めざす道はイヤシロチに通ずる

NO.102
2018/12/01~

白老の環境町民会議に講演のお声をかけていただいたので、ほぼ半世紀に近い勇払原野との付き合いで経験したこと、そして日頃考えてきたことをお話しました。あまりに長い年月になるので何をお伝えすべきか、まさに思案のしどころですが、今回もまだ科学では解明できていないようなこととか、わたしの神秘体験などを中心にしました。

具体的には、ヤマグワが発する気から始まったインド・ネパールの聖なる木の話とか、湿原で聞こえた産土(うぶすな)の声、アブナイひとりの山仕事でいつの間にか祈ることを覚えた話とか、巫女さんグループが大島山林に来られてドロノキがご神木として祀られるのを若さを理由に固辞していたという話とか、そして自然保護を唱える前に気持ちの良い林をまず創って心地よい林を経験してもらう場を設けてみた話など。

焦点を絞り切れない話のシナリオのメモとパワーポイントを整理しながら、わたしが最も伝えたいことはなんだ、ともう一度みずから問い詰めてみると、最後は「森づくりも例外でなく人生の目的地は自分の身の回りにイヤシロチを創ることだ」という小さな悟りと、「土地は誰のものか」という2点にたどり着きます。

気が沈んでしまう風景よりも胸の膨らむ風景を目指し環境改善にいそしみ、庭も家庭も職場もコミュニティも社会活動も、皆が仲良く発展的に力を発揮できるような場づくりへ、そして健康で、仕事も商売も勉強もサクサク順調に進む日々の創造。これはわたしたちみんなが目指したい目標でもあるのではないか。

また、たまさか、ある土地を個人や法人が占有したとしても川や森や空を含む一帯は風土という入れ物の中の、小さな嵐でしかない、風土はそこに定住する人たちのものなんだ、だから共有する風土をコモンズの感覚で地域がケアするんだ、という覚悟の表明みたいなものになってきます。

home

雑木林だより トップ



大島山林、快晴無風、マイナス3度

2019/01/19 SAT 快晴 -3℃
ohsawa kusa tomik & m migita seki = 6 persons

直径50cm一本で見かけ1.5~2立米か



隣のtomik & m さんの風倒木が片付いたようです。ツルを切り、枝を細切れにしながらの作業で、なかなか捗りませんが、そこはオシドリ夫婦よろしく、着々と仕事が進んで、夕方には35cm丸太の一山ができました。根元の直径は50cmほどのナラ、年輪は65~75だったと聞いたような。ここの伐採年は1938年だから、やっぱり約80年というのは正解のようです。年輪幅が広くて、大東亜戦争の前から、かなりスクスクと育ってきたように見えます。

私が見積もったtomikさんらの材積ですが、ざっと見かけで1.5~2立米m。薪小屋の半分弱かと思います。わたしのところはもう少し太いのですが、先に掛かり木を2本倒し、二股なので結果的には倍くらいになるはず。シラカバも一緒に倒れているので、さらに増えるかも。

tomikさんのところもこれから周囲のツルに傷めつけられた劣勢木を伐るので、いいとこ勝負かもしれません。大きな風倒木とその周りを小面積皆伐してギャップを作っているわけですが、ひょっとするとそれだけで一軒の一年分の2棚=5.4立方近くが発生するのではないか、と見ています。

■伐倒の履歴



11時ころ、migitaさんからSOSで、何とも処理しがたい掛かり木になったから応援頼むとのこと。行ってみると、昨年赤い伐倒のマークをした25cmほどのナラがまっすぐ、立っています。すでにチェーンソーで伐れていて、切り株に乗っかった感じ。トビで動かしてみると、切り株にはツルがありません。ははあ、クサビはいれたものの、倒れないのでツルまできれいに切ってしまったようです。

本来は写真の左に倒す予定が、ツルがなくなったので、重心の掛かった向こう側にほんの少し倒れ、掛かり木になったもの。90度、違った方向に倒れたわけです。90度違えば、普通は大失敗。

なぜこうなったか、現場で切り株を見ながら説明しました。数年前のwadaさんのパターンと同じです。クサビをどう的確に使うか、本当のマスターをするのはもう少し時間がかかりそう。

そしてもうひとつ指摘したのはクサビを打つハンマーが小さすぎること。あれでは、重い樹幹を傾斜させるにはパワーがなさ過ぎます。200mほど離れた私にもカーンカーンといい音が聞こえたのですが、一向に刺さりこんでいなかったことになります。

結局、トビでやや斜めにしてから追い切りをふた玉、そののち、ウインチで曳いたまではよかったのですが、チェーンが地面から1.3mほどのところに巻かれたため、直立した樹幹が牽引者側に傾き、着地点にあったスノモを急きょ移動し、恐る恐るいつでも逃げれる体制で倒し終えました。

夕方、梢が薄紅色に染まるころ、現場を後にしました。


雑木林間伐レポート作成中に見えてきた発見

2109/01/16 wed 晴れ -2℃
kusa

苫東の雑木林の保育サイクル

月末が締め切りの受託調査のため、レポートづくりは最後の段階に差し掛かっています。どん詰まりのまとめをどうしようかと考えた末、今日(なか日の休日)は森林調査簿の内容に、わたしの関わった作業の履歴を加え、保育サイクルの図を作ってみました。

その結果、なんだか、面白いことになってきました。


~レポートにする考察案の一部~
 
・・・・・
静川の小屋がある一帯は、森林調査簿によれば1951年が発生年で、暴れ木など若干の保残木を残して皆伐されたものと推察される。40年余り経過した平成2~4年に調査したところ、haあたり2,500本程度の密度で、平成4年から6年にかけてhaあたり1500本を目途にして劣勢間伐を行った。これにより約1,000本が収穫され、これらは厚真町のシイタケ農家と薪炭業者に分譲された。

 間伐後の観察の結果、この密度では全く萌芽更新が見られないことがわかったため、平成28年、約半分のhaあたり800本に密度を落とすべく2回目の間伐を行った。ここでhaあたり700本の収穫が見込まれた。現在、ほうき状に萌芽したものが何本か見られるが、シカの食害はともかく皆伐あとのような旺盛な萌芽が確認できないことから、800/haでも萌芽更新はほとんど期待できないだろうと推測される。

 ミズナラ・コナラ林を持続させるためには、この程度の間伐ではほぼ無理であることがわかってきたが、枯死させるのは資源利用上問題なので、23回の間伐で収穫したのち、小面積皆伐して萌芽更新を主とし種による更新を従とした世代交代に引き継ぐことがより良い方法になる。



一方、大島山林では、森林調査簿によると1938(昭和13)年が発生年でこの年に一帯の約12haが皆伐されたものとみられる。それから90年を経過した平成30年に小面積皆伐を実施した際の密度はhaあたり888本だったが、静川と同様に皆伐後約40年でhaあたり2,500本の密度に達していると見て作図したのが図10である。

 2,500本に達したとみられる昭和53年はちょうど筆者が緑地管理で大島山林に関わり始めたころで、昭和50年には苫東会社の植樹会が大島山林で行われたばかりだった。当時は、林道がほとんどなく、比較的細い広葉樹がかなり密に生えていたが、林床が整頓され状態で風倒木や枯損木は目立たず美しい若い雑木林にみえていた。また伐採跡はなかった。したがって約40年間、目立った収穫はされなかったのではないかとみられる。

 図は以上の見方で作図したが、2,500本に達した昭和53年から平成30年に888本になるまで、計算上は1612本が消えたことになる。静川ではこの間にhaあたり1,700本収穫したのに対して、大島山林では自然淘汰に任せて腐食させ林地に循環させたことになる。

 結果としてはいずれもミズナラ・コナラ林を継続していく可能性を持っており、大きな問題は生じないが、どちらでもよい、という結果は、管理上放置しても根本的な問題に至らないことがわかり、先の受託調査「つた森山林の管理方針並びに管理計画策定調査(20143月)」および「平木沼湖沼群緑地の管理方針並びに管理計画策定調査(平成272月)」で提言したとおり、大面積の森林を経費を最小限に抑えながら効率的に管理運営する基本は「積極的放置」であるとする苫東の方式は、上記の結果も証明していると見ることができよう。これは苫東の風土が樹木が早く大きく育つには決して有利ではないが、植生の多様性などから植生の復元力は十分であり、それに依存した方法で森林を持続させることが得策であることを示唆していると言えよう。
・・・・・・・・・・・・・・・

この一連の報告は1月30日、発注先にうかがいご説明させていただくことになります。


冬の雑木林は美しい

2019/01/12 sat 晴れ -4℃ 
oyama ohsawa kusa migita tomik & m

凛とする雑木林の雪景色



少しまとまった雪が降って、大島山林の積雪は20cm少々になりました。地元でトラクターも操る migita さんはさっそく公道からテントまでの除雪をしてくれ、車も入っていける状態ですが、除雪なしならこの程度が限界でしょう。

高村光太郎の詩に、凛とした冬が来る、という意味の一節がありますが、晴天の雑木林は、まさにこの言葉を思い起こさせます。冬の雑木林こそ、森林セラピーや散策にむいています。冬は暗いというイメージを持つ人は多いのですが、日本の太平洋側はむしろ胸膨らむ光景が展開するのです。今日はそんな一日。しみじみ、幸せを感じます。

■ヒヤッとした経験の披露



傾斜した丸太には雪が積もって、作業前にまず雪落とし。そして雪に隠れた枝先を丁寧になぞってテンションを勘案しながら仕事を進めます。しかし、そのテンションの誤診もままあるもの。その誤った判断で、丸太が予想外の方向や速さで移動し、事故につながりかねないヒヤッとする経験があるものです。tomik さんも掛かり木を処理するのに逆に動いたと今日の出来事を披露(写真左で)。

わたしの方は、風倒木の掛かり木を倒したその丸太(写真右)が、元の風倒木の枝先を押し下げていたので、少しずつ丸太と玉切りし枝も少しずつ切っていたのですが、ある時点で枝に乗った超重量級の丸太全体がスーっと左から右へ2m近く移動したのです。すかさず逃げましたが、もし押し倒され下敷きにでもなっていたら、怪我かもしくは動けず凍死したかもしれません。まだ周りにはメンバーが来ていない時間帯でした。これもまずかった。

反省①動く可能性をすべて予測し対応すべき、また、動きそうな方向に体を置くべきでなかった、②近くに助けを呼べる位置関係になっていなかったこと

よかったことは、動きやすくするため、地面に落ちた多くの枝を片づけながら仕事をしていたので、幸い、体を動かせたこと。

こうしたヒヤッとした経験が、これからのとるべき行動を誘導してくれるもので、他人の経験もできるだけ共有することができれば(実際は難しいけれど)、安全上何らかのプラスになります。技術が未熟なことを自ら暴露するようなものですが、そこは謙虚に初心者の気持ちで取り組みたいと思います。雑木林の伐採は奥が深い応用問題であり、とりわけ風倒木の処理は正解が見つかりにくい難問のように見えます。

あせらず、ゆっくり、考えながら、しかしひるまず、勇気をもって取り組んで参りましょう。



午後、自宅療養中の wada さんが散歩がてらに現場に顔を出しました。検査の数値もよく、2月の現場復帰に向けて心の準備をしているようです。2月はスノモによる運搬も並行させるかき入れ時です。カムバックをお待ちします。

写真右は、処理目的の根返り風倒木。本体に取り掛かるまで、周辺の掛かり木や枝処理に約2日が掛かりました。いよいよ次回には本命に取り掛かります。すでに3立米近くが丸太になりましたが、来週、本体の玉切りに入れば恐らくそれだけで5立方、合計もろもろで8立方から10立方。ここだけで合計1軒半分から2軒分の薪ができることになります。


日々、薪がどんどん減っていく感覚

2019/01/09 wed 晴れ 0℃



シーズン初めにはこんなにあった薪が・・・・



今や、薪小屋は1列だけになりました。1間四方の薪小屋は、遠浅のと同様に5列が普通ですが、どうやら、これだけでは3か月も持たないことがわかりました。

もっとも、暖房には石油を使わない生活ですから無理もないようです。多くの方々は灯油と併用、もしくは薪を補助燃料に使う、という向きもあります。

育林コンペで作った正真正銘のマイ・手づくり薪がカーポート脇、ベランダ下、物置前、軒下に置いてありますが、水分計で測るといかんせん15%程度の湿り具合で、明らかに燃え具合が悪い。これが1か月分ほどあるでしょうか。

この窮乏感覚。北海道の85歳くらいの年配の方が、玄関に家族が一年分食べる米を積んで、初めて年が越せると安心したものだと言います。やや、それに近い感覚ではないかと思います。こんなにモノが豊かな時代に、なんとなく切ない感じですから。



幸い、木端の焚き付けだけはふんだんにあり、kindling cracker で小さく割った薪もまずまず。しかし、この窮乏感覚とこれからずっと付き合っていくのかと思うと、やりがいと闘志と義務感や重荷感覚とまじりあって、ちょっと微妙。

ちなみに、薪の取入れは上の窓から体半身を出して、引き揚げます。一日2回ほど。当然、ここへほぼ毎日積んだ薪を並べなくてはなりません。本当に手間のかかるものです。


2019年の初仕事

2019/01/05 sat 曇りのち雪 -5℃
oyama ohsawa kusa tomik & m migita = 6 persons

雪がない正月

正月明け初日、三々五々6人が結集。9時半、テントについたときにはすでにストーブに火がつけられ、北東の方角にチェンソーの音がした。右田さんだ。昭和8年の生まれだから86歳。



身支度をしていってみると、ソーチェンを新調したのでとっても調子がいいと笑顔に。一人なので、特に安全第一の作業をお願いした。のち、50mほどのところで ohsawa さんが作業につく。いずれも小屋から直線で100mの距離。



わたしの今年の初仕事はこれ。地際からふたつに分かれたミズナラで、根返りした鉢の大きさからも樹齢がしのばれるが、調査簿では80年プラスアルファ。苫東の雑木林の特徴は、大木になったものから大風に倒されること。だから、「苫東方式の間伐」は、根返り木、風倒木とその予備軍を見つけ整理して、周りの掛かり木も処理して結果的に小面積皆伐跡地のような「ギャップ」を作り、天然更新させることに方針変更した。これが近年の調査結果と経験を踏まえた作業手法のゴールだ。大木を作り銘木市に出すという当初の希望は捨てざるをえなかった。

倒木への力の掛かり方が読めないので、まず枝先から着手したが、枝の下に入ってみるとどの枝に最もテンションが掛かっているのか、まだわからない。今にもバランスを崩して動くか不明というのは落ち着かない(右上)。



あらかたの枝を整理してテンションの大枠をつかんでから、掛かり木のコナラを伐倒(左上)。これも二又で、高さ60cmあたりの年輪を数えてみると70数年だった。やはり皆伐あとから80年プラスのようだ。強風は南東の風だったのだろう、ほとんどが北西側に倒されている。



午後から、 tomik & m さんが隣の風倒木に取り掛かる。つるぎりを丁寧にこなしたあとの、穴になった樹冠をみると、ツルに絡まれたのはこれだけでなく、周囲の多くがてっぺんをやられていて抜き切りせざるを得ない。15mか20m四方程度の穴になると思われる。



oyamaさんは、午前中、薪小屋の周りを終了、午後からテントのそばのキハダの掛かり木に移動。ここも様々な木に寄りかかっており、安全を確認しながらひとつずつ倒していく必要がある。キハダは根元は空洞になって腐っていたが、2m上部からは大丈夫。黄色い形成層が鮮やかなので撮影しておく。コルク層のすぐ内側の一枚に、漢方の成分が蓄積されるのだろうか。さらに内側には年輪が確認できる。



3時近くになって雪がぱらつきだし、3時半ころには横殴りの風雪になった。雨雲レーダー情報を見ると、北北西の札幌方面から遠浅を目がけて雨雲の帯がある。石狩低地帯に沿ってやってくる雪だ。これはなかなかやまない。このころ、千歳空港は大雪になり、105便が欠航した模様。

■新人 ohsawa さん、活躍
 

昨年会員になった ohsawa さんがその後も休まず参加している。最初は玉切りだけだったが、この頃は倒れた木を、最初から藪だしまでを着々とこなしてくれている。大きな戦力だ。お年玉プレゼントではないが、新たにスチールのズボン型チャップスとヘッドギアを貸与。はいてもらったらちょうどよかった。

■薪の分譲に追われず行こう

今年は材の出方は予測がつかない。funaさん、takaさん、waseさん、nakaさん、saitさん、kawaさんがいつもの薪メンバー、ここに新人kajiさんが加わり7名、そこにウッディーズのabe-eさん、kaiさんとわたしが加わり10名。計0棚が固定した薪需要だから、当面20棚が来春まで確保されていればよい。現在保有する薪は27棚だからそれは軽くクリア。あとこの冬で13棚を用意できれば再来年まで確保したことになる。

大きな風倒木1本を整理すると、1棚半ができると計算すれば、10本で15棚。なんとか全員で10本の大木を片づけることを念頭に置いてみると、ノルマ感覚は薄れてくる。楽勝かもしれないな。それを雪の少ない今月に済ませれば申し分ない。二月に運べば3月はルンルン気分。中間で慰労の打ち上げをしたいところ。



今年最後の個人的山仕事

2018/12/29 sat 晴れ -7℃
ソロ

それにしても


前日は職場の仕事納めでお昼はおいしいビールをいただき、定時までだらだら残務整理して、夜は家族水入らずの忘年会でした。

そして朝、家族が寝静まっているうちに山仕事一式を積んで大島山林へきました。ほとんど雪がないので、スノモをあきらめ一輪車に道具を積んでテント小屋へ。ふんだんにある乾燥した焚き付けに火を点け、薪をくべました。スムーズに暖を採れるサクサク感はいいものです。

ところで、非日常という言葉がありますが、わたしの場合は山は山で、「週末日常」と呼ぶくらいに週末は雑木林にいる生活パターンになっていました。もう20年以上になるでしょうか。言わば、いずれも日常であり、非日常でもあるようです。というか、週末は思い切り仕事モードから離れる必要もあり、あるいは雑木林は仕事以上のライフワークでもあり、静川や大島山林のような林は特別な場所と時間を提供してくれるようです。林で10年も哲学すると一冊の本が書けるほどです。

この日の仕事は先週やり残した掛かり木の処理と枝先部分のフィニッシュ。写真下が結局残してしまった部分です。ミズナラの風倒木の枝先がヤマモミジの二又に挟まって、お手上げ状態になりました。年明けにロープをかけて反対側にスノモで引っ張ってみることにします。



それにしても掛かり木、枝折れはどうしたものか。
掛かった方の木も倒していくのも方法ですが、少なくとも枝折れは折れた部分が腐って大風で落ちるのを待つのが得策かも。掛かり木は使える太い木が多いので、美観も考えてできるだけ処理すべきでしょう。地面が盛り上がった根返り予備軍も倒していけるよう、気づいたときに赤いマークをつけています。

小屋で温かい昼食をとったのち、チェンソーの目立てをしてから静川の小屋に向かいました。


延々と続くのか、根返り木整理(2018年の山仕事納めに)

2018/12/22 sat 曇り 3℃
oyama ohsawa kusa migita seki = 5 persons

■やってもやっても終わらない「風倒木整理」



こんな根返りがいくつかある。年明けから3か所、計6,7本手掛ければ2,3軒分はあろうか。つまり、見かけで10~15立米。

スチールのケブラー入り安全グローブは皮製の分、ゴワゴワ感がある。右上はsekiちゃん、migitaさんと。

昼前にこの掛かり木を処理。根元直径40cmのコナラ。

ただ倒れてくれれば特に問題はないが、樹木は地面をめくる。写真のそれらは、根張り直径が3mほどで地面を道連れにしている。だから異形の景観になってしまう。写真右は根元が腐ったキハダ、直径50cm。周辺を巻き込んで、これも面倒だ。

5人での仕事納め。穏やかな日で、風もなく気温3度というのは山仕事に理想的な日だったかもしれない。oyamaさんは薪小屋周り、migitaさんらはドロノキのそばの桜へ、ohsawaさんはテントそば、わたしは二人の間の掛かり木を処理。午後一番に午前中に下準備をした太い折れた枝を、ohsawaさんのジープで引っ張ってもらったが、しぶとく幹を離れなかった。

午後から持病持ちの股関節が悲鳴を上げ始めた。30kgほどの丸太を転がし持ち上げ、行ったり来たりの作業は、運動不足の前期高齢者の持病持ちにはやはりキツイ。(帰宅後は階段を上るのに手すりが必要だった)

一方、スノモは今日、半分雪の消えた落ち葉の上を走った。帰り際、凍り始めた土の上で、キャタピラが空回りを始めて走行できなくなった。実にスノモの最適応環境というのが狭い。いったい、お前は何なのだとぼやきたくなる代物だが、まあ、自分とも似た相棒だと思う。

このスノモ、携帯バッテリーで朝一番の始動をしてからは、ダイナモでエンジンをスタートさせている。

■薪生活

2棚入る我が家の薪小屋の薪が、11月上旬からの40日余りですでに半分がなくなった。ということはあと40日後の1月末で薪小屋の薪がなくなる計算だ。やはり5.4立方mでは胆振の冬は越せないようだ。育林コンペで確保した薪を補助にして2月の1か月を持たせればよい。3月は日差しが強くなって薪ストーブでは暑すぎるようになるから。



大島山林の今季の作業を始める

2018/12/15 sat 晴れ -3℃
ohsawa oyama kusa tomik & m migita = 6 persons

山仕事の優先順位



2018年冬の大島山林の山仕事がスタートした。正式に言えば、苫東地域の骨格緑地(元の保全緑地)「遠浅樹林地」の広葉樹林の間伐である。

今季の間伐作業は、広場の比較的近くに戻って、昭和50年5月の苫東植樹会の針葉樹林を含む一帯で、地域森林計画の対象から微妙にずれる。畑の跡地と、遠浅幹線とか言われた送電線跡地の自然復元地だからではないかと思う。森林資源をカウントする国の帳簿にはないエリア、いわば新参者である。

今季は特別な年になる。台風21号(9/5)を中心とした数回の台風で発生した風倒木処理から始めなければならないからだ。林道に倒れたものは応急措置をして来たが、これからは林道沿いの風倒木を見える範囲で除間伐の気分で整理しなければならない。

困ったことに風倒木はほとんどが掛かり木になっているうえに、高さ5m程度のあたりで太い枝が折れる、いわば幹折れ状態が多い。それでなくても危険で難しい広葉樹の伐倒がこれでさらなる応用問題に昇格してしまう。難易度が高い。この伐採を優先するために、今季の間伐で発生する材の量は例年よりかなりダウンするだろう。幸いシカの試験地900㎡の分がストックであるから、薪会員の分はなんとかいつも通り出せるかもしれないが、「今年はごめん」と分譲を見合わせる時期が来るかもしれない。

今日も安全のため2人一組を心がけ、慎重にスタートした。わたしはメンバーの風倒木処理とは別に、植樹会跡地の針葉樹造林地から、今年の伐採木の選木を開始した。

上はtomik & mさんが玉切りした材。降雪でも隠れないよう目印を立てた。右はmigitaさんの今日の午後までの成果。いずれも根元の直径30cmを超えるから、そんなものは35cmに玉切りしても、30kg以上で重い。

ohsawaさんは、migitaさんの隣で同じく風倒木処理。スノモがアクセスしにくいところなので、フットパスまで丸太を運んだ。ひとつひとつ、コツコツ、牛歩の如く。最後は分譲される薪がこうして集められたものだとは、消費者には想像がつかないだろう。この「雑木林だより」をご覧になっている薪会員もどのくらいいらっしゃるかわからない。

さて、シカの試験地では電気牧柵の周りにあるのはキツネの足跡ばかりで、シカのものはない。キツネも柵の周りを一周しているが中に入っていない。ウサギの足跡もなかった。したがって萌芽した枝は何者にも食べられていない。これから餌が少なくなる時期だから、引き続き観察を続けよう。


上はアカエゾマツとトドマツの造林地。密集しているので倒すのは最初難儀するはず。まず一本を倒してその空間を利用することになる。

団体の後継


薪ストーブの焚き付けがないため、自宅から kindling cracker を持ってきた。これを使い作業前にohsawaさんに割ってもらい(←)、ストーブ脇に積んでもらった(右)。これで2月、3月まで十分持ちこたえられると思う。こんなことで多少リッチな気分になれるから、ストック感覚というのは侮れない。

帰り際、oyamaさんと団体の後継者の話になった。どこも若い人が入会しない現状にあるが、oyamaさんのキノコの会も同様らしい。そもそも将来的にずっと継続しなければならない、と考えるから窮屈になるのであって、自然消滅してもいい、と思えばだいぶ気も楽になる。そんな話になった。

このあたりは「雑木林だより99」のリードに簡単に考察してみたところである。思えば、現代の若者は共働きだったりいろいろなやることを持っており、おじさん・おばさんたちのように自由な時間をとりにくいようにも見える。思えば、自分が住んでいる地域のために、何かを始めようという動機は、なかなか自然には生まれにくい。定住の意思だとか、コミュニティへの交わりとも関係が深い。震災の跡地などではよく聞かれるから、大きな気づき、強力なきっかけがあるのだと思う。


チェンソー用手袋を購入

2018/12/12 WED 雪 -2度

さらに、安全対策を強化


 

2週間前の怪我の事故を教訓に、

①静川と遠浅の現場に「救急セット」を常備(inabaさんが準備してくれました・下右)
②頭から足先までの安全装備に、手袋も追加(個人的に)

実は手袋は防寒だけに気を取られ、回転するチェンソーに対応する繊維入りではありませんでした。近くのはせがわ機械に電話相談し、早速取り寄せてもらいました。ネットでも買えそうでしたが、指先までの繊維の有無なども、細かく吟味したかったのでショップで面対して買うことにしたのです。購入したのは

STIHL プロテクトMS(8300円+税)

ネットではこのように紹介されています。
 
切断防止特殊繊維入り、切断防止クラス1(ソーチェンスピード≦20m/秒)適合。牛革&布素材、快適な付け心地の人間工学デザイン。樹木のメンテナンス、チェンソー作業向き。サイズは、S・M・Lの3種類をご用意。ヨーロッパサイズですので、日本サイズより1サイズ大きめです。

今週末は、いよいよ、大島山林です。薪小屋裏や林道沿いの風倒木をある程度整理することから始めると、なかなか捗らない可能性もありますが、今季はまず台風と地震の後始末が不可欠ですから仕方がありません。

その傍ら、わたしは赤いスプレーで選木の作業をします。スノーモービルも始動させる必要がありますので、携帯用バッテリーを充電しました。準備が少しずつ進んで、作業体制が整っていきます。あとは、キンドリング・クラッカーを家から持っていって、薪を細かく割って焚き付けを創る必要があります。

山仕事がいよいよ本番、気持ち的に忙しくなってきます。
一方、『ハスカップとわたし』の初校は精力的に校正を終え、予定より1週間遅れの12月10日、印刷屋さんに戻しました。2校目はおそらく正月明けになるでしょう。


山の神参拝、のち忘年会

2018/12/08 sat 晴れ -2℃
参拝:inaba oyama kusa tomik & m migita wada = 7 persons
忘年会:abe inaba oyama kai kusa tomik & m migita wada seki = 10 persons


■シンボルツリーのドロノキで参拝





かなりまとまった雪が降って、朝8時過ぎ、道路はツルツル状態。市役所前あたりは時速30、40kmのマヒ状態だった。山の神参拝は今年は大島山林のドロノキ(シンボルツリー)11時にしたので、わたしだけ、つた森山林のご神木に粛々とお参りを済ませた。わたしにとっては昭和51年から欠かさずやってきた恒例の習わしだ。写真右↑のように、典型的な雑木林の冬の風景になっていた。

シンボルツリーのドロノキは、ふと枝が折れてぶら下がっていたのを、migitaさんがトラクターでけん引し、整理しておいてくれた。おかげで、ちょっとすっきりしていた。しかし、折れた傷跡は生々しい。いずれ、ツリークライムで落としてほしいところ。

お神酒、お米、塩、アタリメを備え、7人で参拝。

広場の太い樹木が倒れ、整理されるのを待っている。広場は町内会の担当とはいえ、町内会も人出はないし、伐採できる人は苫東ウッディーズの二人しかいない。結局、migitaさんがクルミやトドマツを玉切りし、枝条整理まですることになるかもしれない。氏は「暇になったので、平日やるよ」と軽くおっしゃる。

来週から始める本番の仕事でも、各所の風倒木をまずは目立つところから整理することになるかと思う。大雑把に目途をつければ

①薪小屋の裏からドロノキまでの沿線  
②コナラのそば 
③シカの牧柵周辺 
④ブルーテントから見える一帯
⑤崖下の林道沿い

⑤はスノモで出かけてそのままソリに積んで。こよう。地震や台風の後遺症は、まだまだ残っていて年を越す。

■忘年会で大事な話をいくつか

  

忘年会は表町の食座「楽々」で18時から。結局散会は10時前だったから、ほぼ4時間、歓談したことになる。興味深い、大事なこともあったので、忘れないようにメモしておこう。

《地震のこと》
abe-eさんは震度7の激震地にいて、一時は家を離れ避難したが、ようやく復旧が進んできた。とはいえ、まだ、家の中がもとに戻っていないらしい。近所には阪神淡路を経験した方も少なくないといい、あまり聞こえてはこない行政の不備の指摘も多いという。今回の一連の震災事故はわたしにとって「北海道のシステム」「北海道スタイル」「北海道人の民度」みたいなものを問われているようで、これは深刻に考えていきたいところ。

《チェンソーの怪我》
これからの作業の安全を祈願する山の神の参拝の一週間前の先週、チェンソーの事故が発生した。痛ましい、大きな傷が残って、本人からメンバーの注意喚起のために詳しく報告してもらった。何でもない細い木で、何の気なしにソーチェーンに触れてしまったようだ。普段はチェンソー用のグローブをしていたのに、今回は別の普通のものを使用していた。

細かい作業もあるので、わたしなどは普通の防寒手袋を使うことが多く、たまには軍手の事もあった。この事故を他山の石として、早速、チェンソー事故を防止できる手袋を購入することにした。ちょっと高いが、必要だ。

《町内会との意思疎通》
山林に隣接する町内会も高齢化して、「アイリスの森」周辺10haの管理を手放したいという意向が消えている。町としては、団地分譲のキャッチとして「森のそばの」住宅団地をうたっているその森の広場周辺を、町内会が役場を通じて土地所有者の㈱苫東から使用許可をえている。それを返上したいという声もあるだろう。NPOは骨格緑地(保全緑地)「大島山林」70ha全体をフィールドにすることで協定を結んでいる。

池の広場の刈り払いを担当者総出で一斉にやっている風景は、時々見かけたが、かつては町内会長がたった一人で刈り払い機を動かしていたこともある。この件は、町内会にとって、山林の存在をどう評価するのか、にかかっているが、実のところ、山林で憩う人は一握りで、あるご夫婦と子供連れのお母さん、あと少々で、地元の人が春や秋の山菜採りに来るという習慣もあまりないようだ。

そんな、誰も来ない所を何故管理する必要があるのか、という意見もある意味もっともだ。

私見では、山林の存在を評価するには、日常の経済や時間の損得を超越した、ちょっとした余裕のようなものがないと理解も賛同も得られないと思う。ドイツの本に『森なしに生きられない』という切実な題名のものがあるが、日本人は、その逆に『森なんかなくても生きていける』『緑なんていらない』という本音を語るのを聞くこともある。森や林との付き合いのない年月が長く、その良さに気づいている人が少なくなっているのが背景にある。荒れた林は蚊も多くダニもいる。だから、受益者がやるべき、ということになって、受益者はだれか、ということになる。そして受益者は、奉仕者が築いた成果に往々にして「タダ乗り」する。社会学ではしばしばフリーライダーと呼ばれる。

もうひとつ、NPOはいったい何をしているのか、といぶかっている住民もいるようだ。数年前、西田会長の時代に相互理解を深めるための集会を2度開催してもらい、つるしあげ状態になりながらも多くの参加者の誤解が解けるような一幕もあった。

森に遊びなど行かないが、住民には自分らの庭先の林でヨソ者のNPOがなにやらやっていて、いつのまにか売り物になる薪が出来上がっている、と見ているのだろう。林など行かないから、風倒木の存在も知らないし、混んで見通しの効かない現状も知らないだろう。樹木は放置して腐らすのも方法だが、風倒木や間伐木を、小さく切って運び出して、手間暇かけてエネルギーに変えていくサイクルを見てもらえばすこしわかってもらえるだろう。

ちょうど、わたしが務める財団の環境コモンズ研究会の31年度の事業に、「環境コモンズとはなにか」を紹介する動画制作を計画している。これを秋までに完成させて、町内会の方々にも見てもらおうと思う。

《ツリークライミングと折れ枝処理》
tomimさんから、フィールドでツリークライムをしてよいかという打診があった。かつては育林コンペの北大チームが小屋の周りでやっていたし、プロの高木さんにフットパスの安全向上のため、頭上の枝を落としてもらったことがある。シンボルツリーのドロノキはかつて高木さんの練習の場として使用し、abeさんも加わったような気がする。

わたしはツリークライムを広めるのに一役買った岐阜のギャスライトさんと日本森林学会でお会いしたことがあるが、高木さんによればいくつかの流派があるようだ。個人的に興味はほとんどない。
ただ、フィールドに使うことは自己責任でOKだと思うし、折れ枝の切りなおしをしてくれるのなら、ロープを購入するのも可能だろうとお話した。でも、女性たちがそれをできるだろうか。クライムだけであれば購入は難しいと思うので、その際はabeさんから借用してはどうか、と思う。


曇りのち晴れ、時々雪がチラつき

2018/12/01 sat 曇り&雪
oyama.kai.tomi-k.tomi-m.migita.sekimura.inaba 5名


《inaba さんの報告》

風が強くとても寒い日でした。
それぞれの持ち場所に向かい、お昼はストーブをガンガン炊いて小屋でたべました。

トビ、燃料タンク等、飲み物等はmigitaさんがスノモ小屋に運んでくれました。椅子・テーブルは小屋の軒下テラスに移動。静川小屋の冬仕舞い終了。

あまりにも寒いのと右田さんは、夕方から忘年会だという事で適当に早じまいしました。写真撮るのを忘れてしまいました。



《そのころkusakariは》
12/1白老にて勇払原野と樹木の「気」など紹介






















白老町民環境会議のお招きで、12/1午後、90分の講演をさせていただきました。会場のコミセンでは環境ボランティアなどのパネル展も開催されており、講演は一連のイベントの一環でした。わたしのお題は『勇払原野のほぼ半世紀に学んだこと~土地は誰のものか~』。科学にもとづいたことより、ちょっと摩訶不思議な、未科学領域の、俗にいうアヤシイ話ばかりを選りすぐってお話しました。参加者約50名はどちらかといえばご高齢の方が多かったのですが、最後の10分の質疑で若い女性の方々から話の核心に触れる質問をいただきました。白老ではかねてから白老の各所にカムイミンタラ(神々が遊ぶ庭)はある、いう趣旨の発言をする方と何人かお会いしているので、豊富な自然体験、神秘体験をした方が少なくないと見てのテーマ選びをしたつもりでした。場所を変えての懇談会でも話題になりましたので、まずまずです。サイエンスとは真逆の話をする、というのは、しかし、一種の賭けみたいなものなので、反応がなければ話題を代えるほどのネタ用意が必要なので気を使うチャレンジです。でももうそろそろ講演はおしまいにするつもり。