一灯照隅…万灯照国
NO.66
2011/03/02〜

小さな営みを馬鹿しちゃいけない運動(こんな運動はないけど)
の広報マンみたいになってしまった(笑い)
一灯照隅、この言葉に出会って勇気を得たからでもあるが、
この4字につづく万灯照国を見たとき、
わたしはこれは冥想の波及と同じだと思った

なぜなら、冥想する人がコミュニティの100人に一人の割合でいれば
社会が変わるという説をわたしはむべなるかな、けだし名言、
とみるからだ。その集まりで万灯照国にいたるのである

そうして足を風土にのめりこませ、文字通り根ざすことで、わたしたちは
土地との本当のつながりを得て、こころの安定も獲得する
そう、世間は人と人のつながるネットワークばかりもてはやすが、
土地の主のような神々との縦のつながりをこころのどこかに持たなければ、
それは不安も無限の欲求も解消できず、浮遊するだけだ




懐かしいあの早春風景が又来た

リヤカーにホダ木積む

かなりある
林の産物のほだ木利用
2011/04/30 sat 晴れのち曇り 4名

連休2日目、ほだ木を作る。しいたけ、ナメコ、ヒラタケの3種類を種駒屋に各1000駒づつ注文し、打ち込む日。穴を開け、駒を打ち込み、立て込むまでが今日の作業。

1本のほだ木に25駒を見当に入れるので、大体の計算では40本のほだ木があればさばける計算。午前は3人で、運搬、穴あけ、しいたけの打ち込みを行った。間違いなく単純作業なので、作業者は効率的な自分だけの方法を模索していくのが、この作業の特長だ。
  
左;しいたけの駒、中:駒打つ人、右;道具を散らかした現場

昼はまさに、苫東の「森カフェ」になる。先週は雨で作業が中止だったから、野外の力仕事は久々。飢えてる。とはいえ、60歳前後だから無理もせず、そこはそこ、着実にいくしかない。
 
森カフェで食後のココアの乾杯。右は上空をひっきりなしに着陸に入る飛行機

2時過ぎ、円形いすと階段補修のアドバイスをかねて、木工のプロ「千葉グリーン」の社長が顔を出して、現場打ち合わせ。終了後は、立て込みの応援をしてもらった。南京袋を古木口に乗せ、ムシロを巻いて養生、菌をまわし、6月頃に天地を返す予定。結果、しいたけ44本、ナメコ45本に駒をうち、ヒラタケは次回に持ち越した。4時半、散会。

  
立て込んで、巻いて、上に重し



なかなか、いい時期に行けた。
ラッキー


いざ樽前の源頭へ

カムイミンタラ
ポロト湖、樽前ふもと、錦小沼
2011/04/29 曇り時々晴れ 11℃


連休初日。何も予定を立てていない、気楽な連休。昔なら考えられない行程だ。できればこの休み2回ほどは札幌で仕事をしようと思っているほど。

とはいうものの、雨のぐずついた中、ポロト湖のミズバショウのピークは見ておこうと、家内と二人で出かけた。ポロト湖のミズバショウは、出始めの最も美しい時期に遭遇。随分、シャッターチャンスというかアングルに出会った。アカハラ、アカゲラに出会った。錦小沼ではウグイスの声も聞いたし、ノビタキにもあったから、結構、小鳥の出会いは順調だ。

コミュニティ・レストラン「グランマ」で昼食。大混雑で、山菜定食が出てこない。車の入れ替えで、移動していたら、右前のフェンダーを街灯にぶつけてしまった。かなり大きな修理になる。

樽前の源頭はまだ花盛りにはなっていなかったが、フキの若いのが出ていたので、夜の宴用に採取。ついで錦小沼を一周。ゆのみの湯へ。連休初日は、かつてない地元休暇とあいなった。

 
小沼、一周は1.6km

連休の初日、3箇所の林を歩く至福。無欲の勝利、というカンジ。車の物損事故は厄落しのような印象がある。なぜか、不明。とんとん拍子で来た緊張のバランスが、いったんとぎれたのか。





池と水仙
金太郎の池を歩く
2011/04/24 sun 雨


どうも、週末に天気が崩れるパターン。この状況は、週日は、札幌への通勤とPCと人付き合いの日々からすると、心身の健康のために野良仕事へ出かけねば、の渇望が出てきてつかの間でも、外へというオジサン、オバサンは多い。ここのところのこの天候はそこを封鎖してしまうワケです「。昨日今日は、これ幸いにたくさんの仕事ができたのですが、心身にとってはちょっとキツイ、というカンジになります。

そんなことから、午後、傘をもって、市が管理する金太郎の池へ。一昨年、グリーンサムクラブの閉鎖記念で植えた水仙の育ち具合を見に行くのも目的でした。まずまずですが、霜の被害を受けたものも、健在でした。
   
尾根の道

水仙はこれからでした。それを囲む林を散策しましたが、さすが、公共の林は道がしっかりしていて、子供たちが遊べるようにトリムコースなども完備されている。林が身近に感じ取れる環境は、この町にはできています。それを、ひとつの宝だ、と思えるかどうか。そこに、別の価値尺度が必要かも。


ともかく、インフラは十分という気がします。





わたしが和むのはこんなところ










池のそばから舗装道路を歩く人も
少なくない
研究林を歩く
2011/04/17 sun 晴れ 8℃程度か


昼、駅方面に用事ができたついでに研究林へ。ついでだから、コンビニでおにぎりを買ってウエストバッグに入れました。

わたしのとっての研究林は、演習林と呼ばれていた時代から、学生実習のほかにサラリーマンになって苫小牧に赴任してから、週末は林班図をもとに奥のほうまで庭のように歩いていたおかげで、恐くない場所である。恐くない、ということはリラックスにとってとても大事な要素であり、和みの状態に近づくことのできる媚薬のようなもの。

今日は、樹木園周辺がそろそろ込んでくる頃でもあるので、山の神林道にはいって、独りの散策を楽しんだ。途中、直径が1mを超えるシナノキの大木の根元で、日を浴びながらおにぎりをほおばる。なんというレクリエートだろう。雑然として入る広葉樹林で、風倒木も処理木も交じり合っているその状態も、好ましい許容範囲に入っている。
 
シナノキ(左)と林をみやるわたし

山ノ神の北東側を歩いていたので、林道からそれて山ノ神方向に藪を漕いで行く。いく条かの沢に沿って研究林の路はできているので、その感覚がわかればこの林はある程度ショートカットができる、それがまた心地よい。1時間で、車に戻った。



まず、最初のそれ

次のは点検





もらった発電機を搬入。エンジンが簡単にかかった
雨の落ち枝ツアー
2011/04/16 sat 雨 7℃  3名

苫東遠足9回目は、落ち枝発見ツアー。

天気予報は前日から、前線と低気圧があいついでやってくる不安定なものでしたが、午前はしのげるという感じだったので、前夜は「やります」。今朝は、「やりましょう」、8時には「雨が降ってきました」、すぐあとに本降りになって「中止します」。

なんとも揺れ動く案内を掲示板に出していたのですが、最悪の場合、見ていない人が定刻の9時半に集合している可能性があるので、「わたしは現場に行きます」と書き残して大島山林へ。

予想的中、9時半前に、oyamaさんと、ねまがりさん登場。すわ、雨のなか、傘を差して散策へ。500mあたりで一つ目の落ち枝発見、その後、7,8つ。札幌から参加のねまがりさんは、実物の落ち枝は初めてで、前回の仮説のリベンジもかかる。だから一つ一つを丁寧に観察している。
傘を差して歩く雑木林もいいもの

大島山林一周を10時半頃終えて、雨のなかを小屋へ。薪ストーブを囲んで昼食をとってから、ささみちフットパスへ。ここで小型の3つを発見。小型のそれは不思議さは一緒だけれども、路の真ん中にどーんと構える枝の風格に欠けるから、いまひとつ。
 
池のぞばで細い落ち枝発見(左)、 (右)お昼、薪割りをするoyamaさん

3時前に参会後、長老宅によって、来週のキノコの駒うちのアドバイスを受ける。





まずこんな小さな川沿いに上がる

Cさんが川の中をルートに

こんなコンモリしたナニワズは
かつて知らない


ここのフキノトウは美しい
樽前山の懐の多様な神々
2011/04/10 sun  6℃


安息日の日曜日は、運動不足の身体にとって前日のささやかな作業の疲れを癒すにはちょうどいい感じ。歳だなあ、と感じつつ身を任せる日々だ。そんな経過ルポを作成しているさなか、山の先輩で写真家のCさんから携帯に通信あり。「樽前山ろくの山菜時期は見もの」「案内するから来るべし」とのこと。ここはひとつ、山菜の饗宴前を拝見することにしました。
 
古い切り株とわたし

家内と二人の車で先輩をピックアップし現場へ。そこはわたしも何度か通過しているエリアの中。ただ、違うのは案内されるルートがきれいな小川を路として利用するあたり。フキノトウがまだこれから、という風情できれいに生えています。それから、東北などで通称アイコと呼ばれるイラクサ、それからヨブスマソウなどが見えます。

驚いたのは、終点近くのパワースポット的空間。スケールの大きな源頭です。ヒラバで、訪問者も少ない、ササのない一帯。直径1m以上の枯れ木の根元がいくつか残り、湿地然としたところはシカのヌタ場になっている。身近な、自宅から西の30分圏内にこんな場所があったのは新発見だ。この体験はここをずっとフィールドにしていたCさんのおかげです。感謝。そしてパワースポットに合掌。
源頭の異空間

山菜は姿のきれいなフキノトウ、これは丸ごと天ぷらにするほか残りの大量なものを素材にフキ味噌を。それからイラクサ(アイコ)の新芽は、とりあえず湯がいて、何にでも使えるようにしました。

静かな春の饗宴、真っ只中に突入。

帰途、昔のガーデニング仲間、Iさん夫婦の御宅がすぐ近くだったことを思い出して訪問。丁度ご夫妻は薪作りにせいを出していた最中で、旧交を温めました。

  
(左)籠の中の収穫 (中)樽前に住むIさん夫妻を訪ねて (右)選別していざ調理へ(左はフキ味噌、小ぶりをすぐった右手前は丸ごと天ぷら、右奥はアイコ)



裏の作業現場 互いにタップリ離れて



札幌ウッディーズはアクセスから
左奥へ




3班に分かれていた












植苗病院の森林療法フィールドの保育支援
2011/04/09 sat 晴れ 6℃  18名

  
*「雑木林だより」にご来訪、ありがとうございます。筆者、ただいま、睡魔に襲われ、ダウンしました。
   
 4/10にフルサイズでアップ予定です。m(__)m ←4/9の書き込み
        ↓

と書いて寝てしまいました。さて、昨日の話ですが、植苗病院の保育支援です。森林療法を数年前から病院の治療として先駆的に取り組んでいる瀧澤医師と地域医療を側面から支援する目的で、個人的(雑木林&庭づくり研究室)に応援していたものを、NPO設立前後から、もっと組織的に大勢で支援しているもの。

今回は、当NPOの苫東ウッディーズの面々7人に加え、札幌ウッディーズ11人が応援参加。地元は、病院の裏、札幌ウッディーズはアクセス路南側に分かれて、9時から2時半まで。事前に除間伐用にマーキングしていた緑のテープは、ほぼ終了。今後は、病院の作業療法の一環で、患者さんらにおまかせ。タップリの仕事が確保できました。

余談ですが、お昼休み、札幌の面々を歩くコースに案内した折、病院の裏でフキノトウを見つけたのでポケットに入れ、夜、「ホッキとフキノトウのかき揚げ」を作りました。

    
(左)昼食は駐車場で (中)昼、フットパスで伐採あとの丘へ (右)フットパスを振り返る

病院に取り付けたイタヤカエデの樹液採取装置もボトルが満杯になっているのを契機に取り外し、枝を埋めました。参会後、小屋へ寄り先週外したこちらの装置も撤去して、イタヤの枝を刺して「ツッペ」しました。あとは癒着を待ちます。雑菌が入って腐朽することのないように。
  
(左)折りしも、ナニワズが (中)イタヤの枝を捜し削って刺してから鋸で切る。何事もなかったようになる
 (右)実働する苫東ウッディーズはあと2名いる


折角なので、フットパスを今季初歩き。「お知恵だ」(落ち枝)をいくつか発見。早春のの雑木林は格別。
 
小屋のささみちフットパスを歩いてみる。やっぱりいいなあ、この時期。「お知恵だ」少々




メンバーが集まる前の時間。焚き火
を作りながら。


冥想テラスに小道具を並べておく。









薪ストーブの前で、座学が始まる。



昼、masu獣医師からの差し入れで、
BBQをいただく
チェンソー技術がカバーする世界
2011/04/02 sat 晴れ時々曇り 5℃
   7名

チェンソー講習会3回目を小屋で行った。講師はabeプロ。午前は、チェンソーの構造と取り扱いなど座学と、新しい伐木方法の紹介などで12時半を過ぎた。

午後は実際にチェンソーを用いて伐木。特に今回は、小径木の雑木林間伐にふさわしい安全で確実な方法を研修。特に、伐倒方向を確実にコントロールできる方法を試した。abe講師が繰り返し言うとおり、場面場面に応じて、着実に対応できるメソッドを、各自がいろいろ体得しておく、その必要性が伝わる貴重な研修である。

大事な要点は、受け口の正確な設定である。伐倒の方向はまずこれで決まること。それから、かつて、キックバックを起こすからあまり用いなかった突っ込みを、上手に使いこなすことと、クサビの使用によって展開するコントロール技術、このふたつがポイントだ。
  
左=チェンソーワークの基本から。中=受け口の正確な作り方、右=伝統的な伐倒をまず

新人3人を迎えての講習会だが、tatiさんはお父さんの手ほどきでいろいろ経験があり、課題をそつなくこなす。札幌から参加したnumaさんは、仕事柄いじったことがあり、anさんは数回、NPOの新品STIHLチェンソーを鳴らし運転中。oyama、nokoとわたしの3人は、新人の作業を見守りつつわが振り直す、の構え。
  
中=今日の新伐倒技術。受け口を作ってから追い口側中央から突っ込み、クサビを入れてから左右を切る、右=左右の木立の真ん中をくぐって見事に伐倒

日本のGNPの0.1%にも満たない、産業とは呼べない状態の林業だが、身近な国土の守り手としてもう森林所有者だけの責任とばかりはいえない状態だ。身の回りの環境は、新しい公共のNPOなどが、スキルアップして乗り込んでいく、必要なら、土地の利活用の合意形成に踏み込んで課題解決を図る。環境コモンズはそんな新しい問いかけである。

作業後、暮れなずむ林に囲まれて、くすぶるシラカバの生木の煙をよけながら歓談、5時過ぎ、散会。

これは大事なことだが、NPOが組織としてできることは、ここまでだ。だから、このあと、研鑽を積んで自律的に自己責任で取り組むという確認書をもらって活動することにした。

雑木林の保育の重要な道具であるチェンソーに関しては、組織でカバーできるのはチェンソー技術の入り口(総論としての講習会)までで、あと、スキルアップするのか、上手ではないが安全にいくのか、不幸にも怪我するのかは、本人次第ということになるからだ。したがって、危ない作業には手を出さない、他人に任せるというのも大事な方法ではある。それを残念だと思うか、シメシメと思うか、それは各々が結果をかぶっていく。

こんなことにいつも立ち返るのが講習会であり、日々の作業も実はそうありたいものだ。


今年の雪解けは不思議だ。林道がうんでおらず水が引いている。林床に針金を刺したら、ブスと入っていった。なぜか?落ち枝が刺さりにくくはないか。科学的なテーマとしては、numaさんと話したイタヤカエデの樹液は、何故甘いか、なぜ早春の一時期、水を上げるのか、焚き火談義のテーマにしたい。





abeプロが新人anさんを個人指導。こうして教えてもらえる人はラッキーである。

さらにつっこんで。






イタヤカエデの樹液は満杯だった。昼時、まずみんなでそのまま飲んでから沸かしてココアに。残りはnokoさんがペットボトルに詰めてもって帰った。これで、焼酎の水割りを作るのだと。もう一度、くくりつけた。
ほだ木を用意する
2011/03/26 sat 晴れ 5℃  5名

前夜は、北大の青年寄宿舎の日誌出版の編集会議が教育学部であり、ようやく先が見えるところまで来た。もうすぐ還暦を迎えるわたしが最年少のグループ。会議後、サンドウィッチをつまみにビールを少々、みなさんややアンドの面持ちで歓談。最終電車に飛び乗る。

10時、出掛けにnokoさんから携帯に連絡がくる。もう、焚き火してスタンバイしてるよ〜という。ギョー、今日に限って段取り良すぎる〜。そういえば、ほだ木のサイズなど細かい打ち合わせはしていなかった。急いで現地に向かう。

nokoさんのほか、abeさん、anさん、そしてoyamaさんは昼から合流。ナラと桜を中心に、90cmのほだ木を採る。太い部分は薪に。

わたしは、この春、丸型ベンチを作る予定のコナラの大木を小屋周りのシンボルのひとつとしてヒューチャー間伐をしている。競合する枝が、コナラの大木にちょっかいをだして、お互いの枝が枯れはじめている。これをストップさせるのである。

伐倒技術でちょっと試してみた。今、欧米で義務化されている安全な伐倒方法はつっこみとクサビを用いた方法で、先日の北大の事例報告会でも、傾斜に関わらず思い通りの方角に倒すテクニックが求められているという報告があった。今回わたしは、かねてから目をつけていたハリギリを、傾斜している方向と90度違う方向に伐倒しようというものである。これが見事、成功、ある程度可能であることを確認した。
クサビが絵のように残ったのが嬉しくさせる

nokoさんが丸い一斗缶を持ってきて中を見せてくれた。中には白いペレットが入っているが、ペット用の凝固材だという。女性用のトイレだ。それでは、とかつてマイ・シェフから寄贈してもらったトイレテントを広げてみる。ううむ、微妙だ。来週のチェンソー講習会に女性のM獣医さんが来られるよていであり、nokoさんはそのための準備をしてくれたらしい。さすが。
 
左がトイレテント。固定さえしっかりすれば、使いではありそう
右は成果。随分、抜いてきたつもりなのに、林はこんなに余裕がある。全く、使い切っていないのだ。萌芽する広葉樹林は、これから大切なエネルギー源にしなくては。そして作業は、体力づくりとセラピーに位置づけるのである。


3時にあがり、焚き火を囲み歓談、4時散会。






ケープカフェ。珊瑚の洞窟にある。
そこをくぐってガジュマルの大木
などに出会う。


いくつかの洞窟を抜けると出てくる
異形。森の賢者・大主(ウフシュ)。
「天空の…ラピュタ」の世界。


非常に心地よい
御嶽(うたき)を見に行く
2011/03/22

以前からの予定だったので、こんな時期に不謹慎かなという気持ちもひきずりながら、沖縄の御嶽などを見てきました。なにせはじめての沖縄なので、何でも珍しいのですが、目当ては御嶽。今、手がけているソーシャル・キャピタル関係の原稿のためにも、また、すでに出版済みの『生活見なおし型観光とブランド形成』の延長としても沖縄と御嶽は必見、と決めていましたので、今回はそれが実現する喜びがまさり、しずかに決行させてもらいました。
  
斎場御嶽のサングーイ。若い女性がずっと拝んでいた。この光景は、ナニカに似ている。それは畏友「まつをさん」のホームページにある小屋訪問記の写真だ。かれは、勇払原野に足を踏み入れた途端、腕に鳥肌が立っていた。感じる力がとても強い方が、小屋のあたりに似たようなものを感じたのではないか。

ここでは、斎場御嶽(世界遺産)とガンガラーの谷などを写真をアップするにとどめます。それと、ヒントを得た「森カフェ」。早朝、砂浜で冥想することができたこと、一時間後目を開けると空がきれいなウロコ雲二変わっていたことなども追加。

 
左は森カフェ「やむちん喫茶・シーサー園」のあずまや。これは苫東で日常的に体験している小屋のベランダとそっくり。ただ、植生だけが違う。
右は備瀬のフクギ。デイゴの並木の間に民家がある。並木は日陰を作るエアコンだ。質素、清貧さがにおう生活のにおい。アオサを採っていた地元漁師(わたしと同い年)と話をすると、職場の海が家から2分であり、満員電車に二時間のって通勤する人がうらやましい、と大笑いしていた。

 
冥想から覚めるとこんな風景になっていた。それにしても南国の海の色は人をラテンにさせる。



樹齢2300年とある。根を痛めないようにウッドデッキが参道になっている。町並みに大木が残されているところをみると、台風被害をあまり経験していないのではないか





































oyamaさん、独り

先々週の片付け後の一部









故・大島清さん 

資料と写真を見せてもらった


大震災と山仕事
2011/03/19 sat 晴れ


3月11日の午後2時過ぎに発生した大地震は津波を引き起こし、予想をはるかに超えた大惨事になってしまった。19日現在、死者6000人、行方不明者1万人以上、家を失って避難生活に入った人は26万人。津波は町並みを完全にひと飲みし、壊滅状態にした。そのときに福島原発を直撃して、放射能が漏れるという二次被害を引き起こしている。

わたしは14日から北陸から滋賀県に抜けるヒアリング調査に出かけて、旅先の宿で時折TVを見、スマートフォンでfacebookなどからの情報を追う程度だったせいか、ちょっと浦島太郎のような状態になった。

19日の午前中、ようやくメールの整理と、SNSに出された情報、facebookなどをあらためて見直しながら、ことの全貌をおさらいし、メディアでは知りえなかったいくつかの目の覚める情報も得ることができた。

情報とは別に、日本人の姿勢が海外から注目されている。なぜ日本ではこのような惨事でもパニックにならないか、なぜ外国のような略奪などが発生しないのか、なぜかくも落ち着いた動きができるのか…。

ニューヨークタイムスに村上龍が寄稿した文に世界が注目し涙しているとも聞く。ホテルでのゆれを体験したあとにこう書く。

「…日本人は元来“集団”のルールを信頼し、逆境においては、速やかに協力体制を組織することに優れているといわれてきた。それがいま証明されている。勇猛果敢な復興および救助活動は休みなく続けられ、略奪も起きていない。

しかし集団の目の届かないところでは、我々は自己中心になる。まるで体制に反逆するかのように。そしてそれは実際に起こっている。米やパン、水といった必需品がスーパーの棚から消えた。ガソリンスタンドは枯渇状態だ。品薄状態へのパニックが一時的な買いだめを引き起こしている。集団への忠誠心は試練のときを迎えている。

現時点での最大の不安は福島の原発だ。情報は混乱し、相違している。スリーマイル島の事故より悪い状態だがチェルノブイリよりはましだという説もあれば、放射線ヨードを含んだ風が東京に飛んできているので屋内退避してヨウ素を含む海藻を食べれば放射能の吸収度が抑えられるという説もある。そして、アメリカの友人は西へ逃げろと忠告してきた。

東京を離れる人も多いが、残る人も多い。彼らは「仕事があるから」という。「友達もいるし、ペットもいる」、他にも「チェルノブイリのような壊滅的な状態になっても、福島は東京から170マイルも離れているから大丈夫だ」という人もいる。

私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつもりはない。家族や友人、被災した人々とここに残りたい。残って、彼らを勇気づけたい。彼らが私に勇気をくれているように。

今この時点で、私は新宿のホテルの一室で決心したスタンスを守るつもりでいる。私よりも専門知識の高いソースからの発表、特にインターネットで読んだ科学者や医者、技術者の情報を信じる。彼らの意見や分析はニュースではあまり取り上げられないが、情報は冷静かつ客観的で、正確であり、なによりも信じるに値する。

私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と。

今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。

だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。」 原文www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html

村上の「希望の国のエクソダス」を思い出す。

また、メーリングリストで、長野の知人のHさん(女性)はこう書く。東京で地震を体験して長野を戻り山仕事をしたのだ。(事後了解を得るつもりですが、今はホットなこの文をこっそり転載させてもらいます。ここには小さな悟りがあります。)

> 地震後伊那に戻ってから、わが家は薪仕事にいそしんでいました。冬の間に伐っ
> ておいた木々の出しを夫がするかたわら、私は伐採で大量に発生した枝葉の処理
> をしました。
> 一般の林業現場では、そんな悠長なことはするヒマも時間もないし、そもそも
> 必要性を認識されていないと思うのでされませんが、私は山仕事でとても好きな
> のがこの倒した木の枝葉の処理なのですね。木を倒して、丸太にするときに枝が
> 切り離されますが、そのままだと大変ボリュームがあり、それらが山の中に大挙
> していると、なんとなく「伐り倒された、荒らされた」感が私には残ってしまう
> ところがあります。
>
> そうして、山仕事を教わったときに「腐る、というのは地面に触れているから
> 起きるのですよ。こうやって放置されていると、なかなか枝葉は地面に触れない
> ので長らく腐らずに残るんですね。だから、こうして少しでも枝葉を地面に触れ
> られるようにすると早く土に還ってくれます」と枝葉をナタでこまかくする作業
> を教わったとき、それが私の刷り込みになった感があります。
> 何といっても、一本の木を倒すとー針葉樹はーその木は命が終わるので、幾ば
> くかの心の痛みがあります。もちろん、目的があって伐るわけですが、私のごく
> ごく個人的な指向としては、せめてその伐った木、山に対する何らかの「喪の仕
> 事」としての枝葉処理、というのが実はありました、私にとって。
>
> で、昨日。あちらこちらに山となっている枝葉をナタでスパスパやっていると
> き、ふいに思ったのです。一見まったく無関係の場所で、今回まったく無事で過
> ごしている自分ではあるけれど、木々の喪に託すような気持ちで被災地のことを
> 考えるのは、なんというか、心の安定に良いのですね。ただテレビで無力感に襲
> われる報道を見るよりも、何かできることはないかと心が泡立つしかない気持ち
> になるよりも、これは効くなあと。
> からだを動かすということが、単純に気を紛らわしてくれる作用を持ちますが、
> こういう森の仕事には、つねにどこかしら「喪の仕事」の要素が葉入っているよ
> うに思ったのです。それは、本当の生死というレベルではなくても、たとえば、
> 自分のいやな気持ちとサヨナラするとか、傷ついた言葉、出来事を葬るとか、そ
> ういう日々の心のクリーンナップに、森の仕事はとても向くと以前から思ってい
> たのですが、昨日の私の作業では、今回の震災によってダメージを受けている自
> 分の気持ちが救われていく部分を強く感じたのです。
>
> そういう意味で、今後、森の保全活動が私たち日本人にとても大切な鍵になっ
> てくれることをあらためて強く思いました。


後先になるけれども、3月16日、大島山林のもと所有者である大島清さんが亡くなった。当NPOが大島山林を保育し始めたことを一番喜んでくれた方ではないかと思う。昨年、「わたしも仲間に入れてくれ」と会員になられ、わたしは、秋に2回、大島さんとお会いし昔の山林のことなど古いお話を聞いた。そして、シンボルツリーのドロノキにしめ縄を飾る日、出席を楽しみにしておられたが腰痛で出られないとおっしゃった残念な顔を思い出す。町内会長がいうとおり、遠浅の歴史は大島一族の歴史に重なることをこのとき知った。こころからご冥福をお祈りしたいと思う。

今日は、こんなわけで出かける前に時間がかかってしまい、山仕事はできなかった。とりあえず山に顔を出すとoyamaさんの車があったので現場に行って見た。oyamaさんはひとりでイタヤカエデの風倒木を処理しているところだった。そこで、oyamaさんの郷里の被害や消息の話を伺う。町内会長に挨拶後、先週ぬかった車を押してくれた長老宅へお礼のために訪問。





これはベランダ用。外用がもうひとつ

ランチはざっとこんな風

誰かが半身を食べたキンキ

小屋なう
「春祭り」から「祈り」へ
2011/03/12 sat 曇り 5℃   4名

3月22日午後、三陸沖を震源とした大地震で、津波が発生。死者・行方不明者の数が1000人をこえ、まだ増え続けている。また福島の原発が制御不能になり住民が避難。政府は政局をともかくの課題として、起死回生のパフォーマンスのチャンスと見たかのような指示系統を見せている。

12日はnokoさんが手配してくれたBQグリルの搬入日&試運転=ランチBQの予定だったが、そのような状況で、いかな風土を祝う集いとはいえ「祭り」は不謹慎だと考え、心のなかで「春の祈り」に切り替えた。

搬入車の四駆のハイエースが小屋の直前でハマるというアクシデントもものかわ、無事、搬入を終えBQランチに入った。目玉は、10cmあまりのキンキ。日高産でもちろん尾頭付き。「小さくてもキンキ」であり、あの見覚えのある色と肢体、いや魚体である。味は、箸を深く刺すと内臓の苦味がするという宇宙を体現したような逸品だった。

ドラム缶を半割りしたグリルは、切断した部分に鉄筋を溶接し、ロストルが付いて空気の取り出し口、運搬の取っ手と頑丈なL字鋼の足が付いている優れものであり、いずれはこの上に板材を載せてテーブルにしようと思う。

腹ごなしは小屋へのアクセスの雪かき。oyama、noko、an の苫東ウッディーズが30m除雪。わたしはベランダを掃き清め、ベランダのグリルのオキをストーブに持ち込んで薪ストーブを点火する。試しにわたしのセダンをこの引き込み路に入れてみた。カエデの木に、樹液採取のセットをくくりつけておく。
  
除雪部隊→樹液採取キットの取り付け→実験用ジョイントとプラチューブ

薪ストーブが燃え出してストーブの前でコーヒー、そしてそのまま歓談。こうなると、もう山仕事にはならない。ま、いいではないか、「春の祈りと語り」の日にしよう…。と、4時過ぎまで、のち間もなく散会。
室温は25℃になっていた

わたしは小屋日誌を書くなどしてゆっくりする。5時過ぎ帰ろうとしたときに嫌な予感。雪がさらに腐っている。案の定、5mほど前進したときに左にずれてハマってしまった。スノーヘルパーを出し、車体下の雪を掻き出し、前後へ移動させること数回、汗がにじんできた頃、ついに動かなくなった。思案後、携帯電波の届くところまで林道を南下して(恥をしのんで)長老に携帯でSOSを発信。すでに晩酌を始めていた長老は「高いぞ」と笑い、20分後、ご子息と軽トラックで救援に駆けつけてくれた。

帰途、林道に白い見慣れないものがあった。首のないオオハクチョウで周辺には血が落ちている。送電線に接触して負傷したハクチョウを、キツネが食べ始めているのだろう。周辺にカラスがたむろしている。ここでは、今夜から明日にかけ、色々な動物が、「命の宴」を張るだろう。

なんとなく、現実は、きびしい、と思う一日だった。合掌



ドロノキの前を通って

ソリが良く働いた

町内会長も

ハンノキの赤が鮮やか

昼の憩い
雪のあるうちの藪だしに11人
2011/03/06 sun 曇りのち晴れ
  11名

冬の間に除伐したものがまだ林の中に結構残っている。今日は、町内会のNPOメンバーと、手入れをしてきたメンバー(NPOの苫東ウッディーズ)とで、それらを道端に引きずり出す「藪だし」を実施。雪のあるうちに、文字通り、藪から出してくるのである。

町内会の方から薪のファンを中心に6名、保育側は5名の計11名で、にぎやかな作業になった。先ず、カラマツから、次いでフューチャー間伐の跡地、最後は奥の風倒木。運搬する班と玉切りをする人間に分かれて、まるで馬車馬のような作業になった。
 
あまり喜ばれないカラマツも集めた。頭数が多いと本当にはかどるし、楽しい

昼は、U先生が出来立てのカレーライスと自家製パン、それと紅茶を振舞ってくれて、思いがけないリッチな昼食になった。焚き火はもちろん、座の中心に。にぎやかな昼食だったが、いつのまにか一人二人とまた作業を始めたが、時計はまだ12時半だった。何と言う働き者のオジサン、オバサンだ!
 
焚き火を囲んで。右はU先生のレーズン入りパン。

最高齢は70代後半、若手は30代後半か、そして平均年齢は50代後半か60歳あたりか。ものすごい力仕事を女性5人を含む11人でこなしていくその爽快感、これはやってみた人でないとわからない。今回、藪だしをしておけば連休の頃、トラックで広場に運搬して、薪に切る。これも結構な仕事になる。

 
薪ファンには喜ばれそうな絶好のナラの風倒木。玉切りした後に
チェンソーで半割りにした


焚き火の上空をオジロワシが飛んでいた。往復にもオジロワシの幼鳥を見た。アオサギも渡っている。マガンたちももうウトナイに結集始めた頃だ。




右のバッコヤナギは左のコナラの枝に触れている

このバッコヤナギは伐採のあとの空

ハンノキは元の方は40cmほどの
薪の長さに切った


ハンノキはみるみる赤くなった
フューチャー間伐
2011/03/02 WED 晴れ 1℃
  1名

歯医者や通院などの雑用のため、今年初の年休。それも目途が付いた昼前に山林に赴く。

2/26の講演会で石山さんが紹介していたドイツのフォレスターの「フューチャー間伐」は、実はわたしがナラの大木などを残す際にやっている方法でもある。だからこれには驚き、そして正直、ちょっとうれしかった。大島山林の中に見つけたコナラの大木(幹周り240cm)もいずれはその方法でやろうと決めていたのだけど、週末の藪出し作業にあわせて、今日、昼前からそれに着手した。
 
(左):今、欧州ではクサビを使ったこの伐倒方法でなければやってはいけないらしい。
(右):もう一本のバッコヤナギの芯は腐れていた。そのため、クサビを撃つ前に「ヤリ」を残して倒れた。


フューチャー間伐の立て木を何にするかは、将来メインで収穫するもの、というのが第一である。ここの現場に当てはめると、絶対的なものはないけれども、わたしは、これからの寿命のありそうなもの、ナラやセンノキ、カツラなどであり、バッコヤナギや桜、ハンノキなどは、先がある程度見通せるから、間伐することの方が多くなる。イタヤカエデやヤマモミジは大木にはならないから収穫の主役にはならないが、修景と不定芽発生を防ぐため、できるだけ残している。

今日は、コナラを残すために、枝が触れ合っているヤマハンノキ、バッコヤナギ、形の崩れたミズナラなどを抜いたが、いずれも30cmから50cm弱のものだったから、伐採は慎重に行った。


チェーンが先週に続いて今日も切れた。今朝、田中林業でつないでもらったヤツである。それをすかさずスペアでしのいだ。




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