自然を敬慕しながら保護運動とは別の道を選んだ

NO.109
2020/03/07~

先日、Tさんから一冊の本をご恵贈していただきました。ご自分が長い間関わった自然保護運動の、まさに集大成というべきもので、国や自治体の環境破壊ともとれる様々な計画に、主婦の立場から立ち向かってきたフェーズが浮かびあがってきます。

それらは、今になって思えば勇払原野の地の利を背景にして、必然ともいえるようなタイミングで持ち上がったビッグプロジェクトばかりで、苫小牧らしい報道模様を創り出しました。そんな中、Tさんの人脈も人徳も相当なもので、運動のどこかにしっかりと根を降ろしておいででした。早速まず目次を拾いつつ思い出して、とりあえずお礼のメールをお出ししました。

メールの文字を打ち込みながら、では、自分はどんな立ち位置なのかと振り返って見ざるをえません。同じように自然に向き合いながら、Tさんはより社会的な環境に着目し自然保護の立場から開発反対のネットワークを強固なものにし、仲間を増やしてこられたわけです。

かたやわたしは、未科学、非科学分野を問わず、自然そのものにずぶずぶと、求心的に潜ってきたようです。科学的な見識も常に学びながらも偏重せず、カッコよく言えば知行合一の道を選び、挙句は、手自然をつくる木こりのまねごとをしていたのではないか。
結果、自然を心底から敬慕しつつも保護運動には入らないで、むしろ開発の必然を容認するような立場で人生の白秋期に入り、終えることになりますが、見渡すとひとりぼっちの世界にポツンと立っているようです。

樹木が人の心を癒す力を持っていて、つぎはぎの土地利用の原野は、実は色々な生き物と共有しているコモンズであることを日々肌で痛感しながら、同時に勇払原野の雑木林の美しさをもっと知ってもらおうという気持ちで、林と向き合います。個人的には自称ウラヤマニストとして十分満足度も高いまま、生きて朽ちようとしている…。

人は、こんな風に、各々のこころにある風景を追い求めるようだと、Tさんの御著書を拝見しつつあらためて思ったので、感謝を込めて率直にそうお書き申し上げました。

その思いがうまく伝わったかどうか自信がありませんが、本というものは、人をして自らを振り返らせる時が往々にしてあります。今回はお陰様でそんな時間がやってきました。このこともしたためたために、妙な発刊お祝いメールになってしまいました。





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薪と家庭の風景

2020/04/29 wed 雨時々曇り 7℃
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■薪の引き取り、本格的に始まって




2020年秋からの薪ストーブ生活に備えた薪運びが、去る25日にsaitoh 夫妻を皮切りにスタート。今日は計4家族が来訪。4人でなく4つのファミリーであるところが面白い。薪が、単なる暖房の材料であることをちょっと飛び越えた、家族全員が関わる小さな共同の仕事みたいになっているのが興味深い。

29日は苫小牧が結構強い雨だったが、薪ヤードにはすでに2トントラック1台と大人3人、子供3人が薪積みをしていた。waseda 父子、prof/nakamura、そしてnegisi 父子。何をやるべきか、わかっているので子供たちも一所懸命、よく体を動かしている。

2台目は江別からkawamura ファミリー。息子さんと3人でボックス型に1棚だけ積み込んだ。残りは5日。奥さんがやっているカフェに薪ストーブはセットされているが、お客さんとよく薪ストーブの話題になるときがある、と記念誌の原稿に書かれている。



昼は雷雨に打たれ車中で一人ごはん。2往復目のwaseda ファミリーはメンバー入れ替えで、下の子2人とお母さんの5人パーティとなった。お母さんはマイカーのピックアップの荷台にも積んだ。大きい子は薪2個をもってトラックに投げ込むが、小さい子は1個しか持てない所が微笑ましい。それでも負けずに頑張っている所が実にいい。

■春の芽出し




薪の引き渡しは、普段ほとんど顔を合わせない薪メンバーとの数少ない交流の場だ。できるだけ顔を出して、薪の評判を尋ねたり、薪ストーブの暮らしを聴いたりする。雨をしのぎつつ、先日来の風倒木の丸太を移動しているうちに、晴れ間が出てきた。

オオウバユリがフットパスに密生しだした。シウリザクラの赤い芽吹きも一気に始まった。薪小屋裏のシイタケを思い出して見てみると、お化け寸前だった。たっぷり水を含んでいて、この雨で益々大きくなって虫などに傷物にされては大変だ。araki 先生と午後のwaseda ファミリーにお土産に持たせた。

先週、miyagawa さんが岬への道がわかりにくくなったから、落ち葉掻きをした、と報告してくれたので行ってみた。それとなくフットパスとわかり、なかなかいい雰囲気がある(上の写真の最後)。腐った丸太がふたつ落ち葉に埋もれて道に横になっていたので、大とびで移動させた。埋もれ木の下にクワガタか何かの大きなさなぎが寝ていたので、腐葉土と落ち葉をかけておいた。

このあたりは、元の大島山林を彷彿とさせるツルの多いところだ。崖に近いのでこのままにしておくが、手入れのビフォーアフターを思い起こすにいいフィールドでもある。



晴林雨読生活の実践

2020/04/22 wed 曇り 7℃
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こんな風に続けたい新しい里山風生活



捨てればゴミ、運び出せば資源      作業で歩いた後はなんとなく径になる雑木林

朝の雑事が一段落したので、昼ごはんも早々に大島山林に出かけてみた。前日、前々日の大風でまたまた風倒木が出たかもしれないし、薪棚が倒れたかもしれない。風がまだ残っているので落ち枝が怖いが、林の中の風倒木の玉切りや運び出し位はできるだろう・・・。今は軽トラもはいるようになったフットパスに、まだ出っ張った切り株がいくつもある。あれらも片づけておく必要がある・・・。

リタイヤ後は晴林雨読生活を送りたいと考える人は、家庭菜園に精を出すよりも少ないかもしれないが、潜在的には多いように聞く。畑も林も、という人もいる。

しかし、言うは易し、そのような恵まれた巡りあわせは、コツコツと準備しないと簡単にはやってこない。この歳になってやっとそんなことのできる立場になって、だからこそその喜びをかみしめることができた。今日もそんな一日だった。

ぶらりと出かけて決して重たい仕事や長時間の作業などはしないが、身の回りを片づけるように、林の中の気づいたところに手をかける。言葉を探せば、人の手がかかった心地よい自然=「手自然」づくりである。糸井重里が言い出した「手自然」は言いえて妙だ。人の手を得て初めて里の雑木林とその周りは輝く。これを里山的な普通の姿だと位置づけておきたい。

しかし、元農水省の役人で里山の著述の多い守山弘氏は、北海道には厳密な意味での里山はないという。北海道に里の広葉樹林はあっても本州のように長い間育てた生活背景がないからである。それはその通りなので、目の前のフィールドや作業は、オーソドックスな里山ではなく北海道の新里山ライフと呼ぶべきスタートアップであり、これから北海道で流行るかどうか、まだそんな位置にあるのだと思う。そのおかげなのだろうか、何でもできる前途洋洋さ、自在加減の環境は格別だ。この時期に出会えて実に幸運だった。

■里山が輝く時間


上手な薪積みは美しい             薪ヤードの夕まずめは肩の力が抜ける

里山の感動は、朝マズメと午後の日が傾き始めたころにやってくる。雑木林にあたった斜め光線が実に美しいと思う。薪棚に当たったオレンジを帯びた光と、長く引いた影。ここに椅子を置いてじっと日没までの時間を過ごせば、うつに悩む人も癒されるのではないだろうか。こんな薪積みでやったものなら、涙ポロポロではないだろうか。そんな人を寄せたいという希望をずっと持っているのだが、このチャンスは極めてきまぐれだ。映画館のようにはいかないものだ。

今日は林の中に捨ておいた風倒木を玉切りして、一輪車でフットパスまで出した。一輪車の道を邪魔する枯れ木を切り、切り株もいくつか伐り戻した。これだけでも股関節にじわじわと負荷がかかってくるのがわかるので、また適当なところで切り上げた。


野生生物とのコモンズを象徴する光景       新緑まであと1か月もある

厚真のゾーンではほだ木の玉切りが進んでいた。コモンズとは違い、納期があるのでこれから休みなしだという。彼とは先週もお会いしたのだがよく聞くと福島出身で、厚真の地域おこし協力隊では、nishino さんの4年先輩だという。農のある暮らし、林とともにある生活に深く憧れて移住し、仕事をしているのがわかって、つい、話し込んでしまった。ほだ木の上にはさりげなく置かれたシカの頭骨。今年はどうしたのか、角や頭骨に良く出会う。

育林コンペの看板は先週の簡単な補修ではらちが明かず、案の定、風でまたまた揺らいでいたので、カケヤを持参し打ち直した。しかし抜本的な補修になっていない。木質系はフレキシブルで扱いやすいが、腐ってすぐに人の補修をねだる。

育林の自分のゾーンに向かう途中、土地所有者の巡回の車と出会った。外は寒いのでお互いウィンドウを開けて情報交換。昨年からの間伐材の盗難届の話も再度したが、会社で共有されていないことがわかった。

そして案の定、ここでは盗難届を出してもなかなかうまくいかないようだ。管理すべき者がどう管理しているのか、という問い詰めに会うらしい。しかし、他人の物を持っていくのは窃盗であり犯罪である。警察にはその一点を重視してほしいものだ。なんとなく、やはり、盗難届は益なしだなとあきらめた。

予想通り、いくつか風倒木が出ていた。アイヌネギのある場所に着くと、←コブシが林道を通せんぼしていた。みると花がもう終わっているものもあり、持ち帰りは断念した。アイヌネギはこの1週間でほとんど伸びていなかった。


きれいな薪の上手な積み方

2020/04/18 sat 8℃ 曇り 風有り
inaba oyama kai kusa tomi-m migita wada seki = 8 persons

■きれいな薪で良かった




薪割りと薪積みが進む。機械と人力それぞれで、マイペースで着実に残りの丸太の山が減って、薪の山が高くなる。それでも薪の量がやや不足気味なので、wadaさんが広場縁辺部の込んでいるところから、少し抜き切りに着手。それを軽トラを横付けして薪ヤードに運搬(写真右)。



今年の薪は雪のある時期に早々と広場に運び出し、割り始め、その後、雨続きなどもなかったために木口にカビが生えるようなことがなかった。おかげで、写真左のように、白い木目が美しい。

一方、間伐したアカエゾマツは木口にヒビが入ってきて、割ってみると今日は意外と割りやすい。急速に水分が抜けてきているようだ。しかし、節(ふし)が多いので、写真右のような枝の跡が食い込んでいてスパンと割れるのを阻んでいる。

北欧ノルウェーの薪の本を読んでいると、アカエゾと同じ仲間であるヨーロッパトウヒなどの針葉樹を、シラカバと同程度に扱って差別していない。そんなところを見れば、それが当たり前の姿勢なのだろう。燃えやすいものもそれなりに、である。

ナラを別格にして扱うお金持ちの薪焚き人には日頃からなりたくない、と思うし、林にある色々な樹種を焚けるというのが、苫東コモンズの雑木薪の特長であり、贅沢であろう。異形の薪も大歓迎だ。

アカエゾマツの玉切りされた丸太の数を数えるとざっと300~350で、これを薪需要者11人で割ると30個となる。衆議の結果、これを分譲時におまけで丸太のまま引き取ってもらうことにしている。薪割りは各自が自宅でしてもらい、薪の自賄い気分を味わってもらおうというわけである。

今日は薪割りの動画をいくつか撮影。提出原稿がひとつ片付いたので、10周年記念誌の付録・動画のシナリオに今日から専念し、月内に編集に回す予定。

■薪の積み方やりながら学ぶ上達法



長さ35cmにした薪を2列、高さ1.5m、長さ3mに積む現在の約1棚は、残念ながら地震や強風で比較的よく倒れる。崩れると修復に半日近くかかる。薪小屋も薪が膨らむように崩れる時がある。どうも薪は自重で不均等に沈んで傾き始めるようだ。薪の隙間も微妙に埋まって、薪の塊自体が変形してしまうのだろう。

先日、長谷川機械の薪棚を見せてもらった。NPOは1.8mの箱型でみかけ5.4立方だが、長谷川さんは奥行きが3~4mあり、8立方が入るという。その薪積みがびっしり詰まって見えるので聞いてみると、一番外側だけていねいに緻密に積んで、中の薪が膨れて崩れるのを防ぐのだという。

上の写真左は遠浅の出来立て、右が長谷川さん。


苫東の雑木林の手入れ指針案

~大木のコナラの森への憧れに、さよなら~


2020/04/15 wed くもり 
solo at home

■大木の森づくりは、あきらめよう

平成2年ころ、勇払原野で雑木林の修景間伐を始めたのは、樹形の美しいコナラが大木に育った時の、今よりさらに美しい林を見てみたいというのが動機でした。それが近年、次から次へと困った現実が現れて、ここの林の節理のようなものを伝えてくれました。そうして、ついに大木の雑木林の夢はあきらめようと決心しました。

ここまでしかし、ずいぶんと頑張って固執したのです。大木に育て銘木として付加価値をつけて市場に出す、というのも柱でした。緑地管理はお金がかかるので、その資金とするための販売でした。ですが、目の前に現れる現実は理想を砕くに十分でした。次に列挙します。

①勇払原野の銘木はさほどビジネスにならない
…何人かの専門家に厳しい現実をうかがった。苫東で今、銘木の発想はない

②将来木施業、オーストリアのフューチャー間伐(将来木施業)を理想に掲げたものの、下記③~⑤の理由などで現実には合わなかった

③その理由は目指す大木になる前に風で倒れてしまうこと
…火山灰土壌と地下のクロボク土が根の張れる深さをきわめて浅くしていて、大木になった順に容易に倒れ、掛かり木になってしまう

④倒れてしまうのは防ぎようがなく、その処理が難儀
…年に何回かの大風のつど、苫東の林のあちこちで順次倒れ、対応に追われる。であれば、大木にしてはいけない。

⑤大木はその後の処理が人力では困難
…樹齢80年、直径50cm以上になると、薪の長さ35cmに切っても、成人男子が一人で持つのは難しくなる。腰を悪くしかねない。これはやめるべき。
ではこのために林業用の搬出機材を買うべきか?NOである
…倒れる前に伐ってギャップを創る。モザイク間伐が良い。
モザイク間伐とは、雑木林の風景を残しつつモザイク状に「皆伐」し、全体として密度調整する「間伐」。萌芽更新が容易
…伐採が難しい大木はタネを落とす母樹として残してしまおう。倒れたときに改めて処理すればよい

⑥もとは薪炭林を60年~80年放置した山だった
…想定外に育ってしまったヤマであることが、大島山林の試験地皆伐でやっと自覚した。
この保育方法のマニュアルはない。だから今、やりやすいコモンズ林業のやり方を模索している段階。
…炭焼きの萌芽再生林は、重機の要らない、家内労働で賄えた世界だった。コモンズ林業はそれに近く、生産物は「炭」から「薪」へ。これなら町内会でも可能。

■もっと径をつけようそしてスノモと軽トラで山仕事

これをバックアップするのが搬出路、径。材の山にスノモや軽トラを近づけて林外に搬出する。そのために、面倒でも伐根をできるだけ伐り戻して低くする必要があります。つい、さぼってしまいがちですが、意外と大事な後始末です。そうすれば、あまり無理なくどこにでも丸太を回収に行くことが可能。

搬出する径があれば、間伐の後も何事もなかったかのような静かな風景を残すことができる。

(わたしの育林コンペエリアでは、昨年から「軽トラで行う山仕事と薪づくり」とテーマを決めて、大きな風倒木を目指して進入路を作り、エリアを縦に軽トラで縦断するスペースをつけています。ただ、これがドロボーに見つかると、静川小屋と同じく盗まれる可能性はあります。)

■間伐を2回行い、3回目に小さな面積で皆伐、60年から80年のサイクルを繰り返す

大島山林のシカの試験地づくりで、樹齢80年の薪炭林跡地を皆伐しましたが、放置してもあの程度になること、その間にたくさんの木が枯れて900本になったことがわかる。であれば、萌芽更新は最後の皆伐に任せて、その中間に1,2度、抜き切りをして利用するのが得策。枯らすのも抜き切りも一緒。今やっている大島山林の間伐がそれで、次回は段階的に分散して皆伐。



11年目、ゆとりの薪づくり

2020/04/11 sat 曇りのち小雨
abe-e oyama kai kusa kuri tomik migita wada seki = 9 persons

例年よりかなり少ない薪、でもOK、貯金アリ




7人稼働で、着々と薪割りが進む。例年より明らかに量は少ないが来年の分譲を見通しても在庫は足りそうなので焦りはない。というものの、あと2,3日で薪割りは終わるので、搬出しやすいところからもっと材をだそうか、という案がでた。広場の縁辺か、山すそ沿いの道路わきか。

今年の薪はこれまでと違い、木口にカビが生える前にほぼ割り終えそうだ。ノルウェーの名著『薪を焚く』を読むと、山の中に放置した丸太は早々に雑菌がはいるが、あの雑菌は樹木の細胞に幕をはって乾燥を妨げるから要注意だ、と書かれている。

挙句、この丸太で作った薪はストーブで燃やされるまで理想の乾燥に至らない、と驚くべきことが書かれている。薪文化の積み上げの明らかな差が、このような、何気ない、もろもろのエピソードに見つかる。なにせ北欧にとって冬の薪の暖は生命にかかわる。何事も、ひとつずつ、体験しながら身に着けていくという世界ではあるけれども、もう少し早くこの本に出会えたらよかった。

oyama さんのドングリ苗畑が何者かに荒らされてしまった由。シカかその他の小動物か。

お昼は今週もコロナウイルスの傾向と対策が話題になる。みんな甘く見過ぎている、警戒が足りない、とドクター・kai はちょっと怒りを吐露。志村けんショックで感染者が下降するか、注目しているがその兆しはまだ見えない。6月の研修は大丈夫かという声も上がった。数日前、宿泊するホテルから、予定は変更がないか打診されたことを思い出した。



フットパス沿いの風倒木片づけにwada さんが加わって、早速、岬へ行くフットパス沿いでの難物に取り掛かる。wada さんは一時肩の調子が悪く病院通いしていたのだが、だいぶ復調して今では古希の稼ぎ頭。チェンソーの鋸くずが5mm四方の切片になっていて、いかに諸道具のメンテが行届いているか、偲ばれる。



一方当方は痛い部位をかばいながら、久々に大きいチェンソーを使って玉切りしてみた。昨日、おとといと歩かないでいたので痛みを忘れかけていたためだが、罰があたった。慢心した結果、負荷はストレートに患部に至り、昼前にすでにはビッコを引かざるを得なかった。
そんな時でも、切り株のエノキタケ、フットパスのチャワンタケみたいなものに、しばし和む。

■10周年記念誌の原稿が集まりだす

小雨が降り出したので早めに作業を終了。そうして間もなく、nomura 先生がやってきて原稿できたのでデータを渡せるとのこと。ワード原稿で2枚に画像付き。最も林を歩くご夫婦の、散策の周辺が書かれている。

またfunaki さんからは、すでに建築と薪のエッセーをいただいていたが、その中の中谷宇吉郎の引用部分に間違いがあった、とていねいに差し替えの連絡がきた。ペチカと薪の随筆は、わたしたちの薪作りのイメージを膨らませる。

一方、おととい、薪会員に薪の注文のメールを出した折、原稿の進捗を打診。すると何人かは奥さんが書いている、という返事だった。なるほど、家庭では最も多い頻度で薪をいじるのは女性だ。どんな投稿か、早く読みたいものだ。愉しみ。


薪割り、薪積みと早春の雑木林風景

2020/04/04 sat 10℃くらいか 晴時々曇り
abe-e oyama kai kusa tomik & m migita seki = 8 persons

雑木林の早春風景




24節気の啓蟄を過ぎ、今日は清明。清明とは、 「清浄明潔」の略で、 様々な草木が芽吹き、すべてが明るく清らかで春の花が咲き始める頃をいう、と「致知」からのたよりにあります。 勇払原野のいつも通りの早春の気配もあちこちに。名残惜しそうにぶら下がる葉はサワシバ。右は薪小屋の裏で見つけたひと群れから摘んで食卓に飾ったナニワズ。ジンチョウゲの控えめな香りが漂って、ああ、冬が明けたな、と感じ入りますが、こころなしか、今年はナニワズの顔が少ない。まさか、シカに食べられたこともないでしょうが。




薪割りは真っ盛り。丸太の玉切りがようやく終わりそうで、薪割りは追われ、脇ではもう薪積みが進んでいます。今年の薪はナラが少なめで、その代役をカタスギ(アズキナシ)が務めそうです。何かの本で見ましたが、熱量もシラカバ並みではなかったかと思います。それと水増し用にはアカエゾマツ。棚にはマックスで1割以下が混じってOKと打ち合わせましたが、あとは薪会員に丸太で提供の予定。自分で割ってみるのも薪ストーブライフにはいい時間になるはずですから。

薪小屋裏には、oyama さんがドングリの畑を新設。昨秋、inaga さん、 tomim さんが拾ったものをひと冬冷蔵保存して蒔いたものです。間伐跡地で、萌芽更新のうまく進まない箇所に捕植する苗木のミニ苗圃に当たります。なんなく育てばこれからは萌芽と実生の二本立てで、ミズナラ・コナラ林の保全にひと役買います。

■林の中で




加療中の当方は林道のわだち修復をしながら、フットパス沿いの風倒木処理。安全を見計らって、慎重に枝先から入ります。岬へ向かうフットパス沿線は特に醜悪な状況で、遠浅川から沢型地形を昇ってきた強風が、雑木林をなめ尽くし、なぎ倒しているのがわかります。手入れが手遅れで材は腐れているものも多く、風倒はこれからも続きそうな案配に見えます。

またこの一帯は、スドキ採りのころに、平日も作業ができる好環境で、育林コンペと交互に手をつけたいところです。


苫東コモンズの新しい担い手は産まれるか

2020/03/28 sat 晴 2℃→8℃→2℃
oyama kai kusa tomik & m wada migita seki + maeda-iku = 9 persons

やるべきことは事欠かない身近な林、それが里山





もうすぐ3月も終わり。雪が消えてずいぶんなるのに、勇払原野はこれから2か月ほど、風景は変わらない。その理由は、落ち葉の下の氷(しゃしん;左上)。今も林は落ち葉をめくると固い氷で覆われていて、イタヤカエデやシラカバの樹液のように代謝は行われても開葉はしない。草は発芽しない。札幌より南にあるのに、苫小牧など勇払原野のサクラの開花は札幌より1週間近く遅い。この現象の鍵は地表にある。積雪が少なく低温のため起きる土壌凍結のせいであり、原野は今しばらく、氷の上にある。新緑は5月20日前後だ

それでも、雪が消え、地面の表面が乾くと、色々な仕事が待っている。主な仕事はもちろん先週から丸太の玉切りと薪割りだ。oyamaさんはその辺にある木端と錆びた釘で板の補修をしていた。それを近所の子供が手伝いたそうに見ている。そこで聞いてみた。

「学校はいつから?」
「わかんない~」

薪小屋の裏にある屋根に上る梯子を見つけて、屋根からの景色に感動しているのが、顔の表情からわかった。




わたしは股関節が絶不調でまともに歩けず、ひとり林道のわだちの補修。これには島田鍬も役に立つが、今のところは長靴でわだちをつぶすのが一番。

それとフットパス脇の風倒木の片付け。細いものならいいけれども、テントの周辺にはとんでもなく太く危険なものも少なくない。ずっと、気になっていた枝折れ大木は、色々と危険が多すぎる応用問題で、結局、伐倒処理の算段はつかなかった。体調の関係で万が一の時に機敏に逃げる自信がないのも大きい。枝折れ部分を腐らせてからの再挑戦にしよう。百均ダイソーのミニ三脚で、その老獪な暴れ木と記念撮影。

■テントで理事会

昼食後、25回目の理事会。10周年を機に事務の簡素化を図るため、総会に参加する会員の見直しを行い、基本、e-mail で通信できるようにするのが懸案。総会に参加する会員は減るけれども、これまでの支援に対する感謝を込めて、やれることはわずかだがNPOからのサービス(出版物やニュースレターなどの送付、ハスカップ摘みの案内など)は継続する。会員資格に関するものなので、理事の了解のもとで動き出す手続きの理事会である。

また、ヒグマのフォーラムの扱いの現状を事務局から説明。作業の安全のためにヒグマとどう対処するかは身近な課題だが、フォーラムでトラジロウの軌跡を公表して議論に入ると、産業空間・苫東側の不都合とも重なりかねない。

ヒグマと共生するのか、見つけ次第「害獣駆除」の手を打つのか。その前に、これまでのように無事故のまま共生する手立てはないのか、それを語り合うのが目的だが、メディアへの声掛けはNPOだけで判断してはあとあと問題になりかねない。このため、事務局がフォーラムの企画を土地所有者に説明に出向き、可能ならば後援してもらうこととした。

理事会、あるいは運営委員会では、日々の活動の出来事、課題などなんでも話題にして協議するが、先週判明した丸太の盗難も詳細を報告した。早い話が薪泥棒が2年連続したことになる。悪意の確信犯から逃れるためには、玉切りしたらすぐ大島山林の広場に移動するしかないと肚を固めた。

会員が毎年歳を重ねて高齢化する中、苫東コモンズを後継する人はいないか、はこのところ、しばしば話題にしている。結論はいつも見つからないのだが、苫東コモンズという手応えのある地域活動を、10周年を記念して、記念誌とともに活動を紹介する動画のDVDを創るので、これで一人でもファンが増えれば事態は変わってくるかもしれない。

ふと、新しい担い手は今の大人ではないのかもしれないと直感。自宅待機の子供たちよ、大島山林の広場へ来い~。オジサンたちが遊んでやるぞ~!そして手伝え~!



午後、白老のmaeda さんが手伝いに来て、薪積み(右)をしてくれた(ようだ)。大ぶりの薪が、早々に積まれていた。この調子で進めば5月には終わる。アカエゾマツは割らないで、薪会員に丸太で謹呈するのも方法だ。ブルーシートの上に重しとして載せるておくだけでいい。自宅でもたまに薪割りもしたいのではないか。すでに割ったものは棚に混ぜればよい。


2020/03/21 sat 晴れ
abe-e inaba oyama kai migita wada = 6 persons

玉切りと薪割り風景  ➡➡  掲示板 3月21日のログ参照                              


薪割りを開始する

2020/03/14 sat 0℃ 晴れ
abe-e inaba oyama kusa tomik & m migita wada seki = 9 persons

■頭上を白鳥、ガンが飛び交う中、薪割り始める





3月中旬、水鳥たちの編隊飛行が本格化してきた。迷子のような一羽、2羽が不安そうに鳴いて迷走飛行するのを、心配顔で見上げる人も少なくない。雑木林は、まぶしい、いつもの光に満ちている。あと数日で雪は消えるはずだが、新緑まであとたっぷり2か月を待たねばならない。

先週、林の中から間伐材を広場に運び終えて、今日からは早速、薪作りに着手した。長さ70cmの丸太を薪サイズの35cmに切る人、薪割り機で割る人、まさかりで割る人。グループの作業とは言え、おのおのひとりだけの時間が過ぎる。木を切る行為は、行動的冥想の時間だ。

割りにくいアカエゾマツに手を付けた。いつものように、木口はスポンジのように刃を包み込み容易には割れない。時々混じるトドマツはその点、遥かによく割れる。この違いはなんだ。

癪なので、色々試してみるうちに、アカエゾは、端っこの樹皮のそばに最初の一太刀を入れると比較的割れやすいこと、さらに食い込んだ場合はそのまま振り上げ、頭上で180℃回転させたマサカリを、今度はクサビ代わりにして振り下ろす、いわゆる「露助(ロスケ)割り」という方法を使うと比較的捗ることがわかった。

しかしこの方法は、丸太ごと持ち上げ振り下ろすわけで、さすがに消耗してしまって、股関節が悲鳴を上げた。薪割りは昨年、一昨年来、自宅でも休み休みの仕事だったが、やはり応える。

■持続可能な仕事のやり方、「ゆるい山仕事」

今年は材の需給のバランスが良く、余裕がある。思えば、このぐらいの工程が、わたしたちにはふさわしいことを知る。林の保育を適切な施業でこなして、それも無理をしない方法で材を出してくる、そして薪にする。この当たり前のやり方が、実は高齢者向きの「持続可能な森づくり」ではないだろうか。

実のところ、青年期、壮年期の体力はもうなく、だからこそ、それぞれが腰痛持ち、膝痛持ちだったりする。そして過労は万病のもとだから、働きすぎは禁物である。

となると、やはり、わたしたちの「年寄半日仕事」のスローガンは意味をもってくる。9時5時ではない、正味10時3時あたりがいいのではないか。前後の時間に余裕があれば、他のことに使うのも良いし、山で散策や歓談でもして一日を終えればよい。これから目指すべきは、「ゆるい山仕事」である。


丸太の搬出を終える

2020/03/07 sat 快晴 8℃
oyama kai kusa kuri tomik & m migita wada seki = 9 persons

予定通りの作業区切り




週半ばに有難い雪が降って、3月7日、今シーズンの丸太の搬出をすべて完了。量や材種は十分なものではないかもしれませんが、まあ、精いっぱい、今年のできることを無事こなしました。お疲れ様でした。

3月上旬といえば、もう雪目を心配しなければなりませんが、今日はまさにそんな日でした。

薪ヤードの完成形を先日スケッチし、図にしてみました。これで来季用の丸太や薪をどこに積むか、今年の5月、どの棚を誰に配るかの資料にします。また、今日の搬出が終わって間もなく、薪小屋の屋根から薪ヤードを動画撮影しました。なかなか、臨場感が伝わります。



■予想通りの季節感覚、春の祭り




この光線に、この陽気、そして渡り鳥の鳴き声。季節は廻り、恰好の春到来を祝う日和。
そういえば、この時期のお祝いに、かつては静川の小屋で「春祭り」と称するひとり宴を催して飲んだものでした。12月の冬まつりも同様、せっかくの季節の節目は、祝いたいものです。


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