3月はチカラ、4月は助走である
NO.48
2008/03/02〜

齢を重ねるたびに、
季節の付き合いが深まるような気がする。
付き合いに感性が身を乗り出し、喜びも深い。
これは「残された季節の体験が限られてきたという実感が
そうさせるのだろうか。


見違える林にしたい  426() 12℃ うす曇

 

時間繰りが不安定になったので、今日はU病院はやめてまず遠浅樹林地に向かった。先週、デジカメのケースを入り口あたりに落としたらしいこと、もうひとつは、アイヌネギの出具合をみるのが目的である。この、雑木林が一番いい顔を見せる今時期、先週も今週もやはり人の気配はない。池から廃屋跡の方に登ってからセリが取れる湿地の道を選んだ。そこここに風倒木があり、ツルに絡んだものも数多い。

 

アイヌネギは細いものが数本顔を出していた。かつては太い、しっかりしたものだった。町民利用が進んで、だれかが毎年採取しているのだろうか。シジュウカラの声がするので、シュッシュッといつもの鳥寄せの音をだすと、5mほどのところまで4匹が集まって逆さになったりしながら何かをついばんでいる。明らかに5mまでは寄ってきた。そこで、ホーミーを唸ったら、ほぼ瞬間的に嫌がられて向こう側に行ってしまった。ホーミーに喜ぶのは、やっぱり、ヤマガラだけだろうか。

 

小さな崖を登って、林床を東へ歩いた。もう何年も、ひょっとして買収してから40年近く、全く手を入れていないから、枯れているもの、ツルに絡めとられているもの、倒れたものなど渾然一体になっている。15分ほどササがまばらな平坦な林を歩いて昔作ったフットパスに出ると、その両側もやはり風倒木が目立つ。道をふさいだものはさすがに倒されて材も処理されたようだった。ドロノキの4本の大木(なんとなく、「遠浅のドロノキ四天王」のような風情で睥睨していたものだ)の1本が3mほどの高さでボッキリと折れて、裏にまわってみると中は空洞だった。

 

入り口に戻りながら、小一時間見て回った林の様子にちょっとがっくりしてしまった。何とかしたいのだが、現場の関係者の間でまだ方針の整理がついていないのだ。フットパス沿いの風倒木だけでも整理できないだろうか。植樹会の跡地も、ボサボサだ。資質の高い樹林地だから、町内会と共に段階的に整理して行きたいのだが、どうも足踏みしている。一年ほど前に始めた修景の計画は止まったままだ。所有と管理の新しい形態を模索する場として、合意形成を心がけながら少し長い目で見る必要がありそうである。

 

小屋では周辺の林道の落ち枝拾いをした。前回はフットパス、先週は瀧澤先生とつたもり1週コースの落ち枝を拾った。枝拾いは同好会を結成したくなるほど、林道の枝拾いは楽しい作業だ。最も簡単な修景作業だからだろうか。成果がすぐ見える。HPの掲示板で、「笹刈り迷人」とニックネームを名乗られる女性の方と意気投合して、「北海道枝拾い同好会」のようなものを冗談で作ったことがあった。各々のフィールドの枝を拾いあうのである。迷人さんはその後どうしておいでだろう。きっと、同好会は各々の場で健全に運営されているはず。

 

あ、大した作業もしないのに、能弁になってしまった。結局、デジカメのケースは見つからなかった。(-_-;) 長老の所に、シロップのラベルを持参したら、娘婿のKさんが来ていて、ラベルを見ながらニヤニヤしている。義父が一汗かいた、徒労のようなシロップ作りはとうに伝わっているようだった。

 小屋の前から林道の枝拾い 早春の仕事は実に楽しい


右手はセリが自生する沢

無惨。ドロノキの倒伏 

3本が残ったからドロノキ御三家

快適な早春の雑木林

オオウバユリが林道にびっしり

ナニワズはジンチョウゲのにおいを発散させていた

遠浅から小屋へ行く途中、柏原の松田翁しょうとく碑で手を合わせた


パワースポットを語る  420日 (日)17℃ 晴れ(黄砂) 

U病院の裏山の間伐の作業をしたあと、帰道したばかりの瀧澤先生と枯葉の雑木林に座って、九
州は高千穂、霧島、長野の戸隠など、パワースポットの話しをした。勇払原野も随所にそんな
独特の林がある、と私が紹介したその午後、しばし原野をめぐってみた。早春の勇払原野、いつ
もながら、最も美しい素顔を見せている。画像はこちら
葉っぱのない早春、それは恐らく
明るさの象徴なのかもしれない。晩秋から早春に、雑木林の神は宿る…。

ただ落ち葉を見つめる休息

新しい道の予定地

メープルシロップのラベル 4/18 thur 1晴れ 16度

いろいろ思案してみると、その思案する時間そのものが楽しい。これがいわゆる贅沢というものでしょう。で、カエデのシロップのラベルを作るにあたって、思いをめぐらす際には、素直にこれまでの経過と結果からストレートに浮かんでくる言葉をそのまま出すことにしようと決めました。そこで生まれてきた言葉の数々は次でした。

ラベルは上からこんな風に記されています。

HOLY MAPLE SYRUP
勇払原野のSPIRIT
2008年早春謹製
produced by 雑木林&庭づくり研究室とそのグループ
ニナルカの斉藤長老、シェフ・青池、テシゼニスト・草苅


こういう作業をすると、原野のスピリットはぐんと近く感じられるのでしだ。


こんな風に仕上がった


背景は柏原の画像


枯れながら生きる樹木   412()くもり強風 7

U病院の今日は、風が強い。雨もぱらぱらと降っている。林がゴーッとなっている。そんな中、粛々と作業を始める。林の手入れの完成というレベルはずっとはるか先なんだろうと思うけれど、ともかく、風が入りすぎて林の勢いが落ちることのない様に、間引きと保存のバランスを考え考え進めている。林縁部は既にある程度、透けており、南からの風は当然入ってくる。ただ幸い、伐採跡地だから、いずれ萌芽した樹木らにカバーはされる。また、切り株のある伐採跡地は、「林の一種」だという厳然たる感覚。これは発見である。土地に生の勢いというものがある。

今は、葉のない季節だから、隣の建物が見える。できれば、狭いフットパスを歩くときに別天地の感覚は持ちたいから、一周するフットパスの中はすけすけにはしないで、向こう側が見えないようにしておこう。そんなつもりで、少しずつ樹冠をみながらの作業だ。しかし、樹冠をよくみると、実際の込み合いはひどい。枝先がほとんど絡み合っている。そんなとき、こころで一言ゴメンと断ってからチェンソーを入れるのだ。一殺多生。

フットパスには、小さな切り株がいくつかあり躓くことがある。既にいくつかは掘って切ったがまだ5つほどみつかった。一服のとき、これを少し掘ってのこぎりで黙々と切った。これで躓きそうな切り株はほとんどなくなった。

さらにもう一回の休みの時には、風の強い伐採跡地を歩いてみた。ピンクのテープにそって誰か歩いてくれただろうか、期になる。今日はパワースポットらしいところをより具体的に探してみた。それは何となくわかる。そそこ小さく切り残した2箇所のトドマツ林の間にあった。出尾根の一番バランスのいい眺めのところである。もっとも眺望のいい、尾根の中心。そこには太さ30cmほどの広葉樹の切り株があり、座るとちょうどいい感じの向きが南向きになる。さらに素晴らしいことは、切り株のほぼ真ん中に、倒れたときの切り残しのギザギザ(つる、と呼ばれる)がのこっていてそれが会陰部にあたる。会陰部とギザギザをつなぐように接して座っていると、木の根が大地と自分を結んでくれて実に一体となる仕掛けだ。ヨガのポーズのとき、でん部を開いて座るのも、実はこのためではないかと思う。これは私だけの秘密にして、日和のいいとき、ここで冥想をしてみよう。萌芽する樹木らのパワーとともに、文字通りのパワースポットになるかもしれない。

フットパスのループの真ん中に火防線のようなものがあったのだが、バリエーションのひとつとして、これも道にすることにした。生えていたこぶしの実生苗はここだけ失礼して切ることにした。来週、鎌でササを刈り込めば、歩きやすくなる。

苫東の雑木林では今年初の「落ち枝拾い」を始める。薪ストーブに火をつけてから、大鎌をもってフットパスをめぐった。あるわあるわ。樹木というのは、こうやって、枯れながら、腐りながら生きているのだ。そうしていずれ、朽ちる。なにか、示唆するところがありそうな営みではないか。不要な部分は、捨てる。捨てるというより、自然と樹液の循環が滞って自ら落ちて行くのだろうか。


見慣れない糞に出会った。

イタヤカエデからはもう樹液は出ていなかった。先週、旭川や下川では雪解けのすぐ後に、フキノトウが出ていたが、はるか南の苫小牧はまだ斜面にフキノトウは見えないのである。凍った土が冷蔵庫のように地温の上昇を抑えているのだ。気温の上昇と、眼前に展開し沈黙の光景とギャップ、足踏み感覚、これが勇払原野だ。


掘っては切る大事な作業

枝が絡んでいる

新しい道

丘の頂上

この切り株が私の大事なスポット
になるかもしれない


やはりパワースポットだった  4月5日() 晴れ時々曇り 8℃

夕べの会議のあと、メンバーの小さな出版記念会で最終列車となった。お酒が適量だったから、睡眠不足でもU病院のフットパスに着いたころも気力は充実していた。まずプチ・コースを見てみる。昨年秋に行ったこの駐車場前の間伐木は、作業療法用に玉切りしたり運びやすいように切ってあるのだが、小径に掛かったものもまだそのままだ。で、こんな風にするんですよ、という見本をふたつ創ってみた。いわば、小さなお節介でもあるのだが、わたしはこんな風にゆっくり進む癒やしの営みを遠くから見守るつもりだ。

  
人が通れば道が落ち着く 右は丘の上に出る

フットパスは、ぐんぐん見え方が変わって来た。恐らく結構な数の人が訪問していることが、道の出来方とにおいでわかる。俄然、人の気のある里山風に変身してきた。胸が膨らむものだ。林の変化が確実に評価されているのがわかるからだ。今日も、良かれと思う自分風の抜き切りを続けた。冬の下着に作業用ワイシャツ姿なのだが、ヘルメットから汗が滴る。頭髪と首がびっしょり汗でぬれている。暑い。

今日はもうひとつ大事なテーマがあった。希望が丘展望台から、隣の伐採跡地に道をつないで見るのだ。希望が丘にピンクのテープで入り口を表示し、患者さんが最も歩きやすいところを探し、地面を覆う太い枝や蔓を取り除き、いかにも道らしいように仕向けるのだ。20mおきにのところどころにまたピンクの目印をつける。そうして伐採用の道にでて、病院の方へ回って行くのである。こうすると、病院を大きく一周するフットパスコースが完成するのだ。

 
やや歩きにくい伐採跡地 眼下に常緑樹の造林地

案の定、希望が丘とそこから先の尾根筋は、パワースポットであった。わたしはスピリチャルな気分の昂進がなされる場として感じる。先日、九州の高千穂で体験した国見が丘のパワースポットを、北海道風にワイルドにしたような、そんな風に感じられるのだ。作業中に、この林を毎日散策に使っている患者さん(この森の番人らしい)が今日も挨拶にきて、小径に座り込み、「作業の邪魔しちゃ悪いけど」といいながら、毎日いかに気持ちよく歩いているか、そして段々参加者が増えてきたことなどを話してくれた。また、展望台で、先日、T先生指導のもとみんなと「呼吸法」をやったという。それならなおさら、さらにその先のパワースポットを、療養の場として組み込まれることを勧めたい。

昼過ぎ、着替え後、病院の駐車場で小さなおにぎりを2個食べて、今度はまっすぐメープルシロップの現場に直行した。小さな穴に、同じ木の枝を加工してで栓をして癒合を待つのである。樹木の自然治癒を促すのだ。カッターで太さを調節し、木槌で打ち込み出っ張った部分をのこぎりとカッターで平に切り取った。イタヤカエデはアイヌ方式で7リットル採取できた。驚いた。早春の樹木たちが、いっせいに動き始めるその勢い。ほとばしり出るスピード。今回の手作業は、わたしが林とかかわって来た「つきあい」の中でも最も印象深いもののひとつとなった。なにもしないで放置するのも付き合いであれば、こうして積極的に付き合って行くのも付き合いだが、後者の方には愛着と眼差しがあり、共生していこうという芽を持っている。木を切りながら森や林を手入れして行くという逆説的真理は少しずつ認知されていくようにしたいが、その小さな実験の一環として今回の作業はズシリと重みをもつ。

  
ペットボトルには虫が入っていた カエデの穴に栓をしたところ

サトウカエデの樹液はこの2週間で22リットル採取できた。薪ストーブで煮詰めてもらったこのサトウカエデは800cになった。二つの大鍋で36時間、煮詰まってからは沸騰させないように気を使い、27分の一にしてもらったことになる。普段1日に使う薪の4倍を消費したという。あめ色で、癖がない。鍋に付着したままのシロップは、もったいないから食パンでふき取るようにしていただいた。小瓶に4つ。ひとつは記念のタップと共に煮詰め作業をしてくれた方に、ひとつは、大人の遊び心で作業を共にしたマイ・シェフに、そしてもうひとつは英国でタップを探し送ってくれたニックネーム「みかん」さんに、感謝を込めてさしあげる。できればラベルを貼りたいなあと思案中。

イタヤカエデの4リットルを、試しに家の都市ガスで煮詰めてみた。だいたい弱火で3時間すると15分の1ほどになった。ここからゆっくり濃縮してみよう。ガスは時間が読める
のが面白い。

林のなかで落ち角を拾う



そろう、並ぶ=人の気配



展望の丘へ



伐採跡地は尾根筋がある






















メープルシロップとタップ







風倒木を片付ける   329()曇り 2

寒い日が2,3日続く。病院の駐車場で着替えをしていると、風が梢をならして、いかにも縮
みあがりそうな風景だ。それでも、裏のフットパスに行く入り口に、ふたつだけ、フキノ
トウが咲いていた。

いよいよ、気になっていた風倒木を片付ける。大きな風倒木が実は箇所あって、ひとつは
昨年の秋に整理した。今日は、シナノキの大木、それと白樺の大木
本である。いずれも残
って欲しかった「林の主サイズ」で、とてももったいなかったと思う。ふたつとも敷地の境
界だから切り盛り土の関係なのか、風をまともに受けたせいなのか、本当に惜しい。シナノ
キは、倒れたまま枝が再生しているので、途中まではそのまま残して、フットパスに掛かる
幹真ん中から枝の部分を片付けた。

白樺はトドマツとバッコヤナギに重たそうにもたれかかっており、ヤナギも倒さないとい
けなかった。どれが一番支えているのかを見極めながらチェンソーを入れて、ミシッとい
うか細い予兆の音を聞き逃さないよう、最新の気を使うものだ。風倒木は危ない。そうし
ていたのにも拘わらず急にミシミシッときて、チェンソーをぶん投げて脇へころがりこん
だ。風倒木は本当に気が抜けない。

枝を片付けていると、年配の男性がゴミ袋のようなものをもってフットパス付近のごみを
拾っている。「こんにちは」と声をかけて近づくと、やかんや何かが袋に詰まっていた。
そうなのだ。長靴や生活ごみが、別の施設のほうから捨てられており、ゴミ捨て場になっ
ている可能性があって、とても気になっていたのだ。ごみは場のチカラを削ぐ。場に不似
合いな物はあってはいけない、という当たり前の原理が大事だ。

わたし「どうもありがとうございます。助かります。ごみ掃除は林の散策路づく
りの基本というか、入り口ですからね。」

男性 「いえいえ、きれいな気持ちよい林にしてもらってありがとうございます。
毎朝、朝食前に歩かせてもらっています。」

こんなうれしいやり取りをした。励みになる。この方も、わたしが「希望が丘展望台」と
名前をつけた、伐採跡地のみえる丘のあたりが気持ちいい、とおっしゃる。いつか、ベン
チでもつけたいところだ。白樺の丸太で作ろうか、とも思った。

カエデはここ数日の低温で不活性なのか、あまり樹液が出ていなかった。ところで、甘さ
はサトウカエデと、わが道産子イタヤカエデとではどちらが上なのだろうか。思いついて
、樽前のメロン農家Sさんのところへ樹液をもっていって、糖度計で測ってもらうことに
した。で、結論はサトウカエデの勝ち。しかし、僅差。サトウカエデ=2.2%、イタヤ
カエデ=2.0%である。メロンの汁は17%だそうだ。

長老が煮詰めたイタヤカエデ(2リットルを180cc)を飲ませてもらったが、この約10
の一の濃度でもかなり甘い。しかし、まだトロリ感はなく、無色透明だ。イタヤ独特の
香りがある。そしてちょっとエグイかもしれない。

糖度を計るとき、こころのなかで「イタヤカエデ、がんばれ」というエールを送っていた
のが我ながらおかしかった。身びいきなのである。こんなところに潜むちょっとしたナシ
ョナリズム。


ATAGOの糖度計。プリズムだ


たった二つのフキノトウ

シナノキの風倒木。枝が空に向
かって伸びている


白樺。重量感がある

里山らしい道になった

吹き溜まりの雪が消える

何かに使えそうな太さ

U病院の間伐を始める   3/22 快晴 12℃ 


 早春の雑木林

驚くことに、おととい回収したあとに今朝、1リットル以上が入っていた。タップを使ったサトウカエデの話だが、さらに驚くことがあった。イタヤカエデのアイヌ方式でも、この1週間で2リットルのペットボトルが満タンになっていた。飲んでみたら、あらら、今日はサトウカエデとあまり遜色が感じられなかった。早春のちから。厳かな気分で、ボトルに残ったしずくを口に含んだ。

U病院へ向かう。冬の初めは12月まで作業はしたが、歳が明けて今日は二カ月ぶりとなる。ほぼ雪は溶けて、早春の雑木林の明るい素顔を見せている。今日から5月の中旬まで、病院裏のフットパス周辺の若い広葉樹林を気持ちのいい「手自然」に導く手入れをする。今日はその手始めで、標準的なエリアを見せるべく、自らのセンスにまかせ、入り口から作業を始めた。仕事がタップリある幸せということを感じる。それほど、繁茂して手がつけられない状態。これを入りたい林にする、というものだ。なんという自己実現だろう。 


 こんな片付けもしてみた

合間に、100mほど先の昨年の皆伐跡地を眺める尾根に行って見る。おおお、これは素敵だ。とても気持ちがいい。先週訪れた宮崎の高千穂のパワースポットを原始的にしたような「気」がある。これは「希望の丘展望台」とでも名づけたくなる場所だ。



かなりの抜き切りをしてようやくこうなった
右は希望が丘展望台へ登る道。


タップリ入ったボトル

聞き覚えアイヌ方式でもこれだけ

植苗の早春の牧場

丸太の椅子、今はすごい存在感
がある
















春祭り、カエデの樹液 3/15 sat くもり 5℃
            

待望のサトウカエデの樹液採りをしてみる。英国から送ってもらったタップをひとつ差し込んでペットボトルを取り付ける。なかなかの優れもので、1.5秒に一滴が落ちる。イタヤカエデには、ササの葉を差し込んでみる。それでもかなり浸出してくる。甘みは断然サトウカエデだ。驚くほど甘く、砂糖水に近い。イタヤの甘みはその点、ほのかというべきレベルだ。春のひと時のみの現象。折りしも、上空にはマガン・ヒシクイが飛び交っている。今、春の真っ只中にいる印象。

わたしの九州土産=綾町産鮎の干物をつまみ、長老とシェフとストーブの前でお茶をやってから、成果を見に行く。陽が傾くと急に樹液の流れは止まるようだ。ほとんど出ていなかった。小屋に戻ってからシェフと懸案の成就にとりあえずエビスの黒ビールで乾杯した。薄暗くなって行くにつれ、ガンの声は大きく頻繁になる。ランタンをつける頃からがピークになった。ああ、春。

シェフの今晩の料理は、釧路産コマイのあぶり、手羽先のナンプラー漬け照り焼き、ポトフだった。これにシャブリの2006年ものと、九州は人吉の酒蔵で試飲して買った39度の球磨焼酎。いずれもうまい。話は尽きないが、いつのまにかシュラフにも入らずに寝てしまった。1時半に薪をくべてSNSの日記に返信を書く。4時半にもう一度薪をくべた。そして6時半。


食べ過ぎず、飲みすぎず、吟味されたものを少量

未明からまたマガン・ヒシクイの声が雑木林に響く。ねぐらのウトナイ湖から、厚真、鵡川方面の田んぼに向かうのだ。シェフは夕べのポトフのスープを調理してスープカレー、それにライ麦パンの朝食。8時には小屋を出て演習林に向かう。シュッシュッと鳥寄せをしながら林道を歩く。取水口から戻りタワーを経由して神社へ。シェフとは10時に散会。いい春祭りだった。


もういらなくなったザイル2本は枕


レガシーは雪深い林道を驀進した

サトウカエデのタップ

2時間で200ccとれた

歩いて小屋へ  3月8日 快晴 10℃

やっぱり、車は林道に入れない。果敢にアタックしたと見られるジープらしいわだちも途中で引き返していた。

春の陽射しの中を、小さなザックにタップリの水と本を入れて歩くのは、気持ちが高揚して気持ちいい。明るい。空気が美味しい。途中から、シカの足跡がついていて、その足跡を利用したほうが断然歩きやすい。これは笑ってしまう。
小屋は外気がプラス10℃、中が0℃だった。屋根からは雪解けのしずくが落ちて、薪の縁は水溜りになっている。積雪は40cmほどあるだろうか。長老が携帯で連絡をよこしてから、歩いて小屋にやってきた。もう、カエデの水(樹液)はどんどんあがっているらしい。来週、英国の「みかんさん」に取り寄せてもらったインド製のメープルシュガー用タップを使って樹液とりの予定だ。今回は、その打ち合わせもあって来てくれたものだ。

長老が食事のために戻るのを歩くスキーで途中まで送った。その足でカエデを探したが意外とないものだ。思い起こすと、平成の始めの頃、小屋の周辺の間伐では、値段の高い「イタヤ炭」の生産も目指したような記憶があるから、イタヤが特に少ないのではないかと思うのだ。その割にはヤマモミジは残っている。

マガンの声はさすがにまだしない。


小屋は「佇む」という表現がぴったし。待っててくれた感も。


南向きの道路わきはもう雪がない

ここから先はわだちなし

シカの足跡を借りて省力化

落ち枝の結界

ストレスと林   3月2日(日)はれ 5℃

土曜日は札幌でフォーラムで費やし、仕事モード。週一回の休日は雑務がぎゅっと詰まる。朝一番、昨夜ノートパソコンのメモリーを増設に失敗した作業の残りをして、なんとか片付いた。月末締め切りの原稿を再考して、管理するSNSのお知らせを50人分一括送信した。これが試行錯誤が続いて、結構ストレスになっている。数人分のメッセージが一気に消えたときはちょっとヒヤッとした。間違ったメールを起こさないよう気遣いながら出すアップロードの瞬間は、HPと同様、緊張もするし、神経を使う。胸、頚にじわーっと締め付けがある。

ああ、やっぱり州に一回は林に行かねばおかしくなる、と演習林に向かう。手ごろな近さで、雪が踏んであるから雪道があるのがありがたい。晴れた空にもう雪面がまぶしい。大木の枝がなんの脈絡もなく伸びて渾然とした状態に、たいした驚きもなく散策する。カラ類はものすごく活発だ。シュッシュッと音をならすと頭上、両脇の枝にハシブトガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、ヤマガラがきた。今日はどうしたのだろう。立ち止まってからの1分間で20匹ほどがやってきた。








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