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2022年、日々の迷想


■5/05 里山と縦軸

このところ、早朝、NHKBSで里山の特別番組を放映している。偶然見つけて見始めた。今朝は阿蘇の草原の焼き入れだったが、その農家の母子が盆花採りをして先祖の墓参りに行くシーンがあった。この光景が、わたしのような、親や親せきと遠く離れた核家族の決定的に欠如した世界だ。
いや、北海道全体が比較的親戚が少ない世界なので、歴史ある本州に比べれば、子供たちにとっても代々しがらみや因習にとらわれない環境だったのではないのか。そしてそれは、普段の横のつながりとは違う、先祖や神様や、もうなくなった偉人など、侵しがたい畏れ、縦のつながり、縦軸のようなもので、これは人をして自律し自立させる助けにもなる一面を持っていると思う。一方、新天地・北海道は、人情の忖度などから離れ、どこか自由でアッケラカンとした気質を生みやすくなり、ある意味では暮らし易さもあるだろうと思う

個人的なことを言えば、子供たちにもう少しこの縦軸を経験させてやりたかった、と感じたことがあった。今となっては、子供たちが嫌がる関係かもしれないが。里山には、沖縄のウタキ、宮城のイグネのような、身近な先祖という神様を木々という叢で覆う、なつかしい囲い込みがある。やはり里山には日本人の故郷の原型がのこされていて、効率やIT世界との間には、浅くない溝がある。

5/03 巨岩のオーラ、石舞台古墳



仁徳天皇の古墳が見たい、そろそろ高野山も行きたい…。これが4月の旅行の発端だったのですが、どうも奈良市街まで欲張ってコースに入れると効率の良い回遊が計画できず、古墳はとりあえず、飛鳥の石舞台古墳でお茶を濁そうと、自転車で巡りました。土器などの遺物が出る遺跡のようなものは東北の郷里でも身近にありましたが、仁徳稜のような古墳や規模は、古代の大和を体感するうえで、この一帯に出向かないと決定的に体験が難しいことがわかります。で、今回の石舞台古墳は古墳という名の初の体験になりました。実に興味深い。

このような巨岩・巨石を移動させる技術は、イースター島や英国ストーンヘンジなど有名な場所で種々仮説が試みられました。わたしは広島・厳島神社の弥山(みせん)に登った際に巨岩パワーにとても感銘を受けたのですが、熊野三山を巡った折の憧れのゴトビキ岩は、股関節痛で断念したのでした。大きな岩はパワーがもらえる、という日本人だけでない、世界共通の信仰があるようです。これからは原生の自然よりも、人知を超える壮大な歴史や事物、もっぱらそういうものに出会いたい気がしています。

■5/01 Maying、春を祝う



新聞のコラムで、英国にはMayingという言葉があり、「五月祭と呼ばれる作物の実りを祈る日に、花摘みに出かけること」だという。まるで日本の万葉の世界に通じるところが感じられる。実は当方も、冬祭りとか春祭りと銘打って、雑木林の小屋で、ひとり、焚火を焚いてワインをいただきつつ夜を過ごしたものだった。

今日は山仕事で風倒木を片づけたあと、沢地で若いフキを見つけたので、わずか10数本だったが採って夕餉の食卓を飾った。並んだ肉料理などと遜色がなく、凛としていて、どこかオーラのようなものも感じられた。

■4/28 『蜻蛉日記』を読む

歌人・生方たつゑ著の『蜻蛉日記」を読みました。リタイヤ後にはなじんでみたいという歴史と古典とのふれあいの何弾目かにあたります。思えば目指した至福の時間を確実に得ている、といえます。

日記の内容は、正妻にはなれなかった才色兼備の女性が、夫・藤原兼家との間の愛憎、確執、憤怒、悲嘆などを克明に文字にしたものでした。解説の、とある名誉教授は「…気の強さ、すさまじい憎悪、エゴがこの日記を書く原動力」だ、と評するほどです。読み始めて間もなく、ははあ、これは源氏物語と相通じる情緒の世界を描いていると感じましたが、案の定、下敷きになっていることを知ることになります。おかげで平安時代の物事の運びと時代感覚が、ほんの少しだけ身近になったような気がするのは大きな収穫です。

年代を拾うと、蜻蛉日記は、日記の書き手であるこの「道綱の母」なる人の、西暦954年の結婚に始まり、995年に没したと推定され、一方、源氏物語が1001年ころに成立とみられていることから、この日記のような「散文精神が女流作家たちに受け継がれ」「源氏物語に見事に結晶している」とする解説者の話がすとんと納得できました。また、古来、日本では女性の人権が無視されてきたなどという批判とは全く別の世界が展開し、男女は現代にも通じる典型的な男女を演じているような感じに見えます。

特にわたしが目をとめたのは、女盛りを過ぎ、嫉妬に燃え狂うのにも疲れた筆者が、自然に慰められて述懐する下り。
「…人間がどんなに知謀を巡らしても、微動だにせぬこの自然は、傷だらけの私をあたたかく包容してくれた。私は、この自然の中に身を託して、余生を送ろうと思う。人を恨まず、妬たまず、ささやかながら、平穏の日々を過ごしたいと思う。この自然だけは、けっして人を裏切らないであろうから」。裏切らず、人を見守ってくれるのが自然、と謳われる。

花鳥風月にアンテナを伸ばす日本人的なDNAが、1000年の年月を超えて受け継がれているような気もしますが、アッケラカンとした現代は、意図的にかどこかにいつしか忘れられようとしているようにも見えます。もののあわれなど、情緒というのはある意味、湿っぽく面倒くさいからでしょうか。次は、和泉式部日記へ。

■4/26 今も世話になる「杖言葉」

人の世にはつらい時、悲しい時、うれしい時、様々な日々があるものです。。わたしなどは、この歳になってもなお、後悔の波におぼれてしまいそうなことがあります。それほど、社会常識から外れた不心得をして来た証とも言えるわけで、そのつど、わたしのこころは萎えそうになってしまいます。そんな時、羅針盤のように支えてくれる言葉を「杖言葉」と呼ぶことを知り、わたしにとってそれはなんだろうか、と自問したことがあります。座右の銘を持っている方もよくいます。折々、ケースバイケースで、そのような言葉は複数、使い分けられるのでしょうが、わたしの場合、近年、しばしば「杖」になったのは荘子の言葉でした。

その言葉とは、『将(おく)らず、逆(むか)えず、応じて而して蔵(おさ)めず』。過ぎたことをくよくよ後悔をせず、これからやってくることに不安をいだかず、その時々に応じて、それでいつまでもこころに留めておかない…のように意訳されます。これをひとつの目標と考えると、自分はまだまだその遥か途上にポツンといるだけですが、そう努めようと心構えを新たにするだけで、気持ちが少しシャンとするものです。人生、実に山あり谷あり、大波小波が寄せてきて、懸案がスルスルと片付くときもあれば、逆風が吹くこともあるものです。荘子は、その中を足元をみつめ粛々と進め、と勧めます。

■4/23 山菜シーズン、静かに開幕



今年は大雪で土壌凍結が甘かったのか、雪が遅くまで残り過ぎたか、春一番のナニワズの開花で始まる春のサインがつかみにくかった。マガンや白鳥の渡り風景もわたしには今一つピークが見えなかった。恒例のフキノトウとホッキのかき揚げも、ホッキが店頭にないとか、高いなどで足踏みしている間に、フキノトウは文字通り、薹(とう)が立ってしまった。
しかし少しも慌てず、フキ味噌を作るつもりで、トウも構わず採取して、使えそうなものはかき揚げにした。少量のアイヌネギも手に入ったので、数本素揚げにしていただいた。今季は、川エビから風土の食祭が始まって、もうすぐ、ミツバやスドキに移っていく。浜ボウフウ、ワラビもまじかだ。

今朝、旭川に住む古い山仲間の facebook を見ていたら、ホッキとフキノトウのかき揚げの写真と書き込みがあった。閲覧した別の山仲間が「これは誰のアイデア?」と聞いたのに対して、後輩の山仲間は「昔、草苅さんに聞いた。毎年いただく」と書いていた。美味しい組み合わせはかくして伝承すると納得。見た目は良くないが本当に美味しい。

■4/22 柳生さんの雑木林



柳生博さんの訃報が届いた。もうだいぶ前に、雑木林を創る同志と勝手に連帯感を感じて、氏の八ヶ岳山麓にある雑木林を見に行ったことがあった。

■4/20 奈良の旅行で得た直感



吉野山を歩いた4/5の午後、近鉄の飛鳥駅で自転車を借りて、飛鳥の有名なポイントをいくつかを家人と巡った。その一つはかの有名な高松塚古墳だった。写真はその近くの高台から見た風景。飛鳥と言えば、1000年以上前、聖徳太子が活躍した場所で、隣の橿原はさらに遡った神武天皇のゆかりの場所だけれど、その地のこじんまりしたヒュウマンスケールには驚かされる。

周りを小さな丘で囲まれた、小さな小さな盆地に見える。今自分が居住まう、大きな風景と自然が展開する北海道とは、明らかに世界観が異なる。日本の歴史の原初にこんな風景があったことを、わたしは不覚にも知らなかった。いや、感じ取ったことがなかった。

そうか、これはひょっとして日本人のDNAに宿っている「ものさし」ではないのか。他国へ領土を広げて侵略するなどという世界観とは程遠い、和みの里である。世界を席巻してきたグローバリゼーションなるものの構図は、やはり異常だ。そんな中で、国を守るということは、なんと大変なことか。日本はこのままではもう終わるかもしれない、などという声に、どう身をふればいいのか。

■4/17 634人が作る里山の風景



写真は散会後の薪ヤードのたたずまい。西日がすでに傾いている。今年も、周りの雑木林から集められた間伐木が、ようやく薪に様変わりし整然と並べられ始めた。ツルと枯れ木の山から絞り出されるように産み出されたとは、想像もできないだろう。

昨年度、一帯で修景作業に携わった人の数は、累計で634人だという。
いままで、どこでも見たことのない整然とした里山風景だ。フラットであることが奇跡ですらある。そしてなお、林の中で片付けが進んでいる

■4/15 脱炭素とSDGsは終わったのではないか?

ウクライナの戦争を巡って、世界がごろごろと変わっている。単純に、天然ガスを輸入し石炭エネルギーから転換することなどは、根底から見捨てられられざるをえなくなったのではないか。国連が主唱し各国と大手企業がキャンペーンを張ってきたSDGsももう影をひそめざるを得ないように見えるがどうだろうか。少なくとも庶民感覚的には、SDGsなどはすこしはしゃぎ過ぎで滑稽に見え始め、川柳などで茶化され始めていた。

折も折、開発協会の地域経済レポート特集「マルシェノルド」3月号は「脱炭素社会形成に向けた地域戦略」がテーマで、冒頭、小磯修二・北大公共政策大学院特任教授が、鈴木北海道知事へインタビューしている記事「「ゼロカーボン北海道」への挑戦」が載っていた。もう10年近く前になるだろうか、道は地球温暖化対策の道民啓蒙キャンペーンをしていて、それがクライメートゲート事件が発覚したややあと、いつの間にか声を聴かなくなった。そして、何年かたってからのこのインタビューでは、相変わらずのバラ色のキャンペーンを、あまり中身がないまま再び発せられていることに驚いた。大きな機関は一度選択し動き出したものは止められないのだろう。

さらに興味をそそられたのは、社会学の金子勇北大名誉教授が、言論プラットフォーム・アゴラ誌上で、『北海道「脱炭素社会形成」のアポリア』という論考を発表して、マルシェ・ノルドの特集記事を、粛々と科学的に批評分析したのである。先生からメールで紹介されたURLを上にリンクしてみた。関心のある方は、ウクライナで展開されていることと、これらの記事を読み合わせられることをおススメしたい。なんだか胡散臭いキャンペーンだと思っていた方には、そらみろ、ということになるのではないか。

■4/12 吉野山の行楽




ちょうど1週間前は、吉野山でサクラを見ていました。近鉄高野線は平日にも拘らず座る席がなく、お昼どきの参道はもう行楽の三密状態。しかし、さすがです。高野山と言いここ吉野山といい、修験道の雰囲気を空想しながら、歴史に刻まれた長い年月を思い浮かべて、まるで古い日本の匂いを嗅ぐように、古えとつなぐ波に束の間身を任せたつもりになれる。

奈良県の公式ホームページにはこうあります。「・・・この桜は、役行者が金峯山寺を開くにあたり、桜の木に感得した蔵王権現を彫って本尊とし、御神木として保護され、相次ぐ寄進を受けたことを発端とする。桜の種類は約200種とされるが、多くがシロヤマザクラ。この地は宗教都市として修験者が集まり、また南北朝時代に南朝の都が置かれた場所でもある。」下千本から咲き上がるので
ひと月近くも楽しめる。常緑樹の緑とのコントラストも新鮮だった。


■4/11 平川克美著『共有地をつくる』を読んで

タイトルに惹かれて興味本位で読んでみました。「地」と書いてあるものの、表紙が示すように人と人の空間、共同体のようなスペースとか空間を標榜しており、そこに貨幣価値などいろいろな理論的裏付けのようなものが挿話として書かれています。東京は中延の「隣町珈琲」というたまり場=コモンズを創った自伝的読み物とも言えます。ただ、1980円はちょっと高い、という感じ。
確かにあるころから、マンションのユーティリティや敷地の緑地も、あるいはリナックスのような共同開発するパソコンのOSなどもコモンズと呼ばれる流れが生れましたが、それよりさらに「人に寄っている」内容か。

わたしも嫌いではない世界ですが、大滝詠一が言ったという「流行るものは廃れる」の言い方に沿えば、この手のコモンズは流行ることがない代わりにいつも少しずつ固定のファンがいる、と言えるかもしれないなあ、と思った次第。筆者がこだわったり忌避したりした地縁共同体というのは、「しがらみ」ですから若い人ほど敬遠するイヤなものですが、反面、懐かしい琴線に触れるものもあるようです。


■4/10 山仕事は保育作業を終了し、片付けと修景へ、そしてこの頃



2021年冬シーズンの雑木林保育作業は、4/2(写真)の藪だしで完了し、昨日からは枝や枯れ木、切り株の切り戻しや手入れなど後始末の手直しを始めた。単純だがたのしい山仕事だ。ちょうど薪ストーブの終わりの時期と重なり、薪を1立方メートルほど残してストーブのシーズンは幕を閉じそうだ。

今季は、新たに入手したドロノキを焚き付けに使ってみたが、写真のように火付きが良く、まさにマッチ一本でつくような便利さだった。高野山の護摩焚きをみながらこのドロノキ焚き付けを連想した。来シーズンは、薪は何かを祈願しながらくべてみようか。

話は代わって、高野山と飛鳥などへの旅行を終え、千歳空港から自宅への帰途午後9時半、苫小牧の街の中心部ともいえる住宅地で、突然暗がりから飛び込んできたメスのシカ成獣とぶつかった。商店が軒を連ねる街の中であり、町内にシカが出ている話はすでに聞いていたが、正直、驚きが隠せない。

なにか、おかしくないか。奈良公園のシカを見ながら「あまり幸せそうにみえないなあ」などと呟いたのが悪かったか、車も小さくないダメージを受けた。
→噂によると、道道双葉環状線は今年1月から3月に300頭のエゾシカ死体処理が行われたとの情報があります。だとすればトンデモナイ数字です。受託した〇〇興業の話とか。野生の空間と市民生活の核心部分が、なんの緩衝地帯もなく隣接してはいけないという都市計画のミス。そのことのツケがようやく回ってきた。自然とは、ガラス張りのエアコンの効いた部屋から眺めるものだ、という提言は一理ある。わたしは四季を通じて雑木林の山小屋生活を試みているうちに、自然の中に暮らす魅力は、ほとんど感じなくなってしまった。

1週間前、原野はまだ雪があったころ、すでに初物のフキノトウをいただいたが、昨日は勇払川の土手で小さなフキノトウを見つけたので、早速採って天婦羅に揚げていただいた。川エビのドウも仕掛けたので、いよいよ、繰り返し地物をいただく何年目かの風土探訪が再び始まる。 
 

■4/09 護摩木という薪




名刹古刹と歴史を巡る旅行にでかけ、1日目は高野山の宿坊に泊まった。朝の勤行のあとには護摩焚きを見せてもらった。願い事を書いた護摩木を僧侶に焼いてもらう。この護摩木も「薪」と呼ばれており、焚くことは煩悩や苦しみを解き放つのだという。冬の間、毎日焚いてきた日常の薪に、そんな思いまで込めることが出来たら、と考えると気が遠くなるほど薪の意味が膨らむ。

この行の間、僧侶は、真言密教の作法で、まじないのような所作を繰り返しつつマントラを唱え、薪を次々と焚き、背中ではもう一人の僧がリズム感のある太鼓をたたきながら、お経のようなものを唱え続けている。密教はマニュアルで身に着けるのではなく、不立文字の伝承の世界と聞く。つまり、ヨガと同様、実践して悟りつつ覚える。1000年以上続けられてきたその伝承、膨大な時間、その壮大な歴史と人々を想像して、ただただ圧倒される。何という人たちだ。

■4/03 カヌーとフライ


カヌーイスト野田知佑氏の訃報が届いた。彼の、肩の力が抜けたような、世界と日本の川旅エッセーに惹かれて、結局、シーカヤックのファルトボート1艘と、カナディアンカヌーを2艘、手にするようになって、腕を磨いたのが懐かしく思い出される。水面すれすれの川や海の視点には魅了された。ご冥福をお祈りしたい。

カヌーイストの訃報を目にした丁度その日、BSの釣り専門チャンネルで、「フライギャラリー」という番組が目についたので合わせてみると、かつてフライフィッシングの時代に一世を風靡し先導した岩井渓一郎、里見栄正、佐藤成史の3氏が少しくたびれた顔をして、上野村の管理釣り場で旧交を温めていた。ある時期、サクラマスの沢井賢一、焼き鳥屋の田辺兄弟、キャスティングの小野某、荒川一洋、薪ストーブと寒山の森フライフィッシャー田渕義雄の各氏など、たかがフライの釣りじゃないか、と言わせないくらいの黄金時代があった。いつもニコニコの故西山徹キャスターのルアー&フライの両刀使いなども釣りの新バージョンをけん引していた。

今はどうなったか。釣りの専門BSでもフライの番組はほとんどない。管理釣り場で遊ぶオネエサン達をBSでみて、ああ、やっぱりちゃんとした渓流や源流の本物のフライ、もちろん海のサーフフィッシングも釣り全体からみればマイナーすぎるんだろうなあ、とフライの衰退のように見える現状にちょっと納得した。そもそも、それでいいのだけど。 

--このところ、編集モードにトラブルがあって、表示がやや不規則になっています。気長に治します(-_-;)
そして、明日から数日、更新をお休みします。<m(__)m>


■4/01 林道を散歩する年配者いわく、「ここは何もないところだ~」





そろそろ始まる自宅の薪割りに備え、薪割り台の傾斜をチェンソーで削いでフラットに調整すべく、チェンソーを車に積んで有珠の沢奥の林道に入りました。チェンソーの爆音は、住宅地ではとても耐えられないからです。「煙だけでなく騒音もか!」などと町内の顰蹙を買っては大変なことになります。林道わきの雑木林はところどころシカが食べた痕が残されており、遠くにも高さ2m近くまで樹皮の剥された幹が見えます。

そこへ地元の年配者がやってきて、木立を縫う有珠の沢の流れを見ながら立ち話になりました。土地の人の声はいつも興味深いものがあるので、歯の抜けた口元から話されるつぶやきに耳を澄ますと、「このあたりは何もない。雑木以外、ほんとに何もない。山菜もない」と断言するようにおっしゃる。わたしは、ナラの木が多くてわたしなら薪に重宝しますけどね、と相槌を打ちながら、山菜はコシアブラ以外、あまり見るものがないことを思い出しました。

「地面の下は、すぐ火山灰だからねえ」と言います。たしかに、一帯には樽前山の土石流から街を守るために防護施設があるほどで、地面を掘ればすぐ「火山礫」が出てきます。この方が、ここいら辺には何もないと強調するもので、わたしはふと、火山灰で地味に欠けるところは山菜すら種類が少ないのか、とあらためて思い直しました。

苫東も、厚真や早来にくらべれば遥かに山菜類は乏しく、限定されていることを知ったのは約半世紀前。今から300年近く前の大噴火による降灰で植生はほぼゼロに戻った後、「今は長い年月をかける植生の復元の途中にあるのか」。そう思えば、この殺風景な早春の雑木林風景も、いささか別のものに見えてくるのでした。

■3/30 名店「そば哲」で初物フキノトウの天婦羅をいただく






春は遅刻でもしたかのように駆け足で来ています。昨日から今朝にかけて家の上空を白鳥やガンたちが編隊を組んでたくさん飛んできて通過していきます。先週はオホーツクの毛がにが手に入り、おとといはホッキ貝、今日は遠浅の名店「そば哲」の野菜天に小さなフキノトウが加わりました。見た目だけでは足りず、舌でも春を味わう。そば哲さんには薪の納入時期と棚数の相談だったのですが、11時半前にあの広い駐車場は満杯になってしまいました。薪ストーブシーズンが終わるちょうどそのころに、もう秋からの薪の営業とはちょっと気が早いと思うかもしれませんが、手配が早ければいつでも冬を迎えられる、北国のその伝統的な安心感・・・。やっぱり気が早いか(-_-;)。



■3/27 夜来の雨で雪が消える

昨日は予報通り夕方から雨が降りっぱなしで、今朝晴れ上がってから庭に出ると、もう雪は完全に消えていました。薪は薪小屋の2棚、見かけの体積5.4立方メートルを使い切り、一昨年のアカエゾマツ若干、そして軒下の写真の薪(プライベートな育林成果)いくらかを残すばかりとなりました。雪が消えると、途端に薪ストーブへの執着が消えるから不思議なものです。今日は、自転車を出してエアをつめ、ベランダに椅子とテーブルを出していきなり春の気分を増幅させました。
ようやく、勇払原野の春の風物詩であるガンの飛行が街中の上空でも多くみられるようになりましたが、おそらく平年より2週間ほど遅いのではないでしょうか。ただ、多雪のおかげで土壌凍結が浅いので、春の芽吹きは逆に早いのではないか。新緑のピークは例年5月25日ですが、わたしのヘッポコ予想ではこれが20日前に前倒しになるかもしれません 。

■3/25 歌に見る庶民の共感 11
新聞の歌壇俳壇を読んでいると、ふだんニュース記事では感じ取れない、日本人としての共感、それを通じてさらに連帯まで覚えてしまうことがあります。理屈も必要ですが、ここにあるのはDNAに摺りこまれた情緒の世界でしょうか。日本各地に、毎日歌を詠んでいる生活者があまたいらっしゃる、その熱気に圧倒されて。
◎土間に落ちし茶碗の割れて幼な子はつなぎ合わせていくたびも泣く (横浜市Uさん)
…なぜか自分にもあったようないたいけな幼児のころの、無性に悲しかったできごと。大事にしていたものを割った驚き、大人が振り返ってみる視線への意外感。かわいい盛りの、大事にしたい感性。
◎山を見てここは新潟かと老父問ふに否と答えて泣きたくなれり  (吹田市 Sさん)
…問うた老父もおぼろげにわかっているのだ。老父も、まだらにぼけてきた自分に泣けてくるのである。自分の父親も岳父もそうだったから、強烈な思い出が呼び起こされた。
◎春たのしこぼす忘れる蹴躓く(けつまづく)  (小金井市 Kさん)
…ここまで並べられると笑い飛ばしたくなる。そして周りを見渡し、一言、「文句、あります~?」と聞きたくならないだろうか。自由の効かない自分を、向こう側に追いやって自ら茶化すしかない。みんな、通る道だが、なんとかうまくスルー出来ないものかと下心を秘めて。
◎巨樹の根が洞が老醜の吾に叫ぶ力の限り生きろと叫ぶ  (静岡市 I さん)
…自然との正しい付き合いの極意も実はこの辺にあるのでしょう。花鳥風月に気をもらい、感性を研いで、勝手に励まされて。モノ言わぬおおきな存在は鏡だ。


■3/23 寒塩引きとエゾシカ生ハム
札幌で古巣の理事会があって久々に出かけましたが、駅の北側では4車線のうちの左右2車線が完全に除雪帯になっていて、いやはや大変な大雪だったことを肌で感じました。昼過ぎに訪問したU先生のオフィスでは、帰り際に、真空パックされた鮭の寒塩引きをいただきました。早速、帰宅後に日本酒のアテにして食してみましたところ、やはり寒風にさらされたようなエゾ地の風土の香りがしてきます。おもいついて、冷蔵庫に残っていた勇払原野のエゾシカの生ハムと並べて、今晩のおつまみをセットしてみました。自然も食も総動員して風土を共有する、というのが最近のモットーですが、意図するところ、いろいろと多様な物件が飛び込んでくるものです。今年ももうすぐ川エビのシーズンが始まりますが、夏はあらたにジュンサイを加える予定。弁天浜ではサクラマスも狙ってみるつもり。

■3/21 春分の日を迎えて
雪の多い年だったせいでしょう、苫小牧豊川町の自宅上空をガンが編隊で戻ってくるのを見たのは、3月18日でした。本来なら3月の上旬ころには、雑木林の上空も乱舞がに目を上げ、見とれたものでしたが、今シーズンは昨日の3/20時点でもまだでした。
というまに、時は春分。さあ、これから春本番のサクラの開花や新緑までが実に長い。この際、長かったパンデミック対応は切り上げて、新しい気分で新年度を迎えたいもの。雑木林での春一番の山仕事、「晴林雨読」の日々をもう夢見ています。
雑木林の藪だし作業をほぼ完了して、気分はきれいに春分モード。

■3/17 石牟礼道子著『苦海浄土』を読了
なんとなく畏れ多く近寄りがたいものとして遠ざけていた「苦海浄土」。読み終わってみて改めて書き手に対する特別な畏怖の念が残った。書かれた聞き取り風の語りは、石牟礼道子巫女説が存在するように、彼女が相手の心を読み取って書いたとされる私小説だとの見方もうなづける。その裏で、わたしの当初の生業としてあった緩衝緑地づくりというミッションのみなもとは、実は「苦海浄土」が描く水俣病をはじめとする四大公害にあり、市民生活と公害を遮断しなければならないという、昭和40年代の現実から生まれたものだった。年を経ても緑地概念は一向に計画論を超えず地域に根付かなかった、その結果の補てんとして実はコモンズの誕生がある、その流れをしばらくぶりに思い起こさせた。やはり不思議なご縁があったというしかない。計画緑地はパターナリズム(父性主義と言われる)という転ばぬ先の杖的な起源をもち、オープンスペースを求めて暴動が起きた英国や、森なしに生きられないという願望が伝統として語られるドイツとはまったく素性が違うものだったことにも思い至らざるを得ない。渇望されない緑はもともと生活に根付かない。このことは「雑木林だより」などに日をあらためて書き足しておきたいと思う。渡辺京二氏の巻末の解説も、風土の声を語る点で出色で2度読むことになった。

■3/15 術後6か月検診で主治医に本当は伝えるべきだったこと
検診が終わって一週間。どうもドクターに伝えるべきだったことを言い逃してしまったと後悔しています。それは施術によって、生活の質QOLが著しく向上したこと。これをまず一番に伝えてお礼の気持ちを表現すべきだった。この欠落に気づいて、年甲斐もないこの思慮の浅さに愕然としました。この著しい向上があったからこそ、機能回復の上限を聞いてみたくなったのだから。QOLが医療によってあげてもらったことを、今、シンプルに感謝の気持ちで振り返っています。この未熟さに、「お前は一体いくつになったの?」と自問、赤面。分別ある大人として生きるにはまだまだ修業がたりない。(-_-;)

■3/13 ハスカップ、北海道遺産に?!
一昨年の7月に紫の実を土に押し付けて発芽させたハスカップが、緑のまま2年目を終わろうとしている。さすがに茶色の枯れ葉模様が見え始めたが新芽らしいものは見えない。生命力や生態は依然神秘性があって、要するにまだわからないことも多いように思う。
そんな折、厚真町の篤農家が「厚真のハスカップ」を北海道遺産に申請するというニュースが地元紙に出ていた。そもそも選抜育種されたハスカップが遺産にふさわしいかは意見の分かれるところ。その前に、「農地開発や宅地開発」、そしてとどめの工業開発によって苫東にのみコモンズのように残されたエリアこそ遺産と呼ぶべきだと発信してきたものとしては、ちょっと違和感を感じた。率直に言えば、ラムサール条約の追加登録見込みゾーンに「取り残された」遺産がある、というわかりやすさの方が好ましいと思う。こうなったのも地元苫小牧に真の後見人がいないからではないか。明確にしておくべきは、ハスカップをサンクチュアリ一帯に閉じ込めたのはまず、「農地開発や宅地開発」であり、厚真のそれは道内各地に里子に出された一部でしかないことである。ハスカップの歴史はこのように繰り返し語り継がれ、変節を重ねるのだろうか。
 
■3/11 薪ストーブ休日に
昨日は快晴の陽気を見込んで、この冬初めて薪を焚くのをやめました。3月5日は啓蟄でしたから、さもあらんという時期ですが、こうして寒暖の波をいくつか越しているうちに、春は目前に迫ってくるのはいつものことです。戦争のニュースの陰でコロナ過は影も薄くなりつつある現状を俯瞰すれば、内憂外患と言えましょうか。防衛や外交でぬるま湯につかっていたお人好し民族はここで何かに気づいて方向を転換できるのか、否か。かつての先輩同僚は、果敢にもマイクをもって街頭に立ち始めました。市民活動であれ闘病、療養であれ、前向きに70代を生きようとするご同輩には励まされます。こうでなくてはいけません。

■3/09 術後6か月の検診で冷水
「えにわ病院」を訪れ、主治医の6か月検診を受けました。レントゲン結果では骨と人工物はうまくついており異常なし、との診断は良かったのですが、手術部位の痛みはなくなったことからもう普通の活動に戻りたいと淡い期待を持っていったのは、まさしく甘かったようです。普通の身体とはもう違うのだからと、危険な動作はやはりタブーとされ、そろそろ健常者に戻りつつあると思い始めていた当方には、これは意外な冷水でした。そこにある、ギャップ。先週も実は、半日はスノモに乗って丸太運びをしてしまいました。
待合室でお会いした年配の女性は、数回の脱臼にあったとのことでまだ長く通院している様子で跛行していました。ドクターには、股関節手術を甘く見ないよう、やんわりたしなめられた格好です。浮かれて可動域の上限を極めようとする当方のこころのうちを見透かされたような感じでした。そこで思い直し、晴林雨読願望には、その頭に意識して「身障者の」という冠をつけることにしました。手続きさえすればもう身障者手帳をもらえるのです。(-_-;) 確かにレントゲンをみると、骨にネジくぎや金属のクサビが差し込んであり、それを見た瞬間、尋常な身体ではなかったことにあらためて気付かされて我にかえったのです。これからは、はやる心を押さえねば…。痛みが消えた途端に芽生える慢心とは怖いものです。

■3/08 続・耄碌の恐怖
…自覚…、と淡々と描いた方の本心をもっと言えば、このまま底なし沼のような認知不能の世界に落ちていくのではないか、という大きな不安があります。入り組んだレトリックや早い話にはもう脳がついていけないのです。これは、高齢者の域に入り込んだ方々に大なり小なり共通する恐れではないかと想像します。わたしの場合、例えば「Aさんのオバサンの息子の嫁」というような表現でも、もうついていけません。そこに難聴も加わります。テレビドラマに特有な「つぶやき」は肝心なキーワードが聞き取り不能なため、始めから視聴を断念します。そうして一般の会話も、「カヤの外でOK」と割り切らざるを得ませんから、ますます個別の瞬時対応のスキルは落ちていくのではないか?そんなダウンのスパイラルを思い描いています。もっとも、聞こえなくて切実に損をしたという実体験には、余り出会わないのですけどね(-_-;)

■3/06 耄碌の自覚
聴力視力、筋力、知力、モロモロが衰えてきてこれをどう表現すればいいかといささか悩んできた。なかなか、すとんと落ちる適切な言葉が見つからなかったのだが、今朝、いい言葉を思いついた。矍鑠(かくしゃく)の反対語にあたる「耄碌(もうろく)」である。田舎では「あそこのじいさん、少し耄碌してきたな」などと陰で言ったものだが、ボケてきた、というより少し優しさとともにありがたさがこもるような気がするのだ。確かに身体と頭の能力が落ちたことを指すけれども、この言葉を発するどこかに、「みんなたどる道」というようないたわりと諦めのようなものを感じる。
パソコンに当てはめると、身体に相当するのはPCの本体のハードであり、知力は回転がCPU、記憶力はメモリーということになろうか。そのいずれもが落ち始めるのが高齢化であり、耄碌のスタートは実は本人にもいささか自覚症状が感じられ始める頃か。自分がその段階に達していることはとうに認識しているが、人とPCの違いは「魂」の存在であろうか。魂はそういった測定できる能力とはまた別の箱に収められていて、きっと老若男女、差がなく、かつ良心のようにあまねく与えられている。ここに至って万人、なんびとも命を全うして生きる意味がある、という結論に導かれる。与えられた能力を使い切る日は遠くないと思えば、耄碌すら有難く思う。ただ周りに迷惑をかけないよう、身を引く実践を始めている。

■3/04 五月の山に(Im Maie)
BSの「世界街歩き」がザルツブルグを放映していた。そのなかで、教会の鐘の演奏(カリヨン)に耳をそば立てた。山に登っていたころ、あるいはそのあと、テントや山小屋や札幌狸小路の居酒屋「ツル」で、山仲間とハモったあの美しい山の歌のメロディーが流れたからである。チロル地方の民謡で後半部分はヨーデルになる。同じく「五月の歌」(An den Mai)もよく合唱したが、こちらはザルツブルグが生んだモーツァルトの作曲である。……明るい日差し輝き、白雪解けて流れ、せせらぐ水も愉し、春の山よ、ヨホーリホーリホレリホ 愉し春の山よ…と3番まである。モーツァルト作の方は……うるわしさつき、みどりは萌え、小川のほとりすみれ花咲く…と3番まで続く。「春の小川」も里山をうたった日本の童謡も素晴らしく大好きだが、わたしはややバタ臭くとてつもなく5月の喜びを表現したこれらの歌もずいぶん歌った。いまはかつてハモった山仲間と離れ離れでかなわないが、カリヨンの1,2小節で強烈に当時を思い出した。残念なことに、もう高音で素早く声を裏返しつつ詠うヨーデルも声が出ないが、音域はやや復活できそうな気もするから、しばらく風呂場でやってみようか。ホーミーなら時々やるのだが…。

■3/01 二人の知性が語る『死という最後の未来』
石原慎太郎と曽野綾子という長命の部類に入れていい聡明な保守の二人が語る死、宗教、未来、そして病と日常と生い立ち。それらが平易な会話のように展開する光景に引き込まれて、並行するように字ずらを追って散歩した。そして自らの末期というものもちらちら想像しながら、「流されているのがわたしの人生」(曽野)、「情熱をもって天寿を全うしたい」(石原)と個性を見せつつ、「生涯は単なる旅路に過ぎない」、「人生で出会った人たちを探してお礼を言いたい」、などと共に響きながら発せられる言葉に耳目を集中する。これらに読み手も共鳴して安らぐ。散歩だから、少しずつ時間をかけて休み休みであるが。(令和4年2月10日初版発行 幻冬舎)
Amazon の紹介にはこんな風に書かれている。“キリストの信仰を生きる曽野綾子。法華経を哲学とする石原慎太郎。対極の死生観をもつふたりが「老い」や「死」について赤裸々に語る。死に向き合うことで見える、人が生きる意味とは。…歳はひとつ違い、家も近所で、昔からの友人。だが会う機会は多くはなかったという石原氏と曽野氏。そんなふたりが「人は死んだらどうなるのか」「目に見えない何か、はある」「コロナは単なる惨禍か警告か」「悲しみは人生を深くしてくれる」等々、老いや死、人生について語り合う。老境のふたりにとっての孤独や絶望、諦観や悲しみ、そして希望とは。…” これらを小さな文庫本で楽しむのはあまりに至福の時間で、つい死など忘れてしまいそうだ。

■2/27 シウリザクラは開花
ついに花が開いて、花瓶を置いた窓の周りはまぎれもなくバラ科のにおいがする。ひとつひとつの花は3,4mmの小さなものだがみごとに総状につけるから、愉しみは格別だ。エゾヤマザクラもコブシももちろん開花を見守りつつ春を待つ気分は悪くないけれども、こういう変わり種を愛でるのもいいものだ。
大島山林では、木、金と地元の方によって除雪が進められ、土曜日にはNPOのみんなでテントの雪下ろしなどが行われた。積雪は1m以上あるが、あさってはもう3月弥生であるから、いよいよ雪解けを意識した山仕事になっていく。こんなふうにして特徴あるメリハリをもって季節が巡るのに合わせて、人の生活リズムもトントンと調子よく繰り返されていく。

■2/24 道内が大雪に見舞われた朝、一年分の薪2棚を使い切る
天皇誕生日の休日、山小屋の点検に出かけた。スノーシューがあるから難儀することもない、と軽く考えていたが、人工股関節手術をしてリハビリ中の高齢者が挑むものではなかったようで、つらい思い出作りに行ったようなものでした。
この朝は、ストックした一年分の薪5.4立方をちょうど使い切り、軒下のストックに手をつけたところでした。勇払原野の雑木林はかつてない雪の多さは見るからに厳冬期ながら、時折見せた日差しはもう春のもので、今回の大雪を「無駄な降雪」「春を迎える前のいつもの悪あがきだ」と考えた人もきっと少なからずいるのでは、と思います。こんな冬があればこそ、春が待ち遠しいと思う心は高まりを見せるのです。

■2/22 読書の先にあるもの
読書三昧が可能になり、晴林雨読の日々を送ることができるのは白秋期の醍醐味だ、と密かに豪語してひとり粋がっていたのですが、待てよ、もっと具体を探ればその先には何かありそうだと、朝、雑誌とミニコミ誌に目を通している間に気が付きました。本を紐解けば、自然、人、自分、日本という国、地域、世界、そして宇宙、神、さらに家族や世間、これらモロモロについて思索する時間が生れるが、最高の至福は何かと問えば、この「時間」ということになるのではないか。哲学者・内山節氏がエッセーを「試論」と意訳したひそみに倣えば、「思索」は「試論」に行きつく。そして各々の思いはそれぞれの「試論」に導かれる、というわけだ。「試論」は時に外に向かうこともある。そこに対話が発生し一定の緊張も生れる・・・。

■2/20 二十四節気「雨水」のシウリザクラ
二月十九日、山仕事の日は二十四節気の雨水で翌二十日は朝から小雨が降った。雨水とは降る雪が雨に替わるころをいうから、本当にこの季節感覚は北海道によく合致しているといつも感心してしまう。一月の下旬に採取して水に挿したシウリザクラは一週間前は葉っぱしかないと思っていたところ、急に花のつぼみが現れ、もうすぐ総状花序が開く。これは儲けものだ。つぼみが細身だったから花芽ではないと諦めていたから。可愛くて楽しめる花だ。苫東コモンズのフィールドではしばしば群生し、立ち入ることも難しいほどの密度になる。本によっては、「北海道バードツリー」などと書いてあるものもあるから、やはり鳥たちの大好物で拡散されているのに違いない。

■2/17 リタイヤと健康観察
健康診断の結果、なんだか色々な健康データが横ばいか改善されたような様子がうかがえます。最後に面接したドクターの所見が元気一杯だったせいだけでなく、やはり、往復4時間をかけていた札幌通勤から解放されて、生活のリズムが著しく改善されたせいではないか、と自己診断しました。晴林雨読の読書三昧生活が思った通りの充実だったことはむろんです。それに勤め人としての仕事は、決して心と体にいいなんてことはないのがふつうです。いいこともたくさん経験で来た反面、やはり抑圧された不健康も現実だっただろうなと振り返ります。こうした折角いただいた健康と活力を元手に、精力善用自他共栄へ向かいます。

■2/15 本を読む幸せ、あるいはそんな日常を寿ぐ
読書する十分な時間が与えられているというのは格別だ。他人の経験や思い、そしてしばしば人生に触れ、物語に没頭する。限られた時間とは言え、心を動かされて別世界を漂う…。決して社交的でなく性格もいびつな自分が、毎日、数冊の本と同じ数ほどの雑誌の中の幾ページかを読み進み、高邁な情念にも出会いながら、新聞と複数のネットニュースに目を通せば、にわか社交上手のような忙しさになって、散歩の時間も無くなりそうになってしまう。もろもろ並行して読み進むので、ある時パタパタと読書が終わることもある。
今日は浅田次郎著『神坐す山の物語』が終わった。浅田作品は、かつて泣くまいと思っても実によく泣かされた。人情も計算した筆のちからに読者はまんまとやられる。山田詠美、村上春樹などさすがに読ませる書き手(職業作家)は枚挙にいとまなし。今、読み差しの石牟礼道子の代表作は、読み進むのさえ惜しく、巻末の渡辺京二氏の解説で立ち止まっていた。そこへ、熊本新聞の正月特集に、熊本在住の渡辺氏と詩人・伊藤比呂美さんが対談していたよ、と上下の対談がデコポンの隙間を埋めるように新聞2枚が送られてきて、珍しく雪深い苫小牧の読書生活が急ににぎやかになった。

■2/13 一足先にシウリザクラ開く
1月半ばの2度の大雪で、もう山仕事も諦めている林を眺めているとき、前の週に伐倒されたというシウリザクラの小枝が目についたので、つぼみの比較的大きい枝を持ち帰り、花瓶に挿した。このあたりには、あいにく一目で花芽とわかるエゾヤマザクラのブリブリの桜がないのである。それが丁度3週間ほどして開き始めたが、案の定、花芽ではなく葉っぱであった。でも、いいではありませんか。強い日差しのせいもあって、一足先に春らしい気分が少ししてくる。このちょっとした上昇気分。雑木林では、イタヤの樹液採取も始まった。サラサラの積雪に苦しみながら、間伐木の藪だしが進む。

■2/11 雪山のカムイミンタラ
今から20年ほど前の冬は、数年の間、写真のように一人でカラマツの間伐をしていた。樹齢が40年を超えた、一度も手入れのされていない保安林だった。そんなある日、粉雪の降る寒い日だったが、カラマツの木立を縫って射す陽の光がことのほかか細く、暗くなったり雪が光り輝いたり、それは美しい数分間だった。思わず仕事を忘れ、その光景に見入った。神々が遊ぶという庭・カムイミンタラは夏のお花畑だけではないことをその時知った。丁度その頃、アイヌ博物館のおひざ元である白老の人たちは、「白老にたくさんのカムイミンタラがある」と言っていて、いくつかを教えてもらった。中には海岸の崖下の浜辺などもあったような気がする。自然の造景や微気象は、神々を想像させるに足るものを、束の間、ごくごく一部の人たちに不思議な光景を見せるのだろう。不思議に、カメラも持たない一人の時である。

■2/08  土地に根をはった生き方「石牟礼道子」
わたしの周りでは作家・石牟礼道子を特別視する方が少なからずいらっしゃる。石牟礼さんと言えば代表作は『苦海浄土』であるが、わたしはいつか必ず読もうと思いつつ先延ばしにして来た作品だった。何だかとても重たい気がしていたのだ。プロフィールを調べていると、山仲間の住む住所で代用教員をやっていて、ほとんどその界隈で暮らしていたことがわかった。さらに肉声に触れるべく、まずエッセー集「蝉和郎」を読んだ。苦海浄土の足ならしである。読んでよかった。熊本の田舎の描写がリアルでさすがに詩的でもあり、人間の生き様(この言葉はふだんは好きではないが石牟礼さんの描写はぴったり)の根っこにはどうしようもない業のようなものがあり、人の心のどこかには必ず良心のかけらのようなものがある、というような視点があるように感じる。人が生きるも死ぬも、生き物全ても淡々と低め安定の語りで、それが妙に落ち着く。数々の生き死に、幸不幸をくぐって来た人特有のものにも見える。そしてこの低め安定がわたし本来のテンションででもあるのか。石牟礼氏はこの土地に定住しながらやがて水俣病と闘っていく。エッセーは「土地に根ざす」という生き方を垣間見る思いだった。土地に根ざせばグローバリゼーションの影はたちどころに消えそうになる。それでいいのだ、という声が聞こえる。

■2/06 スマイル・ジャパンのアイスホッケー

シナ(中国)のやり口には賛同できないので、冬季五輪観戦は基本的に止めたのですが、ちょっと横目で女子アイスホッケーを見ているうち、向き直して正面から見てしまいました。「なんと、成長したことか!」。わたしは会社のチームで20年ほどアイスホッケーをしたので、国内外のゲームも良く観たものですが、国土の星野、西武の若林、王子の若狭、岩倉の桜井などがオリンピックにも出たころ、パスの通りが悪く、まことに歯がゆく思ったものです。が、スウェーデン戦やデンマーク戦のスマイル・ジャパンはあの頃の男子とほぼ同じくらいにパス回しがうまく、シュートなどの技術向上も素晴らしいように感じたのです。それで頭に浮かんだのが「成長」でした。当時すでに女子チームは苫小牧にもあって、練習でリンクで出会うこともしばしばでしたから、練習風景からみてオリンピックなど想像もつ来ませんでしたから尚更です。⇒
ゲームの流れが良く見えるのは、女子は厳しいボディチェックが禁止されているせいでしょう。かつてNHLのゲーム運びが素晴らしく見えたのは、あまり止まらずハイスピードで攻守が転換されていたせいだと気付きました。2/7
今、苫小牧はコロナのためか、子供たちの町内リンクも用意されませんが、近所にカタカタと音のする家があって行ってみると、周囲と天井にネットを張った畳8畳ほどの個人リンクがあって、小学校高学年と思しき女子が、駒ネズミのようにパック操作とシュートの練習をしているのでした。あの子もきっと胸を膨らませてスマイルを応援しているはず。頑張れ、ニッポン!

■2/04 国の進む道と形
とうとう石原慎太郎氏が亡くなった。「日本人としての矜持と胆力」の象徴のようにも評された。わたしは氏が終戦間もない高校生の時に、市ヶ谷の旧陸軍士官学校で開かれた東京裁判に、毎日のように下駄をはいて出かけた(そして守衛に怒られた)というエピソードを聞いた頃から、東京裁判に興味を持って、遅まきながら日本の歴史をまじめに学び始めた。70年以上前にGHQが推し進めた日本人の心に贖罪意識を強く刻印し二度と米国に歯向かえないよう、周到に仕組まれた日本人改造戦略 WGIP(War Guilty Information Program)が今日に至るまで、かくも浸透し効力を発揮し続けるとは、さしものGHQも想像していなかっただろう。一部の識者が、もう日本は手遅れかもしれない、などとつぶやくような近年も、石原慎太郎氏は敢然と国家観を示してきた。心からご冥福をお祈りしたい。 合掌

■2/02 グルクンとハチガラ

このところ、石牟礼道子さんのエッセーを読んでいる。その中に、長崎の島原の方が、相手を様付けで呼び、それはそれは優雅だったという思い出が語られていた。石牟礼さんはわたしの山仲間が住む田原(八代市と水俣の中間あたり)の近くに住み代用教員をしていたなどから、何かと連想を膨らませて読み進んでいたのである。そこからわたしの連想はおととし別府の宿でいただいた、非常に美味しい初めての魚「グルクン」(写真左)を思い出した。給仕してくれた方はわざわざ板前さんに名前を聞きに行ってくれてわかったのだったが、忘れられない濃厚な味で、スマホですぐ調べると沖縄の県魚とある。そうか、九州の人たちはこんなおいしい魚を食していたのか…。正式な名前はタカサゴというらしい。
と、連想はさらに進むと日本海は島牧の宿でいただいたハチガラを思い出した。冬のアメマス釣りに行くときの定宿にしていた島牧の「高嶋旅館」(今は岩内に移転している)でアワビの石焼と刺身と一緒に必ず出してくれる小さな焼き魚だった(写真右)。これはスーパーや魚屋さんんでは見たことがない。きっと、かつての八角のように地元の人だけが食する雑魚扱いかもしれないが、ご当地ならではファンがいるはずだ。おかみさんは築地に行ってしまうようなことも言っていた。ついでにまた思い出したのが、噴火湾の八雲あたりで食する「どんとほっけ」である。どうもタコの内臓のようだったが、本来は捨てる部分をざっと湯がいたものらしかった。お酒にはよく合う、やわらかい食べ物だったが、海のそばを故郷に持つ人、数人に聞いたが、これを知っている人はいなかった。

■1/31 『雨ニモ負ケズ』とヨガ
ヨガの修行には8つの段階があるとされる。すなわち、禁戒、勧戒、アーサナ(体位)、調気、自己コントロール、統一、禅定、三昧である。これらをたどっているとき、2番目の勧戒で、『雨ニモ…』はこの勧戒そのものの宣言ではないかと思いいたったことがある。心を聖化し、積極化し平静に保つに必要なことを勧めるのが勧戒であり、殺生や盗みなどを禁じ貞潔などで自律させる第一段階の禁戒を超えて、あるべき道を前のめりで朗らかに指し示すものである、という意味が付される。清浄、満足、秩序、学道、念神が勧戒の初歩の5か条とされる。賢治の『雨ニモ…』の宣言は今でも吟唱してみたいフレーズに満ちている。ヨガを起源とする仏教などの教えの中には、必ず戒める禁戒の数々と、第2段階の勧戒の5か条が見受けられ、賢治の身近にあった概念であっただろうことは容易に想像できる。


■1/30 賢治の自然観
宮城一男著『宮沢賢治と自然』(1983 玉川大学出版部)を読了。日本人は自然をどうとらえてきたのか、そして自然観がどう移り変わってきたのか、改めて考えてみたい衝動にかられ、『山と詩人』を読み、それに続く二冊目の自然観探訪となった。賢治の童話がどこかエキゾチックな趣があったのは、地質や岩石の専門用語とラテン語めいたものがちりばめられていたせいだった。たとえば落葉松に学名で属を表わすラリックスというカタカナでルビを振るなど、だ。そしてそれら不可思議な文字が作品の中に宇宙的な広さを感じさせる元だった。が、岩石学の専門家である著者のワンポイント解説で、大分親しみが持てるようになったのは意外な収穫だった。
また、初めてエッセーのような文章を目にしてやっと賢治の口蓋に触れた気がした。迷信や無知蒙昧に近かった農民・農村を、科学によって明るみにだそうとするような慈愛に満ちた独特な使命感をエネルギーにして、森羅万象を博物学的な視点から紐解き、多くの童話や詩で心を表現した賢治作品であるが、著者は賢治がそこに科学と宗教の接点を求めていた、と考えている。
その見方に、わたしはもっとも親和性を感じる。自然は神性を備えた超越した存在であり、科学で分解や分類はできないあるもの。「虔十公園林」は懐かしく熟読し、伐採をするときに村人が「少し木貰っていいかあ」と聞く「狐森と笊(ざる)森、盗人森」には、自然との関わりの根幹を表わす普遍的な思いが込められている、と改めて感じる。こうして振り返ってみると、自然=森羅万象は、宗教のような立場にたって付き合い眺めるのが、もっとも「自然」なように見えてきた。『山と詩人』では花鳥風月をとらえる感性がまずあり、その後ろに社会があった。人間も自然のなかのひとつの生き物、という賢治の慈しみに近い視点は多くなかったように思う。
ちなみに、この本は前の職場のライブラリーを処分する際に、放出されたものの中から頂いた。ありがたい拾い物、だった。

■1/27 歌に見る庶民の共感 10
この頃、川柳が目や耳につく。すでに紹介した「声高にSDGsと言わねども農夫は還す根は葉は土に えすでーじーず」は共感する人、多々。そのあと、「SDGs言うやつみんな金めあて」、これは金子先生の地球温暖化の論考の感想にもお書きした。「オミクロン検査しなけりゃただの風邪」。然りである。この視点は政府や専門家の見解より、明快でわたしはこの陣地に一画を構えている。
さて、今日挙げる共感。
◎「いち年を介護と家事と畑いじり すき間なき程老後は濃くて」  (深川市 M子さん)
 …無聊にかこつけて老後を送るのと真逆の日々。前向きな姿を想像して励まされるような歌。わたしも頑張ろう。
◎「おでん炊き今日のことだけ考える」  (久喜市 Fさん)
 …目の前の足元に集中する。禅や冥想の教えに「今、ここ」という言葉があるが、思えば、過去も未来も、色即是空。意外なことに、迷いの「今」に腰を降ろせば、救いがそこにある。家事(仕事)は偉大だ。
◎「徘徊の母を見つけて帰る道 空は夕焼けあしたも晴れだ」  (匝瑳市 Sさん)
 …認知症のお母さんを離れたところで見つけての帰途。民の営みへ思いを馳せ、亡き母を思う。何も恩返しできなかった…。
◎「「パパはもっとかっこいいのに」 似顔絵を書き終えた児の小さき溜め息」  (徳島県 Iさん)
 …自然に育つ親子の情。子供には生まれながらにしてピカピカの感性がある。人にはもともと生れながらにして、穢れのない良識、いわゆる仏性(ぶっしょう)が備わっているように。この性に日々向き合う習慣を大切にしたい。

■1/26 北海道のナラ材と枕木
学生時代の山のクラブの先輩が、北海道の鉄道の歴史について本を出したので読ませてもらった。北大の工学部を出て、JR東日本に就職され、近年はインドの高速道路プロジェクトに携わってインド滞在が長く続いていたのは知っていたが、その間に、このような緻密な文献研究もされていたとは知らなかった。道内の鉄道は、道路や河川などと違い、歴史や経緯を俯瞰し総括されたのを見たことがなかったので、わたしにはたいへん興味深かった。山仲間のOBのその後のネット会話では、本の中で紹介された新宮〇工のメイン業務は何だったか、などが話題にされ、木材貿易や薪ストーブ輸入販売なども云々されていた。わたしはあの会社が、設立された大正8年に、朝鮮半島の鉄路のためにナラの枕木30万本を輸出した、とされていることに興味を持った。仮に0.8mおきに敷かれたとすると、延長は270kmになる。一方、苫東の静川当たりのナラは、明治の終わりごろ皆伐され、イギリスの貴族用の棺材として輸出された、と苫小牧市史に記されているが、そのあと、ナラは枕木として大陸で使われ、やがて満鉄で使われたことになろう。満鉄の枕木が北海道産であることがわかって、当時、世界の3大ナラ(オーク)材産地は、一にチェコ、2,3番手にカナダと北海道が続いたと聞いたことがある。
ところでこの商社は薪も販売していて、苫東コモンズの薪単価を設定するときに参考までに調べたことがあった。当時はまさかと思うようなとても高価な印象で、当時は積丹の材だ、と聞いたような気がする。ナラの繋がりの小さなエピソードだ。

■1/24 大相撲の伝統と新しさ
昨日は初場所の千秋楽で、関脇の御嶽海が横綱・照ノ富士を破って優勝した。そして相撲協会の理事会が招集されることとなり御嶽海の大関昇進が決まった。勝負がつくまでは解説者も憶測の域だったが、優勝して間をおかず速報が解説席にも届いた。「大関にふさわしいか」という親方衆の眼力に委ねられていて、実は昇進の目安というのも確たるものはないらしい。そこにあるのは客観的な基準でなく、角界独特の空気感だといい、新聞のコラムはそこが「新鮮」に映ると書いていた。
不文律、ルール不在などというのは、今日日、遅れたものの代表というのかと思えば、そうではない、と。明文化されない空気感というのは、逆に難しさをはらむ。コモンズという仕組みも、それを実験するNPOの運営も、どこかそこに似ていて、あえて明文化しないで現場対応とし臨機応変に対応を折々の理事らがジャッジし、右に左に蛇行して進めてきたことを思い起こした。「今や、最先端の交信技術はテレパシーだ」、という見方とちょっと似ていて、いささか励まされる気がした。

■1/23 e-taxを準備
医療費控除とふるさと納税のために今年はe-tax で確定申告をしようと準備を始めた。ここ数年、政府だけでなく民間もデジタル化の波が急ピッチで押し寄せ、マイナンバー制度などはポイント稼ぎの損得勘定も後押しして、大変なプレッシャーである。経理的な素養も能力も皆無の当方にとって、これらは難関と呼ぶべき壁であり、e-tax にあってはゆっくり準備期間をセットしてストレスを生まないようにしたい。それにしても、この波はなんだ。できませ~ん、などと嘯いていると置いていかれる。時代の流れの本流はどうも明らかにここにあり、世代の交代もこうして進むのだろうか。きっとそうだ。後世の歴史にはそれらしく書き込まれることは間違いない。

■1/20 地球温暖化の知識社会学からのアプローチ
財団の研究所に勤めていた際に、北大の金子勇先生の「エンパワーメント研究会」をサポートさせていただいた。先生は少子化、ソーシャル・キャピタルなど多様なジャンルに社会学の立場で精力的に取り組まれ、野外調査を含め門外漢のわたしもそばで大変勉強させていただいた。先生は10年ほど前から「環境問題の知識社会学」にも取り組んでおられて、先日は「昨年末から現今の「脱炭素社会」や「二酸化炭素地球温暖化論」を相対化すべく、国際環境経済研究所webに7回の連載をしています。本日が第6回目の掲載で、最終回は1月20日の予定です。」とのお便りをいただき、数日の間少しずつだが早速読ませてもらった。(実は科学論文はわたしにはもう辛い(-_-;)) 結論は、「再エネは原発や火発と機能的等価性はない」ということになりそうで、そこへ至る過程で、地球温暖化問題や再エネのからくりも明瞭にされる。関心のある方には是非お勧めしたい論考である。⇒雑感/北の森カフェ1/24


■1/18 寒中見舞い
今年は寒中見舞いを出すことになったので、年末年始はかなりのんびりした流れで過ごしました。いただいた年賀状には、「体が言うことをきかなくなった」とか、体力の衰えを嘆くものが多々見られるようになっています。そんな訳で、ここはひとつ元気よく声を掛けよう、という思いが募り、人は加齢とともに気が目減りするから大地の気を山菜などから分けてもらおう、というメッセージを込めて、山菜の画像をいくつかはめ込んでみました。さすがにこんなのんきなことを書いている方はいなくて、そもそもが気なんて死語になっているようだし、山菜で補おうなどという発想は理解不能かもしれません。でもいいのです、わかる人はしみじみわかる、そんな世界ですから。アイヌネギ、スドキ、コシアブラ、ワラビ、サンショウの絵を選びましたが、そこに早春の川エビも加えました。今年の課題は、ここに弁天浜のサクラマスと川に上がった黒すけのシシャモを足すことが出来たら最高です。

■1/16 「見ること」による動機付け
かつて日本のアイスホッケーは世界の大会にも出場し、王子、岩倉、西武、国土などのチームがしのぎを削って、国内にファンも多かった。たしかBSがデビューする前でもNHKだったか民報だったかで北米のNHLのゲームが放映され、その迫力に魅了された。その後、BSで The Fry-Fishing という番組があり、北米大陸の川や湖でレギュラーの熟年夫婦などがフライフィッシングを披露した。これも非常に面白い、ワクワクする番組だった。海外事情などをこうやってマニアックに見せられるととても刺激が強く引き寄せられる。逆にあれらが消えてから、アイスホッケーは下火になり、道内のフライ人口だって増えているように見えない。
ところが最近のBS番組表で「BS釣りビジョン」なる番組があるのを知り、見てみた。「極北カナダ鱒釣り旅」なるものがあったからである。フライではなくルアーだったが、見知らぬ土地の釣り実況はさすがにワクワクした。「見る」は動機に繋がる。「よおし、今年はロッドを振ろう」という希望が湧いてくるのがわかった。

■1/13 意外な優れもの「ストレッチ・ポール」
股関節の手術以後、足の長さが少し変わったのか、右肩と首筋が極度に凝って痛いと訴えていたら、年明けに娘が写真のストレッチ・ポールなるものを送ってくれました。このポールに仰向けに寝て背筋を伸ばし肩甲骨のあたりを15分ばかりリリースするだけですが、翌朝は揉み返し状態、その次の朝も同じ、そして3日目に痛みとコリが忽然と消えました。なんと不思議な器具でしょう。しかも使ったその晩から熟睡、快眠状態でしたから、痛みはいわゆる好転反応だな、と目星はつけていたのですが、大正解でした。同じような悩みをお持ちの方には、超おススメです。

■1/11 住む土地から「気」をもらう山菜とジビエ
確か気功かヨガの本で読んだのですが、人は加齢とともに心身のエネルギーが減退する、免疫力などもまさにそうで、それを「気」を取り込んで補う、そのために「気場」に身を置くか、「風土の食」を口から取り入れる…、という主旨が書かれていた。その食のひとつが畑の野菜や山菜であり、時には野生鳥獣の肉、即ち「ジビエ」であります。この外に魚もあるでしょう。わたしの「山菜信仰」はこのあたりが起源といってもいいでしょう。(笑い)
ところで、道内に住んでいるとしばしばシカ肉をもらうことがありますが、思わず絶賛するような按配とはいきません。が、先日届いたものは逸品でした。ひとつは生のシカのロース、2回目は時間をかけて塩分発酵させた自家製の生ハム。その昔、ジビエは生活そのものだったものが、欧州ではそのうち嗜好品や贅沢品となり、一方日本では、マニアを除けばまだまだ特別の扱いに至らず、捨てないで興味半分で食する程度の消極的な食材にとどまっています。食文化として定着していないという証明ですが、まあ欧米人に比べれば日本人はほとんどベジタリアンに近いので無理はありません。さて今年の「地のモノ」信仰はこうしてシカで幕を開けました。白老の浅羽ガレイの煮着けもそんな思いで調理し、食しました。早春には山菜の前にまず川エビの出番です。

■1/09 野鳥と出会う賢い「しかけ」
人にはしばしば童心というものがあって、鳥たちの会話が聞こえる「聞き耳頭巾」があったらなあ、などと夢見るものです。そして、もっとそばで会いたい、手や頭に載せたい、庭に呼びたい…などなどとエスカレートします。餌付けはそこでかなり有効な手段ですが、餌依存を誘発し野生にはすべからず、という風潮が一般的になりました。北大苫小牧研究林は、伝統的に?野鳥の手乗せができる場でしたが、今年発見した「やぶ」は、このような願望と野生鳥獣保護を折衷した画期的な妙案と見ました。近くで要らなくなった灌木の根っこや枝を無造作に置いて、そこにどうやら、大学関係者か市民が餌を播いている模様。で、どうなるか。小鳥たちは、人間の餌付けに興味を示さず、外敵から守られたこの薮めがけてやってきては、枝に守られながらいささか悠々と採餌します。ヒトは、それを至近距離で観察できるというものです。これはなかなかのヒット作だと思いませんか?

■1/05 雑木林と薪のエッセー、集まれ~!
いつか、北海道で雑木林や薪の話、、そして薪ストーブのある暮らしをしている人のエッセーを読んでみたいと思っていました。いろいろ探してみたのですが、どうも思い描くものが見当たりません。そこで、このホームページにコーナーを作って、友人知人らのエッセーから始めることにしました。リンク先は「北の森カフェ」、取り立てて大きな目標はありません。好きな人の、カフェのような、ただのたまり場です。

■1/04 人付き合いの濃淡

届いた年賀状を一枚ずつめくり、相手を思い浮かべながらちびちびリとお酒をいただく、というのは正月の愉しみの一つでしたが、この歳になればもう年賀はやめました、というたよりもチラホラ出てきます。年賀状をいつ辞めるか、というのは、年に一度、旧交を温める付き合いの場合などはいささか微妙です。しかし、勤め人の場合、組織が大きいと、こちらがお世話になったと感じて出した場合でも返信が来ないこともしばしばだったことを思い出します。民間の小さな会社の場合は亡くなるまでとことん付き合ってしまうこともあるのに比べれば、特に官庁系は実にあっさりしているようです。考えてみれば、転勤や移動のつど、関わった人に出していたらキリがない、という当たり前の話。このごろようやくわかってきたのは、「去るものは日々に疎し」で、縁があれば再開の機会があるから、付き合いもお互いに断捨離が自然ではないか、ということ。年賀に限らず官庁系の縁切り、わきまえ、理にかなった割といいものだと見直して、「随流去(ずいりゅうこ)」の構えに入ります。残された時間が多くないことを実感するようになると、決断も歯切れを増すような。

■1/02 新年、2日目
明けましておめでとうございます。年が改まる都度、来し方、特に去った一年を振り返ると、一年前の年頭に心に浮かんだ希望の道筋のようなものが、大なり小なりトレースされ、いくつかは成就している跡が見て取れます。ということは、年が替わるのを機会に「念じてみる」ことの意味が知れるというものではないでしょうか。
ところで、この年末年始はさしたる雪かきもせず読書三昧でした。懸案の古典で言えば、高樹のぶ子の解説になる『伊勢物語」で足ならしをしました。昨年読破した『源氏物語』の下地になっていることは初めて知りました。つまり、在原業平が光源氏のモデルではないか、ということですね。朧気ながら聞いたこともあるような…。それから、山の先輩Tさんによる『北海道の鉄道開拓者』。技師大村卓一の功績を追ったものですが、全般に展開される北海道開拓に関与した開拓史など明治政府関係者をはじめ、内地の人たちの多様さとエネルギー、そして国防と新天地建設への高い意志、人脈にはあらためて圧倒されます。近現代の北海道における地域開発の礎部分に当たります。
さらに『北海道ジビエ物語』。岩崎寿次著の、エゾシカの駆除から食肉ブランド化へのクラスター形成の取り組み(小史)が描かれ、コモンズの特別顧問の小磯修二教授が釧路公立大学学長時代に、「30年かかるつもりで」とアドバイスしたことがバックグラウンドとなって、丁寧なネットワークと研鑽を積んできたことがわかります。
歴史としてみてみれば、開拓も鉄道も遥か彼方の出来事のようにかすんで見えますが、それらがジビエプロジェクトのように、コツコツ丁寧に編み込まれていることを知るのは、懸命に今を生きる人々の元気につながるのではないか。
このほか、時事問題のレポートや人間学の雑誌にも目を通していましたら、二宮尊徳翁の「積小為大」という言葉に出会いました。「小さなことの積み重ねが大きなことになる。大きなことを成し遂げようと思うならば、小さなことを疎かにしてはいけない」の意とか。年頭にふさわしい句として有難く読みました。



2021年、日々の迷想