贈り物を送る側には幸がある
NO.73
2012/05/06〜


先日、この林のファンで、何度もおいでになった人生の先輩が関係する
保育園での仕事振りをテレビの画像でほんのちょっとだけ拝見しました。
まさに黒子でした。完全な黒子を演じているだろうこの先輩は、
きっと、まとまりのある手ごたえを得ているだろうと即座に推測しました。

今、消費する側と提供する側という図式があって、
いつのまにか世の中には札びらで消費するばかりの輩も増え、
町内会などはただ乗りも横行するようだ。つまり、お金主体の、安上がりがベターの価値観。
どちらかというと地域社会でサービスを無償提供する側は、報われないというような図式も
できあがりつつはないか。

しかし、個人にしろ地域にしろ、こころから贈り物を送る側には、幸がある。
そのことは忘れないようにしたい。
食育、森の幼稚園、自己治癒力の発掘、そんなことを仕組みとして続ける実践は
そんなことを連想させました。
先輩の営みに、人生の面白み、醍醐味を感じ取るものです。人生、かくありたし。




路肩を刈った跡は掃き清める



林道を刈る




親子がトンギョを捕まえていた
刈り払いの大集合
2012/06/30 sat 晴れ時々曇り 18℃


先週末は、メンバー各位の都合から作業は休み。思えば、週末という週末、絶え間なく作業が湧いてきて結局休みもないまま、毎週コツコツ手仕事を継続してきた格好でした。わたしは、6人で370歳という古い釣り仲間と余市に集い、フライフィッシングをしておりました。

さて今週ですが、どういうわけか意外なほど人が集まりました。大島山林駐車場にまず現れたのは、都築父子、それからドクター、inabaさん、hekisuiさん、oyamaさん、瀧澤さんグループ、薪組合から2名の11名。運悪く、わたしが用意していた熊手2セットを自宅ベランダに置き忘れてきたことがずっと尾を引いてしまう番狂わせが起きてしまった。つまり、人が来過ぎたので道具が足りない…。当NPOの基本にある、アゴ、アシ、ケガは自分持ち、に実は「作業道具」も足さなければいけないのですが、なかなかそうもいきません。たまに顔を出すメンバーにいかに効率よく仕事をしてもらうか、というマネージメントが切実に求められるようになったようです。

で、先ず入り口の看板まわり、そしてシンボルツリーまでのアクセス、おくの三叉路までのフットパス、まず、これらは不可欠の仕事。特に、入り口看板の周りや植え込みの雑草は細かいところまで木を使って刈る必要あり。そして草は集めて片付ける。

それと見過ごされるのが、2週間前、町内会有志が刈ったあとの片付け。鋸歯でかった刈り草は畝(うね)状にのこり、枯れ草のすじが残る。刈った跡は新しい緑色に変わるが、筋は枯れたまま枯れ草の下も蒸れていく。だから鋸歯で刈ったら片づけを同時進行させたほうがいい訳ですが、往々にしてここが手抜きになる。人がよく来る公園はこの作業の有無が、実は見た目の快適さを大きく左右してしまうのです。
 
畝になった刈り跡。これを集め片付けた(左)、オオウバユリは今刈ると黒く醜いが、林道に侵入したので仕方なく          

わたしが忘れた熊手はこのために用意したもので、本来、ここで大活躍するはずだった。かろうじて、inabaさんの持参したものとアズマヤの備品、それから菊地さんの自家用を持ってきてもらってなんとかしのぎました。お陰で大幅にはかどりました。

木陰で昼食後、柏原試験地へ。35年ほど前には30cmから1mほどの苗木だったものが今や立派に育った試験地。そんな造林地のケアを本格的に始めるために昨年から始めた作業です。今年は、野生草花を取り込んだ修景と一体的に進めるべく今回はまずアクセスを刈り込んだ。今後、アカエゾマツの枝打ちを作業療法などにも利用してもらい、少しずつ2.4ヘクタールの像隣地とその周辺を修景してみたい。なにせ、柏原のこの一帯は、柏原の原風景のような地形と植生なのだ。都築さんのタイチ君には草集めと枝打ちをやってもらった。
 
頭数が武器。かなりのハイスピードで仕事がはかどっていく。右はタイチくんの仕事あと

さらに3時頃から、ドクターと都築父子を、inabaさんと小屋に案内。ドクターはまき割り、inabaさんとわたしは薪オブジェのあたりから笹刈りを開始、最後に「ハスカップサンクチュアリ」の看板を作って今日の作業を終えた。



小屋のカフェのイスの上にいた小さなアマガエル。命、というそのものに見えた。なんだか哲学してる。



hekisuiさん、初陣




瀧澤さん、冥想へ


さらに奥へ



刈り払い本格化し、オフロードバイク侵入
2012/06/16 sat 曇り 14℃


小屋周辺の特長ある植生「ウシコロシ」(ワタゲカマツカ)が今、美しい

いよいよ、草もしっかり伸びていつのまにか、小屋の周辺はミヤコザサが絨毯か芝と見まごう様な、美しい緑色で地表を覆い始めました。今日は、oyamaさんとinabaさんが所用で不在、そのかわりhekisuiさんと瀧澤さんが先着で準備中。早速、お二人に一台ずつブシュカッターの講習をして、すぐ実践へ。

古いほうのカッターはどうも不調で、長年親しんで癖を知っていたはずのわたしも、もう記憶も朧ろ。しかし、@電気系統のジョイントのチェック、それとAスロットルワイヤーが不正に絡まってのびていた、この2点をクリアして本格運転に。瀧澤さんには、わたしが行動的冥想とそっくりなんだと個人的実感を述べていたので、燃料補給に戻る初回、「ほんと冥想状態でした」と。なかなか飲み込みがいい、とからかい「医者にしておくのはもったいない!」などと冗談をぶつける。曇り空のなか、昼は森カフェで歓談。

その際、山形の「だし」の話になりました。山形のだしは、ミョウガやシソ、ネギ、ナス、キュウリなどの野菜を細かく刻んで和えたシンプル料理。猛暑の夏などは欠かせないもの。実家ではこれに「なっとう昆布」という超細かいガゴメ昆布のようなものを入れ粘り気をだして食べていましたが、瀧澤さんが山形の知人に聞いたものは、昆布は入れない、シンプルなもの。早速わたしも家で昆布を入れないものを調理して、家人に出しましたら、「おいしい。でも昆布が入ったほうがおいしい」、子供は「なんかわからないけどおいしい」と珍感想。わたしは材料と気分に応じて使い分けるかな、と。

ささみちフットパスに困ったことがひとつ。先月のフォーラムの時にすでに確認していたのですが、ささみちからカラマツにいたるフットパスを、オフロードだろうバイクが入っているのです。コーナーなどはえぐれて、かつ今回は複数のわだちがありました。長靴で、できるだけ埋めてきましたが、心無い狼藉です。感性豊かな、滅びやすい環境に、戦車で踏む込むようなもの。落葉のフカフカと、単車のミスマッチに気づかない感性の持ち主でしょう。是非、砂漠の過酷な、本格的オフロードを体験し、狼藉しているこの場所が、いかに細やかな因果関係で成立しているか、思いを馳せるべき。
まほろば分岐のわだち

この日のわたしの仕事は、ハスカップサンクチュアリと育林コンペUの看板のために、緑の防腐剤を塗るのがひとつ。動物検疫所からの道案内、保育年表示の看板もこれで新設。のもうひとつは、ピザ窯のそばにある一昨年からの丸太を玉切りして、だれかだ割って積むだけにすること。大体、終えたので、希望者は、割って、小屋の裏に積んでいただければ。

  
文字を書く面は2度塗りして地を深めに。右の写真は『割って、積む』のを待つ薪


ハスカップの花

もっと近くで

枯れかかったハスカップ

木の下は危うい

典型的なゾーンの一部をを囲った

ヒョウタンボクはこうなってきた

ハスカップサンクチュアリを創る
2012/06/02 sat 曇り 11℃ ハスカップ3名、大島山林6名

いすゞ自動車工場南の道路工事現場詰め所で、

わたし「NPO苫東コモンズです。ハスカップの植生調査です。ゲート空けてもらいたいんですが」
詰所員「あ、これはどうもご苦労さまです」

われながら、都合のいい言葉だなあ、とびっくり&感心。なんだか、ピッタンコの表現ではないか。空模様は低め安定の苫小牧らしい霧の日だが、この展開は今日一日の仕上がりをイメージできそうな気にさせた。

今日はいよいよハスカップサンクチュアリの現場に本格的に踏み込んで、ハスカップの原生地における生育をもう一度しかと観察し、エリアを決める。まず、道道から柏原幹線排水路沿いのアクセスをoyamaさん、inabaさんが刈り込んでくれる。わたしはその前を独り進んで、落ち枝を拾い係り木、倒木を切って片付けた。こうして1年ぶりの現地で、どのあたりがサンクチュアリとしてふさわしいか、歩いて回った。6月始めのこの時期を選んだのは、この時期、ハスカップはたくさんの黄色の花をつけて固体の識別が楽だからだ。事実、もう花を終えて身を結んでいるものもあった。

現場は、ところどころ、かつての原生地よろしく原野然とした空地、文字通り空がポッカリのところがあるが、半分ほどは、ハンノキやサクラやエゾコリンゴ(このあたりではサンナシと呼ぶ)などの下になって、当然のように徒長し始めている。それより、そもそもがハスカップとしては老木なのだ。地際の直径3,4cmは、ハスカップとしては寿命に近いが、ここは5cmにいたるものもある。だからいわば「ハスカップの墓場」的な状況、環境にあるといえなくもない。

NPO的な課題というか提案は、

@植生の自然として受け止め、遷移を見守り寿命として放置する
A環境を代えてあげる=被圧する樹木、影を作る樹木を切る
B全体が枯れる前に地際30cmできって、萌芽更新させる(苫東など栽培地でよくする。)

のうち、いくつかを組み合わせることと、そのゾーンを決めていくことだ。

今回は、ハンノキやサクラに被圧されて枯れ始めた老木をマーキングして、生育状況を記録し画像にしておくこと。もうひとつは、そのエリアを明確に区画して意味のあるゾーンであることを明示すること。

作業は順調に進んだ。oyamaさんと、ハスカップ16固体をマーキングし、このほかチシマヒョウタンボク(ここのは固有種だという説もある)の枯損状態も記録した。ヒョウタンボクというのは、ハスカップが属するグループ、スイカズラ科ヒョウタンボク属Loniceraという属名だが、このサンクチュアリのハスカップは、面白いことに同じ仲間のヒョウタンボクと一緒に自生し、これまた面白いことに生育のはやいヒョウタンボクが先に枯れ始めているのだ。これがハスカップの将来を占うかのように幹が白くなって骨のように倒伏を始め、わたしをして「墓場」と直感させた所以になっている。わたしが苫東にかかわり始めた35年前、ここは群生のピークだった。

ハスカップは、今、誰も後見人がいない。そのことは、今、あるレポートに書いている(未完)のだけれど、先日、舘崎やよいさんのグループの機関誌「イプツ」からやはりハスカップの原稿を頼まれた。その折に、そのレポートに至った顛末だけを『ハスカップと勇払原野、そしてわたし』という小文にまとめた。後見人がいないために、勇払原野が固有に温存してきたハスカップという潅木の大群落が、死滅しようとしている今を見つめている人がいない。植物の学者が自然保全の立場で発言するのとは違うところで、つまり、土地の人々がこの風土への愛着そのものが乏しいのではないか、とわたしは思っている。風土とは歴史と自然と土地である。

その理由もはっきりしている。勇払原野というものが苫小牧の運命的な地の利によって土地利用が虫食いになっていること、そして湿原が役に立たないものとして明治時代の開拓以来、忌み嫌われてきたからである。その結果、「勇払原野はB級の自然」(わたしの造語)になったきた。今、大事なことは自然保護の観点でゆり戻すことではないと思う。むしろ、苫小牧の運命的な地の利の結果が呼び込んだ現実と受け止め、あたらしい共存を探ることだと思う。苫小牧の取扱貨物で支えられている北海道の産業と経済に、無縁で生きている人はもうほとんどいないのだ。だから、「今」から発想したほうが建設的だ。
 
作業はちょうどお昼までかかった。そそくさと大島山林に移動し、冷たい風の吹く「森カフェ」で昼食をとり、あまりに寒いので最後の薪割り作業に入った。菊池さんもやってきて4人、3時半頃運動会を終えて帰った上村先生も加わり、今年の薪プロジェクトもフィニッシュまであと一歩のところまで来た。



薪ヤード



林へ

林の奥へ





探鳥のパーティ



天ぷら始まる

タープのしたの青い世界

コシアブラの天ぷら


























こころの森フォーラムZ 
2012/05/26  14℃ めまぐるしく変わる天気(晴れ時々雨、時々曇り)12名


小屋で開催するようになって2回目、苫東でやるようになって3回目、通算7回目の「こころの森フォーラム」。このフォーラムはフライヤーにも書いたように、フォーラム実行委員会(瀧澤、草苅)が、苫小牧など、身近なところに林をもっている胆振の各地で、恵まれた身近な林をもっと自分のものにしようと4年前の2008年に始めたささやかな会でしたが、いつの間にか7つを数えることになりました。苫東で開催するようになって、フォーラムはNPO苫東コモンズという「気持ちのいいコミュニティ・フォレストづくり」を実践する部隊が全的にバックアップすることになりました。そして、ただ里山を味わう今の形式で継続していくのがいいみたい、と相成ったのが昨年秋の第6回。静かに、ささやかに、普段着で、ゆるく…。

わたしは江別から参加する新会員・船木ご夫妻を南千歳に迎えるべく家を8時半発、10時前に大島山林のシンボルツリーと薪ヤードを案内し、昼食の一品としてスドキを提供するために15分ほど林を歩いてほどほど採取し、小屋に着いたときは、定刻1時間遅れの11時でした。事前に予告しかつ携帯で連絡を取っていたので何も問題はないのですが、わたしたちがスドキを採っている頃、2,3kmしか離れていない小屋のあたりはにわか雨が降ったようで、探鳥会は待機していたようでした。たしかに、上厚真あたりでは路面に水溜り。随分降ったことがわかります。

ミズナラは緑、コナラはまだ開葉前のウグイス色。今は、ここがいかにコナラが卓越するのか
ひと目でわかる。


到着した頃、ちょうど探鳥会グループがカラマツコースに入るところで、車中から挨拶。焚き火の番と薪割りをしていた中津さんと挨拶後、わたしたち3人も、コシアブラ採取の用意をして追いかけます。探鳥パーティにはすぐに追いついて、合流。探鳥のガイド役のoyamaさんのもと、方々から聞こえる鳥の声の方へビノキュラーを向けていました。oyamaさんは今朝、ブッシュカッターでツンツン出ていたササを刈ってくれたので、5月なのにもう手入れされた感じにフットパスは仕上がっています。わたしはもう少しコシアブラを採るべく林の中を探してパーティとは離れて行動。いかんせん、やや大きくなってはいますが、まだ十分行けますし、炒めるなら全く問題なしです。

遅れてスタートしたことから、小屋に戻って間もなく昼の用意に取り掛かりましたが、天気はめまぐるしく変わって時折雨が降ります。ちょっと狭くなるけどタープを張ることにして天ぷらを開始。シェフはinabaさん、アシスタントは瀧澤さん、材料の用意はoyamaさん。oyamaさんはコシアブラが当日に現地調達できない場合を想定し、前日の金曜日、タランボと共に採集して用意してくれていました。

ついでに書けばinabaさんは、週始めの平日、「気になるベンチ」の防腐剤塗りを完成させ、トイレのアプローチを刈り、簡易トイレ「leaf-let」の落ち葉かごをリフォームしてくれました。小さなほぼ内輪の催しとはいえ、気持ちのいい散策とひとときにはやはりそこそこのケアが必要なわけで、それを各々ができるときにさりげなくカバーしておく手際のよさは当NPOのよさのひとつと言えそう。

ちなみに「leaf-let」とは、トイレットの水の代わりにストックした落ち葉をかけ、そのバクテリアで土に返すというもの。2方しか囲っておらず、かつ、板が乾燥してすき間がみえるという超開放的なシロモノですが、「なんとなくこころがコモッテハル」という仕上がりです。人間の排泄物というのは、自分のだけとか少量であれば、楽に分解して跡形もなく滲みていくものです。それを人数がまとまってしまった場合に対応が変わらざるを得なくなります。だから、ここは、できるだけ少なく、できるだけ転々と、できるだけバイオ素材で、と。

さて、天ぷらですが、タラノメ、コシアブラの順に始まり、フキノトウとホッキ貝のかき揚げ。これに朝採ったスドキの即席おひたし。inabaさんのスドキの味噌漬け、塩麹、醤油麹、ピクルスなどが提供され1ラウンド。余った素材をもう一度揚げて、それも結構はかどりました。いずれもとても美味しいと評判がよく、天ぷらはかなり売れました。

全員集合

食後は、ベンチの北側から丸太数10本を運び出してもらい、玉切り後、薪割り。薪割りは中津さん、川西さんのほか、船木夫妻。舟木さんらは江別の自宅でご主人だけでなく奥様も薪割りをされているので、息がぴったりのうえ、木目を見るのがお上手なのか、かなり見事に割れていきます。奥様は餅つきの合いの手よろしく、薪を回したり、斧を抜いたり、なるほどのコンビネーションプレイ。これはいいかもしれない。
  
船木さんご夫妻(左)、薪オブジェ制作開始(中)、詰まれた薪(右)

割った薪はinabaさん、瀧澤さん、kaiさんの女性3人がオブジェ制作にとりかかり、板を載せればテーブルになるあたりで仮仕上げ。3時前後から、三々五々、各自の用事にあわせ退出、後片付け後、4時前に運営委員も解散、わたしは船木さんを空港に送りました。今回は最終的に12名、最高齢は船木さん80歳、若手は川西双葉ちゃん3歳。イベントではなく、手弁当で集まれる規模の里山コミュニティ。今回のきっかけも薪が大役を果たしたことは特筆しておく必要があります。
 
陽射しは斜めになった(左)、中津さんはトイレの看板を制作(右)

**********
わたしは夕方、天気が落ち着き好天が約束されたような気がして、急遽、ひとり、小屋に泊まることにしました。3月3日のソロ泊に続いて二カ月ぶり今年2回目。新緑の緑に染まるこの時期を好天の、星空を見ながら過ごすのは、まさに祭り。船木さんを送った足でコンビニでビールとワインとちょっとした食べ物を購入。この頃、こういうときは、焚き火をみながら何もしないのがよくなり、もう出来合いのモノで間に合わせます。それでも結構リッチな気分になれます。
 
夕まずめ、鳥たちは再び大きく謳いだします。そしてどういうわけかよく響きます。雑木林に日が沈む頃から焚き火はいよいよ大きくなり、ビールがワインに代わりました。無念無想、ただ、ひとりの満天の星空でした。結局、ワイン1本ほとんど飲みきり、ぬくもりのある薪ストーブの横にキャップをしたまま寝てしまったようでした。



積んで積みまくる

薪と新緑のロケーションが素敵だ

小屋に行くとoyamaさんとinabaさんがキビタキ観察

わたしは花、いや鳥よりダンゴでコシアブラを採る
ようやく、薪「材」を運びきる    〜新緑は例年より5日早いか〜
2012/05/20 晴れ 14℃ 12人


いよいよ、薪プロジェクトも終盤に入りました。今日も大勢が集まり、息もぴったり、思い思いの作業をただただひたすら。薪にする丸太を林から運び出しました。まずはここまでの無事故に感謝。しかし、まだまだ油断大敵。さらに玉切りして、割って、初めて薪です。

春、爛漫。小鳥のさえずりとナラの新緑、広場の草の萌える色、すべてに祝福されて、林の仕事の結びを迎えました。お昼、またまた、U先生にご馳走になって「北の森カフェ」を楽しむ。思えば、このしつらえはいい。贅沢でもある。なにせ、自分の土地でもないのに、楽しませてもらっている、この仕組み。これはもっともっと地域を好きになり、幸せになるために使ってもわねばと思う。今はその過渡期だ。

で、この森カフェのポイントは、フットパスをコミュニティの親子が歩くように、胸膨らむこのポイントでもっと楽しんでほしいところ。この場所をいつか、この遠浅というコミュニティが共有できれば、ほんもののコモンズになりますが課題も一杯あります。今でもみんなに認知されているわけではありませんが、これを長い時間をかけた実験だと割り切れば対応もあるというものです。

社会共有の課題にこの取り組みが関わっているとすれば、地域が高齢化していくなか、NPOなど部外者のサポートの図式。田園にある快適さという媚薬があるかぎり、この関係は工夫次第で保てるような気がする。


お昼、「北の森カフェU」にて

作業後、26日の「こころの森フォーラム」の下準備で小屋へ。トイレの位置確認、コシアブラの出具合調べ、などもろもろ終えて5時近くに散会。

 



ウェルカムのお茶






ガオーの森を予習する







背後の新緑を見て欲しい








中腹の展望台からマチと日本
海を臨む








































銭函の高川山林を訪問
2012/05/19 sat 晴れ 13℃ 2名

長らくの懸案でもあった高川山林への訪問が、高川さんの奥さんが中心に経営してきたカモメ保育園のTV放映がきっかけで急遽、実現した。保育園の食育と同時に、子供達の遊技場の雑巾がけと林の中での遊ばせ方が素敵だった。高川さんはその黒子に徹して動いているようにわたしには見えたのでそう告げると、いやいや自分は「少しだけ」手伝っているに過ぎないとおっしゃる。「おじさん」と呼ばれていると自慢もしたが、問いただすと「じ」と「さ」の間に「い」が入ることもあるような歯切れの悪さに変わった。(^_^)v

  小樽で家内と所用を済ませ、お見舞いも終えた後の昼時、桂岡の山荘にお邪魔した。桂岡というのは銭函の国道5号の北側にある谷沿いの町内で、かつて桂岡と言えば、春香山へアプローチする登山道があり、奥手稲の小屋番の際など何度か通ったところ。3,40年ぶりに来て見ると、ずっと上まで住宅地になっていた。

  高川さんの森と山荘はその住宅地のどん詰まり近くにあった。KさんとMさんという、若い山の働き手を得て、高川氏はかなり満足できる立場にあるはず。早速、訪問の目的でもある「山林の見立て」「森づくりの意見交換」に向かった。森林の保育を主体的に取り組む者たちにとって、他人様が持つ山林を訪れ意見交換する楽しみは格別である。今回の訪問の大きな目的のひとつは山林の保育について見学のあとなにか寸評せよ、ということであった。

  午後一時頃から、5ヘクタールの林を案内してもらった。散策後の寸評というより、歩きながらその都度オーナーの話を聞くことになる。林はおおむね北斜面で、斜度は10数度〜20度前後、そこに登山ル
ートに近い道が2系統、今後の保育のために新設したい予定路も示された。

歩き始める           ワオーとはアイヌ語でアオバトのこと  年長組みはここでは鯨さん

  現場では高川さんが説明をしてくれ、細かい感想などをつど申し上げた。振り返ってみて、印象的なことは次の点。

@45年ほど前に皆伐されたあとの萌芽再生林だろうこと。ミズナラが極相か不明だが、現在は、ミズナラが卓越するわけでもなく、サクラやハリギリなど。特に小屋周辺と上部のある一帯にはニセアカシアの群落がある。

A登山道というのはしばしば国公立の公園が多いためか、里山的な雰囲気はないもの。斜面のきついここを里山的に見せるのは、萌芽更新のシュートが垂直に伸びて下枝が上がっていることだ、と改めて思った。斜面地の萌芽再生林は込んで直立する。

B50年で、ミズナラが卓越するわけではないから、薪材としての質は多様性が売り。胆振のようにナラ材だけ所望するなんてことにはならない。ニセアカシアも喜ばれているからよくできたもの。

C上部の敷地境界部の展望台の付近にも、ニセアカシア群落があった。ニセアカシアは、伐採時にできる穴など人為的に攪乱した場所にしばしば侵入する。わたしは直感的に上部下部の二つの群落は、50年ほど前に伐採した際の運材装置「インクライン」の敷設場所ではなかったのか、と想像した

Dところどころに実生のナラが威風堂々と存在し、それらはしばしば展望台やツリーハウスが据えられている。これらは、50年ほど前の伐採時に、さほど役にも立たない曲がった木として放置された可能性がある。曲がりは個性であり、個性は健やかに伸びると花開く、ということか。


ルートを打ち合わせる        シラネアオイの群落に会った     フタリシズカも

E山道は、よく使われているせいか、あるいは土が堅いせいか、径のセンター部分はさほど刈り払いはしなくていいそうだ。尾根筋もつづら折りも歩きやすい。これから搬出と集材のために路線を水平に延ばしていく際に「片切り片盛り」をすることになるだろう。すでに実施されているところもあるのであとは体力のみ。

高川さん、森、見つめる

F持続可能な薪づくりと予測が一番の難問かも。年間の生長量だけ伐採すれば理論的に継続はできるはず、それはエリアを分割し10年回帰などとして手入れを回転させる方法(とすると年間5000u)。密度があれば5000uもやりでがあるが、密度が低ければ薪は出にくい。ニセアカシアのように自然にはびこる早生樹種はその点楽だが、ニセアカシア林はわたしには荒涼とした風景に映る。わたしは薪を現在の3人に限定するなど、供給量の目標を低く見積もればいいことに気づく。1棚(見かけ2.8立米、正味1.7立米)で通常3ヶ月、1世帯の冬の薪需要を6ヶ月の3.4立米、3人で3.4×3=10立米。仮に50年生広葉樹林のヘクタールあたりの年間生長量を算出すれば、5ヘクタールでは理論的に十分可能と言うことになるだろう。と、こんな風に推論していくのが楽しい。しかし、Kさんの家の山側あたりの搬出方法が解決すればこの問題は解けそうだ。

 
小屋の前でBBQ             わたしの手にあるビールはポーズ用

G苫東、高川山林に共通するわたしたちの森づくりは重機を使わない、使えない点であり、わたしはこのごろ諦めつつある。人力で攻めるのだ。今の薪づくりも200人工以上を投入して、約30〜40立米を出している。4,5月に軽トラックで搬出こそすれ、藪だし、積み出し・積みおろし、玉切り、薪割りすべて人間の力であり、人力でこの程度できるとわかれば、やれ薪割り機40万円だ、軽量ウインチが30万円だと、金策に走る必要がなくなる。補助金地獄も知らずに済む。わたしはようやく人間1馬力の希望と限界を受け入れる決心がついた。

以上、こんな風なことを考えた。しかし、やはり不思議なのは薪が呼ぶ力だ。エネルギー費用の節約といえばそれまでだが、薪はそれ以上に人の上に君臨する。余ってどうしようもない放置物件が、どうしても欲しい宝に立場が変わるからであろうか。ゴミも、見る人によっては宝である。日本、そして北海道の樹木の評価と扱いは正にそんなところだった。手入れの進んだ欧州では、森林は宝に見える。身の回りの林を自分たちでケアしないでどうする、そんなメッセージも感じるのだ。それを社会の成熟と結びつけるのは早計だが、そんな気も少しする。

ずいぶんと長くなってしまった。高川さん、Kさん、Mさん、ありがとうございました。




5/12小屋の前のサクラは散り始め
ていた


広場の奥のアワダチソウ群落を
ランドオーナーに刈り払ってもらった


どんどん薪の棚が出来上がる

各々の仕事を遂行飛び入りあり

午後のお茶で

森カフェU

エッチな股が出てきたと一部で騒ぐ
結婚のお祝いに薪を一棚進呈
2012/05/12 sun 快晴 14℃  15名


長かった冬の除伐作業、そしてそれらの丸太を林道へ出し、さらに軽トラックで広場に運んで、薪のサイズに切ってから薪に割る。この延々と続く薪作り作業はやはり「祭り」の体裁になります。今日も、週日に手をかけてくれた方々の支援のうえに、さらに今週の作業は乗っかる。

今日はいつもの作業に祝い事がプラス。NPOメンバーのUさんが同メンバーのご子息とご結婚されたので、昼、そのお祝いのBBQをしたのでした。BBQの素材はMさんが提供、BBQのセッティングとおにぎり、飲み物は新居のお二人が担当してくれました。Uさんはこの山林で作業するつど、いつもパンやお菓子やカレーやなにかで、いつもいつも作業をサポートしてくれた方。おかげで、肉体的につらい仕事がとても楽しいものに変わったりもします。
 


Uさんのベランダから

午前の作業を終えた12時、三々五々、風を避けた新居正面に陣取ってBBQを6分ほどいただいた頃に、新婚のメンバー二人にプレゼント。まずIH用のフライパン。次に、薪ひと棚(約3ヶ月ぶん)の目録。
 


薪の目録はこんな風にしたのだけど、急いで書いたためか、歳によるボケか、「祝」が「税」みたいになってしまった

夕方3時半までの仕事で、あと山林に余す材は半日で搬出が可能との見方が生まれました。搬出された材は薪のサイズに切り、割る作業が残ります。そこまで持って行ければ一安心です。今日は15名でどうやらそこまでたどり着いたようです。



英国のトラストのデザイン(背景の色と文字色)をパクってみた







かくして、「北の森カフェU」が完成
連休最後の日に集う
2012/05/06 sun 晴れのち曇りのち雨 13℃ 13名


小さな薪仕事。大勢を頼まないで、来れる人だけ来るという作業。このNPOの普通の姿と言っていいかもしれません。掲示板で連絡を取って最終的には13名が参集。

oyamaさんのテーブルは出来上がって、inabaさんがテーブルの脚部分のササクレを集合1時間前に来てサンドペーパーで取ってくれた。薪の方も、連休の最中、どなたかが割って積んでくれたようだ。わたしはこのテーブルが長い間使い勝手がいいように、プラスチックのイスを買いに行って小一時間遅れて現場着。


薪の谷間。大声や咳をすると倒れる危険あり

すでに薪割り、薪積みは進んでおり、片っ端から片付ける正味の体制になったのがわかる。後は時間だけだ。わたしは「大島山林フットパス」の看板づくり。inabaさんが、英国のGREEN-GYMばりの、緑の防腐剤を調合して塗ってくれた板材6枚と垂木を組み立てて、かなりシンプルな径の見取り図を描いた。水性ペイントを使用しているので雨が降ってきたときにプレハブに制作場所を移動し、フィニッシュ。脚の穴を50cmほってスタンバイしてから面々に合流。
雨のため立てかけは次回
おことわり= 看板の図は、あまり、いや、かなり、当てになりません。(-_-;)

お昼は古代米とラーメンをご馳走になった。またもや、である。15時半、散会。

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