54歳の冬がきた

NO.34

2005/11/05〜12/29 先日54歳の誕生日を迎えた。あるお坊さんからの又聞きだが、 54歳とは人生20,000日にあたり、なにか区切りにあたるのだと言う話である。 そういわれてみると。20,000という積み重ねに、なにか意味があるのだろうと 探してみたくなったが、結局、納得いく解をは見つけることはできなかった。 人生も林の手入れも、ただ、黙々と時を積み重ねるのみである。懸命に、懸命に‥。 そしてできれば、そこに喜びと、自分以外の人や地域や世界や自然に愛を感じられればよい。 こう再確認をしてみただけでも、人生20,000日を区切ってみた意味がある。

気持ちのいい朝。穏やかなキリリと
した木々が居る。冬の雑木林。

ツララが発達。小屋から見る雪景色は
温かい。

外はまぶしい。雪まみれの丸太を
集めるとヘルメットの中は汗だく。

今手がけている林は、ほうき状に分枝
した大木が多い。本数のわりにうっ閉
している。

山の仕事おさめ               12月29日(木)快晴マイナス1℃

昨夕5時、マチはマイナス13℃だったから、林はさぞや下がったことだろう。明けた今
朝は快晴、無風。26日に苫東の会社が林道の除雪をしてくれたのでアプローチは天国へ
の道のようだった。(笑)これだと仕事を休む理由がない。せざるを得ない方に追い込まれる。
だが、林の中の雪は深く、白状すると、とっても難渋し放り出したくなった。     

昼休み、ペンを取る。2005年もあと3日で終わる。振り返ると、小屋の周辺は手入れ
が一巡りしフットパスが生まれ、そこへこの林を紹介した拙著が出たりして、そとからお
客さんが来られるようになった。HPの画像をご覧になって起こしになる人、わたしの下
手な講演がきっかけでやってこられる方などもあり、様々だった。手作りの林が育ち、気
持ちのいい林に変わりつつある今、いろいろな方々に見ていただく幸せを感じる。ひとび
との訪問がこの林をさらなる「イヤシロチ」へと導く。イヤシロチは森づくりのもうひと
つの目的であり、ていねいな作業に裏打ちされた手自然は自ずとイヤシロチに近づいてい
くと思う。                                   

また、12月には地元紙・苫小牧民報の1面(企画:「森と私たち」)に、地域の森の未
来に関するシリーズ特集が組まれ、もと北大苫小牧演習林長の石城謙吉氏の次の4番手に
小生とこの林が語り「のスタイルで紹介された。1年の締めくくりとしては当方にとって
もいい企画であった。         

恵まれたいい年だったと思う。実のあるいい出会いが続いた。小さいが手ごたえのあるプ
ロジェクトや勉強会の機会もあり充実した1年だった。林とのやりとりのうちに、スピリ
チャルな気づき、穏やかなめざめもあった。ひとはいくつになっても生長する。生長する
きっかけがつかめなかったり、そのマインドを手にしないだけだ。

しかし社会はまたも荒れ続けた。世直しの効果的な一手を確認しないまま、今年もくれよ
うとしている。ただ、ハッキリしてきたことがある。グローバルのかなたを目指しても何
も解決しないことだ。具体的な地域に根ざさないと空論になる。地域、個別からの発想の
なかに普遍的な解があると考えるのだ。

定点で四季をみつめる。四季の中で樹木を感じ、みつめ、触れる。生き物とともに居るこ
んなスピリチャルな四季は、シーズン・リリジョンというらしい。四季折々を鏡にして自
分を見つめなおす。そして、おおもと(宗)の気づきに導かれるなら、まさにひとの生き
方の基本となるリリジョンと呼べるかもしれない。                 

明くる2006年は、もっと健やかな世界に向かいますように。             




個性を感ずる樹木たち。冬はうるわし

長老の縄リュック。後ろに袋あり

間伐材。珍しく太めだが滅多にない

クロカン。板はロシニョール
山仕事のしあわせ  12月23日と24日 ほぼ晴れながら24日は雪混じり 2℃

本格的に山仕事を始めた。一種のボランティアだから、完全終了の厳密な終期は緩やかだ
が、なんとなくノルマのような感覚も心の隅には巣くっている。だから、これから春まで
専心して予定するエリアに取り掛かることができたという着手の安堵感、これだけで今日
はうれしかった。慣らし運転で、2時過ぎに一区切りを入れて片付ける。急な頑張りは筋
肉痛をきたし明日の意気を粗相するから。                     
                               
そして、明くる24日の土曜日。体はだるいけれど気力は充実。小屋の30m手前まで車
で来たが、連日、駐車時は車が埋まる。昨日はうまく脱出できたが、今日は全く動かなく
なった。スノウヘルパーを使わないともう出ることができないようだ。まあ、それは後の
仕事、ということにして早速2日目の仕事に取り掛かかった。小さな沢を挟んで100m
ほど南では長老が精力的に間伐をしており、チェンソーの響きと止めた時の静寂が、お互
いの交信である。雪が断続的に降ってきて寒いが、上半身は毛の下着に着古したワイシャ
ツのみ。                                    

昼、長老はいったん家に戻り、わたしは小屋に歩いていく。オキの残っている薪ストーブ
にシラカバの薪をくべると5秒でゴーッと火がついた。家内に作ってもらったおにぎりを
1個頬張る。のりも梅干もご飯に絡んだ塩味も体の実になるという感覚。シンプルな一日
である。きつい力仕事を短い時間だが必死にこなして、貪らずにつましい食に感謝してい
ただく謙虚な幸福。しあわせとはこういうところにも転がっている。         

昼休みがたっぷりあるから、クロカンのスキーを出してフットパスと作業地を巡ってみた。
雪は40cmもあって結構ズブズブぬかるが、ツボ足よりはずっと早い。長老の間伐のエ
リアもぐるりと視察した。やや濃い目の間伐だからすっきり見える。フットパスをたどっ
て小屋に戻る。毎週、こうして歩くと大分歩きやすい冬の歩くコースになる。     

数回、薪割りなどで来たことのある息子が、林のような環境で仕事がしたい、と家内に電
話で語ったという話には驚いた。わたしなら、「それは甘いよ、お父さんだってできていな
いんだから」と笑っただろう。しかし、どこか、自然にそう思えるようになった彼のその感
覚が親としては少し、いや、だいぶうれしいのだった。                
                          

この積雪ではわたしのタウンカーは
入れない。

新雪に映る樹木の影はいつも
美しい。
林道に入れない             12月18日(日)晴れ 2℃     

土曜日は仕事で札幌にいたのだけど一日雪が降りっぱなしだった。苫小牧の林もそうだっ
たようで、勢いをつけて入った林道は5m突っ込んだところで埋まってしまった。スコッ
プで雪を掻き、スノーヘルパーを出して脱出。本と昼ごはんを担いで淡々と歩き始める。
林に入ると、木々のシルエットがとても美しい。                  

その轍をちいさなネズミが目の前を横断し、あわてたネズミは轍の雪壁を登ろうとしたが
滑り落ちた。あわてたネズミは雪の中に今度は頭から突っ込んでいった。そして消えた。
なるほど、冬のネズミはなかなか慣れている。                   

チェンソーを持ってきていないし雪は30cmもある。こういう日はストーブだけにしよ
う。背中をストーブにあぶって荒垣秀雄著「森も山河も海も…」を読む。小屋が温まって
からしばし冥想。朝のそれとは別に小屋でもすーっといい気分になる。林の中の木々にな
ったイメージで丹田に気を込める。                        

作業をしないと充実感が出ないとばかり決め込んでいたが、外をぶらぶらしつつ樹木たち
をひとつずつ見比べていくと、樹木たちの世界が見えてくる。林立する個性。葉を落とし
た今、全体、全容が見える。                   

林道は冬景色になった。

ラフランスとりんごを小屋に置き忘れた
ら、ラフランスがかじられていた。ヒメネ
ズミか。
山ノ神にお参り             12月10日(土)くもり マイナス1℃

前日の雪で路面はアイスバーンだった。林は銀世界に変身した。小屋の中は冷凍庫のよう
な冷え込みで薪ストーブを焚いてもなかなか暖まらない。だから作業着に着替えるのもも
どかしくしていたら、早来からお客さんがきて子供の教育用に要らないうら木を若干融通
してもらえないか、聞かれる。きのこのたね菌を植えてみたい由。そこへ長老がやってき
て話ははずみ長くなった。と、いつのまにか小屋が温まってきた。          

長老と林を歩きこれからの作業の段取りをしてから、つたもり山林の山ノ神に参拝する。
来年からは、小屋の脇のナラの大木をご神木にしようと話す。午後から所用があるので結
局作業をしないまま帰宅。不完全燃焼だ。これからは1時間でもおしい。     


車が9台並んだ。

林はあっけらかんと明るい。そこへ
斜めの日が射す。

合間に冬の焚き付けを拾う。
雪が降ってからでは難儀だから。
イヤシロチに近づく                12月3日(土)晴れ 0℃

花の金曜日は遅くまで家内と家で飲んだので、目覚めたのはもう7時だった。あさ、7時
まで眠る幸せ…、こんなことで満ち足りる一日の始まりも悪くありません。      

10時半に札幌からのお客さん14人をお迎えした。環境系のボランティア活動をしてい
る方を中心に、幼児教育、園芸療法、などに携わっている方々、また森林セラピーをテー
マにしている北大の大学院生も。まず焚き火をする。新聞とカラマツの枝で簡単に火がつ
いて始まった焚き火に「おお!」と感嘆の声があがる。「よく乾いている数年もので、コ
ニャックと呼んでます(笑)」とわたし。わたしは、林の生い立ちと、手仕事による様々な
気づきを話してから、みんなでささみちなどを回遊した。環境関係のコンサルの人も数人
いたから、少し、専門的な話にも進展する。                    

めいめい、自由なひとときを送る。3時過ぎ、もう太陽が傾きかけている。風倒木を片付
けて戻ると、帰り支度が済んでいた。薪割りも好評だったようで、おかげで大分片付いた
。割った薪をきちんと積み上げてくれ、焚き火の周りの簡便なイスもすべて整頓してくれ
てにぎわいの跡形もない。こうやって、場はイヤシロチ的里山になっていく。     

手稲さと川探検隊のGさんがブログにかかれた感想を以下に拝借しました。
お褒めの言葉がちょっと気恥ずかしいのですが、表現が素敵なので、林のために
も。                                  

年内最後のさと川探検隊の企画で草苅さんの林を訪ねましたが
とても穏やかで素敵な時を過ごすことができました。        
私はあの林で短いひと時を過ごしながら「もてなし」という言
葉をずっと心に抱いていました。                          
参加された皆さんとの自己紹介でも少し触れたのですが「森の
イスキア」の佐藤初女さんは人との関係には「もてなしのここ
ろ」がなにより大切だとおっしゃっています。草苅さんが用意
してくれたのも「もてなしのこころ」であったと感じました。
フットパスを案内してくださったとき、私はその道を踏みしめ
ながら草苅さんが「訪れる人のために作ってくれた道」なんだ
としみじみ感じました。
穏やかな語り口と私たちを快く受け入れてくださったこと、そ
して林に敬意をはらって手入れされている姿は「もてなしのこ
ころ」でありました。
森や林は私の内観する力を養ってくれるのでしょうか?「森の
イスキア」が癒しのコミュニティであるように、この場所も同
じような空間であり、そのような場所は人の「よい意識」が作
っていくものなのかもしれないです。                      

森のイスキア はここです。(take)

長老の初仕事。造林地のツル伐り・
除伐よりこちらの方がずっと健康的に
見える。


フットパスは今が最も明るく気持ち
よい。落ち葉踏む音と斜め光線が
やさし〜く感傷を誘うかも。

帰り際、ベランダで小屋日誌を。ここでも
斜め光線はもの思いを誘う。離れがたい。
ツルに難渋する、やめようかと逡巡        晴れ 7℃ 11月26日(土)

小春日和のような晩秋。日差しがすっかり斜めになって、木漏れ日がなよなよとか細い。
そこに得もいえない美しさが漂う。林道風景は芸術に見える。                        

 一転、ツルのからまる造林地への介入は難渋を極める。植林した樹木の幹よりはるかに
太いツルに絡まれているのがいくつもあり、遅々として進まない行為そのものに疑問が湧
いてくる。この目の前に展開している光景を現実に例えると、一つと同じでない難問が山
積しているようなもので、くたくたになって黙々とそれを片付けるようなもの。        
 問題はそのあと。手入れのあとは嵐の後の海のように凪いで見える。まだ手遅れではな
いので林を形成できる。ツルから解き放たれた樹木も嬉しそうにみえる。あまりの難渋な
作業に投げ打ってしまいたい誘惑もあるが、少し長い目でみてみようか、とやさしく思う
ようになった。                                                                  

 長老は今週、南側から薪炭材の間伐を始めたので、わたしも来週から反対の北側から、
本業の間伐をかねて行こう。造林地は概況と手ごわさがわかった段階で、林の所有者とも
事後対策を話してみよう。                                                        

 それにしてもわたしは何をしているのだろう。いつかはまた、目の前の林は自然のバイ
アスに負けて自然がなりたい林に帰っていくはずだ。そんな成り行きのところに、わざわ
ざ、枯れる前に何物かの資源を得つつ、こぎれいな林をみたいというわずかのミッション
とささやかな願望が湧いてきて、わたしをヤブに付き合わせる。また重たい冬の手仕事に
向かわせる。恐らく、現代に生きるわたしたちにとって、このような本格的な手仕事が媚
薬のような位置にあるのではないか。この手仕事は冥想であり、風土の声が聞こえるから
だ。                                                                            










ツルに取られた造林地。あたまは
ツルでつながっている。無惨。

ハンノキの幹にめり込んだツル。
取っても助かるだろうか、と心配し
つつ。


造林した木より太いツルもある。




明るくなった林で記念撮影。
平地林であることに驚かれる。
ツルの仕返し        11月19日 (土) 雨のちみぞれ 5〜6℃程度



林はもうすっかり葉を落として明るくなった。小屋に入る入り口で車を降りてみる時、四
方から林の気が押し寄せ体に沁み込むような感じだ。早朝の冥想時にふと思い描く森羅万
象に包まれる、あのイメージが現実にある。

昼前は先週に続いて、造林地のツル伐りなどを手がけた。ツルの絡んだ木の始末は、柔道
の寝技のようにねちねちとエンドレス。柔道ならタイムオーバーがあるが、ツル伐りは終
わりがない。つい延々とバトルを続け息が切れてくる。

今日はツルに絡めとられた樹高8mほどの数本をまとめて片付けざるをえなかった。太い
ツルが幹に巻き込んで木のてっぺんは折れている、そんな青息吐息状態は一種の地獄絵図
のような様相ではないかと思うが、森羅万象の世界では、成り行きとして淡々と受け入れ
看過するのだろうか。

あらかた伐り進んで、絡まったこれらがいい感じでまとめて倒れ始めたそのとき、後ろか
ら不意に木が倒れてきて背中とヘルメットにゴツンとあたった。直径10cmほどのハン
ノキが根返りをして倒れこんだのだ。わたしはなにか、「ツル仲間のしかえし」にあった
ような恐怖感を覚えた。思えば、うずたかい藪になるほどのツル達を伐ったのだ。鶴の恩
返しと逆の世界!鶴の恩返しと逆の世界!その樹木とツルの闘いの世界に入り込む林の手
入れ。手仕事の間に森羅万象の業を見る。

そう、自然は、エントロピーの低い原野に戻ろうとする。そして何でもありの平板な競争
社会を作ろうとするように見える。だから例えば海辺では原生花園的な植生に収束する。
地面から飛び出るように植えた木は、闘いに敗れて消えるのだ。

午後、道北の歌登(うたのぼり)から若手林業グループ7人がおいでになった。この2月
だったか札幌で森づくりの講演した折に、参加されていた方が事例視察の一環でみんなで
来てくれたのだ。朝からの雨模様が、着いた頃に晴れ上がり焚き火を囲んで歓談。しかし
不安定な天気はやはり雨に戻り、やがてみぞれになった。わたし達は、焚き火からベラン
ダへ移り冷え込んでからはとうとうストーブの前にまた移った。「あったかい」。さすが
冬の始まりだ。雨の切れ間にフットパスを案内。ホームページで見た歌登の町並みと農地
と林の風景はフォレストピアのように見えた。本来、人はこういうところに住みたいのに
、そういかない現実がもどかしくて仕方がない。


山ノ神の神事は12月11日。今日は
そのプレ。いい天気で社、輝く。


ハルニレの大木が居並ぶ低み。
わたしの好きな場所。シイタケの
乾燥小屋がある。



フットパスを案内。もう冬枯れ。
ササだけが緑だ。
葉っぱを落とした林で              11月12日(土)くもり 10℃

医療関係の新聞の方々が当雑木林の取材で来られる。その前に、つたもり山林の山ノ神に寄
った。今日から、チェンソーを使った山仕事を始めるからだ。林と光線の具合はいつも神秘
的な顔を見せるつたもり山林。時刻によってどんな風景を見せるか、長い付き合いからあら
かた読めているわたしだが、小さな感動がいつもある。そこの素朴で小さな社で、どうした
わけか、とっても長い、自覚的で集中した祈りを捧げた。もちろん、これから始まる作業の
安全が祈りの出だしだが、そのほか、すらすらと数々の望みの成就を祈るのだった。   

小屋のストーブ、焚き火などの準備をしてから待ち合わせの場所にいくと、HさんとMさん
は定刻より早めに予定の場所に来ていた。焚き火を囲んで1時間あまり語りこんで後、フッ
トパスを案内する。冷え込んできたので小屋のストーブの周りで今度は山や自然やお互いの
知人の話となった。

昼過ぎにお別れした後、そそくさとおにぎりを頬張りチェンソーをもった。この造林地がツ
ルにからまれて青息吐息であることは土地の所有者にも忘れ去られている場所だが、わたし
としては、8haほどあるはずのその一画を広葉樹造林地の手入れモデルにしたいと思う。
現場は予想以上にツルの絡みがひどかった。ミズナラとハンノキを主とした除伐の作業が始
まると息が切れるまで止まらなくなって、振り返ってみる仕上がり風景に十分な手ごたえを
感じた。人を寄せ付けないヤブが、歩ける若い林に生まれ変わっている。        

3時。もう太陽もたそがれてきた時刻、林の風景は一見寂しそうでありながら力強く、わた
しにもっとここに居なさいと語りかけるようだった。ベランダから降りようとするその刹那
、大粒のにわか雨が降り出した。わたしは、ああ、何かの教えだと思って踏みとどまり、ベ
ランダの隅のイスに深く腰をかけてもう一度雑木林と向かい合ったのだった。      

今年手がける若い広葉樹の造林地。土地のオーナー側
がかつての駐車スペースを復元してくれた。
ここの管理作業は京都議定書のCO2対策に相当する
はずだが、こちらは手入れを待つ若木を見るに見かね
ただけ。地球環境への貢献ネタは、身近なところに転
がっている。



林の入り口はこんな風。なにか、
セザンヌの色使いを思わせる
   
家内が籠をもって、キノコとりに
出かけたが手ぶらでもどり小屋
周りのクリタケの残りを

ウシコロシ。恐ろしい名前だが
、よくしなるためムチに使われ
たと聞く。和名は、ワタゲカマツ
カ。赤い実がなるので鳥が運
んだのだろう。
ウシコロシの黄葉                  11月5日(土)はれ 20℃

土地の所有者にお願いしていた除間伐の手続きも完了したので、半年振りにチェンソーを
持って出かけた。家内も今日は仕事が休みなので、紅葉の終わりを見についてきた。昼前
には苫小牧民報のSさんと待ち合わせをしていた。チェンソーに燃料とオイルを入れ目立
てし、慣らし運転を始めたところにそのSさんがやってきた。                 

焚き火をはさんで、この林でわたしが関わってきたいきさつ、今のゴールなどについてお
話した。Sさんが聞き出したかった「市民参加」という段階を終えていたので、ご希望に
沿えたのか不安も残るが、イベント的な森林ボランティアの対極にある「独り親方」の世
界に踏み込み、実質的な林の稼ぎ手として居続けようとする今のわたしの願望は、少なく
ともわたしにとってとても素直な道筋であり、また、そうでなければ「林とこころ」を実
証的に深く体験していくことにならない。だから、このスタイルは維持していく必要もあ
るわけだ。                                                         

Sさんを「ささみち」に案内する。と、ほどなく、随分とウシコロシが多いことに気づい
た。紅葉はコナラの茶色系が林の上層を占めているが、地表よりではこのウシコロシが地
上3mあたりまでびっしりと占めている。見晴るかすほとんどにウシコロシの黄葉がみえ
るのである。                                  

そうか、今年の紅葉の特長はこれなのだ。つまり、ウルシが赤くなり、やがてヤマモミジ
が紅葉し散り、そのころにはハリギリやホオノキも茶色になって散り、コナラが紅葉し、
あわせてウシコロシが黄葉する‥。バラバラにデビューして勝手にステージから去ってい
くから、紅葉のステージに「華」がないのだ。これはどういうしくみなのだろう。    












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