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2019年、日々の迷想

■12/30 『人と生態系のダイナミクス』(朝倉書店)で紹介

表記のシリーズ2森林の歴史と未来の第4章「人と森の生態系の未来」で、東大附属演習林富士癒しの森研究所の斎藤暖生講師が、当NPOの薪の調達を通じた森林環境の整備について、2ページにわたって紹介しています。本書の結びともいえる章末にあり、「薪を新たに需要するようになった人々は、直接的・間接的に森林管理の担い手となる可能性を秘めており、今後、地域ごとに持続可能な森林管理へとつなげる仕組みづくりが期待される」としていて、木材供給サービスにとどまらない文化的サービスや生物多様性を目指したこれらの動きが、「日本列島の歴史上、まったく新しいもの」と位置付けられています。
苫東コモンズの最近の社会関係性(外部からのコンタクト)を概観すると、コモンズの森づくりは色々な側面をもっている証で、他にないオリジナルな一歩であることに依っているいるといえそうです。もともと独創的なアイデアがあったのではなく、ただ勇払原野のこれらの現場が特殊ケースで、そこと無理なく付き合ってきただけにすぎませんが。


■12/29 雑木林の維持を阻むシカ、その新時代を占う

去る11月9日の広葉樹林とシカの勉強会(フォーラム)のテープ起こし原稿ができました。約30時間を費やしA4サイズの原稿26枚でした。PDFでアップしましたので、当日参加できなかった方、キーワードが聞き取れなかった方などには役に立ちます。当日あまり頭に入らなかった方などには、こんなことを言っていたのか、と勉強になります。広報用に使用した企画書はこれです。
原稿作りの機会にあらためて熟読玩味してみると、今まで何の問題もなくできた森づくりが、シカによって妨害されることが実証されたわけで、まさにこれからを見据えた先手・proactive な対応が必要です。かつ対応の仕方によってはそこに新時代の付加価値が眠っているのですが、土地所有者や関係者を動かすことができるか。恐らく無理でしょう。様々な利害関係者と接触して調整していくためにはかなりタフでなければなりませんし、ざっと見渡してそんな動機を持っている人が浮かんで来ないのがその推測の理由です。今回はその手始めにあたる胆振・苫小牧でのプレゼンでした。せめてわたしたちだけでも雑木林と野生生物に関する視点をより磨くために静かに心に刻んでおくことにしましょうか。


■12/28 令和元年、年の瀬に何思う
リタイヤして半年後の年の瀬に何を強烈に思い出すのかと思ったら、学生時代6年間の、自分がいかにいい加減な行動と生活をしていたか、だった。極貧の学生でありながら家庭教師を含むアルバイトをいくつかクビになったこととか、約束をすっぽかししたこと、などなど不誠実なふるまいの数々である。山登りにうつつを抜かしていたことなどは言い訳にもならず、すべて己の未熟さ、思慮のなさのゆえである。悩み多き苦しい時代でもあったから、もし短歌の才能でもあれば石川啄木風の諧謔を創作したかもしれない。それがなぜ今クローズアップされるのか、自分の深層心理をはかりかねるのだけれども、それにしても半世紀も前のことだ。当時でもよほどのショックで悩み後悔したのだろう。ではそのトラウマをこの年月で克服したのかと言えばそうでもなく、その後の勤め人生活も反省と後悔で悔い改めることが多かった。大小はあるが、慙愧に堪えないことは続くもの。経験は人間を賢くなどしない、一度あることは二度ある…。ただ、べそをかきながらでも前向きに改めて来たのかもしれないのは確かだ。若い時に比べれば次第に経済もうるおい、生活も歳相応に豊かになったから、遠い過去の話となったことがせめてもの救い。。令和元年の、リタイヤした年の瀬に、なんといきなり冷や汗三斗、である。

■12/27  動画 勇払原野「雑木林の新緑」&「雑木林の紅葉」
昨日の投稿、雑木林考の末尾に支援会員のSさんが撮影してくれた新緑の動画を添付しましたが、はて、同じルートで紅葉編もあったはず、と探してみると、ありました。で、ここに改めて二つ並べてご紹介します。この風景がもし映えないとすれば、雑然としたササか、ひょっとして何のインフラ(たとえば舗装とか、建物とか)がないせいかもしれません。しかし、あくまで素材はこれです。是非一度、歩いてみてください。これで十分、詩人になれます。
新緑編~ 勇払原野「雑木林の新緑」①  「雑木林の新緑」②
紅葉編~ 勇払原野「雑木林の紅葉」①
   「雑木林の紅葉」②

■12/26 勇払原野の雑木林考

十勝のある町から来年2月に依頼された、コミュニティの軽易な林業に関してプレゼンするその骨子を考えているうちに、勇払原野の雑木林が、北海道ではかなり異質な背景を持ち、特別な価値も持っていることが歴然と見えてきた。しかも、ほとんど誰も高いレベルで評価をしていない感性の世界も含んでいる。「ミラクル落ち枝」がその象徴なんだ、とひとりキャンペーンを張ってみたものの、失笑を買うこともあった。天然林から大木を伐ってくる略奪林業を起源に持つ北海道林業においては、「やぶ山」と笑われるのがオチであった。そんな体験もした。
そこに「コナラの雑木林は美しい」「武蔵野に引けをとらない」などといってホームページを立ち上げ、本を出し、ガーデニングのレベルで雑木林を語ってきたのだったが、こと美的評価に限れば孤立無援、孤軍奮闘の状態は変わらない。
唯一、同じような観点で勇払原野の雑木林の価値を見ていたのが植苗のリゾート開発のニドム・オーナーだった。オープンのころのカレンダーは上空から見た勇払原野の雑木林が別天地に見えるもので秀逸だったから、記念に大事に保存してきたほどだ。その環境をバーンスタインが絶賛したのは有名だ。
ノーザンホースパークも雑木林の木立をうまくこなしていて、丹治林業の周辺の一連のリゾート開発の底流れを創っているのは、実は勇払原野の「土地の安さ」と、それに引き換え高く評価できる「雑木林の環境質」であろう。土地の人々の「安い」評価と、外からの目が見つける「宝」の評価とのギャップに、地の利がくっついた「リゾート適地評価」だったのである。
ずーっと考え続けてきたこの土地の雑木林評価を、なんとなく整理できた。
①基本、地元と北海道で若い広葉樹林の潜在的魅力に無頓着である。ゾウキヤマ、ヤブヤマと呼ばれてきた。やや蔑称に近いかも。
②平坦であって初めて雑木林らしい景観が生まれる。苫東はまさにそれ。
③平坦な雑木林は、まず農耕や酪農の開拓適地で、やがて宅地の適地となる。湿地は田んぼの適地になった。
④しかし勇払原野は、かつて防風林帯がないと農耕ができないほど環境劣悪地で、開拓時、防風林などを残した。
⑤明治、大正、昭和、時は薪炭を必要としていた。世のニーズを受け雑木林のある農林業が営まれ、平地林は約40年周期の林へ。
⑥苫東は、ゴルフブームの到来前に、工業基地のための農地と林地の一括先行買収が行われた。
⑦結果として苫東はつた森山林から社台ファームまでの一帯500haなどの雑木林が残った。
⑧遠浅も保全緑地として将来まで残されることとなる。これらが基本計画が法律や条例で格付けされ制限緑地の位置を得た。

これは「地域の宝」である。開発の悲喜劇の結果、勇払原野に遊水地として一帯の保全が決まったハスカップ原生地も然りで、保全するために土地利用の確定と法律等の制度化が必須であり、ハスカップもコナラの雑木林も、法治国家の制度の下、ここ苫東でやっと安住の地を得たのである。
快不快はマヒする。そしてわが日本民族は飽きやすいことを考えると、雑木林ブームなどはあてにもできないしすべきでもないけれども、勇払原野の雑木林は、まだまだここから発信する意味があるようだ。風土を感性でとらえる意味も依然として小さくない。

そのための「人間らしい身の丈の修景作業」と、「地域環境を熟慮したエコとエネルギー循環活動」は、地味だが時代を先取りする「生活者」の行動ではないかとあらためて気づいた。これらはリタイヤ後の豊かな時間がわたしに送ってくれたメッセージのようだ。あくる年は雑木林とともにいる時間がもっと増えるだろう。「晴林雨読のウラヤマニスト」を地で行けそうな気がする。

動画をお楽しみください。新緑編から~ 勇払原野「雑木林の新緑」①  「雑木林の新緑」②

■12/22 今日は「冬至」

うっすらと雪をまとった昨日、おそらくはの冬最後の雪を漕がない山仕事で、さすがに工程が早いように見える。そして今朝は雪化粧の冬至冬至る、のが実感だが太陽は春に向かうという、この希望に似た二重性。これから少しあわてて楽しみながら年賀状を用意せねば。

■12/20 土地を味わう近道は「食」か「風景」か

家人が忘年会で出かけたので、わたしも街に出てひとり忘年会。土地のいいところを語るとき、山菜も魚も滅茶めちゃ恵まれていると評価する点で、調理人と語る楽しさは格別だ。
大将:「こんなに山のものも海のものもいろいろおいしいところはそうないよ。ハスカップもスドキも、トキシラズ、ホッキ、そしてシカ」
わたし:「風土で自給自足するような話ですね。土地をまとめてわかるには食かもねえ」
などという話から、先日のエノキの話に。調理人は仕込みのため包丁と体を動かしながら話が続く。


■12/19 実から付き合うハスカップとドングリ

毎年、苫東コモンズのフィールドに縁(ゆかり)の深いハスカップとドングリを、小さな鉢に播いて観察して遊ぶ。今あるのは昨年のいまどきに播いたもので、ハスカップはピートモス主体の鉢土に指で二つほど埋め込んだもの。ごっそり発芽したので間引いた残りだ。ドングリも昨年12月になって山で拾ったものを無造作に埋めたもの。ドングリの歩留まりは1/3だったが、いずれも窓辺で枯れずに年を越す。ハスカップは本来の匍匐(ほふく)性が現れて、鉢からはみ出てバランスを保っている。おびただしい種を作りながら、いずれも成木になる確率は1%にもはるかにはるかに及ばないだろう。ドングリは小動物が食べるが、ハスカップはどうか。限りない無駄はないのか。枯れ葉の下でネズミなどが食べているのだろうか。現在のところ確認されている捕食者は人間だけである。

■12/17 林床の紅葉

雨が降る前に、まさにウラヤマのような気分で林に出かけた。みぞれらしいうっすらとした雪化粧が残り、鮮やかな紅葉の絨毯に圧倒される。冬は降雪がすべてのゴミ、芥、醜悪なものを隠してくれるが、雑木林は初冬に、紅葉を済んだ落ち葉がまず隠すのであった。作業の現場では倒してあったナラ2本を玉切りし、いよいよ風倒木に取り掛かって合計1時間余りであがった。時間と場所を超えてウラヤマ的である。ハンノキ造林地で、エノキタケを見つけることはできなかったことが、実に惜しい。

■12/16 『絶望の林業』(その1)

ショッキングで絶妙なタイトルの本が8月に出た。10月には早くも3刷りであるから売れているのだろうか。正直、わたしは、ついに出たかという印象だった。著者は森林や林業ジャーナリストとしてその道では有名な田中淳夫氏。表紙に登場するキーワードだけでも、氏の視点と内容がうかがえる。「いま、日本の林業現場で何がおこなわれているのか、補助金漬け、死傷者続出、低賃金、相次ぐ盗伐、非科学的な施策…」と続き、「官製”成長産業”の不都合な真実」とあり、目次構成は第1部・絶望の林業、第2部・失望の林業、第3部・希望の林業、となっている。現在、全300pの半分を読み終えたところだ。さすがに現場と施策に精通した人のルポルタージュだけに、ズシリと重たいものがあって文字通り絶望に誘導されそうになるが、いつもセンセーショナルに描く氏独特の筆致を差し引いても、指摘は当たっていると思う。別に林業という業種に肩入れする立場でもないのだけれど、森林や緑と人の関わり、という未来に向けた共通するテーマに集うものとして、改善改革の手法の大事な部分は「林業」という産業、業界、行政に負うところは大であるから注視せざるを得ないのだ。しかし、情けないほど振るわず、このままでは林業がだめで喜ぶのは、林業行政を進める行政(施策と打つために人が要る)と、問題を指摘・研究する大学(不振の林業は研究課題に事欠かない)だけということになりかねない。各界の英知を集めて旧態依然とした閉塞をなんとか飛び越えたいところである。読了の折に再考して改めて書いてみたい。

■12/14 エノキタケ、今年最後の山の幸

令和のシーズン初の作業は小雨の中だった。天然更新跡地で選木と搬出路確認作業をしているとき、oyama さんがエノキタケを発見。ヤマモミジの木だった。あと一週間オガラシテ(大きくして)から採ろうと意見が一致して、この日は見るだけにして手をつけなかった。株は大きくないが、見事にきれいなエノキだ。ふたつみっつは今年も見てはきたが、わざわざ採取できるほどの株はまだだった。静川小屋のそばにあるハンノキ造林地もそろそろ手ごろなものが出ている可能性がある。みぞれが降る初冬の、最後の山菜採りの愉しみである。これは行かねば。

■12/13 ラジオ深夜便を聞きながら(1)

夜更けにこの番組を聞く人は少なくないようで、わたしも現役勤め人時代からいつしかファンになっていた。テーマ曲 THE CHANCE YOU TAKEに癒されるという声も多い。個人的には11時台のパイプオルガンで演奏されたような音色がもっとも好きだ。夜更けに肩の力を抜いた、アンカーによるイントロの語りも癒し系であり、そう連想していくと、いやいや癒しというならこの番組の企画そのものが、眠れない人のために、というもう一つの目的を忠実に追っていて「そんなに気張らなくていいんだよ」「わたしはあなたの味方」という祖父母のごときメッセージを送っている。まるで自己受容を促すセラピストのような…、と書いてみて、そうだこれは雑木林のそぞろ歩きに相通ずると思いついた。今日は子供の人生何度目かの旅立ちの日であり、よく頑張ったなという応援と、親としてもっとしてやれなかったのかという反省、そしてやはり「これでいいのだ」という是認にたどり着いて、マヅメ時まで再び寝についた。

■12/11 「健康とは攻めるもの」
外交評論家・加瀬英明氏の最近の対談の中に、友人でもある三浦雄一郎氏が、健康は守りや維持ではなく攻めなきゃいけない、と言ったというエピソードが紹介されていた。なるほど、その主旨は、自ら崖っぷちに立つという意味で「タバコはスポーツそのもの」とうそぶいた辻まことにつながる。かく言うわたしも若いころ、狭心症の疑いがあると誤診されて心臓神経症になり、発作の恐怖を払しょくすべく大雪山のカウンナイ沢遡行のガイドを引き受けたことを、小さな痛みとともに懐かしく思い出した。「健康とは攻めである」。これは勇気づけれる名言だ。沢遡行後まもなく、うつを伴い5年に及んだ静かな闘病は、終息を迎えたのだった。

■12/10 アカエゾマツの焚き付け

昨シーズン、小面積だがアカエゾマツ造林地の除伐に着手した。昭和50年の苫東の植樹会で植えられたものだから樹齢は45年ほど。アカエゾマツと言えば、北海道を代表する針葉樹で、トドマツやカラマツよりも格上のはずだが、すっかり話題に上ることも少なくなった。本来、バイオリンの裏板やピアノの鍵盤などに使われる銘木である。ところが間伐した材は、薪として実に割りにくく、かつすぐ燃えてしまう、と薪としての評価はメンバーにさんざんである。緩衝緑地づくりの試験地などでアカエゾマツを造林し、緑化木として移植するなどして付き合ったひとりとして、せめてわたしだけでも由緒正しいアカエゾマツの価値を認め、少し申し訳ない気持ちで薪ストーブの焚き付けに利用したいと若干ストックしたのが、今年5月だった。わずか半年の乾燥だが、敬意を払って焚き付けとして使用してみると、着火がよく、しかし短い時間で燃えてしまった。焚き付けの役割としてはよくやったというべきだけれど、きわめて残念な思いが残った。

■12/09 森林人(もりびと)通信「森の本棚」
間伐ボランティア札幌ウッディーズの広報誌「森林人通信」2019年秋号の「森の本棚」欄に、拙著『林とこころ』と苫東の雑木林についての感想が掲載されています。拙著への評価はともかくとして、苫東の雑木林を遠くの関係者はどのように見ておられるかがわかり、逆に地元の関係者の新たな啓発にもつながりそうなので、全文を転載させてもらうことにしました。ご執筆にこころから感謝しつつ。

*本稿は札幌ウッディーズがエントリーしている苫東コモンズの育林コンペ作業が下地になっています。


森の本棚 『林とこころ 』 草苅健著~林の手入れは生き方である~

10月の定例作業は、遥か苫小牧、苫東の雑木林である(別掲参照)。久しぶりに足を踏み入れた。そこは故郷に舞い戻ったような懐かしさを覚えさせた。視線を巡らせては考えてみた。この林は、どうしてこんなに美しく、こころが休まるのだろう。仲間とも、「ホントに気持ちの良い林だなぁ」と言いあいながら帰路についたことを記憶している。苫東の林の魅力の秘密は何だろう?それを知るための恰好の一冊が本書であり、それは我が書架にホコリをかぶっていた!
改めてページを繰ってみると、この景観が生み出された仔細が余すところなく説かれている。著者は、手塩にかけて苫東の林を育ててこられた、当のご本人である。冒頭から自らの苫東における森づくりの実践と、それを導く思想と作法を生き生きと語って余すところがない。「林の手入れ、里山づくりはまさに自然とこころの出会いをつくる」、「林の手入れとは現代の一つの生き方であり、行動的冥想のひとときである」と言いきる。我が事ながら、先ごろの1週間ほどの入院加療中、まさに枕頭の書としてページを繰り、己の林との向き合い方を問うていた。それは今も。(高


■12/08 山の神参拝

12月7日の昼前、つた森山林と大島山林で、山の神に今季の作業の安全と新しい年の家族の健康を祈願した。山の手入れを続ける、平均年齢66歳の精鋭たち。細心の注意を払いながら、今年も美しい健全な林を目指して精進することを誓う。

■12/07 軽トラックの魅力と戦力


会員のMさんが軽トラックを新調した。「古い方は薪小屋前に置いておくからNPOで使っていいよ」とおっしゃる。軽トラは山仕事ではとてつもなく役にたつスーパーな代物であり、山仕事に関わる人なら憧れの助っ人である。しかし軽トラは中古でもとても値段が高く手を出さなかった。今までも折あるごとに助けられたが、改めめての申し出に一同大感謝している。





12/05 林の力仕事を引退しよう
リタイヤ後の理想の暮らしとしたのは、「晴耕雨読」ならぬ「晴林雨読」。いい日なら畑ではなく、林に出かけて山仕事をすることだった。しかし、やっと手に入れたその機会も早々に縮小することになってしまった。それを阻んだのは、股関節痛である。短い脚で、若い時から精力的に春夏秋冬、山野を歩きすぎて酷使したツケであるが、平成10年以降の、ひとりの山仕事あたりでさらに傷めてしまったらしい。歩行も不具合を感じ始めた近年だったが、リタイヤした今年、医療機関にも見てもらったところ、医師には淡々と外科手術ですね、と言われた。数か月考えて得た結論は、親にもらった身体を長持ちさせること、だった。そのための生活改善に励まざるを得ない。もうきつい負荷は避けるのである。68歳、ま、体力に任せて動きすぎたつじつま合わせに、いい頃合いかと観念した。今日のわずかな山仕事はその決心を固いものにした。動から静へ。そう考えると、まずますまともに見えてきて、少しだけ安心する。

■12/04 セザンヌの緑
 
東京都立美術館で開催されている「コート―ルド美術館展~魅惑の印象派」でセザンヌの未完成作品「曲り道」(写真右)」にであった。19世紀、産業革命がパリにも波及し郊外への交通インフラが進んで、人々は郊外に足を延ばすようになる。その頃、人々の興味に合わせるように郊外の森や田園の緑を懸命に描く絵画界の動きが見えてくる。無名のセザンヌを見出して収集を始めたコート―ルドの慧眼に驚く一方で、まだ見たこともないセザンヌの、緑の描写にこだわった作品などを眺めていて、緑のグラデーションや陰影の織りなす色彩と風景が、芸術に昇華していく過程を見るような、初めての経験をした。林や田園が都市生活者の目によって旅の目的や保養地に代わっていく図式とほぼ同時並行的に進むのだ。類稀なコレクションによる、この美術展の評価はブログ「青い日記帳」に譲ることにして、緑が芸術になる一歩のようなもの、時間の流れを垣間見て心が動いたという記憶だけでも記しておきたいと思う。画像も上記ブログからお借りした。



12/03 野鳥のいる暮らし

餌台を吊るして1週間以内に野鳥が来るようになり、2週間で5種類の鳥が日常的に飛来するようになった。観察していると一日でも楽しめる。スズメ、シジュウカラ、ヤマガラ、カササギ、カラス。今朝、出窓から眺めていると、ヤマガラとシジュウカラは、薪小屋に入り込み、薪の樹皮あたりをしきりについばんでいる(右の写真の右上)。用意した餌ばかりでなく、薪小屋に入り込んでくれるとは嬉しいではないか。さすが森林性の野鳥だ。

12/02 武蔵野の雑木林

先日上京した際に、神代植物公園を散歩しました。武蔵野の雑木林がどんなものであったかは、雑木林の保育に携わる者にとって少なからず気になるテーマであり、機会を見つけてあちこちに行くようにしています。そうしていると関東平野の風土や奥深い歴史に触れることができて、格別な体験になります。人口密度の低い地域ではザツボクリンとも呼ばれさげすまれますが、見る目が伴えばリゾートである、ということを物語ってもいます。雑木林のある田園は古来、観光のはじまりだったことと大いに関係があります。無くなって、初めて分かる価値ともいえるのでしょう。ということは、わたしたちは出口のないリゾート開発に手を付けている?

11/27 北村の遊水地の若手農家が視察

農業を営みながら、大洪水時は下流であふれるだろう大量の水を、堤防を開けて農地に受け入れる、そんな遊水地が北村に建設されている。950ヘクタール。そこの若手農家&岩見沢河川事務所がコモンズ研究会と合同で苫東を視察した。目当ては、苫東プロジェクトおよび環境コモンズの取り組みとハスカップが自生する遊水地予定地を見ること。奇しくもこちらも950ヘクタールだ。午前は苫東会社で苫東の担当者が苫東の概要と、特別に遊水地計画を説明してもらった。午後は環境コモンズ研究会の小磯修二座長のガイダンス後、NPO(草苅)が苫東コモンズの活動の背景やアウトラインを紹介して大島山林へ移動し、30分ほど林内を歩いた。そのあと育林コンペの様々な仕上がりを見てもらい、、つた森山林、備蓄基地、ハスカップサンクチュアリと廻って薄暗い夕方、苫東会社に戻り散会。小雨の中、普段はなじみのない雑木林と、林道の泥と悪路に驚いていた。林は農業に比べインフラが難しく、遅れている。それは産業としての成功度とパラレルだ。雑木林と薪のある暮らしでは、あるもので間に合わせてエネルギーを得る。が、大規模農業から見るとゴミのような手仕事に見えるだろう。しかしコミュニティに密接していればこれも容易に可能で、森林公園もできる、ということに気づいてもらえたかどうか。また、サンクチュアリの遊水地はハスカップが追い詰められた逃亡の果てであり、やっとたどり着いた安住の地のように見える。いみじくも、たびたびの洪水があるからこそ、植生の遷移が進まないというメリットを生かせる。だから湿地にとってもハスカップにとっても、洪水、大歓迎という遊水地である。自然に任すNなどということはなかなかできる仕掛けではなく、人が住んでいないということがあって、初めてこれができる。明日からしばし苫小牧を離れますため、更新が止まります。


■11/25 キンキを煮つける

最寄りの生協で魚を見ていると小さなキンキが目に入った。苫小牧産とある。おう、これはぜひ買って食してみなければ、と食指が動いた。カニやトキシラズやマツカワなど、少々高くても地元の旬のものとなれば、こうして贖う(あがなう)癖がある。格安の超美味・トキのアラに出会ったこともある。今日の小型のキンキは、まだ経験が浅く苦手な煮つけにしたい。うろこを取ってさばいてから家内に味付けのワンポイントアドバイスを、もう何回目かになるけれども聞いてから、一気に調理。大型のものに比べれば脂ののりは控えめだが、さすが、キンキだ。
話はそれるが薪ストーブが本格稼働して、調理台が倍増した。お茶を飲む回数も増えた。なんでもない素材をちょっと工夫しておいしくいただくチャンス到来である。。時間がたっぷりある今シーズンは薪ストーブ料理も手掛けてみよう。


■11/24 餌を給仕して1週間、ボチボチ野鳥が来始めた

かつてなら朝一番に聞く鳥の声はカラスだったが、近年それがスズメやシジュウカラ、時にはカササギに代わった。小さなコチャコチャした庭の物干し竿に、いつのまにかヤマガラを見かけるようになった。きっと、リタイヤして居間の窓から外を見る機会が圧倒的に増えたせいもあるのだろう。それと野鳥の会の創始者・中西悟堂の野鳥のエッセーを読みながら野鳥好きの焼けぼっくいに火が付いたようだ。先週の15日、さっそくヒマワリと雑穀のえさ台を一つずつぶら下げた。鳥たちはレンギョウの混んだ藪に隠れながら餌台とこちらの様子をうかがっていたが、ようやく7日目あたりになって家人がスズメが来ていたよ、というので、物置と薪小屋の屋根にも、播き餌のようにヒマワリと雑穀を播いてみたら格段に羽数が増え、餌台にシジュウカラが来たのを自分の目でやっと確認した。カラスが来たのち、カササギも2,3羽やって来た。餌台に普通に来るようになったら、いよいよ手載せに挑戦である。あくまでステップを踏んでいくつもり。

■11/23 ウトナイ湖の学ぶ会で勇払原野のエピソードを語る

日本野鳥の会の「勇払原野を学ぶ会」に呼んでいただいたので、勇払原野とハスカップの色々なエピソードを紹介させてもらった。あらためて、土地の人と風土を共有する楽しみに思いを馳せた。報道記事はこちら

■11/21 山仕事の危険を技術と経験でかわせるか

昨日は持ち山でひとりの山仕事。シラカバの掛かり木など危険な作業の糸口を開いた。
用心してチェンソーを入れる。間もなく、ミシ、と音がしたかと思うと、案の定、ふと枝はたくさんの枝ごとドシンと直下に落下した(上の写真右下)。わたしはふりこ状に振れた場合も想定して逃げの姿勢も取っていた。直撃されるからだ。
腐れて落ちる可能性は半分と見て着手したのだけれど、写真左のように、生木に近く見えた折れ口は完全に切れていた。半分ではなく、ほぼ確実に落ちるとみなさなければならなかったことになる。
見よう見まねで試行錯誤し、ひとりで山仕事をしていた平成10年から20年前半にかけて、わたしはこのような「ためらい」に、泣きべそをかくようにして何度か出会ってきたが、やはり、ひとりの山仕事は避けたいと思う。危険だと自覚しているうちはまだいい方だ。
ただ、この危険な山仕事をくぐったおかげで、わたしは真剣に祈ることを覚えたし、自然観もやや大人になった。林と癒しの感性も磨かれ、それが『林とこころ』という一冊につながった。一方ではこの時期に足指の靭帯を損傷し、股関節もこの間に痛めていたのかもしれない。人生、にっちもさっちもいかないときがあるが、身近な山仕事にすらそんな時間がしばしばある。


■11/19 愚直な庶民の武器「コツコツ」と、二宮尊徳の「積小為大」
北海道の開拓では、尊徳の報徳思想に支えられつらい作業を克服してきた、という主旨が部落史や町村史から伝わってきますが、江戸末期の幕府だったか開拓使だったかが、本州で600もの村々を復興した実績を持つ尊徳に指揮を依頼していたという裏話を聞きます。その真偽はともかく、尊徳の教えでこのごろ「まさに」と思うのが、「積小為大」。大きな成功も小さいことをコツコツ積み上げていくのが成功の秘訣だ、というものです。山仕事の単純作業の膨大な量に取り掛かるとき、たとえば薪割りや薪積みなんかでも、「いつか必ず終わる」「step by step 」と念じていけば、それほど苦にならない、ということをわたしは悟りました。尊徳の偉いところはそ復興の源は人にあると看破して広げたこと。この日々の何でもない繰り返し反復に大きな意味があるといわれることは、わたしたち庶民にとって意外にも元気につながるもので、日本人の勤勉はここに由来するDNAによるのではないか。「そもそもわが道は、人々の心の荒蕪を開くのを本意とする」。こういう尊徳は、日光のプロジェクトで忙しく、また体調不良で断ったと聞きますが、当時の北海道の国防を見据えた国家事業とは、そもそもちょっと相いれない異質なレベルだったように感じます。とは言いながら、十勝ではその孫・尊親(たかちか)が依田勉三らとともにの開拓に励んだのは周知のとおり。コツコツ、少しずつ進めれば花開く。この悟りは応用が利く魔法の言葉。

■11/17 朽ちる世界と待機する生命

細々した仕事の合間に、メンバーは誰彼ともなく林に入っていく。葉っぱも枝も切り株も、多くが朽ちていく林は、実に楽しみが多い。その循環の中にいることが心地よい。ムキタケの腐ってしまったものや、エノキタケの小さな出たてのものなどのほか、落ち葉の下にはドングリがもう芽(根)を出して春を待っている。立ち止まる楽しみが満載である。このような里山の愉しみに気づけない、気づかない現代人は、風土の貴重な恵みをみすみす捨てていることになるだろう。わたしはそう思うのだが、この多様な時代、余計なお世話だと言われるだろう。しかし、そろそろ、この余計なお世話の方に、人を引き寄せたい気もする。高齢化し、心身の病理と付き合わざるを得ない成熟社会を、自律的に健やかに生きていくためにも。

■11/15 発信する動機とチャンス、そしてと幸運

去る11月9日のエゾシカと雑木林のフォーラムは、こじんまりした地味な催しとは言え、これからの胆振の雑木林の将来を予測する、貴重なものでした。地元の3紙が取材してくれ、14日の昨夕、苫小牧民報に記事が掲載されました。自分のことなら各紙にお声掛けなどしませんが、何しろ今日本の野生生物管理の中心にいる梶さんです、ここはひとつ紹介せねば、とお願いしました。先日は、開発こうほう(毎月5,000部発行)の11月号に拙文「地方に住む意味と動機」が掲載されました(写真)。6月まではどちらかといえば原稿を頼む側でしたが、退職間際にE編集長から依頼されたものです。依頼された字数が短めでちょうど良く、お蔭で風土に関する試論を凝縮させることができました。この方面の書く素材は無尽蔵ですが読むに値するものを、となると正直なところ自信もないのですが、ここは開き直って頑張るしかありません。

■11/13 明鏡止水の世界へ

日高へ向かう高規格道路の上から、およそ100km近く離れたポロシリ岳、夕張岳、そして芦別岳のまぶしく雪を頂く姿が見えました。冬はもうそこだとこの風景が物語ります。ひとり山仕事に出かけた昨日、雑木林はもう落ち葉の絨毯に敷き詰められ、その静謐な風景に圧倒されました。こまごました仕事を一段落した昼下がり、ヘッドギアを脱ぐとそれまであまり気にならなかった風の音が一段と増しており、ゴーゴーと鳴っています。そんな中を残り少なくなった葉っぱがさびしく舞い散るのを見て、ああ、木枯らしだ、と今さらながら気づきました。このように無心になっている山仕事は刈り払いなどと並んで行動的冥想とわたしはみなしていますが、先日、冥想の同志の方とやり取りをしているうち、冥想中のアイデア湧出を逆利用して仕事をしてしまう癖はやめよう、と気づいて自らを戒め、初心に帰って修行を小さく再スタートしました。意識して雑念を排し到達する明鏡止水の時間をくぐると、ひとは今までの「業」をリセットし、再生することができます。ネガティブな思いから離れ積極心に身を包まれていく身軽さは格別なものです。こころの免疫力のようなものともいえましょう。マインドフルネス、ワンネス、座禅、冥想。どんなアプローチにせよ、無心の時間は訓練してでも持ちたいもので、そこにある祈りに似た世界は、雑木林がもつ底力と通底しているのではないか。神道でも仏教でもいい、キリストの世界とも切り離せられないような神聖さが漂います。これはひとに等しく埋め込まれた性(さが)ではないでしょうか。

■11/11 祝賀御列の儀で思い出したこと
先日の即位の礼に続き、昨日もTVの前で画像を見つめました。どうも雅子皇后の目がウルウルしているように見えたのが最も印象に残ります。前日もそうだったと家内は言います。新皇后さまのウルウルが象徴するものは何かと考えてみるに、国民と天皇皇后両陛下とがかくも一体となってつながっているという現実、即位されて初めて知った日本ならではの不思議な実感ではないでしょうか。ウルウルは皇后さまだけでなく、国民の側も日常は覚えたことのない特別な感動を味わったといえるからです。
今から60年ほど前、郷里の山形の小学校そばの国道で、寒河江で行われた植樹会だったかに昭和天皇が行幸された際、旗を振った思い出が浮かんできましたが、当時は頭を下げてお迎えすべし、みたいな話だったようなこともあり、ご尊顔の思い出がありません。そして天皇が国民の象徴であることの意味もしりませんでした。古事記や日本書紀や万葉集などから近現代史までをいささか齧るようになった今、半世紀以上前とはまるで違った日本という国の認識が個人的にはあります。この国に生まれて本当に良かった、ありがたいことです。一方、北海道は皇室や国の中枢、あるいは日本の太い歴史そのものから物理的にも心理的にも遠く、靖国神社や皇室行事にこんなに人が集ってくる世情というものを感じない風土です。いいことも多少ありますが、ちょっと残念なことでもあります。
季節は11月8日に立冬。令和元年そして明年と、いい年になりそうです。


■11/9 雑木林保育とシカの食害に関する勉強会

先週のチェンソーのスキルアップ研修に続き、今週は雑木林の保育とシカの食害について勉強しました。道内外、国内外の野生動物管理の第一人者の梶光一・東京農工大名誉教授が講師。詳細はこちら

■11/8 サライの万葉集特集

自由な時間を持てるようになって、待望だった古典と歴史の勉強は順調に進んでいますが、至福を味わいすぎるのか、なかなか前には進まないのが悩み。とはいってもとっつきにくかった日本書紀のある本などは読了後、すぐもう一度読み直しを開始。「習い読むといえども復せざれば、ただ隣の財(たから)を計(かぞ)うるが如し」の教えの通りです。一方、月刊誌サライの8月号が大特集「万葉集を旅する」を組んでくれたので、まさに宝を読むように、写真と字を丁寧にたどりました。サライが素晴らしいのは文章のこなれや正確さと並んでビジュアルな説明でしょう。臨場感もこれでいや増すのですが、さすが大人の雑誌、高級な宿泊施設や料理まで紹介します。今回の特集でありがたかったのは写真右の「大和」のマップ。飛鳥京と藤原京、そして平城京がどんな位置関係なのか、距離感が少しわかってきます。もちろん、歌もふんだんで、万葉集の世界がぐんと近くなりました。中西進氏の「万葉の秀歌」はまだ半分の巻九で足踏み中。

■11/6 街中の紅葉

連休の最後、学生時代にお世話になった完全自治寮「青年寄宿舎」のOB懇親会があって、札幌へ。道庁赤レンガ前と北大病院前の銀杏並木は、紅葉(黄葉)の見ごろで、昨今は観光地化しています。そのスケールと鮮やかさは雑木林とは比較になりませんが、人々はこんな人工にも季節を感じて束の間心を動かすものです。懇親の集いは16名、平均年齢が70歳を悠に超えていますから、病と闘っている方、闘病の峠を越した方、叙勲を受けられた方、のんびり元気な方、いまだ教壇に立っている方、などがいて、病気自慢だけでも話題は尽きません。会は正午からグランドホテルで始まり、2次会は7人が赤レンガテラス、二人だけの駅地下3次会の終了は5時半。それでも話は終わりませんので、また次回、てなことに。

■11/4 薪ストーブ本格始動

予報通り冷え込んで、朝五時、玄関の温度計はマイナス2度。乾いた焚き付けと小さな薪を入れると、素早く温度は上昇しました。乾いた薪はホント、ありがたい。今シーズンは7立方mを用意したが果たしてどうか。令和元年の薪ストーブの日々、いよいよ本格的に始まります。

11/3 Green Thumb Club Ⅱ(第2次グリーンサム・クラブ)への思い

時間が持てるようになって自宅周辺を散歩することが多くなったせいか、庭を見直すことが増えました。そして雑草がはびこった庭が驚くほど多いことに気が付きました。それどころか、かつてのような、あるいはそれ以上のガーデニングに今のところまだ出会えません。今から27年前に始めた Green Thumb Club (グリーンサムとは文字どおり緑の親指で、植物の扱いに長けた人)のころは、ガーデニングがブームであったこともあり、苫小牧のガーデニングのレベルはとても高い、とあるガーデナーに評価されたことがありました。クラブは手分けして市内の庭づくりの達人の庭をミシュランの記者のように探し出し、写真を紹介しネットワーク化しました。数年で100名ほどの輪ができたのでした。(注:わたしは平成13年1月に代表をやめ、林に専心、クラブは今はなくなっています)

写真はその頃のシブイ庭。左はSさん、右は米国の牧師さんの洋風お庭。この牧師さんが赴任した半世紀近く前は、「この町ではガーデニングは無理よ」と前任者のフィンランド人の牧師さんの奥さんから申し送られた、と聞きました。でも、やればできる、気候が良くなったら「簡単にできる」。この頃の散歩の途次、家並みを見ながら思うことは、シブイ庭を写真で紹介する「Green Thumb Club Ⅱ(第2次グリーンサム・クラブ)」を立ち上げよう、というもの。なにも68歳の誕生日を迎えて意気込むこともないのですが、「ひとり」で「写真」でコツコツと誰にも迷惑をかけないで、とにかく「行く」。賛同者がいればSNSやネットで繋がっていく・・・。それでこそ「雑木林&庭づくり研究室」の名前が活きます。林のガーデニングも手抜きしないまま。


■10/31 未知なるものへの対応、好奇心かストレスか?

亡くなった緒方貞子さんのプロフィールを拝見すると、新しいものへの好奇心が強く、大抵のものはフォローしていたと読めるくだりがあって、なるほどと思いました。新しいミッションに果敢に挑んできたこの方らしいスタンスです。人の常として、新しい、慣れていないモノやコトはうまくいかないことも多く、しばしばストレスに感じるもの。身近なものでは電子機器関係の入れ替えや設定があって、突然やってくる不具合にイライラし、無念さや無力感を引きずることも多いのではないでしょうか。

先日、新しいバッテリーを買ったばかりのデジカメ(左)が故障し、Fujifilm から Canon に機種変更。買ったばかりのバッテリーを有効活用しようにもこの機種がなく、しぶしぶの乗り換えでした。同じころ、iphone のメール受信ができなくなりサーバーから端末まで設定内容をチェックしたものの原因に行き当たらず、最後にsoftbank のスタッフに問い合わせ、ようやく復旧しました。振り返ると、だんだんとストレスでなくなってきたようです。これを「アイティー・リテラシーの向上」というのでしょう。肚のすわり方、何とかなるの気分、楽観、未知なるものを楽しむ余裕などなど、いろいろ、日々、自らの力量を試されますが、長く生きてきた経験知が意外と浅いことにも落胆することなく、気長に付き合うのがよろしいようで。


■10/29 北大研究林の人混みを避けて

週の初め、北大研究林の紅葉を見に行きましたところ、なんと、紅葉はすでに終わって広葉樹の多くは裸木でした。それにも関わらず、まあなんという人でしょう。個人客が手前の池や林道、庁舎や樹木園周りも数人ずついて、バズーカ砲のようなカメラを持った人も。ちょっとした観光地の様相です。

雑木林を歩く際は、内観の環境が不可欠だと思うので、社交界のような賑わいを離れてずっと北の熊ノ沢、アッペナイ方向へ。いささかさびしい晩秋の雑木林は期待どおりの風情があって、陽だまりでも明るい陽気さと物悲しさが同居します。研究林に来ると思うのは、森全体の構成やエリアごとのおよその位置づけが頭に入っているせいか、倒木や枯れ木のある荒れた風景がちっとも嫌でないこと。「収穫や手入れした後は当分放置する」という鉄則のようなものを感じつつ、放置された倒木も悪くないな、と思わされます。


■10/27 不思議とたがわぬ紅葉の盛り

今年も紅葉の時期が来ました。ほんの5日前はまだまだピークは遠いと思えたのに、なんと今年も例年通り10月25、26日にピークが来ました。赤、黄色、白の紅葉と、程よく落ちた紅葉の落ち葉が、あたりを埋め尽くすこの時期。葉っぱが落ち過ぎず、かといって地面も程よく紅葉状態であるという、このバランスの妙が見もの。二十四節気を念頭に季節の移ろいを観察していると、気候は規則正しく移ろっていると言えるのですが、問題はぶれの強弱、高低、つまり激しさではないでしょうか。26日、設立して十年目のNPOの総会が焚火を囲んで行われました。頃合いもよくシメジも出てきました。

■10/25 児童虐待に関する論考
今日は二十四節気の霜降。苫小牧の我が家の庭には先週16日にすでに初氷が張りましたが、これからはいよいよいつ霜が降りてもおかしくない晩秋の候が本格化します。今さら読書の秋、という訳ではありませんが、8月の終わりに金子勇・北大名誉教授にいただいた論考を読ませてもらいました。「児童虐待解決の補助線」という政策提言です。なぜこれほどむごい幼児や児童の虐待は起きるのか、なぜ繰り返されるのか、そして有効な施策はないのか、と私だけでなく多くの人が関心を寄せただろう問題です。金子先生は、虐待死の無念さを深く感じつつ国や行政の無策を掘り下げて施策見直しの動機付けにつながる道筋を明確に示されています。もともと少子化、高齢化、子育ての社会の在り方等を多く研究されてきた先生ですが、子育てどころか生命を否定する親の犯罪行為が子育てと並行して進んでいるという世の中の難問に、緊張感ある視点を提示されており、「行政改革は定員削減ではない」という提言など、改めて頭を整理させてもらいました。欧米では、一度虐待した親は必ず再度繰り返すという冷徹な判断のもと、親子は完全にクールに分離すると聞きます。高齢化対策と言い幼児児童の虐待と言い、課題の先進地があり蓄積とルールができているということにもアンテナを伸ばしてみたいと思います。

■10/23 即位の礼で感じたこと
FNNプライムオンラインから
昨日は朝からずいぶん多くの人がテレビの前にいたのではないでしょうか。わたしも全くの久々(いえ、ラグビーのワールドカップがありました・笑い)で、特に朝から晩までというのは珍しいことです。珍しいことと言えば、沈黙の多い放映でもありました。古式豊かな儀式とはかくなるものかと。伊勢神宮など、いつもの神社の参拝や、ひとりで巡る林の散策の雰囲気を思い出します。最近私が気づいた慶事は、雅子さまの目がキラキラ前向きに見えること。かつてのようなおどおどした様子がなく、どこか吹っ切れて堂々とした表情が見て取れることです。これまでの両陛下の歩みを撮った映像をみているうち、その理由はお二人が被災者のお見舞いを重ねるうちに、国民がいかに皇室に親しみと信頼を寄せているかが、実体験で体感されたからではないか、と思い当たりました。新天皇陛下と皇后さまには令和の御代の文字通りの実現にむけて、ぜひお元気で頑張ってほしいと願うものです。それに引き換え、twitter に投稿されたいわゆるリベラル系と呼ばれる識者や言論人等の、いささか下卑たような捨て台詞の数々に改めて日本の今の構図を思い起こされました。


■10/21 熟年世代の雑木林のアソビ



薪作りが一段落して、山仕事のステージは大島山林から静川の小屋周辺に移りました。テラスの防腐剤処理やエントランスの看板モニュメントの作り直し、伐倒研修の樹木選定などいろいろ仕事があります。しかしまず焚火にあたりながらひとしきり雑談をしてから思い思いの作業に入りました。育林コンペのエリアに向かったり、ほだ木の調達に向かう人も。小屋に残った私たち3人はヤマハンノキの造林地でしばしキノコ採りも楽しみました。ハンノキと言えばエノキタケですが、まだこれからのようで、チャナメツムタケとムキタケを採って、夜は久々に「白銀鍋」を作り晩酌をしました(ちなみに久々なのは鍋の方)。これは昔、札幌の山仲間の集まる居酒屋「ちとせつる」のおばさんに聞いた各種のキノコと豚バラをメインにしたシンプルな料理。味付けは塩コショウと大量の酒のみ。

■10/19 シカの食害の勉強会と、年末までの予定PDF

快晴のおとといの夕方、渡りの鳴き声が遠くから聞こえました。はて、どこ?と見上げてもなかなか見つかりません。念入りに探したところ、おーっと、高度は500mほどかと見える上空を、150~200羽の大編隊、それがいくつか連続しました。これは久々の壮観です。ところが雨の予報の今朝早く、白鳥たちはわずか30mほどの高度で家の上を西へ飛んでいきました。
今週は10/26のNPO総会の資料をほぼ完成しました。11月2日にチェンソー技術の相互研修、9日はシカ食害勉強会、11日は河川事務所と北村遊水地農家のコモンズ視察対応、23日はウトナイ湖サンクチュアリで勇払原野のハスカップについて講演、と続きます。シカ勉強会企画これから年末までの予定のPDFをアップしました。今のところ、総会は11名、シカは関係者など12名+一般参加。


■10/16 苫東の雑木林は「心休まる」

先週の土曜日は育林コンペゾーンに札幌ウッディーズの面々12人が作業に来られました。せっかく静川の小屋にも寄られたのに、あいにく行き違いになってしまいましたが、同行したTさんから頂いた夕方のお便りによると、面々は「苫東の林は心が休まる。気持ちのいい作業だった」と異口同音に語られたとのこと。この林に慣れっこになっている私たちには、ちょっと新鮮な言葉でした。早速Tさんのッセージを「雑木林だより」にアップし、余韻を楽しみながら何故心が休まるのか、様々な風景を思い起こしてみました。平坦で若いコナラの雑木林である、というあたりにヒントがありそうです。

■10/13 池澤夏樹の北海道歴史観
雑誌「ユリイカ」8月号の冒頭、札幌に住んでいるという噂の作家・池澤夏樹が、『「北海道」命名150年 汗と涙の歴史に思う』という凝縮した内容の、俯瞰した歴史観を書いています。印象深かったのは、
 ・現代の社会では交通は基本的人権 鉄道の駅があるから人が集まる
 ・北海道は汗の結晶である 沖縄戦で沖縄人の次に犠牲になったのは北海道の兵士 命が安かった
 ・北海道は特別なところで明治のある時期は徴兵が免れていた 夏目漱石がそこに目をつけ岩内に戸籍を映していた
 (これは一部で  は有名な話でどこかでも聞いた)
など。特に鉄道の議論は本来このような視点で国策として述べられるべきで、経済論理だけでは片手落ちだ。そこに自治体の自助(なさ過ぎて驚くが)がうまく組み合わさることはできなかったのでしょうか。民営化の際に持たされた持参金が金利低迷で役立たなかった不運も聴きますが、そもそも大所高所の議論というのが不発だったと思います。北海道はJRの鉄道網に開発予算を使え、という民間の声は興味深い。そこへコミットするのが本来政治ではないか。JRに限らず今日の情勢に対して本質論に迫るものが少なすぎると思うのはわたしだけでしょうか。


■10/12 10年で閉じた実験SNSのオフ会

仕事半分、将来への興味半分で始まり報告書を2冊出し、10年で閉じたSNSの懇親会。mixi型のフリーのSNSが地域や北海道各地の人のつながりに役にたつのかどうか。そんな目的でスタートしたものですが、後発のfacebookやtwitterなどに分散して終了して4年近く。しかしその間の交流は、英国や本州、九州の参加者を巻き込んで、一部では集合知が形成される稀有なSNSという評価も得、メディアなどには報道されませんでしたが、実験は成功したと思います。続いている集いはその証でしょうか。そのコアメンバー8名が韓国料理店に集合。もういずれも60歳代です。韓国情勢は今、目を離せませんが、庶民と胃袋はそんなことを忘れて旧交を温めます。スタートは、クジョルパンに始まり、豚肉を包むスユ(写真)、ビビンバ、チヂミ、タコの塩辛などなど。しかし、本当に韓国はどうなるのでしょうか。当方も実は情報収集に少しまじめに取り組んでいるさなかです。対岸の火事ではすみませんから。


■10/11 ストレッチ依存症
この何年か次第に悪化していた坐骨神経痛。勤めを辞める数か月前からは、起きがけなど余りの痛みに起き上がれないほどだったため、リタイヤ直後、ネットで調べたちょっと変わった整体へ通院2か月あまり。30代の若い院長の見立ては、体の中心を走る一対の筋肉が固化しているために、臀筋が固まって血流も悪いとのこと。お尻の筋肉をプヨプヨにする施術を週一回整体院で行い自宅でも同じ施術をセルフケアとして毎日行いました。それと、朝のヨガのストレッチが悪化の原因ではないかと気づき、ストレッチをやめました。そのころから、大幅改善、9月の中頃、朝の痛みが完全に消えました。どうもわたしはストレッチ依存症にかかっていたのではないか。開脚前屈を楽しんでいる間に骨盤が開いてしまったこともあとでわかった。やってみて初めて分かることだが、素人の診断はこのあたりにリスクあり。

■10/9 24節気の寒露の日、薪を焚く


旅行中、早く薪を焚きたいな、と思っていましたが、それを「寒露」の日の昨日に実行しました。ただ当面の数回は慣らし焚きで、その間に上手なストーブ扱いの勘を取り戻す必要があります。やはり薪にもストーブにもちょっとした癖があり、熱くしすぎないで鋳物を長持ちさせススも出さないコツを思い出す訳です。寒露は露が冷たく感じる頃、の意味があるようです。今日、雑木林ではハタケシメジを見つけました。いよいよシメジの季節です。早速今日はシメジのお吸い物を作りましょう。

10/5 圧倒する人工空間で沈黙

ベネチアからミラノへ270km移動。途中、一面のブドウ畑に見入る。ミラノではドゥオーモ(大聖堂)と、グラツェ教会に残されたレオナルド・ダインチの『最後の晩餐』に時間を割きました。ドゥオーモは尖塔と彫刻の施された外観もさることながら、内部の柱の太さと空間の広さに圧倒されてしばし言葉を失います。壁画『最後の晩餐』は本当に壁に描かれたもので、部屋の壁と絵画の壁の遠近法の線がだまし絵のようにつながっています。現地ガイドはひとつひとつダビンチの意図を読み取って見せます。ツアーでずっと一緒だった方々とは今日が最後の晩餐。50年目の結婚記念日を迎えたご夫妻と、十勝のご夫妻と同じテーブルになっていつもの歓談。旅の出会いはまさに一期一会。全国各地の方と、名前も知らないまま各地の風土と人生に、束の間とはいえ触れることができるのは、かなり面白いことで、わたしにとっては大収穫。日本人っていいな、と感じます。

10/4 半端でない観光圧と歴史遺産の温度差

イタリアの6日目はまずフィレンツェから北東へ150kmほど行ったファラーラ。イタリアの55ある世界遺産のひとつ。旅行で12ほど巡る目的地のすでに10番目あたり。ここに2時間ほど滞在し歩き巡って(写真左・石畳)ベネチアへ。ファラーラは日本ではほとんど無名で観光客には会いませんでしたが、エステ家という一族の社会的蓄積が現在は市役所となっています。庭園の手入れがされておらずインバウンド受け入れの体制整備などはこれからのようでした。歴史遺産はインフラであり、強固な石造り建築と道路がそれを支え、その主体は帝国のみならず教会とメジチ家やエステ家、大きなところではハプスブルグ家など、いわゆる豪商、財閥があり、そのあたりを現場でやっと「体感できたこと」が今回の旅行の大きな収穫でした。
もうひとつ大きな関心事、風土と芸術もざっくりと探訪できた。ベネチアは、マルコポーロの生地とされるように、海上貿易で栄えたことがなんとなあく、伝わってくる。島の中心サンマルコ広場が近年高潮で1m近く水をかぶる悩みを抱えていることは日本でもしばしば報道されます。高潮が外から押し寄せるのではなく、湿地に載せたような街だから広場のマンホールから水が湧いてくるようです。ちなみに潟に作られたベネチアはガイドによると本島の面積500ha、人口5万人、そこへ毎日観光客が7万人押し寄せる、と言います。


10/3 メジチ家と建築物の実感

午前中はフィレンツェからピサを往復。写真などで想像したよりもずっとコンパクトで、高さ50mあまりの塔に昇ってみるとその傾斜感覚と階段の大理石のえぐれで船酔い感覚になります。隣のドゥオモ(大聖堂)が建築に100年、その隣の洗礼堂が200年近くかかったと聞いて、石の建築の時間スケールがなんとなく少しわかってきました。歴史で学んだハプスブルグ家がウィーンに行って初めて実感されたのと同様、フィレンツェ美術館でメジチ家の輪郭がいささかわかりました。また、今回のような長い海外の旅行はリタイヤした高齢者夫婦が多いもので、中には腰の不調の同輩もいて、お互いの治療経過なども体験を交えて情報交換します。昨日も8km以上歩きましたが、この方にウォーキングポールのもう一本をお貸ししお互い障害を持った人になりきって、ツアーのペースメーカーになりました。写真右は黄昏のミケランジェロ広場で「ポール兄弟」の命名記念に。

10/2 ところ変わればまず農村風景が変わる

10/1はアルベロベッロから約800km近く離れたフィレンツェに向かうので、早めの朝食をとってから徒歩で世界遺産の住居群トゥルリを見て回りました。地中海らしい白の漆喰を基調に、屋根は石灰岩を25cm四方に割った互状にしてトンガリ屋根のように積み上げてあります。かつては農家の住居だった。マテーラの洞窟住居といい、大昔の住居がよみがえり、一部はホテルになっており、岐阜の白川郷と姉妹都市関係だとか。観光にイケイケの感じで沿道の清掃などもよく行き届いてイベントも続く由。かつ連日、クルーズ客が来るところを見れば、クルーズは常に今最もホットなポイントを見つけていくのかも、と思いあたりました。壁面の白、ここ地中海一帯では、強い日差しを避けるために不可欠なような実感がようやくしてきました。またアルベロベッロはまったく治安がよく、落とした財布が戻ってくる土地だと、ガイドが繰り返し話していました。南イタリアは血縁でつながるソーシャルキャピタルが強く太いとされ、それはヤクザの世界と共通するもの。マフィア発祥の地であることと関連があるのかも。ロバート・パットナムの著書『孤独なボーリング』を思い起こします。
230km離れたナポリに戻る際には、イタリアの脊梁となるアペニン山脈を横断しますが、その峠を挟んだ前後で、窓の外の、特に農村風景が変わるのは興味深かった。原野も森の様子も、土の色も違う。土は昨日のような乾燥しきった砂漠色がではなく農業の日常景が静かに移行している感覚。ところ=環境が変われば、農業が変わる。それは、まず生活のための農業が「適地適作」の大原則に沿いながら行われてきたから、と理解して、寝不足解消で熟睡。ナポリからは特急列車でフィレンツェへ530km。世界遺産巡りは毎日7,8km歩かされましたが、昨日は5km、今日はフィレンツェでまた2万歩近そう。4、5kmを超えると股関節が痛み出しウォーキングポールを使い始めました。

■10/1 ポンペイは他人事ではない

8時にホテルを出てポンペイの遺跡へ。西暦79年に爆発したベスビオ火山の噴火で10mもの噴出物に覆われたマチ。レンガの建物と石畳や広場が発掘されて復元されています。ただ苫小牧に住む人なら、この位置関係と惨劇の事実は他人事ではありません。なんとなく山の格好も距離感も似ていて段々観光気分が飛んで行きそうでした。
午後から、2019年の欧州一文化都市マテーラ(世界遺産)に寄って、トンガリ屋根の世界遺産アルベロベッロへ。途中は砂漠のようなカラカラ台地、夕方ころから車窓の畑にやっと緑が戻ってきました。かなり暑いです。



9/30 青空ばかりより、やっぱり変化ある気候の方がいい

2日目はナポリを起点に午前中は保養地カプリ島へ高速船で出て、昼食も島でしました。右側の花はレストランのテラスで見つけたきれいなハンギング。花アプリで検索すると「ルリマツリ」のようです。有名ブランドの店が並ぶ小路や瀟洒なホテルなど、どこかしゃれています。午後はアマルフィー海岸へ。断崖絶壁の海岸の中腹の狭い道をミニバスが結構なスピードで走ります。窓の下は100m以上もある絶壁。かつての海洋都市国家がこんな崖地にどうして生まれるのか、理解ができません。
昨日今日とあっけらかんとした快晴の日差しを浴びていると、寒かったり、霧がかかったり、かつはっきりした四季のある北海道が自分にはあってるなあ、つくづくと思います。北海道に戻ったらすぐ薪ストーブ生活が待っているのもうれしく感じられる次第。アマルフィーからナポリに戻る途中、薪棚を見つけました。薪?そうでした。暖房でなくピザ用のようです。


9/29 ローマは一日で、できるはずもなかった

12時間余りのフライトののち、日本時間の真夜中にローマ着。たっぷりもう一度寝てから28日はバスでローマの世界遺産巡り。イタリアは世界で最も世界遺産が多い国で55、日本は23、とモノのの本にあります。。朝7時半ころバチカン市国へ。ローマにある世界一の小国は面積が400ha、世界24億人のカトリック信者にとっては総本山で、毎日観光客は1万5千人ほど、観光収入は毎日数億円という話を聞きました。まずはサンピエトロ寺院から。教会は全く別文化、未経験分野でわたしには頓珍漢ですが、ローマ市内を一日歩いた感想は「この蓄積はなんだ!」「ローマは一日でできるわけがない!」といういまさらの発見、そして驚きと感動。時差ぼけを解消すべく、夕方のナポリまで230kmの移動は眠らず、窓外の景色に見入りました。初めてのイタリア、別世界です。


9/26 養生訓
貝原益軒の「養生訓」によると、「凡そ気を養うの道は、気をへらさざると、ふさがざるにあり。気を和らげ、平らかにすれば、此二つのうれひなし。」とあります。人生のほとんどは喜怒哀楽の連続で、休まる時の方が少なく気をそぐことも多いのですが、それも総じて喜びと気づくのはずっとあと。土から気をいただく秋の収穫は今一つでしたが、台風の被害なしでまた一喜一憂。明日からしばし旅へ。

■9/24 隣の国、韓国はどうなる
気になる韓国の様子は、距離的にこんなに近いのにほとんど詳細な背景や、国民の動きが日本では報道されません。大手メディアはもうほとんど相手にできないので、わたしなど庶民でも近年は工夫して真実を伝えるニュース源を探し耳を澄まことが多くなりました。すると、キリスト教の牧師さんたちが各地で南百人もの反文政権ののろしを上げ、3000人以上の大学教授が反対声明をだし、10月初めには国民の大集会が行われることがわかってきます。また、予備役将官の会が政権の北宥和策について警告を発し、元外交官らが現政権が韓国の安保体制を蹂躙しているとして弾劾声明を出したり、じつは相当目まぐるしい、予断を許さない状況にあることがわかります。それに、ソウル大学のイ・ヨンフン名誉教授が書いた『反日種族主義』がベストセラーのまま、という報道も耳に入りますから、国民の間で真偽はどこか、認識の枠組みが大きく変化している可能性が感じ取れます。

■9/23 今日は秋分の日
秋分の日の、坂村真民の言葉。
朝方から静かに雨が降り始めました。そして今日は止みそうもないような単調な降りになってきました。17号台風のせいだと予報は報じていますが、願わくは林に風倒木被害が起きませんように。この秋初めて、ストーブを点火しました。薪ではなく石油です雨上がりにはキノコを探しに行ってみるつもり。

■9/20 令和の中西進先生の講演を聞く

令和の考案者とされる国文学者・中西先生の講演を、先日札幌で聴きました。新時代の国の在り方を令和という言葉でなぞりながら、平和外交のススメに近い話だったと思います。思えば、日本という国は聖徳太子の以前から大陸とのやり取りが、それはもう活発だったわけで、平和な世の中への希求は強かったはずです。この日の内容を振り返ってみると、注目の万葉集にはほとんど立ち入らないで(これはもう前提としているかの如く)、むしろ「令和」が表意する方向に日本の生き方がある、ということを歴史上の人物に重ねて丁寧に示された感じでした。確かに、令和が考案された元の序文は、梅の咲く宴の席で、誰かがこの感動を歌に書き示さないでどうするのだ、と鼓舞する発案があり、参会者32人の和歌につながった訳ですが、いろいろな解説で読んでその花鳥風月の情景描写も感動の雰囲気表現も、素晴らしく新鮮であり、日本人の先祖はこのような感性を生きてきたのかと、誇らしく感じ入りました。退職後の勉強は古典、と決めていたので、今、日本書紀、万葉集、源氏物語などをくぐってもう一度古事記の世界をのぞいてみたいと思います。一方では現代史の来し方、動向からも目が離せないのはわたしも一緒であります。


■9/18 シカが食べなければ伐採の跡地の萌芽はこんなに旺盛

キノコ観察のために午後から林に出かけましたので、遠浅のシカ食害の試験地を見てみました。2シーズン目の成長期の真ん中にあって、驚くような変化です。見えてくる結論は「シカが萌芽枝を食べなければここの広葉樹林は容易に復元する」ということです。左は全景で、遠目に見れば変化は大きく見えませんが、そばに寄れば右の写真のように萌芽によるブッシュ状態になっています。シカが今ほど多くなかった頃の伐採跡地はだいたいこのようなものでした。この差、この驚きは 11/9 に開催する梶光一教授を囲む勉強会で意見交換をして今後の対応策を見通してみます。

■9/17 快晴の朝と今年の庭

清々しい、快晴の朝でした。気温は18度。昨夜、月は少し欠け始めましたがまだまだ明るい夜でした。5時過ぎの、新聞配達の人以外はまったく往来がないこの時間、一日で最も濃密なひとときです。雑木林だけでなく庭の研究室でもある、と謳ってきましたが、今年の庭もごくわずか地味な花ばかり選んでひっそりと日常を飾ってもらいました。その代り、元肥も、花に必要な養分も、コンテナを創った時にタップリ与えてあるので、10月初旬ころの霜が降りるまで、モリモリを保ってくれるでしょう。

■9/15 坂村真民 「あとから来る者のために」
朝の音読は、仏教詩人・坂村真民のこの詩でした。真民はしばしば出会うので足を止め好んで読みますが、今日の詩は、山仕事を奨励されているようで、静かに元気が出るような気がしましたので、特に書き写してみました。
あとから来る者のために/田畑を耕し/種を用意しておくのだ/山を/川を/海を/きれいにしておくのだ/ああ/あとから来る者のために/苦労をし/我慢をし/みなそれぞれの力を傾けるのだ/あとからあとから続いてくる/あの可愛い者たちのために/みなそれぞれ自分にできる/何かをしてゆくのだ


■9/14 秋一番の山菜、ボリボリ

作業小屋の大掃除の日、合間を見てボリボリ(ならたけ)を探してみましたが、なかなか見つかりません。2時過ぎ、わたしが管理する育林コンペゾーンでやっと切り株にボリボリを発見。今年の山菜ライフは、フキノトウに始まり、コシアブラ、スドキ、フキと続き、確か6月ころにサンショウの実を採取して食しましたから、季節は折り返して秋一番の山菜に当たります。待ち焦がれた山菜に出会えた幸せ、そして食する至福。合掌。

■9/13  ニュースレター第24号を発行しました
数日前には気温が30℃を超えたかと思うと、今朝は12℃。窓を開けて寝て風邪をひいたという人もいる一方、おとといの夜はもうストーブを焚いたという話も聞こえます。「えっ、もうですかあ?」。こういうとき、庶民の話は枕詞に気候の話に自然となります.。ュースレター第24号 をアップしました。

■9/11 森林科学の学生・院生が苫東コモンズ視察
9/10は朝9時から北大の学生さんらを苫東コモンズのフィールドに案内しました。あわただしい2,3時間で問題意識を共有できるとは思えませんが、何のために苫東というプロジェクトが生れ、コモンズの地域活動は今、何を問題にしているか、あたりを感じ取ってもらえたなら十分です。林学を出た私がここで歩んだ道筋もできるだけ前に出しました。緑地というとらえ方も変化して、あるいは風化しており、「なぜ緩衝緑地は必要なのか」「何と何を緩衝し、何から何を守っているのか」、ここがピンとこなかったようです。実にもっともなことです。公害垂れ流しだから工業開発は反対だ、と反対運動は起きましたが、もう公害とは何だったのか、というほど、時代は変わりつつあります。お昼は、始点の遠浅に戻って食事。コモンズ林業の成果の薪を見ながら、そしてうるさかった蚊を避けながら、コモンズのフィールドの面白さ、手応えを少し感じ取ってもらえたのであれば幸い。一行はそれから厚真に向かいました。

9/10 二十四節気の白露
今日は、日中28℃もありましたが、明日の朝は15℃、明後日の朝は12℃。今日は二十四節気の白露です。致知出版社・小笠原節子さんのメッセージ。そろそろ、朝夕、露を結ぶ頃。きのこはいったん休止の様子。

9/9 人間学と実語教
先日、昵懇(じっこん)にしていただいている社会学の先生男女お三方と食事する機会があって、先生方は近年の若い人の基礎能力の低下とA I などをゆゆしき問題として話題にされました。A I に至ってはもはや考える必要がないほど器機任せで、考える力の衰えも深刻なもののようでした。同時に、人間としての道徳や基本的な考え方の後退も目に余るようです。わたしは幼児からの実語教や寺子屋レッスンのテキスト(写真)に注目していて、時々読み返して現代における意味を反芻することがあります。簡単にいってしまうと、現代は知育偏重で人間学を置いてきぼりにし、人間として不可欠な羅針盤が身近になくなったのです。これでは迷走するのは無理がありません。人生は楽ではないのです。
さて、これらに関する多くの著書をものにしている齋藤孝氏の「寺子屋の人生訓451」の書籍紹介にはこんな風に書かれています。

《羅針盤のような人生訓が満載の現代版徳育書
「近代日本人の礎をつくったのは、実は明治の教育以前の江戸の徳育だった。その寺子屋の道徳教科書として使われた『金言童子教』。これは和漢の教訓句451編に和文の注釈を施したもので、金言格言を一般化させる原動力ともなった書物である。また、その句は、現代においても広く引用されている。たとえば、「良薬雖苦口 用病必在利(良薬は口に苦しと雖も、病に用いて必ず利在り)」「子不教父過 学不成子罪(子に教えざるは父の過ち、学の成らざるは子の罪)」などがその一部である。現在、日本は、基礎学力の低下とともに「道徳力の低下」が問題視されるが、江戸の教育=寺子屋教育では、読み書きそろばんと同時に、「道徳」と「礼儀作法」を重視しており、「人間教育」という面ではいまよりも圧倒的に優れていた。
・・・」
先生方にすれば今さら「実語教」は現実的ではないとお考えになったと思いますが、この理想と現実の乖離を埋める妙案はほかになかなか見つかりそうもありません。斎藤孝氏らが個人塾で実践しているしか方法がないのでしょうか。「ほっかいどう学」の普及のため小学校の先生がたとやり取りする機会が先日までありましたが、学習指導要綱に新しいことを組み込むのは至難だと語っていました。やはり志のある一部の人を頼るしかないようでした。

9/7 臀筋痛がストレッチをやめてスーパー改善、ストレッチ信仰の誤り

午後一番、霧雨の研究林に出向いてこの前の林道を歩いてきた。ゴジュウカラのその後がどうも気がかりだったからである。誰かが気づいて放鳥してくれたか、自力ではずしたか、はたまたキツネなどの餌食になったか、真相はわからないが、地面にもネットにも跡形もなかった。ことは自然に推移したということになる。どう転んでもそれが自然というもののながれであり定めである。上空をキョロロロとクマゲラが飛んでいった。ドロノキの落ち葉はさらに増えた。芝生の緑は相変わらずそのままだ。
駐車場から往復の歩行距離は1.5kmだった。この距離だと左の股関節はまだ痛み始めていない。一方、いつもの坐骨神経痛は、固まって睡眠をとるのが悪いのではないかと思い付き、睡眠時無呼吸のC-PAP治療を朝方は外し、寝返りをもっと打つようにした。敷布団を堅いマットに替え、かつ、20年以上毎朝努めてきたヨガ・アサナ(ストレッチ)を思い切ってやめてみた。山仕事仲間のOさんの「ストレッチは坐骨神経痛に良くないようだ」という経験談にヒントを得たものだ。試行錯誤を徹底し、やれることはやってみる。白秋期を豊かに生きるための試みである。結果は効果てき面、痛みが消えつつある。
もう10週目になる整体治療とセルフケアの効果も出始めたのかもしれない。だとすると、一般に言われていることと治療方向が逆ということになる。起きがけから始まる歩けないような痛みが、思い込みと無知、不作為で、毎朝、繰り返したストレッチで、ぶり返していたことになる。誠におめでたい話だが、ストレッチ信仰とお別れになるかもしれない。


9/5 気になるゴジューカラ

この頃、というのはここ4,5年のことですが、色々な小鳥が自宅周りに来ているような気がします。一時、スズメがいないと騒がれましたが昨今は朝一番に聞こえる声の主。ちょっと目立つのはシジュウカラやセキレイ。ややうるさいけれどもうれしいのはカササギ。ヒヨドリも来ます。先日はヤマガラも見かけました。オンコとレンギョウしかない庭なのです。やがて晩秋にかけて、レンジャクとツグミなどもくるでしょう。
話は変わりますが、先日の研究林の帰り道の林道でゴジュウカラを見つけてズームで撮ったのが上の写真です。が、パソコンで見ていてどうも足がネットに絡まっているように見えます。右足がお尻の方で浮いている。思い出せば妙に動かない感じがしました。現地ではよく見ると首は動いているので、ま、いいか、とこの場を去りました。直近まで寄って、飛んで行かれた記憶もよくあったからです。
気になることというのは、この日も餌付けが全く普通になっていること。シマリスをとっていたカメラマンはヒマワリで餌付けしており、掌のヒマワリにもヤマガラがきていました。そういえば林道のあちこちにヒマワリの殻が落ちています。普通、8月は鳥も虫に夢中と思いきや、どんどん寄ってきていたのは驚きです。先のゴジュウカラも、心なしか標準タイプよりずっとメタボ状態に見えました。白状すると、冬の手載せはわたしも密かな楽しみで来苫した人の接客に案内したこともありますが、ここへきて罪悪感を感じてしまいます。池でカモにパンをやる人も絶えません。養老孟子氏はペットは自然の代償と言いますが、野鳥の餌付けは、一見、自然への過剰侵入かもしれないなあ、と自戒の念が湧いてきます。


9/2 都市林を歩く

針葉樹の暗がりは少し荘厳な趣がある       せせらぎや、よし

気を発するヤマグワの前で記念撮影      アワダチソウが芝地の縁まで押し寄せている
月曜の昼下がり、池のほとりに車を止めて、幌別川の対面の林道を北上し、川沿いの小路にそれたり戻ったり。夏の緑のオーラのようなものを感じます。家内は落ち葉を見つけて「もう秋?」と聞く。「ドロノキはちょっと落葉が早いんだ」とわたし。葉が色づいた広葉樹はさすがにまだ見つからない。
カメラを持った人3,4人、ジョギング1名、ペアのウォーキング3カップル。なじみの径を3kmほど巡って池に戻ると、うしろから「草苅さ~ん」と声がかかった。振り向けばなつかしい市役所のOBがお二人、ベンチでカモとやり取りしていました。その後の消息や鳥の話などでしばし歓談後、帰宅。
身近に広く整備された都市林を持つ幸せ、というのも間違いなくあります。

■8/31 イザベラ・バードの勇払原野寸描


ある依頼原稿のために、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を久しぶりに開き、勇払原野がどう描かれているのか、再確認してみました。明治10年ころ目的地・平取に向かう海岸線の径の途次で、「荒れ果てた淋しさがこれ以上先にはあるまいと思われるような、地の果て」の感じだと書く一方、「わたしの心をひどく魅了したので、もう一度来たい」とも記しています。そしてわたしは次のこの表現に惹かれます。「その魅力は、この土地の持っているものよりも持っていないものに」あるというのですが、見えた風土が空以外は山と森と原野だけのシンプルなものだったはず(写真右)で、それが良いと言っているのです。バードの目に映ったこの3つの風景構成要素は、奇しくも地元神社が祭る三神そのもので、わたしはバードがここで勇払原野の産土(うぶすな)と出会ったのではないかとひそかに想像します。写真右は勇払原野のハスカップ・サンクチュアリからのもので、明治の風景に送電線とゴミ処理施設が加わっても、実は驚くような迫力があります。パワースポットとかスピリチャルなポイントというのはこんな場所をいうのでしょう。バードの通過から100年余りたって、不肖わたくしが20代のころ、バードが歩いた原野のほぼ直近で似たような神秘体験をしました。それはその後の運命を決めたようなものでした。


8/28 半世紀前の寮生活「青年寄宿舎」をふと思い出して

明治の終わりごろ、札幌に住む学生の寮が不足していた時代に自発的に生まれた寮、青年寄宿舎。北大の私設寮の草分け的存在で、敬虔なクリスチャンだった宮部金吾先生がほどなく運営の先頭にたって「禁酒禁煙」の舎是を建てて以来、切磋琢磨の学生生活が真摯に営まれてきました(その様子はOBたちが発刊した「宮部金吾と舎生たち」に詳しい)。賄いのおばさんの給与や暖房の石炭代も自賄いする、その自律的寄宿舎に私が丸々4年お世話になってもう半世紀になりますが、この頃になって、そこには、いもこじ式のどさくさと、若者らしい人間模様と、そして特有の生意気さと、いっぱしの悩みと、純真な一途さとがごっちゃになった、職を得る前の貴重な時間だったことが思い起こされます。先週、ある新聞記者の方と舎の経過を話したり、その翌日には舎のOB会の案内が届いたりした偶然のためでもありました。管理を手伝っているホームページなどを改めて読み直してみると、私利私欲を超えた宮部先生の教育者としての気高い導きなど、人の生きる道を示されていたという厳粛な気持ちになります。これはジワジワ、そしてズシリときます。イモヅル式に色々な思い出が頭を駆け巡ったため、雨の日の夕方、ちょっとしたためてみました。
火の気のない部屋に学生4人で寝ていたなど、今では考えられないことです(写真左は旧舎、右はその間取り)。

8/27 処暑を過ぎて

二十四節気では23日が処暑、暑さは和らぐという日でした。昨日の朝5時は温度計が12℃を指していましたから、まさにぴったりの感がありました。処暑に限らず、二十四節気は実に正しく季節感を示す、と感心することしきりで、立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・・・と全部を暗記するに至りました。これにさらに細分した七十二候を加えれば、おそらく、ちょっとした寒暖差などは誤差のうち、と思えるほど正確な季節の刻みになるのではないか。それにしても過ごしやすい温度です。あとひと月もすれば朝は暖がほしくなります。

8/25 露地の木は必ず腐り、生き物の棲みかになり、人のケガレチになったり

前シーズンの間伐材をすべて薪用に割り終えた。相前後して、薪ヤードの土ソリの周りの材も処理した。まず、ソリの上に残してあった異形の薪は2回に分けてマイカーで自宅に搬出済み。焚き付け用にストックされていた長材は ヨッコ。土ソリ脇で腐れ始めた切れ端は、5回に分けて林の中に戻した。このごろ、痛感することは、形のあるものは壊れる、生まれたものはいずれ死ぬ、生きている木はそのままでは腐るということ。人もモノも組織も、この法則から逃れることができない。そしてこの腐れの環境をあたらしい住みかとする生き物が棲みつく。そして消費して消える。しかし、その過程をそのままにしておけば、今度は人の環境としてはケガレチになって人は忌避してよりつかなくなる。写真右は、長雨で木口に黒カビが生えた薪。材質は変わらないのに、見かけは雲泥の差。

8/21 時計台サロンで、ハスカップの今と将来を語る

8/20の夕方6時、時計台サロン第51回「世界が注目。Haskap」と題する講演会が開催され、参加者98名、事務局20名ほど。わたしと鈴木先生が45分ずつ講演し、各々のあと5,6件に及ぶ質疑を交え盛況のうちに8時過ぎ終了。持参した新刊6冊は早々に完売。事務局との懇親会では、主催者側からいくつか宿題を渡され、少し重たい気分で深夜に帰宅。

■8/19 今年のヒグマ情報 
(8/15現在、苫小牧市HP)
今年もヒグマ情報が相次ぎました。近年の目撃情報の場所と推移から言えば、苫東(地図ではほぼ線路に囲まれた右下部分)には冬を除いて4月ころから11月ころまでヒグマと一緒に暮らしていると覚悟すべきでしょう。苫東に限れば、体調1m前後の個体と親子連れがいたことは確実で、さらにこのほかにも来ている可能性があります。また、安平町の遠浅でも4月24日に確認されていて、これは前日に静川の橋で見つかったものと同一の可能性もあります。もしそうであれば、遠浅界隈は厚真の三菱の山からやってくる別群だとしたわたしの思い込みは撤回すしなければなりません。
いずれにしろ、これからは出かけるところ、ヒグマは居る、と覚悟が必要で、ひとりだけの作業やフットパス歩きなどは、出会いがしらの事故が起きないように注意する必要があります。支笏湖方面と日高・穂別方面をつなぐコリドーを動物との共有空間(コモンズ)として本格的に考える時期ではないでしょうか。昨日は遠浅の山林と静川の小屋に行きましたが、人間は誰もおらずヒグマと一緒の気配は濃厚でした。しかし、200m先まで見通せる間伐の成果で、恐怖はあまりないものです。今日は、気温20℃。





■8/17 ポニー馬搬で手伝ってくれた tutui さんはディープのケア担当者だった


NHKの北海道クローズアップで、ディープインパクトの特集を見ていましたら、なつかしい方のお顔が(右)。先日死んだディープインパクトを種馬として世話していたノーザンファーム関係の tutui さんです。今から6年以上前の平成25年の冬、リトルボーイや黒霧島といった馬搬用ポニー3頭を引き連れ、2度にわたって薪材の搬出を手伝ってくれたのでした(写真左上。中央が tutui さん、右端は長男) 大島山林で前後数回お会いして馬の扱い方や装備、そして事前のもろもろの準備を身近に拝見しましたが、生き物に対する思いやりの深さにジンときたものです。馬が大好きで大事にするご子息も奥さんも一緒に来てくれ、実にいい時間でした。1回目は2月10日
2回目は3月17日でした。氏はその後、ファーム内の社宅に引っ越したため、朝晩やっていた大島山林フットパスのポニーの負荷訓練はそこで途絶えました。


■8/15 「時計台サロン」で自生ハスカップの現状と新刊を紹介

チラシに気づかずご連絡が遅れました。新年早々のオファーでしたので、「ハスカップとわたし」の本が十分間に合いました。簡単にこちらのご紹介もしてきます。数人から「北海道新聞で記事見たよ」、とご一報をいただき、,どれどれ、とネットからチラシを見つけに行きました。完全、アトサキです。(-_-;) 北大の農学研究室の主催、道新共催。北大の正式案内はこちら



■8/14 薪ストーブが人を惹きつけるわけ

わたしの周りには、たき火や薪ストーブの経験豊富な人が多いですが、実際に薪ストーブのある暮らしに移行するには実はなかなか壁があって、憧れに留まっている場合も少なくありません。で、次のメッセージはその辺の憧れの具合をうまく表現しており、激しく同意しました。

「薪ストーブが焚きたくて寒い山に来た」自然派作家田淵義雄の自給自足田園生活は、薪ストーブとともに始まった。ひとり山で木を切り、森の家に運び、丸太を割り、薪を積み上げる。薪ストーブは6回体を温めてくれる。9年間の山暮らしを6台ものストーブと遊んだ。居間にも台所にも、木工室にも薪ストーブが燃えている。そしてストーブの灰は、菜園の堆肥場で眠り、有機栽培の野菜やハーブを育てていく。薪ストーブを中心とした、彼のエコロジカリーな田園生活…。
そして、アメリカ北東部ニューイングランド地方にあるアメリカ最大の薪ストーブ鋳鉄会社、バーモント・キャスティングスのスタッフたち。彼らもまた、薪ストーブの魔法の虜になってしまったエコロジストたちだ。雪どけに浮かれている春も、フライフィッシングを楽しんでいる夏も、ズッキーニのピクルス作りに明け暮れている秋も、“生き生きとした自然の火”を忘れない。
それにしても、これほどまでに人を夢中にさせる薪ストーブにはどんな魅力があるのか。セントラルジャパンの寒山に住むストーブの達人と、一年中ストーブにふりまわされているバーモントの幸せな薪焚き人の共作による、この“薪ストーブの本”がその魅力の秘密を今…。   
~上記本の表紙扉裏の紹介から~


■8/11 薪の断面

霧雨の中、あまたの薪を割りながら、その生い立ちを想像。
(2019/08/11) 割ってみてわかる丸太の経歴というものがあります。写真のようなこじれた樹木こそ、勇払原野の自然の性格を表わしている、と考えるので、わたしは普通は捨てられる運命のこのような不良薪をコツコツ集めて軒下に積んでいます。また、先日は材質が赤みが混じったものを見つけました(写真右)。ハルニレかアサダかと思うのですが、何かわかりません。今年、若干薪にしたアカエゾマツも薪ストーブでどんなふうに燃えるのか、今から愉しみ。


■8/10 伸びて、小世界、創る



去年の年末に埋めた、冷凍ハスカップの実と、林道で拾ったドングリが、ずいぶん大きくなっています。原野のハスカップはしばしば8月に入ると葉っぱが枯れ始めるのですが、不思議なことに、書斎の窓辺にある病気でもないハスカップの葉っぱの外縁も、8月の声を聴く頃に枯れ始めました。ドングリとハスカップ。簡単に芽が出るこれらのタネを、鉢に入れて育ててみるのは、なにか環境の共有のような感じがする。親しい人に勇払原野をプレゼントする思いを込めて、秋になったら鉢植えを作ってみようか。小さな勇払原野が再現されるのは、意外と大きな喜びを伴います。

■8/8 生き物にとっては盛夏、でも、もう立秋



今日はこの1か月で最も坐骨神経痛の痛みが少ない。整体スタジオの下での処方が当たっているのだろうか。そしてそれに基づくセルフケアが功を奏しているのだろうか。もっと積極的に、この若い施術士をPRや推薦するときがもうすぐくる可能性も出てきた。
若先生「今日は、午前中、何、なさってたんですか?」 わたし「地域活動で雑木林の手入れなどをしていて、今朝は昼前に雨が降り出すまでブッシュカッターで刈り払いです」 若先生「へええ、場所はどこなんですか?」 わたし「いくつかあるんだけど、今日は苫小牧の東はずれ、厚真町との境界あたり。ブッシュカッターはちょっと腰には悪いんだけど休み休み、、」 ……手わざを施してもらいながら、いつもこんな他愛無い話をしつつ、でも確実に良くなっているような気がする。腰の筋肉をプヨプヨにする、と若先生は言うので、なんとなく思い当たるところもあって、教えられたセルフケアを守り、自分流にスワイショウと外丹霊動功という気功を取り入れている。カルシウムで堅くなっていると指摘されたあたりを、自宅で3日前から揉み始めた。痛痒い感覚があり、おとといからお尻が腫れ始めた。腫れ始めて痛みは逆に軽減。これは過去にも経験したわたし風の改善傾向のシグナルである。
雑木林は生き物勢揃いの盛夏、暦は立秋、自宅周りでは赤とんぼが先週出始めた。

■8/5 清流に赴き、ヤマメふたつ



先月に続いて白老の川に出かけてみた。里に近いところとはいってもクマも徘徊するエリアで緊張感はないわけではない。熱中するとすべてを忘れるから、神経をフライに集中しつつも、五感を使いながら時々周囲も見渡す。ロッドを振って3投目に、美しいヤマメがヒットした。そのあと、もうひとつ。いい形を二つ見て1時間で帰途につく。
帰り道、白老町が管理する萩の里公園で6年前に皆伐された再生試験地を覗いてみた。高さ10m近くになるホオノキなど、防シカネットに囲まれて順調な再生ぶりだ。
ここは蚊が多くてTシャツ姿の腕がボコボコ。

■8/3 地域の森林に関する法律が動き出して、さて

世間には新聞やテレビで華々しく扱われて国会で大騒ぎをしている間に決まってしまう大事な法律がよくあります。最近では、種子法の改正や水道の民営化、それに外国人の移民に関するいわゆる入管法改正など。新聞やテレビは見ない、信じない国民が増えて「新聞は病である」という本も出てよく読まれている昨今です。すべては、憲法改正を唱えるアベが悪いという叫びも相変わらず報道される反面、メディアの意図とは相反して、国益を考えればはてどうなのか、という国民が圧倒的に多いのも現実です。わたしは先のいくつかの法律が議論もろくされないまま通ってしまったことに不安を抱くものの一人で、その背後に省庁のうごめく思惑、それが本当の国の動きであり、そこにコミットする必要がある。

森林経営管理法
も昨年国会を通過し今年の4月1日にスタートしました。耳を澄ますと、土地の所有という私権に踏み込む大仕掛けな法律だけに、実施は難航し、自治体も動きは鈍いだろうという声が聞こえます。しかし、わたしが見るところ私的な所有権は揺れ始めていて、土地は誰のものだろうか、という根本的な問題提起が底流れとして普通に行われる可能性も出てきているように思われます。逆に2024年に終わる復興特別税という財源をみすみす終わらせないで、森林環境税に振り替えるという財源有効活用策を優先してストーリーが組まれているのではないか。未活用、未解決の林業側の、一種の便乗です。林業が未発達だと、道庁と大学だけがテーマが増えて安泰、そんな構図から一歩も踏み出せないまま続くのでしょうか。


7/31 安心?!、田淵義雄氏も「木口が黒くカビた薪」使用を発見

時間ができたので、薪づくりや薪のある暮らし、林の扱い方などに特化して、いろいろ目を通しています。何とも贅沢な時間です。写真左、ヘンリー・デービッド・ソロー(古典的名著とも呼ばれる「森の生活」の著者)に心酔する田淵義雄氏の著作も本棚から取り出し心躍らせて読み直し。田舎暮らしの先達で、薪ストーブや薪のある暮らしではカリスマ級の経験知と蘊蓄、そしてフライフィッシングに精通している。わたしより7つ上のB型人間。と、その中の1ページに上右の写真を発見しました。この薪小屋の薪に、実はわたしたちが昨今忌避しようとしている「木口の黒くサビた薪」がかなり散見されるのです。

あ、これは良かった、と胸をなでおろすと同時に、そうだよな、雨が降れば蒸れてカビも生えるよね、と急に寛容な気持ちが芽生えました。お嬢様じゃあるまいし、この自然に親しみを覚えない人は、我々の薪生産の客じゃない、と割り切ろうという気になってきました。先達はありがたい。しこうして、めでたし。


7/29 3週間ぶりに晴れた雑木林、蚊おらず


本当に久々に青空を見た。急激に温度が上がるとこのあたりの現象として、ナニモノかが飛び始めそれをカモメの大群が空中キャッチする。そんな日だった。また、夕方、ベランダでビール片手に空を見上げていると、千歳空港発の飛行機がみんな西に向かって飛んでいく。なんなのだと思っていて思いついたのは、熱帯低気圧。三陸沖あたりに余波があるだろう、あの辺を避けているのだろうか。ちょっとこころ温まる話は、退職の挨拶状に対してずいぶんメッセージをいただいたこと。益々ありがたい気持ちで内心再び感謝申し上げた。雑木林もそこそこ暑かった。フットパスを刈りながら、先日書いたサインに、クマ情報を書き足した。クマは帰ったみたい、と。どうせこの時期人は来ないのだけど。
■7/27 インナーマッスルをほぐして坐骨神経痛を「治そう


近年来の坐骨神経痛が定年前後から急速に悪化して、起床時から、イタタタタの状態。整形外科では治せないというし鎮痛剤は効くけどこわいし、カイロやマッサージは一時避難に過ぎないし、と調べていたらすぐ近くに今評判の整体スタジオが見つかり通っています。「腰方形筋」というインナーマッスルを軽く少しずつほぐす治療の3回目が終わったところ。これまでセルフマッサージをしていてうすうす気づいていた堅いもの(筋)がそれのようで、これを100時間かけてプヨプヨにする予定。施術士とともに「治す」、という目標をたて、個人的にこの筋をほぐすためにスワイショウという気功を加えます。外丹霊動功も合わせるつもりだから、定年後の生活はさながら神経痛の養生モードになってきました。しかしこれを直しておかないと薪ストーブの暮らしも成立しないし旅行もフライフィッシングもお預けになってしまいますから真剣です。ここはひとつ賭けてみるつもり。

■7/25 苫東緑地の扱いに関するレポート3冊



当NPOはこれまで勇払原野にある苫東の樹林地の扱い方について、土地所有者から三回調査を依頼され、その都度、報告書をまとめましたが、調査従事者以外の多くの会員の目には触れる機会がほとんどありませんでした。この年明けに、広葉樹林の間伐と萌芽状況に関する3つ目のレポートを提出する際に、これは会員同士で議論するための内部資料として冊子化しようということにしました。そして出来上がったのが上の3部作です。
特に3冊目は、NPO苫東コモンズが総力で関わったシカの食害試験と、今後の密度調整の頻度などにも言及した重要な提言をしていることから、民間のネットワークと行政の支援なども得ながら議論を深めて、勇払原野の苫東緑地における広葉樹林の扱いについて、適切な指針にたどり着きたいところです。特定のローカルな現場を目の前において利活用しながら考察するのは、ある種、地域活動するものの何ものにも代えがたい醍醐味ではないでしょうか。


■7/24 Google Earth にシカ食害試験地をはっきり確認


広葉樹林の小面積皆伐を考えながら Google Earth をみていたところ、なんと、大島山林のシカの食害試験地がバッチリ出ていました。30m四方の試験地ですが、大木が風倒木になった際などは、このサイズの小面積皆伐になるでしょう、そしてある程度の材積が産出され、萌芽更新と実生の更新が活発になる・・・、このスケール感覚がこれでよくわかります。写真右下の試験地の斜め上の白い部分はドロノキ大木3本組。それを結んだ線の左(西)にある空地は作業テント。ドロノキやテントエリアの小面積皆伐なら、上空からも全く違和感がなさそう。


■7/23 紙の街の小さな新聞「ひらく」の好発進、好展開

元地元紙の記者だった山田香織さんが発行する「ひらく」が貴重な発信を続けています。教育から文化、環境など、苫小牧の各分野のテーマを、記者の目でじっくり掘り下げ、足も目もネットワークも駆使して、既存の商業誌では描ききれない密度ある特集記事を毎号提供しています。
 16号の6月20日号と17号の7月20日号の特集は「郷土の至宝ハスカップ (上/下)」で、定番の風物詩的扱いを数歩踏み越えて読み応えのある記事になっています。ちょうど「ハスカップとわたし」が発刊された直後でもあり、紹介のページを割いて、加えて社会的で多面的なハスカップへの視点も共通しています。
いずれ、PDFでNPOの報道記事に収録したいと思っています。
やってみました。 6月号 & 7月号   すみません、天地が逆ですのでブラウザで補正してください (^_-)-☆

■7/20 やや時期遅れだったはずのハスカップ摘み

恒例のハスカップ摘みに27人。7月20日といえば、平年はハスカップが頭から消える頃。それが今年は残り物に「福」あり。このハスカップを山菜と意識すれば、これから山菜は、コクワ、ヤマブドウを経てキノコへ。写真提供はバーバラさん、詳細は「雑木林だより 105」をご覧ください。



■7/16 白老川にて

雑木林や庭だけでなく時にはフライや料理の研究もしなくては。今季2回目のフライは白老川本流へ。水温13度で霧雨。2時から3時までの1時間、シンコのヤマメが2度顔を見せただけで終わった。前回のフライ釣行は、日本海のアメマスだった。「3/22 ロッドを振らないフライフィッシャー530km走る」で紹介した通り、この時は乙部町営「光林荘」でひとりプチ宴を張っただけで終わった。毎日が釣り日和となっても、釣れない釣りは、釣れない理由にきびしく自覚的でないと、特にフライの場合はヒットがまぐれになってしまう。これからは目が見えて足腰が大丈夫なら、週一は出かけよう。水温があと3℃上がればヤマメは活性化するはず。

■7/16 簡単なチェンソー研ぎツール
こんな記事があります。ただ仕組みがわからない。いずれ、もう少し情報を得たら試したい。

■7/14 江別の錦山天満宮と屯田資料館

骨董が趣味の妻が、江別は錦山天満宮の骨董市に行きたいというのでお供しました。明治18年ごろ、入植した屯田兵が熊本の鏡山神社からうけた加藤清正の分霊を守護神としてを祀ったという。その後昭和48年、菅原道真公を祀るようになって神社から天満宮に改名したらしい。わたしは骨董市はそこそこに、となりにある屯田兵資料館をうかがい、年配の男性ガイドの方に、マンツーマンで野幌の屯田兵について伺った。質素なジオラマが、逆に開拓時の様子をいろいろ想像させた。時同じくして繁華街では陶器市も催されていて満員のシャトルバスが往来していた。普段は目立たない江別、その歴史と文化の匂いをかいだ数時間だった。
聞いたこと、本で学んだことなどがモロモロがつながって突如理解が始まることがありますが、歴史の縦糸と場所や関係の横糸がうまく折り合いができてくる時は、幸い。

■7/12 生涯現役で学習
勤めから自由になって10日、予想した通り文字どおりの「極楽」です。早速ハローワークに顔を出すと、同じく定年後再雇用となった担当の方が、半ば、同期のような親しさで「生涯現役をめざしたいものですね」とおっしゃる。まさに、です。
一方、オーナー林として預かっている雑木林から6/12に運んだ成果物の丸太を、昨日、ようやく薪にし終えた。これで一年分、十分確保できた模様です。これも生涯の仕事になりそう。また、雑誌「致知」で小堀佳一郎氏の万葉集に関する寄稿を読んで、万葉集がぐんと近くなってきました。詠み人の境遇や背景が大まかにわかりやすく解説されているからです。並行して読み進んでいる中西進氏の「万葉の秀歌」を読み進むのが待ち遠しくなります。
先達というのは誠にありがたいものです。

■7/10 初夏の山菜「サンショウ」

スドキやコシアブラが春の最後の山菜だったとすれば、ハスカップとこのサンショウは、さしずめ初夏の山菜。豊川町の自宅にほど近い裏山と称する雑木林に、一年ぶりになりますがサンショウの実を採取に出かけました。現地はもう人も来ないのか、わたしが刈り払いをしていたころとはまるで様相が違っていて、迷いました。でも10分間の収穫は写真の通り。家で実の軸をとって洗い、塩水で1分ほど煮てアクだしをして一晩水に漬けてから、明日、つくだ煮にする予定。



■7/8 薪の顔


薪は割ってみると、材の内側に枝を巻き込んだりした過去の履歴が潜んでいたことがわかる。意外とスンナリ、スクスク育った木の方が少ないかもしれない。また、大木の根元は、数トンもの重量を支えるために堅くならざるを得ない。そんなこんなで、薪を割ることは一筋縄にはいかない。
一方、積んだ薪をこうして眺めていると、この林の過去、種類の交じり具合などが彷彿として見飽きない
驚くべきことは、今年の薪(外積み14棚、小屋12棚)のほとんどは平成30年夏の風倒木を処理したものだということ。本来なら放置されていたものである。


■7/6 鈴なりはハスカップのサガだった

時節柄、ハスカップに触れる機会が増えています。7/6も厚真方面の農園など巡りました。鈴なり状態のハスカップを見るのは、ある種、気持ちのいいものです。

■7/4 勇払原野で自生ハスカップを摘む

いよいよハスカップシーズンの到来です。5月の末の花の時期に来てみると、例年より花数は少ない印象でしたが、いえいえ、実の数は平年並みのようです。ただ本物の原野は実がさすがに小さい。いつも思うことですが、原野に自生するハスカップはうまい!甘みを強調したとされる栽培物よりおいしいと思うのはわたしだけか? 今日は、メンバーのinaba さんを誘って、動画撮影のモデルになってもらいました。そして棒の先にデジカメを載せてドローン風の画像を撮ってみました。また今日はちょっとうれしい発見がありました。
7/5、湿原の動画も追加しました。


■6/29-30 森づくり研修と勇払原野シンポ

退職の翌日、NPO恒例の一泊2日の森づくり研修のため岩見沢と三笠へ。翌日曜日の昼前には研修を抜け出し三笠から苫小牧へ戻って、勇払原野の河道内調整地のラムサール条約登録申請に向けたシンポへ。いずれもいろいろ考えさせられるい催しでした。
個人的な感想をたっぷり書き込んだレポートはこちら


■6/28 リタイヤ、67歳8か月、札幌通勤21年
いわゆる定年というものがかくも明確な区切り感覚があるとは、知りませんでした。しかし、思えば当然のことです。人々の勤めというのは胸が膨れるときばかりでなく、苦悶・呻吟の不遇の日もあります。モロモロを飲み込んで、なおかつ、結果、「積極心」で「悦働」の日々を多く送れたことに、あらためて深く感謝するものです。ありがとうございました。わたしはこれからより自覚的に「白秋期」を生きて参ります。

■6/26 地方という考え方

都市データパック(東洋経済)はわたしにとって全国の都市の勢いを見るのに便利な物差しですが、新しくなった2019版は値段が3倍になり(約19,000円)サイズも拡大され、そしてどうも地方の描き方もあれっという、地方のランクアップみたいな印象があります。「これなら地方に住むべし」と思わせるバイアスというか、とにかく地方のこんな自治体がこんなに充実しているという指標が一杯出てきます。ざっと見ると、富山県や石川県の自治体が目立ちますが、かつては苫小牧も市民一人当たりの緑地面積の多さが快適指標を押し上げ、北海道で一番快適、などという結果が出て首をかしげたものでした。が、やがて因子選びの改善があって、恵庭や北広島などにとってかわりました。
さて、今回の驚きは住みやすさのランキング。上位には北海道は全く顔を出さないので、アレアレとずーーっと順位を追ってみていって、100番近くの99位に現れたのが、なんと、室蘭。住みやすさの指標となるだろう医療や大型店舗の一人当たり売り場面積、アクセス、気候、教育環境などが思い浮かびますが、指標の選び方でいくらでもランクが変わることは重々承知しつつも、これだけの指標の下ではこれだけ評価できる、という見方で見れば、なるほどと思わせます。データをまとめる視点の未完成さ、かつ、東京志向、大都市志向の見直しに一役買うかどうかをわきにおいても、人のしあわせってなんだっけ、みたいなことに久々に思いを馳せることになります。


■6/22 SNSのオフ会と庶民感覚

10年以上続いた中高年のSNS実験サイト「どっとねっと」のオフ会が、赤レンガそばの「全州屋」でありました。幹事は中心メンバーだったY子先生。当方も札幌通勤があと4,5回になって、少し忙しくなってきました。全州屋は初めてのお店でしたが、韓国の家庭料理風にアレンジされたコースで、春雨のチャプチェに始まり、ナムルなどをクレープに撒いて食べるクジョルパン(写真)、そしてプルコギなど、いずれも驚くようないい味でした。韓国人の奥さんがオーナー、旦那さんは大学の先生で、店で手伝いをしていました。政治と外交の世界では韓国とはもうおさらばしようとの論調も聞きますが、庶民の世界ではそんな壁もわだかまりもなく、おいしいものはおいしいと屈託がありません。
ところでオフ会は初老の5名でした。道北や本州や九州の懐かしいメンバーに携帯でつなぎ、おのおの震災後の安否やその後の健康などで交歓。思えばSNSの交信の間には他人を批判する人も場を荒らす人もいてエピソードは尽きません。すでに物故者もいて、悲喜こもごもの10余年の話はまさに人生模様。学習塾をひとりで経営していた江別のOさんは、多いときは年収2000万円だったと驚くような話をぼそりと言います。それは想像もつきませんでした。
で、自分はしっかり貯金してきた、政治家やマスコミは何を今更、老後の貯金に驚くのだ、とも。



■6/20 「気」のヤマグワがなくなった

今日は代休だったので、通院の帰りに町内の緑道「木漏れ日の径」を通って遠回りして家路についたところ、気を発するあのヤマグワ(写真)がありません。隣にあったハスカップの畑は駐車場に。なんてことだ。散歩の大きな楽しみがひとつ消えた。誰も来ないことを見計らって、しばしば背を凭れて深呼吸していたものだった。わたしだけの癒しのパワースポットだった・・・。
根元を見ると直径50㎝あまりの切り株の中心部は空洞で、外周だけで40ほどの年輪が読めました。中心ほど目が細かったから、推定年齢は80年プラスアルファ。風で幹折れでもしたのでしょうか。惜しい大木でした。町内にヤマグワの大木を惜しんでいる人はいないものでしょうか。もしできたら、話ははずんだはず。


■6/15 コモンズの人気者 seki ちゃんが刈る

ぐんぐん伸びる林道の草。その刈り払いに、強力な助っ人が登場しました。遠浅町内会のseki ちゃんです。仕事は丁寧で、仕上がりもきれい。孤独も愛する、いや嫌がらない男

■6/14 FM Air -Gでハスカップと新刊を語る

中西出版からの発刊がご縁で、FM出演の運びとなりました。詳細はこちらから。


■6/12 シャープな新刊記事を掲載  ~地元紙・苫小牧民報~

苫小牧民報さんが新刊の記事を掲載しました。「ハスカップ・イニシアチブ」という市民には耳慣れない言葉も紹介する、かなりシャープな記事になっています。記事のサイズが大きいためにpdfはまだアップできませんが、これはいずれ。・・・・⇒
と、書いて間もなく、PDFが届きました。(^_-)-☆


■6/9 新刊「ハスカップとわたし」の反応
3月末に初刷りを手にし書店の店頭に並んで約2か月、関係者への寄贈を終えて早1か月ほどになりますが、色々な方々からメールやお手紙が届きました。じっくり読んでくれた方々も少なからずいらっしゃって、思いのこもった内容に目を見張ります。特に印象深かったのは大学や道の研究所・試験場のスタッフとしてハスカップに関わった人たちが、ハスカップの社会的背景が初めて分かったと書かれていることです。謎の多い自生種で、作物、開発と保護、商品開発など多面性を持つハスカップを、市民サイドを巻き込んで色々な角度から眺めることができ、それを問題提起できるのは、栽培の美唄や厚真ではなく、やはり勇払原野のおひざ元、苫小牧でしかありえなかった、というのが、編著者の今の偽らざる思いであります。

■6/9 勤め人生活を終える
43年余り続いたサラリーマン生活も、実働であと10日を切ることになりました。人間不思議なもので、やめるとなると一日でも早く辞めたいもので、子供の頃の運動会や遠足のように、その日が来るのを指折り数えるような心境にもなります。当然、何度も振り返るわけですが、お世話になった方々や機関、サークル、恩師、同僚、エポック的な数々の出来事などを書き連ねてみると、白い紙が瞬く間に一杯になってきます。文字通りの山あり谷あり、順風と逆風、喜びと失意、喜怒哀楽と悲喜こもごも、やはり、人間の人生って、さまざまあって、いいなあ、と思います。丁度、石ノ森章太郎の「トキワ荘の青春」を読んでいたところなので、冒頭の赤塚不二夫やデビュー前の漫画家の卵たちが夢に胸膨らませ貧乏生活をしていた時代の話とダブって、そうだよな、人生っていいよな、と思っていたところでした。五木寛之氏がいう「実りの白秋期」、その見取り図を描いてみるという作業に、ここ数日取り掛かってみるつもりです。

■6/8 仕事の分担

メンバー11人、今日も様々な作業につきました。「老若男女」とひとまとめにすると、20代の「若さ」こそありませんが、色々な経歴、様々な出身地、そして異なる動機で寄り集まった人たちが、昼は一堂に会して会食。

6/5 本格的に「場所の気」が人を惹き付けるホテル


ちょっとした祝い事があって白老のとあるホテルに泊まりました。経営コンサルタントの船井幸雄氏がかつて、世界中の売れる観光地やホテルは強い磁場のようなものを持っている、と言いましたが、このホテルのロケーションはもともと独特の「気」を持っていて、注目していました。「必ず根強い人気が出る」。そして経営側は最近とみに、海の癒し、場の気を意識した広報をしているように見えます。上の写真は3階の部屋から見た眼下の浜辺、向こうは水平線で、夜中から朝にかけて、気持ち良い潮騒が聞こえ、1階のテラスでは存分に塩分を含んだ湿った風に当たるのもまたくつろぐものです。大地の懐に抱かれようといざなうポエムが素朴に描かれていて、泊り客はテレビのない客室と館内で、午後2時のチェックインから翌日昼11時のアウトまで、だらだらとだらしなく過ごします。平日ながら客室は満室、半分以上はアジアのインバウンド(おそらく、台湾)の個人客FITでした。心身が本当にくつろげる場所を見つけるのは稀ですが、まず感じることができればそれは才能のひとつ。写真下は海辺の風景を独占できる小スペース。海に抱かれよ、静かに力をもらおう、というメッセージがこめられている。

■6/1 薪を眺めつつフットパスなどを刈り始める、刈り残してナチュラル・アート



かつて、瀧澤紫織精神科医(代表理事)と「こころの森フォーラム2009」で、ナチュラルアートのプログラムを行ったことがありました。講師は東京在住でアートセラピーの西川直子さん。この頃、この言葉を使うことはめったになくなりましたが、6月の初日、積んだ薪を見ながら、そして刈り払いで特定の植物を刈り残してみて、この言葉が急に浮かんできました。
そうだ、われわれはアートセラピーをしているのではないか、と。2010年のフォーラムは白老で。NPO活動を始める前の、小さなイベントだったがとても人気があった。懐かしい。


■5/29 樹木葬考②と道ばた薪材

樹木葬の下の書き込みでは、ドイツの森からマチへ出る風景をアップしましたが、今日、緑深まる雑木林に行ってみたら(写真上)、こっちの方が物質循環や仏教的輪廻を彷彿とさせ、さすが日本の雑木林だ。個人的な好みで言えば荘厳なドイツ的針葉樹林より、わが勇払原野の雑木林に静かに眠って、土壌バクテリアに分解してほしい気がします。
今日はこの林道沿いに散在する風倒木や間伐の放置丸太を玉切りしました。商品には見えないよう、無造作に林床に捨ておき、再来週、トラックをレンタルして一気に自宅へ搬入の予定。タウンエーストラックの6時間料金は軽トラックと同じで5400円。これは使えそう。こうやって一年分の薪の燃料を集めることを、とりあえず「道ばたプチ林業」と呼んでおこうと思います。


■5/28 「こんな樹木葬で眠りたい」

上田裕文さんのこの本を読んでいます。森を墓にする国ドイツに学ぶ日本の樹木葬の新しいかたち、と帯にあります。近年、日本でも時々話題に上る人生の仕舞い方ですが、正確には死後の扱いです。わたしも旧知の釣り仲間の散骨のため、日本海の海岸に行ったことがありました。わたしも、好きな山野河海のフィールドに撒いてほしいな、という漠然とした願望を持ちます。散骨は合法ではないが違法でもないのでやろうと思えばできる。ただ、残された親族が個人との縁(よすが)をつなぐ場をどう設けるのか、しないのか。微妙に難しくまだ判断がつきません。やがては千の風になっていくのだから、と一定期間、散骨した樹木の根元にいずれは消える小さなプレートを張っておくというのもアングラ風でいいのですが、墓地埋葬法とのからみや管理や宗派の墓地の延長など、考え方の整理がつきません。地方で「墓じまい」が進む今、自分や家族のお墓をどうするのか、樹木葬は身近なテーマであるだけにこれから真剣に考えてみたいとスタートラインにつきました。同じ問題意識を持つ人々の「集い」もすでにあるので要チェックです。

写真はドイツ南部のある街のフットパスを歩く市民。整備された森が身近にあるドイツなどは、樹木葬も身近なようだ。墓を森にする日本式でなく、森を墓にしてしまう方向はもっと考えてみる余地がありそう。

■5/25 雑木林コモンズの新緑の動画撮り

今年は苫東コモンズがどういうものなのか、広く紹介する動画を作ってみようと企画しています。すでに積雪期からデジカメで動画撮りをしていますが、今回は雑木林の新緑が最も美しい5月下旬に、小さなドローンを使った撮影にチャレンジして見ました。写真は左下のスマホを画像のモニターとして、シンボルツリーの上空までドローンを揚げようとしているところ。昼前、苫東コモンズの雑木林の林道で新緑を眺めながら、流れる風景を手持ちのデジカメで撮影(you tubeにアップ)

■5/24 素敵なものなら置いてみようか

「庭の花飾りはしないよ」と家人に宣言しながら、毎年、春の花がなくなった頃、お花屋さんに通っていました。でも今年は時間ができるかも、と花の苗満載のショップに顔を出してみると、素敵な鉢に出会いました。ヒメエニシダ。よく本州の高速の法面などで見かけるエニシダの矮性版。花の数、活力度も申し分なく、即、買い。車まで運んでくれた女性が「つい先日入荷したばかりで、この鉢は素敵だと見ていました」と。例年、出足が遅すぎてこれまで手に入らなかったアイビーゼラニウムや名前の覚えにくい面白そうな、地味な苗もいくつかゲット。しかし、飾り過ぎは戒めて。花のコンテナより、薪の存在感が強くてその兼ね合いが難しいのもあります。

■5/22 霧の夜と養生
きのうは久々に霧の濃い夜でした。毎朝晩、霧がかかるのは寒くてうっとおしいですが、昨夜は適温のお湿り。海からの塩分も含んだ空気が妙に体に染みる感じでした。毎朝のヨガのアーサナも雑念が飛び交うのを断ち切って、この頃は特に呼吸と身体のきしみに神経を傾けて無心になるようにしています。以前、気功を学んでいたころに知った揺さぶりの気功「外丹霊動功」やスワイショウを、股関節痛と坐骨神経痛のために始めて見ることにしました。やり出せば続けるのがわたしの性格だから、1か月後あたりに少し効果も出てくるはず。そういえば山菜は土から気をいただくものだと、確か作家の水上勉が書いていました。春はそういう季節なのだろうか。

■5/19 今日はコシアブラ

この時期、山菜の膨らむテンポは速いので、有珠の沢の裏山に出かけてみました。わたししか入らない道路わきの荒れたカラマツ林ですが、30分もしないでこれだけ。家族の食べる量としては十分です。木をいたわって早々に引き上げて、夜の天婦羅用は別にした残りをごま油で炒めてしょうゆをかけます。コシアブラはただこれだけの調理で、抜群にごはんに合うのです。木の芽時の昼の幸せ。

■5/18 スドキとフキ


このあたりの山菜の王様、スドキが姿を見せ始めました。雑木林が最も美しく見えるこの時期、落ち葉の間から、顔を出します。さっそく、夜の食卓にと調理ました。調理といっても熱湯をくぐらせるだけ。うまい。若いから太い部分もかなり柔らかい。
サインを補修するためにフットパスを一周する山のメンテの途中、これも出たばかりのフキを見つけました。柔らかい中ブキを避け外ブキを切ってみると、中空の茎に虫などはおらずきれい。これも家族で食べる分だけ採って厨房でさっと調理した。これも今季のハツモノ。







■5/15 林道のチェアリング

公園や港などにに簡単な椅子を持ちこんで、気楽に一献するチェアリングなる言葉を聞きます。わたしたちのアウトドアはいつもイスがつきものだけれども、ワインを飲んだりして気取らない。今日も、林道のチェアリングで、渋いお茶をゴクリ。ワインの代わりの嗜好品は、鳥の声。今日はイカルとヒヨドリでした。間もなくやってくるリタイヤの後の「薪のある暮らし」のシミュレーション。ちょこっと働いてちゃんと休む。これなら続けることができそう。

■5/14 今日から取材も始まる

いよいよ、今日から新聞社などの取材が始まりました。まず午後1時過ぎから2時間。お話しているうちにこちらのアタマも再整理でき、さらに報道関係者ならではのポイントも見えて参考になります。一体何社がみえるでしょうか。すでにFMからの予約も来ています。また、謹呈先とのやり取りも今日で一段落。行政、図書館、研究者など含め300冊。

■5/12 ハスカップは明日あたりに開花か@サンクチュアリ


ハスカップの花はまだでした。サンクチュアリの看板は壊れて散乱。これはもう木製手作りの限界と覚悟しました。一方、ハスカップの老木は痛々しく、根元の直径は6cm。後継の稚樹はなし。聖地のハスカップ、これでいいのか。アイヌの人たちが、聖地破壊に反対する気持ちと少し似ています。このあたりが、遊水地の土手になる・・・。現地からのか細い発信。そろそろ、新聞各社からも問い合わせが来る頃。

■5/11 薪を宅配

毎年恒例の薪の特別宅配サービス。厚別と江別に午前午後の2回、合わせて約11立方mを届けた。人力積み込みだから手間との勝負。これもいつまでできるのか、楽観できない。ただ、春の陽気は格別で、樽前山から空沼岳、無意根山、余市岳、手稲山、ピンネシリ山、夕張岳あたりまでズズーとパノラマが広がっていた。もちろん、その右は日高山脈が延々とつながる。南空知の長沼あたりが、これほど山のビューポイントだとは気づかなかった。薪の宅配は連休前後の風物詩になりつつある。

■5/6 再び反グローバリズム宣言(船木さんの提言から)
    ~目の前の現実と向き合い、より良い解決策を探すこと~

雑木林の保育とエネルギー利用を考えている人間がいることを人づてに聞いた、とかつて職場にお見えになった方がいます。氏はわたしとふた回りも歳が離れており、雑木林の隣接地に、薪暖房のテラスハウスのような共同住宅を夢見て、そんなことが実現できないだろうか、と提案されたのでした。その方は現在当NPOの薪会員で、建築家の船木幹也さん。船木さんは建築を軸に環境を重視した未来社会の在り方を常に考えてこられ、昨年、ヒトはどこに向かっているのか、というような視点の著作を2冊、出されました。この出版以前も、実はお茶のみ来られて、自分の考えをまとめられた小冊子を持参されることがしばしばでした。その冊子をたまたま手に取ってめくっているうちに、わたしがこのHPでもしばしば書いてみるローカルの意味に言及した部分が目に入りました。以下、抜き書きしてみます。

「日本人は、歴史や文化を持たない、従って時間に対して無感覚なアメリカモデルを倣い、世界にも誇れる風土に根差した伝統的な自然観や人間観を持った、独特の「森林文化と農耕文化の融合」を「古くさい陳腐な過去」として切り捨てました。結果、手に入れることができたのは、今までと正反対の大量消費、大量廃棄の世界であり、大きな負の遺産としての環境問題です。」(草苅:昨今の身近な森林資源の大量廃棄は目に余る。廃棄することで余った時間ははてどんな意味のあることに使っているのか)


「ここであらためて言いたいことは、アメリカ発のグローバリゼーションに対抗するには、かつて世界中に普遍であったそれぞれの地域に根差したローカルな文化であり、特に日本にあっては、我々が伝統的に培ってきた「自然との共生」という文化しかない・・・(略)・・・。現在世界を席巻しているグローバリズムは、「ローカルであること」を次々に解体し・・・わたしたちは近代的なものに取り囲まれて暮らし・・・しかし本当に手応えのある、生きていくための幸福感、それはどんどん失われているのではないでしょうか。」

わたしもまさにそのようなことを考えつつ、できるだけつつましく修行のようにいきたいと念じていました。夜はビールもワインもしっかり飲みますが(笑い)、それ以外は世界に目を向け、ローカルに着実に動きたい。かつてある先輩に「眼低視高」という言葉を教えてもらいましたが、丁度そのような姿勢といえそう。
そしてたゆまず行動する・・・。ヒトはそのために生きるんだ、と諭されたような思いがしています。10連休最後の日、少し憂鬱になりかけていたのが、これで持ち直しました(笑い

■5/4 山仕事でアイスをいただく

雑木林の保育の後始末は、薪の製品化として延々と続きます。わたしたちも心得たもので、近年は焦りません。サインの修理やフットパスの刈り払いも並行して進めます。そして終わるのがお盆過ぎ、下手すると紅葉直前、などということもあります。そこで、まず、こんな陽気ではアイスのおやつ。

■5/2 自宅へ薪を運んで、さらに割って連休前半終了

薪仕事に励んでいた私に突然、
「〇〇〇の証人です。聖書のお話をさせていただきたくてお邪魔しました」
「すみません、うちは仏教(曹洞宗)なので」
「あ、そうでしたか。…薪ストーブをやっているんですか?」…それからしばらく、薪作りから薪生活の話が続きました。
 さて、話は変わって、苫東ウッディーズメンバー用の今年の薪は、木口にカビの生え不揃いなハネ品のようなものになってしまいました。その2棚、5.4立方mは軽トラでほぼ4台分(写真左4/30)。豊川町の自宅に運び込んで、右の写真のイチイの裏の薪小屋に積み終えた後、今朝から育林コンペなどから搬入した丸太をマサカリで割り始めました。10連休のうち、丸2日を来るべき令和元年の冬の暖房用に費やしたことになります。その合間は休養、安息の時間。が、これで一安心。あとはゆっくりと2立方mほど追加できれば申し分ありません。雑木林との付き合いは、鑑賞と実利の両面で続きます。薪ストーブ独特ののぬくもりの恩恵を受けている家族も丸一日手伝ってくれました。雑木林から始まる薪のある暮らしは、令和の願いにも沿った好ましいものに見えます。


■4/30 雑木林が意外に映えるひととき

早春の何でもないこの時期、雑木林は無性に清々しく見えます。どこという訳ではありません。すべてが、これからだ、という早春の活力がみなぎるのでしょうか。それは氷が解けた地面からの「気」のようなものでしょうか。写真左は「森林むすびの会」の手入れ済み、右は札幌ウッディーズの保育未着手ゾーン。4/29、道端の放置丸太と自分の「山」(育林コンペエリア)の伐倒木数本を薪サイズにして、4/30、これらとともにとともに、空になった自宅の薪小屋に薪2棚を軽トラックで搬入しました。4往復でした。


■4/27 薪ビジネスをどう考えるか

放置された丸太を譲り受け、利用のサイクルに乗せた。 薪は需要があるがスムーズに供給されていない。わたしは薪は本来、身近なところでやり取りするものだと思う。地域の自賄いみたいにするのが理想ではないか。このあたりをもろもろ考えると、いつも思い浮かべるスモール・ビジネス化というのも、歳によるなあと思える。若ければ、簡単にできそうだ。機械装備をそろえて数人で林の手入れから薪ビジネスまでをカバーする「仕事」は実際、可能だ。道内の雑木林の現状と、薪ストーブの潜在的需要をつなげば、隙間産業になりうる。臨機応変にアメーバ的に変幻自在に、しかし決定的にこれではまだ不安定だ。現状を再整理すると
①身の回りの雑木林は随所で放置され、手入れを待っている
②それらからは冬季搬出すれば材の利用はできる
③林内作業車などを買えばもっとできる
④それらを借金でもして装備をそろえれば人を雇える程度のビジネスにはなる
⑤しかし、それほど手広く機材をそろえずとも、平坦地の雑木林はやりくりができる
⑥機械力にどこまで頼り、どこまで人力ですますか。この境界は動く
結局、わたしたちのゴールは薪を売ることではなく、身近な雑木林を、気持ちの良い癒しの森林公園にすること。可能性を秘めたまま、このままいこう。これでいいような気もする。地域フォレスターなどという存在もありうる。林の管理と薪需要を調整する中間組織だ。


■4/24 大島山林についにヒグマ!

支笏積丹系も日高系もなんとなく来ない格別なところだと勝手に思っていた大島山林に、日曜日、ついに目撃情報。わたしの希望的観測は見事に外れ、北広島や札幌と似たような状況になってきました。安平町のホームページには「アイリス団地に足跡目撃情報」というような書き込みがされました。この裏には、最近、林を散策する人が増えたことも背景としてあるようです。

■4/21 フキノトウが開き始める頃、今季最後の薪を焚く

貝付きのホッキがまだ一個250円から300円ほどします。フキノトウとのかき揚げは10日ほど前一度したきりで、フキノトウはもう花が開きそうです。急いで裏山の花のつぼみをたくさんつけたフキノトウを採りました。ホッキとのかき揚げは諦め来年に持ち越して、これでフキ味噌を作ります。フキノトウはこの時期、霜で葉っぱが茶色になったりしますが、今朝も、久々の零度近くまで下がったので薪を燃やしました。おそらく今日が薪の最終日でしょう。3次燃焼させたまま11時ころフェイドアウト。

■4/21 北海道新聞に新刊の広告が出ています。

予定通り、1面下の帯の最初に「ハスカップとわたし」が出ています。メディアへの初デビュー。ハスカップという字がキラキラしているので、すぐ目に入るかもしれません。「あれ、苫小牧からこんな本が?!」というような反応がどのくらい出てくるでしょうか。

■4/20 雑木林「大島山林」に仕事が待っている



平成30年度のシーズンは、昨年夏から秋の度重なる大風と地震で、広さ70ヘクタールの大島山林では大量の風倒木と枝折れが発生しました。当NPOでは広葉樹林の定期的間伐計画を返上してこの風倒木(掛かり木含む)を片づけました。風倒木処理は危険なので通行に支障などなければ放置する所有者も多い中、コモンズでは怪我のないよう細心の注意を払って完全に伐倒し、林内に作ったフットパスなどを利用して運べるものは冬にスノーモービルで運び出しました。その材だけでもこれだけあります。捨ておけばCO2を発生するゴミ運んで利用すれば利用価値の高い木質の再生可能エネルギー「雑木薪」。ナラを半分以上含むバラエティある広葉樹ばかりの薪です。所定のサイズに切って、割って、積む手仕事がまだ山のように残っています。しかもこの時期は、春のシーズンに向けてフットパスのサインを直したり、山仕事は目白押しです。足元にナニワズ(沈丁花の香り)が満開。ルンルン気分で山仕事です。

■4/18 ホームページが復活しました
当ホームページのサーバーへの送信が不具合で、ベトナムに行ってから閲覧できなくなりました。ご心配とご迷惑をおかけしました。昨夜遅く戻り、疲れた体力を復元中です。それでも近年はいわゆるツアーに参加しますのでガイドらにお任せで、個人旅行に比べると天国です。今回は旅慣れた陸別のおじさんオバサングループと一緒でしたので、ずいぶん彼の地・陸別の様子がわかりました。数日間時間を共にする旅行ならではです。

■4/16 人々の暮らし@ベトナム

南北3500kmほどの細長い国をところどころ国内線を使用して南から北へ移動し、かなりの時間はバスで沿道風景を見ることができました。物売りも市場の雑踏も暮らしぶりを想像しながらです。日本人が観光でやってくるインバウンドを受け入れようとするインフラはまだまだこれからで、日本語の表示や日本語を話せるスタッフ、機内アナウンスなどもほとんど日本語はありませんし、旅人から見るとかなり不親切な状況です。ミニバーで使った品をチェックアウト時に申告すると、トランシーバーで連絡をとり客が嘘を言っていないか確かめるのです。中国人、韓国人対策ですが、時間がかかっていい迷惑をします。所得、仕事の有無、国民の感覚など、いわゆる豊かでもっと幸せになっていくための道筋というのは遠く、まだまだこれからだ、と痛感します。
■4/15 世界遺産を巡る

14日は「街並み」のホイアン(写真左)、午後はミーソンという遺跡の世界遺産(右)を巡りました。フランスの植民地だった150年余りの建築の街並みといろいろな文化の混在と融合、遺跡ではアメリカの爆撃で破損され修復始めた遺跡の横で爆撃でできた穴を見ました。戦火はラオスやカンボジア国境で激しかったと聞きますが、リゾートに近いこんな山の中まで爆撃されていたようです。ベトナム戦争後も西側では戦争が続いていたので、平和はいつからだ?と計算しなくてはなりません。復興の匂いすらあります。

■4/14 ベトナムにて

12日夕方、ベトナムの南、かつてのサイゴン(現在のホーチミン市)にきました。ここにはベトナムの総人口約9,000万人のうち1,000万人が住みます。海外を旅行するのは土地の風光明媚を探ることとともに土地の歴史を知り、ひるがえって自国日本の国柄を見つめ直す得難い機会になりますが、ここホーチミン市をわずか一日足らず廻っただけでも、豊かさ貧しさの格差、そして豊かな国側に住む自分が利便の行き届いた都市や究極のリゾートのような場所を通してしか世界も歩けないのではないか、ということを否応なく体が感じます。もちろん、年齢もあります。この春から、新しく北海道で働く人の比率がベトナム人に変わっていく様子を仕事で注目していくという今、送り出す側の国ざまを仄聞するのは興味があり大きなプラスにもなります。この直感になにか真実がこもっているような気がします。
現実は、中心街を爆音たてて疾駆する無数のバイクの波動、その中心が平均年齢29歳といわれる若さと失業、1975年の終戦後も引きずる過去。初日、歴史資料館的な、旧大統領官邸に行きました。ベトナム戦争時代最後のユン・バンチュウ大統領が軍用ヘリコプターで台湾経由米国に亡命するまでの足取りをストーリーとして学ぶことができます。地下の作戦室も開放されて臨場感が強烈にあります。市場は衣服から民芸品、肉魚野菜まで種々雑多。特にパクチーなど香菜を並べた八百屋さんに足を止めました。


■4/11 いい加減な人生の功罪
この歳になってから主に学生時代のいい加減さを思い出して、「いい加減な人生であった」ことを認め、受け入れ、恥じ入ることが増えました。なぜかは知りません。家が貧しく仕送りなしの学生時代にあって楽なバイトであった家庭教師を、山登りに熱中するあまりスポイルし2回もクビになったことや、大学を卒業し就職も決まって赴任するばかりの年度末に、羽を伸ばして麻雀をしていると、学生部から電話で「キミは単位が足りずこのままでは卒業できません」と宣告され凍ったことなど。それはその後10年近く悩まされたトラウマの一部ですが、ざっと半世紀たって振り返ってみると、全体的に立派に「いい加減だった」ことだけがクローズアップされてきます。むしろシビアさと緩さの狭間で揺れ、悩みつつ、方向を是正しつつ辛うじて生きてきたようなカンジ。多少は分別もついた今になって、そのいい加減さが多少のアソビなり多様性の伸びしろになっっていたようだ、と少し弁護したい気もします。

■4/8 今年の山菜事始め

今年もシーズン口開けの山菜はフキノトウでした。土曜日のことです。いつもなら、ややたっぷり目のホッキとかき揚げにするのですが、家内によると貝付きのやや大きめがまだ400円だったとのことで、とりあえずこの日はホッキは抑えめにしてフキノトウ中心。軽いエグミが実にうまい!!易いホッキが出回ってほしい!!
料理用温度計が不調で、今回は目見当ですが、やはりかき揚げに限らず天婦羅は温度管理は欠かせません。amazonでさっそく
測定範囲が220度までの揚げ物専用を注文しました。これから、連休明けにかけてフキノトウを味噌汁にはなしたり、フキ味噌を作ったり、何度か楽しんだ後は、スドキ、浜ボウフウ、コシアブラ、ママコ(イラクサ)などでしょうか。八百屋さんに行って山形のミズなども今年は食べてみようかと思います。


■4/6 新刊『ハスカップとわたし』が届く
 
薪割りなどの山仕事から帰ると、出版社から昨日新刊がどさっと届いていました。合わせて作ってもらったチラシが上の画像です。何とも清々しい画像で、ハスカップのイメージが出ていると思います。わたしはオレゴン州立大学の苗圃で3月、早々に開花するハスカップの花にハチドリが蜜を吸いに来ている写真がお気に入りなのですが、誰に聞いても驚いたような反応がありません。(笑い)これから、寄贈、頒布などいろいろな作業がありますが、ひとつひとつ、丁寧にやっていかねば。まず、執筆や発刊にご協力いただいた方々、そして支えてくれたNPOの関係各位に、感謝を込めて。

■4/3 ビューティフル・ハーモニー beautiful harmony
数日前、ネットで藤原正彦氏の対談を聞いている際、270万部のベストセラー「国家の品格」の次の著書「国家と教養」をまだ読んでいないことに気づき、多少あわてて読書体勢に入りました。よく世界をとらえ整理されていて、刺激と示唆に富む一冊になること請け合いです。氏が描いて見せる昨今の我が国の世界的位置が、まったく別の読書でイメージしたわたしの世界観印象と大きく違わない方向であることには、ちょっと勇気づけられもしました。それに加え、小沢一郎が普通の国になろうと呼びかけたのを完全否定し、日本がもともと世界でも特異な、異常な国だったし、これからもその線を行くべしというユニークな切れの良い言葉を発しています。さすがです。そして時たがわずというべきか、偶然でしょうか、新元号が「令和」と決まりました。ある海外メディアはこの元号の意味をbeautiful harmony と訳しました。これは名訳です。ひょっとすると、新元号は日本が世界でも稀有な価値観の国でありこれからもそうあるという宣言を、世界に向けて発信する大きな契機になっているのかもしれない。藤原氏の言説とそのあたりが微妙に符合しています。


■3/31 コブシ咲く

先週の23日、雑木林を巡回した時に出会ったコブシの風倒木の何本かの枝を持ち帰り、ビールジョッキに挿していたら、ちょうど1週間で咲きました。綿毛に包まれた花芽が膨らむと、まずピョンと一枚の葉っぱが寝ぐせの髪の毛のように飛び出て、一日で芽鱗が割れ落ち、白い花へ。このスピード感はセミの脱皮の如く。

■3/31薪の盗難

昨年、胆振で薪の盗難があるとの話を耳にしましたが、ついに苫東でも発生しました。場所は苫小牧市静川の雑木林ケアセンター前。被害はナラを中心とした、薪用に裁断した丸太、2トントラック1台分。昨年9月の地震と台風による風倒木を処理した丸太のうち、林道沿いの運びやすいものだけが被害を受けました。わたしたちが、林道がぬかるむ間は入らないことにしている時期に入り込んだ模様。盗難届を出すべきか、思案中。写真は地震後の9月16日、林道わきに運び出されたものの一部。やはり、素性の良い商品に見える。予定表を変更しました。

■3/27 外国人労働者の受け入れに関する説明会
1月23日の本欄でダグラス・マレーの『西洋の自死』を紹介し、西洋の移民受け入れの悲惨な現状を垣間見ましたが、わが日本も来る4月1日に、改正出入国・難民認定法が施行されます。いよいよ移民受け入れの時代が来てしまうのかと心配する向きも多々いますし、わたしもそのひとり。そんな中、道経済部が主催する外国人労働者受け入れの説明会が3月初めから全道各地で開催されており、いずれも満員とのこと。関係者の要望を受け、昨日は札幌で追加の制度説明会があり、法務局や厚労省関係者が1時間半にわたって法の内容と取り扱いを説明し、質疑が行われました。社会全体が受け入れに向かっているという切実さが会場(定員250名)にはあって質疑の言葉にも新しい時代への不安と緊張感のようなものがにじみ、新しい受け入れ準備は始まっている感がありました。その一方で、日本の場合は西洋とどこが違うのか、よく見据えておこうという意識が働き、この150年、開拓と国内からの移住受け入れの時間をくぐってきた北海道の展開は、本州とは違う独特の共生はないのか、という問題意識と期待があります。とても重大な社会実験が行われようとしていると思います。

■3/26 養生と修行と
近くリタイヤを控えていることと直接関係はないのですが、この半年、歯科、内科、呼吸器科、循環器科、そして先日の整形外科と、科目の違う医療機関のお世話になりました。これだけ掛かっていると、自分が決して若くないこと、身体にガタが来ていることを否応なく気づかされ、納得・肯定していくことになります。身の周りでは同年代の友人知人で早々他界された方も少なくないから、まだ命をいただいていることの幸運にあらためて感謝せざるを得ません。いただくメールや手紙などでも、その中に近年の身体状況をいやに細かく書き込む方々も目立ち、それをわがことのように実を乗り出すように読み込もうとする自分がいます。それらを全部丸ごと、日常の中に押し込んだパッケージは、「養生と修行」。通勤電車の座席で居住まいをただし呼吸に集中したり。

■3/23 育林コンペにいよいよ馬が活躍



育林コンペではこの冬、馬搬が行われています。厚真森林むすびの会の作業で、保育の仕上がりもなかなかのもの。発生材の利活用はわたしたちの薪とは違い、材はほだ木に裁断されています。比較的細い材が多いことも背景にあります。奇しくも、林道の両側は、保育効果を比較する対照区のようになっており、一帯は、育林をコンペするというテーマにだいぶ近づいてきました。
有機的につながった雑木林の保育。ローカルなネットワークに支えられ、関係者(所有者、コモンズ運営者、各NPO)の自己実現に向け「三方良し」になっていきます。


■3/22 ロッドを振らないフライフィッシャー530km走る


毎年、時間が許せば3月下旬は道南の日本海に向かいます。サケの稚魚が川から海に降りる頃で、稚魚を狙う海のアメマスをフライで釣るために、1泊2日で熊石方面に出向くのです。22日は幸い代休が取そうだったので乙部町の宿を事前に予約して、21日昼過ぎに苫小牧を出ました。あいにく、この日の夕方も今朝も、目当ての熊石・鮎川海岸は低気圧の接近で大荒れで、雨や雪も交じりました。ただの風雨はともかく、フライの場合は向かい風の抵抗があると超難儀で、日本海はアゲンストの西寄りの強い風は勝負になりません。
結局、方針変更、宿の温泉と食事に焦点をあてて、早めに宿について本を読んだりしてゆったりすることにしました。行きは八雲まで高速、そして雲石峠、帰りは瀬棚、ニセコ、支笏湖経由で合計530kmもあります。無駄といえば限りない無駄ですが、道南の風物を眺めつつ、ラジオのニュースや英会話に耳を傾ける1日も悪くありません。前期高齢者の白秋期のささやかな楽しみ方としては、頑張らないこと、自然に逆らわないことも大事です。帰途、黒松内から雪が降り出し真狩あたりは一見地吹雪模様でした。

一方、家のわたしの机の上には、昨年暮れに埋め込んだハスカップの実から出たハスカップが数本大きく伸び、ダメもとでばらまいておいたドングリのひとつがスクスク。ドングリは11月の末、林道で拾ったものでした。どうしても毎年、何か播きたくなる。そして一足先に春を感じる。この光景はちょっと救いでした。


■3/21 松浦武四郎の生誕地を訪ねて

三重県と言えば松阪市出身の松浦武四郎がいます。北海道命名150年を機に、武四郎が引き合いに出ることはことのほか多い昨今ですが、松阪市にその記念館があるので帰途、途中下車してタクシーで往復。北海道から来たと係りの方に告げると、館長がわざわざご挨拶に来られ、展示物の概要をざっとご紹介くださった他、一連の展示物が過去3度、津軽海峡を渡ったことがあると話されました。不覚にも見過ごしてしまったのですが、なるほど、内容は歴史、事物がまさに「総合的」にまとめられていて、動画も4本、わかりやすく用意されています。あまりの面白さに熱中しおかげで、電車と飛行機に乗り損ねるところでした。写真は、特別コーナーの「武四郎涅槃図」。晩年、自分があの世に行くときはこんな風でありたい、と知人の日本画家に数年がかりで描かせたもの。北海道の友人知人たちや動物たちも悲しんで樹下の武四郎を悼んでいる。

■3/18 薪がなくなる頃




用意した薪約7立米余りがとうとう窓の下のものを最後になくなります。いやはや、心細いものですが渡り鳥が春を告げて林も春のモード、薪に頼る冬は終わろうとしています。雑木林では、ここ2週間ほど前からメープルの樹液採取が始まり、大島山林のフットパスは早春の風景です。しかし、落ち葉の下は土がまだらに凍っていて歩きにくいことおびただしい。もうすぐ、泥道はさらにうんで、道は傷むばかりなので立ち入りをしばし休むのが、この地に慣れた人々の習わし。遠浅神社では、ヨーロッパトウヒの特殊伐採が6,7人がかりで行われていました。高所作業車も出動した大掛かりなものでした。

■3/17 熱田神宮と伊勢神宮
熱田神宮

伊勢神宮


伊賀の里にある上野遊水地での研修に参加した夕方と早朝の空き時間に、超のつく古刹を訪問。一つ目は初めての熱田神宮(写真一番上)。参拝者の多くはアジア系の方々で、日本人はほんのわずかでした。長い参道をゆっくり踏みしめながら両側の森の雰囲気に浸りました。最終日の早朝はたぶん4回目になる伊勢神宮。五十鈴川で手を清め、御朱印帳に記帳してもらい、内宮の手前の杉の大木に手をかけて記念撮影(左)。実はJR伊勢市駅の直近にある月夜見宮(つきよみのみや)の大樟との再会も圧巻でした。仕事の方は石狩川の北村遊水地と同じく、農地を洪水調整用地として地役権を設定した、土地の重層的利用(コモンズ)の先進地・上野遊水地を、北村の若手農業者と一緒に訪れて向こうの事業者と農家の方との意見交換が目的。こちらは順調に有意義のうちに終えました。
苫東コモンズの上空は白鳥やガンの群れが、恒例の春の編隊飛行中で、頻繁に聞こえる鳴き声に、つい作業の手を休めて見やってしまいます。


■3/9 薪積みの美学

雪解けが早い。ガンたちが飛び回るようになって途端に雪は消えた。山仕事は昨年より10日早く薪割りに代わった。山仕事に行く前、林業機械の店に寄った際、薪棚を拝見。なんとなく、きれいに積まれた木口に見惚れる。

3/6 住んでいる土地に愛着を持てる幸せ

画像は、今季初めてマガンの声を聴いて数日した今日の昼、家人を空港に送っての帰り、ウトナイ湖の道の駅にて。
野菜とホッキのかき揚げそば(900円)をいただきながら久々の湖面を眺めます。もう対岸の柏原寄りを除けばほとんど氷も割れており、小型のカモだろう姿も点々と見えます。時節柄、もちろん、ワシも2,3羽上空を飛んでいましたが、渡りを控えるガンたちは、田園地帯に出払っているのでしょうか。
今日も眼前にある勇払原野の市民史『ハスカップとわたし』の校正を終日。各章すべてを編者の目で根目回すようにチェックして何回目になるでしょうか、校正だけでも約280Pを3巡目で、それも今日、ようやく完全終了しました。明日、出版社に渡して、あとはすべてお任せです。これだけ読みこんでいると、字を読むという作業を超えて、奥の奥を読むというような、各人の記述の裏にあるだろう思いというものと、各章の矛盾、ひずみみたいなものにジワジワと気づいてきます。
結局、この本は、勇払原野とハスカップをまな板に載せて、自然保護と開発の拮抗の地域史、攻防の実像みたいなものも正直に醸し出されてきます。民意は人の取りよう、表現のしようでいかようにも変えることができますが、事実は目の前にあります。なるほど、これがこの地の思想風土か、というところでしょうか。これも編者冥利に尽きると言えます。
こんな機会を与えてもらったことに心から感謝。

■3/2 雑木林の雪が消える直前に風倒木処理の丸太を運び終える

いつも、滑り込みセーフ。今季も3月第1週に運び出しを完了。出したのはいいのですが、わたしたちの雑木林からの生産100%の「雑木薪」を当てにしている薪会員に過不足なく配ることができるのか、そこが問題です。上空をマガンが飛び始めました。来週からは、マサカリで薪割りを開始します。

■3/1 雪ゼロで数日経過
今年を占うと、まずこの早春は暖冬の端くれのように春に向かうようだ。蟄居したような冬、はじける早春。ああ、やっぱり、春こそよけれ。今日から、自宅とJR糸井駅間の通勤はママチャリ。本音を言えば、裏小路はまだややアブナイ。

2/27季節の土地のものをいただく幸せ

とある和食のお店にひとり入ってみましたら、まだ客はおらず、マスターを相手に苫小牧の比較的近くの山海の地物をいただきました。たっぷりの蘊蓄込みというのは贅沢な話で、勇払原野のこの地に長く住んでいるご利益みたいなものを感じます。お任せで出てきたのは、大滝の伝統的野菜のニンニクで炒め煮た枝豆、森町のカキ(写真左)、ホッキの炙り、白老の400キロのクマの肉(右)、川に上ったシシャモのメスをかるく揚げた紅葉おろし、など。いずれもほんの少量ずつですが、わたしにはちょうどいい腹具合です。太平洋と山と森に近いこの地にいる幸せみたいなものを食で満喫できるのは、こういう探求心のある板前さんあってのこと。さらにそこに互いの人脈とネットワークが絡みます。顔がほころぶ自分に気づきました。

2/24 時代が変わる「今」への評価が飛び込んでくる
平成が終わる御代替わりの2019年、来し方を俯瞰する凝縮された言葉や論評が目に留まります。
中西輝政京大名誉教授(国際関係史、文明史)は月刊誌『致知』2月号の「時流を読む」で、「大切な節目を迎える日本に問われるのは日本人としての自信と誇りのふたつだ」と言います。また劇作家で優れた文化史、文明史をものにする山崎正和氏は2/24の読売新聞朝刊のコラムで、平成の30年が実に特異な考え方の変化を日本人にもたらしたと述べ、それは、自然災害と経済低迷の両手打ちを喰らいながらの公共意識、共助意識の底流れではなかったか、と述べています。
カルロスゴーンが逮捕され、しがらみの多い日本人経営者にはできなかった従業員2万人のリストラを引き換えに4年で日産の経営をV字回復させた一方で、かつての日本人経営者の数十倍の年俸と数十億円もの隠し所得を得ようとする手法は、グローバリゼーションの象徴的な手法だったでしょう。中西教授は今こそグローバリゼーションに安易に流されていくことを踏みとどまるべきと警鐘を鳴らします。日本人の多くも実は国の運営の方向についてうすうす気づき始めていたと思います。『西洋の自死』の著者・ダグラス・マレーも一連の西洋の移民に関する記述の中で、西洋のような移民受け入れの対極で、先進国の中で不法入国者を唯一強制送還までしてグローバリゼーションの深化を踏みとどまってきたのは日本だけだと称賛しています。
ここで折り返すのか、突き進むのか。御代替わりとその前後が大きな選択の舵取りの正念場であるならば、平成31年という今、日本という国柄をもう一度見つめ直す必要が出てきます。
 


■2/23 雑木林に早春の光輝く

丸太の運搬はたけなわ。あと2週間以内に林道の雪が解け、そろそろ南からマガンらの群れもやってきます。約10名、早春の日差しを浴びながら、風倒木処理をした現地と薪ヤードをほぼ15往復。あと一日。一方、町内会のアイリス公園管理は曲がり角に。

■2/20 健康器具と熟睡
大寒のころから、肩こりと背中の痛みがひどいのでカイロでマッサージをしてもらったりしていました。施術士の女性が「ガチガチですね」と言い揉んでもらっているうちに、気持ちが良くて眠ってしまいます。昔なら肩こりなどひたすら我慢するところですが、この頃はちょっと自分の体を多少はいたわるようにしています。といってもそんなに頻繁にいくわけにもいかず、数日来、右下の回転マッサージ器具を背中に当てて、寝転んでゴリゴリ。これだけでもだいぶ爽快感が戻り、就寝前に
の病みつきルーチンになりそうです。


毎日欠かさないのは、早朝の「足ふみくん」とイボイボ踏み。ほぼ20年以上前からの習慣で、これで目が覚めます。これを終えてからヨガマットで、ヨガ・アサーナ、あのストレッチです。どれほどの効果があるか数値化などはできないのですが、腰痛や臀筋・股関節痛をかなり和らげてくれてきたと自己診断。少なくても柔らかい体づくりと、呼吸の調息に役立っているはず。慙愧に堪えないのは、開脚でどんどんお腹が床につくようになっていく過程がうれしくて6,7か月無邪気に前屈をしているうちに、どうやら骨盤が開いてしまったようで、その後の股関節痛はそこから来ている、とある施術士に指摘されたこと。無知と生兵法そのものでした。無呼吸症候群の治療(c-pap)も毎夜欠かさず、振り返れば、結構な健康オタクみたいです。

■2/17 年間予定表を変更しました
new ‼ 2019年のNPO苫東環境コモンズの予定 2/17変更 
こちら

■2/16 自由に発想できる喜び
今年の夏前に42年のサラリーマン生活を終える。20年に及ぶ札幌通勤からも解放される。その準備も進んでいて、その前後のあたらしいプランとかプロジェクトも
、抑えようがないくらいに湧いてくるのです。不思議なものですね。自由に発想できる環境など、ついぞなかったかのように、いつも大小の制約の中で生きてきたと言うのが、わたしだけでなく多くのサラリーマンや仕事人の軌跡でもありましょう。やっと自分本位の自由が手に入る。それも人生の後半に。
五木寛之氏はこの「白秋」は黄金期だ、というのでした。それにしても2018年はそんな最後の勤め人生活だというのと裏腹に、公私とも多忙な日々だったと思います。それをこなせたことが夢のようでもあります。週の中日の水曜日を休日にしたのが、かえって用務を呼び込んでしまったようでした。自由に発想できる環境が、新しいテーマを呼び込む。「白秋」らしい、この幸運には心から感謝せざるを得ない、とこの頃はすっかり「白秋」教のとりこです。


■2/13 ラジオ深夜便 佐藤愛子さんの話
「らじるらじる」でラジオ深夜便を聞いていましたら、お話がちょうど佐藤愛子さんでした。佐藤さんはもう100歳に近くなるお年でありながら活発によく売れる本を書かれている。そうして昨日も「書きながらわかってくることがいっぱいある」とおっしゃる、など興味深いエピソードを話された。そういいながら、聞き手の女性と屈託なく話されていたのが、この本の話になってから、わたしには本気度が違ったように聞こえました。そうです、あの浦河の山荘が昔のアイヌ人たちの霊魂がよどむ場所であったこと、そんなことは露とも知らず、海の見えるこの地で保養していて事情が一変したと語り始めました。なんだかスイッチが入ったのがわかりました。ノンフィクションです。「みなさんにわかってもらえるとは思いませんが・・・」
という意味の言葉をポツポツとおっしゃいながら、翌日に続きます。五木寛之氏の「白秋」ともどこかでつながる、この歳ならではの話題。


■2/11 年齢でなく「季節」を生きる人生観「白秋期」
先週末、通勤電車で五木寛之の「白秋期~地図のない明日への旅立ち~」を読み始めました。帯には「黄金時代は人生後半に始まる」、とあります。自分の年代がそっくり当てはまり67歳などはまさに人生の黄金期であり最大の収穫期だ、と。仏教では林住期に当たるとされましたが、「白秋」はそれよりかなり前向きな激励の感があり、政府の「もっと働こう」という掛け声とも呼応するような怪しさももっています。
中国の陰陽五行にある概念のようで、人生を「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」の4つにわけ、「白秋」は、フル回転からシフト・ダウンし、人生の一通りの役割を果たしたあと、ナマナマシイ生存競争から離れ、自由の身となり、秋空のようにシーンと澄み切った静かな境地に暮らす時期、同時にこれまでの生き方をリセットし、新境地で活動する時期、としています。
どうです、なんだか、元気の出るメッセージではないですか。晩年の五木寛之は、宗教家より宗教の神髄を発信しているフシがあります。ちょっと頭を休め、こころを浄化するのに、一服の清涼剤にもなります。
すぐ読めます。

■2/10 年間予定をアップ
NPO苫東環境コモンズの年間予定をアップしました。まだ、たたき台の案のレベルですが、そのまま実施するのが恒例となっています(笑い)。理事会、研修旅行、ハスカップ摘み、チェンソーのスキルアップ講習、山の神など、関係者は主要な計画を押さえてください。➡ ただし、出版記念会は4月を5月にして調整中、秋11月の健康講話は検討中です。

■2/9 極寒の中、搬出2日目

9日の朝は苫小牧の市街地でも-18℃でした。安平町遠浅の山林は−20℃を下回ったはず。当然日中も-8℃あたりでした。しかし、順調に作業は進行。岩見沢からkuriちゃんが応援に来て、素早く懸案の仕事を片づけてくれました。


2/6 薪の水分率

「今年の薪はポヤポヤっと燃えてしまいますねえ」。
シーズン初めにある薪会員とお話していた時の会話のひとこま。それらの薪は、割ってから18か月経っており薪の水分は約5%前後でしたから、これは乾燥は満点、ブランディならコニャックレベルだと思っていたのです。しかしわたしも使いはじめである11月の感想は、確かになるほど、
燃えすぎる」「ストーブが熱くなり過ぎる」でした。この薪も1月半ばになくなって、今度は30年春に割った、水分率が10~15%程度もある薪の出番になりましたら、最初はややもどかしく感じます。確かに今までに比べなかなか温度が上がらないのです。が、間もなくこの方が御しやすいし、コントロールが楽だと思うようになりました。ということはつまり、巷間言われるように1年以上乾燥しなければだめ、ということでもなくて、苫東なら半年もあれば目安の20%まで下がるということで、薪として使用できるということです。これでも行ける、というのはちょっとした安心感と言えます。10年ほど前の初商いでは、燃えが悪いと言われたものですが、今、その全容がわかりかけてきました。

■2/5 鼻のうがい
これまで風邪をひかない、あるいは悪化させない方法として重要視していたのが鼻のうがい。フィルムケースのようなプラスチック容器に食塩やうがい薬を薄め流し込みます。昔の耳鼻咽喉科で頭上のガラス容器からぬるい食塩水を鼻に流し込んで鼻の中を洗う方法が、素晴らしく役に立ったことを思いだして励行していたものです。のどや鼻が風邪っぽいと感じたらすかさずこれをします。近年、鼻のうがいをする器具も売り出したというので探してみましたら、ありました。これです。液体が口と鼻の周りにもれてカッコ悪いですが、まあ、風邪をひかないためには目をつぶりましょう。結構、おすすめです。

■2/2 冬の現場に二人がカムバック

いよいよ、大島山林の保育現場から材の搬出が始まりました。そして年末から作業を休んでいた2名が戻ってきました。快晴でしたので、朝から気温が低く、帰るころは−9℃。それでも総勢8人の雑木林は、気分が弾みます。風倒木が分散しているので、作業現場もテントから半径150mほどに分散してはいますが、見通しのいい林なのでお互いの消息はわかる環境で、相互に様子を見に行ったり。
危険な作業は、いわば実は命がけですが、決して命がけにならないよう、お互いに戒めつつ、日々、初心を忘れず技術と安全管理を復習し眼前の雑木林に向き合います。地域活動は手ごたえが大きいものです。だからこそ、作業に参集する人は減らないのではないか。

■1/30 広葉樹林の保育方法の調査成果を報告

昨年6月に苫東コモンズのオーナーから受託した、広葉樹林の取り扱いに関する調査業務の成果品(100pあまり)を、今日、完了届とともに発注元にお届けしました。これから緑地関係を担当する若い後継者も同席し、色々な意見交換の場となりました。本調査を通じて、個人的にもかなり見えてきた部分や発見も多く、またもや人生冥利に尽きる仕事となりました。
ミズナラ・コナラ林という「雑木林」をどう将来に向けて持続させるのかは、苫東アセスの重要な未解決課題であったと同時に、わたしにとってはライフワークといってもよいものだっただけに、単なるコンサル仕事ではなく、大きな手ごたえもあったのです。しかも、準備段階から、NPOメンバーの精力的な山仕事や電気牧柵の資材調達などに支えられ、かつ、大学の先生などアカデミズムにもサポートしていただくという幸運もありました。オーナーの許可が下りればですが、どこかにリンクを張って公開させていただくのも手かな、と思っています。


■1/26 山仕事色々

たかが里山の山仕事。しかし、やることが一杯だ。それを何とか間に合わせて一歩ずつ進む。今日はスノーモービルが不調で、始動まで2時間もとられた。プラグを交換し、トルク調節。メンバーを巻き沿いにして手伝ってもらう。ずいぶん雪が降ったので、migitaさんはトラクターで林道の除雪。一方、ohsawaさんは午後からアカエゾマツの造林地に着手。帰り際、作業あとに寄ってみると、一帯はぷーんとテレペン油の芳香が漂っていた。

■1/23 これは読まねば「西洋の自死」
「歴史的罪悪感に苦しむ欧州人」
「原罪を背負って生まれてきたと感じているのは現代の欧州人だけではないかもしれない。しかし欧州人は明らかにそのことで最も苦しんでいるように見える。今日の欧州人は―――他人がそのことを持ち出すずっと前から―――自分たちが特定の歴史的罪悪感を背負うべきだと感じている。そこには戦争、とりわけホロコーストの罪悪感だけでなく、過去に関わるあらゆる領域の罪悪感が含まれる。例えば消えやらぬ植民地主義や人種差別主義の罪悪感などだ。・・・」
これは驚きました。昨日の打ち合わせで、ある高名な先生がアイヌ関係の話題を提供されようとしたときに用意されていた4pの資料の冒頭にあった下りです。ヨーロッパ人がドイツのホロコーストはともかく日本を除く世界各地に植民地をつくり搾取してきたことや、有色人種を差別し他国民を拉致し奴隷として売買したことを、現代人が原罪として苦しんでいる、と。そんな話は寡聞にして聞いたことがありません。本当でしょうか。英国のバースに行った折、まちの重厚なインフラが目に入りましたが、近在に棲む住民の方は、この富は奴隷貿易によるものだと説明してくれました。果たして英国人がこのインフラを見て原罪を感じ苦しんできたのでしょうか。信じられません。という訳で、これは読まねばならない。東洋経済新報社から昨年末12/27の発行。著者はダグラス・マレー。
内容紹介にはこうある➡英国で数々の賞を受賞した若きジャーナリストが欧州の移民問題を徹底ルポ。移民受け入れをめぐる「罪悪感」と「疲れ」がもたらした欧州リベラリズムの死に方を克明に描く。BOOKデータベースには➡「欧州リベラリズムの死に方。気鋭のジャーナリストが、今まで誰も書けなかったタブーに挑んだ大問題作。英国『サンデー・タイムズ』紙のナンバーワンブック、『イブニング・スタンダード』紙のブックオブザイヤー。」


1/20 原始が原の新雪ダウンヒルを思い出す


スケッチブックには1981年元旦とあるからなんと38年前である。アカエゾマツの純林が広がる富良野・麓郷の原始が原に夏用のペラペラのテントを張って小屋掛けし、上ホロカメットク山などの新雪ダウンヒルをしていた。わたしは体力に自信があったから、さっとスケッチブックを出してこの風景を納めた。ダウンヒルも素晴らしかった。

これはさらに前、農学部で研究生をしていたころ。メンバー10人ほどで原始が原から標高1000mをトラバースし、トムラウシ温泉に向かった時のスケッチ。ラッセルしながら1週間の山旅だった。森林限界付近のアカエゾマツはこんな風である。黒い森に見える。


■1/19 切株でわかる伐倒の履歴


昼前、掛かり木処理のSOSがきたので行ってみました。切り株に乗っかったままの樹幹をまずトビで地面に落として見えたのがこの切り株。クサビもちゃんと使ったといい、受け口もいい形に仕上がっているのですが、なんと、伐倒方向をコントロールするツルがありません。これだと制御が全く効かなくなり、重心の掛かっている方向に自然に倒れてしまいます。その方向は、作業者が意図したのとは90度違ったのです。これでは、技術を駆使したことになりません。現場で反省会、テントでももう一度皆でおさらい。切株は行為の履歴を残します。

■1/16 苫東の雑木林の保育サイクル


月末が締め切りの受託調査のため、レポートづくりは最後の段階に差し掛かっています。どん詰まりのまとめをどうしようかと考えた末、今日(中日の休日)は、森林調査簿にもとづいて、わたしの関わった作業の履歴を加え、保育サイクルの図を作ってみました。その結果、なんだか、面白い苫東コモンズらしい展開になってきました。

■1/14 シュバルツ・バルトの試み

週刊の英字新聞を見ていると、ドイツのシュバルツ・バルトの針葉樹の風倒木をそのままにして自然に返す、という国立公園の研究プログラムが目に入りました。シュバルツ・バルトは、いわゆる黒い森と言われるところで、カジノのある温泉リゾート・バーデンバーデンを含む一帯ですが、確かに冬の針葉樹林というのはフィンランドもドイツも、そして北海道でも、黒い印象があります。あれは樹木の耐凍性に関係していると思うのですが、それはさておき、今、NPO苫東環境コモンズでは針葉樹ではない広葉樹の風倒木の、終わりの見えない処理に追われています。が、これも里山の資源を無駄にしたくないという気持ちからです。確かに北大の構内や苫小牧の研究林などでは、倒れた後、どのように植生や環境が変化していくのか研究するという目的で、エコミュージアムのようなテーマを持って積極的に放置するという考えも聞きます。そこは割り切りでしょう。また、省力化という理由もありそうです。あの危険で困難で赤字になる整理なんか誰もしたくない、B/Cでも無駄だという本音もちらつきます。しかし、ここはやはり、里山は違うよ、と言い切っておきましょう。

■1/13  歴史を学んで

百田尚樹著「日本国紀」505ページを、ほぼ通勤時に読み終えました。twitterなどではリベラル系と呼ばれる方々から種々難癖をつけられていますが、わたしは心底読んでよかったと思います。今年の半ば、勤め人生活を卒業したら歴史の世界にもっと踏み込もうと思いますが、天皇が「御代替わり」(みよがわり)される今年、いいステップにもなりました。「私たちは何者なのか」、そして、日本とはどういう国なのか。普段、歴史家が素通りしてきた事柄に突っ込み、様々な学説を公正に披瀝し、そのうえで百田氏自らの仮説を仮説としたうえで史実と呼ばれるものをコラムという特別枠でつないでみせる。あるリベラル派に見える方に、読むおつもりですか、とお聞きしたら、間違った歴史観に染まるのがいやだから、と敬遠していましたが、そもそもわたしたちが学んだ歴史が、近年かなりゆがんだものであったことがわかってきました。肝心の近現代史を教育が省略してきた(避けてきた)節もあります。大東亜戦争の是々非々を赤裸々に、かつ断片をつないで明白に描いて見せたのも特筆ものでした。情けなさと正道に向かおうとするその反動。不勉強だった私にとってはかけがえのない教科書でした。

■1/12 凛とした冬の雑木林

少しまとまった雪が降って、大島山林の積雪は20cm少々になりました。地元でトラクターも操る migita さんがさっそく公道からテントまでの除雪をしてくれました。除雪がなくても車もなんとか入っていける状態ですが、除雪なしならこの程度が限界でしょう。
高村光太郎の詩に、凛とした冬が来る、という意味の一節がありますが、晴天の雑木林は、まさにこの言葉を思い起こさせます。冬の雑木林こそ、森林セラピーや散策にむいています。冬は暗いというイメージを持つ人は多いのですが、日本の太平洋側はむしろ胸膨らむ光景が展開するのです。今日はそんな一日。しみじみ、幸せを感じます。


■1/9 薪が底をつきそうだ

我が家の薪小屋の薪があと一列になりました(左はシーズン前、右が現在)。ほかにもちまちまと軒先などに積んではありますが、乾燥が足りません。怠けていたわけではなく、今年の分を昨シーズンに先食いしていたためです。このモノ余りの時代に、何とも奇特な窮乏感、飢餓感。灯油に頼らないということは、実に大変なことです。

■1/5 山の初仕事

2019年の山仕事が始まりました。一番乗りは地元の長老・migitaさん。昭和8年熊本生まれだから86歳のはず。今日も、大島山林の現場の薪ストーブには早々に火がつき、9時半過ぎにはチェンソーのエンジン音が響き渡っていました。町内では神社の世話役などいろいろな公務を持ち、とにかく何事にも労を惜しまない方。NPOでもトラクターを駆使して駐車場や林道の除雪を受け持ってくれます。NPO苫東環境コモンズにとって、地元一番の理解者。migita さんがいなくては山仕事の効率は大幅にダウンすること間違いなしです。今年も作業の安全第一を誓い、三々五々風倒木の処理に精を出しました。

1/3 日の出前の早朝の発見など



2日の未明、いつもの夜明けの明星・金星がお月様に急接近しています。こんなこともあるのかと不思議に思って今朝3日も同じころに南の空を眺めると、三日月はまだ向いの家の屋根に隠れていて、やがてグングン金星に追いついて来るのです。なるほど、そうなっているのか。天体は別々の原理(軌道)で意外に早く動くことを知りました。この未明の天体ショーがあまりに美しいのでソファに枕を置いてしばらく横になってみていました。初日の出は見ることができませんでしたので、比較的晴れた2日の8時前、のどかな太平洋を見に行ってみました。どこへ向かうのか大きなフェリーが出港するところでした。樽前山神社は2日昼、結構な人出。家内と娘と三人、好天の初詣です。その足で久々の北大研究林へ小鳥の手載せに。どうしたのか小鳥が少なくとても静か。2日になってやっと外に出ましたが、今年の年末年始は、家にこもって受託調査のレポートを毎日コツコツ書いて過ごしていたのです。それはそれで思いがけずとても充実した時間でした。おかげで今月末の期限まで成果品の提出ができそうでホッとしました。

■2019/1/1 春風献上
穏やかな元日を迎えました。今年もどうぞよろしくお付き合いのほどをお願いします。一年の抱負をなにか言葉にしようと紙に向かってみましたが、勤め人人生最後の半年をスルスルと潜り抜けて悠々自適の日々に憧れる気持ちと、いやいやもっと自律的に生涯現役の心がけで前進、と強引に背中を押す自分が一緒にいます。そして結局はいつもの随流去(ずいりゅうこ)、流れに任せよう、です。
今年は何回目かの伊勢神宮に参拝したいし念願の熊野古道もまだだし、アジアならベトナムに出かけたい。歴史の勉強にも励み、初めて源氏物語にも挑戦したい。古事記も読みなおしたい。ハスカップの出版ももうすぐだし、育林コンペで薪作りも本格化したい。一年途絶えたフライフィッシングも再開し、料理の腕も上げたい。よおし、煮詰まってきた、今年も頑張っていこう!