雑木林との付き合い方が少しわかりかけてきた

NO.110
2020/05/02~

半世紀近くもの長い間、じっと見ていると見えてくるものがあるものです。
勇払原野の目の前にある林は、萌芽再生林の跡地で、放置されて80年以上たつものでした。
その扱い方は、もともと放置しても時々炭材などに採取して来たものだったから、用立てするめども無くなったら、まだ決まった方法があるわけではなく、ヤブ山に戻るか、皮肉にもリゾートに改変されるしかなかったのです。

しかし、みるみる大木になって次第に風を受けて倒れていくのです。火山灰の上に生立した植生の宿命でもあります。

さて、どうするか。逃げるか。放置して見守るか。積極的に関わるか。
なんとか、3番目の道を選びたいと思います。


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夏緑に染まって

2020/06/27 sat 霧雨 17℃
solo-work


■今日から静川へ 新緑から夏緑に移った林




新緑から一か月、新緑は夏緑に変わった。色が濃くなったばかりでなく、林全体が暗い。そこへ霧雨ときたから、林の中はなおさらだ。デジタルカメラの映像も自動で補正されてしまう。

しかし素晴らしい。この光景にはわたしはいつもながら見惚れてしまう。海から押し寄せる霧はマイナスイオンをたっぷり含んでいるだろうから、本当は格好の森林浴だ。そんななか、ひとりでフットパスを刈る。

昨年、ヒグマの出没情報が頻繁過ぎて「ささみちフットパス」の刈り払いを休んだから、雑草が濃いところもあった。もちろん、ナラの実生もおびただしい数をカットせざるを得ない。以前なら、満タンの混合油を入れて40分ほどで1周約2kmほどを刈り終えたはずが、残念、3分の1あたりで断念した。腰も痛みだした。

出会い


雨の予報だったから、メンバーは骨休めだっただろう。昼前に、migitaさんが顔を出しただけだった。

まず、小屋周りを刈って一休みしていると、テラスにはひときわ鳥の声が響く。わからない鳴き声もあったが双眼鏡ものぞかず聴くだけで十分と割り切った。大分腰が重くなった。

帰途、シカの角のところで大きなカタツムリを見た。動きも活発で、水を得た魚の風、あるいは羽虫に狂喜するヤマメのような、いわゆる活性が増した状態か。蚊がいないこの状態も続いてほしい。


犬も歩けば棒にあたる、足元に転がる発見
   
    ~日常的コモンズ考~


2020/06/24 wed 曇り 17℃
solo-work


低温の日が続く。時々はさらに雨マークが出るので、晴れそうな日は何とか外に、できれば山に出かける。マスクなど着用する習慣が全くなかった数か月で、それは雑木林と家との往復だったからだ。スーパーやパン屋さんでも、マスクをしていないのはなんだか自分だけのようで気が引ける。しかし、そんなアンチ三密の日々でも見逃せないテーマはあちこちにあり、そこにこそ、身近な自然の素顔、小さな真実がある、とさえ感じてしまう。思えば今日も色々な発見、交流があった。

●立ち入りを禁止すべきか、オープンにしておくか

先週末の作業日に、遠浅の住民のバイク愛好家が小学生以下の子供らを広場でバギーなど2台で遊ばせていた。広場のこちら側はNPOの作業場で、丸太や機材などが落ちている可能性もあるので、真ん中を縦断している径からこちらには来るな、と子供らに2度注意した。

こういった町民の行動を忌忌しく感じている人がいても当然である。わたしとしては、本音ははた迷惑で耳障りで、うるさく思う。だからすでに、立ち入り禁止の通知やロープなどバリアを張ってはどうか、という声もある。

排他的にいくか、ゆるくしておくか。

コモンズというのは実は土地所有者が、住民の自由な利用に対して排他的な特権を持つ(ゴミ捨てなど反社会的行為もするから来てほしくない)中に分け入って、山林管理に役立つ利活用を進める、という約束のもと、土地所有者と地域の信託を受けたつもりで手入れと利活用を継続するものだった。

だから、歯切れは悪いが、住民利用はぎりぎりのところまでウェルカムの姿勢でいてはどうかとわたしは思う。先方も気づくときがあり、人はその時変われる。利用の権利をいったん手にすると、人というものは、コラコラと排他的独占に走りたくなるのが常だが、ここは子供たちの遊びを含め、ひとまずゆるくしておきたいがどうだろうか。本当に不都合が出るようないざというときには、本人ばかりでなく町内会に申し入れたい。

●Aさんが路肩と広場を刈り払い

朝、広場に着くとAさんが刈り払い機で町道と広場の境界にある道路路肩の雑草を刈って、片付けしていた。

「ご苦労さんです」
「ちょっと使わせてもらおうと思っている所だけでも」

近所のファミリーが、夏になると週末このあたりにテントを張ってアウトドアごっこをするのだが、その一環だろう。

今遊んでいる子ら数名が赤ちゃんだったころは、広場のテーブルは赤ちゃんがハイハイする場となって、お母さんたちが育児談話に花を咲かせていた。古い雑木林だよりで光景を見た人もいるはず。また、小学生は、コモンズが無造作に積んだ丸太を微妙に移動させて遊んでいた。

「なにしてるの?
「秘密基地つくってるの」

やっていいこと悪いことの微妙な境界があり、責任を持たされる社会はアレスルナ、コレスルナ、川に落ちたらどうする、とやかましい。町内会は池に落ちたらどうするとばかり、アイリスの池に柵をつくったが、そもそも来る人がいない。子どももやって来る公園にするには、空の空いた広場をつくるべきなのに、大人の事情で木を植えてきた。

コロナで学校が休みのころ、薪の現場に遊びに来た子供を、いいところに連れて行ってやろう、と薪小屋の屋根に上らせた。案の定、大のお気に入りになった。最近の家では、落ちるかもしれない屋根に上る経験などできないが、わたしは子供のころ屋根の上が好きで、そこには「3丁目の夕日」のような世界があった。屋根の上で走らない、透明の屋根板は踏むな、これだけ言っておいた。

町民がそっと環境コモンズのフィールドになにがしかの協力を惜しまなくなるような、暗黙のルールを見極めたいところである。しかし、これは実は結構難しい。気の長い、辛抱のいる取り組みである。

●三々五々、山へ

6月20日にフットパスはほぼ刈り終えた。その川沿いの道を軽トラで往復した後、先週 tomik さんが刈ったルートには風倒木が2本あったというので、チェンソーで玉切りと枝片付けをして征伐した。これで全コース(一か所だけ例外アリ)を軽トラで通れるようになった。正午のサイレンが鳴るころ広場に戻ると、oyamaさんが刈り払いの準備中だった。「刈り残しをちょっと」とおっしゃる。

ややして、わたしは来週に備え刈り払い機を移動しておくために車に積んで、お別れ。静川の小屋に向かった。思えば、約束しない、縛られない個人的山仕事である。ことの流れで、今日も昼ごはんはなし。

●ヒグマのいそうな林の暗さになってきた


近年、手入れをして来た大島山林に比べると、間伐の履歴がちょっと古い静川の林は、大分薄暗くなっていて、ヒグマの出そうな気配がますます濃厚である。

長い間、クマスプレーなどを持たないで、ひとりで散歩し、刈り払いも幾度となくひとりでして来たわたしも、この頃の出現頻度をみると、クマスプレーぐらいは持とうかな、と思うようになった。

画像は、苫東周辺のヒグマ確認情報を示した苫小牧市のマップである。。国道235号での情報が多く、勇払原野らしい一帯、つまりハスカップサンクチュアリや弁天沼あたりなど、人があまりいない所にヒグマは向かっているのか。

つた森山林もヒグマにとっては別天地、別荘みたいなもの。しかし、いずれもさもありなんという想定内である。


林道沿いに風倒木発見、即、玉切り


小屋の手前で林道沿いに風倒木を見つけた。この数日の風だろう。林道から20mほど。小屋で駐車場の刈り払いをしてからチェンソーに持ち替えて、一輪車で移動。

直径は根元で27cmほど、二本立ちで、35cmに玉切りしてみると、直径15cmほどまで取って、丸太は50個。相当の量で、これは自宅の薪の足しにする。

やはり、薪ストーブに利用する薪は、このような風倒木を丁寧に収穫するだけで、かなりのストックになる。根上りの木も多いから、林を見る目と、時間を惜しまない心がけさえあれば、コモンズの薪焚き人の丸太供給は、実はこの林道だけでも目を見張る量が見込まれる。

●今年はシカの落ち角が多くないかナラの実生も多い


一輪車で藪の中を往復している間に、意外な発見をしたのは、ナラの実生苗である。よく見ると、高さ1m以上のナラもある。間伐後の萌芽更新は期待できない、とあきらめた、27年前に間伐した現場だったが、ちょっと気分が変わるような驚きだった。

そしてシカの角。頭骨も含め、今年はいつもより落ち角が多いような気がする。秋の平日、平木沼まで林道を走ると何10頭ものシカに会うことも多いから、基本、頭数が多いのか。今日の角は枝も多く、先端はよく使いこまれてツルツルであった。


実生苗の苗畑の歩留まりは3割だった

先週植えたナラの実生の林内苗畑が実は過半数が枯れていた。再生の可能性はゼロではないが、土を落とした振るい根にすると、根が乾いて活着のリスクが増える可能性もある。しばらく観察したい。


北欧の名著『薪を焚く』との対話Ⅱ

2020/06/22 mon
曇り時々雨
solo at home




以前、林とこころの本を出したあと、この本はなかなか読み進めないんです、と話してくれた同窓の若い人がいました。よく聞くと自分の経験や考えと重なる部分が随所にあってつい対話が始まってしまう、とのことでした。

書き手として実はこんなうれしいことはありません。表記の本もあまりに示唆と共感とでうなづくシーンが多すぎて、なかなか進めないのです。むしろそのスローさを喜んでいる風もあります。

学生時代からの山小屋の薪ストーブ世話は別にして、平成9年に建てた勇払原野・静川の小屋の薪との付き合いだけでも25年に近いので、北欧人の薪生活の経験にはとても及ばないものの、この本と対話する資格は多少ある方と言ってもいいでしょう。


写真はノルウェーの薪棚コンクール優勝者の薪ハウス。写真があった前後のページで傍線を引いたのは、
「薪仕事が一家の大黒柱足らんとする男性の気持ちの一表現」
「薪割りへの関心は年金生活に入った人たちが一番高い」
「(薪割りで)魂の安らぎが得られる」「斧での手割りは現代人に許された原始的な仕事の最たるもの」
「薪割り作業には繰り返しとバリエーションがうまく組み合わさって」
「薪割り台を前にすると深い物思いにふけってしまう人は多い」…。

自宅で薪割りを待つ丸太のストックがわずかになって、やはり寂しい思いをしています。(この本の初回の紹介は「日々の迷想アーカイブス2020/03/26)


林内苗畑、速成

2020/06/20 sat 晴 20℃
abe-e inaba oyama kusa tomik migita wada seki = 8 persons

大島山林のフットパス、1回目刈り払い、早くも完了


薪関連作業が早めに進んで、今年は写真のフットパス刈り払いが計画通り進んだ。

1回目の6月6日から、2回目の13日と少しずつ誰かが刈り始めた結果で、初夏の刈り払いが今日の3回目で完了したわけだ。あとはお盆過ぎ頃にもう一度やれば、フットパスは見違える。テント跡地には憩いのベンチなども欲しくなる。

「早い」「さすが、頭数!」などと感想が聞こえた。スケールを当ててみると、刈った総延長はおよそ4.2km程度になる。

幸い今年は蚊がいないので、セミの声を聴きながら静かに山野草を見て歩くのにいい。木陰の涼しさも格別だから、ぜひ、フットパスの散策をお勧めしたい。








■ナラの実生苗で苗畑つくる





苫東ではミズナラ・コナラを中心とした雑木林の植生を維持するよう指針がたてられているため、NPOが提唱するコモンズ林業でも、萌芽更新を促す施業を心がけている。

しかし、間伐による密度調整ではミズナラ・コナラの萌芽更新は困難で、北大の松田彊(きょう)名誉教授からは、萌芽の天然更新が不調な場合を補完する意味で、「林内苗畑」を作っておいて、必要な植生の穴(ギャップ)が出来たら、そこに林内苗畑から補植するのがよい、と提案されていた。

そのような懸案を頭に描いていたら、このところの刈り払いで、あまたの実生苗を刈ってきたのが心苦しく、すべてを刈り終える前に、急きょ、苗畑を創ることを思い立った。昨年秋に拾ったドングリの発芽がはかばかしくないこともあった。

6/19 夜に苗畑の輪郭を急いで掲示板に書いて、なんとわたしが到着した翌朝9時には段取りを開始した。手作業で草剥ぎ、耕耘、畝づくりを考えていたところへ、小型トラクターによる耕耘をmigitaさんが申し出てくれたからである。


結果、上のような段取りで進んだ。そして、左の見取り図のようなものが出来上がった。

粉砕された草の根っこをレーキでていねいに掻きだす作業を挟んで、漁網による囲いまでできた。植えた苗は240程度。

上出来の一日である。刈り払いチームと実生苗の掘り取りチーム、苗畑づくりチームと、各々の連携よろしく、コロナ禍の終息を記念するような進み方だった。


二人でやれば早い。薪仕事完結

2020/06/17 WED 曇り 18℃
solo-work with wife

春の部、終了、あとは寒さを待つだけ

集めていた個人的な丸太をすべて割り終え、高さ1.2m、長さ3.6mくらいに積み終えた。「そば哲」のそばに釣られた家人と二人なので、ことのほかはかどって、2020年の秋から冬に向けた薪の準備は完結した。

家人がいつも手早く、気持ちよく手伝うのには感心する。「根は向いているのじゃないの?」と聞けば「都会のショッピングの方がずっと向いている」という趣旨の返事でやや憮然と否定する。

勢いあまって、持ち帰ってマサカリで割るつもりだった丸太まで薪割り機で割ってしまって、楽しみが消えたのは非常に残念だ。



積んだ薪を見ると、やはり1棚はある。つまり3か月分に近いから、高齢者の薪調達は、楽勝モードで行けるということである。晴林雨読の合間に、2,3時間の間伐を数日、そして小さなトラックで集めれば1年分など容易にできることは実証できた。

昼の「そば哲」は、サラリーマンやおばあちゃんグループなどで満席だった。ラフな野草ガーデンは鷹栖の上野ファームをワイルドにした感じで、ほっとする。歩くスペースを刈っただけの野草観察園みたいなのがいい。



午後、作業を終えた帰りに湿原に寄ってみた。苫小牧が北限のラン科植物ミズトンボが目当てだが、これは見つけることができなかった。しかし、ちょうどワタスゲ(サギスゲとヒメワタスゲ)が満開で、ポツポツとピンクのトキソウ(あとピンになってしまった)が目に入った。家人は原野に咲いた白い花「カンボク」の一枝を折って帰宅後テーブルに飾っていた。


里の林の日常景

2020/06/13 sat 晴 23℃
abe-e inaba oyama kai kusa kuri tomik & m migita = 9 persons


■廃材を山の中に移動




懸案だった廃材。

薪の端材や薪棚の下に敷く角材などを置いていた2坪ほどの用地に、恐らく「いい捨て場があった」と町内の人も利用し始め、束石のコンクリートや見たことのない材も見かけるようになって、しかもそれらはしっかり腐ってきた。ミミズと幼虫とヘビの棲み処になってケガレチ化していたのを、思い切ってすべて「林という浄化装置」に再デポジットして、腐朽に任せることにし、町民の目につかない場所3か所に分散させた。畑の跡地の藪である。身近な雑木林は美しさの源であり、醜さ、汚さの墓場でもある。

跡地は、落ち葉などもレーキで掻いてから、inaba さんが新しい土地利用をアピールすべく少量の薪を積んだ。なるほど、これなら十分ゴミ捨て場という用途を変更した、立派なアピールになる。上の写真はそのビフォー・アフター。

■ささやかな気遣いと伝達方法について考える

一方、今日は町内会が池の周りを総出で刈り払い作業をされていた。13名の作業は1時間半で終了したようだ。わたしはこれまでの醜い作業跡にいささか心を痛めてきたので、ドロノキのシンボルツリーの足元のオオウバユリは、そのままユリ畑としてみなし統一して残してくれるよう、2週間前に事前に境界を明示すべく刈り払いをして、「そこから上部は刈らないよう」、町内会の方にお願いしていた。

というのは、オオウバユリは刈った後、真っ黒に変色して、刈り払い跡地は無残な風景に代わってしまうからである。だから、NPOが担当するオオウバユリが繁茂する林道は、早めに刈り払いを行い、「黒色林道化」を避けたつもりだった。

が、残念ながら、意図はうまく伝わらず、全面、刈り払われたようだ。風景、特に日常的にみる風景の改善に向けた小さな気遣い、というものはかくもはかないものだが、実はその積み重ねが、身の回りの環境を変えていくのも事実で、これは来年の課題にしようと諦めた。一年後は図に書いて、もう一度お願いしようと思う。

■ナラの実生苗の利用方法

昨年秋に拾ったドングリの苗木づくりは、難航している。

芽が食べられたのか、とにかく双葉も見えない。その一方で、刈り払いが進む林道で、実生のナラの稚樹をおびただしい数で刈り払っているこの頃だ。広場の草地にもあちこちにナラの実生があったので、oyamaさんは帰りがけにそれらを超ミニ苗圃に移植した。

後継樹を利用した更新は、「拾う場所(最も簡単なのは林道」と「植えこむ場所(光の当たる林の穴などナラを増やしたいところ)」をあらかじめ決めてから、ヨーイドンで始めるのがよいようだ。

少なくとも、ドングリを拾って苗を作る手間を省いても、ドングリが豊作の翌年か翌〃年、林道の実生苗(山取り苗)を掘ってすぐ移植することで目的を達することはできそうなことがイメージすることができた。

ごみ掃除も実生苗確保も、小さな小さなプロジェクトであるがこの積み重ねが日常の風景を創り、維持される。自分事として気づく人は、本人にとっても里の林にとっても宝である。

■全員参加の刈り払い




今年、最も暑いと予想される日に、こともあろうに熱中症になりやすい刈り払いのピークがきた。フットパスの全ルート図をもとに、なんとなく分担を打ち合わせて、現場に散った。お昼は木陰を選んで静かに昼食をして、3時前にはアイスで休憩をとって散会した。

わたしはヘッドギアを脱いだら、実に夏らしいグチャグチャ頭の感じがしたので、祈念に写真を一枚とっておいた。蚊が一匹も寄ってこないのはありがたい。

人海作戦で主だったフットパスは刈り終えたので、あとは、

①池から湿地沿いに遠浅川に沿う1km(炭窯近くの三差路まで)
②三差路からボリボリ大収穫の三差路
③ボリボリから富永・草苅風倒木あとへのルート(広場へ戻る坂ルート)
④ボリボリから岬
⑤岬からフットパス崖の下の三差路(ここからシカ試験地にルートは続く)

を分担して次の土曜日に一気に片づけたいところ。そうすると7月は日陰の多い静川に行ける。


偉大な軽トラとともに

2020/06/10 wed 20℃ 晴れ
solo-work (一時、migita & seki)

■藪から棒でなくて、丸太




雪がなくなってから、晴林雨読の日々に処理した風倒木を、ヤブから出してmigita さんの軽トラを借りて2回、広場に運んだ。マサカリでも割りやすい素性の良いものだけ、かつ汚れていないもの。当然、ナラが主体になった。

いよいよこれで、来るべきシーズンのための薪調達はやめにしようと思う。アカエゾマツを含めるともう十分だ。ついでに、土場の木端を拾い、薪小屋に集められた異形の薪(テントのストーブに入らないようなもの)もプリウスに積んだ。不要なものは持ちすぎないで速やかに処分しないと、集められたものがゴミになってしまう。

それにしても軽トラは偉大だ。日本の軽トラックは零細農業に欠かせないアイテム(実家には軽トラが2台あった)だが、昨今、あの米国で大人気だという。使途や背景の真相はわからないが、大きくないエリアで効率よく動く超便利さが注目されているはずだ。平坦で一応手入れがなされた雑木林では、木立を抜けて進めるのは素晴らしい。ただ切り株がないか、事前のチェックとチェンソー持参は必須。

今日、広場に着いたときは、この軽トラでmigita さんが自分のハウスのストーブ用にアカエゾマツを運んでいるところだった。それを終えてからの順番待ちだ。この機動性は実に待つ価値がある。

■ウラヤマと呼ぶには遠いが



今日は天気が良いので、丸太が雨でかびる前に運んでおこう、と出向いたのだった。自分の裏山のように付き合おうというのは自らへの掛け声だけで、実は自宅から30kmほどあるから、気軽に通うにはほぼギリギリだ。

ハスカップおにぎりとカップ麺で遅めのお昼をとってのち、林の木陰で昼寝を少し。昼食を済ませたmigitaさんらが再びやってきて、ハウスは暑くて仕事にならないから、と わたしのストックした丸太の薪割りを手伝ってくれた。帰り際は太めのものだけ探して、割ってくれる。心優しい気づかいに感謝。



股関節にあまり負荷をかけないよう、育林コンペゾーンなどから少しずつ運んできた丸太が、こうしてみると次第にまとまった量になってきた。このような間に合わせのようなやり方でも、どうやらあと何年かは晴林雨読方式で、薪作りが出来そうな気がして来た。山仕事を週2,3日という晴林雨読生活は極楽だ。


薪作り終了、刈り払いへ、のちボーフー採り

2020/06/06 sat 19℃ 晴れ
inaba oyama kai kusa tomik & m migita seki =8 persons





薪づくりを初めてほぼ2か月、10棚余りの薪棚が完成した。いつもより、少なめだが身の丈にあった量ではないか。これで来年の春の分までは確保された。

薪棚はともすると雑草に囲まれる。先週から、薪棚の周りと、ヘリも心して刈り始めたので、小屋や薪棚周りが例年よりこぎれいに仕上がっている。これも、時間的に余裕があるせいだ。

■刈り払い




先週からフットパスの刈り払いがスタートして、着々とルートが開かれる。今日はkusa + oyama さんで、広場から南下していった。シカの試験地ルートはmigita + seki グループが来週仕上げる。実は今週のつもりで2台の刈り払い機を軽トラに積んでこられたが、薪割りをすべて終えてからにしてもらった。おかげで、薪割りはアカエゾマツを含めてすべて完了。

林には、ササバギンランが咲きだし、コケイランもチラホラ。ラン科植物を刈るときには、ネジバナなどを含めいささか抵抗があるものだ。林床にはコウライテンナンショウ(写真・下左)がずいぶんと多い。今年は、ミズナラとコナラの実生苗がかなり目に付く。刈り払うのに忍びなかった。苗畑をつくって移植したいところだ。

シカの電牧を見ると、ますます旺盛に伸びていて、囲いから外れた萌芽ミズナラはまったく食害にあっていない。どうも、シカの密度が低いような気もする。

ドリルを軽トラに積んでいって、倒れたサインを樹木に直接打ち込んだ。これも省エネだ。土壌凍結するところでは、地面に打ち込む看板方式は毎春立て直しのメンテが求められるからだ。

薪小屋の脇の廃材も、来週、どこか林の中に移動しようと、tomik さんと話す。雑木林は聖地でもあるが、すべてを腐らし土に返す装置でもある。キャパシティに限界はあるが、懐は深い。薪小屋周辺で発生するごみは、極力公共のゴミ捨て場に持っていくのはやめた。今、町内によっては草取りの雑草や選定した枝までゴミ袋で回収車に出してしまう。大きな声では言えないが、これらは、じつは、林に任せたい。

■ボーフー




山仕事が一段落したのを見計らって、おそらくこの春の山菜の採り納めになる浜ボーフーを採りに5人で弁天浜に向かった。ハマエンドウの盛りで、浜ボーフーを食するには20日近く遅いから、もう葉っぱが大きく茎も太い。

でもそれがいい。見つけやすく、食べるところが沢山ある。わたしは酢味噌あえにしてみたが、葉っぱも刻んで入れてみた。やはり大丈夫、少量ならいける。黄色の茎なら湯どおしするだけで食するが、この固さになると、1分は必要だ。歯ごたえがあって、家人とおいしくいただいた。

弁天浜は、地域住民にとってはもっとも身近な自然海岸で、ホッキやジョロウガイだって運が良ければ獲れる。そして何より、この浜は100年以上前にイザベラ・バードが通ったルートだ。単調でさびしい風景に驚きつつも、また来たいと書いた、そのスピリチャルな風景の中でボーフーを摘む。


“これも元気なうちだね”

2020/06/03 wed 晴 24℃
solo-work


育林コンペの風倒木を、暑くなる前に運び出さねばと画策していたところ、ようやく実現した。軽トラを借りて平木沼のゾーンから大島山林の広場に2往復。1か月分くらいはあるかもしれない。

正味1日もかからない仕事を、1,2時間ずつ小刻みに数回に分けて、まとまればこれだけになる。高齢者の薪ストーブライフはこれだ。

軽トラを借りに行ったら、焚き付けを造っていたSさんとのところに、奥さんが缶コーヒーを持ってきてくれた。疲れ知らずのSさんは86歳。奥さんは、「薪作りもいつかできなくなるね。これも元気なうちだね~」とポツリとおっしゃる。まさにわたしの実感でもある。


コモンズ休暇への転換

2020/05/30 sat 快晴 24℃
abe-e inaba kai kusa tomik & m migita wada seki = 9 persons

■山仕事から新里山生活モードへ


かつてJTBの国内旅行のヒット商品に、椎名誠などが同行する『山形休暇』なるものがあった。中身はどおってことないのだが、わたしが山形出身であること、そしてこのネーミングの意外性(なんで山形なの?という唐突さ)とトレンドをつかむ「うまさ」にわたしは唸った。ちょうど札幌の財団の研究所で、「生活見直し型観光とブランド形成」というテーマで研究会をしていたころだったせいもある。

実は10年前、このネーミングに惹かれて、月に一度、『苫東休日(休暇)』なるものをしていた。浜厚真の自然海岸や、落ち枝拾いや、いわば大人の遠足である。これからはもう一度、苫東休日とかコモンズ休暇、なるものもありうるのではないか…、仕事から風土に寄り添った休養・休暇への傾斜へ、というのがこの稿の論旨。

・・・・・・・・・・

リタイアして11か月、時間の使い方と日々の焦点が微妙に変化してきて、当然ながらわたしと勇払原野の苫東コモンズというフィールドは、「晴林雨読」ライフとして直結するようになってきた。まあ、このために働いてきたようなものだから当たり前だけれども、折も折、フィールドの修景を担うNPOメンバーの高齢化が現実のものとなっていて、作業の質と量を、大きく変換させる必要性が高まっていた。中心メンバーはほぼ70歳なのである。

思えば、担い手のウッディーズはよく働いてきた。わたしも気づいたら故障もちになっていた。なんの足しにもならない、誰に評価されるでもない役務をコツコツこなして、林は確実に気持ちの良いものに代わった。と同時に、丸太を薪という商品に仕上げて、活動資金と時々の飲み代に充ててきた。おいしいものを食べながらしばしば低廉な会費で歓談、懇親できるのも、薪を引き取ることなく地域通貨「コモンズ」を提供してくれた、いわばメンバーの好意(寄託)によるものだった。

で、そろそろ、その形態と別れる時が来たようだ。薪を対外的に分譲するのは来年春で止めることになる。いや、やめざるを得ないのである。薪は苫東ウッディーズとして役務を提供した薪ストーブ利用者(薪焚き人)が、働きに応じて受領する。

もし自宅の暖房に足りない場合は育林コンペや風倒木処理で自ら賄う。そして、分譲のノルマ感覚(義務感)から離れて、今までと違う余裕を創出するのである。その余裕は、どう使うか。それが新里山生活である。これなら細々とでも継続ができる。わたしはリタイヤを境に、故障の養生をしながら一足先にこのモードに入って、少しずつ風倒木を片づけ、集め、割って軒先などに積み始めた。

新里山生活とはつまり、四季の里山風景をもっとたっぷり時間をかけて愉しみ、当然、季節の山菜、鳥やその他の生き物、そこを行きかう人々とも交わって、かつ、コモンズ林業の担い手として、雑木林の修景間伐と丸太から薪生産する工程にゆるくかかわる。メンバーの好意に一部は甘える形にもなるが、相応に引き取って薪ストーブの暖房に消費させてもらう。

さてその山菜。リタイヤ後は折角だから水上勉の食エッセー『土を喰らう』に習って、山仕事と日常の合間合間に、丁寧に採ることができた。季節の「気」をいただくつもりで、フキノトウから始まって、アイヌネギ、アズキナ、スドキ、コシアブラ、フキ、コゴミ、ミツバと続いている。ワラビと浜ボーフー、サンショウ(葉、次に実)を採り終えたころに、いきなり、ハスカップに移るのである。イラクサやボンナ、タランボなどは採らなかった。さほどおいしいとは思わないし、それもやると山菜の焦点がぼやけてしまう。

■山仕事をゆるくする

長々と前書きをしていたら、方向転換の経過説明になった。

結論は、「年寄、半日仕事」を地で行こうというものである。もちろん、若い人やmigitaさんのようにパワーに余裕のある人は、9時5時でも、10時4時でもOK。実情に合わせていこうというもので、その実情というのが「加齢に伴う体力の衰え」である。

わたしなどは、NPOの野外活動はもう10時3時でいいのではないかと思う。かつ、その中や前後には、これまでどおり散策や山菜取りや森カフェでの歓談やお茶のみが介在してOKという、ゆるいゆるい里山生活である。土曜日以外でも1日か2日、林を歩いたり家で薪を割ったりするから、新里山生活にさいている時間は短くはないが、それが元気再生と癒しにもなっているのが特徴である。



また、わたしたちは、わずかな情報交換で、今この林で自分が何をすべきか、ピンとくる間柄になっている。wada さんは池のそばのアプローチにある、花の終わったフジザクラの、垂れた枝を落とし整頓した。通行の邪魔をするようになっていたからである。

migita さんはseki ちゃんとともに、シカの試験地の電気牧柵の付け替えを先週からやっている。牧柵の外にはずした萌芽のナラが、シカに食べられるのかどうかを観察するためのものだ。牧柵に草が触れると漏電を起こすから、刈り払いも怠らない。



わたしは広場からドロノキに向かう林道を刈った後、シンボルツリーのドロノキの周りの刈込モデルを創った。ドロノキや林道に繁茂するオオウバユリは、刈り払うと黒色に代わって風景を汚すので、右の写真のように「エッジを明確にしておいたからこのまま刈り残してほしい」と、wada さんを通じて町内会の作業班に伝えてくれるよう頼んだ。

■山仕事からワラビ採りへ

で、話は戻って、5月16日、スドキの採り頃から、山菜取りに半日を費やせるよう気持ちだけシフト変換した。23日も雨の中だったが午後は静川の小屋でコシアブラ採りが行われていた。このようにすることによって、わたしの場合はより強く季節が刻印される。山菜で知る、季節の一期一会である。

そして快晴の30日、仕事前の終期のスドキ採り、昼休み前後のミツバ採りが行われた。個人の自由だから、当然ながら、山菜に興味のない人は、薪割り、薪積み、刈り払いに就いていた。わたしはブッシュカッターを持ちながら、半農林半山菜と風景カメラマンだった。



この一日の締めくくりが柏原のワラビ採り。わたしは実は採ったことはないのだが、40年近く前にワラビが生えていたのは覚えていたので、希望者3名を連れて案内。幸い、ワラビは採り放題状態で、30分で1.5kgほど採った。帰宅後、これをオタマ一杯の木灰(苫東の雑木薪を燃やしたもの)で6分間茹でて、水にさらした。お隣のご夫婦に、先日の魚などのお礼に、ひとつかみ、持っていくつもりである


新緑のシャワーを浴びて

2020/05/26 tue 晴れ 18℃
am oyama & kusa    pm solo-work

これからの作業エリアを踏査する



大島山林の森づくりを担うわたしたちメンバーも高齢化した。また、保育の対象とするフットパス周辺の林の方も、一応片付いて一区切りを迎え、新たな段階に入る。

結論を急げば、これから保育のスピードは減速し、結果的に間伐材はさほど出てこなくなる。従って薪の生産も大幅減になる。この見通しを確認する意味で、oyama さんとこれからの保育エリアを歩いた。

除間伐と、突発的な風倒木処理を並行させながら、この秋から、8つの林小班を同時に手掛けていく方法に行きついた。作業テントも薪小屋のすぐそばに移動するので、作業条件は良くなる。これからは林道の刈り払いなど、利用管理に軸足を移していく。

薪会員への薪の分譲は来年春を最後とし、間伐作業に関わるメンバー用の薪は、合計8棚を最低でも生産し、おまけがでれば都度、個別に有償分譲になるだろう。

薪はできるだけ自賄いし、個人の薪棚(薪小屋1ユニット)を用意する。そこに育林コンペや平日の風倒処理木などをデポするのである。わたしは6月から試しに個人の薪棚を創る予定だ。

■新緑の絶景、そして新緑に染まる





初夏に入る前の新緑は日に日に変化して色も濃くなる。3日まえの土曜日はまだまだ大人しい色合いだったのが、今日は広場の雰囲気も一変した。

午後、育林コンペの伐倒木を玉切りするために静川に向かったら、もう気温は15℃を超え、とてもチェンソーを扱う温度ではないと感じる。汗をかかないよう、ゆっくり動いて終わったが、軽トラで3台分くらいあるのではないか。

これを大島山林の広場に運び、夏、ひとりで割って積むつもり。本来の薪自賄いのスタイルに近づくのは喜ばしいが、あいにく股関節の痛みを考えると作業はせいぜい平日の1日に2時間ほどにしたい。これなら死ぬまで薪ストーブライフを楽しめるのではないだろうか。

小屋の前の林床を歩くと、ドングリの実生が1㎡に2つから6つ、7つ見つかり、うれしくなる。シカかの試験地もそうだったが、萌芽が不調でも実生の更新が期待できる。イタヤやモミジも、そして、シラカバもほぼ同じように見つかる。

スドキの種を試験的に挿し木したのは今から3,4年前の晩秋だった。少しずつ、増えていたのが今季はどんと拡大した。スドキの伝播の速さには驚く。今年も収穫しないで種を飛ばしたい。この増殖を教えてくれた厚真のSさんはさすがだ。わたしにとっては勇払原野の先生だった。先生はこの春、家族の津波避難用に、高台に小屋を完成して薪を積んだ。


感動を伝えるには光と撮影の技術が要ることを痛感

2020/05/23 sat 10℃
inaba kai kusa tomik & m migita seki = 7 persons

動画撮影はやはり難しい




一昨年から、記念誌用の画像をコツコツと収録しており、今回は勇払原野の雑木林を知らない人に一番お見せしたい新緑の動画と静止画像を撮るために、午前は遠浅、午後は静川に足を運んだ。

折からの霧雨が、本降りに近い雨となって、唯一の機材であるデジカメも濡れるので、落ち着かない撮影だった。光線の塩梅も今一つだったが、本格的な機材の不足も痛感した。わたしはいつも間に合わせだ。

仕事でプロと同伴すると、ビデオカメラはもちろん、歩くときに安定させるスタビライザーのような、ジャイロが内装されているようなスグレモノがあって、手振れがひどくなくなり、基本、パノラマを撮るためのスパンの際も手抜きしないで三脚を使い、よどみない。こちらはいつもデジカメ一つとはいえ、今日はどれもこれもうまくいかず終わった。感動を伝える技術は当方にはゼロであることを痛感した。

■シカの試験地の電牧移動打ち合わせ


見事に天然更新が進んでいるシカの食害試験地だが、萌芽も実生による更新も、そして予想外のシラカバの侵入もうまくいくことがわかったので、次の段階は牧柵を撤去した場合のシカの行動である。

そこで写真右上の点線の角に電牧を移動してみたいと思う。その一角には写真左下のような豪勢なナラの萌芽枝が繁茂しているが、もしエゾシカがナラの新梢をとてつもなく好むのであれば、電牧移動してほどなくして食害にあうはずだ。

それを確かめるために、雨の中、migita さんに立ち会ってもらう。折から、バッテリーが古くなって電気が通じなくなったため、ほぼ新品を購入して装着した。

地味な仕事だが、何につけメンテは大事だ。仕事に入る前も、薪割り機が不調で黒煙をはくので、tomik さんが見てくれたがどうもキャブレターのエアフィルターが目詰まりしているようだ。外して運転すると快調にトルクも上がり煙も出ないから、ほぼ間違いない。これもまず、migita さんの作業小屋に持ち帰りエアコンプレッサーのようなものでゴミをとり当座をしのいだが、いずれ、ユニットで交換の必要がある。

■コモンズが本来持っている悩み

雑木林は先週と今週が春の山菜の好機だが、例年、地元の人は驚くほど採りに来ない。それでもオバサン数人が来ていたようだ。昨年だったかも、沼ノ端のオバサン数人が、ヨモギ採りに来ていて、聞くと、ここはホコリをかぶっていなくてきれいだから、と言っていた。ヨモギは冷凍して正月にも使うのだという。

コモンズの林は遠浅や静川に限らず、苫東コモンズが保育管理を進めて、フリーアクセスのもとで近隣の市民町民みんなが利用できる「共有」を目指すわけだが、人間の「独占」願望との葛藤はある。

ハスカップもキノコも然り、だから人々は自分だけの秘密の場所を見つけ、先んじて誰かに採られないか、一喜一憂するのが常だ。泰然と、心穏やかに季節の恵みを味わうためには、少量でも満足できる、足るを知る聖人のような心持ちが要ることになるが、実際は供給過剰、採ってもとってもなくならないのが、北海道のいいところだ。

大きな人口をかかえる札幌の人がスドキを知らず、北海道人の多くがコシアブラのおいしさに目覚めていないのは、その点、とてもいいことだ。今のままだと死ぬまで焦る必要がない。安心だ。

広大な苫東コモンズだが、地域の人々の往来はずいぶん偏りがある。キノコとシカの狩猟時が最も混むだろうか。この日も、小屋周辺に車が3台来てたよ、と知人から聞いたが、それはコシアブラ採りのinabaさんたち一行であった。かくも手つかずの地である。


広場でアカエゾを割る、子らはのびのび遊ぶ

2020/05/19 tue 晴れ 10℃

とてつもなく恵まれた空地


5/19 はアカエゾマツを割って自宅へ運んだ。薪ヤードが美しい。
先週、コシアブラのように見えた小さなふくらみを作業の後に見に行くと、なんとクルミだった。不覚!



遠浅の団地の子供たちは積んだ薪棚でかくれんぼと水鉄砲遊びを。なるほど、恰好の遊び場だ。

そういえば、丸太をうずたかく無造作に積んでいた10年近く前、丸太はいつの間にか適当に移動され、秘密基地づくりをしていた。



この日、水鉄砲に飽きた子ら5人は、やがて、薪小屋の屋根に昇り、走る子もいた。興奮する気持ちはわかる。その中の一番大きい子に、(気持ちは、こらあ、、、)

わたし「走るんじゃないよ。それと透明な白い屋根は割れるから乗るんじゃないよ」
子ども「うん、この前、そう言ってたしょ」

そういえば、あの子に面白いところあるからおいで、と屋根の上の展望をそっと教えたのはわたしだった。屋根の上は子供心に別世界だったことを思い出したのだった。危険だから、あまり大きな声で言えないけれど。



“今日は山菜採りを楽しもう”

2020/05/16 sat 10℃ 曇り、朝夕霧雨
abe-e inaba oyama kusa kuri tomik & m migita = 8 persons


■季節を祝う「春祭り」


毎年巡る季節だが、人も自然も世の中も変わって、毎年同じではない。今だけの一日を存分に楽しもうというのは、なかなかできることではない。しかし、心がけひとつでそれは可能になる。それが季節の変わり目を祭り化することだった。



新緑が始まるころの春祭り、初霜が降りていよいよ紅葉も本格化するころの秋祭り、雑木林がキリリとたくましく見える冬まつり、元気な時はこのみっつを三大祭りと称して山小屋で一人で祝ったものだった。そう何でもない、連続する毎日にちょっと区切りをつけるだけでそれができるのだから、余裕がたっぷりある今、それをしない手はない。

北欧の人々の自然との付き合いにその原型のようなものがある。もっともっと大げさに祝うのである。特に春。長く暗い冬を潜り抜けた日差しは、祝いの対象になる。冬至はこれから日が長くなる境目なので、それも祝う。北海道は日本の中で唯一、北欧に近いので、そこに住むわたしたちは北欧の感覚がすこし通じるのかもしれない。

一方、夏の訪れは目まぐるしくて夏祭りをする余裕がなかった。いつの間にか、夏になるし、虫も邪魔する。

5月中旬は、特に、土から気をいただく山菜の好機。だから前日から「明日は山菜にしよう」と掲示板で呼びかけたのだった。これは来週も楽しめる。そろそろ、コシアブラが出てワラビも顔を出さないか。




頃合いとすれば、まずスドキ、そしてミツバ、コゴミ、フキである。量の多少はともかく、色々な山菜を、雑木林の新緑の風景を見ながら採る、という幸せは何物にも代えがたい。だから、あとで始末に困るような量を目指しては絶対にいけない。

昼前から軽トラにカケヤを積んで、フットパスサインの倒れたもの、揺らいでいるものを補修しながら春の見回りも兼ねる。大きなサクラスミレ、花が咲く前のツクバネソウが見つかる。



ウグイス、キジバトの声に交じってセンダイムシクイが聞こえる。アオジらしい鳴き声も届いた。カッコウもあったか、・・・おぼろだ。ゴジュウカラのペアは目の前の幹で逃げもせず、上下左右に動く。アカゲラもかなり近くで観察できるし、tomim さんはキビタキと出会ったと言っていた。さすがの春。

そういえば、昨日の早朝、窓辺でゴンと少し大きな音がしたので窓の下を覗くと、青い鳥が羽を広げてうずくまっていた。背中しか見えなかったが、どうもコルリのようだ。日中、このあたりでは全く見ない、森林の鳥なのに。10分後には羽を閉じて、30分後にはもういなかった。毎朝、軒先をクルージングする猫の餌食にならないで、羽ばたいてくれたことを祈った。ものみな、本格始動を始める春は、ともかくありがたい。

■森に向かう樹木のエネルギー



シカの食害試験地に行ってみると、そこは一面シラカバの天然更新あとであった。当初目立ったコブシ(ヘクタールに換算すると12,000本の密度)ももちろんあるが、それをはるかにしのぐ密度だ。シラカバの天然更新地ではしばしば20,000本/ha を超えるがそれに近いのではないか。

それらがワーと一斉に伸び始めている。おととしの調査時には予想できない光景で、2年後には向こう側が見えなくなる。ナラの実生や萌芽もあるのだから、その多様性とボリューム、そして森に向かうスピードは、さすがだ。パワーがみなぎっていて、見方によればパワースポットになる。だがこれが普通の自然の姿であり、餌を求めたシカ集団は、電気牧柵のバリアーがなければ、これを根こそぎにする可能性がある。

その可能性は実際、あるのか、ないのか、途中で電気牧柵を半分か1/4 だけ外してみたい。来週、挑戦してみよう。どうなるだろうか。

■薪割り



今日、一日を山菜に振り向けることができたのも、わたしたちの力量にあった作業に替えてこれたから、である。あと一日で薪割りは終わり、同時にあと2日で薪積みも終わる。そこに先が見えた喜びがある。何しろ、わたしたちのほとんどが前期高齢者で年金生活者だ。

さすがに若いkuri ちゃんや、スドキが自生する裏山を持っているabe-e さんは山菜に食指を動かさないが、この時間の送り方、スタイルはいいのではないか。コロナ後の「新常態」とはこれだ、と言いたい。こんなペースなら75歳まで現役続行は大丈夫ではないか。

風が寒くなったころ、持て余し気味のアカエゾマツの焚き付けづくりが始まった。薪割り機でも割りにくくはかどらない。堅木(広葉樹)のようにパチンと割れないから、長さ35cmすべてにムグムグと圧をかけざるを得ない。従って一つ割るためのサイクルタイムが長い。マサカリで割っていたら大変だ。薪としてのアカエゾマツはここでも嫌われる。


夫婦で丸太運搬

2020/05/14 thu 20℃
kusa-pair

薪の終盤




今年の秋から焚く薪のほとんどは5月4日にタウンエース・トラック4往復で運搬を終えたが、さらに昨年秋から育林コンペで細々と玉切りしてきた風倒木と間伐の丸太を、知人の軽トラックを借りて家人と運搬。これから夏にかけてマサカリで割る予定。

昨年のメモをみると、11/12 、11/20 、12/5、 12/17 、12/25 と合計5回通っていたが、持病の股関節痛を抱えての作業で、痛々しい泣き言満載だった。各回とも1,2時間だから正味の作業時間はせいぜい8~9時間、実働の人工で言えば1.5人工といったところか。

軽トラックにコンパネを立て、写真の倍くらいの高さに積んでシートをかけ、ロープも張った。降ろした結果が右の写真。まだ現場に残っているので、ざっくり言えば、1.5日の現地作業で、1.5~2.0立方mこなしている勘定。体調万全なら、2棚を3日で玉切りまでできるだろう。

そして運搬は軽トラックで恐らく5往復。チンタラやれば苦にならない作業量だ。つまり、放置された広葉樹林では、薪資源は無尽蔵だということだ。抜き切りした形跡もほとんど感じない。風倒木を片づけながらやるだけで、雑木林は確実にシェープアップされていく。

頼りになるのはやはり軽トラだ。4日にレンタルしたタウンエース・トラックは積載量は多くオートマで楽だが、木と木の間が狭いと林に入っていけない。今回も軽トラでぎりぎりだったから、これからのミニ伐採では、やはり軽トラに軍配が上がる。

また、この日の作業は当然一人でやるつもりだったが、前夜になって家人が「わたしもやる」となんだか憐みの眼差しでサポート宣言した。2度ほど断ったが無理だった。結局、手伝ってもらって正解だった。次回からは積極的におだてて手伝ってもらおう。

■森カフェ



素晴らしい日和だったので、小屋のテーブルを出して新緑前の林を記録した。森カフェとはよく言ったもの、飲み物などなくても里山風景と一体になれる。家人は東京で働く娘に現場で画像を送っていたが、即、すごくいいね、と返事が来たと言っていた。沖縄の森カフェと比べてもらいたいものだ。

わたしはひとり軽トラを返却した後、大島山林に寄って、アカエゾマツを薪割り機で割ってプリウスに積んだ。どうも、ただでサービスするよと言っているのにアカエゾマツの売れ行きは悪く、それならば、と少しずつわたしが引き取ろうと思う。今年玉切りしたのにもうかなり軽くなっているから燃え方は想像がつくが、異形の薪も含めて余すところなく使うのがエコライフの流儀。現場をきれいに片づけるつもりで、こつこつとプリウスを使って運ぼう。

カーポートの脇に積むと、隣家のジャガーのスポーツカーとの対比が面白い。まるでお金の余っている人と、とことん資源を使い切るつましい節約家みたいな。


薪はこれからどう確保すればいいのか

2020/05/09 sat 晴 16℃
abe-e inaba kai kusa tomik & m migita wada seki = 9 persons

憧れを現実にするための方策



毎年やってくるコブシと桜の静かな饗宴  そこで8人、1時間で2棚を積み込む

先週からコブシが咲き始め、今週はサクラとともにピークになった。晴れ渡ったその善き日に、新札幌と江別の薪会員に5.4立方メートルずつ2回、薪を運び入れた。トヨタのレンタカーで2トン車のロングにさらりと積むと、ちょうど満杯になる。


Tさんの薪棚 まだ残りアリ       Fさんのガレージ。89歳が一日で積み直すという

事故や居眠り運転の記憶から、わたしは運転に自信を失いかけていて、この2トン車での運搬も実はここ3,4年辞退したかった。tuzukiさんやabe-b さんがいたときは運転は代わってもらいわたしは営業マンをして良かったが、このごろそうもいかなくなった。

そんなわけで、今回は配達は今年で最後、というメッセージも伝えるちょっと重たい役目もこなさねばならなかった。幸い、午前に伺った厚別のTさんも、午後のFさんも「ついに来たか」という受け止め方で、これには肩の荷が下りた。

実際、①遠すぎないどこかから、②いかに乾いた、③ナラの良く混じった(できれば針葉樹でなく)、④しかも高くない単価で、⑤安定的に、供給を受けるかはなかなか至難なのである。その点で苫東コモンズは口コミで森好きに広まり、多々、お断りしながら現在の分譲規模と形態になったが、乾燥度、値段、広葉樹のミックス度合いでは、申し分ない質に近づいてきた。

■解決への道

今、問題はふたつ。一つは供給側で、間伐・伐倒・搬出・薪割り・薪積みの全工程が、高齢化とともにきつくなってきた。もちろん運搬もである。また、その年の間伐のエリアの特長で、薪に適した材質と量を確保できないときも出てくる。かたや、NPOは財務的には安定しているから、がむしゃらに稼ぐ必要がない。

自然の流れで行けば、身の丈にあった間伐面積となるので、薪生産量は減り、分譲数は少なくなっていかざるを得ない。それをカバーするためには、縁故と情報をつないで、苫東内の不要になった材を入手すること、などがあげられ、欲張れば買い取ることも考えられるが、そうすれば身近な林を手入れし、間伐した材を利用するという本来の目的が逆転してしまう。わたしたちは薪屋さんではない。

もう一つは入手する側だ。もっとも簡単なことは、薪屋さんから購入することだ。乾燥が今一つかもしれないし、単価は1.3倍から1.5倍になるかもしれないが、背に腹は代えられない。時にはカラマツでも仕方がない。つまり、お金で解決だ。

近所のお医者さんの薪棚は、毎年、ナラ薪だけが並び、この3月の末にも残り少なくなっていた薪棚が4月の頭には再びナラ薪がきれいに積んであった。まさにこれだ。業者に供給だけでなく積んでいってもらう。

薪の思い出と今

しかし、これでは薪ストーブを焚く愉しみの7割を捨てている、とわたしなどは考える。できるだけ自賄するのが、カッコよく言えば薪暮らしの流儀だと思いたい。わたしは自宅を薪ストーブにしてまだ年月は浅いが、薪ストーブの付き合いは、随分と長い気がする。というのは、学生時代の山のクラブが、北大が所有する山小屋二つ(手稲のパラダイスヒュッテと奥手稲の山の家)を管理していて、土日の山小屋管理人は部員が交代で務めねばならなかった。北大の学生部から1泊2日で1500円ほどの管理手当(交通費、日当込み)がでた。小屋版の仕事は、客よりストーブの世話だった。

貧乏だが暇があったわたしなどは、時々この山小屋の番人となって薪を割ったり、薪ストーブの世話をしていた。冬も含め精力的に山に登っていたから、そうなると結果的には、学生時代は年間100日から150日、山や森の中にいることになった。ただ、山小屋の管理といっても楽でない。冬の奥手稲小屋に至っては、手稲のオリンピック男子大回転コースの基部からでも、スキーにシールを張って急斜面を昇り、3時間近くかかる。雪崩も起こるところだ。それにひとりで泊まれば幽霊のうわさも思い出す。

平成9年に静川にログハウスができてからは、薪ストーブは完全自賄となって、自給自足に入った。必然的に、薪ストーブの付き合いはかなり長くなる。ウラヤマ的、里山的な日々はここで本格的に学んだ。チェンソーの扱いもここで試行錯誤した。ふたつめの前置きが長くなったが、2番目の解決方法は自分で山を持つか、自由にできる林を借り受けて自賄に突入することである。

従って最後の手段はどこへ行くかといえば、言わずと知れた「育林コンペ方式」である。薪会員への供給をやめる頃は、基本、自分の薪は自分で用意する態勢に戻るだろう。薪を焚かないメンバーが作ってくれた薪と、自分の働きの余剰分が分譲に回されてきたが、分譲分が急激に次第に先細っっていくのは、そう遠くない。

事態はそんなところにある。薪生活は、実はユルクナイのである。だから、金のある人は金を有効に使うべし。薪の基本は自賄。ノルウェーの名著『薪を焚く』は、その辺の蘊蓄が満載で、だからか、少し北国のペーソスが漂う。悲しい覚悟、みたいな。

ただ、自賄とはひとりに限らない。ファミリーの役務だ。古い人なら、みんな薪割りや薪積みを手伝わされた思い出を持っており、近年、大島山林の薪ヤードにくる人たちも夫婦や親子という家族単位になっている。k家族で最も力のある人が木を伐り運び、2番手は薪割りに参加し、小学生あたりは薪積みもする。薪の恩恵にあずかる子供から大人まで、薪の手伝いなら仕方ない、と重い腰を上げるのである。


早くも2020年冬用の薪、自宅へ運ぶ

2020/05/04 mon 曇り、霧、雨
kusa & wife

■tuzuki さんが訪問



家人と朝の8時からレンタカーで薪運搬。2往復目の昼近く、遠くから見たことのある歩き方の男性が近づいてきた。ニコニコしていたのは2年ほど前に愛知県に転勤になった会員OBのtuzukiさんだった。

きわめて元気で、向こうでも薪を焚いているらしい。taichiくんも高校2年になって元気にやっていると。今回の帰省で、自宅にストックしてある薪を持って帰るのだとか。向こうでは薪ストーブの家が増えているようで、しかしまともな薪を手に入れるのは至難のようだ。今でも山仕事をしたい様子だったのが、当方には少しもったいなく映る。

■積載750kgのタウンエーストラックで4往復



1週間前まで薪を焚いていて、薪小屋や軒先の薪スペースがほぼ空になったばかりなのに、なぜか気がせくもので小さなトラック(軽ではなく)をレンタルして、自宅へ薪運搬。やはりいつもの薪会員と同じく、家族総出(と言っても夫婦二人だが)である。

2棚5.4立方mを3往復では終わらなかった。結局、レンタル店の閉店直前の午後6時半に車を返却した。250km以上の走行。家人は、薪小屋に薪を積むよりは楽だという。普段、半日仕事、と言っているのに、レンタルではつい頑張ってしまう。

この頃、薪ストーブ愛好家との間で、何歳まで薪ストーブやれるだろうか、ということが話題になる。最後は買って薪小屋前に届けてもらえば済むので、現在の、伐採届、伐採木選定、伐倒、玉切り、やぶ出し搬出、薪割り、薪積み、シートかけ、積み込み・運搬・積み下ろし、という一連の作業をひとつずつやめていけばよいのだが、満足度の高い薪ライフのためには、できるだけ関わりを多くしたいもの。

ところで今回入手した薪は、1棚がおととしの春、もう1棚は昨年の春に割ったもので、いずれも十分乾いている。しかし、おととしの「コニャックレベル」の極上薪はかなりキノコが生えていた。ぼけてはいないが、燃えすぎる可能性あり。

帰宅したころから雨になり、折角の薪が濡れてしまった。少し乾かしてから積むのに2日を覚悟した。

フキノトウ、アイヌネギ、そしてアズキナ

2020/05/02 sat 曇り時々晴れ 空は黄砂か 12℃くらい
abe-e kai kusa wada migita seki + saitoh-pair = 8 persons

今年の山菜賞味予定




4月16日の「日々の迷想」に今年の希望的山菜賞味の予定を次のように書きました。

…「フキノトウ、アイヌネギと続きましたので、これからスドキ、コシアブラ、ワラビ、コゴミ、ミツバ、ウド、山椒あたりでいったん足踏みし、ハスカップ摘みで春から初夏の季節を食べる道楽が一段落します。


実はこの間に、写真のアズキナがあるのを忘れていました。決して熱烈なファンがいるわけではありませんが、茹でたときのほのかな小豆の香りに、春の到来を嗅ぎ取るのです。今日も家人と小鉢一杯分のおひたしにと、手のひら分、いただきました。

■広場にテーブルを移動



もう、暖を採る日は過ぎたようです。新型コロナの三密を避けるためにも、これからしばらく食事は外か車中で、となります。薪会員のsaitoh ご夫妻の手が空いたようなので、テントからテーブルと椅子セットの移動を手伝ってもらいました。

そしてこの秋には、そのあたりにブルーテントを移設し、写真右のあたりに新しい本拠地を構えることになります。落ち枝事故を気にしなくていいところで、平坦で、薪小屋にも近いところ、ということになると自ずと場所は決まってきます。

この機会に、大島山林のこれからの管理の方法も大所高所からと、きわめて現実的な面からと、両方から考える必要があり、なんとか次の世代にスムーズにつないでいける道も探してみたいものです。

今日もドクターkai に感染予防を厳しく指導されながら(笑い)、①薪割りと薪積み、②湿地沿いのコブシ丸太運搬、③広場縁辺の薪材追加伐採(wadaさん)、などを粛々と進めました。