里山、木と薪が象徴するもの「ダウンシフター」
NO.71
2012/01/03〜

年末、かつてわたしに執筆を勧めてくださったU先生にご挨拶に伺ったところ、昨年10月の新刊(編著)の当方の担当部分について、
望外の温かい批評をいただいた。もう書く能力はない、これが最後と思って書いたものだっただけに嬉しい誤算だった。
その言葉は、還暦の年末に巨大なお年玉を繰り上げてもらうように、胸を膨らませた。瞬間、まるで子供のように無邪気になれた。
これは還暦後の発条(ばね)になるかもしれない。教育者という職業は、ときどき、未熟者をその気にさせてしまう方がいらっしゃる。ありがたい。

その際、原発事故のあと、社会はどう舵をを切るべきか、という話題になった。もう、バブル時代の延長のようなエネルギー消費、
過食、嗜好などとは決別するしかない、と自然に思っている自分がそこにいる。贅沢や不見識な生活をしてきたわけではないが、恐らく、ある割合の国民は
昨年大なり小なりそんな覚悟をもったのではないか。

生活のレベルをシフトダウンして生きる人をダウンシフターと呼ぶ。40年も前に米国でブームをおこしたライフスタイルだが、
日本ではあまり実践の話題もなくふるさと回帰も本格化しなかった。自然志向は都市からつかの間のレクにしかならなかった。

でもこのたびの震災や世界の情勢は動機付けの深さが違うのではないか。少なくとも経済を最優先していく価値観にはとうとう疑問符が
付けられた。が、次の一歩への処方箋がない。わかっていることは、、若年はもちろん中高年でもいつでも仕事に就ける社会保障を優先し、場合によっては働く場をシェアし、
共助、共感の社会作りを目指すことではないか。

あるいは新しいコモンズの概念といってもいいかもしれない。土地を個人で所有して投機に使う時代が終わりつつあることと底痛している。

数多の生き物が棲み、何も言わないで人間より長生きする樹木と言う生き物、それが協調し集合した林という空間、里山という人と自然が
共存できる古くて新しい多自然コミュニティ。各地にあるそんなところが、来るべきダウンシフター時代の根拠地になると面白い。





直径40cmほどのヤマハンを玉切り
するabeさん

経済の初歩を感じるNPOの商い
2012/02/25 雪 マイナス5℃  3名  2/23&24は各 1名

数日前、またどっと雪が降って、寡雪の苫小牧が47cmの積雪だといいます。今日もシンシンと粉雪が降りっぱなし。わたしより先にabeさんが来ていて薪ストーブの用意もできていました。ブルーシートの小屋の周りのナラの掛かり木が玉切りされている。これは平日の作業だろうと推測。やや離れた場所のabeさんのところへいくと、案の定23、24日についで今日は連続3日目だといいます。道理で、伐倒が進んでいます。雪は深く、ツボ足なら腰まで埋まる、とあとで合流したoyamaさんが言っていました。

 
きれいなナラの丸太。右は追い切りをしていくと雪が深くて丸太が沈みこんな光景になる

薪は昨年の分をずっと超えている、というのが先週会った薪組合長の見立てでした。不足状態はないというのであれば、1月の不安はこれで解消できたというわけです。十分足りているというのであれば、すでに余裕、余剰の段階に入ったことになります。具体的に言うと、薪ストーブを使い、かつ、藪だし、薪割りを手伝うメンバーの需要分は終えて、すでに余剰分に入っているということである。言ってみれば、この前までの分は地域通貨的な内輪のやりとり、ここからは市場用の資源ということになる。「NPOのささやかな商い」、こう割り切ってみようかと思います。

つまり、ここから先はNPOの事業費に回せる売り上げになるのです。市場経済に乗っける、という原理的な営みというのに、今、小さな手ごたえで感じているところなのです。冬、毎週のようにやってきて「労働する」対価が結果的にはわずか数万円にしかならないのに、それに泰然としていられるのは、それが時間と身体をただ投げ打つ「労働」ではないからだというのは当然です。そしてこの感覚というのは、かなり壮大なシナリオが、ある種の奉仕と自己実現のビジョンをもって働く担い手各々にあって、初めて持ちうるものでしょう。これはやってみないとわからない世界であり、善意の発想ができないと難しい世界ともいえます。

ただこの薪シーズンからは、何人が間伐し、何人が藪だしし、何人で薪割りをして「どの程度の薪ができたか」明確にしていこうと思います。つまり、NPOの事業費の足しに積極的に使っていこうという計画です。
これまでも稼動者数は捉えていたものの、精算された薪を正確には数量化していませんでした。そのため、今季は薪のロットである棚(幅2尺×高さ5尺×長さ10尺)ごとに明確に積んでいき、それも整然と積んで、きれいなシートをかけて商品価値をあげ、その周辺に「北の森カフェ」を設けて環境も眺めも大幅改善するる、そんな風にしていきたいと考えています。



ロビンは偉く嬉しそうだった

少年、兄弟

わっとにぎやかになる

ウサギは今週もイタヤの芽を食べ
まくっている


会長と
子供たちの歓声が聞こえる林 
2012/2/18 sat 晴れ マイナス5℃
  3名

相変わらず寒い日が続いている。出勤のため家を出る朝6時半過ぎ、外気はまだマイナス10℃近い。雪祭りの前にちょっとゆるんだのは春到来のほんの見せ掛けだったようだ。

大島山林のある安平町遠浅は苫小牧の市街地よりさらに寒く雪も多い。しかし、肥沃地を好むというハリギリが多く、樹木の生長もいいここは、小屋やつた森山林よりも樹木の環境としてはやや恵まれているような気がしていた。海岸から12kmというのも効いている。

ひとり、ソリを引いていくと、U先生と広場前で会い、先週の座談会のお礼を述べる。快晴のトレースを見ると、先週から随分多くの人が歩いたようで完全に踏み固まった。長靴で歩いている。薪ストーブに火をつけていると、外で話し声が聞こえたので出てみると校長先生(通称)ご夫妻がワンちゃん(確かロビンとかいった)を連れて散歩の途中だった。

校長先生「いつもご苦労さまです。歩きやすいですねえ」
わたし  「あ、ご無沙汰してます。久々ですね」
校長先生「歩くスキーの方にクレームつけられるのも嫌だからちょっとひかえたりして」
わたし  「でもこのルートなら大丈夫。それに歩くスキーの方々は今年ほとんど見えません」

先生ご夫妻はわたしたちの手入れゾーンをぐるっと回ってあの広場の方に戻っていかれたようだ。そうこうしているうちに、風邪で休んでいたoyamaさんが久々の登場。インフルエンザではないが咳が抜けないのだという。わたしが、やりかけの自分の場所について燃料を入れていると、子供たちの歓声が聞こえてきた。やたらとにぎやかで母親が同伴しているらしい。幼稚園児らしい二人は男の子、もう二人は女の子。

わたし 「ボク、名前は?」
少年  「イ○オカ○○○と弟の○○です」
わたし 「よく来るの?」
少年  「うーん、ボクたちははじめて。後ろの子はときどき」

後ろからきた母子に連れてきてもらったようだ。6人と一緒に話してみると、両家族とも団地の人。とても喜んで歩いているのが表情でわかる。子供たちはたくさんの枝の中から手ごろなものを選んで手に持っていた。

お母さん「どちらからですか?」
わたし 「今日のわたしたちは苫小牧。いつもは、江別や札幌の人も手伝いにきます」
お母さん「ご苦労様ですね」
わたし 「春や夏はお子さんと来てますか?蚊は大丈夫でした?去年はまずまずでしたけど」
お母さん「新緑の頃はすごくいいですね。蚊の多い夏は逃げ帰りました」 

子供たちや母親が林に来始めたのは朗報である。
今、大人たちから子供たちへの贈り物の大事な部分は雑木林というプレイパークなのだ。おととしの第5回のこころの森フォーラムはそれをテーマにしたのだが、まだPRが足りなかった。いよいよこれから、少し様子が変わっていけばしめたもの。そのために、心地よい林を出現させる必要がある。母子6人を見送ったあと、こんどは荒木町内会長が顔を出した。薪組合の収入をNPOに戻入することにしたその現金をもって来られたのだ。

わたし 「先週の座談会はありがとうございました。奥様にはご馳走様でした。今日はお子さんが見えましたよ」
会長  「ああ、わたしも今、そこですれ違ったよ。元気のいい団地の人で、男の子らは広場でよく草野球してるんだ」
わたし 「ところで、薪の量なんだけど、去年より少なくないかと思って焦ってたんだけど、どうでしょう」
会長  「去年より大分多いと思うよ」
わたし 「それならいいんだけど。うんと働いてNPOの収入を増やそうと思ってもいるんです」

会長とはそのあと、テントでひるごんを食べるときも一緒に歓談。午後も1時前に仕事にかかり、oyamaさんもわたしもやや疲労困憊。無理し
ないで3時にはチェンソーの掃除を終えた。二人とも足や腰の調子がいまひとつ。
  
丸太がごろごろ             大木を残したあと           oyamaさんが片付け終える
  
夕方、日脚が長くなる          雪原にて               林から覗く団地



高さ1m近い看板が、このとおり

穏やかな、あくまで静かな

小屋の前で曇り始めた

窓から薪ごしに

炎をじっと見つめるのはセラピーか
小屋を見に行く
2012/02/15 wed 晴れ時々曇り



 
今朝から、北海道は大荒れ模様で、旭川あたりばかりでなく道南でも高速道路が吹雪で普通になっていた。そんななか、今年はじめての年休をとって、雑木林の小屋に出かけた。風は少しあるが晴れ。夜半から今朝がたの湿雪が積もって、枝も美しい。
 
冬の小屋はいつも格別だ。もう誰も訪れる人もなく、小屋は久々の訪問客に喜ぶ。人はそこでなにするでもなく、ストーブが温まるまで本を読んだり、日誌を書いたり、はたまたリコーダーを吹いたり、外を歩いたり。それから、横になって薪ストーブの炎を見つめたり。今日は久々にここで座禅を組んだ。背中のストーブが轟音をたてて燃え始めて背中にちょっと強い熱が伝わってきた頃、区切をつけた。

 

小屋の日誌を書いていると、8mmほどの蛾がやってきて、ページの真ん中に止まった。黒のフェルトペンは、キャップと下部がネズミにかじられていた。生き物、みな、人恋しそうなのか、そんな気になる。








































座談会『薪ぢからとコモンズ』@遠浅
2012/02/12 sun 晴れ −6℃


今日は午後から、遠浅の地区センターで薪組合の総会のあと、コモンズの座談会を開きました。薪組合とは、大島山林の除伐で発生する枯れ木を含む木材を、、NPO会員を中心に作業の参加時間に応じて分配する任意グループ。残った一部を有料で関係者に配るので若干売り上げが出ます。その出納関係を会員に報告。報告といっても刷り物がなく、帳簿を閲覧して了承。NPOに戻入し、次年度事業費を組合に還付しました。これらは荒木さんの奥さんのお汁粉と、U先生のお手製ピロシキをご馳走になりながら。
ピロシキ。あっという間に半分に。残りはお土産にいただいた

続いては座談会。すでに昨年の10月に『これからの選択 ソーシャル・キャピタル』で遠浅町内会と薪グループにあるオーソドックスな人のつながりを、場に残るソーシャル・キャピタルとして紹介したところですが、今回はさらにつっこんで、薪を中心に置いたコモンズ的な運営を振り返り、これから手がけたいことなどを話し合いました。

話題になったのは、まず、よそもののわたしたちNPOが、地域の既得権のようになっていた山林の管理に参入したことによる町内の軋轢と誤解。意外にも、それらは新聞をはじめとする報道などで少しずつ合意ができてきて、結果的には時間がプラスに働いているようでした。

そのほか、土地の履歴、樹木が持っている霊性、それからどういうわけか「ねずみ」のエピソードに随分感想が寄せられました。一方、獣医師のMさんは、地球レベルの環境保護運動の嚆矢は、ブルゴーニュの森に集ったバリビゾン派だったという話から、風景や人間の感性に及ぼす林の意味に話が及びました。そういう意味では、樹木しかない山林の今の環境に、座って風景を眺められるベンチなども考えていこう、ということになりました。

池掃除、林道敷設、子供らも憩える環境作りなど、これからの課題も一杯出ていよいよ今年も忙しくなってきました。念のため、草苅が予め用意した今日の座談会の次第とキーワードを下記に示します。


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NPO苫東環境コモンズ座談会
『薪ぢからとコモンズ』 

〜身近な共有里山(コモンズ)を手入れするよそもの
NPOと町内会有志の協働実験の2年を振り返る〜

日 時  平成24212日 日曜日 13:001530
場 所  遠浅町民センター
話 題
     §1.2009年ころからよそもののNPOが動き出して迷惑はなかったか?
       ・町内からクレーム(スキーのトレース、除雪、あいさつなし)
       ・町内から応援の声(主として団地の新入居者)
       ・北海道新聞等の数回にわたる追い風報道(石川さん、俵積田さん、民報)
     §2.里山管理から薪づくり、薪組合へ進んだのは自然の成り行き?
       ・結局、薪ってなに?エネルギーだけでない資材?見知らぬ人の接着剤?
       ・手間かかり過ぎる…
       ・薪を使うと、灯油を使うより気持ちよい?本当なみんな使いたい?
       ・木を切る方は、エコの循環のきっかけを作っている満足@、結果、
            「風景が変わる満足」A、「憩いの風景に戻る満足」B
     §3.林は気持ちよくなったのか?
       ・汚いものにはすぐ慣れるからツルと傾斜木一杯でも気にならなかった?
       ・きまった一部の散歩者以外、誰もよりつかなくなっていた?持ち腐れ?
       ・池のまわりは広場らしくなってきた(間伐とご神木)
       ・蚊はなんとかならないか?
       ・子供にもっと来て欲しい?迷子になる?
     §4.林のある団地のプラスマイナス?
       ・虫が出る、犯罪、子供達は林に行かない
       ・「林が隣接」というムードで土地が売れる?
       ・町内会有志がある程度自由にできる林はプラス、しかし手が回らない
       ・手が回らない林は醜く気持ち悪い
     §5.シンボルツリー(ご神木)でなにか変化は?
       ・おろそかにできなくなった?
     §6.これから欲しいもの
       ・ルート図看板、フットパスサインの変更追加
       ・こぎれいな林道、丸太を運び出せる林道、痛んだら治せる林道
       ・作業小屋(今はテント)、エコトイレ、 
       ・薪割り機…

       ・ミニブル、ウインチ、スノーモービル、軽ジープのような運材用具
     §7.これからしたいこと、あって欲しいこと
       ・森の幼稚園
       ・散歩者の増加
       ・その他

       *参考 森づくりの長期スケジュール
             ・広場、シンボルツリー、フットパスの刈り払いは継続
             ・H2228 フットパス沿いのツル切り除伐(届け不要)
           ・
H29〜  間伐(伐採届け)
           ・懸案:公社と北電開閉所よりのカラマツ林などの扱い




こんな枝先を↓

こんな風にする。疎開という

イタヤの伐採した跡地にはこのように
ウサギの糞が転がる。糞=宴、
である。昔、イタヤの造林をしたとき、
ウサギの害がひどくて難儀したことを
思い出した
札幌ウッディーズのyamadaさん応援来訪
2012/02/11 sat 晴れ時々曇り −6℃


いつものメンバーが今日は所用でお休み。変わりに札幌ウッディーズのyamadaさんが応援に駆けつけてくれた。山田さんは森林組合の10年選手で、その道のプロ。大島山林に来るのははじめてだったのに、地図も送らず失礼してしまったが、メールで、「JR遠浅駅を背にして…」といういつもの言葉案内を送ったつもりだったので勝手に地図不要と思い込んでいた。

用事をこなし少し遅れて合流して、現場へ。二人の荷物を積んだソリは若いyamadaさんが曳いてくれたので、わたしは後ろからノルディックスタイルでスノーシューの歩を進めて約10分あまり、簡単ゴール。yamadaさんには、11月の札幌ウッディーズの作業跡地をもう一度さらってもらい、わたしは先週の続きを手がけた。午後も同じ。
  
yamadaさんの丁寧な作業風景 

やはり、山仕事の楽しみの一つは、昼ご飯。旭川ラーメンのしょうゆ味カップ麺はかなりいけた。ストーブには一昨日茨城の学友にいただいたホシイモを載せて焼いて食べた。美味だ〜。そうこうして、yamadaさんと、結構マジメな話をしているまに1時半近くになってしまった。この頃、昼ごはんはつい、長くなるきらいあり。しかし、まあ、わたしたちの作業は仕事やノルマとは大分違う世界だからこれでいいのだ、と言い聞かせて身を任すのです。もうすこしすると、仕事は午前だけ、午後は焚き火、という日が来る。それを楽しみにしよう!

午後3時前に、ソーチェーンが切れて作業を中止した。やることがなくなったので、付近を歩いてみた。手入れの一帯の周辺は、やはり込み過ぎの荒れた感じがある。仕事が一杯残っているのが、なんともこころから嬉しい。
シンボルツリーは健在

明日は薪とコモンズについて、町内会有志と座談会の予定。



玉切りした木口がこちら向く

anさんが運ぶ
山仕事の先が見えた
2012/02/05 sun 晴れ 朝はー8℃、日中は0℃ほど

出張のあおりで日曜の山仕事に。inaba、abe、anの3氏があわせてくれて、みなさん10時前に参上。わたしは一足先にストーブに火を付け、昼のカップめんのためにやかんにたっぷりの水を入れました。oyamaさんは今季2度目の風邪で休み。インフルエンザの可能性もあり。
 
ブルーシートの作業小屋もいたに付いてきた。沸騰するやかんで、カップめんとココアとコーヒーをいただく

今シーズンに抜き切りすべきものに今日もマークをして歩く。ナントモ嬉しいことに、昨年の作業エリアに見事つながって、思えば3シーズン目で、目指していたドロノキの風倒木まで到達したことになる。まだまだフットパス全体のことになると先は長いけど、この夏台地上(下の湿原沿いでなく)の新ルートを開設できると、一挙に修景の除伐・ツルきりは進む。

仕事はanさんが藪だし、枝整理をしてくれるので、随分はかどる。inabaさんのチェンソーワークもかなりスキルアップしたのか、トラブルがないせいなのかか、すこぶる順調で、小屋周りの傾斜木など、今日は大きめ数本を手がけた由。淡々、着々と仕事は進む。

雪原には、ウサギとキツネとシカなどの足跡が交錯する


コモンズ的里山の事例
2012/02/01-03 九州・博多〜大阪・富田林〜日野市


NPOの名前に使っている「環境コモンズ」という概念は、このNPOの立ち上げの際に選んだ、それなりの意味を込めたもので、これから土地の所有者が高齢になったり地域を離れたりしたときでも、その土地、特に里山など身近な林を利用したい人が積極的に参加できるための考案であった。また、不在地主が多く地域には誰の物かもわからず荒れていく森林をどうして行くのかという、深刻な問題にもなんとか示唆するものがえられないか、という希望もあった。さらに、ギブアンドテイクの共有的発想で、これらの地域課題に応えられないか、という実験の意味ももちろんあった。

このたび、わたしがこれまで注目してきた里山管理の担い手に、晴れてヒアリングすることができた。環境コモンズを自主研究テーマにしている財団(職場)の「環境コモンズ研究会」事務局としての訪問である。訪れたのは、九州・博多の「こうのす里山クラブ」、大阪・富田林の「里山倶楽部」、東京・日野市の「倉沢里山を愛する会」の3つ。

2月1日、マイナス15度の千歳から博多に向かい、午後2時からまず「こうのす」の現地と事務所内ヒアリング、翌日は新幹線で大阪に向かい午後ヒアリング、さらに翌日も新幹線で関東を目指し、同じく午後ヒアリングという行程である。公有、私有の里山を一種のパークマネージメントのような観点でとらえた。以下、概要と簡単な印象memoを紹介。近日中に、レポートとして掲載予定。

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@こうのす里山クラブ

「福岡市の鴻巣山緑地保全地区で鴻巣山の多様な自然環境の保全活動に取り組み、多くの人と楽しみを分かち合いながら、森と人が共に生きるこれからの里山文化を創造すべく活動。」(会則,HPなどから)

 
マテバシイの萌芽林。このアタリを会は管理

人口150万人の福岡市には60近い緑地保全地区があるなかで、鴻巣山は約17ヘクタールと最も広い。そこで平成12年、森づくりのワークショップが行われたのを契機に市民がケアする活動がはじまったようだ。活動は月に1回程度の親睦会的、かつ、ゆるやかなもので、全体を管理する担い手ではなく、面積でわずか5000u程度のマテバシイの株立ちエリアが中心。

社会環境の上で苫東の環境コモンズの対極にあるかもしれない。苫東は恐らく人よりシカの数の方が多い。人とのかかわりで雲泥の差は歴然。

ここは、緑地のギリギリまで住宅地が押し寄せ、尾根筋が保全緑地となったものだ。活動は衆人監視であり、作業について市民が問いただすこともある。しかし、植生の遷移をどの辺でとどめ、修景をどうするかという指針もまだ明確ではなく、したがって合意形成も難しい。行政はその辺を明確にしてもいないようだ。横浜のような合意形成はできないだろうと、ヒアリングした会の代表は言っていた。都市のどまんなかの緑地はていねいなケアが求められるがちょっと混沌としている。なくならなければ、それでいい、という行政判断はありうる。

カシやシイの樹木特性は、わたしたちのフィールドのコナラ林に比べると、インベーダーのように林内に勢力を拡大し、コナラも桜も林床植物も壊滅状態にする。これは驚くべき生命力だ。それを回避したいという思いはあっても、どうするかのモデルが見えないでいる。心ある関係者は焦りもあるのではないか。昔、春の山は桜でピンクだった、という植生もいずれ語る人がいなくなる。それほど遷移は進んでいる。

訪問日は、折りしも風が強く、相当に冷え込んだ中、北海道より寒いと思いつつ話を聞いた。粗放な北海道とは、人口密度の点で全く違う。「共有」などはありえない…。それを直感した。

A里山倶楽部

「里山の保全及び管理、里山についての環境教育、それらの人材養成、里山の循環システムづくりに関する事業などを行い、荒廃しつつある里山に新たな価値を生み出すとともに、人と自然の新しい関係を創出し、もって社会全体の利益の増進に寄与することを目的」とした事業型NPO。(規則などからまとめ)
 
企業の環境教育のフィールド。放置される農地のケアだ。右は炭窯

里山倶楽部は、わたしが1990年代にインターネットを始めた頃から注目していた団体。「好きなことして、そこそこ儲けて、いい里山をつくる」というコンセプトも、相変わらず斬新さがある。里山らしい田園地帯のさらに奥地に現場はあった。それも点在している。里山倶楽部は、その人とメニューの構成が、実際に行って見ないとわかりにくい。で、行って見ると、多岐にわたるメニューとフィールドがほぼ一致してくる。薪作り、炭焼き、町からの受託、企業のCSR、道の駅への出品、などなどで年間2000万円ほどの稼ぎを産む。

代表はもとサラリーマンで、それをやめて農業を始めた方。もろもろを教えてくれたのは会長であるやはり農家の長老。会員農家の米の乾燥機などを利用するなど、農をベースにしたここならではの、コミュニティNPOと呼びたいコンパクトさ。驚いたことの第一は、そのメニューの多様さ。だから、仕組みを実感するのが楽でない。第2は作業する会員の明るい表情。顔つきが違う。事務局を担う女性のTさんのテキパキした緊張と、現場の方々の表情は大分違う。それは農村回帰の典型かも、と思わせる。そして肚づもり次第だ。

ここに比べると、苫東の環境コモンズは実にあっけらかんとしている。農業とのつながりもほとんど失ってしまった。いや、1万ヘクタールというこの面積は農家の数軒があっても焼け石に水かもしれない。ここで行われているビジネスとは全く違ったところにシーズがある、と改めて思話笊を得ない。

鴻巣とここに共通するのは活動開始時に大阪府立大学と九州芸術工科大学にいた重松先生が絡んでいること。動機に与える研究者のメッセージはかくも効くということを再認識する。重松先生のBTCVの事例紹介もあるが、それを地域に置き換えたモデルが良かったかもしれない。

B倉沢里山を愛する会

「東京日野市内に残された最後の里山として、また都心に最も近い里山のひとつとして極めて貴重な存在となっている百草(もぐさ)倉沢地区の里山を、できるだけ現在の姿のまま保全し後世に残すため、あわせて4ヘクタールに及ぶ雑木林や竹林の保全、及び自身が運営する市民農園「アリスの丘ファーム」を中心としてさまざまな活動を実施。」(HPなどから)


新宿から30分、多摩丘陵の一角にある。相続に際して、土地のほとんどを市に寄付、相続税は物納。そこへ至るご苦労もにじむ。しかし、息を飲むような美しい里山だった。落ち葉かきなどもしっかり行われており、「ああ、これがいわゆる里山か」と思わせる。後継者がいない農業は、土地をどうするのか。もうリゾートはないから、せめて中国人にでも売って金に代えようか…。そんなことも事実あった今日、東日本大震災では、土地を公共に提供するという動きもある。もう、土地を私有にしておくことの問題も再考する時期だ、と言う声も根強い。しかし、土地は銀行融資の有力な担保だ。
  
農園は無農薬。写真中央は昼食などの広場。

倉沢里山は、会員が利用するが、排他的ではない。そういう意味では、会員制の環境コモンズに似る。公共の用地だから、色々な言われ方もするようだが、むしろ、このような土地の寄付による公共用地の管理のあり方として、珍しいモデルになっていくと思う。応対してくれたTご夫妻の人柄にも感銘を受けた。

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車からこうして身支度

nokoさんがまきを杖に、いざ








熱湯ができるから、カップ麺を含む
昼食は定番、その後
ココア。これがまたウマイ

小ぶりの新スノーシューとミニカイロ
2012/01/28 sat 晴れのち雪 朝−11℃ 4名

空知地方アタリを中心に、大雪でJRのダイヤも連日狂っている。幸い、胆振のこの一帯はまだ自宅の除雪回数が今季数回で、札幌など石狩空知地方の住民に比べて格段に冬の雑作業がない。これはなかなか気づかない幸運さだ。しかし、山仕事で柏原に差し掛かり遠浅川を越えるアタリから路面は雪になったりする。こんな小さな範囲でも天候の差異ははっきりでる。

作業時、どうもカナディアンのスノーシューでは機動性がでない。しかしツボではまた仕事にならないので、先日、ホーマックで見かけたスノーシューを買ってみた。耐久性が問題だが5,480円。秀岳荘では安くても1万円、最高で3万円ほどだから、格安である。着脱、締め付け、歩きやすさも抜群によい。
仕事は道具だという真理を思い出させる

nokoさんとソリを曳いて現場へ。晴天で梢には霧氷がついて美しい。玄関の朝ならではの美しいシーンに身を曝すことができる喜びは、冬の早朝の特典だ。キリリとした光景で目と心身を洗う。雪が大分しまってきて、シュプールの跡なら、つぼ足でもほとんど埋まらないようになってきた。

ホーマックシューで、これから抜き伐りしたい樹木にマーキングした。白いスプレーはあまり克明には色が出ず、結局2度、スプレーをかけてようやく認識できる程度。赤いスプレーであまり目立たせると伐り残したときの見掛けが悪いので、まあ、上品といったところ。困ったことに気化が悪いのか、ブースターで2度吹きしたのがきいたのか、数10本にマーキングしてスプレーは使い切った。来週、もう一度やろう。これで、5月頃まで徐々に誰でもいつでも作業はできる。自分の力量にあわせ、やれそうなものを手がければよい。

わたしの作業スタイルは、長老の山仕事をまねている。モデルではスズランテープを、それ以後は各自の判断で、と割り切ってきたが、スズランテープは割と後処理がいるし、「誰でもいつでも」という点では、さりげなくマーキングしておくのはいい方法だ。これはabeさんのアドバイスによって再考したもの。
「白」であれば邪魔にならない。新緑の風景をも壊さないだろう。

2度吹きかけて、この程度
 
oyamaさんと久々のanさんがきて加わる。nokoさんは、いつもより大き目の木に挑戦している。anさんは藪だしを。
  
伐採はそのつどテーマの違う応用問題に似ている。樹木の性状とつるなど周辺環境を見定めたつもりでも、思ったようにならないことも多い。それをだましだまし、無理せず

何年も前から、山仕事で股関節と臀部の痛み痺れがあって週の前半は、腰痛とは違うその症状を仕事しながら癒すのが常だった。そのため昨年は股関節痛専門の治療院に勤務後通って診てもらっていた。しかし治療費がかさむ割に明確な効果が出ずじまいだった。

そんな折、何人かから、カイロの威力を聞いて、先々週から朝出勤前にミニカイロを左右の臀部にはってみたら、これがなかなか。当然、前回の山仕事で初めて使ってみると、それまでのうずくまりたくなるほどの臀部痛、股関節痛が消えた。そんな痛みを抱えていたことすら忘れて力仕事ができる。温めること。この単純だけど基本的な対症療法を見直した。


午後の部を早退して、自宅に戻り札幌に向かう。夕方、ライターの浜田久美子さんを囲んで一献やるため。メンバーは10年前の『森林と市民を結ぶ全国の集い北海道2003』の実行委員など5名。わたしは第3分科会「林とこころ」のコーディネーターで、浜田さんには瀧澤先生と共にパネリストになってもらった。プロデュースした森哲子さんによると、もうあれから10年だそうである。報告書「森とヒトのおつきあい」をみたら、随分若い自分の写真が目に入った。ススキノの会場は厚岸の産品を主に扱う和風の店「白浜」で、浜田さんがまだ食べたことのないというキンキを頼んでみた。みんなに笑われながら、食い散らかしたあとのキンキを記念撮影。





ストーブが燃え始める

昼、帰還!

inabaさんの足のカイロ
見える山仕事はいい!
2012/01/21 sat 晴れ マイナス0℃ 4名


9時半ごろ、三々五々集まって、テンデバラバラに現場へ赴く。たまたま早くついたわたしは薪ストーブを着火して待つ。

inaba 、abe、takeの3人、後、oyama氏参上。雪が納まったとはいえ、依然多いので、自分のエリアをフォローするのが一杯で、メンバーの所の画像を撮りに行く余裕がない。
 
除伐した枝にウサギがきている。(左)マコロンのような糞が大量に。右は、抜き切り後の空。

ストーブを囲んだ昼が楽しい。そして帰り際、inabaさんが「みんなでやるのは楽しいね」。はい、まさに。

帰還、家路へ。



鹿道と人の道が交錯する。鹿は
恐らく腹がつっかえている。
滑らないそりで現場に向かうこと
15分。それだけで労働だ。


何となく、懐かしい里山のような
光景にみえないだろうか。
クマゲラ参上!!!
2012/01/14 sat 晴れ -7度  2人


ほぼ快晴の朝、勇躍、山林へ向かう。nokoさんと入り口で一緒になり、わたしは広場から薪にする太い枝数本をソリに積み、テント小屋で早速薪ストーブを点ける。相変わらず雪は深く、スノーシューなしでは難行苦行だ。しかし、スノーシューをつけたままでは、もしかの時に逃げ遅れるから、大いに危険。場合によって使い分けねばならない。
  
写真中央のような、ここでは大木に当たるものが、かなりある。そのつどこうして黄色のテープを付けている。この大木の枝に触るようなものを除伐しようと、昨年から取り組んでいる。コナラやミズナラは特に枝先が触れるとその枝を、樹木自身が捨てていき、やがて太い枝ごと枯れていく。この方法は林業コンサルの石山さんが言っていたオーストリアなどのフューチャー間伐に近い。大木を寄り大木にするために、周辺を整理する。大木は将来、朽ちる前に材にする。

今年のエリアの傾斜木、風倒木、つるに絡められた樹木の整理は一段落したから、先週から、込み合ったものの除伐に入った。これからは少し薪材が期待できる。早く、雪が落ち着いて欲しい。作業のしやすさももちろんだが、不自由な動作から来る非効率は、達成感に直結するから、えらく、不満が残る。不完全燃焼だ。それを補ってくれるのが、雑木林に差す陽射し、凛とした冷気と光景だ。そして、薪ストーブの語らい。
 
薪ストーブはだましだまし。スノーシューも靴にアジャストする部分がまだ工夫の余地がある。固定ベルトが滑り、靴から脱げる。今朝、ベルトに摩擦を増やすため、スプレーのり「3M」を吹き付けてきて多少外れにくくなったが、そのほかの点でいまひとつ、使い勝手が悪い。こっちもだましだまし。

昼、薪ストーブを熱くしてお湯をわかしてカップ麺を食す。かじかんだ指に、容器から暖が伝わる。ちょうどいいぬくもりである。ありがたい。と、キョロン、キョロロ…。クマゲラの鳴き声だ。テントを出てみると独特の飛翔で団地の方へ飛んでいる姿が見えた。テントの極そばまで来ていた。大島山林でクマゲラにあったのは2回目になろうか。営巣木は大丈夫なのだろうか。今後、巣穴の観察もしておこう。

作業は小屋を中心に放射線状に進めている。歩く道沿いに来ているから、ノーマルなフットパス1周の約5分の一ほどが、ようやく手入れされた状態になる。nokoさんのチェンソーの調子が悪く、わたしは腰(股関節)の調子が悪い。そんなこんなで3時前にあがる。わたしはnokoさんと別れてから町内会長に薪組合とコモンズ座談会のことでお茶飲みに行く。


本格山仕事へ、されど雪に難渋
2012/01/09 mon (成人の日) 0℃ 晴れ  4名

雪深い中で、山仕事初日。苫東ウッディーズの4名(oyama、inaba、,abe、take)参集して作業。7日の申し合わせで、根元を掘るのは割愛して進めることにしましたが、雪の深さに難渋。
  

午後は3時過ぎに、雪漕ぎにくたびれて終了。特記事項なし(笑い)





オブジェのサインを掘り出す↑↓





日が傾いた林を精鋭中年が帰還する、の図
小屋で活動計画練る
2012/01/07 sat 晴れ 0℃
   3名+大島山林1名

3人3様のスノーシュー

雪による作業の難儀から、6日、急遽、予定を変更して小屋でNPOの活動計画を練ろうというお触れを出して、この日9時半に林道入り口に、oyama、abeそしてわたしの3名が集合、スノーシューで小屋目指す。階段下の雪をはね、薪ストーブに火をつけ、周囲の雪景色の写真などを撮り終えた頃、ようやく部屋が暖まり打ち合わせを開始。
  
窓越しの陽射しを浴びつつ用意してきた事業計画を元に。正面にはストーブ燃える

林の中、小屋の中は、いつも、話が良くまとまる

用意してきた打ち合わせの資料は項目がそもそも盛りだくさんだったのだけど、話しているうちにさらに増えてしまった。そのかわり、やることが明確になって分担も発生したので、この調子で手分けが進めば少数精鋭主義が実現する可能性あり。

今年は、寄付の体制やそれに対するメッセージ発信、会員の拡大、育林コンペUの開始など、イベントも少なくない。それに山林の保育や刈り払いのルーチンワークが加わるから、もう大変忙しい。土日、休みがない、などということのない様に留意せねば(爆)

*hekisuiさんのメールに依れば、氏はこの日、ホームページや掲示板を見ないで大島山林に出向いた模様。アイリス公園の駐車場を除雪し、テントまで踏みあとをつけ、単独、もろもろの作業をされた由。お疲れ様でした。



カナダ人ダニエルさんのスノーシュー。
なかなか塩梅がよろしい
↑↓
雪が深すぎる
2012/01/03 mon 雪時々曇り -5℃


独りの山仕事の頃は毎年、年末は29日に山仕事を終え、年始は3日に仕事を始めるのが常だったので、体制が多少変わっても予定は大体そんな風に立てる。昨年の年末は所用で不在にしたので今日は楽しみな初仕事だった。が、なんだか見るからに雪が多い。スノーシューをはいてソリを曳き始めた頃はまだ良かったが、いざ、ツボ足で根元をほじくって伐採作業をすると、えらい難儀で、約1時間もしないうちに限界を感じた。45cmから50cm近くある。

テントから見える範囲に風倒木はほとんどみえなくなった。
今日は、こんなツルに絡められたところを数箇所、片付けただけ


将来の中心的な立て木を大事に混雑から抜け出させる方法にヒントを得て、一昨年から試しているフューチャー間伐みたいなものを始めた。この山林は、どういうわけか、時々直径60cmもある広葉樹が顔をだす。今日はその木々を沿道で見つけて黄色いテープを付けることにした。年末、abeさんが手にしたゾーンが枝の散らばり具合でわかる。そんなアタリをスノーシューで言ったりきたりしている間にお昼になってしまった。今日はこれで終わりにしよう。
大木として残したい立て木はかなりある

朝、スノーシューで簡易小屋の雪を除いてから、ストーブだけは点けて来たのでまだオキが残っていて、かじかんだ手を温めた。一時過ぎに、テントをあとにする。ソリを曳いて現場から車まで20分近くかかる。これだけで一仕事だ。道具の雪をはらい、車に積みなおして、着替えするのもちょっとした一仕事。さすが、冬のスローペース。


来週も仕事にならないかもしれない、とちょっと弱気になってきた。雪が落ち着く3月からにしようか、などという悪魔のささやきも耳元でする。がむしゃらに雪を漕いで山仕事をしていた頃が嘘のようだ。これが還暦の自覚というものだろうか。いや、余裕と言うことにしておこうか。



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