2005/01/08〜
雑木林を外へ伝える 2月26,27日 晴れワークショップの旭山から見下ろす札幌のマチ。 風邪はまだ進行中、微熱がありのどが痛む。気管支もいらいらする。そんな体調ながら、 今週は2件の頼まれ仕事をこなした。 26日の土曜の夕方は道庁赤レンガで道内の林業グループの方々の集まりで「林とここ ろ、もうひとつの恵み」と題して癒し系の話をした。27日は森づくりネットワークの車座 トークのパネリストとして参加。午前のワークショップから懇親会まで焼く10時間だっ た。旭山のワークショップは天候に恵まれ快適な眺めと空気を満喫、トークもまずまず。 熱心に耳を傾けてくれた方々の表情がうれしかった。
何も感じない日もある 2月19日(土)曇りのち大荒れ![]()
家から1km南にいくとこんな太平洋が待っている。これはほんものの自然。人工の護岸だが、さすが海。 先週は小さな糸井神社に行ってみた。人の感性をどこか超越したものを感じ取れる。 先週の作業後から風邪をひいてのどと気管支などの痛みに悩んだ。軽い熱やけだるさも同 居した。あの日、とても乾燥した小屋で転寝したのがまずかったと反省。風邪は大分良く なってはきたが味覚がまったくない。出掛けに海に寄ったがここでは感動がない。雑木林 では新調した靴で平木沼まで歩くスキーででかけたが、ここも気もそぞろである。林も風 景も語りかけない。鳥の声は耳に入らなかった。風邪の体調はこんな風に心身の感性をす べてブロックしてしまう。その流れに身を任せるしかない。
スキーで出かけた平木沼は氷上のコースになっていた。
アオダモの造林地に出向く 2月12日(土) 晴れ マイナス8度 ひょんなことからアオダモ造林にかかわることになった。そう、あのバット材である。ど こかで誰かがキャンペーンしているせいで、巨人軍の松井選手が苫小牧で植樹などしてい る。そのアオダモの造林の歴史は浅いが、わが苫東のヤチダモの造林地の中にこのアオダ モがかなり混じっているとの長老からの情報を得て、今朝は間伐の前に現場を見ることに した。長老に案内された場所は、わたしの記憶では昭和59年ころの造林地だから20年生程 度。直径が15cmほどあるのもある。![]()
これがアオダモ。二又、三叉が多いが、それでもヤチダモの単木より 太い。2列ずつに植えたヤチダモ造林地では、ひときわ白く、枝振り のいいのがアオダモだから見つけやすい。 癒合して根元が25cmになっているのもある。ヤチダモ10本に1本程度の割合で混在して ヤチダモよりずっと太い。海岸から1.5kmの湿潤な地帯で,生長はとてもいい。教科書の記 述とは大分違う。これは北大農学部の矢島教授を驚かせるのは間違いない。教授はアオダ モ関係の造林を推進する会の座長だが、20年前の造林地は皆無であり、10cm以上の太さを もつとすれば調査に値すると言っていた。大変貴重な記録になる。
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除雪された林道はルンルン。ぬかる心配がない。新聞とカラマツの枝で太い薪に すぐ火がつく。
今週、苫東のTさんが長老の頼みで除雪をしてくれた。小屋の前まできれいな仕上がり でなんなく行けた。アオダモの道草をしたので、ストーブに火をつけてすぐ間伐現場に戻 る。小屋は外気より寒くマイナス10℃だった。冷凍庫だ。現場は雪で難儀する。林道から 100mもないが膝うえの深い雪をチェンソーなどをもって漕いで行くだけで息が上がりそう になる。伐倒したあと寸法を見計らって玉切りしていくと、それもそれで一仕事。はかど らない。効率の悪さがヤル気をそいでいく。昼過ぎ、待ってましたと仕事をやめる。 おにぎりを食べてから本を読むために横になると、背中のストーブの温もりにまたもや 30分ほど寝入ってしまった。
直径40cmあるコナラの三叉の雪、解ける。0℃近くになったのか。
スキーを持ち出す 2月5日(土)1℃ 雪![]()
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ふんわり積もった雪はメルヘンのせかいでもある。もののカドをとって、すべてが丸みを帯びる。 天気はよく変わり、部屋がぬくもったころ、外はゆきにけぶる。愛用のスキー「ヘッド」。 今週は随分雪が降った。いよいよ林道には入れないだろうと思ってスキーを持参した。林 道入り口はどうも迷う状況だった。行けそうだが、埋まる確立も半分か。そう踏んで、や はり車をすててスキーを履いた。50cmほどあるフカフカの雪は随分埋まる。ログハウ スにつくと新雪だけで20cmある。もし車で来ていればUターンする場所に困っていた だろう。 何もしないですごそうとストーブの薪に火をつけてから本を読み始める。背中に薪の熱を 感じつつ本の世界に入る。久保田展弘著「森の癒し」。タイトルから連想する内容より宗 教学とか哲学に近く、仏教やヒンズーの聖地巡りも出てくる。20年以上前に歩いたハリド ワールなどの聖地が出てきて我を忘れ没入。冥想を語る部分など圧巻だ。
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帰りにフットパス「からまつ」をたどってみる。道からそれると、幹がくっついた 大木に出会う。直径1mになった大木は威厳がある。 と、そこへ長老がお孫さんを連れてやってきた。軽トラックだから身軽なのか三又路でど うにか方向転換した。今週3日ほど仕事をしたそうで、どおりで林は奥まで透けて見えて いた。もう稼ぎとしての仕事はしない長老だから、退屈することない?とたずねると、「 そりゃ退屈することもある。そんなときは出かけたり山に来てみたり」。ビニールハウス ではカトレアやシンビジウムを育てている。退屈するときは山仕事をする…というのはな んとも羨ましい。でも、長老が仕事でいったん間伐などを始めると、ワッセワッセの大忙 しのような仕事振りであったことを思い出す。だから、「退屈しのぎの山仕事」は、見る のも言葉で想像するのもほほえましくなる。 「おっと、昼になる」。ストーブの前で取り留めのない話をしたあと長老と孫さんが帰っ た。また静寂が戻る。雪がしんしんとふり積もる。 癒しのワークショップ in滝野 1月29日 札幌滝野公園の山の家で行われた環境教育ミーティングに金曜の夜遅くに合流、29日は その心と体のセッションにゲストスピーカーとして参加した。ワークショップのコーディ ネーターは環境「共育」をめざす utekiani の太田さん。わたしは林とこころの体験的な 部分から、リラックスとか林との結びつきの部分などでワンポイントのメッセージを述べ るという、気持ちのいい役割をもらった。14人のメンバーは道内だけでなく本州からも4, 5人おられた。
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ワークショップのはじめに各々が好きな場所で30分雪の中に寝転んだ。わたしは広大な坂に どこかイヤシロチ的な感覚をかぎとってスノーシューで歩き回った。身体のリラックスに気 づくワークショップは夜遅くまで続いた。 林とこころとリラクゼーション。あまり関係のなさそうな感じだが、大あり。身体的な 緊張のしくみを、わかりやすい動作をしながら気づいていく、そしてリラックスとはどう いう状況かを感じて行く。これを感じることができることができると、人は森や林の感性 が増して自分にとって不可欠の存在であると思えるようになる。メンバーの色々な感想、 気づきに新鮮な驚きを覚える。建物のなかでありながら自らの身体を通じて自然を感じ取 る時間、もしそう感じられていたら、ワークショップは大成功である。
小屋で静かに本読む 1月22日(土)-4℃ 快晴 週の後半、結構雪が降った。おかげで空はすっきり晴れて日高山脈、夕張岳、芦別だけが 真っ白な山並みを見せている。おおっ、驚きの声が出るくらいにまぶしい。 林道は思いのほか、入りやすい。後で聞いたら、長老が昨日軽トラックで丸太をひいて 圧雪状態にしてくれたことがわかった。しかし、轍からチョッとだけ外れたら、ズシッと 車体が沈んで動けなくなってしまった。不覚!仕方なくスノーヘルパーを出して脱出した が、小屋までのその先もかなり危なかった。今日は仕事はやめよう!潔く、ストーブの前 で静かに本でも読もうと決める。間伐作業の先も見えたのだから、今日は安息日だああ!窓の外の幹の影は美しい。
外はウサギの季節だ。モミジなどの若木が食べられている。 薪ストーブをつけてから、部屋が暖まるまで外で雪かきをして轍の後を散歩する。シマ エナガの群れが今日も元気に餌をついばんでいる。ホーミーをうなりながら、ずうっと彼 らのしぐさを眺める。風が冷たく、散策している間に体は随分冷え込んだ。ほんわりと降 り積もった新雪はやわらかく美しい。温かくなった小屋の窓から、雑木林の外はメルヘン のように見える。恍惚としてきて、ごろんと腕枕して横になる。
作業の一区切り 1月15日 晴れ −2℃![]()
雪はこんな状態。林道に車を止めて、すぐ作業ができる。この時期、道内の どこでもこんなことができるわけではない。ログ周辺もうっすら雪に埋もれて。 現場に向かう途中の勇払川上空で、真っ白い大型のサギが飛んでいた。ダイサギではない かと思う。この時期は、上昇気流にのってオジロワシなども良く見かける。小屋では昼、 小鳥の群れがやってきた。何かと窓によると、シマエナガを主とした小型のカラ類とコゲ ラだった。コナラの幹やこずえで何かをついばみながら風のように渡っていく。とても気 持ちのいい大好きな光景だ。なぜなのだろう。 雪が落ち着いて林道に入りやすいのがうれしい。今日は長老が顔をみせていないので、 何かがぽかんと抜けたような寂しさがある。これまではずっと独りだったから、むしろ寂 しさを感じることなく没頭していたのが、二人作業の気安さと楽しみを知ってしまうと、 単独の時に寂しさが漂ってしまう。面白いこころの機微。独り仕事は集中できるけれど、 いつも事故の不安があるし、面倒な懸かり木などすべての扱いを独力でこなさなくてはな らないというシビアさもある。でもそれが基本だ。
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昼、たきつけのカラマツの枝を集める。また、ロシニヨールの 歩くスキーで出かけてみる。が、靴がこわれて戻る。 林道の縁の間伐は、北進してフットパス「カラマツ」までどうにか到達した。前回長老 との打ち合わせでは、今シーズンはここまでにして、林道の奥をやってしまおうというこ とにしたから、もう先が見えた。春まで、できるだけ奥の方、つまり東の厚真の方へ伐り 進めばよい。
ふたりの作業は楽しい 平成17年1月8日(土)はれ マイナス2度長老と朝の段取り 自分を甘やかして今日はゆっくりでかけたら、長老はすでに来ていてチェンソーの軽快な 音を立てていた。長老も実はさっききたばかりだという。お互い、初仕事だから遅い年頭 の挨拶をかわしつつ林を歩いてみる。今シーズンの約5ヘクタールの間伐予定地のうち、 1ヘクタールあまりが片付いた格好か。林道からあまり奥に入ると、今度は運搬が辛い。 幸い、今年はブルを借りて春先に最後の集材をすることになりそうだが、長老の頭の中は 運材の段取りと材の受払いのことについて思案が始まっているようだ。今までと違い、少 しまとまって材が出そうなときに生まれる課題である。
長老の小道具、とんび。わたしはトング。あれ、語呂がそっくり!? 小屋のストーブをつけてから現場に戻って仕事を始める。昼間までにまだ一仕事ができ る。「ちょっと受けが深いかもしれないなあ」。わたしの切り株をみて長老が言う。これ だと確かに目算を誤って反対に倒れるケースもあり、チェンソーが挟まることもよくあっ た。小口の欠損部も大きく不恰好だ。いつのころからかできてしまった癖だが、言われて みて、そうか、と納得。 数時間一緒にいて、顔をあわせてしゃべるのはせいぜい15分やその程度だろうか。こ れまでのように、ひとりで引きこもって行動的冥想の状態で黙々と作業する充実はもちろ ん森づくりの大切な属性であるけれど、仲間やパートナーがいて丁々発止、短いけれど語 りや休みを入れながら進めるのも当然ながらすごく楽しい。「至福」という言葉が、本来 天地自然を動かしている摂理のようなものとの一体感をもつ状況をさすとすれば、今の状 態はまさしくそれに近い。単身でなくとも十分至福の時間がもてる、というのはさすがに 自分の年齢を感じる。
年末、サンタから贈られたラジオ。よく入る。