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2020年、日々の迷想
■12/30 真冬日が続く年の瀬 令和2年、つまり今年の正月以降に間伐したアカエゾマツを焚きつけに使い始めました。45年前、わたしが勇払原野で勤め人になる前年の植樹会で植えられたもの。高さが10mあまりですが、燃やせば爆(は)ぜて、かつ、すぐ燃え尽きるから薪材として敬遠されています。しかも割りにくいと来ている。しかしわたしにとっては長年保育もして来たゆかりのある木。これを連休ごろ、薪割り機で割ったのですが、刃物の先端がムニヨーと食い込むので、実際マサカリでは苦労する代物。でも、贅沢はできません、この半年でよく乾燥して焚き付けとしてはいいものです。昨朝はいつもと逆の方法で、一番上に新聞紙を1,2枚置いて、下に向かって焚いてみました(写真右)。すぐアカエゾマツに燃え移り、ゆるやかに少し爆ぜながら静かに燃えます。今から1週間以上、真冬日が続くから、夜中に薪を足して24時間薪ストーブを焚きそう。5.4立方の薪小屋は今年も年末でもう半分を燃やしたことになります。少しだけ不安になる年の瀬の光景でもありますが、軒下などに、あと3立方ほどあるから心配はいりません。 ■12/29 鰤(ぶり)カマを煮付ける 「鰤カマがあったよ~」と家人がいうので、夕方、「ブリ大根」をつくる。少ししょっぱめに仕上げたつもりだったが、あらかじめ下茹でした大根の方にもよく浸みてしまった。だが煮付けの味の方はばっちり。島牧や熊石などの海のアメマス釣りに熱中していた20年以上前、ビッグファイトを好む苫小牧の一部のアングラーは函館方面まで足を延ばして、船上からこの鰤を釣っていた。寒鰤(寒鰤)とは九州など西の国の年の瀬のイメージがあったが、変わったものだ。海水温はとっくに上がっていたのだった。 ■12/26 林に集う若者たちと 大島山林の仕事納めの最中にもう一つのフィールドに行ってみると、厚真の若い面々が作業していた。そこでしばし、一帯の魅力と将来像を語り合った。世代は変わりつつある、という予感が温かく感じる。この寒空、気温はマイナス5℃。 ■12/25 しっくりはまる季節の静かな祭り 今年はクリスマスの商業風景がなく雰囲気すらありません。そこで浮かび上がってきたのが「冬至」でした。10日ほど前から、木星と土星が非常に近づいて、野鳥のフィールドスコープなどで見、画像をSNSで紹介しあうなどもあったせいで、気持ちは天体や太陽の動向に向けられていました。たしか、クリスマスも北欧の日が長くなる頃合いの土着の祭りに、キリスト教がのっかったという説を思い出します。さらに思いおこせば、雑木林の小屋に山や林の仲間と集って、「冬まつり」「春祭り」をしていたものです。この2回は、光や春を待つ祝い事、祈りの集いとして特別な意味を意識していたのです。それはそれは落ち着いた、思い出深い冬の集いでした。クリスマスという浮世の幻想が取り払われて、今年はこの「冬至」こそが日本人の祝うべき季節の祭りだったと、認識を新たにしました。 ■12/23 高村光太郎の詠った冬の林か 雑木林の隣にある海跡湖「平木沼」 晴林雨読の年末実践、ゴソゴソと林に出かける。冬の明るい雑木林は、実に美しい。昨今、森林療法とか森林浴とか話題になっているようだけど、この時期の胆振の雑木林のような林は、もっと積極的な「元気」がある。これらを味わわなくては、大事なものを見落としたことになる。冬の落葉樹の林こそ、「緑」だと実は密かに思っている。 ■12/21 冬至光遥拝隧道 今日は冬至。冬至といえば、過日こんな不思議なアートのような建築物をみました。小田原にある「江之浦測候所」です。夏至と冬至の日の出を見る隧道があるのです。「あ、これは瀬戸内の直島と通じる」と思いましたら案の定、作家は杉本博司氏。不思議な、というより、古代人が星々の観測をしていたころの、ある種、霊的とでもいうようなパワーが研ぎ澄まされていくみたいな、やっぱり不思議な経験でした。 ■12/20 北海道で働く外国人の現状 去る12/18、リモート(zoom)で前職の研究所の助成研究発表を聴きました。技能実習生、特定技能、留学生など、課題を多く内包しながらの船出でしたが、研究者らはこの制度の下で働き学ぶ外国人の現状を、彼らの立場に寄り添って調査しています。ヨーロッパにおける移民受け入れでは『西洋の自死』でも縷々暴露されたように、福祉のばらまき、失業、犯罪率の増加など、目を覆うような現状がわかってグローバリズムは破綻したように見えます。しかるに北海道はどうか。今回の3人の報告で知る限り、半ば予想した通り、「日本型受け入れ」あるいは、国籍に関係なく受け入れる「北海道モデル」があるように見受けます。日本人と同じような当たり前の付き合いを展開させ、そこに見え隠れするキーワードは「とけこみ」。ヨーロッパでかつてから行われた「2級市民」としての受け入れとは基本が違う。これからも注視していきたいと思っています。 ■12/18 モーリーの辻井先生特集 モーリーの新号は「辻井達一の世界」というタイトルの特集が組まれており、懐かしい方々が思い出を綴っておられます。苫東コモンズのフィールド勇払原野でも苫東のアセスだけでなくウトナイ、美々川保全など全域で、尽力されておられるので、特にお付き合いも深く、静川の小屋にも複数回おいでになってコナラのフットパスを歩いていかれました。そんな縁もあって、コモンズ研究会では委員になっていただき、フォーラムで講演などもお願いしました。一方、2006年、エコネット主催の英国フットパス・コッツウォルドなどを歩くツアーでご一緒し(写真右)、連日、昼夜となくパブでビールを飲みつつ、先生のウィットに大笑いしたものでした。この時は確か、先生とわたしは最後尾のペースメーカーになること、しばしばでした。2013年1月に亡くなられ、しばらくして開かれたお別れの会では、先生の関わりの深さ広さを偲ばせる大勢の関係者が会場を埋め、巨星が逝きひとつの時代が終わることが伝わって来たのを思い出します。(注:写真左は facebook に紹介された山本純一さんの画像をお借りしました) ■12/17 ウイルスソフトはもう不要なのか セキュリティソフトの更新時期が近づき、念のため単純な疑問の答えを探すと、windows 10 からは windows defender なるものが内蔵されており、これで 99% のウイルスを防御ができるから外付けのソフトは不要だと読み取れるものがあります。結論として「「Microsoft Windows Defender」は他のセキュリティ対策ソフトウェアと同等以上の性能を誇る。過信は禁物だがあえて他の無料のセキュリティ対策ソフトウェアを導入してリスクを負う必要性は低い。」と明記されているものもあって、なら有料のものはどうなのか。ことがことだけにあとで面倒なことは避けておきたい…迷うところです。この道に詳しいHさんが否定的な話をしていたのが記憶にあり、猶予期間1か月の間に判断したいと思います。 ■12/16 古希の風景 この歳ならではかと思いますが、心象風景はやはり代わるものですね。生計を立てる仕事を離れ子供たちも独立して大きな責任がなくなり、その一方で気が抜けたように体力知力とも大幅に衰えつつあることを自覚すると同時に、それが同輩たちも同じで身体の不具合を加療し、不運にも亡くなった人もいる。もちろん親戚やお世話になった年配の方、もと上司や知人の方々でもすでに鬼籍に入られた方が一人二人と増えてきます。思い出は尽きず、慙愧に堪えないことも、多々。しかし、この頃は折り返したという感覚が生れ、後悔などは振り切って残された時間を楽しもうという、か細いが確かな力が湧いてきていることに気づかされます。けなげな少量の泉のようなものです。白秋期という「黄金時代は人生後半に始まる(五木寛之)」、「歳を重ねてわかる人生の核心、、、快老(渡部昇一)…」などという述懐もジンと響きます。こうして雑念から解放されると、平らかな水面が見え、思いがけないひらめきがあるのは冥想と似ています。このバランスのよい風景は古希のご祝儀のようなものと思い定め、これからはガタが来た身体をいたわりつつ、白秋期を生きるバネにしたいと願うこの頃です。 ■12/14 森林に関する施策の背後にある思想 森林・山村多面的機能発揮対策交付金制度が平成25年度に施行されて、全国のNPOや山持ちなどがこぞって申請してきたようです。目的は「森林所有者や地域住民等が協力して森林の有する多面的機能を発揮させるための保全活動及び山村地域の活性化に資する取組」を国が支援するものとされ、「地域住民が中心となった活動組織(NPO等)が実施する、地域の森林の保全管理や森林環境教育等の取り組みに対し、一定の費用を国が支援する新制度です。(1)荒れている里山林等の手入れをしたい(2)子供たちに、森林の中で自然体験をさせたい(3)薪など地域の資源を活用して、山村を活性化したい」場合に申請するものですから、誠にもっともに見えるミッションですが、主旨ぴったりの苫東コモンズは、これに一度も応募しませんでした。 どこか、根本的に居心地が悪いのです。自分の(自分が大事にする)山の手入れをしてご褒美にお金をもらう、ここにある補助金で保全活動を誘うという意図が、わたしにはまったくなじめないのです。もらえるものは何でももらって家計の足しにする、というのも考え方ですが、大事な心を捨てていないか…。この背後にあるのは、森林を含む個人の土地というのは、所詮「公」のもので、個人は一時的に借り受けているに過ぎない、と考えれば納得がいきますが、現行の所有権はそうではないはず。保全してくれるなら外国人が所有してもよい…。そんな感じもする不自然さが匂うのです。土地はともかく林が代表する風土、自然は誰のものなのか…。国からお金などもらわなくても、身近に不可欠な森づくりに励むべし…。自宅の庭を自ら手入れするように、地域の緑を地域が自発的にケアする、そこに国の補助金など要らないし、お金がむしろ風土感覚を濁らせる…。わたしはいまだに、かたくなにそんな気がします。 ■12/12 畑の納屋の、ゴージャスな光景 山の神の参拝をしてから、有志が近くの「そば哲」でランチ。帰りに「からみ大根」と「きたあかり」のお代を100円ずつ貯金箱に入れ、ギャラリーに顔を出す。ちょうど父親オーナーがそば打ちの最中で、あるじの趣味の部屋を見せてもらった。外見は田舎のただの納屋風だが、内部は「用」と「好み」に包まれ、原野の風景が望まれる隠れ家、エルミタージュである。室内の暗さに比べ、窓4枚の採光が持ち主の趣向をうかがわせた。窓辺のつる植物は、聞くと一年草のロドキトン、ごまのはぐさ科でわたしは初めて見た。ご夫婦は外の庭づくりも丹精がこもっていて、7月の雨の日、ジューンベリーのトンネルを見せてもらったのを思い出す。開放的で、わたしにとっては旭川の上野ファームの遠浅版だ。 ■12/11 やはり「イワシ」がおいしい サンマに代わる庶民の魚、イワシは、今年、評判だけでまったくスーパーの店頭に並びませんでした。が、昨日、お隣さんから「知人からのお裾分けだよ」と5,6匹いただきました。ぷりぷり太って、見るからにうまそうで、さっそく煮つけてみました。今日は残りを加熱して晩酌のおともに。さらに味が染みて絶妙なため、白ワインの後に日本酒に手が出そうでしたが、、、やめました。(-_-;) ■12/9 小春日の山仕事 週の中日の愉しみは自分の林での独りの山仕事。やらねばならない間伐は何年分もあり、今年の年末までに片づけたいものもすでに目星をつけてあるから、あとは体調を見ながらゆっくり手掛けるだけ。気温は3℃だが、日差しが温かい。 ■12/8 サブスクリプションというビジネス手法 1年ほど前のある日、スマホで便利な植物検索のアプリを見つけ、無料でダウンロードしたところ、1年たったある日、「更新すれば〇〇〇〇円」とメッセージが来ました。あまりに便利だったので今度は改めて有償で申し込み利用を継続しました。つまり無料の使用期間を終えていよいよ1年間の定期購読のような格好になりました。これがサブスクリプションというものらしい。養老猛司氏は似たアプリで散歩が楽しくなったと最近語っていましたが、好奇心旺盛な彼は、愛猫も画像に撮って検索してみたら「これは植物ではありません」としっかりメッセージが出たとか。ところで、先日スマホで血圧が測れるアプリを見つけ無料ダウンロードしたら、これがサブスクリプションで、類似のものをいじっていたらいつの間にか請求やら領収書のようなものが来た。ヤバイ、その手のものか、と冷や汗が出て唖然としたが、知る限りではサブスクは悪徳商法ではなく新ビジネスという位置づけがほとんど。思い直して、アップルストアに返金手続きをしたら、これが丁寧に手続きがフロー化されている。まだ結果はわからないのですが、世は「所有から利用へ」という流れなのだそうで、なるほど、それなら苫東のコモンズ方式にもちょっと近い。それであれば悪意ではなく発想転換の新ビジネスかも。ただこちらの便利さは、ちょっとリスキーだ。➡12/9返金手続き成功。 ■12/6 緑地をヒグマとシェアする本気の覚悟 2時間半のヒグマ・フォーラムを6,000字にまとめる作業を終えました。作業というのは何につけ気づきがあるものですが、勇払原野のヒグマが、かねてから人知れず、迷惑もかけずに移動してきたことを考えれば、ここはひとつ人間側が知恵を絞って、駆除、捕殺をしないで済む対応を考えるべきだと思いいたりました。そのためには、建ぺい地や施設、道路などを除くエリア、すなわち「原野」「農地」「森林」「水面、河川」を指すオープンスペース(日本語の訳語は緑地)と位置付けられるすべてが、彼らの往来を可能にすることを考慮すると、人間側が使えない、あるいは使いにくい河川とその両側のオープンスペースを、公共の緑地にすることで対応できるのではないか…。必要ならそれは市民も行政に働きかけしトラストのように買い取る必要がある…。また、もっともオープンスペースがふんだんにあり弾力的な対応も可能な苫東では、柏原丘陵縁辺樹林地(=将来的に残される保全緑地で、恐らくヒグマはすでにこちらを利用し始めている)を柱にすれば、育林コンペが行われている広大な平木沼緑地には容易に接続され、当分、ヒグマはこれまでと同様、人知れず苫東をコリドーとして移動できる…。 ただ、そのためにはわたしたちも育林コンペや静川の小屋のゾーンをヒグマたちと共生するところであることを、いよいよ本気で覚悟する必要が出てきます。近年は現在冬の作業中である大島山林にも出没していますから、ヒグマたちはメガソーラーなどの建ぺい地の建設によって移動可能な緑地が縮小され、移動経路の変更を余儀なくされているのではないか。出没情報の増加はそのような背景も考えられると思います。 ■12/4 ところ変われば美的センスもごろっと変わる 先日見つけた変わった小物は、聞けばバルト海3国のリトアニア製でした。そういえば、ちょっとロシア正教のにおいの色模様。直径10数センチ、厚さ10ミリほどのコースター風円盤ですが、太さ数ミリの枝まで精巧に張り付けた、スペース取りが見事で、色のバランスもゴージャス。切り口はちょっとイヌエンジュに似ています。なかなかのアイデアに富んだクラフトだと思って入手し、机の上にただ置いていますが、存在感もなかなか。 ■12/3 コモンズのこれから 先週の土曜日、小雪が資料を濡らすという屋外の寒空総会を終えてから、改めて環境コモンズという仕組みのこれからなどに思いをいたしてみました。そもそも、メンバーのコモンズ関わりの動機は、自然環境全般、森づくり、山菜、人との付き合い、薪、ハスカップなど、実は様々なので、かつてこのコモンズに興味を持って論文のテーマにすべくヒアリングに来てくれた何人かの大学院生も、実際は大いに戸惑ったのではないでしょうか。個々人はコモンズという概念への関心も社会実験という意識もほとんどもたず活動してきたからです。それもそのはず、里山の雑木林には、医療や美学、エネルギーなどをも包含する、予想以上に広い裾野があることにも原因があります。いわば、身近なのにとらえどころのない大きな存在を相手にしているのです。こう考えると、いよいよ、わたしなどが向き合っているのが、なにか、偉大なモノではないかと思えてきます。別の名を風土、あるいは産土(うぶすな)と呼んだらいいのでしょうか。してみると、ここはひとつ、もうじたばたしないで流れに任せるのが最良の策か、途はおのずと通ずる…そんな感じになってきます。 ■11/28 変えられる里の山 遠浅団地のすぐそばの放置林で、ツル切りと除間伐に着手して3日目。毎回10人近くが4,5時間手間をかけただけで。林は見違えって来た。どんなことをしているのかは、こちらの雑木林だよりを見てほしい。今日は昼食後、NPO苫東コモンズの11回目の通常総会。一昨日、収支決算書の誤りを見つけ慌てて修正し、昨日、午前中にプリントを終えたばかり。三密を避けて防寒着を着込み40分で終了。 ■11/27 鳥たちの来訪 餌台には2日目にスズメたちがやってきて、無念無想で見ている自分に気づ来ます。そういえば、幼少から小鳥の観察が好きだったことを思い出しました。今日4日目は、早くも待望のヤマガラが来訪。 ■11/26時速10kmの林道散策 育林コンペの現場から、境界道路を南下して帰途につく。道路は大型トラックでも通ったのか、うんで痛んでおり、車体に泥を着けないようゆっくり進む。スピードメーターを見ると9~12km/hである。こうすれば辛うじてドロの汚れは軽減でき、プリウスのエンジン音はほとんど聞こえない状態。周りの林を見比べながら運転もできる。このところ、歩くのが億劫になるほど腰が悪いので、ちょうどいい。運動にはならないが雑木林散策の気分はちょっとある。いよいよ、高齢者の域だ。 ■11/24 癒しの森のつくり方 東大富士癒しの森研究所の斎藤暖生所長から献本していただいた。齋藤さんは苫東コモンズにも2,3回訪問してくれた若き研究者で、コモンズの分野でも活躍されている。このところ、「森林浴」や癒しの森が再び脚光を浴びているけれども、この本はコロナ禍のにわか対策とは違って、継続されてきたプロジェクトのまとめである。「みんなでやろうよ」「森づくりは難しくないし、たのしいよ」と呼びかけてもいる。この演習林はカラマツを主体とした40ヘクタールだから、規模的にはずいぶんと小さいけれど、思い通りにデザインし地域ととけこむにはちょうどいいサイズではないか。大島山林の利用ゾーンに近いと思う。 ■11/23 ローカルコモンズの位置づけと大系 苫東コモンズを研究者としてサポートしてこられた小磯修二先生が、このたび岩波書店から新書版『地方の論理』を出しました。第3章「共生の思想-独占と排除を超えて-」の50ページ余りのなかで、苫東コモンズの地域事例の要点を7ページにわたってまとめて紹介しています。章の前半で論述されている現代におけるコモンズの概論から、後半の北欧を含む国内外の事例まで読み進むと、苫東コモンズ誕生の必然と同時に、このローカルコモンズの位置が大系のなかに浮かび上がってきます。地方から発想する意味も繰り返し述べられて、コロナ禍に沈む日本と地方を再考する契機が得られるような気がします。 ■11/22 今日は「小雪」 雑誌「致知」からの24節気メッセージに哲学者・森信三氏の言葉があった。「夫婦の仲というものは、良きにつけ悪しきにつけ、お互いに「業」を果たすために結ばれたと言えよう。そしてこの点に心の腰が定まるまでは、夫婦間の動揺は止まらぬと見てよい」。なるほどと思う一言である。腰が定まるというのは、希望であり諦念であり、白秋期特有の証でもある。 雪が降る前の、北国の晩秋のひと時、山仕事は格別である。物悲しそうで、静かだが、心が濡れるような癒しがある。 |
■11/20 神経痛と温泉の効果 毎日、温泉に2度、3度入る生活をしましたら、年寄がなぜ温泉で湯治をしたかったがやっと分かってきました。神経痛に悩む男の人体実験です。いい温泉は本当によく効く。朝まであったまっていられる。これはどんな薬にも優ると本気で感動しました。今から思えば、若い時の温泉なんて、宴会の付け足しにすぎなかったのではないか、みたいに見えてきました。昨夜、自宅に戻り、今日は一日、ヒグマフォーラムのテープ起こしをしてようやく完結しました。作業の最中に気が付いたことを、雑木林だより112に、小論「勇払原野のヒグマ考、その後」にメモとしてまとめてみました。 ■11/15 和む庭、ほっとする庭 先日、市内Oさんのお宅に伺った折にお庭を拝見。本当に草木を世話するのが好きでたまらない人の庭である。大学や研究所の実験圃場の趣があり、美的かどうかとは離れて、手の入った跡が歴然とし感じられる。庭はそれだけで和みがある。それは人の手がかかっている里山とよく似る。その遠浅の雑木林では、今季の林のガーデニングが本格始動。なお、明日から数日、更新をお休みいたします。 ■11/13 老いるにつれ、人生はより楽になる、その訳は さすがであります。新聞の新刊紹介で、桜木紫乃さんは凡人が60年以上をかけて到達する感慨を、ひとこと、こんな言葉にまとめています。「忘れて良いものは、老いと病いの力を借りてちゃんと肩から落ちてゆくようになっているのかもしれない」。これは実にその通りで、悔いても仕方のないことを、古希を迎えるころ、すとんと落ちた。もう振りかえらなくてもいいよ、もう間もなくあの世に行くんだから、これからは前を向いて本当に楽しい、生きがいのあることを求めて生きなさい・・・。これが獲得能力でなく、衰退の一つである「忘却」による結果だというのが、なんとも人間らしくうれしくもあるわけです。耄碌する前に現れる、花園のような世界とでもいうのでしょうか。 ■11/12 里山風に半日だけの山仕事 晩秋の小春日和、雑木林は和み、落ち着く。マイペースで半日だけ、掛かり木を片づけた。里は収穫を終え、秋色に染まっている。田園のはるか彼方には、日高の秀峰、幌尻岳と北トッタベツ岳が真っ白だった。いよいよ秋、深まって冬、遠からず。 ■11/11 チミケップ湖の余韻 この秋、思い出に残るチミケップ湖とホテル。森と湖、そしてオーベルジュという絵にかいたような組み合わせが、長年思い描いていた通りの姿で実在したというのは、少なからず驚きでした。森と湖と静かな、余計なものは何もない宿。朝夕の散策時、生き物と空気が語りかける環境は、ありそうでないものです。ここにあったのはある種の完璧。 ■11/10 ハスカップの後見人とは誰か? 長い間、表題の答えを探していたわたしですが、ハスカップに特別の興味をもつ北大の大学院生Sさんに問わず語りに話をすることになり、そのさなかに極めて当たり前の発想にたどり着きました。それはハスカップの後見人とは、野生ハスカップであれば、自生地を所有している地権者と見なすべき、ということです。これまで、北海道で(=日本で)最も大面積で自生地を所有してきたのは新旧の苫東会社であり、この大半は遠くない時期に北海道に移管されるので、好むと好まざるにかかわらず、一義的後見人は、北海道と苫東会社(所有する工業用地と緑地にまだまだ自生している)になるということです。 ただこの場合、この2者が積極的に管理し利用することはあまり想定できませんから、「形の上での」という限定付きになります。では、実質上は誰になるのか。ミクロであれば、栽培ハスカップの後見人は栽培者となるけれども、マクロに見た場合、誰が土地を所有するかを超えて、万が一所有者が変わっても、原野に自生するハスカップと一帯のコモンズを「いとおしく見つめ、食の文化として関わる人」がいれば、きっとその人、そして集団が、真正の後見人ではないか、つまりこの実のなる灌木と食文化を共有する人たち、と割り切ってもいいのではないか、ということです。そしてその周辺にはハスカップを資源や材料、時に研究対象として関わる多種多様の関係者がいらっしゃるわけです。ざっくり言ってしまえば、ハスカップの本当の後見人とは、「ハスカップ(コモンズ)のファンクラブだ」、と言えるでしょう。ただこれは、はなはだ残念なことですが今のところ形がありません。 ■11/9 立冬の翌日、いよいよ雪降る 昨日8日朝は、家並みの彼方に雲がない、素晴らしい快晴で、しかも立冬。24節気は北海道の季節暦と実によく合っているといつも不思議に思いますが、その翌日、しっかりと雪が降り始めました。やはり。夕べは木枯らしのような風も吹いたから、雑木林の紅葉のほとんどは地上に降りたかもしれません。北海道のコロナ感染は今日ついに200人越えになりそうですが、今朝は未明に財団時代、いくつかの研究会でご一緒した佐藤郁夫先生の『新たな日常における目的の共有がソーシャル・キャピタルへ』という短い提言を読みました。見知らぬ有益な隣人らとつながっていくボストン生活の興奮が伝わってきました。時はリナックスのOS構築のころ、当時わたしは、コンサル系の仲間と Xooops(ずーぷす) という持ち寄りのモジュールを作ってくみ上げられた使い勝手の悪いSNS立ち上げに取り組み、結果的には1年を棒にふってmixi型のSNSに移行し、その後10年、社会実験に取り組んだことを思い出します。なんとも地味な話です。(-_-;) ■11/7 チェンソーのレッスンで これから始まる雑木林の除間伐作業を前に、チェンソー技術の自己研鑽を開催。そこでは、モデル実演をしてもらいそれを見ながら伐倒の感覚を呼び戻すようにした。久々に新人もいて、教え、学びながらの数時間となった。あまり実力の伴わない私も、マンツーマンで教える側になり、先月に続き今季2回目となってしまった。そして思う。 「不立文字」という言葉があるが、仏教の密教世界は教えのその先は、自らの実践の中からでないと奥義を会得できないという。その起源にはヨガ(曲芸的なストレッチでなく冥想の方)があるようで、理屈ではない、集中と放下をみずから体験を繰り返さないと梵我一如の境地に至ることができないといわれる。 それらの教えの中では言葉に逃げてはいけない、という感覚を知った。アイヌは狩猟や生き方を、文字で固定するよりも経験による体得と伝承に重心を置くのだという説も、わたしはヨガや密教につながるものを感じる。さらに正しい呼吸をできない者は狩猟者として失格で獲物を収穫できないという、ピグミーだったかの教えにも通じる。呼吸はしばしばスピリチャルであり、宗教にもつながる。大げさだが、木を切る仕事は、そこに通い合うところはないか。私はあるように思う。 ■11/6 大統領選と日本、そして地域の将来 雑木林や庭、そして地域の自然や風土と何の関係もなさそうにみえる米国の選挙をネットの動画を中心に見ていて、米国メディアのほとんどすべてが民主党支持の報道をするなか、それでも米国では世論の半分がトランプ氏を支持するバランスに、情報社会そのもののありようが明らかに変わったな、と思います。台湾や尖閣をとろうと動き、国賓で来日を切望する大国を、今、勝利目前にしている候補者がまあ、いいんじゃないの、という立ち位置で語ってきた選挙戦の終盤、我が国の国会の質疑は、モリカケが学術会議に代わっただけで、野党のパフォーマンス優先は相変わらずです。加計学園の時に、もと愛媛県知事の参考人質疑(あそこに明確な真実が示され結論があった)を全く無視して、元事務次官の発言のみ報道してきたメディアの姿には心底愕然としましたが、面倒な真実は無視する姿勢と停滞願望は不動のようです。市井に生きる庶民の、身近な暮らしのはるか遠く、先の将来に、これらは偏ってしまった歴史認識と同様、重く、暗く影を残さないか、とても他人事と思えずに見つめざるをえません。 ■11/5 視察とヒアリング相次ぐ どうしたわけか、先週、コモンズ関係で4,5件の視察やヒアリングや資料照会があって対応に追われました。今日はその一つ目。当別町の里山プロジェクトのために3名がおいでになり、大島山林のテントのストーブを囲んで語った後、急いで育林コンペと静川の小屋に回って、里山景観づくりなどで意見交換。先週すでにつた森山林は見てくれたようなのでスムーズに話題は進行した。理解が早い、同好の志のような男女だったから、つい能弁になり、次々と脱線寄り道して調子に乗って経過と到達点を語った。関連することが湧いてくるのを内側に感じて、ああ、これは歳だな、とやや自虐的に気づく。小屋はさらに落ち葉が増えまさに紅に染まっていた。ようやくウシコロシが黄葉し赤い実が新鮮だ。森林の癒し、里山、森林美学、コモンズ…。メジャーではないテーマに、人知れず理解の深い人がいて、だから世の中は面白い。 ■11/3 光源氏を取り巻いていた庭や里の風景 源氏物語を紐解いて約ひと月、1000年以上前の日本人がかくも情緒豊かな、和をもった世間をつくっていたかを垣間見て、すっかり虜になりました。光の君の恋愛遍歴を軸にして、平安の宮廷とその周辺社会や風物が頻繁かつ克明に描写され、往時の都を彷彿とさせます。例えば「薄雲」の章で、光君がある女御に「…一年のうち移り変わる四季折々の花や紅葉、空の景色につけても、気のはれるような楽しいことをしたいものです。春に咲き誇る花、秋のみごとな野、それぞれ人が優劣を競って論じていますが、なるほどとその季節を味方にしたくなるようなはっきりした結論はないように思います。唐土(もろこし)では春の花の錦に優るものはなしと言っているようですし、和歌の言葉には、秋の情趣を取り上げるものが多い、どちらもその季節季節を思えば目移りがして、花の色も鳥の声もとても優劣などつけられません。手狭なわたしの邸(やしき)でも、四季折々の魅力が味わえるように、春の花咲く木も植えて、秋の草も野から掘り起こし、聞く人もいない野辺の虫を放したりして、どなたにも見ていただきたい…」。庭や里の美学は時空を超えてそう大きく断絶はしていないように思われ、そこに日本人の一筋のつながりを見るのです。 ■11/01 古希なのだそうで 昨日の帰りがけに見た小屋周りの紅葉は見事でした。以前書いた「落ち葉浄土」の雰囲気もチラとにおわせ、黄昏を演出、そして今日、古希の誕生日を迎えました。古希などというとガクッと力が抜けて老いの世界が迫ってくるような気もしてしまいますが、初志貫徹、晴林雨読の実践と、わずかばかりでも森羅万象により重心を置いて、学び、地域に役立つ途を探してみたい、と殊勝なことを考えています。11月、ようやく、コンスタントに薪ストーブを焚きたくなる季節が来ました。 ■10/31 育林の方法を試し、寸評、そして将来を展望す 個人またはグループが時間をかけて森づくりを競う「育林コンペ」。平成9年にスタートして、現在は24年に再開した2ステージ目。今日は、29年から参加した厚真森林(もり)結びの会と札幌ウッディーズの2グループが、「目標とする姿」「今やっていること」「課題」の3つを軸にプレゼン。広大な放置林を思えば、焼け石に水、千里の道も一歩から、いろいろな格言を思い起こす、地味だがこれからますます不可欠な社会実験。 ■10/30 歳とブランクの効用 リタイヤを機に、30年ぶりにクラシックギターを再開しましたが、思い出せば先生について習った同好者には、「基礎を無視したごまかしだ」と酷評されていて、今はそれを思い出して楽譜に書かれた細部に忠実に心がけ、かつ音量もメリハリをつけて明瞭に音を出すよう心がけているところ。このままなら往時をしのぐとやる気を出しています。 久々の湖のキャスティングも、近年は年にせいぜい数回、それも渓流だけだったので湖のゆったりしたキャスティングは15年か20年ぶりでした(その際のyou tube の動画は前掲再録こちら)。しかし、驚くべきことにかつての欠点にすぐ気づき、そこを訂正したらぐんとラインがきれいに飛ぶようになりました。歳とブランク、侮るべからず、です。 ■10/29 道央にもどってアルテピアッツァ 旭川の見本林に立ち寄ってから、美唄のアルテピアッツァに寄る。28年前できたばかりのころに来て以来で、随分と印象が違った。施設も市からNPOの指定管理となったようで、カフェでコーヒーをいただきながら担当の女性にいろいろ経過をうかがった。安田侃さんと親交があって運営にかかわっていたHさんが、昨年亡くなったことをこの時初めて知った。誰もいない空間でデンと威風を放つ彫刻は、ひとつひとつパワーがある。さすがだ。こうして対面してやっと彫刻の力に気が付いた気がする。写真のここは、作品とミズナラの大木とがうまく釣り合っている。今年の紅葉の旅はここで幕。トリップメーターは950kmを表示していた。あと数日で古希を迎える身にはちょっとハードだったかもしれない。 ■10/28 紅葉の湖で記念のキャスティング もうフライのロッドを振ることもないだろうと思っていたが、桟橋という願ってもないロケーションを得て、朝もやの消えかかった1時間、恐る恐る振ってみた。ゆうべ、薄暗がりでは魚の波紋が湖面に点々と見えていたので可能性はある。ダメモトで車に積んできたオービス6番ロッドにビジブルのパラシュートフライを結んだ。意外や15年前よりきれいにラインが飛んだ気がする。気温も水温も10度、もう来ることもないかもしれない場所で、最後かもしれない湖のキャスティングとなった。 ■10/27 チミケップ湖畔の宿へ 道東の紅葉を一口で言ってしまうのは早計でした。終わったところも、今たけなわの見どころも多々あって、何度も車を止めて画像を収めました。途中に寄った「神の子池」はすでに紅葉は終わっていて、案の定、ブームで作られた新スポットでした。その点、道すがらの牧場や農地と森林の紅葉のコントラストはこれぞ北海道と思わせる生活景がゴロゴロ。写真左は津別の奥、右はチミケップ湖のホテル前。 ■10/26 紅葉をさかのぼって 紅葉が八分の勇払原野から、道東にきました。オンネトーは森も山々もきれいに湖面に映しましたが、紅葉はすでに終わっていて、途中の夕張・紅葉山あたりがピークだったようです。養老牛温泉の夜10時まで、フロントに頼んでいたシマフクロウ到来の連絡はなかったものの、深夜目覚めて見た星空はなかなか寝かしてくれない、懐かしく、美しいものでした。今年8つ目の流れ星と人工衛星2つ。(追伸:シマフクロウは夜11時半と翌日未明3時30分に来た、と客が書くフクロウメモにありました) ■10/24 紅葉を追いかけて 午後から予定している「ヒグマのフォーラム」を前に、午前中は講師・青井先生を勇払原野に案内。約25年前トラジロウを捕獲した柏原の牧草地、大島山林、静川の小屋をめぐりましたが、紅葉のピークはあと数日後と見ました。コナラやウシコロシの葉っぱの緑が赤茶や黄色に変わったころ、それはやってくるでしょう。ヒグマのフォーラムの様子と概要はこちらを。 ■10/23 初めてみる風景の印象 勇払原野の林に初めてであった人に、それらはどう見えているのかはとても興味のあるところです。娘が切り取った父親のなじみの風景はこんな感じでした。今日は24節気の霜降。苫小牧も朝から雨風が強いですが、この雨が静まっていよいよ、霜の季節、紅葉が本番になるのでしょう。 ■10/22 今年の紅葉は遅れている 自宅上空でガンの渡りを見たのは、今年はまだ5,6回。夜中に目を覚ますほどの大群はまだのようです。上空を飛んでくれるので、ウトナイと我が家を結んで延長した先には、何があるのかは興味がひかれます。地図に線を引いてみると、大沼と駒ケ岳、そしてそのラインは国道36号や道央自動車道と並行しています。ワシタカの攻撃を避けるべく、道路の明かりを頼りに夜間移動するのでしょうか。ただ、その線下には北海道のワシタカが集まるマスイチ展望台やチキウ岬があります。あのあたりはどうするのでしょう。 千歳空港に娘を迎えに行った帰り、大島山林に寄ってみると、紅葉はまだまだ。キノコも新たなステージには至っていないような気がします。つまり、季節はしばし停滞しているのでしょうか。 ■10/21 歴史の真相をウォッチするのは面倒だ 何が本当なのか、この歳になってやっとからくりがわかりかけてきた。わかりやすい「真相」をつかんだら、人はそれを信じて疑わなくなる。真相は時間とともに明らかになるが、頭をリセットするのはものすごく面倒なのだ。修正するためには文献や議論に入り込まなければならない。竹田恒泰著『天皇の正史』も実に疲れる読書で、670ページのうちまだ150pを読んだだけだが、地球の人の起源から始まりDNA分析、考古学の現在の定説を紹介してやっと今神武天皇あたりに来た。ここまで付き合うのにため息が出そうなくらいにユルクナイ。驚いたのは最近の考古学では、日本の文化のある部分は朝鮮半島から渡ってきたと言われてきたのが、実は無人の半島に縄文人が渡ったことが明らかになっているらしい。また、北海道で縄文時代早期の世界最古の漆器が発見されているらしい。アイヌ先住民説もそこからひも解くとがらりと様相が変わる。しかし、頭を入れ替えるのにほとほと疲れる。自虐的読書と言えなくもない。 ■10/20 ヒグマのフォーラムと八王子からの開拓団 ヒグマに関する勉強会「今、トラジロウの軌跡に学ぶ勇払原野のヒグマ行動」(10月24日、午後2時から)が近づきましたが、石川県ではショッピングセンターにクマが籠城して駆除されました。ブナが2年続いて不作とか。クマにしてみれば深刻です。 苫小牧の博物館で八王子千人同心の企画展が開催されていたので先日行ってみました。あまり中身がなくて驚きでしたが、貸し切りで観覧出来たのは幸い。1800年頃の第一陣、維新のころの第二陣は飢えや寒さのほかに、ヒグマにも怯えていたのではないか、と想像しますが、いやいや、開拓に挑む根性の持ち主だった武士にとって、湿原の多い勇払原野の農業不適地での開墾の日々はそれどころではなかったでしょう。着手から220年、その時の流れとヒグマを含む森羅万象に思いを馳せざるをえません。 ■10/12 雑木林を引き寄せる庭と家 とても興味深い本に出会いました。わたしたちは、クマが日常的に往来するような雑木林で週末を過ごしますが、あの雑木(実際はそのミニチュア)があるガーデニングは自然派の都市生活者の憧れであり、ある種のステータスのようなものに聖域化されているようです。決して広くない敷地を上手に使って別天地を作り上げるのです。「雑木のある小さな庭づくり」「木漏れ日のある雑木の庭づくり」など類似した本もいくつか目につきます。ここでは雑木はイヤシロチの別世界を再現させる不可欠の小道具として扱われていますが、類似するニセモノでも、束の間でも良いのです。なぜなら大木にすることは所詮できないからです。それにしてもこれらを見ながら思うのです。わたしたちが向き合っている雑木林はあまりにもホンモノすぎる、平均年齢70歳近い年寄が挑むには無謀すぎる~。 ■10/10 紅葉前の賑わい 育林コンペのゾーンが一挙ににぎわった。札幌ウッディーズの定例の作業日で、今季初の作業に老若男女20名近くが参集したからで、林道は車で埋まった。一方の苫東コモンズは、思い思いのエリアで、山仕事にいそしんだ。キノコがまだ残っており、場はボリボリやラクヨウからチャナメツムタケに移りそうだ。わたしの山ではヒグマの足跡を見つけた。庭先にクマがでたというのではないところがミソ。 ■10/9 朝の外気は5℃、薪ストーブを焚く 昨日10月8日は24節気の寒露でした。10度を下回り、葉っぱの上に露を結ぶような、まさにそんな朝でした。そして今日は5℃。待ってましたとばかり、今季初めての薪ストーブに火をつけました。今回は、いつもとは焚き方を変えて、積んだ薪の一番上から点火。新聞紙の下は、薪ヤードで拾った木くずと、近所の人が届けたサンショウの枯れ木、その下に細めの薪、さらにストーブの床に太めの薪2本。ゆっくり燃えていく炎を見つめながら、秋が来たなあ、としみじみ実感します。 ■10/8 順調な日常の恐るべき伏兵、坐骨神経痛 昨年夏からの治療と養生で克服したと思っていた激痛が、10月に入って戻ってきました。冷えだろうかと昨夜は温かくし、そのおかげか朝までノンストップで熟睡したのですが、今朝、歩行困難状態でした。養生時を思い出し臀部に手の平を当ててみると、硬くこわばっています。身じろぎもせず熟睡したために、身体が固まってしまっているようです。間もなく69歳、昔なら立派な年寄ですからどんな不具合があってもおかしくないのですが、昔遠い無縁なこととして聞いていた、あの神経痛とやらが我が身にやってくるとは。ストレッチが良くないという説に与していたのですが、いやいや、そうではない、と今夜から反対側にぶれてさらなる養生に取り組みます。夜中トイレに起きるのも、悪くない、ということになりますが、是々非々、総合評価で行かねば。 ■10/7 これでいいのか、ポリティカル・コレクトネスの横暴 2,3日前のNHKのニュースで、ついにLGBTにQが追加されて報道されるようになりました。性的マイノリティへの配慮がますます進んで、セクシュアルマイノリティでも、LGBTに当てはまらない全ての人たちを表すというクイア(Queer)を加えたのです。いわゆる変態を指します。時を同じくして、日本航空がレディス・アンド・ジェントルマンという機内アナウンスの枕詞をやめると発表。これらの背景には、PC(ポリティカル・コレクトネス ・偏見と差別のない政治的妥当性)がありますが、これさえあれば何でもはねのけられるような横暴さが目に余りつつありました。米国ではオバマ大統領時代に、ある州ではトイレの男女表記がなくなりましたが、そろそろやり過ぎには声を挙げなくてはいけないのではないでしょうか?個人情報保護を叫んで国勢調査への協力を拒む、などもこの範疇でしょう。PCは、いろいろ便乗できる、使い勝手のいい言葉のようですが、事なかれ主義が議論を後回しにして生んだ弊害、という一面もありそう。 ■10/6 ヒグマのフォーラム ヒグマに関する勉強会「今、トラジロウの軌跡に学ぶ勇払原野のヒグマ行動」を10月24日、苫小牧市の市民活動センターで開催します。定員40人程度の会場ですので時節柄、席の余裕はあまりありませんが、ご希望の方はご一報ください。写真は今年の苫小牧東部のヒグマ出没状況です。これに厚真町分をつなぐと、恐らくヒグマのコリドーが見えてくるはずですが、初めてこのルートを可視化して見せたのがトラジロウでした。このトラジロウを捕獲し追跡して調査した青井俊樹先生らは、あれから20年以上たった今、どのような見解を示すのでしょうか。 ■10/5 庭の隅に集まる穂の正体 毎年この時期になると庭の片隅にやってくる穂があります。単子葉の草本だろうと目星はつきますが、さて、転がってくるのか飛んでくるのか。近所の空き地にまだ刈っていない雑草群があったので探してみると、どうもそれらしいモノがありました。みれば歩道の隙間などにもたくましくはびこって、車道の水たまりに沈没しているものもあります。そういえば、風の日にコロコロ回転しているモノがありましたがあれのようです。メヒシバではないかと見当をつけていますが、本当のところはわかりません。 ■10/4 なぜ、書くのか 森林や林業について数々の文章を発表してきた先輩が、公表するチャンスが激減し、かつ何のために書いているのかわからなくなる時がある、とおっしゃる。以前なら気が付かなかった深みも世の中に開陳してくれるはずだから、書かなかったり公表しないのはモッタイナイと返事したが、そう言う当方はどうか。あまた記録し、書き、何冊かの本も出し、ホームページへの書き込みなどは、もはや日課になっている。ただここまで来ると、誰が読んでいるか、読むに値するのか、という自問と一喜一憂を繰り返さなくなった。あまり迷わなくなったのだ。記録は発信の元であり、書くことは考えることである、と同時に、ものごとの核心につながる一歩であり、やがて体系となる可能性をもつ。森羅万象や人々と自覚的に付き合うことは、やっぱり書くに値すると思っている。共感を持ってくれる方と出会った時の喜びも格別だ。 ■10/2 ログハウスの採光改善に一歩踏み出す 作業の拠点の一つ、苫小牧市静川のログハウスの室内がどうにも暗すぎる。もとはと言えば、丸太のログエンドに雨があたりキノコが生えてきたために、10年ほど前にベランダに屋根を足したせいだ。キノコの発生が止まりベランダに雨が当たらなくなって雨天BBQも可能になった反面、室内が暗くなり過ぎて、総会など室内を使う際には昼でも照明が必要になった。一応、周囲の樹木も抜き切りして日当たりを良くしたが、あまり効果はなかった。そんな室内でヘビの抜け殻などを見れば、場は次第にケガレチに近づいてしまう。 であれば、窓をもうひとつつけることを考えたい。そこで建築に明るい業者さんに聞いてみた。丸太は40cmおきに鉄筋のダボが入っているが、もう設計図がないので、丸太の隙間に指金でダボの位置を確かめ、チェンソーで切って作ればよい、とのアドバイスだ。ガラスもホーマックで切ってくれるし、枠は2×4の部材で足りるという。サササッと概念図を描いてくれた。やり方はなんとなくわかった。スタッフと相談して進めることにしようか。面倒ではあるが、里山の手自然には、こうした手入れや手間を惜しんではいけない、と自分に言い聞かせつつ。 ■10/1放置林を手自然に変えるコモンズの知恵と技 表題は、今日の午後、苫小牧東ロータリークラブで行った卓話のタイトル(王子グランドホテル)。参加者30名あまり、話の後半すべて、DVD『勇払原野 苫東コモンズの10年』を使用。昨年発刊した『ハスカップとわたし』を5冊持参し、こちらは早々に完売。月が改まってさすがに寒くなってきました。 ■9/30 ユニバーサル・バンド 日本手ぬぐい 日本手ぬぐい、なににでも使える日本のこのスグレモノ。怪我の時の包帯や止血帯はもちろん、オーソドックスな頬かぶりと帽子がわり、鉢巻、マフラーやマスク、そしてそのものずばりの手ぬぐい、簡単な風呂敷替わりなど。山で沢の水を飲んだりした時に口の周りや手をを拭いたりするときは、これに優るものなし。木綿の肌触りのなせる技でしょうか。料理時のエプロンの前ポケットにもこれを必ずぶら下げ頻繁に手を拭く。雑巾にもなり、捨てるときは燃やす。いただいた先は、営林署など森林関係、お祭り、記念式典の記念品、同窓会記念、珍しいところでは神社仏閣の参拝記念。ただしこれは畏れ多くて手ぬぐい本来の雑な扱いが出来ず、TPOを選ばねばなりません。自宅に居るときの部屋着のポケットはこれ専門で、山仕事には必ず数枚持参し、首には玄関を出るときから巻いていますから、オニギリを買いに行くコンビニなどでは完全にいで立ちが浮いています。醤油などで煮しまったものも少なくないので家人は捨てなさいと迫るが、最後の雑巾の役割が残るのでそれもできず、困ったものです。 ■9/28 相撲ロス 安倍首相の退任後、随分と安部ロスの影響を聴きます。確かに穴が大きいほど失ってわかるものがあるものです。そして昨日は「半澤ロス」だそうです。大相撲ファンのわたしはいつもの相撲ロスでした。テレビ桟敷で早々にビールを飲み始める言い訳も消えました。熊本の山仲間に正代の優勝祝いメッセージを届け、大雨被害のその後を聴きました。大雨のあと、ミカン畑が土砂崩れに襲われ、農道をふさぐ土砂も今、一部自力復旧中とのこと。そのせいでしょう、正代の取り組みも実況中継は見ていないようでした。それだけでも現地の様子がしのばれます。わたしと同い年の彼も身体はかなりガタが来ています。手伝いに行っても役に立たないので、できるだけ早いうちに前の日常に戻れることを祈るしかありません。 ■9/26 ボリボリ、大爆発 作業テントの移設作業を終えてのちょいの間、大量のボリボリに狂喜する。 2,3日のうちに溶けると思えば切ない。これほど待ったのに明日がない。隣近所に配って、食べまくり、残りは冷凍保存だ。 ■9/25 杖とウォーキングポール 腰を曲げ杖曳くわれを映す窓まともに見るまで二年かかりぬ (兵庫・Wさん 小池光選 読売歌壇) 老いの現実を受け入れるまで時間がかかるのだ、と選者が評しています。身をつまされる方もおいでかと思いますが、受け入れるまでに心の堰があって、こちら側でずっと踏みこたえているような。もうすぐ卒寿を迎える方がそろそろ杖を使いたい時があるが年寄じみて嫌だ、とおっしゃるので、わたしも旅行などで使うウォーキングポールをお勧めしました。あれなら老化対応の補助具ではなく、前向きなスポーツ風になる上に、一本でなく二本、サポート力も倍になります。それでも見栄を張って使うのを控えたがるものです。 ■9/23 今年の気象と生き物の不思議 穏やかな気候だと思います、今年は。花のコンテナなどを片づけねばならないような荒天がありません。個別には、例えばカモメが空中でスーイスーイと虫をキャッチする不思議な日がなく、スズメバチが巣をつくらない、羽アリが飛ばない、などの声も。なにがあったのでしょうか。そしてボリボリがまだ出ません。蚊に刺されながらボリボリを採った思い出と重ねると、そういえば「蚊もいない」。ラン科の植物オニノヤガラが出るとき、結構ボリボリが出ますが、そのオニノヤガラが今年は見当たらない、などなど。ついでに台風12号はぜひ近づかないで過ぎてくれることを祈ります。台風崩れでも北海道に上陸すると、しばしば木をなぎ倒し余計な仕事を増やすばかりだからです。わたしたちは好むと好まないとにかかわらず、いつも天気、四季、自然に囲まれ、離れられない。 ■9/22 いよいよ『源氏物語』を読み始める 今日は24節気の秋分、彼岸の中日。気持ちのいい4連休の最終日だったが、不運にも待望のキノコ「ボリボリ」が出ていない。去年は9月の10日ころから採れ始めていたから、生物暦のうえからもちょっと遅い感じ。このまま終わる可能性だってある。 おとといの日曜日から源氏物語を読み始めた。その前に購入した『天皇の国史』とともに650pあまりで、読み始めた「源氏」(角田光代訳)は上中下3巻のうちの始めの上巻。出だしの数10pを読んで、これが1000年前の文学とは思えなかった。愛も憎悪も含めて、まさに大和の国の「情」の物語と直感。お恥ずかしいながら白状すると、桐壺、藤壺、光源氏の関係も、やっとはっきりイメージできた状態だ。もっと早く読むべきだったとも思うが、ゆとりある今がやはりベストか。 昨日の林では、ソーシャル・キャピタルのことと、新しい緑地管理の枠組みを考える記念すべき契機にあった。 ■9/20 百均のスピーカー 近々、10周年記念動画の音声を拡大する必要があって、頼りになる方に相談すると百均のスピーカーが馬鹿にできないという。この説に惹かれて、結果、300円と500円の2種類を購入しました。300円のはbluetooth で、スマホのラジオ音声などを拡大するのにいい。500円のそれは3ワットスピーカーが二つで、音が少し割れるけどかなり大きな音量が出せました。youtubeには、これらの操作マニュアルまでユーザーが懇切に紹介している。よく見るとマニアたちはこの機能と性能を活用して自分用に改良している。まるで、秋葉原の店で買った素材でモモ・ロケットを飛ばすような話です。なんでも百均で済ますのは考え物ですが、見直しました。 ■9/19 山仕事のあと、今日もキノコ観察 今日も午後からキノコの山へ。写真は採集後、同定を試みるoyama さん。奥は会員からのセロリとカボチャの差し入れ。 風倒木を片づけに林道に入ると、倒木のそばでも色々なキノコと出会う。マスタケのような赤も、暗闇の白も独特のインパクトを放つ。 |
■9/18 デジタル化の加速と電子決済の不安 (8/26から続く 3) 3週間前、携帯をソフトバンクからdocomoに乗り換えた際に、ipadを加え、月別支払い額を見直しクレジットdカードなど複数の変更をしたために、内容の把握があいまいで、そこに請求書が来たのであらためてショップで確認。やはりまだよくわかりません。自分のIT活用能力がかなり低いことがいよいよ判明し、まるで認知症でもなったかのように落ち込みました。契約行為はこれからは家人同伴です(このショックは内心、かなり大)。 オリンピックとインバウンド観光に迅速に対応すべく、経産省が急速に進めるキャッシュレス決済。遠からずほころびが出るだろうと予測する当方の足元がまずもって危うい状態です。高齢者用にセットアップ代行やフォローアップサービスがますます待たれるのではないでしょうか。と言いつつ、今日は午前中にネットで国勢調査を片づけて送信終了。鬼門は電子決済のセッティングだけであとはOKなのか。ゆっくり取り組めばなんとかなるものとならないもの、あり。やはり I T 社会は気が抜けません。 ■9/17 これからの読書と図書館利用 勤め人時代はなかなか手が出なかった日本の古典「万葉集」を周辺エピソードに寄り道しながら、1年がかりでぶらぶら覗いてきましたので、読書のメインストリームとなる次なる古典は、おおもの「源氏物語」です。本は別に買ってもいいのですが、待てよ、メモ魔のことだから早晩捨てることになる、これからは図書館も利用しようかと、中央公園の図書館に出向き図書カードを新調し、わざわざ自宅からインターネット予約をしてみました。受取は自宅そばのコミセン。これは便利です。メモはノートにすれば問題なし。節約できる本代は、安ワイン購入に向ければ一石二鳥、丸く収まります。 図書館のある中央公園は写真のように秋の風情よろしくクリが舗道に転がっていて、いい感じでした。で、あの世に召されるまで、読み切れない古典や歴史本がそこにあると思えば、感慨もひとしおです。これまた、超新鮮な感覚であります。 ■9/15 令和2年の緊張 読みさしにしていた『本当の昭和史』、最後の約20ページを完読。マッカーサーは戦後の米国の委員会で、日本の戦争は資源のない国の防衛であり侵略ではなかった、と証言しましたが、わたしが生れる1年前の昭和25年に始まった朝鮮戦争において、米国はシナ大陸が満州を含め共産主義になり朝鮮半島に攻め込まれていることにようやく気付いた、と著者・渡部昇一氏が書いています。共産主義が朝鮮半島に南下したのは、そもそも米国のアチソン国務長官が米国の防衛圏に半島を含めなかったためだった、米国の日本占領政策は25年から50年だったのを戦争勃発を受け急きょ変更し、昭和26年に講和条約を結んで、日本を西側に巻き込んだ…。 このあたりを反芻し、昨今のアジア、とりわけ極東情勢を俯瞰するとき、現在の日本もまさに相当な緊張感をもってあたらなければならないという自覚を覚えるのはわたしだけではないようです。安部首相から菅さんへのバトンタッチを片眼で見ながら、「誇り高く生きるために」もっと歴史を学ぼうと決意します。 ■9/14 デジタル化が加速されている (8/26から続く 2) 時間に余裕があるので、インターネットで何かを申請する作業にあまりストレスを感じないで付き合えるようになってきましたが、それにしても非常に、過度に、加速されていないでしょうか。給付金、マイナンバー、それに連動するマイナポイントなどの流れを経験した限りでは、ネットを駆使しないと手に負えない、いや相手にされなくなるという予感がします。幸い、仕事でもスキルアップしてこれたので問題はないものの、そうでない方々、いわゆるIT弱者も多いはず。この加速はこのような方々を振るい落としてしまわないか。Go To トラベルしかり、スマホの更新もしかり。決済の不正対策でパスワードやアカウントの管理が複雑になっていくので、気を抜くと訳のわからない、とても緊張する世の中になりそう。やれやれ、(-_-;)です。 ■9/13 高橋義男氏、「致知」でインタビュー ドキュメンタリー漫画「義男の空」のモデル、北海道の小児脳神経外科医・高橋先生が、人間学の稀有な月刊誌「致知」に登場しました。漫画は大分以前に読みましたが、ご尊顔は初めて拝見、わたしより二つ年上でした。正義感ゆえに壁にぶつかってその逆境を乗り越え、患者側の親子に絶大の信頼を持つ氏の語りには、医療にかける信念と熱い思いがにじみます。頑張る人の考え、息吹に触れることの大事さも改めてわかりました。人間としてかくありたし、と思わせる普遍的価値を体現しているようです。こういう方の謦咳(けいがい)に触れると元気がでます。 ■9/12 キノコパラダイスの雑木林を歩く 雨が降る直前、雑木林のキノコを見て回りました。なんという多様性、なんという包容力。 ■9/10 脚立が怖い お金で済めばそれでいい 正直、脚立というものが非常に怖くなりました。小さな庭の一角にあるレンギョウ(写真左・作業後)が再び伸びてきたので、脚立に登って刈りこんでみたのですが、内なる声が「もう止めたら」と囁くのです。今季初回、電動のトリマーをポールに取り付けて剪定したのが7月、この時は腕が痛くなり、この方法はあきらめました。今回はできればパスしたい。毎日、ハンギングの花柄(写真右)を摘むために、脚立に登っている間も、実は転倒の心配が消えません。先日も部屋の蛍光灯とグローランプを交換する際に、小さな脚立に乗るのが怖くて、庭の脚立を持ち上げて、家人の助けも借りて事なきを得ました。高齢者が脚立に乗るのは危険だとはよく聞きますが、それが自分のことだとは気づきませんでした。話は戻って、レンギョウです。ホーマックなどで、長いアームのついた高所剪定ばさみを売っていることを思い出して出かけてみましたら、ちょうど手ごろな値段で買えました。何年か使わざるを得ないことを考えると安いものです。そうか、加齢に伴う体力や能力の衰えとの付き合いはこうするのか…。時には人任せ、金任せ、そして危うきはスルー、パスです。このレンギョウの藪は、目下、スズメの寝床になっているようです。少しいいことをしたような気分。 ■9/9 わたしたちは紫式部 標記のフレーズは、科学者としてネットなどで発言する武田邦彦氏の、言いえて妙なここ一両日に聞いた言葉。わたしたち現代人はわかっていないことだらけだ、という謙虚さを表現するときに援用したものです。「先入観には気をつけろ」ともよく言っています。。紫式部が飛行機をみたらどう思うか…。火の玉か、UFOか…、確かそんな文脈の中でした。未科学領域をしっかり認識しながら、常識のウソを明示し科学してみせるする姿勢は、わたしには新鮮でした。今でも印象に残るのは、古くは、「レジ袋は熱量揚げるのでダイオキシン減にプラス(廃止はエコじゃない)」、最近では、「コロナに感謝しよう(人の喉の粘膜はウイルスが付着する面積が小さく限定されているので、先にコロナウイルスが付着すればインフルエンザにならない。事実そのとおりとなった)」、などなど。後者は、英国だったかの最新医療情報・レポートを読んでの話でした。あのスピード感はすごい。紫式部という言葉選びも見事ですが、わたしは柿本人麻呂か舎人親王あたりに例えておきましょうか。 ■9/7 秋への一歩か、白露 今日は二十四節気の白露。空気中の水蒸気が朝方の低温で結露する様をいうのでしょう。ここ数日、気温は高めで推移していますが、もう時間の問題。というのもハンギングのインパチエンスが急速に結実を始めたからです。私はこの実ができるだけ小さいうちに見つけて摘んで花の期間を延ばすことを日課にしていますが、いくつも見落としが出てくるようになりました。また、あちこちの家庭菜園から、最後のスイカやトマト、そしてイモ、白菜やズッキーニ、青ジソなどが集まってくるようになりました。秋の入口を象徴する地方ならではの恵みです。ここに時たま、サケ(秋味)が加わり、雑木林ではボリボリなど山菜採りがスタートします。ところで台風10号は今のところ大惨事は免れることができたのでしょうか?こんなもろもろに、合掌 ■9/6 薪ストーブの煙突掃除 8月も押し迫って2年ぶりの煙突掃除をお願いしました。雨が降る直前、煙突の煤も無事とり除かれましたが、でてきた煤は写真右の2リットルほど。職人さんは、実に良く燃やされていると太鼓判を押します。3次燃焼のための触媒もまだまだ使えそうで安心しました。あと1か月もすれば、霜が降りた朝など、早々に薪に火をつけることになりますが、待ち遠しい限りです。 ■9/4 イワシが食べたい 連日、道東でイワシの豊漁が報じられますが、苫小牧のスーパーにはサッパリ出てきません。胆振には回遊していないのでしょうか。思えば、岸壁に沖から次第に寄ってくるイワシを、ウェーブのように釣り人の竿が上がり始めて群れを待つあの興奮と、あの味は忘れられない。まず、タタキで2,3回、次に水煮で食べたい。サンマとイカはあきらめました。 ■9/3 台風9号と10号 1200年代後半の元寇は、2度とも嵐や暴風雨で、多くの敵の船が沈没。1回目(文永の役)は敵兵4万、2回目の弘安の役は10数万の大軍とされる。長崎の「まつを」さんが紹介している気象マップ(earth.nullschool.net)を見ながら、今の台風の渦を見ていると、歴史で習うような「神風」などではなく、毎年の恒例行事みたいな、季節の現象だったことにあらためて気づかされる。災害列島、日本の、災い転じて福、である。元寇をさかのぼること1200年の西暦200年ごろには神功皇后の三韓征伐が記録されている。なんと、日本が大規模な遠征を行って、朝鮮を征服した話である。でっち上げられた慰安婦問題なんて軽い話に見えてくる。 ■9/2 報道の不可解さ、ホントかな? 報道の自由とはよく聞きますが、報道しない自由こそ、近年注目されるマスコミのビッグパワーとされます。ワイドショーなどみていれば、表現された内容で民意が誘導されていくのは道理です。これは風景が、見えているモノと見えないもので構成されるという原理と酷似します。新しい首相選びの以前から、石破氏の人気が高いという評判で、当初は地方の党民票でした。地方創生のころからで、それはなんとなくあり得ます。それがここ数日、「国民の人気ナンバーワン」になりました。 なにかおかしくないか、という人は次第に増えて、ジャーナリストの門田隆将氏は twitter にこんな書き込みをしていました。「夫婦別姓推進、女系天皇容認、習近平国賓来日実現、創氏改名への誤解等、この人がなぜ自民党なのか本当に不思議。自民党時代も、野党時代も、自民党に復帰後も、裏切りの歴史を重ねる石破氏を支持する人が私の周りにはいないので、マスコミが“一番人気”とする根拠が分らない」。ひょっとして、マスコミは今回、数字のあからさまな捏造というとんでもない禁じ手に手を出してはいないでしょうか。それも大手数社が。新総理の行方より、わたしはこちらの解明に関心を持ち始めました。本当にアンケートをしたのか、どんなふうにやったのか、知りたいものです。 ■9/1 すぐれもの 「UDトーク」 先日、聴力に障害を持った方とお会いした際に、じっとスマホを見ているので聞くと、わたしの音声を瞬間的に活字にしてみることのできる「UDトーク」というアプリで変換された文字を読んでいるのでした。しかもこれがフリーソフト。正直びっくりしてしまいました。議事録などを作るとき、滑舌の良い音声に置き換えたりすれば、かなり省力化できることになります。これでどんなにか助かっている人がいるかと思うと、ITビジネスの温かい使命のようなものを感じて温まります。WINDOWS のOSで儲けるか、リナックスのようにフリーのOSをみんなで作るのか、真逆の関係があります。 ■8/30 10周年の記念誌と動画が完成 NPO苫東環境コモンズの設立10周年を記念する冊子と動画「勇払原野 苫東コモンズの10年」がようやく出来上がり、8/29、記念する夕べを苫小牧市内で開催しました。 記念誌は、グラビア6ページに思い出の画像42枚を冒頭で紹介、活動するメンバー24人の寄稿、10年間のニュースレター全25号、最後に、NPOの活動を環境コモンズ研究会の立場に立って第三者的に取りまとめたレポートで構成され、全145ページ。一方、同名の動画は23分40秒の大作。いずれも会員のストックと編集の手作業によるものです。記念誌は新旧の会員、お世話になった関係者にのみ配布され、限定70部は内部資料の扱い、動画は youtube にアップしました。 ■8/29 正光寺でハスカップと雑木林のコモンズを語る 若くて元気な I さんの招きで、高砂町のお寺さん「正光寺」で標記のお話をしてきました。少人数の、銘酒と酒肴をいただきながら、互いにやり取りしながらの2時間。ハスカップからコモンズへ、そして雑木林へ。地元感覚をたっぷり持った方々とのお話は楽しく勉強になります。ハスカップ本を4冊ご購入いただきました。酒肴はカツオのたたき、ミニピーマン素揚げと揚げ出し豆腐、そして写真のニセコ酒造の酒かすのハスカップのせ。酒かすは一見ヨーグルトかと思いデザート用に残していたら、あにはからんや。酒かすで酒を飲む、という共食いの飲み方、なかなか良かった。いずれも I さんの手によるもの。「早く仕事辞めて、居酒屋開いてよ」とわたし。住職はじめ面々の日本酒に関する蘊蓄もなかなかと見ました。わたしが認知症になる前にまた呼んでくれるとか。 ■8/28 美ら海の素潜り漁を見て 若い海洋冒険家、八幡暁さんが八重山諸島の美しい海でシーカヤックを漕ぎ、小さな川を遡行するシーンなどを、どこか身近な雰囲気だなあと見ました。サンゴの海に素潜りして魚をついて食事する。サンゴの海の岩陰などに潜む魚を一匹ずつコツコツと、だから漁業ともいえない。必要なだけ獲るので資源は決して枯渇しない。このサイズ感、生業感、エコ感覚が、わたしたちの雑木林と薪ストーブのある暮らしと結構似ているように感じるのです。四季を通して美しく、いろいろな生き物を受け入れるところも。 ■8/26 iphone11を購入したらipadも付いてきた 仕事を離れて携帯による交信も閲覧も減ったので、契約内容だけでなく機種も替えることにしました。マイナポイントが ios13 以上でないとアプリがダウンロードできない、などもあります。さらに、SBがサービスエリアがやや狭いため、苫東などの郊外の山林は電波の入りが悪いという事情もあります。それで iphone を 6 から 11 にグレードアップし、SBから、家族割引の効くdocomo に切り替えることにしたのです。で、docomoショップで手続きをしていると、昨今は、「機種を長持ちさせるためにすべてをスマホ端末にやらせるのではなく、通信は主としてスマホ、webや画像閲覧などはタブロイドで、というサービスを始めた」とかで、なんと、通常の価格に ipad がおまけのように付いてきました。ついこの前まで、タブロイドだけでも5,6万円はしたのが、これではタダ同然で入手したようなものですので、最初は話の意味がわからず、当惑したのは当然です。現地の案内などのためにタブロイドがあると便利だなあ、と考えてきたので誠にラッキーでした。また、勤め人の頃はIT系のシステム移動やデータ処理はストレスでしたが、さすが、今は焦る必要がない。ゆっくり構えていい、というのは本当に素晴らしい。 ■8/25 万葉集で感じた日本の誇り、受け継いでいる日本人の感性 この一年近くの間にゆっくりと浸ってきた万葉集の世界、基本テキストとしたのは中西進先生の『万葉の秀歌』でした。全20巻4500首のうちから252首を選んだ1冊。540ページの過半を読み終え、残りは楽しみに取っておいて、また時々読み直してこの世界に浸ることにしました。雑誌のわかりやすい解説も助けに、渡部昇一氏の『万葉集のこころ日本語のこころ』なども併せて読んだのも良かった。古事記、日本書紀の入門をくぐって、万葉集に向きあってみて、あらためて日本に生まれた誇りのようなものと、花鳥風月などの雑歌、別れを悼む挽歌、男女のきづなの相聞歌に、日本人的こころの源泉のようなものを感じます。今は、「令和」という元号を選んだ幸運と、当面する世界と近隣情勢の過酷さ、国民の犠牲を伴うだろうこれからの何年かを象徴する折り返しのまさに渦中に日本はいますが、令和元年と2年にやっと気づいたこの原点のようなものは、個人的に大きな意味を持つだろうと思えてなりません。 ■8/24 昨日は処暑、半月後に白露 暑さが和らぐという処暑ですが、特にひどすぎる暑さは、ここ北海道・胆振では無縁のうちにもう秋めいてきました。次の24節気は白露ですから、この字を見ただけで、ああ秋近し、の感を強くします。勇払原野はススキが見え始めました。黄色の花は次第に紫の花々に代わっていきます。9月に入ると庭のハンギングもやや疎になって、5月末に与えた肥料も切れかかり、濃い緑が黄緑に移ろっていきます。 ■8/23 シナモンロールとコブシの緑陰 このごろ、休みの日など(いや毎日が休みなので、休日気分になった日)にはシナモンロールを食べたくなる。どうも最もコーヒーに合うような気がする。大分前にフィンランドに行った際、訪問先でほぼどこでもコーヒーとシナモンロールを出された。発祥はスウェーデンとも聴くが、フィンランドの「フィーカ」というお喋りの休憩習慣に欠かせないらしい、と訪問経験のない家人が教えてくれた。「行ったのにそんなのも知らないの?」という感じで屈辱的だが、全然覚えていない。いつもは近くのパン屋さん(ル・ブーランジュ・ozo 製 アップルとクルミ入り 写真)に求めるが、レシピを見ると自分でも作れそうだ。 シナモンロールとは全く関係ないが、昨日8/22は雑木林のフットパスで数人でずっと刈り払いをしていた。各々かなり離れて仕事をするので、休憩もそれぞれだ。わたしは強烈な光線に透かされて輝くコブシやサワシバの緑陰で、独りのフィーカを水と涼風だけで済ませた。 ■8/21 大前研一「世界の潮流2020-21」 毎年一度は氏の「潮流」を覗いてみる。「2時間でわかるコロナ・ショック後」と帯にあるくらいだから、コロナ禍の不安をうまく購買につなげる出版社の意図か、拙速の感じが否めずで内容の密度が薄かった。その分、キーワードが盛り込まれていて氏の主張の輪郭が短時間でわかり、浅学な当方には好都合だった。日立の原子力技術者からマッキンゼーで働き、重慶や大連の経済顧問をし、李登輝元総統と面談し重要な提案するなど、世界の頭脳、アイデアマンとして面目躍如たるところが良く見える。移民政策必然論、中華連邦構想、中国を利用するクオリティ国家志向、これからの国の運営ワンチーム論など、あ、それに容赦ない安倍政策批判など、いつもの一刀両断で頭が少し柔らかくなった気もする。かつて北方領土は負けたら取り返すしかない、と実に言いにくい直言をしていたが説得力があった。日本の腰の引けた外交ロジックも、その後の現代史勉強で少し謎が解けてきたが、耳をすませば近年、尖閣は台湾の領土だと発言しているそうな。その台湾が、コロナ禍の昨今、尖閣や鹿児島を空から見る観光を、日本の許可を得てやっている、と今日のネットニュースで知った。なかなかの意味深な日台のやり取りだと思う。 ■8/20 クロホウジャクがまだ来ない アゲハの大発生がまだありませんが、毎日のようにキアゲハのような蝶がポツポツと顔を出し、おとといは黒いアゲハが来ました(写真)。筒状花に体を埋めて寝ている蜂がいたりして微笑ましいものがあります。しかし、一部でアブラムシが出てきて、4つのハンギングのうちの一つでは、インパチエンスの花びらがちぎれるように食べられています。昔、追跡したことがありましたが、犯人は夜間のナメクジ。わたしが待っているのは、ハミングバードのようにホバリングしてインパの蜜を吸うスズメガの一種のクロホウジャク。これがまだ来ません。万物が湧くような饗宴がないまま、この夏は終わりでしょうか。 ■8/19 瞑想の力 ヨグマタ相川圭子氏が書かれた同名の本をお贈りいただいたので、寝る前の小一時間、3分の一ほどを読んで寝たところ、今朝早朝の瞑想がことのほか深く、長いものになりました。不思議なものです。深い瞑想を経験して初めて、日頃の自分とは違う、やさしくいとおしい本当の自分に出会います。いずれゆっくり書いてみたいと思います。 ■8/18 武四郎の涅槃図 昨年の3月にも書きましたが、松浦武四郎は晩年、自らが没する時の理想を、涅槃図として知人の絵師・河鍋暁斉に描かせました。釈迦の入滅の図をもとにしたものです。絵巻の箱の蓋に「北海道人樹下午睡図」とあることから、てっきりこれは武四郎が北海道を舞台に仕立て、歩いて見た光景や交流をイメージしたのか、そう思って拡大してみると、絵巻の手前の方には悲しむ(?)鹿やツル、鷹、ヘビなどが書かれていますが、アイヌの姿はちょっと見つけることができませんでした。 生き物たちに囲まれた光景は、色々な野生生物が行き来し出会った、あの雑木林のテラスを連想させますが、野生生物と空間を共有するのは、現在のわたしにとってはそんなにこころ穏やかなものではなくなってきました。できればご免こうむりたい。生き物の影がかつてなく濃厚に感じるようになったせいでしょうか。昔なら何とも思わなかったのに、小屋にひとりで寝泊まりする元気も失せてきました。田舎志向、自然志向などという掛け声も今は空々しく聞こえます。エアコンや暖房の効くきれいな室内、虫もネズミも来ない、人工空間を確保したいのでしょう。なぜならそれが休まるから・・・。と、ここまで書いて、「あっ、これは歳のせいだ」と今頃気づく鈍感さ、めでたし。 ■8/16 江戸時代は子供の天国だった 「日本人の誇り」で思い出したのは、渡辺京二著『逝きし世の面影』です。この本は幕末から明治にかけて、日本を訪れた外国人たちが、日本をどう見ていたかが、延々、これでもかと描かれていて、正直、日本はこんなにいい国だったのか、とびっくりした記憶があります。日本人にこんな美徳があったのか、こそばゆくなるほどの驚きの称賛も盛られていて、この国を心底誇らしく感じたものでした。さらにそのなかでは、大人が子供をとても大事に育てていることが細かく描写され、外国人たちに、江戸時代の日本は「子供の天国だ」と思わせたようです。手元の本の帯には「絶賛の声鳴りやまぬロングセラー」とあります。渡辺京二氏には『黒船前夜』という興味深い著作もあり、この中では松浦武四郎の、和人による蝦夷地の統治に批判的でやや自虐的にも見えるアイヌ観、民族描写とはかなり違った観点で、アイヌと和人の関係を見ています。ウポポイでアイヌの表現が多々なされている昨今、複眼的視点を持つ助けになります。 ■8/15 李登輝元総統の言葉 75回目の「敗戦の日」を迎えて、日本武道館の戦没者追悼式の黙祷に合わせ、310万人の戦没者に哀悼の意を捧げました。つい先般は、台湾の李登輝元総統がご逝去になられたため、日本からは森元総理らが世界で最も早く弔問に出かけ、持病もあって日帰りされたことが一部で報じられました。森元総理は弔問の後のインタビューで、李元総統が日本人に対し、日本は敗戦の中で自虐的になってしまった、もっと誇りを持つべきだ、そしてもっと自信をもって世界に貢献せよ、と常に励まされたことに触れました(台湾の今日新聞NOW NEWSのライブでのあいさつは動画の33分から5分ほど)。敗戦後の日本は、戦勝国・米国が日本人に埋め込んだ罪悪感の洗脳戦略(War Guilty Information Program)が実に功を奏し、今も続いていることはあまり知られていませんし、自覚されてもいません。慰安婦も南京もここから生まれ、執拗に根深く仕組まれた大キャンペーンでした。はたして日本はこの縛りから脱却する日はくるのでしょうか。そんな中、靖国神社の参拝者が長い行列をなしているのを、作家の門田隆将氏(『疫病2020』の著者)は、twitterで「ドリーマーが減り、リアリストが増えている」実感をレポートしていました。 ■8/14 庭を訪れる昆虫 勤めを終えて初めて迎えるガーデニングのフルシーズン。ハンギングに苗を植えたのが5/29ですからざっと2か月。丸型のハンギングは直径60cmを越え、ベランダのコンテナもようやく容器が見えないところまでせり出して来ました。雑草取り、花柄摘み、水やりなどをこんなに余裕をもってできる時間はなんと贅沢なことか。この2,3日は珍しい猛暑ですから、水切れを起こしやすいハンギングは水やりを2回しました。蜂やチョウの飛来も楽しみで、今年は特に、ハチドリのようにホバリングして蜜を吸う蛾、「クロホウジャク」がやってくるのを首を長くして待っているところ。 ■8/13 流れ星 3年ほど前までは、毎年5,6個の流れ星を見たのですが、このところは全く不発でゼロ。それが12日夜はふたつ、おとといの11日は霧の合間にひとつ、合計3つ見ました。昨夜10時ころは、北極星の東側にカシオペア座があり、そのあたりから隣の屋根越しに南へ飛んでくるものを、夜目に慣れたころに余裕を持って観察。かつては居間の天窓から奇跡的に見つけることもありましたが、このペルセウス座流星群は、うまくいけば1時間に30個ほど見れると言いますから、抜群の安心感があります。今晩もぜひ見たいもの。ちなみに先月のネオワイズ彗星は発見できず。➡ 8/14 夜23時から1時まで粘って3個。自宅の庭では明るすぎる。 ■8/11 正しく生きるための修行 「人間は他の動物のことを四つ足などと言って軽蔑したりもしますが、動物の全世界を眺め渡せば一番無理になり、また不安定になりやすい姿勢をしているのは人間・・・(中略)・・。この不自然になりやすいという条件が人間性を創り出す基礎的刺激になったのですが、このために人間だけは、訓練を行わないと自然性と安定性を保てなくなったのであり、病がその教えの一つです。すなわち人間のみは、正しく生きうる修行をしてのみ生きる喜びを味わうことができる・・・」。沖正弘師は『冥想ヨガ入門』のなかでそのように明記されている。その修行の一つともいえるラジオ体操もリズムに合わせて飛べなくなった、などと先輩同胞からたよりが来る今日だ。早朝、冥想の準備運動でもあるヨガのストレッチ「アーサナ」をすると、体はさび付いたリヤカーのようにきしみ、うなり、そして重い。進化の定めと悟ったつもりでも、歪み、痛みはどうにもならず、しかし体を甘やかさず、日々体を折り曲げながら付き合おうと自らを励ますしかない。 ■8/10 自然崇拝から始まる生態系保護への道 ひとつ前の画像で、なにかパワーを感じる、と書きましたが、自然の風景の中に宗教的な、アニミズム的要素を感じ取る習性が私にはあるような気がします。私が考える自然保護はそこが原点になっていて、現場で感じることが学びや畏れの出発点近くにあるために、それが行動の動機になる、そうでなければ「貴重さ」という言葉に埋もれ、他人事に終わるのではないかと危惧します。平取でお会いしたアイヌの古老が、「あのあたりが聖地」と指さしたところが、私にも明瞭なパワースポットに見えていた驚きに繋がっています。同行したほかの人はフーンといった感じで、あれはインパクトのある体験でした。風景の中に時々スピリチャルなものを感じとるのです。 写真家の故・中村千尋氏に連れて行ってもらった樽前の奥地(写真左・H23/4)は、鳥肌が立つ霊感こもる一角でした。絵にはならない、五感でしか感じ取ることができない風景です。これはこの3月に訪れた熊野の神倉神社のゴトビキ岩(写真右)に通ずるところがあります。ここは何度も話に聞いてきた聖地なのに、崖のような急階段を股関節が受け入れられず、無念さをこらえ家人に写真を託したところでした。これらはともに、守る以外に付き合いようがない、そんなところであり、振り返ればハスカップ・サンクチュアリあたりの湿原にも深い動機付けをされて、こころの原郷となって、今があるような気がします。 ■8/9 小面積皆伐でこそ雑木林は持続できる 写真は、勇払原野の雑木林は間伐で更新できるのか、そして切株からの萌芽枝をシカの食害からどう守るのか、を調べるために作った30m四方の皆伐試験地。2シーズンを経過して、きわめて順調な萌芽更新をみせている。これが雑木林の若返りだ~!、土用を過ぎた暑熱の中で木々が叫ぶように伸びている。そこにわたしは植生のパワーを感じる。 ■8/7 立秋の大風 夏が来たなと思ったら今日はもう立秋。夜更けから低気圧による雨風が強くなり、明け方、雨具を着て庭のハンギングとコンテナを、物置と玄関にあわてて仕舞いました。ハンギングを作って10週ですが、大風は初。今年の夏が穏やかだとする理由です。 ■8/6 スキャン・ボタニカ コープ未来の森づくり基金が出した小冊子・モリイク樹木図鑑「大きな木の小さな物語」を朝一番に読んでみました。苫東コモンズの草創期に理事を務めていただいた孫田敏氏の樹木のスキャン作品の一部で、アートのようであり、精緻な図鑑のようでもあります。分類がいい加減な当方にとって、各項の解説でなるほどと思わせる由来や新情報に出会いました。氏ののアート心と日頃の探求心の賜物。発行元から数冊届きましたのでお分けします。 ■8/5 カンボジアの子供たち 「開発こうほう」8月号で、もと「花新聞」の編集長をしていた「かとうけいこ」さんが、カンボジアの教育と子供たちの現状をレポートしている。ポルポト政権は、原始共産主義を目指して教員や医師など知識人を中心に200~300万人を迫害し、教員の8割は命を落としたとされる。年齢の中央値は22歳。教員の月給は3000円以下と、かとうさんは書いている。これはベトナムでミーソンという、弾痕と破壊が生々しい遺跡の世界遺産を訪れた時を想像させた。ベトナムもカンボジア国境に近づくほど破壊がひどいようで、やはり国民の平均年齢は29歳と非常に若かった。平均年齢が若いのは、親の世代が戦などで死亡したからだ。痛ましい話だ。そのしわ寄せはいずれの国も子供に及ぶ。日本でも北海道でも、昨今は子ども食堂の現状を耳にするが、この貧困と不幸の再生産が、平和な日本の身近な現実になっている。レポートはノンフォーマルな教育の必要性に言及し、プノンペンで活動を展開している「ひろしまハウス」を紹介している。さっそく、「ひろしまハウス」のホームページにアクセスして賛助会員に登録した。写真は同HPから。 ■8/3 コロナ感染者数に踊らされていないか 連日、感染者の増加で大変だ~、と小池知事やメディアが騒ぐ。しかし重症者も死者も少ない。弱毒化しているのは本当らしいという声は少なくない。。PCRの検査が増えれば感染者が増えるのはわかりきったことだったので、はてな、妙な構図になっていないか。検査数の増で感染者増大を仕掛けておいて、一方ではやし立てるのは、いわゆるマッチポンプである。そこで、小池知事が政府の無策を印象付けるべく自作自演の政局対応だ、という読みも出てくる。コロナによる死亡者の年齢の中央値は80歳代前半で、ほぼ平均寿命であるようだ。であれば、もう恐れずに足らず、の宣言も視野に入れるべきではないか。しかしこれはいくら何でも声になりにくい。日本人は同調圧力に弱いし、ワイドショーにも左右されやすい。インフルエンザよりも怖くない、という前からあった見方にもう一度立ち止まって見たい。 ■8/2 地域住民による、これからの林の管理協力体制に向けて 苫東コモンズはこれからますます高齢化すると、大掛かりで継続的な林の保育は難しくなってくる。そこで林道やフットパス沿いの風倒木処理など、景観作業を中心に据えることになる。そのためには土地のオーナーとの間の協定に基づいて、こんなジャケットを着て巡回と作業をしてはどうか。日曜の朝、描いてみた。色はオレンジに近い赤。元気な年寄印。 ■7/31 ネオワイズ彗星が見えない 愉しみにしていた彗星になかなか出会えない。折からの曇り空もあるが、時々の晴れ間の早朝、夜間とも地平線や山際にはいつも雲がある。それに、晴れた日に天の川すら見えにくい。やっぱり明るすぎる。年を追って明るくなるとは信じられない。おとといは仕方なく、月齢7.4の月を撮った。これでも十分、神秘的である。 ■7/30 ハスカップBONSAI のおすすめ サイドボードに置いていたハスカップの鉢植えの葉っぱが少くなったので、鉢土ごと入れ替えて、新しい2020年もののハスカップを播いた。播いたといっても、10粒ほどを鉢土にのせて、右のようにブチュと押すだけだ。これで20日もしないうちにあちこちから可愛いハスカップの芽がでる。種は1粒に25から30ある。冷凍でも構わない。沢山出ればスプラウトでいただく。ドングリもそうだが、こうやって遊んでいると、土地の自然とどこか繋がっているような気分が少しだけ生まれる。 ■7/28 補聴器生活、2日目 自分の周りを飛び交う会話が完全には把握が出来なくなって、不便に思うことが重なり、ついに写真の器具をつけた。正確には補聴器という医療器具ではなく集音器である。実は勤め人生活の晩年からすでに会議の席で発言が聞こえにくくなっていたものだ。意外と小さく、つけてみると、鼓膜の欠陥で聞こえにくくなっていたやや高い音域が良く聞こえるようになった。だが、シャー、ガチャ、などという聞こえなくてもいい音、例えば車の走行時の舗装の摩擦音などまで、今まで聞かないですんだ余計な音も聞こえてくる。ギターの高音もうるさいほど聞こえるが、これはまあいい。まずは片方が1万円弱のものを通常は左のみ挿して、ここぞというときは両方を装着のつもり。家ではお互い、難聴の人同士の会話のように少し大きめの声で話していたので、これを装着すると家人の声が実にうるさい。 |
■7/27 森林の所有と管理 送られてきた同窓会誌の中に、若い同窓生(林野庁勤務)による森林の所有に関する投稿があり、現在担当する森林経営管理制度にふれながら、制度を作る側の視点を述べているのを実に興味深く読みました。その中で、所有者不明土地問題(現在九州の面積ほどあるらしい)について国交省は低未利用や所有者不明土地の利用管理に、地域コミュニティや公的主体の参画を検討していること、また、「現在の潮流は森林を所有したくないという所有者に対して、行政側が管理を促す、あるいは管理を代替するという潮目を作っているところ」と述べています。これはまさに苫東コモンズの問題意識とも大いに重なる視点であり、苫東の所有者が肩代わりしてほしい(たとえば会社が森林公園として管理しているつた森山林)願望にも沿っています。「森林については資産価値以外の価値についてもしっかりと評価されるべき」としており、まさに同感。もう不動産バブルは来ないから、地域コミュニティの環境質の向上とか、ミニ森林公園として開放することを社会貢献として評価を与え、誇りが生れるような流れが必要ですが、このあたりが実はさっぱりです。住民のほとんども無関心、という背景もみのがせないでしょう。制度を作る人、地域に住む人、上からと下からのニーズがかみ合いそうでかみ合わない現状では、自ら価値観を育て固めて鼓舞しながら満喫するという、本当の自己満足の道が正解でしょう。それも大事な潮目づくりです。 ■7/25 渓流のフライ、さよならに一歩 ウポポイに出かけた日、折角の白老なので、フライの用意をして1時間余りロッドを振った。釣りにくい新小ヤマメの世界だが、魚は餌釣りの攻撃にめげずタップリいる。しかし、足元がおぼつかない。不安定な大石を移動するときに、踏ん張れない。転びそうになったら耐えられないのである。いよいよ、渓流の釣りをギブアップする日がそこまで来たようだ。 残るは、広い砂浜で、ダブルハンドロッドを使う海のアメマスと、阿寒湖のような砂底の湖でのFFであろうか。また、さびしい一区切りがやって来たが、ここはひとつ、しぶとくやってみようと思う。 ■7/24 林を見る感性と表現 「林の入口あたりの雰囲気がとてもいいですね」。こんな風に林を表現する珍しい人に、先日久々に出会いました。再び思い出して、道新野生生物基金モーリーNO.19(2008)を本棚から探し出してみました。原稿の依頼と同時に里山風の画像も、と編集者に所望されたのでつた森山林と静川小屋のものを出したところ、それらが表紙とグラビアに選ばれたことはすでに紹介済みですが、ざっと100年の間、民間がコツコツと手入れして育てた雑木林が評価されるのは、関係者の一人として、人知れずうれしいものです。昨年もドイツの女性に「ドイツみたい」と評されて励まされました。感性のアンテナがピピピと反応して言葉にされる方が時々いらっしゃるようです。この山林の、シイタケ小屋が撤去されたあたりのハルニレ林も、明暗の対比がよく深みがあり、しばしば画像に収める風景です。(注:モーリーのわたしの原稿のタイトルは「里山とフラジリティ」) ■7/23 夏の季語「めまとい(目纏)」 *めまといの歩く速さでついて来る(大津市・Tさん) 夏の、あのうるさいコバエたちが夏の季語とは知りませんでした。それと、あの虫たちのねらいが涙に含まれるたんぱく質だったとは(写真はweb-moveから)。さすが俳句だなと感心していたら、ちゃんと英語にもeye gnat(アイナット、目のブヨ) とあります。 虫本番のこの頃ですが、先日のハスカップ摘みでは、何10年ぶりかで足長バチのようなものに刺されました。大粒のハスカップの株を見つけてヤブに分け入った瞬間でした。バチバチっと言うような音とともに口元と腕の二か所をやられました。翌日から猛烈なかゆみに襲われ、5日過ぎてもこの状態。林や原野ではこの頃大きなスズメバチも飛んでいますから、要注意です。 ■7/22 民族共生象徴空間ウポポイ 開園して1週間が経ったウポポイに行ってきました。広大な空間に、膨大な予算を投入していることが一目でわかりますし、その運営のために今風のデザインが随所に施されています。恐らく、アイヌ民族が持っている要素を核にして、映像と音声とコレクションによって、想像以上の幅を持たせ拡大したような印象です。わたしはシンプルに、文字を持たず祈りと神霊を大切にするのアイヌに関心を抱いてきたので、展示の最初とあちこちにあるイナウの多様さに足を止めました。歴史的史実の表現、現代の利権や運動に関して様々な指摘がされる中、ひとつのプレゼンが区切りを迎えたとだけは言えそう。入場制限中の事前申し込みながら、館内のブースによっては前は3密状態になります。 ■7/21 ひと味違った地方描写はどこから来る 「東京の方から来ました~」というような言葉使いで、田舎のマチを巡る番組は意外と人気が高い。そういう範疇でとらえると、「ポツンと・・」、かつて見たダーツを使った「第一村人発見・・」と始まるモノ(今も健在?)、そしてNHKの鶴瓶に乾杯、同じく梅沢富美男らが農家を訪れる昼番組などなど、いくつも出てきます。有名人や芸人をスタジオに集めたトーク番組より、地方の名もない素人、生活者の方がはるかに面白く、情報も新鮮だったりします。しかし、番組によってはどこか中央や都会人の上から目線が鼻につくという人もやはり多いみたい。この優越感たっぷりの「東京」組と、それに迎合するかのような地方側対応も、どうかなあ、と見る向きもあるでしょう。 BS日テレの「小さな村の物語イタリア」は、その点、ありきたりの風景でなく日常景が、夫婦や親子の軋轢とか愛憎まで包み込んで描いていき、親戚、友人など小さなコミュニティに広がって息使いまで伝わるような構成が異色です。わたしがここから受け取るメッセージは「人生、これでいいのだ」。そのせいか週末の夕方に見る定番になってきました(注:同じ時刻に放映される西田敏行の『地上の楽園』も苦労や暗さを省いてしまったハッピーエンドの地方讃歌で、これも時々覗きます)。BS日テレの本番組は、人間本来の暮らしが息づくような小さな村に焦点をあて、美しく生きることを見つめる、というようなねらいが込められているらしく、ジリオラ・チンクエッティ風のやや物悲し気な音楽をバックに、しかし骨太に描かれて行きます。本当の地産地消が今も息づくイタリア。そういえばフランスもドイツも、田舎暮らしが少し堂々としているようにみえるのはどうしてなのだろう。 ■7/18 ハスカップ摘み 苫小牧の夏の風物詩と言われてきて、今ではほとんど風化しそうなハスカップ摘みを、半自然の遺伝子プールで。原野のハスカップは今後遊水地となり、コモンズとしてどのように利用されるのか、注目される中、コモンズの開放性などについて、考えさせられる一日でした。詳細は雑木林だより111で。写真はいつも最も奔放な摘み方をする先輩Hさんの大鍋。 ■7/17 苫東は開放的な閉鎖型コモンズか 同志社大学の三俣学先生からコモンズ関係の資料をいくつか送っていただきました。その一つは、『コモンズの環境思想~閉鎖と開放をめぐって』 という論文で、昨今、苫東コモンズでも時折問題になる開放による弊害(6/24 ブログ・日常的コモンズ考)や、つい排他的に陥りやすい自然アクセスについて、北欧の万人権などの環境思想をもとに論考したものです。 野外活動が全く下火にしか見えない、わが自然王国・北海道で、先日もある市民から「えっ、大島山林は自由に入っても良かったんですか?」と聞かれたのに、ちょっとびっくりしたことを思い出しました。野外活動への願望が低くなり、その入り口を環境学習に偏重し過ぎている影響、あるいは家庭内で親が子どもを連れだして外遊びをしなくなっているようなこともあるのでしょうか。三俣先生には再考のいい視点とチャンスををいただきました。 ■7/16 神はどこに宿る 目立たない細かい部分まで手抜きせず完全に仕上げると全体の完成度が増すことを、「神は細部に宿る」と言うようですが、この言を敷衍して、わたしは神は暗がりと深みが好きで、アッケラカンの明るさを嫌うのではないかと思ってきました。 庭のレンギョウの藪は、葉を落とした冬の間、餌を食べにくるスズメたちの隠れ家でしたが、葉が茂るようになってからは、みるみる中の見えない藪に成長して、毎年、地面のギボウシ類とともに小さな闇空間を作ります。歩道にもかぶるようになったので、残念ですが剪定しました。大好きなボサボサ感覚が消えてしまいましたが、これらを見比べていると、大分昔に描いた「山辺の特性試論」(左図)を思い出しました。アッケラカンの田畑やモエレ沼公園のような丘の上にずっといるのは疲れるが、薄暗がりの林は癒されるという個人的経験を踏まえて、此岸(現世、こっち)と彼岸(あの世)を、山の辺や里山を挟んで位置付けたものです。これはドイツの森林保養地で、山の辺のフットパスが最も人気が高ったことにヒントを得たものでした。つまり、あの世の感じは暗いがアッケラカンも落ち着かない、ちょうど中間の里山風の手自然がいい・・・。庭にちょっとした暗がりがある、というのは、蚊の発生源では困りますが、こんな方法で快・不快をコントロールできれば面白い、これが庭づくりの醍醐味ではないかと思います。 ■7/15 見知らぬ街に住む日本人との勝手な連帯 新聞の歌壇俳壇で投稿を鑑賞しながら居住地に目をやると、自分がいかに日本各地の市の名前を知らないかに愕然とします。全国の1700余りの自治体のうち、市だけで約790ですから、知らないのは当然ともいえるのですが、例えば、香芝市、志木市、佐野市、匝瑳市、蓮田市、羽曳野市、小美玉市、滝沢市、東金市、山武市、旭市、北本市、桜井市などなど。関東に多いので関東の方には無知を笑われるかもしれませんが。で、うまいなあ、と投稿者の居住地を見て、位置を調べその方の風土や家族環境などに思いをいたすのです。そして日本各地の市井の人々がかくも存在感のある悲喜こもごもの日常を送っておられるのだ、と胸にじんと来るのは、ほぼ連帯感に近いのではないでしょうか。俳句や短歌、これら短い詩で表現される感性への共感は、どこか万葉集の詠み人の幅の広さに通じるているような。 ■7/14 北欧の名著「薪を焚く」との対話Ⅲ やはり本書が名著であると思わせるのは、次々と北欧の薪焚き人でないと生まれない薪の名言がでてくるからです。薪割りにたっぷりページを割いた後、次には薪棚について。 『ウォールデン 森の生活』のソローの引用は、「人はみななんらかの愛情をもって自分の薪棚を見つめます。わたしも窓のすぐ外に薪を積み上げておくのが好きで、薪割り台は周りに木くずが多いほど好ましく思いました。この薪づくりがいかに満足のいく作業であったかを思い出させたからです」。 本書との最初の対話履歴は、「2020 日々の迷走3/26」、そして2回目は雑木林だよりの 6/22 に書きました。自宅の薪割りは実はまだ続いていて、そろそろ乾燥に適した置く場所が無くなってきたので、異形の薪(右上)をすこし移動してスペースを作りました。この異形の薪などは、北欧の薪焚き人は非効率で排除すべきものの極みとして敬遠するのではないでしょうか。なぜなら彼らは美しく積むことにことのほか美学を感じているからです。しかしわたしは、これら異形の薪を見ているうちに樹木の凝縮を見つけてスピリットを感じるのです。しかしこんな無駄な材はこれから生産されないはずなので、今季は大事に燃やすことになります。ともあれ、リタイヤ1年目の晴林雨読の日々に、この名著に出会えたことの幸運には感謝してもしつくすことがなさそうです。続きの引用は、aigo4-111.html (7/14) に。 *7/11のハンギング(下)、7/12の横田滋さん、7/13日常のストレスのコメント、消失 ■7/10 ネオワイズ彗星 今朝未明の2時45分ころから、500mほど離れた陸橋の上で、北東方向10度以下に見えるはずのネオワイズ彗星を探しました。が、みつかりません。北東の地平線から10度の角度には薄い雲があったことや、日の出がこの方角で3時前でも白みかけていたせいもあるでしょうか。札幌の明かりである可能性もあります。持参した双眼鏡でもう一度空を探りましたが、どうも星ひとつ見えませんでした。珍しく絶好の快晴だったので残念。あとは今月中旬に日の入りの彗星をねらってみましょう。こちらの方が高度は高そうですし。空振りに終わったけれども、橋の上の360度の夜空は、自分が天体の中の、ある星に居ることをうっすらと思い起こさせました。 ■7/09 助成の採択条件に立ち止まる 森や林という言葉は、ちょっといかがわしい側面を持っており、独特のプラス評価の記号性に人気があるようです。ある時、森づくり関係の助成活動募集に応募しようと、丁寧に申請書を書き上げてから、資格条件を見てみると、「女性と子供が多く参加していること」「会員の平均年齢が40歳以下であること」という趣旨が書いてあります。ガーン、わたしたちは最初から資格要件を満たさない・・・。こんなにあからさまに拒絶されたのは初めてでショックでした。森づくりや荒れた林をシェープアップするのは、楽しく木を植えたり遊んだり学んだりすることだけでなく、「伐ること」である、という逆説はわかってもらえないのです。しかも危険な作業です。この人気と現実の乖離はこれからも埋まりそうにありませんが、それも仕方ありません。もっとズシリとくる手応えを支えに黙々といくのです。思えば外部評価というものを全く気にしておらず、メディアへの発信もほとんど消極的でした。情報発信が盛んな今日、これでは自ら置き去り状態を作っていることになりますが、内なる声はそれでいい、と語りかけます。 ■7/07 雨の自然風庭園 K先生らと打ち合わせがてら遠浅の「そば哲」で食事をしていると、店主の奥さんが「ジューンベリーに実がなってトンネルができました」と教えてくれました。で、さっそく一回り。旭川の上野ファームをカントリー風に仕上げたようなゆるさが好きで時々訪れてきましたが、ジューンベリーは知りませんでした。口に入れるといい味です。雨に濡れた今日の庭はイングリッシュガーデンそのものです。細いレーンの刈り込いを手伝ってあげたくなりました。 今日は、二十四節気の「小暑」。九州は豪雨の警報、こちらは20℃以下の霧雨、のち本降りに変わりました。 |
■7/06 苫小牧をどう描く 開発こうほうの683号に、巌谷國士(いわやくにお)氏の苫小牧紀行が4ページにわたって掲載されています。タイトルは「苫小牧老舗洋食店と宇宙ステーション」。みずみずしい好奇心と科学する心をもつ人が文学的描写をするとこうなる、みたいな感じで読みました。工業都市として開発ブームが残る苫小牧は、反開発のバイアスに常にさらされて来ましたが、何年か前に放映されたNHKの「鶴瓶に乾杯」の苫小牧描写などは、NHKは苫小牧というマチに対してなにか悪意があるのではないか、と思わせるさんざんなものでした。阪神タイガースの川藤選手が、タイガースファンで盛り上がる国道沿いの焼き鳥屋さん「鳥しん」を探しながらスポーツ用品店に立ち寄るシーンは、川藤さんがかわいそうに見えると同時に、まちの素顔がこんなところに如実に出るんだなあ、と痛感したものです。確かにそれも苫小牧の一面だったのは間違いないでしょう。しかし、同じマチが巌谷氏によると何ともまともな小都市になっております。 ■7/04 里山の植生と景観を左右してみる 里山空間では、刈り払いとは要らないものを刈ってシンプルにしていく行為でありながら、刈り残すことによって誘導する楽しみもあります。静川の小屋では、もう何年も前から、里山景観のモデルを創ることを心がけてきましたが、近年は、遠浅にはあってここにはない、山菜の女王と呼ぶスドキを、独特の方法で繁殖させてきました。それが見事に功を奏して小さな群落があちこちに生まれてきました。 ■7/03 マサラティー 気持ちに余裕があるとき、ふと思い出して作るマサラティ―。昨日は棚の整理をしていると偶然、いつもより香りのいいシナモンスティックがみつかったので、グローブ、カルダモンをショウガ数片とともに煮込んでから、紅茶、牛乳の順に足してさらに煮だし、飲む前にハチミツを加えました。飲み物でなくまるで食べ物のような、ほとんど料理のような手間のかかるお茶です。 この2、3日は料理づいて、冷凍した実山椒を使い、再びちりめん山椒をひと瓶作りました。またスイートバジルが手に入ったので冷蔵庫で何日も置かれていたパプリカを出して、ガパオライスを仕上げました。おとといはウトナイの道の駅でミニきゅうりが8本100円だったので、白ワインをふんだんに使いピクルスを作って、少し大きめの広口瓶に詰めました。ちょいの間の料理は時間つぶしの域をはるかに超えて楽しく、ぐずつく天気を忘れました。そして今日は天気が一転、晴れ渡り、割った薪のシートカバーを外し、干して片づけます。いろいろ忘れることばかりで、今日は何曜日だったかも忘れてしまいます。そんな中でも苫東コモンズの記念誌が予定通り完成し、編集スタッフと校正に入ります。 ■7/02 樽前山麓の風倒の惨状 昨日、丸駒温泉に行った帰り道、樽前山から錦岡に至る道道を下りました。久々に通りましたが沿道の風倒木の惨状がそのままであることにびっくりしてしまいました。折り重なる木々の処理も追いつかず、唖然とする光景だったのです。表の通りである国道276号沿いの平成16年台風18号被害跡地が、すでに復旧され造林地らしく大きく変わったのとは実に対照的です。そのあとの大風もありましたから、追い打ちをかけられた可能性もあります。驚きが冷めやらないうちに帰宅後いろいろ検索してみると、昭和29年の洞爺丸台風の跡地が34年に天皇皇后両陛下をお招きして有名な植樹会が行われたのですが、その準備風景(2p目、当時の苫小牧営林署金田一署長撮影)を見つけました。これを見ると、写真は処理された後のきれいな裸山でしたが、片付け前はさぞやと思いを馳せました。そして、この一帯が度重なる風倒木被害を受けてきたことがわかってきます。わたしも昭和56年の台風時は、管理に関わる100haの罹災光景に腰を抜かし、数年がかりで片づけましたが、被害は繰り返され、むしろそれが自然な姿だということでしょう。約300年前の江戸時代の大噴火で森林が消失して復元したそのあと、かくも繰り返されたという事実。自然の輪廻と復元力に、どこか清々しい気分すらしてきます。これは情緒で受け取らない方がいい、サイエンスだ…。このことは今後のために肝に銘じておきたいと思います。 ■7/01 今更ながらの昭和史、そして日本史の学び 昭和史の底流を博覧強記の渡部昇一氏の歴史解釈で読み解いています(左端)。近現代史の無知を補うべく、還暦に近づいてから色々な本を手にしましたが、もっとも太い柱のようなものを渡部氏に見出して、昭和史に限らずできるだけ氏の仕事をたどって何年か経ちました。日本が戦争に突入していった昭和は、各国の老獪な利害と外交の綱引き、コミンテルンに牽引される共産主義の台頭、それに米国の占領時の洗脳プログラムが見事に効いて、依然として日本人の少なからざる人々に東京裁判や南京大虐殺プロバガンダなどがそのまま受け入れられているように見えますし、メディア戦略やSNSを通じて益々2極化している気配が感じられます。意識的に目を開かなければ見えてこない歴史ながら、近年は新しい事実も世に出て、身近な出来事としては従軍慰安婦問題がでっち上げだったように間違いが遅ればせながら質されることもしばしばですし、この頃の各国の活発な駆け引きが、歴史のパターンを繰り返しているように見え、この混迷の霧を晴らすのに今ほど歴史の学びが大切だと痛感することはないのではないでしょうか。今般の人種差別問題にしても、昭和の初めころも米国の矛先が黄色人種、とりわけ日本に向かっていて、太平洋戦争突入の伏線になっていたことなども、その線で読み込んでいくとコトの根深さに気づかされます。 ■6/30 指の記憶 リタイヤしたら再開しようと思っていたのが、30年間以上止めていたクラシックギターでした。独身時代に一か月分の給料に相当する出費で辛うじて入手したものです。高校時代に友人から買ったそこそこのものを、貧乏な学生時代にお金に換えて手放して以来、音の割れる変なもので代用していたために、入手当時は夢心地でした。で、このブランクをどうするか。テクは取り戻せるか。リタイヤ直後の作年7月、半信半疑で一日15分でもいいからと言い聞かせて焦らず弾くようにしておりましたところ、なんともはや、指は、ソルやタレルガなどの30曲あまりのかつてのレパートリーをところどころ覚えていて、自然に指が動き出します。音がフローリングの部屋によく響くことも幸いし、続ける動機が消えませんでした。時々発するピチュピチュ音は気長に治すことにして、まずはクラシックギターの勘を戻すことに努め、第一段階は終了です。これからはもう一度、楽譜と正確に整合させ、確かな演奏に傾注の予定。かつての山小屋のように、今更、人前で演奏することはありませんが、手指の動作は老化防止に効果がありそうですし、体質が変わったのか、右手の伸びた爪が割れません。 一年前の今日、職場で花束を贈られたその足で、札幌駅そばのお寿司屋さんでビールとお酒をいただき、20年の通勤生活を終えて、ドッコショと荷物を降ろしたのでした。ギターはそれからの充実した一年の伴走者のような役どころで、できればこれからもそうしたいものです。 ■6/29 現場が難局を救う日本という国 『疾病2020』を出したばかりの作家・門田隆将氏が、ある対談で、このたびのコロナ禍の世界動向、とりわけ中国の秘密や台湾の対応などについて、ニュースでは手に入らない情報と分析を示しながら、日本の医療機関の奮闘と国民の協力という、欧米とは異なった価値観が結果を生んだとしました。そのキーワードは利他。利他とは人への思いやりであり、風邪を引いたときの伝統的マスク習慣もそのひとつと言えます。そのながれで出てきた言葉が、表記の「日本は歴史的にたびたびの難局を現場が救ってきた」という主旨です。現場とは、土地土地の職域で働く人々や市井の庶民だったと。我々はいざというときに一致団結するという不思議は覚えがある方も多いはず。これに限らず、コロナは色々なことを考えさせます。同時に大きな転機にいることを、緊張感とともに痛感します。それにしてもちょっといい話です。 ■6/27 霧雨の雑木林で 新緑からひと月。夏至も過ぎたから夏緑と言いたいところですが、まだ新緑の兄貴分といったところ。時々霧雨の降るフットパスで刈り払いをする。 ■6/26 英国からのたより イギリスのフットパス歩きやコモンズ研究会の現地ヒアリング、そして富士吉田での国際コモンズ学会などの縁で、OSS (Open Space Society)からニュースレターが届きます。画像を見るだけでも楽しいのですが、関係団体でもある英国一のフットパスの会Ramblers とともに、人々の歩く権利と土地所有者などとの交渉のために、調整だけでなく「闘う」こわい団体、と英国民に目されています。トップページ当たりにも、「わたしたち(国民)にはオープンスペース(緑地)を楽しむ権利がある」「身近なフットパスで脅威を感じるようなことはないですか?」「私たちがお助けします」と明言しています。150年を超える歴史を持ち、ブリストルでお会いした役員の話だけでも、仕組み、活動内容、法体系など、長年培った凄み・深みを覚えたものです。たかが歩くためにでも10万人以上の会員を擁し、その積み上げが半端でない。英国の田園風景は確かに美しく快適ですが、それに集う、楽しむ市民の数もまた半端でありません。写真はどうぞリンク先で直接ご覧ください。英文活字を読まなくても風景を見るだけで十分異国情緒を楽しめます。なお、これらのことは、『生活見直し型観光とブランド形成』と小磯先生らとの共著『コモンズ 地域の再生と創造』でくわしく紹介しています。 *6/23 俳壇歌壇記事 & 6/25 実山椒の記事、消失 ■6/21 涼しい夏至、父の日、跪ずいて草取り 今日は夏至だそうです。北海道はこれからいよいよ暑くなってほしいところです。早朝、これから仕事だという娘からメッセージが来て、すでに届いていたプレゼントの使い勝手を簡単レポ。父の日なんて忘れていました。カラッとした午後の日差しの中でハンギングの花がらを脚立の上でとり、隣家との境の雑草を跪いて抜いていると、読書などでは得られない、はるかに濃厚な生活感覚が喜びに代わっていきます。修行僧が草引きと呼ぶ作業・作務に通じるようなひと時。自由な時間を庭に捧げる意味は小さくありません。 ■6/20 ミズナラなどの実生苗で苗畑を創る 林内散策用のフットパス4.2kmを、3回の刈り払いで終了すると同時に、懸案になっていたミズナラ・コナラの実生苗の苗畑をたった一日で完成させました。それだけ、林の内外に実生苗が出ていることと、地元で農家を営む長老の会員が小型トラクターで草地を起こしてくれたおかげです。奉仕のこころと分担と連携、実に見事だったと思います。地域の里山はこうしてつくるんだ、という見本のような一日でした。 ■6/18 通勤生活やめて1年、晴林雨読に慣れ、所要の断捨離もほぼ 6月も終わりに近づき、勤め人生活を終えて1年が経ったことになります。天気の良い日は林に行って散歩したり山仕事をする生活のリズムができ、不要なものの見切りがついて、目指した周辺整理が無理なく一段落しました。そのことが、ジワジワうれしく感じるこのごろです。この世におさらばするときには、どうせ、ほぼすべてを捨てるのだから、と、坂道を下る気分というか、気持ちも収束に向かう気構えが徐々にできてきます。方丈記ではありませんが、いつでも引っ越せるような小さい家、最小限の荷物という意味が俄然分かってきます。身軽なこの環境で好きな本が読めるのだから、加齢は総じて有難いと思わざるを得ません。 ■6/16 オートモアと電池のチェンソー 芝刈り機の情報を得るためにある専門店に顔を出したら、人力の芝刈り作業をちょっとフフンと笑われ、見ると裏庭では常時、自動芝刈り機が室内掃除のルンバのように動いていました(左)。充電式で約20万円、ハスクバーナ製です。GPSの盗難対策もセットされているので、もしかのときには現行犯逮捕できる。写真右はガソリンエンジンではなくリチウム電池のチェンソー。始動が簡単で振動も少なく一日もつ。これはスチール社製。人が要らない仕組みとか、労力を極力軽減していく流れがここにも。人手をかけないことに価値を創っていくビジネスをまざまざと見せつけられた。 ■6/15 編集者冥利 NPO苫東コモンズの10周年を記念した動画制作の前半が一段落し、このところは記念誌の編集に注力しているのですが、発刊に向けた無償の雑事をしている自分が楽しそうであることに気が付きます。我ながら妙な観察ですが、これまで関わった書籍、会誌、新聞、ニュースレターを問わず、どうも発行するものの企画から編集、そして世に出すまでの一連の流れが好きでたまらないのでしょう。何度も大量のページを読み直す校正作業すらもしかり。振り返れば、10代のころから活字と編集作業は好きだったから、きっと森林科学に関わらなければそっちの道を選んでいたかもしれないなあ、と。いやいや、好きなことならダブルでやればいいだけです。このたびも24人の寄稿がそれぞれ実に面白い。薪ストーブエッセーも出色。これは編集者冥利につきます。 ■6/14 昔の写真3 フランス・サンフランボー村 欧州の花のまちづくりコンクールで優勝したマチや村を訪問したのは、メモによると1992年とあります。つまりあれから約30年。感動する庭をあまた見た中で、写真のフランスはサンフランボー村(人口900人ほど、リンゴのブランデー・カルバドスの産地)の農家の薪小屋と納屋は忘れがたく、リタイヤしたら似たようなトライをしてみようと思っていました。薪とハンギングバスケットの相性はとてもいいのです。雑木林&庭づくり研究室としても、これで多少面目が立ちました。林にしろ庭にしろ、環境の改善は身の回りのイヤシロチづくりであり、気持ちのいい風水の世界に通じるようです。10日前に作ったばかりの久々のハンギングは合計4つ、あと2週間後あたりからが見ごろか。 ■6/11 世論調査とのずれ感 読売新聞社と韓国日報社が5月に行った日韓関係に関する世論調査結果が目を引いた。関係は確かに悪化しているのだが、元慰安婦問題は朝日が記事捏造を認めて後、国内の裁判では誤謬を正す櫻井よし子氏らが原告の植村元記者に勝訴(札幌で2回行われ、地元ではほとんど報道されないが)し、元徴用工の問題も捏造が暴かれ政府は毅然とした対応をしている。韓国大統領も数々のスキャンダルで孤立無援で、さぞや国民の支持は下がったかと思いきや、ことコロナ問題に関してとはいえ、大統領の指導力評価が66%、政府対応評価86%と高かった。先日の選挙でも与党が勝利したところをみると、コロナの対応だけでなくこの期に及んでも文大統領の支持率は低くないようで意外だった。また読売新聞社の6月の全国世論調査では、次期首相候補のトップは石破氏だという。彼の昨今の発言を見ていると、メディアなどに反安倍側の一人として利用されているだけで、国を任せられる人には見えないのはわたしだけか。 ■6/9 ご訪問、ありがとうございます このところ、アクセスカウンターが不安定で正確なところは不明ですが、ほぼ20万アクセス(page-view)になったようです。wordで作っていた初期のホームページから数えて21年8か月ですので、一日平均で25アクセスいただいたことになります。時々のご訪問、お付き合い、まことにありがとうございました。これからも精進しながら迷想してまいります。なお、アクセスカウンターはこの機会に外すことにしました。時節柄、ご自愛をお祈りいたします。 ■6/8 「雑」という文字の再評価 中西進先生が、日本では「雑」というと、雑音、雑多、雑念、雑談などとおよそ役に立たない代表で、「雑文」を辞書で引けば「つまらない文章」と出てくる、と嘆かれている。万葉集では男女の恋の相聞歌、人の死を悼む挽歌があり、それ以外のすべてを含む雑歌(ぞうか)が万葉集のまず最初に出てくるのに、というわけである。 そもそも「雑」には中国の辞書によれば「彩(いろどり)」の意味があり、多彩で優れたもの、とされているという。雑木林はその伝でいくと、色とりどりの、様々な木々で構成された(生態的にも、景観的にも、そしてもしかすると経済的にも)優れた林を指すことになるだろう。しかし「勝手に生えてくる」、という極めて頼りになる、救世主のような特性が、逆に蔑まれる原因になっていないだろうか。つまり元手がかかっていない…。国木田独歩がいかに武蔵野の雑木林をほめ称えても、土地の老婆に「マチの人はのんきでいいね」とバカにされたのが可笑しいが、100年以上前のその頃から、どれほど認識が進んだかはわからない。NPO苫東コモンズの10周年記念の動画編集に取り掛かりながら、勇払原野の雑木林の再発見や復権にもっと本気でとりくもうか、と思い始めた。 ■6/6 浜ボーフー 山仕事が一段落したのを見計らって、おそらくこの春の山菜の採り納めになる浜ボーフーを採りに、5人で弁天浜に向かった。すでにハマエンドウの花盛りで、浜ボーフーを食するには20日近く遅いから、もう葉っぱが大きく茎も太く固い。 でもそれもいい。見つけやすく、食べるところが沢山ある。わたしは酢味噌あえにしてみたが、葉っぱも刻んで入れてみた。やはり大丈夫、少量ならいける。黄色の若い茎なら湯どおしするだけで食するが、この固さになると、1分は必要だ。歯ごたえがあって、家人とおいしくいただいた。 弁天浜は、地域住民にとってはもっとも身近な自然海岸で、ホッキやエゾシロガイ(俗称;女郎貝)だって運が良ければ獲れる。そして何より、この浜は100年以上前にイザベラ・バードが通ったルートだ。単調でさびしい風景に驚きつつも、また来たいと書いた、そのスピリチャルなほどの風景の中で、静かにボーフーを摘む。 ■6/5 今日は「芒種」、昨日は久々に庭のハンギングがデビュー 今年は6月に入ってもストーブがほしい朝があった割に、草花の盛り上がりが早い感じがします。ベランダで養生していたハンギングバスケットの容器が、花でほぼ見えなくなったので、昨日の午後、丸型と壁型を各々二つずつ懸けました。朝のこと、 お隣のおばさん 「あら、久々だね。何年もやってなかったよねえ?」 わたし 「はい、定年になったもんでまた始めようかと」 今日は24節気の芒種。穀物の種まき時、と言いますが24節気のうちでこれだけは時期感覚がわたしには合いません。 ■6/4 足跡を楽しむ読書 中西進著『卒寿の自画像』 昨年、万葉集を読み始めてから、中西進先生に講演会で直接お目にかかったり、書籍や新聞のコラムなどでお見受けすることが多くなったのですが、4月に出た新刊は、ことのほか楽しい本。万葉集に惹かれていった足取りが、親子、師弟関係、交友関係とともに描かれていくのです。もちろん、万葉集や源氏物語などの古典の周辺にある小さなエピソードや所見も問わず語りに語られているので、古典がぐんと近く感じられます。時には対象の実物に直接とりかかるだけでなく、こういう回り道も必要なんだな、と痛感。 ■6/3 サンショウの丘 夕方、豊川のウラヤマ、通称「サンショウの丘」へ家人と出かけました。葉サンショウはちょうどいいころで、実サンショウはあと少し。まだ蚊もおらず、ササバギンランなどが咲くいい季節ですが、いかんせんこの山は荒れ放題でゴミもあちこちに。そんな帰り道にあった、ヤマブキ、コンロンソウ、ムラサキケマンを家人が2,3本折ってテーブルへ。食卓がしぶく華やぎました。 ■6/2 「行きつけの場所」の評価と創造 朝4時前に目を覚ましました。ドンヨリの外にいささかがっかりしながら、ラジオ深夜便は何をやってるかな、と昨日の聞き逃し分を開くと、なんとラッキー、雑木林のフォトグラファー今森光彦氏の『オーレリアンの丘から四季便り』インタビューが始まるところでした。日本の里山シリーズでもたっぷり紹介されていたので内容は想像できますが、耳に残ったキーワードが「行きつけの場所」。1000坪の耕作放棄地を分けてもらい、住んで、観察している、彼らしい重要なキーワードです。行きつけだから、住んでいるそばだから、わかってくる世界というのが確かにあります。チョウチョ好き(オーレリアン)ならではの環境を自らそこに創り出しているところがスゴイ。雑木林をイヤシロチ風に創っていく試みも、これからは具体的な目標を持つべきかな、と思いつきました。先週から始まった歩きやすく、美しい径づくりと、休み場所(ベンチ)づくりが次の一歩、今年のゴールになるでしょうか。 ■ 6/1 新緑のニドム 苫東コモンズの新緑を堪能した2日後、リゾートはどうなっているかと家人とニドムに行ってみました。2月のニドムも凛とした立派な風景でしたが、新緑はさすがです。径や建物のインフラとメンテナンスが行き届くと雑木林はそれなりに見え方を代えます。 ■5/30 コモンズ休暇の提唱とワラビ採り 歳も取ってきたので働きすぎないでゆとりのある土曜日を送ろう、そう考えて、10年前にやっていた大人の遠足「苫東休日」を思い出しました。この時期、山菜採りをしないでどうする、と今日は3時過ぎからワラビ採りに、帰途、柏原に寄りました。コモンズ休暇と呼べるようになるかどうか。4人いれば、ヒグマの心配はやや薄れますが、腰にはしっかりクマスプレー。 ■5/29 コロナ後 世の中の節目節目に発信される時代解釈の中で、新聞のコラムも含めて個人的には山崎正和氏の言論に親和性を感じたことが多かったように思います。アフター・コロナについてまだ氏のコメントにお目にかかっていませんが、「その後」については、もう種々多くの言論人の発言を日々お見受けします。先日、山崎氏よりはるかに若い、斎藤幸平・大阪市立大准教授(哲学)の「群像」6月号への投稿を紹介してもらいました。新自由主義やグローバリゼーションとの決別がベースにありますが、その戻る反動か、地産地消や森林のウイルス封じ込めなどという、やや古典的な尺度が語られていて、しかも、それを東工大の若手・中島岳志教授がフォローしているのが目に入りました。古典的テーマかもしれない相互扶助のコミュニティ再形成に依然として惹かれるわたしは、斎藤氏の結びに結論を見出します。「相互扶助も環境保全もどちらも人間と自然のケアという点では同じである。他者と自然からの収奪を中心とする資本主義から、他者と自然のケアと再生産に重きを置いたポスト資本主義への「跳躍」に向けた扉が、今開かれているのだ。」 アフター・コロナの言論は始まったばかりですが、諸問題を包括するだけに終わりが見えないし、生活の価値観まで代える必然にも迫られていて目が放せません。 ■5/28 薪とコモンズ ここのところ雑木林と薪のことしか書かないね、とお叱りを受けそうですが、時節柄、このまま参ります。(-_-;) 2020年早々に、苫東コモンズについて二つの原稿を依頼され、4月の末までにつつがなく提出しました。一つは北大の森林科学科の同窓会誌「シルバ」。ここに『薪とコモンズ』を、もう一つは前の勤め先である財団の研究会に、苫東コモンズの運営と課題に関するものです。後者は26pの長編になりました。今日はとりあえず「薪とコモンズ」のみリンクしました。このテーマはちょっと煮詰まってきています。 また、5月26日の新緑を you tube にアップしました。そしてちょっとうっかりしていましたが、ニュースレター第25号も遅ればせながらアップしました。同時に今年の苫東コモンズのスケジュール(最新版)を更新しました。you tubeのアップが昨日からトラブルにあい、全部一緒になってしまいました。今日はこれからニドムの新緑を家人と見に行ってみます。 ■5/26 新緑のシャワーを浴びて 薪の片付けが一段落しそうなこの頃ですが、もうこの秋からの林の手入れ個所をどうするか、oyama さんと歩いて見当をつけました。これからは枯れ木やツルを片づける作業が多くなる(=薪の材はさほど見込めない)のと、メンバーの高齢化と故障持ちのため、もうがむしゃらな仕事ができないのです。ほそぼそと自分の薪は自分で作る、まるで山へ柴刈りに行くおじいさんの世界に近づいている、と考えると我ながら微笑ましく、ひとり納得します。それにしても気持ちの良い新緑です。ふたたび、娘にLINEで「どうだ」と自慢してやりました。これが白秋期の父親の新生活だ、と。 ■5/25 マイナンバーカードの申請は超簡単だった まだ国民の2割程度しか普及していないらしいマイナンバーカード。韓国はコロナ禍を早く切り抜けるためにも有効だったと聞くが、日本ではプライバシーが問題だという人が多いらしい。きっと国勢調査も反対なのだろう。ネット社会でこれだけ個人情報をさらしていれば、その辺の問題はとっくに通り越している。わたしは国勢調査に進んで協力するが、以前、申請しようとしたら面倒な壁を感じてやめてしまったことを思い出す。が、その後改善されたのか、今回はパソコンで15分ほどで終わった。写真もスマホで自撮りしたものを使用。もっと早くやっておけばよかった。 ■ 5/23 霧雨の林 つくづく風景は道から見るものだと思います。5月下旬のこの頃合いは、勇払原野の雑木林の新緑が最も美しい時期に当たりますが、かなり強い霧雨の中で、わたしにはまだ今一つの感じでした。緑の量と濃さの関係でしょう。撮影の方も満足がいきませんが、現場にはやはりいつもどおり静かな感動はかわらず、要は画像をものする技術と準備が足りないだけのようです。そして、運。風景も一期一会。昨日はウドのおすそ分けをもらい、おとといはスーパーに待望のトキシラズが並び、小さな二切れが夕餉の食卓をかざりましたが、昨日はもう出ていなかったと言います。季節の食のチャンスは大事にしたいものです。 |
■5/21 世間は実に姦しいけれど 耳を澄ませば、周りはワイドショーそのものです。目と耳を奪われて一日を終わることもできますが、日が傾いてから家人とわたしたちの裏山にコシアブラ採りに出かけました。毎年変わらない「日常」です。この春も、山菜はいつもどおりフキノトウから始まって、アイヌネギ、アズキナ、スドキ、コゴミ、ミツバ、フキと来ました。これからワラビ、葉サンショウ、実サンショウでしょうか。今日は採って2時間後、1年越しの待望の天婦羅をいただき、残りはごま油で炒めて醤油で味付けし、混ぜご飯用にストックしました。ちょうどお隣から、柔らかいニラとホッケの塩漬けが届いて、卵とじなども。 ■5/20 空き地と公園、そして子供の世界 今日は二十四節気の「小満」。山菜を見ていると、植物に力がみなぎっていくのがわかります。そしてあと2週間ほどで「芒種(ぼうしゅ)」、種まきの候ですが、わたしはこのころにハンギングバスケットやコンテナに花を植えこむつもり。昨日はあまり引き取り手がいないアカエゾマツの間伐木を割って、自宅へ運びました。これでプリウスで2回目。荷台はごく小さいのですがバカにできません。ようやく隣との間に3~4mの長さで薪の塀が完成。去年、育林コンペで創った薪と合わせて8mほどになるでしょうか。 山林の広場でこのアカエゾを割っていると、団地の子供たちが薪の棚あたりで遊んでいて、やがて薪小屋の屋根で走り出しました。やや興奮気味に見えます。ここは世にもまれな、広大な、気持ちのいい空き地で、それも当面はこのまま続くことが保証されていて一切負担なし、かつ、コモンズ。残念ながら、林で遊ぶ子供も大人もほとんどいないけれども、雑木林の里山はもともと偉大なプレイパークで、遊びの発見と素材には事欠かない。本当にもったいない。今日届いた地域のミニコミ紙『ひらく』の27号は、食べ物も満足に与えられず、居場所がない苫小牧の子供たちにとって公園が救いになっているとの驚くべき実態がレポートされていました。実にいたたまれない気分になりましたが、屋根に上っていた子らはその真逆にいるな、と思います。 ■5/19 父母の歳になって想う父母 「針穴に糸を通され喜びゐしかの日の母にわれもなりたり」(岡田正子・読売歌壇、黒瀬選) わかるわかる、という情景です。それにとどまらず、恐らく還暦を過ぎてから両親のことを思い出すことが格段に増えました。毎日、毎朝といってもいいくらい。親父はあの時、どう思っていたのだろう、とか、特に母親には目いっぱい面倒をかけ育ててもらったのに何も恩返しができなかった、などと絵にかいたような感謝と反省。親になってやっと思いたる。選者は、「こうして親子の情愛は延々と繋がっていく」と。 ■5/18 睡眠時無呼吸症候群Sleep Apnea Syndrome(SAS)のC-PAP 治療で丸2年 早いもので、C-PAP 治療を始めて2年になりました。居眠り運転のもととなる運転中の眠気はなくなり、もちろん、無呼吸もほぼ消えたようです。思い出せば病院1泊の検査時に一晩で二桁の回数で無呼吸が起き、長い場合は1分半も無呼吸でしたから、医者は立派な無呼吸だという妙な太鼓判を押しました。この治療で脳の酸欠や睡眠障害は軽減したのでしょう。喉の雑菌からくる痛みなどもありません。海外へ旅行するときも持ち歩きます。ただ、これは手術などの根治を目的とする積極治療と区別して支持治療と呼ぶのだそうで、症状の緩和・軽減を目指し、治るわけではない、と医者は少し申し訳なさそうに言います。フィリップ社製電子機器のレンタルが随分高いのですが、当分、このまま継続の予定。周りにも無呼吸の人は少なくないのですが、C-PAP に踏み切った人はおらず、タレントでは橋下徹氏がやっていると本人が言っていました。間違いなく面倒ではありますが、プラスマイナス相殺でどう考えるか。 ■5/16 新緑を散歩しながら、春の山菜採りを楽しむ わたしの山菜の記録では、新緑前のこの時期が「山菜の女王・スドキ」のベストシーズンであります。先週は見えなかったし、来週は茎が少し硬くなる。思い切って今日は「山菜の日」と勝手に宣言しました。集った7人、山菜を取る人、山仕事をする人、思い思いの山の時間を過ごしました。 今日なら、スドキは熱湯をかけただけで充分いける。案の定、歯ごたえがよく、しかも筋のない、きわめて良好な味でした。野生の三つ葉、コゴミもあったので夕餉は山菜尽くしでしたが、フキは調理できませんでした。 ■5/14 雑木林の森カフェ 持ち山に残しておいた風倒木処理の丸太を、軽トラックを借りて運搬しました。丸太を積んだ帰り道、静川の小屋に寄ってみると、山菜はアズキナ程度でもう少しだけれども、テラスが「寄ってけ~」と誘います。北の森カフェ、個人的には雑木林の冥想テラスと呼びます。虫が出る前の新緑のなか、あるいは霜が降りる秋の、泊まった翌朝のマズメ時、まだモノノケの気配が残るころ、目をつむる醍醐味はオススメ。 ■5/13 サクラの俳句から、ミラクル落ち枝の原因へ波及 「太き幹堅固に支え桜咲く」(杉本透作・読売俳壇・矢島渚男選) この評に「挿し木からの染井吉野の幹は実は枝なので枯れやすい(らしい)」、とあります。ナルホドと聴き流していきそうなところで、待てよ、勇払原野の雑木林は、落ち枝が多いが、あれは萌芽した枝が伸びているからか?と立ち止まりました。枝を起源に持つ樹木は、実生の幹をもつ個体と違って枝の支持力が弱くて、ちょっとしたショックで落ちやすい・・・?。では、胆振以外の人でほとんど見た人がいないのは、萌芽林でないからか・・・?。選者のコメントが、植木職人の匠らの伝承から来ているのか。耳を傾け、こころに仕舞っておこう。そうしてもうひとつ頭に浮かんだのはオーストリアのフォレスターの話で、「萌芽した樹木(萌芽再生林)は太くなれないから将来木施業に向かない」と発言したこと。枝は枝の人生を歩む、ということか。所詮、根っこが元の木のものであり、そこが実生の根と違うと理解した記憶があります。(写真はわたしの落ち枝画像のフォルダーから過ぎし日の2枚) ■5/12 自然に学ぶということ 俗に自然から学んだなどと良く言われるが、きっと自然は鏡であってこちら側の感性を映しているに過ぎないのだろう。自然の中の知行合一。そんなイメージのある、新谷さんの一冊を読んでいる。新谷さんと言えば、山やスキー関係者の間では、雪崩対策のニセコルールを提案し実践している人として有名だ。氏とは山仲間の集まりでニセコ・モイワのロッジで2回ほどお会いした。酪農大学山岳部を率いてヒマラヤを目指してきたアルピニストで、のちシーカヤックのガイドもこなしてきた。朴訥な語りに深いものがあり、本もまさにそんな雰囲気で対話ができる。山もカヤックもかじった一人として尊敬する4歳違いの先達の一人だ。氏のある本がなかなか手に入らなかったので諦めていたのが、先日、何の苦も無くこれが届いた。山や自然は思索の場でもある。それを思い出させる名著だ。例えばこんな風にアウトドアの今日をみる。「人々はいきなり自然に目覚め、アウトドアマンになった。そして修練を積まずに冒険に踏み出し始めた。アウトドア文化とは都会人の自然願望をコマーシャリズムが煽ることによって生まれた文化であり、その意味で都市文化の一つといえるのではないだろうか」。知識を経験と取り違える人々が増えたことで問題は生まれたと書く。山や自然の本当の経験とは、がむしゃらに縛り付けるような、あとで見れば修行の時間だったようにわたしには見える。(写真はamazonから) ■5/9 今年が最後となる薪配達を終える サクラとコブシが満開の中で、薪を積み、配達した。この配達分譲も今年で終える。薪を安定的に供給を受けるのは、一種の運であり、基本は自賄か、お金か、割り切らざるを得ない。うまく入手するのは、北海道弁で言うと、ちょっとユルクナイのである。 ■5/8 コロナ禍、感染減少続くのは本物か、そしてイタリアの背景 全国、東京、道内各々の感染者数の速報に一喜一憂する毎日ですが、今日はいずれも減少気味で、内心ほっとし始めた道民も、少なくないだろうと思います。我々にもいつのまにか、抗体ができている可能性だってあります。 ところで、夕方、ジャーナリストの河添恵子さんのネットをみると、イタリアの爆発的感染は、近年進んでいた中国人、特に浙江省温州の労働者が、ミラノやトリエステにゴッソリいて、1月ころ帰郷して戻ったあたりが引き金だと話しました。温州は武漢のすぐそばです。ミラノに至っては、住民登録で名前リストを見ると、最近のデータでトップはイタリア人のロッシですが、2,8、10位が中国苗字だったとのこと。大発生のトリエステは、東西冷戦時、軍事的拠点でもあって、中国は一帯一路戦略でそこを押さえ、事前にこの地方の繊維業に中国人が送り込まれている、その数はもうとてつもない割合と言います。コロナ禍はこうしてみると極めて政治色もはらんでいたとみるべきです。10年ほど前、ローマの下水溝に中国人の不法入国者がコロニーをつくっていたというニュースが思い出されます。 ■5/7 焚き付けお試しセット 年明けに、茨城に住む古い山仲間のT氏から、自家製の干しイモを頂戴しました。真空パックされた、見栄えも味もプロと見まごう逸品でした。さて、お返しは何にしようと考えていて、新コロの真っ最中に、ふと彼がたまに薪ストーブを焚くことを思い出して、北海道産の「焚き付けお試しセット」にしようと思いつきました。乾燥した2年物の中から、アカエゾマツ、トドマツ、シラカバ、コブシ、アズキナシ、バッコヤナギ、それとミズナラを選び,、kindling cracker で小割りしました。火つけ時に各々の香りがわずかでも嗅げるかどうか。まとめて持ってみると結構な重さですが、焚き付けとして燃やせば何回分か。わたしなら2週間ほどもつ量です。果たして喜んでもらえるかどうか。これもコロナ以後の新しい日常とかいうものの一例か。 ■5/5 立夏 北国はこの時期目まぐるしく季節が移ろいますが、胆振はようやく土の凍結がゆるむところで、新緑まであと3週間を要します。それでも24節気は立夏だそうです。 ■5/4 自宅へ薪搬入 息子の帰省を当てにして予約したレンタカーでしたが、コロナ禍でままならず、急きょ家人と4往復して次シーズンの薪を運び終えました。これでは実は足りないので、育林コンペの風倒木などの丸太のストックを集めて、庭で割って足しにする予定。これも真夏では厳しいので来週の天気のいい日を選んでやるつもりでいます。基本、苦役ではなく、道楽。早々に切り上げていただく夕方のビールが目に浮かびます。その頃には、新たな山菜もまた出ているはず。 ■5/2 アズキナ 4月16日に、今年の希望的山菜賞味の予定を次のように書きました。…「フキノトウ、アイヌネギと続きましたので、これからスドキ、コシアブラ、ワラビ、コゴミ、ミツバ、ウド、山椒あたりでいったん足踏みし、ハスカップ摘みで春から初夏の季節を食べる道楽が一段落します。」 実はこの間に、写真のアズキナがあるのを忘れていました。決して熱烈なファンがいるわけではありませんが、茹でたときのほのかな小豆の香りに、春の到来を嗅ぎ取るのです。で、固定ファンはいるようです。今日も家人と小鉢一杯分のおひたしにと、手のひら分、いただきました。これも雑木林の山仕事の愉しみ。 ■4/28 国ごとの人口当たり死者数をどう見る 統計を拾って巧みにグラフ化してくれる方がいらっしゃる。これは twitter で見つけた人口100万人あたりの新型コロナウイルス死者数の推移【国別】図。色々要素を変更できる。ちなみに 香港から始まった2003年のSARS は8000人の感染者で10%が死亡。今回優等生の台湾もこの時は甚大な被害だった。100年近く前のスペイン風邪は世界人口の四分の一の5億人が感染とされる。死者は最低1700万人から最大1億人とか。COVID-19 はこの一両日で感染者300万人、死者20万人と報道されています。日々、北海道の感染者が納まらないことに驚き、全国の数字に一喜一憂していますが、時々こういったグラフを見ながら日本の位置も確認。米国やNZは規制を緩和し始めたけれど、米国西海岸のビーチでは人が押し寄せバカンス状態。これが米国の素顔か。 ■4/27 書くこと、まとめること、そしてどうなる 4月は中旬までに環境コモンズという取り組みを総括をしレポートする必要があって、結構まとまった時間を執筆に充てた。人に読んでもらうために、筋道を立てて、独りよがりにならないように注意し、わかりやすくまとめるというのは簡単にいかず時間もかかるが、その分だけ人生冥利に尽きる。人は自分の行為に意味を見出そうとするから、意味を見つけられるよう、頑張れるのである。この書きものも中旬に仕上げて、おととい25日にはNPOの10周年記念誌の原稿に手を付けた。書きながら、何かを総括していく意味ばかりでなく、今までになかった得も言われぬ楽しみを見出し始める。この先にはさて何があるのだろうか。今日も何冊かの本に目を通しつつ、違った著者の世界に行ったり来たりした。こんなことを繰り返しつつ、いい言葉探しをして人生の終末をうまく総括できたら、その時はさらに穏やかに目を閉じることができそうな気がする。思えば目の前には生涯現役の先達がズラリと並んでいる。 ■4/26 古えの画像から② 「こんな緑と人の風景が創れたら」 断捨離で見つかった古い画像の2回目。あいにくスライドスキャンがうまくいかず、あの時の感動が再現できていませんが、場所はベルギーのブルージュ。今から30年近く前の1992年、欧州の花のまちづくりコンクールで金賞を受賞したマチや村を回った時の写真です。水辺の緑地にあった大木の濃い緑とカフェ。こんな週末を送りたい、毎日ならもっと良い、と当時は強い憧れをもってシャッターを押しました。のちにある有名なガーデナーにいい写真ですね、と褒められました。(注;初回は4/9ニドムの雑木林空撮) ■4/24 国益に向けて 新コロに対応している医療従事者の不安と緊張の表情をみると、感謝の気持ちでいっぱいになります。医療も政府のかじ取りも、色々な見解が出され、辛うじて最もよさそうな策を恐る恐る選んでいる様子が伝わってきます。持ち場持ち場で言い分があるでしょうが、まずは国益を念頭に道を選ばねば。経済を柱とする社会構造はいったん組み直しを余儀なくされるでしょうから、いわば近年経験したことのない社会のリセットではないでしょうか。この先、何が待っているのでしょう。外務省の資料をみると、日本の世界の中の位置が見えて興味深い。今の施策を少なくても自虐的にとらえる必要はなさそうです。 |
■4/23 新コロの日々に里山的生活 昨日は三密を避けて大風の後のひとり山仕事。午後から思いついての数時間だった。倒れた木、折れた枝、ミラクルな落ち枝も目につく。捨て置かれた風倒木を玉切りして一輪車で小径まで移動させる。フットパスの切り株を切ったり、やってもキリがないような細切れのような仕事が里山には無尽蔵にあって、無心になれる。色々な風景と人に出会う里山の林。 ■4/22 道新の「ひと」欄で紹介された遠いあの頃 断捨離のさなかに小さな箱があったので開けてみると、わたしの初めての出版『林とこころ』の出納関係書類と新聞記事などでした。札幌勤務になって6年目、「君の林との付き合いは名刺代わりと思って是非出しておいたら良い」と著名な先生に強く勧められて、1年余りで仕上げたような記憶があります。時は森林療法に注目があり、そのせいでしょうか、1300部刷った本が少しずつ出て、今、手元にはほぼゼロ。最近、森林でセラピーなどという話はまったく聞こえなくなりましたが、この本の林とのやりとりがこのところポツポツと聞こえるので一体どうしたのだろうと思っていた矢先の発見でした。 平成16年12月8日、北海道新聞朝刊2面の、堂々真ん中とは我ながら恐れ入ります。あれからざっと15年、本を出すことができた幸運と先生の勧めにこころから感謝すると同時に、発信する醍醐味と身の程知らずの怖さというものにも気づかされます。発信も出会いもまさに一期一会。世間における林との付き合いはこんな短い時間では変わるはずもなく、さすがに自然はゆっくりとしか教えてくれませんし、人の気づきもまた時間が止まったようにスロー。でも、せかされる必要はありません。 ■4/21 知床ルシャ川のヒグマ NHKスペシャルで「ヒグマと老漁師」をみました。ルシャ川河口の番屋で、周辺に60頭余りいるというヒグマを、「コラっ」という恫喝で漁との共生をコントロールしてきた漁師をメインに、世界自然遺産の認定要件に関する調査団訪問を背後においた番組でした。まさに他人ごととは思えない気持ちで、久々にテレビに見入りました。ルシャ川は昭和46年、北海道の山を登り始めたころ、極貧の生活費から大金の旅費を工面して投入し沢登りに行った川でした。禁漁河川でしたが、小さな滝つぼで夕飯用にイワナ(たしかオショロコマ)を釣って焚火で焼いてメンバーと食したことを覚えています。また、ヤマメも交じり入れ食い状態だったので、北海道の釣りの魅力をすっかり失ったのも強烈な思い出で、それが知床でした。その後も出かければ、カラフトマスの大群が足にぶつかったり一日に何頭かのヒグマと会う、わたしにとっては自然の神々と出会うようなスピリチャルともいえる訪問となるのが常でした。そんな知床と日本人の付き合い方を、調査団のアメリカ人は理解できたのかどうか。コンパクトな番組でしたが、ヒグマとどう共生できるのか、典型的な姿が描かれており、6月に開催予定のヒグマのフォーラムでもきっと話題になるはず。とてもタイムリーでした。 ■4/19 今日は穀雨 STAY HOME。今は、何よりも出歩かず、じっと家に居よ!このメッセージを国民がしぶしぶ守り始めています。諸説はありますけれども、早くこの状況を脱出すべく、辛抱です。昨日の作業テントも、2m離れて食事し、落ち着かないうちにみんな席を立って広場に戻りました。 今日は24節気の穀雨。さあ、春に向けて。 ■4/18 きれいな薪と、上手な積み方 長さ35cmにした薪を2列、高さ1.5m、長さ3mにして屋外に積む現在の約1棚は、残念ながら地震や強風で比較的よく倒れます。崩れると修復に半日近くかかるので、徒労感がとてつもなく強いのです。薪小屋も薪が膨らむように崩れる時があります。どうも薪は自重で不均等に沈んで傾き始めるようです。薪の隙間も微妙に埋まって、薪の塊自体が変形してしまうのでしょう(写真左は遠浅のできたて)。 先日、長谷川機械の薪棚を見せてもらいました。NPOは1.8mの箱型でみかけ5.4立方ですが、長谷川さんは奥行きが3~4mあり、8立方が入るといいます。その薪積みがびっしり詰まって見える(写真右)ので聞いてみると、一番外側だけていねいに緻密に積んで、中の薪が膨れて崩れるのを防ぐのだとか。薪に限らず、ひとつひとつにコツがあるというのが面白く、それを謙虚に聞いて学び、自分でやってみて上達し成功体験するのがまた楽しいわけです。 ■4/17 コロナはありがたいという説 (詳細は下記リンクから) 武田邦彦氏は面白いことをおっしゃる。コロナのおかげでインフルエンザの罹患者が減り、結果、年間の死亡者が減っているという。その根拠になるデータとして、ヒトのウイルスが張り付く人の患部は喉の小さな部分で、ここには先に付着したウイルスがいると、後発のウイルスが遠慮してしまうらしい。インフルエンザの発生のグラフを見ると、確かにコロナ前後からフルは減っていて、遠慮したように見えた。厚生省による統計では2018年のインフルエンザによる死亡者数は約3300人だった。別の解説にはこうある。「例年のインフルエンザの感染者数は、国内で推定約1000万人いると言われています。 国内の2000年以降の死因別死亡者数では、年間でインフルエンザによる死亡数は214(2001年)~1818(2005年)人です。また、直接的及び間接的にインフルエンザの流行によって生じた死亡を推計する超過死亡概念というものがあり、この推計によりインフルエンザによる年間死亡者数は、世界で約25~50万人、日本で約1万人と推計されています。」 日本のコロナ対策は失敗したとの評論が多いですが、騙されてはいけないということか。今、わたしたちも壮大な、うれしくない社会実験の役者のようだ。 ■4/16 アイヌネギ、出始める 自発的な自宅待機の息抜きとして、雑木林に出かける。珍しく家人が若いアイヌネギをみつけ、夕食には生のまま、納豆に混ぜて酒肴に。わたしが見つけたのは若いシカの頭骨。アイヌネギ、収穫にはやはり1週間早く、例年並みの山菜の進み具合。フキノトウ、アイヌネギと続きましたので、これからスドキ、コシアブラ、ワラビ、コゴミ、ミツバ、ウド、山椒あたりでいったん足踏みし、ハスカップ摘みで春から初夏の季節を食べる道楽が一段落します。 ■4/15 大木の森づくり、断念 先週から、協会の環境コモンズ研究会のため、環境コモンズの運営と課題について原稿を書いていて、今朝、やっと完成しました。最初は数枚を一晩で書く、と意気込んでいたのですが、仕上がりはA4で24Pに膨らみました。しかし、まとめてみるものです。だいぶ、頭の中が整理され、踏ん切りがつきました。コモンズ林業の要点も浮かび上がってきたので概略を雑木林だよりにもメモしました。経験しながら何かをつかみ取る、というのはこういうことなんだなと小さく悟りました。 ■4/13 森まゆみ著『会いに行く旅』に出会う スーッと心に収まる旅のエッセーに出会った。さすがの筆致である。はしゃがない、平常心の自然体がちょっと暗いかなと思わせるが、いやいや無理のない文章には憧れてしまう。メモなどしないで人の顔を優しく伺いながら、やがてエッセーに溶け込ませる語り口の再現が実に人情がこもってしみじみうまいと感じる。伝説のタウン誌『谷根千』の編集人として活躍していたころ、わたしは確か彼女の舞台の千駄木にあった北海道の宿泊施設・北海道倶楽部を東京出張時のを定宿にしていた。本書は、これまでの長い作家活動の中で、さまざまな媒体に発表した紀行文の中から選りすぐったものを一冊にまとめた、とされる。「町歩き、聞き書きの名手ならではの、いまでも色褪せない紀行文集。人に出会い、町に出会い、風景に出会い、美味に出会う……旅がとりもつ不思議な縁を滋味あふれる文章で紡いだ旅の傑作選」と紹介にあった。こんな文章を書いてみたいものだ。何か惹かれる縁があると感じたのは母方の故郷が山形だったせいか、とこじつけてみた。もと夫は北海道の人で、彼は下町の肌触れあうような人情味ある暮らしが肌に合わなかったようだと何かに書いていたのを思い出す。北海道評で聞くアッケラカンの風土という言葉を思い出した。 ■4/12 トキシラズについて 昨日の新聞の小さな記事に、オヤっと思うものを見つけました。コロナウイルスで日露の漁業交渉が進まず、上限漁獲量が不明のまま出漁したというもので、その中にあったのがトキシラズ。具体的にはシロザケ、ベニザケ、カラフトマス(この辺では時々別名アオマス)と記事には書かれています。時鮭、時不知と書くように、まずマスは含まれないと思っていましたし、サケは鮭でも普段は脂ののりが少ないシロザケのみを指すと思い込んでいました。そういえば、日本料理でマスのようなトキを食べたこともありましたから、漁業関係者の間ではトキの意味の幅が広いのかもしれません。ともかくトキは脂ののりが違います。上品です。 一昨日書いた下記オホーツクのカニは、昵懇(じっこん)にしていた近所の方が北見紋別の魚卸問屋のお嬢さんで、毎年春先にカニをおすそ分けしてくれたので味を知ったのですが、一緒にご馳走になったのが「クチグロ」でした。これはサクラマスの小さなもので、なるほど口元が黒く、しょうゆ溜りにルイベの刺身をつけると、パッと脂がはじけ、まるでチップの刺身のようでした。このごろ、肉を食べると牛、豚を問わず下痢するようになってきたので、いよいよ、魚へシフトかも。今年もそろそろ、トキが出てくるでしょう。特上のトキのカマにありつくために、時々鮮魚店を見ておかねば。 ■4/10 早春の珍味と言えば 有珠の沢の裏山で最後のフキノトウ、これで2回目のかき揚げとふき味噌。そして熊本のデコポン農家の友人に、お礼にいつものオホーツクのカニを送ったそのついでに、自宅にもちょっと小ぶりな毛ガニを届けてもらいました。流氷明けの身の締まった一品はさすがのバランス。意外な展開になってきた心理的コロナ封鎖に、従順に従う庶民の小さな手づくり贅沢。 ■4/9 植苗と柏原の雑木林 (古えの画像から ①) 環境コモンズ研究会が令和元年度で終了するのを受けて、ここ数日は、環境コモンズの運営と課題をテーマにした原稿を書いています。その中の雑木林のコモンズを記述するくだりで、北海道では本州とは違って雑木林がほとんど注目を浴びることがないこと、それは薪炭を取った残りのヤブヤマだからだ、と結論付けようと思います。ヤブヤマは蔑まれて「ゾウキヤマ」とも呼ばれました。それが幸か不幸か二束三文で取引されたのかは知る由もありませんが、数百から1000ヘクタールのまとまった不動産として取引され、リゾート用地の脚光を浴び続けています。 写真左は20年以上前のニドム(ポスターをコピー)、右は40年ほど前の柏原(野鼠駆除のヘリコプターから撮影)です。捨て置けばケガレチのような藪、手入れすれば心身を癒す休養のメッカ。記述は、「コモンズ林業は近傍のリゾートに似て、捨て置かれた藪の潜在力を前に出し、付加価値をつける風土マネージメントだった」と書き込もうと思います。実は断捨離のさなかに、紛失したとあきらめていた大事なスライドが数十枚見つかり、改めてスライドリーダーを入手してデジタルデータに替えてみました。上の写真もその一部です。好きな写真も見つかって、うれしさこらえてのアップです。残念ながら色合いがスライドに比べ数段劣りますが、折をみてまた好きな画像をアップしようと思います。 ■4/8 出版『ハスカップとわたし』の費用対効果 昨年の3月末、「ハスカップとわたし」を出版してから1年。NPOが受け持った800冊の集計をしてみると、販売が約100冊、寄贈が約380冊でした。売れたのがたったそれだけか、と言われそうですが、ハスカップ・サンクチュアリに注目するNPOの地域貢献事業としての着手でしたので、まずまずの実績かと思います。それに文字にして残しておく意味というものもあります。今回の本は、特に研究者がハスカップの社会的背景を知るのに大変役立った、と聞きます。どこから来たのか、どのように再生するのかなど、まだまだ謎だらけのハスカップです。これからますます研究が進むことに期待したいと思います。 ■4/7 勇払原野におけるヒグマの行動を考える ~シカに続くヒグマのフォーラム~ 写真は平成8年の柏原。横たわっているのは体重180kgのオスのヒグマ、その名もトラジロウ。前年、苫東内のミツバチの巣箱6か所を総なめにしたことがきっかけで、捕獲とテレメーター設置による行動範囲調査が持ち上がって、翌年、環境庁の捕獲許可、地主のわな設置許可を取って見事捕獲されました。数日後、ヒグマの研究者によって敏速に各種の検査が行われて、間もなく麻酔が切れるため、みんなが退散するところです。わたしもこの時この位置で一部始終を見ており、折角なのでトラジロウの顔を覗き込み、頭を撫でました。実に賢そうな顔でした。 このトラジロウが残した行動記録から勇払原野のヒグマ行動を検証し今後の対応を考えるフォーラムを6月13日に当NPOが活動センターで開催します。講師は、この調査を指揮した青井俊樹岩手大学名誉教授(当時は北大苫小牧演習林長)と、当時北大の院生で調査を担当し修士論文を書いた早稲田宏一氏。あれから約25年、ヒグマの問題はより身近になりました。今回は一緒に勇払原野のヒグマとの付き合い方を考えます。 昨年11月のエゾシカの第7回フォーラムは、『エゾシカの食害が雑木林の存続を危うくしている』というタイトルでまとめましたのでご覧ください。ちなみに今年は3月24日に、柏原の国道234号でヒグマの横断が目撃されたようです。 ■4/6 ハスカップとドングリの実生苗、コモンズ小世界その後 おととしの暮れに鉢土に埋めたハスカップの冷凍果実と林道で拾ったドングリが、居間の窓辺で2シーズン目の新緑を出しました。ハスカップは落葉はしないまま最近まで元気でしたが、このところ葉っぱにサビ病のような茶斑が出てきました。ナラの方は古い葉が枯れ始め見る見るうちに別に冬芽が膨らんで1週間で開葉しました。世代交代です。低温に当たらずとも冬芽を形成するようで、これはちょっと意外な結果でした。毎朝、薪ストーブに火をつける前に、コップ3分の1ほど水を上げるのですが、今朝はこの2種の健気さと色合いに不憫さを覚え、園芸用の栄養剤を与えました。春になったら、現場の露地に移し替え、秋にまたハスカップとドングリのコモンズ小世界を一から再現します。 ■4/5 出会ってよかった日本書紀の入門の書 余裕ができたら是非読まねばと思っていたのが日本書紀。そんな折、全く予備知識なしの状態で、この本に出合えてラッキーでした。日本の正史と言うべき国史が720年になぜ編まれたのか、なぜ漢文なのか…。それは、漢文が当時のアジアの共通語であり、広く各国に日本を知らしめる意図があったことなどに始まり、日本書紀に付随する雑学(近現代史も、さらに昨今の政治家の言動などもふんだんに触れ)などなど、実に様々なエピソードに寄り道して日本書紀の輪郭を明確にしたため、古色蒼然さがみじんも無くなっています。2019年7月の出版。1回目は傍線をひきつつ昨年一気に読み終え、今はゆっくり2回目、1300年前の日本も、シナとの関係では今と相似する荒波の中にあり、そこをくぐって今の日本がある、という感を強くします。「本当は世界に向けた情報発信だった」と帯にあります。加えて「古事記だけでは本当の日本はわからない」。阿部國治著の古事記全7巻を読み、本書を通読しての偽らざる感想でもあります。 昨日は二十四節気の「清明」でした。今日は昼前に2回目のフキノトウ採り。まだまだ里の雑木林には花はありませんが、唯一、ナニワズだけがぽつぽつと控えめに。写真は昨日の遠浅産。 ■4/3 生活感を共有する歌壇・俳壇 時間ができて開始、再開したものがいくつかあり、その開始したものの一つが新聞の歌壇・俳壇の熟読、玩味です。よくぞここまで洞察し、情感を込めて巧みに歌い上げたものだと感動することしばしば。全国の津々浦々で日々を生きる大人の投句、投歌、時にはそこに高齢者ならではの共感もあったりします。人間っていいなあ、そして日本人の感性は細やかだなあ…。 今日のなるほど俳句 「一村に合格という別れあり」 …世間では時に「学歴は故郷を捨てさせる」とも。 今日のなるほど短歌 「小春日の縁に介護の日々語り語り尽くして帰る妹」 …ご主人の親の介護でしょうか。聞き役の姉。 |
■4/2 ちょっと待て、捨てるのは食べてからにして、「ポルチーニ」 断捨離に限らず、人は捨て始めると色々なモノが出てくるもので、家人は台所の棚をいじくって「これも捨てようか」と言います。見ると、7,8年前にどなたかに海外旅行のお土産にもらった「乾燥ポルチーニ」です(右)。ネットで調べると、本物はイタリアや中欧などのやや高いところに生えるイグチ科イグチ属のヤマドリタケのようですが、日本産ならヤマドリタケモドキが近いとのこと。一方、流通しているのは中国産のムラサキヤマドリタケだとされていて、もらった商品のラベルには、確かに中国産とあり輸入元は英国ロンドンの会社。開封するとかなり独特なにおいがあり、水で戻すと黒茶色に代わって、さらに強烈な香りを発しました。これをオニオンスープで食してみました。なるほど、独特の風味があり、歯ごたえは意外にもボリボリ、香りはラクヨウのような癖のある強いものがあります。ただ、とてもイグチを干したとは思えません。賞味期限を5年も過ぎているのにこの風味、もう少し付き合ってみることにしました。 ■4/1 断捨離で残すもの、残されるもの、そして 3月下旬から、自宅小部屋で近年2回目の本の整理を断行しました。わずかな量なのに、大げさに断行とでも言わざるを得ない、気の重さがあるものです。職場に持ち込んでいて戻した若干の専門書や資料などの箱もなんと9か月振りにようやく開けて、本棚の余裕を勘案しもう一度選別しました。末期に向けた身辺整理、いわゆる終活か、と、あらためて歳と残された時間を振り返ることになります。だから先輩、ご同輩には妙な連帯感を覚えます。本は、読みながら対話しているうちに、思いついたことを記録するメモ用紙に変わるうえ、扉の裏にいつごろからか蔵書印を押すようになったので、家人は惜しむのだけども古本屋ではもう買い取ってはくれないものがほとんど。長い間、仕事と趣味が重なっていたため、自然一般、森林と樹木関係がメインになり、山、フライフィッシング、薪ストーブなどアウトドア系のうち大事なモノが残りましたが、意外なことに結果的に最も割合が多くなったのは、ヨガと瞑想、仏教や神道などの宗教、癒し、スピリチャル系と、古典関係と近現代史に関するもの。興味の的から離れていくモノと、コトと、ヒト、いずれも「去る者は日々に疎し」、まさにこのことわざ通りに進むものだと感心してしまいます。そうしてだんだんと身辺をそぎ落とし身軽にして、あの世に行く浮力を増すのだと思えばわかりやすい、と気がつきました。 ■3/31 田渕義雄氏の訃報を知る 薪ストーブ Fire Side のホームページで、田渕さんがご逝去されたことを知りました。わたしより七歳先輩にあたり、自然生活というものを、精神と行動を総動員して向き合い満喫する時代の先頭走者でした。奇しくも、山、森、釣り、薪ストーブ、、、でわたしは氏の系譜とかなり重なる現在になっていますが、それぞれの道で常に斜め前にいる敬愛するおひとりでした。訃報を知った Fire Side のエッセー集(数人が投稿)「森からの便り」の冒頭にはこうあります。「薪ストーブを中心にカントリーライフを満喫するヒントが詰まったエッセー集です。あなたのこころの栄養になりますよう・・・」。 昨年の11月、開発こうほうに、「地方に住む意味と動機~田園の風土と産土考~」という短いエッセーを書きましたが、その最後で、田渕氏にとって北海道は今も憧れの地であったことを紹介して結んだところでした。その2か月後、寒山の森の自宅で、薪ストーブの暖に包まれて亡くなられたようです。心よりご冥福をお祈りいたしします。合掌 ■3/28 食の春、開幕 勇払原野の早春は、雑木林の落ち葉を掻きわけると、ひと掻きもしないうちに固い凍土に突き当たりますが、それでも日当たりを探して間もなく、小さなフキノトウが見つかりました。メンバーとの山仕事を終えてからの池の周り。本当に小さなフキノトウを8、9個ほど。早速、帰宅間もなくして、ホッキとフキノトウのかき揚げに取り掛かり、家人との二人分、たった二つを揚げました。朝、頼んでおいたホッキは大振りで1個で300円余りでしたが、二人なら十分です。「もう一つ食べたかったね」「でも、二つなら多いよ」。そんな会話をして、甘い春一番の山海の妙味を堪能。昨年の初かき揚げは、フキノトウふんだんな4月8日でした。 ■3/27 遠い遠い国、ノルウェー 朝晩の野鳥の賑わいが、秋分のころ以降から鈍くなったように感じます。11月の中旬からの給餌ですから、ちょうど4か月。雪が消えれば野鳥は野外の餌に関心が向くのでしょうか。そう思ってみると、ヤマガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラの林の鳥3種が来ていません。よし、よし。若干さびしいけれど、これも自然。間もなく餌が切れるので、今週で給餌は終わります。 ところで、昨日の下記ログをアップしながらノルウェーの薪生活(ノルウェー放送協会)を覗いていると、ノルウェーの風土が感覚的に伝わってきます。森林率は北欧にしては3分の1と低いのですが、国土の3分の1が北極圏にあることが背景だと思います。北欧はフィンランドに夏冬2回(デンマークを1回ちょいの間)で訪れましたが、イメージはやはり長い、暗い冬で、薪ストーブの炎の意味は、暖房だけではないようです。森が大好きなドイツ人が、「フィンランド人は森と語る」と一目置くのは、薪を通じて森とのつながりの深さが半端でないからでしょう。薪を仲介にして森や自然神と向き合っているようなイメージもあります。逆に、日本人、北海道人の多くはその絆がいつの間にか極めて希薄になっていないでしょうか。となれば想起されるのは、風土が精神を支配すること、そうして風土感覚を失えば自ずと精神も移ろう…。薪と森とヒトについて、そんな構図が見えてきます。 ■3/26 北欧の名著『薪を焚く』との対話 北欧の薪の文化が一行ごとに伝わってくる、驚きの本が出ました。日本では2019年11月に初版、明けて2月にもう三刷です。著者ラーシュ・ミッティングはノルウェー人。訳者のあとがきで、本書は2011年にノルウェーで発行され、人口500万人の同国で16万部を超えるベストセラーとなり、クリスマスの贈り物になったと紹介されています。日本版の帯には「ただひたむきに木と対話する。そこに浮かび上がる、自然との関わり、道具への偏愛、スローライフの哲学、手仕事の喜び―。ノルウェーの伝統的な薪焚きの技術と精神を伝える薪と人の物語」とあります。本書のページをめくると最初の数行から、森や林と付き合う薪焚き人の心を、北欧ならではの感性で言葉にされていることに気づきます。そしてまだ北海道では姿を見せていない、薪を焚く文化の存在を知ります。そうして始まるこの本の描写する世界との対話。それは、寒く冬の長い北欧が、自然と対話する独特の感性を育んできたことをしのばせます。 2019年の「日々の迷想」7/31のログで紹介した、田渕義雄氏の「薪ストーブの本」も今、目の前にあり、何とも豊かな気分になります。そういえば、薪ストーブが燃える動画を延々と放映して高視聴率を記録して評判になったのもノルウェーでした。日本の民報局は、この出来事にヒントを得て90分の焚火の音の番組を制作しています。また、眠れない夜の焚火映像8時間は、視聴回数100万回超え。石油などの資源豊かな国ながら、電気が寸断されれば生活がストップするため、電気に頼らないエネルギー確保が、国の方針だともされています。同じ理由で、スウェーデンも、「脱原発」をやめました。今年の6月、NPOの森づくり研修のテーマは「薪と原子力」ですが、こんなエネルギー対応について理解を深めたいところ。 ■3/25 コロナ対応の不思議 日本の感染数が低いことに欧米の関心が集まっているようです。図は感染100人カウント後の推移が示されていますが、日本やシンガポール、香港に比べると、欧米は一目瞭然。ですが、縦軸は対数目盛なので実際はもっと急激なカーブですから、日本のこの現象は何故だ、検査不足か、ということになります。「米通信社ブルームバーグも、検査数の少なさを指摘しつつ、検査数が多いイタリアより致死率が低いことも紹介。握手やハグの少なさ、手洗い習慣などを肯定的な要素として挙げた」。一方、北朝鮮は感染ゼロと発表して疑念を持たれていますが、実情は逆で、金委員長は東海岸の寒い元山に避難し、それをカムフラージュするために近くからミサイルを何発か打っている、という事情通の話も聞こえます。妹に世襲を急ぐほど、健康状態は悪く末期的という見方も強まっています。いよいよ、ことは感染症でとどまらず地殻変動に進むのか。 ■3/24 Land of Rebirth 武漢ウイルスの感染が懸念される微妙な時期でしたが、予定を崩さず、熊野三山をお参りしてきました。ウォーキングポール2本に体重をあずけ、鎮痛剤を服用しながらの、歳相応の旅行になりました。宿とJRとバスのフリーパスだけセットされた自由旅ですので、家人以外の誰にせかされることもありません。アジア客はゼロ、白人がチラホラ、静かなものです。初日の大門坂(写真左)では約6km、44階を昇り、那智大社、那智の御滝から那智勝浦へ戻って1泊。翌日は本宮大社、速玉神社、神倉神社など、約8km、限界でした。神倉神社のパワースポット・ゴトビキ岩は、階段数560余りの急斜を見て断念し、家人にお参りを託しました。 帰途はJRの特急で名古屋まで約4時間。山あいの風景とこの距離感は圧倒されますが、昔の人は京都と熊野を1か月で往復したと言いますから驚きです。白河院や後鳥羽上皇もしばしば往還したというので、本音としてはもっともっと楽な行程かと思っていました。 それにしても、故事来歴をものする資料を何度も読み直し、現地の世界遺産センターのモニター画像や解説を見ていると、時代を飛び越えて幾分なりとも歴史を共有できそうな感覚が湧き、そのことがなんとも新鮮でした。末法思想の渦巻く時代には、熊野をよみがえりの地(land of rebirth)として天皇から庶民までが押し寄せた背景までは、やはり現代感覚で推し量ることができませんが、どこか修行感覚だっただろうことは伺えます。 パンデミックで、五輪どころか経済も、教育界も、そして日本社会全体どころか、世界中がその対応に追われている中、のんびり旅行していたのはちょっと申し訳ない気もしますが、再生の願いを込めて日本を代表する聖地を巡るまねごとをできたのは、実に幸運でした。こんな折、わが北海道を思い起こせば、さほど遠くない昔、この地は人々の住む地として認知すらされていなかったことに思い至って、愕然とします。 ■3/19 更新、しばし休みます おはようございます。苫小牧は気持ちの良い快晴の朝を迎えました。昨日から、野鳥の訪問が激減しました。どうしたのでしょう。雪解けで自然の餌に戻っていったかな、と推測しましたが、このままでは餌が残ります。さて、時節柄、多少気にはなりますが、今日から予定通り本州方面に旅行するため、HPの更新が止まります。荷物の軽量化のためにパソコンを持たないことにしたためです。どうぞよい週末をお過ごしください。 ■3/17 手動の薪割り機 薪生活は、見た目ののどかさとは裏腹に、自賄いするのがとてつもなく面倒なもので、それ自体を楽しめる精神と、時間と、さらにチカラがないと、ただの夢で終わります。当方は、とりあえずやる気は満々で時間もありながら、いかんせん、チカラが微妙になってきました。薪の自賄いは、間伐に始まり薪割り・薪積みで一段落ですが、先日の薪割りでは、悪化していた股関節にとってはとうとう薪割りも良くないことが判明。昨年、間伐・伐倒を縮小・自粛したばかりですが、マサカリによる薪割りも断念しつつあります。 そこで前から物色していた手動の薪割り機をチェック。パワー10トンのものを3万円前後で買えるのですが、問題は重量です。写真のものを注文しようと思ったところ、なんと約50kg。これではちょっと扱いが難しい感じのため、40kgのものに傾いてきました。やりたいことと、やれることの間には、このようにずいぶんと開きがでてきました。歯医者さんにも常々、「入れ歯にしないでがんばって(あの世にいくまで)持たせましょう」と励まされるのですが、これからの生き方の極意は、「だましだまし、(あの世に行くまで)持たせること」と知りました。 ■3/16 不安と物悲しさ感 NHKのラジオ深夜便は午後11時過ぎ、アンカーの1分あるかなしかの短いトークで始まりますが、この語りのファンもきっと多いのではないでしょうか。その日、アンカーが見た風物に、個人的感想を入れ込んだ何気ないものですが、実に練られていて耳障りもよく、日本人の日常はさもありなんと思わせます。で、数あるアンカーの中のお一人に、「お仕事中の人も、病院のベッドに横になっている人も、眠れない人も、・・・どうぞお付き合い下さい」という主旨のフレーズを語る方がいて、ラジオを耳にしている大勢の人をぐっと引き寄せます。こちらの心持ちをお見通しでないのか?そんな気にもさせます。 この歳になると、夜中トイレに起きた際、目が冴えて眠れないことは多々あります。それが同年代以降の常であることは、同輩や先輩の経験談ですでに十分認識済み。その目覚めの瞬間に、何とはなしの不安と、物悲しさが湧いてくることがままあるわたしの場合は、その対応策までまじめに探ってみました。そうして行き当たったのが、数年前にも書いた、思想家・中村天風の「観念要素の更改法」でした。要約すると、「寝る前の最後の思考は朝の最初の思考となる」、「夜の世界こそはわが生命が宇宙霊の絶大な力と結び合おうとする尊い時であると同時に、心なく生きる人を向下に堕とす悪魔の跳梁する心許すまじ時なの」だ、だから、就寝前にある文言を誓いとして唱えよ、と言うのです。そして目覚めとともに、ある章句を口にする…。超越した多くの先人の偉さと卓見には唸りますが、言葉(や行動)が情緒や考えを誘導していくとする見方は、体験を通じて大いに同意します。実語教、論語など寺子屋で教えてきた心構えの朗読が、己の身の振り方を律し、方向付けをしてきた、自動車も電話もなかったやや古い時代。その心構えを置き忘れて、人々が心を病みそうになる今こそ、心の時代と言えますが、実行することは時代逆行のそしりを免れることができそうにありません。 ■3/14 目標は「ゆるい山仕事」 今年は材の需給のバランスが良く、余裕がある。思えば、このぐらいの余裕ある工程が、わたしたちにはふさわしいことを知る。林の保育を適切な施業でこなして、それも無理をしない方法で材を出してくる、そしてゆっくり丁寧に薪にする。この当たり前のやり方が、実は高齢者向きの「持続可能な森づくり」ではないだろうか。実のところ、青年期、壮年期の体力はもうなく、だからこそ、それぞれが腰痛持ち、膝痛持ちだったりする。そして過労は万病のもとだから、働きすぎは禁物である。 となると、やはり、わたしたちの「年寄、半日仕事」のスローガンは意味をもってくる。9時5時ではない、正味10時3時あたりがいいのではないか。前後の時間に余裕があれば、他のことに使うのも良いし、山で散策や歓談でもして一日を終えればよい。これから目指すべきは、「ゆるい山仕事」である。 ■3/13 パンのおいしさ 欧米人に人気の日本の食の定番は、従来は、すし、お好み焼きやたこ焼き、それとラーメンなどと言われてきましたが、そこに最近はパンが加わって注目のようです。この評判はスイーツとともに以前からじわじわと広がってきていて、メロンパンやカレーパンなどの調理パンも独自の世界が切り開かれてきた一方、コンビニでは100円そこそこでおいしいチーズケーキなどが食べられるなどというのも世界を見渡すと驚異の事実だと言います。確かに、ヨーロッパを旅行すると、朝食においしいパンと出会うことは少なく、いつもパサパサで、フランスに入国して初めておいしいものに出会えた記憶がよみがえります。15年ほど前、ドイツとオーストリアの森を見に行った時、同室になった方が旭川のパン屋さんのオーナーだったことを思い出しました。彼は毎朝、朝食のすべてのパンを食べてから「自分のパンの方がうまい」と小さくつぶやいて色々解説してくれました。欧州の国でわたしたちがパンがおいしくないと感じるその謎を解く答えとして、かつては備蓄した小麦を古い順に食べるから、という説がありましたが、どうもそればかりでなく、味覚、食習慣、そして何より日本人の食の追求もあるはずです。 今日は近くのパン屋さんで、大好きなシナモンロールとクロワッサンを買ってお昼にしましたが、レジ脇の小さなカフェをのぞくと、そこはおばさんたちのランチで満席でした。コロナ?はあ?という感じです。これも健全でよろしいのではないでしょうか。 ■3/11 自然との折り合い、世間・社会との調整 地震、大雨などの気象災害は、実は自然現象の粛々たる結果であり、神様のイタズラでも悪魔の仕業でもないのですが、展開する悲劇が、単なる自然の出来事とは思えなくなります。疫病も含めると、それらは往々にして国難に発展します。800年ほど前の鴨長明の「方丈記」の世界とあまり変わりがないことがわかると同時に、わが日本は、つくづく天災の途絶えたことのない列島だったことに思い当たります。われわれのご先祖はそんな災いとなんとか折り合いを付け、生きてきたようです。無常感、むべなるかな、です。そして今はまさに内憂外患、難問山積。折り合いだけではすまない局面もあるでしょう。ここはひとつ、国難を回避すべく、賢く生きぬきたいものです。 大島山林の森林公園化で、苫東コモンズの設立前から公的な視点で地元と当方の活動の調整に尽力された、苫東コモンズの会員Aさんが他界されました。町議会議員を26年務めたほか、数多くの公職に就かれ、この4月に地方功労者として叙勲の運びだったとお聞きします。調整と言い先の折り合いと言い、令和の「和」につながる日本人らしい美徳、あるいは得意技ですが、誰にでもできるわけではありません。氏のご逝去に接したあと、葬儀の間、氏のもろもろの調整する姿が脳裏を巡りました。心よりご冥福をお祈りいたします。合掌 ■3/10 意外な大相撲の愉しみ 大阪場所は無観客で始まりました。そのお陰で大相撲の普段は聞こえてこない話が聞かれて、それなりに楽しんでいる方もおいでのはず。放映するNHKの工夫ももちろんあるでしょうが、観客のいない静かな館内だからこそ聞こえてくるエピソードもあります。その一つは、解説席の肉声。それが力士に聞こえないように席を覆ったとのこと。確かに、「今場所の〇〇は〇〇ですからねえ」とか余計な雑音はいけません。 また、ある相撲通が教えてくれたのは、横綱の土俵入りの際に行司が発する警蹕(けいひつ)の音。警蹕は神主さんが祝詞をあげる時に唸る「お~~」というあれだと思いますが、神様が降りてくる際とか、天皇皇后がお出ましになるときに先導しながら発するもののようです。改まった場などでうるさい人に誰かが「シ~~」ということがありますが、あれもその類でしょう。つまり毎日、土俵の上では神事が執り行われていて、その警蹕の音が今場所は聞き取れそうだ、というのです。 そのためには幕内力士の取り組みが始まる前にTVの前に、ビールではなく、お神酒をもって座る必要がある、と決めました。さて今日は聞こえるか。 ■3/8 白鳥たちが飛び交う雑木林にて 雑木林は、直観的にサングラスが要る、と思うような快晴でした。気温は8℃。週の半ば、30cm近い雪が降ったため、林道も林床も雪がたっぷりで、林内の丸太を薪ヤードまで搬出を完了(動画はこちら)。渡り鳥が鳴きながら飛び交ういつもの季節が何事もなかったかのように到来。胆振の雑木林がもっともにぎやかで躍動感のある時期でしょう。 ■3/06 林のゴミと熱 薪ストーブに毎朝点火するときには、新聞をねじったその上に、薪づくりの現場や林で拾ってきたゴミを載せます。今朝早く、そのゴミを載せる際に手にすると、ぼろぼろの樹皮、ちりじりになった落ち葉など、もろもろがあって、掌からこぼれ落ちる状態でした。なにやら腐食し始めた匂いもして、はて、自分は何をしているのか、というはてなと、山で腐れていくものを燃やして熱にしようとしているんだという、忘れていた発見がようやく追いかけてきます。 腐朽は虫と友達。このごろ家人は、少し多めに、居間の壁にいくつか虫を見つけています。頃は啓蟄。寒さが緩んで虫たちが外に出るその時期に、北海道では結構な大雪になりました。 ■3/04 断食で正しい食を知る この10年の間に、大腸憩室炎と食中毒で計3回、内科胃腸科の病院に入院して、そのつど、医療の処方として絶食を経験しました。初回、疾病の度合いをよそに、一体どんなことになるのか不安半分でかつ興味津々でしたが、3日目ころにやっと重湯が出て、3分粥、5分粥と少しずつ固形の食べ物に移っていく過程で、計らずも味のない重湯という食べ物のおいしさに気づき、やがて、ダシの効いた味のある食べ物に感動しました。 また、断食によって、身についていた食癖を断ち、もちろんアルコールからも離れてみて、生きている現代の宗教のヨガが、なぜ厳しく呼吸や体の在り方をただし、正しい食を言うのか、体得しました。 今朝は、土鍋を使って薪ストーブでホタテの貝柱を入れた中華粥を作り、食しました。時には少しだけ、正食に近づくべく祈って。合掌 ■3/02 役に立たなくなった国語辞典 今日も新聞の歌壇、俳壇で未知の語句に出会いました。そして、調べました。吹越(ふっこし)、うすらい、松宇(しょうう)、皸(あかがり)、春隣、茎石など。特に茎石は、「茎石を探す川底暮れ残る」の投句で出会い、意味するところは、野沢菜など茎漬けをつける際の重し、のようです。う~ん、実にリアルにローカルな情景が浮かびます。これらは半世紀前になる高校生のころに使っていた旺文社・国語辞典にはどれ一つ載っていません。すべてネットで丁寧に追いかけ取捨選択して、やっと「これかな」と思える解にたどり着きます。日本の伝統文藝にはまったく恐れ入ってしまいます。と同時にネット検索なしには、いつのまにか精神生活めいたことは不可能になっていることに、あらためて唖然。. ■3/01 三月弥生の初日、一転、雪模様 昨日の山仕事のおかげか、夜中に一回も起きずに未明まで6時間、熟睡しました。たっぷり10cmも雪が積もったせいで、外が静かだったこともあったかもしれません。窓の外の鳥たちは、雪に隠れた餌を掘り出して食べ始めましたが、こんな日は特に野鳥の活性が高いようです。シメとスズメのたわいもない争奪戦が続き、ヤマガラとシジュウカラは、争いの収まった隙間にそっとやって来てさっと去ります。その朝まだき、薪ストーブ横の薪が右の写真です。なんだかくたびれた感じがありませんか。1年半も乾燥させている間に、樹皮は落ち、キノコやカビがはえ、木口は黒ずみ、なんとも朽ち果てる生き物の習いを映しているようです。今、ゆっくり三次燃焼中。 NPO苫東環境コモンズのページをリフォームしました。まったく余計なものを入れ込んで見にくくなっていました。備忘録のようにため込んでしまうのですね。一連の断捨離プロジェクトに合わせて、思い切り簡素化しました。 ■2/28 星を眺める楽しみ 星や星座の知識はゼロですが、お月様が見えない日が続くと、どうもいけません。昨年は、どうしたことか、流れ星を一つも見ることができませんでした。その前の年は5つ見ました。写真の支笏湖のような星が見えるところに出向かなかったというのもありますが、苫小牧の夜空がひときわ明るくなっていないか、と疑ってもいます。(写真は借り物ですが、たまたま明るい街明かりはどうも苫小牧のようです。)というのも、かつては自宅の天窓から流れ星を見つけたこともあったのです。自慢できることではありませんが、寝る前のある時間、玄関かベランダに椅子を出して星を眺める習慣は冬の今も続いており、自分は凍死で死ぬ可能性すらあると内心思っています。 それでも冬の大三角形のリゲルやシリウスなどの一等星が南の空に輝き、それが日に日に西へ移動し、夜明け近くになって、地平線から火星が昇ってきます。しかもこの動きは確実です。天体は科学そのものであり、神であり、謎でもあります。その向こうには何があるのか・・・。そんなことを考えていると浮かんでくるのは、地球全体を一つの生命体と考える「 ガイア理論」、そして常にバランスを取っている恒常性ホメオスタシス。この不思議な天体の一か所にへばりついているヒトに、今、コロナウイルスが降りかかっています。これもこのホメオスタシスの中で飲み込んで、終息に向かってほしいところ。 |
■2/26 雑木林のリゾート、早春のニドムを歩く かつてはなんてことはないヤブ山であった雑木林が、近年、国内外で人気のスポットだと聞きます。荒削りの風土をシェープアップして見せたリゾート・ニドム。観光シーズンとしては今はオフですが、この早春のリゾートを歩いてみました。 ■2/25 『水の星を生きる -ヒトはどこに向かっているのか』 船木幹也著 建築家の船木幹也さんは、梅田安治・北大名誉教授の紹介で、2012年に苫東コモンズの会員になられました。その前後から、自然エネルギーの薪と文明生活の関係などについてお茶を飲みながら時々お話を伺い、意見交換もさせていただいてきました。現在もGWには、NPOが江別の船木邸にレンタルの2トントラックで一年分の薪を届け、氏も薪割りの手伝いに遠浅の作業ヤードまで出かけてくることがあります。氏が書き溜めた文明論(標記)が(公社)日本建築家協会から2018年にだされています。間もなく啓蟄を迎える早春の日、我が家のストーブに薪をくべた折にふと本書を思い出し、氏の書かれた中から薪エッセーのような部分を拾ってみることにしました。少し長くなります。 「・・・特に電気エネルギー利用への転換により、われわれは自ら身体を使ってモノを手に入れることを忘れ、できるだけ体を使わず、スイッチのオン、オフのみで操作できる利便性を謳歌しています。人類は科学技術文明のなか、考えることを止めても、体を動かすことを忘れても何とか生きていけるようになりました。そして、このような環境の中に身を置くことが、快適性が確保された豊かさであり、進化であると錯覚しているのです。 ここで私の経験についても触れておきます。我が家では建設当初から壁式ペチカを使って暖房してきました。このペチカは燃料として石炭、コークス、灯油となんでも焚くことができます。我が家では初めには石炭を焚いていました。しかし新興住宅地であったこの地で、近所に家があまり建っていなかった間は良かったのですが、新しい住宅が建て込んでくるようになると、焚き始めの煙突からの煙が気になります。そこである時期から煙が出ないコークスに切り替えられました。しかし、コークスとて目に見える煙は少ないにしろ、非再生エネルギーを燃やし、二酸化炭素を出していることは変わりません。 そして10年ほど前から、我が家は再生エネルギーである薪でペチカを暖める生活を始めています。そのためにある時期から私はNPO法人苫東環境コモンズに参加して、ささやかではありますが苫東地区の森林の環境保全に関わり、間伐材の薪割りを手伝い、廉い薪を確保しました。 毎日朝晩カマドで薪を焚くにはそれなりの段取りが必要です。まず毎日外から薪を運ぶ作業があり、時には大きな薪を割って焚きやすい大きさに割ることも考えなければなりません。雪が沢山降った時には、薪置き場までの除雪も必要になります。灰の始末もあります。灰と言えば薪を焚くようになってから、コークスや石炭の灰と違って、木灰は畑の肥料として使うことができるので、家の周りの小さな畑で処理し、ここでもゴミの減少に貢献しているわけです。 このように薪を焚く生活は、現在大方の家庭で使っているタイマー付自動着火式の石油ストーブのように、スイッチひとつで操作できる利便性とはかけ離れた、手間ヒマがかかる生活です。しかしこれによって我が家の日常生活が、急に忙しくなったり、時間に追われて気ぜわしく動き出したわけではありません。むしろ私たち夫婦はカマドで薪がはぜる音、暖かい炎の動きになつかしさを感じながら、じっくり時間をかけて煮込んだ料理に舌鼓を打つ、このような生活を楽しみながら、冬の贅沢な時間をゆっくり過ごしています。・・・」 ■2/23 二十四節気、雨水を過ぎて 昨日は午後から雨の中の山仕事になりました。そういえば19日は、「雪から雨へと変わり、降り積もった雪も溶けだす頃」という二十四節気の雨水だったのです。常々、これはよくできたものだと感心しますが、北海道でちょうどよいと思うのはこれも温暖化のしわざでしょうか。さらに詳しく七十二候を見ると2月23日は春霞の候とされますので、さすがにこれは北海道感覚ではズレがありそう。 古代中国で考案されたというこの二十四節気は、近年や今般の中国(中国共産党)からはちょっと想像できない、日本の精神に多大な影響を与えた「シナ」の文化の一つでした。論語や杜甫、李白の漢詩なども学んできたわたしなどは、この大きなギャップをなかなか受け入れがたいのですが、激動する昨今の世界に思いをいたせば、静穏に見えたのは日本だけ、極論すれば日本人の意識だけで、地球規模で見わたせば戦さのみならず激変、変動の連続だったことを歳とともに理解するようになりました。 さて、勤めを離れて半年以上も過ぎ、やっと本格的な断捨離に腰をあげることにしました。職場から引き揚げた専門書の箱がそのままで、箱を開き片付けに手を付け始めたのですが、既存のものも含めると、さあ、どこから手を付けるべきか。やはり、本と資料が問題。もう対外的に姿勢を正して書くこともなくなって、ホームページの小欄「迷想」など戯言だけになったので踏ん切りはつくはずが、そうもいきません。慣れ親しんだジャンル丸ごと捨てるのは、浮世への別れになるような妙な怖れが決断を鈍らせるみたい。未練を捨てきるまでにあと少しの時間がいるのか。きっとそのうち、すべてがゴミに見えてくるだろうと思います。結局、大荒れ予報の朝、ホームページの小さなリフォームをしただけで今回の試みはお茶を濁して終わりそう。 ■2/21 落ち葉浄土 新聞の歌壇、俳壇は朝の脳の活性化に欠かせないものになってきました。短歌、俳句とも10首、10句くらいずつ音読して内容をイメージするのです。語彙力はなくはないはずなのにずいぶん知らない言葉に出会います。満天星(どうだん)、寒柝(かんたく)、大旦(おおあした)、広前(ひろまえ)、浮寝鳥(うきねどり)など。今日出会った不思議な言葉は「落ち葉浄土」。何気ない落ち葉をみてそこに浄土の世界が広がるというのです。わたしがいつも出会う雑木林の落ち葉が右の写真。左は、日本画家・不染鉄の「落ち葉浄土」。足元の落ち葉ひとひら、日常の瑣事にも浄土を見る・・・。こうしてみると、わたしがいつも見ている落ち葉の世界は何ともアッケラカンとしていますが、ひとりでこの落ち葉の世界に遊んでいると、確かに俗世とは少しばかり違ったなにかと対話しているような気もしていました。 ■2/20 電力の選択 先日あるニュースで、北海道電力の社長か幹部の一人が、毎月おびただしい数の契約解除で困っていると発言していたのですが、なるほど、あるガソリンスタンドでも乗り換え、いわゆるエネチェンジの勧誘を受けました。調べてみると道内にはすでに24もの電力販売会社があって、勧誘を受けたのはまだネットでは記載されてない新規の会社のようでした。切り替えの割引がまずあって、エネチェンジの電力比較のシミュレーション比較結果を見ると、拙宅の現契約であれば最も多いところで年間約2万円の節約が可能だとのこと。手続きは数分でできそうですから、先の北電幹部の話とも符合します。ボーっとして生きているわたしは、発送電分離と電力(ガス)自由化の、本当の波の中にいることに,、やっと気が付きました。ですが、どうするかはまだ決めかねています。 ■2/19 ボストンの緑 from photolibrary BSの世界街歩きの番組でボストンが映し出されていました。欧州から新大陸に移民して、その一部はアパラチア山脈の東側に吹き溜まりそれがボストンだと聞いたことがあります。ソローの森の生活もボストンの郊外でした。で、わたしがある時期、特に関心を寄せたのはボストンの緑地率でした。1970年代の統計でボストン市民一人当たり45㎡とトップクラスであり、当時東京や札幌は10㎡前後で、あのころ世界の都市と伍するために公園緑地を増やそうという国の施策がとられたのでした。いわば公園緑地バブルで、人々の欲する緑の質をさほど議論し成熟することはなく、もちろん緑の哲学に達することもなく、量的には増えました。「ボストンの緑」と検索するとこんな画像が出てきます。一方、「緑豊かな町」とすると、こんな日本のマチが出てきます。ボストンと日本のそれは、都市緑地と田園・里山のようなニュアンスの開きをわたしは感じますが、当方は人工的に美しく仕上がった都市公園よりも、ゆるい緑に惹かれます。ニュージーランドでとてつもなく緑地率の高い住宅地に行ってみましたが、わたしにはなんだか暗すぎました。近くでは白老の温泉分譲地に緑の多い町内がありますが、夏緑期は鬱陶しさを感じる人もいるはず。緑の快適さは理屈や数字ではなくまさに感性と習慣か。 ■2/18 よもや煙突火災に?! 日曜の朝、左のような黒い塊が屋根の下、特に外部煙突の下あたりに点々と落ちているのを見つけました。最大でも2cmに満たないポーラスなもろい塊です。まさか、煙突にこびりついたタールが燃える小規模な煙突火災が起きた可能性がないか心配になり、NPOの会員で薪ストーブ愛好家にも同じ経験がないか聞いてみる一方、薪ストーブ屋さんにも照会してみました。先方は、煙突のキャップに着いた燃えカスだろうという話。こちらが質のいい薪を上手に焚いていることはつとにご存じなので、この見立てに納得し、早速野鳥用のフィールドスコープで拡大してみると、薪ストーブ屋さんがいうモノがありました。気象データを調べると、丁度、金曜と土曜は風速12m/s程度の風が吹いていたので、このせいかも、と合点しました。昨夜は17m/s以上だったので、ならばとまた煙突の下を探すと、やはり、ありました。ほぼこれに間違いないでしょう。これでまずまず一安心です。 ■2/17 萌芽率データの読み直し 今月初め池田町で苫東コモンズの紹介をする際に、事前に資料やデータを再点検してみました。特に、調査レポートNO.3の88p図7のグラフ、左下の3つの数値が、柏原の調査結果をあいまいなものにしていることをもう一度考えてみました。この✖印の3か所は、発注者がコモンズに依頼した調査個所ではあるのですが、間伐実験個所ではなかったのではないかという疑問が出てきました。実はいずれもメガソーラーの南端部で工事個所として別業者が工事のために別途皆伐したと考えられるのです。そうなると例えば萌芽率の下がる夏に一斉皆伐をしたなど、広葉樹本来の萌芽力が出てこない伐採が行われたことも想定されます。 もしこの3か所を除外してグラフを見直すと、本/ha がゼロ、つまり皆伐した方が萌芽率が高く、たとえシカの食害にあったとしても雑木林の再生のためには断然欠かせない手法だということになってきます。 ■2/15 林からの搬出、雪解けに追われる 一見のどかな早春の山仕事にも、懸念と危険が潜んでいた。 ■2/13 ブイヤベースをつくる お隣からたくさんのスケソウダラをいただきました。そのうちの3匹は塩を振っておいて、その夜、水炊きにしてポン酢で食べました。残り汁をみて、これは一度は作ってみたいと思っていたブイヤベースをやってみようと思いつきました。ブイヤベースは南仏マルセイユ当たりの郷土料理、もっと言えば漁師のごった煮のようですが、2,3回食べた感動は忘れがたいものがあります。固いことを言えば写真左のように地中海の魚介が4種類以上入っているものを指すようです。しかしスーパーを調達源にするとなかなかそうもいかず、アサリと海老、イカあたりがせいぜいです。今回はこのほか、ニンニク、玉ねぎ、セロリ、サフラン、オリーブ油、バター、マイタケ、ジャガイモ、トマトジュースなど。コトコト煮るという仏語の意味そのまま、薪ストーブに載せ、くつくつ、クツクツ。材料揃えと煮炊きに結構手間と時間がかかりますが、食してみると素材が混然一体、しかも各々のうまみ成分がすべて滲みだしているような和みと喜びがあります。反省は、もっと濃厚な味にするためにカジカや赤い魚など脂の多いものも混ぜるべしということでした。 ■2/12 『樹木たちの知られざる生活 森林管理官が聞いた森の声』 幸いドイツにはもう4,5回行ったことになります。ドイツ人が森林なしに生きられないような、まさかの話を、その都度、見聞してきたような気がします。ドイツの森とセラピーに関する何冊かの本も読みました。ドイツの森と人は森林セラピーの現地というより、健康な人々が森とともにあることに喜びを感じている、そんな様子が伝わってくる場でした。この本は2015年にドイツで出版されベストセラーになりましたが(日本語版は2017年)、丁度この年、日本では清和研二氏の『樹は語る』(「2018/10/10日々の迷走」に簡単な書評あり)で出た年でした。両方とも森という自然のふところに深く踏み込んでおり、森林に関わる人ならぜひ手に取りたい1冊です。 わたしたちは勇払原野の雑木林で手入れと修景をしていますが、常々、手入れのために伐倒する技術はセミプロを目指し、森を見るハートはナチュラリストでありたいと願い、仕上げはアーティストの気持ちでガーデナーとしてつきあうことを心に刻んでいますが、わたし個人はそれに加えていつのまにか著者ヴォールレーベンのようなフォレスターの責任を感じるようになりました。信託を受けていると考えている勇払原野のここの林にも、本当の後見人はいないと知ったからであり、持続させるためには樹木たちの知られざる生活を知る必要があると考えたからでした。この2冊の著者の立場は違いますが、深い洞察に満ちており、いずれも一気に読むにはもったいない世界が描かれています。 ■2/11 報じられない裁判 2月6日、札幌高裁で注目すべき判決が出ました。5年前、元朝日新聞記者の植村隆氏が、ジャーナリストの櫻井よしこ氏を訴えていた裁判の二審で、櫻井氏が再び全面的に勝訴しました。植村氏が朝日新聞に掲載した慰安婦関連の記事が捏造だとした櫻井氏を名誉棄損で訴えたものでしたが、事実関係をよくフォローしてきた人にとっては当たり前の判決で、朝日新聞もすでに誤りを認めているものです。一昨年の一審では植村氏が女子挺身隊と慰安婦を混同(故意にかも)していると断じ、植村氏の控訴による二審では、植村氏の認識とは違って慰安婦は明らかに公娼であると明確にした点で注目されます。これは先のイ・ヨンフン教授の『反日種族主義』にも事細かく事実確認と分析がなされたとおり本件の結論でもありますが、これはかねてから櫻井氏や識者が主張してきたことでもありました。嘘が広まれば、それが違うよ、ということを示すために膨大な時間と労力が費やされる。まさに嘘は暴力とも言えます。しかし嘘をつかれそれを放置する方が悪いというのが、ふたつの隣国を相手に日本が思い知らされた教訓でした。ちなみにこの裁判はほとんどどこからも報道されていません。この根深さこそ恐るべし、です。 |
■2/09 間伐した雑木林の薪を燃やす(動画) 年末、今年は足りるだろうか、と危惧された薪は、2月の上旬、十分間に合うことがわかりました。10月の中頃には使い始め、暖冬とはいえしっかり焚いてきたので、木灰は段ボール箱二つを超えました。先日朝5時、熱効率のいい三次燃焼をさせていると、アヤシイ炎になりました。雑木林も薪ストーブも、こうして何度でも、かつ、深く、愉しみ味わうことができる…。雑木林つきあいの冥利(そんな言葉は聞かないけど)に尽きると思います。 ■2/07 体の不具合を治すためには何でもやってみる あっという間に立春を過ぎました。このころから本格的に雪が降って、札幌の積雪は昨日平年並みに戻ったと言います。日が長くなり、日差しに春を感じるようになりました。 さて健康関連の話です。昨年7月、時間ができてまず取り掛かったのが坐骨神経痛の治療でした。これは「緩消法」というインナーマッスルの揉みほぐしをしている間に3か月ほどで改善しました。若い施術士のもとです。年末からは股関節痛の改善に取り掛かりました。山仕事もままならなくなったため引退宣言をしてから、人工股関節の手術も念頭に入れ、まず経験者のお話を聞き、やはり手術は避けたい思いが募りました。次に評判の石部基実クリニックの著書を読んで推奨の歩き方を実践。「人は股関節から老いる」という新書の帯に目が行ったのがきっかけでした。しかしいまひとつで、散歩は続けながら次にチャレンジしたのが写真左のガイドブックにあった「エゴスキュー体操」。これが意外なスグレモノで、翌日から変化を感じました。現在15日目、体操の日記には、「歩くのがだんだん億劫にならなくなった」、と書きました。わずか1,2kmなのに本当に歩くのを避け始めていたのです。これには我ながら驚きでした。この体操はアメリカの元軍人の方が考案したもののようで、同じ痛みでお悩みの方は是非一読とお試しをお勧めします。 ■2/04 十勝・池田町でコモンズ林業を紹介 ワインで有名な池田町は林業にも熱心で、2月4日、あろうことか、苫東コモンズの森づくりを話してほしいとの依頼を受けていってきました。催しはシリーズの「森林資源フル活用セミナー」。会場は満員、篤林家の熱心な眼差しが新鮮で、寝ている人がいないのは驚きでした。久々にみる林業先進自治体の姿です。 ■2/03 世界が動く 「日本の主婦が朝から連続ドラマを見ているなんて信じられない」と、英国在住のSNS仲間Mさんが語っていました。彼女は世界情勢や社会正義に敏感で政治的にもとても感度のよい方であり、問題のキャッチが早くアプローチが抜群でした。英国のEU離脱について、彼女はどんなふうに見ているのか、聞いてみたいものです。もう6,7年前になるでしょうか、コミュニティ・フォレストというとても語感のいい英国の新制度と運用について英国にでかけてヒアリングした時、制度の発端はEUによる各国へのしばりによるもので、英国人はこれを常々とても苦々しく感じていることを知りました。離脱を喜ぶデモのプラカードにも、「EUはもうたくさん」、「バイバイEU」、「私たち独自の法律」と書かれていて、ヒアリングのときの英国人の不満がやっぱりここにあるようだと偲ばれます。英国の主権をEUはもぎ取ってきたというのでしょう。令和2年、うるう年、世界は激動しています。 ■2/02 丸太の搬出も始める 山仕事では昨日からスノーモービルで間伐した材を運び始めました。アカエゾは決して褒められた薪材ではありませんが、我々の主義主張から言って切り捨ててただ腐らすわけにはいきません。薪ストーブ愛好者みんなで分け合って使い切る予定。今日一日だけでも結構な量でした。 そして明けて今朝はどういう訳か、野鳥が活性化していてゴジュウカラですら何度も餌台に顔を出しました。滅多に来ないヒヨドリも来たほか、初めてツグミもやってきて正直、うれしい気分です。そうかそんな季節か、と思いをめぐらすとなんともう節分、立春と続くんですね。この調子でいくときっとキレンジャク、ヒレンジャクなども間もなく訪れるでしょう。キツツキはさすがに顔を見ません。物置の屋根の給餌はやめたので、カササギとカラスは来なくなりました。 さて、2020年の年間予定表を作りました。山仕事やコモンズの行事はこちらです。 ■1/31ひいきの野鳥は今のところ、やはり林系 朝はまづめ時から野鳥が来ます。じっと見ていると、圧倒的に多いスズメに交じり、シジュウカラ、ヤマガラ、ゴジュウカらといった、普段は山林にいるだろう鳥たちも顔を出し喜ばせます。ただ警戒心が強いのでしょう、餌台の止まり木にキョロキョロとたった1秒もいないで飛び立ちます。本能にもとづく採餌の刹那。100%の野生は体調も100%でないと生き延びられないと言いますから、これがいわゆる自然なのだと思って見ています。庭の野鳥世界は、日々、自然界を引き寄せた小窓。いささか禁断のアソビのにおいもしつつ。 ■1/30 コロナウイルスでみえる各国のリスク管理の甘さと本気度 新型肺炎のニュースが飛び交いますが、当局の発表を報道するだけでは真の情報になりえないことが益々明確になってきました。武漢のある医師は25日ころ、患者数は10万人を超え、病院は地獄だと発信、中国当局はこのような発信を片っ端から削除しているようですが、武漢を事実上閉鎖したことだけでも背景の深刻さがわかります。英国の専門家は2月4日まで25万人に拡大するだろうと予測。日本も週末まで店頭からマスクが無くなるという噂が出てきました。日本政府の対応にも遅すぎると批判が相次ぎ、たとえ指定感染症になっても中国人の訪日客の医療費を無料にしないような手立てをせよ、とtwitter でコメントされています。中国人の間で、日本に行けばタダで治療ができる、という情報が拡散しているとのこと。 ■1/29 『反日種族主義』 わたしたち日本人、というか少なくともわたしは、嘘をつくことを自他ともに厳しく戒められ、嘘をついた日は良心の呵責のため夜も眠れないことを幼少のころから体験したものです。昨年11月、日本でも出版された李栄薫(イ・ヨンフン)著の表記の著書では、冒頭、「韓国の嘘つき文化は国際的に広く知れ渡っています」と始まります。日本での発売以前に、韓国では予想に反して(自国を嘘つき国家と断言するのですから)ベストセラーになり、日本でもたちまち30万部を超えました。確かに、もつれてきた日韓関係の真実を、ソウル大学の元教授が史実に基づき冷静に分析して見せ、教えられた歴史がことごとく嘘であることを公表していく、自制の効いた内容には多くの人が驚いたのは無理もありませんでした。ここ数年、韓国に良識はないのかと疑った日本人も多かった中での出版だったはずです。作家・百田尚樹の『今こそ、韓国に謝ろう そして「さらば」と言おう』はそんな時点で一見冗談風に表現した、しかし、大変まじめな一冊だったと思います。『反日種族主義』は出版間もなくAmazonのカスタマー・レビューで五つ星が並び、鬱屈して積もる日本人の不満や不条理への怒りが解消されるような、かつ抑制のきいた評を読むことができますが、その底に沈んで共通しているのが、なんといっても嘘に対する彼我の違いだと読みました。国と国との関係で、嘘をつき、これを国連などでのロビー活動によって国際世界にばらまくこともよしとする国々に我々は囲まれているのだと知ったことは、近年の皮肉な大収穫でした。自虐史観から解き放つ研究や著作がこれほど出てくる言論界、ネットメディアに身を浴することができるのは果たして幸福なことかどうか、一考を要します。 ■1/28 ハスカップの隠れた性質と生い立ち 冷凍していたハスカップの実と雑木林で拾ってきたミズナラのドングリを、小さな鉢のピートモスの培地に埋め込んだのは一昨年の年の瀬でしたから、もうかれこれ1年余り。ハスカップの一つはまるで先祖はツルだったかのようにヒョロヒョロと伸びて、何かに絡ませてもいいくらい。これは出窓の日当たりの良いところにあります。もう一つはサイドボードの上にあり、あまり日が当たらないのに徒長もせず、おおかたが10cmでほぼ固まったまま。秋、ドングリの葉と同じく枯れ始めるのかな、と見せかけて、結果、落葉することなく間もなく立春を迎えます。「じっと耐える」。ひょっとしてハスカップは原野の枯れ葉や禾本科の枯草の下で、こんな風にじっと出番を待つのでしょうか。年輪が50くらいしか数えられないハスカップが、いったいどうやって今日まで世代を交代してきたのか、実は何もわかっていません。それどころか、注目もされていないのではないでしょうか。 こんな写真を撮っていると、冷蔵庫の中に去年とおととしのハスカップの塩漬けとシソ巻き、それと赤紫蘇の酢漬けがあったのを思い出し、炊飯ジャーの残りごはんで小さなニギリを作ってみました。冷凍ハスカップを軽く塩にまぶし軍艦巻きにしたものは意外性があり結構いけます。 ■1/27 薪と原子力 毎年、NPOの研修先を考えるのが、少し面倒で、しかし楽しいひと時なのですが、今年のテーマは森づくりというより、エネルギーを考える時間ではどうかと考え、「薪と原子力」をテーマに選ぶよう提案し動き始めました。それで昨日に続き今日も宿泊先のアポを取り始めたところです。 ちなみに、世界の流れはCO2排出ゼロに向かっていますが、スウェーデンはいち早く脱原発を唱えた国で有名で環境少女Tさんもそんな中で社会的誕生を見たのでしょう。しかし、過去はそうでありながら、いま、スウェーデンは過去とは真逆の「脱・脱原発」の賛成派が80%となったとか。近年の暴風により災害が発生し電力が寸断された結果の、民意の変化のようです。 わたしはもともと当面の策として日本も原子力は利用せざるを得ない、とみるひとりですが、CO2排出を本気でやるのであれば、「再エネと原子力」が最有力です。このコンビが実は今回の研修テーマになります。薪と原子力。ハイテクとローテクという意味では両極端ですが、CO2からみれば、薪は再生可能のエネルギー源として最有力のひとつ。薪の時代が来て、地域の人々が林の手入れの腕を磨いて、コモンズのような森林公園を育てながらコミュニティが薪を利用する。こんな時代の到来を期待し夢見ながら、研修の企画書を書こうと思っています。補助金から林業を考えるのはもうやめて、コミュニティから森林を見る、という新しいトレンドが産まれれば面白い。遠浅に薪ストーブのテラスハウスなどができれば、マチはその最先端になるでしょう。建築家の船木・薪会員に、持論でもある薪のある建築と暮らしの話を改めてお聞きしたい気もします。 ■1/26 機械力 vs 手仕事 掛かり木の多いアカエゾマツの間伐で、見るに見かねた農家のmigita さんが除雪がてらトラクターで応援。まだ慣れない仕事の流れに作業の連携があと一歩でしたが、先週と今週だけで7、8本が片付いたので、確かに機械力に人が適度に加わればさすがだ。ふと、わたしがこだわる手仕事の山仕事について考えた。 ■1/25 じっくり相撲を見る 時間が十分あって感謝していることのひとつは晴林雨読ができること、身体の治療に専心できること、、ささやかな野鳥の餌付け、料理、そして相撲観戦、と続きます(つまり、まだある)。特に今場所は、4時過ぎにビールをもってテレビの前に座り、家人も5時ころに同じいでたちで加わり、貴景勝が勝てばハイタッチとなります。で、今場所は特に面白い展開となって、横綱がいない下克上のような波乱万丈に息を止めて見入ることになりました。先日、解説の北の富士親方がある力士について、「本来なら休むべきじゃないの?」、と言っていたように力士の多くは満身創痍、相撲は相手はもとより怪我との闘いであると痛感します。貴景勝が昨年大きなけがを二つして土俵に戻ってきたのを見てもその意を強くし、彼の気概に感服します。天覧相撲も和みました。白鵬の場違いな振る舞いを明日は見なくて済んだというのもうれしい気がします。あとは誰が勝ってもOK。千秋楽はいかに。 ■1/23 ぼたん鍋 猪の肉を2ブロックいただいたので、大きい方はおすそ分けし小さい方で牡丹鍋をしました。牡丹は2,3度食しましたが一番最近は15年ほど前、大分県の長湯温泉で、主の観光カリスマ・首藤社長が会食時に差し入れてくれたものでした。今回はネットでいくつかレシピを見ましたが、おいしかった記憶のなかに、アクが出たこと、脂がしっかりあったこと、ゴボウが入っていたことが浮かんだので、肉は茹でこぼししました。味は味噌、お酒もたっぷりと。セリを入れたいところでしたが見つからず、三つ葉はやや高く、結局最後にミズナを載せました。ミズナではやはり料理がぼけます。ほかに白菜、ゴボウ、ニンジン、マイタケ、エノキタケ、長ネギ、焼き豆腐。自分で作るのは初めてですので、こういったジビエ料理は結構緊張します。珍しいものはたいてい剣呑がる家内の箸の出具合をよそに、マイペースで美味しくいただきました。野生の肉はやや硬いもので、ネパールやインド食べた放し飼いの鶏しかり、水牛に至ってはゴムのようでした。牡丹はそれにくらべてずっと上品。いただいたのは確か和歌山の猪だったでしょうか。この春、そちらに旅行をしようと思っていたので、いいつながりができました。合掌 ■1/21 『絶望の林業』(その2) 先月の16日に続いて後半の感想を書きます。まず、第1部の絶望、第2部の失望、第3部が希望の林業と目次は続いていますが、読み終えてもやはり希望の光は見えてきませんでした。読んでいる途中から、この本は補助金のあり方、そして林業の採算をどう合わせるのか、という話に絞られているのがわかりました。森林行政と林業という産業です。だからGDPから離れない。国土保全と人の生業がかかるのですから、それはそれで当然なことで、国の政策として大変大事なことです。 ただ、森林の扱いという視点に立つと、林業とは別のところで、地方の森林は大きな課題を抱えているのではないかと思うのです。どこにも何にも役立たないで地方の林は腐っており、腐るだけでなく、里山的に人手が入れば、気持ちのよい人々の憩いのスペースになるチャンスを、行政も地域の人も無関心によって捨てているのが現状です。 今、日本の林業は膨大な経費で収穫し海外へ採算度外視の輸出をし、そのコストの70%は実は補助金という税金だと著者は暴いて見せます。その一方、GDPには出てこない地域通貨のようなもので動く、狭い範囲の流通こそ身近な林のささやかな林業ですが、思えば、それを無理やり「林業」の一部と位置付けるから居心地が悪かったのでした。地域に住む人々が身近な林に誰でも行けるスペースを「林業の技術」で創ること、換言するとそれは「里山コモンズの造園活動」であると言えるでしょう。国の補助金などあてにしないのは当然で、それでも自由な発想と動機で身の回りの環境を改善することは十分可能だと、今なら確信できます。地域の環境に関心があり、もっと快適な暮らしがしたいと望む気持ちがあればそんなに難しいことではないように思います。(雑木林だより108に続けて掲載しました) ■1/20 大寒に久々雪降る、申し訳なさそうに 今日は大寒。昔、子供心にも、親から大寒だぞと言われ身構えたような。その頃はまだ七草なども生きていて、セリやナズナをいただいたような気がします。まだ、天気が穏やかで風土とともに生きていたころのみちのくの話。季節とともに人々は暮らしていました。新聞の歌壇に秋田県大仙市の方の歌、『九十歳まで生きるならあと八年このうち半分雪との暮らし』。雪が消えるまで長いんでしょうねえ、豪雪地帯は。でも、大寒、折り返しです、春は近い。そう思えば冬は何とも短い。 ■1/19 晴林雨読の近況 外は雪がないのに薪がどんどん減って、当初予定の見かけ5.4立方メートルはあと2割ほどになりました。育林コンペで個人的に確保したものを合わせてやっと足りる、という感じで、何とも心もとない。やはり大寒近くは立派に寒いのです。今朝は、夜明けとともに庭にヤマガラがやってきて、ゴジュウカラも昨朝に続き顔を見せました。シジュウカラはいつもちょいの間、止まってすぐ飛び立ちますが、スズメがアワ・ヒエなど小粒を好むのに対してシジュウカラはヒマワリをひとつだけ咥えて地面や薪の上に陣取り、ゆっくり、いやせわしなくつついて食べています。シメもヒマワリの方が向いているみたい。 山仕事では40数年生のアカエゾマツの造林地を間伐しているために、きれいなアカエゾマツ丸太が生まれて、昨日の昼休みにさてどう使うかと話題になりました。写真のように、焚き付けにはちょうど良く燃えるのですが、火の粉が飛ぶのでストーブのドアを開けておく初期段階は、火の粉で床を焦がさないよう離れられません。山ではアカエゾマツの林内に入るとテレペン油の香りが立ち込め、コブシの丸太のそばではコブシ独特の芳香が漂っています。健康に効能のあるシャワーのようです。 ■1/16 中村哲氏のこと 先日、新年のご挨拶に伺ったU先生のオフィスで、ペシャワールの会の医師・中村哲さんが反政府勢力による殺害ではなく水利権の争いに巻き込まれたようだ、という噂をお伝えすると、先生もその情報を聞いており、すでに12月号のnewsletter のトップに心のこもった追悼文が書かれ発信されていました。12月にお邪魔できなかったわたし用にと、カレンダーとともに用意してあったものを出して下さいました。中村氏はアフガンでの灌漑の水路建設のために「土地改良事業の設計基準」をテキストにして取り組んでいたことがわかり、農業土木学会の著作賞を贈呈し、その一環で札幌で講演してもらったことも初めて知りました。写真は1月11日に開かれた偲ぶ会のフライヤーですが、左端に書かれた「あなたを郷土の先輩に持つことができ、心から誇りに思う」との一言に胸が詰まります。ご冥福をお祈りいたします。合掌 2018年制作のDVD予告→アフガニスタン用水路が運ぶ恵みと平和 ■1/14 勇払原野の動画作品『森と水の庭・ウトナイ』 下記のIRのブログを書いているうちに、動画作品『森と水の庭・ウトナイ』を突然思い出した。この中で、丹治一三氏が植苗を、わたしが苫東を、つまり勇払原野で隣接する二つの大きなエリアの変遷と定点観測の感想をさりげなく述べていたのだった。もう一五年ほど前の話で、これが龍村仁監督の「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」の第7番か8番だったかと一緒に、北大のクラーク会館で上映されたこともあった。監督は北川陽念氏。わたしが登場するのは「夏」編。懐かしい作品です。初めての方は下記からどうぞ。 動画作品『森と水の庭・ウトナイ』➡ 早春 冬 夏 ■1/14 I Rの結末 道内外を騒がせた苫小牧へのIR誘致は、鈴木知事が断念を表明して一段落の形となった。地元苫小牧の市長も市議会も、そして住民説明会に参集した市民も自治体担当者も、なんだかおさまりの悪い終結だったのではないか。丁寧に随時経過をフォローしてきた紙の街の小さな新聞「ひらく」も12月号のトップで簡単な総括をしていて、目を引いた。次ページに詳細、さらに石城謙吉氏の記事が続く。今となっては進め方自体への問題指摘も数々ありそうだ。スタート時はギャンブル依存症が問題だったが、結局は絶滅危惧種の存在など環境問題と調査準備が致命的になったようだ。ゴールポストも動きつつ行政の対応も後手後手で、市民との間に不信感だけが残った感がある。個人的には植苗のあの一帯の基礎的な自然環境調査が全く行われていなかったというのも意外だった。開発の事業計画がない以上、調査の主体が明確でないから仕方がないが、場所が場所だけに行政がウトナイ湖の保全のために基礎的な環境調査を先行しておくべきではなかったのか。IR一帯がウトナイ湖への重要な水源であることを思えば、もし絶滅危惧種の問題がクリアされた場合でも、トドメとなる最後の砦はリゾートホテルの地下水利用による、ウトナイ湖への水脈問題になったのではないか。2500ものベッド数の宿泊を地下水で賄うという計画はその時点でアウト予測できたのではないか。そのずっと手前の早々の断念であった。繰り返しになるが、ジェット機が頭上をかすめる勇払原野の広大なヤブ山が、ディベロッパーの大きなリゾート用地として眠っている訳で、話は今回のIRで終わったわけではない。今回、問題にならなかったが聴くところではIRを実施する際は、エクイティ投資と呼ばれる元本保証なし、返済期限なしの地元負担が一割という。それが事実なら仮に事業費が3000億だとすると、地元で300億の資金を準備することになるわけだが、そんな話は議論されたのだろうか。計画性のない不勉強のようなところが気になる動きだった。(ちなみに「ひらく」1月号には市議会各派の悲喜こもごもの見解が紹介されている) ■1/12 野鳥の愉しみ 昨年の11月半ばから、庭に簡単な餌台をふたつ用意し野鳥を呼んでいる。野鳥の会のサンクチュアリで小さな講演をすることになったので、中学生のころに読んだ、日本野鳥の会の創始者・中西悟堂の「定本野鳥記」を思い出し、氏のエッセーを読み直したことが発端である。幼少の記憶がよみがえり、むくむくと野鳥観察への思いが募った。鳥たちへのお披露目の意味もあってベランダや物置、薪小屋の屋根にも1週間ほどヒマワリやヒエなどを播いたので、設置して間もなく、スズメとカラス、カササギが来て賑わいが始まった。何よりうれしかったのは、ヤマガラやシジュウカラ、ゴジュウカラなど森林性の鳥たちが、餌ではなく薪小屋にきて樹皮をつついていたことである。今、シメの群れがやってきて、不器用に小さな台に載っている。スズメたちは、道路に面したレンギョウの藪を足場に、出窓の前のオンコの中にもぐって隙間からひょいと顔を出し、餌台に来る。 ■1/10 日の出に思わず祈ること 気象庁の今日の日の出時刻は7:03。今年一番の快〃晴を見て、7時10分前に家をでてまだ太陽が雲から顔を出す前に余裕をもって海岸に着いた。何の心の準備もしていなかったので、何を祈るか自問しているうち、最初に頭に浮かんだのが、争いと貧困のない平和な世界、である。世界的視野などあまり持ち合わせていない自分なのに妙であるが、かくも世界は動いている一つの証か、市井の庶民まで平和を連想する。首相が「もう疲れた」と漏らしたかのような週刊誌の見出しも朝刊で見た。日本の令和2年は正念場である。平和ボケして平成から持ち越した懸案すべてを令和で片づけざるを得ないとある識者は言っていた。内憂外患の周辺事情、さすがにこれは一理ある。新年も10日を過ぎて再び新たな気分になる。 ■1/08 グローバリゼーションの悪夢 ふだんは雑木林という一見のどかなテーマを通して世間と世界を見ていますが、近年ほど国際情勢や政治と施策に首を突っ込んで、情報のシャワーを浴びざる得ないと感じることはかつてありませんでした。そのために複数の配信ネットから有料で情報を取り寄せ、情報誌や書籍なども、ギスギスしたものが多く読マサリマス。今、世界は何が起きてもおかしくない状況にあり、最近は第3次世界大戦という言葉も聞こえます。そしてそれを裏付けるような今日の中東のニュース。日本の足元も中国からジワジワと尖閣を狙われ、韓国からは捏造された情報発信で国連や国際会議周辺が汚染され続けたお蔭で、国民の目もようやく変わってきたという噂もあります。特に韓国とのやり取りでは日本がいかに情報操作に無頓着で放置し国益の守りに疎く甘かったかが示されて、政府もやっと本来あるべき方向に舵を切りだしたことは、絵にかいたような不幸中の幸いでした。 ここで見えているのは行き過ぎたグローバリゼーションが先進各国の国益をいかに損なうかが明白になったことではないでしょうか。しかし複雑化した国内外の関係性は、強力なトップでもその一部のパーツしかハンドリングができない。だから大きな流れとして移民の絡む入管法、水道の民営化、種子法、基礎的財政収支の黒字化目標、働き方や教育などなど、一連の改革という名の改悪に歯止めが効かない。そもそも仕組みが次第にきわめて難解になって、ついていくことも難しくなりました。その一方で、公にろくに議論もされないうちに骨太の方針が固まるなんて言うのは全くおかしい・・・。この歳になって、出遅れたノンポリ老人は俄然目覚めてきたような気がしています。リタイヤ後の晴林雨読生活は、かくしてますます充実の方向に向かうことになります。 ■1/06 寒の入り いよいよ寒くなるらしい寒の入りで、今日は小寒。薪小屋の薪は優に半分を割り、いささか心細くなってきました。こんな折、特別にストックしてある異形の薪が心強い。よほど苦労してこじれたのだろう、割れなかった硬い部分、節や二股部分は火がとても長持ちする。十分乾燥しているのに、なにせ、とても重たい。寒に入ってからのこれからにもってこいだ。人間学を学ぶ雑誌「致知」ではこんな「小寒」が紹介がされています。 ■1/04 雪のない初仕事 雪のない山仕事は内心うれしい。気温は−6℃だ。しかし雪がなければスノーモービルでの運材ができない。雪が少なければ、林道の雪はたちまち消えてしまう。「大丈夫、帳尻はあうから」と言われるが、できれば突然ではなく徐々に願いたいところ。 ■01/03 ボールペンの替え芯が象徴すること 新年早々、どうでもいい話をひとつ。ボールペンの替え芯である。ボールペンは景品などであまたの種類が手元に残るが、そういった使い捨ての他にもボディがしっかりした大事にしたいモノも中にはある。しかし、替え芯が文房具屋にそろっているかと言えばそうでなく、不都合というのか、不完全燃焼を感じる時が多い。このたび、捨てるには忍びない数本のボールペンを手にして、ついに Amazon でカタログと品番を相互に読み取って照合し、注文した。待てよ、この面倒さは何かを象徴していないか。細分化されたアイテムの、需給マッチングである。世の中のモノの好みが細分化されると、いざというときに丁寧に追いかけ、A と A、B と B というように一字たりとも違わぬように照合せざるを得ない。トレースも照合も面倒だが、今やここまで覚悟しないと便利さは手に入らないのである。さすがに最近は、焦らず、コツコツとこの手間をこなすようになってきた。これは我ながら便利さへの迎合、別の名を進歩というような気がする。 ■令和2年1月元旦 新年あけましておめでとうございます 新しい年、令和2年を迎えました。昨年同様、今年もどうぞよろしくお付き合い下さいますよう。 年が替わるのはどこか脱皮に似た感覚を味わうのはわたしだけでしょうか。前の日が次の日になっただけなのに、昨日までの自分より少しだけ成長した自分を目指したい、そんな願いを含んでるのでしょう。念ずることでことが始まる、希望することでその方向にすでに一歩踏み込んでいるのだ、と言われます。毎年元旦には来し方を振り返り、行く末を一年分だけ現実的な目標を書き記すことにしていますが、昨年の元日に列記したあるべき姿はほぼ6、7割でかなっているかなと見ました。もとより目標が高くないのです。みなさまとともに、健康で実りある一年になりますように。 |