人のつながり、林とのつきあい
NO.44
2007/07/01〜

ようやく、股関節の調子がよくなってきた。そうしたら
身体は正直なもので目に見えない元気も感じる。

林にはこのところお客さんが多い。なにかのついでに
お寄りになる話も数々。
これも林のご縁、と大歓迎し思い出に残る時間をいただく。


気功を学ぶ2 8月26日(日)はれ 28度

白老にて、林さん、白井さん、新岡先生とわたしの4人。急遽、さまざまな都合で少数精鋭の4人になったが、少数で行うイベントは実は実りが多く、それをリリースできるHPなどの媒体をもっていればむしろその方が密度が濃くて喜ばれる。今回はまさにそれだった。

13時、ポロト湖のセンターに三々五々集まって前回の感想など興味ある話をしている間に、全員揃って奥の広場に行く。気功一般の心構えを学び外丹霊動功を20分したあと、川べりの林を散歩する。20分ほどで戻ってから、肩甲骨の運動をしばし。前後左右300回をすべし、と聞いて驚く。馬歩沖拳もしばし。

エクセサイズのあと、広場のテーブルで歓談。話題は尽きない。











林はやはり「アジール」だった 8月18日(土)
くもり 20℃

車を降りると、その瞬間に、草のような葉っぱのような、カビのようなにおいがする。的確に言えないけれど、恐らく「土」のにおいではないか。とてつもなく、懐かしいにおい。

7月末の「林とスピリチャリティ」の勉強会で習った気功「外丹霊動功」を瞑想テラスで始めた。新岡先生によれば40分ほどがお勧めらしいが、私はまだ最大30分しか経験していない。今日の外丹霊動功の気持ちよさは抜群だった。土のにおいに囲まれていることもあるだろうな。

前回もそうだけどわたしはやり始めて10分ほどで左の肩甲骨の内側がむず痛くなる。そうしてひざを揺する動作をちょっと離れて左腕をぶらぶらさせることに集中する。ひざはややゆすったままだ。こうすると、肩甲骨がほぐれてきてとっても気持ちがいい。しばらくしてまた、膝ゆすりに戻る。体はよくリラックスする。心の変化をたどると、前回もその前もそうだったが、これをやると喜怒哀楽の「怒」が前に出てくるようだ。その「怒」の意味を考えてみた。「怒」はもっと正確にいうと、わたし本来の「気難しさ」ではないかと思う。日常、わたしは自分の「気難しさ」を封印しているのではないか、と思いついたのだ。

「気難しさ」は「不快」を生むから、わたしを随分「生きにくく」してきた正体だったのだ。だから、わたしはこれを、きっと血液型A型のような気働きとソツのない対応をすることで封印し、ともすると「不適応」になってしまう自分を抑えたのだ。持ち前のB型的な部分は、アートやプロデュースの時だけ開封するのである。これはわたし風のヒュウマンスキルなのかもしれない。わたしの血液型をA型と見る方が大半で、その見立てにわたしはしばしば喜んだのはそれがスキルの成功の証に思えたからだ。

外丹霊動功は恐らく、体のリタックスと同時にこころの封印をも剥がし、わたしはしばし、「生成り」の自分に戻る。ただ、それがいいことなのか、どうなのか。ことごとく、不快を感じてしまうならそれはマイナスではないか。もし、なにかプラス面を探すとすれば、深層で自分の心身がどういう感じ方をしているかを垣間見ることが出来ることである。それを冷静に観察する。と、その、突き放してみているのはだれか。それは真我。…そういう構図かもしれない。そうすると、外丹霊動功は心身をリラックスさせ、真我と出会う営みということになる。真我と結ばれるなら、それは「ヨガ」の語源と一緒である。

フットパスを歩くと、甲虫がいくつか。キノコもちらほら。

こういう心とからだの在りようを、そのまま受け入れているこの林。歩きながら、林はやっぱり「日常の避難所」「お休みどころ」「充電空間」である。「隠れ家」「エルミタージュ」(兵士の隠れ家という意味とか)、そしてそれは人の弱さ・なよなよメソメソのフラジャイル性を受け入れる「アジール」なのだ。しみじみそう思えた。

どうも、外丹霊動功のせいかB型的な独断が増長して、断定的な言い回しになってしまった。そういう自分を観察している。そしてまもなくその癖(ヘキ)を封印しよう。まもなく、人里へでるから。

湿り気がキノコを産んだ


笹のじゅうたん

ハリギリが早くも黄葉

ちょっと早すぎるかな

原口さんの坪庭の芍薬の実

カミキリがやってきた

甲虫


草いきれ 8月11日(土)曇り 24度

車から降りるとこの頃、ぷ〜んと林の、カビっぽいのと草のにおいがしてくる。体臭があるように、これは小屋の周辺の樹木やひとつながりのnatureのもつ香りだろうと思う。まったく悪くない。

空気は淀んでいる。無風状態だ。鎌を持って一周すると、さすがにくもの巣が張っているし、笹の一部はパスにもたげかかっている。それらは鎌で刈り払う。笹は、間伐前のそれとは比べものにならないくらいに繁茂し、生え揃った。

間伐すると笹は増える。


ベランダの軍手にやってきた蝶

湿度100%。雑草は出ない。

土用伸びなどを刈る 8月5日(日) 24度 曇り

先週はこれず、今週は、雑用のさなか。緑が濃くてそこへただ染まりに行くようなものだった。アクセスと小屋周りはせっせと刈ってこぎれいになった。

綺麗な刈り込みといえば、信州・上高地が良く出来ていた。刈るコツ。あれは参考になった。

2時から遠浅樹林地の扱いで、荒木さんと打ち合わせ。暗い入り口、明るい広場。諸説、考え方はあるが、新しい視点を注いで地域の森になるべく、これから突合せは本格化する。

大分見えてきた。

雑木林の裏はひまわり畑だった

白老で学ぶ 7月29日(日) 

林とこころの勉強会Uを白老・ポロト湖で。蚊がいない不思議な緑の空間。フットパスを歩く人の数は少なからず。勉強会の概要は別ページにて


直径1M以上の大木とコケ


刈り込みはエッジが大事

刈り込みの頻度が多いとこんな風になる









ポロト湖

「辻井達一の植物百科」ご一行の訪問 7月25日(水)快晴

今日は「辻井達一の植物百科」というご一行がわたしのフィールドにこられたので、約2時間、雑木林でレク&ウォーキング。
NHK文化センターの催事。43名は、まとめてこられた人数では過去3番目か。

雑木林とフットパスを紹介するボランティアで、仕事関係は夏休みを
取得。

明治時代、ここで英国向け棺材をとって坊主山になった話、トラジロウの捕獲の顛末と逸話、イヤシロチ、など、およそ植物の話には関係ないことを語り、最後は、スピリチャリティで締めくくり。辻井先生も苦笑い。

女性の中高年の方が中心で、何人かはなじみの方も。いろいろ、的を得た質問も多く、みなさん、知識も豊富。いやいや大変楽しゅうございました。

まことに残念ながら快晴で、上品な苫小牧の霧を御馳走できませんでした。ほんと、実に無念。…


*笹は、日差しが強いと葉を閉じますが、この日はちょうどそれが見えました。








林の故事来歴などを説明

木漏れ日のフットパス。

笹が生え揃って芝生状。

ぬか漬け弁当  7月22日(日)曇りのち晴れ 20

いつも、ありあわせのもので簡単な弁当をつくる。今日はわかめの混ぜご飯にお手製のぬか漬けにした。キュウリとナス、大根、それと新ショウガ、いずれも昨夜つけたもの。この質素さが林の手入れに向かうときにぴったりのモード。

9時前の雑木林は曇りで、気温は高くないが湿気が多いのか、林は陽炎のたちそうなくらいにむんむんという勢いがある。こころなしか、鳥たちの声もよく響く。アオバト、ヒヨドリ、イカルなど。一番の変化は蝶だ。変わったカラスアゲハにどういうわけかシジミチョウみたいなのも飛んでいた。アカガエルが2匹。また、小屋でお湯を沸かしているときにザワッと笹を駆ける音がした。ベランダに出ると何もいなかったが、きっとシカではないかと思う。

どうも、生き物がみな、本格的に動き始めた観がある。うごめき、成長する世界。あるものはそして死へ、あるものは冬の休眠へ向かってつかの間の夏を突き抜ける。花鳥風月の世界は、このような自然から「景気」を測りとるアンテナだという。さしづめ、今は「景気」のいい小屋の周りだ。

水曜日に辻井先生が講師を勤めるNHK文化センターが視察に来るので刈り残した笹道を刈った。蚊が全くいなかった。

長老の周りの農地は、そばの花が満開で、小麦が色づき、メイクイーンももっこり。原野はピンクのホザキシモツケと真っ白なサビタが盛り。

原野はサビタで白い


イグチのようなきのこが出てきた。
数日来の雨で溶けている



今日は仕事を持ってきた。笹刈りの
あと、緑に濡れながら



雑木林の隣の田園では、そばの
花が満開だった



真夏、ストーブを焚く  714() 15度 曇り

ノートに札幌のHさんの書き込みあり。先々週はS先生も訪問したらしい、と家内に聞いた。

寒いので薪を焚いておく。作業を始める直前、遠浅のAさんから急遽訪問の知らせが携帯に。1時過ぎなら昼食入るからOKですよ、と返事。今日は乗っている、というか、どうも気がはやっている。こんなときよくあるがブッシュカッターを始動させようとしたのに、またもや、点火しない。十分後、だましだまし、やっとエンジン音がなった。そろそろ寿命だろうか、という思いも頭によぎる。

気になっていた「奥のささみち」を刈る。もう笹が目いっぱいに伸びているようにみえて先週からずっと気がかりだった。はずかしい。しかし、なかに入り込んでみると、笹が繁茂していたのは入り口の日当たりのいいあたりだけで、中はそうでもなかった。それにしても「もののけ」が住み着きそうな鬱蒼とした暗がりがある。30分ほどで刈り分け、フットパス「からまつ」も分岐まで刈る。「ささみち」も休憩場所まで刈った。

カップ麺のお湯が沸いた頃、AさんとMさんご夫妻がやってきた。繋がりをたどるとMさんの奥さんとAさんは姉弟の間柄とわかり、先般、「世間は狭いね」と話していたのだ。

遠浅の樹林地をコモンズのように町内会が奉仕として手入れしようという動きが本格化して、わたしは森づくりのアドバイスをするよう頼まれていたのだ。前回の打ちあわせでは、大きな管理計画を立てて区域図、年次計画も作ることにしたので、まず、権利・契約関係と図面を用意することにしていたのだった。わたしは大きな「見取り図」のようなものを書き始めている。これで、準備はスタートできる。寒いベランダで、30年以上前の用地買収の話に火がついて、その後の人の運命をたどることとなった。大金を手にした方々の没落。大金で運命が変わってしまった話は悲しい。

3時過ぎ、U病院で森林療法エリアの片付けについてスタッフの方々と打ち合わせをする。「気持ちよい場作り」。そのために何をやればよいか。アクセスの道、切り株、丸太と枝、埋もれ木、それらの片付けの段取りをした。佇んでいたい場作りは難しそうで簡単なことばかり。片付けた、という「ひと気」も実はとても大切で、見た目もよく達成感もある。林そのものはもっと抜き切りをしていく必要があるが、快適な込み具合について、合意も必要だから、こうしてスタッフと集まってみるのは意味がある。

スタッフと。随分蚊がいた。

T先生とは、小一時間、林とこころのつながりといういつもの遠大なテーマについて今日も意見交換。ドイツの保養地のランクについての資料をお借りする。再開する勉強会「林とこころU」についても事務打ち合わせ。


夏の小屋。涼しすぎる


しい笹はじゅうたんのようだ。


Mさんの菜園のトマトときゅーり。

ラン科のオニノヤガラが小屋の周りに二つ。ことしはボリボリが豊作という予兆。


気功の先生、来訪 77() 快晴 31

先週は小屋に来れなかったので、雑草はさぞ伸びただろうと覚悟してきたが、さほどでもなかった。Nさんご夫妻がみえるのを待って小屋周りを刈っていた11時過ぎ、ジムニーでご夫妻が到着。ご主人は2週間前、辻井先生と一緒に初めての来訪、気功の先生でもある奥様は以前からここへの訪問を希望されていたのだけど実現できないできて、NPOなどの用務のない今日、思い立って急遽やってきたとのことだった。前日の金曜日の訪問メールに、勿論大歓迎と返信したのだった。折りしも、気温はどんどんあがっており、日陰に車を止めてもらった。26度だった。それが後に街では31度になっていた。

ベランダでご主人と歓談している間に、奥様はすっと林に入られ、まだ刈り込みをしていない「奥のささみち」をめぐって来られた。改めて「ささみち」に3人で入り、一周する。道端の草花に足を止め、もたれるのにちょうどいいミズナラの木のたもとでは「ここに座って目をつむるんです」などと林のあれこれをお話しする。小屋にはNさんが遅れて戻ってきた。分岐のところで「木が鳴る」という話をしたので、Nさんはその原因を確かめていたのだ。どうもホオノキとほかの木が、風で微妙に擦れる時に音が出るとの解説だった。まるで、猿のような、つまりこの辺ではいそうにない音で哺乳動物っぽい、それも人の声に近いような、そんな微妙な音なのだ。
小道に残したテンナンショウ

奥様が焼いた素朴なパンをいただき昼食後、秘が傾き始める三時まで、気功のお話を挟みながら、林など自然と人のこころのことを実に幅広くいったりきたり、最後は仏教の話になった。実に楽しく深い時間だった。この林のこのベランダで、林に向かっておしゃべりしていると、林が鏡になるのではないだろうか。素直な話になっていく。

夜は龍村仁監督の「地球交響曲第6番」を家内と見に行く。自然音を演奏する奈良裕之氏のspirit catcher(弓の弦で創る不思議な音)が放映のあとに特別演奏を披露。不思議な、魂をゆすぶる音だった。
 
わたしのパワークラフトの話になると、Nさんも熱く語り始めた。


朝、庭の込んだホスターを株分けして、小屋のベランダから一番よく見える場所に
移植した。4リットルの水、全部あげた。



奥様のパン、グレープフルーツ、さくらんぼで昼食。

美しい笹原にかがむと笹の林。小人の世界だ。


こう歳をとりたいもの。N夫妻@小屋

南幌のフットパスを歩く 71日(日曜日) はれ 25度ほど風あり

エコネットワークが主催するフットパスのフォーラムがあり、前日から南幌へ。日曜日は九時集合で、11kmを歩いた。平らな南幌町は上り下りがないので楽だが、後半、疲れが出てやめたい気分がでてくる。終盤、白樺の枝がみつかり、ノルディック・ストックの姿を小樽商大・中川さんが描いた歩き方をしてみる。

南幌は思っていたとおり、平坦な農村。林といえば防風林。開拓のにおいが濃厚にして「開田」という石碑が印象的だった。開拓前の原始林や湿地の風景を想像してもちょっとイメージがわかない。なにもない、と言われてきた地域に眠った資源を発掘している地元のひとの話は迫力がある。そこを支える札幌の人たちも多いのは、いい人間模様だ。

三日月湖でフナと鯉を釣っている人がいた。本州的風景。
「関東なら、この釣環境があれば何百人もくるだろうけど」。まわりに人はいなかった。


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