口笛を吹く5月
NO.49
2008/05/03〜


春眠、暁を覚え…ないほどもう眠れない。
耳をすますと、夜の声、朝のさえずり、あっちったり
こっちいったり、動きは多々。
眠っているのも惜しいほど、春のサインは多く、
めまぐるしく移ろう…。

しかし、必死に追いかけたりはもうしない。
首を左右に動かすだけだ。(苦い爆




厚真の畑で。メークイーンや麦、
そして水田


笹が伸びて、古い笹を追い
越した。林床が緑に


刈った道。汗でレンズが曇っ
ている


入り口は入念に

ホオ葉を3枚

ホオノキの葉っぱで押し寿司をつくる  6月28日(土) 曇り 19℃  

ややゆっくり目に起きて、上厚真の農協で混合油ヲ18リットル購入。午前は小屋周りと林道の雑草を刈り払い。アオジとイカルの声が聞こえる。蚊が全く居ない。このところダニとも出会わない。 

午後、花の苗を買いまししてからハンギングバスケット作り。この山仕事と庭仕事の両方の「せねばならない」という重圧、なかなか重たい一日を今日ようやくクリアできた。2週間ほどあちこちで買い付けた苗をほぼハンギングとコンテナにセットした。あとはまた普通のケア、もうルンルン青天井の気分だ。どうせいつもどおり完成するのだから、もっと落ち着いて取り組めないものかと毎年反省する。田植えを終えた農家の気分はこんなものか。 

で、昼頃、ブッシュカッターを担いで小屋に戻るときに、手の届く位置にあったホオノキの葉っぱを3枚頂戴した。ホオ葉寿司を作るため。ホオ葉味噌は高山の名物であり自分で作ったこともあるが、これは初めて。

数年前、この雑木林を訪問された八戸のTANAKAさんの「柿の葉寿司」に触発されたものだ。対面販売の魚屋さんにいくと、ちょうど八戸産の「とろしめ鯖」というのがあり、庭仕事が片付いてから早速それで夕方挑戦。15分で出来た。それを3時間後試食。残りは日曜のお昼の予定。


かなり強く重石をのせた

@タッパウェアにホオ葉を十文字に敷く。
Aそこに酢飯をタップリ。
Bサイズにあわせしめ鯖を。
Cホオ葉を折って上から包む。
Dタッパのサイズに新聞をおって中ブタに。
D重石を載せる(ペットボトルで代用)


以上、超いい加減なホオ葉寿司ですが、なんと、めちゃめちゃにうまい。しかし、ホオノキの香りは試食事は不明。ただ気分がゴージャスであります。山菜が終わった今日この頃、こういう食の楽しみ方があることに、我ながら感激。



6月末の小屋周辺

これが原口さんの労作

もう葉がない

しゃくやくが咲く  6月21日(土)曇り 23度

原口さんが来訪し、ミニ野草園を手入れされたようだ。懐かしい字体のコメントが小屋のノートに書かれていた。「ヤマシャクヤク」は広場のふちに移植してくれたものだが、その脇には今週もコケイランが凛々しく咲いている。日陰を好む花々は、殺風景な林縁に移され、誇らしげに咲いている。フットパスや林道をぶらぶら歩いてみると、コケイランはかなり目に付く。黄色というか、金色のような花がまぶしく光るからだ。ササバギンランはもう花を閉じて実になろうとしていた。

 結構な暑さだ。ツツドリ、イカルが鳴いている。わたしは今週山仕事は休みで、べランドの椅子に座って日曜日の勉強会の資料を再読して、小屋ノートをちょっと書いたのみ。そうこうしていると眠くなってきたので、けだるさに身を任せてまどろんだ。深い緑の中でウツラウツラするのは快感だ。

 色々な仕事を一緒に進めているためか、原稿の締め切りや出来具合が気になる。できるのだろうか。いつもこのような不安は付きまとうのだが、結局は取り越し苦労で、何とか間に合う。そこが安心の源でいわば歳の功ともいえる。とにかく、「今」に集中しよう。実はこのような役割をいくつかこなしていけることには感謝せずにおれないのだ。仕事なのか道楽なのかわからない奉仕みたいなジャンルが、実に肥やしになっている。人の輪もどんどん大きく太い繋がりに育っている。楽しく働かせてもらう「悦働」という言葉がよく合う。感謝、合掌。 

山形のさくらんぼを長老に届けたらお礼に毛がにをもらった。ラッキー。








ベランダから見る林

作業後にしたためる小屋ノート


ササバギンラン

駆け抜ける春    6月15日(日) 曇り 23℃

車から降り立つと、おお、春ゼミの合唱である。先週には残っていた新緑のなごりはほぼきれいに失せて、夏のモードに移って来た。早いものだ。春は駆け抜けていこうとしている。

先週の「カラマツ・フットパス」の刈り残しを片付け、「奥の笹道」も結局刈りこんだ。ササバギンランとコケイランが見ごろだった。アオバトとツツドリの声が聞こえていた。

ベランダで佇んでいると、飛んできたのはカラスアゲハだった。生き物たちの環境対応、生き物たちとの共存。凝縮された季節のひとこまの中にも、それが感じられる。

作業を終えて小屋を去ろうとする頃、Sさんのファミリーがやってきてしばし歓談。夕方は、カナディアンカヌーを譲り受けてくれたMさんファミリーが家に来て、歓談。4歳の少年が家内の水泳教室の生徒とかで、二人は妙になれなれしく話している。少年の屈託のない笑顔がいい。



陽光を浴びるホオノキ
コケイランの群生



雨にぬれる雑木林

いでたち。小石と草のつゆが
飛ぶ


間伐が効いた枝先光景

もう始まった蚊の猛攻  6月7日(土) 17℃ 曇り時々雨 

車から降りると意外なことにやぶ蚊の集団が襲ってきた。大振りで、たちまち額の辺りが痒い。まいった。先週、新緑になったばかりだと思っていたのに、昨日とおとといの雨で蚊が大発生してしまったかもしれない。去年はこの時期に全く雨がなかったために、天皇の植樹会も「蚊知らず」だった。このギャップ。

一方、フットパスには笹が出始めた。柔らかい時期に刈っておくのが当然と、早速ブッシュカッターをだした。エンジン始動は一発で始まった。これは初めてでないだろうか。いつもは点火プラグがカブリ気味になって一仕事だったのだ。燃料のスロットルも閉じてスタートして、それからバルブをあけたりすると良いようだ。これはラクチン。

快適に刈り進むと、急にコケイランが3本現れたのだが、振り子のように左右に振る作業の惰性で、回避できなかった。3本のコケイランはその後、小径に顔を出さなかった。無念なり。

そうして刈り込んでいるうちに、フットパスにおびただしいゴミの散乱が見えた。よく見ると、数年前のトビの巣が強風で落ちてきたようだ。驚いたことに、巣の素材としてもっとも貢献しているのは「軍手」であった、テープやビニールの切れ端に混じって7,8個が出てきたのである。先日の大風で昔の巣が落ちてきたのだと思うが、思い切り「ゴミ」だった。一帯がケガレチに変わってしまった。


幹に切り取られた風景(左)と新緑の中の焚き火

小屋では蚊対策としてベランダで焚き火をしながら遅い昼食をとった。案の定、眠くなって30分ほどベランダの椅子上で昼寝した。土日の休日がなかった先週は、さすがに疲れが残った。


新緑のパワフル・シャワーを浴びる 5月31日(土)9℃ 曇り、風強し

春が早い、などと言っていたのに下が降りたりで新緑のピークはいつもと同じ5月下旬。
それも先週からずっと低温で開葉は足踏み。おかげで今週も新緑のパワフル・シャワー
を満喫。緑にぬれてないか、と思えるほど。深呼吸をたくさん、随所で。

コースはまず大好きな柏原から。そして、静川の小屋へ。







里山らしい風景だ

人の手のはいった小川

生態的混播法 省力化のために
砂利を入れている


栗山寺にて

ハサンベツ見学からI先生宅へ 5月24日(土)くもり 20℃

一度顔を出しておきたいと思っていた栗山町のハサンベツという自然再生の取り組み地を一人で視察してみた。もう10年以上も前から町民のボランティアが中心になって、里山保全のような活動をしてきたと聞いている。沢筋の細長い土地で真ん中を小川が流れていた。わらぶき小屋を手入れしながら残しているようで、作業中の方々や休んでいるヒトの表情をみて、ああ、ここはみんながやってくるそんな場なんだということがほのぼのと伝わってくる。

自然再生の難しさは、実は復元させることよりも、放置して自然のサクセッションに任せた場合と一体どこがどう違うのかを見せることではないだろうか。そこが極めて差異を見出しにくいために、往々にして看板をたて、意味をでかでかと明示する。あるいは境界を作ってみる。そこにあるのは、日本や北海道の自然復元力だ。自然が行こうとする方向を、捻じ曲げてみせることにわたしはもうあまり魅力を感じなくなっているが、その意味では実験の一つといえる。また人が出入りしないと風景が成立しない。得にならない。手入れをやめると意味がなくなることと根が一緒だ。

栗山公園で新四国88ケ所のお地蔵さんをみた。表情豊かで感銘が深い。信仰の厚い方々がよくお見えになっているという感じが伝わってくる。仏教も仏像も良く知らないわたしだが、観音様のきりりとしたお顔は、ありがたいものに見える。

 おもわず微笑んでしまう

安平のI先生を、連絡もなくまったく久々に訪れたところ、先生はちょうど半そでのポロシャツで庭仕事をされていた。実生のコナラなどを移植しピンクのテープを付けた造林地は、にぎやかな自然復元地だった。お庭はきれいに刈り込まれた芝地にチューリップがまぶしかった。晩霜でつつじなどがかなりやられていた。居間で色々な話題に花が咲いた。森作りにおける合意形成はどうあるべきか、ドイツの都市林のこと、U病院の森と取り組み、苫東の緑地のことなど、示唆に富む話に合づちを打ちっぱなしだった。高い視点で自然や森をみる、というその姿勢と洞察力にはいつもながら感嘆してしまう。


新緑とチューリップ。居間の窓から縁取られた写真を撮り忘れた





































早来の牧場に車を止める



小屋の周りもうっすらと

樹林気功をして山菜コシブラを頂く 517日(土)快晴、雷、18

掲示板に下記の日記を掲載。

関係するネットワークが主催する樹林気功のレッスンが、
平岡公園(札幌)で。それで平日のように起きて、駅のドトールで
コーヒーを飲んでから、早々に公園へ。遠来のわたしが一番早い!

展望台からウグイス色の山。フットパスはとても気持ちよい

素敵な新緑で、展望台、水辺で、気功をする前に、もう気が満ちて
きます。開葉して数日なのに、もう、小さな毛虫が手すりや頭に落ち
てきます。すでに蚕のように食べられているはずです。
逆光で見る新緑

350haの森と、長いフットパスがある緑のそばに住んでいる方は
幸せです。ほんと、うらやましいなあ。
あいにく水は濁っている

講師・小山内さんの樹林気功、今回もたっぷりのスワイショウから
波動功へ。わたしは裸足になり、途中、特大の雷鳴が鳴り響く中での
弛緩。人生、気が滞っているものです。日々、入念にほぐしている
わたしでもこんな状態。
ほとんどは女性でした

あ、発見しました。結構、雷はキモチがいいものですね。
裸足の地面、緑、空の雲、雷鳴のつながり…。」

昼過ぎ、小樽に行っていた家内と札幌駅で落ち合って遠浅樹林地へ。スドキを探しに行ったのだがまだちょっと早いようだ。10cmにも満たない状態だから、みつけるのもちょっと難しい。その代わり、林の入り口にあったコゴミを大分頂くことになった。

わたしはこの緑が好きだ

その足で今度は小屋の雑木林に直行して、コシアブラを頂くことにした。コシアブラをとるのは初めての家内は、「これは、素人にはわからないよね」「そうかもね」などといいながら、一本の木から少しずつ頂戴した。山菜の採取のタイミングとしては、スドキ、コシアブラとも数日早いような気がしたが、コシアブラなどは、早い採取のほうが負荷が少ないのではないか、などと勝手に納得してみた。もう一度開葉するのも見たことがあるから。

好きな林道もこうなった。右はスドキ。下は、コシアブラ。

時間との勝負のようにして、新緑の林を駆け巡った。夜は天ぷら、サラダ、おひたし、酢の物と、山菜づくしになった。 八戸のTさんに聞いたスドキの新しい食べ方を試した。1分湯がいて水を切り団扇で扇いで冷まし塩をふるもの。驚き、今まで一昼夜水にさらしていたのが、瞬く間に食することが出来る。さすがちょっとエグミが残る。




春の定点観測

低温のせいか先週から咲き誇る小屋の前のサクラ

ヤッホーと叫びたくなる病院前のチューリップ

間伐によって生まれる新しい空

尾根から眺める隣のくぼ地


今年の間伐は終わり  5月10日(土)快晴 15℃

春の波状攻撃、ハシリはハッタリだったようで、このところはいつもの気候になった。連休前後でもストーブによる室内加温は、まあ、妥当なところ。そのナガレで言えば、山仕事はもう終わり!と告げた前言は撤回できて、今朝は、もう一度フィニッシュの作業が出来る、と、これはうれしい決断でした。

しかしまず、苫東の小屋に。コシアブラの芽の出方によっては山菜取りを先にせねば、という思いからですが、これはセーフ。よかったあ。小屋の前のパイロット・コシアブラはまだまだ団子状態。あと1週間は間違いない。そこで、作業用のイアマフだけをもって植苗へと向かった。というのも、ヘルメットタイプでなく、「帽子と別立てのイアマフ」にすると頭の汗のかき方が断然違うからだ。その代わり、頭上に落ちる枝などには細心の気配りが必要になってくる。

植苗では、残っていた風倒木数本とフットパス沿いの枯れ木などをほぼ完全に整理を終了することが出来た。なんともキモチの良い頃合のエンド。作業半ばに、このフットパスを最も楽しんでくれている男性が散策にこられ、ポケットからキャラメルを頂いた。明るい前向きな療養生活がうかがえるから、もう退院も近いのではないか。

作業を終えてから、パワースポットを経由して南側ルートをたどってみた。保育園のあたりがちょっとルート不明なるも、かねて「林分」としても最も価値が高いと指摘した病院前のあたりがとてもいい。係の作業の方が刈り払ってくれたようだ。これはなにか、プロジェクトの大きな収穫ではないか。歩く人が歩くことで実現してしまうフットパス。それをサポートするスタッフ。いい循環がここにも見える。


早春のグループワークスポット


チェンソーを持って戻る帰途、
山菜「タラノメ」をこれだけ頂く











風景は一見晩秋のまま


小屋のたたずまい


持ち込んだ飲み物と本


歓迎表札オブジェの枝を追加


ただただ眺める


ろうそくはパーティだ


朝方の空

小鳥たちとシェアする  53() ウス曇 16

 

午後、病院裏手の風倒木などを片付けて、残すところあと4,5本になったところでガス
欠になった。気温が高いのでいつもよりひどい汗だくで、ヘルメットの中などはごてごて
。いよいよだ。病院の潅木も芽吹き始めが多く、なんとなく緑がかってきた。新緑の直前
であり、パターンどおりコブシとサクラが先手をかけて咲いている。病院の花壇のチュー
リップが咲く頃、ちょうどウグイス色の新緑となるはず。

 

夕刻、堆肥をすきこむ作業を横目で見ながら遠浅経由で小屋へ。ひとり、小屋に泊まる。
この小屋は、夕方のまずめ時がいいように思う。日没までの時間が長くやさしい。色の変
化のグラデーションもいい。六時前、フットパスを歩く。ヒメイチゲがたった一輪咲いて
いた。小径をいじったりしている間に、休眠していたタネが発芽したのだとすれば、シー
ドバンク確認の第一歩かも。アズキナとオオウバユリが出始めだ。シカが掘ったような跡
が随所にあるが、ウバユリの根だろうか。

 

焚き火を見ながら、ビールと赤ワインを少々いただく。ボーッとただただ、焚き火をみて
いる。炎からは熱エネルギーだけでなく、「気」ももらっているような気分になる。薪ス
トーブも焚いてろうそく数本の明かりになる。もう眠くなってシュラフの上に眠る。

 

寒くて夜中に目を覚ましたとき、またシュラフに入って寝ようとするわたしを、夜の帳が
声をかける。「夜、目覚めるのはいいことだ。小屋は寝るためにもあるが、起きて夜を感
じるためにもある」。なるほどね、とトイレにたって、赤ワインを一口、口に含んでまた
寝た。

 

4時過ぎ。惰眠はやめよ、という内からの諌めの声に窓を開けると、ちょうどアオジが
さえずっていた。恐らくオオルリだろうと思われる上手な歌も聞こえる。気温は
9度。車
のトランクからヨガマットをとりだして冥想テラスに広げた。年に何回もできない屋外の
ヨガと冥想のひと時だ。小鳥たちの声は、センダイムシクイ、ウグイス、イカル、シジュ
ウカラ、ゴジュウカラ、キジバトと数を増し、そこにアカゲラのドラミングが加わった。
惰眠はやめて大正解だった。

 

シュシュシュシュ、と例の鳥寄せをすると3羽のシジュウカラがやってきた。せわしなく
、枝を飛びながらわたしとの距離を縮めている。

鳥「なんか、用かい」「なにしてんのさ」

人「別に用はないんだけど、そばで顔見たくて」

鳥「こっちは忙しいんだよなあ。兎に角、餌を食べまくって卵産まなきゃ」

人「あ、ごめん、ごめん」

とまあ、こんな感じで威嚇されて謝った。

 

小鳥たちの声は、シャワーである。体にしみてくるようだ。そこでゆっくり深い呼吸を
続けていると、この風土をこの小鳥たちともともに共有、共用している、という実感が
じんじんとわいてくる。マガン・ヒシクイの大編隊を眺めるときのシェア感覚とはまた
一味違うものだ。アカガエルの合唱を弁天沼の岸辺のエコトーンで聞いたときとちょっ
と似ている。

 

六時過ぎ、小屋を出て白老に向かった。途中、エゾシカ6頭、川ではヤマセミとカワセ
ミに出会った。大型の黒いカモが足元から
2羽飛び立った。空はアオサギが随分と飛ん
でいる。生き物が活性化する春のまっただなか。


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