか、ちょっと聞いてみたくなった。 帰りはカラマツ林を下った。斜度が適度で径の状態も良好なので、快適な沢地をたどって池のほとりについた。 これほど人と会わない山道だから、湿地沿いに下った折は、単独はほどほどにせねばと思った。というのは倒木の根元の穴を越そうとしたら、そこには大きなスズメバチがいたのだった。やばい、こんなところで刺されて動けなくなったら事故になる…。単独のリスク、侮るべからず、である。 |
ヤマグワのパワー、再び 2024/09/26 thu くもり 9/25 は夕方、北大苫小牧研究林と苫小牧市の連携プロジェクト「市民向け講演会」が開催された。まず北大側の研究者3名が環境や森林資源などに関する取り組み成果を市民向けに紹介した。科学的なことが主となるので地球温暖化や国連のSDGsに関する啓蒙、啓発という場になっており、それが行政側のリクエストでもあったようだ。 4番手にオンラインでプレゼンした東大の齋藤さんがやや森林文化など社会科学的な話をされた。最後の5番手のわたしは、さらに自然科学から離れ完全に民話の世界のような、感性を中心とする話をした。タイトルは『勇払原野の風土理解と感性』、自然は知識よりもまず感性でつきあうべし、という主旨である。松岡正剛氏のいう「花鳥風月の科学」を頭に描いていた。そうでありながら、共同主催者の研究林長は対象に対するアプローチのバランスの上でたいへんよかったと喜んでくれた。 平成28年、手かざしによってヤマグワのパワーを発見したころ。自宅そばの緑道「豊川のみち」で。誰も通行人がいないことを見計らって、ヤマグワの大木(直径約45cm)に背もたれする(自撮り)。 左はその頃のヤマグワ全貌。その後、突如、伐採された。 右は令和になって見つけた北星小学校脇の緑道のヤマグワ(直径約35cmか)。 わたしの話は、自然科学が前提とする証明(エビデンス)とは別次元の挿話(エピソード)のような領域だが、しかし非科学ではなくこれから科学が追いつくであろう「未科学」の分野だと思う。特に、上の画像も使ってヤマグワの「気」について時間を割いた。 ちなみに仏陀が悟りを開いたとされる菩提樹が、クワノキの仲間でありインドやネパールでは樹下で裁判などが行われた聖なる樹木とされている。この樹木が発する気によって人々はこの木の下では嘘がつけない、というのがわたしのエピソードのキモである。このクワノキが手かざしにおいて最も強く気を発することに体験的に気づいたのだった。 自然や樹木との付き合いはCO2や資源という物質の面ばかりでなく、感性あるいはこころやスピリチャルな付き合いも一面である、ということを付け足したことになる。むしろ感性の方が人と自然のつきあいのきっかけを左右するのである。その点、日本の自然はモンスーンという風土に恵まれるせいで暴れてしまい美よりも醜さが前に出たり不快な見せ方をするので、適度な「手入れ」がなされないと人々に受け入れられないという流れを概観した。 日本の都市計画における公園は欧米のデザインと内容を模倣してできたが、美醜と快不快まで配慮できなかった。何故なら欧米は通常、植生が日本よりはるかに単純でもともと美しく、不快昆虫などがおらず最初からグレードが高かったからである。つまり日本各地のインフラはアメニティの手立てがまだだった、と行政側の不備と個人的に長い間診断していた。 しかし、この講演会のストーリーを思案している間に、行政のインフラの未熟さよりも、受け手側の市民のほうの「まなざし」にも欠けている面が多いことにも気づいた。アメニティを感じ取るためには、文学や絵画などの芸術、それに自然体験や知識が組み合わされ育まれた「まなざし」との共同作業によって感受されると思うようになった。が、そのことには今回の18分では触れることはできなかった。 ~~~~~~ そんな前日のことを思い出しながら、夕方、小学校脇のヤマグワに背を持たせかけたところ、不思議や不思議、呼吸が深くなりたいへんなリラックス状態となって、しかも、通行人が数人横切ったけれども瞑目したまま気にならなかった。人と自然、実にどっしりした、奥の深いテーマである。 煙突掃除と窓ふき 2024/09/28 sat 晴れ 22℃ ■蚊が消えて、秋を迎える準備へ 赤とんぼが群舞している。案の定、群舞の日になぜか今年も蚊が突如消えた。蚊がいなくなったら小屋の煙突掃除をしようと思っていたのでさっそく取り掛かった。その前にまず、焚き火、そして窓拭き。バケツに水を汲んで丁寧に汚れを落とした。以下、秋のアルバム。 赤とんぼ(画像はボケ)が蚊を食べるという説の真偽のほどはわからない、というか見たことがない。しかし、微妙に頃合いが近いから、内心ではこの説をほぼ信じている。2024年、蚊に悩まされたのはたった3週間ということになる。 毎週見る小屋風景が少しだけ違って見える。左の白っぽい枝は、ヤマモミジのタネの房である。ドングリは豊作、ひょっとしてコクワも山ぶどうもそのようだ。イタヤカエデはどうか。それと、近年ほとんど見かけなくなったヘビに今年は数回遭遇したし、カナヘビの子供なら日に何匹も出会う。どうしたのだろう、ものみな繁栄の歳か。 落ち枝もいつもどおり豊富だから焚火は材料に困らない。大人の趣味「枝の焚火」は、林床の掃除にあたる。窓は内外ともたっぷり汚れているので、水を浸した雑巾がいい仕事をした。 煙突掃除前の小屋内部。実際の見た目はこれよりはるかに暗い。 煙突掃除をするには、脚立を使ってポールの梯子に乗り移って上部の足場につかまり右手で煤ブラシを往復させる。結構な高さなのであまりやりたくない仕事だがこの冬のためには欠かせない。煙突のキャップをそっと外したつもりが、どっさりと煤が落ちてかぶってしまった。幸い炭化して砂状なので衣服の汚れ被害は僅少で済んだ。 しかし横のブラシ移動が何かにひっかかり途中でできなくなった。ブラシを回収すべく小屋内部で結合部のまがりを外した時にボサっと大量の煤を下に落としてしまい、ストーブと床が煤だらけになった。 掃いてから濡れ雑巾で拭いてみたが、元通りの床の色には戻せなかった。これを機会に、小屋の床は土足OKにしようか(ただし泥靴は厳禁)と思いついたが、念のため数日後、もう一度床拭きをしてみる。 不安を軽減するのは安全の手立てだ。若いころロッククライミングや沢登りをしていたころ使ったブーリン結びを体が覚えていたので、これでロープを腰に巻いて先のループを梯子の鉄筋にかけ替えながら登って固定した。この間の腕力や上半身の力は相当なものだ。 ■ウラヤマ風山仕事はなんでも一人でやる心構えで 雑木林に出かけるとき、家人には場所ぐらいしか言わない。言えば、必ず心配事を愚痴られるのに決まっている。だから、ひとりで伐採をしているなどという仕事内容も聞かれないと言わない。これはずっと一人でやって来た習慣みたいなものでもあるが、ヒヤリハットのあまたの反省にたって、できる万全の策をとって無理はしない。 ただ、次々と湧く「ためらい」を払しょくし、多少はよいしょと飛び越えないと仕事が進まない。勇気でもなく、もちろん蛮勇でもなく、逃げ道を常に考えることだけはして来た。最後はフンギリだろうか。そうしている間に、安全と危険のギリギリのところが少しわかってきたように思う。これを通常経験と呼ぶのだろう。不必要に恐れてはウラヤマ的な山仕事はできないのであるが、木の下敷きになって死んでいた、などということだけはなんとしてでも避けなければならない。 トン魚の池ルート 2024/09/29 sun 快晴 23℃ ■高丘森林公園、ほぼ全ルート完歩 2024年夏、8月28日から散歩ルートを代えて高丘の森林公園をメインにして8日目、トン魚の池へのルートを歩いたので今日で全ルートをほぼ歩き切った。カラマツを若干含むもののほとんどが雑木林だから苫東や勇払原野の林と酷似するが、標高がやや高く、山坂もあり、かつ径のインフラが行き届いている。かつ、ひととはほとんど出会わないが、踏み均された人跡が刻まれている。 林の美しさとは光であろうか。そして光とは希望でもある。虫のいない風景の中、心を開放して歩けば、病気はやってこないのではないだろうか、そんな気にさせる。 トン魚の池は初めてだった。そして池は落葉が貯まって濁り、トン魚はみえなかった。早春から支笏湖でニジマスやアメマスをフライで狙っていたころ、よくエゾトミヨだろうか、トン魚がよってきて、水鳥やカラスも食べていたが、あの環境と透明度と比較してちょっと幻滅してしまった。かつては湧き水できれいだったのかもしれない。 今日は家人と一緒だった。例年、10月下旬に苫小牧の紅葉は最盛期になるから、それまで2024年の記憶としてさらに何回か歩く予定。うち2,3度は家人も、ということになるだろう。ドイツでは、夫婦喧嘩をノーサイドにするとき、しばしば近くの森に出かけるという話を思い出した。そんなことはなくても夫婦連れ立っての散歩は、何を話すでもないが何かを共有するいい時間である。 |