里山の冬、生き物たちはどうしてるのか、に思いをいたす
NO.72
2012/03/04~


小屋のベランダで焚き火に手をかざしながら黄昏ていく空を見ていると、
ふと生き物たちのことがアタマに浮かぶ。

冬、あるものは寒さと飢えに耐え、生きるか死ぬか日々の運命を生き、
あるものは南へ逃げ、羽のあるものも南方へ飛び、またあるものは子孫を
卵にして自らは死に、あるものは眠り、あるものは死んだように停止し、
またあるものは適応できてとどまる。

そして人は、工夫して生きて、かつ幸せな日々を送れる環境を創ろうとする。
うまくいったり、いかなかったり。



雑然とした薪の山に、気持ちは
整然と挑む






広場のテーブルを制作するoyama
さん。雑木林と広場を見ながらお茶
ができる「北の森カフェⅡ」が生まれ





inabaさんはフットパスのコース
案内図の看板作りに。今回は英国
のBTCVをモデルに






「マイ斧」持参のKAIさん。一刀流
で一日薪を割った












薪材、60立米か
2012/04/29 sun うす曇 肌寒い 12℃ 16名 
 
 
風が冷たくなった3時過ぎ、今日の作業を終えて薪の前で。ここに立ち至るまでなんと、6ヶ月を要しているこのスケール感が格別だ

いよいよ、薪のヤードに丸太が運び込まれて、かつ、たまったので、薪割りが本格化する。薪の長さ30から45cm程度に玉切りし、方やで割り、そして積んでいく。今年は、以前にも書いたとおり薪の発生量を的確に抑えるべく、伝統的な「棚」という薪の単位を取り入れ計測することにした。これで、これからの作業計画も立てやすくなる。薪材は、わたしの前職・工業用地を作る行為の最中にも、パルプ材や薪やほだ木に活用したので、作業員が積んだ木材の単位は知っていたが、自らの意志で積もうということになって初めて、単位の意味を知るようになる。現場ではこのほか、「枚」という単位もあったと思う。これは棚がいくつかまとまったものを指したような気がする。

今日の作業に集まったのは16名。小学生、中学生、高校生を各一名含む。班は、
①軽トラックで林から運搬する人
②林の現場で軽トラに積み込む人
③ヤードで玉切りする人
④薪を割る人
⑤割ったのを「棚」に運ぶ人
⑥薪を積む人
 
棚の概念から、薪の長さが短いのに二列にしたので、今年は積みづらいと荒木さんの奥さん。改善の余地あり。

になる。これを自分の特技と関心で受け持つ。このほかに、テーブルを作る人、看板などの防腐剤処理をする人がそれに付きっ切りになった。お昼は、メンバーがカレーライスとワッフルをご馳走してくれた。

新しい方が3人入会された。いち早く現場に着いた札幌ウッディーズの石田さん、本州から転勤してきた都築さん、道職員の栗田さんだ。三人とも、いろいろな活動に参加しているので、当NPOの活動にいつも参加することは当然できないことを、お互い十分承知した上での加入だ。栗田さんは特に潔いからそういう十分な活動ができない状態での参加を、ためらっていたようだった。ドントマインド!

石田さんとの話しの中でも、ここの「ゆるい」関係のプラスマイナスが見えてくる。ここは、「各人の都合にあわせて仕事をし、助成を当てにせず、そこそこ稼ぎながら会費という寄付を募る。」

そのプラス面は、
①好きなときに、作業ができる ほとんどなにかに追われることがない
②薪の生産過程で循環型社会に参画できる
③稼動によって薪をもらえる(9時から3時過ぎまでで、4分の1棚ほどの丸太)、薪ストーブを持たないメンバーは最終的に薪の売り上げをNPOに寄付している
④毎週の連絡はネットの掲示板で済ますので事務局が楽

マイナス面は
①技術の継続と伝承のシステムが弱く、属人的になる
②なんとなくしまりがない
③口コミが主だから、会員拡大路線にほど遠い
④世間に対するインパクトが弱い

など。いいところとそうで内面が相半ばする。でも、できるだけこじんまりした会でいいような気がするし、手間をかけず省力化するのも意味はあるから、当面こんな感じでどうかと思う。「できるだけ人を増やさないで、寄付を増やそう」、これが密かなモットー。

材を積んでみてある感じを得た。上村さんは積みあがった薪を見ながら1棚を3ヶ月、つまり1シーズン2棚、KAI先生は2棚で5,6ヶ月という見立てをした。それでいけば、今後シートに包まれるひとくくり(ひと山)が、薪ストーブ世帯の一年分と言うことになる。
今年の生産量は薪ヤードの残り等を勘案すると、わたしは正味ざっと60㎥程度かと見積もった。棚が36、つまり今区割りした列があと2つ、できる勘定だ。問題は刈り払いの時期が来る前にここをきれいにすましてしまえるかどうかだ。これはちょっとつらい。

子供たちは、オジサンおばさんに囲まれて、実に子供らしかった。小学生はネコの手よりはるかによく働き、はきはき受け応える純真無垢な人気者、中学生になるといろいろな思いもあってすぐには溶け込むことはないけれども、段々打ち解けてきていた。おじさんおばさんらは、自分もいつか来た道だからそれをじっと見ている。高校生は、もうマイペースで黙々とまきを割っていた。

こういうコミュニティ、いわば住居が隣り合っていなくても生まれる心つながりのコミュニティは、回数を重ねるに連れてしっかりする。ギスギスしない程度にお互い離れてコミュニティをなす。「薪」と「身近な里山」を間にはさんで、まさに今、コミュニティ・フォレストを実践中、といったところである。これが他人様の土地であることをすっかり忘れて過ごせるあたりが、NPOコモンズのコモンズたる所以だ。



これが薪ヤード

積み始める

ひたすら割るkaiさん
薪まつり、始まる
2012/04/28 sat 快晴 17℃くらい 9名


冬の間の、ツル切り・除伐等で出てくる木材の有効利用「薪づくり」の本番が開始。にぎやかな恒例行事になったのでいつしか「薪まつり」と呼ぶようになった。そうなったのは、実は時宜やかになるという理由だけでなく、作業がちょっと途方もなくエンドレスに続くので、「まつり」とでも称することにしないとやっていられない、という事情もあった。

実は祭りの前段の藪だしを始めたのは4月の上旬だったし、遠浅のNPO会員である薪組合の荒木さん、菊池さんらが運搬をはじめていたので序盤はソロリソロリと始まっており、この前の日曜は、abeさんとoyamaさんが、雪が深くて切り残していた地際の一番太い丸太を切り込んだりした。

今日は軽トラックの運搬に3人、玉切り、薪割り、薪ヤードの設定、テーブル作りに人が付いて各々作業が進行。快晴の春本番を薪作りで味わうのは爽快だ。昼は、U先生のベランダでラーメンと赤米をいただいた。非常に美味しい。ナナツボシに赤米をいれただけと先生は言うが、いやいや、これが米だ、という主張があった。
 
先生のベランダで早めの昼食。用意してくれたのはこれ、ラーメンとレッドライス。うまい

今日の作業は、薪の生産を量的に性格に把握するため、予め、薪の単位「棚」を設定した。棚という薪の単位を二つ舘に連続させ、それを2列で1セットとする。これで4棚ができる。これを先ず3セットだから12棚分に杭打ちしたことになる。そこへ薪割り担当が割っては積んでいった。本番は明日。明日でも終わらず、連休最後の6日もやることになった。

 
薪ヤードの林側に憩いのテーブル「北の森カフェⅡ」を創るため、防腐剤を塗った。
右写真は午後の一服




NPOの薪組合が朝の段取り

軽トラックにあっさり積むと「もう
定量だあ!」と声かかる


中津さんが感動されたシンボル
ツリー。


中津さん、早春の林を闊歩
























フットパスの枝拾いつつ、ミラクル落ち枝に会う
2012/04/21 sat 晴れ 8℃  枝拾い3名、薪運搬4名


毎年、ほそぼそと続ける小径(林道だったりフットパスだったり)の枝拾い。表題のように、この歩きの最中に結構ミラクルな落ち枝にあう。それが結構な楽しみだ。ミラクルな落ち枝に会うのもそのはず、雪が解けて10日あまりでまだ人も車も通っていないから。

今日のスタート地点の大島山林には、薪組合のグループ4人が、薪運びのために集まっていたので、来週の薪積みのレイアウトと今年の薪の方針(「そこそこ稼ごう!」という決意)を書いたペーパーを荒木さんにお渡しする。町内会から新しい会員・立松さんが加わったので簡単に自己紹介。枝拾いの事情を話して、フットパスに赴いた。一冬の山仕事から、ちょっと開放されたい気分もゼロでないけど、逃げるのではなく、あえて言えば、「体が二つ欲しい」気分。(笑い)

メンバーは、3人が用務で不参加になり中津さんとふたり。シンボルツリーを見るのははじめての中津さんに、ご対面してもらってから15分もすると、コナラの大木のところで薪運びグループと合流(左2枚目)。

落ち枝は多数あり、それを棒(ボッコ)やポールでポイと林床に弾き飛ばす。ミラクルは数本。キツネかウサギの穴のようなものをいくつか。ところどころ、枯れ木が路に倒れているので、二人で押しのけて路を明ける。地面が沈んで根が浮かび引っかかるものは中津さんが手のこで切断。かなりいいスピードで歩いたが1時間近くかかった。
  
 
こんなのが今日は10本ほど。これは恐らく刺さってから傾いたもの

つた森山林では、池のとなりの湿地でめんこいミズバショウの3つのカタマリをみつける。ほんとミズバショウらしい清楚さだった。適応樹種試験地前ではカメラを立てている人がいた。よく見ると勇払自然情報センターの村井さんだった。この、わたしが命名したB級自然の、とりわけ多様性がすっかり気に入っているらしい。クジャクチョウがとび、ゴジュウカラ、ヒヨドリが行きかっていた。小一時間、立ち話で近況の情報交換。体が冷え切って寒いくらいになった。それから中津さんと二人で一周の枝拾い。さすがに美しい雑木林の道が続き、中津さんもしばしば見惚れている様子。記念写真も数枚撮った。
  
ミズバショウは小さいほど美しいような気がする。村井さん、熊と波長が合ってきたらしい。わたしは樹木と波長があうような気がする。

そして小屋へ。中津さんははじめての場所。ここでoyamaさんと合流。「北の森カフェ」の小道具、テーブルとイスを出して遅い昼食。とても早春らしい青空の陽気に、快哉を叫びたい気分だ。食後、フットパスを一周する。つた森もそうだったが、ナニモノかが地面の砂を掘り出しモッコリと盛り上がっている。中にはしばしば蛹の食べ残しが入っている。ネズミではないかと相成る。高さ50cmあたりで齧った歯型あり、これはウサギの仕業っぽい。カラマツに入ると、地際が真っ白になった食痕が見つかった。探すと3本に2本が食べられている箇所もあった。おそらくエゾヤチネズミだ。これまでにない規模の野鼠害が発生したことになる。

   
いい感じのたたずまいになっている。「木になるベンチ」は一冬、雪にもまれて塗装がはげた。
oyamaさんとは週末の仕事の段取りをカフェで済ましておいた。
  
このカラマツは直径50cmほどだが、幹をぐるりと食われているから枯れるだろう。右もきっとネズミ。ということになると今年の大雪は思いがけないところで色々な影響がでたのかも。3枚目は根っこ切り。地面に浮いた根っこはつま先に引っかかるのだ。

中津さんとこの日10km近くを歩き、かなりの枝をはじき飛ばしてきたが、中津さんは、小樽の幼少時代、30cmほどの枝を、長めの棒で弾き飛ばして野球のように遊ぶゲームをやっていたとのこと。どうりでポイポイうまい。その特技はわたしはここで薪拾いをやるようになって覚え上達した。二人とも、この件に関しては、「手だれ」といえそう。



*山口県から届いたミラクル落ち枝の極み

正月の年賀状がきっかけで、山口の限界集落で農林業を営む山の先輩とミラクル落ち枝で手紙のやり取りが5,6回続きました。「そんなの、いっぱいあるぞ」といいながら、選任の自然観察を拝聴してきた、その最後に、こんな写真が届きました。ここまで来るとひとつの極みです。特に右のそれは傘に2葉のマツの葉が刺さっている。マイッタ。
  




春。その陽射しと開放

ナニワズ。この地方の春一番

フクジュソウが満開

フキノトウは食べごろ

手入れされたフットパスの雰囲気
総勢30人の山仕事@植苗病院
2012/04/14 sat 快晴 3℃ 30名


もう恒例になってきた精神科の植苗病院の雑木林フットパスの保育。今回は地元の苫東ウッディーズが7人、札幌ウッディーズが23人と総勢30人の大仕事になりました。フクジュソウが満開で、フキノトウのつぼみが膨らみ始めた快晴の雑木林。是非、この光景はご案内したいものですが、落葉期の雑木林の美しさに気づくには、少しばかり時間をかけた風致体験がいるようですので、晩秋から新緑までのこの時期に、地元で好んで訪れる人は多くはありません。

植苗病院とわたし&NPOの関係は、こころの健康に林は欠かせない、という考え方が基本にあります。ここの精神科医の瀧澤紫織先生は病院の治療にいち早く林で過ごす時間を療法に役立てるプログラムを企画し、わたしは当初から森林風致の専門家として、病院を取り囲む雑木林の修景の実践でサポートしてきました。

今はそれをわたしたちのNPOと、当NPOをさらに応援する力強い組織・札幌ウッディーズがこのプログラムにも年1、2回程度、参画してくれいている、というのがおおまかな輪郭です。この動きは、林のように静かに、しかし着実に進んでいます。本来、最も身近な林で、心身の健康のバランスを整えていくというのは、当然の話で、したがって文字通り黙々と続けられている地域活動と言えるかもしれません。

作業はアプローチ南側の一帯で、苫東のウッディーズ(うち女性3名)は、ツル切り除伐のルーチン作業に加えて、今日はフットパスの路作り部隊も結成。刈り払って使い込んだ路の一部に、傾斜地を横断する箇所があり、濡れているときなど滑るのではないかと懸念されていたのです。この懸案を今年は一挙解決。スコップとくわで、見事な路が完成しました。

札幌ウッディーズは、札幌の冬は、その雪の多さで作業もやや停滞するので今日が本格的な山仕事の初日になる人も多く、そこへ平坦な雑木林を扱える、という気安さから、苫東や植苗病院は会員に人気があるとのこと。そのせいで、今回は過去最多の23名になったようです。「腕がなるのよ」とはNさん。札幌ウッディーズには前回の延長でルートを反時計回りに作業ゾーンを延長してもらい、数班を編成して着手。新人も数名いたので、基本的にまず手鋸で着手した模様。中年レデーィスも交代でたくましく鋸を引いていました。

今回は、放置されクサレが始まる直前の丸太をもったいない、と感じた参加者が何人かいて、おすそ分けもしました。薪素材でつながる関係というのも、原子力の是非で揺れ動く昨今の世相を考えても時代にマッチした動きで、薪という再生可能エネルギーを腐らせてCO2を出すというのは愚かなやり方だ、とみんな思っているのです。かといって、みんなが薪ストーブを使える環境でもない。そこでまず使える人を支援するという、NPOの考えも生まれる訳です。

シラカバの早春のしずくをいただく

もうマガンの声も静かになった4月中旬、心地よい疲れが残りました。帰る前、nokoさんを中心にシラカバとイタヤの樹液をとる段取りをして、成果は病院の患者さんに提供。解散後、わたしはkaiさんの後部座席が空いているのを知り、昨年の放置された丸太を薪サイズに玉切りし提供。さらに、病院裏でフキノトウを10ケほど採取。胆振の隠れた名物「ホッキとフキノトウのかき揚げ」のため持ち帰りました。これはおすすめの絶妙なコンビネーションなんです。



試験地に隣接する典型的なカシワ
林も枯れ木やツルを伐り、シェイプ
アップ。南側のカラマツも枝打ち。


試験地の最も南側の列はドロノキ、
その北の列はアカエゾマツ。


ドロノキの被圧されたものは材が
腐れ始めている。植生としては
犠牲林と目される所以だ。早期に
寿命が来る。人工林は特にそうな
のか
かねてから弱度の間伐を繰り
返してきてもやはりドロノキの性質か。


平坦な造林地の間伐は、伐倒方向
の原理的な個人研究に向いている。
傾斜とテンションを勘案し倒す方向と
方法を試す。侮れない。


枝打ちをするとマツ特有のアロマが
一帯に漂う。

柏原試験地を手がける~NPOのミッションは「風土を磨く」ことか~
2012/04/07 sat 2度 くもり
 3名

NPOは大島山林や小屋やフットパスのほかに、柏原の北のはずれに沿道多用途地区というゾーンプロジェクトを掲げていますが、ここはもっともいろいろなことに使える場なのに放置されているところです。

その中心にあるのが、北海道開発局から旧苫東会社が受託した緩衝緑地作りの調査試験地のひとつ「柏原試験地」。35年ほど前、大学を出たばかりのわたしの初の仕事でした。いや、この試験調査のために、北大で当時で研究生としてブラブラ山に登っていたわたしに、就職の話が飛び込んできたのでした。ここの試験調査をきっかけに、頭でっかち、口ばっかしの若造が少しずつ勇払原野の風土を学び感じることになりました。その因縁の深い場所。木を植えれば枯れるという条件の悪い一帯で、10年で高さ10mの林を創るという技術的な基礎はここででき、これらの試験結果を一部参考にして、200ヘクタールあまりの緩衝緑地作りは進められたのでした。

この一帯はまた平坦な畑作跡地であり、できれば市民のための家庭菜園を作りたいという希望も持っていました。当時は結局叶わぬ夢で終わりましたが、200mほど南には、今はなき幻の公園「憩いの広場」があり、国道のエントランスには、職員でコスモス畑を作った経緯があります。

これからは、野生草花を利用した修景のフィールドにしてみたいというのが24年度以降の新たなプラン。試験地はその中心施設なのですが、土地所有者は、ここがつた森山林と並ぶインダストリアル・パークの礎石のようなものだということを感じている人はもういません。放置された造林地の行く末を知る一人として、ある種の義憤でもありましょうか、NPOが守り手の手を上げたのです。
枝打ち後見通せる木立に

ドロノキ、アカエゾマツ、ヤチダモ、バンクスマツ、イタヤカエデ(一部ネグンドカエデ)の5種類の樹木が合計2.4ヘクタールに植えられています。今回はそのうちドロノキの間伐とアカエゾマツの枝打ちに着手。あと5日はかかりそうです。5月になれば、周辺のセイタカアワダチソウなどをどう風景として活かすのか、野生草花の修景調査を本格化します。その許可も所有者から取りました。

あらためて考えてみるに、NPOは、放置された風土を磨いて「見せる」、そういう隠密使命(ミッション)をもっている、いや持たされている?、それは誰に?、、、風土の神様に、柏原の氏神様に、あるいは産土に?。とこういえば、怪しいほら吹きになってきます。

でも、これからの土地の利用は、一般論として、不動産価値にしか関わらない法人にだけ任せる時代は過ぎようとしています。法人は土地をフローでしか見ませんしそこで働く個人も土地への思いいれなど不要と考えます。当然そこにはニーズと供給のちょっとすき間が生まれるので、土地のケアをするから使わせて欲しい、こういうオファーをしていくのが時代の風といえましょう。つまり、土地や森はみんなのもの、という旗を掲げるのです。住む広域の市民と共に利用する、そのために守るべきこと、やるべきことはいっぱいあって、それをコツコツとある約束事の中で動いている、というのがこのNPOだということになるでしょう。
 

昼、遠浅の「そば哲」で打ち合わせを兼ねた昼食をしました折、隣接する田んぼにはどんどんマガンたちとハクチョウが集まってきました。


この賑わい、ざっと2週間近く遅いだろうか。しかし、このあたりは予想以上に春は早いと思う。
雪が多かったので土壌が凍っていないから。




陽だまりは雪が消えかかっている。

腕が鳴る、と獣医のMさん。遠足気分で朝からワクダクだったとか。そ、北国の中高年は、冬、こもりがちなのだ

雪の下の丸太を掘り出し、特大のソリに積んで運ぶ。それがここの藪出し。

荒木さんは風邪をおして。
藪出しに繰り出す
2012/04/01 快晴のち雪 2℃ 10名


昨年は確か3月6日あたりに大勢でやった1回目の藪出し作業が、今年はほぼ1ヶ月遅れで開催。1ヶ月遅れでもまだ早かったような按配だった。1ヶ月。この数字は何を意味するか、すべてのことは推測もできませんが、途轍もなく大雪だったということは間違いないみたいです。少なくても昨年はスノーシューなんかなくても伐採作業をするテンションは保てた。今年はメゲタ。そのくらいの差が「1ヶ月」の意味であります。
 
今年の作業結果の特徴は伐採高が高いこと。いずれ、いい薪材をもうひと玉以上、取れる。(左) 藪出しはこんな共同作業になる。(右)

さて、藪出し作業はその1ヶ月遅れでも難儀しました。集まったのはいつものメンバー5人のほか、町内から5名の計10名。平均年齢は恐らく60歳よりちょっと上か。それでもみなさん、元気でよく働く。昼には、来週もう一度やらねば、と話していたのに、やってみたらほとんど片付いてしまいました。まあ、今季は真冬の作業でも、かなりを先ず割るだけの状態にして運搬とその後を楽にし、揚句、コツコツと道沿いに出してきていたので、藪出しの量も実際は多くなかったという見方もできます。
コーヒータイム。

U先生が用意してくれたお昼のカレーライスはおいしかった。みなさん、お代わりしていた。ほんと、山仕事で大勢でいただくお昼は格別だ。こんな風にしていただけるのは、実はここがコミュニティ・フォレスト、里の林だからである。雪道を、お昼のワンセットをお宅まで取りに行ったのだから。これから先、作業する現場がもっと奥へ入る今年の秋は、アクセスだけでも大変になるけれども、土地所有者は、運材のための道整備に抜根をしてくれることになった。こうすると、道らしい道になってフットパスも縦横に入ることになる。入り口の案内板やサインの取り付けなど、付帯作業も多くなる見込み。



一服して団地を見る

コースサインは今はさびしい
今年の新緑は早いのではないか
2012/03/17 sat 3℃ 曇りのち小雨
 4名

午後から用事があるので、早めに出かけて昼であがろうと大島山林に向かった。午後から雨が降りそうだから、まあ、休めば良さそうなものですが、週末は林に出かけるのが習慣になってしまって、そうしないと生活のリズムがとれない。中毒と道楽の合体したようなものだろうか。しかし、おかげで、小さな悟りを得、こころの健康を獲得し、どんなに救われてていることか。身体の故障とそれは裏腹の関係にある。
 
除伐の材がこんな風に集まってきている。枯れ木も細い枝も拾っている。

先週から、作業は今季の仕上げの段階に入った。広場やフットパス沿道の最も人の動きに近い部分の、見え方を整える修景。張り出していたり、改めて込みすぎが気になったり、ちょっとアドリブ的楽しみの世界ともいえる。先週は、広場から見える風倒木と傾斜木を片付け、今日は広場から林に入った右手の部分を、「これがここの雑木林」と印象付けるような見通しの良い林に代える気遣いをしてみた。inabaさん、hekisuiさん、abeさんがやってきて、今日は4人の作業。

今年の雪解けは遅いが、新緑ははやいのではないか。というのは、雪の下の土が凍っていないのである。思い切り突き刺さった丸太を抜いたら、木口に柔らかい林床の土がくっついてきたのだ。本格的な低温が来る前に雪に覆われ、特に胆振では積雪が50cmを超えると土は凍らない。石狩や道北と同じようなことになるのである。逆に土が凍ると、見た目には雪が消えても地面の下に氷の層を残したままだから、原野は冷蔵庫のような状態になるため、ほんの表層以外は水分収支が遅れて開葉、開花が遅れる。ということは平年の新緑のピークが5月25日だから、20日から23日ころにはあの、心ときめくウグイス色のナラの新緑が見られるかもしれない。
   
コナラの周りのフューチャー間伐。abeさんがハンノキとカラマツの傾斜木を片付ける。ドロノキのシンボルツリーに久々に挨拶。池の氷はあけた。

帰りぎわ、abeさんと立ち話する。abeさんの札幌の現場で、先週、カラマツの丸太におなかをはさまれる事故が起きたという。ほんのちょっと目を離したその隙に、広葉樹の掛かり木が動いてカラマツ丸太が反転したようだった。大きなミスはもちろん、小さなミスも限りなく防いでいくよう、基本と初心を忘れず、経験知を蓄え学び、自らを訓練していくしか方法がない。








oyamaさんのチョコとデコポン

空いてきた枝先

藪出しの成果



地元の方と語る
雪解け進む
2012/03/10 sat
+2度位 5名

あっという間に雪解けが進んで、自宅前の街路にはあの厚い氷がない。遠浅の団地の舗装も乾いていた。
朝一番、わたしは広場の縁(下)の倒木を整理し、草地にせり出した傾斜木数本を片付ける。いよいよ、新しいルートの沿道景観のまとめの修景だ。メンバーの作業ですでに根幹の部分はあらかた片付きつつあるので、雪があるうちにそんな仕上げをしておこうと思う。

林の縁、わたしは大好き

定刻前にanさん、ついでinabaさんと相次ぐ。後にoyamaさんに連れられ、札幌から初めてのkaiさんが顔を出す。薪の生活を札幌ではじめて5年、薪作りの作業をネットで探しているうちに、当NPOにたどりついたと、過日メールがあり、よかったらどうぞ、とお誘いしたものだ。今日は見学兼手伝い。

縁の修景伐採の現場で立ち話し、NPOの作業の概略のさらに概略をざっとお話しただけなのにだらだら冗漫になってしまった。おはずかしい。やや作業後、まもなくお昼になったので、テントの脇のひだまりに座る。食後、oyamaさんが自家製のチョコレートを披露。これがなかなかうまい。わたしは熊本の友人の自慢作デコポンを割って進呈。inabaさんからはパリパリのきゅうりの漬物をいただく。スポーツ医学が専門のkaiさんに、関心のある質問がぼんぼん飛ぶ。


昼のいこい かなりの重労働だ、とkaiさん

帰途、公園入り口の角で3人の地元の方が歓談中だった。山林の地主の一人大島さんと、朝、よく車椅子など使って散歩されるおばあちゃんだ。ここでわたしたちが山仕事しているのをご存知で、春になったら見てみたいとおっしゃる。久々にあった角地のMさんは、時々、丸太かついで持っていく人がいるよ、と教えてくれる。確かにほだ木のサイズがごそっとなくなっているところがある。これは町内会長とも話してみようと思う。
























薪と枝のオブジェもそれぞれ倒れずに
健在。枝のオブジェの存在感は雪を
かぶった今の方があるかもしれない。
帰途、カナディアンの大きいスノー
シューをはいたら、ほとんどぬからない。
林道はやめて林を突っ切る。
カラマツフットパスノ林が美しい。




晴天の山仕事と春祭りの小屋
2012/03/03 sat--3/04 su 快晴 -5℃から+1℃
 5

閏日の2月末日から温かくなった。見た目にも陽射しが強くなったことがわかり、何とな
く荷物のバッグにサングラスを忍ばせたりした。定時、駐車場からinabaさんがソリをひいて出発するところ。わたしは燃料とオイルをミニタンクに補給し、戻る頃に、hekisuiさんが来て久々のあいさつ。団地へ来て7年になるという70歳過ぎほどの男性が散歩に見えて会釈を交わすと、しばし立ち話をしていった。NPOが山仕事をしているのはなんとなく知っていそうだった。
ややしてanさん、oyamaさんが現場で合流。




作業は除伐と藪だし。わたしとoyamaさんが木を伐り、3人は、来週か再来週に予定している藪だし作業のとっかかりに着手。凍りついた丸太を引きずり出して、作業路まで引っ張ってつみなおす。これは実はちょっとつらい作業だ。

昼、hekisuiさんが現場をあとにするので集合写真(左)。まさに写真を撮りたくなるような好天なのである。anさんは2時過ぎに現場を退出。関われる時間帯はかようにまちまちだけど、作業の成果は歴然。このゆるいルールも中高年にはいい。

日は長くなった。これからどんどん雪が解けてあと2週間もすれば地面が見えてくるだろう。

帰りがけに先週の子供たちがやってきた。二人のちびっ子の目が輝いている。先週に続いて2回目のおかあさんも、すっかりなじみになった。草野球をしているこの子らの脇でお茶をできる「北の森カフェⅡ」のテーブルのデザインを考えた。今年は益々忙しくなる。






わたしは散会した後に、沼ノ端で簡単な買い物をして小屋に向かった。春を迎えるささやかなお祝いの時間をもつためだ。林道は誰も使っておらず、雪がたんまり積もっている。最初からそりに荷物を載せて曳かざるを得ない。車上荒らしにあわないようチェンソーなどもそりに積んだので結構重く、雪の状態もサンクラストで、最悪。腰と臀筋が痛み、こっちも耐え難い。15mほど歩いては立ち止まり、その繰り返しで、700mほどの雪道にタップリ30分かかってしまう。

まさにようやくたどり着いた小屋は-4℃だった。薪ストーブに火を点け、ベランダのドラム缶にも焚き火のセットをした。どうしたことか、薪ストーブの熱伝導がものすごく良くて、すぐあったかになった。炎も美しい。ベランダの焚き火も快調だ。そのまま、日がとっぷり沈むまでイスに座ってぼんやりして過ごした。

来るべき春を待つ祭りはいつもこんな風で、足元がぐずる。しかし、そこはかとない春の気配はこの銀世界には押し寄せている。静寂を増幅させるのが、薪のはぜる音と、ロウソクの灯りだ。英国のネット仲間からこんなメッセージをもらったことがある。

「vigil という言葉が英語にあって、お祈りとか、ある意図を持って徹夜するという意味なんですが、この徹夜に、よくロウソクが用いられます。」


これを思い出した。内観の時間なのだろうか。こちらは別に何をするわけでもなく、ありあわせの食べ物でビールとワインを飲んで寝るだけだが、薪の音とろうそくの時間が好ましく思えて仕方がない。食べ物は、できるだけシンプルに。BBQなどはあまりしない。



一人の小屋の夜は寝るのが早い。そして起きるのも早い。薪をくべるために2,3回起きるが、寝覚めがくっきりなのは東側の窓に朝日の気配がやってくるからだろうか。今日も5時過ぎに、目覚めてうちと外で薪を足した。小屋を回ってみて驚いた。昨夜からの小屋の暖房で一挙にツララができたのだ。



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