シンポ風景。いつも窓がいい 石組みにナデシコ類が 決してけばけばしくない大人しさ 庭の核心、イングリッシュボーダー ウッドランドガーデン |
イコロの森のイングリッシュガーデン経由刈り払い 2009/06/27 sat 晴れ 24℃ 木曜、金曜と連続して研究会をこなし、なんだか、二日酔い的な目覚め。 でもほぼいつもの1時間後におきて、7時半から、ちいさな庭の芝を刈り、イボタの垣根 を表通り分だけ揃え(ごまかし)、ジャーン、ついに、スギナを除草剤をしみこませた軍 手でナデナデ。これで枯れるが、雨で遅くなりすぎた。 10時からのイコロの森のシンポに向かう。「勇払原野の水」に関するテーマにあわせ、 白老の川のフライフィッシング、苫東の火山灰、雑木林のことなど話す。prof,tujii の 軽妙なつなぎに救われる。異分野の方々と親交。 午後、ガーデナーにイングリッシュガーデンを案内してもらう。いいできばえになって きた。(写真) イングリッシュ・ボーダーのできも、昨年とは大分違う。成熟に向かって いる。だが、この本当のここの見せ場にお客は少ないのはどうしたことか。 2時に終わり、自分の現場にいって着替え、おじさん作業員としてブッシュカッターを 担ぐ。笹が伸びてしまったためになかなか前に進まない。フットパスの中継点「まほろ ば」というポイントで止めた。手伝いに薪割りと片づけをしてくれた山の先輩と小屋の 前で歓談。 Yさん、奮闘、ほとんどきれいに 黄昏の雑木林で、うだうだと過ごす。いい時間だが、さすがに夕方は蚊がでる。 ps;ベランダにキバシリという小鳥が、わたしの帽子に休んでいた。 ベランダが小鳥 の救急病院になるならうれしい。一方で、先週からキツツキが警戒音でイセキする。 近くで子育てしているらしい。遠くでツツドリが鳴いてくれるのもうれしい。 キバシリが帽子に |
昼休み、外反母趾の友の会ができる 「ごじゅうから」チームの作品 メンバー左から、二俣さん、わたし、武田さん、下川さん |
2009/06/20
sat 14℃ 「こころの森フォーラム2009」は、6月29日、樹林気功の小山内和子さんと森林アートセラピーの西川直子さんを苫小牧に迎えて開催した。 前日の金曜日午後、空港に着いたばかりの西川さんを植苗病院を経由して北大研究林に下見のために案内。西川さんは英国の大学に入りアートセラピーを学ぶうちに、クライアントが森の素材で作品をつくり自ら作品を語ることを通じて状況が改善して行くことを発見し、その手法をみずから森林アートセラピーと名づけて、それを取り入れた治療を日本で始めている。西川さんとは今年3月末の京都の森林学会で初めて出会い、縁あって苫小牧でお会いすることになったものだ。 さて、20日のフォーラム。朝6時半、瀧澤さんから約束の電話がきて「どうします?」。霧雨だったが、TVでみる札幌は明るい曇りだから恐らく札幌からの参加者は迷わず出発しているはず。だから実施するほかはない。事務局に問い合わせがきたら「開催」と告げた上で「無理しないでね」と付け加えてもらうことにした。 10時、研究林駐車場。いよいよ雨が降ってきた。濃霧を通り越して濡れる雨。やむなく、参加者は駐車場はずれの重機置き場の屋根の下で待機して、ほぼ予定時刻に簡単に開催の挨拶をした。30名、樹木園を抜けて15分ほど歩き「あずまや」へ。午前の部の小山内さんは、その狭いあずまやをみてすぐ、この日のメニューを、場所をとらないものに変更して、狭さを気にさせないハーモニー気功などを披露しで誘導。 雨にけぶるあずまやと小山内さん 軒も利用して 雨はまったくやまない。三々五々の昼食のあと、森林アートセラピーへ。ガイダンスのあと、西川さんがあずまや周辺で拾った素材を並べて例を示した。4人ずつのチームに別れ、フットパスを一周して作品を作る場所と素材を吟味、やがて40分の製作に入った。 わたしたちは、講座に入る前にゴジュウカラを手に乗せる話をしていたことから「ゴジュウカラ(人生は50から)」と命名し、切り株の周りで小さなカタツムリが見つかったので、小さな切り株を土台にすることにした。丁度、樹皮と年輪の間にすき間があり、それが生け花の剣山に当たるためそこに羊歯やその他の植物を差し込んだ。ホオノキの葉を切り株に敷くとカタツムリのベッドや滑り台になった。枝を3本上部を結んでベッドの上にピラミッドを作って天蓋にした。そんな風に足していって、カタツムリのシルバニアファミリーみたいなものが完成した。タイトルは「カタツムリの(ちいさな)幸せ」。身の回りにあるもので、幸福空間を作る、「知足」「満足」「我ただ足るを知る」の世界を意図した、というようにいくらでも後付で製作意図を述べることができる。 他のグループの作品は、空間を大胆に切り取ったアースワークのようなものだった。川の音も風倒木の枝も寝返りの根も、大きく取り込んだ中に、草花や実などのディテールがあしらわれている。 左上はキハダの樹木に直接オブジェを。右上は、部屋もあるおおがかりなもの ↑発表を聞く参加者、右は風倒木の幹を利用した作品 根っこを利用した作品「輪廻転生」 ここまでたっぷり二時間あまり。やや興奮気味に感想を述べ合いながら、最後に、もう一度、小山内さんの気功。天地とつながる「終功」である。いつのまにか雨はあがり、明るくなってきた。終功は、今日のフォーラムのタイトル「風土と繋がるメソッドを学ぼう」にぴったりだった。午後3時40分に終了。 |
北から湖畔を見る 湖畔のホテルから霧雨の湖 森を語る 森の技術面を預かるNさん 超大型の山ノ神の鳥居 気持ちのいい林道 |
阿寒・前田一歩園に森を学ぶ 2009/06/15mon〜17wed 毎日曇り&雨 13度前後 月曜から今日まで、阿寒の前田一歩園に行っていました。 前田一歩園は、昭和9年、日光や阿蘇などと一緒に日本で最も早く指定された阿寒国立公園にあります。その中核・阿寒湖のほとりの 森林の景観維持と保全の調査研究、啓蒙普及、人材育成などを目的とした、極めてユニークな公益法人です。2代目の婦人前田光子さんが タカラジェンヌだったという点でも良く知られており、光子さんが財団としては初代の理事長にあたります。 持続的な環境保全のモデルであり、その手法、理念、経営、連携などのすべてにわたって、これから必要とされる環境コモンズのひとつの優れた事例として勉強に訪れたものです。詳細は↓から。 http://www.ippoen.or.jp/ 前田三郎理事長がわたしたち一行に歓迎のご挨拶をされたあと創始者前田正名氏のあまり聞くことの出来ないエピソードを披露してくださいました。そのあとは4000ha弱の広大な森林を、スタッフに重要な数々のポイントを案内してもらいました。そこで、、森を歩き、森作りと利活用のディスカッションもしました。 細かいことはふれず画像を少々アップするにとどめますが、初代正名氏は鹿児島の生まれ、41歳にして農商務省の事務次官。そのまえには若くしてフランスに8年を過ごします。国立公園の働きかけなど理想の地の実現への情熱を思うにつけ、和魂洋才やアイデンテティのことを考えながらの森歩きでした。 直径3mほどのカツラ ps:圧巻は湖とマッチした景観形成、そして大木と更新、底に見える輪廻転生、それからミッションと人、そこに繋がっているネットワーク。 渓谷にて |
雨に煙る林 ササバギンランの開花 作業後の足元は草まみれ |
雨の中の刈り払い初日 刈り払い機が不調で、長老の所へもって行って試しにかけるとナント、一発で始動。新しい機械を買ってしまおうかと迷っていただけに、また、決心が鈍る。よく聞いてみると、燃料を入れたまま長期間(今回は約半年)放置しておくと、混合油のオイルとガソリンが分離して、プラグがぬれてしまうのだという。そういえばそんなことを聞いたような気もする。 それと致命的だったのは、わたしがチョークだと思っていたスイッチは逆方向が正解だった。別の同型機のシールで判明。しかし、これは間違って教わったせいだ。これではトラブル訳だ。気づかなかったわたしもかなり迂闊だ。 復活したブッシュカッター刈り終えたアクセス 赤いゴアテックスを来てさあ始めようとした頃に雨がやんだ。その前にセミの声が大きくなった。ワイシャツ姿で、さあ、ルンルンの初仕事だ。小屋に戻ってのエンジン始動も快調で、小屋周りと林道、それからフットパス300mを刈ってあとは次回に回した。腰がつらくて3回休んだ。 昼食を食べる頃に、また、ひときわセミの声が大きくなった。数年前の時とまったく一緒だ。セミの声のシャワーは、生き物の気が伝わってくるから、ベランダで深呼吸した。 小屋のノート「雑木帳」には、5月31日、わたしが帰った後に三浦ファミリーが遊びにきていたことが書いてある。 |
雨の新緑で命の洗濯 2009/05/31 雨 13℃ 笹も少し伸びてきたことと、なんとなく身体を動かしたい気持ちもあって雨の中だけど刈り払いをしに小屋に出かけた。 林の入り口に到達して、わたしは瞬間的に新緑の緑に濡れた。今年一番の緑である。思わず車を降りて画像を採取した。ほぼすべての樹木が葉を出し終え、緑のボリュームは、葉の緑の淡さに助けられ、数倍のパフォーマンスをみせていた。 ベランダにおいてある小屋の日誌「雑木帳」には昨日は二組のお客様があったことがかかれてあった。早い時間は、森林療法関係のかたで東京から。瀧澤先生が案内してくれた。もう人グループは山の先輩たち。柴さん、吉田さんが、東京の本田さんをご案内した由。この調子だと今年は千客万来になる。 「雑木帳から」 5/30(土)七福さまに連れてきていただきました。さまざまな音に耳を傾けながらボーッとしていると幸せな気分になります。ありがとうございます。(いまある) 5/30 12:40〜 ・本田氏を案内してきました。凄いセミの声に驚きました。SY ・無断ですがY社長、Sさんとうかがわせてもらいました。若葉のみどりの新鮮さに驚きました。 「目に青葉、山ほととぎす、セミの声」 HY ・苫小牧のマルトマ食堂で4色丼をご馳走になり、お二人をご案内してきました。素晴らしい好天です。Y …やはりあの異常なセミの抜け殻が、大発生の証拠だったようです。(草苅5/31) 一方、わがブッシュカッター。いつもシーズン初めからぐずり、それをだましだまし使ってきたが、今年はかなり重症だ。またプラグがぬれスターターは全くうならない。右手中指に豆ができ、やぶれ、右腕がだるくなってきた。ついに器械はあきらめて、ただ緑に濡れそぼつことに決めた。 そろそろ新機種導入か帰り、長老宅に寄る。わたしの自宅の物置をジャッキアップする必要があり、その方法を相談すると意外な事実がわかった。土台の組み方から行くと、わたしがもくろんでいた、サイドからのアップでは、土台のわくが壊れるらしい。これはいいことを聞いた。 |
写真集より |
ある写真家の講演「森の命」 2009/05/30 sat 曇り 北の森林と健康ネットワークの総会のあと、森の写真家・小寺卓也氏の講演「森の静と精、そして生」を聞いた。最初は森の造形美を音楽にのせて、目と耳が心地よい状態になっていた。そういう話かなあ、と目を瞑って聞いていたら、やがて郷里山形の羽黒山が出てきて、北海道と羽黒山では深度が違う、と結んだ。どうも知人や教え子の年代の子供が急に亡くなった体験とも重なって森の神秘への気づきにつながっていったようだった。そして 本州は神々のにおいがする。たとえば、高千穂、伊勢神宮、その他たくさんの神社など。そしてそこには既に宗教的な仕組みや命名がある。一方の北海道は、神々のにおいを嗅ぎ取ってしっかりと固定したのはアイヌの人だけではないか。和人たちは、実に合理的に土地を利用することに執着した。原始の森や湿原などに、風土の神々がにおっていることをまだ肉声化、あるいは概念化していない。原始の自然に神を見つけていない。神聖化したものに結実していない。このニュートラルさがわたしは多少危うくも思い歯がゆくも感じる。小寺氏は、珍しく、そこを画像の力、ひょっとしたらそれは治癒力を含んだ波動だったかも知れないが、その微妙な力を借りながら平易な言葉を選んで、このニュートラルを描くことに成功したようだ。 写真集「森の命」の画像をポエムの朗読とあわせて見たり聞いたり進んで、その具合にあわせわたしは頭をゆっくり左右に振って首の凝りをとりながら深呼吸を続けた。時に居眠りしながらそれでもゆっくりゆっくりと深呼吸を止めなかった。そうしながら、うすうす、このリラックスはひょっとして鼻かぜが治るかもしれない、と思っていた。そして案の定、快癒していった。斜め後ろにいらした気功師の小山内さんは、講演後に、指のまたの痛みが消えた、と感想を述べていた。画像に波動があったかもしれない、と書いた所以だ。 こういう話に発展するとは思わなかった。わりと、命とか神秘を語る場合には、スピリチャルなところまで普通はいかないものだ。スピリチャルとか霊性などという言葉を使わないで、このあたりの語りをするのは、独特の能力がいる。小寺さんはそこに達している。しばしば、身近な人を失った喪失感を森で癒やした方々などは、森の力をかなり高く評価することがある。しばしば、力をくれる鏡みたいだ、などということもある。今回の話にはそういうわたしの身近な事例に重ねて聞いた。 独りの静かな時間に、森の命と向き合うことができるとわたしは思う。だから、森や林は独りで過ごすべきだといつも余計な提案をする。小寺さんはその向き合う道具がカメラのファインダーだったという。この道具は、より具体的なものであるようだ。その具体的なあることが、入り口になって人は森とのつながりを得る。わたしは山仕事と小屋の生活だった。小寺さんはこれを敷衍化してファインダーを使って自然とつながるエクスカーションを小学校の校庭などでもやっているらしい。これは素晴らしいことだ。 |
アマガエルをいじる子等 手稲さと川探検隊の子供を含む15名ほどが訪問。 ざっとこの林の履歴を話してすぐ、フットパスへ。分岐で「まほろば」と小屋戻りを分けたら、ほとんどが「まほろば」へ同行した。当方は、色の薄れたピンクの蛍光テープの張替えがある。途中、山菜を採ったり観察したりで二時間を費やす。お昼ごはんは1時を過ぎた。 |
先ず外でのミーティング ハスカップ畑とアブラナ |
車椅子とつた森山林 22日午後は、NPO関係で雨のなか、苫東のつた森山林へ。 |
大島山林 柏原の植栽試験地 柏原展望台から 柏原フットパスで |
職場の若いスタッフと苫東のフィールド体験 苫東環境コモンズの一部には職場もいささか関係している関係で、いつかスタッフの現場 でもある平木沼緑地の小屋と森の小径を案内した。それから9月のフォーラム予定場所 のサンガーデンへ。解散は5時過ぎ。彼ら3人の目にフィールドはどんな風に映ったか、 いずれ聞いてみたいと思う。 新しい勇払川の橋 東港のコンテナヤード 浜厚真のビーチ つた森山林の林道 スモモの開花 フットパス |
手作りの杖 セルフタイマーで 林道にて |
柏原フットパスを歩く 柏原フットパスに行き、一周して見る。杖2本、お茶、双眼鏡、そしてクマスプレー。道草をしないで黙々と歩いてかかったのは正味35分、ちょっと短いかも。右から大回りすれば丁度1時間。このほかに、テレメーターで回遊データを提供したヒグマ「トラジロー」の記念の場所を通過する「トラジロールート」を加えたら、バリエーションは作れる。それに、このエリアに入ったら、どこかでおにぎりでも食べたい。 |
公園入り口で おお!、モミジガサ ちょっとウィーンの森に似 ている 国さんの撮影風景 この画像は、A・ワイエスの作品 構図にそっくりとその後話題に |
コシアブラの天ぷらに集う NPO苫東環境コモンズのパンフレットの表紙は12枚組みのいろいろなエリアの写真に決めた。午前中、家でその仕上げをしていたら、どうも大島山林の画像が寂しい。大島山林は、平成7年から町内会が山林の一部を自主的に管理している環境コモンズの見本であるから、トップをその人々で飾りたい…。そう思って町内会長に電話すると「何人か集めとくよ」とおっしゃる。午後2時、みなさんと看板のまえでお会いし、バシャ。 午後3時、シェフ青池と国さん、酒さんの3人とJR遠浅駅で待ち合わせ。今日はコシアブラの天ぷらを食べる集い。まず、もう一度大島山林にいき、春の山菜の王様シドケ(またはスドキ、和名モミジガサ)を採取。町内会長によれば、昨日奥さんが採ってきたという。以前、山林がごく一部の人しか来ない、いわば「開かずの森」だったころは誰も採る人がいなかったが、昨年の5月後半にきたときはわたしは全く採れなかった。先陣がいたのだ。それも根こそぎ。そして今年、4人には十分な量が取れた。 午後4時、今年デビューする柏原フットパスを案内する。国さんは、広い採草地に寝そべって写真を撮っていた。その構図が、この場所を象徴する。子供を放し飼いする場所だ、と知人には紹介してきたが、やはり大人も十分くつろげる。 さて、シドケも採れたし、本命のコシアブラはどうか。その指標は小屋の前に残した標準木だ。不安がよぎっていたが、おお、大丈夫、6分まで開いている、これならいけそう。焚き火やテーブルの準備をしてから、鎌や杖をもってフットパスに入る。まほろばの分岐で少々、カラマツにはいってから、そこそこ、保安林でフィニッシュ。まだ1週間早いが、天ぷらと混ぜご飯に十分。 左はコシアブラ。形も美しいし、紅葉は白くなる。右はシェフの クッキング。山用のコッヘルとガスコンロ、そこに湯温を計る 温度計。 黒ビールのスタウト、チェコの輸入ビール・ピルツェンなどのビールのあと、赤ワインを3本。シドケはオリーブ油をたらすと、さらに舞い上がるようなうまさだ。コシアブラは春の至福。合掌。 |
植苗病院名物、雑木林とチュー リップ 柏原 |
浜田久美子さんを迎える 2009/05/12 tue 曇りのち雨 昨年末、岩波新書から「森の力」を出した森林系のライターの浜田さんを昼前南千歳に迎えた。 植苗病院を経由して、苫東へ。柏原野フットパスを巡ってから小屋、そして軽い昼食。森の人とスピリチャルなハナシを少し↓。夜は市内で瀧澤先生も加わって一献。 浜田さんはここが2回目。フットパスを歩くのは初めて |
小屋の前のサクラ咲く Mさん、奮闘す 手作り作品の完成 空は真上を着陸機が |
ヘビの抜け殻とアイヌネギ 薪の片づけをしてくれるMさんをピックアップしてから、年に一度の大掃除に。掃除は電気掃除機でホコリを吸い取るために長老宅によって小型発電機を借りる。小屋で掃除を始めるとどうも持参した掃除機の塩梅が悪く結局掃除機も借りにいった。 気持ちよいほどにこざっぱりして、泊まりたくなった。混合油とオイルのあるあたり、大鎌のあるあたりはいつもアンタッチャブルなエリアだが、これも丁寧にさらったのがよかった。小屋の隅々に不明の場所がない。掃除の極意はこれか、と思う。 外でMさんが呼ぶ。 杭を打って押さえをつけることにした。食後、それらはなかなか手作り風に仕上がった。わたしは、すっかり移動されて少なくなった薪用の丸太を少しずつ割った。先週は久久の薪割りのおかげでずっと腰が不調だったので気を使いながらの作業だ。 先週は気づかなかったのだが、床下にヘビの抜け殻があった。先週はネズミにカップ麺を食べられてしまったが、これは今年ヘビが駆除してしまうかもしれない。このアオダイショウは小屋の守り神だろうと密かに思っている。 2時過ぎ、アイヌネギをとりにいく。連休明けなのにもう大きな葉を広げていた。林道から厚真の田園に抜けて長老宅に発電機を返しに行く。長老は長男と薪割りをしていた。こちらも、「薪割り機のエンジンがおかしいんだ」と薪に座って休んでいた。 アイヌネギ群落「おお、いいところへ来たね。一服してけや。」 |
5/2に出かけたイコロの森の入り 口コンテナにはミズナラの実生苗 が 細い根と切り株。これから太い 根を探す 楽しみにしていた昼のカップ麺は ネズミにきれいに食べられていた カラマツの芽吹き |
ハルニレ移植と柏原フットパス 昨年秋に根回しした庭のハルニレの切り株移植は、今年の連休の大きな懸案。隣家との境界につくったイボタの垣根の中にハルニレの木が混じっていたのを、この20年の間に数回根元から切ってきたのだが、根元はますます太くなり萌芽する枝(シュート)は切っても切っても元気一杯に伸びた。切っては放置する間に隣家で枝を張って困るのだった。 思い切って昨秋、根回しを敢行したもの。そして今回、切り口から新しい根の出具合を確認してから残りの支持根を切って移植へ、という段取り。幸い、細根はほどほどに出ていた。しかし残った太い根は手ごわかった。合掌してからノコを入れた。 樹木は本当に根付くと俄然生き物としてのエネルギーを発する。精といっても言いし気といってもいいようなそれである。わたしはそれを目のあたりにすると自他一如の思いすらする。軽々に切ってはいけないし、育てる覚悟がなければ軽々に植えたりするものではないと自戒するようになった。 移植地では根と土がよくフィットするように棒でつつきながら埋土し、水を10リットル弱やってまたつついて最後は炭をすきこんだ。これは、マジナイというか気持ちである。 昼食後は柏原のフットパスを巡った。環境コモンズのルートマップを作るための踏査で今年はこれで3回目になる。Sさんに送ってもらった1万分の1の地形図に、ほぼルートを書き込むことができた。 おもえば、神様からの贈り物のような風土だ。まてよ、と思った。どこかの雰囲気と似ている。そう、南ドイツの保養地の「気」だ。ここはひょっとしてパワースポットかもしれない。そういう感覚で思い起こすとここ柏原は不思議な空間であり、昨春、メープルシロップを作ったときに思いついた作品名「勇払原野のスピリット」は、恐らくその前ぶれのひらめきだったのだ。 |
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