フライフィッシング(以下、ときどきFF)は大人の夏休みの宿題みたいなものだ。
特に オヤジというか自称紳士にとって。なぜなら、FFはちょっと研究しなくちゃ釣れない
こととその研究対象というのが博物学的だから、そして何より「遊びよりもずっと深い」から。
だから、休みの遊びではなくて、「自由研究テーマの宿題」。ちょっとつらいものも あるのだ。
とこういうと、女性には「ただの遊びじゃないの〜?」と簡単に決めつけられる。だから、女性は困る。
ここでは、ただの遊びでない証拠を手前味噌をたっぷりぬりたくって見せることにねらいを定めた。
ことFFとなるとオジサンは多少ムキになるし、意固地にも なっている。けれども、
ひとつだけ間違いないことがある。フライフィッシングを全うし ようとすると、
その過程はナチュラリストへの道のりと一緒だということだ。
ナチュラリ ストに志願しないでただ釣るだけなら、FFの大事な側面を見逃していると断言しよう。
重ねてあえて言おう、ナチュラリストたらんと努力しないとFFの至福はやってこない。 FFの方から疎外される。
たかが遊びの毛針釣り。されど…。
その言い訳を2002年からまじめにしたためていくことにしたきっかけは、
「森」である。緑と人の接点を探し続ける当研究室では、つくられた半人工的な林の入り口として、
里山の雑木林と庭を相手にしている。そしてもひとつ、
ややワイルドな原生自然への入り口はフライフィッシングにした。
これはここ10数年来のわたしのもっとも好きな趣味・道楽であり、ここにきて森もFFも庭もみんなつながってきたせいだ。
魚、とりわけマスtroutたちを相手にした川・湖・海のフィールドから森と林を見てみることにしよう。
我が家から30分圏内の身近で日常的なフィールドを第一に、
それから時折の遠征を織 り交ぜて。