休日の数時間で一冬に1ヘクタールの間伐ができる、その汗だくルポ

NO.23

2004/01/03 最近は里山の大木たちに気軽に、テレもなく 抱きつくことができるようになってきた。 ときには、相撲部屋のテッポウのように力を込めて押したり、もたれかかったり ただ見上げて100年近い風雪に思いを馳せたり‥。 意識から、無意識へ入り植物と共通のこころの状態を探す。 気功でも何でもいいからリラックスして木の仲間になり、対話する。 この世にひとつしかない、その樹木と、このわたしという存在。 ドイツ人は森との付き合いが上手だが、あるドイツ人が フィンランド人はもっとすごいと言ったらしい。なぜなら、 「フィンランド人は木と会話ができるから」 そう。これで行こうではないか。ポスト森林浴の重要なテーマである。



尾根筋はイヤシロチ                            2月28日(土)快晴 外気5℃

 あいかわらず雪が減らない。今日はルートを変えて送電線の下をスキーで進んでみた。 アップダウンがあるがいつもの半分程度の時間で着いた。何も律儀に林道をたどる必要は ないわけだ。                                   明るい日差し輝き♪、幹の周りの雪は消える  ログのベランダは折からの好天で陽だまりになっている。久々にアルトリコーダーを出 し大きな音量で吹く。「五月の山に」「うるわし5月」「岳人の歌」「ファリアファリア」 などの山の歌各種と最後はバッハのブーレ。静かに輝く雑木林にビンビンとこだました。  ログはいつものように部屋の中が外より寒い。マイナス4度だったから、窓を開けてか ら薪ストーブをつけた。ゴーと景気よく燃え出したのを確かめてからもう一度外へ出る。 間伐中のカラマツ造林地から北側のまほろばの林につなぐロングコースがまだルートファ インディングできず、目印テープが付いていないのである。今回はこれを北側からもう一 度たどってみた。できるだけ尾根筋をたどることにして20分ほどで、以前南側からつけて きた目印テープを見つけた。これでOKだ。しかし、以前のそれは沢筋もいとわず最短ル ートを目指してきたが、どうも尾根筋のほうが断然気持ちよい。低みから尾根に目印を移 し完了した。これで連休のころから、切り出し、ササ刈りだ。             (左)ルート探しの途中に沼と出会う。(右)こんな尾根筋に道を選んだ  改めて感じたのが尾根筋と沢筋の感覚。尾根は明るく清々しく、いわゆるイヤシロチと いわれる所以が今日ははっきりと感じられた。日差しの強い雪の林だったからなおさら強 調されたかもしれない。                              陽だまりの一部にはに雪がない。そこには憩いのひと時がある


樹林気功                                  平成16年2月21日(土) +5℃

1週間、林や樹木に触れないとどうも調子が悪いから、林道に入れない今となってはご く近くでもどこでもいいから林に入ってみようと心がける。11日は近くの有珠の沢に、15 日は白老のポロト湖に行ってみたが、雪がなくてスキーでは歩けず、かといって長靴では どうも、という中途半端さだった。しかし,そこは遊歩100選のポロト湖のフットパスであ る。何人もが歩いていた。 白老には雪がなかった。     途中で見たトドマツの土場。プーんと                いいにおいが立ち込める そんなわけだから苫東の雑木林は2週間ぶりとあいなった。林道の入り口が少しわだちが 増えたのでこれは行けそうかな、と判断してグイと入ってみた。が、RVと思しき車が悪 戦苦闘して切り替えして戻った跡がやはり今週もある。ときづいた途端、こちらもはまっ てしまった。スコップを出して車体の下の雪をかき、久々のスノーヘルパーを使ってやっ と脱出した。 冬のツアーには毛糸の下着にYシャツ。風を防ぎ、汗をかかない。  息を整えてから、いつもどおりスキーに履き替え、林道に入りなおす。途中から、カラ マツのフットパスにコースをとってややしてから、カラマツの大木が並ぶ低地で一休みし た。ザックに腰をかけカラマツに背をもたせかけて深呼吸をする。樹木は大気の気と大地 の気を混ぜ合わせ、人間が使いやすいように調合してくれるようだから、こうやっている だけで私の体に気が満ちてくる手はずだ。樹木と一体になる気功タントウコウもしばし。 このタントウコウは余所見にはちょっと面白いポーズだから、もし誰かに見られたら驚か れるだろうと恐ろしいが、幸い、シカとウサギとキツネとネズミとリスと鳥たちしか、身 の回りにはいない。そこで太い枝を見上げてからカラマツに化身した。樹木が過ごしてき ただろう風雪とシーズンの光景を早送りにして想像して体を左右にゆすってみる。私の中 の「無意識」に眠っている樹木と共通の層を探すのである。 もたれたカラマツ。右は直径1mもある、癒合したカラマツ老木。  小屋はマイナス1℃、外はプラスの5℃だった。屋根の雪もぐんと減りツララも消えて いる。部屋を暖めるために窓を開けてから薪ストーブを点火した。こうしてたった一人で 無為に過ごすひと時は、冬だからありうるプレゼントだ。背中にストーブの熱の波動を感 じながら横になって本を読んでいたら眠ってしまった。 有珠の沢の裏山へ                   平成16年2月11日(水)晴れ 雑木林を蛇行する有珠の沢川。なくしてはいけない場所だ。 週中日の休日。昼過ぎの1時間を家の裏山から続く森、有珠の沢上流部を歩いた。湧水 地でスキーを履いてずーっと上ってみる。若い雑木林が途中からトドマツ林に代わった りしたが、大体は若い広葉樹林。王子製紙の所有する山林で手入れが行き届いているわ けでもないし、展望が利くわけでもないから、特にスキーの散歩が楽しいというコース ではないが、なにしろ近い。深い。このまま支笏湖や札幌の奥の定山渓や余市までこの 山は続くのだ。帰りはシールをはずして滑走してきた。 タントウコウをした林道脇のトドマツ。淡い緑が新鮮だった。 右は林道を横断していた正体不明の大きな足跡。人かクマかシカの群れか。 きっちり1時間で往復し、湧き水を汲み帰宅後まもなくこの水で紅茶を飲んだ。舌に乗 っかったときの切れがとてもいい。


スキーで歩く里山の雑木林              平成16年2月7日(土)晴れ 雪は40cm。ヤブは雪の下に消えてスキーツアーのコンディションとなった。 薪はどんどん減って、右のように窓の下がへこんできた。 家内の親父さんが他界して先週は林に来なかった。しかし、仏事に身を任せているその間 中、ずっと雑木林的な雰囲気と隣りあわせだった。家内の身内のほうに仏門をめざしてい る方がいたために、仏教が少しだけ身近に感じるようにもなった。まあ、その方がある種 雑木林のような雰囲気を持っていた、と言えばいいだろうか。その方が、仮通夜の夜にあ げたお経、何もわからなかったが、これにはさらさらとした涙が流れた。  雑木林的なものが偏在すること。何が?それは、淡々とした多様性のようなもの、受け 入れてくれる懐のようなもの、静かさ、大地や大気や生き物がリンクした生態系、つまり システム。システムを動かす意志。さだめ。そういったものが感じられる場所、あるいは 人。そこに偏在する。わたしも心身を実は雑木林的なものに包まれている。 雪面で目立つのは、サワシバの若木。  今日の林道入り口は道路管理者が雪をどけてくれたので封鎖状態は終わったが、雪の量 が多すぎてRVが引き返した跡があった。事情を察してスキーを降ろし小屋まで歩いた。 まほろばのカラマツ林へ出かけて戻る。平坦な雑木林のスキーツアーは、手軽で幸福感に 満ち溢れる。帰るとき、体が「もっと居たいね」とつぶやくのだ。


冬の林の至福                 平成16年1月24日(土)外気温0℃ ぬからない、たっぷりの雪。そこに2本のトレースを刻む。 林道入り口はまたまた除雪の雪がうず高く積まれ固まり、手に負えなくなった。歩くしか アクセス方法がなくなって、今日はスキーにシールを張ってきた。こうなると強い割りき りが生まれ間伐のことは頭から消え「ようし、ではたっぷり林を歩こう」という別の欲が 出る。十分な積雪はだから別の楽しみを呼び込んだことになる。 スキーのトップを誰も歩いていない雪面に運ぶのは、山スキーをした人なら感じたことの あるはずの、北国の快感である。冬の林を歩くのは、至福のひと時といえる。やめたはず の山スキーだが、ちょっと懐かしく再開してもいいかな、などという思いが少し浮かんで かき消した。途中ヒヨドリとキツツキに出あったので、挨拶代わりにホーミーをうなる。 ヒヨドリはヤブの中でこっちを見ながら、何か一所懸命についばんでいた。こちらが急に 動き始めるまでこの対峙状態は維持され、ホーミーが鳥たちの警戒感をしばしなくすよう な感じは今日もした。 まほろばのあたりのカラマツ林。スキーツアーに向くのは タンネ(トド)やアカエゾばかりでない。 新しいフットパスを「まほろばのカラマツ林」につなぐルートファインディングをするこ とにして、ピンク色の蛍光テープを幹に巻いて、春に刈る新ルートの目印とした。台風跡 地の造林地を大きく迂回する必要があるが、造林地は予想以上に大きく、途中で造林地の ヤブに入り込む羽目になった。20年近く前自分が関わった人工林であるが、ツルにから まれ、悲鳴を上げている。誰も面倒を見ない、放置された林の悲しみ‥‥。せめてもの救 いではないが、青空の下でツルの悪夢を免れて生きているミズナラやハンノキが見えてい る。しかし、これも将来とも無事生きていけるか、保証はないのだ。  無念!! 今日はピンクのナイロンシール着用。道なき道を闊歩し、 裏から小屋に着いた。 回り道をしたから、ログに着いたのはもうお昼だった。薪をたいておにぎりを1個ほおば る。読みさしの仏教の本を開く。小屋のノートに今日のルートのことをしたためる。    そしてもう春の道づくりの準備が始まる。春に作るフットパスのサイン用板を、知人が 調達してくれることになった。午後お会いして見せてもらう予定だ。


降参!当分は雪に埋もれよう              平成16年1月18日(日)晴れ 舗装道路の除雪で入り口が封鎖される(左)。右はチェンソー担いで歩くヤマゴのわたし。 背中にザックがある。 スキーをもって出直した。子供のそりを用意してチェンソーを乗せて引っ張ってみたが、 やはりトレースのデコボコで転倒して使えず、結局カタに担ぐ。久々の山スキーはヘッド のレーシングにジルブッレッタというドイツ製金具をつけてかかとが上がるようにしてあ るスキーツアー用。コフラックの兼用靴を履いて林道を歩くと、やはりちょっと重装備か な、と照れる。                                  木々の縞模様が美しい。そこに一本のトレースができる。  700m ほどのアクセスは結構、腕も腰も普段使わない筋肉が疲れた。けれども日差しの まぶしい静かな雑木林を歩くのは快適だ。シカ、キツネ、ウサギ、それと足をそろえた小 動物の足跡が随所に見られる。ヒヨドリなども鳴き声が響き渡り、ログに着いてから、ア オゲラの姿をみた。動物たちをこの林をシェアしている。環境とか空間をシェアリングし ている実感というのは、こういったちいさな経験でもしみじみとにじむ。わたしと言う生 き物がそこにしばし参入させてもらう。                       小屋はホンワカした雪に覆われていた。薪は完全に雪の下。  階段やベランダの雪を片付けてからツボ足で現場へ出向く。雪が予想通り深くて歩きに くいばかりか、伐採のときには根元を掘らなければならず、枝に積もった雪は振動でどど ーんと落ちる。効率がとても悪いので、気分はのらない。今までの深雪よりもちょっとひ どい。これは作業を休んだほうが賢明だ。時間はあるし、そのうち積雪は減るし誰かが道 を開けるだろう‥。当分は雪に埋もれることにして、週末は林の散歩と薪ストーブ前の読 書、ということにしよう。                             散らばった枝がきれいだった雪を汚す。 林道に入れない                     平成16年1月17日(土)晴れ 14,15と大雪が降って案の定、林道の入り口はふさがれてしまった。仕方なく、長靴をはい てチェンソーを担いで林道を歩き始めてみたが、200m漕ぐのに随分時間がかかったために あきらめて引き返した。厚真の斉藤さんのところに新年の挨拶に伺うことにした。今年の 秋からは雑木林の間伐を手伝うよ、という。紙を用意して作業ゾーンを図面に落としてみ た。                                       わが里山を厚真の田園地帯から望んでみた(左)。行き先変更して訪れた斉藤さん宅(中)。 そこで二人でこの秋の雑木林の手入れ計画を練る(右)。
冬の林のカムイミンタラ          平成16年1月10日(土)風雪 外気温0度C 未明、呼吸に集中しながら体全体のこりをほぐす。静かで幸福な朝のひと時、呼吸に集中 している時間というのが、冬間伐をしながら「樹木」「林相」「チェンソー」などに集中 する時間にそっくりなことに、ふと気づいた。集中の対象が自分がする呼吸なのか、樹木 や手入れの行為なのか、の違いだ。だから行動的冥想と呼ばれるのだろうか、とようやく その意味がわかった。 年末に撮影したカラマツ。あなたは 何をイメージするだろうか。    また、呼吸に神経をあつめると、どうもspirituarity に近づきになれる。自分の体の不 思議に改めてたどり着くからである。体からそして「こころ」「自分とはなにか」、さら に万物を動かしているある法則‥、そうして朝まだきの部屋で林のイメージが浮かんで くる。 同じくコナラ。この土地はまず彼らのものだ、 とすると大地の解釈が大分変わってくる。    出向いた林道にはたっぷり雪が積もって、車体の低いカリーナサーフにはほぼ限界であ る。林にしんしんと雪が降ってやや横なぐりのそれは林のそとでは風雪である。林がゴー ッとうなっている。ヘルメットのイアマフ越しにもしっかりと聞こえるほどだ。そんな時 林は墨絵の世界に変わる。一面から見ると、幹は横殴りに張り付いた雪で白く見え、視点 を移動すると少しずつ黒い幹が見え始める。劇場や美術館にいるみたいである。  暗くて頬に当たる雪が冷たい。作業を休むと体も冷え込む。メガネは雪とおがくずで見 えにくくなる。メガネの汚れをふき取りながら、ふと残りの間伐予定地を回ってみること にした。もうあんまり残っていないのだ。あと3,000uほどだろうか。ゆっくり墨絵を楽 しんでいると、バーチカルなカラマツが妙に神々しいアートに見えてくる。暗く冷たい独 りだけのカラマツ林だが、小さな低みに立ってカラマツたちに囲まれてみるとその位置と 林を見るアングルがとても落ち着くことに気がついた。ああ、ここにも「まほろば」があ る。カラマツに囲まれた低みはどうしてこんなに人を和らげるのだろうか。  アイヌにとって地獄は灼熱ではなく冷涼な凍てつく地下のイメージだというから、冬、 神々は外で遊ぶことはないのかも知れないが、この目の前の光景はカムイミンタラ(神々の 遊ぶ庭)のように見える。太陽がまぶしく降り注がなくとも癒し地はありうるのだ。まさに ランドスケープ(土地のデコボコ)と植生が創りだす小世界である。  林とこころ。あまり書かれていない不思議な世界である。 親父は木を切り、妻は癒しの昼寝    平成16年1月3日(土)曇り時々雪 外気温2度c 今年の仕事始めである。娘を空港に送ったその足で、うっすらと雪に降る昼前、家内とや ってきた。「わたしは間伐してるから、あなたはストーブの前でぬくぬく新聞読むのもい いんじゃない?」。なかなか、いい誘い方ではないか。もともと、ネーチャーが嫌いでな い家内は正月の雑事と娘などにかまけていた煩瑣さから解放されるのか二つ返事だった。  小屋が暖まる前に林に出たわたしは、まずヘルメットをとって光が射す方向に今年の作 業の安全と、今年もたっぷりいいことがあるように祈った。作業はとても順調に進む。抜 き切りの濃淡があって、あるところは細いカラマツが込んでいる。そういったところを見 つけながら、落穂拾い的に片付けている。また、春以降、運搬のために車が入れるように いくつかのルートを想定して、丸太をよけている。こうすれば、ブルでなくとも入ること ができるだろう。                                 雪が少なく平坦であることの優位性!しかも道路わき。 こんなフィールドがいっぱい手入れを待っているはずだ。  懸かり木は2本だけだった。込んだ樹冠の間の微妙なところに左手で押しながら加勢を つけてなんとか倒しこむ。これがキマルと気持ちいい。跡がキレイなように木のてっぺん (カラス止まり)あたりの枝も全部落として、林床にすべての枝を寝かせる。こうすると 間伐後の林床は歩きやすく見た目もきれいだ。                     年末の作業の力仕事で、また体がずれたようだ。年末から腰が重く、左の尻の筋肉がス トレッチをするとかなり痛い。風呂で体を見ると、腕や足など覚えのない箇所に傷跡やア オタンがある。                                 


年末年始の家事の疲れを薪ストーブで癒す。

年末までの、直近の「たより」はここです。



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