気象災害という「自然」とどう付き合うか

NO.111
2020/07/04~

7月4日早朝のニュースは熊本あたりに未曽有の集中豪雨が続いていると報じていて、最も大量の雨が降っているとされる地名の中に、デコポンを作っている山仲間のマチを見つけました。1日で500ミリ近い雨。生きてるか、無事かとSMSでひとこと発信して、一方でニュース検索を続けています(7/5 朝)。

つくづく日本は気象災害が多い国だと誰しも気づかされてきましたが、近年は特に、地震、大雨、台風の被災と復旧の繰り返しで、その合間に政治と経済と娯楽や学びや観光がある、そんな感じにも見て取れます。そしてそれはこの国の離れられない宿痾、歴史なのでしょう。さらにそれは土地の生産性や多様性、さらに文化性、精神性などと表裏一体になっているのでしょう。

それに、日本各地のローカルな風土には、各々に脆弱な部分が多少なりとも含まれているのではないでしょうか。その弱みを突いてくる災害が、幸い往々にしてスポット的なのでよそは免れることができ、そのスポットを周辺地域や国がサポートしてきました。

だからわたしたちは心のどこかで、明日は我が身、となる可能性を感じて今を生きているような気がします。コロナ禍はこの国の脆弱さをついて、スポットではなく全国に広まってしまいましたが。

今月初め、樽前山のふもとでまだ整理も復旧も行われていない台風被害地を見て、そしてわが勇払原野で頻発する風倒木被害を頭に思い浮かべながら、気象災害が起きるのもまぎれもない「自然で」あり、それを粛々と受け止め、サイエンスとしてみる覚悟と感性を備えて時には「諦め」をもって付き合う必要もある、と思い始めました。

年月をかけてたどり着いた小さな悟りです。放置するのも選択肢である…。意義付けと解釈はいくらでもできるものです。


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作業拠点を移設、ボリボリは爆発

2020/09/26 sat 曇り 19℃
abe-e kusa kuri tomik & m migita wada seki = 8 persons

■新しい作業拠点、でき始める





台風12号の影響もなく、おまけに雨どころか現地は晴れ渡り、作業拠点の移設には絶好だった。

大島山林の雑木林保育作業が、奥地から手前に移動するために、作業テントを広場へ移動を開始したもの。昨日と一昨日には、migita -seki の両氏でフレームの埋め込みが済んでいて、今日はフレームへの横パイプをかけ、ジョイントをつないだ。

風で飛ばされないよう、スクリュー式のアンカーやジョイント部の補強など、細かい見えない作業が多々あり、アンカーは奥のテントでkuriちゃんが若い力で掘り出し、新テントで再び6,7本を埋め込んだ。

写真右下は、旧テントの取り外し風景で、これは朝一番にabe-e さんと始めたらkuri ちゃんが来て、やがて、tomik 夫妻が、林道のボリボリを拾いながらやって来た。細々の人力仕事なので、大勢で助かる。

作業は旧テントの薪ストーブや煙突、各種資材と薪、テーブルなど一切合切を撤去したほか、部材もかなり外して再利用するので、残ったのはフレームだけとなった。

テントのシートをめくるとき、abe-e さんは、「この沢山出ているのはボリボリですか?」と、のどかに聞いてきた。煙突の下の界隈を中心に、びっしりボリボリが生えていた。また軽トラックで10往復近くするうちに、フットパス林道で随分ボリボリを踏んだ。

作業は予想外の3時近くまでかかり、部材不足でシートかけには至らなかった。

■ボリボリ、出ずる





待望のボリボリが出てきた。

痛んだものがほとんどないところを見ると、昨日から今日にかけての発生か。上に述べたテント周りや、フットパス、電気牧柵のベース当たりなど、わたしたちが結構足しげく動いたあたりと、5年程前に伐採したナラの切り株に、大量に群生していた。

migita さんはご自身の畑で大量に収穫したので、コープに出荷したという。切株のボリボリは下左のように固い株で、わたしの最も好きなタイプ。普段、山菜などと騒いだのを見たことのない人でも、きっと狂喜するのではないか。

わたしは竹籠に半分と、買い物袋にひとつとって、袋の方はボリボリ大ファンのinaba さんに届け、残り(右下)もお隣さんにおすそ分けした。inabaさんは、「これで一年分になる。十分です~」と、来週も参加できないことを嘆きつつも満足していた。


今、目の前で営まれるローカルなことの意味

2020/09/21 mon 晴れ 23℃
kusa migita = 2 persons 薪運び=kaji + 3 total 6

■軽トラに関わる人々



先週末の土曜日、林道の風倒木を片づけている途中、チェンソーなどを載せていた軽トラが細いフットパスで停めた後、エンジンがかからなくなってすべてがストップ。仕方なく、チェンソーや大トビ、キノコ用のかごなど一切合切を手に持って広場に戻った。ちょっと辛かった。

今日はその跡処理。
軽トラオーナーのmigita さんと現場に行き、バッテリーをジャンプコードでつないでみてもウンともスンとも、もちろんブルルとも言わず、バックで引きずり出しワイヤーで広場まで牽引。

小一時間後、整備工場のMさんが来てくれて、バッテリー周りを見てくれる。ヨレヨレの軽トラになんだか親しみを持っているようなので聞くと、migitaさんにこの車を売った方だった。台から落ちそうなバッテリーをはずし、

「こりゃ、ひどいな」。

端子の接点部分は緑青で青く、取り外すボルトもナットも丸くなっていてペンチやスパナが使えない。まず緑青をこそげ落とす。そうこうしているうちに、黒い方のコードが切れていることがわかって患部を切断。ビニールを剥いてから、「テープない?」というので車に積んでいた小物入れから絶縁テープをだすと、「随分古いね。表も裏もべちゃべちゃだ~」と言いながら、応急処置を進める。テープはおそらく20年も前のものだ。ややして、両端子をつないだころ、運転席からピーピーと警告音が鳴った。「ほら、つながった」。

かくして、今や、山仕事に不可欠となっていた軽トラはよみがえった。

「こんなボロ車ですけど、山仕事にはもう欠かせないんですよ。migitaさんには感謝してます」
「そうだよなあ、ないと仕事にならないでしょ」

朝一番の、migitaさんへの電話から数えて3時間。
70ヘクタールの大島山林と本腰を入れて関わり出して10数年、関係者が何人か交代しながら現在に至ったが、変わらないのはこのようなローカルな関係である。これをコミュニティというのだろうか。ここで生じる問題を、このあたりの人の支え合いみたいな関係で、当事者として、ゆっくり、時に素早く解決してきた。世の中から見れば、まったくゴミのような瑣事である。

ただここで明記すべきは、目に見えない社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)だ。これがしっかりした、どちらかと言えば古い地域社会が「地域力」の原動力で、かつ、育ての親だったりして、それらが神社の氏子などの関係性に下支えされて安定して持続していることを、わたしは札幌の財団で研究会のメンバーとして学んだ。これが濃厚に蓄積されている方が、地域は足腰が強い。

見ておくべきもう一つは、贈与経済という存在。このようにして手間返しのように動く日常は、いわゆるGDPに金額が現れない。ローカルな社会はお互い様とか、持ちつ持たれつの助け合いで金銭が目に見えないことが多い。いわばサービス、あるいは見返りを当てにしない奉仕である。それをわかる人はたいてい何かでお返しするのだが、往々にしてそこに「ただ乗り」する人も出てくる。それもある程度仕方がない。サービスにはせめて感謝をし、気持ちをなんとかメッセージとして届けたい。

また、下手するとwin-winではなく、win & lose になって長続きしない。イージーライダーと言えばカッコよいが、お互い様の関係性にただ乗りするのは普通は本人もどこか気持ちが悪いものだ。世間というものは、このことへの感性と、そのあとの関わり方で人望が生れたり、人望がなくて人が離れられたりするもので、良くできているものだと思う。

このような手間がえしを可視化したのが地域通貨というルールだった。慣れてくると通貨を介さなくなるという。そのwin-win の常識がわかってくるようなのだ。今日のサポートなど、まさに地域通貨でやり取りする案件だった。

■もう一つのソーシャル・キャピタル



この日は薪会員のKAJIさんが、この冬の薪を引き取りに来る予定日。予定通り、若者2人と娘さんの合計4人で参上した。ひと棚なので、積み込みは早々に終わった。お嬢さんは、実家の薪運びを前から手伝いたかったのだという。なにか、暖かいエピソードがありそうだったが、聞きそびれてしまった。10周年記念誌に寄稿してくれたKAJI夫人の行間に、それは感じることができるかもしれない。

作業を終えてから、コンサル務めという若者と5人、薪や雑木林、そしてシカやコモンズなどの話に花が咲く。わたしも勇払原野のコモンズについてはPRを怠れない。

話は、コモンズという考えの中から育林コンペが生れてこれまで継続し、コミュニティ(コモンズ)林業が始まり、雑木林の間伐によって修景が進むと同時に、薪が生れてそれが原資となって地域活動を進めてきたこと、などに及ぶ。古いことと言えば、20年以上前から、北大の学生たちは第2演習林と称して、静川の小屋を根城に伐採のできる雑木林に集まってきていた。今、tomik & m さんが手がけているゾーンだ。

このごろは、雑木林の保育サイクルがわかってきて、

①皆伐しなくては更新ができない、
②2回の間伐、そして3回目の手入れは皆伐、


という2段構えで合計3回収穫ができること、そうした方がただ腐らすより地域や地球の温暖化防止のためにも有利で、一方で経済にも寄与し、同時に美しく快適な環境づくりにも寄与すること、を明らかにして来た。

これをさらにもっと重層的な仕組みにできないか

つまり、勇払原野のインダストリアル・パークの地に、世界各地で展開されている正調のコモンズとはやや異なる「北海道型コモンズ」という概念を掘り下げて根付かせ、オープンスペースの管理を地域住民の参加をメインにしつつ、暖房のエネルギーを地域で自賄いするような、大きな、エコロジカルで、エコノミカルな仕組みを創るのである。

ただ、「苫東緑地」は国や道庁が主導し、基礎自治体も民間も関わるプロジェクトの一角なので、大きなガバナンスは存在する。その下で土地所有者が一定のイニシアチブを持って保有しているわけだが、推測するところ、信託に足る無償の担い手を渇望している。

そこに地域パワーとアカデミズムと、キノコや山菜愛好の市民グループや木こり志望者を結集して、レクリエーションと薪エネルギーをも利用する、つまりは雑木林のカスケード利用のシステムを創ることができるのではないか。

しかし、このシステム構築は、相当な大仕事となるはずだ。

例えば、雑木林保全センターのもと、育林コンペを拡大した育林コンペ事務局薪利用推進会議、シカおよびヒグマとの共生をアカデミックに模索する野生生物委員会、苫東緑地の多面的利用と内容を学術的に検討する苫東緑地の全体協議会、などなど(いずれも仮称で実在しない)。

彼らと立ち話をしながら、今まで抑えていた様々な構想が頭をもたげてきた。しかしわたしはもう若くない。だからこそ、次世代につなぐ構想をまとめてみる必要があるのではないか。今年前半にまとめた経過と展望は、期せずしてその前段にあたることになろうか。

そして話しながら肝心なことを思い出した。

実は社会関係資本にはふたつの種類があって、ひとつは、先の町内会など狭い世間の社会関係資本で、有名な例え(あまりいい例ではないが)では、マフィアやヤクザのような、とことん面倒を見る、濃い、強い絆である。時にはよそ者を受け入れない。

もうひとつは、遠くの関係者と橋渡しする繋がりだ。ボンドやセメダインのような前者「ボンディング型」に対して、遠くの人と橋渡しするこのタイプは、ずばり、「ブリッジング型」と呼ばれる。SNSが発達してきて急速にこれが進んだとされる関係だ。

後者「ブリッジング型」は、ネットワーク重視であるから、メッセージの受発信で遠くとつながることもできる。NPO苫東コモンズの後継者を模索もしてきたこのごろ、まあ、誰も継承してくれなくても仕方がない、というあきらめに傾斜していたが、気を取り直せばもっと広く声をかけることができるのも思い出した。そういえばSNSの研究を手掛け、ちょうど10年間、ネットワークの管理者をしていたのだった。すっかり忘れていた。

しかしわたしは自分の短い人生の間に、言い出しっぺが最後まで面倒をみなければならない冷徹な現実と世間もじっくり見てきたから、待てよ、と立ち止る。「利他のこころは大事だが、無理するでない」…。

それに、苫東コモンズのような、現地で動くローカル・コモンズ(local commons)のあてにできる担い手は、基本、地元民でないと続かない。通うのに片道1時間以上かかる遠方の人は、里山づくりのメンバーになれるのは稀だ。

ただ、全体と来し方を振り返れば、じわじわと構想を積み上げ、商業誌、学会誌を問わず広報してきたその延長で、もう一度次の新しい戦略プランを、無欲に練ってみる時なのだろうか、と迷う。
実現の可能性は五分五分、せめて青写真ぐらいは書いて、もうちょっと若い世代とガバナーに打診してみるのも方法だ。思えば、こんなことばかり、頼まれもしないのにやって来たような気がする。NPOの立ち上げの頃もそうだった。 

■自分の山を見る





日が傾く前に、厚真町共栄あたりから平木沼緑地に入り、育林コンペと自分の山を見て歩く。
ツリバナの木漏れ日が心地よい。

oyamaさんのゾーンが最も密度が低く、枝が集められているだけでも、この山に時々来ては里山的に付き合おうというオーナーの意図が見える。対して、森林結びの会の方は、イベント的で「また来る」動機は見えてこない。

でも、きっとこれが普通の「経済林」だ。経済林的なつきあいの結果として育林をするのも、もちろん、コンペの対象であるから、コンペの検討会では、この事例のそのあたりに注目したい。

キノコは今日も不作で、きれいなチャワンタケとツチグリのようなものが新たに目についただけだった。

10月以降は、少しずつ、自分のゾーンで間伐を進めるので、進入路と今年の間伐木にマーキングした。これだけで1年分は十分にある。残念ながら、股関節が言うことをきかない。張っているロキソニンを剥せば、きっと痛みが戻る。今日は5.4km歩いてしまった。


広場整備、終えてから今日もキノコ散歩

2020/09/19 sat 晴れ 23℃
oyama kusa tomik & m migita wada seki = 7 persons

■色々な仕事こなす




来週はいよいよ、作業テントを林の中から広場に移す。今日はそのテントの位置だし、刈り払いのほか、薪棚周辺の刈り払いを午前にこなした。今年の除間伐エリアのソデ群落(林縁のブッシュ)も一部刈り払う。軽トラのトリップメーターで広場の長編の長さを測るとざっと200m。これを4等分して、ひとりまたは1グループが間口50mを奥へ除間伐を進めることにしたい。

チェンソー用の混合油がほとんどなくなったため、スタンドで50:1を40リッター作る。

■まだボリボリは出ない



食後、キノコ観察に林に入る。残念ながら、まだボリボリが出るには早いようだ。3時ころ、採集したキノコをテーブルに載せoyamaさんが同定を試みる。

わたしはキノコを探しながら風倒木の片づけをするため、軽トラにチェンソーを載せて普段はフットパスとして使う道を、軽トラやスノモの通行に支障が無いよう、支障木や枝を切って回った。

雑木林のキノコは、たいへん自己主張が強く、写真左のように暗闇で白く輝くものや、赤く燃えるマスタケのようなものに結構出会う。

食用のキノコが万が一なくとも、キノコは十分面白い。キノコがはぐくむ雑木林というパッケージがスゴイ。個人的には、わたしはずっとマイタケとエノキタケねらいで、ボリボリやシメジ類、ツムタケなどはおまけ。

これらを万遍なく楽しむためには、歩く必要がある。非常にたくさんのキノコに出会っていた時は、測量の仕事がてらで、実に良く歩いていた。だから出会いは足だ。そして収穫はついでだった。もう少し寒くなったら、クマスプレーを持って雑木林を歩こう。


小屋掃除、終えてからはキノコ散歩

2020/09/12 sat くもり後小雨 18℃
abe-e oyama kusa tomik = 4 persons

■腐臭のもとはアオダイショウだった



8月8日の雑木林だよりにこう書きました。

「ベランダの屋根に蜂が巣を作り始めた。一方、小屋の内部はなにか腐った匂いが立ち込めている。ヘビでも死んだかと二人で探してみたが、1階、ロフトとも確認できなかった。小屋の内部でヘビがよく脱皮する。脱皮に失敗するときがあるというが、それであろうか。」

今日は小屋掃除の予定日。わたしは腐臭のもとをひとりで探索するのが怖くて、とりあえず窓を開け放ちこもった腐臭を外に放散させてから、誰かが来るまでキノコ観察で時間をつぶすことにしました。そうこうしている間にやってきたのはtomik さん。事情を話して、小屋に入ってサイドテーブルの下や、燃料缶などを移動しつつ、探す。ストーブ周りの布団を干し、壁に凭れかけたテーブルも移動してもう一度、点検。

キャー、あったー!わたしは思わず叫んだような気がします。子供のヘビの死体がストーブの台の下にチョロリと見えたのです。腐臭はこれだ~。tomikさんが引っ張り出したのが左の赤外線写真です。急いで新聞紙に挟んでくれたそれをベランダで開く。明るい元でよく見ると、それはなんと、ストーブの石綿コーキングだった!

tomik さんとコトの顛末に、しばらく大笑いです。暗がりではなんでも怖いものに見えるのです。



それから気を取り直してさらにロフトへ。そこで tomik さんが本当の腐臭の正体を発見。真っ黒い皮から推してアオダイショウか。わたしの山スキー(HEADのコンペ用スキーにシールが張ったままのやつ)とロシニヨールの歩くスキー(これももう使っていない)の上に、煙突の眼鏡石の下の隙間からだらりとぶら下がり、床では腐って溶け、もう固まっていた…。不思議なことに骨なし状態です。


これを丸太の皮むき用に使う「皮しき」(本当の用途はペンキ剝がしのケレン)でそぎ落とし、火ばさみでバケツにつまみ、スコップで林に穴を掘り埋めました。ひょっとしたら、みんなに親しまれた「ミドリちゃん」(右写真)ではないでしょうか。埋め終えてから、タヌキに掘り返されないよう丸太や枯れ枝を載せ、合掌。

ヘビたちにとって、脱皮は命がけと聞いたことがありますが、きっと脱皮の失敗だったのでしょう。これで脱皮失敗は2例目。1回目は小屋の縁の下でした。

腐敗臭は、放置すると小屋を危うく人の寄り付かないケガレチ(気枯れ地)にしてしまうところでした。こうなった原因の一つには採光の悪さがあるとにらんでいます。窓が少なすぎて室内が暗いのです。これは設計ミスでした。(暗くなったのは丸太のログエンドが風雨でキノコが生えてきたために、ベランダに庇を伸ばしたせいもありますが…)

ログハウスには一般に、倒壊防止のために丸太の中には数10センチおきに鉄筋を切ったダボを打ち込みますが、ダボをかわしてうまく切り込めば、窓を一つ増やせるかもしれません。小屋をイヤシロチ(弥盛地)にするためには、これは欠かせないことです。さっそく、施工した建築屋さんに働きかけてみるつもりです。

さて、小屋掃除は、窓ふき、ベランダの椅子の濡れ雑巾がけのほか、テラス周りの落ち葉処理、ロフトの不要物焼却などで完了。煙突掃除を忘れましたが、この冬からほとんど使っていなかったので、そのうち、煙突の梯子に登って、外の曲りを外して鳥の巣がないかだけを点検しておこうと思います。

■多様なキノコを探して歩く「雑木林のきのこ・パラダイス」






レーダーに雨雲が見えたので、oyama さん、tomikさん、わたしの3人は、フットパス点検を兼ね、昼食後早々に林に入りました。時節柄、tomik さんはクマスプレーを持ちました。

朝の散策時に採取したものもいれると、小一時間で約20種ほどの色とりどりのキノコと遭遇。採集したものをカゴに入れベランダに並べると、実に見事。

ただ残念ながら、食用にしたいものは今日特にありませんでした。
しかし、雑木林のキノコ散歩は楽しいものです。

■カラマツ林床のミヤコザサがスポット枯れ



ミヤコザサが部分的にモザイク状に枯れています。襟裳岬でもやはりミヤコザサの草原がモザイク状に枯れたとフェースブックで報告されていました。原因はわかりません。

(今日の静川の現場は、上記3人。abe-e さんは朝、間違って大島山林に出向いたために、そこで単独で刈り払い作業に従事。)


競う植物たち、シラカバに軍配か

2020/09/08 tue 晴れ 28℃
solo-work


薪小屋に保管している刈り払い機を、屋根に細工をして吊るそう、と思い立ち、角材を2本買いドリルを持って出かけた。残念ながら、思ったような工作はできず、刈り払い機を移動するだけに終わった。収納方法は再考の要あり。



暑い。広場で28℃、テントの温度計は26℃だった。幸い、蚊がいない。Tシャツのまま、林道を歩くと、コナラのドングリが落ちていて、相変わらず実生のナラが自己主張している。そろそろ去年の落ち葉が朽ちて跡形もなくなる頃。紅葉、落葉のほんの少し前に消えていく不思議。低温のせいか。



シカの試験地はますます元気に伸びている。かつてのGPS調査から、伐採跡地はまずコブシの林になると予測したが、突き抜けて伸び始め優勢なのは、なんと今はシラカバである。もうコブシが見えない状態までしのいでいる。ホウノキもタランボの木も部分的に突出していて、パワーコンテスト状態だ。



林道を見ると、確かに一面シラカバの落ち葉で覆われている所もある。もちろん、シラカバの実生もあまた見つかった。なんという饗宴だ。思えばたった半年間の成長だ。

そよ風の吹く、涼やかな林道を歩き、立ち止まっては眺める時間は格別だ。今週は、ボリボリなどのキノコが顔を出し始めるだろう。


時々、霧雨の中で

2020/09/05 sat 曇り時々霧雨 22℃
abe-e kusa = 2 persons

■遠浅町内会の公園利用者状況調べ



大島山林の池の周り、通称「アイリス公園」は、土地所有者から利用の許可を得て町内会が管理してきましたが、会員の高齢化により返納しようという動きが本格化しています。町内会では議論の末、とりあえずどの程度利用されているのか(いないのか)を調べることにしたようで、入口に「入林記入ノート」が置かれています。

ノートにはたしか2名が交代で名前が連なっていて、わたしも今日のお客さん2名分とともに記入しました。山林全体はNPOが責任をもって管理することとなっているため、相互に連携もしていたのですが、町内会が関与をやめるのは、何とも残念な方向です。

背景には、何度も述べてきたように、日本人にとっての森や緑はただの記号としての意味がもっぱらで、ここの住民の方々も内心はさほど森や緑に惹かれているわけではなく、お飾りのような関係性だったことがあるでしょう。これはここだけに限りません。

ただ、わたしには痛くモッタイナイと思います。歩いて1,2分のところにフットパスのある雑木林があり、苫東計画が存続する間、ひょっとすると未来永劫、自由に山菜採りや野鳥を楽しむことができるのです。もちろん、新緑も紅葉も冬景色も、フリーアクセスです。町内会利用は、それを占有的に可能にしたものでした。

今年は蚊もおらず、林の涼風のなか、独り散策する楽しみも格別ですが、お会いする人はゼロ。遍州から冬の間、ご夫婦で散策を欠かさないNさんたちも、夏は寄り付きません。

■ピザ窯用に薪の端材を調達

苫小牧市内で環境活動に携わる I さんご夫妻から、幼稚園児たちを対象にしたピザ窯をやるため地元の薪を譲ってほしい、と依頼が来たので、有償を条件に来てもらいました。基本は、会員の冬の作業の成果を安売りしたくないことと、タダにするとキリがないため(過去の反省もあります)。

が、昼前にお会いするときに、ふと、薪小屋の端材に気づきました。ピザ窯は要するにガンガンと薪を焚いてたくさんのオキを作るのがミソで、そのためにはいわゆる薪ストーブに焚く薪でなくても一向にかまわないのです。で、さっそく方針転換、マーチクラスの小型乗用車のきれいな小さなトランクに入るだけ積んでもらいましたが、量は知れています。したがって、料金はいただきませんでした。

その際、奥さんに「記念誌は是非、図書館に寄贈してください。見に行きますから」とアドバイスされました。近日中に、お送りするつもりになりました。

■ふたりの山仕事



今日の参集者は abe-e さんとわたしのふたりだけ。雨の予報とまちなかの霧雨のせいでしょうか。abe さんはわたしが薪分譲に付き合っている間に、フットパスの倒木を片づけに軽トラックで出かけました。

そして昼からは、広場の東側の林縁を刈ってもらいました。ここはこの冬のメイン作業エリア(上の写真右)で、林縁に袖のようにはびこったヨモギなどの雑草をいったん刈った方がよさそうだと思い立ったためです。そうひらめいたのはついこの前のこと。


林の中はこんな風なヤブ状態で、ツル切りと枯死木などの除伐、そして間伐へと入りますが、よく見ると、間伐すべきものも少なくありません。

ということは、かつてない便利な近場で、手応えのある山仕事が可能だということで、薪の生産も楽にできる可能性もあるからです。

そのための環境改善には、まず林縁を刈っておいてはどうか。そんなねらいからでした。

また、改善点として、もう一つ。スノモを格納しているスペースに無造作に立てかけてきた刈り払い機をスノモの上部の天井に並べて片づけよう、と気づきました。

これをやれば格段に使い勝手が良くなります。



午後、わたしはできたての記念誌を町内のメンバーや関係者に持参しご協力にお礼を述べ、しばし歓談しました。

そのあと厚真の法人会員などに持っていき、ついでに罹災して丸2年になる厚真の山間部を見て回りました。斜面の復旧も少しずつ進んでいますが、改めて地震の大きさを思い出します。

左の写真は、昼休みに歩いた斜面沿いの道。遠浅川側が湿地のためか、このあたりは若干蚊がいます。しかし、霧雨の中の雑木林はほっとする空気で満たされています。

これは心身を浄化し、命の洗濯ができるひとときです。
このようにして林を嬉々として歩くには、ちょっとした自覚、気づき、発見、そして多くの審美体験や成熟までもがきっと必要なんだろうと思います。そうでないと、この無関心の説明がつきません。


10周年の記念誌と動画が完成

2020/08/30 雨 18℃





NPO苫東環境コモンズの設立10周年を記念する冊子と動画「勇払原野 苫東コモンズの10年」がようやく出来上がり、8/29、記念する夕べを苫小牧市内で開催しました。

記念誌は、グラビア6ページに思い出の画像42枚を冒頭で紹介、活動するメンバー24人の寄稿、10年間のニュースレター全25号、最後に、NPOの活動を環境コモンズ研究会の立場に立って第三者的に取りまとめたレポートで構成され、全145ページ。

一方、同名の動画は23分40秒の大作。いずれも会員のストックと編集の手作業によるものです。記念誌は新旧の会員、お世話になった関係者にのみ配布され、限定70部は内部資料の扱い、動画は youtube にアップしました。


動画のURLは https://youtu.be/PMRf9Qn05VY


フットパスの刈り払いを一番喜んで利用しているのはシカだろう

2020/08/22 sat 晴れ時々曇り 23℃
abe-e oyama kusa kuri tomik & m = 6 persons + migita+seki

■葉っぱの美、きのこの饗宴の兆し



行動的冥想とひそかに呼ぶ林道の刈り払いでは、時々ハッとする光景に会う。上空の葉っぱ、そして地面の花とキノコ。

静川の小屋周りでは、コナラが土用ぶきし、淡い新緑が見えた。その空の隙間を赤とんぼが舞い始めた。大島山林では、左のコブシに気づき、そして右のサワシバに疲れを忘れた。日にかざしたサワシバはいつも本当に美しい。葉脈が細かくはっきりし、かつ葉が薄いからか。



蚊がいない、フットパスの快適な刈り払い。刈り払い機を持って動く夏の作業が快適、などと言えば、37、38℃の酷暑で生きている本州以南の方々に申し訳ない。しかし、本当なのだ。

このフットパスの真ん中を歩いているのはシカである。地元の住民は今、林を嫌うから主賓はシカだ。ああ、もったいないと思いつつ、汗を拭く。その代り、今年の冬用に、池の下の湿地から旧住宅あとに向かう新設しようと緩い斜面を刈り払いつつ登るとき、シカの足跡を道しるべにした。シカは歩きやすい所を歩く。

また、今年はキノコの出は早いしバラエティに富む。いちいち、カメラを向けていては仕事にならないので、我慢のあとで、大型のイグチみたいのを一枚だけ撮る。

■折々の風景



今日、山仕事に集まったのは計6名。うち精鋭4人は午後も引き続いて軽トラで山のヘリの道を制覇しに出かけ、わたしの池からのルートとあわせて、遠浅川沿いを完結、大島山林のフットパスは2回目を全線刈り終えた。

問題は、蚊もいない、涼風のそよぐ林を散策するのがシカだけだ、ということ。それでも夕方近く、30~40代の女性が一人、林から団地に歩いて戻って来た。挨拶はできなかったが、利用者がいるにはいるのだ。そういえば、里帰りした人が以前も顔を出していた。

わたしは朝一番に、静川の小屋周辺を刈った。ベランダの梁に作られていたスズメバチの巣は思ったより膨らんでおらず、しかし、蜂はしっかり動いていたので、小屋の行き来は一応ネットをかぶった。かつて、ドシンとドアを閉めたら、驚いた蜂が飛んできたからだ。



田園地帯は収穫の真っ盛り。特にイモと大豆か。
苫東の平木沼緑地の丘(写真の下左)が見え、ここはつた森山林山林を入れるとひとまとまりで500ヘクタールもある。ここを、「ミズナラ・コナラの雑木林を保全する」という明確な目的で関わっているのが、NPOだ。(7月の下旬は、この緑地で大きなヒグマの足跡が発見されたが、その週、恐らくそのヒグマだろう、大きなヒグマが畑に現れたのが目撃されている。ただ、地域では、いちいち警察や行政に通報しなくなっているのではないかと思う。)

考えてみると、「勇払原野の雑木林保全」というのは地域ではまだ目的化されていない。勝手に萌芽した放置の産物だからだ。そのため、IRの反対運動でも、やれギャンブル中毒が問題だ、で始まり、その後、ウトナイ湖の水源としての水問題に移った。雑木林は注目の外にある。ニドムとイコロの森、そして苫東緑地が意図的に雑木林を残していると言え、その手法も狙いもそれぞれである。

苫東緑地の反対側には遠くに、ポロシリ岳とトッタベツ山、さらに北には夕張岳が見える。

migitaさんからは採れたてのトウキビ40本ほどとカボチャを6個差し入れていただく。そのうち、なにかお返しをせねば。コモンズは贈与経済なのである。




シカの電気牧柵を撤去し、濃いヤブに存在感

2020/08/08 sat 晴れ 林内は20℃ 外24~26℃
abe-e kusa tomik = 3 person   ほかmigitaさんと打ち合わせ、oyama さんは育林コンペ

■小面積皆伐後の更新、シカも嫌がるヤブになる?




シカの食害が今のところ、見当たらない。下左の最も大きなナラの萌芽は電牧を外して2か月、無傷で経過し、一方、雑草の伸びで電牧に触れるために漏電が続いていた。

そこで、migitaさんの手間も考慮し、撤去と継続観察を決定、平日にmigita さんと seki ちゃんが電牧を撤去してくれた。そこには大成功の天然更新の結果が残されていた。ナラの萌芽はもちろん、あまたの稚樹のほか、キタコブシとホオノキが空に向かって伸び、その間を雑草が埋めている。わたしの目から見れば、「シカも嫌がるようなヤブ」である。

しかし、シカの梶先生は、シカの密度が増えれば一夜にしてやられることもあると警告する。きっとそのとおりなのだろう。だが、シカの密度は高くない。だから、恐らく大丈夫だろう。

伐採された広葉樹の更新のエネルギーたるや恐ろしいものがある。ワシワシと伸びている。30m四方で小面積皆伐したのが、おととし平成30年だから2シーズンを経過、得られた結論は、「小面積でも皆伐すれば萌芽更新、天然下種更新(実からの)ともまったく問題なし」である。もっと説明を加えるとすれば、「ヘクタール500本程度までの高い密度(林は暗い)なら萌芽更新は無理だが、・・・」が冒頭に必要だ。

静川小屋の周りの密度試験、おととしの柏原の受託調査、そしてこのシカ防除試験で、ようやく「雑木林コモンズ」や「コモンズ林業」の更新の要諦が、やっとわかって、体に染みついた気がする。頭でわかったのとはちょっと違う。ここまで半世紀。

■低気圧の大風の被害




7日の未明から、台風4号崩れの低気圧が北海道各地に風と雨をもたらした。胆振のこのあたりでは台風とは言えないまでも、風速は20m近いとの予報で、自宅は夜明けの頃雨具を着てハンギングバスケットを仕舞ったほど。

今朝、大島山林に着いてすぐ、枝拾いがてら風倒木などがないか、歩いて見て回った。

良かった。倒れているものはない。しかし、落ち枝は多く、午前中だけでも写真のように地面に刺さった「ミラクル落ち枝」だけでも30本はみただろうか。これは、わたしが勇払原野の奇跡と勝手に呼んでいる面白い現象だ。

意外と目立ったのはクルミ。至る所に、と言っても旧住居跡近くが多いが、随分な量だ。

わたしは右下の写真のステッキを車に積んでいる。これは枝拾い用のボッコ(棒)で、もう20年近く愛用している。軽く、先端のカギ型の二股が、落ちている枝を引っ掛けるのにちょうどよく、反動をつけて林の中にポイと投げやることができる、散歩の友である。

■刈り払いは2ラウンド目の2日目



abe-e さんは薪周り、tomik さんとわたしはフットパスを刈った。来週はお盆休みで、その次の22日で全線を網羅したい。

今日も小径に生えた実生のナラの稚樹をあまた刈らざるを得なかった。フットパス上で1m四方を見当つけて稚樹を数えると、15本から20本近くある。植林はヘクタール3,000本がこの地域の標準だが、フットパス上では15万本から20万本/haの勘定になる。先週、衆議一決した通り、「林道(フットパス)は苗畑」なのである。

ちなみに広場のナラの苗畑には、ネットの中に子ジカの足跡があった。

午後、わたしは静川の小屋周りを刈りに出かけた。幸か不幸か伸びは今一つで、今日刈るにはもったいない。22日に持ち越そう。そう思ったところにoyama さんが育林コンペの作業から戻って来た。

ベランダの屋根に蜂が巣を作り始めた。一方、小屋の内部はなにか腐った匂いが立ち込めている。ヘビでも死んだかと二人で探してみたが、1階、ロフトとも確認できなかった。

小屋の内部でヘビがよく脱皮する。脱皮に失敗するときがあるというが、それであろうか。


2ラウンド目の刈り払いへ

2020/08/01 sat 晴 23℃
bae-e oyama kusa tomik & m = 5 persons

■草の伸びは驚くほど早い



10日ほど前、土地のオーナーが草地をトラクターで刈ってくれたあと、先週は薪小屋前、薪周りを少々刈った。そのあとはもうしっかり、伸びた。tomi-k さんが大きな広場のアクセスあたり、abe-e さんが薪周り、わたしはその双方をアシストがてら、ドロノキのフットパスの接続部を手掛ける。これで町内会の刈り払い跡とスーッとつながる。

ただ、フットパスの刈り払いを今やるのはちょっともったいない感じだ。光が入る入り口部分は伸びているが暗い内部は伸びが小さく、まばらだ。全員着手は8月22日が妥当か。有難いことに、蚊がゼロ。



林内苗畑の歩留まりは8割近くになったが、畝4本のうち3本はまだ草ぼうぼう。tomi-m さんが崩壊薪修復の後に、草取りを申し出てくれて一畝完了。のこり2畝は明日セキちゃんがやってくれる。

oyama さんがナラの実生の列を発見(上の写真右)。確かに植えたようなそろい方だ。oyama説では、いったん薪小屋の屋根に落ちたものがコロコロと落ちたためだろう、とのこと。なるほど。

ちなみに、林内苗畑は作ってみたけれども、フットパスでこれほど大量の実生苗が供給されるのであれば、フットパスが苗畑代わりになる、と衆議で一致。今日の刈り払いでも、おびただしい実生苗を刈った。

「フットパスは苗畑である」。



薪周りは、薪の裾部分も含めて刈り払い完了。かなりすっきりした。お昼、migita さんが大きなキャベツとミニトマトを持ってきてくれて、参加者で山分け。

■コロナ対応とシカの電牧、コモンズジャケットなど、打ち合わせについて

朝一番、まずmigita さんと町内会関係の打ち合わせ、二つ。本州で収まらないコロナ禍の対応である。

①9/19予定のキノコ食毒判別会は中止。単純にメンバーのキノコ採りの日とする。
②11/16の瀧澤ドクターの健康講話は高齢者の懸念を背景に中止とする。


さらに、

③シカの電牧のメンテナンスがmigita さんに過大なしわ寄せが行くので、電牧を外して継続観察へ。雑草の伸びで漏電が続いていることと、電牧を開放した萌芽切り株が無被害であることが背景。

昼の懇談で、今後の林の保育手法について意見交換。今季は近間のツル切り除伐が中心のため薪の丸太はあまり出てこないことを受けた補完的対応。、9/19のキノコ採りの際に、

④風倒木と根アガリ木の調査もかねてマーキングすることとし、ルーティンの除間伐のほかに、見つけた人が原則責任をもって伐倒、採材(複数人協力もOK)すること、材は2月、スノモで集材に向かう。

このほか、主たる除間伐が一段落したので、これからは散発的に風倒木処理が比重を増すが、静川を含む林道やフットパス沿いの処理材だけでも、薪ストーブ愛好家にとって、重要な燃料に目される。そのため、

⑤風倒木発見者が丸太処理を行うか、薪焚きメンバーに連絡をとって、速やか、かつ効率的にに対応。

これを外部の通行人に明示するため、


⑥背中に「雑木林保全、または美しい雑木林を!または林のパトロール隊(サブ=小さく)」「苫東コモンズ(メイン大きく)」と書いたジャンパー(ジャケット/上の写真右))を苫東ウッディーズ分、オーダーする。胸には個人名を書く。必要によっては協定により土地所有者に委任されていることを告知する。色はヘッドギアと同じ系統に。





以上の①~③は即、対応、④~⑥は素案のたたき台段階。

7/26の日曜日、育林コンペのあたりで大きなヒグマの足跡が発見されたので、tomik さん、ouama さんと行ってみた。水たまりはすでに消え、通行者のタイヤの跡ばかりで確認できなかった。

森林の所有と管理について

2020/07/27 mon 雨

送られてきた同窓会誌の中に、若い同窓生(林野庁勤務)による森林の所有に関する投稿があり、現在担当する森林経営管理制度にふれながら、制度を作る側の視点を述べているのを実に興味深く読みました。

その中で、所有者不明土地問題(現在九州の面積ほどあるらしい)について国交省は低未利用や所有者不明土地の利用管理に、地域コミュニティや公的主体の参画を検討していること、また、「現在の潮流は森林を所有したくないという所有者に対して、行政側が管理を促す、あるいは管理を代替するという潮目を作っているところ」と述べています。

これはまさに苫東コモンズの問題意識とも大いに重なる視点であり、苫東の所有者が肩代わりしてほしい(たとえば会社が森林公園として管理しているつた森山林)願望にも沿っています。「森林については資産価値以外の価値についてもしっかりと評価されるべき」としており、まさに同感。

もう不動産バブルは来ないから、地域コミュニティの環境質の向上とか、ミニ森林公園として開放することを社会貢献として評価を与え、誇りが生れるような流れが必要ですが、このあたりが実はさっぱりです。住民のほとんども無関心、という背景もみのがせないでしょう。

制度を作る人、地域に住む人、上からと下からのニーズがかみ合いそうでかみ合わない現状では、自ら価値観を育て固めて鼓舞しながら満喫するという、本当の自己満足の道が正解でしょう。
それも大事な潮目づくりです。


霧雨のソロワーク

2020/07/25 sat 18℃ 霧雨
solo-work 打ち合わせ with abe-e

■林内苗畑、意外な健在




朝から濃い霧雨、雨雲レーダーには雨雲の表示なし。こういう時は出かけるに限る、と向かった遠浅には誰も来ず、所用で作業はできない、と連絡のあったabe-e さんだけが頼んでいた記念誌の校正原稿を持ってきてくれた。3回も見てくれたようで、さすがに丁寧な書き込みの跡があった。感謝。そこでしばらく少しアヤシイ世界などをテーマに歓談し、散会。

ドングリの山取り苗の苗圃は、枯れた葉っぱの脇から新芽が出ているものも多く、結果、活着率は80%以上かも知れない。それでもシカ試験地を囲む林道で40株ほどのナラ苗を抜いて、4本ある畝のひとつに、スイバなどの雑草を抜いてから植え込んだ。

北大の松田彊名誉教授にアドバイス受けた林内苗畑の実践であるが、これほどの実生苗が現地にあるということは、もし上木がなくなってギャップが出来たら、林床の地拵えをして裸地を作り天然下種更新を促す、というのがベストかもしれない。


■里の山仕事はいつも盛り沢山




シカの試験地はそろそろ電牧を撤去してもいい頃かなと思案している。春、電牧を外した一角のナラの萌芽枝は無被害で3m近くに達していて(上左)、最も大きなものは予想に反してホオノキ(下右、最高約4m)群である。電牧の外の萌芽枝で食べられていたのはイタヤかえでで、食痕はウサギのものだった。この撤去の件はmigita さんにあえたら相談しよう。東京農工大の梶先生は、シカの密度が問題であり、「来るときはどっと来る」と言っている。

電気牧柵の南側に、枝が積まれてフットパスが閉塞している箇所があり、スノモや軽トラが通れないので、必要最小限の離隔を撮るために、大とびで腐った大小の枝を移動させた。付近にはチェンソーで切らねばならない倒木や切り株があるので、もう一度出直さなければならない。

■霧雨に濡れた雑草は刈りやすい



予定した小さな手間仕事が片付いたので、刈り払い機を出して、薪小屋前とテーブル周りなどをワイヤーで刈った。できるだけワイヤーを伸ばしてバリバリと刈るのは気持ちがいい。雨に濡れて頭が重いことも若干刈りやすさにつながる。

今週、苫東さんが広場をトラクターでかってくれたが、薪棚や苗圃など施設周りまだ放置されたままなので、刈るべきところはたくさんある。フットパスも伸びている。行動的冥想のつもりで来週も刈り払いだ。

ちなみに、国内のコロナ禍の鎮静化は期待できない。この秋に予定していた、町内会とのキノコの研修会、健康講話は、高齢者が中心になることを考慮し、中止を庭園の予定。


林を見る感性と表現

2020/07/24 THU スポーツの日




「林の入口あたりの雰囲気がとてもいいですね」。こんな風に林を表現する珍しい人に、先日久々に出会いました。

再び思い出して、道新野生生物基金モーリーNO.19(2008)を本棚から探し出してみました。原稿の依頼と同時に里山風の画像も、と編集者に所望されたのでつた森山林と静川小屋のものを出したところ、それらが表紙とグラビアに選ばれたことはすでに紹介済みですが、ざっと100年の間、民間がコツコツと手入れして育てた雑木林が評価されるのは、関係者の一人として、人知れずうれしいものです。

昨年もドイツの女性に「ドイツみたい」と評されて励まされました。感性のアンテナがピピピと反応して言葉にされる方が時々いらっしゃるようです。

この山林の、シイタケ小屋が撤去されたあたりのハルニレ林も、明暗の対比がよく深みがあり、しばしば画像に収める風景です。(注:モーリーのわたしの原稿のタイトルは「里山とフラジリティ」)


ハスカップに引き回され明日のコモンズ再考

2020/07/18 sat 曇り時々晴れ 19℃
inaba oyama kusa kuri nakamura(p) nakatsu tomik & m migita sasaki(p) seki okada(p) takahashi(f) kisida kodama satoh-kimi(p) hamanaka(p) etc, = 30 persons

「おい、コラ」「立ち入り禁止だぞ~」の普通の世界へ


NPO苫東コモンズの恒例の夏のイベントとなっているつたもり山林のハスカップ摘み。いつもどおり、内輪の関係者に 6/22 にメールで案内し、参加を楽しみしている旨の返信も、多々早々に頂戴しました。

ゲートを開ける30分前に入口に行くとすでに見たことのない車が一台止まっていて、ハスカップ畑に行くとさらに一台があり、奥で何か声が聞こえます。

やがてこれまでにいなかった監視人と名乗る人が来て、もう一人の方は苫東ウッディーズWさんの知り合いの方。監視の人によれば、「ここは一般の人は立ち入り禁止である。今般、無断で採りに来る人がいるので監視している」「あなた方のことは何も聞かされていないので注意していたところ」とのことでした。

で、怪しまれ聞かれた方は、事情もよく知らず、NPOのWさんのことしか言えないので、疑問はあまり消えぬままやりとりはストップ。監視員は当然わたしをWさんと勘違いし、「Wさん、、、、」と呼びます。わたしはていねいに自己紹介して事情を説明し、故事来歴やわたしがこのハスカップの移植事業の担当者だった(40年ほど前)ことなど、余計なことまで語りました。会社の偉い人の名前も出して、こういう時によくある常套手段、精いっぱいの見栄を張って見せるわけです。こういうのって、結構疲れるのです(-_-;)

一応、これで事なきを得たのですが、そんな事情があったせいでしょうか、入口のカギが番号キーに変わっていて、カギは必ず閉めること、番号は口外しないでほしい、などと言われた後に彼は現場を離れましたが、作業担当の上司に連絡したと見え、一時間後に現場責任者のKさんが休日なのにもかかわらず軽トラで飛んできました。

再びことの次第をお話し確認しましたが、当方の予定は全員に徹底されていないようでした。時は経ち、土地所有者の職員がかなり入れ替わり、わたしの薄くなっていた人脈もほぼ途切れそうであることを痛感しました。

ハスカップ摘みに参加する関係者は、いつものことと恒例イベントを楽しんでいる間に、環境は大分変化し、これまでのやや特権的な排他的利用の恩恵は、そろそろ終わりかねない・・・。そんなことも覚悟しなければならない、いわば「普通の状況」に戻ってきたようです。

今般、コモンズの閉鎖的あるいは開放的利用を、ひとり比較検討していた時だけに、ちょっとズシリと感じる現実です。

■実のなり



ところで肝心の実はどうだったか。

わたしはカギの開け閉めで、入口と現場を何往復かし、入口で待っていたりしたために、採る時間はほとんどありませんでしたが、ざっと見るところ、まだ誰にも採られていない大豊作状態でした。

残念ながら、実が小さいのですが、糖度は抜群に良く、これは先日お邪魔した厚真の農家も同じ。シーズン初めの日照不足と低温が効いたといい、実の大きさは半分、収穫見込みもほぼ半分、との話をしていました。

ただ、味は抜群で、プロの栽培物もつた森山林のものも、これまでのベストの味でしょう。白老のMさんも、こんなおいしいハスカップは初めて食べた、と言っていました。

ちなみに写真右は、摘み始めて2時間弱、会員Hさんのトランクにあったストック。午前11時ころのこの写真は直径40cmの大鍋。氏は昔から、毛虫もクモも葉っぱも枝も、とにかくがむしゃらに採ってきた方で、言わば粗製乱造型。奥さんは同じ大きさの鍋に同量をきれいな状態でストックしています。

このように頑張る方のほとんどは、娘家族、息子家族、友人知人、親への分配を口にしています。この場所のこのイベント日の独占は、だから大変な魅力なのです。

■来年春で薪分譲をやめる衝撃的話もさりげなく

薪会員のNさんは昼過ぎまで採って広場に戻ってきました。毎年採りに行く長沼の農園がコロナで閉鎖になったために渡りに舟と初めて申し込みやってきたのですが、思いがけない大収穫に驚いた様子です。収穫量も少なからず、いやかなりあります。

バナナで昼食をとるご夫婦に、丁度良い機会と薪分譲の終了を告げました(3人目)ところ、予想通り素直にびっくりされました。やっと安定的供給元がみつかりここ3、4年ほど順調にやってきただけに、当然と言えます。ただ、わたしたちの高齢化を理由に述べると、すぐ同情の表情に変わりました。

で、衝撃的な話から早速頭を切り替え、次善の策探しへと話題が移ります。NPOの薪ストーブ利用者が、間伐作業に最低ある日数稼働し、そのほかNPO財源用に何日か稼働している状況を話すと、「実は分譲してもらうだけでは申し訳ないので、自分でも作業を手伝いたかった」とおっしゃる。

それでは、といくつかの可能性ある方法を話しました。Nさんは環境保全に関する日本を代表する専門家の一人で、「コラ」でヒグマを追い払う、あのNHKドキュメントの際にもユネスコの専門家に日本側代表として随行していましたから、気づいた方もいるはず。

しかも、森林科学と森林経営、環境経営にも精通しています。森林の保育を考え、薪生産に関わって、かつ薪ストーブを利用している方は今のところわたししかいませんから、力強い同胞になり得ます。ご夫婦とは薪ストーブライフの交歓もしていたので、事情の理解はスムーズでした。

で、今季の秋以降、先生の余暇時間と相談しながら、チェンソー研修やわたしの育林コンペ・フィールドなどを手始めに、前向きに様子を見ようということにしました。

■これからのハスカップを担う新しい世代現る

夕方、『ハスカップとわたし』で協力してくれたKさんが一日の締めくくりにあわただしくやってきたので、静川の小屋のテラスで4時過ぎまで、彼女が関わる昨今のハスカップの話を聴きました。

行政がらみで入手したハスカップの苗木が実は十勝産だったことから、できれば地元苫小牧ものを、と一部で動き出したことは複数の方から聴いていましたが、挿し木苗作りが不調で、企業などが移植したハスカップの衰退も問題になっているようでした。

わたしは直観的に、この小さなプロジェクトは今のやり方では求心性がなく死に体にあると思いました。それに、ハスカップの挿し木や元気にする技術は40年前にすでに出来上がっており、関係者にとって言ってみれば終わった話です。知らないのは「大変だ」と危機感を持った方々だけだと思いますが、必要な人は、勉強し体験し、その域までまず達する必要があります。

こんな話をしながら、目の前のKさんらが、これからのハスカップを担う新世代だとしてきたわたしの予想と期待は大体は当たっていたなと思います。ただ、かつて緑化が盛んだった造園バブル期に比べて、いかにもスピード感がありません。

「ハスカップは地味だから、だれかエネルギーのある人が引っ張らないと仕方ないんですよ」。
地味なあまりか、いつの間にか熱が冷め、とかく空騒ぎみたいに終わるようなこともあった過去のシーンを思い出して、変な慰め方をしてから、畑に戻りハスカップ資料採取に付き合って、ようやく散会。

朝から晩まで歩き、語り、すこしコモンズの行く末を心配したり展望したりして、なんだかすっかり疲れた一日でした。歳かな、と少し気づいて9時過ぎに寝て、一気に9時間近く眠りました。久々の快挙です。


北欧の名著「薪を焚く」との対話Ⅲ

2020/07/14 tue 曇り 21度




やはり本書が名著であると思わせるのは、次々と北欧の薪焚き人でないと生まれないだろう薪の名言がでてくるからです。薪割りにたっぷりページを割いた後、次には薪棚について好みや経験知が披露されていきます。

『ウォールデン 森の生活』のソローの引用は次のとおり。
「人はみななんらかの愛情をもって自分の薪棚を見つめます。わたしも窓のすぐ外に薪を積み上げておくのが好きで、薪割り台は周りに木くずが多いほど好ましく思いました。この薪づくりがいかに満足のいく作業であったかを思い出させたからです」。



これは確かにソローの言う通りです。静川の小屋は窓を開けると、乾燥した薪が取り込めるよう窓の下に積んできました。

また、次のページにはこのようなくだりも出てきます。


「薪棚は眺めているのも愉しいが、ここではなによりもまず、できる限り薪を乾燥させるという現実的な目的がある。含水率にしろ、見た目にしろ、薪の最終的な質を決定するのは薪積みだからだ。そのため薪人の多くは、ここでの作業を二段階に分けている。まず屋外で乾燥させ、秋に薪小屋に移すのである」。

さらに、「お年寄りの守る古い掟がある。生の薪はネズミがその隙間を通れるほど緩く積むべし、ただしネコがネズミを追えるほど、大きな隙間はつくらぬように!」。

先日運んだ風倒木は、直接自宅に運び込んで割ったので軒下では本当の乾燥にならないだろうから、もっと隙間を開けねばならない(右上)のですが、二度積みする暇がないので、今年はもう仕方がありません。

本書との最初の対話履歴は、「2020 日々の迷走3/26」、そして2回目は雑木林だよりの 6/22 に書きました。自宅の薪割りは実はまだ続いていて、そろそろ乾燥に適した置く場所が無くなってきたので、異形の薪(最初の右上)をすこし移動してスペースを作りました。

この異形の薪などは、北欧の薪焚き人は非効率で排除すべきものの極みとしてきっと敬遠するのではないかと思います。なぜなら彼らは美しく積むことにことのほか美学を感じているからです。一方、わたしはこれら異形の薪を見ているうちに樹木の凝縮を見つけて、そこにスピリットを感じるのです。

しかし、薪を作るわたしたちも少し賢くなって、割りにくい二股とか、節のある厄介な丸太は山に置いてくるようになってきました。ですから、こんな無駄な材はこれからは生産されないはずなので、今季は大事に燃やすことになります。

ともあれ、リタイヤ1年目の晴林雨読の日々に、この名著に出会えたことの幸運には感謝してもしつくすことがなさそうです。


植生と景観のコントロール

2020/07/04 sat 霧雨のち曇り 17℃
abe-e oyama kusa tomik = 4 persons

静川のフットパスなど


先週からフットパスなどの刈り払いの現場が、大島山林から静川に移りました。今日は4人で、ささみちのフットパスと奥のささみちを刈りました。この外、小屋周辺の里山景観モデルの2つのブロックも。これで静川は一段落し、来週は休み、再来週はハスカップ摘みとなります。




oyamaさんは落ち葉のトイレ「leaf-let」までの50m余りを、小さな路肩を刈り残してアクセントをつけていました(上2枚)。オシダとフタリシズカも浮き立たせています。

わたしは、予想以上に拡散したスドキの小群落を、刈り払い機を寸止めしながら刈り残しました(右下)。雑木林あるいは里山は、このような植生のコントロールを試すことのできる場。そして結果として景観がついてくる…。

恐らくこのような積み重ねのうちに、眠った埋土種子が新たに顔を出す可能性もありますし、知らず知らずのうちに、正体不明(いや、不明でなく自明か・笑い)の里山景観もできてくるでしょう。

■里山は生き物たちの環境コモンズ



奥のささみちルートではシラカバの枯れ木に、巨大な穴がありました。クマゲラのしわざでしょうか。tomikさんは、ささみちにつながる林道わきで、オオタカのヒナ2羽を見つけたと言っていました。abe さんはテラスわきで、本体5cmほどのネズミの子を発見。テラスの下は相変わらずタヌキがいるようで、一方、この低温でヘビたちは小屋ではまだみていません。

里山は生き物多様社会を肌で感じる空間でもあります。色々な生き物とシェアする空間はつまり、ヒトを含む「色々な生き物のコモンズ」でもあったわけです。

作業が終わってからテラスで、この広大な環境コモンズをわたしたち高齢者がどこまで何が出来るかなど、意見交換。この余裕とトータル環境がたまらない。