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2019年、日々の迷走

■6/12 シャープな新刊記事を掲載  ~地元紙・苫小牧民報~

苫小牧民報さんが新刊の記事を掲載しました。「ハスカップ・イニシアチブ」という市民には耳慣れない言葉も紹介する、かなりシャープな記事になっています。記事のサイズが大きいためにpdfはまだアップできませんが、これはいずれ。・・・・⇒
と、書いて間もなく、PDFが届きました。(^_-)-☆


■6/9 新刊「ハスカップとわたし」の反応
3月末に初刷りを手にし書店の店頭に並んで約2か月、関係者への寄贈を終えて早1か月ほどになりますが、色々な方々からメールやお手紙が届きました。じっくり読んでくれた方々も少なからずいらっしゃって、思いのこもった内容に目を見張ります。特に印象深かったのは大学や道の研究所・試験場のスタッフとしてハスカップに関わった人たちが、ハスカップの社会的背景が初めて分かったと書かれていることです。謎の多い自生種で、作物、開発と保護、商品開発など多面性を持つハスカップを、市民サイドを巻き込んで色々な角度から眺めることができ、それを問題提起できるのは、栽培の美唄や厚真ではなく、やはり勇払原野のおひざ元、苫小牧でしかありえなかった、というのが、編著者の今の偽らざる思いであります。

■6/9 勤め人生活を終える
43年余り続いたサラリーマン生活も、実働であと10日を切ることになりました。人間不思議なもので、やめるとなると一日でも早く辞めたいもので、子供の頃の運動会や遠足のように、その日が来るのを指折り数えるような心境にもなります。当然、何度も振り返るわけですが、お世話になった方々や機関、サークル、恩師、同僚、エポック的な数々の出来事などを書き連ねてみると、白い紙が瞬く間に一杯になってきます。文字通りの山あり谷あり、順風と逆風、喜びと失意、喜怒哀楽と悲喜こもごも、やはり、人間の人生って、さまざまあって、いいなあ、と思います。丁度、石ノ森章太郎の「トキワ荘の青春」を読んでいたところなので、冒頭の赤塚不二夫やデビュー前の漫画家の卵たちが夢に胸膨らませ貧乏生活をしていた時代の話とダブって、そうだよな、人生っていいよな、と思っていたところでした。五木寛之氏がいう「実りの白秋期」、その見取り図を描いてみるという作業に、ここ数日取り掛かってみるつもりです。

■6/8 仕事の分担

メンバー11人、今日も様々な作業につきました。「老若男女」とひとまとめにすると、20代の「若さ」こそありませんが、色々な経歴、様々な出身地、そして異なる動機で寄り集まった人たちが、昼は一堂に会して会食。

6/5 本格的に「場所の気」が人を惹き付けるホテル


ちょっとした祝い事があって白老のとあるホテルに泊まりました。経営コンサルタントの船井幸雄氏がかつて、世界中の売れる観光地やホテルは強い磁場のようなものを持っている、と言いましたが、このホテルのロケーションはもともと独特の「気」を持っていて、注目していました。「必ず根強い人気が出る」。そして経営側は最近とみに、海の癒し、場の気を意識した広報をしているように見えます。上の写真は3階の部屋から見た眼下の浜辺、向こうは水平線で、夜中から朝にかけて、気持ち良い潮騒が聞こえ、1階のテラスでは存分に塩分を含んだ湿った風に当たるのもまたくつろぐものです。大地の懐に抱かれようといざなうポエムが素朴に描かれていて、泊り客はテレビのない客室と館内で、午後2時のチェックインから翌日昼11時のアウトまで、だらだらとだらしなく過ごします。平日ながら客室は満室、半分以上はアジアのインバウンド(おそらく、台湾)の個人客FITでした。心身が本当にくつろげる場所を見つけるのは稀ですが、まず感じることができればそれは才能のひとつ。写真下は海辺の風景を独占できる小スペース。海に抱かれよ、静かに力をもらおう、というメッセージがこめられている。

■6/1 薪を眺めつつフットパスなどを刈り始める、刈り残してナチュラル・アート



かつて、瀧澤紫織精神科医(代表理事)と「こころの森フォーラム2009」で、ナチュラルアートのプログラムを行ったことがありました。講師は東京在住でアートセラピーの西川直子さん。この頃、この言葉を使うことはめったになくなりましたが、6月の初日、積んだ薪を見ながら、そして刈り払いで特定の植物を刈り残してみて、この言葉が急に浮かんできました。
そうだ、われわれはアートセラピーをしているのではないか、と。2010年のフォーラムは白老で。NPO活動を始める前の、小さなイベントだったがとても人気があった。懐かしい。


■5/29 樹木葬考②と道ばた薪材

樹木葬の下の書き込みでは、ドイツの森からマチへ出る風景をアップしましたが、今日、緑深まる雑木林に行ってみたら(写真上)、こっちの方が物質循環や仏教的輪廻を彷彿とさせ、さすが日本の雑木林だ。個人的な好みで言えば荘厳なドイツ的針葉樹林より、わが勇払原野の雑木林に静かに眠って、土壌バクテリアに分解してほしい気がします。
今日はこの林道沿いに散在する風倒木や間伐の放置丸太を玉切りしました。商品には見えないよう、無造作に林床に捨ておき、再来週、トラックをレンタルして一気に自宅へ搬入の予定。タウンエーストラックの6時間料金は軽トラックと同じで5400円。これは使えそう。こうやって一年分の薪の燃料を集めることを、とりあえず「道ばたプチ林業」と呼んでおこうと思います。


■5/28 「こんな樹木葬で眠りたい」

上田裕文さんのこの本を読んでいます。森を墓にする国ドイツに学ぶ日本の樹木葬の新しいかたち、と帯にあります。近年、日本でも時々話題に上る人生の仕舞い方ですが、正確には死後の扱いです。わたしも旧知の釣り仲間の散骨のため、日本海の海岸に行ったことがありました。わたしも、好きな山野河海のフィールドに撒いてほしいな、という漠然とした願望を持ちます。散骨は合法ではないが違法でもないのでやろうと思えばできる。ただ、残された親族が個人との縁(よすが)をつなぐ場をどう設けるのか、しないのか。微妙に難しくまだ判断がつきません。やがては千の風になっていくのだから、と一定期間、散骨した樹木の根元にいずれは消える小さなプレートを張っておくというのもアングラ風でいいのですが、墓地埋葬法とのからみや管理や宗派の墓地の延長など、考え方の整理がつきません。地方で「墓じまい」が進む今、自分や家族のお墓をどうするのか、樹木葬は身近なテーマであるだけにこれから真剣に考えてみたいとスタートラインにつきました。同じ問題意識を持つ人々の「集い」もすでにあるので要チェックです。

写真はドイツ南部のある街のフットパスを歩く市民。整備された森が身近にあるドイツなどは、樹木葬も身近なようだ。墓を森にする日本式でなく、森を墓にしてしまう方向はもっと考えてみる余地がありそう。

■5/25 雑木林コモンズの新緑の動画撮り

今年は苫東コモンズがどういうものなのか、広く紹介する動画を作ってみようと企画しています。すでに積雪期からデジカメで動画撮りをしていますが、今回は雑木林の新緑が最も美しい5月下旬に、小さなドローンを使った撮影にチャレンジして見ました。写真は左下のスマホを画像のモニターとして、シンボルツリーの上空までドローンを揚げようとしているところ。昼前、苫東コモンズの雑木林の林道で新緑を眺めながら、流れる風景を手持ちのデジカメで撮影(you tubeにアップ)

■5/24 素敵なものなら置いてみようか

「庭の花飾りはしないよ」と家人に宣言しながら、毎年、春の花がなくなった頃、お花屋さんに通っていました。でも今年は時間ができるかも、と花の苗満載のショップに顔を出してみると、素敵な鉢に出会いました。ヒメエニシダ。よく本州の高速の法面などで見かけるエニシダの矮性版。花の数、活力度も申し分なく、即、買い。車まで運んでくれた女性が「つい先日入荷したばかりで、この鉢は素敵だと見ていました」と。例年、出足が遅すぎてこれまで手に入らなかったアイビーゼラニウムや名前の覚えにくい面白そうな、地味な苗もいくつかゲット。しかし、飾り過ぎは戒めて。花のコンテナより、薪の存在感が強くてその兼ね合いが難しいのもあります。

■5/22 霧の夜と養生
きのうは久々に霧の濃い夜でした。毎朝晩、霧がかかるのは寒くてうっとおしいですが、昨夜は適温のお湿り。海からの塩分も含んだ空気が妙に体に染みる感じでした。毎朝のヨガのアーサナも雑念が飛び交うのを断ち切って、この頃は特に呼吸と身体のきしみに神経を傾けて無心になるようにしています。以前、気功を学んでいたころに知った揺さぶりの気功「外丹霊動功」やスワイショウを、股関節痛と坐骨神経痛のために始めて見ることにしました。やり出せば続けるのがわたしの性格だから、1か月後あたりに少し効果も出てくるはず。そういえば山菜は土から気をいただくものだと、確か作家の水上勉が書いていました。春はそういう季節なのだろうか。

■5/19 今日はコシアブラ

この時期、山菜の膨らむテンポは速いので、有珠の沢の裏山に出かけてみました。わたししか入らない道路わきの荒れたカラマツ林ですが、30分もしないでこれだけ。家族の食べる量としては十分です。木をいたわって早々に引き上げて、夜の天婦羅用は別にした残りをごま油で炒めてしょうゆをかけます。コシアブラはただこれだけの調理で、抜群にごはんに合うのです。木の芽時の昼の幸せ。

■5/18 スドキとフキ


このあたりの山菜の王様、スドキが姿を見せ始めました。雑木林が最も美しく見えるこの時期、落ち葉の間から、顔を出します。さっそく、夜の食卓にと調理ました。調理といっても熱湯をくぐらせるだけ。うまい。若いから太い部分もかなり柔らかい。
サインを補修するためにフットパスを一周する山のメンテの途中、これも出たばかりのフキを見つけました。柔らかい中ブキを避け外ブキを切ってみると、中空の茎に虫などはおらずきれい。これも家族で食べる分だけ採って厨房でさっと調理した。これも今季のハツモノ。







■5/15 林道のチェアリング

公園や港などにに簡単な椅子を持ちこんで、気楽に一献するチェアリングなる言葉を聞きます。わたしたちのアウトドアはいつもイスがつきものだけれども、ワインを飲んだりして気取らない。今日も、林道のチェアリングで、渋いお茶をゴクリ。ワインの代わりの嗜好品は、鳥の声。今日はイカルとヒヨドリでした。間もなくやってくるリタイヤの後の「薪のある暮らし」のシミュレーション。ちょこっと働いてちゃんと休む。これなら続けることができそう。

■5/14 今日から取材も始まる

いよいよ、今日から新聞社などの取材が始まりました。まず午後1時過ぎから2時間。お話しているうちにこちらのアタマも再整理でき、さらに報道関係者ならではのポイントも見えて参考になります。一体何社がみえるでしょうか。すでにFMからの予約も来ています。また、謹呈先とのやり取りも今日で一段落。行政、図書館、研究者など含め300冊。

■5/12 ハスカップは明日あたりに開花か@サンクチュアリ


ハスカップの花はまだでした。サンクチュアリの看板は壊れて散乱。これはもう木製手作りの限界と覚悟しました。一方、ハスカップの老木は痛々しく、根元の直径は6cm。後継の稚樹はなし。聖地のハスカップ、これでいいのか。アイヌの人たちが、聖地破壊に反対する気持ちと少し似ています。このあたりが、遊水地の土手になる・・・。現地からのか細い発信。そろそろ、新聞各社からも問い合わせが来る頃。

■5/11 薪を宅配

毎年恒例の薪の特別宅配サービス。厚別と江別に午前午後の2回、合わせて約11立方mを届けた。人力積み込みだから手間との勝負。これもいつまでできるのか、楽観できない。ただ、春の陽気は格別で、樽前山から空沼岳、無意根山、余市岳、手稲山、ピンネシリ山、夕張岳あたりまでズズーとパノラマが広がっていた。もちろん、その右は日高山脈が延々とつながる。南空知の長沼あたりが、これほど山のビューポイントだとは気づかなかった。薪の宅配は連休前後の風物詩になりつつある。

■5/6 再び反グローバリズム宣言(船木さんの提言から)
    ~目の前の現実と向き合い、より良い解決策を探すこと~

雑木林の保育とエネルギー利用を考えている人間がいることを人づてに聞いた、とかつて職場にお見えになった方がいます。氏はわたしとふた回りも歳が離れており、雑木林の隣接地に、薪暖房のテラスハウスのような共同住宅を夢見て、そんなことが実現できないだろうか、と提案されたのでした。その方は現在当NPOの薪会員で、建築家の船木幹也さん。船木さんは建築を軸に環境を重視した未来社会の在り方を常に考えてこられ、昨年、ヒトはどこに向かっているのか、というような視点の著作を2冊、出されました。この出版以前も、実はお茶のみ来られて、自分の考えをまとめられた小冊子を持参されることがしばしばでした。その冊子をたまたま手に取ってめくっているうちに、わたしがこのHPでもしばしば書いてみるローカルの意味に言及した部分が目に入りました。以下、抜き書きしてみます。

「日本人は、歴史や文化を持たない、従って時間に対して無感覚なアメリカモデルを倣い、世界にも誇れる風土に根差した伝統的な自然観や人間観を持った、独特の「森林文化と農耕文化の融合」を「古くさい陳腐な過去」として切り捨てました。結果、手に入れることができたのは、今までと正反対の大量消費、大量廃棄の世界であり、大きな負の遺産としての環境問題です。」(草苅:昨今の身近な森林資源の大量廃棄は目に余る。廃棄することで余った時間ははてどんな意味のあることに使っているのか)


「ここであらためて言いたいことは、アメリカ発のグローバリゼーションに対抗するには、かつて世界中に普遍であったそれぞれの地域に根差したローカルな文化であり、特に日本にあっては、我々が伝統的に培ってきた「自然との共生」という文化しかない・・・(略)・・・。現在世界を席巻しているグローバリズムは、「ローカルであること」を次々に解体し・・・わたしたちは近代的なものに取り囲まれて暮らし・・・しかし本当に手応えのある、生きていくための幸福感、それはどんどん失われているのではないでしょうか。」

わたしもまさにそのようなことを考えつつ、できるだけつつましく修行のようにいきたいと念じていました。夜はビールもワインもしっかり飲みますが(笑い)、それ以外は世界に目を向け、ローカルに着実に動きたい。かつてある先輩に「眼低視高」という言葉を教えてもらいましたが、丁度そのような姿勢といえそう。
そしてたゆまず行動する・・・。ヒトはそのために生きるんだ、と諭されたような思いがしています。10連休最後の日、少し憂鬱になりかけていたのが、これで持ち直しました(笑い

■5/4 山仕事でアイスをいただく

雑木林の保育の後始末は、薪の製品化として延々と続きます。わたしたちも心得たもので、近年は焦りません。サインの修理やフットパスの刈り払いも並行して進めます。そして終わるのがお盆過ぎ、下手すると紅葉直前、などということもあります。そこで、まず、こんな陽気ではアイスのおやつ。

■5/2 自宅へ薪を運んで、さらに割って連休前半終了

薪仕事に励んでいた私に突然、
「〇〇〇の証人です。聖書のお話をさせていただきたくてお邪魔しました」
「すみません、うちは仏教(曹洞宗)なので」
「あ、そうでしたか。…薪ストーブをやっているんですか?」…それからしばらく、薪作りから薪生活の話が続きました。
 さて、話は変わって、苫東ウッディーズメンバー用の今年の薪は、木口にカビの生え不揃いなハネ品のようなものになってしまいました。その2棚、5.4立方mは軽トラでほぼ4台分(写真左4/30)。豊川町の自宅に運び込んで、右の写真のイチイの裏の薪小屋に積み終えた後、今朝から育林コンペなどから搬入した丸太をマサカリで割り始めました。10連休のうち、丸2日を来るべき令和元年の冬の暖房用に費やしたことになります。その合間は休養、安息の時間。が、これで一安心。あとはゆっくりと2立方mほど追加できれば申し分ありません。雑木林との付き合いは、鑑賞と実利の両面で続きます。薪ストーブ独特ののぬくもりの恩恵を受けている家族も丸一日手伝ってくれました。雑木林から始まる薪のある暮らしは、令和の願いにも沿った好ましいものに見えます。


■4/30 雑木林が意外に映えるひととき

早春の何でもないこの時期、雑木林は無性に清々しく見えます。どこという訳ではありません。すべてが、これからだ、という早春の活力がみなぎるのでしょうか。それは氷が解けた地面からの「気」のようなものでしょうか。写真左は「森林むすびの会」の手入れ済み、右は札幌ウッディーズの保育未着手ゾーン。4/29、道端の放置丸太と自分の「山」(育林コンペエリア)の伐倒木数本を薪サイズにして、4/30、これらとともにとともに、空になった自宅の薪小屋に薪2棚を軽トラックで搬入しました。4往復でした。


■4/27 薪ビジネスをどう考えるか

放置された丸太を譲り受け、利用のサイクルに乗せた。 薪は需要があるがスムーズに供給されていない。わたしは薪は本来、身近なところでやり取りするものだと思う。地域の自賄いみたいにするのが理想ではないか。このあたりをもろもろ考えると、いつも思い浮かべるスモール・ビジネス化というのも、歳によるなあと思える。若ければ、簡単にできそうだ。機械装備をそろえて数人で林の手入れから薪ビジネスまでをカバーする「仕事」は実際、可能だ。道内の雑木林の現状と、薪ストーブの潜在的需要をつなげば、隙間産業になりうる。臨機応変にアメーバ的に変幻自在に、しかし決定的にこれではまだ不安定だ。現状を再整理すると
①身の回りの雑木林は随所で放置され、手入れを待っている
②それらからは冬季搬出すれば材の利用はできる
③林内作業車などを買えばもっとできる
④それらを借金でもして装備をそろえれば人を雇える程度のビジネスにはなる
⑤しかし、それほど手広く機材をそろえずとも、平坦地の雑木林はやりくりができる
⑥機械力にどこまで頼り、どこまで人力ですますか。この境界は動く
結局、わたしたちのゴールは薪を売ることではなく、身近な雑木林を、気持ちの良い癒しの森林公園にすること。可能性を秘めたまま、このままいこう。これでいいような気もする。地域フォレスターなどという存在もありうる。林の管理と薪需要を調整する中間組織だ。


■4/24 大島山林についにヒグマ!

支笏積丹系も日高系もなんとなく来ない格別なところだと勝手に思っていた大島山林に、日曜日、ついに目撃情報。わたしの希望的観測は見事に外れ、北広島や札幌と似たような状況になってきました。安平町のホームページには「アイリス団地に足跡目撃情報」というような書き込みがされました。この裏には、最近、林を散策する人が増えたことも背景としてあるようです。

■4/21 フキノトウが開き始める頃、今季最後の薪を焚く

貝付きのホッキがまだ一個250円から300円ほどします。フキノトウとのかき揚げは10日ほど前一度したきりで、フキノトウはもう花が開きそうです。急いで裏山の花のつぼみをたくさんつけたフキノトウを採りました。ホッキとのかき揚げは諦め来年に持ち越して、これでフキ味噌を作ります。フキノトウはこの時期、霜で葉っぱが茶色になったりしますが、今朝も、久々の零度近くまで下がったので薪を燃やしました。おそらく今日が薪の最終日でしょう。3次燃焼させたまま11時ころフェイドアウト。

■4/21 北海道新聞に新刊の広告が出ています。

予定通り、1面下の帯の最初に「ハスカップとわたし」が出ています。メディアへの初デビュー。ハスカップという字がキラキラしているので、すぐ目に入るかもしれません。「あれ、苫小牧からこんな本が?!」というような反応がどのくらい出てくるでしょうか。

■4/20 雑木林「大島山林」に仕事が待っている



平成30年度のシーズンは、昨年夏から秋の度重なる大風と地震で、広さ70ヘクタールの大島山林では大量の風倒木と枝折れが発生しました。当NPOでは広葉樹林の定期的間伐計画を返上してこの風倒木(掛かり木含む)を片づけました。風倒木処理は危険なので通行に支障などなければ放置する所有者も多い中、コモンズでは怪我のないよう細心の注意を払って完全に伐倒し、林内に作ったフットパスなどを利用して運べるものは冬にスノーモービルで運び出しました。その材だけでもこれだけあります。捨ておけばCO2を発生するゴミ運んで利用すれば利用価値の高い木質の再生可能エネルギー「雑木薪」。ナラを半分以上含むバラエティある広葉樹ばかりの薪です。所定のサイズに切って、割って、積む手仕事がまだ山のように残っています。しかもこの時期は、春のシーズンに向けてフットパスのサインを直したり、山仕事は目白押しです。足元にナニワズ(沈丁花の香り)が満開。ルンルン気分で山仕事です。

■4/18 ホームページが復活しました
当ホームページのサーバーへの送信が不具合で、ベトナムに行ってから閲覧できなくなりました。ご心配とご迷惑をおかけしました。昨夜遅く戻り、疲れた体力を復元中です。それでも近年はいわゆるツアーに参加しますのでガイドらにお任せで、個人旅行に比べると天国です。今回は旅慣れた陸別のおじさんオバサングループと一緒でしたので、ずいぶん彼の地・陸別の様子がわかりました。数日間時間を共にする旅行ならではです。

■4/16 人々の暮らし@ベトナム

南北3500kmほどの細長い国をところどころ国内線を使用して南から北へ移動し、かなりの時間はバスで沿道風景を見ることができました。物売りも市場の雑踏も暮らしぶりを想像しながらです。日本人が観光でやってくるインバウンドを受け入れようとするインフラはまだまだこれからで、日本語の表示や日本語を話せるスタッフ、機内アナウンスなどもほとんど日本語はありませんし、旅人から見るとかなり不親切な状況です。ミニバーで使った品をチェックアウト時に申告すると、トランシーバーで連絡をとり客が嘘を言っていないか確かめるのです。中国人、韓国人対策ですが、時間がかかっていい迷惑をします。所得、仕事の有無、国民の感覚など、いわゆる豊かでもっと幸せになっていくための道筋というのは遠く、まだまだこれからだ、と痛感します。
■4/15 世界遺産を巡る

14日は「街並み」のホイアン(写真左)、午後はミーソンという遺跡の世界遺産(右)を巡りました。フランスの植民地だった150年余りの建築の街並みといろいろな文化の混在と融合、遺跡ではアメリカの爆撃で破損され修復始めた遺跡の横で爆撃でできた穴を見ました。戦火はラオスやカンボジア国境で激しかったと聞きますが、リゾートに近いこんな山の中まで爆撃されていたようです。ベトナム戦争後も西側では戦争が続いていたので、平和はいつからだ?と計算しなくてはなりません。復興の匂いすらあります。

■4/14 ベトナムにて

12日夕方、ベトナムの南、かつてのサイゴン(現在のホーチミン市)にきました。ここにはベトナムの総人口約9,000万人のうち1,000万人が住みます。海外を旅行するのは土地の風光明媚を探ることとともに土地の歴史を知り、ひるがえって自国日本の国柄を見つめ直す得難い機会になりますが、ここホーチミン市をわずか一日足らず廻っただけでも、豊かさ貧しさの格差、そして豊かな国側に住む自分が利便の行き届いた都市や究極のリゾートのような場所を通してしか世界も歩けないのではないか、ということを否応なく体が感じます。もちろん、年齢もあります。この春から、新しく北海道で働く人の比率がベトナム人に変わっていく様子を仕事で注目していくという今、送り出す側の国ざまを仄聞するのは興味があり大きなプラスにもなります。この直感になにか真実がこもっているような気がします。
現実は、中心街を爆音たてて疾駆する無数のバイクの波動、その中心が平均年齢29歳といわれる若さと失業、1975年の終戦後も引きずる過去。初日、歴史資料館的な、旧大統領官邸に行きました。ベトナム戦争時代最後のユン・バンチュウ大統領が軍用ヘリコプターで台湾経由米国に亡命するまでの足取りをストーリーとして学ぶことができます。地下の作戦室も開放されて臨場感が強烈にあります。市場は衣服から民芸品、肉魚野菜まで種々雑多。特にパクチーなど香菜を並べた八百屋さんに足を止めました。


■4/11 いい加減な人生の功罪
この歳になってから主に学生時代のいい加減さを思い出して、「いい加減な人生であった」ことを認め、受け入れ、恥じ入ることが増えました。なぜかは知りません。家が貧しく仕送りなしの学生時代にあって楽なバイトであった家庭教師を、山登りに熱中するあまりスポイルし2回もクビになったことや、大学を卒業し就職も決まって赴任するばかりの年度末に、羽を伸ばして麻雀をしていると、学生部から電話で「キミは単位が足りずこのままでは卒業できません」と宣告され凍ったことなど。それはその後10年近く悩まされたトラウマの一部ですが、ざっと半世紀たって振り返ってみると、全体的に立派に「いい加減だった」ことだけがクローズアップされてきます。むしろシビアさと緩さの狭間で揺れ、悩みつつ、方向を是正しつつ辛うじて生きてきたようなカンジ。多少は分別もついた今になって、そのいい加減さが多少のアソビなり多様性の伸びしろになっっていたようだ、と少し弁護したい気もします。

■4/8 今年の山菜事始め

今年もシーズン口開けの山菜はフキノトウでした。土曜日のことです。いつもなら、ややたっぷり目のホッキとかき揚げにするのですが、家内によると貝付きのやや大きめがまだ400円だったとのことで、とりあえずこの日はホッキは抑えめにしてフキノトウ中心。軽いエグミが実にうまい!!易いホッキが出回ってほしい!!
料理用温度計が不調で、今回は目見当ですが、やはりかき揚げに限らず天婦羅は温度管理は欠かせません。amazonでさっそく
測定範囲が220度までの揚げ物専用を注文しました。これから、連休明けにかけてフキノトウを味噌汁にはなしたり、フキ味噌を作ったり、何度か楽しんだ後は、スドキ、浜ボウフウ、コシアブラ、ママコ(イラクサ)などでしょうか。八百屋さんに行って山形のミズなども今年は食べてみようかと思います。


■4/6 新刊『ハスカップとわたし』が届く
 
薪割りなどの山仕事から帰ると、出版社から昨日新刊がどさっと届いていました。合わせて作ってもらったチラシが上の画像です。何とも清々しい画像で、ハスカップのイメージが出ていると思います。わたしはオレゴン州立大学の苗圃で3月、早々に開花するハスカップの花にハチドリが蜜を吸いに来ている写真がお気に入りなのですが、誰に聞いても驚いたような反応がありません。(笑い)これから、寄贈、頒布などいろいろな作業がありますが、ひとつひとつ、丁寧にやっていかねば。まず、執筆や発刊にご協力いただいた方々、そして支えてくれたNPOの関係各位に、感謝を込めて。

■4/3 ビューティフル・ハーモニー beautiful harmony
数日前、ネットで藤原正彦氏の対談を聞いている際、270万部のベストセラー「国家の品格」の次の著書「国家と教養」をまだ読んでいないことに気づき、多少あわてて読書体勢に入りました。よく世界をとらえ整理されていて、刺激と示唆に富む一冊になること請け合いです。氏が描いて見せる昨今の我が国の世界的位置が、まったく別の読書でイメージしたわたしの世界観印象と大きく違わない方向であることには、ちょっと勇気づけられもしました。それに加え、小沢一郎が普通の国になろうと呼びかけたのを完全否定し、日本がもともと世界でも特異な、異常な国だったし、これからもその線を行くべしというユニークな切れの良い言葉を発しています。さすがです。そして時たがわずというべきか、偶然でしょうか、新元号が「令和」と決まりました。ある海外メディアはこの元号の意味をbeautiful harmony と訳しました。これは名訳です。ひょっとすると、新元号は日本が世界でも稀有な価値観の国でありこれからもそうあるという宣言を、世界に向けて発信する大きな契機になっているのかもしれない。藤原氏の言説とそのあたりが微妙に符合しています。


■3/31 コブシ咲く

先週の23日、雑木林を巡回した時に出会ったコブシの風倒木の何本かの枝を持ち帰り、ビールジョッキに挿していたら、ちょうど1週間で咲きました。綿毛に包まれた花芽が膨らむと、まずピョンと一枚の葉っぱが寝ぐせの髪の毛のように飛び出て、一日で芽鱗が割れ落ち、白い花へ。このスピード感はセミの脱皮の如く。

■3/31薪の盗難

昨年、胆振で薪の盗難があるとの話を耳にしましたが、ついに苫東でも発生しました。場所は苫小牧市静川の雑木林ケアセンター前。被害はナラを中心とした、薪用に裁断した丸太、2トントラック1台分。昨年9月の地震と台風による風倒木を処理した丸太のうち、林道沿いの運びやすいものだけが被害を受けました。わたしたちが、林道がぬかるむ間は入らないことにしている時期に入り込んだ模様。盗難届を出すべきか、思案中。写真は地震後の9月16日、林道わきに運び出されたものの一部。やはり、素性の良い商品に見える。予定表を変更しました。

■3/27 外国人労働者の受け入れに関する説明会
1月23日の本欄でダグラス・マレーの『西洋の自死』を紹介し、西洋の移民受け入れの悲惨な現状を垣間見ましたが、わが日本も来る4月1日に、改正出入国・難民認定法が施行されます。いよいよ移民受け入れの時代が来てしまうのかと心配する向きも多々いますし、わたしもそのひとり。そんな中、道経済部が主催する外国人労働者受け入れの説明会が3月初めから全道各地で開催されており、いずれも満員とのこと。関係者の要望を受け、昨日は札幌で追加の制度説明会があり、法務局や厚労省関係者が1時間半にわたって法の内容と取り扱いを説明し、質疑が行われました。社会全体が受け入れに向かっているという切実さが会場(定員250名)にはあって質疑の言葉にも新しい時代への不安と緊張感のようなものがにじみ、新しい受け入れ準備は始まっている感がありました。その一方で、日本の場合は西洋とどこが違うのか、よく見据えておこうという意識が働き、この150年、開拓と国内からの移住受け入れの時間をくぐってきた北海道の展開は、本州とは違う独特の共生はないのか、という問題意識と期待があります。とても重大な社会実験が行われようとしていると思います。

■3/26 養生と修行と
近くリタイヤを控えていることと直接関係はないのですが、この半年、歯科、内科、呼吸器科、循環器科、そして先日の整形外科と、科目の違う医療機関のお世話になりました。これだけ掛かっていると、自分が決して若くないこと、身体にガタが来ていることを否応なく気づかされ、納得・肯定していくことになります。身の周りでは同年代の友人知人で早々他界された方も少なくないから、まだ命をいただいていることの幸運にあらためて感謝せざるを得ません。いただくメールや手紙などでも、その中に近年の身体状況をいやに細かく書き込む方々も目立ち、それをわがことのように実を乗り出すように読み込もうとする自分がいます。それらを全部丸ごと、日常の中に押し込んだパッケージは、「養生と修行」。通勤電車の座席で居住まいをただし呼吸に集中したり。

■3/23 育林コンペにいよいよ馬が活躍



育林コンペではこの冬、馬搬が行われています。厚真森林むすびの会の作業で、保育の仕上がりもなかなかのもの。発生材の利活用はわたしたちの薪とは違い、材はほだ木に裁断されています。比較的細い材が多いことも背景にあります。奇しくも、林道の両側は、保育効果を比較する対照区のようになっており、一帯は、育林をコンペするというテーマにだいぶ近づいてきました。
有機的につながった雑木林の保育。ローカルなネットワークに支えられ、関係者(所有者、コモンズ運営者、各NPO)の自己実現に向け「三方良し」になっていきます。


■3/22 ロッドを振らないフライフィッシャー530km走る


毎年、時間が許せば3月下旬は道南の日本海に向かいます。サケの稚魚が川から海に降りる頃で、稚魚を狙う海のアメマスをフライで釣るために、1泊2日で熊石方面に出向くのです。22日は幸い代休が取そうだったので乙部町の宿を事前に予約して、21日昼過ぎに苫小牧を出ました。あいにく、この日の夕方も今朝も、目当ての熊石・鮎川海岸は低気圧の接近で大荒れで、雨や雪も交じりました。ただの風雨はともかく、フライの場合は向かい風の抵抗があると超難儀で、日本海はアゲンストの西寄りの強い風は勝負になりません。
結局、方針変更、宿の温泉と食事に焦点をあてて、早めに宿について本を読んだりしてゆったりすることにしました。行きは八雲まで高速、そして雲石峠、帰りは瀬棚、ニセコ、支笏湖経由で合計530kmもあります。無駄といえば限りない無駄ですが、道南の風物を眺めつつ、ラジオのニュースや英会話に耳を傾ける1日も悪くありません。前期高齢者の白秋期のささやかな楽しみ方としては、頑張らないこと、自然に逆らわないことも大事です。帰途、黒松内から雪が降り出し真狩あたりは一見地吹雪模様でした。

一方、家のわたしの机の上には、昨年暮れに埋め込んだハスカップの実から出たハスカップが数本大きく伸び、ダメもとでばらまいておいたドングリのひとつがスクスク。ドングリは11月の末、林道で拾ったものでした。どうしても毎年、何か播きたくなる。そして一足先に春を感じる。この光景はちょっと救いでした。


■3/21 松浦武四郎の生誕地を訪ねて

三重県と言えば松阪市出身の松浦武四郎がいます。北海道命名150年を機に、武四郎が引き合いに出ることはことのほか多い昨今ですが、松阪市にその記念館があるので帰途、途中下車してタクシーで往復。北海道から来たと係りの方に告げると、館長がわざわざご挨拶に来られ、展示物の概要をざっとご紹介くださった他、一連の展示物が過去3度、津軽海峡を渡ったことがあると話されました。不覚にも見過ごしてしまったのですが、なるほど、内容は歴史、事物がまさに「総合的」にまとめられていて、動画も4本、わかりやすく用意されています。あまりの面白さに熱中しおかげで、電車と飛行機に乗り損ねるところでした。写真は、特別コーナーの「武四郎涅槃図」。晩年、自分があの世に行くときはこんな風でありたい、と知人の日本画家に数年がかりで描かせたもの。北海道の友人知人たちや動物たちも悲しんで樹下の武四郎を悼んでいる。

■3/18 薪がなくなる頃




用意した薪約7立米余りがとうとう窓の下のものを最後になくなります。いやはや、心細いものですが渡り鳥が春を告げて林も春のモード、薪に頼る冬は終わろうとしています。雑木林では、ここ2週間ほど前からメープルの樹液採取が始まり、大島山林のフットパスは早春の風景です。しかし、落ち葉の下は土がまだらに凍っていて歩きにくいことおびただしい。もうすぐ、泥道はさらにうんで、道は傷むばかりなので立ち入りをしばし休むのが、この地に慣れた人々の習わし。遠浅神社では、ヨーロッパトウヒの特殊伐採が6,7人がかりで行われていました。高所作業車も出動した大掛かりなものでした。

■3/17 熱田神宮と伊勢神宮
熱田神宮

伊勢神宮


伊賀の里にある上野遊水地での研修に参加した夕方と早朝の空き時間に、超のつく古刹を訪問。一つ目は初めての熱田神宮(写真一番上)。参拝者の多くはアジア系の方々で、日本人はほんのわずかでした。長い参道をゆっくり踏みしめながら両側の森の雰囲気に浸りました。最終日の早朝はたぶん4回目になる伊勢神宮。五十鈴川で手を清め、御朱印帳に記帳してもらい、内宮の手前の杉の大木に手をかけて記念撮影(左)。実はJR伊勢市駅の直近にある月夜見宮(つきよみのみや)の大樟との再会も圧巻でした。仕事の方は石狩川の北村遊水地と同じく、農地を洪水調整用地として地役権を設定した、土地の重層的利用(コモンズ)の先進地・上野遊水地を、北村の若手農業者と一緒に訪れて向こうの事業者と農家の方との意見交換が目的。こちらは順調に有意義のうちに終えました。
苫東コモンズの上空は白鳥やガンの群れが、恒例の春の編隊飛行中で、頻繁に聞こえる鳴き声に、つい作業の手を休めて見やってしまいます。


■3/9 薪積みの美学

雪解けが早い。ガンたちが飛び回るようになって途端に雪は消えた。山仕事は昨年より10日早く薪割りに代わった。山仕事に行く前、林業機械の店に寄った際、薪棚を拝見。なんとなく、きれいに積まれた木口に見惚れる。

3/6 住んでいる土地に愛着を持てる幸せ

画像は、今季初めてマガンの声を聴いて数日した今日の昼、家人を空港に送っての帰り、ウトナイ湖の道の駅にて。
野菜とホッキのかき揚げそば(900円)をいただきながら久々の湖面を眺めます。もう対岸の柏原寄りを除けばほとんど氷も割れており、小型のカモだろう姿も点々と見えます。時節柄、もちろん、ワシも2,3羽上空を飛んでいましたが、渡りを控えるガンたちは、田園地帯に出払っているのでしょうか。
今日も眼前にある勇払原野の市民史『ハスカップとわたし』の校正を終日。各章すべてを編者の目で根目回すようにチェックして何回目になるでしょうか、校正だけでも約280Pを3巡目で、それも今日、ようやく完全終了しました。明日、出版社に渡して、あとはすべてお任せです。これだけ読みこんでいると、字を読むという作業を超えて、奥の奥を読むというような、各人の記述の裏にあるだろう思いというものと、各章の矛盾、ひずみみたいなものにジワジワと気づいてきます。
結局、この本は、勇払原野とハスカップをまな板に載せて、自然保護と開発の拮抗の地域史、攻防の実像みたいなものも正直に醸し出されてきます。民意は人の取りよう、表現のしようでいかようにも変えることができますが、事実は目の前にあります。なるほど、これがこの地の思想風土か、というところでしょうか。これも編者冥利に尽きると言えます。
こんな機会を与えてもらったことに心から感謝。

■3/2 雑木林の雪が消える直前に風倒木処理の丸太を運び終える

いつも、滑り込みセーフ。今季も3月第1週に運び出しを完了。出したのはいいのですが、わたしたちの雑木林からの生産100%の「雑木薪」を当てにしている薪会員に過不足なく配ることができるのか、そこが問題です。上空をマガンが飛び始めました。来週からは、マサカリで薪割りを開始します。

■3/1 雪ゼロで数日経過
今年を占うと、まずこの早春は暖冬の端くれのように春に向かうようだ。蟄居したような冬、はじける早春。ああ、やっぱり、春こそよけれ。今日から、自宅とJR糸井駅間の通勤はママチャリ。本音を言えば、裏小路はまだややアブナイ。

2/27季節の土地のものをいただく幸せ

とある和食のお店にひとり入ってみましたら、まだ客はおらず、マスターを相手に苫小牧の比較的近くの山海の地物をいただきました。たっぷりの蘊蓄込みというのは贅沢な話で、勇払原野のこの地に長く住んでいるご利益みたいなものを感じます。お任せで出てきたのは、大滝の伝統的野菜のニンニクで炒め煮た枝豆、森町のカキ(写真左)、ホッキの炙り、白老の400キロのクマの肉(右)、川に上ったシシャモのメスをかるく揚げた紅葉おろし、など。いずれもほんの少量ずつですが、わたしにはちょうどいい腹具合です。太平洋と山と森に近いこの地にいる幸せみたいなものを食で満喫できるのは、こういう探求心のある板前さんあってのこと。さらにそこに互いの人脈とネットワークが絡みます。顔がほころぶ自分に気づきました。

2/24 時代が変わる「今」への評価が飛び込んでくる
平成が終わる御代替わりの2019年、来し方を俯瞰する凝縮された言葉や論評が目に留まります。
中西輝政京大名誉教授(国際関係史、文明史)は月刊誌『致知』2月号の「時流を読む」で、「大切な節目を迎える日本に問われるのは日本人としての自信と誇りのふたつだ」と言います。また劇作家で優れた文化史、文明史をものにする山崎正和氏は2/24の読売新聞朝刊のコラムで、平成の30年が実に特異な考え方の変化を日本人にもたらしたと述べ、それは、自然災害と経済低迷の両手打ちを喰らいながらの公共意識、共助意識の底流れではなかったか、と述べています。
カルロスゴーンが逮捕され、しがらみの多い日本人経営者にはできなかった従業員2万人のリストラを引き換えに4年で日産の経営をV字回復させた一方で、かつての日本人経営者の数十倍の年俸と数十億円もの隠し所得を得ようとする手法は、グローバリゼーションの象徴的な手法だったでしょう。中西教授は今こそグローバリゼーションに安易に流されていくことを踏みとどまるべきと警鐘を鳴らします。日本人の多くも実は国の運営の方向についてうすうす気づき始めていたと思います。『西洋の自死』の著者・ダグラス・マレーも一連の西洋の移民に関する記述の中で、西洋のような移民受け入れの対極で、先進国の中で不法入国者を唯一強制送還までしてグローバリゼーションの深化を踏みとどまってきたのは日本だけだと称賛しています。
ここで折り返すのか、突き進むのか。御代替わりとその前後が大きな選択の舵取りの正念場であるならば、平成31年という今、日本という国柄をもう一度見つめ直す必要が出てきます。
 


■2/23 雑木林に早春の光輝く

丸太の運搬はたけなわ。あと2週間以内に林道の雪が解け、そろそろ南からマガンらの群れもやってきます。約10名、早春の日差しを浴びながら、風倒木処理をした現地と薪ヤードをほぼ15往復。あと一日。一方、町内会のアイリス公園管理は曲がり角に。

■2/20 健康器具と熟睡
大寒のころから、肩こりと背中の痛みがひどいのでカイロでマッサージをしてもらったりしていました。施術士の女性が「ガチガチですね」と言い揉んでもらっているうちに、気持ちが良くて眠ってしまいます。昔なら肩こりなどひたすら我慢するところですが、この頃はちょっと自分の体を多少はいたわるようにしています。といってもそんなに頻繁にいくわけにもいかず、数日来、右下の回転マッサージ器具を背中に当てて、寝転んでゴリゴリ。これだけでもだいぶ爽快感が戻り、就寝前に
の病みつきルーチンになりそうです。


毎日欠かさないのは、早朝の「足ふみくん」とイボイボ踏み。ほぼ20年以上前からの習慣で、これで目が覚めます。これを終えてからヨガマットで、ヨガ・アサーナ、あのストレッチです。どれほどの効果があるか数値化などはできないのですが、腰痛や臀筋・股関節痛をかなり和らげてくれてきたと自己診断。少なくても柔らかい体づくりと、呼吸の調息に役立っているはず。慙愧に堪えないのは、開脚でどんどんお腹が床につくようになっていく過程がうれしくて6,7か月無邪気に前屈をしているうちに、どうやら骨盤が開いてしまったようで、その後の股関節痛はそこから来ている、とある施術士に指摘されたこと。無知と生兵法そのものでした。無呼吸症候群の治療(c-pap)も毎夜欠かさず、振り返れば、結構な健康オタクみたいです。

■2/17 年間予定表を変更しました
new ‼ 2019年のNPO苫東環境コモンズの予定 2/17変更 
こちら

■2/16 自由に発想できる喜び
今年の夏前に42年のサラリーマン生活を終える。20年に及ぶ札幌通勤からも解放される。その準備も進んでいて、その前後のあたらしいプランとかプロジェクトも
、抑えようがないくらいに湧いてくるのです。不思議なものですね。自由に発想できる環境など、ついぞなかったかのように、いつも大小の制約の中で生きてきたと言うのが、わたしだけでなく多くのサラリーマンや仕事人の軌跡でもありましょう。やっと自分本位の自由が手に入る。それも人生の後半に。
五木寛之氏はこの「白秋」は黄金期だ、というのでした。それにしても2018年はそんな最後の勤め人生活だというのと裏腹に、公私とも多忙な日々だったと思います。それをこなせたことが夢のようでもあります。週の中日の水曜日を休日にしたのが、かえって用務を呼び込んでしまったようでした。自由に発想できる環境が、新しいテーマを呼び込む。「白秋」らしい、この幸運には心から感謝せざるを得ない、とこの頃はすっかり「白秋」教のとりこです。


■2/13 ラジオ深夜便 佐藤愛子さんの話
「らじるらじる」でラジオ深夜便を聞いていましたら、お話がちょうど佐藤愛子さんでした。佐藤さんはもう100歳に近くなるお年でありながら活発によく売れる本を書かれている。そうして昨日も「書きながらわかってくることがいっぱいある」とおっしゃる、など興味深いエピソードを話された。そういいながら、聞き手の女性と屈託なく話されていたのが、この本の話になってから、わたしには本気度が違ったように聞こえました。そうです、あの浦河の山荘が昔のアイヌ人たちの霊魂がよどむ場所であったこと、そんなことは露とも知らず、海の見えるこの地で保養していて事情が一変したと語り始めました。なんだかスイッチが入ったのがわかりました。ノンフィクションです。「みなさんにわかってもらえるとは思いませんが・・・」
という意味の言葉をポツポツとおっしゃいながら、翌日に続きます。五木寛之氏の「白秋」ともどこかでつながる、この歳ならではの話題。


■2/11 年齢でなく「季節」を生きる人生観「白秋」
先週末、通勤電車で五木寛之の「白秋期~地図のない明日への旅立ち~」を読み始めました。帯には「黄金時代は人生後半に始まる」、とあります。自分の年代がそっくり当てはまり67歳などはまさに人生の黄金期であり最大の収穫期だ、と。仏教では林住期に当たるとされましたが、「白秋」はそれよりかなり前向きな激励の感があり、政府の「もっと働こう」という掛け声とも呼応するような怪しさももっています。
中国の陰陽五行にある概念のようで、人生を「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」の4つにわけ、「白秋」は、フル回転からシフト・ダウンし、人生の一通りの役割を果たしたあと、ナマナマシイ生存競争から離れ、自由の身となり、秋空のようにシーンと澄み切った静かな境地に暮らす時期、同時にこれまでの生き方をリセットし、新境地で活動する時期、としています。
どうです、なんだか、元気の出るメッセージではないですか。晩年の五木寛之は、宗教家より宗教の神髄を発信しているフシがあります。ちょっと頭を休め、こころを浄化するのに、一服の清涼剤にもなります。
すぐ読めます。

■2/10 年間予定をアップ
NPO苫東環境コモンズの年間予定をアップしました。まだ、たたき台の案のレベルですが、そのまま実施するのが恒例となっています(笑い)。理事会、研修旅行、ハスカップ摘み、チェンソーのスキルアップ講習、山の神など、関係者は主要な計画を押さえてください。➡ ただし、出版記念会は4月を5月にして調整中、秋11月の健康講話は検討中です。

■2/9 極寒の中、搬出2日目

9日の朝は苫小牧の市街地でも-18℃でした。安平町遠浅の山林は−20℃を下回ったはず。当然日中も-8℃あたりでした。しかし、順調に作業は進行。岩見沢からkuriちゃんが応援に来て、素早く懸案の仕事を片づけてくれました。


2/6 薪の水分率

「今年の薪はポヤポヤっと燃えてしまいますねえ」。
シーズン初めにある薪会員とお話していた時の会話のひとこま。それらの薪は、割ってから18か月経っており薪の水分は約5%前後でしたから、これは乾燥は満点、ブランディならコニャックレベルだと思っていたのです。しかしわたしも使いはじめである11月の感想は、確かになるほど、
燃えすぎる」「ストーブが熱くなり過ぎる」でした。この薪も1月半ばになくなって、今度は30年春に割った、水分率が10~15%程度もある薪の出番になりましたら、最初はややもどかしく感じます。確かに今までに比べなかなか温度が上がらないのです。が、間もなくこの方が御しやすいし、コントロールが楽だと思うようになりました。ということはつまり、巷間言われるように1年以上乾燥しなければだめ、ということでもなくて、苫東なら半年もあれば目安の20%まで下がるということで、薪として使用できるということです。これでも行ける、というのはちょっとした安心感と言えます。10年ほど前の初商いでは、燃えが悪いと言われたものですが、今、その全容がわかりかけてきました。

■2/5 鼻のうがい
これまで風邪をひかない、あるいは悪化させない方法として重要視していたのが鼻のうがい。フィルムケースのようなプラスチック容器に食塩やうがい薬を薄め流し込みます。昔の耳鼻咽喉科で頭上のガラス容器からぬるい食塩水を鼻に流し込んで鼻の中を洗う方法が、素晴らしく役に立ったことを思いだして励行していたものです。のどや鼻が風邪っぽいと感じたらすかさずこれをします。近年、鼻のうがいをする器具も売り出したというので探してみましたら、ありました。これです。液体が口と鼻の周りにもれてカッコ悪いですが、まあ、風邪をひかないためには目をつぶりましょう。結構、おすすめです。

■2/2 冬の現場に二人がカムバック

いよいよ、大島山林の保育現場から材の搬出が始まりました。そして年末から作業を休んでいた2名が戻ってきました。快晴でしたので、朝から気温が低く、帰るころは−9℃。それでも総勢8人の雑木林は、気分が弾みます。風倒木が分散しているので、作業現場もテントから半径150mほどに分散してはいますが、見通しのいい林なのでお互いの消息はわかる環境で、相互に様子を見に行ったり。
危険な作業は、いわば実は命がけですが、決して命がけにならないよう、お互いに戒めつつ、日々、初心を忘れず技術と安全管理を復習し眼前の雑木林に向き合います。地域活動は手ごたえが大きいものです。だからこそ、作業に参集する人は減らないのではないか。

■1/30 広葉樹林の保育方法の調査成果を報告

昨年6月に苫東コモンズのオーナーから受託した、広葉樹林の取り扱いに関する調査業務の成果品(100pあまり)を、今日、完了届とともに発注元にお届けしました。これから緑地関係を担当する若い後継者も同席し、色々な意見交換の場となりました。本調査を通じて、個人的にもかなり見えてきた部分や発見も多く、またもや人生冥利に尽きる仕事となりました。
ミズナラ・コナラ林という「雑木林」をどう将来に向けて持続させるのかは、苫東アセスの重要な未解決課題であったと同時に、わたしにとってはライフワークといってもよいものだっただけに、単なるコンサル仕事ではなく、大きな手ごたえもあったのです。しかも、準備段階から、NPOメンバーの精力的な山仕事や電気牧柵の資材調達などに支えられ、かつ、大学の先生などアカデミズムにもサポートしていただくという幸運もありました。オーナーの許可が下りればですが、どこかにリンクを張って公開させていただくのも手かな、と思っています。


■1/26 山仕事色々

たかが里山の山仕事。しかし、やることが一杯だ。それを何とか間に合わせて一歩ずつ進む。今日はスノーモービルが不調で、始動まで2時間もとられた。プラグを交換し、トルク調節。メンバーを巻き沿いにして手伝ってもらう。ずいぶん雪が降ったので、migitaさんはトラクターで林道の除雪。一方、ohsawaさんは午後からアカエゾマツの造林地に着手。帰り際、作業あとに寄ってみると、一帯はぷーんとテレペン油の芳香が漂っていた。

■1/23 これは読まねば「西洋の自死」
「歴史的罪悪感に苦しむ欧州人」
「原罪を背負って生まれてきたと感じているのは現代の欧州人だけではないかもしれない。しかし欧州人は明らかにそのことで最も苦しんでいるように見える。今日の欧州人は―――他人がそのことを持ち出すずっと前から―――自分たちが特定の歴史的罪悪感を背負うべきだと感じている。そこには戦争、とりわけホロコーストの罪悪感だけでなく、過去に関わるあらゆる領域の罪悪感が含まれる。例えば消えやらぬ植民地主義や人種差別主義の罪悪感などだ。・・・」
これは驚きました。昨日の打ち合わせで、ある高名な先生がアイヌ関係の話題を提供されようとしたときに用意されていた4pの資料の冒頭にあった下りです。ヨーロッパ人がドイツのホロコーストはともかく日本を除く世界各地に植民地をつくり搾取してきたことや、有色人種を差別し他国民を拉致し奴隷として売買したことを、現代人が原罪として苦しんでいる、と。そんな話は寡聞にして聞いたことがありません。本当でしょうか。英国のバースに行った折、まちの重厚なインフラが目に入りましたが、近在に棲む住民の方は、この富は奴隷貿易によるものだと説明してくれました。果たして英国人がこのインフラを見て原罪を感じ苦しんできたのでしょうか。信じられません。という訳で、これは読まねばならない。東洋経済新報社から昨年末12/27の発行。著者はダグラス・マレー。
内容紹介にはこうある➡英国で数々の賞を受賞した若きジャーナリストが欧州の移民問題を徹底ルポ。移民受け入れをめぐる「罪悪感」と「疲れ」がもたらした欧州リベラリズムの死に方を克明に描く。BOOKデータベースには➡「欧州リベラリズムの死に方。気鋭のジャーナリストが、今まで誰も書けなかったタブーに挑んだ大問題作。英国『サンデー・タイムズ』紙のナンバーワンブック、『イブニング・スタンダード』紙のブックオブザイヤー。」


1/20 原始が原の新雪ダウンヒルを思い出す


スケッチブックには1981年元旦とあるからなんと38年前である。アカエゾマツの純林が広がる富良野・麓郷の原始が原に夏用のペラペラのテントを張って小屋掛けし、上ホロカメットク山などの新雪ダウンヒルをしていた。わたしは体力に自信があったから、さっとスケッチブックを出してこの風景を納めた。ダウンヒルも素晴らしかった。

これはさらに前、農学部で研究生をしていたころ。メンバー10人ほどで原始が原から標高1000mをトラバースし、トムラウシ温泉に向かった時のスケッチ。ラッセルしながら1週間の山旅だった。森林限界付近のアカエゾマツはこんな風である。黒い森に見える。


■1/19 切株でわかる伐倒の履歴


昼前、掛かり木処理のSOSがきたので行ってみました。切り株に乗っかったままの樹幹をまずトビで地面に落として見えたのがこの切り株。クサビもちゃんと使ったといい、受け口もいい形に仕上がっているのですが、なんと、伐倒方向をコントロールするツルがありません。これだと制御が全く効かなくなり、重心の掛かっている方向に自然に倒れてしまいます。その方向は、作業者が意図したのとは90度違ったのです。これでは、技術を駆使したことになりません。現場で反省会、テントでももう一度皆でおさらい。切株は行為の履歴を残します。

■1/16 苫東の雑木林の保育サイクル


月末が締め切りの受託調査のため、レポートづくりは最後の段階に差し掛かっています。どん詰まりのまとめをどうしようかと考えた末、今日(中日の休日)は、森林調査簿にもとづいて、わたしの関わった作業の履歴を加え、保育サイクルの図を作ってみました。その結果、なんだか、面白い苫東コモンズらしい展開になってきました。

■1/14 シュバルツ・バルトの試み

週刊の英字新聞を見ていると、ドイツのシュバルツ・バルトの針葉樹の風倒木をそのままにして自然に返す、という国立公園の研究プログラムが目に入りました。シュバルツ・バルトは、いわゆる黒い森と言われるところで、カジノのある温泉リゾート・バーデンバーデンを含む一帯ですが、確かに冬の針葉樹林というのはフィンランドもドイツも、そして北海道でも、黒い印象があります。あれは樹木の耐凍性に関係していると思うのですが、それはさておき、今、NPO苫東環境コモンズでは針葉樹ではない広葉樹の風倒木の、終わりの見えない処理に追われています。が、これも里山の資源を無駄にしたくないという気持ちからです。確かに北大の構内や苫小牧の研究林などでは、倒れた後、どのように植生や環境が変化していくのか研究するという目的で、エコミュージアムのようなテーマを持って積極的に放置するという考えも聞きます。そこは割り切りでしょう。また、省力化という理由もありそうです。あの危険で困難で赤字になる整理なんか誰もしたくない、B/Cでも無駄だという本音もちらつきます。しかし、ここはやはり、里山は違うよ、と言い切っておきましょう。

■1/13  歴史を学んで

百田尚樹著「日本国紀」505ページを、ほぼ通勤時に読み終えました。twitterなどではリベラル系と呼ばれる方々から種々難癖をつけられていますが、わたしは心底読んでよかったと思います。今年の半ば、勤め人生活を卒業したら歴史の世界にもっと踏み込もうと思いますが、天皇が「御代替わり」(みよがわり)される今年、いいステップにもなりました。「私たちは何者なのか」、そして、日本とはどういう国なのか。普段、歴史家が素通りしてきた事柄に突っ込み、様々な学説を公正に披瀝し、そのうえで百田氏自らの仮説を仮説としたうえで史実と呼ばれるものをコラムという特別枠でつないでみせる。あるリベラル派に見える方に、読むおつもりですか、とお聞きしたら、間違った歴史観に染まるのがいやだから、と敬遠していましたが、そもそもわたしたちが学んだ歴史が、近年かなりゆがんだものであったことがわかってきました。肝心の近現代史を教育が省略してきた(避けてきた)節もあります。大東亜戦争の是々非々を赤裸々に、かつ断片をつないで明白に描いて見せたのも特筆ものでした。情けなさと正道に向かおうとするその反動。不勉強だった私にとってはかけがえのない教科書でした。

■1/12 凛とした冬の雑木林

少しまとまった雪が降って、大島山林の積雪は20cm少々になりました。地元でトラクターも操る migita さんがさっそく公道からテントまでの除雪をしてくれました。除雪がなくても車もなんとか入っていける状態ですが、除雪なしならこの程度が限界でしょう。
高村光太郎の詩に、凛とした冬が来る、という意味の一節がありますが、晴天の雑木林は、まさにこの言葉を思い起こさせます。冬の雑木林こそ、森林セラピーや散策にむいています。冬は暗いというイメージを持つ人は多いのですが、日本の太平洋側はむしろ胸膨らむ光景が展開するのです。今日はそんな一日。しみじみ、幸せを感じます。


■1/9 薪が底をつきそうだ

我が家の薪小屋の薪があと一列になりました(左はシーズン前、右が現在)。ほかにもちまちまと軒先などに積んではありますが、乾燥が足りません。怠けていたわけではなく、今年の分を昨シーズンに先食いしていたためです。このモノ余りの時代に、何とも奇特な窮乏感、飢餓感。灯油に頼らないということは、実に大変なことです。

■1/5 山の初仕事

2019年の山仕事が始まりました。一番乗りは地元の長老・migitaさん。昭和8年熊本生まれだから86歳のはず。今日も、大島山林の現場の薪ストーブには早々に火がつき、9時半過ぎにはチェンソーのエンジン音が響き渡っていました。町内では神社の世話役などいろいろな公務を持ち、とにかく何事にも労を惜しまない方。NPOでもトラクターを駆使して駐車場や林道の除雪を受け持ってくれます。NPO苫東環境コモンズにとって、地元一番の理解者。migita さんがいなくては山仕事の効率は大幅にダウンすること間違いなしです。今年も作業の安全第一を誓い、三々五々風倒木の処理に精を出しました。

1/3 日の出前の早朝の発見など



2日の未明、いつもの夜明けの明星・金星がお月様に急接近しています。こんなこともあるのかと不思議に思って今朝3日も同じころに南の空を眺めると、三日月はまだ向いの家の屋根に隠れていて、やがてグングン金星に追いついて来るのです。なるほど、そうなっているのか。天体は別々の原理(軌道)で意外に早く動くことを知りました。この未明の天体ショーがあまりに美しいのでソファに枕を置いてしばらく横になってみていました。初日の出は見ることができませんでしたので、比較的晴れた2日の8時前、のどかな太平洋を見に行ってみました。どこへ向かうのか大きなフェリーが出港するところでした。樽前山神社は2日昼、結構な人出。家内と娘と三人、好天の初詣です。その足で久々の北大研究林へ小鳥の手載せに。どうしたのか小鳥が少なくとても静か。2日になってやっと外に出ましたが、今年の年末年始は、家にこもって受託調査のレポートを毎日コツコツ書いて過ごしていたのです。それはそれで思いがけずとても充実した時間でした。おかげで今月末の期限まで成果品の提出ができそうでホッとしました。

■2019/1/1 春風献上
穏やかな元日を迎えました。今年もどうぞよろしくお付き合いのほどをお願いします。一年の抱負をなにか言葉にしようと紙に向かってみましたが、勤め人人生最後の半年をスルスルと潜り抜けて悠々自適の日々に憧れる気持ちと、いやいやもっと自律的に生涯現役の心がけで前進、と強引に背中を押す自分が一緒にいます。そして結局はいつもの随流去(ずいりゅうこ)、流れに任せよう、です。
今年は何回目かの伊勢神宮に参拝したいし念願の熊野古道もまだだし、アジアならベトナムに出かけたい。歴史の勉強にも励み、初めて源氏物語にも挑戦したい。古事記も読みなおしたい。ハスカップの出版ももうすぐだし、育林コンペで薪作りも本格化したい。一年途絶えたフライフィッシングも再開し、料理の腕も上げたい。よおし、煮詰まってきた、今年も頑張っていこう!