苫東ウッディーズが始動する
NO.59
2010/01/09〜

代表者との少しばかり古いおつきあいと、拙著『林とこころ』が縁で、
札幌の間伐ボランティア「札幌ウッディーズ」との交流が深まってきた。
昨年、冬、先発隊がお見えになり、新緑の頃、本隊が来られ、
ネット上で親交が深まり、11月にはチェンソーの講習会に協力してもらった。

その後は、U病院の風倒木処理を手伝ってくれ、わたしは河崎会長を訪問する用務もでき、
札幌ウッディーズのこぼれダネとして苫東ウッディーズを立ち上げたいと申し出た。
話は即了解となって、年末に銭函の山荘で行われた忘年会にお邪魔した。

一方、11月から大島山林の手入れを開始したが、この大島山林でも
屈強なプロの助っ人が応援に来てくれ、
面倒でしつこいツルのひと山と、しぶといナラの掛かり木をまず処理してくれた。
さらにそこに町内会の有志らが加わって新しい体制が出来てきた。

こうして、2009年末、NPOと苫東ウッディーズがそろりと始動した
と静かに宣言しておこう。



春が近い証明

ウサギの食痕

カラマツの根元で
雑木林に若い訪問者
2010/02/28 sun 曇りとに晴れ 3℃

堅雪の小屋へ行き、いつものように薪を焚いてから、スキーを出して歩いてみる。不覚だった。ヤマモミジが枯れ始めたことと、イタヤカエデやヤマモミジの野うさぎの食害の関係にやっと気づいた。
@このあたりのヤマモミジの寿命は約60年である 
Aその時期、子孫を作るがユキウサギにかなり食べられる…。
これが今の結論。

11時過ぎにNPO法人ねおすのグループ7人が来訪。コーヒーを飲みながら林の故事来歴とNPOの話をしたあと、スノーシューを使って林に出てみた。ざっと小一時間、雑木林を巡る。

わたしはお別れ後、薪ストーブの前で居眠りをする。


 
スノーシューツアー
スキーのように優劣の差が出ないのもいい、と参加者



車8台+2

会長が大島山林を語る

ツルに絡めとられたヤブをこんな風
に片付けていく


仕事は満載だ
札幌ウッディーズ、町内会長と大島さんにご対面
2010/02/27 sat 快晴 やや風あり 2℃

雨上がりの土曜日は気持ちよく晴れ上がった。家内を職場に送った足でそのまま大島山林へ、9時半に到着。今日は札幌ウッディーズ2回目の支援日。身支度とチェンソーの目立てを終えた頃に、荒木町内会長が顔を出し、札幌ウッディーズの河崎会長ほかご一行13名が到着。やや風があるものの、いい日よりだ。三々五々準備が始まり、石田事務局長の司会で段取りの打ち合わせへ。荒木会長がちょっと歓迎の挨拶、わたしが、場所の説明と管理プラン、作業工程などを若干話して、準備運動のラジオ体操へ。流れるように作業用意が進む。

午前は、札幌ウッディーズのメイン部隊が池の南、わたしと河崎会長を含む5名ほどが北側に入る。正午前に上がると、駐車場に大島さんのおばさんがいる。歓談後、ウッディーズの河崎会長、安部さんらを紹介。昼は今回も「そば哲」へ。入れ違いで、苫東ウッディーズのoyamaさんが手伝いに来てくれた。
 
安部プロは少しずつ着実に玉切りしていく。まず、トド、そしてバッコヤナギ

午後、安部プロに、ツルに絡まれた一群の処理について応援を頼む。ツルの一番元になるナラの木もついに倒すしかないと判断し、それは午前中に済ませた。あとはつるんだまま掛かり木状態のトドマツ大小2本とバッコヤナギ、ヤマグワである。トドマツは2週間前着手してから段々傾いて既に45度くらいになったのだが、もう放置して風任せは危ないと思うようになったのだ。なにせ、かた雪の季節だ、傾斜木の下を誰が歩くかわからない。

安部プロは、やはり細切れに切るしかないのではないかと、トドを裁断。数回切り込んだあと、林業用のウィンチでヤナギを牽引、メリメリバリバリメキメキと、やはり段階的に収束へ。その間、ツルを切り、引っ張り、どんどん、懸案は片付いていく。
 
ヤナギを簡易ウィンチで引き寄せる  右=こんな風に収束

狭い現場ではあまり接近して作業をしない方がいいが、安全を確認しながら下がってきたツルを切っていると、突然、バシッとフェースガードの上からツルがはじけてきた。直径10cm近いコクワにかなりの力が掛かっていたのだ。そこへわたしがチェンソーを入れために、反発してきた。その先が、フェースガード下の口元を襲った。上唇が切れ、出血し、瞬く間に腫れだした。が、前歯が折れなかったのは本当に幸いだった。

3時に上がってミーティング。で、歓談して散会。わたしは大島さんのおばさんが気にしていた、敷地内の倒木や枯損木をちょっと整理してみようと車を止めて作業。結構、放置された倒木や枯れ木がある。これはいずれ、半日かけてやろう。帰宅後、その旨、伝えてもらおうと荒木会長に電話。唇がはれて、股関節が苦しい。



白老の喫茶「休養林」で出会った
素敵なクラフト。胡桃だという


やはり倒れていなかったトドマツたち

春のような陽気をセルフタイマーで
切り取る


あんまり天気がいいので
 2010/02/21 sun 快晴 5℃


昨日は、白老で森林フォーラムに呼んでいただきました。森林と心身の健康をテーマとし、精神科医の瀧澤先生とペアの講演でした。わたしのテーマは林とその手入れから「こころ」に向かうもの、瀧澤先生は反対に医療および精神科医の立場から森林を語りました。会場に、拙著『林とこころ』15冊を持参しましたところ、なんと、完売。会場の雰囲気もとてもよかったし、前後の質問も活発で、名刺がなくなりました。
 
で、今日は、早々に大島山林へ行き、快晴の元で山仕事を始めました。歩くスキーの面々も100m離れた地点に集まり始め、三々五々滑り始めていました。先週やり残した掛かり木は大分大きく傾斜を始めましたが、まだ、上部でツルがしっかりつながっています。もう少し様子を見ねば。

それにしても雪は50cmほどと深く、斜面の作業でとても足場が悪いのです。揚句、別の掛かり木を伐っているときに、丸太が滑ってきて右手首を直撃。打ち身にはならなかったのですが、丁度お昼どきになり、そしてこの陽気なので、ちょっと息詰まって足場の悪い作業の「現場」を切り上げて、小屋に行くことにしました。気分転換です。
 
ううむ、パワースポットみたいだ   木立群
 
沢スジのカラマツに行って見る。良く見ると直径は70cmほどある。苫東で1番か2番だ。宮川さんも林を眺める。

恵庭の宮川さんがススノーシューはいてやってきたので、小屋に誘い二人で薪ストーブを焚きながらまず昼食。すかさず、二人で林の散策にでました。春の陽射しなので、雪がスキーのシールにくっついて歩きにくいことこの上ないのですが、そこは快晴の日和に免じて、平気な顔していつもは通らないルートを歩いてきました。マイナス6度だった室温はプラス10度になっていました。



駐車スペースから小屋へ

浅井慎平氏がFMで、人間は
焚き火の炎や川や森に自分を
投影するのだ、といっていた。
なるほど、感情移入するから
飽きないのか
困ったストーブ
2010/02/14 SUN 晴れのち曇り マイナス1度


小屋の前の駐車スペースをもっと広げておく必要を覚えて、午後一番に出かける。雑木林の入り口になにやら数名の人がいる。良く見ると女性らしき人が一脚の上にライフルを構えている。小屋までの間にジープが数台。今年は、シカ猟は3月末までというから、雪の少ない苫東にどっときたのか。こちらは銃弾があたらないかと怖い話しだ。

家のママさんダンプもどきも持ってきたので、静かにゆっくりと2台分の駐車スペースを確保すべく除雪を始める。その前に、薪ストーブをセット。室温はマイナス9℃だった。薪は順調に燃えた。30分ほどで戻ってみると、何だ、マイナス4℃。温かい下着とフリースの2枚だけのいでたちで別に寒くはないが、長時間いれば、冷える。スキーに行く気にもなれない。やや薪を足したのだが、次の用事である長老宅へ打ち合わせに。

その打ち合わせも終わって、帰路、やはりもう一度小屋に寄った。小一時間で16度になっていた。それからさらに小一時間、やっと18℃になった。マイナス約10℃から20℃手前まで約2時間半がかかることになる。いやはや、参った。ルンペンの方がずっと早かったような気がする。
   

  ストーブの扉を開きっぱなしにして直の輻射熱も
   キープしておくのがこのストーブのコツ





田園から日高のポロシリ岳

雑木林の入り口

小屋の入り口部分を除雪する

これから山廻りに

小屋は今こんなたたずまい
つららが融け始める
2010/02/13 sat 0℃

 
つららが融け始めた ミズキの繭玉もうるわし

9:30 長老宅を訪ねてから、ねおすのueda&tashiro 両氏と4人で落ち合い、10:00には二人を小屋似案内。ちょっとした打ち合わせ後、二人を見送ってからわたしはスキーを履いてフットパスを巡る。じっとしてはいられない好天だったのです。屋根からのツララも融け始めて、まるで張るの到来を予感させるような陽射しでした。
大島山林に行くときにサラブレッドを見る

昼前、遠浅に移動し、12:30頃から山仕事に入る。チェンソーの目立てを終わる頃、ちょうど、苫東ウッディーズのoyamaさんが和製スノーシューで林を廻って戻ってきた。さっそく手伝ってもらう。池の右手を先週から手がけているのだけど、先週はつるのヤブ、今日はトドマツなどの掛かり木に挑戦。直径40cっもあるトドマツとバッコヤナギがもうひとつ隣のナラと絡んで、根元は切って傾き始めているのだが倒伏に至らず。困ったことに、このまま倒れれば、塀を壊す可能性がでてきた。やばい。

 
こんな混戦模様を紐解く oyamaさんの応援を求めていいところまで行ったが
無念に終わった



三々五々、身支度

橇にドシドシ積み込見始める

2班は池に下りてくる

2班の高川さん、風倒木の
ボサを片付ける


主として2班の集合写真中央は
河崎会長
札幌から森づくりの応援団 〜ウッディーズ親子合同U〜
2010/02/07 sun 晴れ 0℃


札幌ウッディーズ(=親、苫東はその子供)の面々が冬の山仕事(除伐など)の応援に来てくれる。「さすが苫小牧方面は雪がない!山仕事の天国だ!」と言ってもらいたくて少しうずうずしていたのだけど、世の中、うまくいかないもので、昨日からタップリ降ってしまった。わたしの家のあたりは15cmだったが、安平町遠浅(とあさ)は40cm近くあった。ガーン、これではイイフリできない!札幌とそんなに変わらないのではないか。

午前10時、アイリス団地にも道路で地吹雪が起きるような微妙な雲行きの時刻に、札幌ウッディーズの9名がおいでになった。このうち河崎会長はじめ6人は初めてなので、改めてこの山林のおかれた位置、経緯をお話し、作業の段取り、除伐のイメージをお伝えした。そのあと、各々、車からチェンソーやら橇やら、思い思いの道具をだして現場に入った。

作業は二つに分かれた。ひとつは、池の北側の広場の周り。夏になると、うっとおしさを通り越してオドロドロシサも感じさせる一角。その原因は、混んだ林がかもし出す気味の悪さだったのではないかと思うのである。これはナントカしたい、というのは数年来の懸案だった。わたしを含む第1班5人はそこに張り付いた。もう一班は安部さん、高川さんら5人、午後は苫東ウッディーズの稲葉nokoさんが加わった。河崎会長に伺うと、ウッディーズの除伐の選木基準はわたしとほとんど一緒だということで、「いつもどおり」とあいなった。

昼は、近くの「そば哲」へ。10人、どっとメインテーブルを占領。食後のコーヒーをいただくと、なにか、山仕事のお昼にしては、ちょっと、いやかなり贅沢な食事だなあ、という気がしてくる。
 
むこうはそば哲の「おおもり」。手前は、「もり」に野菜天をプラス。

午後も3時前には上がるべく、黙々と仕事へ。帰り際、わたしたちの車が除雪の邪魔になっている、と渡井さんが教えに来てくれた。これは大変、と一目散に戻って、迷惑しただろう町内会のMさんにも謝ってJR遠浅駅へ避難?し、解散。参加者が多いとき、雪が積もった日は、駐車は団地の外側、特に家庭菜園側に縦列駐車にしなくては、と反省。

あいにくの雪深さは残念だったが、次回にはもう収まっているはず。札幌からでは移動に時間をとられてしまうから作業にはそんなに振り向けられなくなるが、それでもさすがの進みようだ。かって小屋周辺で一人や二人でやっていた頃に比べれば、雲泥の差だ。札幌方面とは植生も違うし、なにより、笹がない。この平坦な雑木林に何かと興味も持っていただいたようなのはうれしい。

………………

結構、風が吹いていた。この同じ時間帯に所用で外にいて日中の冷たさを知っていた家内は、「お父さんたちは、本物のバカなんだね、この寒いのに」と笑う。わたしもただ「うん、そう」と笑って応えただけ。自分だって冬山では指など凍傷になっているから、バカさ加減はよおくわかっての話し。今日も充実した山仕事だった。それもなにかが始まる「第一歩」、という感じの。



わたしよりちょっと早くついた
安部さん。既に始めていた


少しずつ、こつこつ

陽射しは春のよう

林道に集めた材。見るとほとんど
枯れたトドマツ。

31日の作業成果と「森林美学
2010/01/30 mon 晴れ 0℃

林の隣のアイリス団地。路いいかっこ面がところどころ見える

先週も書いたことだけど、昨年11月に森林所有者の許可を得てから今日まで、わたしと安部さんとほか4人の手伝いをすべて数えてみたら、今日で31人工になる。1人工はこの際は一人丸一日ではなく、せいぜい実働5時間程度だが、それにしてもこの数にびっくりした。いつのまにか人と日々が重なっている。安部さんがしばしば来てくれるのはもちろん大きいし、時折見える助っ人も4人工ある。

もっとも驚くのはこの31人工で仕上げた成果のほうだ。着手前の倒木や枯損、ツルのからまりなどをしっかり目にした人ならば、この変わりように絶句するだろう。その絶句させるものがあるとすれば、それが、作業するものを魅了するものソノモノだと考えてよいと思う。

昨夜はNPOの初回の理事会があり遅くなったので、今日土曜日の山の出勤は10時過ぎとなった。安部さんは札幌方面から既に到着し作業に入っていた。

午後2時ころ、北海道新聞のT記者が来られ写真撮影。31日の日曜版にかなり大きな扱いでNPO苫東環境コモンズの「ひと」の部分が紹介される。原稿に目を通させてもらったが、「森林美学」という言葉をしっかり使ってくれていた。そう、わたしはこれを実験し、美しい林を実現するために林の手入れにずっと関わっているのだった。

おもえば、随分、時間が流れている。10年前は、わたしが美しい林を創りたい、と気持ちを述べると、ある研究者は、「美しい林などはどうでもよく、多様な動物のすめる環境こそ優先だ」と言い、大勢はそれに与していたようだった。わたしは、それは違う、という声を呑んで、そのまま、ずっと呑んだままにしていた。しかし、実践だけはしようと誓ってそのとおりしてきたことになる。そしてそれを黙々と続けているうちに実に多くのことに気づき学ぶことになった。。
近いうちに手がけることになる大荒れの場所

そしてはるか昔、学生だった頃の終盤、卒業論文のテーマに選んでそのために山々の日々を捧げた「森林美学」という不思議なジャンル。昨年から、もう一度積極的に言葉にするようにした。しっかりした手ごたえが感じられるようになってきたからである。そうしてわたしのこの頃の結論は、「林と情緒でつきあうこと」である。



遠浅自治会長もスキーを履いて。
しばし歓談


わたしのチェンソーが不覚にも
掛かり木に捕られた。40mほど
隣にいたTさんに応援を頼む。
こういう便利さはさすがだ


こんな風倒木を黙々と片付けて
いく
合同ウッディーズの山仕事
2010/01/24 sun 晴れ 3℃


歩くスキー同好会が雑木林へ

9時半過ぎに大島山林に着くと、なにやら歩くスキーのグループの方々が三々五々やってきた。その数約十名あまり。ざっと拝見すると平均年齢は70歳半ばくらい。ひととおり挨拶をかわしたのち、思い思いのいでたちで林に入っていった。

さて山仕事は、札幌ウッディーズがいつもの安部さんに、川さんと那須川さんが参加、苫小牧側はわたしのほかに小山さんが加入。なんだか、札幌、苫小牧の両ウッディーズが合同の山仕事みたいになった。夕方は、恵庭から宮川さんが入って、帰り際は総勢6名が氷の路上で歓談とあいなった。

…朝は、まず初めてこられたお二人に、大島山林の簡単なあらましと今季進めたい山仕事のエリアを案内。戻って身支度をしたのは11時過ぎになった。仕事はさすがにどんどん進む。3台のチェンソーのごう音もたくましい。小山さんは少し離れたところでトングを使って丸太の搬出をせっせと。12時半から「そば哲」で昼食、無料コーヒーまでしっかりいただいて、さらに午後の部へ。そして3時にあがる。のびのび山仕事が出来て楽しい、とは初参加のサポーターはおっしゃる。こうして毎回毎回、春が楽しみになる。札幌ウッディーズは再来週、本隊がやってくる予定。


ちなみに稼働日をメモすると、安部さんはすでに12月は計6日、 1月は今日入れて計7日の合計13日、わたしは、11月が29、12月が6,13,19、20,28,30,1月が9,16,24日の合計10日。風景は確かに改善されているが、フルタイムではないとはいえ、稼動日数を数えて、さすがに驚く。
この労力の総和は大変なものだ。何が嬉しくてやってんだろう、と普通はみえるだろう(爆 ここに横たわる達成感は、森林美学の実践と言える。
作業を終えて駐車場で



左がわたし、右は新しい着手エリア

トトドマツの傾斜木か

今日抜き伐りしたあとの空



シールを貼っていざ

スキーは楽だが股関節がきしむ

スキーの先に小動物の足跡
薪の暖を背に受けると眠くなる
2010/01/16 sat −4℃ 小屋内-11℃

大島山林の手入れをするようになってから、小屋でゆっくりしていない。ということは、満足に薪ストーブをかまっていないということだ。よし、と数日前に週末は薪ストーブで融けてみようと決めた。

とは言っても、まずは大島山林に顔を出して、先週のやりかけをちょっとだけ片付ける。おや、林道の向かい側の針葉樹林の除伐が進んでいる。ウッディーズのAさんだろうか。池に向かって正面と右側をわたしが、駐車場周りと左側をAさんにお願いして、林道が合流するあたりで落ち合うつもりだが、左側があらかた終えたようだ。来週、図面をメールで送って、今後のカバーエリアを打ち合わせよう。

遠浅のローソンで「どん兵衛」とおにぎりを買い、備えてある熱湯を注いでカウンターで少し遅い昼食。売り場を背中にしたカウンターだから、ちょっとしたパブか軽食屋のようなカンジになる。しかし、感激は、特にない。味気もますますない。

小屋の室内の気温ははマイナス11度。まずカラマツの枝などを用意して薪ストーブを点火。次に、2階にある山スキー(HEADの板にジルブレッタの金具)に派手なピンクのシールをはった(画像)。雪は30cmほど積もったがヤブはまだ埋もれていないから、林は、まだ、かなり雑然と見える。スキーで滑り出していくと、ストライドが股関節を刺激する。とても痛い。(追:夜はきしんだ)

小屋の周りやフットパスの周辺には、いろいろな動物の足跡がある。オコジョらしいもの、最も多いウサギ、キツネ、そして集団の鹿。アライグマらしい糞も。


一巡りして帰ったときには室温はまだマイナス2度だった。これはいただけないので、火種を動かしてゴー音をならさせルようにした。小一時間でさらに10℃まであがった。背中にぬくもりの波動を感じていると、次第に眠くなってきた。効くなあ、と独り言。だるさに似たリラックス感覚がある。コーヒーなどに汚れた拙著『林とこころ』を手にすると、あさっての北大での講義のヒントになることが幾つか見つかる。ちょっと見直した。明日はそのヒントを加えてパワーポイントを編集しよう。そのだるさを感じつつ、小屋の日誌をちょっと書く。
  
 ストーブの薪はよく燃えるが、さすが中国製、ちっとも暖かくならない。
 
日の入りは実に早い

3時過ぎに、太陽は雑木林に沈もうとしている。本来ならゴールデンアワーだ。



雑木林いりぐちはで結構な出入りを
知る


薪が待っているような…
林道通行可能
2010/01/11 mon くもり


金曜日、NPOと土地の所有者との打ち合わせに育林コンペのレポートを持参しようと、小屋に置いていた成果品をとりに行きました。予想に反して、林道は空いており、かつ、小屋日誌には、小山さんが3日と、宮川さんが年末2日と昨日に来訪されているのを知りました。

宮川さんは、苫東のフットパスの地図を作成してくれており、しっかりとした画像の「ささみちフットパス」の地図が入ったCDが日誌とともにおいてありました。感謝。

 
                                           左上=コンペの冊子、右=小屋日誌
下は宮川さんのCD




生きる壁
2010/01/10 sun はれ


今、日曜の朝、自宅でコーヒーを飲んでいたのですが、昨日みた、絶望の梢をメモしておきたくなりました。

森づくり、というと、地球にいいことをする典型みたいな印象をもたれますが、実はきつい、危険、汚い、俗に言う3kの見本のようなものです。でも、混んだ木を抜き切りしたり、ブッシュカッターで雑草を刈ったりするような、社会ではまずどうでもいいような作業、いわば瑣事をこなすということに、実はとても幸福感があり、昨日はその幸福感がとても強い日だったことは日記に書いたとおりです。こんなことが幸せなら、世の中には、不幸な人などいない、ということになります(爆

その山仕事で、写真のようなものをみつけました。山仕事では良く見かけるものです。

これは大きなトドマツの枝の下であえいでいた、やや小さなトドマツの梢のさきっぽです。上へ真っ直ぐ伸びようとする芽が、隣のトドマツの大木の枝に触れて枯れ、翌年、また別の2番手が伸びて枯れ、3番手、4番手、、、10番手あたりまで挑戦しては枯れてきた、つまり、行く手の壁に阻まれて生きるのを断念した形跡が見えるのです。

こうなると、樹木はこの梢をすて、光の当たる下の枝に希望を託していきます。それも困難なら…、これはしばしば伐ってみてわかるのですが、自ら枯れていきます。

この現象に、人間の希望と絶望と死を重ね合わせて暗喩を読み込んだこともありましたが、今は「よしよし、ご苦労さん」と伐ってあげるだけ。林全体の再生に発想を転換します。この輪廻転生を目の当たりに見ることに、森羅万象との一体感とか安堵というのが潜んでいるのかもしれません。が、やはり良くわかりません。



いい日より。積雪25cm

ついこんなポーズも

丸太を引き出すYさん

作業後の集積の一部
山仕事の幸せ
2010/01/09 sat 晴れ 0℃


年が明けて初めての山仕事は、風のないいい滑り出しだった。「いい」というのは天候だけではなくて、なんかこう、幸福感に包まれたような、という意味。

木の育ちぶり、邪魔の度合い、枝先がどれほど触れて伸びが止まっていないかなどを、瞬時で判断してチェンソーを差込み、枝と丸太を裁断して、道まで運ぶ、というただただ単純な仕事が、これまでの人生でやらせてもらったさまざまな仕事と遜色ない、あるいはそれ以上の手ごたえを感じる。そういう意味の幸福。それを今日は久々に再認識した。

これは除伐などの林の手入れだけでなく、林道や小屋の前の雑草の刈り払いも然り。えもいわれぬ至福の時間だと思うし、これも草を刈るという実に単純な作業であって、世の中の何に役立つのだ、と聞かれれば、特になんと言うことのない、言ってみれば何の役にも立っていない瑣事である。

しかし、である。その、今、というせつな刹那に集中している自分という時間、そのものが尊い、と感じるのである。きっとそれぞれでどんなことでもありうるのだろうけれど、瑣事中の瑣事、草取り、抜き切りにわたしは特に瞠目するのである。密かに白状すれば、こういうことを感じている人は何人かいらっしゃる。しかし、言っても詮無いことである。だから、本当に知っている人にしか、普通はこの話をしない。


幸せだった理由は実はもうひとつあって、昼前に、山の先輩のYさんが来られて、大島山林近くの、評判のイタリアレストランに連れて行ってもらいご馳走になったのである。揚句、陽が斜めになるまで、わたしが玉切りした丸太を、道端まで運んでもらった。おかげで、どんどん片付いて、またまた春の新緑が楽しみになった。








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