都市と自然をつなぐ
NO.81
2013/010/05〜

森羅万象のなかで人は生かされているが

自然、とりわけ動物と植物、つまり野生の生き物と身近に生きることを

人は避けてきた

その意味を齢60を超えてようやくすこしわかった気がする

好むと好まざるとに関わらず

積極的にときにネガティブに

それを都合よくまとめたのが都市だった


だもの、都市から離れられないワケダ




シンプルイズbeautiful

小径上空のドロノキの枯れ枝。もし
頭部に落ちれば大事故だ。雑木林
にはこれがいっぱい


今はもっとも中途半端な季節。
だからこそやる仕事もある
山の仕事納め

2013/12/28 sat -3°雪時々晴れ 2人

個人的な仕事の納めは昨27日、今日28日は山の仕事納め。生憎の雪で、飛行機のダイヤが乱れ、欠航が相次いでいる。午前9時すぎでも苫小牧はしっかり雪が降って着実に積もってきた。雪雲を動画X-RAINでみて、収まったかなと思う頃現場に出る。雪のレーダーによれば雪は石狩湾から石狩低地帯に吹き込むようにできていて、苫小牧から見る東の空が暑い雪雲に覆われていた。こういう時、遠浅は雪だ。広場にはさすがに誰もいないが、契約した除雪がしっかりされている。これは助かる。

中型ソリを引っ張り、チェンソーと昼食を持って前進基地へ出かける。積雪は20cmほどだからスノモを出すほどでなく、歩きやすさの限界あたりだ。スノモの運搬ルートを2系統あたりをつけ、ピンクのテープをつけた。ルートに切り株が出ているところは切り下げ、潅木が邪魔しているところは除去。昼をはさんで、2ルートを手当した。ちょうど、広場からテントを過ぎて30mほどで、左側に反時計回りにまわるルートと、さらに数10m行ってから左にまわる2ルート。ヒューチャー間伐の立木になる大木に黄色の蛍光テープを付ける。
 
おそらく雪深いころの伐根。今のうちに切り下げる。運材ルートの目印

2時半頃、山の仕事納めとしては上品な時刻だな、と広場に戻るとoyama棟梁の姿があったので、その手元となって暗くなるまで作業。薪割り機とスノモの格納庫を残すだけで、あと3ユニット(3坪)だ。3寸角の柱を立てて、屋根の乗るやはり3寸角を渡して、釘止め、一部はカスガイで固定。それでもまだ揺らぐので、ヌキで仮止めした。2バイ4とコンパネで作るドアのイメージを語りつつ、フィニッシュに向けての段取り。散会する4時半ころ、広場の暗闇にエゾシカ登場。宴か。

  
日が落ちるのは早い。すぐ暗くなる。すると出てくるものたちがいる。空間は共有されている

今年も事故もなくフィールドで仕事ができた。世間に知られない地味な作業の連続だが、考えてみればこういった「地域の日常」は当たり前の光景だったはず。生活範囲をやや拡大して、地域の環境は地域がケアする、資源は循環させる、そうして各々の持続可能社会に参画する、、、。こういう時代の今を、私たちは生きている。あくる年もそんな年にしたい。  感謝、合掌




到着

説明

試乗
スノウモービルの納品

2013/12/21 sat  0℃ 6人


薪小屋はほぼできた。あとはスノーモービルと薪割り機の格納のための合計3ユニットが残っている。格納スペースがまだできていないこの日、一足先にスノーモービルが届いた。

スノモは薪割り機とともに「コープさっぽろ」さんからの助成で購入したもの。助成申請の際に強調したことは、「苫東環境コモンズの取り組みはコミュニティ林業の本格的な実践であること」「担い手が高齢化して人力一点張りから機械力に頼らざるを得なくなっていること」である。その現状を切々と訴えたのがきいたのか、見事、助成につながったものである。有難いことと感謝すると同時に、ちゃんとしたパフォーマンス(実践)もせねば、と責任も感じる。

NPOを設立してから、チェンソーや安全装具を揃え、メンバーを口コミで増やし寄付を募り、手始めの除伐から除間伐、搬出路確保のあと、今年、薪割り機を導入し、夏から薪小屋を建設し、冬にスノーモービルを仲間にした、というわけである。この間、会員に薪を譲渡する実験もしてみた。

購入したのはVK540IV、機種名はバイキングである。540CC、2サイクル、遠心クラッチだから、スクーターのようなもので、バックも可能。マイナス7℃、標高500m地点に条件を設定してあるとのことだった。車両重量200kgあまり。10時過ぎ少し早めに見えた旭川の関谷モータースの社長さんをわたしとkuritaさんが出迎え、ユニックで降ろし説明が始まる頃にはabeさん、oyamaさん、ついでarakiさんも揃った。

なれた説明で約1時間、ベルトの付け替えや試乗など実技を含めて講習をうけたが、かなり盛りだくさんで、始動時のチョーク、プラグのかぶりに特に注意を要しそう。始動時は常にオイルを満タンにしておくこと。また、回転半径が大きいので、林内の作業時は、ルートファインディングだけでなく、バックと前進を組み合わせた方向転換も必須だ。実際にカラマツ丸太2本をスキッドコーン(キャップ)をかぶせ、ダーニマーロープとベルトスリングで連結して牽引もしてみた。
 
しかけ
牽引


これから純正オイルを5缶注文し、これからプラグ(BR)4本を追加し、ピンタイプのU字の連結具を用意し、今回、講習を受けた人をメインにスペアキーを渡すことになる。取扱説明書はコピーして渡すが、原本はシート下のボックスに置くことにする。

昼はスノモに3人乗りして前進基地「緑天」へ。切羽詰った仕事だからそそくさと昼を済ませて4時前までまた4人で作業。
昼、やかん


ガソリンを今朝20リットル購入したばかりだが、スノモに注油したのでさらに20リッターを購入した。スノモのタンク容量は35リッターで、満タン2回使い切ると、オイルは半分になるとか。ドライブ状態で燃費はリッター5km程度か。100km乗って20リッターを給油、その際にオイルは4分の3になっているはずでこの時点でオイルも満タンにする、という程度でどうかと思う。最後に、保管方法について聞いたが、キツネがシートのスポンジをかじるので、カバーは不可欠。また、ネズミがボンネット内の電気系統のケーブルやパイプをかじるので、格納庫は明るくし、ボンネットを開けておくように勧められた。

帰途、上厚真の長老宅にお邪魔して、小屋の進捗を報告、歓談。





まだ先がある

慌ててサラ釘を軍手に打つ

kai棟梁と屋根完成記念
薪小屋ほぼ竣工し山ノ神参拝&忘年会

2013/12/14 晴れ マイナス4℃ グループ作業通算13日目 6人 忘年会は9名

金曜日からいよいよ雪景色に変わってJRのダイヤも乱れ始めた。これが根雪になる可能性が高い。しかし、この遅い根雪のおかげで、われらが薪小屋建設プロジェクトは大いにはかどったといえる。今日は、薪小屋本体を完成させ、山ノ神の参拝をして苫東ウッディーズ(NPOのなかの森づくり部隊)の忘年会をやってしまう、というややハードな時間割。

薪小屋全体計画は1坪のユニットが10あるが、そのうちの二つはスノーモービル、一つは薪割り機の格納場所だから、純粋な「薪小屋」という意味では、薪小屋の7ユニットは平成25年12月14日完成したのは間違いない。コマイと垂木を打ちつけ、トタンを打ち終わったのが午後2時丁度だった。すじかいをつくり防腐剤を塗り取り付け、それまで屋根が若干揺れていた不安感も消えた。山ノ神の参拝にあわせて急いで道具と資材を片付けた。一方、午前中はinabaさんがソリで、来るべき山の手入れの前進基地へ薪を運んでくれていた。お昼は礼によって緑天で、チュンチュン湧いたお湯をつかって。上村先生から焼き上げたばかりのホカッチャの差し入れ。ローズマリーの香りとオリーブが美味しい。できれば赤ワインが欲しかった。
 ホカッチャとわたしのお昼
午後2時、薪小屋竣工記念

フィールドが広いので、アチコチの山ノ神に参る。まず大島山林のシンボルツリー・ドロノキおじさん(自称「グランパ」)に、日本酒、お米、塩、するめをお供えし、みんなで二礼二拍手一礼。日本酒、米、塩を根元にまいて、するめはいただいた。次に約5kmはなれた「つた森山林」の山ノ神の鳥居前に赴き、同じようなお供えをして参拝。
つた森山林のご神木の前で

最後は雪の積もった林道をたどって小屋に出向いて、焚き火を囲んだ。小屋においてあったノンアルコールビールを開けたら、コップに注いだ途端に凍り始めた。過冷却である。久々にみた。
 
左の写真、手前がシャーベット状になった過冷却ノンアルコールビール

薄暗くなってから焚き火をあとにして忘年会会場の「楽々」へ。6時から10時まで。


越し方の一年を振り返りつつ、これからの作業の安全を祈願し



広場を抜けて林の散歩に行く家族

動き出せば作業はケースバイケース
今年の秋は長い

2013/12/07 sat 晴れ 5℃程度か 6人
 グループ作業通算12日目

まだ雪が積もっていない。昨年の今頃、山ノ神と忘年会で猛吹雪にあったのと比べれば天地の差で、晩秋がまだ続いているという感じ。先週は、マイカーで林道に入りスリップして立ち往生した。土が凍っていないので倦んで猛烈に滑るのである。

一方、おかげで薪小屋作りは大助かりだ。その小屋も、2人の棟梁含む6人の怪しいレンケープレーで、6ユニットの屋根が掛かった。確か皮むき着手後12日目である。また、広場に2か月分ほど残っていた不ぞろいの薪も団地から見て一番手前に、ショーウィンドウのように運び込んだ。これから来年にかけて、ここは薪の展示場になる。来年春はきれいな新製品を早くここに保管したいものだ。ただ、プロの薪保管ヤードとは違う、コモンズ(コミュニティ)林業だから、すこし余裕をもってのんびりと運び込みたいところ。追われたくはない。
  

お昼はテントに赴いた。チュンチュン湧いた熱湯でカップ麺を食するのはささやかなシアワセであり、コーヒー、昆布茶、ココアと食後のお茶も楽しい。不可解なことに、テントが何箇所か裂けている。鹿の角によるものか、との説もあったし、カッターによるいたずらの仕業といぶかしがるメンバーも。だが真相はわからない。


暗くなるまでトタン貼りをしてすべてが終って散会する頃には、南の空には新月と金星が輝いていた。わたしはそれから薪組合のメンバーarakiさん宅へ伺い、ポニーで馬搬をしてくれたリトルボーイのオーナー宅に同行してもらった。あの作業直後に転居したりしたため遅ればせになってしまったお礼の「気持ち」を持参したのだ。そこでしばし歓談。今季、スノーモービルで雪道を固くできることを告げると、また2,3回手伝ってくれそうな感じを受けた。ちなみにお礼の品はオホーツクの「メジカの燻製」である。味もよくてやわらかい、inabaさんのオススメの逸品である。


スジカイが見た目でも安心を演出

屋根がのると1ユニットがほぼできた
ことになる


少なくともあと3日はかかりそう
小屋二つ、見えてきた

2013/11/30 sat 晴れ 5℃  4人

いよいよ雪景色になってしまった。しかし、あわてないあわてない。

今日、棟梁二人は屋根に垂木を打ち、こまいをのせて3坪ちょっとに波トタンを張るところまできた。頬杖もバッチリ効いていて見掛けだけでなく実物もえらく堅牢。inabaさんは焼き丸太の柱(防腐剤も塗ってある)がとてもリッチに見えるとおっしゃる。

一方、雑木林を保育する作業用の前進基地は、先週arakiさんが薪ストーブ一式と薪少々を搬入してくれたので、ルンペンストーブと煙突を骨材に固定し、テントの補修をして完成させた。中型ソリで午後から薪も運んだから、初焚きもできた。快調だ。inabaさんの発案で、このグリーンのテントは「緑天」と呼ぶことにした。優勝したあの「楽天」ではない。
  
煙突は枝を打ち込んで固定。緑天の内部はまだ落ち葉が一杯。焚き付けにもならないがあってもいいような気がする。

わたしは午後、自治会長を通じて冬場の駐車場を広場に設けるための除雪を町内のある業者に依頼していたので、自治会長にその件を確認に行く。団地の除雪が行われるつど、一冬2万円で、10台分の除雪をしてもらう算段。気前よく前払いした。これで路上駐車をしなくて済む。また、自治会長のオフィスでシイタケのほだ木の需要とその対応を打ち合わせ。帰り際、会長から支援会員の申し込みを受け取る。

段々日が短くなり、終わる頃はヘッドライトをつけて帰るようになった。



苫小牧が大好きなゲリラガーデナー

2013/11/24 sun 快晴 10℃

北大研究林でエゾシカ食害をふせぐネット作業に顔を出した。今日の集いは社交場とわきまえ、石城(いしがき)先生や事務局に挨拶し1時間半作業して、早退。帰途、作業箇所の裏の林道は、胆振らしい素晴らしい晩秋の雑木林だった。胸がすくイヤシロチである。この風景に出会った37年前、わたしは苫小牧が大好きになってここに住もうと決めたのだった。
  
研究林の帰りの足で、我が町内の裏山の展望の丘へ向かう。住民が自由に歩いてきたこの山、どなたが所有者なのか、いまひとつわからない。放置しているところをみれば法人なのだろうと想像されるが、町の情報通の床屋さんも知らないという。台風の後始末がされないまま段々荒れて、人もあまり来ないケガレチになってしまったような気がする。それは小径の踏まれ方ひとつでわかる。道がわからなくなってしまっている。

わたしはここをまさにコモンズ的にとらえ、2年に一度の割で、高茎草本と潅木をゲリラガーデナーとして刈ってきた。今日は布袋に鎌と鋸をしのばせ、ヨモギ、イタドリ、エゾヤマハギ、タラノキなどを刈った。眺望がさえぎられ、ノイバラのようなものもあるから、人々はだんだんこの展望の丘を訪れなくなってきたのがしのばれる。
 
このケガレチのように見える状況を替えるために、次回はゴミ拾いだ。また、大鎌で笹を刈ろうか。
定年になったら、土地所有者を探し、交渉してせめて風倒木の処理だけはさせてもらい、みんながまた戻ってくる身近な林に代えたいところ。ナラの木の姿を見ると、この林はドングリから大きくなった実生の林だとわかる。だから一層こじれた格好に見える反面、個性的で子供たちが木登りするには最適である。

太平洋に向かって正面に見える元気のいい木は、なんと、アオダモで、左の枝は驚くことにサンショウの大木。ここは昔からサンショウの丘として親しまれていたと、苫小牧っ子に聞いたことがある。




朝、今日の段取りを打ち合わせる

夕方、こんな風になった

らにinaba&taitiのコンビによって
お手製のはしごができて


登ってみるとこんな光景になった
薪小屋がたちあがる

2013/11/23 sat 曇り 4℃ 8名


薪小屋は基礎の段取りが終った。早速、柱、屋根の取り付けもスタートした。朝はまだ二次元の世界だったのが、他の現場を見て戻ってきたときには、もう柱がたって屋根の根太も数本取り付けられた状態で、頬杖、かすがいなどが施された4つのブースのほか、隣の小屋の屋根のホゾ切りなども進行。俄然、ゴールが見えてきた。

わたしは今週も薪小屋制作とは別行動をした。午前は、朝日新聞のFさんを、ハスカップ・サンクチュアリと小屋、育林コンペに案内した。サンクチュアリでは、春の試験地作りが途中だったから、ハスカップを被圧するハンノキ、サンナシの伐採と枝などの片づけをした。春の作業の結果を観察したところでは、@ハスカップはいずれも株切りから更新 Aハンノキほかも元気に更新 B枯れたベニバナヒョウタンボクの切り株から萌芽が確認 など。試験の意味は達成されつつあり、目視確認できる事例をもう少し用意することにしたい。

  
ハスカップの株切りによって順調に萌芽が認められた(左)。被圧するハンノキなどにトリミングを加える(中)。今のサンクチュアリ周辺の光景(右)。
  
午後、柏原の植栽試験地でアカエゾマツの枝打ちを手伝う小学4年のtaiti君(左)。中はわたし。写真右は、間伐したドロノキ。どれも芯に腐れのようなものが見える。


NPOの説明会にて

2013/11/16 sat

夕方7時から、町内会へのNPO説明会が行われた。5,6年前からの懸案でありNPOのオファーに対してなぜか実現しなかったこの説明会だったが、役員が代わったことと、いろいろな誤解の元になるとの考えから、町内会と共催で開くことになったもの。

わたしはグリーンシートの作業のあと、いったん、暮れなずむ静川のケアセンターに行き、ひとり焚き火を囲みながらサンドイッチの夕食を済ませた。折りしも、満月で満天の星空。月が昇るにつれ、雑木林のシルエットもくっきりと浮かび上がって、案の定、エゾシカが鳴きあった。足の裏を焚き火に当てながら、段々こころもあったまってくる。立ち去りがたい思いで6時過ぎ会場へ向かった。


会場は16名ほど。わたしから、当NPOの概要と、この雑木林で何を目的にどんな作業をしているのか、30分の説明後、1時間の予定で質疑、意見交換が行われた。内容の半分は、「(わたしたちの)山林に何も手をつけてくれるな」「住民に近いこの林は何もしないのが一番いいのだ」という、自然保護原理主義のような一方的な意見に、逐一、わたしが反論するような羽目になった。知らない人がみれば、吊るし上げ状態に見えただろう。わたしは臆せず、奢らず、平常心で控えめにできるだけ丁寧に真意を伝えた。

無言のままのかたも数人いたけれども、中道の意見を述べられる方、まきを売って儲けているという噂があるが真偽のほどはどうかなど、誘導質問してくれるかたもいた。そして若い方々はNPOの活動に賛意を示し、自らもよく歩き、快適な林を楽しんでおられる方々の明快な応援もあった。「暮らしに最も近い林こそ手入れが必要だと思う。そういう林に憧れてわたしはここに家を建てた」とおっしゃる。


1時間の予定だった質疑は30分延長され、にもかかわらず席をたって帰った人はいなかった。委細を書くことはさけるが、次のような発言が場の様子を髣髴とさせると思う。

「これまで十数年、町内会の会合に出てきたが、(内容はともかく)こんなに活発な意見交換が行われたのは初めてだ」(自治会長)
「こういうことになったのは、実は自治会がだらしなかったからだ。(話し合いをしないできた不作為の結果だ)」(ある年配の方)
「吊るし上げのような格好になってしまって申し訳ない」(参加者からの内緒の話)

NPOに対して不信感を抱いた発言をされた人のその内容は、わたしから見ればほとんどが独断と偏見による、いわゆる誤解であったが、溝は埋まりそうもなかった。森の扱いはどうするのが正しいのか、各々の土地の正解を求めるのは実はたいへんに難しい(だからこそ実験と検証が必要)が、苫東基本計画、自然環境調査報告書、アセス、さらに文献、そして行政の研究機関と共に調査研究と実践をしてきた苫東会社の経験知という、今はそれらの科学的知見に頼るしかない(十分ではないかもしれないが)と思う、というわたしの考えについては、「きれいごとだ」と切り捨てた。

では、あなたの積み重ねた森づくりの知見を納得いく形で示して欲しい、というのは、喉からでかかったがやめた。経験や検討をしていないのはあきらかだったからだ。また売り言葉に買い言葉になるのは見えており、それは不毛である。

ここは原則にもどる必要がある。今のNPO方式を土地所有者がプロジェクトの目的にもかなった手法として認めているものに対して、あえて異を唱えるのならば、土地所有者に対案を示してみればいいだけの話である。原則そのものは、何も難しいことではない。

現代は、土地の所有というのは、強い、冒しがたい権利である。それを尊重し、誠意を尽くして、正当性を示して「どうか貸してください」「使わせてください」というのが、わたしたち環境コモンズの立場で、それを認めてもらって動いているのが今の活動だ。もし、そのかたが対案をつくり、町内の方々も賛同し、役場も、苫東会社も認めるのであれば、今動いているNPOの活動は白紙にするのは当然のこと。
そうなればの話だが。

ひとつの理想を言えば、地域の身近な林を地域の人が守り手、担い手として立ち上がってもらうのがある。そこには所有者の意向も当然あるし結集できない地域事情も出てくる。どういう手法が最も適切なのか独自にその準備をされるは当然のことであろうと思う。そこで最も問われることは、森林という社会的共通資本を管理するという信託を受けるのが妥当か、ということのように思う。これはかなり重たいことでもある。襟をただし自戒していくしかない。

議論のための議論に陥るのは不毛だが、なぜか避けてきたこの部分は環境コモンズの大事なところである。幸い、応援してくださるかたが町内に何人もいらっしゃる。自重してミッションを進めたいと改めて思った。



わたしも札ウのラジオ体操に加わる

除伐をする班と伐倒を担当する班と
冬の仮小屋もほぼ竣工

2013/11/16 sat 13℃くらいか? 6名+札幌ウッディーズ11名


薪小屋建設が急がれる中、今は何より快晴がうれしい。朝、長老が薪小屋の進捗が心配で見に来てくれて半日手伝ってくれた。札幌ウッディーズの面々が、今日は定例の山仕事応援で11人が見えた。今回はツリバナフットパスの左側をお願いした。さすがに頭数で、夕方、仕上がりはすっきり。
札幌ウッデーズの高川さんと久々のツーショット

わたしとnakatuさんは作業用仮小屋の骨組みを、マスターしたばかりの「男結び」で固定し、ブルーシートならぬグリーンシートをはった。大人二人で手がける簡易小屋は、本人はやったあ、という満足感と、「いい大人がこの出来かい?」といわれそうな不安と両方を感じつつ、ドヤ顔でセルフタイマーをあわせた。
しかし、なんですなあ、究極の間に合わせ仕事。これがいい。
   
薪小屋の建設、ハイピッチ。→仮小屋の骨組み→骨組み完成→どや顔




アカエゾマツ造林地

ミズナラ造林地

ハンノキの大木を数本発見
小屋の新しい仲間

2013/11/14 thu 曇り 2℃ 2名


つた森山林の2日目は、やり残した中央部分から開始して、昼前に石油備蓄基地に面した造林地もカバー。終ってみれば孫田氏の万歩計では昨日が10km、この日が7kmほどだった。わたしは幸い股関節も痛まず、日頃のストレッチのせいだろうかと、密かに少しうれしく安心を味わった。

午後、すかさずやり残しの池周りにアプローチし、小高い丘へ登ったのだが、そこは今まできたことのない眺望の丘になっていて、孫田氏は「種の構成など、ここは大分違う」と驚いていた。そのあと、今回の受託調査の結論にもつながる、つた森山林の高速をはさんだ北側の、台風後の植生復元地を案内した。苫東の植生復元力によってすれば、林床に見るべきものがなかったカラマツの一斉林の風倒皆伐跡地でも、20年余りで広葉樹林に復元するという見本の場所である。このような復元可能な場所において、行政の補助金をもらって苗木を植え管理する必要が本当にあるのか、そこを考える基礎にしたいのだ。新しい苫東方式の提言につなげたいのである。

孫田氏と別れたあと、小屋に行って見ると、裏手の木になにやら動くものがふたついて、よく見るとエゾリスだった。小屋の直近で二匹を見たのは初めてで、ちょっと驚いた。いよいよ、動物王国だ。そっと見ているとペアのような風にも見える。幹の影に隠れながら、30分ほど付き合った。ねぐらはあの、数ある枝のオブジェだとうか。

 
3時前、光はもう斜め。美しい光景が広がる。と、そこで見たのがエゾリスのペアだった


林の小班ごと、出かけて記録

新しい大木との出会い
ドロガメさんに学ぶ林との付き合い

2013/11/13 WED 晴れ 4℃ 2名

10月末に土地所有者から当NPOが受託したつた森山林の取り扱い方針に関する調査を、本格的に開始した。主として理事の孫田氏と草苅が担当し3月上旬までにまとめる予定。13日と14日の両日、つた森山林の約300区画に別れた造林地や天然林をくまなく踏査し、現況を把握し中長期の指針を探っていくものである。北大の専門家も検討に加わってもらうために、樹木がまだ葉をつけている先月すでに先生を案内している。

札幌からやってきた孫田理事と、朝9時過ぎから二人で精力的に道なき道の藪をこいで、林の現状を記録し対応について意見交換して具体策をメモした。笹がないので大変歩きやすいのがここのいいところだが、そればかりでなく、11月の雪が降る直前、落ち葉踏みながら林や林道を歩くのは、いつも至福といってよい心地よさである。折りしも、快晴で、気温4度というのもワシワシ歩くには最適。3分の1ほどを踏査し終わったのが暮れなずむ4時近くだった。
 
すべての林小班ごと、林の状況と特長を記録する

いつも思うことだが、樹木とどう付き合うか、林をどんな風に導いていくのがいいのかを考えるとき、人はドロガメさんのようにしばし詩人になるのではないかと思う。耳と心を澄まして、樹木と林の声をきくからだろうか。「ミズナラくん、なにかつらいことはないか〜い?」「うん、隣のハリギリ君が枝を押さえつけていて苦しいんだ〜」などという一人芝居のようなやり取りを彼はしていた。わたしがそれをやればただ正気を疑われるだけだから謹んでしまうが、その片鱗を山歩き、林の巡回は秘めている。恐らくは人間以外の何者かと、束の間、対話している可能性がある。ザックリ言えば、自然とのつながり。

昼、山林の入り口で菱中建設が進めている修景作業について、業界紙2社が別々に取材に来た。天皇陛下が通ったエントランスをもっとこぎれいにシェイプアップする企業の社会貢献活動(CSR)で、当NPOは菱中建設さんが候補地やアイデアを探していたことに対してこの場所と作業内容を提案したのである。広大な苫東の沿道景観を維持するためには、土地所有者自らの行為のほか、NPOや市民、企業のCSR、林業などいろいろな方策を工夫する必要がある。それがようやくフルセットで動き始めた。





sagawa君にチェンソーの扱いを教えて
から玉切りを任す

hekisuiさん、思い通りの方向に倒せ
た、と
薪小屋の基礎、完成

2013/11/09 SAT 曇り 10℃ 苫ウ4+1


11月、もうすぐ初雪、薪小屋建設ももうゆっくりしてはいられない。土の表面がちょっとでも凍ると、もろもろ効率がえらくおちてくる。いよいよ、ふたりの棟梁もチカラがはいって、今日は束石を搬入し、レベルをとって夕方にはすべての基礎が完了した。これから土台になる大引きを打ち込み丸太の柱、垂木、屋根となる。
 
高さ70cmほどの束石を入れたり出したりで正位置を決める。大変な作業だ。空隙はソイルセメントで埋める

午前、棟梁たちの下準備の間、hekisui、sagawa両氏とわたしの3人は柏原試験地でドロノキの間伐。初めての二人に37年前に着任して預けられたこの試験地の話をした。大木に育ったが、伐採をしてみると、芯が腐れているものがほとんど。また、含水率がものすごく高い。乾燥すると著しく軽くなるので、薪としては炊きつけなどのほうがよいかも。オランダなどで公園づくりのベースの樹木がドロノキだったのを思い出すが、ストレスなく伸び伸び伸ばしてやることが大事かも知れない。

お昼に広場に戻って、午後はわたしだけ、作業用青テントの設置場所を探し、細い木を集めた。スノーモービルやポニーの馬搬の邪魔にならないところでかつ作業の中心に近いところ。程よいところがみつかって、仮組みしてみた。

立てかけただけ。縄で結ぶのに、男結びをマスターしなければ

薪小屋のこれからの段取りもしっかり予定を組まねばならない。来週は札幌ウッディーズが保育の手伝いにくる。夜は町内会への説明会、12月は山ノ神と忘年会だ。棟梁のリーダーシップのもと、人海戦術で攻める日もありそう。3人、しばらく立ち話をして散会したときはもう暗くなっていた。




入り口ミーティング

この奥の藪にチャレンジ
CSRを支援

2013/11/06 WED 10℃ 曇り 


市内H建設会社のCSR支援で、つたもり山林入り口の修景を提案し、企業がそれを提案して土地所有者が受理、NPOは提案者として建設会社の担当者と立会い。来週一杯、このエリアの修景作業が行われる。見違えるはず。









薪の入ったトン袋。ちょっと異様な
光景


トン袋と野積みの薪

荒木さんと薪小屋の土台で雑談
しばし
薪の袋詰め

2013/11/4 mon 14℃ 晴れ 11/3 pm araki3+masuzawa 11/4 araki


ミズナラの薪の一部は有償で分譲し関係者で分けた残りの、即ち、カバやサクラなど一般広葉樹がメインの薪は、業者さんにもパスされた。それでいったん薪小屋に収納してから完全乾燥した雑薪として来春分譲するつもりでいた。ところが、今度は同じ業者から購入のリクエストが来た。10月30日のことである。裏情報では薪の需要が増しているとのこと。「こんなもの買ってられるか」が「是非売ってよ」みたいなことになった。急遽、売るための準備が必要になった。ユニックで積んでもっていくための袋詰め作業だ。

掲示板で作業参加を呼びかけ、11月2日のチェンソー研修会でもメンバーに声をかけたが、やはり誰もこの3連休二日目の作業にはさすがに予定が立たないようだった。わたしは午後から担当する出版記念式典で札幌に向かわねばならないので、代表して午前だけ参加することにした。

が、当日は夜半から雨、朝方もしっかりと雨で、荒木さんと連絡して中止。雨雲レーダーの速報X-RAINを見ると10時ころから雨雲がなくなり晴れだした。が、わたしはもう無理だった。今日荒木さんに聞いた話では11月3日の午後に、荒木さん夫妻、ご子息、それと増澤さんの4人が午後、1立方mのトン袋に薪を詰める作業に従事。4日は午前、広場に顔を出すと荒木さんが一人で残りをやり終え、合計15袋の袋詰めを終えていた。1袋1立方mとすると約15立方m、約5.6棚を片付けてくれたことになる。あと2棚はkaiさんと青テント用、加地さん、増澤さんで使うから、残り8棚、トン袋で21袋ほどは業者が袋詰めすることになる。

なあなあで進めてきた薪だけど、いわば貨幣価値のあるものである。善意の、常識的な線で運用していけるうちはいいが、関係者が増え、関与の度合いも強弱大小違ってくると、そこはできるだけ平等に扱うルールが必要になってくる。幸い、この善意のグループに権利だけ要求したりする「ただ乗り」の人はいないが、転ばぬ先の杖、今季もルール作りの必要がある。打ち合わせをしたことがいつのまにか内側から崩れることのないように、合意することの難しさを感じる。



伐倒を振り返りつつ

受け口が正しく伐倒したい方向に向いて
いるかチェック


技術的にはこれが一番難しい応用問題
だったかも
チェンソーのスキルアップに挑む

2013/11/2 sat 14℃ 曇り 7名

恒礼のチェンソーのスキルアップ研修。従来、初心者対応の講習会だったが、シーズンを経るにつれ、より実践的なスキルを各々の熟練度に応じて身につける契機に替えるため、スキルアップ研修と呼ぶようになった。
講師はabeさん。今回は事前にabeさんと打ち合わせて、各自が伐採する木を選んで、自らの問題意識をプレゼンしたあと実技し、講師とみんなの講評を受けることにした。

9時半集合、焚き火を囲んで言葉のウォーミングアップをしたあと、育林コンペの「kusakari ownner 」のゾーンに移動し、装備した。草苅、kurita、oyama、tsuduki、kaiの順に、別々のやり方で伐倒。トップバッターのわたしは、一般的な手法で最後は手で押してシラカバを倒した。レザーポインターで受け口が伐倒希望方向に正確に向いているかチェックしてもらったら、かなり正確だったが、やはり掛かり木になった。

kuritaさんは、二本が絡みついたナラを、oyamaさんは、受け口のところが枯れて空洞になっているのを突っ込み伐りで、tsudukiさんは、林道に片枝で傾斜している高位置で二股になった中径木を伐倒方向を修正して倒すやや難易度の高い実技に挑んだ。最後にkaiさんが、木と木の微妙な間をねらった伐採に挑戦。いずれも、予定した通りとはならず補正がひつようであったが、その微妙の補正が伐採技術の応用問題であり、難しくもあり、奥の深いところだ。熟練者のabeさんが、そこは体験と学習で身につけた経験知を伝えてくれる。みんなも、感想を述べ合う。なかなか、勉強になるが、おそらくこれも、自分の熟練度に応じて伝わってくるはず。

お昼は小屋に戻って昼食。午後また、現場で伐倒木の玉切りと道沿いへの藪出し。最後はabeさんに、根返り木の伐倒のデモンストレーションをしてもらった。追い口側を残して内部をまず突っ込み伐りで切って、最後に追い口の切り残した外側を切る手法(追い口伐り)である。最後のチェンソーを入れるときにバキッと繊維がキレる音に特長がある。その衝撃音がきっと掛かり木をはずすショック音である。このデモの最大の要点は、ツルの厚さを調整して左回転させて掛かりをはずせるかどうか。結果は、微妙にツルの厚さが狂って掛かりは解消できなかったが、一連の応用問題は考えさせる。
 
昼の団欒


早めに戻っていたinabaさんが焚き火を保ってくれたので、焚き火にあたって飲み物を飲んで散会。

紅葉はゆっくりと散って、林道やフットパスは落ち葉の絨毯に変わった。ここの林らしい風情にかわってきたので、マズメ時の林を去りがたい。あいにく今日参加できなくなったtakiz先生によると精神的な急患が多いのだといい、今日もその対応でこれなくなったと連絡があった。
落ち葉の海秋、落ち葉が林床を浄め、冬そこをさらに雪が覆う。よくできている

人間のこころは強くないし感じやすく、ゆがみやすい。それを辛うじて保っていくコツは、自分と対話することである。対話の場所と時間は実はとても採りにくいのだが、「林」はそこを上手に機会を提供する。わたしのブログ「林のアジール」であるアジールとは、人々が弱いときに逃げてくる場所のこと(ドイツ語)であり、かつ、競争社会から離れてノーサイドの環境に身をおく稀有な場である。昨日62歳になった自分だが、落ち葉を踏みながら、ここまでこうして恙無くこれたのも、林をアジールとして付き合ってこれた、そのお陰だと思う。

わたしたちのスキルアップは、ある意味でアジール的な最たるもの(みんなはそう思っていないだろうけど)であるが、身近な場所に積極的な(洞窟のような隠れ家でなく、の意)アジールを作ることを目的としている。人が寄りつく林を創るのは、林業技術とこのようなスキルアップ、同志の拡大にかかっている。




意外と美しい紅葉に迎えられた

冒頭、挨拶の原口代表

青空の総会風景



コニャックのような薪。マッチ一本でつくか。
焚き火を囲んで25年度の総会

2013/10/26 sat 15℃ 曇り 14名


25年度のNPO総会は、苫小牧市静川の雑木林ケアセンターで10時半に開催。スタッフは9時頃には集まりだして、野外テーブルのセッティングなどに取り組んだが、結局、テーブルは止めて、ここならではの焚き火を囲んでやろうと相成った。

総会は定刻10時半に会員40人のうち、出席11、委任21で成立し、事務局から合計約1時間の説明があり、間にティータイムがはさまった。総会の最中、tsudukiさんのご子息が上手にそっと薪を足してくれるのがよかった。乾燥した薪をくべると、パチパチとなって、これは総会が終るまで、「すごいね、この音」と参会者から感想がもれた。時に煙いけど、座は終始、薪の精に守られるごとく、ポジティブな意見交換が続いた。

12時からバーベキューの昼食。これはNPOの薪作りなどで得た財源で賄うもので、小さなアルバイトを少しずつこなす当NPOの特長のひとつ。inabaさんが精力的に取り揃えてくれた食材に舌鼓を打った。

昼の集合風景

午後1時過ぎになって、キノコの勉強会に切り替えた。各々、銘々のフィールドに出かけて、採ってきたキノコを並べて当NPOのキノコの講師oyamaさんに評定を願うもの。今回は、オツネンタケモドキ。クヌギタケ、チャナメツムタケ、ニガクリタケ、シロシメジ(かつて苫小牧きのこの会の会長、南さんはシロノハイイロシメジとおっしゃった)、クリタケ、ベニタケ?、ナラタケ、タマキクラゲ、モエギタケなどが判定された。不明は1,2種あり。

oyama講師のキノコ判定。毎年少しずつ覚えていくだけでも宝になる。写真右はシロシメジ。夜、早速そーめんの出しにして
秋を味わった


総会には苫東コモンズの設立の際に、多大なご寄付をしてくれたKさんの奥様が出席され、寒い中、熱心に事務局の説明に耳を傾けていただいた。また、わたしが長老と慕うSさんも会員として出席され、地元の生き字引として多々発言された。また、苫東コモンズをテーマにした卒論に取り組んでいる北大農学部のS君が冒頭から出席し耳を傾けていた。



小屋の南東角はこんな風に

北西角はこんな風

落ち葉のトイレの落ち葉入れ

腐れた廃材を燃やす。ついでに
プラ容器などもこっそり
























作業分担で仕事進む

2013/10/19 sat 15℃ 晴れ 4名


NPOの仕事がいくつか輻輳してきたから、このところ分担して並行しながら進めている。今日は、来週のNPO総会に備えて、会場となる小屋「雑木林のケアセンター」の清掃と薪小屋制作がメイン。この2箇所は直線距離で約4km、公道をたどれば車では10km、20分ほどを要する。前者をinaba、kusakari、後者をoyama&kaiの棟梁コンビが手がけた。もうひとつの現場は柏原試験地で作業はドロノキ植栽地の間伐。

小屋はinabaさんが早々に焚き火をしてくれていたので、不用になった廃材や容器等をドンドン燃やした。薪も焚いた。小屋内部の燃料タンクや各種道具をベランダに出して掃き掃除、拭き掃除、窓ガラス磨き、そして仕上げにもう一度掃除機で吸い込んだ。隅々まで見てくれたinabaさん、「ミドリちゃんたちのウンコ、10箇所以上!」という。ネコの後始末になれているとは言え、ひとつづつ、着々とクリーンアップ。最後に、ストーブの向きを替え、テーブルを移動し、そのために階段を外して、無事終了。大分イメージが変わった。12時前、みんなの待つ薪小屋の建設現場に向かう。

薪小屋製作現場は基礎の上に角材がはめ込まれ、丸太は大型バーナーで焼きが入って仕上がり、いよいよ本制作に入る準備ができてきた。夕方には、屋根の部材も出来上がり柱を立てれば持ち上がるところまで来ていた。
  
お昼には日陰になる。基礎も根太も防腐処理、柱もトゲ対策で焼いてもちろん防腐。10年以上は持つだろう。屋根はゆるい勾配。

午後、inabaさんは防腐剤塗り、わたしは柏原試験地のドロノキ間伐に出かけた。37年前、学卒で最初に手がけた2.4haの試験地で、翌年、翌々年と同じ面積の植栽試験地が湿原と海岸沿いにつくられ、緩衝緑地作りの基礎資料を得た記念の現場である。その懐かしい思い出の試験地はドロノキの間伐がすでに2,3回行われてきたが、成長のいいドロノキのことだから間伐が追いつかないできた。また、NPOは柏原のこの一帯が魅力的な野生草花の平原でありながら未利用であることに気がついて、試験地を含む一帯の修景に着手したのだった。

試験地は2年前以降、新たに枯れたものも数本見受けられるし、被圧されたものもはっきりしてきた。6,7本間伐して玉切りし整頓したらもう3時半だった。丸太はもったいないからkaiさんに持っていってもらおう。また、間伐の練習に、中高年の新人にもこの場所を紹介して間伐を手伝ってもらおう。いずれ、アカエゾマツ、ヤチダモ、バンクスマツ、イタヤカエデの4種も密度調整の必要がある。
 
狙ったところにストンと倒す醍醐味。芯は腐っているようにも見えるが、成長は早い。乾燥すると軽すぎるから、薪としての価値は知れたもの。写真右は、ドロノキと左はアカエゾマツ、37年ぶりの記念写真。植えたとき、ドロノキの直径は1cm、アカエゾマツの高さは30cmだった。

試験地と薪小屋製作現場は車で1.5kmという近さだ。4時前に現場に戻るともう日陰になっていた。

散会後、フットパスに数多の枝が落ちていたのを思い出して枝拾いの散歩に出かけた。夕日の中の雑木林はいつも実に美しい。ほぼ5年前にここの林の保育に手をつける前に比べれば、見違えるようになった。人を呼ぶような林に確実に変貌している。初めての人にはなんだかよくわからないピンクと黄色の蛍光テープもなにやら主張している。人が関わっている証であり、こういうものは、散策のうら寂しさをややかき消してくれるものだ。直径60cmほどの、ここでは大木に入る木々があっちにもこっちにもあるというのも、うれしい限りだ。

薄暗くなってからドロノキ3人組に行ってみると、上部の梢だけが夕日に照らされて輝いていた。苫東では、林帯から飛び出て大きくなる樹木はないのだが、ドロノキだけは特別で、抜きん出て延びる。この輝きはそのせいだ。戻り道、赤い実をつけたツリバナを何本も続けて見つけた。まるでツリバナの小径である。こんなところがあったとは気がつかなかった。偶然残された格好だが、このエリアを手がけたわたしはまったくノーマーク。冷や汗モノだ。

  
夕日を浴びたドロノキ。空から飛び降りる小人、ツリバナ(写真中)。右は、いつの間にかできた5差路。



コナラの大きな立て木の前で

シンボルツリー「グランパ」(わたしだけの呼び名)の前で
矢島教授のコモンズフィールドへの所見

2013/10/17 thu 晴れ 16℃ 2名


北大森林科学科の矢島教授と苫東コモンズのフィールドの森を歩き、ご意見を伺った。コナラの大木の前を歩く先生は、さながら宮沢賢治風だった。ドロノキのシンボルツリー「グランパ」(写真左下)を通ってつた森山林へ。ここでは田中マークンが植えたアオダモの造林地で小休止。26号台風後の雑木林はミラクルな落ち枝の大盤振る舞いだった。先生は「初めて見た」と。やはりそうなのだ。森を見る眼力のある方々と森を巡るのは至福のひとときだ。

 
 アオダモ造林地(左)とこの日見つけたミラクル落ち枝のひとつ

わたしがフェイスブックに上記のように書いたら、教授はこうレスされた。先生と言われるとオシリが痒い。特に苫東の森に関しては、誰よりも(貴君が)解ってらっしゃるわけで。森の将来に思いを馳せるのは愉しいので、またおじゃまします。

道すがら、実はこんな話になった。
●つたもり山林に限って言えば、まとまった木材が出るわけでもないので、林業的な扱い(経済林)とは別の目的がしかるべき。
●それはある種、見本林の問うな位置づけとか修景林のような
●複雑な階層構造にしていくことかも。また、大木になって枯れるまで見守るというのも方法だし、寿命の樹齢の推定ができれば(フューチャー間伐のように)残して最終的に枯れる直前に木材利用という方法もある。
●いろいろな林分があるのを生かす方法を考慮
●つまるところ、パターン分けができそう。入り口か奥か、道の脇か奥か、広葉樹か針葉樹か、造林地と天然林、若齢か高齢か、など。


森は科学であり、扱いの技術は場所によって特殊性も持ち、かつ奥が深い。矢島教授のような色々な森をさまざまな角度から分析ができる学識経験者のアドバイスは苫東の森という公共財には是非必要だ。これからもやや長いお付き合いをお願いしてお別れした。


皮むきも終盤

設計図

焼付けから防腐剤へ

基礎も防腐処理し埋まる

ついに根太?が据付




帰途、柏原試験地のアワダチソウ群落が黄金色に輝いていた
いよいよ基礎がセットされた

2013/10/12 sat 晴れ 風強し 18℃ 6名


二人の棟梁がそろい制作に入った。今日は基礎を埋め込みソイルセメントで固め、午後には90mmの角材がすえつけられた。棟梁らの脇では、皮むきの奴隷部隊がしばしば軽口をたたきながら黙々と皮を剥いている。

蚊はほとんどいなくなった。皮むく広場にはアカトンボが先日よりぐんと増え、陽だまりの広場にはもう蚊がいない。観察していると、ゆったりした蚊をアカトンボが急旋回、高速キャッチでゲットしている。目にも止まらぬ速さである。しかし、林に入るとトンボはおらず、やはり頬とか首を食われた。そのためにも林には陽が入ったり陽だまりがあったりするのが望ましいだろう。アカトンボの棲める雑木林?小屋の周辺の陽だまりにもアカトンボはよく集まる。

32本の丸太(柱と基礎用)の皮むきも午前11時頃に完全に終った。いよいよ、柱材のトゲ対策として焼き目をいれ、防腐剤を塗る行程に入った。基礎の丸太を埋めるためにも小屋においてある防腐剤を塗る必要があるので、inabaさんと急遽防腐剤をとりにいったら、ベランダにネズミの死骸ふたつと、なにやら赤い肉片が落ちている。奇怪な食いさしである。タカか、ふくろうかなにか、わたしはやはり鳥のような気がする。ベランダにはしばしばこのような里山生き物の痕跡が残される。ウジの湧いたネズミと小鳥はしばしばだ。森羅万象、輪廻転生を連想する瞬間である。
   
1枚目、ベランダのネズミと肉カタマリはくぼ地に埋めた。2枚目、誰が持ってきてくれたのだろう、炊きつけ。年配の方だろうと思う。からからに乾燥しているからいい焚き付けだ。3枚目、小屋の軒さしにギンリョウソウ。4枚目はミラクルな落ち枝。今日は、風が強いせいか、落ち枝が量産されていた。ざっと15本。ここまで多いともうミラクルではない。

それはともかく、ナメコがオガッテいた。しかも見事だ。広場に携帯で連絡をとって、nakatuさん、kaiさんも一緒にとろうと声をかけた。20分ほどで着いたふたりりも「おおお!」と感嘆した。帰り際、ボリボリの新鮮なやつが一塊見つかったので、いつもの場所に4人で直行したが、残念、やはり出ていなかった。
  
ナメコ。きれいに採ってしまうべし。クリタケも出始めた。エノキタケもわずかに。

広場に戻って遅い食事をとる。午後は焼付けと防腐剤塗り。わたしは先週の道づくり仕事の残りを手がける。1トントラックの通行の邪魔をする木立をもう少し切る必要があるのだ。また、奥にいくほど、傾斜木や半折れなど危険木、、ツルに絡まれた荒れたコーナーがあり、結局3時半を過ぎるまで作業した。帰りみちに、大木のマーキング。惚れ惚れする大木が随分みつかった。
   
コナラ、ミズナラ、ハリギリ、ドロノキなどだった。

広場の小屋制作は、いよいよ来週辺り立体的な形が見えそうだ。まず2坪だが、それを繰り返して7坪をつくり、薪割り機とスノーモービルの格納庫を合計3坪つくることになる。

この機会に、memo2件。
●10/4 安平町のKさんに、oyamaさんから薪小屋建設にかかる建築確認要否の打診。「苫東がOKならお任せ」「景観配慮を」との由。
●10/11 企業の地域貢献活動CSRの現場をH建設、苫東会社、NPOの3社で立会。雨のなか。「これはいいかもしれない」とロケーションとプランに合意される。いずれ、選木のために立会の要あり。






うれしいねえ、ナメコ!
















夕方、3人で分ける。山の
幸の収穫はやっぱりうれしい












今日も皮むき

2013/10/05 sat 晴れ 19℃ 3名


薪小屋の柱に使う丸太(カラマツとトドマツ)の皮むきが今日も待っている。さすがにナタで代用するのも疲れるので、ネットでずっと使いやすいドローナイフを探していたのだが、先日新潟のログビルダーが考案したスグレモノを見つけた。早速問い合わせをしたら、金物職人が高齢で製造をやめたとかで丁寧にオコトワリのメールをもらった。その考案されたドローナイフとは引いても押しても使える大ぶりの鎌だった。西洋のログビル用ドローナイフは引くものが多いがダグラスファーやスプルースの直径40cm近い丸太をやっていたら結構どころかかなり疲れる。引くだけでなく、疲れたら押して剥くというのは、だから、いい方法だと思う。今は、細いカラマツですら難儀するのである。だから自嘲気味に奴隷の仕事と軽蔑しながらいそしんでいる。

そのスグレモノ(時遊工房のホームページから)

それでというので皮むきに行く前に小屋に寄っって大きな鎌を車に積んだ。小屋周辺の蚊は先週よりは減ったが、まだ十分うるさい。ちょっとの間に頬と手の甲の数箇所をヤラレタ。というのも、ナメコが3,4箇所でていたのだ。籠をもってきて、丁寧にイシヅキをとりながら収穫。蚊が集まってきてからは面倒になって株ごと、そして落ち葉もかまわずガサガサと採って収めた。

ベランダにヘビの尻尾の抜け殻を見つけた。あれ、先週の片割れなか、と思いつつふと屋根裏の梁をみたら、あった。その脇に垂木のすき間にもうひとつ。ということは今季発見されたのは合計7本ということになる。シマヘビとアオダイショウの2種はわかるが、各々が何匹いるのかがわからない。だから都合何匹なのかはわからない。しかし、見かける頻度が多いから、「少なくない数」だろうことがわかってきた。
 
生き物は何でも利用する、の法則。すき間だらけだ

そんなわけで一時間遅れで着いた皮むき現場には、inabaさんとkuriちゃんがワッセワッセと働いていた。inabaさんが言うには、kuriちゃんはすごくうまい、と。道東にいたとき、ビート剥きの皮向き道具でログビルの皮むきをして腕を磨いたらしい。もうすでにカラマツ1本を終っていた。小屋から持参した中鎌を試してみたら、なるほど、節が邪魔しなければスルスルと向ける。もう少し角度を深くすればかなりいい。残すところあと、7,8本か。昼まで1本半手がけた。
   
kuriちゃん、奮闘の図。写真中央は、この冬にoyamaさんが作った枝のオブジェ。写真右は、フットパス兼作業路の支障木

午後からわたしは蚊よけのネットをかぶって、昨年の新ルートの支障木と、地面から頭を出した根株伐りに出た。人とトラックが通ったから地面の方が少しずつ沈むのだ。また、藪出しした丸太を5月ころ広場に運搬するのに、この春1トン車を採用したがこれからもこれが最適だろうと思う。軽トラックでは小さすぎ、2トンでは小回りが効かない。その1トン車でも通れないところがまだ何箇所もあったのだ。また、ツルが絡まった藪も処理しきれていなかった。「1時間位で戻るから」と出かけたのに、終ってみると2時間以上かかっていた。

途中、ヒューチャー間伐の元になる大木に、いつもの黄色の蛍光テープを巻いて歩いた。いやあ、あるある。10本以上着けただろうか。そうするうちに、大木を触っていること自体になにか得も言われぬウレシイ感覚、パワフルなものがある、と感じるようになった。まだなんともいえないが、将来の立て木である黄色のテープの着いた大木を、グルグルとめぐって歩く散歩というのを、笹のないここならできる。そんな散歩をはやらせたらどうだろう。そして探せばもっともっとある。今日の最大は直径70cmほどのハリギリだった。
   
見た目よりずっと大きい。コナラも直径50cmほどのものがある。写真右がスズメバチの巣。

新ルートを通せんぼしているサワシバやアズキナシを伐っているうちにアワヤと思ったのがスズメバチの巣だった。倒してからその直径25cmほどの丸い白いモノに気づいた。一瞬逃げるために身構えたが幸い蜂は出たあとだったようだった。もしこのルートを使っていたとすればあまりに道の真ん中だから刺されていたかもしれない。絶えず誰かが巡視して、情報交換しておく必要があるだろう。


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