里山の醍醐味、むんむん!!


NO.37

2006/05/03〜


昨年秋に来られた方に、
佐藤初音さんの「森のイスキア」みたいだ、
と褒められたことがある。
思いもしなかったことだが、なにか、ここに人をもてなすような
風景を見て取られたようだ。これは意外だった。

考えてみると、気持ちのいい林を創ろうということ自体、
訪れる方にもくつろいでもらおうという思いであるし、
フットパスも色々な方々に歩いて林を肌で感じてもらうための
手自然だ。

そういう手をかけることが現代のエアポケット。
そこに里山の醍醐味と喜悦と至福が眠っている。


雑木林をめぐる社会環境とニーズ        6月24日 くもりのち晴れ 21℃

やっと雨があがった。こういう日はまず海をみようと出がけに海岸による。ないだ、いい
海だった。もやがかかって穏やかな感じは、まるで湖のようだ。

林は夏の色がいよいよ濃い。小屋北側の道でササを刈って、昼前に駐車場の刈り払いを始
めたころ、UさんがEさんの車でおいでになる。Uさんは首都圏から移住された年配の女
性で、一昨日、メールを頂いていた。お会いするのは1年半ぶりだろうか。道内のいろい
ろな地域に出向いてエッセーを書かれておりそれが「試されている大地」という名で出版
されている。この前この雑木林においでになった時の話もその中にしっかりと収められて
いる。

Uさんは、ここがもつ資質にとても好意的で、地域はそれにどう気づいてどう動こうとし
ているのか、その辺にこだわった。で、話が集中した。わたしがまさに今関わっているテ
ーマであり、オール北海道の現状を淡々とお話した。Uさんはマーケティングのプロだか
ら、一種のビジネスとしてどういう進め方があるのか、腹案があるようだ。この手の話は
わたしは、実は大好きである。プロジェクトを練ることほど、人生の楽しみはないから。
また、これまでの手仕事の結果を実は現状以上に評価してもらったことにもなるからだ。
早い話が、ここ苫東は造る製造業だけでなく、何を造るかを考える場、そして自由な発想
を誘う憩いの環境だというわたしが働きつつ達した認識を、たった1回のご訪問で見抜か
れていた。

わたしはすでに一仕事を終えていたので、3人、ベランダでそのまま昼食になった。軽く
ビールもいただいて話ははずんだ。ただ、資源を活用したプロジェクトとかブランドのき
っかけと継続というのは総合力であり、きっかけ作りからして容易でない。保養に関係す
る環境作りだけでもまだまだだからせいぜいできるのはハコモノづくりだけだ。

緑は大切、などというのはお題目である。自分と向かい合うためのリラックスのきっかけ
に、緑は不可欠だという一点に人々が気づくまで時間がかかる。おそらく、ひとつのライ
フスタイルであり文化だからだと思う。時間軸をゆっくりとってみれば、道内のあちこち
に手仕事をこなす実践派の声も聞かれる。そこそこに山菜取りも出来る「都市的田舎」。
ここにひとつの妥協点があり、緑的なものはほぼ充足されているから、林に飢えるような
外発的な発見の機会がない。もうひとつは自らの感性のめざめ。これは体験、感動などか。

上空の葉を見上げていると飽きる
ことがない。造形、えねるぎー、
色合い。カエデは特に。

2時過ぎのウォーク

道には毎週大量の枝が落ちる。こんなも
のも拾っておく。感じは全然変わる。


雨の中、今日も草を刈る                6月17日(土)雨 16℃

霧が続き、昨日からは雨。でも、どうしたのだろう、雨や霧が実はいやでない。むしろ、
雨や薄暗い霧の日に、起きがけからうっとおしさを感じ取っていたあの感性が少し理不尽
に思える。まったく、どうしたのだろう。

案の定、黄緑は夏の緑に一歩近づいたかに見える。と同時に葉っぱが大きくなった。フッ
トパスに入ると20mほどで小屋が見えなくなるのだ。大風があったため枝や葉があちこ
ちに落ちているが、あるコナラの葉には毛虫がついていた。葉がでたばかりなのにもう食
べられているわけだ。食べるほうも必死なわけか。広葉樹の葉は、もともと、半分は虫や
鳥のためだ、という慈悲にもにた話がある。

刈り払いを始めたのは昼前。ちょうど、鳥が囀り始めてセミの鳴き声も大きくなった。こ
れは雨が止むしるしだ、と喜んだが、最後まで小ぶりのままだった。逆周りでカラマツ林
から刈り進んでいったが、ここはササよりもチョウセンゴミシで、そのままはびこらせた
ままの方が路らしくていいところもあった。

まほろばの分岐で、春先に山菜としていただいたコシアブラの葉がその後どうなっている
のか見てみた。半分ほどは芽をもらったつもりだが、同じところから小さな芽が出ている。
ほかの部分からも被害跡らしい感じが見えない。これは罪の意識が軽くなるようでうれし
さを覚える。ササバギンランとコケイランが咲いているのをみつけ、刈り残す。昨年、フ
タリシズカを随分刈ってしまったが、今年、パスの中にほとんど出ていない。

ようやく先週の刈り終えた終点にたどり着いて、先週刈ったフットパスを歩いて戻る。広
めに刈ったせいか、印象が明るい。残った薪をまた半分ほど割り終える。セミがシャワー
 のように鳴いている。それを聞きつつメモする。「緑を食べ蝉鳴く、雨しみて土生きる、
気満ちて人新たなる、そして人、まま流れる」。雨で水を吸いすぎたシイタケを見つけ、新
聞紙に包んだ。

こう書いてみて、林の手入れ、フットパスの管理の様子をこまごまと描いて一体だれにど
う読んでもらうつもりかと、自問する。いや、実は読者をあてにしたものではない。私自
身の林の日記なのだ。林に人を呼ぶことに無欲なのと同じく、雑木林からの便りもあての
ない便りだ。もしかしてそれは自分が、この瑣末な手仕事に己が大いに学んでいるという
ことを自分に提示している、そんな構図でもあろう。手仕事はここでは目的である。

大きなめがね、口の周りは
手ぬぐい。それでも草の汁は
容赦ない

コシアブラの再生

分岐で休む

緑にぬれる日                6月10日(土)雨 16℃

先週は英国のフットパスを歩いていたから、ちょうど2週間ぶりになった。うぐいす色に
萌えたばかりだったのが、今日はふっくらと開葉して緑は淡い。林の入り口で車を降りて
今日のこのうつくしさに手をあわせる。

時差に体がまだなじんでいない。夜眠れず、日中眠くだるい。昨日は会合で帰宅は夜遅く
なったけれど、たっぷり飲んで眠ってしまおうと決め、「飲む」まではよかったが、その
あとパソコンの前で2時までおきてしまった。起きるのが遅くなり予定はすべてうしろに
ずれ込んで、小屋で段取りを始めるのが昼過ぎになってしまった。雨がまだやんでいない。

シーズンはじめの初仕事でトラブルのはどうも気分が悪いから、ブッシュカッターのプラ
グの点検をしてみたら、きれいだった。すかさずエンジンをかけてみるとやっぱりスムー
ズにエンジン音がなりだし、小屋周り、次にササ道へ刈り進んだ。振り返ると気持ちが良
いと思ったところでこの考えをやめた。刈り払いは致し方ないとはいえ、小道に生えてき
た小さな植物に対する殺生でもある。思いを新たに再生を願い、無駄な殺生でないことを
念じつつ汗にまみれる。

左右に振る刈り払いの運動は何かに似ている。右、左、右、左。左右の眼球運動EMDR
はPTSDに有効とされる。これでわたしの心に潜在するトラウマが消えていくのだろう
か。そして、刈り払うスポットの「今」に集中する有様はまるで冥想である。そう、つま
り行動的冥想。わたしがこの刈り払いにはまってしまうのはこの動く冥想という媚薬のせ
いだ。手自然作りの手仕事は実は冥想の時間だったのである。

フットパスは今日初日で3分の1を終えた。残りは来週。積んだ薪に一角が崩れているの
を積みなおし、いつでも割れるように丸太を30cmcm程度にチェンソーで切って4時
を過ぎた。                  
まず小屋周りを刈る。これで風景は
大きく変わる。手自然の一歩はここかも。
雨の中だったが、仕事は楽しい。蚊が少し
出ていた。

1年ぶりのこの色に合掌

小屋は緑に埋もれる

毎年、フットパスの真ん中に
出て来るコウライテンナンシ
ョウ。今年も刈り残した。
この存在感はすごい。


山菜取りツアー                 5月27日(土)快晴 20℃

昔の職場のOBが集う山菜ツアーを開催。札幌からHさんご夫妻、Tさんご夫妻、苫小牧
はBさんとわたし達夫婦、以上7人は遠浅の山林に集合し、まずはシドケ(スドキ、和名
はモミジガサ)採りにいそしんだ。平坦で目印のない林だから迷子になるのを注意しなけ
ればならない。笹がないから、実は快適この上もない山林だ。新緑の一番春らしい一日に
、この林でひとときを過ごせるのは至福だ。

さすが、かって知ったる人たちだから、三々五々、つかず離れずソコソコの思い思いの産
物を手にしている。アズキナ、ヨモギもまだまだ十分に収穫できるから。ここ遠浅樹林地
にもわたしが手がけたフットパスがあり、久々にピンクのテープを頼りに歩いてみた。樹
木が大きくなった反面、随分と倒木被害が増え林は少し荒れた感じもする。入り口の広場
は地元の方々が、10年前の計画通り、こぎれいに整備しており来週は小さなイベントをす
るらしい。山林は全体で80haほどだっただろうか。

実のところ、苫東の緑はこのように様々な方々の協力を借りて多様な環境を維持して利活
用をすべきだとわたしは考えてきた。ちょっと入会地的なイメージだが、総合的にコーデ
ィネートする人を立て、「新しい時代のコモンズ」を目指すのである。ログハウスのある
コナラの雑木林の手自然はまさにその見本のようでいたいと思う。

コモンズというのは、農民や地域住民が共有する財産のことで、日本の入会地は入会権と
か共有権という権利が設定されたが、英国のコモンズは家畜を放したり薪を取ったりする
収益する土地で所有しない。経済学者の宇沢弘文氏は、日本における緑を社会的共通資本
と呼ぶが、これはとりもなおさず、一種のコモンズだと思う。わたしは苫東の緑は宇沢氏
のいう意味を深く込めてコモンズと呼びたいのである。

そのコモンズ・モデルでBBQをする前に、わたしたちは柏原の防風林によってウドを少
々頂くことにした。わたし達夫婦はウドのほかにフキをとった。ログハウスに着いたのは
12時半を過ぎていた。急いでBBQの準備だ。でもOBはさすが。各々がやるべき次の一
手がわかっているから、いつの間にかステージができてわたしは食材を順序どおり取り出
し、火を起こすだけでよかった。今日の目玉は特にないが、水ガニよりずっと身の入った
やつが、ひとつ200円ほどだったので用意した。だから見た目にはカニということにな
るだろうか。ほっけ、ホタテ、厚真のロースジンギスカン、カルビーなどなどはいつもど
おり。この程度の食材が普通は大体一人1500円ほどで食べきれないくらい揃う。

遠浅からログハウスは5km南下した位置にあるが、ログの回りの植生がコナラを中心にし
ているから新緑が明らかに遅い。遠浅はシラカバなどの緑が濃いのに、こちらはウグイス
色である。食後、フットパスを歩く。

ああ、春の一日。人、里山、食。こういう風土と丸ごと付き合うのを「里の遊び」と呼ぶ
のだろう。
今日の収穫(自宅ベランダにて)

遠浅の林はもう緑が深い

柏原の林道は美しい

柏原の採草地に憩う

小屋のあたりはウグイス色

新緑の空気を吸う一日


コシアブラをいただく    5月20日(土)24℃ 快晴

朝は13度だったが、みるみる温度は上がった。小屋の前のサクラは先週つぼみだったの
に、今日見ると半分は終わっていた。急激な温度上昇で、サクラのクライマックスは週日
に終わったようだ。できれば満開状態を画像に収めておきたかった。

薪作りに励む。小屋の窓の下に運んだ丸太を30cmにチェンソーで伐って、割る。一時
間あまりでだいぶ片付いた。冬に伐採したものを早いうちに伐って割ってしまうほうが、
やっぱりずっと割れやすい。材もみずみずしい。一振りで割れる確立が格段に高くなる。
知ってはいたが、いつもだらだらと秋口までずれ込んでいた。今回だけは猛省。

札幌から5人のお客さん。コシアブラの新芽が出始めたころであり、てんぷら用にいくつ
かをとった。うど、スドキも若干。これらをウッドデッキに乗せてから分けた。コシアブ
ラ、スドキは札幌の方々は初めてである。昼食は薪を使ったBBQで、アオヤギなどをご
馳走になった。

わたしは帰宅後、自作の料理で早速コシアブラを天婦羅にした。風味はとてもいい。いた
だいたクレソンは湯通ししてから、バルサミコを使って味付けした。これはいける。

今日私が聞いた鳥たちの声は、イカル、アオジ、オオルリ、シジュウカラ、アカゲラ、セ
ンダイムシクイ。
(デジカメを忘れたため、札幌の
sさんから後日画像をおくってもら
ってから貼り付けます。)






苫小牧の家の周りはタンポ
ポの盛り

住宅地の裏山

支笏湖の新緑

北の森林と健康ネットワークのご一行来訪 5月14日(日) 雨のち晴れ

先々月の3月30日に設立されたばかりの「北の森林と健康ネットワーク」の林芳男理事
長ご一行が雑木林の視察にこられた。ネットの浜理事と道庁の林務関係者が3名。あいに
くの雨だった。まず小屋でご挨拶してから、小降りになった外にでて傘を持ちながら歩き
始めた。カラフルな傘は雑木林の濡れて黒い幹の間で妖しいように映える。5人ともはじ
めての苫東の林だ。どんな風に映っただろうか。ぐるっとフットパスをめぐった後まほろ
ばにも顔を出して70分を要した。

BBQの目玉はサクラマスと紅ザケハラスの食べ比べ。マスはマス、紅は紅だったとしか
いいようがないほど、両方とも上出来だった。厚真ジンギスカンを久々にいただいたが、
本店で買ったせいかしょっぱすぎないいい味だった。ヤリイカのような小ぶりのイカとホ
タテが少々、牛バラ、みの吉という商品名のホルモン、これと野菜が今日の素材。残さず
食べてもらってごみを焼いたら、なにかすっきりした。

写真家のNさんが顔を出してくれたが今日も接客中で失礼してしまった。

林理事長を囲んで。

小雨もものかわ。春の林へ。

林道はいいなあ。

まほろばのフッキソウ群落。


カラマツが芽吹く              5月13日くもり 18℃

遠回りして植苗あたりの牧場と防風林の風景を眺めてきた。シラカバとカラマツが芽吹き
始め、牧草は初々しい緑である。雑木林ではまだコナラやミズナラに緑がみえない。小屋
の前のミズキも枝先には緑のつぼみが見え始めた様子が、今、キーボードを押す小屋から
ガラス越しに見える。

まほろばの分岐のブッシュを今日も手がける。枯れたもの、からみついたもの、たおれか
けたもの、込みすぎて藪状のもの、これらは一帯を消極的な雰囲気に貶めている。わたし
はこれらを地面に返す役目をする。カラマツの風倒木も20分ほどかけてようやく横にな
った。ひとつに20分は長いが、仕方がない。危険で重たい。カラマツの来し方すべてを
精算するのだから当たり前だろう。祈りだって要る。こうしているうちに何かが着実に変
わっていく。

恐らくだが、こういう営みが土地をイヤシロチに変えていくのではないかとこの頃は強く
思うようになった。だから、絶え間なく人の手が入る里山が気分がいいのは当然なのだ。
自然はそのままでも自然であるが、人が心地よく住めるか、憩えるかの点では自然度だけ
では達成できない。人に本来仏性が備えられていると同じように、自然はいい顔の自然体
を潜在的に持っているはずだ。それをこの人の営みは引き出すことができるはずだ。

フットパス沿いにはスミレが増えた。一箇所だけ、大型のサクラスミレがあった。独特の
細い香りがしたのはカラマツのくぼ地に咲いたフッキソウだ。一面の群落が満開である。
そこからぷーんといい香りが漂う。

くぼ地。フットパスにはまほろばを小型にしたようなくだり斜面と登り斜面がある。つま
りそこの間はくぼ地になり、盆地上に見え、いずれも和みの空間だ。人によってはスピリ
チャルだというが、日本人には懐かしい、遺伝子が共鳴する場かもしれない。少なくとも
わたしは、盆地に間違いなく反応している。

植苗の牧場。牛も待っていた様子あり。

ナラの芽はこんな風。あと1週間。

薪を割る。伐ってすぐ割るとパーンと良く
割れる。


家族と林に   5月6日(土) 快晴 20℃

帰省している娘が「ジンギスカンを食べたいな」。妻は「それなら雑木林に行ってみよう」。
二人の知人である身内の告別式が市内であったので二人は普段着をバッグに詰め込んで喪服を
着て出発。スーパーの駐車場でふたたび変身。すごく、手早い。

林はウグイスが鳴き、シジミチョウが飛び始めていた。出来たばかりのフットパスのベンチに
座ってもらって撮影。わたしが好きな光景はあのカラマツのくぼみの道だが、そういう前に娘
はデジカメを向けていたのは、正直うれしかった。

長老がやってきて仕事に来たという。わたしは家族サービスだから、と遠慮しているとアイヌ
ネギの群落の場所を教えてくれた。ここから5分ほどだ。地面に林相と林道の概略を書いただ
けで、一発でたどり着いた。「さすがね」と妻。「あたぼうよ」とわたし。娘はまたもや車で
眠っていた。林が眠らせるのか。免許取立てなので道すがら林道も運転させた。感想をきいた
のだが、とくにぴんと来てない。この時期、この林道を運転する至福がわかるのはいつの日だ
ろうか。いや、一生わからないかもしれない、と思うと今度は寂しくなった。

今の時期の雑木林の林道は大好き。

まあ、こんなものかな。


一面のアイヌネギ。ここで
わずかだけいただく。


里山づくりの醍醐味                 5月3日 快晴 18℃

連休後半は快晴。小屋につくと、外ではイカルが鳴いていた。ひとつずつ、新しい春の新
顔の生き物に出会う。早く作業したくて気がせいている。本当に働き者だと我ながら思う
のだ。まほろばの分岐点に直行するつもりが、その50m手前の緩やかな斜面に枯損の樹
木や込みすぎの群れが気になって、まずこちらから始めた。30分以上、抜き伐りをし片
付けているうちに、小さな沢地をはさんだ向こう側の分岐点が気持ちの良い一帯に見え始
めた。おおお!

この沢地もやらねばならない。よく見るとそこは旧道のような道の跡があった。そうわか
った途端、里山風景の色が濃くなったような気がした。それからはとても気持ちのいい作
業になった。どんどん風景が温かくなるのだ。分岐点の一帯というのは、地形は丘の稜線
のようなところなのだが、枯れ木や風倒木が多く、元気の出るイヤシロチ的ではなくてど
ちらかというと気のそがれるような雰囲気を持っていた。しかし、こうして長い間にたま
った枯れ木などを間引いていくと、不思議なことに潜在的な気持ちよさが蘇ってくるよう
だった。これがこの林の本来の素顔だ。

ここの気がかりだった大仕事は半年前に幹が折れたままの直径30cm弱のシラカバだっ
た。遠くから見ても目立つ「くの字」型に折れていて無残だったのだ。このあたりはシラ
カバがよく育たない。早めにこうして枯れる。周辺にもシナノキが倒れておりあわせて片
付けた。もう昼を回っていたがこれらを丸太にして分岐点に運び積み上げて座るベンチに
した。「コの字」型に置かれた3つの丸太ベンチは、離れてみると何かの集会所のように
なっていて、新しい空間が生まれたように見える。こうして、だだっ広い荒れた林が着実
に何者かになっていく変身を見届けるのは喜びである。

もうひとつ気になっていた場所がある。国道から林道までのアクセスである道道の法面に
あるシラカバの風倒である。根返りを起こしてめくれており見苦しいのだが、2年以上放
置されたまま。ゴミも一杯だが、今日は風倒だけでも片付けてしまおう。道路管理者に春
の清掃の時に持ち帰ってもらえるように、枝を落とし2mほどの長さに伐った。全部で8
本ほどあった。沿道の枝を拾いつつ車で小屋に戻る。

冥想テラスで、気功の一種のタントウコウをする。自分の自然体をつかむと、その姿勢で
木になるのである。手をやや前に出して、丹田に力を込め、最もユッタリした姿勢で自分
も「樹木」になるのである。

茶色の風景に屋根の赤が浮き立つ

作業前の萌芽林

チョッと手をかけるとこんな風

これだけでも憩いの場になる




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