ペットも自然の代償だったというのですか?

NO.104
2019/05/04~

連休のさなか、ポカポカした西日を浴びながらソファに横になって、養老孟司の『猫も老人も、役立たずでけっこう』を、連休モードというべきでしょうか、ボケーっと、しかし、かなり楽しく読み進んでいました。家人がコミセンで借りてきた癒し系です。

と、突然、ペットは自然の代償機制みたいなものだという、氏独特の所見が目に飛び込む。いわく、「人間は本質的に、自然を求めるという性質を持っています。だからペットを飼う。動物って、自然そのものですから。・・・自然から遠ざかれば遠ざかるほど、自然への欲求がいや増す。それを満たしてくれる存在として、ペットが重宝される・・・」。

この表現を敷衍すれば、ペットのみならず人間の身体こそ、循環器と消化器と脳と免疫機能などがまるで制御された宇宙のような自然そのものであるけれども、ヒトは「自分の中の自然」を見放している、目を向けなくなってきた、ということになるのでしょう。

当方は、これと真逆みたいな生活をしていないか、とこの頃は思うのである。こちらはきわめて泥臭く、北海道の片田舎の、真正の自然にべったりということになるだろう。近年は暖房資源も林から頂いている。

こんな連休のさなか、庭先で令和時代最初の冬の薪を用意し片づけていると、「〇〇〇の証人」と名乗る初老の男女ふたりが顔を見せ、こんな会話になりました。

証人「聖書のお話をさせていただきたく参りました。」
小生「すみません、わたしは(仏教に近く、実家は曹洞宗なので)今、特に関心はないのですが。」
証人「そうでしたかあ(そうだよね、というようにあっさり。しかし、)・・・あれ薪ですか?薪ストーブをお使いなんですか?長いんですか?」
小生「はい、薪ストーブの薪です。つい2,3年前に思い立ってこれにしました。」
証人「これらは何の木なんですか?薪に向いている木というのがあるんですか?」
小生「ええ、ここにあるのはほとんどがナラの木です。単位重量当たりの熱量が高いんです。」
証人「で、どちらで材を調達されるんですか?高いんでしょう?」
小生「確かに、買えば高いものですが、わたしは冬、雑木林の間伐をしていて、それを運び出して薪にしています。安平町の遠浅と苫小牧の静川というあたりの林です。」
証人「わあ、理想的~。薪ストーブの暮らしって憧れですよね。」
小生「それが、そんなに楽ではないのです。いわば命がけで切り出し、手間暇かけて薪になるのです。」


というようにとても関心がおありのようで、話はまだ続きそうでしたがお互いはっと我に返り、お別れしました。

なるほど、社会の第一線から身を引こうとしている今、当方はいよいよ益々自然にのめり込み、できれば花鳥風月の世界へ情緒を全開にしていこうとしている。時間的にも経済的にも多少余裕が出てきた今、活動の資本となる身体のあちこちにガタが来ているという訳でした。


それも自然というところでしょう。

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ハスカップサンクチュアリを含む一帯の遊水地を考えるシンポ

2019/06/30  13:30~

『柳生博と学ぶ勇払原野の魅力』

~安平川河道内調整地の賢明な利用を考える~


NPOの森づくり研修の2日目の半ばに単身苫小牧に戻り、苫小牧市民会館で行われたこのシンポジウムに参加しました。勇払原野の保全に関わる市民団体の一つとして、このイベントを後援したからでもありますが、それより以前に、地元の団体として勇払原野の国際的な取り扱いについて無関心ではいられないからであり、ましてやそこにはハスカップの原生地とコモンズがあるからです。

この催しのパンフ(表・裏)では勇払原野はこう表現されています。

「勇払原野は工業都市苫小牧に残された貴重な自然。
今回、この一部が防災のためのエリアとして整備されることとなりました。
勇払原野の自然の恵みをどう活用し、同保全できるかを地域のみなさんと一緒に考えます。」



4時半までの3時間にわたって開催されたシンポは前半が、野鳥の会の名誉会長である柳生さんと中村レンジャーのトークセッション、後半は、シンポジウム。シンポのパネリストは、安平川を管理する道の河川関係者、大畑元レンジャー、美唄の宮島沼の水鳥センター職員、苫小牧市の環境衛生課長の4人でした。

前半、柳生会長は、弁天沼周辺の自然と初めて出会った時の驚きを率直に熱く語りました。
後半は各々の立場から、弁天沼周辺の自然や、登録を申請しようとしているラムサール条約登録湿地の内容などを語りました。

パネリストの最後に発言した苫小牧市の担当者は、苫小牧市の環境保全は、昭和40年代に学識経験者を中心とした審議会で、保全地域を指定することをゴールに施策を展開した結果、市民との触れ合いを排除する形で進められてきた欠陥を反省して見せました。

また、自然の保全は行政だけではできないので野鳥の会などの協力を得て進めているが、市民には無関心の者も多くこれからも理解と協力を求めていかねばならないと、市の立場を説明。言葉を多く費やしながら、行政の施策の正当性を正直に前面に出し、市民や団体がそこへ協力するという構図を示しました。

なんだか、市民活動の上前をはねるような周到な言い回しと責任転嫁ともとれるレトリックを駆使したあまり、不誠実な印象を持つ人もいたのではないか。あるいは、日本野鳥の会という日本最大の自然保護団体の主催するシンポジウムでは、行政としてはかくも構えざるをえなかった、という見方もできるでしょう。

質疑において、いの一番にIRとの関連を聞いた市民が、司会にNGをだされ、会場から「やるべし」のヤジが飛ぶなど、苫小牧らしいやり取りもありました。(その後、所用で退席)

■申請の骨格

ラムサール条約登録申請の9つの条件については大畑元レンジャーが解説、その中での弁天沼周辺950ヘクタールの位置づけも示しました。ラムサール条約登録湿地はウトナイ湖がすでに指定されていますが、新しい申請では、ウトナイ湖に、環境省が指定した勇払原野の重要湿地(弁天沼周辺を含む)を加えた形で拡大させて行う予定のようです。その「勇払原野湿原群」はこれです。

この申請は、野鳥の会が先行し、水面下では道や市の合意を取り付け、さらに野鳥の会が環境省との根回しも進行していてすでに確定、というのが個人的な印象でした。工事の前に登録するのか、後なのかは大きな分かれ道ですから、IRの流れと絡めるとこれから攻防が顕著化してくるかも知れません。

■柳生さんとハスカップなどの話+柳生さんの雑木林

会場の受付には、NPOの丹羽特別会員のお嬢さんやその夫のレンジャーである原田さんなどが接客をしていたのでご挨拶。そのわきにはニコニコ顔の柳生名誉会長がいらっしゃって、原田さんがわたしを簡単に紹介し引き合わせてくれました。

わたしは、名刺を差し出しながら、名刺の「ハスカップ」と「雑木林」の写真を指差して「ハスカップと雑木林のコモンズの保全を地元の人間として関わっています」と自己紹介しました。柳生さんは興味深そうに名刺に見入り、「ああ、ハスカップねえ」と目を細めました。

また、雑木林の保育に長くかかわってきた関係で、八ヶ岳山麓にある柳生さんの「八ヶ岳倶楽部」にお邪魔して、美しい雑木林で、パワースポットのような気を感じた」と伝えました。「おお、そうでしたか」と大変喜ばれ、さらに、「慎吾さんとは、亡くなる2年ほど前に造園学会のシンポジウムで、慎吾さんが基調講演をしたのち、わたしはパネリストとして勇払原野の雑木林のガーデニングについてプレゼンしました」と付け加えました。


平成18年3月に訪れたときの八ヶ岳倶楽部の雑木林。柳生さんが子供たちを連れて整備したと聞く。

現在の八ヶ岳倶楽部のホームページはこちら


22年9月、札幌で行われた日本造園学会北海道支部会で。左が慎吾さん、右はコテージガーデンの梅木さん

野鳥の会は開発行政にとっては力のある自然保護団体として対峙しますが、柳生さんはどうも広告塔であって、具体的で戦略的な方向性には必ずしも多くはタッチしていないような気がします。里山や雑木林の親和性はたたかうような議論よりももっと和やかな融和の方にあって、柳生さんは生き物世界全体の、いわば会の創始者・中西悟堂の宗教的宇宙観を感じるからです。きっとそこは近年の野鳥の会の戦術にも反映しているような気がしてなりません。わたしは実は中学生の時に中西悟堂の「定本 野鳥記」を全巻読んで、強い動機付けをもらったからです。

柳生さんは退任のあいさつでこのように書いています。「懐かしい風景にこそ未来がある」。蓋し名言です。

●名誉会長 柳生博

振り返るとあっという間の15 年の会長職でした。創立者である中西悟堂に次ぐ任期を
務めることができたのはとても光栄なことです。
この15 年間「どんな難しい問題も、対立ではなく話し合いで解決を図る」「いつも野鳥
の立場になって、環境問題を考える」「確かな未来は、長い時間をかけて人が自然と折り
合いをつけてきた里山に代表される、懐かしい風景にこそある」をモットーしてきまし
た。また、自分たちの「損得」ではない、野鳥の立場にたった「真心」を込めた日本野鳥
の会会員の皆さんの活動に触れるにつけ、「会長になってよかった」「いい役をやらせても
らった」と、しみじみと感じてきました。
今、名誉会長に「昇進する」といった気持ちです。これまでと同じように、日本の多様
性に富む自然を尊び、人と自然が共存する豊かな社会の実現をめざしていきたいと思いま
す。


参考:5月にリリースされたシンポ開催案内


令和元年の森づくり研修

2019/06/29 sat 曇り 18℃--6/30 sun 晴れ20℃
abe-e inaba ohsawa oyama kai kuri kusa tomik migita seki = 10 persons

■kuriちゃんの空知のフィールドを訪ねて

阿寒湖・前田一歩園、小樽方面の高川山林・余市のエコビレッジ、そして昨年の道南は銀婚湯方面に続いて、今年は身近な空知方面へ。

会員の栗田さんが道庁の森づくり関係の仕事で手掛けたり、関係した場所や個人を訪問する計画。宿泊は三笠の湯の元温泉。参加者は10名。森づくり研修の隙間時間に、ワイナリーを二つ、リトルロックヒルズ関係のガーデニングと翌日は三笠の博物館を視察した。

訪問地 ① 低コストの伐採事業モデル ~萩の山スキー場そばの山林にて~


   山の中腹から里を見る          後ろが伐採後の6条植栽地

建築用材などに使われる針葉樹を植えて、数十年で収穫(=伐採)して利用する、いわゆる林業は価格相場が相対的に安く、低価格で市場に出ないと勝負にならない。そのために伐採にかかる経費をできるだけ抑えるのが昔からの課題だった。

栗田氏ら道庁と森林所有者らの試みは、斜度20℃前後の斜面における伐採を大型機械を使って行い、要らない枝をバイオマスに出したり、畝(うね)状に集め、新たな造林は苗木の針葉樹(トドマツ)を6列に植えるという設計である。6列に植えるのを、6条植栽と呼んでいる。これを間伐時に縦横2回、機械的に間伐し、3回目にあたる50~60年生あたりでメインの本格的伐採することで経費を削減するわけだ。

昨年の伐採からこの春の6条植栽までの1サイクルの説明を聞いた。2.8ヘクタールで、890立方だからヘクタールの蓄積としては300立方以上だ。わたしたちの苫東の広葉樹のヘクタール蓄積は平均150~200立方程度だから、さすが空知ということになる。

ただ、欧州はドイツなどの比較的平坦な林業現場に比べればかなり傾斜があり、かつ林道網もないから価格競争のハンディは大きいので、国の補助金がどれほどあるかにかかっている。伐採から造林までの自己負担が1割程度で、最終的には7桁の収益が辛うじて出る程度。50年、60年かけての収入であるから、生業としての林業は他の産業のような成立具合とかなり違う。しかしそれは農業の所得補償制度と同様で、国土保全や食料自給の観点から税金で成り立たせているのが現状である。

参加者は林業って厳しいなあ、という実感を持たれたのではないか。
一方、森林所有者の方は、主たる稼ぎは農業で、いわば、山は副業であり長年月「寝かせる」のだから、このような形の林業は、資源保護のために国が農家から土地を借用し、現場の管理は農家に任せ、あがりの一部を半世紀たった頃にバックするもの、と見るとわかりやすい。森林を持っているつもりが、実は雇われていることにならないか。

この緩い土地の所有は、翌日の「山を買う女性」の話ともつながる。

訪問地 ② 女性が山を買う ~今や山は格別のものでなく売買できる不動産に過ぎない~


集合場所風景と、幼子を抱いた來嶋さん



翌日の訪問先は、女性が買った「山」である。
これも道庁の林務系職員である栗田さんの関係したところだ。

道庁としては放置された山林は何とかしたい、荒れたところは何とか造林したい、という思惑があり、一方には、山仕事をしたい人や、とにかく買えるものなら山を買ってみたい人がいる。そこを道や森林組合が所有者と需要を取り持つのである。いわゆる、マッチングのサポートみたいなものをやってきた。

訪問地は東京で仕事をしていた女性が夫の故郷の岩見沢にきて、共同で山を安く買って発見の日々を送っている、というもの。そしてその日々の発見をうまく発信していて、エコでナチュラルな生活に憧れる多くの女性を引き付けている、という構図がわかった。共感者を生むように発信するというスキルがあれば、ファンは潜在している時代だ。

駐車した場所の向いはヤチダモやカラマツやナラが造林され、すでに荒れ地ではなくなっていて、旦那さんと思しき人が手鎌で造林木の根元を刈っていた。原っぱのようになった造林地を子供たちが文字通り飛び回っていた。が、数年がたち下刈りの時期が過ぎたころ、もう人を寄せ付けいブッシュになっていて、無邪気に遊んでいた子供たちも、こんな藪には興味を示さなくなっていく。そしてそれが自然だ。

その奥は、もう一人別の女性が取り組んでいる「おやゆびの森」と呼ばれる、なんだかパーマカルチャーの実験荒れ地みたいなところで、それなりに興味深かった。ロックガーデンのようなものを目指し、除草剤を使うなどというのも、この方が結構柔らかい志向をしているとちょっと驚いた。萩が好きだからと言って荒れ地に萩を植え、道ばたにはオレガノを植えたり、コトネアスターのようなグランドカバーやグラス系の垣根風があったりする。

このかたのNPOの名前である「みどりのおやゆび」は、わたしがかつてやっていた苫小牧の Green Thumb Club の日本語訳であることもなんだか親近感を持った。

今のところ、夢の進捗はいずれも半ばで、その将来に思いを馳せれば気が遠くなるような気がしたけれども、本人としては、家事や育児や仕事をしながら、焦らずやっていくのだろう。道半ばで崩れるとしても、それはそれで余計な心配はいらない。何となれば元の投資も格段に安いから。1000に3つの成功、いわゆるセンミツでもOKという世界だ。

ただ森林の扱いはそんなに軽くていいのか、もっと大事なものではないのか、と一昔前なら言われただろう。中国人などに山林や国土を売るのはやめるべきだが、日本人の流動的土地利用にはわたしはかなり寛容で、過渡期とみる。コモンズ的土地利用もその一つの形態であり、所詮、土地は天下の預かりものだと思えるのだ。

そして男と女では、パワーもアプローチも違って当たり前、かつては男の夢の独壇場だったところに、近頃は女性が入ってきたという訳。しばし経過を見守っていきたいところだ。

訪問地 ③ ワイナリー



最近、空知で注目されているのはワイナリー。宝水、山崎、タキザワなど、ソムリエの評価なども目にするようになった。今回はまず山崎ワイナリーで無料の試飲。わたしにはまだ若い味だけが印象に残った。タキザワワイナリーではワンコインで3種のワインを試飲。デラウェアやナイアガラなど食用ブドウをどうアレンジするのか、ほとんど甘みもオリジナルの香りも変化して、似て非なるものになっていた。酸味は強かった。

ほぼ毎日、欧米系のワインをテーブルワインとして飲む当方には、道産ワインは高すぎコスパが低い。やや高めのワインは、お祭りや祝い事で飲むことになるが、その時はわたしは郷里の「ハナガサ・シャルドネ」に決めていた。これはしっかりしたワイン用ブドウを使っていてかなりコスパがあると思う。

訪問地 ④ 三笠の博物館



日曜日の朝いちばんは、三笠の博物館。アンモナイトから鉄道の歴史、三笠にある空知集治監がメインで、それぞれ十分に興味深い。集治監は月形の樺戸集治監の方が展示内容が濃く面積も広いように思うが、こちら三笠はガイドの学芸員が常駐のようだ。

今回、地質年代のグラフを眺めていて、やっと初めて帯のような年代の位置づけがすとんと腑に落ちた。アンモナイトが生息していた中生代白亜紀は今から一億4500万年前に始まり6550万年前まで続いたが、この終わりの時期は恐竜が途絶えた時期である。そして人類の誕生は6500万年前と記憶している。アンモナイトと恐竜の時代が重なっただけで、大きな物差しができた。

この白亜紀が現在より気温が10℃高く、二酸化炭素が2~10倍の濃度で、海水面が200m高かったというから、まさにジェラシックパークの世界だったのだ。

■山の緑が違う

80代半ばのmigitaさんがいう。「このあたりは木の伸びが違うな。葉っぱの勢いも違う。」とびっくりしていた。本当にそうなのだ。よその土地でよその風土を実感するとき、静かな驚きに代わる。

湯の元温泉から周りを見ると、なんとクルミの多いことか。幾春別川の枝川の渓谷で、むんむんという草いきれが立つ中で、ひときわそれが匂う。migitaさんと露天風呂に入っていると、まさに目の前に子供のシカがはねながらやってきて、じっとこちらを見ていた。

温泉の早朝、外の道路を上り山の斜面を見上げていて、その強い生命力のようなものが伝わって気持ちが良かった。どこにでもある飽きない光景で、これが旅の醍醐味でもある。

migitaさんはかつて阿寒に行った時も、阿寒の森は是非一度来たいと思っていて、NPOに入ってすぐ阿寒に来られて幸運だと言っていたが、よその風土に触れることをことのほか喜んでいる風だった。きっと、胆振の遠浅の風土を、農業を営みながら、大地を相手にして毎日を送っているせいではないかと思う。


*参加者の感想

〇先週の研修は、大変勉強になり、楽しい1泊2日となりました。兄に皆様方より心温まる励ましをいただいた話をしたところ、皆様方にお礼を言っておいてほしいとのことでした。(A)

いちにちでこれだけのレポート?(現地で)少しメモしてたようですが・・・。ボイスレコーダーがなくては とても覚えきれない量です( ..)φメモメモ
takeさんのレポートみて改めて復習して、プリントアウトしました(笑)。 笛木さんはPCメールまだ無理でしょうからネット繋がる場所でなら写真みる事できるかも知れないので
ここ(掲示板)に、沢山貼ります
(I)


〇今回行った場所はどこも初めて行く場所でとても楽しかったです。また、栗田さんの案内してくださった山林でお聞きした話も、林業や樹木のことを何も知らない私にとってはとても興味深く勉強になりました。おそらく参加者の中で一番得るものが多かったのではないかと思います。
研修旅行を企画してくださった方、車に乗せていただいた方に感謝しております(研修場所・行き場所を考えるだけでも大変かと思います。私には思いつけません)。
ということでまた来年も連れて行ってください!(O)



■改めて、土地を考える

最後に、土地は誰のものだったのか、どう所有し維持するのがいいのだろうか。
まだまだ課題が残っているが、気軽に譲渡しあう試行錯誤は続くだろう。きっと最後は放置され、元の夢を実現できるのはほんの一握りの人のはず。

土地は荒れ、自然はどんどん森を目指して復元するから。
それに比べ、人はある時に夢を見て、そして必ず老いる。手放した人(昔の人)も買った人(若い人)も、描いた夢は違ったけれども同じ働きかけだったといえる。それが何度も繰り返される。



そこで改めて上の図を見てほしい。土地と風土は常にデンとある(下のオレンジ色)。それを定住する者たちが見つめている。風土の恵みも厳しさも知っている(同じく図の下の部分)。そこへ土地を利用してみたい人が旅人のようにやってきて、そろばんや夢を片手にビジネスを起こしたり、遊んだり、とにかく何かの試みをする。

どんな経済活動をしようとも、風土は土地の人のものである。放置すると林に戻ろうとする社会的共通資本と言える。経済的、文化的動機のある人が入れ替わり立ち代わりやってきて、束の間なにかを営むのである。わたしは土地をそんな風に見るようになった。わたしたちの苫東コモンズというローカルコモンズをその中に位置づけられる。

ところで山はほとんど林道以外のインフラがないから、元手が掛かっていない分、たいていは安く取引されるが、開拓を想像すればわかるように、とてもとても自然に勝つことなどできない。わたしはこの歳になって、体も多少不自由になりつつあってか、まじめにそう思うようになった。


seki ちゃんの得意わざ

2019/06/15 sat 曇りのちにわか雨 15℃
abe-e oyama kusa seki migita = 5 persons

■アヤシイ曇天に精鋭5人





朝から降りそうな嫌な天候でしたが、5人が集合。薪割りが2名、刈り払いが3名。その刈り払いではsekiちゃんが大活躍。聞けば、刈り払いは大の得意技とか。親方のmigitaさんも笑いながらそうおっしゃる。

seki ちゃんは丸太周りを刈ってから早々にフットパスへ向かいました。ここ2,3年は、薪作りがいつまでも終わらないために、abe-b さんが一手に引き受けてくれたものですが、b さんが加療中に着き、6月1日から緊急性のあるところからkusa が刈り始め、先週は大島山林のシンボルツリーからフットパス系をスタート、今週はメインルートにseki ちゃんが着手したものです。で、仕上がりもなかなかきれい。

このままだと台地上のフットパスは来週には終え、崖の下の太い林道を3人がかりで、風倒木約5本の処理とともに、7月の初めには着手し終えられるかもしれません。

ところで、NPOの人気者・seki ちゃんは、3年ほど前から手伝いに来てくれる超力持ちで、玉切りなどのチェンソー仕事と丸太の搬出などで活躍してくれています。親方・migitaさんの許可のもと、今年はフットパスの刈り払いをお願いすることになったものです。

午後、軽トラで様子を見に行った時の様子が上の写真。ノコ歯のチェンソーを軽々と操り、刈幅も大きく、しかも地際すれすれに、落ち葉とともにさっと刈っていました。

別れ際に、「さびしくないかい?」と聞くと、「いえ、別に」と乱杭歯を出してにこっと笑ってみせました。


FM Air-Gでハスカップを紹介

2019/06/14 10:00~ @札幌時計台ビル14F エアジーのスタジオ

「世界のあこがれ~北海道ブランド」で『ハスカップとわたし』紹介



新刊を契機にした出版社の広報誌取材の折に、担当した構成作家のKさんの計らいで、FMに出演することになりました。インタビュアーはアナウンサーの鈴木舞さん。

本来は北海道ブランドを紹介する番組のようで、今回はハスカップの一般的紹介のついでに、実は・・という絡みでコモンズのことや、新刊『ハスカップとわたし』を発刊することになった背景も語る、という流れになりました。

10分ほど簡単な流れを打ち合わせしたのち、早速本番。わたしの悪い癖で、かなりわき道にそれまくりますが、ハスカップ・トリビアみたいな雑なエピソードも悪くなかったみたいで、終始和みのうちに終了しました。

録音インタビューは正味1時間弱で、これを日曜ゴールデンタイムの午後6時半から25分ずつ2回放送されます。期日は、1回目:6月23日、2回目:6月30日。聞き漏らした方は、後ほどCDをコピーします。

思い出しましたが、新刊の最後に「ハスカップ・イニシアチブ」というスローガンを書いているのですが、その中の目標の一つに、「北海道遺産」的なものと、FMハスカップ、というのが願望として提案してあります。

ハスカップという極めてローカルな食文化は、やっぱりコミュニティFMが似つかわしいなあ、とこのたびしみじみ思いました。ハスカップFM、みたいなものが苫小牧にあれば、わたしは舞い上がりそうになります。

苫小牧民報の記事



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育林コンペのオーナー林から薪を補充す

2019/06/12 wed くもり 19℃
solo-work

■薪の備えに1トン車(今回はタウンエース・トラック)



週中日の休みの日、5/15 と 5/29 にレポートした道ばたのプチ林業の成果を、タウンエース・トラックという、通称1トン車のレンタカーで自宅に運びこんだ。

*ちなみに、表題の育林コンペとは、NPOが主催する森づくり(除間伐ほか)の美しさを競うコンペで、だいたい5年ごとに出来栄えを評価しあい、発生材は各々が処分する。面積は0.5ha、現在8ゾーンでグループと個人が対応。NPOの会員か会友団体。「私の山」と呼んでよいのが特権

薪運びは距離によって使う貨物車を選びたい。近距離なら軽トラック、70~100km前後なら2トンが便利で、実はその中間の距離をこなすに最適なレンタカー、ずばり、ライトエースクラスの1トン車を探していた。が、ネットでは1トン車はどこにもないので実はあきらめていたのである。

今回はネットではなく、いつものレンタカーの窓口に口頭で聞いて見た。あら不思議、あった~。1トン車というのは実はとてもヒューマンスケールで、積むのも下ろすのも、ひとりで作業してもいやにならない。2トンのロングは1回で運びきるにはいいけれども、ひとりで全量を積み込むのも下ろすのも全く骨が折れるし、飽きる、苦痛だ。苦役になる。

1トン車はそれがない。それに6時間で5,400円という料金も魅力だ。今日は8時に家を出てレンタカー屋さんに寄り、、9時に大島山林でコンパネを載せ育林コンペへ近道を使って到着、10時過ぎまでに積み込みを終えて11時頃には自宅へ到着。20分で、すべての丸太を降ろし終えた。

■そもそも、薪ストーブ生活を実現するための薪調達の現実、そして理想とは



薪は、材料の種類別に売られているから、1年分を十数万円から20万程度で買うことはできる。熱量の高いナラだけの薪でも、20万円も出せばその冬に必要な分が玄関先に届くのではないか。

わたしたちの薪への思いはちょっと違う。できれば自ら林に出向きたい。薪を自賄いしたい人。あるいは、気持ちはあるが腕と体力と時間のうちのどれかがままならず、せめて会員になって、薪を買い取りたい、という薪会員だ。苫東コモンズはそういう方とだけの付き合いにしているのが現状だ。いわゆる薪屋さんではない。

薪のある暮らしとは、富裕層の飾りのような暖房という位置づけでなく、できれば林を育てるところから関わりたいものだが、「薪の炎は癒されるね」という共感だけでもいい。逆にナラ薪だけ希望するような層は、基本、相手にしてこなかった。薪は基本はタダでもらえるという無知と重症の勘違いの方々にもサヨナラしてきた。

結論を急ごう。北海道の身近な林は、所有者がだれであれ、放置され混んでいるから木質バイオマスの資源は勝手に枯れている。混んでいるからレクリエーションに使う気もしない。

そこでは、森づくりのしくみ(理屈と実感)を知り、樹木の倒の腕を磨いた人たちが入り込む必然性がある。当然、枯れ木を含んだ「可燃物」が出てくる。それを関係者で分ける。そんな単純だが確実なサイクルが待たれる。

林の保育・環境改善動機+薪需要~所有者との交渉~薪生産&地域ビジネス、というサイクルが各地にできるためには、身近な緑への思いを、頭だけでなく技術に代えて自ら取り組むしかない。薪のある暮らしはすぐそこにある。


ミズキ咲き、カラスの幼鳥が飛ぶ頃

2019/06/08 sat 24℃ 晴れ
abe-e inaba ohsawa oyama kai kuri kusa tomik migita wada seki = 11 persons

新緑から夏の色に ~草も伸びる~



週の中日に静川の小屋に行ってみると、静かにミズキの花が咲いていた。テラスはナラの雄花がたくさん落ちている。季節は巡る、北国のそれは目まぐるしく巡る・・・。あっという間に山菜の5月が過ぎ、夏に突入する6月は間もなく夏至。

中国古来の季節の名称で行けば、4月下旬のコブシの開花で「青春」が始まり、5月、6月の初旬を終えて「朱夏」に入る。7、8月を超え9月の下旬あたりに実りの「白秋」に移るのではないか。確かに、春は一瞬だった。白秋も11月末まで(葉のある秋と葉を落とした晩秋)2か月ちょっとだ。

■ひたすら薪積む




今日も仕事は分散。11人が集って、二人は丸太の玉切り、二人が広場と林道の刈り払い、さらに二人が薪割り機で薪割り、あと二人は試験地の電気牧柵の漏電防止のための刈り払いと風倒木処理に山林の奥に出向いた。

積んだ薪が何故倒れるのか、にはずっと頭を悩ましているが、今日の話合いでは、丸太を置き始める土台の問題と、草地の沈下による軟弱化が挙げられ、その対策として間に板を挟むべきで細い丸太ではだめだ、との説も出てきた。これはWさんが一晩寝て得た妙案だというおまけつきだった。

要約すれば、積み方に問題があるわけでなく、地盤がフワフワなため、荷重によって地盤が動き、結果として人間の背骨が曲がるように、薪本体が変形するのではないか、ということだった。だから半分近く積んだらそれでプレロード(余盛)として1週間放置する案も出た。要するに、薪棚は重みで曲がる、それを客観的な技術でカバーしなくてはいけないということ。薪の堅牢化対策である。しばらく話題になるだろう

そのために育林コンペならぬ薪積みコンペを行うのも考えの一つだ。速さではなく手法、メソッドを競うのだ。これなら倒れないという手法を開発し実践して見せた方を表彰するわけ。賞金〇万円付き。昼食はそんな話で盛り上がった。来週、わたしはそれに着手してみよう。

■ドローンの再登場



kuriちゃんがドローンを持ってきた。前回のSさんのトイ・ドローンの10倍ほどの価格で、図体は一回り大きいし、コントロール性もかなりいいようだ。ドロノキのシンボルツリーを上空から撮るべく、池のそばまで行き、悠々と30m以上の高さまで飛んだ。そのまま、北東に進んで見えなくなったが、スマホのディスプレーで見ると広場の上空近くまで行って、薪の列が映っていた。

コモンズの動画もこれでちょっと質が向上する可能性が出てきた。

■林道を刈る




林道は草が伸びた。わたしは広場の薪棚の周りや小屋と薪の縁を、ワイヤーカッターで整形したあと、シンボルツリーを起点にしてフットパスや林道を刈り始めた。御幣のついたドロノキは何が何でも早々に気配りしたいが、面積が多くて斜面なので全部は無理で、四阿(あずまや)からドロノキをつないだ後、フットパスを刈り進むことにした。

下の二枚はビフォー&アフター。いつもながらこんなに違う。だから必須である。来週は3人でやろう。

わたしの万歩計を見たら10,000歩あまり、距離は4kmだった。往復を加味すると裁いた刈り払い距離は2kmちょっとか。たったこれだけなのに午前中から左の股関節が傷んできた。午後はもう限界で、3時過ぎに一段落つけて戻った。同じ動作の長時間作業ももう自粛することにしよう。


薪をよそに、刈り払いも開始

2019/06/01 sat 晴れ 15℃
abe-e inaba ohsawa kusa tomik wada migita seki = 8 persons



刈り払いには、刈り残す愉しみあり





今年は温暖さが例年より際立つのか、雑草が気になる。いつもなら薪仕事の先が見えてきて、7月の声を聴くようになってから刈払いを始めることが多かったが、今年は6月に入って早々、まず静川の小屋の周りを刈った。

本来なら新緑のころから最もフットパスが美しい時期に歩いてもらうために、フットパスの地面もシェープアップしておきたいところだから、6月の刈り払いスタートは、実は当然の事でもあった。小屋のアプローチ、駐車場、小屋の周囲、トイレ「Leaf let」までの径を当座しのぎに手を入れた。草ぼうぼうでは盗難を呼び込むことになりかねない、という背景もある。

刈っていると、オブジェとして優れているようなもの、あるいは造形になんとなく惹かれて、刈り残したいものが出てくる。今日はヨブスマソウとシダ、そしてテンナンショウであった。昨年刈り残したテンナンショウは増えて入口のアクセントなっている。シダの存在感も捨てがたい。

刈り残す遊びは、大地のアートのこころにつながる。

また、種で増やそうという試みのスドキは順調に増えている。しばらく、刈るのは要注意。



■薪が美しい




薪仕事は、migita、wada、seki の3名とohsawaさんが、鉄塔下の斜面の丸太を伐り出し、軽トラックで薪小屋前まで搬送。abe-e さんと午後のwadaさん、kusaは柏原から運んだ長材を玉切り、inaba、tomikさんが薪積み、というように分散。

薪棚は現在10個が積みあがりつつある。周囲であと5つ程度、薪小屋に5つ程度以上ができるはずだから、今季はほぼ20棚プラスアルファが出来上がる。この外に今年は9棚が余っている。

積みあがった薪を見ていると、今年は長雨などがなく、薪を堆積している間に木口にカビが生えるようなことがなかったそのせいで、薄茶色の明るい木口がきれいで、雑木林の緑といいコントラストをなしている。

さらによく見れば、ナラが中心と言いつつも、色々な樹種が混じっているのも「苫東コモンズの雑木薪」の特徴で、好ましく見える。枯れたもの、変な暴れ木も今年は排除するよう心がけてきたので、心持ち少なく感じる。

kusaは「紙の街の小さな新聞 『ひらく』 」の取材を受けるため、中座してサンガーデンへ。6月号と7月号に特集される。間もなく、苫小牧民報にも70行でカラーの記事が出る予定。

この外にも新刊に関するオファーがあり、中旬には、FM Air-G のインタビュー番組に出演、8月20日には札幌の時計台サロンで、北大の鈴木卓准教授とともにハスカップに関するプレゼン。もちろん、当方のテーマは「ハスアップとわたし」。あと、9月には北大農学部の森林科学系の大学院生がコモンズ(雑木林&ハスカップ)へ研修に来る予定が組まれている。


道ばたプチ林業

2019/05/29 wed 曇りのち晴れ 14℃
solo-work

放置された丸太を玉切る



暖房に薪を使うようになって、標準的とされる1世帯2棚(5.4立方m)ではやや足りないことがわかってきたので、育林コンペなど自分で賄う薪が必要になっている。苫東コモンズのフィールドには、このほか、土地所有者が風倒木処理を行った丸太なども主要林道沿いにはある。土地所有者に問い合わせたところ、NPOは必要であれば処分してもらってかまわないという返答をもらった。実は柏原や備蓄基地脇など、いたるところにそれらは点在している。

量はまとまらないが拾っていけばかなりある。これらは切って1,2年の間に処理しないと腐り始める。この兼ね合いは大事で、薪化はこの迅速さに尽きる。個人的な休日の今日はこれを行った。1,2週間後、1トン未満のトラックで集めて自宅へ搬入する予定。

数年前、英国のウインブルドン・コモンを訪れた際、公園の一角に、保育で発生した公園内樹木の発生材を割って薪がうずたかく積んであった。付近にあった看板では市民に有償で分譲するようだった。苫東コモンズでも、なにか、うまい手立てはないものだろうか。そんなことを考えながら、数時間、チェンソーを操作した。

みすみす腐らすのは勿体ない。道ばたプチ林業で、「道ばた薪」を上手に活用したい。

■樹木葬の可能性


林に遺骨を埋葬する方法が注目されている。日本では従来の墓地が、人口の減少によって承継者がいなくなり「墓じまい」をして、都会の永代供養の施設などにまとめられていくケースも多いようだ。

一方で宗教の枠組みを超えて、もっと自由な個人葬を望む声も多い。墓碑銘のない合同葬も人気が出てきたらしい。そのほか、種々の樹木葬が取りざたされる。

粉にした遺骨を山野河海に散骨するのは可能で、合法でも違法でもないらしい。墓地埋葬法という法律の対象にならないのだ。取り締まることも行われていないと思うが、これだと遺族が供養に参拝に来るよすがはない。他人の土地であれば排除される。必ずしも欧州のような管理された状態も望むべくもないが、山野河海の散骨は料金は取られない。

一方ではお寺さんが墓地を樹林化して樹木葬と呼ぶケースもあって人気の寺院も時々話題になる。

北大の上田裕文准教授の『こんな樹木葬で眠りたい』はいろいろ考えさせてくれる。読んだついでに、苫東コモンズが樹木葬のフィールドになる可能性はないかに思いを致した。樹木葬の条件の一つにアクセスがいいことが揚げられるが、その点では列後に回りかねない。しかし、もっと別の枠組みはかんがえられないものか。


新緑とハスカップの動画撮り

~雑木林の若葉の連続風景は薪ストーブに似る、
   そして、今年、ハスカップは不作~

2019/05/25 sat 快晴 17℃
ohsawa kai kusa tomik sasaki = 5 persons

コモンズ動画、新緑の部




動画「苫東コモンズってどんなの?」(仮称)は、大島山林に於ける冬季間の間伐(伐採)風景や運搬の動画から撮り始めて、5月は雑木林の新緑とハスカップの花を紹介する計画だ。支援会員の札幌のSさんが小さなトイ・ドローンを買って遊んでいると聞いたので、ドロノキのシンボルツリー(ご神木)、フットパスとサイン、ハスカップ・サンクチュアリ、静川小屋あたりの撮影を頼んだ。

トイ・ドローンは、超安価で躯体が小さく風にも弱い上に電波による指示がうまく伝わらない。アウト・オブ・コントロールになるのだ。したがってドロノキは頂端部の高さまで達することはできず、注連縄の周りを1周することも断念せざるを得なかった。最後の着地がやや墜落に近かったのも気になった。

■ドローンが故障、ハスカップの花は超少ない=今年は不作だ


ハスカップ・サンクチュアリではモーターの不調で揚力があがらず、上空からの撮影ができなかった。

その代り、三脚を用いた360℃のパンニングがことのほか、よろしい。車窓からの新緑のシークエンス(連続風景)も抜群にいい。薪ストーブの動画が、飽きない癒し系画像であるのに似ている。

ところで、今年のハスカップは花の数が少ないように見える。きっと今年は不作ではないか、そんな予感がして来た。

■実生のナラが大量に見つかる


大島山林の午後の撮影で、林道わきにたくさんのナラの実生を見つけた。ドングリから出たての1年生ではなく、もう高さ1mに近い群落で、3,4年生くらいで、驚いたことにシカの食害がない。これはどうしたことだろう。

萌芽更新の食害に気をとられていたが、実生がこんなに育っていることには改めて驚く。昨年、苫東会社から受託した調査の中でも、実生と萌芽の更新の法則が見つからず、今後を予見することが難しかったが、堂々と実生が生きているのは朗報だ。定点観察は大事だ。



ひとつはっきりしていることは、大島山林は一時期、コブシの山になることである。今日もドロノキ4本ポイントの、伸びるコブシ群生地の脇を通ったが、高さ20m近いドロノキが倒れた後は、間違いなくコブシ林になる、そんな勢いあるブッシュだった。

シカの試験地も順調に推移している。萌芽枝の食害はなく、すべてがスクスクと伸びている。


■スドキのピークを3人で独占、しかしほどほどで止める


先週小さかったスドキは、今日、高さ50cmほどに伸びているものもあった。だから大変見つけやすく、採るのが嫌になるほどだった。ちょっと堅いものもあり、その変化の速さにびっくりしたが、それにしても、誰かに採られた痕跡がない。山菜の王様と私は称賛するこのスドキを、地元の人はもちろん町内会の人も来ない、採らない。たった3人で独占だった。毎年毎年、かくも誰も来ないことはいいことなのか、季節の山菜を食べないでスーパーの食材やジャンクフードで食欲を満たすのが今風なのか、当たり前のことなのか、悲しむべきことなのか。

その反対に、先週、変わった夫婦(?)をある肉屋さんで見た。旭川ナンバーのベンツの赤いスポーツカーに乗ってやってきた初老のカップルは、「スドキを食べたくて旭川から来た」「苫小牧市内のスーパー数軒を回ったがなかった」「残念だ」と、店員に語っている。女性の店員が3人ほど、それはそれはと同情している。

スドキがどれほどおいしいか、知っているのか聞いたのか不明だが、ともかく、200km近くをドライブして求めている人が現にいる。

わたしはtomimさんとinabaさんにおすそ分けしてもらった一束を車の中に持っていた。おせっかいなかつての私なら、ここで「もしもし、それほどご所望なら、少しだけだが手持ちのスドキを分けてあげましょう」と、フーテンの寅さんのように申し出ただろう。

しかし今回はそこをぐっと押さえて、かつての轍を踏まなかった。このエピソードだけで十分、と老いた私は納得している。



サイン整備と林道の落ち枝、風倒木の片付け

2019/05/18 sat 曇りのち晴れ 19℃
inaba ohsawa kusa tomik & m = 5 persons

懸案の着手




来週の5月25日は、今年度の大事な活動のひとつである動画「苫東コモンズとはこれだ!」(仮称)制作のため、一年で最も美しい新緑の雑木林と、花盛りのハスカップ・サンクチュアリを、静止画、一般的な平面の動画とともにドローンの空中撮影を行う。

そのための重要なシーンとして、ちゃんとしたサインが立っているフットパスや林道の風景が欠かせない。もちろん、サインの字もはっきり判読できる状態が望ましい。ohsawa さんと kusa の2名がこれに当たって、午前と午後で主たるフットパスを一周した。

途中、フットパスに倒れた倒木を玉切りして道端に片付け、落ち枝を拾っていると結構な時間だ。それと将来木作業の中心となる大木をマーキングしていった。直径70cmを超えるハリギリ、コナラなどがまだある。





■新緑風景とサクラスミレとスドキ







それにしても雑木林の新緑は美しく、気持ちが高揚する。シカの試験地もmigitaさんのメンテで、バッテリーもしっかり機能し食害もない。ミラクルな落ち枝は多数。





大島山林は、国内最大の野生スミレ「サクラスミレ」が随所に咲いている。かなり上品である。サクラスミレは葉もプロポーションが良く、園芸種のビオラにかなり近い。一方、エゾタンポポもたくさん咲いている。しかし、広場とその近くの林道にはすでにセイヨウタンポポになっているから、このせめぎあいが始まっているのだろう。


北海道新聞の紹介記事

2019/05/18

5月14日の午後、自宅で取材を受け、16日の朝刊に、NPOの新刊「ハスカップとわたし」の紹介記事が出ました。が、「苫東開発が原因でハスカップの生息地が狭められ」「ハスカップは悲劇の主人公」という意味合いに書かれています。


わたしは、「農地の開拓、現苫の開発、住宅地開発などで徐々に狭められ、現在は苫東にだけ一大原生地が残った」「残された貴重な自生地の保全に知恵を絞ろう」「悲劇という発想から脱却しよう」という趣旨の発言をしたのですが、「開発と自然保護」という、いつも変わらぬ道新のシナリオにまとめられてしまいました。

真意が伝わっていなかったことを残念に思いつつ、当方の動きに注目してくれている関係者には、上記のような意味のことを一言、メールや口頭で申し開きをさせていただきました。(笑い

6月11日リリース苫小牧民報はこちら



出版記念の会

2019/05/17 fri 曇り
abe-e inaba oyama ohsawa kusa kuri tomik & m takizawa migita wada nakatsu kodama = 13 persons

■各々のハスカップを語る


NPO苫東コモンズが3月末に上梓した「ハスカップとわたし」の出版を記念して、その財源ねん出に尽力した苫東ウッディーズと編集協力者を中心にした内輪の出版記念の会を開催。
夕方6時半から、表町の「熊谷」にて。

会では各参加者が持っているハスカップのエピソードも紹介し、終始、活発な懇親、意見交換のうちに終了。


休み休み、そして林道チェアリング

2019/05/15 wed  曇り 13℃
solo-work

無理しない山仕事の方法


盗難を誘発しないように玉切りした材はそのままにする。そのうち若干を、帰るときに車に積み込んだ。厚真のNPOの育林コンペにほだ木の回収業者が来ていたので挨拶。「持ってって、という並べ方はまずいですよね。相手はその気の業者、盗られる時は盗られる」みたいな話になった。対策はやはり運び出す直前まで整頓しないこと。



育林コンペのowner林で、今日の特別休暇の山仕事は、リタイヤ後の模擬練習みたいになった。腰の痛み(股関節と坐骨神経痛)をかばいつつ、不整脈を念頭に、そろりそろりと動き出す。だが、ついつい動いてしまう。昼飯も食べ損ねてしまった。

でもなんとなく手抜きの仕方はわかってきた。まずは「年寄、半日仕事」の精神だ。それに加え、長崎などで人気の、チェアリングを気取って、時々椅子を動かして休んだ。

イカルとヒヨドリの声を聴きながら、早春の雑木林でひとり、ボケーっとしているのは、なんとも素晴らしい時間だ。帰りには愛車プリウスの後部座席を倒して、玉切りした丸太約20個を載せると大分車体が沈んだ。腹を摺る心配があるので、テキトーにやめた。プリウスは林道走行には本当に向いていない。





新刊『ハスカップとわたし』の手応え

2019/05/14 快晴 

リリースから20日余り、お便りが続々




12日の日曜日、ハスカップ・サンクチュアリに行ってみました。やはり、まだ開花には早かったようですが、札幌の北大農場では満開が終わるころだとか。サンクチュアリのある現地は、遊水地事業の測量のためか、アクセス路が刈り払われ、風倒木も整理されています。

一方、サンクチュアリの看板は破損していたので脇にヨッコしました。そろそろ役目も終わったかな。サンクチュアリを横切るように堤防が築かれれば、勇払原野で最大のハスカップ老木が危ない。なんだか、わたしは、アイヌが聖地を侵されるような気分を想像しています。旅人に大事なものを邪険に踏みにじられるような。私はハスカップがたどりつつ持っているスティグマ(聖痕)のようなものに思いを馳せながら、再生を祈るだけ。移植されたり、無くなってから騒ぐ人もいるんだろうな。

それはともかく、新刊は、4月12日に札幌ほかの道内主な書店に配られました。並行して、4月上旬には会員や注文先に配布、苫東へは4月24日持ちこみ、同日の理事会で配布された模様。発売から20日ほどで約80冊を完売。寄贈は300冊ほど。

ここ数日、読者の感想などが続々とメールや手紙で届いています。送っても何の返事も反応もない、というのはよくありますが、その片方でしっかり読み込まれた方々も少なからずいて、それらの読後感を拝読すると胸が熱くなります。北大の花卉造園の学生・院生、道立総合研究機構の研究者の方々などと、道立と私立の図書館、北大図書館の北方資料室へも今日送付、取材でお世話になったNHKの公文さんにも。国会図書館へは中西出版から。

今日の午後、北海道新聞が自宅に取材に見えます。所用と配送雑事で年休をとっていてよかった~。


薪の宅配

2019/05/11 sat 快晴 13℃くらいか
abe兄&弟、inaba ohsawa kusa kuri tomik migita seki = 9 persons

薪会員2名に薪届ける




厚別のTさんと江別大麻のFさんに、おのおの午前と午後、薪2棚を配達。初期薪会員への特別配達で、年1回、2世帯が原則。積み込みに小一時間、積み下ろしに15分から30分を要し、片道70分掛かる。1世帯当たり正味4時間を要するのでいつも帰りは5時過ぎる。2往復すると260kmほどを走ることになる。2トントラックのロングだ。

当初は自分で運転していたがこの頃さすがに遠慮するようにして、数年前から運転ではプロ級の若いTさんが交代してくれ、彼が転勤後は昨年からabeさんが代役をしてくれる。わたしはセールス担当みたいに、積み下ろしと撮影、集金担当。しかし、11日は2軒目のFさんで精算をし損ねた。失格だ。Fさんはあす事務所に届けてくれることに相成った。



風は冷たかったが、春の陽気。わたしは特に、牧場風景、田園風景を満喫した。



遠足のような山仕事

2019/05/04 sat 15℃くらいか 
abe inaba ohsawa kuri kusa tomik & m migita seki = 9 persons

テントから広場へテーブルを移動する




いよいよ5月、コブシが咲き始め、サクラはピンク色。折からの陽気で、作業テントの自家製テーブル一式を早々に広場に移動した。

4月27日に搬入した丸太の玉切り、薪割り、薪積みはまだ延々と続きそうで、その主たる舞台である広場に拠点を移したことになる。青天井の日差しも気持ちが良い。11時に、アイスのおやつをとって春らしい好天を祝った。

午前、薪会員の江別のkawamuraさん夫妻が薪搬出のためレンタカーで来場。

■続々と薪が積みあがる



今日の作業員は玉切り3.5人、薪割り1人、薪積み5人。 女性陣2人も薪積みに励んで、ohsawaさんはマサカリで薪割り専門。

新たに積まれた今年の薪は木口がきれい。湿度の高い状態で放置などせず、割ってすぐ人力で積んだせいだ。ナラの割合も高い。これは、風で倒れたのがナラの大木(大島山林としては)が多かったせいである。

今年積んですでに崩壊したものも2,3あるけれども、何事もなかったように積みなおしてあり、今日の段階で作りかけも含めて6棚が見えるようになった。搬出後の丸太の並べ方、玉切りした丸太の置き方、割った薪の場所、これらを最も無駄のないように工程とレイアウトを提案してきたが、だいたい意図が通じてほぼその通りになりつつある。

わたしは先月柏原から運んだ一山を割るのにほぼ一日かかった。しかし、材はナラよりもヤチハンノキが多く、チェンソーはスルスルと入るから、火力はいまいちだろう。以前、たしか、少し割れにくかったような記憶がある。これでは割りが合わない。

連休前半の自宅の薪割りのせいか、以前の憩室炎のあたりに違和感がある。スノモのダイナモロープの牽引やマサカリなど、つい踏ん張ってしまう力仕事が憩室炎に良くない。一方、坐骨神経痛は依然として痛みが強く、朝、痛み止めを飲んで出た。このところ、血圧も高めで推移している。なんてこった。

また、薪を割ったら、アカエゾマツ、トドマツ、ハンノキ、クリなどが一か所に固まっている材を、積む前に各棚にテキトーに散らす必要がある。熱量を各棚でバランスさせるためである。商品の均質化だ。



「コブシが良く咲いているから、今年は豊作かな」。農家の86歳、migitaさんが呟いた。