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2019年、日々の迷走


■4/11 いい加減な人生の功罪
この歳になってから主に学生時代のいい加減さを思い出して、「いい加減な人生であった」ことを認め、受け入れ、恥じ入ることが増えました。なぜかは知りません。家が貧しく仕送りなしの学生時代にあって楽なバイトであった家庭教師を、山登りに熱中するあまりスポイルし2回もクビになったことや、大学を卒業し就職も決まって赴任するばかりの年度末に、羽を伸ばして麻雀をしていると、学生部から電話で「キミは単位が足りずこのままでは卒業できません」と宣告され凍ったことなど。それはその後10年近く悩まされたトラウマの一部ですが、ざっと半世紀たって振り返ってみると、全体的に立派に「いい加減だった」ことだけがクローズアップされてきます。むしろシビアさと緩さの狭間で揺れ、悩みつつ、方向を是正しつつ辛うじて生きてきたようなカンジ。多少は分別もついた今になって、そのいい加減さが多少のアソビなり多様性の伸びしろになっっていたようだ、と少し弁護したい気もします。

■4/8 今年の山菜事始め

今年もシーズン口開けの山菜はフキノトウでした。土曜日のことです。いつもなら、ややたっぷり目のホッキとかき揚げにするのですが、家内によると貝付きのやや大きめがまだ400円だったとのことで、とりあえずこの日はホッキは抑えめにしてフキノトウ中心。軽いエグミが実にうまい!!易いホッキが出回ってほしい!!
料理用温度計が不調で、今回は目見当ですが、やはりかき揚げに限らず天婦羅は温度管理は欠かせません。amazonでさっそく
測定範囲が220度までの揚げ物専用を注文しました。これから、連休明けにかけてフキノトウを味噌汁にはなしたり、フキ味噌を作ったり、何度か楽しんだ後は、スドキ、浜ボウフウ、コシアブラ、ママコ(イラクサ)などでしょうか。八百屋さんに行って山形のミズなども今年は食べてみようかと思います。


■4/6 新刊『ハスカップとわたし』が届く
 
薪割りなどの山仕事から帰ると、出版社から昨日新刊がどさっと届いていました。合わせて作ってもらったチラシが上の画像です。何とも清々しい画像で、ハスカップのイメージが出ていると思います。わたしはオレゴン州立大学の苗圃で3月、早々に開花するハスカップの花にハチドリが蜜を吸いに来ている写真がお気に入りなのですが、誰に聞いても驚いたような反応がありません。(笑い)これから、寄贈、頒布などいろいろな作業がありますが、ひとつひとつ、丁寧にやっていかねば。まず、執筆や発刊にご協力いただいた方々、そして支えてくれたNPOの関係各位に、感謝を込めて。

■4/3 ビューティフル・ハーモニー beautiful harmony
数日前、ネットで藤原正彦氏の対談を聞いている際、270万部のベストセラー「国家の品格」の次の著書「国家と教養」をまだ読んでいないことに気づき、多少あわてて読書体勢に入りました。よく世界をとらえ整理されていて、刺激と示唆に富む一冊になること請け合いです。氏が描いて見せる昨今の我が国の世界的位置が、まったく別の読書でイメージしたわたしの世界観印象と大きく違わない方向であることには、ちょっと勇気づけられもしました。それに加え、小沢一郎が普通の国になろうと呼びかけたのを完全否定し、日本がもともと世界でも特異な、異常な国だったし、これからもその線を行くべしというユニークな切れの良い言葉を発しています。さすがです。そして時たがわずというべきか、偶然でしょうか、新元号が「令和」と決まりました。ある海外メディアはこの元号の意味をbeautiful harmony と訳しました。これは名訳です。ひょっとすると、新元号は日本が世界でも稀有な価値観の国でありこれからもそうあるという宣言を、世界に向けて発信する大きな契機になっているのかもしれない。藤原氏の言説とそのあたりが微妙に符合しています。


■3/31 コブシ咲く

先週の23日、雑木林を巡回した時に出会ったコブシの風倒木の何本かの枝を持ち帰り、ビールジョッキに挿していたら、ちょうど1週間で咲きました。綿毛に包まれた花芽が膨らむと、まずピョンと一枚の葉っぱが寝ぐせの髪の毛のように飛び出て、一日で芽鱗が割れ落ち、白い花へ。このスピード感はセミの脱皮の如く。

■3/31薪の盗難

昨年、胆振で薪の盗難があるとの話を耳にしましたが、ついに苫東でも発生しました。場所は苫小牧市静川の雑木林ケアセンター前。被害はナラを中心とした、薪用に裁断した丸太、2トントラック1台分。昨年9月の地震と台風による風倒木を処理した丸太のうち、林道沿いの運びやすいものだけが被害を受けました。わたしたちが、林道がぬかるむ間は入らないことにしている時期に入り込んだ模様。盗難届を出すべきか、思案中。写真は地震後の9月16日、林道わきに運び出されたものの一部。やはり、素性の良い商品に見える。予定表を変更しました。

■3/27 外国人労働者の受け入れに関する説明会
1月23日の本欄でダグラス・マレーの『西洋の自死』を紹介し、西洋の移民受け入れの悲惨な現状を垣間見ましたが、わが日本も来る4月1日に、改正出入国・難民認定法が施行されます。いよいよ移民受け入れの時代が来てしまうのかと心配する向きも多々いますし、わたしもそのひとり。そんな中、道経済部が主催する外国人労働者受け入れの説明会が3月初めから全道各地で開催されており、いずれも満員とのこと。関係者の要望を受け、昨日は札幌で追加の制度説明会があり、法務局や厚労省関係者が1時間半にわたって法の内容と取り扱いを説明し、質疑が行われました。社会全体が受け入れに向かっているという切実さが会場(定員250名)にはあって質疑の言葉にも新しい時代への不安と緊張感のようなものがにじみ、新しい受け入れ準備は始まっている感がありました。その一方で、日本の場合は西洋とどこが違うのか、よく見据えておこうという意識が働き、この150年、開拓と国内からの移住受け入れの時間をくぐってきた北海道の展開は、本州とは違う独特の共生はないのか、という問題意識と期待があります。とても重大な社会実験が行われようとしていると思います。

■3/26 養生と修行と
近くリタイヤを控えていることと直接関係はないのですが、この半年、歯科、内科、呼吸器科、循環器科、そして先日の整形外科と、科目の違う医療機関のお世話になりました。これだけ掛かっていると、自分が決して若くないこと、身体にガタが来ていることを否応なく気づかされ、納得・肯定していくことになります。身の周りでは同年代の友人知人で早々他界された方も少なくないから、まだ命をいただいていることの幸運にあらためて感謝せざるを得ません。いただくメールや手紙などでも、その中に近年の身体状況をいやに細かく書き込む方々も目立ち、それをわがことのように実を乗り出すように読み込もうとする自分がいます。それらを全部丸ごと、日常の中に押し込んだパッケージは、「養生と修行」。通勤電車の座席で居住まいをただし呼吸に集中したり。

■3/23 育林コンペにいよいよ馬が活躍



育林コンペではこの冬、馬搬が行われています。厚真森林むすびの会の作業で、保育の仕上がりもなかなかのもの。発生材の利活用はわたしたちの薪とは違い、材はほだ木に裁断されています。比較的細い材が多いことも背景にあります。奇しくも、林道の両側は、保育効果を比較する対照区のようになっており、一帯は、育林をコンペするというテーマにだいぶ近づいてきました。
有機的につながった雑木林の保育。ローカルなネットワークに支えられ、関係者(所有者、コモンズ運営者、各NPO)の自己実現に向け「三方良し」になっていきます。


■3/22 ロッドを振らないフライフィッシャー530km走る


毎年、時間が許せば3月下旬は道南の日本海に向かいます。サケの稚魚が川から海に降りる頃で、稚魚を狙う海のアメマスをフライで釣るために、1泊2日で熊石方面に出向くのです。22日は幸い代休が取そうだったので乙部町の宿を事前に予約して、21日昼過ぎに苫小牧を出ました。あいにく、この日の夕方も今朝も、目当ての熊石・鮎川海岸は低気圧の接近で大荒れで、雨や雪も交じりました。ただの風雨はともかく、フライの場合は向かい風の抵抗があると超難儀で、日本海はアゲンストの西寄りの強い風は勝負になりません。
結局、方針変更、宿の温泉と食事に焦点をあてて、早めに宿について本を読んだりしてゆったりすることにしました。行きは八雲まで高速、そして雲石峠、帰りは瀬棚、ニセコ、支笏湖経由で合計530kmもあります。無駄といえば限りない無駄ですが、道南の風物を眺めつつ、ラジオのニュースや英会話に耳を傾ける1日も悪くありません。前期高齢者の白秋期のささやかな楽しみ方としては、頑張らないこと、自然に逆らわないことも大事です。帰途、黒松内から雪が降り出し真狩あたりは一見地吹雪模様でした。

一方、家のわたしの机の上には、昨年暮れに埋め込んだハスカップの実から出たハスカップが数本大きく伸び、ダメもとでばらまいておいたドングリのひとつがスクスク。ドングリは11月の末、林道で拾ったものでした。どうしても毎年、何か播きたくなる。そして一足先に春を感じる。この光景はちょっと救いでした。


■3/21 松浦武四郎の生誕地を訪ねて

三重県と言えば松阪市出身の松浦武四郎がいます。北海道命名150年を機に、武四郎が引き合いに出ることはことのほか多い昨今ですが、松阪市にその記念館があるので帰途、途中下車してタクシーで往復。北海道から来たと係りの方に告げると、館長がわざわざご挨拶に来られ、展示物の概要をざっとご紹介くださった他、一連の展示物が過去3度、津軽海峡を渡ったことがあると話されました。不覚にも見過ごしてしまったのですが、なるほど、内容は歴史、事物がまさに「総合的」にまとめられていて、動画も4本、わかりやすく用意されています。あまりの面白さに熱中しおかげで、電車と飛行機に乗り損ねるところでした。写真は、特別コーナーの「武四郎涅槃図」。晩年、自分があの世に行くときはこんな風でありたい、と知人の日本画家に数年がかりで描かせたもの。北海道の友人知人たちや動物たちも悲しんで樹下の武四郎を悼んでいる。

■3/18 薪がなくなる頃




用意した薪約7立米余りがとうとう窓の下のものを最後になくなります。いやはや、心細いものですが渡り鳥が春を告げて林も春のモード、薪に頼る冬は終わろうとしています。雑木林では、ここ2週間ほど前からメープルの樹液採取が始まり、大島山林のフットパスは早春の風景です。しかし、落ち葉の下は土がまだらに凍っていて歩きにくいことおびただしい。もうすぐ、泥道はさらにうんで、道は傷むばかりなので立ち入りをしばし休むのが、この地に慣れた人々の習わし。遠浅神社では、ヨーロッパトウヒの特殊伐採が6,7人がかりで行われていました。高所作業車も出動した大掛かりなものでした。

■3/17 熱田神宮と伊勢神宮
熱田神宮

伊勢神宮


伊賀の里にある上野遊水地での研修に参加した夕方と早朝の空き時間に、超のつく古刹を訪問。一つ目は初めての熱田神宮(写真一番上)。参拝者の多くはアジア系の方々で、日本人はほんのわずかでした。長い参道をゆっくり踏みしめながら両側の森の雰囲気に浸りました。最終日の早朝はたぶん4回目になる伊勢神宮。五十鈴川で手を清め、御朱印帳に記帳してもらい、内宮の手前の杉の大木に手をかけて記念撮影(左)。実はJR伊勢市駅の直近にある月夜見宮(つきよみのみや)の大樟との再会も圧巻でした。仕事の方は石狩川の北村遊水地と同じく、農地を洪水調整用地として地役権を設定した、土地の重層的利用(コモンズ)の先進地・上野遊水地を、北村の若手農業者と一緒に訪れて向こうの事業者と農家の方との意見交換が目的。こちらは順調に有意義のうちに終えました。
苫東コモンズの上空は白鳥やガンの群れが、恒例の春の編隊飛行中で、頻繁に聞こえる鳴き声に、つい作業の手を休めて見やってしまいます。


■3/9 薪積みの美学

雪解けが早い。ガンたちが飛び回るようになって途端に雪は消えた。山仕事は昨年より10日早く薪割りに代わった。山仕事に行く前、林業機械の店に寄った際、薪棚を拝見。なんとなく、きれいに積まれた木口に見惚れる。

3/6 住んでいる土地に愛着を持てる幸せ

画像は、今季初めてマガンの声を聴いて数日した今日の昼、家人を空港に送っての帰り、ウトナイ湖の道の駅にて。
野菜とホッキのかき揚げそば(900円)をいただきながら久々の湖面を眺めます。もう対岸の柏原寄りを除けばほとんど氷も割れており、小型のカモだろう姿も点々と見えます。時節柄、もちろん、ワシも2,3羽上空を飛んでいましたが、渡りを控えるガンたちは、田園地帯に出払っているのでしょうか。
今日も眼前にある勇払原野の市民史『ハスカップとわたし』の校正を終日。各章すべてを編者の目で根目回すようにチェックして何回目になるでしょうか、校正だけでも約280Pを3巡目で、それも今日、ようやく完全終了しました。明日、出版社に渡して、あとはすべてお任せです。これだけ読みこんでいると、字を読むという作業を超えて、奥の奥を読むというような、各人の記述の裏にあるだろう思いというものと、各章の矛盾、ひずみみたいなものにジワジワと気づいてきます。
結局、この本は、勇払原野とハスカップをまな板に載せて、自然保護と開発の拮抗の地域史、攻防の実像みたいなものも正直に醸し出されてきます。民意は人の取りよう、表現のしようでいかようにも変えることができますが、事実は目の前にあります。なるほど、これがこの地の思想風土か、というところでしょうか。これも編者冥利に尽きると言えます。
こんな機会を与えてもらったことに心から感謝。

■3/2 雑木林の雪が消える直前に風倒木処理の丸太を運び終える

いつも、滑り込みセーフ。今季も3月第1週に運び出しを完了。出したのはいいのですが、わたしたちの雑木林からの生産100%の「雑木薪」を当てにしている薪会員に過不足なく配ることができるのか、そこが問題です。上空をマガンが飛び始めました。来週からは、マサカリで薪割りを開始します。

■3/1 雪ゼロで数日経過
今年を占うと、まずこの早春は暖冬の端くれのように春に向かうようだ。蟄居したような冬、はじける早春。ああ、やっぱり、春こそよけれ。今日から、自宅とJR糸井駅間の通勤はママチャリ。本音を言えば、裏小路はまだややアブナイ。

2/27季節の土地のものをいただく幸せ

とある和食のお店にひとり入ってみましたら、まだ客はおらず、マスターを相手に苫小牧の比較的近くの山海の地物をいただきました。たっぷりの蘊蓄込みというのは贅沢な話で、勇払原野のこの地に長く住んでいるご利益みたいなものを感じます。お任せで出てきたのは、大滝の伝統的野菜のニンニクで炒め煮た枝豆、森町のカキ(写真左)、ホッキの炙り、白老の400キロのクマの肉(右)、川に上ったシシャモのメスをかるく揚げた紅葉おろし、など。いずれもほんの少量ずつですが、わたしにはちょうどいい腹具合です。太平洋と山と森に近いこの地にいる幸せみたいなものを食で満喫できるのは、こういう探求心のある板前さんあってのこと。さらにそこに互いの人脈とネットワークが絡みます。顔がほころぶ自分に気づきました。

2/24 時代が変わる「今」への評価が飛び込んでくる
平成が終わる御代替わりの2019年、来し方を俯瞰する凝縮された言葉や論評が目に留まります。
中西輝政京大名誉教授(国際関係史、文明史)は月刊誌『致知』2月号の「時流を読む」で、「大切な節目を迎える日本に問われるのは日本人としての自信と誇りのふたつだ」と言います。また劇作家で優れた文化史、文明史をものにする山崎正和氏は2/24の読売新聞朝刊のコラムで、平成の30年が実に特異な考え方の変化を日本人にもたらしたと述べ、それは、自然災害と経済低迷の両手打ちを喰らいながらの公共意識、共助意識の底流れではなかったか、と述べています。
カルロスゴーンが逮捕され、しがらみの多い日本人経営者にはできなかった従業員2万人のリストラを引き換えに4年で日産の経営をV字回復させた一方で、かつての日本人経営者の数十倍の年俸と数十億円もの隠し所得を得ようとする手法は、グローバリゼーションの象徴的な手法だったでしょう。中西教授は今こそグローバリゼーションに安易に流されていくことを踏みとどまるべきと警鐘を鳴らします。日本人の多くも実は国の運営の方向についてうすうす気づき始めていたと思います。『西洋の自死』の著者・ダグラス・マレーも一連の西洋の移民に関する記述の中で、西洋のような移民受け入れの対極で、先進国の中で不法入国者を唯一強制送還までしてグローバリゼーションの深化を踏みとどまってきたのは日本だけだと称賛しています。
ここで折り返すのか、突き進むのか。御代替わりとその前後が大きな選択の舵取りの正念場であるならば、平成31年という今、日本という国柄をもう一度見つめ直す必要が出てきます。
 


■2/23 雑木林に早春の光輝く

丸太の運搬はたけなわ。あと2週間以内に林道の雪が解け、そろそろ南からマガンらの群れもやってきます。約10名、早春の日差しを浴びながら、風倒木処理をした現地と薪ヤードをほぼ15往復。あと一日。一方、町内会のアイリス公園管理は曲がり角に。

■2/20 健康器具と熟睡
大寒のころから、肩こりと背中の痛みがひどいのでカイロでマッサージをしてもらったりしていました。施術士の女性が「ガチガチですね」と言い揉んでもらっているうちに、気持ちが良くて眠ってしまいます。昔なら肩こりなどひたすら我慢するところですが、この頃はちょっと自分の体を多少はいたわるようにしています。といってもそんなに頻繁にいくわけにもいかず、数日来、右下の回転マッサージ器具を背中に当てて、寝転んでゴリゴリ。これだけでもだいぶ爽快感が戻り、就寝前に
の病みつきルーチンになりそうです。


毎日欠かさないのは、早朝の「足ふみくん」とイボイボ踏み。ほぼ20年以上前からの習慣で、これで目が覚めます。これを終えてからヨガマットで、ヨガ・アサーナ、あのストレッチです。どれほどの効果があるか数値化などはできないのですが、腰痛や臀筋・股関節痛をかなり和らげてくれてきたと自己診断。少なくても柔らかい体づくりと、呼吸の調息に役立っているはず。慙愧に堪えないのは、開脚でどんどんお腹が床につくようになっていく過程がうれしくて6,7か月無邪気に前屈をしているうちに、どうやら骨盤が開いてしまったようで、その後の股関節痛はそこから来ている、とある施術士に指摘されたこと。無知と生兵法そのものでした。無呼吸症候群の治療(c-pap)も毎夜欠かさず、振り返れば、結構な健康オタクみたいです。

■2/17 年間予定表を変更しました
new ‼ 2019年のNPO苫東環境コモンズの予定 2/17変更 
こちら

■2/16 自由に発想できる喜び
今年の夏前に42年のサラリーマン生活を終える。20年に及ぶ札幌通勤からも解放される。その準備も進んでいて、その前後のあたらしいプランとかプロジェクトも
、抑えようがないくらいに湧いてくるのです。不思議なものですね。自由に発想できる環境など、ついぞなかったかのように、いつも大小の制約の中で生きてきたと言うのが、わたしだけでなく多くのサラリーマンや仕事人の軌跡でもありましょう。やっと自分本位の自由が手に入る。それも人生の後半に。
五木寛之氏はこの「白秋」は黄金期だ、というのでした。それにしても2018年はそんな最後の勤め人生活だというのと裏腹に、公私とも多忙な日々だったと思います。それをこなせたことが夢のようでもあります。週の中日の水曜日を休日にしたのが、かえって用務を呼び込んでしまったようでした。自由に発想できる環境が、新しいテーマを呼び込む。「白秋」らしい、この幸運には心から感謝せざるを得ない、とこの頃はすっかり「白秋」教のとりこです。


■2/13 ラジオ深夜便 佐藤愛子さんの話
「らじるらじる」でラジオ深夜便を聞いていましたら、お話がちょうど佐藤愛子さんでした。佐藤さんはもう100歳に近くなるお年でありながら活発によく売れる本を書かれている。そうして昨日も「書きながらわかってくることがいっぱいある」とおっしゃる、など興味深いエピソードを話された。そういいながら、聞き手の女性と屈託なく話されていたのが、この本の話になってから、わたしには本気度が違ったように聞こえました。そうです、あの浦河の山荘が昔のアイヌ人たちの霊魂がよどむ場所であったこと、そんなことは露とも知らず、海の見えるこの地で保養していて事情が一変したと語り始めました。なんだかスイッチが入ったのがわかりました。ノンフィクションです。「みなさんにわかってもらえるとは思いませんが・・・」
という意味の言葉をポツポツとおっしゃいながら、翌日に続きます。五木寛之氏の「白秋」ともどこかでつながる、この歳ならではの話題。


■2/11 年齢でなく「季節」を生きる人生観「白秋」
先週末、通勤電車で五木寛之の「白秋期~地図のない明日への旅立ち~」を読み始めました。帯には「黄金時代は人生後半に始まる」、とあります。自分の年代がそっくり当てはまり67歳などはまさに人生の黄金期であり最大の収穫期だ、と。仏教では林住期に当たるとされましたが、「白秋」はそれよりかなり前向きな激励の感があり、政府の「もっと働こう」という掛け声とも呼応するような怪しさももっています。
中国の陰陽五行にある概念のようで、人生を「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」の4つにわけ、「白秋」は、フル回転からシフト・ダウンし、人生の一通りの役割を果たしたあと、ナマナマシイ生存競争から離れ、自由の身となり、秋空のようにシーンと澄み切った静かな境地に暮らす時期、同時にこれまでの生き方をリセットし、新境地で活動する時期、としています。
どうです、なんだか、元気の出るメッセージではないですか。晩年の五木寛之は、宗教家より宗教の神髄を発信しているフシがあります。ちょっと頭を休め、こころを浄化するのに、一服の清涼剤にもなります。
すぐ読めます。

■2/10 年間予定をアップ
NPO苫東環境コモンズの年間予定をアップしました。まだ、たたき台の案のレベルですが、そのまま実施するのが恒例となっています(笑い)。理事会、研修旅行、ハスカップ摘み、チェンソーのスキルアップ講習、山の神など、関係者は主要な計画を押さえてください。➡ ただし、出版記念会は4月を5月にして調整中、秋11月の健康講話は検討中です。

■2/9 極寒の中、搬出2日目

9日の朝は苫小牧の市街地でも-18℃でした。安平町遠浅の山林は−20℃を下回ったはず。当然日中も-8℃あたりでした。しかし、順調に作業は進行。岩見沢からkuriちゃんが応援に来て、素早く懸案の仕事を片づけてくれました。


2/6 薪の水分率

「今年の薪はポヤポヤっと燃えてしまいますねえ」。
シーズン初めにある薪会員とお話していた時の会話のひとこま。それらの薪は、割ってから18か月経っており薪の水分は約5%前後でしたから、これは乾燥は満点、ブランディならコニャックレベルだと思っていたのです。しかしわたしも使いはじめである11月の感想は、確かになるほど、
燃えすぎる」「ストーブが熱くなり過ぎる」でした。この薪も1月半ばになくなって、今度は30年春に割った、水分率が10~15%程度もある薪の出番になりましたら、最初はややもどかしく感じます。確かに今までに比べなかなか温度が上がらないのです。が、間もなくこの方が御しやすいし、コントロールが楽だと思うようになりました。ということはつまり、巷間言われるように1年以上乾燥しなければだめ、ということでもなくて、苫東なら半年もあれば目安の20%まで下がるということで、薪として使用できるということです。これでも行ける、というのはちょっとした安心感と言えます。10年ほど前の初商いでは、燃えが悪いと言われたものですが、今、その全容がわかりかけてきました。

■2/5 鼻のうがい
これまで風邪をひかない、あるいは悪化させない方法として重要視していたのが鼻のうがい。フィルムケースのようなプラスチック容器に食塩やうがい薬を薄め流し込みます。昔の耳鼻咽喉科で頭上のガラス容器からぬるい食塩水を鼻に流し込んで鼻の中を洗う方法が、素晴らしく役に立ったことを思いだして励行していたものです。のどや鼻が風邪っぽいと感じたらすかさずこれをします。近年、鼻のうがいをする器具も売り出したというので探してみましたら、ありました。これです。液体が口と鼻の周りにもれてカッコ悪いですが、まあ、風邪をひかないためには目をつぶりましょう。結構、おすすめです。

■2/2 冬の現場に二人がカムバック

いよいよ、大島山林の保育現場から材の搬出が始まりました。そして年末から作業を休んでいた2名が戻ってきました。快晴でしたので、朝から気温が低く、帰るころは−9℃。それでも総勢8人の雑木林は、気分が弾みます。風倒木が分散しているので、作業現場もテントから半径150mほどに分散してはいますが、見通しのいい林なのでお互いの消息はわかる環境で、相互に様子を見に行ったり。
危険な作業は、いわば実は命がけですが、決して命がけにならないよう、お互いに戒めつつ、日々、初心を忘れず技術と安全管理を復習し眼前の雑木林に向き合います。地域活動は手ごたえが大きいものです。だからこそ、作業に参集する人は減らないのではないか。

■1/30 広葉樹林の保育方法の調査成果を報告

昨年6月に苫東コモンズのオーナーから受託した、広葉樹林の取り扱いに関する調査業務の成果品(100pあまり)を、今日、完了届とともに発注元にお届けしました。これから緑地関係を担当する若い後継者も同席し、色々な意見交換の場となりました。本調査を通じて、個人的にもかなり見えてきた部分や発見も多く、またもや人生冥利に尽きる仕事となりました。
ミズナラ・コナラ林という「雑木林」をどう将来に向けて持続させるのかは、苫東アセスの重要な未解決課題であったと同時に、わたしにとってはライフワークといってもよいものだっただけに、単なるコンサル仕事ではなく、大きな手ごたえもあったのです。しかも、準備段階から、NPOメンバーの精力的な山仕事や電気牧柵の資材調達などに支えられ、かつ、大学の先生などアカデミズムにもサポートしていただくという幸運もありました。オーナーの許可が下りればですが、どこかにリンクを張って公開させていただくのも手かな、と思っています。


■1/26 山仕事色々

たかが里山の山仕事。しかし、やることが一杯だ。それを何とか間に合わせて一歩ずつ進む。今日はスノーモービルが不調で、始動まで2時間もとられた。プラグを交換し、トルク調節。メンバーを巻き沿いにして手伝ってもらう。ずいぶん雪が降ったので、migitaさんはトラクターで林道の除雪。一方、ohsawaさんは午後からアカエゾマツの造林地に着手。帰り際、作業あとに寄ってみると、一帯はぷーんとテレペン油の芳香が漂っていた。

■1/23 これは読まねば「西洋の自死」
「歴史的罪悪感に苦しむ欧州人」
「原罪を背負って生まれてきたと感じているのは現代の欧州人だけではないかもしれない。しかし欧州人は明らかにそのことで最も苦しんでいるように見える。今日の欧州人は―――他人がそのことを持ち出すずっと前から―――自分たちが特定の歴史的罪悪感を背負うべきだと感じている。そこには戦争、とりわけホロコーストの罪悪感だけでなく、過去に関わるあらゆる領域の罪悪感が含まれる。例えば消えやらぬ植民地主義や人種差別主義の罪悪感などだ。・・・」
これは驚きました。昨日の打ち合わせで、ある高名な先生がアイヌ関係の話題を提供されようとしたときに用意されていた4pの資料の冒頭にあった下りです。ヨーロッパ人がドイツのホロコーストはともかく日本を除く世界各地に植民地をつくり搾取してきたことや、有色人種を差別し他国民を拉致し奴隷として売買したことを、現代人が原罪として苦しんでいる、と。そんな話は寡聞にして聞いたことがありません。本当でしょうか。英国のバースに行った折、まちの重厚なインフラが目に入りましたが、近在に棲む住民の方は、この富は奴隷貿易によるものだと説明してくれました。果たして英国人がこのインフラを見て原罪を感じ苦しんできたのでしょうか。信じられません。という訳で、これは読まねばならない。東洋経済新報社から昨年末12/27の発行。著者はダグラス・マレー。
内容紹介にはこうある➡英国で数々の賞を受賞した若きジャーナリストが欧州の移民問題を徹底ルポ。移民受け入れをめぐる「罪悪感」と「疲れ」がもたらした欧州リベラリズムの死に方を克明に描く。BOOKデータベースには➡「欧州リベラリズムの死に方。気鋭のジャーナリストが、今まで誰も書けなかったタブーに挑んだ大問題作。英国『サンデー・タイムズ』紙のナンバーワンブック、『イブニング・スタンダード』紙のブックオブザイヤー。」


1/20 原始が原の新雪ダウンヒルを思い出す


スケッチブックには1981年元旦とあるからなんと38年前である。アカエゾマツの純林が広がる富良野・麓郷の原始が原に夏用のペラペラのテントを張って小屋掛けし、上ホロカメットク山などの新雪ダウンヒルをしていた。わたしは体力に自信があったから、さっとスケッチブックを出してこの風景を納めた。ダウンヒルも素晴らしかった。

これはさらに前、農学部で研究生をしていたころ。メンバー10人ほどで原始が原から標高1000mをトラバースし、トムラウシ温泉に向かった時のスケッチ。ラッセルしながら1週間の山旅だった。森林限界付近のアカエゾマツはこんな風である。黒い森に見える。


■1/19 切株でわかる伐倒の履歴


昼前、掛かり木処理のSOSがきたので行ってみました。切り株に乗っかったままの樹幹をまずトビで地面に落として見えたのがこの切り株。クサビもちゃんと使ったといい、受け口もいい形に仕上がっているのですが、なんと、伐倒方向をコントロールするツルがありません。これだと制御が全く効かなくなり、重心の掛かっている方向に自然に倒れてしまいます。その方向は、作業者が意図したのとは90度違ったのです。これでは、技術を駆使したことになりません。現場で反省会、テントでももう一度皆でおさらい。切株は行為の履歴を残します。

■1/16 苫東の雑木林の保育サイクル


月末が締め切りの受託調査のため、レポートづくりは最後の段階に差し掛かっています。どん詰まりのまとめをどうしようかと考えた末、今日(中日の休日)は、森林調査簿にもとづいて、わたしの関わった作業の履歴を加え、保育サイクルの図を作ってみました。その結果、なんだか、面白い苫東コモンズらしい展開になってきました。

■1/14 シュバルツ・バルトの試み

週刊の英字新聞を見ていると、ドイツのシュバルツ・バルトの針葉樹の風倒木をそのままにして自然に返す、という国立公園の研究プログラムが目に入りました。シュバルツ・バルトは、いわゆる黒い森と言われるところで、カジノのある温泉リゾート・バーデンバーデンを含む一帯ですが、確かに冬の針葉樹林というのはフィンランドもドイツも、そして北海道でも、黒い印象があります。あれは樹木の耐凍性に関係していると思うのですが、それはさておき、今、NPO苫東環境コモンズでは針葉樹ではない広葉樹の風倒木の、終わりの見えない処理に追われています。が、これも里山の資源を無駄にしたくないという気持ちからです。確かに北大の構内や苫小牧の研究林などでは、倒れた後、どのように植生や環境が変化していくのか研究するという目的で、エコミュージアムのようなテーマを持って積極的に放置するという考えも聞きます。そこは割り切りでしょう。また、省力化という理由もありそうです。あの危険で困難で赤字になる整理なんか誰もしたくない、B/Cでも無駄だという本音もちらつきます。しかし、ここはやはり、里山は違うよ、と言い切っておきましょう。

■1/13  歴史を学んで

百田尚樹著「日本国紀」505ページを、ほぼ通勤時に読み終えました。twitterなどではリベラル系と呼ばれる方々から種々難癖をつけられていますが、わたしは心底読んでよかったと思います。今年の半ば、勤め人生活を卒業したら歴史の世界にもっと踏み込もうと思いますが、天皇が「御代替わり」(みよがわり)される今年、いいステップにもなりました。「私たちは何者なのか」、そして、日本とはどういう国なのか。普段、歴史家が素通りしてきた事柄に突っ込み、様々な学説を公正に披瀝し、そのうえで百田氏自らの仮説を仮説としたうえで史実と呼ばれるものをコラムという特別枠でつないでみせる。あるリベラル派に見える方に、読むおつもりですか、とお聞きしたら、間違った歴史観に染まるのがいやだから、と敬遠していましたが、そもそもわたしたちが学んだ歴史が、近年かなりゆがんだものであったことがわかってきました。肝心の近現代史を教育が省略してきた(避けてきた)節もあります。大東亜戦争の是々非々を赤裸々に、かつ断片をつないで明白に描いて見せたのも特筆ものでした。情けなさと正道に向かおうとするその反動。不勉強だった私にとってはかけがえのない教科書でした。

■1/12 凛とした冬の雑木林

少しまとまった雪が降って、大島山林の積雪は20cm少々になりました。地元でトラクターも操る migita さんがさっそく公道からテントまでの除雪をしてくれました。除雪がなくても車もなんとか入っていける状態ですが、除雪なしならこの程度が限界でしょう。
高村光太郎の詩に、凛とした冬が来る、という意味の一節がありますが、晴天の雑木林は、まさにこの言葉を思い起こさせます。冬の雑木林こそ、森林セラピーや散策にむいています。冬は暗いというイメージを持つ人は多いのですが、日本の太平洋側はむしろ胸膨らむ光景が展開するのです。今日はそんな一日。しみじみ、幸せを感じます。


■1/9 薪が底をつきそうだ

我が家の薪小屋の薪があと一列になりました(左はシーズン前、右が現在)。ほかにもちまちまと軒先などに積んではありますが、乾燥が足りません。怠けていたわけではなく、今年の分を昨シーズンに先食いしていたためです。このモノ余りの時代に、何とも奇特な窮乏感、飢餓感。灯油に頼らないということは、実に大変なことです。

■1/5 山の初仕事

2019年の山仕事が始まりました。一番乗りは地元の長老・migitaさん。昭和8年熊本生まれだから86歳のはず。今日も、大島山林の現場の薪ストーブには早々に火がつき、9時半過ぎにはチェンソーのエンジン音が響き渡っていました。町内では神社の世話役などいろいろな公務を持ち、とにかく何事にも労を惜しまない方。NPOでもトラクターを駆使して駐車場や林道の除雪を受け持ってくれます。NPO苫東環境コモンズにとって、地元一番の理解者。migita さんがいなくては山仕事の効率は大幅にダウンすること間違いなしです。今年も作業の安全第一を誓い、三々五々風倒木の処理に精を出しました。

1/3 日の出前の早朝の発見など



2日の未明、いつもの夜明けの明星・金星がお月様に急接近しています。こんなこともあるのかと不思議に思って今朝3日も同じころに南の空を眺めると、三日月はまだ向いの家の屋根に隠れていて、やがてグングン金星に追いついて来るのです。なるほど、そうなっているのか。天体は別々の原理(軌道)で意外に早く動くことを知りました。この未明の天体ショーがあまりに美しいのでソファに枕を置いてしばらく横になってみていました。初日の出は見ることができませんでしたので、比較的晴れた2日の8時前、のどかな太平洋を見に行ってみました。どこへ向かうのか大きなフェリーが出港するところでした。樽前山神社は2日昼、結構な人出。家内と娘と三人、好天の初詣です。その足で久々の北大研究林へ小鳥の手載せに。どうしたのか小鳥が少なくとても静か。2日になってやっと外に出ましたが、今年の年末年始は、家にこもって受託調査のレポートを毎日コツコツ書いて過ごしていたのです。それはそれで思いがけずとても充実した時間でした。おかげで今月末の期限まで成果品の提出ができそうでホッとしました。

■2019/1/1 春風献上
穏やかな元日を迎えました。今年もどうぞよろしくお付き合いのほどをお願いします。一年の抱負をなにか言葉にしようと紙に向かってみましたが、勤め人人生最後の半年をスルスルと潜り抜けて悠々自適の日々に憧れる気持ちと、いやいやもっと自律的に生涯現役の心がけで前進、と強引に背中を押す自分が一緒にいます。そして結局はいつもの随流去(ずいりゅうこ)、流れに任せよう、です。
今年は何回目かの伊勢神宮に参拝したいし念願の熊野古道もまだだし、アジアならベトナムに出かけたい。歴史の勉強にも励み、初めて源氏物語にも挑戦したい。古事記も読みなおしたい。ハスカップの出版ももうすぐだし、育林コンペで薪作りも本格化したい。一年途絶えたフライフィッシングも再開し、料理の腕も上げたい。よおし、煮詰まってきた、今年も頑張っていこう!