ヨーロッパのコモンズをみた
NO.74
2012/09/08〜

欧州のコモンズを歩いて感じたことはそのお国柄によった課題解決。
基本は似たような問題を抱えながら、対処のベストのやり方がおよそ違う。
当然とはいえ、
合意形成のアプローチ方法と蓄積が全くといっていいほど異なっている。

面白いのはフィンランドと北海道に共通する寛容なソーシャル・キャピタル。
これはきっと、住みやすい別天地であるための基本条件だ。





広場から見る雑木林


近づくと部分的に紅葉してはいる

平木沼緑地はこんな出来

小屋

さらに入り口近く
新しい道づくりと小屋がけ
2012/10/28 sun 曇りのち雨 強風 13℃ 5人


例年、苫東の紅葉のピークは10月25日をほとんど前後しない。しかし今年は違う。28日の今日ですら、ピークはあと4,5日とみた。今日は朝からの風が2時過ぎから強くなり、マズメ時には大荒れになった。しかし幸い、紅葉していないたくさんの青い葉っぱは持ちこたえるだろうから紅葉のピークは持ちこたえて11月1日あたり。つまりわたしの誕生日ころに来るとみた。だがこんな年は記憶がない。
準備万端、装備もいろいろ

と、今日は今年の冬を迎える作業の初日で、今年の保育ゾーンに新しい道を造り、冬の作業小屋の骨組みをつくる。oyama、kaiの両氏は小屋がけを、kurita、わたしでルート設定、abeさんがそのあとを早速ブッシュカッターで刈り払ってフォローし、道ができる算段だ。当面はフットパスだが2トントラックが通行できる幅は確保した。午後から雨が降るという予報だから、できるところまでやろうというつもりだったが、道は貫通、小屋は骨組み完了、完璧な分担とナイスのコンビネーションだ。あとはブルーシートで覆い、新しい薪ストーブを据付け、混合油とオイル、イス、などを持ち込めば完成だ。
  
kurita氏はルートにピンクのテープをつけ、abe氏がテープの右を刈っていく。

  
小屋がけチームは昨年より一回り大きなものを建築し、出来上がって記念撮影。ヌメリスギタケモドキがカバノキに

キノコは、チャナメツムタケ、ヌメリスギタケモドキ、ヒラタケ、エノキタケ。紅葉は午後、小屋の方も行って見てみた。ううむ、こちらはやはり手入の歴史が違う。落ち着いていて、品がある。こころが萎えている人は行って見るといい。慰められて、かつ元気付けられるだろう。などと勝手なことを思いながら、何枚もの写真を撮った。手違いでお昼はabeさんと二人、ベランダで食事となったので、11月4日のチェンソー講習会の打ち合わせと、お互いの腰痛治療の話しなどする。その間に風は強まってきた。abeさんと別れてから長老宅にお邪魔し、冬の運材のための運搬具「バチバチ」「土ぞり」をお互いに鉛筆で絵を描きながらイメージを共有。

倒木に生えたチャナメツムタケ


3回目の通常総会
2012/10/20 sat 雨のち曇り 14℃

NPO苫東環境コモンズの通常総会が遠浅の公民館をお借りして13:30から。出席13名、委任状21名。
議決事項はなく、足取り報告と今年の計画の話しなど。話題は、

@森林と心身の医療(瀧澤さん)
Aコモンズ調査の報告(別途写真あり)
Bハスカップサンクチュアリについて
Cチェンソー活動の個人保険加入と確認書について
D活動助成金の申請をしたこと
E育林コンペUが11月から始まること
Fきたネットへの加入について
G柏原試験地周辺の整備状況こついて
H薪生産の現状と課題(荒木さん)

など。事務局と担当者からの報告が中心で、のち、若干の質疑あり。撮影するのを全く忘れてしまい、画像はなし。

それでも申し忘れていたことが下記。

・ハスカップには地域に後見人がいないことに付随して、かつて後見人は長く苫東会社であり、それを推進したのが、地域ブランドのさきがけともいえるハスカップの栽培と商品化を手がけた浅井正敬氏であること。暇を見てそのころの経過をレポートにしていること。

・薪生産は大勢の人手をかけてやっと16棚できた。活動は4月から6月までの丸太運び、薪割りの数日が人海戦術でにぎやかなだが、実は11月に始まる間伐、玉切り、林道への寄せが真骨頂で、黒子のようなこの作業があっての薪。冬の間のこの毎週の重労働があって、「ハレ」の薪があるということを、強調しておくべきだった。しかしこれは地元の人は全く関与していない世界だから仕方がない。だからこそ紹介しておく必要があった。これから商品にする動きが加速するにあたって、その比重のバランスを伐採担当側すなわち苫東ウッディーズ側にもっと寄せて紹介していこう。冬の伐採はかくも地味であるが、至福の恵みがあることも。



ラクヨウ

ボリボリ(ナラタケ)

不明

白いヒラタケ
トイレを移動する
2012/10/14 sun 晴れ 18℃
  4+1






残暑が長引いてキノコは諦めかと思いきや、先週から出始めたので今週もキノコをメインに変更。9時半、inaba、tuduki、takeの3名が集合、あとでtakizawaさんが参加。そしてその前にキノコ帰りの長老と会った。われわれもまずキノコである。連れ立ってささみちフットパスを逆周りしてキノコ採りだ。先週とはまた別の場所で、結構な群れを見つけて、ざっと1時間ほどを満喫する。本州から転勤してきたtudukiさんに楽しんでもらうべく、レシピを丁寧に伝えて収穫はプレゼント。上手くできただろうか?

昼食後、inaba,ytakizawaの女性陣はトイレの移動で、穴埋め、掘り直し、壁面パネルの移動を手がける。わたしとtudukiさんは育林コンペの参加者プレートを設置。
   
焚き火する。
このownerという架空の表示がこれからの責任をにおわす

これでいよいよ小屋周辺のインフラは完了か。一方、小屋は備品がドンドン増えてガラクタ置き場になってしまった! いずれ、整理せねば!
穴掘りをして、前のモノは埋めて、パネルを1mほど移動したところ



北大苫研究林の池のほとりで

全員初めての訪問で、絶賛
東大演習林グループを案内
2012/10/09 tue 快晴 18℃

エコネットワークの小川さんを通じて、東大付属演習林富士癒しの森研究所の一行が苫東コモンズの視察をしたいという申し入れがありました。テーマはコモンズと森林セラピーだと言うことでしたので快諾し、わたしは職場の年休をとって対応しました。

9時過ぎ、空港着、夕方に平取にいくこととなっていたので、まず北大研究林に案内することにして待ち合わせているところに、石城元林長とバッタリ。しかじかと事情を説明して、10分後に急遽ショートゼミをお願いする。
(注;日浦林長は当日出張中であることを先週確認、入林手続きだけ済ます)

東大の研究所側はこのサプライズにはもちろん大喜びで30分ほど話を伺った。のち30分ほど、散策。わたしは冒頭「臨森林都市・苫小牧を林する」のマップで市民と林の関係性、NPOの取り組みを説明し、みちすがらこの研究林が苫小牧のオアシス的存在であることなど、客観的な現状を紹介。

遠浅のそば哲で昼食後、大島山林に案内し苫東コモンズの概要を紹介、簡単に散策して2時から薪の前で今度は瀧澤先生のショートゼミ。まぶしい太陽に照らされて活発な意見交換を含めて合計1時間ほどをここで。
   
大島山林を歩いて、青空教室

さらにこのあと展望台を経由して小屋。フットパスはどうしてもトイレの話が付随するので、わが落ち葉のトイレに
案内する。さらにまずめ時のささみちフットパスを歩く。


leaf-let で意見交換 

4時半、平取へ。やまめの仁世宇園二宿泊、10日はけものみちフットパスを歩いた。
ここでは、一帯をあるきつくしているオーナーの佐々さんに、落ち枝を見たことがあるか聞いてみた。

「気が付いたことは無かったなあ…」。
  



朝一番、ドアを開けるとミドリちゃんが

こんな風に

そしてこんな風に

それを黙々と

品評会となる
ボリボリにありつく
2012/10/06 sat うす曇 17℃


連絡不十分というか、予定の書き違いで、inaba,oyama両氏は大島山林、hekisuiさんとわたしが小屋に集結。携帯で連絡を取ってお互いキノコ探しをして小屋で落ち合おうとなった。小屋組は、笹のフットパスを逆周りでたどると、あったあった。hekisuiさんは久々の群落に出会ったらしく喚起の声を出しながら採取。イシズキをとらないで採っているので「あとで困りますよ、ひだにドロが付いていて」とアドバイスすると、なるほどとうなづきながら、山好きな祖母が、家に戻ってイシズキを楽しそうに採るのをみてきたのだとおっしゃる。それもなるほどの話。

大島山林から二人がキノコを持って戻ってから程なくお昼になった。小屋の屋根には朝から大きな音をたててドングリが落ちる。頭皮に直接当たったら怪我するのではないかというほどの音である。案の定というか、昼、ヘルメット姿のhekisuiさんに直撃した。こつんと音がして飛んでいったが、当たればきっと痛いはずだ。oyamaさんが持ってきたキノコの図鑑を久々に見る。いやあ、改めて種類の多さ、姿かたちに奇抜さには驚く。また、今日は、行くりんコンペの前のチェンソースキルアップ講座用のテキスト「納得して上達!伐木造材術」を各自に配布。これを予習して11月4日に臨む。
  
写真左はドングリ直撃ヘルメット

食後、用意していた育林コンペの看板と、各林分の手入の実施年のプレートを二手に分かれて設置。ここの雑木林の間伐は、作業の段取りと関係者の合意形成に平成2年と3年を費やし(20年以上も前の話だ!)、平成4年に着手。プロジェクトには関係者が多かったのでその調整に書くも時間がかかるのだ。小屋の周辺は平成6年、その後順に北へ行き、安藤沼からの排水路の北側を平成8年、そして第1回の育林コンペを平成9年に開始したのだった。また、枝のオブジェの縄が腐ってきたので新しいもので補強(写真右)。
  

4時解散。少し寒くなって陽も陰っている。みんなと解散して30分ほど佇んでから帰途に着いたのだが、なんとなくたそがれのマジックアワーがもったいないのと、そろそろ焚き火のシーズンになるので、ハンドルをもう一度小屋方向にきって「焚き火」をした。ほとんど真っ暗になったころまで、焚き火の前でぼーっとして、林を歩いたりして6時過ぎ、本格的家路に。樽前山が少し赤かった。羊蹄山のシルエットも見えた。明日は晴れる。

 焚き火の炎で面白い色が出た




















当別の森づくりボランティア「シラカンバ」さんを迎えて
2012/09/30 sun 雨 19℃

札幌ウッディーズのメンバーとしてよく手伝いに来てくれる那須川さんからのつなぎ依頼で、今日14名が苫東コモンズを訪問、午前10時にhekisuiさんと二人で大島山林で迎えました。生憎の雨で、蚊の心配もあったり、微妙なスタート。五賀会長の挨拶後、わたしから苫東プロジェクトとNPOの概要紹介。

ルートは先ず薪のヤードを見てもらってから林へ。フューチャー間伐や選木などの話をしながらシンボルツリーへ。巫女さんとの出会いなどのエピソードを加えつつ森林の修景の話をしました。

大島山林を出てR234から道道へ入るカーブでは、植栽や枝打ちなどをよくするとおっしゃる「シラカンバ」さんに向けて、アカエゾマツ造林地からの根回し移植利用、柏の大木移植、広大な草地管理のためののり面処理など、わたしが現役でやっていた頃の体験を混ぜてお話しました。

全員が初めてという柏原展望台で360度の雨のパノラマを見たあと、柏原フットパスへ乗り込んでバスのなかから紹介。北海道で3本の指に入るフットパス、とまたまた自説を述べてから、小屋へ。雨は止まず、昼食はバスとベランダに分かれてとることに。食後ややして、シジューカラが鳴き始め、空が少し明るくなった頃を見計らって外にベンチを作って、森林と癒し、なぜ今コモンズか、これからの林のケアは誰がするのか、などについてわたしが述べてディスカッションをしました。
雨の中の森林健康の講話風景 

2時前からささみちフットパスへ散策。雨のささみちもなかなかいいし、蚊もあまりいない。シラカンバのメンバーに「もっとゆっくり歩いてほしかった」とリクエストがあった。なるほど、そうだったと反省。と同時に思い出した。英国のフットパスのグループ「ランブラーズ」の面々は、時速2マイルのBクラスと一緒だったのだけど、その早いこと早いこと。そんなエピソードも紹介した。「まほろば」の分岐で記念写真。↓
 

2時半、つた森山林へ。晴れていれば、風倒木跡地のエコミュージアムを歩いて横切る予定だったが、バス移動にした。つた森山林の入り口のしいたけの乾燥小屋の前で、本田勝一の新・北海道風土記を思い出し、つた森山林という里山の故事来歴もお伝えする。天皇の植樹会に案内して、雨の苫東コモンズツアーを終えた。雨の中で残念でしたが楽しんでいただけただでしょうか?

乾燥小屋の屋根からはニワトコが伸びている



*9/13〜9/25 の英国とフィンランドのコモンズ事例調査の概要は後日、落ち着いた頃、レポートとしてアップの予定。



入り口もよく見えない

こんな風にしていく

出征記念のアカエゾマツ

つながった瞬間
小屋からつた森山林へのフットパスつながる
2012/09/08 sat 24℃ 晴れ 3人


比較的清清しい朝。秋は近いのだろうか。フィールドの樹林の中は風がなく、またまた蚊もいない。今日は小屋からつた森山林に抜ける道の最終回にしたい。

この道は昭和56年の15号台風跡地を貫通するもので、もし被害を受けなければ40haあまりのカラマツ林は保健保安林(そのころD地区と呼ばれていた)に指定される予定だった。それが無惨にもすべてのカラマツが倒され、この一帯が当時北海道で最も激しい被害だとされた。国の激甚災の指定を受けて保安林は復旧事業が行われたが、この予定地は指定前だったので、風倒木を整理しただけで、造林はしなかった。いや予算がなかった。そのために放置されたのだが、それまでの経験で、恐らくすぐ林に戻ると踏んでフォローの観察調査を行っていた。案の定、翌年から草本が入りニワトコやシラカバ、ニセアカシアなどが進入し4年目頃にはちゃんとした藪になった。中を歩くことが面倒になった頃調査をやめることにしたのだった。

そういう意味ではそれから30年経った見本林である。「苫東の樹林は皆伐したあとにもすぐ自然復元する」「植えない緑化ができる」。しかしこれは苫東に限ったことでなく、胆振あるいは北海道全体に当てはまることだ。このフットパスは、この現実をみるエコミュージアムなのだった。林道も10年近く放置されているので、草ボウボウの藪になった。それでもすでに延長1.5kmほどの道の2/3は刈り払いを終えていて、しかしなんやかやで、なかなか終らないでいる間に秋の声を聞きそうになった。やばい!

わたしはつた森山林に車を置いて北上、oyama、inabaグループは北からせめて、昼食をはさんだ午後2時半過ぎ、つながった。トンネル工事の貫通の気分だ。南の方はセイタカアワダチソウがほとんどで、そこにニセアカシアやカラマツの倒木が混じる。

わたしのスタート地点で、懐かしいアカエゾマツにあう。直径は80cmほどか。いつだったか、これは第二次世界大戦で出征する兵士の記念に植えたのだと聞いた。70年。それにしては太すぎるような気もする。日露戦争ということはないのか?また、その脇には当時静川神社につづく小径があった。神社は備蓄基地ができたとき、共同備蓄会社に遷宮された。

小屋の中に1.3mほどの大きなぬけがら。oyamaさんと


お昼、3人で四方山話に花咲く。緊張もなく気温も程よい木陰だから、つい眠くなってくる。蚊はお昼もいなかったが、午後また、着替えたワイシャツ1枚で汗びっしょになったら、さすがに背中を2,3発ヤラレタ。4時過ぎ、野鳥の会の原田さんが見えたころから、さすがに蚊の攻撃が始まった。原田さんとはハスカップの話をする。



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