薪のある暮らしへ(2)
NO.97
2017/09/03~

この歳になって自宅を薪暖房に代えることにしたところ
いろいろなことが見えてきた。まずかなり面倒だ

薪ストーブ屋さんは、煙突工事の下見や本番で、なんだか
不ぞろいだが、ともかく来るたびに増えてくる薪に興味を持ったらしい
昨年の残ったカラマツを中心に昨年秋の小屋周りでできた薪だ
それを愛車プリウスの座席を倒して少しずつ運んでいるもの

つい、薪の話から「薪のある暮らし」に話題は移る
近年は若いカップルが自宅の新築の折に、高価な薪ストーブを買いに来るらしい
また、欧州の今流行の薪ストーブはわたしの目には実用にはどうもかっこよすぎる
いずれもインテリアとして要素が強いらしい。ムードとしての薪だ
業者さんは薪づくり、薪利用がいかに手間がかかるのかを
知っていた。薪生活のリアリズムである
だから当方は雑木林の修景を目指した間伐の結果生まれる丸太を、
伐って運んで玉切りして割って、さらに積む手間、
つまり薪ストーブ生活を自賄いで完結させる半年の作業を話すと
深くうなづいていた

問題はこの手間をいつまでやれるか、だ
それはしかし、神のみぞ知る、である
ホリスティック医学の帯津良一医師は認知症予防の秘策の一つは
「小動」だという。庭仕事、書き仕事、台所仕事など。山仕事や薪仕事はその雄だ
森や林と付き合う充実は、きっとそういうトータルに近づくほど高くなるのではないか

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コモンズの悩み

2017/09/16 sat 曇り時々雨 19℃くらい
abe inaba oyama kusa tomik & m =6 persons


■山持ちの気分

 

今季は昨年の反省にたった作業のゆとり創出が成功して、育林コンペで山持ち気分を味わっている。4人は早々に育林コンペのmy forestに出かけて、わたしは3日目になる薪割りを小屋で約2時間。

なかなか進まないがこの超スローな感じは、なんというか、大げさに言うと生きている実感みたいなものがある。自分と家族の暖ひとつとるため、の各作業をこなしてようやく各家に「」ばれ届くわけだけど、いかに人力というものが非力かと、いやいや大したもんだ、という両面を感じ取る。

燃やしてみてようやく、コトの完結性をみたような気になる。しかし、一家の主としての原始的な責任感ミタイナモノがあることに気づかされる。暖は北海道においては命綱であるから、コトの重みは九州とはだいぶ違う。ちなみにプリウスの後部座席を倒して積んでいる一回の量は下記の写真。3,4日もつだろうか。これを山仕事の帰りにを毎回やっているところ。

育林コンペは「自分で切ったものを自分の家の暖に使える」という珍しく可視化された連続工程感がある。通常は一括プール方式だから、そこが分断される。逆に言うと、ひとりで用意しなければならない、という状況にあったら、家族への責任とプレッシャーに毎年さいなまれることになるのではないか。楽しんでなんかいられないような気がする。「お父さんの仕事でしょ」などと突っぱねられたらツライ。みんなでの作業に感謝せねば。


■コモンズの悩み

久々に見た無傷のラクヨウ(oyamaさんの採取物)

夜、理事会後のウッディーズ懇親会で、migitaさんが「山のいつものフットパス沿いにボリボリが大豊作のところがあって、inabaさんに教えてあげようとしていたら、見知らぬ人に全部採られてしまった」「採った男に、このキノコはある人にあげるために、第1発見者のわたしがそっと残していたものだ」と権利を主張したらしい。

すると相手は、「山林は広いからまだまだあるよ。心配いらない」みたいなことをうそぶいて林を去ったらしい。買い物袋二つのボリボリをもって。

ついに来た。コモンズの悲劇だ。一定の広さの中に大勢が入り込むと、一人分の分け前が減ってしまうというもの。これを邪魔されないようにするためには、ある特定の権利をはっきりさせ(できれば登記)、縄を張る成り、警告を張り出して公表せねばならないだろう。権利を認めさせる?誰に?これが大変な話になる。

なぜなら、コモンズは土地所有者の囲い込みをやめてもらって、不特定多数の住民、地域の人々に開放するのが目的だった。フリーアクセスを認めてもらったのだ。「せっかく、わたしたちが手入れした林であるから、わたしたちにまず採取の優先権をくれ」といっても当初目的から言ってもNPOのミッションからみても、筋を通すのは難しい。それなら、いつでるからないキノコを日々観察すればよい、ということになるだろう。ま、第1発見者であり続ける努力だ。

地域の人々は、「近年、大島山林は、誰だか知らないが奇特な人がいて、いつの間にか林の手入れをしている。おかげでよくキノコが出る」という静かで地味なうわさが広がっている、可能性が高い。

これはこれで実は悪いことではない。ミッションから言えば喜ぶべきことなのだ。忘れてはならないが、わたしたちは地域の人がキノコの食毒を見分けられるよう、食毒の判別会までサービスしているのだ。が、分け前が明らかに減る・・・。この割り切れなさに、当分、気持ちをかく乱させられる人もいるかもしれない。いよいよ、コモンズの悩みが始まった


手入れを任された0.5haの雑木林で

2017/08/09 sat 曇り時々晴れ、午後にわか雨
abe inaba oyama kusa = 4 persons

林のひとり

  

今日は予定通り、4人、各々の育林コンペゾーンへ入った。abeさんは林床をきれいに刈り終えて枝や倒木の整理を始め、やがて抜き切りに入るという。

oyamaさんはチェンソーで何やら片付けをし、inabaさんは右田、wadaゾーンに刈り払い機をもって臨んだが、エステ(美しい森づくり)にはちょっとほど遠いとして、abeさんのフォローをしたいとおっしゃる。それもよくわかる。

お昼に小屋に戻ったのはわたしとinabaさんだけ。残り二人は育林の現場でバラバラに済ましたらしい。孤独を愛する男たち、と良く冗談で言うが、それがメインというより、わずか2km前後でも一旦道具の出し入れをすること考えると実は面倒だ。

それに持ち山に独りたたずむのも悪くない。なんだか、自分の山、という感じが少しするものだ。任された林でも、人間はつい、大事に育てようと思うものだ。わたしは苫東が破たんしてから10年あまり、そうして独りで山仕事をしていたから、なんとなくそのことを思い出す。

わたしの方針
 



南隣のabeさんの林がきれいに刈り込んだのなら、と、わたしは刈らないことにしている。その代りフットパスを作り人工的なものを持ちこむことにした。林道沿いのエッジのみ刈りこんで(上左)、沿道をこれからもう少し抜き切りする。わたしのゾーンは太く混んでいて、昨年、伐ったゾーンには写真上右のように陽が射す。

フットパスの方には思い切り人工的なもの、例えば簡易なベンチを置いてみた(下2枚)。人工的であるために、ベンチの板は赤く塗ってみた。いわば、日光東照宮とまではいかないがちょっと異質な赤を入れてみたのだ。いずれ、高さ1~1.5m程度の小さなツリーテラスなども作ってみたいところ。

書き忘れたが、ベンチは自分の林やフットパスを眺めるというよりも、隣のabeさんのところをながめるようにもして、境界に据えた。借景である。また周辺の雑草は、ヒトリ(フタリ)シズカとオシダを残してササを刈った。そう、ここでは独り静かに座って雑木林に融けるのである。


薪の乾燥具合について

2017/09/06 WED

■水分計による実測

遅きに失した感もありますが、自宅用に安い木材用水分計を買ってみました。よそ様に販売もしているという責任感ゆえ、そちらも調べたい気持ちもあります。それで

①大島山林の外の薪と小屋の薪
②外側と内側
③小屋の薪については表と裏

について差を比べてみました。

結果は、小屋も野ざらしも木口の湿度は4~15%程度で、薪の標準とされる湿度20%はいずれもクリアしていました。

ただ、少々湿度が高いとされるのは薪小屋の裏。ここは20%すれすれが多く、乾燥は遅々としているという印象でした。

今回は薪小屋の内部まで踏み込むことはできませんでしたが、外積み、小屋積みともさほど差がないこと、小屋裏は乾燥が遅いこと、などが判明しました。

なお、薪に求められる水分含量が20%以下だとすると、前年度末伐採の広葉樹は、その年の秋には薪としてほぼ使用可能な含水率まで、おおむね下がっているということがわかりました。

しかし当年の薪の場合、、「木口から水蒸気が出る」「今年はあまりあったかくならない」などの声もありましたから、割ったその秋から使用するのは見合わせた方がよさそう。もし、使う場合は、乾燥の遅いナラを除いて白樺や桜なっどを使うのが得策かも。


地元紙が取材に

2017/09/02 sat くもり 20℃
abe kusa tomik = 3 persons

■昨日から北海道新聞が取材



何がきっかけかはわからないが、先週だったか北海道新聞から携帯に連絡があり、取材したいという。9月1日が代休だったので、朝一番に取材に応じ、2日の土曜日は現地取材したいというので応じた。

あいにく、表記の3人しか来なかったので、とかく、増加や拡大や進歩、成長を描こうとするメディアとしては拍子抜けする人数だったようだが、わたしは、地域活動はそうでない、そんな華やかさはかえって地道な地域活動には邪魔で無縁だ、と昨日から強調していた。負け惜しみに聞こえるかもしれないが、本当だ。

そんなわけでこの日はお二人が主に取材を受けて育林コンペの現地も紹介した。実のところ、コモンズの概念を含めて全容を理解してもらってバランスある記事にしてもらうのは至難の技だ。どの辺が強調されるのかは不明である。ただ、外部から見たままの姿を地域広報してもらうのはメリットもある。そんなつもりでできるだけの協力をさせてもらった。

■薪のある暮らしへのステップは手ごたえあり(ただし、やせ我慢も)

 
9月2日は育林コンペの各々のエリアで自由活動の予定になっているので、わたしは昨年秋に半日を2回ほどで間伐した材を運んで、切って割った。軽トラックを正味1時間ほど借りて、平木沼と小屋を2往復した。思ったより、材はあって、これなら、一年分を間伐で賄う面積は決して多くないと思えてくる。

間伐して枝も片づけて整理するのは、実にはかどらないものだ。それに奥の丸太を林道まで引きずり出すのも難儀だ。それを小屋まで運んでチェンソーで玉切りして割る。そしてプリウスに載せて3分の一を家に運んだ。

手ごたえは十分にある。が、やせ我慢が半分だ。エコな暮らしはかくも面倒だ。いわば逆行ですらある。文明はこのような手間を、効率という名で便利なものに代えてきたわけだが、便利さだけが生活の目標かといえばそうでない。手仕事の喜びというものも浅からずある。このような手仕事を、死ぬまで続けてぽっくりと往生するのもいいではないか。



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