シンボルツリー「どろのき」とともに
NO.64
2010/11/06〜

場の流れは新しい段階に入り

コミュニティとよそもの部隊であるNPOの協働が本格化する

どうもこれは、コミュニティ・フォレストの実験のようだ

利害、思惑、色々な相違があってもそれを丁寧に無欲ですり合わせて行く

ちょっと気持ちの悪かった場所を、気持ちのいい場所に代えて行く

これこそ、人生!、これこそ生きる意味!

そう考えると壁は希望に変わる






四阿にはなにか小動物の足跡が

シンシンと雪降り積む

こうして風景が変わっていく

林内放牧のなごりの有刺鉄線

コナラ。100年は超えている
「山」の仕事おさめ
2010/12/30 thu 雪のち曇りのち晴れ

昨日は雪かきなどで出遅れて、かつシンシンと止みそうもない雪だったので、一日伸ばして今日にしたのだけれど、どっこい、苫東ウッディーズのabeさんが、27〜29日の3日間きてくれてたことを今朝のメールで知りました。、道沿いの傾斜木など危ないヤツを整理してくれた模様。これは大助かりです。

わたしは久々、8時前には家を出て大島山林へ。まず、「大島ドロノキ」さん、わたしの愛称・グランパにまず仕事納めの挨拶をしてから、現場へ赴く。チェンソーのほかに鉄製のフェリングバーを左肩に、右手には燃料とオイル、それに手トビとハンマーなど一式を腰に、修理道具や昼食と水などをザックに詰め込んで、重たい長靴を履けば、もうそれだけで重労働だ。abeさんは、ほぼそんないでたちで昨日もフットパスを一周したと言いますから疲れが残ったでしょう。やはり、大型のソリが必要。

歩くスキーコースの三叉路一帯を、やはり、これからのモデルにすべく、先週の現場から舞い戻って抜き切りをすることにしました。歩くスキーの方々にも「なるほど」と思って欲しい気もするのです。だから、遅々として進みません。昼食後もそそくさと仕事を始めて、娘の帰省の飛行機到着にあわせて仕事をたたんで。ああ、忙しい(笑い  でも、そこはそこ、チェンソーを解体して掃除し、こびりついた油と木屑をきれいに取りました。あくまでも仕事納めらしく。

そして、もう一度、どろのき「グランパ」のもとに行き、長い熊手で、しめ縄に積もった雪を下してから正式参拝。しっかりと二礼二拍手一礼、それも腰を直角に曲げての神主さんスタイルで。実はこれも誰も見ていないからできるのです。わたしにはまだちょっと恥ずかしい。今年一年、近親縁者の無病息災を感謝し、色々なことが順調に進んだことも心でお礼を述べ、あくる年もかくありたし、と念入りに手を合わせました。

グランパは四阿からみると午後は逆光になる

今日の大発見は、コナラの大木。ハリギリの大木に気をとられて気づきませんでしたが、幹周りを測ったら240cmありました。直径はほぼ80cm。つた森入り口のコナラよりも大きいかも知れません。これもグランパを同じように触れ合う枝を疎開してあげなければ。

もうひとつの発見。作業していた先に、ツルに絡まれた一団があるのですが、どうも中心になっているのはヤマハンノキ。植樹会のところも確かハンノキだったはず。ハンノキの根元は窒素が多いので余計繁茂するのではないか…。これはもう少し観察して見たいと思います。


雪が結構深いのに犬と散歩する人あり。「ご苦労さま」と声をかけられました。





防護靴で安全は増したが重い

クサビを打ち込む

先端はツルが隣同士からまって
いる


それを片付けると…

遠くから見ればなんということは
ないが…


作業後。記念に撮影したくなる
ほど難儀した
風倒木はあらためて怖い
2010/12/25 sat 風雪 -6℃

週末は力仕事をする、という習慣が一年を通じてできてしまったので、今朝も雪降る中を山に向かいました。その「出勤前」に、田中林業によって注文していたスチールの防護靴をゲット。最小サイズ25.5cmはわたしには大きいのですが、はいてみると、ちょうどいい按配でした。

大島山林はタップリ雪が積もって、駐車場への入り口も除雪の段差ができてちょっと逡巡しましたが、えい、と突破して林道へ。作業箇所までなんとかたどり着いたものの、方向転換していたらもうハマッテしまいました。もちろん、今季初、ヤレヤレです。これは長年の経験から時間をかければなんとかなる雪なので、帰るときまで放置。

さて、作業はエンドレスの様相。フットパスの沿道の両側奥50m程度を想定していたのですが、その50mですら、手ごわい。放置された林の現実を目のあたりにすると、抜き伐りを始めればキリがないくらい、伐るべきものはあり、何よりも風倒木とツルに絡まれた一団が目の前にずらっと連なる。ここのところ、一向にはかどらない。しかし、ここは割り切って、一歩一歩行くしかない。

風倒木とツルの一団をやっている間に案の上、怖い目にあう。

@腐れ枯れた直径30cmのサクラが、チェンソーを入れたとたんに倒れた
A係り木になったシラカバ直径30cmが、根元を切り終えたら、数分後に前触れもなく倒れた
Bツルにとられた3本目にフィニッシュの切れ込みを入れた途端、ツルに引っ張られグランと中に浮いて回転した

いずれも真下にいたり、よけられない体勢だったりすれば大怪我のもとだった。一人でやる山仕事の安全と危険はこの辺にあると言っていいかも知れない。複数で近くで作業をしていたら限りなく危険だ。

車のこともあり、昼ごはんは抜きにして、雪降る中延々2時過ぎまで作業を続けた。途中、座ることなく続けたせいで、後半、チェンソーを持つ腕がだるくなった。ツルに絡まれた一団を終えた頃、それらは充実感で相殺されたどころか、喜びが沸いてきた。
雪煙る現場、満足の終盤

帰宅途中、道路情報を聞いていると、苫東中央と鵡川の間は、風雪のために午前から不通だった模様。林の中はそんなにひどくはなかったが、上厚真の長老宅へ向かう途中の田園地帯は、確かに久々の地吹雪で徐行せざるを得なかった。
















ドロノキを撮る




雪の後のドロノキこれまでは
こんな天気で愛に来る人は
いなかったはず







緑のトンネルはこんな風



演奏をプレゼントされる。林と
小屋は大喜び
サロベツからお客様
2010/12/23 thu 風雪 1℃


天皇誕生日はあいにくの湿った風雪。この天候の中、地域SNSの女性メンバーお二人を苫東のフィールドに案内。このアタリでは滅多にない風雪ですが、まったく意に介していない様子。ふぶいてら5m先も見えない、そんな風土で鍛えられている方々です。
お一人は地域活動の先駆者で、お寺の奥様で自然ガイド。もうお一人は、酪農家の奥様で自らパキパキの自称「牛飼い」。

南千歳駅で落ち合ってから、風雪の牧場を越えて先ず大島山林へ。シンボルのドロノキは雪に煙っておりました。次に、展望台へ。そのアクセスの樹木のトンネルは、純真無垢な新雪ロードでした。展望台から、いよいよ小屋へ。特に自慢するものもない場所ですから、ピザ窯やら冥想テラスなりをちょっと説明、そして守り神のヘビ「ミドリちゃん」はネット上ではすでに有名ですから、ベランダ天井に下がった抜け殻などに話が集中。

帰り際、お二人は小屋と雑木林に笛の演奏をプレゼント。笛とはアイルランドの「ティン・ホイッスル」で、曲名は「黒八木のクリスマス」とおっしゃっていました。後半はハーモニーを作り、なかなかでした。

次いで、北大研究林へ。あいにく、折からの風雪で散歩者の踏みあとがいつもより少なかった。それで、駐車場からのいつもの一周ルートを小さくして回る。新しい場所を見るのが大好きそうな二人だから案内するほうも楽しくなります。Tさんは、樹木園につくなり、大好きな木を発見してハグ。それはサワラの木でした。

最後は、駐車場のそばで、小鳥を手に乗せました。Gさんはもうなかなか現場を離れませんでした。
 
樹木園のTさん、Gさん。右はGさんの手から小鳥飛び立つところ

Tさんのヤマガラ




木々の枝は絡まっている

ズブリと差し込んでのち、クサビ
を打つ


池をどうするか、検討会

抜き伐りが必要なものにテープ
を付けるとこんな風になる
風雪やむのを待って
2010/12/18 sat −3℃ 風雪のち曇り


夜半からの雪もやみそうな気配を感じて朝昼兼用の食事をして遠浅へ。プレハブで燃料とオイルをタンクに移しているとoyamaさんも来る。二人で、分岐点右股の、ツルが滅法絡んだ嫌な一帯に着手。こういうところは、進捗がはかばかしくなく、時間が瞬く間に経っていく。

2時頃、池の改修について相談に乗ってくれるH建設幹部のN君が来てくれたので、町内会長に電話して4人で立会。ヘドロの回収を土木的似処理するのはどうも予算的に無理なようだ。そもそも、ヘドロは回収の意味があるのか、も不明になってきた。町内会がアヤメを植えたい、というのであれば、藪や雑草を整理してアヤメを植えることが先決だと思う。しかし、野生のアヤメはすぐ消えてしまうし、園芸種は維持管理が必要だ。
 
墨絵の世界となった。ドロノキがそれを見守る

一帯に蚊が多いのは、池にボウフラが沸くせいかどうかは実は不明であり、込みすぎた林に藪蚊が発生しているとわたしは思っている。伐りすかせば、いつか、軽減できるはず。結論としては、人が主体の管理になるのではないか。

先ず、林は除間伐が進むうちに、蚊は改善されるかもしれない。池のヘドロ回収が意味不明ならば、長野県のように「鯉」を飼って池を掃除してもらうことだと思う。ヘドロは減る。越冬の深さは十分確保できる。アオサギが来て食べるのは浅瀬の小魚であり、鯉を漁りに来るのは、まず人間だ。アヤメを植えたいなら、植えることを先ず実行して、そのための手入れを始めよう。わたしはそう思う。

立会を終えてから山仕事に戻って3時半まで。一向に進んだ感じがしない。







関係者が前日参拝した形跡あり

もう冬支度のウッディーズ

参拝を終えて@

参拝を終えてA
山仕事の安全など祈願する
2010/12/11 sat 風強く小雨 7℃ほどはあったかも

ほそぼそと山仕事をする苫東ウッディーズ(NPOの内部グループ)は今日は山ノ神の参拝。正式な鳥居をもつ苫東の山ノ神はつた森山林にあるので、車で連れ立って13時に、鳥居前にたちました。朝から暗雲たれこめ、風ゴーゴーの山ノ神はわたしの34年連続の参拝でも初めてみたいな気がします。

それがなにか不都合があるかというと、服がやや濡れそうなこと以外はみあたらない。むしろ、今年一年の汚れを落とし、風は前途の靄を吹き飛ばしているのだからこれはまた極めて喜ばしいことだと思えます。しかも、今年の山ノ神が風雨のなかで参拝できて、本当によかった、と今、思うのだから随分と都合よくできています。ここまでプラス評価できると、人生はとても楽なものになってきます。(笑い)

つた森山林に続いて大島山林へ。町内会長に連絡するとU先生もこられて、都合6人で参拝とあいなった。そして四阿(あずまや)で直会(なおらい)。雨でうるけた「するめ」がおいしい。また、冷えた少量のビールとお神酒も美味しかった模様。いつも、山ノ神の跡に立ち話しながら飲むお酒は、話の質も自ずと悪くなく、うまかったこと(ばかり)を思い出します。

これは大事なことではないでしょうか。鳥居やご神木のまえで使う言葉は、清らかであり、悪いものが少ないような気がします。これらの前では、積極的な予定調和につながるような、そんな言葉を使ってしまうのだとすれば、それはなにかレッスンみたいなものかも知れない。

たわいのない話は会長宅でお茶を頂きながらも続きます。会長が社会福祉協議会のトップにさせられた話、肩こりの話、山菜の話…。話というのは、天下国家に全く関係ない、このようなローカルな話題なら、まったく事欠かない。四方山話の中に、ちょこちょこと政府の無策のこと、不公平などが出てくる。ローカルはそれらもしゃべりで打っちゃる。いわばNHKの「ぼやき川柳」だ。金も力もない庶民の唯一の力は「ぼやき川柳〜」、というあの精神。わたしの軸足もやっぱりこっちにあるなあ、と思いつつ笑いながら聞く。
  
本当に手ごろの店「らふれす」と山ノ神の直会というお客さん

そしていよいよ、直会の本番のマチへ。今日のメンバー4人はまず開店前の創作料理屋「らふれす」で、まず水をもらい、nokoさんが全員分用意してくれた顆粒のウコンを飲んだ。そう、リキが入っているのだ、ワレワレは!

七時半、スナック「○ゆ」、そして苫小牧の屋台村でひいきにしている寿司「松阪」。そこにはもうできあがりつつある40代と思しき男性と隣あわせになり、聞けば、仕事で今日は「山ノ神を参拝してきて今は直会の延長」とおっしゃる。おお、これは奇遇だあ、と一同感嘆の声。かくして、山ノ神の夜は更けたのでした。


追記1:ドロノキへの祈りについて(top page から)
山仕事の安全を祈願する山の神の神事は、風雨のなかでした。この頃の産土(うぶすな)の神々に見透かされているようなのが、ありがたいのです。(笑い) メンバーの2礼2拍手1礼にそろえようと気遣うあまり、一人の時のような盛りだくさんのお祈りにならず「形だけ」になったのが心残りといえば心残り。でも、シンボル「どろのき」からは「ご神木としてはまだ未熟なので一杯お祈りされると困る」というメッセージも又聞きしているので、これで一応約束を守ったといえるでしょう。

追記1:札幌ウッディーズからの短信(森人通信NO.70から)
「11/23 大島山林 12名参加
 札幌から南下して苫東の雑木林に歩み入れば、そこにはまだ秋の気配が漂う。懐かしい土地に立ち戻ったように感じて、深く息を吸い込む。
 作業は、風倒木・不良牧の伐採・玉切り。玉切り材は町内会の人が薪の材料として搬出しやすいように道の脇まで運び積み上げる。
 大島山林を整備する苫東コモンズの草苅さんは「環境を享受する側と供給する側」という視点を示し、その関係はアンバランスになっていて、供給側ボランティアはとても少ない、と指摘する。そして、ウッディーズを評して「道内最強の間伐ボランティアグループ」とも言う。「供給側」に徹してきて、「道内最強」とは何にも勝る評価だが、実はウッディーズは密かな「享受側」でもある。大島山林の場合は、作業の楽しさに加え、皆さんが薪ストーブに温もる姿を想像する…、そんな楽しみも享受するのだから。」





テープがはためく

oyamaさん

nokoさん

ドクター
森林療法のフィールドを保育
2010/12/04 sat 風&曇り、雨ぱらつく 6℃


植苗病院の雑木林保育。当病院は、ひょっとして全国でも珍しい森林療法を毎週実施している精神科病院。植苗の高台にある病院の周囲が、胆振地方特有の若い広葉樹2次林からできており、病院の瀧澤医師とスタッフが毎週月曜日、患者さんと林でひと時を過ごす。
伐倒で痛んだ巣箱を修復

当方はこのプログラムの当初から、森林療法のステージである雑木林を、歩き憩うのに適当なモノにかえ、広場とフットパスを作るために参画。胆振地方は海霧が多く季節風も強いため、強い抜き伐りは禁物なため、3、4年前は先ず、弱い間伐をしました。

今回は林も落ち着いたことを確かめ、第2弾の間伐に着手。先ず、わたしが間伐する木にテープを付ける。次にチェンソーをもったoyamaさんやnokoさんがスタッフが伐倒。同じくチェンソーをもったドクターが玉切りをし枝をきったあとをMさんが整頓してくれる、という段取り。後半は、みんな思い思いに伐倒から玉切りまで一貫作業。テープはざっと80本程度につけましたが、結果的には半分以上が残りました。これは春まで何とかなればいいですが…。



先ずミズナラ。倒れた途端、
地面に響く


ヤチダモ。半分、腐れが入って
いた


木の先のツルは町内会に任せて
重い丸太を片付け
木枯らしが吹く中
2010/11/28 sun 強風&雨のち雪のち曇り 4℃

昨日は午前中、NPOの総会報告郵送の袋詰めなどで職場、午後は北大で行われたシンポに参加。帰宅は平日並みだったので、昨夜は早めに寝て、今朝は勇んで林へ。やり残したこととか、やりかけのエリアがあるというのは、「生きる目標」みたいになり、つい気合が入ってしまう。9時過ぎ、大島山林のドロノキの脇で準備開始。シンボル・ドロノキの枝に触れているミズナラとヤチダモ、それに絡んでいるヤマグワを片付ける予定。ミズナラは直径30cm、ヤチダモは40cmある。

風がビュンビュン梢をならし、そこにチェンソーの音がしみこんでいく感じだ。ミズナラを最近マスターしつつある欧米の伐木スタイルで伐倒。延々と玉切り。枝と丸太は町内会にお任せしようか。続いて、ヤチダモに着手しようとしたところ、コクワのツルが隣のヤマグワに絡んでいた。それでは先ずヤマグワを落とさねばならない。そこへ、chibaさんが紅いピックアップで来訪。はかどらない一人の仕事に多少ウンザリしたところだったので大助かりだ。早速手伝いを開始。

ついでわたしはヤチダモを倒した。chibaさんに、最近、欧米型の伐倒を始めたんだと話すと、chibaさんは、アラスカでは前からその方法だったという。chibaさんは、かつて木材関係の商社にいて、今でも北米からハウスのキットや木材を輸入しているから、木材に滅法強い、というかプロ。スプルースの大木など確かにこの方法が安全だといえる。

前回の23日に、係り木にしてきたサクラが気になるので、二人で出向いて、ツルを引っ張ったりして倒す。その足で大島山林をあとにし、来年から予定している「育林コンペ」のフィールドを案内する。小屋に移動し13時からストーブを点火して昼食。一輪者のタイヤを交換しようとみると、あれ、もう交換してある。小屋日誌を見ると、oyamaさんが昨日来て直してくれたようだ。
 
木枯らしの後の小屋と、パンク知らずのタイヤになった一輪車

chibaさんと、リヤカーをひいてカラマツ林に入り、たきつけようの落ち枝を拾い、満ち足りた気分になる。これで懸案があらかた片付いた。

「非日常的な仕事だなあ」とリヤカーを引く



始動前の準備

2人のペアで

苫ウはコブシの玉切りから
大島山林の保育、本格化
2010/11/23 tue 曇り時々晴れ 8℃


苫東計画で骨格的緑地に指定されている大島山林は、計画の名前は「遠浅樹林地」になっていて、面積は70ha。毎年3haずつ保育しても20年以上係る計算です。1haであれば70年。おお、なんと気長なことか。もし、このペースを苫東全体の2000haに及ぼしたら、6から700年かかる。しかし、こう考えて行くと、面白いことに気づきます。なんだ、色々な人やグループに分散、分担すれば短くなる…。

今、大島山林の保育は昨年末から札幌ウッディーズという道内最強の間伐ボランティアに応援してもらっており、今日は苫東ウッディーズ(札幌ウッディーズのこぼれダネ)との今季2回目の合同作業日。当方の苫ウは4名、札ウは12名(1名は両方所属)が参加。恒例のラジオ体操(これがなかなかいい準備運動になります)と打ち合わせのあと、現場へ。

札ウは一周コースを時計回りに、苫ウはその反対に仕事を進めることにしている。玉切りの長さは薪を考慮して120cm程度か、重い場合はその半分の長さに。そしてフットパスの道脇に藪だしして欲しい、とお願いしてある。昼をはさんで、ブンブン、手入れが進んだ。


札幌から今季2度目で最後のいつもの応援を頂き、またまた林は装いを変えました。暑くなく寒くなく、さっぱりした光景は胆振の雑木林ならでは。作業後、
わたし 「楽しめました?」
Nさん 「はーい、いつもどおり、たっぷりと」
作業後の斜め光線の中、シンボル・ドロノキの根元に寝そべって写真を撮っていたTさんには
わたし 「どうですか、どう見えます?」
Tさん 「ん、この場はちょっと去りがたい!」
わたし 「それはドロノキが喜びますね」


合同作業は今年これが最後。あとは、苫ウが細々とですが春まで継続。

 
シンボルドロノキの今日の佇まいとコブシの薪








秋深し、山は稼ぎ時
2010/11/20 sat 曇り 10℃ほどか


先週の山仕事の後片付けを、oyamaさん、nokoさん、nakaさんと。みんなが来る前に、焚き火をセットし、目立てを済ましておく。abeさんの先週の講習で、我流で通してきたわたしの山仕事はもう一度基礎からやり直そうと決心。全くの初心者の方々とアユミをひとつにするというけなげな心掛けです。

倒した木を玉切りするだけで段々ヒートアップし、満タンで始めた玉切り作業もシラカバ1本を小切りしている間にガス欠。nakaさんに小屋裏に運んでもらい、そこで薪割りが進む。午後はnokoさんが交代して新しい薪の壁が誕生。

わたしはabeさんが披露した北欧でやられている伐木スタイルをやってみる。先ず、ハリギリ。結構上手く行く。女性のnokoさんにはしかし、突っ込みは難しいと思い、従来方法にクサビを使う方法をやってみる。あまり考えずに倒したヤマモミジは係り木になって、ご法度の追い切りをする。次は腐れの入ったバッコヤナギを相手にしたが、これは鉉(つる)が機能せず、あっという間に倒れてしまった。

鉉とクサビを多用する伐木。これは、なかなか、基礎訓練にもなるメソッドだと思う。










暗いログ内をハロゲンランプが
照らす


午前の座学風景

講師、伐倒

受講者も試みる
チェンソー講習会
2010/11/14 sun 雨のち曇り 8℃


江別のabeさんを講師に、昨年に続いて2回目の講習会を、今年は小屋(ケアセンター)で。今にも降りそうな天気でまずストーブを囲んで座学。abe講師は昨年のテキストを進化させた「操作ガイドの入門篇」のほかに、「伐木方法の移り変わり」と「ためになる安全作業ひとこと集」を提供し、それにそって講座が進んだ。

とくに、abe講師が力説したのが今欧米主流の伐木方法。ツルを安全作業の要と位置づけているのが基本。だから、受けの作り方が極めて重要になる。そして「つっこみ」。チェンソーワークでは、キックバックが起きやすい方法だがそれを上手くこなしてバーを突っ込めば最終的に極めて安全な伐倒の道が開ける。バーを突っ込むときに、バターに入れ込むようにできるか、そこがちょっとした分かれ目である。

薪ストーブを囲みながらの座学は楽しく、昼食にそのまま突入、そして雨が上がって、実地の外へ。講師がまず小屋前の腐れの入ったシラカバを、例の方法で倒してみせる。中は空洞になっていた。続いて、oyama、noko、takizawaの順に実地を試みる。それを講師が講評する。これはなかなかの効果だと思う。あとは基本を思い出しつつ、現場で慎重に学ぶしかない。

わたしは、4時前に散会後、遠浅の大島さんに約束した先週の神事の写真を届ける。大いに喜んでくれて、奥さん手製のハスカップジャムを頂いて帰る。














記念碑の序幕

oyamaさんとペアで取り組む

札幌ウッディーズと

資料館の豪華な木製調度資料館は何度見ても楽しめる









北大苫小牧研究林の原生林
2010/11/07 快晴 15度


研究林の「古里オンコの森を育てる市民の集い」があり、午前9時過ぎ、研究林に集まり先生方や旧知の方々に挨拶。古里後楽さんから寄贈されたオンコの林にシカの食害から守るネットを取り付ける作業。市民のほか、札幌からもウッディーズなど大勢が参加。当NPOからはoyamaさんとわたし。ほぼ二時間、オンコの枝打ちとネット取り付けに精出す。約40人という頭数ですっかり整備された。元林長石城先生から連絡があったのは確か、8月。先生は陣頭指揮をとっておられた。

池のほとりで札幌ウッディーズの面々と昼食。1時から、日浦林長の講義で苫小牧研究林の研究概要を1時間、その後、樹冠観測用ゴンドラのある調査地にバスで案内してもらった。画像では何度か見たが実物は初めて。日浦林長から、この施設のねらいなどについて説明があった。

わたしはその植生に驚く。1600年大と1700年代に樽前山は大きな噴火をして厚さ1,2mの火山灰をこうむったので、植生はほぼ壊滅したと考えられるから、この植生はせいぜい300年。そして天然の遷移に任せて手入れなどをしていない。もちろん、造林もしていない。その林に、直径1mを超えるものや倒木や傾斜木などから若いものまで多種多様。

 
樹冠などを調査するハイテク施設のクレーン。アーム長41mが回転する。



2次林を見慣れた身には、この多様性に驚く。シナノキ、カツラ、イタヤカエデ、ヤマモミジなどなどで、ミズナラは5番手あたりと日浦林長。林床はスズタケだった。まるで自然史博物館、エコミュージアムのようだ。朽ちるものも、これから伸びるモノも渾然一体。ああ、なんという豊穣だろうか。



29枚の答え、アイデアは40ほど
募集した愛称の結果
2010/11/07 sun 快晴


夜、愛称のアンケート用紙を開きました。一枚一枚めくっていくと、まあ、実にさまざまなアイデアが出されています。同じものがせいぜい二つほど。これは町内会長と相談です。大きく分類すると、こんな風になります。
_______________

@「ドロノキ」という樹木の名前に由来するもの
  ドロン君、ドロッキー、(大島玉子の)ドロッキーちゃん、ドロノッキー、ドロキー、トロ  ッキー(トは遠浅のト)、ドリー君、ドロ君、どろちゃん、どろかみさん、どろ神さま、ど  ろなわ君、ドロノキ王子、ドロアサ、トロアサ、ドロンパ君、
A雰囲気や願いから
  (お山の)大将、ドロノキ先生、モリト、モリマル、こだまちゃん、こだまっち、
Bアイリスに関係するとおもわれるもの
  あっちゃん、アイリスの樹、アイドロ君、イードロリス、
C前所有者「大島」の名前にひっかけて
  しまドロ、マッシードロ
Dコモンズにひっかけて
  カモンズ君
Eアイヌ語から
  ニタイエカシ(森のおじいさん)、シランパさん(森の立ち木さん)、シンタ(ゆりかご)
F参考候補の中から
  長老、遠浅の長老、ドロノキおじさん、ドロノキじいさん”グランパ”
G変わったところで
  オガマサル

____________

追記:11/9

このままでは収拾が付きませんので、最大公約数的なものを選ぶことにしてみると、先ず「大島(山林)」、そして「ドロノキ」。

ということは氏名としてみると
「大島ドロノキ」ということであり、その氏名に対して各人各様の愛称があるということで良さそうに思えてきました。

ドロッキーでもドロン君でも、長老も、グランパもOKということになります。結果はさらに荒木町内会長とも相談してみますが、元所有者の大島さんが、なんとか大島の名前をどこかに残したいものだとおっしゃっていたこともあわせ考えると「大島ドロノキ」という正式名は、かなり正しい選択ではないか、と思えるのでした。





11時、散策前の体のほぐしを
樹林気功で

歩き出す

ドロノキと祭壇

そのお供え

神事、始まる

全体風景

元の山林所有者を代表して

踊り手IKURAさんの舞い

瀧澤先生の講演

シンボルツリーを祀る
こころの森フォーラム5から〜

2010/11/06 SAT 曇り 15度

2008年に始めた「こころの森フォーラム」はいつの間にか5回目を数えます。身近なところに緑を多く持つ胆振・苫小牧を中心にして、心身のパートナーとして林を見直そうというのが発端でした。

5回目は、町内会有志とNPO苫東環境コモンズがともに森の整備を始めた記念に、シンボルツリーを定め祀ること、それと、そのようにして作られる里山こそ子供たちに提供すべきプレイパークだ、との考えから、精神科医・瀧澤紫織先生の講演をセットしました。

わたしは、午前9時、やり残したシンボルツリー周りの片づけを始め、10時、町内会有志の面々が集まりだし、やり残した片づけに着手、午前10時半、札幌からバスで来訪する参加者をJR遠浅駅でお迎えして、会場へ案内。小山内和子さんの樹林気功でウォーミングアップした後に山林の散策へ。12時15分、駆け足で戻って各自昼食へ。事務局は12時半、斉藤泉さん製作のしめ縄と早来神社・高橋宮司の到着を待って、御幣の取り付けとしめ縄の設置に入りました。

ズルズルとしめ縄がもちあがって、大木におそるおそる取り付けられるシーンというのは、これはちょっと劇的なシーンでもあります。なんというか、「誕生」ともいえますし「再生」、「仕切りなおし」のような印象もあります。今まで、あまり振り向かれることのなかったひとつの樹木が急遽、「ご神木」扱いになるのですから。

しめ縄の取り付け

実は、そこに、ちょっとしたドラマがありました。予定通り、2週間前に、ドロノキの周辺整備は始まったのですが、その1週間前に「木と対話できる方」がここに見えて、「この木はご神木にされるのを嫌がっている」と告げられたのでした。その場に居合わせたわたしは多少複雑な思いをもちましたが、実は直感しました。「場の光景」は、手入れ前のやや忌むべきモノだったのです。神として祀るにふさわしい光景と言うものもあります。清清しい雰囲気というものもあるべきですが、そのとき、この場は、どれも満たしていなかったことを、この方は瞬時に感得された、とわたしは思いました。なにも見えないわたしにできることは限られています。光景を解釈して、風景を操る造園という技術でそれを代えること、それをするのは「人の営み」でしかないこと。

そんなわけで、翌週からの作業にはリキが入りました。それはある程度改善されたと思います。玉ぐし奉納では、高橋宮司の教えに従い、主催者から順に玉ぐしを捧げました。儀式のあとで、高橋宮司から、八百万の神をいただく日本的風土と身近な遠浅の林などについて、簡単な講話をしてもらいました。

さらにこのあとは、当日の昼、急遽申し入れのあったIKURAさんの「踊り」の場を設けました。IKURAさんは、「自然と人のつながり」をテーマにした創作的な「踊り」の活動をしており、由仁町から来られたのですが、そのきっかけを伺うと、10月30日に北大クラーク会館で、「ガイヤシンフォニー7番」と同時上映されたウトナイで勇払原野、とくに苫東とわたしたちの営みが紹介されたこと、と言います。これではちょっとお断りするわけにはいきません。

その踊りは、ご神木の前で踊る巫女様のようでもあり、自らが天と樹木と地の接点になっているかのようでもあり、ともかく不思議な踊りでした。しかしそれは、樹木と人がつながろうとすることそのものが不思議であることと、あまり違わない位相のことのようでした。

場所を「センターハウスとあさ」に代えて、14時45分から、瀧澤先生から「身近な林と子供たちの成長」というテーマでお話を伺いました。講演後、フラットな立場でいろいろ感想を述べ合って盛り上がり、16時前に終了しました。


瀧澤先生の話に聴衆は聞き入った




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