若者たちが森をめざす
NO.93
2016/09/03/~

建築家でアーティスト、してまた自らはフリーの木こりと呼ぶ「Jさん」が
「この頃の若者が森を買いたがっている」、という。
自然派に限ったこととは思うが、森ガールなどという言葉も聞いて久しい。
住友林業の「森人」などという番組も森林をちょっと魅力的に描いている。
いや、
そこで働いている人を美しく描いている、といってもいい。
全国に目を移せば、自治体の所有林に都会から若い地域おこし協力隊を招いて
林業を展開するところも多い。
先日のローカル・ベンチャー・スクールつまり、地域起業塾も農業や林業など
一次産業で、工夫して仕事をおこそう、と若者に語り掛けている
そこに集まっている若者の半分以上は、なんと女性だった。

ひょっとして、
ゆっくり、本当の森や林の時代がくるのだろうか
いや、今こそ来させたいものだ。
わたしたちおじさん、おばさんも新しい時代に向けてもっと研鑽しよう。




小春日和の里山風景

2016/11/26 sat 0℃
inaba oyama kai kusa tomik & m wada  = 7 persons

日和を楽しむ
 
何とも穏やかな晩秋の一日。小春日和とはこのことかと思わせるが、気温は零度。風がないから、寒さはほとんど感じない。雑木林のしあわせ。(案の定、この天気はもたなかった。日曜日の夜半からみぞれになった)

こんな日だから、育林コンペのわたしの「山」に早々に向かって山仕事を開始。先週伐倒した立木が5,6本そのままで、枝を切って積むだけで昼近くになった。

わたしの「山」の50m東にある平木沼はとうとう結氷した。鏡のように見えるが、1,2cmの氷。冬に向かうことを覚悟させるに十分な光景だった。あと1か月で冬至。そこで折り返して春へ。季節は切り返しが速くて、実はそれが助かる。春の兆しが遠すぎれば、人はうつ病になってしまう。

■小屋にて
わたしが「山」に行っている間、小屋ではinabaさんが総会資料の送付準備を進めてくれた。通常総会を委任した会員等にフルセットを代表の挨拶を添えてお送りするもの。35部近い。コピーまで一切を終えていたのでバトンタッチしたものだが、前回の残りを利用し、中にはコピーミスなども交じるから結構整理するのに難儀するのが常だった。敵前逃亡のようにお任せしてトンズラして、おかげでわたしは至福の山仕事の時間をいただいた。

また、チェンソー講習で伐倒した材の薪作り、そして窓の下への薪積みもoyamaさん、tomik & mさんらが進めてくれた。冬を迎える準備、着々だ。「冬よ、いつでも来い」の気分になる。
 



■雪が降る前の山仕事は「はかどる」
   



他人の山でも「自分の山」として愛情?を注ぐと、愛着というのが湧いてくる。育林コンペという、重層的な疑似所有感覚は、コモンズ利用の概念と通じるものがある。技術を身に着けた善意の地元民が土地所有者の信託を受ける格好である。この方式がもっとルール化されれば、身近な里山はもっと美しいものに変わる

こうした「自分の山」感覚がもてれば、山は持つ必要がなくなる。win-win の関係さえ創りだせればよい。材はどうするのだ、と欲の皮を突っ張ったり、役所風の議論をして放置している間に材が腐ってしまうことも多い。腐る前に使おうというのを基本において、もっと建設的な積み重ねをしたい。わたしの考えでは、「これで金儲けをしない」ということを基本条件として、あとはまず循環・流通させること。その際には自分で藪だしするとか、自分で割るとか、ハタラクこと、労力提供は必須条件となるはずだ。

だが待てよ、とも思う。もっと大々的に打ち込めば、容易に薪販売は可能だということも忘れてはならないようだ。積極的に薪ビジネスを展開するには、歳と時間がままならないが、この仕組みづくりは目下思案中のテーマ。口コミレベルから、どうマスをつかむか。どうも里山というものは林道などそのインフラ力から見て、マスには向かないから、細々と口コミで行くのが正道のように思えるのだが。


育林コンペの作業に専念

2016/11/19 sat 曇りのち晴れ 8℃
oyama kai kusa tuzuki tomik migita wada sekimura = 8 persons

土ソリができていた
 
静川の山仕事に行く前に安平町遠浅の作業テントに寄った。テント小屋までのアプローチの200mはナラの落ち葉の絨毯だった。土が落ち葉で隠された状態は、土がむき出しの径よりずっと美しく、苫東の雑木林のフットパスはいつまでも落ち葉に覆われているのが一つの魅力だ。靴も汚れない。

当たり前のことだけど、ここでは落ち葉はゴミではないのであります。これというのもナラの葉っぱは栄養が乏しく硬いから虫に食われず一番最後に分解されるかららしい。

 
長老宅に寄って土ソリの進捗も見せてもらった。写真右のとおり、ほぼ出来上がってあとは防腐剤代わりに廃油を塗ることになっている。竣工祝いは12月10日の午後2時ころ、大島山林で。

■育林コンペ、本格着手

育林を競うコンペに5グループ・個人が集合。例年になく熱が入っている。というのも、先行している人のエリアは、とてもいい仕上がりになっているせいもあるかも。
 
わたしの今日の道具と伐採履歴の切り株。珍しく桂の木があったので、その枝は傷めないように、倒す方角を決めて希望通りの角度にバサリ。

 
空がどんどん開けていく。ヘクタール1500本程度の密度の林を今、700本程度にしている。

安全靴を新しくしたら、非常にフットワークがよろしくなった。蒸れて濡れたオレンジ色の安全長靴はサヨナラ。丸太の上に置いた靴は、八戸の森林組合から購入した伐採用のもので、65歳の誕生日に子供たちからプレゼントしてもらった。足入れが楽で温かい。



冬を迎える準備、着々

2016/11/12 sat 晴れ 3℃
inaba oyama kai kusa tomik & m wada = 7 persons  + saitoh

土ソリの概形できる

 

この冬の運材を効率的に進める「助っ人」を、バチバチから土ソリへと方向転換してから、長老の斉藤さんから時折電話で相談が来るようになった。土曜日の朝も、家の作業場に顔を出すように言われて行ってみた。

ハウスのぶどう棚の下に土ソリがおいてあり、いろいろな部材がすでに用意してあった。まず目に入ったのが先週運んだナラのソリ部分(写真左)。木工所の社長は「芯を持たせないと曲がるだろう」との見方だったようで、前と後ろを見ると実にうまく黒身の芯が中央にある。部材をつなぐボルトやカンナ、ドリルなどが所狭しと置いてあり足の踏み場がない。。

わずか1週間もしないうちに、丸太を挽いてもらい鉄の抑え棒が溶接されて出来上がっていた。こういうことができるのは、フルセットがそろっている上厚真という土地柄のおかげだ。「百姓」といわれる如く、あの小さな集落に、木工所も鉄工所もそろっており、鉄工所はもっぱらブルや農機具の修理が仕事らしい。木工所は、丸太を持ちこめば挽いてくれる。賃挽きというやつだ。小屋のベランダの板も厚真産のカラマツをこの木工所で挽いたもの。何億、何千万も動かすビジネスではなく小さな商いだが、わたしにはこちらの方がなじみ深い

さて、ソリの幅は木立をくぐる関係で芯で90cm程度、外幅で110cmほどにしてもらった。3本の太い垂木を横にしてほぞに埋め、約4cm厚さのカラマツ材を張る(写真右)。前後には、鉄工所で作ってもらった止め木の役をする方形のパイプを立てる。木材は横積みを基本とし、35cmの玉切りされたものの場合は工夫して乗せる。あるいは、このソリは、70cmか105cm専用にするのも方法だ。

問題は、急激にスノモで引っ張る始動時の強度だが、斎藤さんによれば、鉄と木は違うはずだという。最後は廃油を塗ることにした。納品はもうすぐできる、とおっしゃるが、むしろ12月10にやる山の神の参拝の時に竣工と安全も祈願して一緒にしようと提案して了承。楽しみだ。

■平地の強み活かして材を運ぶ

 

2週間前のチェンソー講習で伐倒した5,6本の片付けは、5人総がかりで昼過ぎまでかかった。
ベランダの下に格納していた、空気の抜けたリヤカーと一輪車が活躍した。わたしたちのような弱小NPOは150万円以上もする運材機械は手が出せないが、平坦な土地の利を活かして、人力で運ぶ方法でかなりできる。運材をスノーモービルで済ますことなどは、山坂のある現場では望めないのだ。いわば、われわれはかなりラッキーなのである。

 

とはいえ、結構疲れる(上、写真中央)。息が切れた。わたしも大事を取りながら動いたのに、夕べから股関節が痛い。60代の3人にとっては特に負荷が大きく感じるはず。よくやっているかも。三浦雄一郎氏がいう「年寄、半日仕事」を座右の銘にするのが良い。

3時前にすべてが一段落したので、3人が育林コンペに出かけた。マラソンの会場設営を手伝った後だといい2時過ぎに顔を出した和田さんは、チェンソー講習の成果が出て、思った方向に倒すことができるようになったという。昨日も一人、山に来たようだった。

わたしも2本を伐倒して玉切りし運んだらもう薄暮の世界だった。小屋でろうそくをともしながら、kaiさんとお茶を飲んで散会。

 My forest 「私のやま」にて


ミゾレ交じりの雨の中で

2016/11/05 sat 雨時々みぞれ 2℃
kusa saitoh tuzuki = 3 persons


運搬具拡充策は「バチバチ」から「土ソリ」へ

 
会員の長老・斎藤泉さんが先々週の総会で、「ソリが足りなくて運搬がはかどらないのなら、バチバチをつくってやるか」とおっしゃる。願ってもないこととさっそくお願いしていた。長老はあの夜、バチバチの作り方をあれこれ思案しているうちに「眠れなくなったでや!」とぼやいていた。

今日は朝から雨模様でみぞれも交じってきた。作業する日としてはかなり嫌な状態だ。でも、斎藤さんの気性をよく知るわたしは、長老はこのくらいの雨なら間違いなく早めに来ると踏んで、9時前には現場に着いた。案の定、長老は軽トラの運転席にいた。小屋のカギのありかを忘れたようで、薪ストーブを炊かずに待っていてくれたのであった。

薪に火を付けながら、長老は「年寄に聞いてみたんだが(自分も十分高齢だが)、あんたらのような使い道ならバチバチより土ソリがいいっていうんだ」と土ソリの簡単な図面をポケットから出して見せた。本人はもう頭の中に見取り図ができていて、説明するのももどかしそうだったので、わたしもあまり突っ込まずにうなづきながらわかったふりをした(笑い)。

先週伐倒した一番太いナラを製材して作るらしい。上厚真の賃引きの木工所に丸太を持ちこむのだ。元口で直径38cmを2mで切り、もう一つはやはり元口で28cmほどあったのも2mで採材した。問題は運び方だ。軽トラを木立をぬって現場までいれ、200kgほどある丸太を、一度、踊り場のような丸太を作って仮置きし、2回に分けて二人でようやく片方を荷台に乗せ、あとは大トビを使い転がした。さて、山の神のころ、どんな土ソリが出来上がるか、楽しみ。

■静かな山仕事

雨が小降りになったので11時ころからはtudukiさんと先週の伐倒木の整理を昼過ぎまで。林が静かだ。
 

 
 
 
お昼は小屋の中があまりに暗いのでろうそくを使用。これも山小屋らしくて良い。なごむ。薪ストーブもよく燃えて、やかん二ついっぱいのお湯が沸いているのでまあまあリッチな気分だ。

午後、雨が止まず作業はあきらめてtudukiさんが帰って、やがて2時ころからまた小降りになったので、玉切りと枝の片づけにひとり着手。玉切りだけしておけば、一輪車で小屋のそばに運んで割ることができる

切り株で今年最後の紅葉をバックに自撮り。
 

 


小田桐久一郎師範を招いて
   チェンソーワークの奥義を聞く


2016/10/29 sat ---10/30 sun
10/29 abe abe(br) inaba odagiri oyama kuri kusa sakai tomik & m migita wada
= 12 perosns +11persons






以下、二日間の講習で、観たこと、聞いたこと、考えたことのほろ酔い備忘録

雑木林の手入れは一期一会


青森から小田桐師範を招いてのチェンソー講習会。
折からの紅葉は、手入れをしてきたゾーンを色鮮やかに装飾し、じっと見ているだけで達成感を生むような、そんな日和だった。

初日の講習はチェンソーの仕組みに始まり、手足のように自在に操って樹木と向き合う術を見せてもらった。チェンソーは奥深い。自ら試して経験しながらでなければ安全な操作はもちろん、上達はおぼつかない。やってみないと身につかないヨガや瞑想の「不立文字」(ふりゅうもんじ)の世界に通じるものがある。

師範の言葉の中には、師範のたどり着いたキーワードがちりばめられているが、これも効く耳を持たない限り届かない。安全に木を伐るとは、究極のところ、「折る」ことだ、とおっしゃる。どこかつながり(ツル)を残しながら向こう側に倒す。切って樹幹本体を自由に動かすのではない。一列の切り残し(つる)を作ってこれに倒れる方向をコントロールさせる。ことほど左様に、己の実感を伴って聞けるようでないと伝わらない。物事はわかる人、わかる努力を惜しまない人に初めて伝わる、真実を伝授する。チェンソーの学びは独特である。






静川のケアセンターで座学。講師の話に聞き入る。

*講師プロフィール

小田桐久一郎氏(おだぎり きゅういちろう) 

1944(昭和19)年生まれ、青森市在住。林材業安全技能師範(林業・木材製造業労働災害防止協会認定)。昭和52年、チェーンソー特別教育講師をはじめとして、グリーンマイスター研修講師、「緑の雇用」現場技能者育成事業集合研修講師、林業架線作業主任者免許講習講師など各種研修及び労働安全セミナー等の講師として活躍。これまでに延べ1万人以上の受講者をプロとして林業現場に送り出してきた。平成22年には、日本初参加となった世界伐木チャンピオンシップ(クロアチア大会)に、日本チーム(選手はすべてグリーンマイスター研修修了者)をまとめて、テクニカルリーダーとして参加。青森県庁職員を退職後、現在は青森県国有林材生産協同組合参事。




■紅く燃える林に手入れの手ごたえを感じる

出来上がった薪は、普通に燃やせばただ熱になって消えるだけだが、天然の広葉樹林を安全に伐倒する工程は、生産者のはしくれとして、その裏事情について少しだけ思うこともある。それはその材料を取る工程というのは、実はやり方を間違えば危険も伴う高度な応用問題だ、ということで、それも抜き切りともなれば大変な手間がかかるということである。割られた薪だけ見てはそれはわかってもらえない。

広葉樹は一本として同じ枝ぶりはなく、傾いていたり、隣の木にかぶさっていたり、ツルで何本もからめられていたり、思わぬ空洞だったり、伐倒する側からみればまさに千変万化である。だから私たちの現状では、労働力の投下と、薪の販売価格とがうまく釣り合っているとは、正直言いにくい。手間と収穫・収入はバランスしない。

そこには、「林を手入れするぜいたく」、薪を作る「道楽」、その結果達成できる「エコな生活」というもう一つの価値観を挟む必要があり、事実わたしたちはそれに支えられている。一方、間伐による薪はもっと付加価値を認める価格の流通が求められるかもしれない。ある意味、国内版フェアトレード、あるいは薪FSCのようなものだ。

「間伐による薪」として安売りをやめ、付加価値をPRすることも考えるのだ。しかしこれは一筋縄には行かない。スキルアップから思わぬ展開となった。ほろ酔いがなせる業だ。酒を飲みながらこんなホラ話をしたお。

■スキルアップ講習は伐倒の難題に対応する引き出しを増やしてくれる

意外と近かった海岸段丘(作業の南端)をみて戻るとき、荒れた未着手の光景と、手入れしたあとの前後の光景がまるで違うことに感動した。数百m続く手入れされてきた林の紅葉がまるでちがうのだった。北大雨竜研究林の坂井さんも、こんな平地林のこんな林相と手入れ結果を見るのは初めてだ、といっていた。

わたしたちはひょっとすると、結構、面白い試みをしてきたのではないか、と改めて思う。

伐倒方向を確認。

手入れ個所の紅葉。

前日、朝の6時にフェリーで着いたばかりの師範を大島山林に案内した時に、クサビを二枚使った切り株に気づいた師範はいうのである。わたしたちが「oyama式」と呼ぶ方法だ。

「これは誰が伐採したのですか?」
「NPOのメンバーのだれかです。わたしたちはたいていみんなこの方式で伐倒しています。」(実はすべての人ではないのだが)


 



山仕事では難題の一つとされる掛かり木処理に「シンカンセン」といわれる新技術が紹介された(上)。なかなか動画にも向いたスピード感あり。下写真は懇親会。



■残されている山仕事の総量が見えだした

5,6年前、山仕事のテントを初めて張ったころ、70ヘクタールある林の手入れすべき面積の多さを肌で実感し、がっくりきたものだった。町内会の人と山林を一周した時も、作業テントから南の海岸段丘まで、優に300mほどもあって、うんざりしたのを思い出す。

それがこのたびの講習に際して作業の現在地から南に進んでみると海岸段丘まではもう80mほどだ。「終わりは遠くない」。歳をへて山仕事が無理になるころまでには終らないだろうとみていたのに、そうではない。
 


海岸段丘が大島山林の南端。そこまでの手入れ未着手の現況はこんな風。風倒木もツルに絡まれた状況の連続だから、非常に手入れのしがいがある。

フットパスの両側30mを修景できればそれでいい、というつもりできたのが、いつのまにか全林が対象になってきた。だから遅々として面積ははかどらなかったが、石の上にも3年、マップにも落としたようにアメーバのように作業済み個所は広がっていた。

ツル切り・除伐、傾斜木整理、間伐を一通り終えた後は、根返り予備軍の伐倒だ。大木なって根返りを起こしそうなものを択伐していくもの。そうすると、今回の2日目でできたような空地(ギャップ)もできて、萌芽更新も進む可能性が大きい。

よその方々に来てもらい意見交換を繰り返しているうちに、次第と将来の方針のようなものが見えてきた。わたしが70歳になるころ、大島山林の1回目の手入れ(公社側を除く)は、一段落するだろう。しかし、とたんになにか寂しくなった
 


最後のパフォーマンス=模範伐倒は上の写真のカラマツをお願いした。写真はその伐倒の結果で、師範は切り株は伐倒する人の技量を映す履歴書だとおっしゃる。

実はこの、安全確実な欧州の伐木手法を初めて日本に紹介したのが小田桐師範だったのである。それを書籍で知った会員のabeさんがまず自らの本業の安全と効率のために取り入れ実践し、それをNPOのスキルアップ講習のテキストに活用し紹介したのがことのハシリだった。そうとは知らない師範は、こんな胆振の片隅の雑木林で、クサビを2枚使った切り株を発見したのである。さぞ驚かれたと思う。

この講習会の企画はabeさんの、「師範に直接指導を乞いたい」という思いがスタートだった。朝の切り株の出会いは、相当に意外な出会いで「縁」だったといえる。しかも、この安全で確実で、当然理論的でもあるこの手法は、若者を林業に呼び寄せる「力」を持っていると思う。これがまだ一般化していないのは、日本の林業の後進性を象徴しているかもしれない。

林業が依然として3K仕事とみなされているのもその辺に関係がある。安全確実なメソッドとして、伝えられるものは伝え、学ぶものは学んで、自分の安全と効率に投資する。社会の仕組みもそれをマニュアルとして応援する必要があるが、後進性がそれをさぼってきたのかもしれない。

確実に効率よく伐採して生産性をあげるのだ、と欧州のフォレスターは言っていた。チェンソーマンはその生産性向上の一番手であり、現場での地位もかなり高いという。

少なくとも、わたしたちのチェンソーワークも素人とは言えどんな場合でも安全確実に対応できるよう、伐倒技術の引き出しを多くすべく研鑽を積まねばならないと自戒する。

こざっぱりしたファッションで、理論的で生態にも気配りし、付加価値の高い生産をする・・・。かつ、それでGDPにしっかり寄与する・・・。行政や大学研究機関がちっとも果たせなかった林業というビジネスを、これからの若い人がひょっとしたら立ち上げられないものだろうか。わたしはそのシンボルがこの伐木手法のような気がしてきた。



******書き忘れたこと********* 11/3 補足

●「放置された雑木林の伐採で掛かり木になるのは当たり前」(師範)

師範による今回の研修で安心したことの一つはこれではないだろうか。もしかしたら自信をもった方もいたかもしれない。これまでの現場では、日によっては掛かり木の連続で、挫折感に打ちひしがれる日もあった。もちろん、逆もあった。しかし、師範の試技にもよくあったように、針葉樹と違って微妙に「掛かる」、そして「折れない」。そこへロープや滑車を用いて安全策をとったが、作業のスピードは大幅に落ちるのが難点だ。わたしは、掛かり木をしばしば「元玉(元玉)切り」と「大トビ」でしのいでいるが、「元玉切り」は官庁が主催する伐木講習では絶対やってはいけない切り方とされている。もっとも死亡事故の多いのがこの行程だと聞いたこともある。

●「なぜ、元玉切りが厳しく禁止されているのか」(草苅)

そこで、講習が終わって着替えをしているときに、わたし自身がこの元玉切りをよくやっていることを師範に告げて、本当のところ、元玉切りのどの部分が危険とされているのか、ずばり聞いてみた。答えは明快だった。元玉切りをしていくと次第に掛かり木が立ってきて、やがて直立状態になる、その木のはどちらに倒れるかがわからない、その下敷きになって亡くなるケースが多いためだ、と。

これはわたしもかつてよく経験した。自分の方に倒れてきたこともあった。そのためロープで引っ張ったりしたこともあったが、今は、斜めの状態で大トビを使って元玉切りと併用するようにしている。師範は、直立する危険さを知っていて対応ができていれば問題はないとおっしゃっていた。これで納得がいった。


第7回の通常総会と紅葉の風景

2016/10/22 SAT 8℃
inaba oyama kusa saitoh takizawa tomik &m wada = 8 persons

■総会@テラス

 

 
↑ハスカップおにぎり

2010年の1月に法人の認証を得た当NPOは7年目の総会を迎えた。40名の会員のうち27名の委任状をいただき、8名が参加した。議事はすべて報告事項。

内容はざっとお話してすまし、本番はこれまでの反省とこれからの展望について。これまでカンパのような形で支援してくれた方々には、NPOの一応の財政基盤も整ってきつつあることから、これからは無理なお願いはせず、緩やかにご参加いただくことにした。

環境保全事業で間伐から薪づくりまでの期間が長いのでこれをもっと効率よく進めるために、

①伐採を12月と1月
②運搬を1月末から3月初め
③積み込み~搬出~積み下ろしの行程に各2名から3名を張り付け、積み下ろし班は待ち時間に玉切り・薪割りも並行
④サイクルタイム短縮のためにソリをもう一台確保し積み込み班はロス短縮


特に④は斎藤泉さんの発案。ソリは伝統的な「バチバチ」を試作してもらうこととなった。

ハスカップ事業はもうひとつの群落の確認と、出版予定冊子「ハスカップとわたし」(仮称)の原稿集め、ヒアリングを継続し、29年度には本格的に編集に着手

厚真町のNPO「あつま森林(もり)結びの会」が苫東内の広葉樹保育も目指していることから、協働する部分があれば応援することとした。

大島山林の利用と交流については、今年本格的に着手した「探鳥会」「キノコ勉強会」「森林と心身の健康研修会」は発展的に継続し、特に健康関係は29年秋、虫の発生が終わる11月ころに企画する。また、薪積みが現代人のストレス緩和などにとてもいい影響を持ちそうなことから、薪積み作業をホームページをはじめ一般に公募するような形で進め、昼食会のBBQを行うこととした。これらは遠浅町内会と連携する。

今後は10月29日、30日に小田桐師範のチェンソー講習会、12月5日に北大公共政策大学院、開発協会と共催するコモンズフォーラムⅥ(12/5 北大百年記念会館)がある。

■紅葉は見ごろ、ピークは今週か

 
↑小屋周り                            ↑育林コンペゾーン
 
手入れをした場所の紅葉は鮮やかだ(上段右の写真では左、下段左の写真も手入れは道路左)。下段右の写真では手入れは右側。

和田さん、migitaさんが育林コンペに参加したいとのことで、和田さんを担当してもらうゾーンに案内。かつてinaba、nakatuペアがあてがわれていたところ。6つのエリアをひとつずつ眺めてみると、各々に味があり、かつてを知るわたしは20年前からのコンペが浮かんでくる。各々に履歴があり、旧オーナーもいる。みんなどうしただろうか。

和田さんのゾーンは初回の育林コンペではレディスネットワークの女性だけの作業場だった。あの頃の3年間に彼女らは次々と子供を産み、確か8人の赤ちゃんが生まれたはず。だから、雑木林は子宝を授かる、と本気で言われていた。あの頃の赤ちゃんももうすぐ成人式だ。

あの頃の様子は「雑木林からの発信」につまびらかにした。サマリーはこちら。16年から18年前の話。



冬の山仕事へ準備進む
2016/10/15 sat 快晴 15℃くらい
inaba oyama kai kusa tomik & m tuduki = 7 persons  平日、migita、sekimuraさんが搬入仕事

冬の現場テントのリフォームと資機材の搬入

長老・右田さんと電話で打ち合わせ、15日は右田さんが出れないから軽トラでテーブルと薪だけは運ぶこと、薪はテントに放り込んでもらうだけでいいこと、などとしました。

ほかにも何かと運ぶものがあるので、わたしは厚真の斉藤泉さんに軽トラックを借りて薪小屋から資機材を詰めるだけ積み9時半過ぎにテントに行くと、inabaさんがすでに薪の片付けしていました。午前は大島山林で、冬の作業用テントへもろもろの資材を搬入して、薪ストーブに点火。ゴミは外で焚火風に仕末。昼前にはほかのメンバーもそろって、いわゆる引っ越しが完了。再来週はここで2日目のチェンソー講習が行われる。ちょっと予定を変更したのはそのためでした。
 

雨漏りしていた天蓋部分のブルーシートを新品の一枚ものに代えてくれたから、明るいし快適度が増した感じ。なかなかアズマシイ感じになってきました。昼休み、ドロノキの周りを一周してから午後は育林コンペゾーンへ回る。

マイ・ゾーンはモミジの林にしよう(育林コンペゾーンで
 

 

軽トラなら豊川地区の近道が楽に使えるので、シカ柵を空けてショートカット。ここなら大島と育林は実に近い感じで、軽トラックがほしくなる。それに荷台にチェンソーやモロモロを積み込むだけの安易さも天国だ。わたしのゾーンに顔を出したkaiさんが、「プリウスよりずっと似合う」というように、タイヤを泥だらけにして林道を走るのは確かに車種の選び方が間違っている。首に日本手ぬぐいを巻いて、鼻水垂らして林道を疾駆して山仕事がしたい。そのために軽トラックがほしい・・・。(笑い

伐倒数本目に、突如割れる(上4枚の右上)。なんとなく嫌な感じもしたが、よく見ると芯が腐っていた。株立ちの樹木の株きりをすると、本当に残した樹木も不朽が早いとの説は本当か、事例を見ていてほしいと頼まれた。

abeさんのゾーンは一つの典型で、笹なしの低密度に向かっていてもうかなり成功している。わたしのところは前任者が全く手を付けていない所で、まだまだ抜かなければならない。でも、よく歩くとイタヤカエデとヤマモミジが多く、カツラも何本かある。よし、わたしのゾーンは、紅葉するカエデなどを重用してできるだけ残し、界隈では最も美しい紅葉する林をめざそう。笹は刈らないでフットパス程度にし、オーナー看板のあたりに、観賞用のベンチと、小さなツリーテラスをつくろう。

シーズン初めのチェンソー仕事だから少しずつ研いだチェンソーの切れ味を楽しんだが、何本目かのナラはいきなり割れた。芯が腐っていたのだ。これも混み過ぎが一因している。

■山の辺の美しさ
 

稀に見る好天が続き、夜はハクチョウたちが悲しそうな声で鳴きかわしながら南へ渡っている。軽トラを返却した帰途、つた森山林山林の山辺を歩いてみる。大好きな時間帯と季節であり、大げさにいえばカムイミンタラの世界が時々展開する。もう4時半ともなると樽前方面に日が沈みかけ、車に戻るころはもう薄暮の世界だった。今日も穏やかに暮れる。


育林コンペ「abeさんに追いつけ」
2016/10/08 sat 曇り 19℃
inaba oyama kai kusa tomi-k = 5 persons

■テラス、仕上がる
 



前回作業に続き、2回目の塗布。側面や小屋本体の手すりと階段なども塗りこみ、とりあえず、万全策を施して完了。
乾ききる前に、夕方、雨が降り出して、美しい造形が現れた。

キノコはほとんど見えず。ナメコが少々、エノキも少々。
 

■育林コンペ「安部さんに追いつけるか」
 

じわじわと進む里山育林作業の「育林コンペ」。現在のところ、メンバーabeさんの作業がトップを進んでいるようだ(左)。
氏のゾーンは遠方も見通せるような仕上がりとなっていて、一昨年から続けられてきた笹刈がこの夏も敢行され、
その成果が別天地を醸し出している。
 

私のゾーンの北隣のtomikさんは、南東端の入口を起点にこれから本格的に入る段階。

さて私は両隣を見比べながら両者とは違う方向で挑目ざるを得ないと思案。両隣が刈りこむことによる清涼感を
目指すとなれば私は「さらなる省力化」と「美観形成」を目指すことにしようかと思う。

笹は必要以上には刈らずそのままにして、ツル切り、除伐など掃除伐をして様子をみたあと、林道からみた快適度
を考慮したい。密度をかなり低くしようかと思う。

上の写真右は林道の両側比較。左は保安林で高密度。手入れの効果がわかる。

■雑木林の至福
 

昼休み、ご飯の前に林道から厚真側の林にひとり、入る。カラマツ造林地と広葉樹林の境界をキノコ目線で歩いてみる。
歩きやすく、その一方で多様な植生もあり、やはり心躍る林だ。これが500ha以上続いているのだ。ヤマハンノキの造林地
にもほとんどエノキタケは見当たらず、昼食の場に帰還。至福の極みを感じる。



今年のボリボリはこれで終わりなのだろうか

2016/10/01 sat 快晴 20℃
inaba kai kusa tomi-k tuduki nakamura-pair = 7 persons

■まさかこれで終わりか、今年のキノコ

朝、10℃近くまで下がってきた。しかも快晴の日が続く。これで今年のボリボリも本格化する、と見た人は少なくないかも。案の定、林の中は踏みしだかれた跡があった。やはりかなり出たのだろうか?大島山林の入口には車2台が止まっていて、籠にいっぱいのボリボリを下げた男性とフットパスで出会った。

「どうですか?」
「まずまず。木曜日にもきたんだ。場所は草むらとか切り株なんか様々だった。」

地元の人ではない。なにかどことなく後ろめたさでも感じるのだろうか、よそよそしく、一人は籠を見せもしないで過ぎていった。



札幌のNさん夫妻と連れ立って山林の正式な入口から9時半にスタート。わたしはチェンソーを担いで、籠も背負った。池の手前でまず手ごろなハタケシメジ(上)を発見。ドロノキを超えて上ったところによく出るチャナメツムタケはまだ気配がない。フットパスの脇にいくつかの群がりをみつけて採るが、声を出すほどの群落ではない。テントのそばでtomi-kさんとばったり。右下のように散発だ。

 

途中、イタヤカエデと白樺の倒木があって、玉切りして林床に寝かせた。
シャツの上からも軍手の上からも、蚊は容赦なく刺してかゆいことこの上ない。しかし、なんだか一喜一憂するのが馬鹿らしくなってきた。刺されるのが快楽だとは言わないが、心頭滅却すれば、、、の気持ちも少しわかるような、しかし私のそれは「しばしの我慢」というアキラメのようだった。



多様な植生が渾然としたヤブを歩きながら、手ごろな雑木林を廻る幸せ、至福を感じる。キノコの収穫の量はもうどうでもいい。ハタケシメジはそうめんの吸い物にして、ボリボリは味噌汁でも2,3回分ある。もうこれでボリボリは満足。あと、エノキタケとシメジに出会いたいところ。

■テラスと落ち葉のエコトイレ(leaf-let)の防腐剤塗り

わたしらが大島山林で枝拾いとキノコ巡りをしている間に、inabaさんとkaiさんはケアセンターのテラスに防腐剤を塗っており、tudukiさんは育林コンペに出かけていた模様。お昼の小屋で合流してわかった。

 

テラスはなかなかすっきりして、気持ちの良い仕上がり。結局乾ききれなかったので、次回もう一度挑戦することになった。塗料や防腐剤というのは2回、つまりブースター効果を狙うのが常道だという。予防接種というのもそういえば2回やるのが効くと聞いた。

ことのついでで落ち葉のエコトイレも防腐剤を塗った。ただし外側中心。

■チェンソー講習会の伐木エリア

10月29日の小田桐師範のチェンソー講習会で、伐採デモをどこでやってもらうか、小屋周りで探した。直径20cm前後が最もポピュラーなのだが、30cm前後や、掛かり木、根がえり見込みなど、いくつかのバリエーションも加えて黄色のテープを付けてみた。小屋周りも、もっと疎な林にすべくここ2,3年をかけて、萌芽する林の密度に変えたい。
 

小屋の周りももっと透かして明るくしよう

大島山林でも歩きながら考えていたのだが、将来に向けて持続的にきれいな広葉樹林であり続けるための間伐の方法は、

①現在取り組んでいる掃除伐のように、フットパスの両側のツル切り、除伐と間伐を進め
②2周目の間伐では、できるだけ大木の林に導きながら(=ha300本~500本)手入れする
③広場の一角にドングリの実生の苗畑をつくる。林道に生えた実生のやまどり苗のほか、ドングリを播いた苗を作っておく。
④密度調整したところや雑木林の穴(空き地)にこの実生苗を植えこんで、萌芽更新を補完する。
⑤大木は100年前後で根がえりを起こすの常だから、直径50cmになる直前ぐらいに伐採。
⑥大木は、銘木にする、という腹積もりだったが、こういう雑木林では業者はせいぜいパルプ材にしか取らないというのが通常だという(パルプ材で買ってやや高い用材として売ってもうけをつくる)のは、複数の商売人、研究者に聞いてきたこと。思い起こせば当たり前のこと。
⑦それでこの山林では、将来木施業という理想を変更して、大木もやがては基本「薪」にする。薪生産を柱にしても、大木は少々の手間で大量の薪ができるので、効率性は高い。

こう割り切ると、また少し展望が開けてきた。でもやはり、散策するのが楽しい、持続的な林をめざすのはもちろんだ。


NPOの理事会を小屋のテラスで

2016/09/24 sat 晴れ 19℃
inaba oyama kai kusa takizawa tomik = 6 persons

■11時から理事会

10月22日の第7回総会に向けて、理事会を開催。16回目に当たる。
事務局から、ざっくり説明しつつ、途中の各論で意見交換。そののち、昼食をはさんで発送準備など。瀧澤先生から頂いた熊本の茹で栗を賞味する。


■やっとボリボリ

南千歳経由で瀧澤先生をピックアップして小屋に行くと、何やら、木になるベンチの周りにだけボリボリが若干あったようだ。理事会終了後、先生を空港に送った食事後、大島山林に寄ってみると右田さんとばったり。ちょうど木の根株のボリボリを採取するところで、一緒に。そのあと、手入れされた箇所を一巡りしたがボリボリの気配はなかった。
 
写真左はたった1か所のボリボリ@蚊のなか、右は、テント前のエノキタケ
  
大島山林のボリボリを静川の小屋でテラスに並べる。右はフットパスで見かけたいつものきれいなkinoko


去年は8月に採取したオオイチョウタケ

春先、気づかず採取しなかったスドキが大きくなって、目こぼしを笑っているようだった。


町内会とキノコの勉強会

2016/09/17 sat 曇りのち晴れ 22℃
inaba oyama kusa tomik & m migita wada
町内会等18 = 25 persons


■今年はどうしたのだろう

去年、おととしと大豊作だった、道産子の大好物ボリボリ(ならたけ)が今年はさっぱり出ていない。雨も多く、そこそこ温かく、週の初めに低温がやってきたから「もうそろそろ」と期待していたも多かっただろう。

天候も17日は悪くないと踏んでいたら、明け方から強雨が屋根をたたいた。「もうこれは中止だな」と思わせる降りだった。午前6時前、雨雲レーダーを確認すると、室蘭の地球岬あたりから早来方面にかけて、かなりしっかりした雨雲があった。

「これは直撃だ」と判断して午前6時半、遠浅の和田さんに「中止にしましょう」、と連絡、キノコのoyama講師にもメッセージを送る。ちなみに明日は別のキノコの会があり、順延は無理な由。掲示板にも中止の書き込みを完了。

しかし、ほどなく雨が止んだ。雨雲レーダーを見ると雨雲が苫小牧沖に南下して、このままなら雨はもう降らない。

「よし、中止は中止して、やろう」。なんともみっともない読み間違いだが、雨雲群が南にずれたのだから仕方がない。屋外活動をうまくやるために、雨雲レーダーはいまや不可欠だが、10分単位で雨から避難したりして読みが当たることもある反面、こんなこともある。

それにしても、目まぐるしく天気が変わる。今年は天候がちょっと変だ。ついでにキノコも変だ。
(といいながらも昨年大収穫だった静川のオオイチョウタケ↑は傘が直径20cmにも開いて一つだけ健在だった。ほかはなし。)

■キノコは食べられようと食不適だろうと「知るは楽しみなり」
  

予定の9時半の30分以上前に、町内会の人たちが集まりだして、事審農作物の収穫や、キノコ談議が始まっている。沼ノ端から女性3人が来て特別参加。
 
9時半に山に入って青テント方面に案内。目印がないから、テントの周りならば迷子にならないしサインもある。何より手入れされた後なので、暗い藪よりキノコは出ているはず。相変わらず蚊は多いが、どうもキノコの出は芳しくない。

案の定、小一時間でほとんどの人は戻ってきた。それでも袋からテーブルにキノコを出して同じものをグループにしてから、oyama講師が分別をしてみると25種。参加者25名。

採れたものは、もっとも多かった毒キノコのドクツルタケをはじめ、タマゴテングタケ、ガンタケ、ヒロヒダタケ、ニッケイタケ、ヌメリニガタケ、チシオタケ、ヒロハチチタケ、カノシタ、ヌメリツバタケ、ウスヒラタケ、ムジナタケ、ニガイグチ、マクキヌガサタケ、ツエタケ、エノキタケ、カレバタケ(?)、シロカイメンタケ、チョウジチチタケ、ズキンタケ、チョウゲンジウマノケタケ、ウマノケタケ、ベニタケの仲間、ミミナミハタケ、オオホウライ。


■キノコで雑木林とつながり、つながりが里山を復活させる、これが新しいエコ・ライフ

会場には地元苫小牧民報社の山田記者が顔を見せた。いつもはハスカップの記事を取材してくれていたのだが、実は雑木林の保育がわたしたちのメインなので、薪や林もたまに見に来ませんか、と声をかけていたのだった。その約束が9月17日であり、それが結果、キノコの会の日になった。偶然である。

今日の催しについてわたしは、

①NPOは設立前の2008年から大島山林の手入れを始めたこと
②苫東との協定で山林70ha全体をコモンズとして保育管理し、池周辺10haは町内会が園地化して利用すること。ただし高齢化で担い手が少なくなったこと
③放置されてきた林なので、まずツル切り、倒木整理、枯れ木の片付け、除間伐という手順で進行し、こぎれいな林をまずめざしていること
④材はスノーモービルで冬に運んで切って薪にして利用、管理用のフットパスを開設しサインを付けていること
こんな身近な雑木林を散策など利用する町民はわずかなので、NPOは林とつなぐイベントを企画し、町内会と協働で実施していること

などをお伝えした。キノコで雑木林とつながり、こうしたつながりが、人の手によって維持される「里山」をやがては復活させることにつながるんだ、という持論も忘れずにPRした。

忘れられた、里山や雑木林のある暮らし
 

心と体を身近な雑木林に休め、ブッダが木の下で冥想したように自分のこころの内側を見つめて(自己内観)、自分と対話する。人間にはもともと、仏性(ぶっしょう)と呼ばれる良心のかたまりを持っていて、悩む者、問いかける者には、自らの内側に備わっているその仏性が答えをくれるのである。

今のままでいいんだよ」「おまえはこの世にふたりといないかけがえのないものだ」。
この答えは森林セラピーを実践した人の感想から拾ったものでもあるが、わたしもよく体験してきたことだ。不安打開の道は、体当たりして生きる覚悟をすることであり、その心を決めたときに人は積極心が生じてくる。

樹木の中に居たり歩いたりあるいたり座ったりするだけで、このような気持ちになれる、そんな行きやすい、気持ちのいい林をわたしは創りたい。そのためにはより美しい場を創り、あるいは美しい快適な時期を選んで近づけばよい


里山の手仕事

2016/09/10 sat 曇り時々晴れ 24℃
inaba kai kusa =3 persons


■里山、する

小屋を建ててみると人が集まって周りをきれいにしたくなり、より快適にしようという欲も出る。そうしているうちに、仕事がどんどん膨らんできて、小屋と周りを維持するだけでとんでもない労力がかかることを知る。

こうして林が里山っぽくなってきた。驚くほど細々とした「手仕事」があり、ああ、昔の人はこの「手仕事」をしながら、日々の悩みやうっぷんや悲しみと対話していたのではないか、などと思うことがしばしばだった。もう現代のものとは思えない癒される時間である。これを「里山する」と呼んでみたいプレゼントしてあげたい、そんな性質のものだ。

■トイレ、いや、板壁を移設する

歯医者で1時間以上遅れて現場に着くと、inabaさんがすでに「木になるベンチ」の防腐剤塗りを終え、テラスで休んでいた。蚊は一段と多く蚊取り線香がふたつ、くゆらしてある。
 
またずいぶん枝が落ちた。昨日からぐんと低温になったからもしや、との思いで腰に籠をつけてフットパスの枝拾いにふたりで出かけた。枝をたくさん落ちていたが、ボリボリなどはなかった。蚊は軍手やシャツの上からも刺した。ネットが欠かせない。

お昼前にkaiさんが来て、昼食後、トイレ移設に取り掛かる。トイレといっても人の居る小屋側に背をむけて、林に向かって座るもの。深さ80cmほどの穴があり、V字型に枕木が渡してあるだけ。
 
なんの囲いもない林に向かって用を足すなんて
とんでもない、という声と、なんと素晴らしい、爽快、という声に分かれる。でもね、ここに限らず一度誰もいない林の中で用を足してみたらよい。排泄される自分のモノをみて、「ああ、自分のからだこそ、自然だったんだ」という新鮮な驚きに「おどろく」のではないか。

当たり前だが、蚊はまだまだ居た

2016/09/03 sat 曇り 25℃ 
inaba kai kusa tomik & m tuzuki = 6 persons


憎きヤツ、意気阻喪させた蚊

またまたぐずついた天気。朝、苫小牧は雨が降った。
今日の仕事は、台風後の落ち枝のかたずけと、小屋周りの刈り払い地の拡大。

11時過ぎに一服するまで、蚊と戦いつつ一仕事終了。午後からはますます蚊の来襲に意気阻喪して
早めの休息。3時過ぎからもう一度気を入れ直して挑戦。なんだか、気の乗らない山仕事だったが、
今日のひと頑張りで、すっかり里山っぽい風景は拡大した。
 
昼の憩い↑&↓
  

ミラクルな落ち枝が示唆すること

台風10号の置き土産だろうか、久々の「ミラクルな落ち枝」はこの1ヘクタールにも満たない刈り払いゾーンでも20事例ほど出会った。考えれば恐ろしいことでもある。枝が落ちそうな風のある日に、こういった広葉樹林に来てはいけない、ということになる。

奥入瀬渓谷で枝の落下で事故にあった被害訴訟で、管理者の国・国立公園側が敗訴したが、同じ事故が広葉樹林にはあまねく存在しうることを肝に銘じる必要がある。

その根っこにあるのは、少なくともここコナラを中心にした雑木林では、枝が触れ合うと枝が枯れ始め、樹木本体がその枝の根元から「捨てる」、つまり折あれば落下する、という仕組みにある。落ち枝は、「気をつけなさいよ」と教えていることになる。


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