薪のある暮らしへ(2)
NO.97
2017/09/03~

この歳になって自宅を薪暖房に代えることにしたところいろいろなことが見えてきた。まずかなり面倒だ

薪ストーブ屋さんは、煙突工事の下見や本番で、なんだか不ぞろいだが、ともかく来るたびに増えてくる薪に興味を持ったらしい

昨年の残ったカラマツを中心に昨年秋の小屋周りでできた薪だそれを愛車プリウスの座席を倒して少しずつ運んでいるもの
つい、薪の話から「薪のある暮らし」に話題は移る
近年は若いカップルが自宅の新築の折に、高価な薪ストーブを買いに来るらしい

また、欧州の今流行の薪ストーブはわたしの目には実用にはどうもかっこよすぎる
いずれもインテリアとして要素が強いらしい。ムードとしての薪だ

業者さんは薪づくり、薪利用がいかに手間がかかるのかを知っていた。薪生活のリアリズムである
だから当方は雑木林の修景を目指した間伐の結果生まれる丸太を、伐って運んで玉切りして割って、さらに積む手間、つまり薪ストーブ生活を自賄いで完結させる半年の作業を話すと深くうなづいていた
問題はこの手間をいつまでやれるか、だ
それはしかし、神のみぞ知る、である

ホリスティック医学の帯津良一医師は認知症予防の秘策の一つは「小動」だという。庭仕事、書き仕事、台所仕事など。山仕事や薪仕事はその雄だ

森や林と付き合う充実は、きっとそういうトータルに近づくほど高くなるのではないか


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雑木林だより トップ



今年の間伐、始まる

2017/11/25 sat 晴れのち曇り 3℃
abe abe-b inaba oyama kai kusa tomik migita seki = 9 persons

まずテント小屋のスタンバイ

山仕事にはいろいろな道具が必要で、準備しなければならないものが多い。もちろん、その前に常に腕を磨くことも必要だが、それは月初めにちょっとした復習と訓練を追加した。今日からはその実践だ。

テント内には混合油やオイル、やかんやコーヒー、人によってはわたしのように安全靴や安全ズボンのほか修理器具など一式を持ち運ぶ。

一冬分の薪は先週あらかた入れたので、今週は焚き付けを作った。カタログでkindling cracker(キンドリングクラッカー、略してキンクラ)を自宅用に買ったのでそれを持参し、それを使ってinabaさんが割ってくれた。これも量がまとまると、腕力がいるもので、さすがに疲れたとおっしゃる。しかし大量のの焚き付けのおかげで、準備万端整った気になってきた。乾いた新聞も持参してくれたし、煙突もストーブもやや太い針金でセットし直して固定した。これで暖房関係も万端。

写真左が、安心の源「焚き付け」、右はわたしの越冬用資材の一部。文化焚き付けなど一切合切を一輪車に積んで朝いちばん、勇躍テントに向かうところの図。

今年の伐採エリア
 
作業前に、今年の伐採エリアについて打ち合わせた。新たに伐採の届け出をしたのは、上の写真左の図にある29と白字で書いた部分。過年度に黒い字で26,27,28と年度ごとに進め、あらかたやり終えた格好。ただし、写真エリア南端の崖の海岸段丘まで50mほどは残して風よけにすることとしている。これらはあと若干手入れをすればほぼ完了とすることに、衆議一決。メンバーは午後からチェンソーをもって各々のエリアに向かった。

わたしは、以前GPSで区域確定した時の記憶をたどって、林小班の境界に写真右上のようにピンクの蛍光テープを付けた。

エリアを確定しながら、これからの伐採木に赤いスプレーで印をつけて対象となる全域をくまなく巡った。ほぼ全樹木を一瞥しつつ、今年の材の生産状況も推測する。しかし正確に当たった試しはない。

林ではいろいろな発見があるものだが、実はこの毎木の調査の時が最も林の仕事の醍醐味が濃厚のような気がする。

今日は写真のように旺盛に萌芽しているナラに出会った。これはこのあたりでは普通の皆伐地では当たり前のことだが、ここのような択伐の個所でみつかるのはうれしい偶然。

また、採り損ねたエノキタケやシメジが見つかることも多い。今日はエノキが随所で堅くなっていた。残念至極なり。

今年の伐採届のエリアを確認しながら、伐採木のマーキングをしていると、ネガエリ直前の太いナラがいくつか見つかった(下)。「苫東方式」の抜き切り対象である。樹木の都合ではなく、こちらの都合で「倒れる前に伐る」。根返った後では根が醜態を見せ林が荒れるから、根が少しめくれ上がったのを見計らって、伐採するのである。

ポツンポツンと倒れた大木は、時間が経過して腐食が入り往々にして放置されるが、倒れる前の生きている段階で伐倒すれば、林は傷まず、荒れず、かつ径の太い材が収穫できる。火山灰土壌で根が浅い苫東では、このように大径木から伐採し、掛かった周辺木もある程度整理して穴(ギャップ)を作って、天然更新を促す方法が得策だと思う。



「苫東方式」の提案

2017/11/20 mon


勇払原野の一角を占める苫東の緑地は、どう扱うべきか。

長い間、官民の関係者の間で懸案になっていたこのテーマについて、ここだけのオリジナルな手法を「苫東方式」と名付けて、土地オーナーである㈱苫東の緑地検討会において提案しました。11月20日に開催されたもの。

広大な、しかも多様な植生を対象に、メリハリをもって、しかもアセスメントの目的に沿った形で、最大限利活用することをめざすもので、地域参加の一環でコモンズの概念導入も重要になります。植えない緑化や森づくり、近自然森づくりなど、林業行政とは一線を画したwordingになりました。

40p余りの資料を作った後に、まとめの言葉として何がいいかを思案した結果、「適地・適木・適作業」という言葉を思いつき、締めのページのタイトルにしました。苫東会社にしてみれば、わざわざ手を染めるには面倒で、マンパワー的にも不足している分野であり、かつ、ディベロッパーの業務としては傍系としか見えない付加価値づくりですから、そのコーディネートなどやりたがらないし、やるべき仕事ではないでしょう。こんなことをしなくても十分土地は売れている、という現状もあるでしょう。

それでもなおかつ、プロジェクトの未利用の隙間を埋めていくためには、やはり、多様な担い手をつなぎ、風土という社会的には共有の資源を、一定のルールで活用していくというのが、道だ、と説いたわけですから、経営者はドン引きしたかもしれません(熱心にお聞きいただいたのですが)。

しかし、若手はこれから「苫東方式」の肉づけをしたい、と言います。なにか、伝わっているのかもしれません。「地域開発」が地域の社会的共通資本=風土に謙虚に、そして大切に扱うべきだというミッション性を、昔から感じていた同志なのかな、と個人的には推察し、経済本位の旅人とはちょっと違うのかなとうれしく思った次第です。



作業テントにストーブ据え付け

2017/11/19 sun 晴れのち曇りのち雪
abe-b (oyama) kusa tomik migita wada +seki = 7 persons



11/18 は低気圧通過で午前中いっぱい大荒れのため、今日に順延した。来るべき冬の作業に備えて、作業テントにストーブを据え付けたり、薪を運んだり、そのほか燃料やオイルや資材なども搬入した。林はこの冬初めての雪化粧だ。

テーブルは昨日の午後、地元のmigitaさんが軽トラで搬入してくれたようで、今日はストーブ据え付けと煙突のセッティングから始まった。大人5人、試行錯誤を繰り返す。テントが一回り大きくなったので畳20畳ほどの広さになったから、モノの置き場所がまだ決まらない。。

作業ははじまったものの、しかし、なかなか煙突の凸凹が合わない。ようやくつないで点火したのは正午だった。夏の間、雨ざらしだったため、床のシートが湿っており、すべてが湿気をはらんでいる。薪小屋においていたはずの新聞紙までも湿って燃えにくい。燃え方も今一つ、みすぼらしく、元気がなかった。これから精いっぱい、薪ストーブを焚いて乾燥させねば。


これでほぼすべての資材を持ちこんだから、週末からはいよいよ、間伐の開始だ。まさに、いよいよだ。


伐って1週間後の薪作り

2017/11/12 sun 曇り時々晴れ 4℃
abe abe-b oyama kusa migita tomik & m shin wada = 9 persons

薪作り




伐倒して1週間後に早々の薪割りをした。定例の土曜日の昨日が、風雨の荒れ模様だったため翌日に順延したのは正解だったようだ。

粛々と、玉切りし、積んで、できたものから割った。また、枝条は軽トラックで小屋周りの外側に搬出した。

一方、北大の中国からの留学生・秦さんが昼前後から、NPOの会員数人にストーブのそばで聞き取りを並行した。尋問を受けるように小屋に呼ばれて、小一時間、シボラレタようにして嬉しそうに現場に帰って来ていた。

それにしても生木は良く割れる。最後の写真のように、節をはらんだ丸太は、乾燥が進んだ段階ではなかなか割れるものではないが、今日は、いとも簡単に割れて作業がはかどった。薪割りとはこんなタイミングでやればいいことを、改めて体感した。体で覚えるとはこのことかもしれない。


Doctor 瀧澤の健康講話と池改修計画

2017/11/07
10:00--11:00

taki kusa shin migita wada seki + 町内会等関係20名
11:00--12:00
kusa wada + 建設業関係者3

瀧澤先生の健康講話(通算3回目)

大島山林の利用促進と、町内会高齢者の認知症予防などを目的に、NPOが企画した瀧澤先生の健康講話は、今年で通算3回目。まず当方が町内会に持ち掛け、町内会と(一社)苫小牧保健センターの共催、NPOは黒子の後援です。テーマは『健康長寿の秘訣 ~お散歩とお喋りと~』。

会場は、今年8月に新しくなった遠浅の公民館。マスクをかけた年配の方が多く風邪が広がらないよう、そして自らもかからないよう気を付けながら拝聴しました。冒頭、高齢化社会(老齢人口が7%)から14%の高齢社会への到達年数が、フランスが126年かかったのに日本はたった24年だったと紹介され、やはり世界で抜きんでいる高齢社会だということを改めて思い知らされます。

また日本人の平均寿命が男性79.6歳、女性86.3歳、健康寿命は男性70.4歳、女性86.3歳と、男女とも心か体が不健康な期間が約10年あって、ラスト10年をどう生き生きと生きるためにはどうすればよいか、と話は展開していきました。運動や食事は言うに及ばずストレス軽減、人付き合いなど、誰でもが心がけで乗り切れそうな身近な予防策が紹介されました。

最後の質問コーナーで、質問が途切れた際にNPOから参加者に質問をさせてもらいました。せっかく、雑木林が快適になったのに、散策利用者がほとんどいないが、来ない、行かない理由は何かというものです。わたしが用意した答えは、

①遠すぎる
②道がわからない
③虫が嫌だ
④ヘビやクマが怖い
⑤その他

というもので、それぞれ数名ずつ、挙手がありました。さらに聞いていくと、普段歩くのは

①開けた人がいるところ
②町内の外周道路
③神社のパークゴルフ場

であり、高齢者特有の安心感のあるところがコースであることがわかりました。これは無理からぬことであり、ご家族も望むところかと思います。では若い人はどうか。

今日の講話に若い人はもちろんいませんでしたが、察するところ、本州の場合と同様、犬でも連れていないと散歩なんか行かない、そんなのは変人のやること、となるのかもしれません。この事実もとても考えさせられます。

瀧澤先生とは、かねてから林を実際に歩いて講話をしてみようと計画をしており、虫のいない時期で、かつ、寒くない日に、(できれば今日のような小春日和がベストだったのですが)やってみたいなあ、と語っていたのですが、高齢の方々がゆっくり歩いて公民館に通ってこられたのを見て、これは無理かなあ、と直感しました。

確かに、ドイツやウィーンの森林散策先進地では、散策路のインフラがはるかに整っており、ハンディキャップを持った方々がもともっと入りやすい仕組みができています。彼我の差に改めて思いをいたしました。

■アイリスの池の改修計画

アイリスの池にたまった落ち葉のヘドロを掻きだしたいという思いを町内会は持っていて、当方は相談相手や鯉の放魚などで応援してきました。先日、知人の企業から地域貢献事業の適地はないかと打診があり、遠浅の池の改修を提案したところ、先方も前向きに検討してくれることになりました。

講話には町内会長やwadaさんなど町内会役員が2名いらっしゃったので、さっそく概要を話しました。当然渡りに船となって、そのあと、施設整備関係役員のwadaさんと、地域貢献事業をしてくれる会社の3名の技術者、それと間をとりもつ当方(草苅)で立会。はなしはとんとん拍子に進みました。

この作業はすでに町内会も専門業者に見積もりを依頼しており、結果50万円以上の経費に町内会はもちろん、管理委託している役場も手が出ず、断念していたものです。

遠隔地の汚泥処理場などでなく、できるだけ現地の湿地に流し込むようなエコな自然仕立てで、かつ、ヘドロをさらった後は、町内会が鯉などを放流するなどフォローしてほしいとお願いして、散会しました。


晩秋の雑木林で

2017/11/03 雨のち晴れ 10℃→4℃
kusa + 青年寄宿舎OBなど4名= 5persons
2017/11/04 晴れ 5℃
abe abe-b inaba oyama kai kusa tomik & m wada shin = 10 persons

■友あり、遠方より来る

 
40年以上前、札幌の植物園前の寄宿舎で、少しペーソスの漂う、悲喜こもごもの、貧しい学生生活を共にした友人らが小屋にやってきた。取り立ててもてなす品々はないけれども、安着祝いのあと、葉っぱの落ちた雑木林を歩いて、暗闇のなか焚火を囲んだ。雨の予報だったから覚悟していたが、あにはからんや、雨は昼過ぎに上がって夕焼けと星空を楽しんだ。

酒のさかなは、やはり共有した思い出である。学年ではわたしより1,2年若い友人だが、共同生活だから、通り一遍の付き合いでは知りえない個人の心のひだも少しは読めるような仲になる。この日来た一人は、この人間模様を小説に仕立てて、ある有名な作家が委員長を務める文学賞で受賞したほどである。その主人公は、なんと山に登っていた時代のわたしだった、という話をかつてどこかに書いた思い出がある。

青年寄宿舎の悲喜こもごもと、寄宿舎に寄せる思いは『宮部金吾と舎生たち~青年寄宿舎107年の日誌に見る北大生~』(2013年北大出版会)にまとめられたが、今回小屋に集った者たちは、この出版に先立つ2,3年前に、寮の存続と廃止を描いたドキュメンタリー『百吟フロンティア』に登場人物として昔を語り、作品は東北で開催される世界のドキュメンタリー映画祭に出品された。2005年の話である。

監督は熊本出身で当時早稲田大学の院生だっただろうか、若き遠山昇司君で、その後メキメキ力をつけ、海外のコンクールで入賞している。

このドキュメンタリーのBGMは、貧しさのあまり大事なギターを売って、代わりに手に入れた壊れかけたギターの演奏と弾き語りで、演奏者はナント、わたしである。この映画のための演奏ではなく、今回のO君が、わたしの演奏を学生時代にこっそりテープに採っていたもので、掃除をしていたら出てきたから草苅さんにあげるよ、という実話(手紙)から物語は始まっている。

そのあと、『森と水の庭・ウトナイ』というドキュメントにも出演した。勇払原野の映像には不思議に縁があるようだ。そのころ、『林とこころ』の出版もしているから、あれらは勇払原野の産土(うぶすな)の導きではなかったか、と密かに思っている。

■チェンソーのスキルアップ講習~小屋を守る特殊伐採~
 


毎年恒例のチェンソーのスキルアップを図る内輪の講習会。
講師はメンバーでありプロの伐木エキスパートabeさん。

今回の講習は、小屋の屋根のスレートに苔が生えてきたのを契機に、小屋建築の際に残し過ぎた立木を間引きするもの。

したがって、小屋の屋根にかかりそうな木や、テラスを直撃しそうなもの、さらに伐倒する際にかかり木になってしまうものまで切る必要がある。

小屋や施設を傷つけないで済ますにはなかなか神経の使う作業で、トップの写真のように、安全をとってロープをつないでおく作業も求められた。

講習は午前の座学からスタート。半年ぶりの作業を前にして、忘れかけた基本事項をもう一度頭と腕に刻むにはいい機会であり、各自、真剣に質問や体験談を挟む。伐倒作業の主たる担い手たちも、実際に伐倒をして講師やメンバーの講評を聞く。危ない、すれすれの作業は講師がやる。

屋根にぶつかりそうになったり、ギャラリーを直撃しそうなケースなど、文字通り危険伐採の範疇に入れてもいいかもしれない。何が危険かといえば、作業の周りに人間がチョロチョロいることだ。こういう危険な目に合っていないと気づかないし、気づけない。広葉樹伐採はしばしばトラブって、思いがけない展開になるものだ。

100点を求められ、それを目指さねばならない講師はさぞや大変だったと思う。ただおかげで、小屋周りはかくも明るくなった。

育林コンペのプレゼンと第8回総会

2017/10/28 sat 晴れ 13℃
abe abe(b) inaba oyama kusa migita miyagawa nisino sekimura tomik & m wada + takizawa = 13persons

育林コンペ、プレゼンテーション

育林の経過と仕上がりをゆる~く競う「育林コンペ」第2ステージを開始して5年ほど、本格的に動き出してからは2,3年になりました。平木沼の近くの市町境界林道沿いに、一人または1グループあたり0.5ヘクタールずつ受け持った雑木林を、各自のアイデアで手入れするものです。

目指すところは大雑把に言って「美しく、快適で、持続的な林」。薪づくりや刈り払いが一段落した8月あたりから、全6か所のオーナーは思い思いの日時に「わたしのヤマ」に通っていました。見た目もだいぶ変わってきて、今日がそのアイデアと仕上がりを自慢するプレゼンの日。なかなか熱がこもったプレゼンと意見交換が続きました。


トップバッターはoyamaさん。もっとも紅葉が鮮やか。2番手はinaba、migita、wadaさんのエリア。

2番目のエリアの特長は、留学生の秦さんとinabaさんによる「万里の小枝」。3番手のkaiさんは学会で欠席のため、プレゼンの内容を書いたメールを草苅が代読。4番手のabeさんエリアは今のところ、仕上がりのトップモデルか。

tomik & m チームは、北大の学生が担当していた時とは様相が一変する進捗。tomimさんが目指す雰囲気を数枚の絵コンテで紹介しました。

育林コンペのそもそもの目的は、
参加者各位の理想とする林に向かって、作業して実現してきた現況の結果について公表し、相互に評価をすること。またそのことを通じて、様々な目標とアプローチがあることを、相互理解すること、かつ、地域社会にこのような里山保全手法について発信すること 」としており、どのエリアも、林業ではありがちな「伐採跡地」的な荒れた風景を排除し、歩きたくなる林を目指して一歩踏み込んだことは事実のようです。

■第8回総会



懇親会を兼ねたBBQを挟んで、午後2時からはNPOの総会。決議事項はなく、すべてが報告事項で、懸案の意見交換をしました。

懸案①省力化に向けた薪割り機とポータブルウィンチの購入について

いずれも稼働日数が短く、一台あたり20万から30万円を投入するのはいかにも惜しい。レンタル、借り上げの道を探りながら、しかし前向きに対応。薪代金の値上げが心強い。

懸案② 「ハスカップとわたし」の出版

現在、草苅が編集作業にはいった。自主出版から助成金申請、賛助費の依頼など方法はいくつか考えられるが、最も簡単な方法はNPOの予算であるまとまった冊数を印刷し、買取りと販売で資金回収する方法。借入、私募債なども視野に事務局として再検討。

懸案③大島山林N利活用と遠浅町内会との連携

利活用は徐々に進展しているとの見方。ただ、5月の薪積みとBBQ懇親は来年は不要との意見が多く、実施しないこととした。5月の探鳥会、9月のキノコの会、11月の健康講話とする。

懸案⑤作業分担

28年末から取り入れた分担作業の実施経過を鑑み、現状をもとに作業分担表を作成した。フィールドが広いので、分散して作業することも出てくる。携帯で連絡を取るなどでこのまま実施していく。その場合、作業画像を事務局に集約か。

■やはりいた、タヌキ



テラスの床下に何者かがいると疑われていましたが、大勢のいるこの日、真ん中の天蓋を空けました。
いました。タヌキです。以前も会合の最中、わたしたちの方に歩いてきたり、わたしが泊まった日の朝、窓の下の陽だまりで震えながら寝ていたり、という伏線があったのでもしやと思っていましたが、やっぱり、いました。

最近、小屋のすぐそばで「ため糞」状態でフンが見つかっていました。フットパスではしょっちゅうでした。それにしても、毎週、テラスの上で人が行き来し、この日も10人以上でうるさく音を立てていたのに、ふたを開けられて数秒は寝ていました。よくぞそんなのんきで生き延びれるものです。

ちなみに、青大将は「ミドリちゃん」、オオタカは「アオちゃん」、ではタヌキはなんと呼ぶ?脇の瀧澤紫織先生(NPOの代表理事)と目が合って、この頃マスコミで何かと話題になる「シオリちゃん」ではどうかとあいなりました。「オスかメスかにかかわらず」と瀧澤さん。LGBTの時代ですからね。(笑い

2014年4月19日、窓の下の陽だまりで震えていたタヌキは下。
 


秋色、濃い苫東コモンズ

2017/10/21 SAT 曇り時々晴れ 16℃
abe inaba oyama kusa tomik & m wada shin guest1 = 9 persons

■今年の紅葉具合を写真メモ

 

朝8時半、東京から来たかつての山仲間をJR南千歳でピックアップし約2時間半案内した。大島山林は歩き始めてすぐ、おととしにわたしが伐採した腐ったシラカバの樹洞と根元に今年一番大きなキノコのひと房を発見。ヌメリスギタケモドキ。

郷里ではヤナギモタセなどという人もいた。この春の探鳥会でも、隣のシラカバでみんなで採取したのを思い出す。見事だった。このキノコは思いがけない時期にひょんなところで見つかるので重宝するときがある。味も良い。

それに劣らず、紅葉も静かでおとなしく見事だった。初訪問の古い山仲間は、北関東に2ヘクタールの林と小屋を持っていて里山暮らしにも慣れているが、同じコナラの北国の林にしばし見入っていた。北関東に紅葉前線が南下するのはあと2週間ほどか。

 
 
 

小屋周りも、その奥も素敵だった。安藤沼からの排水路を渡る手前で、2頭のシカと出会った。一頭は黒いオスで逃げずにこっちを見ていた。

育林コンペではwadaさんがすでに仕事をはじめ、abeさんとすれ違った。oyamaさんのコンペゾーンがひときわ鮮やかに紅葉が映えていた。オーナー看板にデジカメを置いて自撮り。

■北大留学生・秦さんの聞き取り対応に協力のお願い

先週から、中国は瀋陽から北大に留学している秦ヨクカさんが修士論文のために来訪。長らく来なかったので、念のため担当のM先生にも本人にも聞いてみたら予定通り苫東コモンズをテーマにする予定とのこと。

あと3か月で仕上げるというので急ピッチかと思われる。昨年の参与観察はまあそれとして、これから集中して書き始めるのではないかと推察。これから毎週合流のつもりとのことで、NPOメンバーへのヒアリングも随時行われるかと思うので、協力をお願いしたい。M先生からもよろしく、と言われている。

また、JR南千歳への送迎も交代でお願いしたい。10/21はメールのやり取りでミスがあり、せっかく南千歳に指定の時刻についていたのに、拾うことができなかった。

約束事に関する返事は、つながるまで最終確認が必要だ。仕事などでこちらが依頼主であれば、最後は直接話すところまで追いかけることが多い。

即。返事するわたしは、リズムとして時間がたったレスを見逃したりしやすい。携帯に転送したもので要件を足すことも多いので、この間の不具合で不通になることもあるから、予防策は欠かせない。

メールして、「今、メールを送ったので・・」と電話で会話する光景は、20年前と同じだ。何のためのメールなのだ、電話代がもったいない、と当時は笑い話だったが、これだけ受送信で行き違いがあると、笑えない必要策だと思う。


小屋掃除

2017/10/14 sat 晴れ 15℃程度か
abe abe-h inaba oyama kai kusa tomik wada shin = 9 persons


年に一度の小屋の片付け、掃除


 

 

先週のテラスの防腐剤塗りに続いて、今週は小屋の大掃除。特にロフトに置いてある各種機材を取捨選択し、捨てるものはドンドン捨てることになった。しかし、ひとつひとつ確かめると、結構、有用なものも多く、捨てるに忍びない。しかし、燃やしてしまえば、あったことも忘れ執着は消える。不思議なものだ。断捨離の冥利。

先々週、煙突が詰まったというので、久々の煙突掃除もした。ずぼらを決め込み、ここ2年していなかった。というのもいつも、ススがなかったためだ。労多くして問題なしだったのでつい怠慢して来たのだった。

今回、外してみると、oyamaさんが蜂の巣を発見。これが原因だったと判明。2段の巣を包む覆いもあったから、スズメバチの一種だと思うが、煙突の足場に登っていると、周りにクロスズメバチのような蜂が数匹やって来てた。あれだったのだろうか。

BBQ用のコンロ、割れた煙筒、空き瓶と缶など280円で廃棄物処理場へ運んだ。重くて古い刈り払い機は捨てるためにタンクを外したり分解しなくてはいけない、とわかり、小屋の縁の下に、タダの移動。床下のクギのついた廃材なども、焚き付け用にとストックしていたものだが燃やしてしまった。

煙突は損耗が激しいので来週、新調することにした。これで再来週28日のNPO総会は、万が一、雨が降れば小屋の中でアズマシク開くことができる。

■丸一日で軽トラ2台分ほど伐れる

 

一日、軽トラを借りたので、ゴミ捨ての前後に育林コンペを2往復して、丸太を運搬、小屋わきに積んだ。9月30日の半日と10月8日の半日、合計1日で軽トラ2台分、間伐ができることがわかった。1台で0.5~1.0㎥程度、仮に0.75㎥、1日2台分の1.5㎥とすれば、年間の薪使用量を6㎥と仮定すると4分の1を一日で生産できることになる。つまり、4日実働し間伐すると1年分の薪は作れることになる。

なんと、効率のいいことか。トビで藪だしもしての話だから、我ながらこの歩掛り(ぶがかり)に心底驚いた。「4日働けば、1年分の薪を生産できる。・・・」正確な数字はともかく、そして林道の脇であることを考慮しつつ、このサイクルタイムは覚えておこう。つまり、大島山林でウッディーズ約8人が一人8日間伐すれば、1シーズン16軒分(昨シーズンは10軒)の薪が出ることになる・・・はず・・・。獲らぬ狸の皮算用。

久々に北大文学部修士課程に留学中の、中国は瀋陽の秦さんが来た。inabaさんが南千歳に迎えに行ってくれて、手伝った。ゴミ捨てと薪運びも一緒にやってくれたが、当初予定通り、苫東コモンズの里山環境整備ボラの活動をテーマにするつもりなのか、この肝心の部分を聞き漏らした。おバカな話(笑い


なつかしい、ひとりの山仕事

2017/10/08 sun 晴れのちくもり
inaba kuri kusa = 3persons

(10/07= wada kai kusa = 3 persons)

■テラスの防腐剤
 (写真を撮り忘れたため昨年の10月8日の分を使用↓)

 

前日は雨のため、予定を一日延ばし8日の日曜日にinabaさんがテラスの防腐剤を塗ってくれた。kuriちゃんが午前中来て小屋のベランダを担当してくれたよし。能や歌舞伎の舞台のような(見たことはないが)ステージに仕上がった。

虫がやってきてのたうち、死んでいく。揮発性の何かに吸い寄せられるのか。さすがの防腐剤。inabaさんによるとクレオソートをマイルドにしたような製品らしく、源はクレオソートらしい。2時過ぎ、現場から戻り合流。inabaさんは作業で汚れた服を惜しげもなく燃やした。オニヤンマがやってきたとinabaさんがいう。見ていると、水面に卵を産むときのように、板の上を水面のようにチョンチョンと尻尾をリズミカルにつけてしばらく飛んでいた。なにと見立てて何をしていたのだろうか。

■ひとりの山仕事、トビで藪だし

 
 

紅葉する直前の林も控えめでいいもの。緑がフェードアウトしていく。いち早く赤くなったのはツタウルシ。わたしのゾーンには1本、カツラの木があって静かに色づいて葉っぱを落としていた(右)。
 

9時前について小屋の林を回って9時半頃に育林の現場へ。摩耗して切れそうだったソーチェーンを代えたので、すこぶる切れ味のいい日だった。珍しく見つけていたシナノキを残すべく、直径25cmほどのナラを、重心とはやや角度のある方向へ伐倒する作業も実にうまくいった。材は70cmものはかなり重たく、20から30mの距離をトビで転がして林道へ藪だし。

岩手県の遠野市で馬搬をやっている岩間氏と話をしていると、彼は斜面はトビを利用して下の林道まで移動させると言っていた。平地は人力で転がさなければいけないが、持つよりはいい。重機を使うほどの量でもない。耐えて耐えて、回数をこなせば、いつかは終わる。

昼は、移動が面倒なのでinabaさんに携帯で詫びをいれ、林の中で済ました。そのためにオニギリだけにしたのだった。前の会社が経営破たんしてから10年近く、こんな風に山仕事は独りでして来た。作業の危険と野生の生き物に神経をピンとはって、ルンルンの楽しさとは真逆の、内面を見つめるような日々だったのを思い出す。思えば、あのころ、サイエンスでもメンタルでも、いろいろなことに気がついた。そのおかげで今日がある、とつくづく思うこの頃。

キノコは見るべきものがないが、エノキタケが出ている。もう少し大きくしてから頂こうか。

雑木林はマズメ時(どき)にモノノケが匂う

2017/09/30 sat 曇り時々雨、時々晴れ 18℃
abe-b abe-h inaba oyama kusa tomik & m = 7 persons

風景を変えていく楽しさ、違いの面白さ

 
 

 

育林コンペの中間の合評会が近くなり、6つのゾーンで今、積極的な作業が進められている。着々と風景が変わっていく楽しみがあり、だからそれぞれに達成感もある。ただし、里山という生き物は手を離すとすぐに元の風景に戻ってしまう。戻ってしまう悔しさと懐かしさがあるから、わたしたちのような生活に根差さないエセ里山的な作業でも続けることができるのではないか。

そんな風にも考えることができるが、ある意味では、たゆまなく未完成のキャンバスを与えられていると考えてもいいだろう。ややアートに近いように気をまわせば、見てくれるギャラリーも必要だ。ちっともはやってはいないが、われながら良いアイデアだったと思う。今から20年前に始めて、第2ステージの今になってようやく真価が見えてきたように思う。

雑木林の風景を創るクリエーターとギャラリー。いろいろな雑木林の保育方法の一つとして、心ある人が見に来るような場所になれば、目的は100%達成だ。

左上のような、枝(うらき、ともいう)をところどころにまとめて見せるだけでも人気(ひとけ)がしていいもの。このまとめ方にもう少しデリカシーがあればまた違った見え方になる。

これを見て思い出したのだけど、今から20年近く前に初めてドイツに行ったとき、あの有名なポツダムで保育された広葉樹林を見た。そこでは枝をとても細かくして15mほど感覚を置いた列(帯)を作っていた。当時はビオトープがもてはやされていた時代なので、それかな、例えばネズミのコリドーかな、などとと思ったのだけど、いやいや、枝を片づけるアートだったのかもしれない。等高線のように高さ30cmほどに規則正しく並べてあるものだった。

abeさんのゾーンは今日は兄弟そろって実習がてらの作業だった。わたしは股関節の痛みを覚えつつ伐倒と丸太運びをして小さなふた山を作った。一日の力仕事は今のところその辺が限界のようだ。

夕方5時の雑木林にて

 


夕方の5時、もう日が傾いてアヤシイ光線に代わったマズメ時に、大島山林に行ってみた。2週間前になんとかお願いしていた広場の2回目の刈り払いも終わっていて、ようやく冬を迎える身だしなみになっていた

写真ではマズメ時の風景の色が出ていないが、実際の林は弱弱しく赤味の交じった風景になっていた。

ピッという鋭いシカの鳴き声にはっとして音の方向に目を向けると、お尻の白い若いシカが数頭、林の中をかけていくのが見えた。今日シカと出会ったのは2回目だ。

ボリボリが生えている気配はなく、テントのあたりで鳥の羽ばたきの音を聞いた。

マズメ時はモノノケのにおいがする。雑木林はなおさらだ。日中、鳴りを潜めていた生き物たちの精や、モノノケのようなものが躍動を始めるように感じる。人を詩人にする雰囲気もあり、狂人にするパワーもありそうだ。気の弱い人や無防備の人は落ち込むかもしれないからむやみに入らない方がいい。

思想家の中村天風は、夜の世界こそはわが生命が宇宙霊の絶大な力と結び合おうとする尊いときであると同時に、心無く生きる人を向下に堕とす悪魔の跳梁する心許すまじ時だ、と断じている。マヅメ時はその直前であるから、この時間帯に人のこころはゆれるのである。

ドイツ人はこのマヅメ時に急に寡黙になって自分の世界に引きこもってしまう、とドイツ文学者の高橋義人氏が著書『ドイツ人のこころ』に書いていた。わたしは、五感が研ぎ澄まされて生きかえった心地がする。


今日の発見

2017/09/27 wed 曇り 20℃くらい

薪割り完了

 

中日の休日は、雨の降る前に静川の小屋にいって薪割り。昨年の育林コンペの丸太をやっと整理できた。プリウスの後部座席を倒してこんな風に積んで6回目か。すべて割り終わってあと少々運び残しただけ。ひとりの昼食を自撮り。

今日の発見
 
週末に雷が鳴ったので、おそらくこれで環境に刺激があったのではないか、とボリボリの大発生を期待したけれど、静川はほとんど変化がなかった。クリタケ、チャナメツムタケのみ少々。ヤマイグチはいくつかまとまって出ていた。kousuke さんが facebook にコウライテンナンショウの実でディスプレイしていたので我もと採取。

今日の発見
①ホオノキの根元でカラスヘビ。以前、木になるベンチの薪にいたアレかも。
②スドキの実生発生がほかに2か所あり。意外と飛んでいるということのよう。計4か所に自生確認。
③クマゲラ参上。久々。

今日の発見ではないが、食害の被害にあっているミヤコザサにハマキガのような葉がいくつかあったので、もしやと開いてみたが中は空だった。イコロの森はミヤコザサが開園後初めて花が咲いているようだが、こちらは花は見えない。
 


キノコ食毒判別会

2017/09/23 sat 曇り 18℃くらい
inaba oyama kai kusa tomik & m wada migita = 8 persons +町内会から 10名ほど

今年は今のところ、やや不作



今年は今のところキノコの発生が芳しくありません。23日の食毒判別会で20人余りで採取したキノコは食毒は別にして27種ほど。しかしボリボリやラクヨウ、エノキタケなどわたしたちがよく食用にするポピュラーなものはごくごくわずかでした。

23日夜、かなり強烈な豪雨があったので、これが引き金になれば、今週あたりから本格シーズン開幕か、それともこのまま閉じるのか。
毎年、季節の山菜を食べないとシーズンが終わりませんから、ぜひ始まってほしいところ。

さて、大島山林の利活用の一環で進めているキノコ食毒判別会は、おそらく通算で4回目くらい。胆振きのこ菌友会の会長でもある当NPOのoyama理事が講師。食毒を誤って起きる事故が絶えないので、このような判別スキルのアップはぜひ必要ですが、もうひとつ、この快適な林にぶらりと散歩に来るきっかけになればしめたもの。

11月7日は精神科医・瀧澤先生(当NPO代表理事)の健康講話のサブタイトルも「散歩とおしゃべり」。安平町全体に参加を呼びかけます。認知症予防や心のセラピーともからませ、雑木林のトータル利用につながれば。

秋の風景

写真左上から順に

①アイリス公園の桜並木と池の間にあるイタヤカエデのうろにスズメバチが巣をつくり、22日、苫東の関係者が3名ほど刺された模様。その後、町内会で防護服で撤去したとのことだが、まだ残骸が残っていて蜂が出入りしていた。2cm強の茶色系。キノコの下見に来たoyamaさんもこれに気づいた。役場では11月ころに伐採してくれるよう町内会に依頼した模様で、町内会のwadaセミプロが担当の見込み。。

②9月13,14日に右田さんとsekiちゃんが完成させた作業テント。ざっと畳20畳ほどもある。あの小さな薪ストーブでは寒いのではないかとの心配も出される。天上の支えも怠りなくつけよう。

③④シドケの花が満開。そのうちの何本かを摘んで、午後、静川の小屋のAブロックに挿した。3年後の32年に出るはず。今は花穂の状態だけど熟して綿毛になって種が落ちる、はず。そのころは落ち葉をはいでやろう。



 
 

⑤⑥フットパスがよく刈られていてキモチ良い。キノコ探しもフットパスあってのことだ。今年も、他のメンバーが薪やその他に手を煩わしている間にabeさんが刈り進んでくれたおかげ。

このような、いくつかの用務を手分けして進める方式は定着するはず。サインは誰、燃料調達は誰、資機材管理、小屋担当はだれだれと担当を固めて行くのがよさそう。さしずめ、abeさんはフットパス担当になってもらい、サブのほか手すきの人が随時サポートする。これは刈り払い業務の特長だ。

このほか、土地所有者との交渉、出納と会計、理事会と総会準備などの総務、広報、調査研究なども実はある。そろそろ分担の試案を固めようと思う。
 
 
⑦自然の花や実、赤い表現はなぜするのか。この日はこのコブシの実のほかにホオノキの赤い実が落ちていた。静川も大島山林もこの赤い実のなるコブシとホオノキ、特に静川はウシコロシが多い。色で鳥を呼ぶのだろうか。その割には市街地に多いナナカマドの実生苗というのはあまり見ないが。

⑧キノコ採取と称しながら、わたしは実は秋の雑木林を楽しみながら観察した。うれしいニュースは、伐採後の切り株からかなり萌芽がみられること。悔しいことにウサギとシカの食害にあっている。

キノコの日にちなんで振り返れば、この日、ボリボリ、エノキタケ、ヌメリスギタケなどを少量ながら採った場所に共通しているのは、湿り気と蚊。蚊はちょっと嫌な藪や腐った丸太の積んだあたりに多く、キノコはたいていそこに見つかった。辛うじて蚊が生息できるじめじめとしたところにキノコがでる。蚊の少ない今年は、湿り気が決定的に欠けていたのか。



コモンズの悩み

2017/09/16 sat 曇り時々雨 19℃くらい
abe inaba oyama kusa tomik & m =6 persons


■山持ちの気分

 

今季は昨年の反省にたった作業のゆとり創出が成功して、育林コンペで山持ち気分を味わっている。4人は早々に育林コンペのmy forestに出かけて、わたしは3日目になる薪割りを小屋で約2時間。

なかなか進まないがこの超スローな感じは、なんというか、大げさに言うと生きている実感みたいなものがある。自分と家族の暖ひとつとるため、の各作業をこなしてようやく各家に「」ばれ届くわけだけど、いかに人力というものが非力かと、いやいや大したもんだ、という両面を感じ取る。

燃やしてみてようやく、コトの完結性をみたような気になる。しかし、一家の主としての原始的な責任感ミタイナモノがあることに気づかされる。暖は北海道においては命綱であるから、コトの重みは九州とはだいぶ違う。ちなみにプリウスの後部座席を倒して積んでいる一回の量は下記の写真。3,4日もつだろうか。これを山仕事の帰りにを毎回やっているところ。

育林コンペは「自分で切ったものを自分の家の暖に使える」という珍しく可視化された連続工程感がある。通常は一括プール方式だから、そこが分断される。逆に言うと、ひとりで用意しなければならない、という状況にあったら、家族への責任とプレッシャーに毎年さいなまれることになるのではないか。楽しんでなんかいられないような気がする。「お父さんの仕事でしょ」などと突っぱねられたらツライ。みんなでの作業に感謝せねば。


■コモンズの悩み

久々に見た無傷のラクヨウ(oyamaさんの採取物)

夜、理事会後のウッディーズ懇親会で、migitaさんが「山のいつものフットパス沿いにボリボリが大豊作のところがあって、inabaさんに教えてあげようとしていたら、見知らぬ人に全部採られてしまった」「採った男に、このキノコはある人にあげるために、第1発見者のわたしがそっと残していたものだ」と権利を主張したらしい。

すると相手は、「山林は広いからまだまだあるよ。心配いらない」みたいなことをうそぶいて林を去ったらしい。買い物袋二つのボリボリをもって。

ついに来た。コモンズの悲劇だ。一定の広さの中に大勢が入り込むと、一人分の分け前が減ってしまうというもの。これを邪魔されないようにするためには、ある特定の権利をはっきりさせ(できれば登記)、縄を張る成り、警告を張り出して公表せねばならないだろう。権利を認めさせる?誰に?これが大変な話になる。

なぜなら、コモンズは土地所有者の囲い込みをやめてもらって、不特定多数の住民、地域の人々に開放するのが目的だった。フリーアクセスを認めてもらったのだ。「せっかく、わたしたちが手入れした林であるから、わたしたちにまず採取の優先権をくれ」といっても当初目的から言ってもNPOのミッションからみても、筋を通すのは難しい。それなら、いつでるからないキノコを日々観察すればよい、ということになるだろう。ま、第1発見者であり続ける努力だ。

地域の人々は、「近年、大島山林は、誰だか知らないが奇特な人がいて、いつの間にか林の手入れをしている。おかげでよくキノコが出る」という静かで地味なうわさが広がっている、可能性が高い。

これはこれで実は悪いことではない。ミッションから言えば喜ぶべきことなのだ。忘れてはならないが、わたしたちは地域の人がキノコの食毒を見分けられるよう、食毒の判別会までサービスしているのだ。が、分け前が明らかに減る・・・。この割り切れなさに、当分、気持ちをかく乱させられる人もいるかもしれない。いよいよ、コモンズの悩みが始まった


手入れを任された0.5haの雑木林で

2017/08/09 sat 曇り時々晴れ、午後にわか雨
abe inaba oyama kusa = 4 persons

林のひとり

  

今日は予定通り、4人、各々の育林コンペゾーンへ入った。abeさんは林床をきれいに刈り終えて枝や倒木の整理を始め、やがて抜き切りに入るという。

oyamaさんはチェンソーで何やら片付けをし、inabaさんは右田、wadaゾーンに刈り払い機をもって臨んだが、エステ(美しい森づくり)にはちょっとほど遠いとして、abeさんのフォローをしたいとおっしゃる。それもよくわかる。

お昼に小屋に戻ったのはわたしとinabaさんだけ。残り二人は育林の現場でバラバラに済ましたらしい。孤独を愛する男たち、と良く冗談で言うが、それがメインというより、わずか2km前後でも一旦道具の出し入れをすること考えると実は面倒だ。

それに持ち山に独りたたずむのも悪くない。なんだか、自分の山、という感じが少しするものだ。任された林でも、人間はつい、大事に育てようと思うものだ。わたしは苫東が破たんしてから10年あまり、そうして独りで山仕事をしていたから、なんとなくそのことを思い出す。

わたしの方針
 



南隣のabeさんの林がきれいに刈り込んだのなら、と、わたしは刈らないことにしている。その代りフットパスを作り人工的なものを持ちこむことにした。林道沿いのエッジのみ刈りこんで(上左)、沿道をこれからもう少し抜き切りする。わたしのゾーンは太く混んでいて、昨年、伐ったゾーンには写真上右のように陽が射す。

フットパスの方には思い切り人工的なもの、例えば簡易なベンチを置いてみた(下2枚)。人工的であるために、ベンチの板は赤く塗ってみた。いわば、日光東照宮とまではいかないがちょっと異質な赤を入れてみたのだ。いずれ、高さ1~1.5m程度の小さなツリーテラスなども作ってみたいところ。

書き忘れたが、ベンチは自分の林やフットパスを眺めるというよりも、隣のabeさんのところをながめるようにもして、境界に据えた。借景である。また周辺の雑草は、ヒトリ(フタリ)シズカとオシダを残してササを刈った。そう、ここでは独り静かに座って雑木林に融けるのである。


薪の乾燥具合について

2017/09/06 WED

■水分計による実測

遅きに失した感もありますが、自宅用に安い木材用水分計を買ってみました。よそ様に販売もしているという責任感ゆえ、そちらも調べたい気持ちもあります。それで

①大島山林の外の薪と小屋の薪
②外側と内側
③小屋の薪については表と裏

について差を比べてみました。

結果は、小屋も野ざらしも木口の湿度は4~15%程度で、薪の標準とされる湿度20%はいずれもクリアしていました。

ただ、少々湿度が高いとされるのは薪小屋の裏。ここは20%すれすれが多く、乾燥は遅々としているという印象でした。

今回は薪小屋の内部まで踏み込むことはできませんでしたが、外積み、小屋積みともさほど差がないこと、小屋裏は乾燥が遅いこと、などが判明しました。

なお、薪に求められる水分含量が20%以下だとすると、前年度末伐採の広葉樹は、その年の秋には薪としてほぼ使用可能な含水率まで、おおむね下がっているということがわかりました。

しかし当年の薪の場合、、「木口から水蒸気が出る」「今年はあまりあったかくならない」などの声もありましたから、割ったその秋から使用するのは見合わせた方がよさそう。もし、使う場合は、乾燥の遅いナラを除いて白樺や桜なっどを使うのが得策かも。


地元紙が取材に

2017/09/02 sat くもり 20℃
abe kusa tomik = 3 persons

■昨日から北海道新聞が取材



何がきっかけかはわからないが、先週だったか北海道新聞から携帯に連絡があり、取材したいという。9月1日が代休だったので、朝一番に取材に応じ、2日の土曜日は現地取材したいというので応じた。

あいにく、表記の3人しか来なかったので、とかく、増加や拡大や進歩、成長を描こうとするメディアとしては拍子抜けする人数だったようだが、わたしは、地域活動はそうでない、そんな華やかさはかえって地道な地域活動には邪魔で無縁だ、と昨日から強調していた。負け惜しみに聞こえるかもしれないが、本当だ。

そんなわけでこの日はお二人が主に取材を受けて育林コンペの現地も紹介した。実のところ、コモンズの概念を含めて全容を理解してもらってバランスある記事にしてもらうのは至難の技だ。どの辺が強調されるのかは不明である。ただ、外部から見たままの姿を地域広報してもらうのはメリットもある。そんなつもりでできるだけの協力をさせてもらった。

■薪のある暮らしへのステップは手ごたえあり(ただし、やせ我慢も)

 
9月2日は育林コンペの各々のエリアで自由活動の予定になっているので、わたしは昨年秋に半日を2回ほどで間伐した材を運んで、切って割った。軽トラックを正味1時間ほど借りて、平木沼と小屋を2往復した。思ったより、材はあって、これなら、一年分を間伐で賄う面積は決して多くないと思えてくる。

間伐して枝も片づけて整理するのは、実にはかどらないものだ。それに奥の丸太を林道まで引きずり出すのも難儀だ。それを小屋まで運んでチェンソーで玉切りして割る。そしてプリウスに載せて3分の一を家に運んだ。

手ごたえは十分にある。が、やせ我慢が半分だ。エコな暮らしはかくも面倒だ。いわば逆行ですらある。文明はこのような手間を、効率という名で便利なものに代えてきたわけだが、便利さだけが生活の目標かといえばそうでない。手仕事の喜びというものも浅からずある。このような手仕事を、死ぬまで続けてぽっくりと往生するのもいいではないか。



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