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2020年、日々の迷想



■2/13 ブイヤベースをつくる

お隣からたくさんのスケソウダラをいただきました。そのうちの3匹は塩を振っておいて、その夜、水炊きにしてポン酢で食べました。残り汁をみて、これは一度は作ってみたいと思っていたブイヤベースをやってみようと思いつきました。ブイヤベースは南仏マルセイユ当たりの郷土料理、もっと言えば漁師のごった煮のようですが、2,3回食べた感動は忘れがたいものがあります。固いことを言えば写真左のように地中海の魚介が4種類以上入っているものを指すようです。しかしスーパーを調達源にするとなかなかそうもいかず、アサリと海老、イカあたりがせいぜいです。今回はこのほか、ニンニク、玉ねぎ、セロリ、サフラン、オリーブ油、バター、マイタケ、ジャガイモ、トマトジュースなど。コトコト煮るという仏語の意味そのまま、薪ストーブに載せ、くつくつ、クツクツ。材料揃えと煮炊きに結構手間と時間がかかりますが、食してみると素材が混然一体、しかも各々のうまみ成分がすべて滲みだしているような和みと喜びがあります。反省は、もっと濃厚な味にするためにカジカや赤い魚など脂の多いものも混ぜるべしということでした。

2/12 『樹木たちの知られざる生活 森林管理官が聞いた森の声
 
幸いドイツにはもう4,5回行ったことになります。ドイツ人が森林なしに生きられないような、まさかの話を、その都度、見聞してきたような気がします。ドイツの森とセラピーに関する何冊かの本も読みました。ドイツの森と人は森林セラピーの現地というより、健康な人々が森とともにあることに喜びを感じている、そんな様子が伝わってくる場でした。この本は2015年にドイツで出版されベストセラーになりましたが(日本語版は2017年)、丁度この年、日本では清和研二氏の『樹は語る』(「2018/10/10日々の迷走」に簡単な書評あり)で出た年でした。両方とも森という自然のふところに深く踏み込んでおり、森林に関わる人ならぜひ手に取りたい1冊です。
わたしたちは勇払原野の雑木林で手入れと修景をしていますが、常々、手入れのために伐倒する技術はセミプロを目指し、森を見るハートはナチュラリストでありたいと願い、仕上げはアーティストの気持ちでガーデナーとしてつきあうことを心に刻んでいますが、わたし個人はそれに加えていつのまにか著者ヴォールレーベンのようなフォレスターの責任を感じるようになりました。信託を受けていると考えている勇払原野のここの林にも、本当の後見人はいないと知ったからであり、持続させるためには樹木たちの知られざる生活を知る必要があると考えたからでした。この2冊の著者の立場は違いますが、深い洞察に満ちており、いずれも一気に読むにはもったいない世界が描かれています。


2/11 報じられない裁判
2月6日、札幌高裁で注目すべき判決が出ました。5年前、元朝日新聞記者の植村隆氏が、ジャーナリストの櫻井よしこ氏を訴えていた裁判の二審で、櫻井氏が再び全面的に勝訴しました。植村氏が朝日新聞に掲載した慰安婦関連の記事が捏造だとした櫻井氏を名誉棄損で訴えたものでしたが、事実関係をよくフォローしてきた人にとっては当たり前の判決で、朝日新聞もすでに誤りを認めているものです。一昨年の一審では植村氏が女子挺身隊と慰安婦を混同(故意にかも)していると断じ、植村氏の控訴による二審では、植村氏の認識とは違って慰安婦は明らかに公娼であると明確にした点で注目されます。これは先のイ・ヨンフン教授の『反日種族主義』にも事細かく事実確認と分析がなされたとおり本件の結論でもありますが、これはかねてから櫻井氏や識者が主張してきたことでもありました。嘘が広まれば、それが違うよ、ということを示すために膨大な時間と労力が費やされる。まさに嘘は暴力とも言えます。しかし嘘をつかれそれを放置する方が悪いというのが、ふたつの隣国を相手に日本が思い知らされた教訓でした。ちなみにこの裁判はほとんどどこからも報道されていません。この根深さこそ恐るべし、です。

■2/09 間伐した雑木林の薪を燃やす(動画)

年末、今年は足りるだろうか、と危惧された薪は、2月の上旬、十分間に合うことがわかりました。10月の中頃には使い始め、暖冬とはいえしっかり焚いてきたので、木灰は段ボール箱二つを超えました。先日朝5時、熱効率のいい三次燃焼をさせていると、アヤシイ炎になりました。雑木林も薪ストーブも、こうして何度でも、かつ、深く、愉しみ味わうことができる…。雑木林つきあいの冥利(そんな言葉は聞かないけど)に尽きると思います。

■2/07 体の不具合を治すためには何でもやってみる


あっという間に立春を過ぎました。このころから本格的に雪が降って、札幌の積雪は昨日平年並みに戻ったと言います。日が長くなり、日差しに春を感じるようになりました。
さて健康関連の話です。昨年7月、時間ができてまず取り掛かったのが坐骨神経痛の治療でした。これは「緩消法」というインナーマッスルの揉みほぐしをしている間に3か月ほどで改善しました。若い施術士のもとです。年末からは股関節痛の改善に取り掛かりました。山仕事もままならなくなったため引退宣言をしてから、人工股関節の手術も念頭に入れ、まず経験者のお話を聞き、やはり手術は避けたい思いが募りました。次に評判の石部基実クリニックの著書を読んで推奨の歩き方を実践。「人は股関節から老いる」という新書の帯に目が行ったのがきっかけでした。しかしいまひとつで、散歩は続けながら次にチャレンジしたのが写真左のガイドブックにあった
「エゴスキュー体操」。これが意外なスグレモノで、翌日から変化を感じました。現在15日目、体操の日記には、「歩くのがだんだん億劫にならなくなった」、と書きました。わずか1,2kmなのに本当に歩くのを避け始めていたのです。これには我ながら驚きでした。この体操はアメリカの元軍人の方が考案したもののようで、同じ痛みでお悩みの方は是非一読とお試しをお勧めします。

■2/04 十勝・池田町でコモンズ林業を紹介

ワインで有名な池田町は林業にも熱心で、2月4日、あろうことか、苫東コモンズの森づくりを話してほしいとの依頼を受けていってきました。催しはシリーズの「森林資源フル活用セミナー」。会場は満員、篤林家の熱心な眼差しが新鮮で、寝ている人がいないのは驚きでした。久々にみる林業先進自治体の姿です。

■2/03 世界が動く

「日本の主婦が朝から連続ドラマを見ているなんて信じられない」と、英国在住のSNS仲間Mさんが語っていました。彼女は世界情勢や社会正義に敏感で政治的にもとても感度のよい方であり、問題のキャッチが早くアプローチが抜群でした。英国のEU離脱について、彼女はどんなふうに見ているのか、聞いてみたいものです。もう6,7年前になるでしょうか、コミュニティ・フォレストというとても語感のいい英国の新制度と運用について英国にでかけてヒアリングした時、制度の発端はEUによる各国へのしばりによるもので、英国人はこれを常々とても苦々しく感じていることを知りました。離脱を喜ぶデモのプラカードにも、「EUはもうたくさん」、「バイバイEU」、「私たち独自の法律」と書かれていて、ヒアリングのときの英国人の不満がやっぱりここにあるようだと偲ばれます。英国の主権をEUはもぎ取ってきたというのでしょう。令和2年、うるう年、世界は激動しています。

■2/02 丸太の搬出も始める

山仕事では昨日からスノーモービルで間伐した材を運び始めました。アカエゾは決して褒められた薪材ではありませんが、我々の主義主張から言って切り捨ててただ腐らすわけにはいきません。薪ストーブ愛好者みんなで分け合って使い切る予定。今日一日だけでも結構な量でした。
そして明けて今朝はどういう訳か、野鳥が活性化していてゴジュウカラですら何度も餌台に顔を出しました。滅多に来ないヒヨドリも来たほか、初めてツグミもやってきて正直、うれしい気分です。そうかそんな季節か、と思いをめぐらすとなんともう節分、立春と続くんですね。この調子でいくときっとキレンジャク、ヒレンジャクなども間もなく訪れるでしょう。キツツキはさすがに顔を見ません。物置の屋根の給餌はやめたので、カササギとカラスは来なくなりました。
さて、2020年の年間予定表を作りました。山仕事やコモンズの行事はこちらです。


■1/31ひいきの野鳥は今のところ、やはり林系
朝はまづめ時から野鳥が来ます。じっと見ていると、圧倒的に多いスズメに交じり、シジュウカラ、ヤマガラ、ゴジュウカらといった、普段は山林にいるだろう鳥たちも顔を出し喜ばせます。ただ警戒心が強いのでしょう、餌台の止まり木にキョロキョロとたった1秒もいないで飛び立ちます。本能にもとづく採餌の刹那。100%の野生は体調も100%でないと生き延びられないと言いますから、これがいわゆる自然なのだと思って見ています。庭の野鳥世界は、日々、自然界を引き寄せた小窓。いささか禁断のアソビのにおいもしつつ。

■1/30 コロナウイルスでみえる各国のリスク管理の甘さと本気度
新型肺炎のニュースが飛び交いますが、当局の発表を報道するだけでは真の情報になりえないことが益々明確になってきました。武漢のある医師は25日ころ、患者数は10万人を超え、病院は地獄だと発信、中国当局はこのような発信を片っ端から削除しているようですが、武漢を事実上閉鎖したことだけでも背景の深刻さがわかります。英国の専門家は2月4日まで25万人に拡大するだろうと予測。日本も週末まで店頭からマスクが無くなるという噂が出てきました。日本政府の対応にも遅すぎると批判が相次ぎ、たとえ指定感染症になっても中国人の訪日客の医療費を無料にしないような手立てをせよ、とtwitter でコメントされています。中国人の間で、日本に行けばタダで治療ができる、という情報が拡散しているとのこと。

■1/29 『反日種族主義』
わたしたち日本人、というか少なくともわたしは、嘘をつくことを自他ともに厳しく戒められ、嘘をついた日は良心の呵責のため夜も眠れないことを幼少のころから体験したものです。昨年11月、日本でも出版された李栄薫(イ・ヨンフン)著の表記の著書では、冒頭、「韓国の嘘つき文化は国際的に広く知れ渡っています」と始まります。日本での発売以前に、韓国では予想に反して(自国を嘘つき国家と断言するのですから)ベストセラーになり、日本でもたちまち30万部を超えました。確かに、もつれてきた日韓関係の真実を、ソウル大学の元教授が史実に基づき冷静に分析して見せ、教えられた歴史がことごとく嘘であることを公表していく、自制の効いた内容には多くの人が驚いたのは無理もありませんでした。ここ数年、韓国に良識はないのかと疑った日本人も多かった中での出版だったはずです。作家・百田尚樹の『今こそ、韓国に謝ろう そして「さらば」と言おう』はそんな時点で一見冗談風に表現した、しかし、大変まじめな一冊だったと思います。『反日種族主義』は出版間もなくAmazonのカスタマー・レビューで五つ星が並び、鬱屈して積もる日本人の不満や不条理への怒りが解消されるような、かつ抑制のきいた評を読むことができますが、その底に沈んで共通しているのが、なんといっても嘘に対する彼我の違いだと読みました。国と国との関係で、嘘をつき、これを国連などでのロビー活動によって国際世界にばらまくこともよしとする国々に我々は囲まれているのだと知ったことは、近年の皮肉な大収穫でした。自虐史観から解き放つ研究や著作がこれほど出てくる言論界、ネットメディアに身を浴することができるのは果たして幸福なことかどうか、一考を要します。

■1/28 ハスカップの隠れた性質と
生い立ち

冷凍していたハスカップの実と雑木林で拾ってきたミズナラのドングリを、小さな鉢のピートモスの培地に埋め込んだのは一昨年の年の瀬でしたから、もうかれこれ1年余り。ハスカップの一つはまるで先祖はツルだったかのようにヒョロヒョロと伸びて、何かに絡ませてもいいくらい。これは出窓の日当たりの良いところにあります。もう一つはサイドボードの上にあり、あまり日が当たらないのに徒長もせず、おおかたが10cmでほぼ固まったまま。秋、ドングリの葉と同じく枯れ始めるのかな、と見せかけて、結果、落葉することなく間もなく立春を迎えます。「じっと耐える」。ひょっとしてハスカップは原野の枯れ葉や禾本科の枯草の下で、こんな風にじっと出番を待つのでしょうか。年輪が50くらいしか数えられないハスカップが、いったいどうやって今日まで世代を交代してきたのか、実は何もわかっていません。それどころか、注目もされていないのではないでしょうか。
んな写真を撮っていると、冷蔵庫の中に去年とおととしのハスカップの塩漬けとシソ巻き、それと赤紫蘇の酢漬けがあったのを思い出し、炊飯ジャーの残りごはんで小さなニギリを作ってみました。冷凍ハスカップを軽く塩にまぶし軍艦巻きにしたものは意外性があり結構いけます。

■1/27 薪と原子力
毎年、NPOの研修先を考えるのが、少し面倒で、しかし楽しいひと時なのですが、今年のテーマは森づくりというより、エネルギーを考える時間ではどうかと考え、「薪と原子力」をテーマに選ぶよう提案し動き始めました。それで昨日に続き今日も宿泊先のアポを取り始めたところです。
ちなみに、世界の流れはCO2排出ゼロに向かっていますが、スウェーデンはいち早く脱原発を唱えた国で有名で環境少女Tさんもそんな中で社会的誕生を見たのでしょう。しかし、過去はそうでありながら、いま、スウェーデンは過去とは真逆の「脱・脱原発」の賛成派が80%となったとか。近年の暴風により災害が発生し電力が寸断された結果の、民意の変化のようです。
わたしはもともと当面の策として日本も原子力は利用せざるを得ない、とみるひとりですが、CO2排出を本気でやるのであれば、「再エネと原子力」が最有力です。このコンビが実は今回の研修テーマになります。薪と原子力。ハイテクとローテクという意味では両極端ですが、CO2からみれば、薪は再生可能のエネルギー源として最有力のひとつ。薪の時代が来て、地域の人々が林の手入れの腕を磨いて、コモンズのような森林公園を育てながらコミュニティが薪を利用する。こんな時代の到来を期待し夢見ながら、研修の企画書を書こうと思っています。補助金から林業を考えるのはもうやめて、コミュニティから森林を見る、という新しいトレンドが産まれれば面白い。遠浅に薪ストーブのテラスハウスなどができれば、マチはその最先端になるでしょう。
建築家の船木・薪会員に、持論でもある薪のある建築と暮らしの話を改めてお聞きしたい気もします。


■1/26 機械力 vs 手仕事

掛かり木の多いアカエゾマツの間伐で、見るに見かねた農家のmigita さんが除雪がてらトラクターで応援。まだ慣れない仕事の流れに作業の連携があと一歩でしたが、先週と今週だけで7、8本が片付いたので、確かに機械力に人が適度に加わればさすがだ。ふと、わたしがこだわる手仕事の山仕事について考えた。

■1/25 じっくり相撲を見る

時間が十分あって感謝していることのひとつは晴林雨読ができること、身体の治療に専心できること、、ささやかな野鳥の餌付け、料理、そして相撲観戦、と続きます(つまり、まだある)。特に今場所は、4時過ぎにビールをもってテレビの前に座り、家人も5時ころに同じいでたちで加わり、貴景勝が勝てばハイタッチとなります。で、今場所は特に面白い展開となって、横綱がいない下克上のような波乱万丈に息を止めて見入ることになりました。先日、解説の北の富士親方がある力士について、「本来なら休むべきじゃないの?」、と言っていたように力士の多くは満身創痍、相撲は相手はもとより怪我との闘いであると痛感します。貴景勝が昨年大きなけがを二つして土俵に戻ってきたのを見てもその意を強くし、彼の気概に感服します。天覧相撲も和みました。白鵬の場違いな振る舞いを明日は見なくて済んだというのもうれしい気がします。あとは誰が勝ってもOK。千秋楽はいかに。

1/23 ぼたん鍋

猪の肉を2ブロックいただいたので、大きい方はおすそ分けし小さい方で牡丹鍋をしました。牡丹は2,3度食しましたが一番最近は15年ほど前、大分県の長湯温泉で、主の観光カリスマ・首藤社長が会食時に差し入れてくれたものでした。今回はネットでいくつかレシピを見ましたが、おいしかった記憶のなかに、アクが出たこと、脂がしっかりあったこと、ゴボウが入っていたことが浮かんだので、肉は茹でこぼししました。味は味噌、お酒もたっぷりと。セリを入れたいところでしたが見つからず、三つ葉はやや高く、結局最後にミズナを載せました。ミズナではやはり料理がぼけます。ほかに白菜、ゴボウ、ニンジン、マイタケ、エノキタケ、長ネギ、焼き豆腐。自分で作るのは初めてですので、こういったジビエ料理は結構緊張します。珍しいものはたいてい剣呑がる家内の箸の出具合をよそに、マイペースで美味しくいただきました。野生の肉はやや硬いもので、ネパールやインド食べた放し飼いの鶏しかり、水牛に至ってはゴムのようでした。牡丹はそれにくらべてずっと上品。いただいたのは確か和歌山の猪だったでしょうか。この春、そちらに旅行をしようと思っていたので、いいつながりができました。合掌

■1/21 『絶望の林業』(その2)
先月の16日に続いて後半の感想を書きます。まず、第1部の絶望、第2部の失望、第3部が希望の林業と目次は続いていますが、読み終えてもやはり希望の光は見えてきませんでした。読んでいる途中から、この本は補助金のあり方、そして林業の採算をどう合わせるのか、という話に絞られているのがわかりました。森林行政と林業という産業です。だからGDPから離れない。国土保全と人の生業がかかるのですから、それはそれで当然なことで、国の政策として大変大事なことです。
ただ、森林の扱いという視点に立つと、林業とは別のところで、地方の森林は大きな課題を抱えているのではないかと思うのです。どこにも何にも役立たないで地方の林は腐っており、腐るだけでなく、里山的に人手が入れば、気持ちのよい人々の憩いのスペースになるチャンスを、行政も地域の人も無関心によって捨てているのが現状です。
今、日本の林業は膨大な経費で収穫し海外へ採算度外視の輸出をし、そのコストの70%は実は補助金という税金だと著者は暴いて見せます。その一方、GDPには出てこない地域通貨のようなもので動く、狭い範囲の流通こそ身近な林のささやかな林業ですが、思えば、それを無理やり「林業」の一部と位置付けるから居心地が悪かったのでした。地域に住む人々が身近な林に誰でも行けるスペースを「林業の技術」で創ること、換言するとそれは「里山コモンズの造園活動」であると言えるでしょう。国の補助金などあてにしないのは当然で、それでも自由な発想と動機で身の回りの環境を改善することは十分可能だと、今なら確信できます。地域の環境に関心があり、もっと快適な暮らしがしたいと望む気持ちがあればそんなに難しいことではないように思います。
雑木林だより108に続けて掲載しました)

■1/20 大寒に久々雪降る、申し訳なさそうに
今日は大寒。昔、子供心にも、親から大寒だぞと言われ身構えたような。その頃はまだ七草なども生きていて、セリやナズナをいただいたような気がします。まだ、天気が穏やかで風土とともに生きていたころのみちのくの話。季節とともに人々は暮らしていました。新聞の歌壇に秋田県大仙市の方の歌、『九十歳まで生きるならあと八年このうち半分雪との暮らし』。雪が消えるまで長いんでしょうねえ、豪雪地帯は。でも、大寒、折り返しです、春は近い。そう思えば冬は何とも短い。

■1/19 晴林雨読の近況

外は雪がないのに薪がどんどん減って、当初予定の見かけ5.4立方メートルはあと2割ほどになりました。育林コンペで個人的に確保したものを合わせてやっと足りる、という感じで、何とも心もとない。やはり大寒近くは立派に寒いのです。今朝は、夜明けとともに庭にヤマガラがやってきて、ゴジュウカラも昨朝に続き顔を見せました。シジュウカラはいつもちょいの間、止まってすぐ飛び立ちますが、スズメがアワ・ヒエなど小粒を好むのに対してシジュウカラはヒマワリをひとつだけ咥えて地面や薪の上に陣取り、ゆっくり、いやせわしなくつついて食べています。シメもヒマワリの方が向いているみたい。
山仕事では40数年生のアカエゾマツの造林地を間伐しているために、きれいなアカエゾマツ丸太が生まれて、昨日の昼休みにさてどう使うかと話題になりました。写真のように、焚き付けにはちょうど良く燃えるのですが、火の粉が飛ぶのでストーブのドアを開けておく初期段階は、火の粉で床を焦がさないよう離れられません。山ではアカエゾマツの林内に入るとテレペン油の香りが立ち込め、コブシの丸太のそばではコブシ独特の芳香が漂っています。健康に効能のあるシャワーのようです。


■1/16 中村哲氏のこと
先日、新年のご挨拶に伺ったU先生のオフィスで、ペシャワールの会の医師・中村哲さんが反政府勢力による殺害ではなく水利権の争いに巻き込まれたようだ、という噂をお伝えすると、先生もその情報を聞いており、すでに12月号のnewsletter のトップに心のこもった追悼文が書かれ発信されていました。12月にお邪魔できなかったわたし用にと、カレンダーとともに用意してあったものを出して下さいました。中村氏はアフガンでの灌漑の水路建設のために「土地改良事業の設計基準」をテキストにして取り組んでいたことがわかり、農業土木学会の著作賞を贈呈し、その一環で札幌で講演してもらったことも初めて知りました。写真は1月11日に開かれた偲ぶ会のフライヤーですが、左端に書かれた「あなたを郷土の先輩に持つことができ、心から誇りに思う」との一言に胸が詰まります。ご冥福をお祈りいたします。合掌



 2018年制作のDVD予告→アフガニスタン用水路が運ぶ恵みと平和

■1/14 勇払原野の動画作品『森と水の庭・ウトナイ』


下記のIRのブログを書いているうちに、動画作品『森と水の庭・ウトナイ』を突然思い出した。この中で、丹治一三氏が植苗を、わたしが苫東を、つまり勇払原野で隣接する二つの大きなエリアの変遷と定点観測の感想をさりげなく述べていたのだった。もう一五年ほど前の話で、これが龍村仁監督の「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」の第7番か8番だったかと一緒に、北大のクラーク会館で上映されたこともあった。監督は北川陽念氏。わたしが登場するのは「夏」編。懐かしい作品です。初めての方は下記からどうぞ。
動画作品『森と水の庭・ウトナイ』➡  早春  

■1/14 I Rの結末

道内外を騒がせた苫小牧へのIR誘致は、鈴木知事が断念を表明して一段落の形となった。地元苫小牧の市長も市議会も、そして住民説明会に参集した市民も自治体担当者も、なんだかおさまりの悪い終結だったのではないか。丁寧に随時経過をフォローしてきた紙の街の小さな新聞「ひらく」も12月号のトップで簡単な総括をしていて、目を引いた。次ページに詳細、さらに石城謙吉氏の記事が続く。今となっては進め方自体への問題指摘も数々ありそうだ。スタート時はギャンブル依存症が問題だったが、結局は絶滅危惧種の存在など環境問題と調査準備が致命的になったようだ。ゴールポストも動きつつ行政の対応も後手後手で、市民との間に不信感だけが残った感がある。個人的には植苗のあの一帯の基礎的な自然環境調査が全く行われていなかったというのも意外だった。開発の事業計画がない以上、調査の主体が明確でないから仕方がないが、場所が場所だけに行政がウトナイ湖の保全のために基礎的な環境調査を先行しておくべきではなかったのか。IR一帯がウトナイ湖への重要な水源であることを思えば、もし絶滅危惧種の問題がクリアされた場合でも、トドメとなる最後の砦はリゾートホテルの地下水利用による、ウトナイ湖への水脈問題になったのではないか。2500ものベッド数の宿泊を地下水で賄うという計画はその時点でアウト予測できたのではないか。そのずっと手前の早々の断念であった。繰り返しになるが、ジェット機が頭上をかすめる勇払原野の広大なヤブ山が、ディベロッパーの大きなリゾート用地として眠っている訳で、話は今回のIRで終わったわけではない。今回、問題にならなかったが聴くところではIRを実施する際は、エクイティ投資と呼ばれる元本保証なし、返済期限なしの地元負担が一割という。それが事実なら仮に事業費が3000億だとすると、地元で300億の資金を準備することになるわけだが、そんな話は議論されたのだろうか。計画性のない不勉強のようなところが気になる動きだった。(ちなみに「ひらく」1月号には市議会各派の悲喜こもごもの見解が紹介されている)

■1/12 野鳥の愉しみ

昨年の11月半ばから、庭に簡単な餌台をふたつ用意し野鳥を呼んでいる。野鳥の会のサンクチュアリで小さな講演をすることになったので、中学生のころに読んだ、日本野鳥の会の創始者・中西悟堂の「定本野鳥記」を思い出し、氏のエッセーを読み直したことが発端である。幼少の記憶がよみがえり、むくむくと野鳥観察への思いが募った。鳥たちへのお披露目の意味もあってベランダや物置、薪小屋の屋根にも1週間ほどヒマワリやヒエなどを播いたので、設置して間もなく、スズメとカラス、カササギが来て賑わいが始まった。何よりうれしかったのは、ヤマガラやシジュウカラ、ゴジュウカラなど森林性の鳥たちが、餌ではなく薪小屋にきて樹皮をつついていたことである。今、シメの群れがやってきて、不器用に小さな台に載っている。スズメたちは、道路に面したレンギョウの藪を足場に、出窓の前のオンコの中にもぐって隙間からひょいと顔を出し、餌台に来る。

■1/10 日の出に思わず祈ること


気象庁の今日の日の出時刻は7:03。今年一番の快〃晴を見て、7時10分前に家をでてまだ太陽が雲から顔を出す前に余裕をもって海岸に着いた。何の心の準備もしていなかったので、何を祈るか自問しているうち、最初に頭に浮かんだのが、争いと貧困のない平和な世界、である。世界的視野などあまり持ち合わせていない自分なのに妙であるが、かくも世界は動いている一つの証か、市井の庶民まで平和を連想する。首相が「もう疲れた」と漏らしたかのような週刊誌の見出しも朝刊で見た。日本の令和2年は正念場である。平和ボケして平成から持ち越した懸案すべてを令和で片づけざるを得ないとある識者は言っていた。内憂外患の周辺事情、さすがにこれは一理ある。新年も10日を過ぎて再び新たな気分になる。

1/08 グローバリゼーションの悪夢
ふだんは雑木林という一見のどかなテーマを通して世間と世界を見ていますが、近年ほど国際情勢や政治と施策に首を突っ込んで、情報のシャワーを浴びざる得ないと感じることはかつてありませんでした。そのために複数の配信ネットから有料で情報を取り寄せ、情報誌や書籍なども、ギスギスしたものが多く読マサリマス。今、世界は何が起きてもおかしくない状況にあり、最近は第3次世界大戦という言葉も聞こえます。そしてそれを裏付けるような今日の中東のニュース。日本の足元も中国からジワジワと尖閣を狙われ、韓国からは捏造された情報発信で国連や国際会議周辺が汚染され続けたお蔭で、国民の目もようやく変わってきたという噂もあります。特に韓国とのやり取りでは日本がいかに情報操作に無頓着で放置し国益の守りに疎く甘かったかが示されて、政府もやっと本来あるべき方向に舵を切りだしたことは、絵にかいたような不幸中の幸いでした。
ここで見えているのは行き過ぎたグローバリゼーションが先進各国の国益をいかに損なうかが明白になったことではないでしょうか。しかし複雑化した国内外の関係性は、強力なトップでもその一部のパーツしかハンドリングができない。だから大きな流れとして移民の絡む入管法、水道の民営化、種子法、基礎的財政収支の黒字化目標、働き方や教育などなど、一連の改革という名の改悪に歯止めが効かない。そもそも仕組みが次第にきわめて難解になって、ついていくことも難しくなりました。その一方で、公にろくに
議論もされないうちに骨太の方針が固まるなんて言うのは全くおかしい・・・。この歳になって、出遅れたノンポリ老人は俄然目覚めてきたような気がしています。リタイヤ後の晴林雨読生活は、かくしてますます充実の方向に向かうことになります。


1/06 寒の入り

いよいよ寒くなるらしい寒の入りで、今日は小寒。薪小屋の薪は優に半分を割り、いささか心細くなってきました。こんな折、特別にストックしてある異形の薪が心強い。よほど苦労してこじれたのだろう、割れなかった硬い部分、節や二股部分は火がとても長持ちする。十分乾燥しているのに、なにせ、とても重たい。寒に入ってからのこれからにもってこいだ。人間学を学ぶ雑誌「致知」ではこんな「小寒」が紹介がされています。

1/04 雪のない初仕事
雪のない山仕事は内心うれしい。気温は−6℃だ。しかし雪がなければスノーモービルでの運材ができない。雪が少なければ、林道の雪はたちまち消えてしまう。「大丈夫、帳尻はあうから」と言われるが、できれば突然ではなく徐々に願いたいところ。








01/03 ボールペンの替え芯が象徴すること
新年早々、どうでもいい話をひとつ。ボールペンの替え芯である。ボールペンは景品などであまたの種類が手元に残るが、そういった使い捨ての他にもボディがしっかりした大事にしたいモノも中にはある。しかし、替え芯が文房具屋にそろっているかと言えばそうでなく、不都合というのか、不完全燃焼を感じる時が多い。このたび、捨てるには忍びない数本のボールペンを手にして、ついに Amazon でカタログと品番を相互に読み取って照合し、注文した。待てよ、この面倒さは何かを象徴していないか。細分化されたアイテムの、需給マッチングである。世の中のモノの好みが細分化されると、いざというときに丁寧に追いかけ、A と A、B と B というように一字たりとも違わぬように照合せざるを得ない。トレースも照合も面倒だが、今やここまで覚悟しないと便利さは手に入らないのである。さすがに最近は、焦らず、コツコツとこの手間をこなすようになってきた。これは我ながら便利さへの迎合、別の名を進歩というような気がする。

令和2年1月元旦 
新年あけましておめでとうございます
新しい年、令和2年を迎えました。昨年同様、今年もどうぞよろしくお付き合い下さいますよう。
年が替わるのはどこか脱皮に似た感覚を味わうのはわたしだけでしょうか。前の日が次の日になっただけなのに、昨日までの自分より少しだけ成長した自分を目指したい、そんな願いを含んでるのでしょう。念ずることでことが始まる、希望することでその方向にすでに一歩踏み込んでいるのだ、と言われます。毎年元旦には来し方を振り返り、行く末を一年分だけ現実的な目標を書き記すことにしていますが、昨年の元日に列記したあるべき姿はほぼ6、7割でかなっているかなと見ました。もとより目標が高くないのです。みなさまとともに、健康で実りある一年になりますように。