森羅万象に埋没する

NO.112
2020/10/03~
横浜の「きずなの森」という森あそびモデルがあった。今は別の里山グループの会報が定期的に届くので目を通すが、ホームページが実にセンスが良く、多方面、網羅的で、森の幼稚園やバザーやセミナーなど、発信力も高く多彩で素晴らしい。

それらに比べるとこのローカルな日々は、素朴であか抜けない作業を飽きずにやっていると思う。身辺にないものは上昇志向とかビジネス志向という課題性だろうか。興るもすたるもひたすら自然体で、「手自然」のイヤシロチを創ろうとしている。

「手自然」の手を抜けば、文字通り、自然に戻る。それが日本の自然、ここの自然であることに気づいた。それでいいのだ。

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令和2年の仕事納め

2020/12/26 sat 曇りのち小雪 -5℃
abe-e urabe oyama kai kusa nakam-f&s tomi-k&m migita wada = 11 persons

■新人にわたしたちの関わる林を紹介



何日か続いた快晴の日々から急に寒々しい冬の光景になったが、雪はわずかに1センチほど、苫小牧のマチはほぼゼロ、そして大島山林の気温は終日マイナス4,5度だった。動いていないと寒い。

苫東コモンズに関心を持つUさんが、活動に参加したい意向なので、すでに持ち場についたメンバーにひとりずつ紹介した後、大島山林全体を軽トラで案内した。

広葉樹林の更新にも興味があるようだったので、シカ食害試験地に行ってみると、風景がごろっと変わり、落葉したため稚樹の更新が見えにくく、そのかわりアワダチソウの綿毛が異様に目立った。

Uさんにはわたしのゼノアを預けることにし、例によって早速、これから必要になる伐倒の資機材をざっと一瞥した後、チェンソーを持ってツルの重要性を確認する作業に着手し、最後は手で押して2本のミズキを倒した。クサビを用いた2種類の伐倒は次回、年が明けてから改めてやってみることにした。

Uさんはわたしが歩いてきた海のアメマスやニジマス、サクラマスのフィールドがかぶっており、おまけに山登りのクラブでは縁戚に当たることがわかった。広葉樹の薪生産の悲喜こもごもも経験しているなど、苫東コモンズのミッションがわかるうえ、フィールドになじめそうな下地がすでにあるのが心強い。是非、若い担い手の一人になってほしいところだ。

■厚真グループの作業風景



午後からは、Uさんを育林コンペのゾーンに案内した。林道の向い側に森結びの会のNさんら3名が作業中で、しばし歓談した。馬搬は別のところで忙しいので、小型トラクターにポータブルウインチを装着して全幹集材をしていた。

わたしは日頃思ってきたこと、すなわち、厚真グループの面々は、この雑木林に対して、たまに遊びに来るような、マイ・フォレストの愛着を持てるだろうか、と率直に聞いてみた。そして、みんなで協力し、こぎれいな雑木林に仕立てて、フットパスを創って散策できるような環境を創っていきたいものだという希望も述べた。そうすることで一帯が盗難や安全向上にもつながるからだ。また、苫東緑地の利活用を通して、インダストリアルパークの実現というプロジェクトにも大きく寄与する。これは前代未聞の取り組みだ。

福島から地域おこし協力隊として移住したNさんは、この林に快適さを感じており、10月末の育林コンペのプレゼンで厚真グループと同意したように、静川の小屋のような「たまり場」「依り代」がほしい、という意欲も語っていた。フットパスも依り代も来年から手を付けてみたもの。

また、この寒空で、若い世代の人たちと、先の明るい見通しをこんなふうに語るのは新鮮だ。どうなっていくか、愉しみになってくる。

向い側のわたしの林では、Nakam さんがクサビを使って伐採した切り株をUさんに見せた。クサビを1枚使ったもの、2枚使った伐倒とも、履歴が良くわかり、ツルの厚さが違ったために倒れる方向が20度ほど右にずれてしまったことなども、良く分かってもらえた。

ここはわたしのほかにNakamさんに入ってもらうことにしているが、いずれUさんにも加わってもらっていい、とお話した。

Uさんは、10年以上前から米国バーモント・キャスティング社の大きな薪ストーブ「デファイアント」で毎年7~8立方メートルの薪を燃やしてきたといい、林の手入れをしつつ、薪を作ることに対する真摯な情熱が伝わってくる。「薪欲しさ」というのではない、いわば、自然に学び、良く付き合ってきた人が到達する目線というものが彼にはある。

世は、コロナと米中を基軸にしたグローバルな攻防などで決して気を抜けない話題が続くが、ローカルのここに目を向ければ、少しずつ世代交代の芽が見え隠れし、こころのどこかでホッとしている自分がいる。


マイ・チェンソーとの別れ

2020/12/23 wed 晴れ 5℃
solo-work

■小屋の薪ストーブを焚く




ここで山仕事するみんなに愛されたアオダイショウ(ミドリちゃんか?)の、脱皮失敗が原因の腐臭も消えて、まったく久々に雑木林ケアセンターの薪ストーブを焚く。ストーブは9/12の小屋掃除のおかげで、煙突のつまりもなく良く燃え、窓ガラスもきれいで、まさに新年を迎えられる体裁だった。

雑木林の小屋には、薪ストーブと煙が良く似合う。



小屋内部はこんな風で、相変わらず雑然とした作業小屋だが、小春日の日差しが、一年で一番いい明るい小屋を演出している。冬の低い斜め陽光が部屋の隅々まで照らして見違えったように明るい。この小屋は、やはり冬の小屋だ。

■マイチェンソーとの別れ



やり残した仕事の片付けに、小屋から2kmほど北にある育林コンペのエリアに出向く。わたしの山の隣の海跡湖・平木沼(ひらきぬま)は結氷していて、林道から見るとまぶしく光って見える。林内に枯れ木やツルも多く抱き込んだ荒れた雑木林も、遠景として眺める分には極めて整然としている。それがなんでも受け入れる雑木林の本体だ。

風倒木の2本の玉切りを残していたので、ゼノアG375で玉切りに約一時間あまりをかけた。燃料を2回入れたから、そこそこの丸太の量である。振りかえってながめれば、再来年の薪3か月分は優にある。終わるころには、鎮痛剤で押さえた腰もジンジンと痛んできた。

今の腰(股関節と腰椎)の状態では、早晩、いや、すぐにでも、重い機材を扱うチェンソーマンとしての役目は終わるべきとの結論になったので、今日の玉切りが、言わばここ10数年つきあったゼノアのこの機種とはお別れである。故障らしい故障もなく、よく動いてくれた。

わたしのチェンソーづきあいは、ログビルダーとしてのハスクバーナが始まりだった。やがてこれは壊れて、つきあいのあった田中林業からゼノアのこの機種を買った。田中の親父さんは確か宇都宮大学の林学科から林野庁に入り、胆振日高などの国有林で業務をしていたと聞く。そのような縁もあり、店内の薪ストーブを囲んで、地域の林業や世間話をしたものだった。田中さんはなくなりお店は息子さんの代で廃業し、こんな成り行きもあって、今の「はせがわ機械」さんとの本格的付き合いがおくれたのだった。

さて、この重たいチェンソーはもうわたしには無理だ。今の状態はできれば歩くのすらパスしたいくらいで、大島山林の用足しも軽トラに乗ることが多くなった。ゼノアのこれは若い人に譲って、わたしはたまにスチール社のMS150という軽い機種で、フットパスの風倒木などを切って回るつもりだ。

もうひとつのMS150は新人女性Sさんが使用し、今朝inaba さんの手元にあったMS150を借り受けてきた。仕事納めはこれでデビューだ。今季はチェンソーの使い回しが本格化している。それはそれだけ人の動きがある証拠だ。さらにその背後には、NPOの10年史と、都会人の薪願望の高さと調達の切実さがきっかけになっている。


冬の雑木林は本当に美しい。高村光太郎の『冬が来た』という詩は、胆振を含む雑木林の冬をうたったものだ、と今でも思う。おそらく、智恵子が病気療養していた安達太良山の麓あたりかと想像する。
今日の雑木林にも、未来を動機付ける力と明るさ、そして積極心をわたしは感じた。


  『冬が来た』

  きつぱりと冬が来た
  八つ手の白い花も消え
  公孫樹いてふの木もほうきになった

  きりきりともみ込むような冬が来た
  人にいやがられる冬
  草木に
そむかれ、虫類に逃げられる冬が来た

  冬よ
  僕に来い、僕に来い
  僕は冬の力、冬は僕の
餌食ゑじき

  しみ透れ、つきぬけ
  火事を出せ、雪で埋めろ
  刃物のやうな冬が来た


山仕事、十人十色

2020/12/19 sat 晴れ -7℃
abe-e oyama kawa kuri kusa nakam-f & s tomi-k & m miya migita wada seki = 13 persons

■里山仕事の風景


朝一番、migitaさんがトラクターでツル・枝を林に押しやる。昼前、曲りを替え、縦の煙突を3尺ほど伸ばす。やるべきことが一杯あって、知恵を力を持ち寄る。

新人naka-fさん、度重なるチェンソーの不具合をものともせず、作業進む。切り口で伐倒の履歴を見ながら反省会も。

ツル伐りが続く細面もあれば間伐本番のところも。両方取り組むkuriちゃんの工具キットを見せてもらう。これ、欲しい。

わたしは戦線離脱宣言をしてからバックアップ作業に徹する。新たな林小班の選木と焚き付けづくりなど。これだけで9000歩ほど歩く。股関節はほぼ限界。焚き付けづくりのさなか、アクシデントがあって肝、冷やす。

ちなみに新たな林小班は上図。今日、選木マーキングしたのは、19、50、51。本数は多くなく、これらは来週からwada さんが担当。oyama さんもいずれ、今のエリアの先が見えたら、昨年の続きに(50,51の南、13の東あたり)着手見込み。伐採届け出をした林小班に多少でも手を付けて、年度末に進捗を報告の予定。


大きなドロノキに拝む

2020/12/12 sat 晴れ 3℃
inaba oyama kusa maeda tomik & m migita wada seki = 9 persons

■作業の安全を祈って



今季の山仕事の安全を祈って、ドロノキの大木に参拝する。こんな年だから、家族の健康やコロナの退散、そして世界の平穏、平和を願わざるを得ない。思えば、いずれも永遠の課題である。

のどかな小春日和だったから、シンボルツリーのまえで、しばし歓談。ここで一杯のお神酒でもありつければどんなに良かったかと思う。池の反対側にはスズメバチの巣が見えた。

個人的に振りかえれば、こうした参拝は昭和51年、ここ勇払原野の職場に赴任した年からだから44回目になる。一度も欠かさず、その時々の勇払原野の林で最もゆかりのあるご神木の前で、こうしてお祈りを欠かさないで来た。もう、休めないし、欠かせない年末のお勤めになっている。おかげさまで、まあ、大きな怪我もなく来れた。

メンバーも可能な範囲でいつも参集して来た。本来なら、この日の夕方から忘年会もした。だが、今年のコロナ禍のもとで、やむなく断念。有志5人は、遠浅の「そば哲」で直会(なおらい)風のランチをいただく。

わたしはランチ後、厚真の知人宅に寄ってから「つた森山林」のご神木にもお参りした。



さすがに、もうすぐ冬至だから、日脚が長くなって、落ち葉の風景は幻想的でもある。山林のご神木には、土地のオーナー関係者らが参拝をした名残があって、新しい注連縄と御幣がちょっとまぶしかった。


腐朽と再生が同時に進む雑木林の世界

20210/12/09 wed 曇り 3℃
solo-work

■落ち葉の上と下で腐朽する木々



週の中日の一人の愉しみ、山仕事。今日は枯れ木や除伐した木を裁断して集めたので、大分、すっきり見えてきた。半端になった枝なども集めて束にするという、実にしょうもない仕事を、黙々とした。

落ち葉に埋もれた枝の腐朽の速さには驚く。落ち葉に付着するバクテリアの働きだというが、恐れ入る。キノコたちも援軍であり、思えば雑木林は、死んだものを腐らして溶かす魔法の装置である。

これはその先、新しい生命にとって再生の力になる。死するものは子孫を残し、運よく芽を出した選ばれたものたちが次の世代を担う。死は暗さばかりでなく、明るい再生につながってサイクルをなしている。

野生生物を支配するかのような錯覚をしてしまう人間だって、偉そうなことを言う割にはこのサイクルからのがれられない。はるか昔、ネパールの川辺で遺体を焼く光景に出会ったが、所詮、あのように水や煙となってどこかに溶けてゆく。

ということは、雑木林に手を入れるという里山的な仕事とは、いずれ溶けていく自分が、ものみな溶かす巨大装置に包まれて、ひとつの駒になってリサイクル・プロジェクトに参画しているようなものだ、と知った。


年内、あと2,3回通えば、来春の薪作り(2022年用)の薪材は完璧にそろいそうだ。数年前までのようにテキパキ動けば、1日で終わるような仕事を数回に分けてこなすこの頃。里山風の山仕事とは、きっとそういうペースでいいのだろうと思う。

これなら死ぬまでやれるかもしれない。そうしたら、骨のひとかけらでも、この辺に埋めてもらうつもりだ。残りはヤマメと遊んだ川、通い詰めた支笏湖、アメマスの日本海、そして北海道の山々…、というわけにはいかないので、やはりごく近間の雑木林が良い。


13人で取り組む放置林

2020/12/05 sat 曇り 5℃
abe-e oyama kai kawa kusa miya nakam-f & s tomi-k & m migita wada seki = 13 persons

■放置林の手直しは、さながら育林コンペⅢ

●oyamaグループ

最もツルが多く、間伐材の少ないエリア。つまり、労多くして益乏しい受難の場所。新人kawaさん含む3名が、写真右のような枝(ウラキ)を細かくたたいて丁寧な仕事ぶり見せる。隣接地を、刈り払い機デビューのmiya さんが刈る(右下)。

●migitaグループ

ここもツルに悩むエリア。親方のmigita さんはまず早々に林床を刈り、次にツル落としに着手した。燃やすのがもっとも手早いがそうもできない。このエリアの周りをmiya さんが刈り止まらない。

●kai-wada グループ
 
林縁部を草地側に倒すのが、今もっとも面倒の少ない仕事にあたる。kai さんはまずこれに着手し、効率的に薪材をつくり、順次、奥へ。実は楽は楽なりに仕事ははかどり、作業量としては変わらないのが面白いところだ。wada さんは奥のツルからはじめ、今日も「疲れた~」とわたし達のところへ息抜きに来た。

●kusa-nakam グループ

新人nakam 夫妻も慣れないチェンソー操作とトラブルにもめげず、もう5日目か。それなりに材はたまってきた。奥方の事後掃除も板についている。わたしは奥のツル切りに着手するが、混合油づくりや軽トラのパンク対応など兵站(へいたん)業務で定着できなかった。それでも見えている部分はかろうじて終了。

●tomi-k & m グループ

病み上がりのtomi-k さんもすでにパワー全開で、mさんと快調に間伐本番中。ここだけはもともと間伐後のような空いた林分で、掛かり木になる心配が最も少ない。



こうして思えば、結果オーライの素晴らしいエリア配分だと自画自賛した。人も嫌がるツル伐り除伐は人生の縮図のようであり、これを超えれば極楽のような風景が待つ。全く異なる5ステージとは言え、さながら育林のコンペの新バージョンのようだ。焦らず、安全運転で行きたい。今日はようやくホイッスルの音が聞こえた。

ちなみに、なんだか、燃料消費のハカがいく。ツルきりのせいだろう。今日は60リットル分の混合油をつくった。

休憩場所のテントはコロナ体制下で、できるだけ距離を採り、換気のために寒い。次回12/21からは、時差付きの昼食とすべく、11時半と12時半の昼食2班体制にし、3密を避けつつ、少し暖かくする予定。


みるみる変わっていく里の山

~NPOの総会の日~

2020/11/28 sat 曇り 3度
abe-e inaba oyama kai kuri kusa miya nakam tomik & m migita wada seki = 13 persons

■放置林が変化していく日々





こんなところを、6枚目のような風景に少しずつ変えていく醍醐味を知る人は、山仕事の虜になる。
今日は股関節が猛烈に痛むと思ったら、10000歩も歩いていた。選木とエリア概況把握で東のはずれまで足を延ばしたため。明日のために鎮痛剤を飲んで寝よう。


時速10㎞の林道散策

2020/11/26 thu 5℃ 曇り
solo-work

■ヤリのできた伐倒




昼前、家人をマチに送ったその足で育林コンペの山に入る。oyama さんが持ち山に来ていて、立ち話をする。本数の少ないoyamaさんの林は、向かいの厚真グループに比べ、歴然と差がある。

厚真グループの林床の小径木を残す丁寧な選木方法に異論はないが、コモンズの林はもっともっと潔癖に灌木を切って、とにかく見通しのいいキャンパス状の疎林を目指している。日本人がもっとも好きなパターンである。コモンズのメンバーの多くは、苫東の雑木林の復元力を体験してきたから、育林コンペでも灌木除去に寛容なのだ。

わたしは残っていた傾斜木3本を伐倒した。このうち、追いツル伐りをした、根元の直径が約30cmのナラで、きれいな「ヤリ」をつくってしまった。追い口をチェンソーで入れるときに、「あれ、これでは受け口とフラットになってしまうかな」とちょっとためらいがあったのは事実で、えーい、ままよ、とツッコミ切りしたのがいけなかった。コーナーカットもしなかった。反省材料である。

12月中に、平日ちょっと時間をかけてもう少し掃除伐をしておきたい。また、今日伐った3本も玉切りをしておこう。このところ、また坐骨神経痛と股関節が不調で、1時間余りで作業はやめてしまった。しかしこうして次回の段取りをしておくのが楽しい。

■時速10㎞の林道散策



育林コンペの現場から、境界道路を南下して帰途につく。道路は大型トラックでも通ったのか、うんで痛んでおり、車体に泥を着けないようゆっくり進む。スピードメーターを見ると9~12km/hである。こうすれば辛うじてドロの汚れは軽減でき、プリウスのエンジン音はほとんど聞こえない状態。周りの林を見比べながら運転もできる。

このところ、歩くのが億劫になるほど腰が悪いので、ちょうどいい。運動にはならないが雑木林散策の気分はちょっとある。いよいよ、高齢者の域だ。


山仕事、慣らし運転

2020/11/21 sat 4℃ 雨のち曇り
abe-e oyama kai kusa nakam-f&s wada tomik = 8 persons

■雨のテントで釣り談義


天気予報は午前中雨で、午後あがる・・・。三々五々、メンバーは集まるが、わざわざ濡れながらやる仕事でもないので、燃えない薪を手当てしながらストーブを囲む。

ひょんなことから、釣りの話になり、餌、ルアー、テンカラ、フライ、海、川、湖と話題が転々とする。新人・Nさん夫妻の奥方Sさんがテンカラをたしなむという意外な発見もあった。いいサイズの釣果もスマホで拝見、旦那さんが朱鞠内湖で釣ったイトウなども。

わたしは子供のころからの釣りキチで、小学生のころから、最上川で、5本の毛バリを着けて「オイカワ(コイ科、関東ではヤマベ)」や「ハヤ」(北海道のエゾウグイとはちょっと違って上品な感じ)を釣って、唐揚げで食卓を飾ったものだ。その後、ルアー、フライと変遷し、先日のチミケップ湖のキャスティングで「もうやめてもいいな」というほど、満足感を味わったばかりだった。

そこへ、釣り談義。雨の日の山小屋やテントは、かくも楽しいひと時に代わる。

ところで、新規購入のnakamuraさんのソーチェーンがまたもや合わない。oyamaさんが、旧テントから移動した際に見失ったソーチェーンのストックケースを見つけてくれたので、フィットするチェーンを探しその場をしのぐことにしたが、新品ではなかったようで切れ味は今一つのようだった。

■コツコツやれば薪の山




午後は昼ごはんも早々に外へ出る。ツルが多く、各細面ともその処理に時間を取られる。migitaさんはまず林床の藪を払うことに専念していて、除間伐すべきものを際立たせている。今日はお休み。

oyamaさんのところでは、連鎖した藪と枯損木をロープを出して奮戦、wadaさんもツルに樹冠をからめとられた桜の木3本をまとめて伐倒している所だった。kai さんは着々とナラの薪材を生産。

わたしのところの新人夫妻は、夫人が今日からSTIHL150で、玉切りと枝片付けに着手。簡単な操作手順を伝えて、すぐ、実施段階へ。「燃料ばかり減って~」と、進捗に不安そうだったが最初はそんなものだし、「燃料タンクも小さいから」と、ドンマイメッセージをかけた。N教授は切れ味の悪い192でイタヤなどを伐倒していた。

どこも、まだまだ慣らし運転のような状態だが、今季になってまだせいぜい正味4,5時間、しかしコツコツと材は増えている。大雪が降る前に、能率を上げて除間伐が進めば、あとが楽だ。

「コツコツ」、これは年寄集団の長続きの秘訣だ。

それにしても、里山シェープアップは確実に進んだことが目に見える。思えば、今年のゾーンは人の住むエリアに最も近い里山最前線だ。「さすが、手入れされた林は気持ちがいい」と住民に気づいてもらい、また言われるように、成果を待ちたい。自称・雑木林のガーデナー、安全作業で頑張れ、とエールを贈りたい。


勇払原野のヒグマ考、その後

2020/11/20 fri 曇り 15℃

■テープ起こしを終えて


10月24日のヒグマのフォーラムの講演部分(質疑、意見交換は未着手、これも長い)のテープ起こしをやっと終了。ここまで22.5時間、A4の1600字で26枚。司会をしながら、大意をつかみつつも、他のことに気が散って記憶にないところも多いので、聞き直し改めて課題を整理するいい機会となった。ここで一応、問題意識を思い起こしたい。

フォーラム開催にあたっての動機は、フライヤにこう書いた。

わたしたち苫東環境コモンズは、勇払原野の一角にある苫東地域で、コモンプール資源「ハスカップ」の保全観察と、美しい「雑木林」の実現を目指した保育と利活用を進めてきました。

このうち雑木林については、その植生と景観を将来に向けて持続させることを命題にして、里山的な利活用を推進していますが、近年は活動のフィールドでヒグマとのニアミスが連続し、かつその頻度が急増しています。また、苫東地域で企業活動する経営者にとっても、ヒグマの存在は職員の安全上、懸念される課題になると言われています。

このような現状を受けて、今回のフォーラムでは、苫東をはじめ勇払原野を移動したヒグマ「トラジロウ」を数年にわたり追跡調査した青井俊樹氏(当時・北大苫小牧研究林林長)と早稲田宏一氏(当時・北大農学部林学科大学院生)をお招きして、トラジロウが残した足跡と、そこから見えてくるこれからのヒグマ行動等についてお話していただき、今後の対応を考えます。


さらに勉強会の視点と問題提起として

①トラジロウの移動ルートと、これをもとに予想されるヒグマの苫東内移動

②支笏・樽前一帯~勇払原野~日高というつながりの中の、ヒグマから見た苫東の位置、役割

③かつては無事故で済んだ苫東で、今後遠からず事故が発生しないか

④ヒグマにとって避けがたいルートと、人にとって貴重な生産空間を両立させるためにどうすればよいか

    ⑤共生しながら、苫東の評価を高めることができる方策はないか

という5つを挙げたのに対して、青井名誉教授、早稲田氏の両氏が、可能な範囲でヒグマを囲む現状と事例を紹介しながら、勇払原野のヒグマ対策の意味、方向性について述べられた。

その前に、なぜ、今、トラジロウなのか。

これはお二人の調査に供されたヒグマ(トラジロウ)は苫東で捕獲し発信機を着けて放獣したのだが、用地を分譲する工業基地という性格上、移動ルートを公表する際には「苫東と表記しない」ことを条件にし、研究者らはそれを厳守してくれたので、社会的には、苫東の勇払原野がヒグマの重要な移動経路に当たっていることは曖昧にしたのである。

そこから20年以上たって、市のホームページにも出没情報が逐次表示されるため、ルートを公表しない意味が消失したことが背景にある。そこで、今回の陰のメインテーマは、すばり「苫東コリドー(移動経路)」と言える。苫東コリドーの意味は今も、あるのか。それは存続すべきなのか。将来も可能なのか。恵庭積丹と日高の個体群は各々分断されても持続可能か・・・。

■ヒグマは土地の問題だ

苫小牧は、①地の利がよく、②湿原と炭焼き跡の萌芽林で土地利用として2束3文の土地だった。そして、③北海道は製造業で産業活性化、道民所得をアップし、働く場を確保する必要があった。

これが開発を誘引した特長的な資質と背景だったと思う。自然を保護しようという運動は、貴重な自然の存在をうたい、動植物を問わず貴重種とそれらが成立する場(環境)を守らねばと論を立てる。その元をたどればいつも湿原植生とウトナイの水源に帰着するように見える。

ただ、わたしのように勇払原野の平坦な雑木林こそ、保全すべきだと考える立場から見ると、風土観として「湿原植生とウトナイの水源」だけでは狭すぎると思う。残すべきものの多くは、タダ同然で取引された薪炭林の持続性で、それらの多くは個人(あるいは企業)の所有地である。

勇払原野のヒグマの問題というのは、実を隠す林やヤブの土地が連続して確保されるかにかかるが、人里のそれはいつ伐採されて宅地などになるかわからない。風前の灯状態ともいえる。これは青井名誉教授も淡々と力説した。

ヒグマは利害関係がわかりやすく、生かせという人も、危ないからなくせという人もいて、自然保護の運動のシンボルとしてはなりにくいようだが、共存するのかしないのか、という大きな命題がでんと構える、きわめてわかりやすいテーマだ。

結論は出ないから、とりあえず我々の世代で絶滅は避けようという程度のゆるい立場に立つと、ではどうする、と推論が進む。コリドーでつなぐという途は、根拠となる哲学がまだまだ薄い感じだ。で、ひとつの考え方は「奥山(国立公園や国有林)に閉じ込める」。二つ目は、「餌を求めベターライフを求めるヒグマは相変わらず苫東に来るなど新天地を探して動く、それとどうつきあうか」。

まず、奥山に住める環境を維持できればいいが、ドングリなども多い里に来る、里には豊富なドングリだけでなくいろいろな魅力があり、生き物はさらに「ベターライフ」「生きるための満腹」を求めて徘徊する訳だが、いみじくも今回暗示された結論は、「閉じ込める」ことと、さもなくば辛うじて「つないで」「棲み分ける」ことだったと思う。繰り返しになるが、前者は、奥山に当たる国有林などと大面積の森林所有者である。後者は、細切れの沿道の土地所有者が主になろうか。

書きだせばキリがないので、思い付きの姿だけ提案すると、それは、野生動物を絶滅させないための緑地、「1%のひとふで樹林地トラスト運動」のようなもので、広大な雑木林所有者から1%に相当する樹林地をトラストとして市民サイド、あるいは行政サイド、あるいは共同で、買うか、さらに寄付をしてもらうかして、勇払原野にベルトを創る(=残す)もので、当然、その核の部分は苫東と植苗あたりとなるだろう。

住宅地開発などの際は、公共緑地として保全する途もあるがそんな余地はもうないのかもしれない。まず、土地の確保、そして管理と難しい対応は連続するはずだ。個人の土地をコリドーに充てるためには、合意を得なければならない。社会的な合意、経済的な合意、いずれもハードルは超高い。国や学会が認めた貴重種だから、当然残せ、という論法は行き止まりがあると思う。

エゾシカはエゾシカの問題があり、ヒグマはヒグマに見合った調査とそれに基づく将来展望が、事故が起きていない今こそ、真剣に考えて道筋をつけておきたいところだ。もちろん、勇払原野特有の事情を踏まえてのことである。これまで地域でノーマークだった「勇払原野の雑木林」への視点は、そこでぐんとクローズアップされる。

*12/6 追加の論考メモ(「雑木林&庭づくり研究室 「日々の迷想」から)
■12/6 緑地をヒグマとシェアする本気の覚悟
2時間半のヒグマ・フォーラムを6,000字にまとめる作業を終えました。作業というのは何につけ気づきがあるものですが、勇払原野のヒグマが、かねてから人知れず、迷惑もかけずに移動してきたことを考えれば、ここはひとつ人間側が知恵を絞って、駆除、捕殺をしないで済む対応を考えるべきだと思いいたりました。そのためには、建ぺい地や施設、道路などを除くエリア、すなわち「原野」「農地」「森林」「水面、河川」を指すオープンスペース(日本語訳は緑地)と位置付けられるすべてが、彼らの往来を可能にすることを考慮すると、人間側が使えない、あるいは使いにくい河川とその両側のオープンスペースを、公共の緑地にすることで対応できるのではないか…。必要ならそれは市民も行政に働きかけしトラストのように買い取る必要もある…。また、もっともオープンスペースがふんだんにあり弾力的な対応も可能な苫東では、柏原丘陵縁辺樹林地(=アセスでは保全緑地、恐らくヒグマはすでにこちらを利用し始めている)を柱にすれば、育林コンペが行われている広大な平木沼緑地には容易に接続され、当分、ヒグマはこれまでと同様、人知れず苫東をコリドーとして移動できる…。
ただ、そのためにはわたしたちも育林コンペや静川の小屋のゾーンをヒグマたちと共生するところであることを、いよいよ本気で覚悟する必要が出てきます。近年は
現在冬の作業中である大島山林にも出没していますから、ヒグマたちはメガソーラーなどの建ぺい地の建設によって移動可能な緑地が縮小され、移動経路の変更を余儀なくされているのではないか。出没情報の増加はそのような背景も考えられると思います。


長らくの放置林に、一手

2020/11/14 sat くもり 12℃
abe-e (inaba) oyama kai kusa (tomik) miyagawa migita nakam-f&s wada sek = 12 persons

■まずはツル伐り、枯損木から


チェンソーの慣らし運転(相互研修)を先週終えて、いよいよ今季の除間伐に着手する。

今季はいずれも高齢者をメインとした5チームを作り、おのおので手入れを進めるが、対象はいずれも50年前後以上放置された林だ。

森林調査簿により3つの林小班と履歴を示すと、

★早来38-39 カラマツ 1953年植栽 帳簿上は67年生 …現在は広葉樹林になっている
★早来38-49 T-L(広葉樹)1958(発生=皆伐 62年生 …現在は広葉樹林と一部カラマツ
★早来38-116 T-L(広葉樹) 1984(発生=皆伐) 36年生)

となっており、履歴は現場と一致しない、かなりいい加減なことがわかる。3つの林小班の南東の帯は、北電鉄塔旧日高幹線の跡地で皆伐跡地、緑は作業テントのある広場である。



migitaさんは新たに軽のダンプを入手し、再デビュー。昨日もsekiちゃんと自分の細面を刈り払いした。わたしは「きれいなモデルを頼みます」とお願いした。北端のoyama-abe-kawa ゾーン(上右)はしょっぱなからツルに絡まれたゾーンがあり、abe-e さんは何度もチェンソーを挟めヘルプを求めるなど、難儀していた。




わたしとnakam-f&s ゾーンは、先週、新人Fさんに育林コンペで5本ほどオーソドックスな伐倒を経験してもらったので、今日は簡単な自由伐採と枝片付けをしてもらう。わたしが「はせがわ」さんで新調して持参した替えのソーチェーン(MS192C)が合わず、がっかりだったが、夫妻で丁寧な片付けまで完遂、なんとなく手入れした感じになった。miyagawa さんにもところどころ手伝ってもらった。

この日の終盤、カラマツの枯損のカラマツ掛かり木2本を倒すところを観戦してもらった。どう倒れるか予想が難しかったので、恐る恐る、割とカッコウ悪い方法とスピードを見てもらったのである。「かくも危ないのでまだまだやる必要なし」「危ないのはパスしてほしい」というのがメッセージだ。

■今日の反省

上の枯損を伐倒するときなど、再三、ホイッスルを吹いた。ほかのメンバーが倒すのが見えたときも、時々吹いてみた。メンバーはもともとほとんど、伐倒時にホイッスルを吹く習慣がない。そして作業中はほとんど気づいてもらえない。それ程、日常的に離れて作業してきたからだ。

しかし、今季からは改めよう。カラマツの枯損の時はkai さんの近くに梢端部が届いたはずだ。ホイッスルでなかなか振り返らないkai さんに業を煮やし、恐らく大丈夫だと踏んだわたしが、倒す前の最後の一打を与えてしまった。そして運よく目論んだところに倒れたが、実は彼が気づいて振り返るまで、何度も繰り返し吹くべきであった。

■陣中見舞いあり

inaba さんがシュークリームをたくさん持参して、陣中見舞いに来てくれた。稼業などに忙殺されて出てくるまでもう少し時間がかかりそう。

蜂窩織炎で入院加療中だったtomik さんが昨日退院したと言って、テントに顔を出した。入院中もほとんど痩せず、参ったなという表情。来週あたりから復帰の見込み。


マイペース、これならできる山仕事

2020/11/12 thur 快晴 12℃
solo-work




小春日和の午前、2時間だけ山仕事に出る。ゆっくり歩く、動きすぎない、力はセーブ、そんなことを肝に銘じながら、掛かり木を伐倒し玉切りを終えた。来春の搬出を考えつつ灌木や埋もれ木を片づけていたら、もう正午を過ぎていた。ぼちぼち、腰も痛みだしたから、これで止め。

これならできるかもしれない。ペースダウン、スローワーク、午前だけ、こんな自分との約束をすれば、育林コンペで2棚だって行けそうだ。



晩秋の雑木林は和み、落ち着く。里は収穫を終え、秋色に染まった。はるか先に日高の幌尻岳と北トッタベツ岳が真っ白だった。秋、深まる。


教え学ぶこと、そしてその限界
~チェンソー技術のスキルアップをめざして~

2020/11/07 sat 15℃
abe-e oyama kai kusa kuri migi wada + kawamura nakam-f & s = 10 persons 朝、miyagawa

■秋の扱いの再整理とチェンソー技術の研修




講師のいない、チェンソー講習会の2回目。正式には自主研修で、そのため、メンバーがモデルとなって方法を口述しながら実技をして、ほかのメンバーも気づいたことを述べる。こうして半年のブランクを埋めて、伐倒の感覚を呼び戻すことを目的にしている。教え、教えられるという関係性がない。

(注: abe-b プロ制作の貴重な数冊のテキストは、すでにメールで送付してあるが、事前に目を通してもなかなか入っていけず、研修の後に再度見ることになりそうだという。それも一理ある)

薪ストーブを使っている新人3名が参加したために、座学の冒頭、雑木林の除間伐のあらましと、これからの薪の取り扱い(取得ルール)などを再整理してから、道具などの一つ一つについて簡単な説明をして、購入の要否、値段なども付け加えた。

続いて、oyama さんがチェンソーを分解して簡単な仕組みなどを紹介、11時ころから、100mほど離れた今年の分担ゾーンに設けた伐倒箇所で、草苅が伝統的伐倒方法(ツルの意味を覚えるため)を、続いてoyama さんがクサビ1枚、wada さんがクサビ2枚の saved-edge 方式を実演して見せた。

結果は必ずしも横倒しにならず掛かり木になったが、その反省も研修の材料になる。新人ともども、伐倒した木を玉切りして、感覚を養って午前の部を終了した。

■学べることと、やって覚えるしかないこと



午後は各ゾーンに別れてマンツーマンのレッスンを継続。わたしは中村夫妻と3人で育林コンペゾーンに向かう。現在ここのowener はkusakari と書いてあるが、いずれここに、nakamura を加えることになろうか。

わざわざここへ来たのは、午後の研修が今日分担した5つのゾーニングに分かれて世話役をヘッドにマンツーマンにしたことと、そして、育林のわたしのゾーンは、すでに適度に空いたところがあって、掛かり木にあまりとらわれずに伐倒に没頭できるからである。

マンツーマンのレッスンでは伝統的伐採は省略し、クサビ1枚、クサビ2枚のsaved-edge 方式を実際にやってもらった。クサビ1枚の1回目は、選んだ木の直径が細かったため、切り株で履歴を見てもどの部分がツルの役目を果したのか、わかりにくかったが、合計5本ほどを2方式を1時間余りで実践してもらった。玉切りはいずれ自分でやってもらい薪ヤードに自分用のヤードを設けることになる。

おそらくこれで1/2棚近い。こういう積み重ねをして経験を積むと、自分の薪ストーブの一年分のためにどれくらいの時間を費やせばよいか、次第にわかってくる。こうすると「薪ストーブのある暮らし」というのが一段とカラフルになってくるはずだ。このゾーンはクマが通りクマゲラやガンたちも良く飛び、隣にはエゾモモンガが見つかったところだ。

自分の生活のための暖房を自賄いすることは意外と手応えがあることを、これまで幾度となく痛感して書いてきた。そしてチェンソー技術に限らないが、実践しないとわからない世界が厳然としてあることに、立ち止まることも多い。わたしの実にいい加減な個人レッスンだったが、中村さんもその一歩を踏み出せたならば幸いだ。

余談になるが、クサビ2枚の伐倒は、英語でsaved-edge 方式と呼ばれるが、どういう意味かなと漠然と思っていた。今さらながら、ここでのエッジとはツルを指しているのだと気づいた。追い口側のこちらとあちらから、edge をsave し残すように、ていねいにツルを残す方法だと考えるとわかりやすい。ていねいにツルを残し、「ツル」でコントロールする、という由縁にも結び付く。「セーブド・エッジ」、または「エッジをセーブ」、と呪文を唱えつつゆっくりチェンソーを入れるとうまくいきそうだ。

「不立文字」というが、仏教の密教の世界は教えのその先は、自らの実践の中からでないと奥義を会得できないというように、そのもとになるヨガ(曲芸的なストレッチでなく冥想の方)にその起源がある。理屈ではない、集中と放下をみずから体験を繰り返さないと梵我一如の境地に至ることができないといわれる。

それらの教えの中では言葉に逃げてはいけない、という感覚を知った。アイヌは狩猟や生き方を文字で固定するよりも経験の伝承に重心を置くのだという説も、わたしはヨガや密教につながるものを感じる。さらに正しい呼吸をできない者は獲物を収穫できないというピグミーだったかの教えにも通じる。呼吸はスピリチャルであり、宗教でもある。

(言葉で)習うより、慣れろ。チェンソーワークにもそんなところがある。


育林の方法を試し寸評、そして将来を展望す

2020/10/31 sat 曇りのち晴れ 15℃
oyama kusa kuri migita wada seki = 6 persons
札幌ウッディーズ 北山さんほか3名
厚真森林結びの会 大岸さん、西埜さんほか1名  計13名

■プレゼンテーション



個人またはグループが時間をかけて森づくりを競う「育林コンペ」。平成9年にスタートして、現在の2ステージ目は24年に再開。今日は、29年から参加した厚真森林(もり)結びの会と札幌ウッディーズの2グループが「目標とする姿」「今やっていること」「課題」の3つを軸にプレゼン。焼け石に水、千里の道も一歩から、いろいろな格言を思い起こす、地味だがこれからますます不可欠な社会実験である。

写真左は、冒頭、育林の展望を語る厚真の大岸会長。右は、札幌ウッディーズの北山さん。プレゼンと意見交換は各所40分ほど。以下、プレゼン要旨。


◎厚真森林結びの会
(大岸)ここはもともと薪炭林の山で、一時はゴミ捨て場になっていた。幼樹を残し、多種、全世代型の林にしたい。光が入るようにしている。
(西埜)具体的には育成木を選木してマーキングし、それを邪魔しているものを抜き切りした。搬出路で支障になるもの以外は灌木も残した。プロ2名が伐採し、ボランティアが枝の片付けを実施。持続的な林を目指しながら、薪炭材とほだ木を生産した。全体を100とすると、プロの稼働が7割程度て、ボラは3割。プロは玉切りも含め計60~70日仕事をした。搬出は馬搬、グラップル・フォワーダ(55馬力)、トラクタを使用した。活動には、漁業者、教育関係者、退職した人、小学生などが参加。移動式の小屋などあればいい。


◎札幌ウッディーズ
(北山さん)
ウッディーズは2001年設立、5,6年後から薪がほしくて入会する人が増えた。会員は現在50人ほどだが、その3分の1が薪を目的にしている。しかし現実は薪を余しており、薪調達がメインというよりあくまで補完的にウッディーズの活動を利用している。やはりチェンソーによる伐倒に惹かれている人が多い。森林に対する知識は乏しい。したがって、伐り過ぎないことに注意している。
(会はかつてとは世代交代していて)若い人は当初、苫東は遠すぎるので参加しない、という反応だったが、一度来て気分のいい林に触れてから、「来たい」という雰囲気に変わった。
まずツル切りと除伐を進めている。間伐はその次になる。先日、密度調査をしたところ、2500本から1500本程度で
、平均はヘクタール1450本だった。下刈りはしないつもりだが、もっと歩きやすいようにはしていきたい。   ➡今月の育林コンペでの活動はこちらに紹介されている

*コーディネーターとしての感想
 
①この林一帯が、里山的に往来するには、遠く、なじみのない、来にくいところだ。平成9年、静川に丸太小屋を建てたら、その周辺が「里山化」したように、このあたりにもやはり「依り代」が必要だ。育林コンペのゾーンにも昼食や休憩のできる作業拠点が必要。まずはブルーテントと薪ストーブで始めるか。それは防犯につながる「ひと気」になっていくのではないか。その思いは一緒のようだった。
 ②薪の需要は多いので、薪作りと間伐をつなぐ工夫は必要だ。が、その仕組みづくりが大切でかつ、大変。苫東コモンズが薪流通のきっかけになるのプラットホーム的役割を担いつつ、緑地、特に雑木林の保全に寄与する仕組み。令和3年から、対外的な 薪生産をやめるので、こちらに注力して一考していきたいところ。権利ではなく公共の緑地やコモンズとしてのルール化が知恵の絞りどころ。やれることから。
 ③雑木林は根っこを取り除いたりしない限り、壊れない。むしろ、初めての人や頭でっかちの人は切るのを怖がって切れない。育林コンペの継続によって、「木を切って森を育てる」という意味を発信できれば良いと 思う。


■紅葉の落ち葉があってこその「紅葉ピーク」


プレゼンの後はささやかなBBQとおにぎりで昼食。万端用意したはずだったが、手が回らず、なんとクーラーボックスにノンアルビールやお茶、それとモヤシやキノコが残ったままだった。わたしの手が空いて気づいたときには小宴は完全に終わっていた。ゲストのお一人から森林セラピーの熱心な質問があり、対応していたためもある。願わくば、ミニコンパもワンチームのリカバーとかサポートも課題かな、と思ったが、所詮、当方が迂闊だったことに尽きる。ただもし女性陣がいたら気づきと声掛けがあったかも。ゲストの面々にはちょっと申訳なかった。

ところで、紅葉は普通は樹木に茂った葉っぱだけを言うが、勇払原野の紅葉風景の盛りは、実は、落ちた紅葉と樹上の紅葉の総和で決まる。という意味で、今年の紅葉のピークは、例年より5,6日遅れてやってきたと思う。宴の後の紅葉風景は素晴らしかった。


  
ヒグマに関する勉強会で意識も新たに

2020/10/24 sat 曇り時々雨 14℃
abe-e inaba oyama kuri kusa kodama migita wada = 8 persons

■身近になったヒグマを科学的にとらえる



コモンズに関するフォーラム形式の勉強会は今回で通算8回目。昨年のシカ・フォーラムに続いて、今年はこの頃最もホットな話題である野生動物、ヒグマとしました。テーマは「今、トラジロウの軌跡に学ぶ勇払原野のヒグマ行動」。当NPO主催、土地所有者の㈱苫東さんが後援。

講師は1996年ころ、苫東の柏原でヒグマを捕獲し発信機をつけて放して、電波を追いながらヒグマの軌跡を探る調査を行った青井俊樹・岩手大学名誉教授(当時は北大苫小牧演習林長)と、当時大学院生として修士論文にまとめた、札幌の野生生物等のコンサルタント・早稲田宏一氏。

お二人は、アカデミックなヒグマの現状と札幌市等のヒグマ対策の現状を例に、苫東の勇払原野でどのような対応をするべきかを提言し、フロアからの活発な質疑で予定の2時間半を終了しました。

かつての調査は、ヒグマの存在が企業誘致の支障になる、と土地所有者が懸念を示す中で、「苫東」という地域名を公表しないことを前提に進められたため、今回の発表はその具体的な地名と位置を具体的に示しながら行われる初めてのものとなりました。

参加者はNPO会員のほか、コンサル、行政、地域ボランティア、報道関係者など総数は27名。

■消極的共存と共生の考え方

ヒグマ出没の頻度が高くなっていることを受け、苫小牧市はすでにホームページ上に「ヒグマ出没情報」として発見場所と時刻を公開しているので、苫東でヒグマが高頻度で発見されることは常に明らかになっています。そのため、これらの情報をいかに利用し、どのようにして事故を未然に防いでいくか、つまり多少なりとも存在してしまう事故のリスクを、可能なだけ低く押さえながら「止むを得ない共存」を実行していくのかが重要になってきます。

このままでは、そうならざるを得ないという「消極的共存」であり、この状況をできるだけ多くの市民と共有することによって、絶滅が危惧されるヒグマの稀な「積極的共存」に、結果的になると言えます。

事実、苫東計画がスタートして約50年、その前を含めばさらに長い間、勇払原野のこの一帯で事故は起きていないようで、このような消極的共存をあと50年も維持できれば、それは結果的に「共生」と客観評価してもよいのではないか。そのような実績を備えた産業空間は、文字通りインダストリアル・パークの新モデルととらえてもいいのではないか。

幸い、苫東はふんだんな樹林地や草原をもつ、ヒグマにとっては移動しやすいコリドーであり、急激な大型開発は当面あまりないだろうという社会背景のもとで、自然度の高い、快適でよりよい産業空間を目指していける可能性を持っています。

弾力的な緑地計画、市民も参画する自然保全活動などを内包しながら、地域が一体となって風土保全を図っていく意味は大きいと言えるでしょう。ヒグマの会が今年3月に発行した『ヒグマ・ノート』はそのようなつきあい方を知るうえで、ヒントになる事柄が多角的に網羅されており、もっと広報していくことも必要と思われます。

*このフォーラムの内容は、「開発こうほう」の来年2月号頃にサマリーを紹介する予定になっています。
*案内チラシヒグマに関する勉強会「今、トラジロウの軌跡に学ぶ勇払原野のヒグマ行動


初めてみる人のカメラアイ

2020/10/22 thu 晴れ

 
 

  
 
東京で、電通系のややビジュアルな仕事をしている娘が、遅い夏季休暇で帰省し、マオイの丘に寄り道して野菜を買っての帰り、大島山林に寄って薪の山を見せました。若干、紅葉が見えますが、まだまだです。子供のころ、キノコ採りもドングリ拾いもカヌーも大好きだった子が、いつの間にか、大学時代から都会の人になってしまって、「お父さん、ボリボリってどんなところに生えるの?」とか聞く。

見ていると、色々な構図を広場を歩いて探しながら、左右に移動し座ったり立ったり。スマホで撮った写真を LINE で送ってもらった。初めてみる父親の地域活動のフィールドをどう感じどう見たのでしょうか。少なくとも、多少は琴線に触れた風景を切り取ったはず。それと、わたしとは違って、平板でなく、メリハリをつけるようです。スマホの待ち受け画面にしたようだから、束の間の癒し系になったか。


育林コンペに集まる

2020/10/10 sat 晴れのち曇り 18℃
abe-e oyama kusa tomik & m migita seki = 7 persons

■ヒグマの来訪



この秋、初めての育林コンペの持ち山にくる。札幌ウッディーズの定例日だがだれもまだ来ていないので、とりあえず平木沼の前の自分の林に向かったが、着く早々、水たまりの泥の上に生々しいクマの足跡を見つけた。

苫小牧の東部方面の出没情報(写真左)では、1か月ほど前にハスカップ・サンクチュアリの辺で見つかって以来。やっぱりいたか、という感じだ。このあたりにドングリは落ちていないが、千歳は豊作だと聞く。

■チェンソーワークのおさらいを手伝う



abe-eさんから、間伐の本格着手前にチェンソーのおさらいをしたいと申し出があったので、わたしのゾーンでお付き合いした。かく言うわたしは恐る恐る一人で長くやって来ただけで、臆病さとエイヤの踏ん切りだけは自信があるが、テクはからきし駄目である。

とはいえ、見込まれた以上わかる範囲で初歩からスタートした。

わたしは伐倒の安全性は特にツルの扱いが半分と考えているので、クサビを使う伐倒の前に2本、オーソドックスな方法、つまり受け口を正確に作ってのち、追い口を素直に入れてツルを残す方法を実践した。この昔ながらの方法で、直径20cm以下の細い場合などは、手で押して倒すのである。手で倒す快感は格別である。時には掛かり木にならないよう少しだけ勢いをつけて木々の間を縫って倒すこともある。

これはabe-e さんの兄であるabeプロは決して勧めなかった方法だが、ツルの感触とその原理を体でつかむのには、内心、実にいい方法だと思っている。このあと、受け口を作った後にバーを幹の中心に突っ込んでクサビを打つ方法を2回、最後に「セイブド・エッジ」、NPOではoyama式と呼ばれるクサビ2枚を使う方法で締めくくった。ツルの意味がだんだん身に着いたのか、きれいに成功した(写真右)。

一方わたしは、おかげで来年の薪を確保してもらうことになった。一本ずつ、枝条を片付け、玉切りも一緒にやったので、たった正味2,3時間で0.5棚を確保できたのである。

今日は、migitaさんとsekiちゃんも早々にやってきて、ササ刈りをしていった。oyamaさん、tomik & m さんも各々のゾーンで作業。人が集まり、林は華やいだ。あと2週間で紅葉のピークがくる。

■どうも、雑木林は若い人や家族連れと似合う



札幌ウッディーズの約20人が定例の作業を行った。大都市札幌勢はさすがに大勢で、全体的に若い方が多く、女性も5,6人、子供もいた。

昼休みに、10/31に予定しているコンペのプレゼン打ち合わせを兼ねて顔を出すと、長老に当たるTさんと、いつも元気な女性のKさんと会って、久々の歓談。Tさんはもう傘寿になられるというのに、重たいハスクバーナを使って頑張っている。Kさんも数えで喜寿だという。

そういえば、わたしはあと20日足らずで満69歳だから古希になることに気づいた。

Kさんは10年以上前に両方の股関節を人工にしているので、その後の養生生活などもお聞きした。今日、作業前に密度の調査をするとヘクタール2700本で、少ないところは1700本ほどだったという。この現場が樹齢50年ほどの萌芽再生林であり、この密度が一般的でこれをまず1500本あたりまで間伐するのが常だったと経過をお伝えした。

男女を問わず色々な世代が、一見脈絡もなく動く(それぞれ理由はあるのだが)にぎやかさは、雑木林では特に似つかわしく感じる。無駄そうな動きが自然でいいのだ。

苫東コモンズは、札幌ウッディーズのように若い人の絶え間ない入会で若返りは期待できないので、妙案「長生きして、長く現役を続けること」をみつけたこと、そのキャッチはいつもの「年寄、半日仕事」だと冗談めかして、若干負け惜しみ風に白状した。

お二人の活躍ぶりをみて、わたしも無理しないでソロソロとやろうか、という気になったのだった。


刈り払い機の棚できる

2020/10/07 wed 晴れ時々にわか雨 18℃
kusa migita seki = 3 persons

■広いテントを有効に使う




今週末から育林コンペの作業に入るので、混合油や大とびなどを調達するために大島山林へ。

すでにmigita さんらが来ていて、テント資材経費の精算を済ませてから、刈り払い機の棚の位置と天井を支える支柱ポールについてやりとり。棚は妻側に立てかけた方が場所をとらないことがわかり、方針転換してとりあえず7台が据えられた。薪割り機もキャンピングテーブルの脇にセットされ、広いテントが効率よく使われ始めた。

これらの資材はmigitaさんの使用済みのものを流用させてもらったものが圧倒的に多く、おかげで新設にかかった資材経費はわずか約4万円あまり。これでまた、作業環境がアップする。

■今朝は8℃、林内はひんやり別天地




今朝はこの秋一番の冷え込みだった。林のなかも湿度があってひんやりしていた。色々なキノコが出ている。特に池そばのクルミの切り株に、ブナシメジのようなキノコが密生していた。いくつか採取し持ち帰ったが、食べるのはやめた。➡ 10/10 oyamaさんに写真を見せると毒のあるの「カキシメジかも」とおっしゃっていた。帰宅後あらためて図鑑で見ると、かさにぬめりがほとんどなかったうえ、幼菌でもかさが茶褐色でなかった。色形は毒のあるイッポンシメジやクサウラベニタケに似ていた。いずれにしろ食べなかったのは正解だったと思う。

静川は傘をさして小屋を一周する。小屋の前に大きなカラカサタケが立っていた。林は紅葉を前にして実に快適で紅葉はまだ始まっていない。


作業小屋が竣工

2020/10/03 sat 雨のち曇り 19℃
abe-e oyama kusa tomik migita wada seki = 7 persons

■広場に作業テントを新設



先週に続いて、テント新設作業。
骨組はあらかた終わっていたが、風の強い広場なのでテントがあおられないように、アンカーは強度を上げねばならない。わたしが着いた9時前に、migitaさん、sekiちゃんは先週設置した6本に、新たに6本のスクリュー式アンカーを足しているところだった。雨の予報だったが、ひどくならない、と踏んで来たものの、時々本降りになって、migitaさんと顔をあわせる。「ちょっと強いね」。やがてabeさんが到着して、順次、作業メンバーが増える。

約9m四方のブルーシート(ホクレンで特注、約1万円)でフレームを覆い、フレームの間に針金入りバンドテープで押さえる。雨はますます強くなって、雨具も蒸れ始めるが、テントで雨宿りができるのが救い。

先週運び込んだ、奥のテント(2015年11月設置)の資材を運び込み、テーブル、燃料、薪を移動した。並行してoyamaさんが中心になって薪ストーブをセット。無事、初焚きを済ませる。

新居の広さは約1.5倍。薪割り機、刈り払い機などもテントの一角に収める予定。

縦横9mのシートは妻側に折り返しを作れるように枠組みができており(長手方向に70cmずつ折込む)、それをsekiちゃんがハウス用テープで貼り付けてくれたために、なんとなくアーチ形に見えるようになった。

「彼は意外なところに美的センスがあったね」と称賛の感想が小声で漏れた。ただ、透明のシートが泥だらけで、これは来週でも洗車ブラシで泥落としせねば、と相成った。

すべての段取りをしてくれたmigita さんも「ようやく終わって肩の荷が降りた」としみじみとおっしゃる。責任感をもってリードしてくれる姿はさすがで、頭が下がる。メンバーも良くサポートしてくれた。

これで今後は、作業現場まで100m以内になり、資材のある薪小屋とテントに車を横付けできるようになった。高齢者の作業環境の大幅改善が完了したと思う。

■キノコはいったん終息か、樹洞でタヌキとばったり


3時前に作業は終わったので、さて、もう一つの大事な山仕事はキノコの観察。oyama tomik さんの二人はドロノキの方へ向かったので、わたしは昨シーズンの現場に入ってみた。アカエゾマツと広葉樹の境界あたりで、ボリボリのひと群れを見つけたが、他は散発で採取には至らなかった。

アカエゾ林の林床はすっかり変わって柔らかそうな広葉雑草になっている。間伐箇所にはこれといったキノコの新生は見えなかった。

コナラの大木に改めて対面してみると、やはりこの山では最も太いコナラだ。直径は80cm近い。ツリークライミングを頼み、枯れ枝を落としてもらった前後に、コナラの枝先に触れるハンノキやシウリザクラを伐倒して疎開させたはずだが、今はハリギリの成木(直径40cm)の枝がコナラの空間を狭めている。

樹冠の上の方がまだ透かし切れていないのは悩ましいが、このコナラだけはもうひとつのシンボルツリーとしてまだまだ長生きしてほしいので、方策を考えよう。

フットパスはもうサワシバの落ち葉で埋もれていた。キノコにとっては迷彩色になる。

今日はテントの中にコオロギが入ってきて鳴いていた。薪を動かしていたら大きさ10cmほどのネズミがササ藪に逃げて行った。

キノコ観察の帰り、数年前に伐倒したシラカバの樹洞を覗き込んでびっくりした。もぞもぞ動くタヌキとバッチリ目があってしまった。先日のヘビの抜け殻と同様、「キャッ」と心の中で叫んだような気がする。里山の森羅万象、生き物社会は本当に興味深い。
 
タヌキがいたのは直径40cmほどのシラカバの枯れ木の樹洞で、画像の履歴を見ると、2016年1月23日の伐倒(写真左)で、翌年2017年の10月21日にヌメリスギタケモドキが密生していた(同右)。タヌキはこの穴に体を丸くしていたのだ。(➡そのあと追確認したoyamaさんによるとアライグマとのこと)➡10/7地元の人に聞くと「ふるさと農園」は何ものかにかなり荒らされて、特にトウキビがひどかったとのこと。

伐倒の当時、このシラカバがこれほど枯れていたとは知らずに、伐倒はクサビを打ち込む前に倒れ、一部掛かり木にもなって、いやな思い出がよみがえった。シラカバはこのようにコントロールからはずれる (=out of control) からいつも要注意だ。