関係を積み重ねる

NO.117
2022/01/028

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「古い家のない街は想い出のない人間と同じである」。日本画家の東山魁夷が語った言葉になるほどと思ったものです。雑木林との付き合いも、古い家のように里山として扱われた地域との関係性と経過を大事に、折々に更新もしながら、そして時にはスクラップ・アンド・ビルドに遭遇しながら、揉まれて維持されて行きます。

世の中、そういうものだと思えば、何も怖くはないものです。山あり、谷あり、そして恐らく足跡はかすかにでも残るでしょう。冬の雑木林を歩くご夫婦と出会っての、ふとした感想。





2回目の大雪、しかし作業本格化

~山仕事八景~

2022/01/22 sat 晴れ -1℃
urabe oyama kawamura kusa naka-f tomi-k&m migita wada ya-taro = 10 persons

■山仕事を見直す時期が来た

昨年を振り返ると、四季を通じて山仕事はいつも好天に恵まれ、万が一朝ぐずついていても現場は雨が上がって快適な作業をすることができた。しかし今年は、一転して週末を迎える直前にいきなり30cm程の降雪が2週も続き、通常の効率は望むべくもなくなった。幸い、migita さんが早々に除雪を買って出てくれ、一方メンバーはこの大雪というのに毎回10名以上参集するなどして、一向に意気が下がることはなかった。

ただ、冬特有の除雪を、元気とは言え90歳近いmigita さんに頼りっぱなしというのも、そろそろ考え直す時が来た。これは理事会や古いメンバーが常々語ってきたことだ。それで理事会の総合的な従来の意向に沿って山仕事の方式を大きく転換する時が来ている。

一つは、除間伐のメイン作業の期間を、現在の12月~3月というのを、11月、12月という無雪期をメインとして繰り上げ、1月は可能であれば実施するというゆとりの期間、2月~3月上旬をスノモによる搬出期間とするもの。もちろん、1月でも作業可能なら、入口をママさんダンプなどで駐車場を確保して、これまで通りの雪山作業をすることができる。

もう一つは、無雪期の保育の成果材は運べるうちに軽トラックを駆使して運び出すこととし、このために現在お借りしている故障寸前の軽トラックのほかに、公道を走ることのできる軽トラックを探すことである。この二つ目の課題は鋭意検討中で、早ければ新年度早々には稼働できるよう体制を固めたい。これが実現すれば、育林コンペから薪ヤードまでの運搬も大幅に楽になり、個人の薪運搬のためにレンタルすることも可能になる。

■大雪もものかわ、作業六景


(左)新しいエリアに移動したwadaさんとya-taroさん。wada親方と、伐倒の方向などについて打ち合わせ。
(右)wadaさんは、ナラと隣り合わせで競合していたヤマハンを伐倒。直径40cmオーバーである。空地があってラッキーだった。

(左)naka-fさんの午前の成果のひとつ。35cmの長さの丸太が3列。高さ1m余りに積まれ、見かけの層積がほぼ1立方m程度。苫東コモンズの「地域通貨コモン」と持ち帰りのベースは、一人前の作業ができれば、このサイズの山をひとつから3つ、作れるという当時の実績から、最低1立方mを生産するとして、その3分の一、つまり0.3立方m(1コモンと呼ぶ)を持ち帰ることができる、としたもの。

だから自分の作業量が1立方mにも満たない場合は、まだまだ一人前ではない、ということになる。もしこれができれば7日で2.1立方m、10日では3立方m、20日では6立方mの貯金(貯材?)がたまることになる、という仕組み。ちなみに北海道の一冬の1軒の平均薪消費量は2棚とされ、1棚は2.7立方mである。

(右)urabeさんの追いヅル伐り。ヤマモミジの傾斜木だ。この山は、サクラはこじれてしまうが、林の中間層を占めるこれらヤマモミジとイタヤは、比較的腐れがなく紅葉の見事さもあって重宝されてきた。いかんせん、大きくなると倒れそうになる。このモミジもその一つ。


(左)もっとも団地に近い、ツルの多いエリアを手掛けるoyama さん。沢筋の運搬路を探しつつ北進してきたゴールにあたり、スノモのフロントグラス左にoyamaさんが切り株の伐り返しをする姿が見える
(右)同じエリアのkawamuraさん。電動ハスクバーナにも大分慣れてきたが、目立てがうまくいかず「切れない」とこぼしていた。

胆振にしてはたいへんな積雪あたる今週、スノーシューをつけた面々の作業はこんな風だった。tomi 夫妻も沢筋の入口で除間伐を終えた。




“里山の景観”

2022/01/20 thu 曇り -5℃

昨夜は6時から事務局のリモート打ち合わせ、師走に続く2回目である。新年度の事業計画協議の内容などについての意見交換は1時間40分あまりに及んだ。練った案は月内に理事会で検討する。

その計画の中に現況利活用事業があって、雑木林の森林美と多様性の評価をするという一項をだいぶ前から入れている。苫東の雑木林は苫東の魅力でもあるから、もっと世に出せないものか、という思いと、国木田独歩などが描いた関東の雑木林景観にすこしも引けをとらない、という経験が背景にある。インダストリアルパークを標榜した産業空間で、働く人の憩える都市林的要素も十分秘めているからである。

このような意味を込めてわたしは、計画書に苫東との関係と保育目的をもう少し明確にするため、「苫東らしい里山景観の創出と維持」という言葉を追加した。

そのことで今から14年前のことを思い出した。(これまでも何かで書いてことだが)

NPO苫東コモンズが設立される2年ほど前で、関係者に対して個別に設立の是非などについて打診している最中だった。ちょうど勤務する財団の開発協会に小磯先生や辻井先生が委員を務めるコモンズ研究会を設け、初会合を開いた年であった。その年の秋に「北海道新聞野生生物基金」が発行する「モーリー」編集局から、里山に関する寄稿依頼が届いたのだった。

わたしは楽しみながら『里山のフラジリティ』という拙稿を画像数枚とともに送ったのだが、編集局から折り返し連絡が来て、苫東の里山風景を表紙と特集の見開きに使いたいので、何枚か送ってほしいと依頼されたのだった。それがきっかけで掲載されたのが下記の写真である。



(*この特集は、道内でも名の知れた林と担い手のボランティアなどが名を連ね、さながら「里山ミニコンテスト」の様相を呈していました。勇払原野の苫東の里山あるいは雑木林が、他を差し置いてここで堂々とたくさんの画像をさらすことになったのは、関係者の一人として内心喜んだのはいうまでもありません。苫東コモンズ立ち上げの追い風でもありました。)

いずれもどこかで見たことのありそうな画像で(だからこその里山なのだが)、ここに出ている「つた森山林」の入口付近は、わたしの知る限り約100年の歴史ある里の林で、もちろん人も住んでいた。

林業が行われ、馬小屋やシイタケ乾燥小屋の名残もある、時間を感じさせる場所だったのである。(わたしも25年近く、この山林のお守を担当し、様々な経験をさせてもらった場所だからほぼ隅々まで状況がわかる。)

編集局はいち早くそれを見抜いて表紙に取り上げることになったのだろう。辻井先生が編集委員長をされていたから、バックアップしてくれた可能性ももちろんある。

実は北海道には、当時も、本州のような人との往来の濃厚な「本当の里山」はない、と識者に断言され認識されてもいたから、その中では前に出しても良い里山だったと思う。道内にはそこを配慮してすでに「新里山」などという造語も生まれていた。

2008年当時は、すでにabe-b さんと遠浅の大島山林で林の手入れ(ツル伐りと除伐中心)は始めていたが、里山らしいこれといった景観づくりはまだだったので、モーリー編集部に送った画像の中には含めていなかったが、今なら何枚も提示することができるだろう。

ちなみに、道内の里山の典型でもある「つた森山林」は薪炭を作っていて、仕上がった炭は馬車に載せられ室蘭本線の遠浅駅に運ばれ、ここから本州方面に出荷されたと聞く。木炭が使われていた時代、苫小牧の静川や植苗、早来町の遠浅など勇払原野は日本の民生用エネルギーの一大生産地であったようだ。

里山景観は半人工の心和むもので、当然人の手が絶えずかからないと生れない。手つかずで放置するのも所有の一方法だが、かたやには里山として地域住民が手入れをするエリアがたまにある。それが苫東緑地には数%あって、苫東コモンズはその一翼を辛うじて担っているという訳だ。

事業計画を練りながら、そんなことを思い出した。



大雪に見舞われる


2022/01/15 sat 晴れ 0℃
urabe oyama kai kawai-h&f kusa migita tomi-k wada ya-taro = 10 persons

■近年にない大雪来たる




12日の夜から大雪に見舞われた。この日、苫小牧の国道にはもう雪はなかったが、遠浅にきたら様相が一変、migitaさんのトラクターで除雪された進入路は、高さ1m以上の雪の壁ができていた。地元のmigitaさん、wadaさんによれば、記憶のうちで2番目の大雪ではないか、とおっしゃる。わたしが関わる限りでは1番かも。

スノモのエンジンオイルを補てんしたついでに、林道を試運転してみると、たちまち後悔してしまった。いつもトラブってしまう新雪のコントロール不能状態だったからだ。しかし引き返すのはやめて、エーイ、ままよと最短のフットパスを回ろうとしたのが間違いだった。

コナラの大木手前で横転しそうになって態勢を直し、中広場の手前でもコントロール不能で木にぶつかりそうになり、スタックしてしまった。座席から角スコップを出して雪を掻きだすこと小一時間、ようやく脱出したが、後悔はますます募り、制御不能状態は増して、中広場へ出た途端、再び重症のスタック状態へ。

中広場はこれまでも何度も試練を与えられた難所であったが、今回は最悪だった。雪を掻きながら携帯で200m先にいるだろうメンバーに向けてレスキューを頼んだ。上の右下の写真は若いレスキュー隊がカンジキをはいて来てくれたところ。

YAMAHAのバイキング540ccは、春先などの堅雪での堆肥や融雪剤散布など農耕には適するが、新雪ではからきし役に立たないことは周知なのに本当に迂闊だった。若手スタッフ、urabe-kawai さんに申訳ないことをした。レスキューによりスタックを脱出した後も、二人の見ている前で2回行き止まりになってやっとテントに到着した。

広場に着いたらすでに7名が待っていてくれたが、即座にみんなで作業中止を一決。migitaさんのトラクター除雪を眺めながら、ミーティング状態となった。このまま、昼前に一応散会となる。

■午後はミーティングに切り替え

一旦、万事休すがわかると人間は肝が据わるものだが、今日は腰も据わった。軽く食事をとった後は、折角の薪ストーブを囲んで団欒が始まった。毎週のようにこのテントに集結するにも拘らず、意外と雑談の時間は多くない。暗くなるのもあっという間だ。という訳で、腰を落ち着けると今まで聞かなかったような話題が次々と上ってきた。

昼前の外の話も、よもやま話というわけでなく、いつもの意見交換の様相があり、かつてはこのようなやり取りを運営会議と呼んでいた。運営に関する提案はおよそ3つあった。

①今年以降の除雪態勢を考えると、いつまでも高齢のmigitaさんに一方的にオンブにダッコするわけにいかないから、主たる除間伐は2022年度から無雪期の11月、12月とし、1月は自由参加、運材は1月末から3月上旬に全員体制で進めてはどうか。→育林コンペは平日か日曜、または休日とする

②その延長線上で、「軽トラックによるコミュニティ林業」を目指すべく、格安の軽トラック入手を模索してはどうか。無雪期の風倒木処理を、すでに借りている軽トラックと兼用するが、現在使用しているものは電気系統が時々不具合が発生していて、バッテリーはもげ落ちる寸前。かつ公道の運転はできない状態。入手出来たら、静川方面の風倒木等の常時搬出が可能になり、メンバーの育林コンペからの材の搬入なども好都合となる。

③今季、今のままでは発生材が少ないので、現体制で精力的に進めるほか、エリア完遂に近いwadaさんは、ドロノキのエリアに来週から移動してもらう。1月末からrabeさんがスノモ搬出を始める。

このほか、来週からの作業の段取り、事業計画などにも話は及んで、立派な運営会議、ないしは理事会にあたる打ち合わせとなった。20人余りのごく小さな所帯とはいえ、社会とのつながりも辛うじて持っているNPOには、それなりにだが、詰めておきたい、または詰めねばならない雑事が少なくないのである。


伐倒と祈り


2022/01/11 tue 曇り 0℃

山仕事で覚えた本当の祈り

木を伐る、という行為は色々なトーンでとらえられる。ある人は、ドッシーンと倒れる達成感とか爽快感を言うし、ある女子学生などは、そもそも除間伐木を選ぶ「選木作業が自分にはできない」と告白した。彼女の発言の根底には、きっと「伐ること」イコール「殺生」という図式がある。

わたしは幸か不幸か一人で山仕事をする年月が長く、内向きな内観とも呼べるその山仕事の結果、一冊の本をものするに至ったのだが、その頃のわたしは作業を終えて自宅で裸になると、あちこちに青アザができており、汗だくで一心に体を動かしている間にあちこちに打撲をしていたようだ。それだけでなく、怖い思いもしたし、忌まわしいトラブルや難しく危険な掛かり木が朝から続くこともあった。

その頃にわたしが気づいたのは、このようなことが続くのは、わたしが、樹木という命あるものを絶っているからではないか、道を外れた行為の仕返しを受けているのではないか、という因果関係だった。

これは決して心地よいものではなくて、心を落ち着かせる対策を考えざるを得ない。最終的に対策としたのは、伐倒という行為が、決して殺生ではないこと、むしろ雑木林にあっては樹木の殺生どころか群れとしての林の「再生」を助けているのだ、という語りかけと自らの反すうであった。いわば伐倒行為の積極的評価である。

具体的には、山仕事を始める前に手を合わせて、再生を念じるのである。だから、「安全に仕事をさせてください」、と祈るのである。一人の山仕事であれば、これができる。木の陰からシカやキツツキが見ていることはあったかもしれないが、もっとも面倒なことになる人間はいない。そういう儀式をするようになってから、妙な不安は次第と消えていった気がする。今になって想えば、こちらの伐倒技術もそれなりに上がっていたのだと思う。

話は代わって、コモンズの山仕事では陽気な仲間に囲まれながら丁々発止と仕事ははかどっていく。それを見るのは、ある種、快感のようなものもある。ただ、ふと思うことがある。このようなグループ作業では敬虔な「祈り」の契機は生まれないかもしれない、と。このテクノロジーやサイエンスが謳歌される今日、摩訶不思議な世界に用はない、と言われそうだが、果たしてどうだろうか。


珍しい大雪の中で初仕事


2022/01/08 sat 曇り -2℃
abe-e urabe oyama kai kawai kuri kusa tomi-k&m migita wada ya-taro = 12 persons

令和4年の仕事始め

2,3日前、苫小牧で30cmほど雪が降ったことが、全国ニュースになったらしい。そのこと自体がちょっとしたニュースだ。とうとう来た、という感じで受け止めた人は多いようだ。

苫小牧とほど近い隣接の遠浅もほぼ同じような積雪で、このままでは乗用車で作業テントのある広場に入れないが、1月6日、会員のmigitaさんがトラクターできれいに除雪してくれたので、令和4年の仕事始めは何の支障もなかったように、新年のあいさつから開始された。



urabe さん(左)は根上りのコブシをうまく伐倒して玉切りをしていた。30m離れた場所でも、あたりにはすでに芳香が漂っていた。kuriちゃんがツルがらみで伐倒したトドマツ(右)も、一帯にテレペン油が漂い、テントに持ち帰ったチェンソーがその香りをテント中に発散させていた。

kawai さん(下左)は、傾斜方向にあった若いヤマモミジ2本を守るべく、伐倒方向を90度左にふって、クサビ2枚のセーブドエッジで倒すところだった。わざわざ難しい方法を選んで若木を守ろうとするその姿勢はさすが、そこにいささか感動して見守った。ツルをうまく調整でき伐倒はほぼ正確に左75度の方向に倒れた。



こうして少しずつ丸太が積み上がっていく。ツルや枝がところどころコンモリと積まれた林に、丸太のちいさな山が少しずつ積まれていく。

昼休み、新人ya-taroさんのチェンソーが回らなくなったというので、tomi-kさんなどがその原因を探ってカバーを外し、解体実習が始まった(右上)。いわば、on-the-job-training の様相である。

チェンソーワークに限ったことではないが、こうしてひとつずつ経験していくことでしか、スキルアップの方法はない。そこにもし運不運があるとすれば、良き指導者に巡りあえるかどうか。そして、危険な目にあってさらに真剣度が増す。できれば危険な経験はしないで済ませたいところだが、現実はそうはしてくれない。


冬の散歩を楽しむ人



半分身障者としてリハビリ中(ただし自己申告制)のわたしは、スノモのバッテリー充電と、散策する人のためのフットパス圧雪を兼ねて、数キロのルートを一周した。今日お会いしたKさんは町内の方で、来れる時は年間を通じてフットパスを利用されている。

ルートにはすでに沢山の足跡(写真右)があって、この深い雪の中をツボ足で歩く人が複数いらっしゃることは、山仕事の面々にも少しは励みになることだ。