home

2018年、日々の迷走 


■9/5 ハスカップにブルーベリー、押し出しでハスカップの勝ち~!

いただきもののブルーベリーを毎朝ヨーグルト共に食しています(写真左)。前から思ってはいたのですが、わたしにはどうもブルーベリーがベリーのイメージがありません。ジャムにするならクエン酸や砂糖をたっぷり入れなくては味がしないはず。その点ハスカップ(右)はもっともっと複雑で、薄皮の中に様々な味、もちろん甘みも酸味も苦みなどもことごとくパッケージされているような感じ。世界的な広がりはブルーベリーがトップでも味はハスカップの勝ち~。
久々の強い台風が去りました。マチの街路樹、苫東の雑木林、樹木の根返り、枝折れはどうだったでしょう。心配です。


■9/2 釧路にて
               9/1 の現地活動報告は➡➡ ここ


釧路公立大学で地域政策のフォーラムがあって出かけてきました。前後、別の用務で釧路湿原の周辺を移動し、今日9/2は緑化と住宅団地のモデル地域、釧路の愛国団地の緑地帯を見てきました。最後の右下の画像ですが、緑のある住宅団地の理想のもと、40年以上前ころにセットされた外周緑地のドロノキは今、最大で直径50cm、高さ15mほど。、すでに腐れで伐倒されたものも多数。できたギャップにはツリバナやカエデなどが植栽されています。10年以上前、釧路市の緑地公園課に呼ばれて住民と取り扱いを議論したところです。
釧路湿原は東西南北から見て回り、数々の疑問にも自問自答しつつ、やっと少しその実像に迫ることができた感があります。また、アイヌの謎の施設・チャシのような展望台をいくつか再訪して湿原を俯瞰しつつ、郷土への愛着が湧きいづる源泉は何か、風土とはどういう意味があるのか、という命題を考えさせられ実り多いドライブでした。
夜の懇親会ではコースの中にサンマの塩焼きがあって、かように美しく食べました。
釧路。悩み試行錯誤しながらでも地域政策を代々着々実践し域内連関の経済と社会を重視しつつ、今や観光や定住など、地域政策の重要な部分の実験成果を国内に発信する稀有なモデルになっていると感じます。


■8/31 きのこの食毒判別会のご案内 「9/22、大島山林、どなたでもどうぞ」
(写真は昨年の判別会の様子)
今年もきのこのシーズンが近づきました。この時期、食毒を誤って食して起きる事故が絶えないので、食毒の判別スキルアップが欠かせません。このためNPOでは今年もキノコの勉強会「きのこ食毒判別会」を開催します。会員のみならず町内会、一般市民町民どなたでも参加できます。
■日時 9月22日(土)9時半から12時 雨天中止
           集合9時半 その後1時間採集 10時半または11時から判別会
■集合場所  大島山林広場の薪小屋前
■講師     胆振きのこ菌友会 会長 小山 滋氏
          (NPO苫東環境コモンズ 理事)
■参加費   無料
■その他   蚊がいますので防虫スプレー、蚊取り線香など自衛手段があるとベター 


■8/29 勇払原野のハスカップ市民史、原稿と写真すべて集まる
NPO苫東環境コモンズから出版する表記原稿が、昨日、すべて整い、画像もあと一枚を残してそろいました。発刊に寄せての寄稿は一番最後に依頼していたのですが、これも素晴らしい原稿を2本いただくことができました。すべてが予定通りに進んできました。あとは、最後の体裁を整えて出稿へ。手が震える(笑い)、というか、とにかくいつも緊張する一瞬です。出せば、ビジネスライクに動き出すのですから。とりかかってここまでざっと約6年になろうとしています。


■8/27 ニュースレター22号をアップしました
という訳です。22号、会員の方々にはすでに郵送済みです。なにか、お気づきの点、ご感想などがあればお寄せください。

■8/26 蚊のいない雑木林へ

台風20号の雨があがって、ようやく日曜の朝。先週から赤とんぼが目立ち始め、少なくても広場は蚊がいません。しかし、林の中は別世界。風もほとんど通りません。林を歩くのが嫌になる深い昆虫が多い、というのは困りものです。

■8/25 修行に入ったあの頃
ヨガの本を読んでいて、ふと拙著 『林とこころ』 を思い出して久々にめくってみました。15年前のものですから、もうだいぶ前のことになりますが、林とこころ、林と体の関係についてよく記事や文章を見かけた当時に比べ、この頃はめっきり聞かなくなりました。心に疾患をもった人が犯罪に関わるケースが急激にメディアに出てくるようになった昨今、林に限らず、こころを涵養する教育やしつけやら、たいへん難しい分野であるのはもちろんですが、手立てはまるで見えません。さらに言えば、社会全体が、こころや人格を豊かにする仕組みを、個人の自由の名のもとに放棄したようにも見えます。精神を病んでいる状態と健常者の境界は目に見えませんから、目をつむれば世界は何事もなかったかのように次の事件が起きるまで移ろっていくのは当然です。
拙著をめくりながら、わたしは本をものにする前の10数年というもの、いわゆる林とこころに関わりだしての立ち位置というのが修行モードだったと思い起こします。個人的にはきわめて幸運なことでしたが、勇払原野の雑木林や湿原とつながり始めて、自然神への信仰のようなものが自分をいさめていました。また、40歳ころの心臓神経症との闘病も内省・内観を促して、「知足」という魔法のような悟りを与えてくれたこと、これがとても大きかったようです。そんなことがパラパラめくった中に思い起こされてきました。

それ以後今日に至るまで、仏教もイスラム教もキリスト教も共通して欠かせなかったヨガ的な修行のような日々を心がけることで、かろうじて心身の安定を保つことができた、と実感します。そうでなければ、わたしも危うかった、と。
拙著はもう札幌のエコネットワークと秀岳荘以外、書店には置いてありません。もし、関心がおありの方がいらっしゃれば、本HPの訪問者には謹呈したいと思いますのでご連絡ください。1300冊のほとんどがさばけました(不思議~)が、あとひと箱弱がありましたので。


■8/22 ハスカップの雑味と砂糖の、抜群の相性

ハスカップの真骨頂は、きびしい酸味と色とりどりの雑味である、という結論に達しました。栽培モノとよ~く食べ比べての結果です。今年の原野モノがこれまた甘みも酸味も、それに雑味も程よくミックスされて絶妙な味なのです。そしてこの雑味なるものが白砂糖と相性がすこぶる良い。口の中で180℃異質なものが入り混じった感と、ややして調和の余韻が残ります。毎日いただいていますが原野モノはあと2か月ほどもつかどうか。




■8/19 方言で語る幸福と内側


宮沢賢治の詩「永訣の朝」はとてもショッキングで、好きな詩でした。その中で語られる妹の言葉をタイトルにしたこの芥川賞受賞作品、読んでみました。岩手県の遠野市生れ、岩手大学教育学部卒。タイトルと出身を聞いてなるほどと思います。どこか、遠野で聞いた民話の世界と「どんとはれ」のむったりしたイメージが重なるのです。ナマリの抜けない方言が染みついていることに劣等感を抱く東北の人は少なくなかったのですが、今や土地土地の言葉が市民権を得、一方でTVの影響でしょうか、国民の多くが共通語を語るようになって、方言の影は薄くなったように感じていました。しかし著者が表現しているように、生来、語ってきた方言でないと本当の自分に戻れない、ということを、方言で独り言を言ったり、書いたりして気づく、方言スピーカーはきっと多いはず。岩竹さんはそのことを堂々と発信したようです。

■8/18 晴れてうれしい山の一日

久々の晴天、前夜は上弦の月でした。ホント、日の光、月明かり、青天井はいいものです。今年は7月10日ころまで朝、石油ストーブのお世話になり、8月のお盆過ぎて間もなく、再び暖を採ったという方もいます。それ程、不順な北海道の夏でした。山仕事の方は延々と薪作りが続き、薪割り機による薪割りにあと1日半、薪積みは4人で一日、つまりあと2日で終わると見ました。そして試験地から新たに出る薪は18棚、約50立方m。昨年11月に始まった本番とほぼ同じ量です。しかし、伐倒してから薪という商品にするのが手間取ると、丸太の木口が黒ずみ(右上の写真)、キクラゲのようなものも生えて商品価値がガタ落ちすることを発見。左下の写真の右側が5月までに作った薪。並べられたら誰でも右側を所望するはず。身の丈にあった生産を心がけるべし、という教訓を得ました。
夕方、9月の視察者用に上厚真の緩衝緑地を下見してから静川の小屋に行ってみました。ここも蚊がおらず、小屋の上にぽかんと空いた空には赤とんぼが飛んでいます。空が晴れてこんなにうれしい気分になるのも久々です。


■8/15 終戦記念日は雨
本当にこのまま、秋になるのでしょうか?今日はこの雨の音を聞きつつ静かに戦没者の慰霊に捧げます。また、9月のNPO総会の案内、ニュースレターの送付などの内職をして、夕方は「ハスカップとわたし」の編集について協力者と打ち合わせ。それから、英国のフットパスの件で、昨日からちょっとやり取りがあったので顛末を「雑木林だより」に記しました。

■8/11 軽トラ3台で薪と丸太運び終え

山仕事を予定通り終えて、区切りにささやかな納涼会。仕事はこのためにもなされる。

■8/10 原爆慰霊と追悼
原爆の慰霊の日が続きました。そんな折、長崎の畏友まつをさんは、イスラエルにおける2分間の追悼のyoutubeを紹介しました。ナチによるユダヤ人に対するジェノサイド(大量殺りく)、あのホロコーストに抗したものです。2分間、車列を止めて国中が追悼する。4/13のことのようです。果たして我々日本人はいかに洗脳されているか。わたしはここで沈黙せざるを得ません。東京大空襲で市民10万人、広島で14万人、長崎で7万4千人が、米国の爆撃で殺されました。そして「お前が悪い」という説を叩き込まれました。東京裁判や米国、中国を批判してはいけない、などという言論統制のプレスコードも徹底されました。その中にはGHQが日本国憲法を(主権がない状態で)起草したことを批判してはいけないという一項もあります。効果はまさにてき面でした。時間は70数年前から止まっているかのようです。この機に再び先の戦争と現代に思いを寄せたいと思います。合掌

■8/8 湿原は遠くから眺めるもの

泥炭の動画撮影で8/7pmに勇払原野に出かけました。谷筋緑地の木道は朽ち果て、何ともうら寂しい湿原。本当の湿原に自分の足で入り込んだことのなかった同行者は、湿原の歩きにくさにびっくりしています。そこでわたし、「湿原は遠いところから眺めるものさ」。普段見かけないトンボなど、さすがバラエティ、意外性に富む湿原。昨日はクマの心配もしながらたった二人。しかし蚊が少なくてラッキーでした。
話は変わりますが、「開発こうほう」8月号に、将来の苫東がSF風に描かれており、そこには緑地管理の一翼を「苫東環境コモンズ」が担っていることになっています。びっくりです。


■8/07 「ろうそく、出せよ~」

毎年のことなので不安と期待が入り混じる、旧暦七夕の夜。突然の訪問に何も用意しておらず、子供たちに謝ったりしたこともありましたが、ここのところはなんとか準備がOK。今年は遅いね、と話していたらピンポーン。昨年から町内会が主催をやめ、自由行動になったとかで、子供さん3人と保護者1名。ちょっとさびしかった。

■8/05 シカの食害を防ぐ電気牧柵を設置完了

ナラの木などの萌芽更新がうまくいかないのは、シカなどの食害のせいではないのか。そんな疑問を解くための試験地の外周に、4段の電気牧柵を張り終えました。電気を通すラインを張ってみると、なんだか意味のある試験地に見えるから不思議です。電源はソーラーパネル(ニュージーランド製power plus)でピーク電流は約8kvと書いてあります。すでに食害に会っているのをみつけ、急いで設置にかかったもので、機材は農家のmigita会員からレンタル。助っ人も合計8人、薪割りと並行して午後2時過ぎに完成。

■8/04 ラジオ体操

わたしの部屋から見える町内の公園では、このところラジオ体操が元気。一時はうるさいからやめてほしいなどという声もあったそうですが、この頃は大いに盛り返して子供たちの集まりもいいみたいなので行ってみました。ゴミ拾いと同様、普段合わない方々とも挨拶を交わして、第一だけやってみました。すでに入念なヨガのストレッチを済んでいるのでそっと退散。子供たちは確かに多いみたいだった。変わらぬ風景に時間が止まった。

■8/03 いよいよ北海道の夏
苫小牧の霧が7月31日でほぼ終わったかのようです。翌8月1日からは気持ちの良い朝を迎え、おとおい、昨日と実に美しい、久々の夕焼けを見ました。夜8時前にJR室蘭本線の糸井駅跨線橋から、南の低い位置には赤い火星が見えました。西の明るい星は金星でしょうか。今年はすでに4つの流れ星を庭で見ましたので、夜半、ベランダの椅子で空を仰ぎましたが、残念、現れませんでした。

■7/29 この冬の薪が納まる
土曜日の朝から、今年の冬の薪運びをしました。2トントラックの空きをレンタカー屋さんで探ってのピンポイントの日でした。1年前のシーズン、2016年12月3日から翌2017年6月24日までの稼働日数27.5日のご褒美としてNPOからもらった薪と、育林コンペの自分のヤードから生産したものです。ちなみに2017年の11月25日から今年の7月末までのわたしの稼働は32日。現在、次の冬の分も自らの働きで確保できているという格好です。
 しかし、それにしてもこの工程は長い、本当に長い。こんな思いをして薪を手に入れるのなら、買った方がいい・・・。そんな人も少なくないどころか、ほとんどでしょう。この際はっきりしておきたいは、一年分の自家用薪を用意するための必要な稼働日数です。腕を磨けば、意外と簡単。自分のものだけなら、わたしの経験では、伐採と枝整理で2日弱、玉切りと藪だしで1日、マサカリによる薪割りで2日ほど。あとは自宅までの運搬に半日ほどかければ、わずかこれだけで1年分は確保できます。つまり、4,5日、ながくても1週間働けば、冬の20週程度の薪生活が悠に賄えるということです。稼働32日から自家用の所用の5,6日をひいた残りは、NPOに拠出ということになり、ほかの薪会員に有償で引き取ってもらい活動資金にしているわけです。
 コモンズ林業は各自が腕を磨いて、身の回りの誰かの里山を一石二鳥で手入れしよう、というのがねらいでした。そんなことが
いつまでできるか、その答えは死ぬまで頑張る、としか言いようがありません。そんなエコライフ願望は半年ぶりの「林のアジール」にしたためました。



■7/27 米国発、「キャンプが効く」

職場の昼休みは食後に voice of America で英語を聞き流しますが、昨日は health & life-style report を聞きました。テーマはキャンプの効用で、ユタ大学の研究者が①脳を休め、リチャージする②生産性を向上させる③ストレスダウン④気持ち良い、、などと言っています。自然に接するのは長時間になるほどベターだということから、3、4泊のキャンプに繋がるのでしょう。が、この歳ではキャンプはもうつらい。エアコンのある部屋がいい・・・なんてことになります。せめてもの慰めで、通勤の駅のプラットホームで、束の間、アジサイを眺めたり、夜、ベランダで星を見ながら(最近星が出ません)ボーっとしてるとかが関の山。週1の山仕事が最大のリフレッシュ、リチャージになっているのかも。

■7/22 萌芽はもう始まって、食べられていた

驚きました。10日余り見ていない間に、どんどん萌芽が進んでいました。それどころか、しっかり食べられています。

■7/22 フォーラム「地方創生を超えて」

2016年から取り組んでいる「人口減少社会の地域政策に関する研究会」の成果が、国内大手の出版社・岩波書店から1日前に発刊され、その出版記念を兼ねたフォーラムを北大の鈴木章ホールで開催。この新刊をもとに9月1日は釧路市でフォーラム、9月8日は福岡の計画行政学会で報告の予定。地方創生はいわば地方の永遠のテーマですから、北海道発の本書がきっかけに各地で議論の輪が広がれば幸いです。来年も道内各地でこの本をテキストにした勉強会は開催見込み。

■7/21 北海道における二次林の扱いに関する貴重な意見を発見(1)
このHPにおいでいただく方の約半分は、里山自然とか雑木林、風景や庭、あるいは公園などに関心がある方だ、と勝手に決めているので、その方面の記事がいきおい多くなっていますが、時々の気分変化で妙な夾雑物的コメントも交じってきます。その場合、別ジャンルということではなく、HPタイトルの頭に、実は「日本の未来を考える・・・」とか「地域の将来を展望する・・・」を足してもらえばHPの意図するミッションも広めになり、つながりも出るのかな、と考えています。そこで今日もみどりネタを書きます。
 今朝、通勤電車の中で北海道の生物多様性を考える、北海道では高名な植物学者・S先生の興味深い講演記録を拝見しました。北海道の里地里山は本州以南のものとは自然の特徴が異なるので、二次林だからと言って手を加えてよいと先験的に考えてはいけない、・・・という趣旨のものです。自然保護の観点からのバイアスが強烈に感じる論考ですが、これほど明確に取り扱い指針を提言されたものは初めてお目にかかりました。あるいは北海道では雑木林や二次林を本気で関心を持っている人が少なすぎて議論にもならなかった、という側面もあるでしょう。ともかく今日は、貴重な提言に出会ったことだけを報告しておこうと思います。ということから、(1)としました。
  (写真は二次林の取り扱いを検討するモザイク間伐エリアで、NPOが萌芽を確認中のもの=2018/june)

■7/18 持続する林をどう作るのか


 ↑ササの中に切り株を探し出す        ↗ こんな萌芽があれば理想的

タイトルのテーマのフィールド調査に6月に着手して、雨でのびのびになって今日で3日目、ようやく10数か所の調査地を巡り終えました。なかなか、自然は一筋縄で理解できない状況変化があります。一つ一つのフィールドが発しているサインを丁寧に読み込んで、指針を出す必要があります。札幌での仕事をしながら、こんなコンサル的なワークも混ぜていますが、ハスカップの本の編集も抱えているので、実は時折言い知れない不安が襲ってきます
*(7/19早朝追記)「本を一冊編む」ということは実は大変な細かい、かつ、多岐に渡る作業が求められることは良く知っているから、ひょっとしてこの時点で「舟を編む」を見ることになったということは、そろそろ本腰を入れよ、という神の声か。実は昨日、原稿未着の最後の人から、校正原稿を無くしたから再送せよと連絡が来ました(ヤレヤレ)。この流れがもしかして神の声だということならば、神様も一応応援してくれているということだ、と気持ちを入れ替えて邁進しよう。


■7/17 飲み会の風景

休みの日に、三浦しおん原作の映画「舟を編む」を見ました。コツコツと積み上げるマジメ青年とその周辺の営みとゴールは、平凡なテーマかもしれませんが、なにか生きる喜びを彷彿とさせる安心感がありました。なかでもわたしが最もうらやましくも共感をもって見たのは職場の先生とともに語らう居酒屋の宴と、小料理屋のややちゃんとした一席。これは時々ある、あるいはあってほしい必須のハレの日。これがないと人生のハリがいま一つのように感じます。

■7/15 雨の谷間にハスカップ摘み

不安定な天気の中、果敢に恒例のハスカップ摘み。半栽培地のおこぼれをいただくもので、当NPOではこの日のために会員になる人を支援会員、またの名をハスカップ会員と呼びます。雑木林の保育ではなく薪だけを目当てに参加する人は薪会員。ハスカップと薪の雑木林は当NPOを特徴づけるローカル・コモンズであり、志向するものが全く違う方々が寄り集まっている、というのは個人的にとても面白いと思っています。

■7/14 透明アクリル板で屋根ふく


基礎部分のレベルをとってから約7時間、懸案の薪小屋が完成。総工費1万2千円。米国の話だったDIYは、ホームセンターの興隆によってあっけなく実現していたことに改めて感動。しかし、屋根の波板が文字通り波打ってしまっている。隣のご主人によれば、プロはトタンを引っ張りながら打ち付けるのだ、と。また、小屋の基礎部分はひし形になっているようで、波板が合わないことが判明。角々の直角を確認しなかったのが最後にひずみとなって出てきました。家内は毎日見る窓の外の風景で、波打った屋根が気になるだろうと不満そう。雨の様子を見ると屋根の長さが短すぎて、しずくが薪に当たる。残念だが、一旦、屋根をはいで傾斜をつけ、前後に15cmほど出そう。

■7/11 自家用の薪小屋、ほぼ完成


またひとつ、拙速な、粗製乱造の品をつくってしまいました。自宅用の薪小屋です。雑草だらけの野菜畑をつぶしました。広さは一坪ですからちょうど1年分が入ります。なんだか面倒になって平屋根の透明アクリルの屋根の予定。三日前の8日、丁寧にレベルをとって2時間、床をセット(左)、今日は休みの日で晴れた午後、2時間半。角々の柱と横の支えと屋根の土台をつくり屋根を張るところまでで終わりにしました。次回はL字の固定具などで補強して屋根張って終わり。1年分の薪小屋を、ほぼ一日もかけないでやっつけてしまうことになります。薪を積めば格好は着きますし、重みで風に飛ばされることもないでしょう。「いい加減に作ったものはそれなりにチョボイ」という話も耳に入りますが、でもまあ、これはわたしのいつもの流儀。お盆前に薪を搬入し、薪ストーブのシーズンを待ちます。

■7/8 建築物にみる北海道のの歴史
 
7日昼前から函館は五稜郭そばのコミュニティプラザでセミナー主催のため、前日夜函館入り。スーパー北斗の車中では、数日前に著者・北室かず子さんから頂いた『赤れんが庁舎物語』を読みました。さすが、開拓のシンボル建築には、様々な興味深い歴史が刻まれており、それを一つずつ解きほぐして見せてくれ、さすがです。北室さんはJR北海道の社内誌の冒頭の特集数ページを手掛けておられる方です。歴史的事実のツッコミとわかりやすい解説には定評があります。7日午前は駅前のホテルを早めに出て、路面電車で五稜郭に行き、中へ入ってみました。「赤レンガ」を読んだ昨日の今日であり、函館奉行所の建築が赤レンガにダブって見えました。歴史に無頓着だったことが嘘のように、今は向学心に燃えています。(本の写真は「旬ほっかいどうのHPから)

■7/5 切株の謎、解ける

苫東つた森山林の所有者だった元苫小牧市森林組合長の故蔦森春明さんから、開拓時代の森林の様子を聞いたことがありました。初代の蔦森百一さんは日露戦争のご下賜金で一帯700町歩の土地を買った時、樹木はすでに伐採された後で、奇妙なことに切り株は高さ1mもあったとのことでした。蔦森さんらはその残された幹をもう一度切り戻し、炭にしたというのでしたが、さて、なぜ高さ1mで伐ったのかが謎でした。
 先日来、全道各地の開拓期の記録を見ているうちに、開墾して畑をつくるために切株を馬の力を使って抜いている動画がありました。その動画にあった切株がやはり高さ1m近くあるのです。なるほど、力点と支点との間を長めにするほど馬が楽になるのが道理で、抜根するためには幹をある程度長めに残す必要があったのです。そうしているうちに、オホーツクは上湧別の開拓の写真に出会いました。そこには不揃いながら目につくような切り株が残されていました。長い切り株の謎は、おそらく開墾時の抜根と関係があったと気づくことで解けました。切り株の話を蔦森さんから初めて聞いてからほぼ50年たっていました。


■7/1 間伐の成果が「雑木薪」として形を見せ始める

先週から
参加者全員で薪積みを始めたところ、かなりのスピードで間伐の成果が製品として形を見せてきました。恐らく、例年並みの20棚はあるだろうと思います。ちょうど先週はじめ、最後の2棚が薪会員に引き取られヤードを去ったばかり。始めたのが11月頃ですから8か月間、毎週のように通った結果です。人間の一馬力では薪は大変、手間がかかるという話で、この薪が高い、などという人は軽蔑したくなる、そんな気にもなるのも当然かと言いたくなる、地味な風土からの贈り物でもあります。身近な雑木林から産出されるその名も「雑木薪」。これらも実は放置すればただのゴミになって腐るもの。

■6/30 下積み20年、「おせったい」のこころ

地方創生の成功事例を eラーニング の講座資料で覗いてみました。これが意外と充実しているので、研究所のスタッフのボキャブラリィを練る一環として勧めてもみました。その中にあったのが徳島県神山町。徳島といえば、あの葉っぱビジネスの上勝(かみかつ)町もそう。後志の仁木など明治期に北海道へ渡った開拓者も多いところです。で、毎年100人以上の移住者が来るマチの背景に何があるのか。よく聞いてみると、ここ10年とても注目される前に、約20年の地味な下積みがあり、さらにその根底にある社会資本に四国88か所の「おせったい」文化があるようです。おせっかいでない、微妙な距離感で人と接する感性。これが人と人、人と地域をつないできた妙薬なんだと気づきます。定年になったらまず行こうかと思っている一つでしたが、股関節がいまひとつ不調なので泊りだけにしようかと。これはまた個人的などうでもいい話でした。(画像はWork Life Laboホームページから)


■6/25 チェロは魂に届く

札幌の kitara で 「150人のチェロ・コンサート」を聴きました。北海道150年記念の一つで、最後の演目は150年の記念メドレー(初演)で締めくくられました。これまでオーケストラや好きなバンドの生演奏を聴いてしばしば鳥肌が立つのを経験をしてきましたが、チェロは違いました。涙腺が緩むのです。恐らく心の感動とはちょっと異なり、魂に深く響いているのかも知れない。演目は有名なカタルーニャ民謡などに交じってレクイエム(鎮魂歌)やキリスト教系の宗教的な音楽が少なからず交じって、久石譲作曲の「おくりびと」の挿入曲もぴったりでした。150人のチェロ・コンサートは阪神淡路大震災の鎮魂に始まりがあるらしい・・・。チェロという音色の楽器の特性でもあるのでしょう。なるほど。

■6/23 フィールドをヒグマと共有するときの正しい対処法

今日は静川の小屋で、昨シーズンに育林コンペにエントリーした「厚真森林(もり)むすびの会」と「札幌ウッディーズ」のオーナー看板を作ってコンペの三叉路に立てた。その真ん前にの水たまり跡に、写真の大きなクマの足跡があった。後ろ足の足跡の長さは約30cm。
で、クマが来ていることを理由に、当分、入林してする作業はストップ。今季はフットパスも暫時、閉鎖。来ただけで撃たれてしまうことの無いよう、速やかに賢く行動してほしいと願う。ヒグマに。



■6/21 夏至、曇りと雨の日々
ライラックの咲く前後、北海道は往々にして天気がぐずつくことがあります。今年はまさにそんな年でしょうか。日本の天気と地震など自然現象はしばしば人命にかかわる災害になる、したがって、気象は重要なニュース。ほんとうに天気ネタは庶民の日常にも不可欠なネタでありますから、リタイヤ後はいっそのこと俳句などで季節を題材にした文藝に入り込みたいような気もします。ちょっと遅いような気もしますけど。

■6/18 現場は語る 目が覚めること多々

苫東コモンズの土地所有者から依頼された、間伐手法ごとの天然更新状況の調査に着手。基本計画に関わった手前、とても関心があって、どんな現状が待っているのか大きな関心がありましたが、薄暗い間伐地でも細々と萌芽更新はある一方で、明るい皆伐箇所で萌芽が見られず、その代り旺盛な実生の若生えが高密度で見られたりする。何故なのか。その優劣の引き金の一つは伐採時期ではないか。冬と夏の伐採で萌芽力は大きく違うのではないか。そうしてもう一つは、シカの食害の程度。驚くことに、萌芽枝のほとんどはシカに食べられた形跡がある。恐るべし、シカの食害。これから、この辺の課題にもっと突っ込んでいくことになります。

■6/17 雑木林は生命の温床

別に植生調査をしているわけではありませんが、作業の合間に伐採跡に入って観察してみると、雑木林の林床は「生命の温床」、森の植物の最初の孵化装置・インキュベーターではないかと思わせるほど、いろいろな植物が種から誕生している。この素直な驚き。

■6/15 札幌も「ふるさと」だったか ~半世紀の付き合いで~



北大経済学部での会合に、時間を間違って早く着いてしまい、思い直して農学部の表と裏をゆっくり歩いてみました。思い出に残る建物、例えば農学部本館、古河講堂、理学部本館など、景観のベースとなるものが約50年前とほとんど変わっていない。そして楡の木のキャンパスも。農学部本館の裏に回ると、市立病院のずーっと奥に手稲山。この山がこんなに正面に見えるとはちょっと驚きでした。その瞬間、わたしの第2、第3の故郷は札幌だった、と思い立ちました。昭和45年に18歳で札幌に来て、大学の6年、苫小牧に勤務してからの42年、そのうち20年は札幌に通勤して一日の半分は札幌にいたわけです。「ふるさと」などと意識するには、街が大きすぎ、見えるもののほとんどが変わったマチでありながら、北大の農学部周りは、旧態依然としてノスタルジーを抱かせるのです。苫小牧と違い、札幌は樹木の伸びが違います(左下)。
クラーク像の裏の中央ローンも、半世紀前、寮にあった古いスキーで滑った高低差5mほどの斜面(右下)も、そのまんまにある。これはちょっと感動ものです。年に何回か来るこの一帯が今日は別物に見え始めました。よその町が、かけがえのないマイタウンへ。

6/13 戦後、篠津原野が豊かな農地に代わるまで


ほっかいどう学」の補完ビデオとしてしばらく泥炭とお付き合いしていますが、先日、当別の泥炭地資料館にお邪魔して、何編かの動画記録を紹介してもらいました。ヒマを見てそれらを覗いているうちに、開拓・開発の歴史と、特に篠津原野が戦後急ピッチに開発されたその技術の変遷に興味深いものを感じました。一帯は松浦武四郎も踏み込まなかった原野で、樺戸集治監の囚人らが人力で掘った排水路などはまるで役に立たなかった場所。戦後の昭和26年、わたしが生まれた年に誕生した北海道開発局が、苫小牧の港の開発とともに着手したのが篠津原野の開発でした。石狩川の両岸に広がる原野の右岸側12000ヘクタールに本格的に大型機械が入ったのは昭和30年代半ば、世界銀行の融資が投入されてからでした。

このようにこの土地の来し方を振り返ってみるのは、ブラタモリやアースダイバーをあげるまでもなく、わたしの好きな産土(うぶすな)の香りがしてきます。
(画像はhttp://www.bannaguro.net/bridge/篠津運河.htmlから)

■6/9 「雑木林だより」シリーズが100回目に

1998年の9月に始めた「雑木林だより」が、今回100回目になりました。ちょうど勤務先が倒産して転職し、札幌勤務になった年でした。11月に、このホームページを立ち上げ、森林セラピーなど林とこころに大きく舵を切り始めたころかと思います。チェンソーを持って間伐を始め週末きこりが始まっていきます。ですから雑木林だよりはこの20年の週末記録ということになります。

6/8 ハスカップの出版企画を出版社に持ち込む
夕方、これまで温めてきたハスカップ市民史の記録の出版を、道内の中堅出版社に持ちこんで、企画内容と目次、原稿などを見てもらいました。その会社の役員でもあるおふたりが、意外にもこの無理のないローカル性と、隙間ねらいに近い出版のスタイルなど全体を、ほぼ絶賛といえるような評価をされました。営業上のリップサービスを勘案してもちょっとした驚きです。タイトルの柔らかさ、表紙デザイン案などももちろんです。おまけに
お二人のうちのおひとりは苫小牧東高校のOBであることからぐんと親近感も湧きました。今、聞き取り原稿、テープ起こし原稿などを話をしてくれた方々本人にみてもらっていますが、別にスケジュールに追われているわけでもなく、仕事の合間に少しずつ進めているので、まるでプレッシャーがなかったのですが、今日の打ち合わせで「これは出さねば」という内側から圧力がかかりました。


■6/6 今年のNPO活動スケジュールの一部変更
NPO苫東環境コモンズの年間スケジュールが変更になります。
  ①恒例のハスカップ摘みは、7/14 sat から
7/15 sun
  ②NPOの総会が9/22 sat から 
9/15 sat へ。総会に先立ち理事会も同日開催。


■6/2~3 森づくりの研修で鉄人にお会いする


今年の森づくり研修は、道南にお邪魔しました。外山造園さんの静寂の郷、銀婚湯の庭、そして黒松内のブナ林です。それぞれ、トップのかたがガイドしていただきました。外山さんは森町在住で、約8ヘクタールの原野を、ほとんど一人で庭園に作り直した方。御年、76歳。3度の洪水にもめげずに、今も寸暇を惜しんで公私の仕事を手掛ける、いわば鉄人。快活のお人柄に時間を忘れました。
 銀婚湯の先代・川口社長にも、夕食後の1時間、ぜひ苦労話を、と無理にお願いしてご登場いただきました(下)。穏やかな、しかも控えめなお人柄にほだされながら、人は天命によって地域の自分の仕事を天職にしていく、というようなことを思い起こさせます。感謝、合掌。

 

■5/30 大海に浮かぶリベラルという名の船と自滅するメディア

結果的には嘘だとわかった伝聞を、その時は正義の真相としてかざして追及していることをこぞって報道し、嘘だとわかると反省もなくお茶を濁して次の「疑惑探し」をする大部分のメディアたち。ほとんどの、というのがミソで、真相を知りたい学ぶ民は賢くなって既存メディアを信用しなくなりました。どうしてこんな国になってしまったのでしょうか。メディアは自滅しないで復活できるのでしょうか。

■5/26 新緑から初夏の緑へ

つい1週間前に新緑を愛でたばかりなのに、雑木林はもう深い緑に様変わりです。広場には日差しを避けるためのテントが張られました。「森カフェ」です。林の中ではようやくウインチによる集材が終わって、次のステップに入ります。

■5/25 「ハスカップ市民」の本づくり
「地味なお仕事に並々ならぬ情熱を注がれ、歩み続けて居られる事に心から敬意を表します」。講演記録のチェックをお願いした方から、校正原稿に添えられていた言葉です。他でも、「本が出るのを楽しみにしています」と寄せられた方がいらっしゃいます。誉め言葉、励まし、お付き合い、お世辞、ヨイショ・・・。ここは素直に励ましと受け取りました。ハスカップの新しいステージを意識したのは、2009年の初めてのコモンズフォーラムの頃だから、もう10年以上前になり、どこにもないハスカップ文化に言及したのは2014年の出版『コモンズ 地域の再生と創造』の中の提言「ハスカップ・イニシアチブ」ででした。思えば、確かにしつこい、長い付き合いになりました。

■5/21 自家用の薪作りを始める

先週の休日勤務の代休を、自家用の薪作りにあて今日も薪作り。昨年秋に自分が担当する育林コンペエリアで間伐して運んでいた丸太。マイペースでのんびり進めてもコツコツやっていればいつの間にかざっと2か月分が確保できました。

■5/20 新緑に染まって

雨の日の翌日の晴天、新緑が成長しながら動いている、そんな5/20の一日を、チェンソーを持って長い材の玉切りをして終わりました。新緑に染まるように、という形容がぴったりの空気感。先週は顔を出していなかったスドキ(写真、和名;モミジガサ)もバッチリ顔を出していましたから、早速いただくことになりました。大地からなにかエネルギーが発せられている、猛烈な季節と言えましょう。山菜はそのメッセンジャーであり、運び屋といったところか。せいぜい、この時期ならではのいろいろな山菜をいただこうと思います。

■5/19 ヒグマよりもマダニが怖い?!

4月の温かい頃、もう薪ストーブを使うことはないだろうとタカをくくっていたら、なんと5月20日になろうとしているのに外は8℃くらい。ゆっくり薪に火をつけました。薪ストーブで暖を採るのは5月になって今日で数回目。
ここ数日、あまり穏やかでなかったのがマダニのニュース。わたしたちのように、週末日常的にマダニがいっぱいいる場所に出入りする者には他人事ではありません。死に至る極東型が北海道でも発見されています。どうも長沼の馬追丘陵で刺されたと言う話ですから、目と鼻の距離であり、勇払原野一帯にもこの病原菌はいると考えた方がいいでしょう。そして、この画像を見たら認識を新たにします。首周りの手ぬぐい、足元、そして首や耳あたりに異変を感じたら指でチェックです。気をつけましょう。


■5/16 帰宅時の車窓

連休が終わって間もなく、新緑の世界へ。通勤時に見る田園は猛烈なスピードで、早春から桜の時を超えて、このところは初夏に向かっている気配を感じます。ただナラの新緑はもう少し先。帰宅すると、コモンズのOさんから、大好物の山菜・コシアブラがたくさん届いていた。支笏湖の方で獲れたという。知人の山菜好きに少しおすそ分けする。今週は、山菜の女王とあがめるスドキが採れそう。ちなみにコシアブラはわたしのとって王様みたいなもの。

■5/13 柏原フットパス利用を休止する二つの理由

上の2枚の写真は今から12年前の柏原フットパスのものです。ご覧のように当時の柏原一帯は、酪農家によって毎年きれいに刈り取られ、肥料も施し、かつ林道も刈り払われていました。わたしは、以前から国内外のフットパスを歩いていたので、柏原フットパスが美しさ、快適さで道内のベスト3に入る、と公言し、NPO設立の際にもこのフットパス利用を事業に入れました。ただ、当時の苫東の社長には万が一事故が起きたらだれが責任を取るのか、と猛烈に反対されたことをふと思い出しました。今般、この一帯はヒグマの出没が4月だけでも5回確認されて、もはや、苫東のどこでもヒグマと遭遇することになったため、一人歩きの多いフットパス利用はしばし休止したいと土地所有者に相談し、その旨お伝えしました。
また、近年、採草する農家が変わって、まじめに草を刈らないようになり、フットパス利用の適期である6月前後も林道が刈られていません。これでは、かつての美しい、快適なフットパスとは呼べません。一方、今季は薪作り作業が長引きそうで、広く長い柏原フットパスの刈り払いまで手が届きそうにありません。という訳で、残念ですが当面フットパス利用はあきらめざるをえません。今となっては子供たちをここで遊ばせていたころが懐かしく思い出されます。


■5/10 半年ぶりのニュースレター21号
前号20号からあっという間に半年以上たって春本番。地道なコツコツとした、代り映えのしない山仕事などの様子を、会員のみなさん、そして、いつも陰ながら応援し関心を寄せてくださる方々に、まとめてトピックとして発信しました。9年目、第21号です。こうしてみると、わたしたちは地域のごくごく狭~い課題に向き合っているのだなあ、と実感します。でも狭い地域課題だからこそ、自分たちがやらねば、ということになります。そこにやりがいと存在理由が発生し、手応えが生まれることを、この活動の中でもよ~く知りました。天下国家を論じるばかりが必ずしも偉い訳ではない…。まさに得難い経験です。

■5/9 厚真にて


ハスカップ関係の
出版の原稿について執筆者に最終確認を続けていますが、今日は厚真へ出かけて直接現在の経過をお話をし、かつてお話をいただいたテープ起こし原稿などのチェックをお願いしてきました。ハスカップの山口農園のハスカップはあと2,3日以内に完全開花で、近くのNさん宅に伺うと、馬搬を担う大型の馬と小型のポニーが人懐かしそうに寄ってきました。幼少のころ、羊,やぎ、ニワトリの経験しかないわたしには、馬の扱いがよくわかりません。主のいない柵の前で、結局、馬たちに触れずじまいでした。ごめんね。


■5/09 マツコも知らない冥想の世界が今
昨夜は仕事のあと、無呼吸治療のクリニックで、先月の脳波検査の結果などを聞きに行き、C-PAP使用の経過についてを医師と話しをしました。自分の身体とか睡眠の状態が科学的に可視化(左図)されると人間はある程度の対応ができます。なんとなく、短い時間に今後の生活様式について覚悟をしていくのだと思われます。せっかくの脳波の検査ですから、朝方、寝たまま小一時間冥想した間に、アルファ波は出ていたか、みてみたかったのですが、覚醒している時間は、検査の対象からは軽視されており十分聞きだせませんでした。次回もう一度聞いてみたいところ。
 と、その夜、「マツコの知らない世界」に冥想マスター・相川圭子氏が出演しちょっとしたレッスンをしていました。まあ、番組としては空振りの類ではないでしょうか(笑い)。もともとマツコはスピリチャル系は嫌っているようだし、スタジオ内で感じているイライラ感が全然なくならなかった。ま、当然かもしれません。企画にそもそも無理があり、マツコの知らない世界が、ますます遠くなったオカシサが残ってしまいました(笑い)。
 しかし、この頃は冥想を知る機会が増えてきたのは事実で、その効果も国内外からの情報として入って来ていますが、禅宗系のお寺が座禅教室などを開いてそこに参加するあたりが、入口として最も安心なような気がします。いかがなものでしょうか。曰く言い難い世界であるだけに、あまりいい手立てが提供されていない残念な現状が目の前に見えます。


■5/06 リサ・ラーソン展

連休の後半、昨日5日は再び小雨の中、薪会員への薪搬送を行いました。その前日との作業の谷間の4日に家内と娘と3人、芸術の森のリサ・ラーソンの陶芸作品展を見に行きました。陶芸をデザインするって楽しそうだなあ、とか思いつつ、自由自在の創作の幅に心が動きました。猫などの動物、ヒトもよかったですが、わたしは特に花器、毛糸の編み物の作品にも好感を持ちました。折しも、館の周りの桜が見事で、東京・千鳥ヶ淵と札幌円山公園ですでに桜を見てきた娘は、ここも丁寧にカメラを向けていました。

■5/03 雨の中、薪会員に「雑木薪」搬送。その蓄えで「ハスカップ市民史」の本を発刊予定

天気予報が見事に当たり、終日降られました。それでも7,8人のメンバーが集い、にぎやかなうちに2回の搬送を終了。往復260km、9時から5時まで。この「雑木薪」は、静かな人気と評価があり、薪会員が少しずつ広まりそうです。このような会員への分譲の見返りはこれまで少しずつ内部留保してきており、これをもとにハスカップ市民史「ハスカップとわたし(仮称)」を発刊することになりそうです。連休から、原稿の校正のお願いを開始しました。

■4/28 マレーシア料理

歴史ある商都マラッカへ南下して、ポルトガル、オランダ、英国の植民地時代をくぐった世界遺産的建築物などを廻り(もちろん35℃近い炎天下)、昼食はニョニャ(惹娘)料理(写真左)、そのあとマレー鉄道でKLへ帰還。マレーシアでいただいた料理の多くは中国料理でしたが、原住民のレストランでは野菜中心の鍋料理などもおいしく食べました。カレー中心のインド、ネパール、独特のタイ、一方、インドネシア、台湾は日本人も好きな料理文化を感じさせますが、マレーシアは多民族国家の態様を表すのでしょうか、中国料理を軸にしながらも田舎の食堂では建物の造りや店内の煩瑣な日用品や資材と一体になってもっと混然とした庶民料理になっていたように思います。10人あまりの安上がりなツアーだからこそ、格式ばったホテルではなく、ガイドの勧める田舎の食堂の料理(写真右)も、気持ち一つでおいしくいただけます。赤い皿はワタリガニのチリソース炒め。カニの身はほとんどないので、手で持ってチューチューしゃぶりながら食べました。硬い爪はテーブルに置いて小さなトンカチで割ります。ウォシュレットの衛生的なトイレに戻りたいという願望は常に捨てきれないわがままを感じつつ、今日29日マレーシアを発って旅を終えます。

■4/27 熱帯雨林とプランテーション

今日も燃え立つような熱帯雨林の緑とアブラヤシのプランテーションの中を走りました。高原野菜を作る標高1600m地帯に泊まったら、そこではビニールハウスで栽培をしていて気づいたのですが、熱帯というのは本来、天然の温室(green house)だということで、一年中作物を、急スピードで育てることができる装置(=風土)だとも言えます。プランテーションはだから儲かるシステムというわけです。夕方から、クアラルンプールから南の田舎に移動し、セゴウル川?のマングローブ林に群れるホタルを見に行きました。この田舎もアブラヤシの一面の栽培地で、金子光晴の描く戦前のマレーの、豊穣と倦怠が少しわかるような気がしました。
こちらに来て驚いたことは、メイン通りの路肩の徹底した刈り払いです。上の写真左の、山の上の市場へ続く道の両側も、人力で刈り揃えてあります。人工の道路と野生の暴れる植生に、芝地という緩衝を設けることで、ジャングルがジャングルとして見える。ジャングルに征服された田舎ではない・・。苫東で、路肩を刈り揃えることで勇払原野を意味のあるものに見せる、という手法と通じるものをみて、実はこれが今回最も感動したことでした。


■4/26 オランウータンと

ペナン島の朝、ここで有名な寺院で涅槃仏など三体の仏様を拝観しました。その中の一つはこれまでお会いした中ではもっとも穏やかで美しい仏さまでした。目じりが垂れ、口角がが上がっている、なかなかこうはならないものです。感動の朝です。
そして午後一番には、オランウータンの保護区の島に小さな船で赴きました。そこでこの一枚。17頭いる中のボスと思しきオスとばったり。親しくツーショットに応じてもらいました。ウソ
初めてのマレーシア、熱帯雨林の風土は車窓から見飽きることがありません。夕方、30度以上の地上から標高1600mのキャメロンハイランドに移動して泊り。一帯は高原野菜の本場で夕食は50の民族がいるという現地人が形成するレストランで野菜中心の鍋料理。珍しくオーストラリアワインがあってなみなみのサービスで2杯。


■4/25 マレーシアにて

昨日の深夜、羽田を発って今朝、マレーシアの近代都市クアラルンプールに着きました。そして北へ移動しすでにマレーシアの北部にある英国領時代の名残の残るリゾート地・ペナン島で夕食を終え、海辺のホテルで画像の整理をしています。クアラルンプールは、今や、シンガポールや上海などと並ぶアジアきっての近代都市といわれますが、林立するタワーホテルや建設途中の工事、さらに不動産広告を見るにつけ、ここは英国統治のインフラに新しい産業と投資を重ねた、躍動感のある、日本とはかなり異なった多民族国家を形成していることが肌でわかってきます。
 その一方で、今読んでいる金子光晴の『蘭印マレー紀行』が描いたように、ゴムのプランテーションで栄えるややけだるいアジアの繁栄の一端が、いまはアブラヤシという多用途の資源の生産基地になっていることが、高速道路の沿道が数百kmも変わらずアブラヤシの風景で連続することでわかります。子供のころに習ったプランテーションとはこれか、とようやく実感を持ちました(写真右)。


■4/21 町内の清掃に住民が集まる風景


昨日の山仕事は、ウインチのロープを引きっぱなしで、ほとほと腕がだるい。反面、おとといから始めた睡眠時無呼吸症候群のC-PAP治療が功を奏して、今朝はここ5年ほど(いやもっとか)体験したことのない快眠後の清々しい朝を味わった。睡眠とはこういうものだったのか。ふと、町内会の清掃の日であることを思いだして8時、近くの児童公園に行く。高齢者中心に小学生まで100人が集まった。懐かしい方々、普段お会いすることのない方々、30年ぶりにあった人など、うち10人ほどに挨拶して近況なども聞いた。苫小牧はゴミのリサイクル率が道内トップを維持しているらしく、減量が成功した結果、糸井の焼却場が廃止、それで2億円の予算が浮いた、と役員(実は市会議員・笑い)が挨拶していた。町内の付き合いはいろいろなステージでとっても大事で、いつもいい風景である。今日、顔を出していない常連のあの人はどうしたのか、などと気になった。

■4/20 新しい朝

  「朝こそすべて」
 英仏の古諺(こげん)に曰く「朝こそすべて」と。
 一日二十四時間、朝があり昼があり夜があるとするのは
 死んだ機械の一日に過ぎない。
 活きた時間は朝だけ、換言すれば、本当の朝を持たなければ一日無意義だということだ。
 朝を活かすことから人生は始まる。


歴代首相の指南役として財界トップの精神的指導者として、昭和の政財界のリーダーが師と仰いだ安岡正篤(まさひろ)。「平成」の命名者としても知られる。上は安岡師の言葉。わたしの大好きな箴言であります。
わたしの今日の朝は、睡眠時無呼吸症候群の脳波検査で札幌の北18条にあるクリニックで、体中にセンサーを張ったままの不本意な姿で迎えました。そして朝、目の前にあったのは、なんと、北大の遠友学舎。初めての著作『林とこころ』の出版記念パーティをしていただいたところで、かつ、北大の学生時代にお世話になった学生運営の完全自治寮「青年寄宿舎」の明治時代の先輩たちが、地域の子供たちに勉強を教えていた学び舎活動に由来しています。確かこれは5000円札の新渡戸稲造が関わっていたはず。クリニックの2階の窓を開けると見えたのが、遠友学舎と牧場の歴史ある木造の建物、そして懐かしい木立でした。写真は北大側に移動しての病院から職場へ朝帰りする7時半。今日の夜から、わたしは良質な睡眠を得るために睡眠時無呼吸のC-PAP治療に入ります。素晴らしい朝を手に入れるために。


4/17 注目した放映、ふたつ
普段ほとんどテレビを見ないのに、週末、録画を含めNHKの番組をふたつ見て、あまりに印象深かったので書いて置きたくなりました。ひとつは「苫小牧の森の野鳥」。苫小牧を英語バージョンで紹介しており、野鳥の王国のように描かれてまるで別天地のようです。NHKが描いた苫小牧というのは、工業開発と自然保護という観点から工業都市の無機質な空撮とホッキなどがかつては主役でした。マイナスイメージの極め付きは数年前の「鶴べいに乾杯」で阪神・川藤選手が出た番組でした。浜辺で出会ったぶっきらぼうな第一発見者の女性で始まり、苫小牧に住んでいるというのが恥ずかしくなるような惨憺たるものでした。それが今回の野鳥ものは、インバウンドのお客さんすら来そうな魅惑的な、一部の市民が見ているそのままの出来でした。B級自然勇払原野と背後に大森林地帯を背負った「臨森林都市」というのが苫小牧の実像だというわたしなどのとらえ方と同列の描写に、少しばかりうれしさを覚えます。
もう一つはETV特集の深夜12時「極夜 記憶の彼方へ~角幡唯介の旅~」。地図の外、情報の外へ飛び出すのが探検だといい、11月~2月の闇夜の北極圏を150kg(丸太運搬のあの鉄ソリと同じ重さ)のソリを引き一匹の犬と1300kmを歩くのです。芦別出身で早稲田大学の探検部では、あの石川直樹と1年違いのようで、star-navigationをものにしている。旅の終わり、2月の地平線に太陽が見えた時の画像がすごい。かつて体験したデジャブ、それが赤ちゃんが産道を出て誕生する喜びみたいだと表現する洞察力、言葉を編み出す力に感動しました。本、「極夜行」を買おうかなと。


4/14 萌えることと、生えること


今、現場では、コナラの雑木林をどう持続的に更新させていくのかをテーマにして動いていますが、そのベースは、古いものが利用され新しい個体に代わる自然の仕組み。普通はタネ、挿し木のような方法がありますが、樹木は広葉樹の場合、古い切り株や根を活用して萌芽という手段を持っています。ただ、萌芽したりしなかったりと、環境によって変化します。これをいいとこだけとってできないか。つまり、皆伐して丸坊主にしないで(雑木林の風景のまま)少しずつさりげなく更新させる。それが写真の上2枚。混んだ林なのに5~10株の萌芽が見つかりましたが、これだけでは足りません。どうもシカが決定的な邪魔をしていないか。これからこれを調べていきます。
一方、下の写真は2017年の12月末にハスカップの実をピートモスに押し付ける直前の写真。1月の下旬には発芽し、100日ほどたった今週は、高さ5cmほどで、ひとつの種から10本ほどが伸びています。
人による更新の介入と産物の利活用。浮世離れしたテーマのようにも見えますが、こんなのでもいいかなあ、と。
シリアの爆撃が報道され、モリカケで国の中心施策が停滞し、慰安婦問題や北朝鮮は相変わらず、中国は台湾や尖閣に覇権を拡大しようとするさなかではありますが。


4/13 血圧上昇の背景
心身の不調とか、病気になったりとかは、基本、先天的なものを除けば外部環境の反映とみるべきだと思って暮らしていますが、いち早く現れるサインは、呼吸の深浅や血圧です。今週は、わたしには珍しい決断事があったためか、血圧の方が上がりました。かつて道北の下川開催の森林セラピーの研修へ、高速道路を使って300kmを運転した際は、当地での1時間ごとの医師の血圧測定を見る限りは、森の散策では効かず、血圧は結局お酒をいただくまで落ちませんでした。今週のわたしの血圧上昇は、ストレスの裏に良質の睡眠をとれていない、要するに睡眠不足があると疑っていますが、そのもとは、睡眠時無呼吸かと、素人判断しています。来週は病院に一泊して脳波の検査を受けます。面白いことに、普段通りの生活状態とするために、「晩酌をする人はいつも通り晩酌をしてください」、と。病院で晩酌をして、イビキかいて正しく寝ます。(笑い
4/09 利他のこころ

月刊誌「致知」の5月号特集は「利他」。表紙タイトルの上に「人間学を学ぶ月刊誌」という触れ込みも見えますが、まさに人間学や歴史、古典を真摯な気持ちで学ぶことができる稀有な雑誌。対談記録やインタビューの記事も若い人なら一見「カッタルイ」などと思ってしまうまじめなものばかりですが、世の中、苦労を苦労とも思わない積極心と試練に向かって今日を築いてきた邁進の人たちの思いを聞くと、大いに元気づけられるものです。今回の号では巻頭、85歳の稲盛和夫氏がインタビューに答えています。利他の心こそ繁栄への道だというのです。ともかく一生懸命に働いてきた、その一事にただただ励まされます。神様の導きもあった、心に描いたものは必ず具体化していく、というくだりなどに傍線を引き、えらく得心しました。



■4/06 薪割り過程でみる樹木たちのストレス



薪に向きそうにない材が多く混じっている。また、割ってみると、枝を巻き込んで節になって割れにくい丸太も多い。今年は、一見すっきりしていても中に色々な事情を抱えている木口が見つかりとても興味深い。(写真右下はコブシ。これは特別)
薪にしなくてもいいようなヒネクレモノは、もう林に残してこよう。そういうヒネクレモノを薪ストーブに焚くのは、雑木薪の楽しみだが、手間がちょっともったいない、という声も少なくない。
木口にみる様々な事情というのは、ここの立地環境だろうか。もっと環境のいい、例えば内陸部に比べれば樹木たちにとって平穏な環境とは言えないのだろう。気温や雨や火山灰土壌や風など、それに獣害だ。風は冬の季節風より、夏の海塩を含んだ霧である。
テントより遠浅川よりになると特に、樹幹が川と反対側、東側に傾いているように見える。地元の人が、海からの風が遠浅川を通って崖(海岸段丘)から上がってくるという、ソレである。
勇払原野の苫東エリアの樹木は、内陸部と比較してこのような気象上のストレスと、根が張れる空間の浅い、貧栄養の恵まれない土壌のストレスという二重苦を背負わされている。だから、旭川の森林組合ご一行が林を見に来た時に開口一番言われたように、林業の山ではなく「やぶ山」と呼ぶのが一般にはふさわしい、ということになる。
地域の知恵は、3,40年で伐って炭などにする、回転の速い林業を展開してきた。それをもし、炭などに利用しなくなった時に、更新はどうなるのか、どうすべきなのか、というのが、実は苫東の雑木林の課題でありなまなましい実験である。若いときに伐れば放置してもどんどん萌えるので、メンテフリーの林業ができるが、大きくなるとそのバイタリティが格段に落ちて、それまでのような更新をしないのである。
それでも、樹木たちはよく頑張っている。その頑張っている雑木を、丁寧に利用しようとするから、上で見たようなヒネクレモノも大事に昇天させようということになるのだろう。人情噺みたいなことになる。木口に見る立地環境という裏事情を読み取ることは、ここの風土を感じるきっかけであり、わたしはおろそかにできないと思っている。
ふと思いついたが、ここで意外とすくすく育って更新しているのは「コブシ」である。植苗病院のまわりもそうだったが、土地はコブシがもっとも合っているのだろうか。放置すればコブシの純林みたいになるのだろうか。小口にストレスを読み取れば、実はそういうことになる。


■4/04 冬の終わりから夏の始まりへ


本格的に薪を燃やして暖房にする期間は、今シーズンの場合、11月中ごろから3月中旬まででした。ざっと4か月。厳寒の北海道とは言え、住宅環境の改善で、真冬感覚は長くない、と実感しました。事実、熱量の高い薪ストーブは、その厳寒期の前後の過渡期には、むしろ快適さよりも不快感を感じてしまうため、使用を控え石油暖房などに切り替える訳でした。で、意外と短いのですが、今季のように1月あたりでかなり低温が続くと、薪の消費が進んで、実際に薪が不足したという話も届きました。
その薪トーブの季節が終わり、夏の入口が始まりました。口開けは春の山菜です。車で5分、裏山的な林の縁に行ってみると、ちょうどトウの立つ前のフキノトウが採りごろで、さっそく夜は恒例のホッキとフキノトウのかき揚げにしていただきました。トウがたてば、フキノトウは遠方からでも横から見えますが、実の詰まったがっしりタイプ(写真下段、左の手前)は、落ち葉の真上から初めて見つかることを発見。つまり「フキノトウがアルアル」と見つかるころは、トウが立っている訳でした。

■4/03 育林コンペで厚真のグループが山仕事終える

昨年から育林コンペにエントリーした厚真町の「NPOあつま森林(もり)むすびの会」が先日、このシーズンの山仕事を完了したと連絡がありました。ツルや枯れ木も多い、長く放置されてきた若い雑木林ですが、だいぶ、すっきりしてきました。育林コンペの看板のある三叉路から東の共栄の田園までですが、今季はそのちょっと手前までで終了したようです。こうやって、広大な雑木林をどのように活用するのがいいのか、ずっと以前からの個人的なテーマなのですが、先日、道内自治体の墓じまいを研究する北大の先生とお会いしているうちに、スウェーデンの森の墓、スコーグスシュルコゴーデンを思い出しました。手入れされた樹林の墓地へ、ハイキングにいく・・・。墓でなくても、何かのメモリーゾーンもいいです。こぎれいに維持するための管理費を毎年いただきながら、こぎれいなゾーンを地元の人が修景管理するのです。これをこれからのコモンズの実験的研究の対象にできないだろうか。
■4/01 「君たちはどう生きるか」

この漫画、なんと、ベストセラーだという。懐かしさに押され、買って、通勤電車で2日で見終えた。思えば、吉野源三郎の原作を、半世紀以上前の小学生高学年か中学生の時に読んだ。思春期の少年特有の迷いに、人生の先輩にもあたる叔父がていねいに寄り添って交換ノートのようなものをする。友人を裏切るようなことをした深い後悔など、結構、気恥ずかしいテーマが軸だがそれは思春期の象徴であり、これから人生を歩んでいこうとする少年たちへ、人生の本道を歩めよ、という骨太のエールを送っている。
今、なぜ、こんな気恥ずかしくなるような、直球ストレートの本が受けるのか。
きっと人生第一歩を踏み出すころの根幹にあたる言葉とか考え方に、多くの人が「餓えている」からではないかと思う。作家の五木寛之が人生には折々の迷いの助けになる「杖言葉」というものが必要なんだと言っていた。論語や寺子屋の実語教、佐藤一斉の「言志四録」など、古来日本人は人生訓をこよなく愛して各々が座右の銘にして来た。人間、そこからいくらも進歩や、まして進化などしていないことに気づく。
漫画を走り読みし、何度もふんだんに出てくるややうんざりするノートの語りを飛ばして一服した時に、なんだか夏目漱石の「明暗」や「草枕」だったかに似た、人生の機微を執拗になぞるような作品を連想した。明治、大正のころの世の中に生まれ、昭和も読み継がれてきたこの作品に、世相を読むヒントがあるように思う。

3/31 シカ、ウサギの食害と萌芽更新

むき出しの土地でも放置しておけば藪になり林になる風土でありながら、雑木林の風景を持続させるには、実は一筋縄ではいかない。切ってまた生えてくる更新の方法が問題であり、仮にうまく切り株から萌芽しても、若い芽や枝を食べてしまうモノがいる。シカとウサギである。これらを排除すればどの程度萌芽更新は成功するのか、今年はこの問題に本格的に取り組む。その一部の丸太をポータブルウインチで運び始めた。
3/28 シンガポールの歴史  (日本はグローバリゼーションを受け入れるのか)

最近、日本はアジアの発展する国々から置いて行かれるだろうという声を聴きます。規制緩和の遅れなどがもとで、経済的な進歩や技術革新が世界標準に達していないことを指していますが、中でも比較されるのがシンガポールではないかと思います。北海道が150年足らずで人口数万人から560万人の島になったその速さは世界的にも稀有なこととされますが、どっこいシンガポールも200年前はジャングルだった島で、今や人口600万人。で、何が違うのかと突き詰めれば、移民政策ではないでしょうか。マレー人、華人、英国等西洋人、インド人などが、わたしから見れば稼ぎ甲斐のある出稼ぎ地として移住し、グローバルセンターになっているのではないか。いわば、ヒト・モノ・カネの自由な往来するグローバリゼーションの権化と言えます。日本は同じ道を本当に志向すべきなのか。違うと思うわたしは、いつか、行かねばならない国だと心していました。でも、その前にマレーシアに行くことになりそう。そんなわけで、岩崎育夫著「物語 シンガポールの歴史」と金子光晴著「マレー蘭印紀行」を読み始めました。実に興味深いいい本を選ぶことができたようです。太平洋戦争時のシンガポール日本侵攻やリー・クワンユーの自治や不本意な建国に向かう政治活動など、始めて具体的内容を知りました。そしてその濃密な歴史のうらに、やはり数多くの犠牲者がおられることには改めて襟を正さずにはおられません。合掌
3/26 ナラ薪 VS 雑木薪
3月下旬に入って、ハクチョウやガンたちの渡り「北帰行」がまだ続いています。今日の夜(午後8時前)も、通勤の自転車から頭上を飛ぶ編隊を見送りました。かつては送別会を催す頃合いに、いつもガンの群れが身近にありました。お別れと出会いの時期が重なります。

さて、自宅のそばのお医者さんの家にいつもきれいに薪が積んでありますが、それが典型的なナラだけの薪、いわゆる「ナラ薪」です。昨日、チャリで散歩の折に画像を数枚撮りました。左をご覧ください。これがプロの積むナラだけの薪です。やっかみで言うのではありませんが、そろい過ぎた不自然というか、エクステリアとして薪を見ていることもしのばれ、ああ、業者から買い、積ませた薪だな、とわかります。しつこいようですが、薪のある暮らしの自然、というものもかたやにはあります。憧れという観点で見れば、ナラだけの薪というのは普通はその熱量から理想とされ北海道における象徴ですが、不自然さには、どうもついていけません。写真右はわたしのカーポートの下に積んだ、大島山林産の平均的な薪です。この個性、バラエティ、天真爛漫、混乱。おのずと、目指すところが違うことが判然としてきます。ナラ薪と「雑木薪」。あなたはどちらにより親しみを感じるでしょうか。
3/24 海に住む森のイワナ「アメマス」の躍動

職場の理事会3/22が済んでNPOの理事会3/24との隙間に、道南・熊石の鮎川海岸に出かけてみました。金曜日の黄昏時の1時間、そして土曜日の朝6時からたった1時間のために、片道230kmのロングドライブです。近年の鮎川海岸はアメマスよりもサクラマスが人気で、そのせいか、昨日も今朝もフライのアングラーはわたしだけでした。しかし、ねらいは正解、1cmあるかないかのヨコエビに似せたフライに45cmのアメマスがヒットしました。手でつかむと伝わる筋肉の躍動。海に降りて生きるイワナの驚くような力強いパワーが伝わってきます。そうか、旅というのは、自然であれ風景であれ、はたまた食であれ芸術であれ、このパワーをもらいにくるんだった・・・。と、2、3枚の記録画像を撮って、即リリース。目の前の岸辺を一羽のカイツブリがもぐったり浮かんだりしているのに励まされてのことでした。乙部町の三セクの温泉に戻って朝食とお風呂をいただいて、これから羊蹄山のふもとを通って苫小牧に戻り、夕方は苫東コモンズの理事会です。
3/21 反日という言葉の影響
反日という言葉が今や日常的にメディアに登場し、特に左右がはっきりしているネット社会で頻繁に目にするようになりました。そのせいかわかりませんが、外務省は反日キャンペーンを続ける中韓への対応が少し速くなって、政府の反論の機運も高くなったのは、この言葉が世論に影響し図らずも問題提起したおかげ(そんな意図はなかったでしょうが)と言えます。昼行燈のようにボーとして先を読めなかった国が悪いのですが、反日的行動は韓国の慰安婦のねつ造と海外キャンペーンや、中国による南京大虐殺のユネスコ世界記憶遺産への登録などばかりでなく、日本国内にもたくさんあって、それらが戦勝国である米国による情報操作WGIP(War Guilty Information Syndrome)によるという分析は説得力があります。戦争と経緯を自虐的にとらえそれが刷り込みとなっていまだ日本人に潜在化しているというものです。それに触発されたケント・ギルバート氏は反日がやがて毒饅頭になるという刺激的な説(たとえがややお下品か)を唱えています。思えば国連とそこで展開されている反日的ロビー活動も今や公然の秘密のような実態だと聞きますが、日本政府が本腰で反論・反証を速やかに展開することで、ケント氏がいうように毒饅頭が実はたいへんな猛毒だったことがわかってくる日はくるのでしょうか。
雑木林や庭づくりという庶民の平和のシンボルを看板にした当HPにはちょっと唐突なテーマですが、お花畑的な社会観には与することができないという思いからしばしば日々の感想をしたためています。里山や雑木林は日本の誇りでもありこれからもそうありたい、という思いが同時にしているからです。おおらかな積極心とやや緊張感も持って一日いちにちを送りたいと思います。

3/17 薪割り体制に移行

雑木林の現場は、林の中の作業から広場に主力が移動。雪解けが進んで、来週は広場にもう雪がないことを予想して、スノーモービルに燃料やオイルを満タンにして格納しました。各人、つい黙々と新しい作業に着手したので、体のあちこちが痛いのではないでしょうか。
3/15 早春のハスカップ・サンクチュアリ

オレゴン州立大学の川合さんが来られたので、小雨のなかハスカップ・サンクチュアリを案内。、次に博物館の地質と湿原の展示コーナーで学芸員の説明を受け、質疑応答。これらのやり取りすべて、下の「ほっかいどう学」からみれば地元学とか勇払原野という地域学ですが、知らないことを知る楽しみは無限で、まさに「知るは楽しみなり」。その先には自分なりの地域学(自然科学も社会科学も)の体系が出来上がってくる、その喜びが深いわけです。ちなみにサンクチュアリの原野は、驚くほどのシカの糞だらけ、シカの放し飼いか養鹿(ようろく)園かとまごうほど。いわば野生王国で、今日は一段と剥皮の食害が目立ちました。駅に送る途中に、JR車中で食べるというハスカップおにぎりを「甚べい」でゲット。3年間前だったか来日・来苫して食べた娘さんらが、「おいしかった」ので今回ぜひと勧められた由。
3/14「 ほっかいどう学」とシンポジウム

「ほっかいどう学」のリーフレットが完成し、そのお披露目も兼ねたシンポジウムが、昨日札幌のエルプラザで行われ、当方はパネルディスカッションのコーディネーターとして登壇しました。基調講演は小樽商大の高野先生が北前船と北海道について、事例報告を札幌市立屯田小学校の朝倉先生が、小学校の雪学習についてそれぞれ行い、このほかお二人の先生が加わって、「ほっかいどう学の」の可能性について議論しました。発表と意見交換でわかってきたことは、北海道人がその道民性のゆえか、北海道の歴史に対する思いや好奇心が本州に比べて薄いようにみえること、炭鉱など暗いつらいネガティブな歴史もあって必ずしもメジャーにならないこと、明治維新から150年で人口5万人未満から560万人に増加した中身は、相当な密度で濃縮されていてかみ砕いて説明がなされないと入っていけないこと、あるいは次第に次元をあげる必要があること、社会が子供たちにわかりやすい教材を用意して学習する体制をつくること、などが語られました。わたしは最後に、正攻法の真正面からのアプローチと並んで、ブラタモリ的なアプローチも考えるべきで、あれができれば地域とか町々が歴史資源で輝いて見えるのではないか、などと若干の締めくくりの言葉を入れて終わりました。「ほっかいどう学」を深めて、北海道や地域への愛着を深める運動は、まだ始まったばかり。「ほっかいどう学」のリーフレット(全12p)に関心のある方は草苅まで。
3/12 睡眠時無呼吸症候群の検査結果
睡眠時無呼吸症候群の検査(終夜睡眠簡易ポリグラフィー)結果は、かなり驚くものでした。5時間半ほどの睡眠時に、無呼吸呼吸の回数は148回あり、1時間当たり27回、最も長い無呼吸は96秒。酸素不足の割合は最低値が72%、結果判定は正常よりずっと重症に近いものでした。この結果を聞く際に、口蓋垂(いわゆるノドチンコ)が赤く腫れていたので見てもらったのですが、これも無呼吸時の連鎖でした。口を開けて寝るために炎症を起こしているのです。
これは本気で治療しようと思いました。近いうち入院して脳波検査を勧められました。同じような症状で悩む方、快適な睡眠と元気な日常を取り戻すため、現状をつかんで治療しましょう。
さて、今日は先週の代休を取れたので、午前中はある助成金の申請書を書きました。これからチェンソーオイルとガソリンを調達。またコモンズの今年のスケジュールも更新しました。ハスカップ関係の出版準備はいよいよ佳境に入りますが、まだまだ時間が足りません。
3/10 早春の雑木林こそ、元気が注入できる

3月弥生の雑木林は美しいばかりでなく、ヒトをして内側からエネルギーを萌えさせるような魔力があります。好天の春の一日、間伐材のすべての搬出を終えた。今季、保育に着手して18日目、運び初めて6日目。今週からはさらなる暖気と雨で、林道の雪が消えスノモの本格的出番が終わる。
3/08 千歳川放水路問題とは何だったのか

写真左ー遊水地の模型、緑に青の北上川があふれる 写真右=展望台から現場を望む
財団の環境コモンズ研究会で北上川の一関遊水地(1450ha)を農家の方々と視察しました。百聞は一見に如かず。数々の大洪水を経験して昭和47年に着工し、完成まではまだまだ年数を要するようですが、着々と形を成しています。しばしばあふれてきた北上川の水を堤防から越流させて田んぼに停滞させるもので、当然その年の稲作が被害を受ければ収穫は不能。何年かおきには確実に冠水することを条件にして、田んぼには地役権というものを設定します。その代り、農家には評価額の何割かで用地補償をするわけです。
 千歳川放水路の時も、実はこの方法がすでにあったのですが、選択肢はないかのように突き進んでいたことを思い出します。結局、千歳川の現在の治水はこの遊水地方式になって6つほどで1000haの遊水地ができつつあります。不思議なもので、概形が見えだした一関遊水地は、洪水災害が undercontrol すなわち人間の管理下にあるように見えます。遊水地の真ん中を新幹線が走っている光景がその辺を物語ります。


■3/04 ユキノシタに春のサインを感じる

雪解けが急速に始まった山仕事の現場。車もスノーモービルも実に制御しにくいなか、間伐した材の搬出が進みますが、丸太を積み下ろししているさなか、ユキノシタ(エノキタケ)を見つけました。雪の下でも凍って崩れることなく頑張っている姿に春の訪れをだぶらせます。そういえばもうひな祭りだった。
3/03 早朝の時間
目を覚まして再び眠りに着くのがむずかしい真夜中や朝方は、枕もとにおいた数冊の本や雑誌を開いて睡眠から読書に時間を振り向ける覚悟をします。そうしているうちに図らずも素晴らしい啓示をうけ、ついペンをとってメモをとることがよくあります。この1,2時間というのは、日常の活動時間には設けることができない、変わったひらめきと思索と覚悟(時にはあきらめ)のひと時になります。思いがけないことですが、日常の横の関係性ばかりでなく、時間を超えた古い過去の縦のつながりもよみがえって、まさに総動員です。その結果、決して悲観ではなく、明かりのさした「よし、やってみよう!」という着地になります。わたしなりのささやかな知恵が動くようなこの時間が示唆しているのは、そのうち起きなくてもいい時期がくるのだから覚醒していなさい、ということか。または、動いていないから疲れもないはずだ、ということか。

■2/28 地域活動を継続するために
地域活動をしているNPOなどの団体にはよくアンケートが来て、レポートもいただきます。そこにはしばしば、活動の悩みは何かという項目があり、答えとして「後継者がいない」「活動資金が足りない」とするものが少なくありません。
苫東コモンズも後継者などは期待できませんが、所詮、継続する運命にはないと割り切ってきました。立ち上げに2年をかけたころは、一人でしたし、高齢化して徐々に前線から離脱するようになれば、いずれまた一人になりその前に活動は閉じるかもしれません。あるいは一人で死ぬまでやっている可能性もゼロではありません。
気を楽にして来たのは、必要性を肌で感じ活動の動機がある人が自分で起こせばよい、と思ってきたからです。最もやるべきで、やりやすい地点に立つ人が動けばよいだけですが、仕組みができて共有されていないと、その人がいなくなった途端、機能不全になるのは世の常。
それもまたごく自然の流れ。となれば、随流去(ずいりゅうこ)、流れに身を任せるのが得策です。で、その前に一石を投じておくことがもしあるとすれば、地域モデルになることです。地域モデルとは、誰からも中身が見え、賛同する人が多いわかりやすい活動組織のこと。それは、ミッションが確然としていて、プレイヤーが楽しくやっていること・・・。そうすれば延命の可能性は数%アップするかも。
しかし、そうであっても、そうでなくとも、風土は何事もなかったようにほぼそのまま残る。関われた幸せも消えない。実はこれで十分満足でもあります。

■2/26 中国の欲望と周辺国の対応
中国が習近平主席の任期をさらに伸ばせる憲法改正を行うとのこと。一党独裁のこの国で、国民の憲法たるものがあったことに驚きましたが、注目すべきは一帯一路の侵略的提携が進む一方で、色々なところでほころびが見えていること。途上国を中心に、中国のやり口を見据えた冷静な眼力が求められているようです。
 先日のニュースでは、世界各地に設立されている、中国政府肝いりの孔子学院が、北米でFBIにスパイ容疑をかけられ閉鎖され始めていると報じられていました。各国の孔子学院を拠点に「国防動員法」(2010)を発動させて動乱を起こすことも可能だと、危険視されていた代物です。
 インドネシアの高速鉄道では、中国の財政負担を求めない建設方式に目のくらんだジョコ大統領が、今はプロジェクトが暗礁に乗り上げて次の選挙に勝てないかも、との憶測すら出ています。それほど、詐欺まがいの不履行が国家間契約でも続いている証拠。
  一方、中国の侵略や異民族弾圧をコンスタントに世界に発信してきたのが、ダライ・ラマ14世のチベットの亡命政権ではないかと思います。チベットのみならずウイグルやモンゴルも同じ。いまや、目覚めた各国が北朝鮮だけでなく中国の包囲網を強めていく必要があると切に思うこのごろです。 ちなみに政治から退いた法王ダライ・ラマは、早朝4,5時間の冥想をこなす。無心の先の祈りの世界にいるのではないか、と拝察。

■2/24 春の日差し、間伐材運ぶ

今日も、淡々と藪だし作業。10人が集合。陽が長くなり春の日差しが射しても、気温は−3℃とか−4℃。まだまだだ。雪が融ける前に運び出さねば。
■2/21 健康な眠り  ~枕と睡眠時無呼吸症候群対策~

先日から直接間接にいただいたアドバイスで夜間の手のしびれを緩和するストレッチを励行するようになり、しびれの頻度が急減しました。気になっていたのが、朝の目覚め時に気づく首筋の痛みと凝り。枕が合っていないと判断して探していてたどり着いたのが、通販生活の「メディカル枕」。カタログでは作家の三浦しをんさんや佐藤愛子さんが愛用しているほか、称賛の声も多い「イタリア製」。欧米の病院で使われているとか。使ってみましたところ、朝方の首筋の凝りが激減しました。きっと睡眠も深まっているはず。さらに、と、気になっていた睡眠時無呼吸症候群の検査(終夜睡眠簡易ポリグラフィー)も受けてみることにしました。できれば器具を使ったCPAP治療には手を付けないで済ましたいのですが、検査結果によっては甘んじてうけましょう。という訳で、眠りから始まったクリニックは芋づる式に拡大中。夜間や居眠り時に舌を噛むのは、舌の筋肉が衰え、咽喉に下がっていくからという理屈がわかり、舌の体操も開始。そういえば、早朝のヨガのストレッチ以外、アンチ・エージングにつながるなんのケアもしていませんでした。ここで一挙挽回です。
■2/18 吹雪の翌日は快晴

一日待ったらこんな晴天になった。しかし−7℃。新雪の雪に悩まされながらスノモをかろうじて対応させた。いつもなら20往復をしなければならない時期に約10往復だった。
■2/17 北海道の描き方

北海道でスノーボードやサーフィンをするDVDを見ました。提供はパタゴニア。この会社は反捕鯨団体のシーシェパードを支持するというので、できるだけ購買はしないことにしているのですが、それはともかく北海道の灌木の多い山の粉雪のスノーボーダーが幻想的に描かれていて、さすがのセンス、少し見惚れました。。真冬のサーフィンを北海道ならではとフォーカスするなど、視点がきわめて新鮮。浜厚真の冬の海岸に驚くほどのサーファーが、ドライスーツを着て波に乗っていたのを思い出しますが、ニセコに移住したボーダーなども夏は浜厚真に来る。新雪に飛び込んでいくボーダーを見ながら、わたしがかなり前に「山スキーで処女雪に飛び込む瞬間は宇宙とつながる至福を感じる」という趣旨を書いた文を思い出してアップしました。山のクラブのOB会の記念誌でした。



■2/16 五輪雑感
ニュース時間を中心に冬季オリンピックを見ています。知っている限りでは、これほど政治臭の濃いことはかつてなかったでしょう。そういう意味でも忘れられない時代の区切りのような大会になります。なんといっても驚いたことは、女子アイスホッケー・スマイルJAPANがうまくなったこと。それでも勝てないのは相手もうまく強くなっていることにほかなりませんが、今から20年ほど前のスマイルの原型を苫小牧で見ていたもののひとりとしては格段のパスワークとキープ力、そしてキーパー藤本のうまさ。これらを見ることができただけで十分の気分です。ガンバレ、日本選手。
■2/12 今年のあらあらの予定 
(写真は今日届いたオレゴンのハスカップ)

NPOの2018年スケジュールを組んでみました。わたしの背後から「無理しないで行こう」という声がします。そう、恐らくは自分の内なる声です。
 それとはまったく関係がありませんが、オレゴン州立大学のKAWAIさんからハスカップの写真が届きました。日付は2月10日となっています。2月に花が咲けば4月ころに収穫?まさか。

■2/10 冬の雨の中、広葉樹ミックスを運ぶ

山仕事をする天気の中で、最悪なのは雨やみぞれ。今日がそれだった。にもかかわらず、ポツリぽつりとメンバーは集まり、お昼は8人で歓談した。案の定、雪は湿って、スノモのハンドルが重い。それでも写真のような不揃いな間伐木を積んで、1周2km前後を12往復した。積んだ丸太は1回500kgほどになるが、よく見ると典型的な「広葉樹ミックス」。もちろん、ナラは半分近くあるが、イタヤ、モミジ、シラカバ、サクラ、サワシバ、コブシなどが混じる。それにコブなどのある、薪には手ごわいものも交じっている。薪ストーブを使ってみると、このような不揃いこそが、手作り薪の醍醐味だと感じる。ナラだけ、なんていう薪は札びらでけりをつけた不自然なものであり、無理やり割ったような、ささくれだった暴れ薪などは、あたりくじみたいなものでうれしいもの。割った人の忌忌しい思いを想像したり。

■2/07 薪に思う

雑木林の保育をして除間伐した木を最後は薪にする,、そんなこともするNPOの事務局という立場上、色々な方から薪について質問が来る。結論は「その薪を分けてくれないか」というものだが、歳を召された方ほど分譲する際の単価を聞いてびっくりされる。恐らく、どの家も薪を燃料としていた時代は、必ずしも有料でなく建築廃材や果樹の剪定や不要木で賄っていたころの名残もあろうと思う。だから「願わくばタダで」、という本音が見え隠れする。
 ところが生産する現場を代弁すれば、始めから終わりまで驚くほど「人手」の掛かる仕事なのだ。この工程をご存知の方はゼロに近いから無理はないが、無理解はもちろん、ただ乗り、便乗の申し出はちょっと目に余るなあ、と感じることもある。はっきり言って、今日日(きょうび)の薪は、手作りの贅沢なエコ製品なのである。だから、アガリだけ楽しむというのはあんまりだ、とわたしはシミジミ思うのだ。いや、安く手に入れた薪の、暖だけを楽しむのでは、もったいないし、薪のある暮らしを丸ごと味わったことにはならない、と生産者側としてもっと付加価値を強調したいのだが、そこに時間を費やせるのかどうか、現代人の文化と文明の縮図が背後に透けて見える。暖房が欠かせず、森林王国とも言われる北海道は、これからコモンズ林業を広め、コミュニティの林を美化し薪文化を盛り上げることができるフロンティアなのではないか。
「北海道に移住し、薪生活をしよう」ってな具合に。
■2/07 ハスカップの発芽

ハスカップは原生地でこれからどう新しい個体を生んで更新していくのか、それともしないのか、がまだよくわからない。摘まれないで落ちる実は無尽蔵にあるが実生の苗を湿原のミズゴケ以外では見たことはない。倒れて枝から伏条更新したものも確認したこともない。ただ、簡単に発芽することだけはわかっている。試みに年末の12月27日に、厚真の山口農園で採取したハスカップの冷凍ものを、3つ、園芸に使っていた土に指で押し込んで置いた。1か月後の1月27日に小さな芽をいくつか確認し、40日の今朝は大きいものが10mm近くになった。かつて1個から25本ほどの発芽を見たが、今のところ10本ほどで、右端の赤い実からはまだ発芽が確認できない。いつもなら桜の枝などを水差しして春を呼んだが、何によらずこうして発芽を待つ心は春につながる。
■2/03 間伐した材を運び出す

ゆっくり、朝の情報交換をしてからまずはウィンチで集材したわたしのゾーンへ。半日で伐採したものを丸一日(半日を2回)を費やして林道に引っ張り、それをほぼ2日がかりで玉切りしたところ。これが薪ストーブ利用者の一年分=約2棚生産に要する山の仕事である。
 運び出すのに今日2時間強、8往復くらい。こうして工程のサイクルを頭に刻むと、薪生産の歩掛り(ぶがかり)ができてくる。歩掛りができると、闇に陽が射してくるような気になるから不思議だ。これから割って積むことを考えれば、一軒の1シーズンの薪を作る工程は、普通は割りが合わない。保育の後始末だと考えるから、作業代をある程度ネグることができる

■1/31 エコトイレ再考

↑いただいた避難用簡易トイレ、中央=現在のリーフレット概観、右=当初予定の便座
   
新旧リーフレット比較 ↑↗                 エコ足る由縁は籠の中の落ち葉↗

先日のコープの交流会で、久々にお会いした道林務部OBの方から、米国製の比較的安いエコトイレ(コンポスト・トイレ�)を紹介されました。わたしたちの、落ち葉を利用し土に戻すエコなトイレ、通称「リーフ・レット」に比べ、多少ハイカラにも見えます。ただ外側は自分で作るもの。ちなみに静川の小屋の2階には、山仲間のAさんにもらった防災用のトイレ(写真左)がありますが、わたし的には自分が用足したものは持ち帰らず、コンポストなども介さずに森の中に埋めてしまいたい・・・。
ならば、やはり、屋根付き&白い便座付きの落ち葉のリーフ・レットにこだわりたいと思います。そこで、ラフ・スケッチ(上の写真右)。どうでしょう。中は明るく、透明のアクリル板を屋根にして、2年に1度くらい、4人で持ち上げ少しだけヨッコする・・。


■1/28 昔のように、ひとりで山仕事

週に一度くらいは筋肉を緊張させたい。そんな気持ちもあってやはり日曜日の山仕事と相成った。晴天で無風。怪我しないようにいつもより丁寧に仕事を進める。しかし、掛かり木など難題がやってくるもの。午後、桜の掛かり木も早々に解決できた。自宅の水差し用にと膨らんだ芽を探したが、花芽は見つからなかった。葉っぱはさすがに用意万端の様子。
■1/27 「森づくり」という記号性と過渡期
モリトモと名乗ればなんとなくほんわかした雰囲気が伝わる、と思ったかどうかはわからないが、言葉や看板で作られるイメージを我々はよく利用し、利用させられる。以前から、「みどり」や「雑木林」「里山」そして「森づくり」などという言葉も本来の意味に照らせば、かなりアヤフヤなものになってきた。それだけの期待とニーズがある。
 今日のコープさっぽろの「北海道の森づくり交流会」で、いろいろな報告を聞きながら、森あそびや観察、枝打ち作業などをふくむ諸活動は、森づくりという記号に逃げ込まないで、堂々と森の付加価値に遊び、学ぶジャンルとして新しい言葉を与えた方が良いと思うようになった。
森という記号性が、融けませて来たものを、理論立てて直言する人が待たれている。
 しかし批判的な毒舌ではだめで、森に女性と子供たちが関わりだしていることを積極的に評価し、それぞれの意味を真摯に理解しながら、建設的な体系をつくることである。逆にそうしないと、「伐って育てる森づくり」の理解も進まない。そこが今、欠けていないだろうか。だから、違和感を持つ人もいるのではないか。
 苫東コモンズは森林を場とした環境教育活動には見向きをしないで来たが、札幌ウッディーズもその活動紹介で、同様のスピーチを上手にしていた。もちろん、会場では内容の上で超少数派だった。

 
個人的には何年振りかでお会いする旧知の方、話の内容に興味を持った方、本を買ってくれた方、など20名近くと名刺交換して挨拶をかわした。勉強になった。ちなみに、わたしのテーマは『風土に合わせたコモンズ的な里山管理』だった。
■1/23 藤原正彦氏の「情緒」で連想したこと
数学者で作家の藤原正彦氏が「日本人が発見をするには情緒が必要で、感動を伴った情緒教育が重要だ」と興味深いとおっしゃっていた。恩師・岡潔が大発見の論文に取り組む1年前は芭蕉門下の俳句の研究をしてウォーミングアップしたというエピソードを紹介していた。西洋人の学問的発見は「ひらめき」で日本人は「情緒」だから情緒教育へ、と勧めている。日本人の自然を見る目も、変わった。
 子供ですら森を見て地球温暖化を防ぐずために欠かせない、などとわかったようなことをスラスラ言い、自然は大切だなどという。分類学のようなことも好まれる。教え、教えられる関係も好まれる。だが、それがどうした、と問いかける友人もわたしの周りには少なくないのが面白い。知ったことをオウム返しに答えて何になる?情緒や花鳥風月を歌う意味はどうも計り知れないが、かつて本当に情緒的アンテナがなくなったのか、北大苫小牧研究林でフォーラムをした折にアンケートで探ってみたら、様々な森林の画像に対してあまたのボキャブラリーで情緒表現をしていた。普段は封印している風がある。情緒にはスイッチがあり、情緒の表現の奥に時にその人の人生が見える時がある。

■1/21 心身が行きたがる林で

土曜日はあいにく仕事だったので、合同の作業は欠席して、今日の日曜日、いつものように山仕事に出かけた。心身の健康上、体のどこかに多少の不調はあってもこれは欠かせない営みになっている。昼休みの山林見回りで、クマゲラのモノと思われるドラミング跡を見つけた。上空はオジロワシ3頭が飛んでいた。早春の上昇気流のように見えるが、気温は−5℃だ。
■1/17 森林との様々な関わり方
耳を澄まし目を凝らしていると、森林とのかかわりを求めている様々なアプローチが見えてきます。昨年来の、林業大学やボランティア関係、大きな話としては「新しい森林管理システム」と森林環境税。全国で自治体中心に進んできた森林税や環境税が、国の税制の中に組み込まれて2024年にスタートしそうな流れです。やっと何かが変わるのでしょうか。来月東京で行われる緑のボランティアの助成セミナーに、問題課題の縮図を見る思いがします。かつてお会いした懐かしい方々がラインアップしています。3月には同じく東京で「新たな森林管理システム」と「森林環境税」を考えるシンポジウムが行われます。これは林野庁の企画部門も加わり林野行政と日本の森林の未来について徹底討論しそう。
地元札幌では、12月にきたネットの「北海道の生物多様性を守る、新しい力」と題するフォーラムが行われ、分科会Bでは「森林保全・活用~私が生きる森!森を生業とする新リーダー育成のために」、分科会CではNPOの代表理事でもある瀧澤先生も話題提供した「環境教育~自然体験学習を通じて、子どもの社会課題に向き合う」が行われました。来週開催のコープの森づくり交流会(下記1/9記事)はその延長線上の森づくりバージョンに当たると思われます。いろいろと活発な2017年と2018年、胸を膨らませてまいりましょう。



■1/15 ハスカップ本の編集手伝い、募集しています  
(やっぱり無理かな?)
ハスカップ本の編集スタッフを求めています。2018年度中に発刊を予定しているハスカップの本『ハスカップとわたし』(仮称)の出版は、左写真のハスカップ・イニシアチブのゴールの一つですが、校正や編集など気が抜けない作業が満載です。
目下のところ、草苅が単身奮闘中で、どなたか手伝ってくれるような奇特な方がいないか、ダメもとで探しております。編集業務が好きで、ハスカップのことにもとっても親しみを感じる方で、パソコンの操作ができる方、大歓迎です。ただしアルバイトではありません。完全な地域貢献で、唯一というか、出版の暁には数冊進呈することができます。また出版記念パーティが行われれば、当然「無料ご招待」ということになるでしょう。かく、表立った見返りは少ないですが、やっている間に感じる手ごたえは、半端でないはず。

左の図は、ハスカップ・イニシアチブの修正バージョンで、かなり細かいところまで書き込んでありハスカップのコモンズ・フォーラムはⅤとⅥを計画実施済み。オリジナルバージョンはこちら。北海道遺産はパス、FMは希望。

*さっそく、編集作業のお手伝いのオファーを複数いただきました。ありがとうございます。大変、心強く承りました。適宜、お願い事が発生した折にお声掛けさせてもらいます。


■2018/01/13 晴れ、−5℃の無風
 
雪は15cm、風もなく、絶好の山仕事日和だった。
■2018/01/10 慣れっこになった胆振の晴天

週中日(なかび)の休日、先週やり残した丸太の玉切りに出かけました。道北や本州日本海側は大荒れで、道内の高速道路では交通事故のために不通区間が頻発し、JRも運休のテロップが流れていました。こういう時、胆振は往々にして晴れます。例年、小樽方面から通勤している職場の方々は、「毎日、3回も雪かきするので」と疲労困憊の様子が見て取れることが多いのに、わたしは昨シーズン、除雪らしい除雪はシーズン3回でした。高齢者や腰の悪い方には特にありがたいことです。
■01/09 コープの森づくり交流会         
                                       
コープさっぽろの「北海道の森づくり交流会」が1月27日行われます。25年度に高額助成をいただきました「未来(あす)の森づくり基金10周年特別講演」という形容詞付き。苫東コモンズがいかにして人力100%の人海戦術から効率的作業に代わって来たか、身近なコモンズ林業はやればできること、などを画像で紹介し、時代はコモンズ林業に向かわざるを得ないことなどをお話します。
■01/08 手根管(しゅこんかん)症候群
ここ数年、就寝中にしばしば手がしびれているので、山仕事の昼食時にメンバーの形成外科医?Kさんに聞いてみたら、簡単な検査方法があるとかで早速1分ほどやってみました。それで判明したのがこの病名「手根管症候群」。激しく手首(手関節)を動かす人などに多いらしい。30年近く前、仕事で一棟のログハウスを建てるためログビルダーを自任していた際、やはり夜中に手がしびれていて、その再来か、ぐらいに考えていたのですが、Kドクターは、進行すると手指の不具合が出て腱の移植をしないと治らなくなる、と淡々と脅かします。ネットで検索してみると、動かさないよう固定する補助具などが目に入る。ということは、チェンソーを使う山仕事なんて最悪なんてことになりかねない。それでなくても、以前から傷めている股関節がこの頃はいつになく痛むので、ついびっこを引きそうになっています。「山仕事はいつまでできるのか」。結構、深刻な懸案になってきました。思案の結果、人間は健康寿命を全うすべく、不調を治しだましつつ死ぬまで生きるのが人の道だと思うから、治せるものは治すのが筋だ、と理性は語り掛けます。さて、前期高齢者らしい悩みがやってきました。ストレッチも紹介されていましたので、本格治療の前にこれも試しましょう。頸椎ヘルニアも疑いつつです。
■2018/01/07 新年の山仕事始まる

昨日の大島山林は雪は少なく、風もなく、気温は零度前後。粛々と今年の初仕事が始まった。広く分散して、しかし、材を集めやすい配慮の元、順調に進んでいる。29年度の新規のエリアは、ウインチで集材することにして、今回は初めて自分たちで操作。結構うまくいった。
■2018/01/06 寮生活のススメ
最近、高校の魅力化が取りざたされています。人口減少が進む地方では高校の有無が予想以上に影響が大きく、ひるがえって高校が何らかの形で勢いを吹き返したケースでは、地域全体が活性化した例が絶えないからです。
 高校がどんどん減って、北海道では自治体ごとに高校が一つ以上ある時代はもう終わったとあきらめるべき時でしょう。次には自宅通学をあきらめて広域で寮生活の学校生活を覚悟するのです。これは悲劇でもなんでもない、とサラリを行きたいところ。
 高校と大学という違いはあれ、貧しかったため4年間丸々寮生活をせざるを得なかったわたしとしてはそれがその後の人生において生き延びる知恵、人間力を着けることができた、充実した日々だったと回想するものです。時代は個の生活を重視するあまり、制約が多く自由度の低い寮などに入る者がなくなって廃止されましたが、今度は学生マンションの1階フロアに寮的なサロンが人気を得るようになったらしい。帯広農業高校を素材にしたとされる『銀の匙』の漫画にとどまらず、寮生活はこれからの道を示唆するところ大だと思います。

■2018/01/02 「新」という字の意味

地元の神社にお参り。その神社は糸井山神社。見晴らし台のような丘の上にあって、わたしの住む苫小牧の糸井一帯の氏神様のような存在である。地元の氏子に大切にされている。みぞれ交じりの雨のなか、ナラの林に囲まれた神社は幽玄の世界だった。今年ほど切に世界の平和を祈る年もなかったように思う。
 さて、何気なく使う「新」という字、意外にも樹木と関係が深いことを知った。

「新という字を知らぬ者はない。
然し新という字の真の意味を解する人は案外少い。
元来この字は「辛」と「木」と「斤」との組合せである。

辛は努力を意味し、斤は木を斬る「まさかり」、「大をの」であり、これで木をきること、それから「斤斤」といえば明らかに見わける、
又いつくしむ(慈愛)の意がある。

即(すなわ)ちよく木を愛し育て、それを努力して加工し、
新-あらたなものにして活用するということを表すものである。

こんな深い正しい意味を知らないで「あたらしがりや」など、
目先の変った、ものめずらしいということに軽々しく解するのは、とんでもないことである。

本当に新しくするのには大した用意と努力を要するわけで、
新人などざらにあるものではない。

年の始に勉強せねばならぬことは、先(まず)以(も)って自己をどう維新するかということである。」    『安岡正篤一日一言』より

■2018/01/01 新年あけましておめでとうございます

苫小牧は夜半からの雪が明け方に雨に代わり、昼前に陽が射してきました。2018年の一月元旦、太陽は日の出の時刻に雲の中でしたが晴れればいつもこのような光景が待っています。南は海、北は森と樽前などの山々、毎年変わりなく太陽が昇り、1年が巡っていきます。今年もおおらかに、清々しい気持ちを日々新たに参りましょう。みなさまにとって今年もいい年でありますよう。