新聞などに載らない活動こそよけれ
NO.70
2011/11/05〜

前回の「雑木林だより69」では、些細な1 馬力でも、
十分意味があることに思いをいたした。

おとといの11/4、当NPOのことが地元紙の結構いい場所に
紹介されたのだけど、だからこそ、、その際に天邪鬼な感想を抱いた。

それは
「新聞などに取り上げられなくても十分満足な営みを続けよう」
「お金が上手く循環するNPOを目指そう」という思い。

そうなのだ、そういう評価を活動の価値尺度にしないと
たいていの地味な活動は報道などから遠くて、しばしばネガティブな気分になってしまうし、
そもそもよその評価が基本では不安定である。

だから、マスコミに取り上げられず、大きな事業収入などないけれど
身の丈で上手く回っている…そんな状態こそ理想だ、という合意が組織内部では必要になる。。

長年、新聞や雑誌、レポートに結構取り扱ってもらってきた当方の雑木林の手入れだが、
わずか数人がどこかでしっかり評価していてくれている、という実感の方が実は本人の力になる。
かりそめ、よそから褒め言葉めいたことが全く届かなくても
山仕事の成果は、したたかに風景に現れる。他からの評価のあるなしで心がぶれない。
そして関わった人とのつながりが記憶される。

それで全然いいのではないか、という気がする。
それだけで、十分な気がする。



朝、団地をあとにして

やはり外とは大分違う。ごろんと横になってもいい

画像ではなんだかよくわからない

こんな状態がほとんど。随分放置されてきたなあ、と改めて

三角窓から見る外の景色
一足先に山仕事納め
2011/12/24 sat 晴れ -3℃ 2名


日本海沿岸は大荒れ、胆振も風が強いという予報。8時過ぎ、チェンソー以外の道具の一切合財がいつも詰め込まれたプリウスで現場へ。昼食は温かいものを諦めてパンにした。

U先生の脇に車を止めて、雪原をソリを曳きながらツボ足で進んでみるとそれは意外と楽だった。30cmの積雪だからこれですんだけれど、これも今回でおしまいだろう。次回からはダニエルさんのスノウシューの出番だ。意外と楽、といっても、そこはそこ、50mほど歩いては立ち止まり、風景に溶け込むフリをして休む。キツネ、シカの足跡と交錯、ウサギの足跡もあったかもしれない。

ブルーシートの小屋の薪ストーブに火をつけてから、すぐ、小屋から西側にある風倒木と掛かり木、ツルに絡められた木を片付けて西へゆっくり進む。春までそうするつもりだ。風倒木などを主とした修景間伐は歩みは計画に従うというより、目の前の現実に反応する。その藪状を片付けた先に、やはり風倒木があったらやはり当初予定を変更して、目の前の課題に取り組むからだ。

ずっと独りで山仕事をしてきたから、安全にはいつも細心の注意を払っていたがそれだけでは臆病にもなりかねない。お祈りのひとつもしてエイヤッと奮い立つことも少なくないが、実はそこで必要なのは祈りではなく、経験と知識に裏打ちされた技術だとは知りつつ、。それがなかなかで、進歩がとまったままだ。

独りの山仕事を思い出すと、その時、人は詩人になるのではないかと思う。五感がフル回転する。二人以上はそこにタレント風味が混じってくる。そうして大勢の時は詩人は消えてタレント性だけが残るか、あるいは「ひきこもり」になる。

今、手がけているゾーンには直径が50cmもあるコナラ、ハリギリ、ヤチダモなどが数本ある。これはいずれ、ヒューチャー間伐をしたいと思う。それとついでに、これは寄付者や遠方で会費で応援してくれている方への、こころの贈答に使えないかと思う。このNPOではすでに「わたしの山」とよんでね」というプレゼントをしているが、その第2弾になる。価格のないネーミングライトである。それらに黄色いテープを付けた。しかるべき時に、周りで枝を触れている樹木を伐りたい。

   

11時頃、oyamaさんが来て公社側でチェンソーの音がしだした。昼はストーブを囲んでかじかんだ手を温めた。午後、ヤマモミジに絡みついた桜とミズナラを整理していて、チェンソーがはさまれた。幹が読みと逆の動きをしたのだ。こういうときのためには、チェンソーをもう一台持参すべきだが、ついそれをさぼる。幸い、oyamaさんが50mほど先にいるので、応援にきてもらった。

冬至を過ぎたばかりの今頃は、3時を過ぎると、日が傾いた感じがしてくる。3時半になると、太陽が樹幹越しに地平線に近く見えて日没のようになってくる。温度もぐんと下がるので、そろそろ帰ろうかあ、と相成る。

家路へ向かう。西の空は茜色

平成23年の山仕事納めになった。再びソリを曳いて車に戻ると、U先生が玄関からでてきて、わたしとoyamaさんに、ケーキの入った袋をプレゼントしてくれた。年末のご挨拶をして散会。


これで十分効果はある

この、得体の知れないもの

車のトランクはこの通り物置だ
小屋完成、仕事納め、札幌ウッディーズ忘年会
2011/12/17 sat 晴れ −6℃ 4名


寒い朝だった。早朝はマイナス10℃ほどではなかったでしょうか。前夜は今年5つめの忘年会を幹事でありながらそそくさと会計を済ませ退散して今朝の段取りを進めました。なにせ、一番動きやすい11月12月に、イベントや小屋作りなどで手入れ作業そのものに専心できなかったので、除間伐材があまり出ていない。これはちょっと気がかり。

今朝は、ホームセンターに寄ってから長老宅で薪ストーブをもらい、小屋で煙突を探し、薪オブジェに簡便な屋根をかけてから大島山林へ。小屋のロフトにおいてあった煙突の箱をもって小屋の階段を降りようとしたら、inabaさんから携帯。「プリウスでは現場に入れそうにないから、トレース付けといたよ〜。」とのこと。ありがたい。小屋へは前回のトレースが効いていたので、ソロリそろり到達できたけれど、これからはこうも行かない。延々とソリを引く季節だ。
 
薪のオブジェの上部に、長老からもらってきたブルーの肥料袋2枚を開いて屋根にした。これで薪のクサレを多少遅らせることができる。冬の来る前にしておくべき仕事があとになって気になっていたもの。一方、枝のオブジェのウェルカムボードは雪をかぶって健在だった。

大島山林の現場はタップリの雪で、案の定、プリウスは難儀した。しかし、無理してでも突っ込んでおくと次回が楽。そのために多少はいつも無理をする。今回は、メンバーが先にいるので万が一の場合は応援があてにできるから大船に乗った気分で雪道に突入。プレハブから出したソリに、まずチェンソーや道具、燃料など自分の資材をのせて一往復。さらにストーブと薪と炊きつけ、煙突をのせてもう一度往復。それだけでいい加減疲れてしまった。

小屋がけの最終段階はストーブ。わたしは据付、oyama氏はシートの張りなおしをして、ようやく、狭いながらも暖のある小屋ができた。自ら作って焚いて見てわかったのは、外の焚き火をストーブという箱におさめ、テントのなかで風を防いだ、という程度のシロモノ。しかし、かじかんだ手にはとてもありがたい。一仕事やってから、ストーブを囲んでいると荒木会長がやってきて羨ましがる。昔から男子は秘密基地や隠れ家なるものを作りたがるが、そんなノリである。
 
3時前に作業を終え、雪原から無事脱出もできて、今日はみんなでする作業の最終日となった。わたしはそれから、銭函の春香小屋で行われる札幌ウッディーズの忘年会にでかけた。5時過ぎに到着したときはもう宴たけなわで、早速かけつけでビールをいただいたら、司会の石田事務局長が、予告どおり、わたしになにか講話をするようにおっしゃる。数日前のメールですでにそういわれていたので、アンケートで協力してもらった新刊『これからの選択 ソーシャル・キャピタル』の話をさせてもらった。総勢20名ほどのみなさんは、もう出来上がっていたのに、私語も居眠りもなくお聞きいただいた。若い学生さんらの輪にくわわってワイワイやっていて、気づくと同年輩と上の人は誰もおらず、深夜12時過ぎ、1階の隅でシュラフなしでごろっと寝た。

   



つた森山林で
山ノ神を参拝
2011/12/10 sat 晴れ 6℃


恒例の山ノ神の参拝。午後一時に家内と自宅発、inaba,oyama両氏をピックアップしてつた森山林の山ノ神へ。現場は15cmほどの積雪が解けないで残っており、一応冬景色に変わっていました。今年、鳥居が新しくなって恐らく関係者が金曜日におまいりした形跡がありました。

その足で大島山林へ向かい、会員の荒木さんと合流、ややして上村先生がニャンコと参加。ここのシンボルツリーのドロノキに参拝。プレハブで直会。この間、oyamaさんとわたしは、やりかけだった小屋がけのシート張替えをする。待ちかねた面々とビールと日本酒を開けた頃は、もう黄昏近くだった。それから6人は真っ暗になるまで、プレハブで歓談。わずかのお酒だけど、山ノ神のお神酒は格別においしいはず。荒木さんから、公職の挨拶ネタの秘話を伺っているうち、ほとんど向かい合わせの人の顔が見えないまでになった。かなり異様な雰囲気である。携帯の灯りで後片付けして散会。
  
大島山林でのお供えと参拝

小屋がけのテントを張替え、ストーブ用の煙突穴を確保

苫小牧の面々はこのあと、マチのお店で一献、事実上の忘年会になった。

 
若い人で込んでるお店は、華がある。向かいのワインバー「たけはら」も素敵だった


*2011/12/09北の森林と健康ネットワーク メールマガジン27号に寄稿した原稿(写真一部省略)

「こころの森フォーラムY」報告

         草苅 健
                                                (北の森林と健康ネットワーク 副理事長)
                                                NPO法人苫東環境コモンズ事務局)

3年前に、精神科医の瀧澤さんと始めたこのフォーラムが、なんと6回目になりました。「北の森林と健康ネットワーク」からは、毎年春秋いずれか1度のペースで札幌からの参加のためにバスを出していただきました。この後援のおかげで随分札幌からの参加者が確保されてきました。フォーラムの初回からのテーマを列記しますと、

■第1回  2008/11/29 sat @北大苫小牧研究林
身近な森の中に自分の居場所がある
■第2回  2009/06/22 sat @北大研究林

林と繋がるメソッドを学ぶ
■第3回  2009/11/08 sun @錦大沼
山・森・湖の「息」を聴く
■第4回 2010/07/03  @白老ポロト休養林
花鳥風月に白老の「気」を探して
■第5回 2010/11/06 @安平町大島山林

神々の棲む林が子供のこころ&体を育む

となります。眺めてみると、一見して普段言い慣わされた科学的な言葉遣いから、ちょっと逸脱しているのを感じられるかも知れません。が、それこそ、わたし達がもっとも目指したかった核心部になります。つまり、森林とのメンタルなつきあいを柱に、感性をフルに動かしてつきあおうとか、自然が発する気と自分の気を同期させるにはどうするのかとか、花鳥風月を情緒で感じ取ろうとか、ともすると霊感まで援用するようなとにかく森林や自然を既成のオブラートではなく、感覚を開放してピカピカの感性で向かい合ってみよう、そんなメッセージをずっと出し続けてきたつもりです。

 今回は、今までのような、その道のメンターをお呼びする方法を止めました。講演のような形は、人と森林の橋渡し役が介在し、結局「ガラス窓の外の森」とつきあうことになりかねません。講演ではなくて、参加者お互いが、雑木林で感じたことをつぶやきのようにトークする、言い換えれば、雑木林と里山的雰囲気そのものを主役としたライブ、そこで直に感じる接触感が大事ではないのか。どうもそれで十分ではないのか、と個人的に思い始めていたのでした。

そこで出てきたのがこのようなシナリオ。『〜 歩く、風の音を聞く、焚き火する、食べる… 〜 ただただ、林を感じる新里山の過ごし方』でした。古い時代のよき想い出として語られる「里山」や「雑木林」とは、実際、どんな風情でどんな風に営まれていたのか。それが、わたしたちのこころや体に知らず知らずにどんな風に効いていたのか…。今回のフォーラムは、その環境にただ身を置いてみること、そこにフォーカスをあてることにしたのでした。

定員を10名近くオーバーした総勢30名のいぶりの雑木林ライフは、そんな思いを下地にして、苫東のわたしたちNPOのフィールドである小屋周辺で展開されました。ゆるやかに集合(10時ころ)して、適当に三々五々散会するという風にしましたところ、乳児を含む5人家族のIさんは、余市から11時頃にみえました。そのころは、おおかたが散策から戻り、札幌からの参加者を含めもう小屋周辺のあちこちで、思い思いの手仕事とおしゃべりが始まっていました。そんなゆるさがここのいつもの流儀です。

今回は、瀧澤先生とわたしというフォーラム実行委員会(いつもたった二人)に、NPOの3人に応援を頼みガイド兼ホスト役になってもらい、下記の8つの過ごし方メニューを用意しました。

 ■フットパス散策(草苅)
 ■枝オブジェ制作(inaba)
 ■薪割り、薪積み(oyama)
 ■森療時間(瀧澤)
 ■落ち葉のプール(安保)
 ■焚き火(草苅)
 ■薪ピザ(inaba、草苅)
 ■枝クラフト(oyama)

 で、雑木林ライブはどうだったのでしょうか。アンケートなどをしなかったので真相はわかりませんが、聞こえてきた感想を総合すると、「十分楽しめた」「葉っぱの落ちた雑木林の魅力を発見した」「里山の潜在力を感じた」など。主催者としてふり返れば、NPOになる前も含めてこの一帯はこれまで多くの子供を受け入れてきましたが、子供たちと雑木林が本来、こんなに親密だったかと改めて思わせる光景が一杯でした。枝を削るクラフトに没頭する子供には感動しましたが、その子供にカッターを黙って使わせてくれる母親も立派です。帰り際、その子はきれいに皮をむいた枝を手に持っていました。以前、5歳ほどの女の子がアマガエルを引き裂く(ムゴイ!)のを停めないでやらせていたお母さんもおいででした。まさに、そんなながれがあちこちで進んでいきました。落ち葉のプール、おがくずのシャーベット、木登りなど。


普段は「北の森カフェ」と呼んでいるコーナー

子供たちだけではなく、普段、もっと緊張感のある大人も、林の中では目じりが下がっていました。こころメーター(アミラーゼモニター)などつかわずとも、入林前と1時間後の顔写真を撮って目尻の下がり工合など表情を比較するという原始的な比較方法も面白いと思わせます。一方、男女を問わず、薪割りは見てる方が実は冷や冷やです。そんなこんな、里山的暮らしがたくさんの手仕事を待っている、その真ん中で里山を疑似体験した形になります。それは「身近で快適な雑木林」「手自然の里山的雰囲気」であり、そして迎える林と人々との間に誕生する「つながるスポット」のようなものがありました。

もういちど、それでどうだったのでしょうか。

ケアを開始して20年ほどになるこの雑木林では、里山の雰囲気が主役になれること、講師がいらない自然体験であること、そして忘れてはならない大事なこと、そのひとつは、子供達は里山的素材の中で天衣無縫の振る舞いをすることです。森の幼稚園をみた時の感動とそっくりと言って良いかもしれません。「そうか、子供は里山を待っていたんだ!」。そんな気すらします。

そしてもうひとつ大事なことは「焚き火」。陰の主役は焚き火になるのではないか、と予想していましたが、案の定、焚き火はにわか作りコミュニティのずっと中心でした。そこはたいてい、人生の知恵袋である長老達の居場所で、若い者が外遊しては戻ってくるたまり場です。

これらをトータルしてふり返ってみるに、雑木林そのものをメンターに切り替えた今回のフォーラムは、わたしたちの里山日常そのものが人びとに提供できる(もてなすことができる)潜在的で魅力的な雰囲気を持っている場であることをはっきり意識することができました。また「こころのフォーラム」はこれからこのパターンを基本にしよう、という決心もつきました。そういう意味で、20111126日は「新しい里山記念日」になったように思います。あえて次の一手を述べさせてもらえば、この場を生み出すのは、人のケアであること、そして地域の林は、誰の所有であれ、大なり小なり人のケアを待っていること、そして「業」が成り立たないのであれば、「新しい公」の旗を挙げるなどして住民自らが担い手になるしかない、ということです。

加えて、都市にあって身近に作られた都市公園ではなく、より自然度が高くかつ安全な里山的自然がよりリラックスができ老若男女の心身の健康にとてもいいから、これからの高齢社会における意味はそれだけでも大きい意味を持つはずです。さらに生意気なことを言えば、そうして地域に軸足がつながると、自分がグローバリゼーションの対極に位置しているのではないかという不思議な幸福感に気付きます。地域に住むプライドというものがそこで(にじ)んでくる、とわたしは考えるようなりました。 (おわり)




新しくなった鳥居

わたしのクラフトを鳥居にしてくれ 
たのはファンクラブのnemagariさん


ネズミたちのココアの宴あととフン。 
やはりいたのである
30年前の造林地をどうする?  
トピックス:20頭のシカの群れ、小屋野ココアが食べられた
2011/12/07 wed 曇り 0℃


年休をとって8時半、雪景色に変わった「つた森山林」へ。30年前の台風跡地造林の手入れ方針について、土地所有者側のTさんと意見交換するため。56年の15号台風は、苫東の中だけで確か100haあまりをなぎ倒し、翌年から3年がかりで復旧造林を行ったのです。降って湧いた大仕事で、当時の担当はほかならぬわたし、27,8歳だったはず。

アカエゾマツやトドマツ、ミズナラなどさまざまな樹種を植えて、実はあまり管理されてこなかった。伸びもカラマツに比べると遅いので、先行してカラマツは密度調整された。対象はすべて保安林なので、択伐率が20%ほどで一挙に除伐するわけにもいかない。択伐率が低いので10年以内にもう一度やる必要がでるかも。




  
このアカエゾマツの造林地は大きいものは樹高10m近い。つた森山林はカラマツの成長も良い。
3枚目の写真は、栗の大木。6,7本群生していた。圧巻である。


雪の林道を移動している間に、先ず20頭ほどのシカの群れに遭遇。ちょっと圧巻である。3〜5頭はそのあとも数回であった。シカの被害は多くないと見受けるが、銃猟禁止の苫東には先週も駆除隊が出て、近日中にはここ「つた森山林」にも駆除隊が来る予定だ。「おーい、こんなところにいると撃たれるぞ〜」と教えてあげたい気分である。なにせ、林の中ではさほど悪いことはしていないから。
 
シカの群れ

つた森山林から小屋の前を通って北上し、厚真町豊川の保安林Aまでみて、小屋にもどり別れた後は、しばし林床を刈り払った。薪ストーブもすぐ火をいれたがやはりなかなか温まらない。2時過ぎで13℃ほど、それでも作業後のお茶には十分温かい。ストーブの炎を眺めて過ごす。
 
今日が本当のブッシュカッターの使い納め。そして半年振りのストーブ。




広場にはポニーが




エンジュは別扱いへ

枝もこんな風に保存へ
冬に向けて小屋がけ
2011/12/03 sat 0℃ 曇りのち雨のち雪 
 

本格的な山仕事のシーズンに入りました。今日も、今季2度目の札幌ウッディーズの応援(7名?)を受け、あいにくの曇り空の中、果敢に着手&フィニッシュ。11月12日の初回合同手入れの延長なので、石田事務局長と場所の確認だけして、9時過ぎに淡々と持ち場に。
  

札幌組みはアクセス路を手がけます。苫東のウッディーズは今日は新人の中津さんを迎え、その初仕事になりました。中津さんに、位置関係、NPOの作業現場、いつも参加するメンバーをざっとお話してから、現場で作業の中身、手入れと片付けの方法などをお話しました。oyamaさんとわたしはツル伐りと除伐を続け、中津さんにはとりあえずわたしが前回やったエリアの材の藪だしをしてもらいました。

昼は、札幌ウッディーズは「そば哲」へ、わたしたちは焚き火です。町内会長に今週から4月はじめまで、揚煙行為(焚き火)の許可を取って貰っているので、極めて合法的な「焚き火」であります。腐って水気の多い丸太を方形にして延焼バリアにしてから、その中で着火用チップと新聞紙、枯れ枝と丁寧にのせて一発で着火。オキがたまってくると、結構な暖になります。いかんせん、おにぎりは冷たいけれど、まずまず贅沢な気分になるのでありました。。
シナノキの経木の皮。10枚で200円@名寄にて

昼もそそくさと終えて、今日の課題「小屋がけ」。ソリを引いてくる距離が長くなるので、今季からは燃料とオイルなどはこの小屋にデポしようと言うもの。これは30分もしない間に、出来上がり。シートが小型だったので、今回は間に合わせですが、次回は、大型一枚ものでカバーできるかも。
 
あっという間の小屋がけ。30分で。デルス・ウザーラの世界。

作業中、イヌエンジュを除伐したようでした。青臭い、マメ科のようなにおいがしてはっとしたのですが、木口を見ると、エンジュらしい白黒のコントラストがはっきり。中津さんに、来年のクラフト用に、束にしてもらいました。
(写真・左)
切っただけで、こぶしのように香る

2時前後から、雨、のち雪。雪の中の作業も、2時半頃、ギブアップ。折りしも、札幌ウッディーズから、メンバーへの終了ホイッスルが鳴りました。雪は本降り、3時過ぎ、解散。

*作業に没頭し、札幌ウッディーズさんの作業現場画像は今回撮れませんでした。m(__)m


こころの森フォーラムYにて    
2011/11/26 sat 晴れ 5℃くらい


6回目のフォーラムは、初めて雑木林の小屋で行いました。よそから講師をお呼びするのをちょっとやめて、平成9年に小屋ができて以来ずっとこれまで日常的にやってきた里山的な営みをそのままトレースしてもらう会にしました。なんだかその方が、感性がフル回転するし、手仕事の感覚も、手自然のイメージにもつながってもらえる、と思ったからです。

今回も「北の森林と健康ネットワーク」が後援してくれ札幌からがバスを出してくれました。

今回は、瀧澤先生とわたしというフォーラム実行委員会(いつもたった二人)に、NPOの3人に応援してもらいガイド兼ホスト側になってもらいました。下記の8つの過ごし方メニューを用意しました。

 ■フットパス散策(草苅)
 ■枝オブジェ制作(inaba)
 ■薪割り、薪積み(oyama)
 ■森療時間(瀧澤)
 ■落ち葉のプール(安保)
 ■焚き火(草苅)
 ■薪ピザ(inaba、草苅)
 ■枝クラフト(oyama)

これまで、多くの子供を受け入れてきましたが、、子供たちと雑木林が本来、こんなに親密だったかと改めて思わせる光景が一杯でした。クラフトに没頭する子供にカッターをそのまま使わせてくれる母親も立派。帰り際、その子はきれいに皮をむいた枝を手に持っていました。雑木林記念です。親や大人が見守る中で、安心して好奇心と五感を開放させ、思うままに没入し、発信する。これがとても美しい!

子供だけではありません。普段、もっと緊張感のある大人も、林の中では目じりが下がっていました。身近で、快適な雑木林、手自然の和みが加わった里山的雰囲気、そして迎える人々、つながるスポット。一帯は、ちょっとした宝かもしれません。

言葉の説明がもどかしく感じてきたので、以下、画像で。


    
自己紹介                早速、林、歩く             落ち枝を子、踏むの図        焚き火
   
薪運ぶ                  そんな光景              高齢者が自信を持って積む薪    ピザ1  
   
ピザ2                  一輪車は天国             割る人続出              こわごわ、フィニッシュ
   
全景                    ブッシュのモニュメント       落葉のプール             子らが作ったおがくずのシャーベット
   
カラマツの木登り            晩秋の日脚               待ったりの昼             瀧澤先生の森療時間
   
木屑で遊ぶ少女            没入                   オキは続く               新ロゴ

inabaさん作、新しいモニュメント


入り口に構えるオブジェ
人を呼ぶ準備
2011/11/21 sun 晴れ 3℃
 

道央自動車道は深川前後は吹雪で閉鎖された頃、苫小牧はほば快晴。これはいい気分であります。今朝は先ず、田中林業によってから小屋に9時前に到着。26日のフォーラムにあわせて雑事をこなそうという意図です。ピザ窯から丸型ベンチにつながる一帯の潅木を払っておきたい気持ちを実際の形にし、ベンチで囲み守ろうとしているコナラに枝先が触れる樹木を伐採する、これが今日午前中の課題でした。これは十分完了。

雨がふる前の18日、oyama、nokoさんの両氏が、懸案だったトイレの立てかけや小屋掃除の大方をこなしてくれたので、今日は、そのあとのフォローを。まず、リーフレットのロゴを挿入。縁取りはフォーラムの日に緑色で再加筆。
 
防腐剤を塗ったらこんな感じになった。

inabaさんの落ち葉入れは素敵です。新しく設けた真正エコトイレである落ち葉の「リーフレット」に付随するものですが、これなら用事を足してもいいかな、と思わせるかもしれない仕掛け。お客さんのウケはどうか。今週、直接聞いてみるのが得策といえるでしょう。思えば、こんな開放感のある用足し、って懐かしくもある感じ。oyamaさんがセットした和風のしつらえもグッド。
 
左は自慢の落ち葉籠。右は伐倒の光景。

昼近く、inabaさんがスズメバチの巣を持ってきたので、ベランダに飾って今日の仕事は終了。わたしは帰宅後、夕方、樹林気功の小山内和子さんを迎え、現場に案内してから、トヨタで瀧澤さんと合流し、身近な自然な画像と樹林気功のレッスンを提供。








チェンソーワークのおさらい
2011/11/13 sun 曇り 13℃


山仕事に使う道具はいまやチェンソーとブッシュカッター。そのうち特にチェンソーは百人力のツールで、目からウロコが出るほど林の見方も変わる。それほど威力がある。しかし当然ながら、使い方によって危険であるだけでなく、しばしば命も落とす。ボランティアの山仕事は、だから、このワークの注意力は維持しておきたいし、新しい情報も仕入れておきたい。

そんな動機で始まった研修会も今回で5回目になるだろうか。今回も札幌&苫東ウッディーズの安部プロを講師に迎えて、午前は焚き火を囲んだ座学と後半、伐木デモ。午後は、風倒木処理のデモを見せてもらった

今回は、若手の栗田氏と宮さん夫妻、それと苫東のTさんが参加し合計9名だった。NPOに参加するかはわからないが、こちらも特に誘わずそっとしておいた。集いはレッスンというより、情報交換、相互刺激みたいな場になったところも、少し新しい感じで面白いと思った。栗田さんは先月だか、オーストリアの伐木の現場を見てきたばかりだし、オホーツクの方に2ヘクタールの自分の山を持っている。

稲葉さんと 瀧澤さんは、午後から落ち葉トイレの防腐剤塗りに入った。↑  穴を掘って完成、便座をおいて互いに座ってみる光景が新鮮(爆



朝の幸せ

同じく、朝の感動
われら、ウッディーズの季節
2011/11/12 sat 快晴 13℃
 

この秋と冬、はじめての本格的な雑木林の手入れは、苫東ウッディーズの兄貴分にあたる札幌ウッディーズとの合同作業になりました。9時に現地集合した面々を新しい路の入り口に案内し、挨拶代わりにマップで現在地と作業内容を説明。当方(苫東ウッディーズ)は今回3名でしたので、お助け部隊札幌ウッディーズ16名に圧倒されます。」ヤバイぞ!

  
朝の会合と第8ゾーンの作業風景

新設したルート脇を8つのゾーンに区分して、札幌4パーティと苫東1パーティの5班が現地に歩き出したのが9時半、札幌勢はその後間もなく11時に遠浅名物「そば哲」に早め出動。12時過ぎに食事から帰還して再開、そして最終的には3時前、全作業を終了。シーズン初めで、みなさん、ちょっとくたくたの様子ですが、晴天に恵まれての幸運にニンマリ。草地の入り口からシラカバの風倒木まで、タップリの人数で入ったおかげで、雑木林はかなり様相は改善しました。

しかし手入れした向こうにやはり、手入れを待つ箇所が新しく現れるわけで、これはこれで仕方ない。そんな、ちょっと満ち足りつつ、やり残し感覚の残る作業ではあります。でも、次回以降にやるべきことを残すって、大事なことです。生きる希望ともいえるから。

作業合間の憩い

わたしは、ここ数回、軽量のスチールのMS192を使っていたのですが、朝の作業開始早々、突如チェーンが切れ、バーをソーチェーンが回らないアクシデント。平やすりでバリを削ってもラチがあきません。結局、午前はフイにし、高川さんと歓談の時間にしました。午後は札幌ウッディーズのスチール261を拝借。私には重すぎるものでしたが、ないよりはずっとマシで、欲求不満は解消できました。

帰途、専門店によると、ずべてのソーチェーンの基部にバリができてしまい、廃棄やむなしとのこと。交換の憂き目にあいました。

さて、明日はチェンソー講習会。






会長のVサイン


















しめ縄を交換し、路つくる  topic ; 小屋の林道に砂利入る!
2011/11/05 sat 曇りのち小雨 11℃


昨年初めて、ドロノキのシンボルツリーにしめ縄を飾ったのは、11月6日。神主さんの祝詞のあとに由仁(ゆに)町から飛び入りしたikuraさんの強烈な創作舞踊が記憶に残るアレです。長老メンバーがスゲを編んで作ってくれたしめ縄の寿命は、製作者いわく約1年。神主さんも、「来年は簡略な製品にしたら」とナイロンの縄を薦めてくれていた。

その一年目の朝、荒木会長と菊池さん、nokoさんとわたしがドロノキに集い、会長が持参した脚立で会長自らしめ縄を外し、新しいしめ縄をかけた。下したしめ縄は、なるほど、持ちあげるとバラバラに崩れる状態。ちょうどいい時期に交換できた。一年、もってくれてありがとう。そして、超能力をもつ女性が心配してくれた、実力以上の願をかけられるのがつらい、というドロノキの口寄せ、こちらの方は実際どうだったのだろうか。「こんわけで過大な願掛けはよそうね」と内々に話していたことは多少効いたのだろうか。ちなみにわたしはしょっちゅう手を合わせたが、「ありがとうございます」としかつぶやかなかった。
  
静かにしめ縄を持ち上げる↑                           ↑古いしめ縄は土槌に帰ろうとしていたる

終わってすぐ、新しい路作りをした。林に林道網というほどのものがないのに、これから運びだして利用しなければならない手入れの産物の丸太は山のようにあるはず、しかし既存の路は、歩くためのフットパスとしていい状態で保存したい、などの考えからだ。事実、このところの春先の丸太運搬で、火山灰がしまってしまい、ぬかるみや水溜りになってしまったのである。
  
埋もれ木を掘りだし、倒木を片付け、アワダチソウの原野を切り開き、切り株を根っこからきり直す

作業はoyama氏が加わって5名。U先生前の広場を縦断して昭和50年の苫東植樹会の北端をかすめ南下するルートで、今回の長さはそのうちのまず約500m。ピンクのテープを付けてアタリをつけたあと、スタート地点に戻って、ブッシュカッター3台、チェンソー2台で、幅3mのくねった路ができた。昼をはさんで雨が降り始めた2時過ぎまでで、ほぼ形ができた。会長いわく、「よくすばやくできたもんだなあ」。まさに、快適な温度で、スピーディに仕事が進んだ。来週の11/12は札幌ウッディーズとこの路の両側を手入れする。

作業のあと、わたしは薪のオブジェの様子を見に小屋に行ったのだが、田んぼの裏道からフィールドに入ると、安藤沼から朝日沼に通ずる排水路の橋の上にバラスが敷いてあった。ここはぬかるみの悪路だったところだ。もしや、と思って小屋へ急ぐと、途中の先週までぬかるみや水溜りだったところが、しっかりした砂利(火山灰でない)が敷き詰められているではないか。あの池状態だったところもだ。あれらすべてを埋めるのはものすごい土砂量だ。今年の春、苫東のTさんらに個別にお願いしたところ、現場を見ておくから、と言っていた。その結果かもしれない。これはとてもありがたいことだ。


 
左は巨大水溜りの修復後、右は雑木林の入り口

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