コモンズの深みへ

NO.118
2022/04/02

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コモンズのような林のかかわり方を本格化させたのは、雑木林ケアセンターと称する管理小屋を建ててからだった。身辺の社会環境がかなり憂鬱で、泊りがけで一人の山仕事に出かけては辛うじて心のバランスを保っていたような気もする。林と心の関係は当時の重要な関心事で、勇払原野の眼前の雑木林と自分の心身を実験台にして彼我の交流を観察していた、その一方で、土地や自然が本当は誰のものだろうか、という古くて新しいテーマも頭から離れなかった。

今、共有という概念や、コモンズという共有地が注目を浴びてきているが、むしろ私有とか独占的所有に疑問符が付され始めた、というのが正しいかもしれない。見え隠れする構図は、社会的な要請と、それを受ける動機と腕のある人材のマッチングだ。

そうこうして法人所有の林の保育を始めてから、ざっと25年になった。多くの仲間が入れ替わり出入りし、繋がって、益々、地域の人々が、共有する林を保育する意味が見え始めている。小社会のモデルを創ってみせろ、と励ましの声も届いた。




北方の森林施業を見せてもらう
~森の見方を練る研修旅行 @北大雨竜研究林~

2022/06/25 sat 曇り時々雨 27℃
oyama kawai -h&m kuri kusa naka-f&s tomi-k&m tomiz migita wada ya-taro seki = 14 persons + sakai ➡ 15

森林の見方が変わる、深まる、納得する

kawai 「よその林を見せてもらうのは本当に勉強になりますね」
kusa 「そうですねえ」

今年の森づくり研修は北大雨竜研究林。苫小牧から約280kmほどのロングドライブでたどり着いた。上の会話は、技術専門員・坂井さんの案内で約3時間にわたって見せてもらった林の感想。トイレでの一言だから簡潔にまとまっている。北方の森林に一方ならぬ熱い情熱をこめてのめり込んでいる人の説明は、やはりどこか違って迫力がある。そしてどのような研究にかかわろうとしているのか、その時間スケールの長い森のドラマを想像しながらメンバーみんなが聞き入った。



左上=アカエゾマツ・トドマツの原生林、424林班。風倒木も交じるアカエゾがやや優先する林。3ヘクタール余りの面積があり、案内してくれたあたりの蓄積は400~500立方m、密度は500本/ha とのことだった。ちなみに苫東コモンズの遠浅の蓄積は120立方程度とされる。

右上=倒木更新。代表的なのはエゾマツだが、ここはアカエゾだったのだろうか。稚樹が直線状に並んでいてメンバーは興味深く見入っていた。

左下=わたしが意外だったのは倒木更新の先の方にシラカバが列状に更新していたこと。倒木上に広葉樹の稚樹はあっても成林に向かっているのは見たことがなかったような気がする。奥のシラカバがそれ。

右下=かき起こしによってできたシラカバの円盤。ていねいな更新の補助作業の結果、大きな円盤のような成長が期待できるとのこと。小さい円盤は同年数のシラカバ。この差は大きく、今、川下の利用が開発されて市場に出ていくらしい。翌6/26は、旭川でこれらの商品の見学も予定されている。


見せてもらった森の大命題は、察するところ、ササに覆われた北方天然林の施業はどうあるべきか…。わたしは、50年近く前に当時のいくつかの演習林に触れ、学内には演習林分野が庁舎をもって構えられているから、そして100年以上の歴史があるはずだから、実は北方天然林の扱いなどはもうすでにあらかた解明されて実施の段階だろう、と軽く考えていた。が、そうではなかった。雨竜の2万7000ヘクタールの作業道も決して潤沢ではなく、冬は2m近い積雪地だ。林を更新して未来につなぐのは容易でない。ふだん、楽で若い平地林を相手にしているコモンズの勇払原野とは全く訳が違う。切り株から萌芽しにくいという驚くべき話もあった。更地におけるドングリの更新はコモンズと同様の実情と言えた。

研究林の研修の詳細を記すのはこのページの任務ではないので、どなたかレポートしてもらいたいところだが、端的に言って、林は個々に別々の環境があり社会的事情もあって、二つとして同じ所はないから、取り扱いと言ってもこれに従えばよいという普遍的なマニュアルがない。全く違った応用問題に直面しているというのが森林の現場の特長でもあり、そこに在るだろう解はいつも「特殊解」である。だから、それを見つける立場にある人が、懸命にフォローするのが常のようだ。そして、そこだけの取扱要領を見つけ試す…。造林の鉄則として、よく「適地適木」は言われるが、大きな林業レベルで言えば、そこに「適作業」が加わる。この「最適な作業」というのが現在も営々と探求中というところか。

いい組織というのはきっと、その担当が交代してもミッションを引き継いで継続できることだろうと思う。森林にとっては、できれば交代しないで、川上から川下まで終身に近く面倒を見るのが理想だ。欧州のフォレスターというのはどうやらそのようなポジションにあるようだ。

さて話しは横にそれるが、地方の一介のNPOが、大学のマイクロバスを出してもらい、広大な森林を半日案内してもらうなどは、特別な縁があっての話しだ。そのもとは、kurita さんのネットワークである。ちょうど一年前、苫東コモンズがテーマにしている広葉樹二次林の取り扱いについて雨竜研究林がとても参考になるのではないか、と紹介してくれたのが kurita さんで、早速その方向で温めていたもの。urabe さんという世話役、ya-taroさんという進行役がいて、かたやにはnaka-f 教授がいる。また気付けば、北大林学の同窓生が4人もいた。だからというわけでもないが、現場では坂井さんが予想していたよりも、遥かに活発で的を得た質疑がなされてようだ。そしてそれは夜のBSB懇親会でも続いた。

実は坂井技官は平成18(2016)年10月末に実施した、小田桐久一郎師範(hp-aigo)を招いたチェンソー講習会(news-letter)と懇親会に出ているので、少なからぬ縁があったともいえる。当時も、軽い身のこなしでサクサクと動いてここの雑木林にも関心をよせてくれたので、覚えてくれている人もいたのである。


*追補: 直感からのつぶやき

朱鞠内への行きかえりに沿道の森林を見ながら感じたことがあり、それがどうも割り切れないモヤモヤ感になっていた。それは、本当の林業プロパーを経験した経験がない者の、根拠のない単なる直感だから、的外れであろうることはもちろんである。直感とは、北海道のこの一帯で利益の出る林業は本当に可能なのか、ということであった。道有林だって、採算のとれる林業経営を捨て道民の税金で管理する方法を選び、その手法として、「保全という名の放置」を決意し今日に至っている。それと同様に、道北のササに覆われた森林は採算を重視する産業としての林業を離れ、公営の公園的な保全をメインにした利用に任せて、天然林のまま遷移を観察することに専念するのである。

そう感じさせるのは、多様な植生が瞬く間に「はびこる」草木の成長力であり、ササをはじめとする植生の圧力が林業経営を阻んでおりその圧力に抵抗できない、つまり勝てないのではないか、という予想によっている。林業の先達として見られている欧州は、関係の深いドイツやフィンランドなども驚くほど樹種が少なく林床の植生は貧弱だから、容易に天然更新している。あの貧弱な林のフィンランドからこの日本が木材を輸入するようになったころ、そんなバカな、と驚いたことと、この話はつながっている。

そんな中にありながら、「クローズアップ現代」で紹介してほしいほどの挑戦、奮戦をしている坂井技官のような人の話を勘案すると、現在はコツコツとこの与えられた天然林をどう取り扱うべきか、データを蓄積しながら先の見えにくい研究の途上だと考えると、話しは少し落ち着いて現実感を帯びて見えてくる。本音を言うと、林業の採算などいいから、北方の森林の趨勢をずっと科学的に観察して遷移を記録してもらうだけで十分だ、と思うのだ。

この話になるといつも思い出すのが、学生だった頃、造林学教室の故武藤先生のところにフィンランドから留学していた女性のラミネンコ(?)さんの、「日本人はアタマで林業しようとしている」という言葉だった。映画『かもめ食堂』で、フィンランド人は樹木と話す、というセリフを言わせるほど、森と人のつながりの歴史を誇るフィンランドにおいて、では林業は、何をもとにやるのか。理論、データなどの対極にあるものと言えば、直感とか霊感あるいは妖精との交歓とか、習慣とかになるのか…。もしエビデンスではないとすれば、それはエピソード(言い伝え)ということも、あるいはあるかもしれない。

そういえば、はるか昔のこと、現在G7が行われているエルマウ近くの森林保養地を訪れて知ったのも、森林が心身に及ぼす影響をエビデンスではなく人々の、「良くなった」というエピソードを集めてセラピーという施術に高めて、森林が心身によく効くという歴史はすでに100年を超えていた。ということは、焦らないでゆっくり落ち着いてやれ、ということか。いやはや、気の遠くなる話になってしまうが、それが森林なのかもしれない。



人生、塞翁が馬

70歳前後、いや正確には60歳を超えると、訪問する山々はもう2度と来ることがない「お別れの山」になる、とよく言われる。わたしにとって朱鞠内湖はまだロッドを振ったことのない未知のフィールドだったから、ここはひとつ、初めてで「お別れの湖」とすべく、湖に立て込んでアメマスでも、運よくばイトウの姿でも見れないかと、#6と#10のロッドを持参し、日曜日の研修二日目は欠席して朱鞠内湖に戻ることにしていた。

朝8時半、美深温泉から旭川に向かうメンバーを見送って、さあ、と車に乗ろうとしたら、右の後部タイヤがパンクしていた。ガーン…、何ということだ…。これではとりあえず予定はすべてキャンセルして、パンク修理だ。積んだ荷物をおろし、スペアタイヤとジャッキなどの道具を黙々と取り出して、非常タイヤに取り替えることにした。諦めると意外と淡々とコトは進む。約1時間で終えたが、高速の長距離運転に堪えるためにはパンクしたタイヤを修理して入れ替えておく必要がある。日曜日、はて、営業しているスタンドはあるかどうか。

最悪を想定して車を進めると、なんと美深のホクレンスタンドが開いていた。何というラッキーだ。早速本格修理を頼んでさらに一時間。予定より2時間以上遅れて、計画通り朱鞠内湖に向かう。naka-f 教授に教えてもらったブトカマベツ川まで約1時間、路線はほとんど車は通らないが深川遠別線という立派な道道のようだ。

ここに架かるモシリ橋の上に車を止め、ウェーダーをはく(写真下左)。渓流なのでオービスの#6番ではミスマッチなのだけど、まあ、問題はフライだからと、川に降りる。釣り人が少なからず利用した跡は、滑りやすく、案の定、ズルズルと滑り落ちてしまった。川は透明度は高くないがポイントはわかる。12番ほどのフライを6Xのティペットに繋ごうとすると、薄暗くてラインが通せない。難儀してモタモトしていると、今度は蚊の群れがやってきた。

一投二投してみると、まったく反応はない。そして、かゆい。数歩移動していると、アレレという間に足を取られて滑らせて転倒、右半身をたっぷり濡らしてしまった。いやはや、なんたることだ。泣き面に蜂とはこのことだ。もう何年も前から、渓流では足をとられるようになってはいたが、迂闊だった。人工股関節の手術後、バランス感覚と踏ん張り力がエラク衰えていたのを思い出した。よし、これで今日はやめよう。それどころか、渓流や支笏湖の岩を歩く釣りなどは、もう一生諦めることにしようか、と弱気になってしまった。とすると残るは海の砂浜のサーフフィッシングだ。フラットな砂浜なら足元の不安定は免れる…。



そんなこんなで気を取り直し、江丹別を通って旭川に着いたのは夕方になった。6時過ぎ、札幌に通勤していた時代の仕事仲間で、ホームページ(自分のHPとその入れ子の青年寄宿舎およびNPO)のデータを保管してくれてバックアップもしてくれているSさんと旧交を温めた。容量は心配ないからどんどんつかってくれていいですよ、という頼もしい話を聞いた。

翌日は、だいぶ前、欧州の森林保養地に出かけた際のルームメートで、旭川の台場で有名な幻のパン屋さん「パパラギ」を経営するTさんの店に立ち寄った(写真右、作業所と店舗のある事務所で)。月曜日は定休日だが、案の定翌日の仕込みをしていた。

Tさんは山登りの共通項のほか、癒しの森にも関心を寄せていて、わたしのホームページの常連客でもあるから、久しぶりというほど没交渉ではないが、今回は薪ストーブと薪調達に花が咲いて、先日、知人から14トントラック1台、15立方の材をもらったと話していた。やはり、北海道とは言え、薪調達はいつも頭の痛い課題であり、不安定なのだ。だが、こうやって人のつながりの中でなんとなく調達できてしまうというのも事実である。彼の使うストーブは何でも燃やせて煙の少ない、長野のモキストーブ。薪ストーブと薪の話をしていると、話しは尽きない。そこに森林の散策や町内のことなどがはさまっていく。

で、仕込みの邪魔にならないように1時間でおいとました。それから3時間、下道をゆっくり走って午後3時に自宅に着いた。走行距離650km、燃費は27km/litter であった。行程は悲喜こもごもだったけれども、有意義な3日間だった。



本田弘さんの林と静川小屋


2022/06/22 wed
曇り 19℃
solo

かつてはコモンズの本拠地が静川の小屋周辺だったころを思い出す

inaba 前理事の倉庫に預けたままだった『ハスカップとわたし』12箱(計240冊)を、お宅に伺って車に積みそのまま静川の小屋に運んだ。出版の利益などは到底上がらなかったが、1300冊のうち、1000冊は販売、寄贈などでとにかく捌いたことになる。すごい数字である。文字通りハスカップ市民史の記録という、ハスカップの街の地域活動となっていれば幸いである。



静川の小屋周辺は、7月に入ってから、ヒグマ出没のために2,3年中断していたフットパスの刈り払いを始めるので、念のためクマスプレーを身に着けてその下見に歩いてみた。6月初め、近くで子熊が発見されていることも頭にある。

今から15年ほど前、いや20年以上前になるだろう、ブッシュカッターだけで刈り払って創った径は、ここ2,3年の放置にも拘らず健在で気持ちの良い雰囲気を残したままだ。5年前に取り組み始めたスドキの繁殖活動は順調に進んで、スドキが小屋周辺に散らばり始めた。いずれはスドキ群生地になることは間違いない。

テラスのテーブルには毎年のことだがクワガタの、胴体を除いた死骸が散らばっており、2本の前足だけがまだ動めいたままだった。「木になるベンチ」の上でも同じような光景がみられる。テーブルなどの台の上できちんと食するあたり、何とも行儀のいい話だが、さて、犯人は鳥か、だとすれば何の鳥か、見てみたいもの。

静川の小屋にひとりで来ると、過ぎ去った数十年の林との付き合いが思い起こされてくる。
これらは「雑木林だより」に小屋ノートの抜粋として記録されている。NO1は1998年とあるから、平成10年、ちょうど旧苫東が経営破たんして、わたしが会社をやめ札幌通勤を開始した年である。

タブロイドで検索して開いてみると、まあ、実に色々な人が立ち寄り、小さなイベントも開催されている。例えば、2007年の雑木林だよりNO45もちょっとした賑わいで、これらはホームページと口コミだけの、妙なつながりの中に成立していた。現在の瀧澤代表とともに、樹林気功の集まりなども開いていた。

厚真の本田山林の森づくり研修を依頼する

苫東コモンズにほど近い厚真の上野地区で、半世紀以上にわたって森づくりと農業を続けている本田弘さんの林を、近いうちに、メンバーの森づくり研修の一環で訪れたいという希望を持っている。今日は、静川小屋にも何度も来たことのある本田さんを、30年ぶりにお邪魔して研修のアポも採りたいと考えていた。わたしの知る固定電話番号ではまったく通じないために、直接訪問することにしたものだ。

本田さんとは、「いぶり雑木林懇話会」の代表と事務局の関係でつながりがあったが、立場の違いからいつしか交流が絶えてしまい、30年ぶりに近い訪問になる。小屋や母屋の位置、たたずまいが一変していて勝手がわからず、息子さんに不審者と間違われてしまった。訳を言って、「本田小屋」まで軽トラで先導してもらい、林にいる本田さんを携帯で呼んでもらった。

ややして、本田さんは林の中から現れて、余りに久々の邂逅で、小屋でコーヒーを飲みながらの歓談となった。研修訪問の話しは早々に快諾していただいて、この長い年月の間の、お互いの林との付き合いを交歓したが、晴林雨読を地で行く先輩だけに蘊蓄が深く、うなずくことばかりである。苫東開発について、反対運動側と推進側という立場の差は明確である(いつしか交流が途絶えたのはそのため)が、森づくりという共通の舞台があるので、そこでは以前としてお互い共有できるものがあるのが面白い。

「雑木林だより」の初期のころは、雑木林だよりを紐解いても、どこかほろ苦い、危なっかしい橋渡り状態だったことを感じるが、さすが森林である、そんな人間の時間尺度は短すぎる、と諭して慰めてくれる。本田さんは、「ここに来る人が言うんですよ、この林は本田さんという実にいい人を得て幸せだったのではないか」、とおっしゃる。「きっと草苅さんもそうだよ」と言うような意味のことも語られた。主体は、土地、林、風土であり、そこに誰がプレーヤーとしてやってくるのか、ということであるらしい。確かにそんな思いはわたしにもあった。わたしは、産土に「一生ここと関われ」、とご託宣を受けたのだった。そして話しは、何か偉大で大きなもの、something-great、「未科学」分野の体験へと続いていった・・・。


労働に落とし込まない「仕事の作法」

2022/06/18 sat 曇り 18℃
abe-aki urabe oyama kawai-h&m kawam kuri kusa naka-f&s tomi-k&m tomiz migita wada ya-taro = 16 persons

中広場、フットパスを本格的に刈り始める




サイン制作と設置が佳境に入り、tomi 夫妻が午前中で予定のサインをすべて設置終了。
今回のメジャー改良は、各サインボードに現在地を確認できるマップを張り付けたこと。高密度のフットパス路網の帰結として、慣れないと現在地がわからなくなるという反省に立ったもので画期的な試みである。木柱に設置して破損を繰り返してきたことも改め、migita さんの協力で鉄パイプを使用している。

そのフットパスも徐々に刈り始めた。一方、懸案となった中広場の刈り払いは、土地所有者の着手を待たないで自主的に刈り払いを開始した。今日は、abe-aki & urabe の2名が午前中に4分の一ほどを終えた。先はやや長い(-_-;)

多種多様な里山の雑事を交代しながら




もしある人が里山というロケーションで数十ヘクタールの林を持ち、一人で裏山の管理を目指して風景や薪調達など、理想的な自己実現を図るならば、ほぼ毎日山に出かけるのではないだろうか。少なくともわたしと同様、晴林雨読や晴耕雨読を標榜するならきっとそうなるだろうと予測する。

コモンズはそれを週末の一日だけで、この1週間分を10数人でこなす。だから、今日も薪割りと薪運搬と薪積みは、三々五々メンバーを多少ずつ入れ替えて粛々と進んで、その一方では、フットパス脇の支障木を片づけたり、風倒木の枝葉を処理したり(上右左)、と相成った。

下左は先々週に中断したコナラの沢フットパスのコブシの倒木を処理(kawamura)して玉切りした丸太をヤードに運び込んだ。地道なことだが、今日も薪小屋の棚作りが着々と進み、狭いスペースが格段に使いやすく変わった。ブルーテントでは雨漏り予防のリフォームが、サウナ状態の中、ほぼ一日がかりで行われた(右下)。

これらはいつもどおり、掲示板やわずかな打ち合わせで朝一番にヨーイドンでスタートする。ほぼ毎週参加する人は、恐らく、すでに各々の My SATOYAMA が出来上がっているので、今、何をすべきがイメージされているのではないかと思う。

その結果、薪割りや刈り払いや薪積みなどもろもろの単純な作業が、いわゆる「労働」とはちょっと違う位置づけになっており、もし万が一、「奴隷労働」に近くなったらそこで中断して別の仕事に移って気分転換を計ったり、休んだり、語らいに向けたり、植物観察にふけったり、ということになるようだ。

これらは地域のコモンズ的寄り合い活動のかなり重要な作法ではないかと思われる。

今年の天気と生き物の変化



沿道の支障木を片づけていた若いkawai さんを、シウリザクラとコブシの実生が旺盛に更新してるコナラに案内して、付近の林相について意見交換した。彼は広大な面積の森林の経営に現役で関わっており、わたしも現場を扱うものとしていろいろ参考になる感想や知見を聞ける。

また先週のササバギンランに続き、今週はコケイランを見つけた。それに6月というのにこれほどいろいろなキノコが出ている年はちょっと珍しくないか。適度な湿り気だろうか。それにしても薪がかびてこない一方で、蚊はほとんどおらず、軽トラックのフロントガラスなどは、毎週結構な鳥の糞がかけられる。昆虫が大量生産されていないか。

根拠レスの直感だが、ひょっとして今年、生き物たちがどこか賦活されていないだろうか。自宅の夜のベランダには、今季、ヌカカが出ている。こういう観察と因果関係に思いを巡らす空想は実に楽しい。



今年のハスカップ模様

2022/06/17 雨 16℃
solo

苫東会社から、急遽、ハスカップの様子を見てほしいと連絡が入り、まだ雨のやみ切らない 6/16 の午後、つた森山林の栽培地に出かけて立会した。先日現場を見た担当のTさんは、余りの実なりの少なさに愕然としており、シカの食害と雪害ではないかと心配してのことだった。



しかし、シカの食害の跡は全くなし。かつ、大雪による枝折れもほとんどなかった。Tさんが心配した惨状の原因は、適切な更新を怠った結果の樹勢の衰えだ、と少々きつい診断をお伝えした。

旧苫東は、子会社がハスカップジャムやワインを生産するなど、移植による原生ハスカップの遺伝子保全から食品加工までをカバーする事業を支援し、ある種のハスカップ後見人のような立場を担ったが、経営破たん後、栽培地を「栽培」の目線で管理する必要性を失いスタッフも不在となって、いわばかつてのハスカップの「おつり」をただ採取してきたのに近くなっていたのだった。再生のため地際近くから切断して萌芽させるというサイクル作業を適切に施さないと、ハスカップの樹勢は衰えるばかりなのだ。

昨年が7月上旬にピークを過ぎるという早成りだったことも、樹勢の衰えになにか関係があるかもしれないが、6月中旬で写真のような成熟は平年並みのスピードではないか、収穫は3,4割落ちるかもしれないがハスカップの収穫の波があるのは異常ではない、などと告げて、約1時間の立会は終わった。

ちなみに、NPOのハスカップ採取は7月16日の予定であるが、正式にいつになるかはまだ様子を見ないとわからない。また、昨年の6月、JR社内誌に掲載されたハスカップ記事を遅ればせながら全文PDFとして「報道記録」にアップした。


雨の中の山仕事も楽しい

2022/06/11 sat 雨 14℃
urabe oyama kai kusa kawamu tomi tomiz migita ya-taro seki + 薪積み手伝い1= 12 persons

粛々と雨の中

天気予報は悪い方に大きく外れ、ほぼ一日、強弱織り交ぜて雨が降った。それなのに、薪割り機の音が断続的に響き、薪小屋への薪運搬、薪積みも淡々と進められた。薪小屋に続くスノモスペースでは、潜在的に待望されていたが誰も着手しなかった棚作りが oyama 棟梁の手で出来上がった。結果的に不足することがわかったサインのプレート製作も屋根の下で行われた。この雨の中、誰もやめようとしない。

ya-taro さん、urabe さんとわたしの3人は、①池のドロノキに下るルートのショートカット(下左) ②oyama ルートから中広場へのアクセス(下右) ③皆伐試験地裏のフットパスの刈込による顕在化 、の各作業に昼過ぎまでかかった。



新ルートでは切り株が埋もれているので、軽トラックを通すことを念頭に、地際まで伐り戻した。ya-taro さんのソーチェーンは、これらの半日仕事で、もうボロボロのはず。



エゾシカの食害を調べた皆伐試験地の裏手を回るフットパスは、もう10年近く前に細々と開設したフットパスだが、山林では一番遠いルートのせいか、創ったわたし以外はあまり行かない所だった。そうしているうち、荒れてしまい、ついにフットパスの入口も共有できなくなっていた。今回はそのフォロー。やはり、大島山林の元の姿を彷彿とさせる、実にいい径だと思う。

相当の雨でもう3人とも完全に内側からも濡れていたが、篠つく雨もものかわ、風倒木を片づけながら刈り払いを進めた。ちょうどササバギンランが咲き始めていて、申訳ないが何本か刈ってしまった。雨の雑木林に咲くササバギンランは、ここの風景にぴったりだ。先週はコケイランが出ていたとoyama 氏は言っていた。

木登り用の丸太の梯子



苫東で恐らく一番太いコナラから、「コナラの沢フットパス」(約600mほど)はスタートするが、このコナラは、恐らく実生のドングリから誕生した木であるせいか、地面から比較的低い位置で分枝し、暴れ、萌芽再生林の大島山林にあっては珍しく木登りがしやすい。しかし、最初のとっかかりが今一つ高い。

そこで近所のちびっ子たちが木登りしやすいように、ちょっとだけアシストすべく、アカエゾマツの丸太長さ3mに楔形の切れ込みを入れてステップにし、太枝にかけてみた。で、これがなかなか、よろしい。

ちなみに、コモンズと町内のちびっ子たちのつながりを紹介すれば、当初は、無造作に置かれた、玉切り前の間伐材の丸太だった。彼らをこれを組み合わせて、巣のようなものを創った。聞けば、「陣地」みたいことをいう。

そのあと薪小屋ができてから、なんだか退屈そうにしていたちびっ子たちを手招きして、小屋裏の梯子をかけて薪小屋の屋根に上ることを教えた。これが大受けで、ガキん子らは最初は恐る恐る、やがては屋根の上を走りまわるようになった。怪我したら大変、と危ぶむ声もあったが、梯子を外せば無理には使わないようで、今日に至っている。これはさらに余談だが、「森のとこやさん」に頼んで、子供らが勝手に屋根で遊ぶようなら言ってほしい、と頼んだ。

雨の現場から帰る際、再び「森のとこやさん」に顔を出し、天気があがったら、是非、お宅のご子息に登らせて感想を聞かせてほしい、と頼んだ。


山林の再生は径づくり、と覚えたり


2022/06/08 wed 曇り 14℃
solo

素敵な径がもうひとつ



わたしの関わった沢沿いの径と並行して、先日からoyama さんが手がけていた、池に降りる径を完成後まだ歩いていなかったので撮影がてら池から登ってみた。幅が広く刈り込めるところが多いので、ゆったり、のんびり、雑木林のゆるやかな坂を味わえる径となった。この秋には、間伐の作業にも使える。

池から登ると、廃屋の南東を通ってすでにあるコナラの広場の見える径に出るが、そのままアカエゾマツの造林地を右に見て中広場に出る径を創る必要がある。2年前まで運材に使っていたルートが、30m先あたりにあって、もうヤブに替わっていた。少し蚊が出てきたので快適に作業が出来るかわからわないが、今週以降、手掛けたいところ。

こうして、少なくともスノモの通れるルートをつくって維持管理すれば、山林の見回り、風倒木の発見と処理が、大変楽になる。そしてなにより、林を歩くのがずっと楽しくなる。刈り払いが可能なメンバーが増えたので、今なら難なく出来そうだ。

振り返れば、放置された大島山林の保育に関わってからもう15年近くになるが、少しずつ伸ばしてきた径、いわゆるフットパスも慣れない人なら迷子になるほど密になった。が、保育の立場から見ればますます便利になっているのは間違いない。保育しているエリアに限れば、路網はやはりすでにヘクタール100mを超えた気がする。

焚き付け用の枝拾い



午前中は、家人に手伝ってもらって育林コンペから運んで作ったプライベート薪を、NPOの軽トラをレンタルして自宅へ運んだ。運べる量はほんのわずかだが、軽トラで国道を50kmも運転しただけでなんだかとても疲れて、今日は2往復はしたくない。

薪を軽トラに積んでから、この秋からの焚き付け用の小枝の焚き付けを、40リットルのビニール袋にふたりで4つ、確保した。色々な焚き付けを、各人工夫しながら用意するようだが、わたしも小さな火種から大きなものまで順次燃えていくさまが好きで、その点、小枝はなかなか最適だ。そして山林には無尽蔵。

晴林雨読。70歳を超える頃からこれを実践できる幸運と幸せは、筆舌に尽くしがたい。
成り行きで、そば哲でお昼をわたしが持つことになって、離れのギャラリー(写真右)で寛ぐ。農家博物館「之乃屋」に込めた店主・松平さんの思いを想像するとき、忙しいお仕事とはいえ、人生を楽しむ姿勢が窺えて、静かな励みになる、と感じる。


山仕事、点描

2022/06/04 sat 晴れ 17℃
urabe oyama kai kawam kuri kusa naka-f&s tomi-k&m tomiz migita ya-yato seki = 14 persons + 自然観察者来訪1名(片倉先生)

スドキが終わるころ、ウスバシロチョウ



ワラビ採りを終え、いよいよスドキのシーズンも終わりかけ。先週まで咲いていたムラサキケマンの姿が見かけなくなったな、と思ったら、そのムラサキケマンを食草とするという写真のウスバシロチョウが沢ルート開設の現場にたくさん現れた。

写真と解説を送ってくれたのは、わたしの山の先輩で、北大理学部の名誉教授・片倉晴雄先生。片倉さんによれば、「今日 (大島山林に出向いたのは=草苅補追) はウスバシロチョウという今時だけふわふわ飛んでいるあまり珍しくもない蝶が目的でした。本州から北海道南部には普通だけど札幌には滅多にいない蝶。おかげさまでなんとか撮れました。この蝶は私が北大に来る前に東京で虫とりをしていた頃にはあまりに簡単に採れちゃうのでウスバカシロチョウなどと言って馬鹿にしていたのですが、飛ぶところを撮るとなると簡単にはいきませんでした。」

昨年は片倉さんに鳥の画像を送ってもらいましたが、写真はほとんどプロ級。勇払原野で遊んでいると、ときどき由緒正しい知識にも飢えることがありますが、これからもっとお付き合いを深めて風土の科学的理解の強力なアシストを得られれば。

間伐面積と出材量

先日の日曜日、kai さんが薪ヤードの刈り払いをはじめ、今週は刈り払いのメンバーが増えて、いつになくヤードがすっきりしてきた。いち早く清掃された職場環境は屋外だって素敵だ。パレットの縁もワイヤーできれいに刈り揃えてあるから、こころなしか、薪1棚ずつの商品価値は否が応にも増している感じがする。



薪小屋の床も、もらい受けたパレット材を有効利用してこれまでよりも格段に収納機能があがったように見える。これで途中の倒壊が無ければホンモノだ。この結果はあと数か月様子を見たい。



みんなが帰った後の夕方になって、割った薪、割る前の丸太をざっと見渡してみると、わたしの目見当では30棚、みかけ材積80立方を超えるかもしれない。昨年は、会員間伐で19棚、譲渡の通称ドロノキ薪27棚だったから、通常の間伐生産のやや多い年と匹敵する。

訂正:

現場には昨年のドロ薪が13棚混じっているので、今季はやはり20棚と平年並みか。それでも上出来。在庫の勘定は少し面倒になって来た。(-_-;)


考えてみると、先シーズンもツル伐りの多い荒れた林分が中心で、伐倒技術にはまだ個人差が多く、新たに加えた伐区も0.5ヘクタールほどだから、この材積はこの現状でよく出てきた、と思う。

薪ストーブのメンバーにはよく、「一年の燃料薪を得るための本数なんてほんのわずかだ」と話してきたが、メンバーは自分の薪と、分譲する薪、合計2軒分約10立方ほどを間伐できれば毎年安泰、というのがわたしの試算。作業日以外に内業に精力的に関わるメンバーもいるので一口には言えないが、各人、この数字を目標にすれば万事うまくいく、はず。

沢ルートの開設で、チェンソーマンと刈り払い作業員の「身分格差」を実感

今日はtomi-k さんが担当するサインチームが山林全体の設置を終えた。目的地のポイント表示も加わったので、当初予定を超えて28か所設置することになるようだ。用意した鉄管パイプ支柱が足りなくなり、migita さんに追加をお願いしたと聞いた。

いつものmigita グループの薪割り、kuriちゃん、naka-s さんらの薪積みも着々と進んだ一方、urabe さんは懸かり木処理に取り組んだ由。どうも、薪積みや薪の小運搬では変化に乏しく、力が余るというか飽きる、という噂も聞こえる。はっきり言えばチェンソーワーク待望の声。

わたしは、そんなkawam さんと yat-taro さん、午後はnaka-f さんに応援を頼み、沢ルートの完成を目指した。わたしも刈り払い作業は好きだが、一度刈り払い機を握ると、出くわした邪魔な木立や切り株は刈り払い機ではどうしようもないことが多い。そんな時、チェンソーマンにお出ましを願うわけだが、どうもチェンソーマンの方が、林の中では身分が上のような気がする。あくまで林の中のことだが、作業の格では大型トラクターと小型の耕運機ほどの差と言える。



左、いわば大型インフラをこなすチェンソーマン、右、軽作業と見なされる刈り払い。



かくして、合計6,7人工を投入して、延長600m程の沢ルートは完成した。年内にあと2回刈り払えば、径らしくなる。軽トラックもすでにある程度入ることはできる。



一日の仕上げに、このフットパスのスタート地点、苫東一のコナラの大木の樹冠下をya-taro さんと刈り払いして仕事を完了した。来週は、さらに木登りのための簡単な階段をつけて、できればtomi-k さんに「コナラ沢のフットパス」とかいう名前のサインを着けてもらおうと思う。苫東で恐らく最も太い(直径80cm)このコナラにも、シンボルツリーのドロノキと並んで、なにかポイントサインをつけてもらおうか、と考えている。


小さな命を頂戴するとき

2022/06/01 wed 曇りのち晴れ 16℃

■今年の川エビ漁




今年の川エビは去年ほどの熱はなくなったが、それでも3回、平日にドウを揚げた。結果は、やはり一番早い、早春の4月中頃がもっとも収穫があって、これは昨年絶賛してくれた方にあらかた持っていった。残りをオーソドックスに素揚げしたのが上の右の写真。その後、次第に収量は減ってきたが、餌だけはウグイとヨシノボリに食べられている。

この時期、川エビは自宅に着いた時点でもほとんどが生きていてピョンピョン跳ねる。から炒りする場合などは、中華鍋を熱して一気に大量の生きエビをぶち込むわけだが、「他に食べるものが無いならともかく…」などと、自ずと反省とか懺悔の気持ちも湧いてしまい、ちょっと胸が痛む。

しかし、すでにゆで上げられて市販されたシラスなどはすでに生きてはいないとはいえ、何百という命を実山椒と和えながら平然としているわけだから、要は殺生の瞬間に立ち会っているかどうかの違いで、そうせざるを得ないのが人の性(さが)だ。この殺生に立ち合えば、無駄にしないで食べよう、折角だから山野の気をもらおう、そうしないとバチが当たる、と考える。だからせめて美味しく調理し、家人にも喜んで食べてもらうのを流儀としている。

先週は、弁天浜のサクラマスの様子を、フライロッド持参で見に行った。こうして、イワシやホッキなども自賄いできたら面白いが、もう諦めた。とりあえず前浜のサクラマスは寿司屋さんで賞味したし、もうすぐカニ漁が始まったら安い毛ガニを入手し、それから苫小牧沖のトキシラズをいただいた頃に、苫小牧にも本格的に遅い夏が来る。北海道の勇払原野をステージにして生活している、という実感がある。勇払原野の雑木林はそのステージをイメージでゆるく包み込んでいる。


径を創る楽しみ

2022/05/28 SAT 曇りのち雨 15℃程度か
urabe oyama kawai-h&m kawamura kusa naka-f&s tomi-k&m migita wada ya-taro seki = 14 persons

サイン設置始まる

里山というべきか、裏山というべきか、精神的にも身近な林というものは、もし、少しでも気持ちの良い、アズマシイ林にしようと思うと、ゴミ拾いも含めて課題が沢山見つかる。各人各様とみれば、無限大にあるともいえる。そこを最大公約数的で理論的にもまっとうなビジョンに向かって手掛け始めると、たった一人の里山とはまるで違う風景と段取りとなる。

それが今の苫東コモンズの大島山林だと言える。毎週参加するメンバーは自分がどのすき間を埋めるべきか、おおよそわかっているので、5,6種類の仕事に分散して、同時並行して進む。一人の里山なら7日かかるところを週一回の土曜日1日ですます。

今日はまず、待望のサインが設置された。言うまでもなく、地道な大島山林の利用拡大の一環である。薪割り、薪積み、薪運びは淡々と進む傍ら、奥の林道の風倒木の片付けと、新たなフットパス兼搬出路開設も進んだが、分散が半端でないので画像記録は自分の周りのことに限らざるを得ない。もともとこのコラム、わたしの個人的な雑木林だよりでもあったから、まあ、もとに戻った形か。


緑の板に白字のデザインは今回も踏襲したが、支柱を垂木から金属パイプに変更。設置は20ポイントに増やし、ポイント名も記入した。いずれ必要な個所にはラミネート加工された現在地マップも付加される予定。

丸太や薪は、長雨などでカビが生える前に処理する算段のため、薪割りと並行して、空いた薪小屋への搬入が行われた。今シーズンから利用可能になった軽トラックのダンプは極めて重宝だ。


昼は事務局から6月25,26日の研修旅行の説明がなされた。あわせて7月23日の、有志による「migitaさんの卒寿のお祝いの会」もアナウンスされた。

エゾヤマザクラやシウリザクラ、そしてコブシの花期が終わって、今はミヤマザクラが満開だ。遠目には地味だが、近づけば右下のように華やかさを持っている。今日初めて気づいたが、ヤードの南端の縁にそこそこ高木でひときわ白っぽく見えた木が、実は葉っぱではなくミヤマザクラの花だったようだ。ミヤマザクラは普通は灌木のような貧弱なものが多いが、珍しい大きさでないだろうか。人知れず咲いているが、なにか林のなかである役割を担っているのではないか。

ちなみに、雑木林の中ではまだまだスドキが育っていて、その繁殖の速さに実は安堵している。わたしは昼夜、毎日、この2週間ほど食べ続け、あと1週間ぐらいは大丈夫だ。食べても無くならない、というのは山菜好きにはこたえられない。

味付けは90秒の煮沸、冷却、それを「味ぽんとおかかまぶし」に収束したが、先日から、スドキの空芯菜的歯ごたえにヒントを得て、少し固めに茹でて干しエビなどを使いながら中華風に仕上げる料理も開発した。これはいける。

径を創る楽しみ



wadaさんとya-taroさんコンビは、旧遠浅沼沿いの林道で風倒木を処理し、午後は結構な量の丸太を回収した(上の2画像)。「山仕事はなんぼでも見つかるんですね」とはya-taro さんの頼もしい弁。

oyamaさんとわたしは、各々、別々のフットパス兼搬出ルート開設に向けて単独作業に当たっている。

わたしが手がけている沢沿いのフットパスは今日300m程を刈り払い、チェンソーで藪と枯れ木を払い、残すところ300m程になった。ヤマドリゼンマイやツル、そして埋もれ木と切り株が多いが、スドキも交じっているので、申訳ないがそのまま刈り込んでしまった。かつて、刈り払いのルートにボリボリが大発生していて仕事にならなかったことを思い出した。シドケはその点、収穫期が長いので、御免なさいした。刈り払い機を降ろすのが面倒でもある。

ところで、こうして径を創る楽しみは格別である。開拓時代のあと、何十年も人も通らなくなったヤブを開いて、人が歩く道をつくるのである。ブッシュカッターで拓ける、平坦で根マガリザサのない勇払原野特有の手法だ。

単純に、旧林道と開設フットパスの延長を手入れしている面積で割ると、もうヘクタール100m近くになっている。間伐材を残すところなく利活用するためには、実は高密路網が必要だ、というのは林業的な原理原則でもある。ただ、これでは道に迷う人が出るのも当然で、マップ付きのサインが新たに登場するのが誠にタイムリーである、とされる由縁である。

曇りや雨の雑木林は美しい。いよいよ来週あたりから、刈り払いも始まる。




勇払原野の広葉樹二次林のサイクルとリゾート資質


2022/05/24 wed 曇り 


写真左はウトナイ湖北西のブルックスゴルフ場のアクセス路、右はその周辺の放置された雑木林。樹齢はおそらく50年ほど。沼ノ端北部から植苗にかけての山林は、このような萌芽再生林が広がり、今から半世紀ほど前は、薪炭林として皆伐されたあとの一面の萌芽で、世間に見捨てられたヤブだったはず。

無価値とも見られたそれらはその後、ゴルフ場などリゾート各社が関係して、100haから1000haに及ぶ不動産として取引されたと思われますが、そこにはリゾート地として再生できるという先見の目利きが働いていたようです。

それだけでなく、背景には、平坦な地形と、札幌や千歳空港、そして物流の拠点となる港に近い「地の利」が、一部の人に高く評価された裏返しと言えます。そして世間はまったく目もくれなかった。

原野はこのように薪炭というエネルギー生産の場所から、無用の藪になり、やがて高級リゾートへと生まれ変わり、その残されたエリアは、ヒグマの往来するコリドーとしても注目されて、保全と土地利用の軋轢が時々発生する、それをまたメディアが報じて、自然保護行政のあり方論やと開発論がまたもや話題になるというサイクルを繰り返します。

ところで、広葉樹のサイクルは当たり前とは言え、実に興味深いものがあります。やはり、明治初期、国木田独歩が武蔵野で雑木林と里山の美しさに気づいてから、俄然、雑木林は市民権を得ますが、調べてみると、すでに江戸時代以前にも、里山は、都に住む人々にとって、ひとつの遊行の場であったことが歴史を紐解くと出てきます。

広葉樹二次林が再生を繰り返すように、林の人気もブームがあることの証左です。(参照:『生活見直し型観光とブランド形成』(平成20年 北海道開発協会刊 第9章北海道の地域資源の評価と活用~まなざしの形成と未開拓資源~(草苅担当))

その美の根源が、「手入れ」という農村の日常景であったことが、まさに興味深いところです。わたしが雑木林の手入れと修景にこだわる由縁でもあります。




さて、一昨日は自宅北側にあるリゾート用地にコシアブラを採りに出かけました。苫東コモンズのフィールドよりも標高がありやや冷涼なのか、まだ賞味可能な大きさ(上左)で、夜は、冷蔵していた川エビとともに天婦羅としていただき、食べきれないコシアブラは、「コシアブラご飯用(右下)」にごま油と醤油で調理し保存しました。今日のお昼は、このご飯に家人と舌鼓をうったばかり。

それにしても界隈の小川の美しさは見惚れてしまいます。このまま残す手立てはないものか。

(補足)
I Rの候補地としてもめた植苗地区一帯と同じ土俵に乗せて考えると、都市計画の緑地の網掛けに行きつくような気がする。I Rの候補地一帯は小河川沿いに行政がなんらかの保全のアミをかけていたように記憶するが、後者の有珠の沢にはない。

野生動物の保護や移動を想定すると、河川沿いの公共緑地が当初の機能予想に反して事実上のコリドーとして使われているように思える(勇払川や遠浅川など)ので、河道の両岸の一定の幅を、個人所有者に緑地的利用を指導するなどの対応が考えられる。

あるいは、「安い萌芽再生林のヤブを買った」個人所有者を一方的に縛らないで、行政や市民サイドがその土地を買い取る、などの方法もあるにはある。が、今のところは難しいかもしれない。保護側が本当に必要性に駆られて「身銭を切る」までいくのか、それとも世間という圧力で私権をジワジワと制約をかけるだけなのか(反発を生むだけだが)。

さらに元をたどれば、市民や行政が、住んでいる風土や風景にどれだけ愛着を持てるかに行きつくのではないか。「余っている土地」であってみれば、とてもそのような切実さは出てこないのではないだろうか。このちぐはぐさが、苫小牧の自然保護と開発論争の底流にあるのではないか。

ちなみに勇払原野の風土とは、湿地、雑木林、未利用の平坦さ、霧や低湿地からくる冷涼さ、樹木の育ちにくさ、などなど、もろもろが列挙され、イメージが湧いてくる。文化不毛、などと揶揄される「都市」だが、わたしは勇払原野が好きである。美しく、生き物が多様で、土地の恵みがおいしいから。



大島山林の利用促進に本格的に踏み出す
   ~探鳥会からフットパスルートへ~

2022/05/21 sat 晴れ 17℃
(abe-e) abe-aki urabe oyama kai kuri kusa tomi-k&m tomiz migita wada ya-taro seki = 14 persons
BIRD-WATCHING → ガイド3+町内12名 合計29名

朝、鳥見で始まる


日本野鳥の会苫小牧支部の応援をいただき、何年か中断していた探鳥会を開催。朝8時、遠浅町内会からも10名以上が参加して、2グループに分かれて林を巡った。

最後の鳥あわせでは、キビタキ、センダイムシクイ、ウグイス、アオジ、、カルガモ、イカル、メジロ、クロツグミ(?→アカハラ)、オオジシギ、キジバト、アカゲラ、ヒヨドリ、ハシブトガラ、シジュウウカラ、オオルリなどの名前が挙げられた。

フットパスルート探しつつ、スドキ、のちワラビ、そして川エビのコモンズ休暇

2022年度は雑木林コモンズ「大島山林」をワンランク上の民間森林公園にすべく、いくつかの試みを始める。何年ぶりかの探鳥会はその手始めだ。

午前中は、薪棚の基盤にするパレット材を町内のTさんから分けてもらうべく、4名が現地に向かい、得難い材料を調達させてもらった。

また、薪会員のSさんが奥さまとご子息を伴い、2トントラックで薪2棚を積み込み搬出。メンバーも薪小屋を空にして新しい薪ストック用に引き渡す約束を果たすべく、今日はabe-e さんが、早朝から軽トラックで2往復した。

薪割りはいつものmigita グループに加え、今日も人力のマサカリ使用が2,3人。


午後、懸案だったフットパスの沢ルート開拓のため、連れ立って一本コナラから入った。来週から、チェンソーと刈り払い機でレーンは開けそうだ。虫が出始める前になんとかできないだろうか、と思う。


ルート探しの途中、スドキの小群落と何度か遭遇。結局、まとまったスドキを収穫できた。

来週からは、サインの本格的設置も始まる。
雑木林の風景は、サインや建物などの人工工作物、そして人の存在で引き締まる。今、とりかかろうとしているサインとベンチ、さらにテーブルなどの小物は、休憩の実用的機能とともに、林の利用促進の目立たないサポートになるはずだ。


2時半過ぎ、予定通り、今日のコモンズ休暇「ワラビ採り」に柏原に5人で出かける。昨年よりも2週間早いが、出始めでちょうど良かった。ウドは発見できなかった。

さらにわたしとya-taroさんは、川エビの回収に出かけて、収穫を二人で山分け。わたしは一部をカラ炒り、ya-taro さんはかき揚げ(写真右)に供した。風土を満喫する、とはこのことかも。何という多様な一日!



裏山的雑木林コモンズのほぼ半世紀


2022/05/18 霧のち晴れ 17℃
solo (のち、ヤードでoyama,abe-e)

林は変わった

学卒で勇払原野の雑木林と正面から向き合うことになってから、数えると46年になります。ざっくり言えばなんともうすぐ半世紀。20代前半の、まだ世間も自然もよくわかっていない若造には、皆伐跡地の天然性2次林は、薮でしかなく、嫌なところに来てしまった、とテンションはいつも低めだったものです。

それが、近年は何という変わり様でしょう。里山の面影もほとんどない勇払原野の雑木の林と、まるで裏山のように付き合っているうちに、林も頼もしくなって美を醸し、わたしも成長しました。いつしか勇払原野の雑木林の広報マンに生まれ変わりました。裏山的コモンズを、一人一人が自分の山、my forest として付き合えれば、緑地世界が替わるような気もしています。

以下、変貌あらたかな my forest の5月18日、新緑の盛りをご紹介します。境界道路沿いの風倒木2本を片づけに行った途中風景です。




中段左、普段は地味なサワシバですが、太陽光を透かして見るフィルターとしてはピカイチ。


探鳥会の下見と打ち合わせ


2022/05/15 sun 晴れ 17℃ 
kusa + 日本野鳥の会苫小牧支部2名 


9時前から3人で、5/21探鳥会の下見で、予定コースを歩く。
終了後はテント前で、勇払原野にまつわる人と自然の色々な情報交換を昼まで。昨日、4本ドロノキのクマゲラがフュイフュイフュイフュイ…という地鳴きをしていたので、ドロノキも迂回してみた。

今日、聞こえた野鳥は、イカル、キビタキ、センダイムシクイ、アオジ、アカハラ、ゴジュウカラ、アカゲラ、ヒヨドリ、ウグイス、など。圧倒的にキビタキとセンダイムシクイだった。姿が見えたのは、ヒヨドリとアカゲラのみ。


打ち合わせのあと、ひとり、林を歩く。3日前は葉っぱが1~2cmだったので油断してしまった。もう大きく伸びたスドキの群落を発見。ファインダーの画面一杯がスドキだ。もう固いものもある。



雨にもくじけずに山仕事に集まる動機

2022/05/14 sat 雨のち晴れ 16℃
abe-a urabe oyama kai kawai + kawai-f kawamura kuri kusa tomi-k&m tomiz migita ya-taro seki =15 persons

全員野球が定例化

9時ごろ、小雨交じりの中、15人が集結。10時近くは雨具を着て作業した。ぐずつく天気予報なのにこの律義さはなんだろう。大変不思議だ。ちなみに事務局は、滅多に荒天のため休み、というアナウンスをしないできた。会員が道央の各地から集まることと、雨や吹雪を厭わない人も少なからずいるから。しとしと降る雨だって、傘をさして散策するのもたしかに雑木林の過ごし方である。

極論してしまえば、「現地に行くか行かないかは勝手でしょ?」、てな具合になる。さらに言ってしまえば、「年中無休」、というのも誤りではない?!自分の裏山、自分の里山ととらえれば当然のこと。

ところで、掲示板には事前に下記のようなアナウンスをしたところ、ほぼ完璧に分担して終了した。ちょっとした確認をするだけで、ほとんど自動的に作業が動いている。わたしはゴミ捨てと買い物に出たりしていたため作業風景の写真はなし。

①薪割りと薪積み migita チーム+随時希望者 →マサカリによる薪割りも数人着手 kawai+f

②丸太の運搬…ドロノキ周りと静川小屋周り →近間はkawai 父子が軽トラで4往復し大径木桜もヤードに搬入、静川はya-taro氏とkusa

③サイン…文字入れ、支柱検討、設置など → migita urabe tomik

④径づくり…来シーズンの搬出路確保(oyamaルートと沢径) → 手がつかなかった

⑤オイル缶など廃材片付け(沼ノ端)+薪小屋コンパネ購入 → ya-taro+ kusa → サイン用資材調達も
 (薪小屋裏の廃棄物跡地の片付け、薪小屋基盤 → oyama

⑥探鳥会の野鳥の会下見対応…5/15(sun)に延期(kusa対応)

⑦コモンズ休暇(スドキとワラビと川エビ)…午後2時以降 → スドキは採りごろに近づく。川エビは漁獲少ない、ワラビは未定、夕方コシアブラ

⑧6月研修の打ち合わせ…夕方(kuri+事務局) → 研修関係担当と事務局が打ち合わせ 概要が煮詰まる




新緑が進む。この時期の雑木林を歩かずんば、苫東コモンズのうまみ半減であるから、是非平坦なフットパスの散策を勧めたい。サインやベンチも間もなく完成予定。探鳥会はそんな意味もかねて来週末に。


山菜の様子、見て歩く

2022/05/12 thu  霧のち晴れ 17℃
solo

季節感が微妙

今年は大雪のせいで、わたしの植物暦が微妙に狂っている。スドキは出始めると踏んだのにまだまだで、コシアブラはもう採りごろだったし、余裕を持って出かけた浜ボーフーもすでに見つけやすい大きさになっていた。

浜弁天でボーフーを採り、柏原のハスカップ・サンクチュアリで探鳥しながら開花状況をみて、静川の小屋で椅子に座って小鳥を眺めコシアブラをいただき、大島山林でスドキを点検しながら新緑の雑木林を散策。実に充実した1日だ。







新緑はウグイス色。ナラが開葉直前のためだ。木々の個性で様々な色の緑を堪能できる、素晴らし一瞬の季節。浜弁天で出会った年配アングラーは、4,5,6の3か月で20本ほどのサクラマスを釣るという。このあたりの人はアメマスは外道と呼び、川のウグイのように蹴っ飛ばすようだ。日本海にアメマスを釣りに行く人もいるというのに。

ハスカップサンクチュアリでは、開花が始まったばかり。遊水地計画が決まって『ハスカップとわたし』を上梓してから、苫東コモンズのカバー範囲としてはサンクチュアリは遠慮がちで、わたしは鳥見と開花と、若干の原野の実の採取だけとなった。原野の鳥見は楽しい。ちなみに、ハスカップは栽培地の厚真町で北海道遺産に申請したいという声がある。一方ではハスカップ原産地の苫小牧で原野のヤチヤナギを保全したい、などという声もあるようで、なんか、チグハグだなあ、と思う。

話は代わって、雑木林は感動的だ。フットパスの枝を拾いながら歩いて回った。この時間は山仕事冥利に尽きる。長い間、春夏秋冬、歩いているうちに、土地所有者でもないのに、自分の大事な林のような気がしている。

写真右下は今日の収穫。季節感をまとめると、浜ボーフーはやや大きく、コシアブラも時期を逃すところだった。そう思っただけで気がせかされる。コゴミも少々採った。ボンナ、アズキナはパスした。スドキは葉の直径が1cmほどで、あと1週間から10日。この写真の上の方は山で使ったカドタのピッケル。これはボーフーを茎と根の間で切り取る格好の採取道具、下は伸縮する高所用窓掃除用ポールでアタッチメントをL字の金具に代えて、背の高いコシアブラを引っ張って曲げる。今日は海から山まで移動した。あらためて実に広大な勇払原野のフィールドに目を見張る。


薪の搬出、進む


2022/05/07 sat 晴れのち曇り 13℃
urabe kawamura kai kusa tomi-k&m naka-f migita wada ya-taro seki = 11 persons

薪棚を空けるためにまず運び出す

このところ、大島山林のヤードでは薪の運び出しが急ピッチで進んでいる。この冬に薮から出した材を、薪という製品にして木口がきれいなうちに収納するためである。薪は燃える直前には各家庭の居間のオブジェになることを考慮し、少しでも本来の薪らしさをとどめようという思いが背景にある。

個人会員も薪会員も連休から運び出した。作業日にコツコツと自家用車で運んでいる人もいる。5/7 は江別の古い薪会員・船木さん宅へ2棚運んだ。トラックを運転してくれたurabeさん宅は午後少しずれこんで運び出した。




船木さんは91歳。ペチカ用の薪材は少し細めにすると焚口に入れやすいので、今回は薪棚の中でも少々細いものが偏った棚を選んで搬入した。337号連絡路のアクセス箇所で、運転席の二人が話に夢中になって入口を見逃してしまって千歳市外に入り込んで時間のロスをしたため、到着が昼近くになってしまった。作業後、スイセンの咲く庭でお茶をごちそうになりながら、建築の面白いエピソードを聞いた(右上、左下)。

話は戻って大島山林の現場は、サイン設置の準備をしたり、丸太を運んだり、傾斜木を処理したりと、面々が気が付いた雑務を着々と進めていた。里山をこんな風に複数のメンバーが、別々の仕事をなんとなく整然と仕事をこなしていくという風景は、ありそうでない、新鮮さがある。

夕方、霧がかかったように寒くなったころ、ヤードの薪を見て回る。右下のように、今季は割って直ぐ積んだ薪が美しい。

■自宅用はと言えば

自宅用はおとといの5/6に、タウンエーストラック(750kg積み)と軽トラックダンプ(350kg積み)で2往復した。わずか計100kmだが、過積載で、車もうるさく、結構疲れる。2トンのロングで1回で運び終えるのも一つの見識だが、その方式は2回ほどでやめた。薪運びが楽しめないからである。小さなトラックに夫婦二人でチンタラ積んで、道すがら雑談しながら運んで積む・・・。あるいは半人前の家族を道連れに往復する・・・。そんな方法が余韻があっていい。ちなみに今回は家人ではなく、帰省中のせがれに手伝ってもらった。



先日焚き終えたばかりの自宅の薪小屋の前に、空になって1週間もしないうちに、また薪の山ができた。駐車場の半分を占めるから相当な量に見えるはず。例年、薪を積んでいると、年配者を中心に、「どこから手に入れてるの?」「いい薪だねえ」などと声がかかる。

これらは腰を曲げながら何度も何度も横移動させて積む。丸太も運び込んでいずれ楽しんで割って積む。こんなことを、さて、いつまでやれるのか、ふっと頭をかすめる。


明朗な春、喜び満ちて

2022/04/30 sat 快晴 16℃
abe-e oyama kai kawi kusa tomi-k migita wada ya-taro + 薪会員 kaji wasda +suporter1 = 9+3

■新緑前の雑木林で


4月2日はまだ残雪の中をスノモを使って藪だしの最中であった。その時期の雑木林も、毎シーズン、勇払原野の早春を楽しんだものだが、新緑を3週間後に控えたコブシと桜の咲く、凍ったような原野と雑木林の風景も格別だ。いくぶん寂しげな雰囲気のなかに、明朗さがみなぎっている。




この頃の山仕事はもっぱら全員野球である。里の林を気持ちの良いものにしようと思うと、やるべきことが沢山あり、それを分担して受け持って地味に仕上げてゆくのである。自分のやるべきこと、やりたいこと、みんなですべきことが、それぞれ共有されて初めてできる連携プレーといえようか。

今日は、薪割りに2,3人、静川の小屋周りに残してきた丸太の運搬に2人、ドロノキそばの運搬にひとり、林道沿いの風倒木処理(右上)のほか、oyamaさんは、新しいフットパス開拓準備の合間に、切り株を切り戻しがてら、椅子をつくっていた。

今季、本腰を入れるサインの修理整備とベンチ設置にもつながる。
サインを更新する作業も着手した(下左)。tomi-kさんがまずグリーンのプレートを制作し、支柱は腐らないものをこれから準備する。可能であれば雑木にそのまま打ち付ける予定。

一方、昨日の4月29日から、薪会員による雑木薪の運搬が始まった。今日は薪会員のkaji & waseda一行3名がヤードに顔を出して、旧交を温め、新人は自己紹介した。いずれも野生動物のバリバリの研究家なので、昨今の野生事情など、話は尽きないのである。

彼らがレンタルしたトラックは2トンのロングで、これに1棚の搭載だったために余裕いっぱい(下右)。投げ入れられた薪がカンカンと乾燥した気持ち良い音をたてていた。



■フキをいただく



風倒木を片づけた帰り道、沢地に若いフキを見つけたので、手伝いに来てくれたwada&ya-taroさんの3人でほんの少量ずつ収穫し、わたしは夕食の酒のあてにした。家人も帰省中の子らも春の味だ、と喜んだ。先日のフキノトウとはまたひと味違った風味に満足。コナラの大木の周りはシウリザクラの更新が一段とにぎやかだ。シカはこれら若木を全く食べていない。

tomi-k さんが昼から川エビのドウを点検したが、入口の広いドウは一度入った川エビが逃げてしまうようだと話している。相変わらず、収量が見込まれるのはドロノキの下のようだ。

14時、連休明けに電話取材予定のHBCラジオのディレクターと、携帯で打ち合わせ。わたしはチェンソー音のあまりしない林に移動してコモンズのことなど話す。




「懸かり木」という懸案の処理

2022/04/23 sat 晴れ 14℃
abe-e urabe oyama kawamura kusa naka-f&s tomi-k tomiz migita wada ya-taro seki = 13 persons

総動員で懸かり木を片づける光景


カツラの二股に挟まれたナラ。それをまずプラロックで直に牽引。

浮いた幹を急斜面でwadaさん が追い切り。最後は交代で高枝ののこぎりで少しずつ枝を落とした。

結構手ごわい懸かり木処理が残ったので、牽引のマーベル・プラロックの操作研修を兼ねて、薪割り班を除く大勢で取り組んだ。カツラの鋭角な二股にはまり込んでいて難儀したが、午前の正味2時間ほどでなんとか切り抜けた。メインの担当者は、urabe-wada の両氏。

懸かり木処理は、日常の中ではどうでもよい、いわば瑣事にしかみえないが、こと山仕事の流れのなかでは、仕上がりの見栄え、チェンソーマンとしてのプライドなどからも全く疎かにできない、目の上のタンコブのようなもの。まぎれもない懸案事項になる。

それを、ああでもない、こうでもない、と方策を言いあいながら、手早く安全な策を探す。手早く最善の策にたどり着くために、声を掛け合い、次々と次善の策を提案し、試し、うまくいかなければまたやり直して次の策を試す。

結局、プラロックによる牽引の効果は限定的で、予想した通り根本的な解決策にはならなかった。最後は、人力による揺さぶりと高所用のこぎりだった。あまり自慢できない、コモンズ伝統の人力、手仕事である。

なにもそんなにワイワイやらなくても、と傍観者がいたら思うだろう。
決められた時間に効率的に、かつ「怪我なく安全」にことを進めていくためには、しかし、適切な提言と試行錯誤は重要な手順でないだろうか。

特に安全面では安全確認の声掛けは欠かせない。口うるさくもみえる、経験の比較的多い高齢者側は、傍観者が居ればあるいは出しゃばりに聞こえるかもしれない。発言回数の比較的多いわたしなどは、きっと嫌われ者になってしまう可能性も大きい。でも仕方がない。

やはり、事故を起こしてからでは遅い。事故は単純な声掛けや注意喚起を行わなかった「不作為」が原因になることが多いのだ。山の遭難やその他の作業中事故でも、結局反省の結論に「不作為」が潜んでいることが多い。わかっていたが、やらなかった…。だから、気付いたことは声を大きくして確認し、できることは怪我しないようにすぐやる…。思えば事後処理にかかわった、わたしなど年寄の苦い経験がそうさせるのか。

■忘れていた大事な反省点

それでも今日は大きな反省があった。

ひとつは、懸かり木の幹を、最初のうちは直接にプラロックで引いたこと。
「本当は直ではまずいんだよね」と職場の労災にも詳しそうな tomik さんが呟いたのを聞いて、わたしも思い出した。ロープが緩んだすきにベルトシュリングに滑車をつけて牽引し直した。

そしてもう一つ。
それはロープを直角に貼ってテンションを掛けたそのクランクの中に、人が入ってはいけないのだ。それなのに、しばしば人が入ってしまった。実際、滑車やカラビナのような器具がはずれてクランク内に飛んでいくのを複数回見たこともある。これらを予防し事故発生を避けるためには、声を掛け合い、注意喚起していかなければならなかった。

そして逆に良かった点は協力体制。実にテキパキと作業が進行し総力戦に仕上がった。作業終了して早々に機材の片付けが進んで、午後1番の理事会にはまったく支障が出なかった。見事なスピード感と転換だった。

■力のかけ方のコツと安全作業の祈り

懸かり木は強い力で引けば落ちるというものではない。かつて、太いハンノキの懸かり木をトラクターで引いてもらったことがあったが、これはロープがはずれて飛んだ。また、どうにも外せない二股に掛かった太枝を、トラクターのバケットに乗って、チェンソーで伐るという、危険な荒業も見た。これは落ちなくてよかったが、大きな事故につながるところだった。

懸案処理はこのように方策が行き詰まると、いつのまにかエスカレートするもののようだ。こういう時は深呼吸をして、初心に帰り、人力でできることはないか、知恵を働かせられないか、と思いめぐらす間に、誰彼と妙案は絞り出される。

力のかけ方にもコツがあるようだ。いざとなったら、急に倒れる危険さえなければ放置するという最後の手段がある。力だけでなく時間をかける、という選択だ。ヒトリ仕事時代のわたしは、そんなのがいくつもあった。

そういえば、3年前に大風によって無様で気になる枝折れが発生し、それををジープで引いてもらったことがあったが、駄目だった。それは放置してこの冬、abe-aki さんのポータブルウインチで引いて落としたが、もう腐れていてこれもかえって危険だった。

事故が発生すれば、普段は気にも留めなかったコモンズ利用には、土地所有者からストップがかかる可能性は大きいから、不作為で元も子も無くなってしまう。

そもそも今回の伐倒は、隣接するシンボルツリー・ドロノキにもっと頑張って長く生きてもらうための保育が目的だった。シンボル・ドロノキのおじいさん「グランパ」は、今日までの伐倒から懸かり木処理の光景をどう見ていただろうか。意をくんでもらって、末永く森の手入れを見守ってほしいところだ。わたしには作業中に、落ちた太枝が3回倒れてきた。「おい、お前、もっと安全に気を配って丁寧に仕事しろよ」とさりげなく諭されたのだろうか。帰途、ハンドルを握りながら反省。




柳生さんの雑木林

2022/4/22 曇り

柳生博さんが老衰でなくなった。2年前だっただろうか、日本野鳥の会の記念行事の際に、苫小牧の会場でお会いし、「勇払原野のハスカップと雑木林の保全に取り組んでいるNPOです」と自己紹介したところ、「おお、ハスカップですかあ」と人懐こく握手した覚えがある。

柳生さんは、苫東の弁天沼など一帯をラムサール条約登録湿地に追加したいという、野鳥の会の意向を踏まえてのこともあってのことだろうけれども、あの殺風景な原野の向こうに北電の火力発電所がそびえるような荒々しい光景を工業用地とは思えない素晴らしい環境と絶賛していたのが、まんざら損得だけではなさそうな風にみえ、それが柳生さんらしかった。苫東の関係者は、苫東をPRしてくれる新しいファンが登場した、という観点から歓迎したような節がある。実際、時代ニーズにあった得難い広報マンになられた。

柳生さんは、長野の八ヶ岳山麓で、長年、雑木林の手入れをしていた人で、わたしは2014年の晩秋に見に行ったことがある。柳生さんはすでに、小さなユンボで庭園の石組みを作る天才的な才能があるという噂があって、かの別荘地で手掛けたいくつかの石組みの実例を紹介した本も出ていた。たしか7ヘクタールほどあった雑木林は、氏が売れ始めたころから、息子の慎吾さん(早逝した若手造園家)ら家族を伴って東京から出向き、週末にコツコツ手入れしてきたものだというから、わたしは実は興味津々で伺うチャンスを待っていたのだった。



雑木林は、尾根の上にあって片側は急な斜面で、フットパスがレストランやショップなどの施設から下り気味に設けられていた。飾らない、しかしどこかホッとする、わが勇払原野の雑木林とそっくりだった。わたしはそこでピンと来て通じ合うものを感じた。それは、ああ、この人も「イヤシロチ」を創ろうと目指しているな、ということだった。

イヤシロチとは、ケガレチの反対で、雑木林など自然だけでなく人が居住まう空間として、なんとなく胸が膨らむような心地よい空間で、造園や景観形成、あるいは物理学的な手法など様々な方法で達成できる、やや超人的、摩訶不思議な世界でもある。人同志の関係性もその中に入るだろう。が、わたしはやはり極めて科学的な裏付けも(例えあとからついてくるにしても)ある、と内心では確信している。その、身の回りをイヤシロチにしていこうという意思をその風景に感じ取ったために、俳優や声優やその他の役柄を超えて、勝手に同志のような親近感を持っていたのだった。

だから苫小牧でお会いした時は、「八ヶ岳倶楽部で柳生さんの雑木林も歩いてきました」とお伝えしたはずで、もともと笑顔の氏がさらに一段と微笑んだのをみて、瞬間的にここぞとおまけを思い出して言った。

「数年前、慎吾さんと造園学会の支部会のシンポジウムで、慎吾さんの基調講演のあとわたしはパネリストとして意見交換したことがありますました」と、ついどうでもいいことながら付け足して、いかにも(少しだけ)縁があるか、強調してみたくなったのだった。相手により気に入られたいという嫌な性格だとも思うが、それを言わずに縁が見えないというのももったいないと、当時のわたしは思ったのだろう。



若い慎吾さんは、札幌でその学会が行われた当時、造園の売れっ子として活躍する傍ら、この八ヶ岳山麓から雑木林とショップ周辺の季節を、八ヶ岳だより、みたいなブログで紹介していて、その感性はなかなかだなあ、としばらく愛読したものだった。

同じ方向を目指す同志というのは、たとえ当方の勝手な思い込みであったにしても、人と人を繋ぐ、最も確かな、簡単には壊れないきづなだと思う。そのきづながあれば、この世にいようがいまいが、いつまでも心に住み続ける。人生、そんな出会いをできるだけたくさん創れたらと願うこの頃である。  合掌
 



早春の林にて


2022/04/20 wed 晴れ 12℃
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■ひとりの山仕事



雪解け後の悪路の時期も過ぎて、これから新緑までの1か月は、待ちに待った早春の山仕事の適期。今週は乾燥注意報が出るほどの好天が続くので、そのなか日、軽トラを借り上げ道具の一切を積んで育林のマイ・フォレストに出かけた。

枝を拾い枯れ木の整理などで足慣らしをしてから、入口正面から再度抜き切りを開始した。角地の30m四方あたりをまずわたしが基本としたい密度と見え方に誘導したい。サブのスローガンは「軽トラを駆使した里づくり」で、軽トラの誘導路も2本、それとなく作ってある。しかし、平坦とは言え、重荷を積んだ軽トラの車体は想像以上に障害物にぶつかるから、ユルクナイ話だ。

股関節を金属で繋いでいるので重いものはあまり持たないようにしつつ、それでも手ごろな薪用丸太をいくつか作り終えた。半割でちょうどよいサイズだ。このほか長材のまま残してきたのが一本ある。これは来週のお楽しみだ。正味2時間ほどの山仕事が丁度良い。

■薪の市場価格と「雑木薪」考

先日、地元の蕎麦屋さんに割り薪を届けた際、よその薪はどうなっているか、少し気になった。tomi-k さんはある札幌の業者は立方あたり単価はコモンズの倍だと教えてくれていた。

ここの間伐材からできるのは、環境にもまれて荒くれだった雑木薪だが、乾燥は十分で樹種のバラエティは申し分ないものの、一般の商売人は買い入れた丸太をうまく機械割していて、見栄えも良く、いわゆる「ツブ」がそろっている。ヤブヤマの間伐材とは所詮、生い立ちがやや違うのだった。

だから、もともと、市場と競争するつもりも迎合するつもりは元からないので、わたしたちコモンズのミッションに多少なりともシンパシィを感じてくれる内輪に、謙虚に配るという、まったくの小商いベースだ。 

そんなことを頭に浮かべつつ、苫小牧に最も近い大西林業と、札幌で人気の高い北海道リンクウッドの価格表を見てみた。

《大西林業》
 ・基本は未乾燥
 ・苫小牧など近傍は送料込み立方mあたり価格、また10万円以上買い上げれば送料無料
 ・ナラ薪・イタヤ薪 税込み26,400円/m3(1棚換算では72,000円ほどになる)、広葉樹ミックス(ナラ  抜き)24,200円/m3(動5,300円)、 カラマツ20,500円(同55,300)

《北海道リンクウッド》
 ・乾燥済み
 ・庭先での積み上げまで、ただし、横移動の状況によって1,100円/m3 が加算
 ・ナラ薪・イタヤ薪 33,000円/m3(同89,100円) ミックス薪30,800円/m3 カラマツ 25,300円   /m3


今般、長雨で放置したり現場移動の間に、カビが生えて黒ずんだり若干泥がついた薪などがヤードに積まれて、はて誰がどう引き取るか、どう割引するか、などが議論されることがあるが、上に述べた背景や生い立ちを考えると、ここはやはり市場と同じ土俵に乗せることは控えることとしたい、というのが偽らない気持ちだ。

樹木の生育環境としては決して恵まれない勇払原野の「雑木薪」を、よその薪と比べて値踏みするのは、「雑木薪」のもう一面の値打ちを下げるばかりにならないか。だから、多少汚れた薪棚と、比較的良さそうな薪棚をペアにして引き取る方法もある。紺屋の白袴のように、薪を作るのに携わった会員は、少し見栄えの悪いものを引き取って、買ってくれるお得意さんにはベターなものを渡す・・・。ベースは、いいよいいよ、の寛容の精神か。メンバーが嫌がるものはわたしが引き取っても良い、と多少カッコつけてみようか、とも考えている。^_^; それがコモンズできてからずっと心がけて受け継がれてきたスタンスでもあるから。



薪のある里の風景

2022/04/16 sat 晴れ 14℃
abe-e urabe oyama kawai kusa tomi-k&m tomiz migita wada ya-taro seki = 12 persons

薪に至る道と風景


写真は散会後の薪ヤードのたたずまい。西日がすでに傾いている。

周りの雑木林から集められた間伐木が、ようやく薪に様変わりし整然と並べられ始めた。ツルと枯れ木の山から絞り出されるように産み出されたとは、想像もできないだろう。昨年度、一帯で修景作業に携わった人の数は、累計で634人だという。

いままで、どこでも見たことのない整然とした里山風景だ。フラットであることが奇跡ですらある。そしてなお、林の中で片付けが進んでいる。ここは苫東地域で将来的に保全される骨格的緑地、正式名称は「遠浅樹林地」。


実は、雪が消える頃からずっと間伐後の後片付けをしている。(左)池のそばで自分が手がけた丸太や枝の片付けをするya-taro会員。(右)abe-aki さんの手掛けたクルミを片づけるwadaさん。


上のクルミもこの木も、隣接するシンボルツリー「ドロノキ」と枝を擦れ合わせる木だった。ドロノキは枝が触れれば触れるほど、そのやわらかい枝を見捨てるように落としてしまう。このドロノキに触れる周りの木と、背後を片づけることは長年の懸案だったが、それが今年やっと着手できた。

(左)wada さんが手掛けたナラ。掛かり木になった部分は、来週、マーベル・プラロックでurabe さんを中心にけん引し処理の予定。
(右)再び、枝の片付けにかかるwada さん。


migita,tomiz,seki の3氏による地元トリオは終日、薪割りに傾注。若手、urabe-kawai はコンビで静川の小屋の奥に放置していた丸太(写真右)を回収してヤードに運搬。昨秋のチェンソー研修の発生材で、あと3往復が必要とのこと。

軽トラックは0.9立方ほど積むので、あれだけの研修デモで3.6立方、1.3棚ほどを伐ったことになるから、わたしが何度か試案を書いてきたように、1軒の薪ストーブ愛好家が一冬に使う薪など、結構簡単に作ることができるのがわかるはず。

もうひとつの究極の修景


林の中において、根返りの切り株は、かなり醜悪だとわたしは思う。
北大演習林では、かつて道路開設で掘り出した切り株はアラレもない状態で放置していたものだが、ある時からブルでちょこんと居座るように立て位置に直し始めた。些細なことに見えるかもしれないが、これが沿道風景を修景する際の基本だとわたしは思ってきた。

大島山林でも過去数回、風倒木の根返り切り株を、数年たってから3,4人で戻したことがある。去年からわたしは、シンボルツリー背後に放置されていたヨーロッパトウヒやトドマツの風倒木を少しずつ玉切りし、林床に寝かせてきたが、今回は写真左の切り株二つを根元で切断し、駄目もとで体重を乗せて戻してみた。

これらはミシミシと音をたてて、幸運にもいとも簡単に戻った。根がようやく腐ったようである。腐りかかった丸太は、薮出しして薪に混ぜて使おうかと思う。

地元の名店「そば哲」さんへ薪を搬入


大島山林のおひざ元、遠浅の方に薪を利用していただくのはありがたい。そば哲さんには昨年経営者ご家族と歓談した折にお声掛けいただき、今回はまず1棚、搬入の運びとなった。担当のya-taro さんのもと、oyama、tomi-k&mの3人とわたしがサポート。

薪がカンカンと乾いた音を立てて下ろされるのを厨房で聞いていたのか、やがてやって来た若旦那は「さすがによく乾燥してますね」と感想をおっしゃる。わたしが「ここの雑木は、林業振興の地域などに比べればこじれたものが多くて…」とちょっと無骨さの言い訳をすると、年配のご主人は「わかります、わかります」とうなづいて返事をされた。

そのあたりの風土と産物の綾がわかってもらえる地元の人に、この「雑木薪」を喜んでもらえるのなら、創る側は何よりうれしい。 



ドロノキの下にドジョウならぬ川エビはいた

2022/04/14 tue 曇り 7℃
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早春の雑木林



軽トラダンプで平木沼緑地を巡回。遠浅のブルーテントから育林コンペの看板まで、12km、さらにここから静川の小屋と上厚真を経由して遠浅に戻ると、21か22kmだから、遠浅から育林コンペへのアクセスは、軽トラなら断然、畑のルートがお得な感じ。道も治まったから走りやすい。

林道沿いには伐りたい風倒木が5,6本ある。暇を見て薪にしたいところ。

また、平木沼の見えるあたりで写真右のようなシカの食害が目についた。同じ樹種が軒並み10本ほど皮剥ぎにあっている。シウリザクラのようにも見えるがまだよくわからない。

早春の雑木林は、曇れば実にさびしい。おまけに今日は朝の陽気につられて、いつもの冬用の下着など着ないでやってきたので、正直、寒い。風景と体感温度とは、春まだき、と言っていた。春は心と体の「温」が呼び起こす。

■川エビ



昨年試作したトリカルネット製の川エビ用ドウを取りつけたのは4月9日、5日たって3台のドウで写真左のような漁獲。まるでシーズンピークを思わせる。ドウは3台とも、魚肉ソーセージを1本ずつ入れての大判振る舞いだったが、川に横たわったドロノキの倒木の下の収穫が、特に多かった。ヤナギの下・・・に通ずるなにかがありそう。

エビは昨年、絶賛してくれたという闘病中のAさん宅に3分の2ほどを届けたが、どうも食を受け付けない状態とのことで、養生と闘病をお祈りします、と伝言を告げ少し立ち話で様子を聞いて帰宅。

一方、川エビはとても元気が良く、自宅台所で泥を吐かせる間もピヨンピヨン跳ねる。小一時間後、跳ねる彼らを無慈悲にも熱した中華鍋に投入した。バチバチバチとたちまち赤くなった。

朝のあたらしい連続テレビ小説「ちむどんどん」では、丁度今朝、飼っていた豚を美味しく食するヤンバルの子供たちの逡巡と、反転して食の感謝をテーマにしたシーンがあったばかり。

自らの命のために数十匹の命をいただかねばならぬ人間という生き物とは、因果で、かつ不都合なもの。これらを滋養にして養生に努めようと自戒しつつ家人と食した。他に食べ物がないわけでは無かろうに、というツッコミも背中に感じるから、誠にもって食はときどき後ろめたい。

しかし、「コモンズ休暇」に川エビを加えて2シーズン目に、ようやくその付き合い方に自信が持てるようになった。山菜と並んで、川エビもカバー範囲にある、という一点でもうれしい。



“ところで、薮は変わったのだろうか”

2022/04/09 sat 晴れ時々曇り 8℃
urabe oyama kai kawamura kuri kusa naka-f tomi-k&m tomiz migita ya-taro seki = 13 persons

保育の後始末



雑木林の手入れというのは、伐倒の技術を試すのももちろん刺激的だが、跡片付けの細かい作業も実はいろいろとバラエティがあり楽しいもの。今日は手始めに空中ブランコのように掛かり木になって残されていたナラを、tomi-k さんはじめ数人で始末した。STIHL 社製の高枝チェンソーを借りて試みたが、アームを伸ばすと操作性が落ち、高い部分での伐採は、枝が落下することに用心しなければならないので、基本的に大変危険である。

それでも、枝のテンションを読みながら、手動の高枝のこぎりとロープも動員させて小一時間で完了した。残念ながら、チェンソーのアルミのアームが、落下する丸太に簡単に折られてしまい、破損してしまった。持ち主のabe-e さんにっ携帯ごしで謝りながら事情を話すと、まずは怪我しなくてよかった、と。

で、2シーズンに及ぶ一連の作業で、この薮だった林は変わったのか。「本当に変わったんだろうか?」と自問する教授に対し、kai ドクターは「間違いなく変わりましたよ」と太鼓判を押した。2021年春の現場風景をみると、そのあたりがホーフツとする。

軽トラックのルートづくりの展望は



これからは材の運搬に軽トラックを利用できないか検討している。そのための林床、特に切り株処理に気を使う。すでにわたしの育林コンペソーンで2年前から試みているが、この下処理はなかなか面倒なもので、一方の車も訳もなく破損し修理費がかかるようでは困る。

ルートになるところをチェンソーを方に抱え何度も往復しながら大小の切り株を伐り戻した。ルートには写真のように蛍光テープを20mおき程度に巻いて、目印にした。

結論は、「あまりあてにできない」「過信は禁物」だった。戦車のような装甲車ならともかく、バッテリーがひもで車体に結んであったり、デフのあたりに何かがぶら下がっている山(フットパスと林道)専用の軽トラは、簡単に壊れるから。軽トラで札幌から遠浅に作業に来るドクター に「小枝取りにここまでマイカー(黒の軽トラ)を入れたら?」と水をむけたら、「とんでもない、うちのはタウンカーです」、と一蹴された。

新しい薪割りと薪積み体制

 

丸太や割った薪は、放置するとたちまちカビが生える。最終的には燃やされる直前に各家庭の居間でオブジェとして置かれる薪は、できればカビは避けたい、というのがわたしたちの反省というか念願だった。現場はそう簡単には割って直ぐ積む工程は作れないのだ。丸太からではなおさらだ。このゆっくりした試行錯誤は楽しい。

今シーズンは、これまでのヤードと離れた新天地に丸太が置かれ、薪ヤードも隣り合わせになること、そしてwada さんの配慮でパレットを用意できているので、割った先からパレット上に積む、という流れ作業が完成した。しかし、割るスタッフは「追われるようでせかされる感じ」といい、やや改善が必要なようだ。

ただ大体、この流れで行くと、一日2棚、層積で6立方メートル弱をこなせることがわかった。せかされない方式も研究に値するので、連休前後に薪小屋が空き次第、割った薪をストックしてもらい運搬しながら、「ゆとりある薪割り」を実現したい。林の跡片付けが済んだら、マサカリ班もできるだろう。 


雑木林コモンズに新風が吹く


~ひと冬の山仕事を終えて~

2022/04/02 sat 晴れ 8℃
abe-e urabe oyama kai kawamura kusa naka-f&s tomi-k tomiz migita ya-taro seki = 13 persons

■雪解け前に山仕事完了、セーフ



今シーズンの藪だしが終わる直前、記念の記録画像を撮るのを忘れたので、あわててポケットのスマホを取り出し、居合わせたメンバーに立ってもらった。

今日のドライバーはドクターurabe、後部助手はseki ちゃん。支障木、切り株切り戻しなどはプロフェッサーnaka-f 、誘導はtomi-k プロとわたし。

後ろの南斜面は、陽光に忠実で雪がなくなっていた。この一週間でほとんど雪は消える。4月2日、まさに滑り込みである。残りの8名は、ドロノキのシンボルツリーの近くで、残りの片付け作業に当たった。



大変なヤブと闘って2シーズン。ツル伐りと枯れ木の除伐が多かったので、枝や枯れ木の山が多く残った。背景に住宅が見えるように、ここが町内に隣接した里山環境にあることがわかる。「ここに、新しいフットパスを創るつもりなんです」と、二年前に町内会の人にホラを吹いたが、果たして本当に実現できるか。少なくともまず素地はできた。

一方、SDGsの時代を反映して、いや、そのずっと前から、それら廃棄の山から焚き付けとなる小丸太や枝を持ち帰って活用するメンバーが何人かいる。わたしもヤードに残った樹皮や木端を集め、枯れ枝の焚き付けとともにに、極めて重宝している。それだけでなく、その「廃棄物」を集める作業も、都会に住む人には想像もできない、心身の肥やしになる時間であることも吹聴しておきたい。



ひょっとしたら今シーズンで最も雪が締まってスノモが走りやすい日だった。振り返るとこんな日は今日一日だけだった。

材の到着を待ち受けて積み下ろしを手伝うメンバーが、今日もヤードに常駐。また今日は地元からTさんが新人として加わった。



さらにスノモの進路誘導には、雪面に赤いスプレーを使ってサポートした。全員野球ならぬ、全員総出のお祭り状態が薮出しの本来の姿で、早春の日差しに恵まれれば、毎年、実に胸の膨らむ一日となるのだ。





山周りをしながら、わたしは今年の出材は15棚と踏んでいたが、終わってみると20棚余りに上方修正しなければならないようだ。

来週から、薪割りを開始し、薪になった完成品はその日のうちに積んでしまいたい。折角の美しい「雑木薪」の木口にカビが生えるからだ。

それと並行して、この2年手入れしてきた林に最後のシェープアップを施したいと思う。薪割り、薪積みの人以外は、従ってもう一度手掛けたフィールドに散って、仕上げをしたい。

人々が憩いたくなる林は、ほったらかしの林業風景ではいけない。ことしはフットパスにベンチを置いたり、刈り払い回数をあげ、沿道の修景にももう一度目を配る予定。大島山林の利用促進の一環である。

いま、わたしたちは、コモンズの林のさらなる深みに入ろうとしている。