巡る〜めぐる〜季節は巡る
NO.67
2011/05/03〜

今年は還暦であります。
先輩の還暦を40歳の頃に眺めていて
オレには還暦なんてちょっと想像できない、と
思っておりました。
それが思ったよりずっと早く来ました。来てみると、
なんと軽い、実感のない、いわば
「60年の人生で得た知恵」みたいなものの
乏しいのに唖然とする。
そして、
残された時間を勘定すると、これもゆっくりしていれないなあ、と思う。
そこでやれること、365日の花鳥風月にぞっこん付き合うこと。
それしかない。それならオレにもできる。





三々五々、集まる面々

菊池さん、植え込み周りを手刈りする






nokoさんの野の花瞬間リース


35年前、ワタシが苫東に関わるように
なったきっかけ、北海道開発局から
委託くされた緑化試験地。2.4haの
試験地をここを含め3つ扱った。


久々の弁天沼に立ち寄る




























ハスカップのサンクチュアリでハスカップが消えていく
2011/06/18 sat 16℃ 霧のち曇り  8名


小屋の階段など修理作業が一段落しましたが、刈り払いが本格化すると、伸び放題の現場に追われます。今日は、大島山林の入り口からシンボルツリー、フットパスの三叉路までを、こちらが3名、町内会2名でスタート。特に入り口の看板周りは、雑草に包まれていたので菊池さんと丁寧に刈り込み雑草も片付けました。下りの道から広場、ドロノキの動線もoyama、noko両氏によってかなりきれいに刈り込まれ、きれいな状態に戻りました。

わたしの修景と草地管理の歴史は長いので、ちょっとノウハウを講釈すると(エヘン)、

@草地の管理で美醜が決まることが多い。
A草地管理には、手を抜くコツがある。
B5m以内の至近景に留意、離れるにつれ放置しても可になる。至近景は法面も刈る。
Cそのかわり、刈るところと刈らないところの境界(エッジ)を明確にする。刈ることで額縁効果を生ませる。
無地の「地」(右手前からむこう)、埋めた木材をエッジにして左は放置する

D刈り払った跡地で、無地の「地ground」を作る。植え込みなどはそこで「図figure」となる。それで初めて映える。
 
オオウバユリの裾まで刈ると裾に陰ができてエッジになる。植え込みの白いツツジは足元までていねいに刈る

Eツツジやイチイなど植え込みや樹木は、「すそ」を見せる。雑草をていねいにワイヤーで刈る。
F人の手入れのにおいをさせる
菊地さんは落ち葉を集めてくれたが、それだけでも人のにおい濃厚。
   
という風に、じつはいかに手を抜いて刈るか、に知恵を絞ったものでした。だから、できるだけトラクターで刈れるような道路構造にする、のりを寝かせる、などの工夫もスタッフとしたものです。また、細かな緑の「地」を作るのには、刈り払い機はナイロンカッターのワイヤーを少し長めにすると、少なくともケンタッキーやチモシーや若いササは上手く効率よく刈れます。シーズン初めの硬いササなどは逆にのこ歯にします。

結果、広場は次回に残しました。会員のNさん夫妻が10時ころやってきてワンちゃんと山林一周。ちょっと遅いかなと思っていたら案の定、後半、道に迷った模様でした。荒木会長がお弁当を用意してくれたので、あずまやで頂く。三つ葉とセリを採る。これは夜いただいたら、柔らかくてとても美味しかった。

午後、野の花が咲いている頃と踏んで、リース作りに弁天に誘いました。カギを開け、かつての海岸試験地そばに。残念ながら、ノハナショウブ、ハマエンドウ、キンポウゲなどだけで、目当てのフウロソウやノコギリソウは未だでした。それでもnokoさんがノブドウのリースをサッと作って見せました。さすが、green thumberです。

その足で、つた森山林の和みの森にNPOねおすの上田さんを訪ねました。そこでコーヒーを頂き歓談。苫東をフィールドにするもの同士、相互に団体会員になっており、大体、双方の動きは連絡をし合っている感じ。オオウバユリのダンゴを作っていたので、味見をせていただく。
和みの森のコンテナプレハブで。

今日の最後の仕事はハスカップサンクチュアリのアクセスの刈り払い。いすゞ南の工事中の道道のバリケードをあけて進入、約1時間、3人で刈り進む。現場は、ハスカップの7月以外は、人が来ない場所だけに、植生は林に帰ろうとしているところ。この場所は20年ほど前、北大農学部花卉造園学科の教授に、アイソザイムの研究用にハスカップのフィールドを提供した場所。当時は、苫東でここほど成木のハスカップが高密度で生育しているところはなかったのでした。研究の結果は、隣接する株の系統が別々、というもの。栄養体生殖でなく、実が落ちて回りに増えたものでもない、ということです。

そんなサンクチュアリだった場所が、いまや、消滅の憂き目に会っているのです。乾燥化して、ハスカップ以外の樹木も繁茂しているので、被圧され、天然のハスカップ畑は、ホザキシモツケとハンノキの群落にその場を明け渡そうとしている訳です。NPO苫東環境コモンズは、大きく分けると3つのステージを持つハスカップフィールドの典型をサンクチュアリとしてクローズアップしようと考えています。が、妙案は今のところありません。人工的に植生遷移をストップさせておくのが一番目的にかないますが、その対策を早急に考えなければなりません。そうしないと、サンクチュアリは順々に、ハスカップの墓場になってしまうでしょう。

 
左のように埋もれていき、右のように枯れていく




葉っぱを見上げていると飽きない。
そして美しい、心がウォッシュされる、
とミスター長島なら言いそう(笑い


林ももちろん

こんな風だから

蝶もトンボも、そしてセミも。もうゼフィルスは見えない

こうして憩う今日はnokoさんが
所用のため珍しく休み
ミドリちゃんがペアで現れたらしい
2011/06/11 sat 霧のち晴れ 22℃
           4名

9時過ぎの苫小牧は濃い霧、これは快適な作業日になると思いきや、10時過ぎから晴れ始め、午後は快適な初夏の日になってきた。
まず「気温」、そして「やわらかい緑」、そして「蚊がいない」。木々の葉をみても、いつもならコナラの葉などが開葉早々に蚕食されていることも多いのに、今年は葉っぱがきれいにのびのびと開いているような気がする。

【今日のニュースと作業内容】

@oyamaさんによると、小屋のなかに、アオダイショウのミドリちゃんらしいのを二匹発見。ミドリちゃんはここの古い住人だから大きい方だと思う。何故ペアなのかは不明。ただ確かに、昨年は2匹の抜け殻があった。薪の上に寝そべってアライグマにやられないように祈る。それと小屋のネズミがブルーシートを食べた模様。彼らはミドリちゃんらが追い出すなりなんなりして欲しい。これはお願い。

A階段の手すり、完成。長さ1mほどのナラの木を2本埋めて、外していた手すりを設置。これで階段取替えが終了し、機能は完全に復元。
 
oyama、abe両氏、作業始める  昼頃はこんな風に仕上がっていた

Bほだ木の天地返しが二つ完了、あとひとつ残っている。

C丸型ベンチが完成、ホームページなどで紹介、広報の予定。
  
ベンチ製作のフィニッシュを手がけるchiba匠。午後、買出しにいったabeさんが、アイスの差し入れ、
匠はなじみの店のシュークリームを持参、オジサンたちほおばる(写真・中)。そして完成したベンチ。


  
D天然更新のエコミュージアムのアクセス1kmあまりを刈り込んだ。しかし、元の禿山のなごりがどこにもないから、植生復元の実感がない。で、ここは、育林コンペの用地にもなることを発見。45haある。
  
こんな藪の道が右のように。刈るだけでなく、道を覆う木も切る。わたしはこの日、2.5リットルの水を飲んだ 

写真の一帯も30年前は風倒木の山だった

Eささみちフットパスを刈る。

F階段の材料となったカラマツの樹皮を燃やす、そして古い階段を割って薪にする

以上をabe、oyama、chiba、takeの4人で進める。各々、別々のことをするので、並行する各々の作業が漸次フィニッシュを迎える。作業の内容と方向がわかっていれば、各自の都合のいい時刻に来て、銘々でやっていく。段取りは、掲示板に載せておく。省力化と意志の疎通に今のところ、有効。abeさんはこの間、発電機用のガソリンを買出しに出た。

ベンチは瞑想テーブルのように「木になるベンチ」というネーミングが掲示板で提案されている。イスは向かい合えば、人と人がつながるが、大木を背中にして、人が林の方を向けば、人は木や林とつながることになる。ということは、独りで座ると内観の空間になり、自ら木になるイスとなる。


作業を終えたのは4時過ぎ。それから、テーブルを囲んで新緑のお祝いみたいな雑談を延々と。なにせ、蚊がいない22℃のマズメ時だ。ミドリちゃんが顔を出したというのは大きなニュース、ここに関係する多くの皆さんとご家族、そのまたつながる人々に幸あれ。このままいて、黄昏を迎えてしまうというころ、腰をあげ参会、家路へ。






大島山林へ踏み入る

広場にて

いざ、柏原フ、へ
小川巌氏、柏原へ
2011/06/06 mon 晴れ時々雨 17℃ 7名


10月22日の環境コモンズのフォーラム(主催・北海道開発協会、当NPO)では、フットパスの普及案内人・エコネットワークの小川巌氏に講演をお願いする予定ですが、その小川氏と関係者を柏原など苫東のフットパスに案内しました。小川さんのフットパスの集いでは、かねてから、草苅が苫東でのフットパスや森づくりを何回か紹介し、小川さんも苫東は初めてではないのですが、柏原、大島山林、小屋周辺は氏の未経験エリア。

このような現状から、最も柏原らしいこの時期に、フォーラム関係者と現地関係者ともども、歩いてみることになったものです。一行は、1時半、大島山林駐車場でNPO関係者と待ち合わせ、大島山林、柏原展望台、柏原フットパス、小屋周辺のフットパス、つた森山林と巡り、5時前にやや慌しい視察を終え散会しました。
 
牧草地を抜け林へ、そしてまた。右、数々のフットパス談義、更なる検討

小川氏一行は、林の手入れとフットパス開設が進む大島山林と小屋周辺の環境、それと柏原フットパスのシンプルで快適なたたずまいに関心と好感を寄せると同時に、他とは又一味違ったユニークなフットパスの取り組みだと見られたようです。苫東のフットパスが、どのように、道内40自治体に開設されたというフットパスの仲間入りをするのか、今後の取り組み&展開とともに興味深いところ。


今回は当NPOからはoyama、noko、そして草苅が案内しました。早朝の快晴から午後は雨が降ったり止んだり。いわば、あいにく、と言いたい天候でしたが、誰も傘を差さず、ままよ、と濡れながらのウォーキングになりました。
 
小屋のカラマツフットパスで。最後=右はつた森山林



中央はオオウバユリの小径、
左奥はシンボルツリー


奥の大木コナラが見通せるように
なった


35年前の植栽試験地。今、目を
かける人はいない

初夏の刈り払い、始まる
2011/06/04 sat 霧雨のち曇り 13℃ 3人

苫小牧は朝からかなり強い霧雨で、ほとんど雨状態。それでも、ほぼ定刻に3人集まって、まず懸案だったシンボルツリーの周りを刈り払い、小径のオオウバユリを刈り、町内会に約束していた三叉路のシウリザクラの実生を刈り払った。これでコナラの大木を見通せるようになった。

作業の基本はまず安全で、次は「美」と「風景的仕上がり」。今回は路傍のムラサキケマンと林内のオシダを残し、枝は押しだの背丈より低く切り刻んだ。鋸刃の威力だ。昼を山林のベンチで終えてから、柏原試験地のアプローチを刈り払い、天然更新エコミューを案内。もう、昭和56年の台風跡地のなごりはなかった。林道は自然に帰っており、作業は手ごわい。小屋では、nokoさんの発案で、ベンチから見渡せるビューポイントはもっと体裁よくしようということになり、まず小屋とベンチの中間をnokoさん自ら整頓。まるでガーデニングである。かくして作業は4時半に終了。
 


今日は、なんだか面白い話が二つ。ひとつは、刈り払い機を新調した田中林業さんで。田中さんは今日NPOの団体会員の登録をしてくれ、雑談。
わたし  「林業の雇用を、新しい林業再生プランはやってくれそうなけはいないですか?」
田中さん「それは昔から国が言ってきたが、何にも変わっていない。口だけ。冬、失業保険で食わざるを得ない不安定さでは、不安でやっていられないから離れていくんだ。それに今は、競争入札で単価を落としていくから、地元業者が取ることもできにくい。よそものの作業が雑で、地元業者の良心も生かせない。」

現場をわかった人が、林業という産業の再設計をしなくては換われない、という趣旨だと思う。わたしは、再生可能エネルギーと木材自給の観点を柱にして林業の見直しをして、あきらめていた技術開発とテクの普及で可能だと信じている。生産とまではいかないが、地域のNPOなど新しい公共の出る幕も大きいから、スキルアップと仕組みの拡大に努めたいと思う。

もうひとつは、町内会の薪組合の動き。昼、混合油を買いにいった先で、荒木会長とバッタリ。ご苦労さんだね、とねぎらわれたが、その際、薪の周りの草を刈ったよ、とおっしゃる。6月上旬頃に苫東会社が広場の刈り払いに入る予定を伝えてあったのだが、それを受けて、トラクターの入りにくい薪ヤードを、トラクターのために事前に刈り込んだという訳。この、気遣いに、大人のコミュニティのにおいを察する。こういう「気持ち」に、人は胸を膨らませる。
薪のストックヤード。これでトラクターは高スピードで仕事が可能
 



エンレイソウ咲く





そしてサクラスミレが随所で
満開





大島山林らしい新緑





そこで枝をたて、





円盤に描きこんで、





小枝とシュロ縄でとめる












フットパスサインの修理と丸ベンチづくり
〜今日もクラフトな一日〜
2011/05/28 sat 曇りのち小雨      5人


大島山林で9時半からフットパスサインの修復をしながら一周。ホッチキスで止めた部分がさびて脱落したりして、たくさんつけたはずのサインがどうも印象が薄い。それにプリント素材の色が数ヶ月で退色しているので、当NPOはもうこの素材を早めに切り上げ、天然素材、特に丸太の輪切りに切り替えることにした。今回は、oyamaさんが作ったナラやホオノキなどの円盤をとりつけた。やっぱりこれだ。

途中、スドキ群落に二度対面。大分太くなっているが、ぽきんと折れるので、まだまだ食べ時である。鳥のさえずりがさすが。ツツドリ、センダイムシクイ、アオジ、ウグイス、オオルリ声など。
 
スドキ(左)と家族の夕餉用

柏原のフットパスでも大事な場所のサインが消えていたので、あらたに枝をみつけてハンギングタイプに仕上げる。新緑の路はここもさすがだ。
  
柏原ナウ、真ん中は完成後、デザインと造作は右。これが楽しい

お昼は小屋で。食べ終わって間もなく、chibaさん来訪。午後、小屋の裏のコナラの大木に丸型ベンチを設置するのだ。ある雑誌にあった写真と見取り図を頼りに現場仕上げ。chibaさんの現場仕上げのテクは、5年ほど前、自宅のベランダ作りを一緒に3日かけて作ったときに体験済み。次々と生まれる新たな現場ならではの壁をクラフトマンの応用技術で向き合って完成品にしていく。
 
新緑の小屋(左)とchibaさんの資材の搬入

nokoさんは、廃油と防腐剤を提供してくれベランダの階段をサンドペーパーで磨いてから廃油塗りを完了。階段作りも実はまだ完成していない。しかし、この2週間の間で、材が乾燥してホゾが緩んでいる。里山づくりはやるべきことがいつも山積みだ。こういった一馬力の営みと踏み跡が、あたりを次第にひと気のある和みの空間にしていく。

で、丸ベンチはなかなか手ごわい。地盤がフラットでないし、樹齢80年ほどのコナラは南の方に傾いている。そこに8角形のベンチを作るのだ。選んだ木は、これまで、フットパス「奥のささみち」の枝道として、このあたりでは最も端正なコナラの大木に背をもたれて休んだり、樹林気功をするときに相手になっていたそのコナラである。

この冬、将来の立て木とするこの木の周りを独立させるべくフューチャー間伐したが、まだ完全ではない。ほんの一部、皮がはげてきているので寿命が心配だが、ケア次第で延命できるのではないか。
  
左=足をちょっと切る、中=兎に角、セットしてみる、右=8角形を作ってみる

山林内の現場仕上げは水平を採るのも一段とむずかしい。また、根っこもある。ベンチの基礎の納まりやすい場を設定すると、次の基礎やその次の基礎が必ず、コナラの大きな支持根にぶつかる。考えてみると8角形というのは、根も四方八方に支持根をだすわけだから、必ずバッティングするのだ。それで、実に適当に「場」をとりあう。

oyamaさんも知恵をしぼり、図面なしでまたもや口頭の打ち合わせだけでことが進んでいく。結局の決め手はなにか。それは基点をきめること。それから木材というフレキシブルな素材の特長をフルに活用して順番に「決めていくこと」。レベルは最後になんとかなるし、「…のようなもの」ができれば「十分なんである!」。これはchibaさんにかつて学んだ大きな発見だったが、今回もまさにそんな感じ。

なかなかの風格がある なにより風景にとてもやさしい

しかし、匠は決め所は決める。8角形の角のすりあわせだ。ここだけは両方の板がきれいにすり合わされていないと格好が悪い。ここは、chibaさんはしっかり決めた。2時から雨が降り出し、5時すぎからツブが大きくなった。chibaさんが「草苅さん、わたし、黄昏てきた〜」というので、一番下の背板を8枚取り付けたところで終わり。残りは後日とあいなった。9割完成だ。


今日もクラフトな一日だった。







雑木林のある暮らし@余市
〜羨望のエコライフ実践者  Mr.higuchi family 〜
2011/5/22 sun 晴れ

山とフライフィッシングとカヌーの先輩を訪問。本州の激務を60歳で切り上げて、郷里の北海道に戻り、奥さんと二人2年前に余市に建てた新居です。

高台の斜面、360坪に建つ木造家屋はログメーカーが建てただけあって、雑木の藪を大事にしたナチュラル派。今回呼ばれた理由も、その藪とどう付き合うか、のアドバイスを求められたためでした。

でも、わたしなどアドバイスすることなどありません。定年後、コツコツと土地を調べ、資材を集め、土地の素材を使い切る工夫を、まさにエコライフの実践としてしているわけです。

のみならず、氏ご夫婦は、棚田のような畑で野菜を自給し、持ち前のフィッシングの腕で、魚も港や海岸や川で釣ってほぼ自給。時々は氏のネットワークで、畑仕事や山仕事をてつだってくれ、と声がかかり、生活費の心配はなさそうでした。

当日わたしらが頂いた、野菜はもちろん、マメイカやサクラマスも氏の手ずからゲットしたものでした。この、おお!田園ライフ!


わたしたち夫婦は窓辺の食卓から、外の若葉に行き来する鳥たちを見ながら、子供の話し、知人の消息、そしてまた小鳥、してまた古い釣りの話し、仕事と年金、そしてまた訪れる小鳥のこと、と居ながらにしての自然の風物を語り合ったのでした。

いわばエコを実践してきたご夫婦。月の電気料は2000円台、暖房は、時々手伝いに行くリンゴ農家の剪定した枝と裏山の枯れ木を立派な薪ストーブ1台で燃やします。

参りました。ワタシにとっては人生はかくありたし、みたいな典型だったかもしれません。エントランス、玄関、ほかロフト、文机など、アート一杯の造作を拝見して、はっきり言って、ジェラシーを覚えてしまいました。
エコライフもここまでくると、人生一度の作品、と言えるかもねえ。



早めについて薪組合の仕事振りを
拝見。もう、区分けされていた


池の周りの白い○桜が満開

開葉したドロノキに挨拶
雨の中、春を採り、食べる
2011/05/19 thu 雨 13℃
    3人

勇払原野の新緑は、ほぼ毎年、5月20日から25日であり、春一番の山菜はこの時期に重なります。そのピークに当たる今週末は小樽で祝い事があり、帰途の翌日、余市についの住処を構えた山の先輩が庭を見てくれというので訪問。週末、珍しく胆振にいないので、悩んだ末、今日19日を年休にして、2011年春の山菜日にしました。
  
雨の中、傘をさして山菜採り(左)。中=スドキ、右=ワタシのいでたち

結局、雨の中、スドキ(和名モミジガサ)とコシアブラとフキ、アズキナ(和名ユキザサ)、エゾウコギ、コゴミを採取して、スドキは小屋で熱湯をかけて冷ましてからすぐ手ごろなエグミのあるものを頂きました。コシアブラも天ぷらをつくり、頂きました。帰宅後、付記をゆで、ウコギ、コシアブラを調理し、明朝の山菜朝ごはんを用意してたら、家族に笑われました。そんなことにはめげず、コシアブラの炒め物を炊き立てのご飯に混ぜ込んで、絶品の「コシアブラご飯」を食べてから出勤の予定。
  
道端にサクラスミレ、なか=ヒトリシズカ、右=カタツムリの一族?
 
左=小屋でスドキとコシアブラ、右=自宅で全部丸ごといただく

山林を歩いてみたらフットパスのサインがほとんど消えていた。最初、何かのいたずらかと思ったのだけど、そうではなくてホチキス止めが風などでとれてしまうようだ。再来週、補修せねば、と打ち合わせる。


シジミチョウ、羽広げる

近づく

ユキザサ(通称あずきな)

ヒメイチゲの花はあっけなく終わった
現れては消える春のサイン
2011/05/15 sat 晴れ時々くもり 14℃


小屋に忘れ物をしてまた訪問。来て良かった。薪のうえの窓が開いていた。ガーン。わたしの閉め忘れだ。それからシステムノート、NPOの会計関係書類。

来てよかったもうひとつの理由は、シジミチョウが代表する早春のサインをタップリ味わえたこと。まず、わたしの周辺をあのシジミ色をしたシジミチョウがすばやく乱舞し、時折足元に止まる。今日はじっくり画像に納められるほど、じっとしていた。

それからアオジ。まだ鳴き方が自信無げだけど、紛れもなくアオジ。双眼鏡でも確かめてみた。センダイムシクイ、キジバトが鳴き、ゴジュウカラが寄ってくる。昨日はイカル、ツツドリ。地面はアズキナが食べごろ、ハンゴンソウとヨブスマソウが元気な旺盛な伸びを見せ始め、この前咲いていたヒメイチゲはもう実をつけている。桜が満開で、コシアブラの芽は来週あたりが食べごろか。
 
小屋の前の桜がほぼ満開。手前にミズキが開葉直前。右はコシアブラ

よく春は駆け足、というけれど、主役の交代が早い、ということか。いや、そうじゃなくて、空も地面も優劣のない生き物世界が、ただただ、本能にあわせて時間のすき間をチャンスにして生きようとしているだけだ。驚くべき、このシステム。このしかけこそ、神業であり、法則である。その小さな一こまが、わたしたちであり、ワタシである。

土地の風土のなかにこうして居場所を見つけられる幸せというものに感謝している方は、実は非常に少ない。身の回りで札幌や東京に住んでる人たちは、ほとんどそんな機会もないし、そもそもそういうことに関心を持っている人は一握りだ。風土の顔にすーっと近づけるチャンスって、早々いつもあるわけでないから、足しげく林に入るほかはない。足しげく=独り、ということになる。

小屋、あずましい早春



根元はこんな状態

nokoさんが曲面カンナを操る

わたしはホゾを切る
設計図のない階段づくり
2011/05/14 sat 曇り時々小雨
  5人

昨年11月からの雑木林の保育の発生材は、先週まであらかた燃料の薪にする手立てが済んだ。実はもうひとつ、仕事が残っていた。小屋の階段修理である。

林の手入れでは、そこにあった小面積のカラマツ林から、腐れのない手ごろなカラマツを抜き伐りして、abeさんが半割りにしておいた。先日、それを小屋に運び皮をむいておいた。今日は、それを加工し、腐った階段と入れ替える。
腐った階段は特に土台の部分など地面に触れているところばかりでなく、雨にあたる中段もひどかった。

それらをそっくりはずして、崩れかけたものをモデルに、見よう見真似で再構築する。設計図はなし。メモや見取り図を書く紙もなしで、abe、oyama、わたしが「口」と「手」だけで仕上げる。nokoさんは、大型ドリルはじめいろいろな大道具、小道具を持参してくれてステップのカンナ掛けをしてくれた。こんな小さな階段でも、数年間からの懸案を実現するには、実に長い準備期間と、資材と、そしてキモチが要る


 
カットした支柱をセットしてみる。そして補正する

やりながら思い出した。これはログビルダーの仕事だ。わたしは実は「夢民村ログビルスクール」の劣等生で、大小二つのログハウスを作ったことがあった。その忘れかけていた手仕事の手順と思考回路が少しずつ浮かんできたのだ。各々が、やるべきことをわかっていて、分担しながら、ひとつずつ、積み上げていく。それと大事なことは、丸太はひとつずつ姿かたちが違うが、それを角材にしないで、丸みを帯びた個性をそのまま活かし捨てるところを少なくし、使っていくという優しいスピリット。
 
昇り初めをしてみる。そして昇りやすさをまた補正する

そして、設計図のない、臨機応変の、結果オーライの、(そして実にいい加減で)ユニークな階段が出来上がった。作る前、ステップは4段の予定だったが、出来上がったのは3段だった(爆)。水準器を忘れたので目検討でレベルをとったが、まあまあ、だった。仕上がった階段を上ってみると、人間は、いかにフラットな安全になれてしまっているのかが、わかる。つまり、新設した階段は、一段一段、見た目も違うが、足を乗せた感触が違う。向こう側に傾いていたり、次の段はちょっと右下がりだったり。足の裏が、アレッ、アレッといちいち驚くのだ。そして、下るときには、ちょっと怖い。かくして、実にユニークな階段がほぼ出来上がった。



伐って割って積む、広場で少しずつ
進む
林はコブシが咲き始めた


林の中では女性数名が待機して重い
丸太を積んでくれる


小さな薪の山がいくつかできてくる



















除伐の材をほぼ運び出す
2011/05/08 sun 曇り 13℃  14人


今季の薪祭り3回目で、今季の除伐材をほぼ藪だし〜広場への運搬、を完了。

町内会の女性のNPO会員らが中心になって、軽トラックへの積み込み、荒木会長が運転手、チェンソーを持った苫東ウッディーズの主な面々が精力的に玉切りして、長老格の菊地さんやわたしが薪割り。そこへ今日は近くの企業の20歳の寮生2名が手伝いに来てくれた。
 
(左)手つきは治らなかったけど力任せでないのは評価。
(右)下げパン風で、力で押す


面白いことに、女性が薪材をトラックに積む重要な役割をしてくれたのですが、さすが女性、もったいないからといってやや腐ったものもトラックに積んでくれる。おかげで薪の品質はちょっと落ちてしまった。また、若い助っ人にははじめての薪割りだというので基本的なことは教えたのですが、どうもぎこちなく、危なっかしい。それでも見てみぬふりをして観察していると、力任せに振っているが、さすがにわたしなら諦めそうなものも割っていく。それでも、「すみません、これ割れないんですが…」と申し分けなさそうに来る。そこはおじさん、「それでも割れないものはアキラメヨ!」と貴重なご託宣を告げる。これって、キモチイイ!午後、かなり慣れてきて気持ちよく割れている。かなりスジが良くて、何となく割れにくいものもわかってきたようだった。

それから、今日も上村先生には、おいしいおにぎりとカルビーのスープ、手作りパン2種とチョコレートシフォンをご馳走になった。なにせ14人だから大量。荒木会長に「こういつもいつもお世話になってどうしましょう」と聞くと、「またいいところを作業場にしたもの。折角だから、ご好意に甘え続けましょう」みたいなことをおっしゃる。長老格の菊地さんも、「若い頃はこうズーズーしくご馳走になることはなかった。これは歳の功」みたいなことをおっしゃる。
 
いつもご馳走になってばかり。手作りのパンはプロ級。

とにかく、今年の薪は質が昨年よりずんと上がって量も多い。そして何より、5月の上旬にあらかたの力仕事を終えることはできたことは大変喜ばしいこと。昨年は、初夏の6月中旬に、かくも作業を延ばし伸ばしにしてしまったことを猛暑のなかで後悔したのだから。その意味では格段にスキルは向上したといえる。あと、かなりの薪を割って積む必要があるが、あとは、薪を地域通貨のように扱う「薪組合」がいいようにやってくれる。

今日の作業に集った方々。nokoさんとわたしが入ればフルメンバー。

苫東ウッディーズの山仕事はこれで今季の分に区切がついた。





大島山林のシンボル木


柏原にて

このシンプルさ
フットパスを刈り始める
2011/05/07 sat 曇りのち小雨 12℃ 3人


連休後半、山仕事はいよいよ詰まっている。連休は伐採のチェンソー仕事から刈り払い機への過渡期でもあり、ちょうど今日も両方の器具を用いた。

最初の作業地は柏原のフットパスとしたので、先ずわたしは遠浅のプレハブに寄ってブッシュカッターを積んでから柏原へ。oyamaさんとフットパスの懸案の沢地へ向かい、刈り払いを始める。nokoさんも合流し、サインのある角地を刈り払う。

小屋へ回り、フットパスを刈り始めたのは11時過ぎ。やや刈り残してお昼に戻ったのは1時前。ストーブを囲んでの昼食は格別ながら薪ストーブならではの効果で心身の緊張が次第に解けて眠くなる。

昼食後、再びフットパスへ。わたしは折角の発電機のありがたさに感謝しつつ掃除機で小屋の掃除をする。ヒメネズミくんの糞が随所にあるから。掃除機を刈り払い機に持ち替えてからは小屋の周りのブッシュを刈った。そうする事で、林の感じはまた一変する。また、移植したハルニレの根元にエノキタケを発見した。おととし、自宅のイボタのそばかの垣根から移植したもの。残念ながら萌芽更新のシュートはみられない。
 

掃除機とエノキダケ(右)


 
1000の駒をほぼ40本に

慣れてしまえばただの単純作業

今回は長短さまざまなほだ木が
きのこの植菌2回目
2011/05/05 thu 晴れ時々曇り
 4人

林の手入れで出てくる材の有効利用で、今年は薪のほかにホダ木にも手を出してみることにしました。今年の種菌は、しいたけ、なめこ、ヒラタケですが、先週の作業で残ったのがヒラタケの1000駒。

oyama ,abe ,inaba そしてわたしの4人、9時半頃から開始。oayamaさんの経験でもう流れ作業が定着しているから、ほとんど、時間も読めるようになっている。最後の立て込みまで、1時間あまり。

昼食は、北国風の「森カフェ」のモード。こころは浮き立たなくてもいいのだけど、なんとなくフワフワするのは春のせいだろうか。

 
(左)また、森カフェが (右)スコップなどでカラマツの樹皮と甘皮をむく

午後、小屋の階段補修に使う部材を大島山林にとりに行く。皮をむいて、棘が刺さらないように手入れするだけでも雰囲気が違う。3時に終了、いつもの談話をはさんで4時過ぎに散会。

大島山林の水仙


 
朝9時半、藪だし班はまず道直し
から


割れにくいのはしばしばねじれた
クサビを使って


山の方では運んで積む班が
2年目の薪祭り、その2回目
2011/05/03 tue 晴れ 10℃ほどか
 14名

大島山林の手入れを始めて丸2年。当初から、発生する除伐木などをどうするかは、現場の楽しい課題でしたが、町内会長荒木さんとの何回かのやり取りで、薪組合というのを作って、薪ストーブ愛好者に集ってもらおう、ということになりました。

これが見事に当たって、町内の薪ストーブ愛好者を中心に10名ほどがNPOの会員になって、11月から張るまでチェンソーマン&ウーマンが伐ったあとの丸太を運び出す藪だし作業以後を、主体的にやることになってきました。昨年は、「枯れ木もカラマツももったいない」「贅沢は言わないで使おう」と腐りかけたものまで藪から出して、大量の薪を集めてしまいました。おかげで連休前後だけでなく、6月の初夏まで、半ば遠足のように何回もやる羽目になりました。それでもよく、やったものです。

そのときの反省は、「こんな作業は、お祭りのようにしてみんなでやらないと、やってられない!」。町内会長のその一言はみんなの実感でもあり、この作業をいつからともなく「薪祭り」と呼ぶようになりました。今年の初回は、まだ雪がタップリある、3月6日、そして今日はその2回目。

町内会と薪組合関係者が10人、NPOのチェンソーもちが4人が参集しました。今年は、古い軽トラックがデビューして、すでに数日、薪組合が材を運んでいたのは助かりました。これを薪のサイズに切る班、まさかりで割る班、山で材を積む班、運ぶ班、割ったものを積む人。このほかにU先生は、お昼、五穀の入ったとてもおいしいおにぎりとワカメスープと、手作りパンを用意してくれ、作業場隣の自宅の居間でふるまってくれました。これだけたくさんの昼食を用意するのはちょっとした作業です。いつもこんな風に差し入れをしてくれます。

薪伐りと薪割りをしていたわたしは、午後、残りの量はどれくらいか会長が運転する軽トラに乗って見に行ってみてびっくり。それまで運んだのは3差路左のフューチャー間伐周りと札幌ウッディーズ1.5日分だけでした。これからこの2倍くらい、あるいはそれ以上あるでしょうか。次回の祭りは5月8日。

 
(左)こちらの林道は午後手付かずで残っていた。(右)疲れが出てくる午後3時前

*現在、仕事で北海道のソーシャル・キャピタルに関する出版に関係しており、その中のわたしの担当部分に、この薪組合が織り成すコミュニティのつながりを「温かいお金」というキーワードで紹介するところです。



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