つまりは小屋の周りを清めている?

NO.38

2006/07/01〜 きれいだなと思う方向に林を手入れし 小屋の周りや小径の草を刈り 林道の落ち枝などを絶えず拾う ベランダの泥や落ち葉を掃く なんだか清めているような感じ 要するに、人は自然にイヤシロチに向かおうとするのだろうか





いざ、小径へ。その前にベランダを掃く

強烈な光がカラマツの林に射し込む

ああ、いいな。アズキナシの葉。
この下に木陰ができる

全然話題と違うけど、このところ
大事にしているぬか漬け。
ベルギーのビール「シーメイ」とともに頂く
新たな冥想を学ぶ              8月26日(土)快晴 28℃

わたしの冥想は繰り返し本で学んでいるうちに体得したものだから、本格的なものではな
いと自分では考えつつも、どうもある程度のところにはたどり着いた感じはしている。今
朝、すがすがしいベランダでパジャマ姿のままヨガのストレッチをした。この海辺の町の
風土に包まれた感覚を楽しみながら一日が始まるのは素晴らしい。伸びすぎた庭のハーブ
を若干刈り込んでから雑木林にやってきた。

小屋では今日特に作業がない。フットパスの草も小屋周りもまあ、我慢できる。だからベ
ランダで昨日から読み始めた天外伺朗(てんげしろう)の冥想の本を読む。天外はソニー
のワークステーションやロボットのアイボを手がけた企業マンながら精神世界にも精通す
る変り種。呼吸、イメージ、マントラの冥想を紹介しているその本で、わたしはまた新し
い冥想の方法に注目した。

が、それはわたしがかつて試みたことのある方法だった。気の体の7つのつぼ(チャクラ)
を上の百会(ひゃくえ)から順にイメージして言って会陰(えいん)までいく方法。これ
を順次イメージしていくと体に何かが充満することを覚え、時々実践していたのだ。誰に
学んだのかもわからない。天外の方法はそのあと、光のボールを地球の中心に届くのをイ
メージしそれをグランディングというのだと教えてくれる。なるほど、これは大地に根ざ
すつながり感覚が生まれる。早速やってみたのだが、深い冥想に入るのがわかる。

冥想の方法論は具体的にこまごま書かれるから難しそうだが、実際はわたしのような初歩
的なものであればさほどではない。真摯に実践してみればいいのだ。自分の中の良心とか
真我(ハイヤーセルフ)に出会って、自分らしい人生の輪郭を見つけていくために、冥想
ほど助けになるものを知らない。現代社会の事件の元になる病理の根源や悩みや不安も、
この冥想と、関連する呼吸で、どれほど改善されていくか計り知れない。そのきっかけに、
気持ちのいい自然、とりわけ、身近な林がとても役立つ。静かに木々と語り合う気持ちが
あればその出会いは意外と身近に転がっている。

小屋は時折、獣の、恐らくはキタキツネの小便のにおいがぷんとにおってくる。林には今、
気持ちの良いそよ風が吹いている。遅い昼ごはんの前に、小道を一回りしてみた。











koya

mizunara no houga
今日は何もしないで                      8月20日(日)晴れ 32℃

何もしないつもりで小屋に来た。猛暑だが、窓をあけたら風が通り過ぎて涼しい。時折、
アブや蝶が入ってくるがうまく出口を見つけてでていく。

ベランダで本を読む。深く沈んでいくような思索のひと時。ああ、この時間をもっとたく
さん持たなければ気持ちは乾いてしまうのだ。

これからフットパスを歩いてみよう。
sasa no umi



ranbu

miti

iba husai

sukina miti
ウラヤマニスト               8月12日(土) くもり 28度

林道に入る前の原野は、先週からアラゲハンゴンソウが満開で待ち構えている。道の両側
で咲き誇ってくれるのはちょっとうれしい気分だ。20年ほど前からここに出始めた帰化
植物。小屋は酷暑の中、よく刈り払われたオオバコなどの緑を前にすまして建っている。
まずベランダを掃く。すぐ、ブッシュカッターに混合油を入れて先週刈り残した道へ出か
ける。終わってからは小屋の周りとそのアクセスを刈る。

哲学者・内山節さんの「農の営みから」(農文協)を読んでいる。仲間と大きなプロジェクト
に取り組むというより、ひとりだけの静かな手仕事を選ぶようになったわたしは、ここの
雑木林という定点でものを考え、苫小牧という地方都市を離れないで発想することにこだ
わってきたのだけど、群馬の上野村で月の何日かを過ごす内山さんは、地域にこだわるこ
とへの理由を明確に指摘しており膝をたたく思いだった。

ここでつかんだ、ここにしか応用できない森づくりや野菜作りのマニュアルなんて、グロ
ーバル化の時代にまったく役に立たないものとしてみられ、一段低いものとしてみなされ
てきた。普遍的な真理がありそうで豊富な情報が行きかう都会へ、だから若者たちは目を
向け大人の多くもそれを認め自らも都会から離れようとしなくなった。

しかし、手仕事によって、1対1の倍率で伝わってくると力の反応は、わたしの知る限り
活字情報や概念から伝わってくるものと質量が違う。魂への響き方もまるで異なっている
と思う。わたしが近年、どうしても風土とか土地の魂とか、産土(うぶすな)という言葉
でしか表現することが出来なかったことがらも、内山さんの解きほぐし方に少し近いもの
があるかもしれない。

定点に生きる。若いころから、高い山を目指すアルピニストより、身近な裏山的な場でく
つろぎや日常性にあこがれたわたしは、自らを「ウラヤマニスト」と呼ぶことにしていた。
この言葉を最初に使ったのは、雑誌「岳人」の表紙などを書いていた辻まことだが、辻ま
ことの発するオーラも実はウラヤマニストのそれであった。山の声、木々の声が聞こえる、
そんな自我と背中合わせにいるのがウラヤマニストだから、今の時代、ほとんど省みられ
ない世界かもしれない。だから、という訳でもないが、わたしは世間から孤立し、反面、
深く満たされることになるのだ。

こう書いた後、ごろりと横になってしばしの午睡。2時近く、旭川から若いIさん夫妻が顔
を見せて夕方5時までベランダで歓談したり、フットパスを歩いたり。Iさんはこれから
が楽しみな家具職人で、アトリエを胆振に持ちたいと考えている。なんとか、応援したい
と思う。



子供達が選んだ記念撮影地。
お化けの出そうな傾いた小屋。



ヘビにもシカにもクワガタにも
会えなかった。
ササの葉、暑さで丸まる                 8月5日(土)快晴 32度

雨が少なく昨日も今日も暑い。昼ころ、ブッシュカッターでササ道を刈っていくと、日当
たりの良い場所のササの葉っぱが丸まっている。蒸散を避けているのだろうか。木々の葉
の照り返しがきつく、明暗がモザイクになっている。晴れた日の夏の林の典型的な光景に
なった。霧や雨の林がいとおしい。一巡りする前に燃料が切れて戻ってきたらもう2時だ
った。

昨日は苫東の親子ツアーの自然環境部分の講師を頼まれ、職場の許可を得て、夕方までお
相手した。自らをはっきり表現しておいた方がいいと考え、「苫東 自然・風土の語り部」
と書いた。土地は人々の開拓のあとがまだ濃厚で風土の原型が生きている、履歴がしっか
り見える、土地の神「産土」を念頭において開発を進めてほしい…、という意味をこめた
かったが、これはうまく発信できなかったかもしれない。

また、木や花や鳥の名前をいちいち教えたりするのはやめた。自然ツアーはそれをやるも
のと思われており、知るは楽しみであるけれど、時間を有効に使うことからいえば、「自然
保護より風土保全」「自然との付き合いの入り口を考える」「林や樹木がこころとからだに
大事だという昨今の研究」などについてさっと伝えるほうがずっと意味があると考えた。

だから、2kmの林道を一周するつたもり前後に、山林の歴史と、樹木や林のセラピーの
話をした。さらに「こころメーター」を使って散策前後のアミラーゼを測定したが、これ
はかなり人気があった。ストレスがある、という数値が出ると「やっぱりねえ」と嬉しそ
うなのが面白い。人に何かを伝えるのは元来容易でないが、産業観光ツアーで小学校2年
生から40歳台のお母さんを相手に、各々の関心の方向を斟酌しつつ話をするのはますま
す難しかった。ただ、関心のある子供、親は、ことごとにわたしのところにやってきて話
したから、それで十分だと思う。みんなが博物学的な関心があるわけでもないのだ。独り
よがりのインタープリテーションにならないようにするのは困難だけど、独自の領域を開
拓せねば…。



見通せるササの林


ただ削ったものたち

この二つが特にお気に入り
獣臭ただよう             7月29日(土)雨のちくもり 21℃

車を降りてベランダに立つとどこかから獣のにおいがする。ヒグマが来ているのだろうか、
まずそのことが頭に浮かぶ。クマスプレーと携帯、大鎌をもち声を出しながらフットパス
を見回りに行く。ササの丈が低く、100m以上先まで見通しが効くから出会い頭の心配
はない。クマスプレーは安心用だ。このところの高温でハツタケの仲間がいくつか出てき
た。オオルリ、アカハラの声がする。ゴジューカラの群れとも遭遇、ホーミーに反応して、
樹幹を逆さに降りてくるのがいた。

間伐の時に枝を記念にとっておき、クラフトのように削るのが好きだから、今年は小さく
採取月日と樹種を書くことにした。今はコシアブラを数本いじり始めているが、どうもナ
ラやアオダモの重たい重厚さの方にに好感が持てる。持ち重みというやつ。シナノキやホ
ウノキは手でクラフトのように遊ぶ材としては軽すぎるような気がする。イタヤはナラに
近いがちょっと軽い。ナラは撫でているとあめ色になってくるのもうれしい。

ストレスを唾液のアミラーゼで測る器具を購入したので、自宅とここの林で試した。結果
は相関、脈絡がなし。林を歩いた後が、今日最もストレス度が高かった。ガクッ。これは
今までのデータとも違うし、方向性がみえない。所詮、おもちゃなのか。唾液中のアミラ
ーゼが興奮時の交感神経の活性度合いに呼応するという科学的事実を利用するようだが、
どうも信頼性があるのか、という気がしてきた。もともと非医療器具であるが、活用策を
再考したい。ヒグマが来ているかも知れない、という読みが深層心理でわたしをこわばら
せていた可能性はもちろんある。こころは安定しているのに、身体はやや興奮している可
能性もある。







右手にエゾシカ。道は刈り払われ
クッションが効いて歩きやすい


直径90cmの枯れ木。ナラだろう。
昔、ここのナラはオーク材として
1m以上の高さで伐られたと、
森林組合に聴いた


一周のあと、山ノ神に参った。棚が
ゴミだらけになっていたのを、わたしの
帽子で掃いた
つたもり山林は、ここの風土の原点だ   7月22日(土) くもり 21℃

8月4日に市民の親子見学会の自然ガイドを頼まれてその下見に「つたもり山林」の林道
を歩いた。相変わらずフットパスと呼ぶにふさわしい趣きだ。風倒被害のあとがまだ生々
しいが、木々がしげり、わたしが管理にかかわっていたころの骨格はほぼ残っている。造
林地や間伐やサインや、試験地の施設などが、少しずつ形を変えて存続している。大きく
変ってしまったのはハスカップの移植地と全国植樹会の用地だ。植栽地の従来の植生や経
過を知るものとしては苦い味がする。プロジェクトの構造的な妥協策にも見える。

ただ、わたしが今日の用地の経営に関わる方々と多少異なった経験があるとすれば、わた
したちの年代には、苫東と呼ぶまえの柏原や静川や上厚真の元の地権者との付き合いがか
ろうじて残っており、風土の原形を見ていることだ。無念の思いで土地を手放した方々と
も何回か会って心のうちを聞いたりした。だから、土地の魂とか氏神さまをあとからやっ
てきた開発者が代々どのように遇しているか、ということにわたしは強い関心がある。後
天的な地の利にまかせ、土地を切り盛りし付加価値をつけて分譲するという行為は、風土
感覚を持ちつつ行われているだろうか、と。

勇払原野という風土をまるごと抱えたような台地・苫東。そこに関わる方々が、旅人のよ
うに通り過ぎるビジネスマンにならないよう願うばかりだ。草創期のあるトップは正月現
地に来る際には、毎年必ず樽前山神社を参拝しそのことをいつも挨拶でわたしたちに告
げたのをふと思い出した。こうしてみると、つたもり山林のこれからの役割は大きいかも
しれない。ここだけは変わらないし、変わりようがないからだ。不動の原点、座標軸にな
る。ハスカップも台風被害も全国植樹会もここへ押し寄せる大小の波のひとつだ。

鷹の羽を一本広い、シカが笹の中から走って逃げ、珍しいアリスイという鳥を見つけた。
くねった林道で快適な風景をカメラにおさめた。しいたけ小屋の周りのオオウバユリは今
年もきれいにというか無惨にというか、全面刈り払われていた。植生のデザインには、ス
トーリー性とデザイナーがいる。わたしのころに十全だったとはいわないが、風土の潜在
性を活かしながら、現場をデザインすること、そのときに、かぼそき「産土(うぶすな)
の声」を聞きながらいくということは、地域開発では今こそ欠かせないと思うのだ。ひょ
っとするとそこには地域間競争を勝ち抜くための独自性と鍵が潜んでいそうだから。

今日も身体が力仕事を喜んだ。小屋周りは3回目、そして今季初めて、林道の入り口から
のアプローチ数百mを刈り込んだ。



ササの絨毯


小屋のあたりは12年前の間伐地
ということになる
サインのペンキを書き替える               7月16日(日)くもり 22℃

昨日の馬鹿暑さとうってかわり肌寒いほどだ。舗装の公道から小屋まで数本の案内サイン
があるが白いペンキがはげかかっているので、思い立って書き直す。ついでに保育した年
を表示した同種の板のサインも書き直した。もう10数年前のものだ。

この作業を終えてからフットパスを歩く。ササがきれいに生えそろい、じゅうたんのよう
だ。まほろばの分岐から小屋に戻ろうとすると、トビよりやや小さいワシタカが何かを足
につかんで樹幹を飛んできた。ワシタカ特有の鋭い目と、縞々の模様が見えた。オオタカ
だろうか。20年ほど前の冬、林内の狸の死体を食していたオジロワシを見つけたときも
、ワシは逃げ場を失いこちらに向かって飛んできたことがある。そのときもワシの目が見
えた。

フットパスと書いていいのか迷ったが


お地蔵さん。何回か手を合わせる

オードブルのひとつ

窓から斜め前の温泉街
登別温泉の癒しの散策コース  7月14日(金) 晴れ 27℃

登別温泉に林の散策コースを案内するサービスが生まれたという情報に感心を寄せていた
ところ、運良く、プレ銀婚式としていく機会(自作自演、詳細略)を得た。で、家内と二
人でいくつかのコースを歩いた。あまり考えたこともなかったが、火山のない国の人にと
って、爆裂火口や噴煙やカルデラははっきり言って非日常性の異風景かもしれない。地獄
であるかもしれない。いやいや、外人だけでない。あるいは地球の内臓を見ているような、
自分でも妙な錯覚に陥る。

明治時代の開湯だから歴史も古く、最も長く古い散策コースには札所のようにお地蔵さん
がたくさん祀られており、まるで信州にでも行った様だった。20分あまりの短いコースだ
が、先人のコース作りのインフラは大変だっただろうと思う。

泊まったオーベルジュはジャグジーやサウナのない、静かに源泉だけが沸いて出る温泉だ
った。部屋は豪華なしつらえではないが窓越しは緑の斜面を独り占めできる額縁のような
、風景を独り占めできるもので緑鑑賞者としては大いに感激した。洗練された女性スタッ
フにサーブされた洋風の料理もひとしおだった。プロデュースしたシェフに以前仕事でお
世話になったと語ったのだが、翌朝の朝食の折、そのNシェフからと小さなお菓子の土産
ををもらった。

林と温泉と食が一体となった保養地スタイルが始まった。人のサーブはそこに思い出を織
り込む大切な要素だと思った。そこにフットパスがある。
朝のおかゆ。皿の縁の薬味を入れて



ササが生えそろって美しい

ただただ包まれて歩く霧の日

掃き清められたベランダ
付近にヒグマがでたようだ            7月8日(土)くもり 18℃

どんよりとした曇りで雲が重たく感じる。雲だけでなく、夏の緑そのものも雰囲気を暗く
するような茂りよう。梅雨のようにうっとおしい。そう思って林道を小一時間北へ歩いて
みた。小屋へ戻ってからさらにフットパスに入ってみた。やはりこの林は、緑にとっぷり
包まれることに特徴がある。緑の中に溶け込んだような気分になることは幾人かから聞い
た。それもしばしば一人であれば、不安、畏れとともにちょっぴり一体感が生まれるのだ。
自然と自分が一体である、自然を包括する法則のようなものの中で生かされているという
実感。これは何者より力強い幸福のはず。この道のりを実践で観取するのは簡単でない。
蚊の襲来が始まって頭、顔、手はぼこぼこにさされている。痒い。おかげで集中が出来な
い。冥想テラスに座ったら、ほどなく右手の中指の柔らかいところを刺された。猛烈に痒
くて、座るのをやめた。

今朝小屋に向かう車の中で、ラジオはちょうど禅宗の坊さんのインタビューだった。個人
などと自己主張をいわないで、自分と自然がどこか一体であいまいながら分けがたい感覚
を日本人は生まれながら持ち合わせており、それこそ、今最も大切な感覚だ、といってい
た。梅原猛が昨今仏教という宗教を掲げて唱えていることと同じである。この謙虚な姿勢
は共生とつながっている。ただ、その感覚の背景に日本人のDNAがあるのかというのは
、よくわからない。なんとなく、かね備わっているのに眠っている部分だ、という感じは
するが、これは確証がない。少なくとも自分はそうだったとは言える。そうあってほしい
、そうすれば日本は変る、と思うこともある。

今日もベランダをほうきで掃いた。そうして小屋周りと林道の一部を刈り払った。室温
16度、外は18度だった。

(帰宅後、長老から電話があって、近くにヒグマが出ているという)



うっそうだ!

ここだけ開いている

これで当分はいい…

遅い昼食を。デザートは郷里の
サクランボ
27度の猛暑に薪を割る    7月1日(土)快晴 無風

週末だからゆっくり寝ようなどという魂胆をもつと、休日は後追いで進んでしまう。一方、
土曜休日の日はいつもどおりの早朝に起きれば一日がたっぷり有効に使える。今日はまさ
にタップリ型で、9時過ぎには小屋にいた。おきっぱなしにしていた焚き火用半割りドラ
ム缶を片付けてベランダと階段をほうきで丁寧に掃いた。不思議にも、そのあたりが清め
られたと感じる。路地にイスを出して緑のシャワーを浴びると、なにか産土(うぶすな)
に包まれ対話するな環境が整う。ちょうど小屋と広場の上空だけが空があいて何かと交信
しているかのようだ。鳥と虫の声に混じり、千歳空港に着陸するジェット機が真上を通過
している。

薪を割ってしまおう。薪割りは、割った瞬間、脳にずしりと圧力がかかるが、割れないと
きはもっとひどい。血管が破裂するのではないかと錯覚するほどだが、無傷だった。2時
間ほどで、素性のいい薪はすべて割ったことになる。この冬は、薪を作らず使いきろう。
小屋に戻ると薄暗く快適な涼しさ。窓につけてある外気の温度計は27度だ。これはすご
い。室温21度。

フットパスを歩いていくと、キバシリとかキクイタダキに似たとても小さなムシクイの仲
間がわたしの頭上でフィーフィーとせわしなく鳴く。ホーミーで応えるとわたしの周りを
3周も4周もしながら、まるでわたしの手に乗りそうな気配である。センダイムシクイも
そばで鳴き始め、ヒヨドリもやってきた。これはいよいよホーミーのおかげかとうれしく
なった。が、何とおろかな推測か。巣づくり、子育てのそばを歩いたのだ。少し50mほ
ど歩いてきてやはりついてきた後、さっと消えた。あっ、とそのとき初めて気づいた。あ
れは警戒の声だった、そういえば。慢心である。

マチはドクガが発生しているが雑木林には毛虫が見えない。今日は蚊も寄ってこない。冥
想テラスでしばしヨガ・アーサナを味わい冥想する。



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