100年で500万人の開発と民藝的世界について思う

NO.119
2022/07/02

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7月に入ってからでは遅いかな、と思いつつ2回目の山椒の実を採りに出かけてみると、まったく手つかずで残っていた。近隣の人が誰もここの山椒を採取せず独占できるのはありがたいが、一方でとても残念な気もする。

柳宗悦は『手仕事の日本』のなかで、特色ある民藝(民衆の工芸品)は日本の南北の端にいくほど顕著だが、それは北は東北までで北海道は歴史が新しいために土着のものを見かけない、と道民から見れば実にツレナイ書き方をしている。

北海道は開拓という歴史が始まってから約100年で500万人が住む島に変貌した世界でも例のない脅威の大地だ。そのせいもあってか、人々の営みは本州に比べると1周どころか2周も3周も遅れてスタートしたから、きっと落ち着いた暮らしの余裕などないまま、日本的な民藝の熟成に到達しないうちに西洋の文明に席巻されたのではないか、と考えることもできる。






俳句を作りたくなる光景に出会う

2022/09/28 wed 晴れ 22℃
solo with wife

雲と林と薪



俳句の季語に多い秋の雲。そんな空に出会った。筋雲だろうか。途中の沿道のお店前で、スマホをかざしているご婦人がいたのでなんだろうと反対側を見ると、この雲があった。スマホのおかげで、庶民はフォトグラファーの卵と化す。先日は隣のおばさんが庭で大きくなったヒマワリを撮っていた。お孫さんにでも送るのだろうか。歌心があれば、あれもこれも、ひとつ俳句でも、の気分だ。

雑木林のもう一つの風景



フットパスには依然として大量の枝が落ちている。蚊さえいなければ、枝を拾いながらの散歩はかなり楽しい時間だが、まだまだ蚊が寄ってくるから紅葉まで待つことにしよう。

奇妙なことが一つ。中広場のベンチが一つ足りない。目を凝らしてみると広場中ほどにバラバラに壊されて放置されていた。元の位置から30m離れていて、その原因がわからない。人か動物か風か、何か。わたしが直感的に連想したのが、20年以上前、一度捕獲されたトラジロウが、暴れて壊した捕獲用の罠である。暴れてバラバラになったドラム缶の檻を思い出したのは、やわなプラスチックのベンチにできた鋭利な角が「怒り」のようなものを連想させたからかもしれない。隣の椅子は斜めにかけられたままだったから、風ではなさそう。人はこんな無駄なことは普通はしない。



使いやすい小屋へ。今日は静川の小屋にほうきやランタン、灰捨て用バケツなど簡単な備品を持ち込んだ後、山スキーとノルディックスキー3セットを奥の壁に片付け、頑丈にセットしなおされた薪ストーブに点火した。吸い込みはよく、水拭きしたのぞき窓から懐かしい赤い灯りが飛び出てきた。ささやかな初焚きとは言え、記念すべきひととき。

ボリボリは今日もほとんど出ていない。そんな時携帯に一報が入り、キノコの代わりに帰途、家庭菜園の白菜とキャベツをいただくことになった。



豪雨に集う

2022/09/24 sat 大雨、のち曇り
abe-e oyama kai kusa tomi-k ya-taro = 6 persons

大雨のテントでコモンズの先を占う

大雨の予報はぴたりと当たり、出てくるのを見合わせた人が多かった。思った以上に雨は強く、11時前までは、いつものとおり積みおかれていた森づくりの周囲にあるもろもろの懸案、例えば、軽トラックの使用要領とか、各種普請や修理の財源ねん出、薪単価のことなどについて、意見交換した。理事と監事、事務局長がそろっていたからさながら運営会議の様相になる。

特に軽トラックはコモンズの森に欠かせない万能機材となっているため、継続利用や借り上げ要領などは地味なことだが詰めておく必要がある。これは担当のabe-e さんが素案の素案をプリントしてくれていたので、方向性について思うところを述べ合った。

静川小屋のリフォーム、いよいよ終盤

雨が上がりそうになって、倒壊した薪の積み直しと当初予定のキノコ出具合を見て歩き、早めの昼。その昼ご飯を早々に済ませて、破損で更新するため不要になった箱型薪ストーブを、会友の斎藤さん宅に届け、全員、静川の小屋に集結。



小屋の内部で、ya-taro さんは、abe-b さんから寄贈された森づくりと伐倒技術の本などを、整理して収納すべく寸法を採り、いよいよ本棚の見取り図を描き始めた。わたしは、薪ストーブの剥がれたガスケットを新しいものに入れ替えガスケットセメントで貼り付けた。これに用意した8ミリのガスケット2mをほぼ使い切った。揺れていた煙突も2階の屋根に針金でしっかり固定し、これでリフォームされた小屋は、2022年秋の火入れを待つ。



外では、oyama さんとtomi-k さんは、大風でかしいでいた青空オープントイレ「リーフレット leaf-let 」を、鋼管3本で固定し直した。折も折、リーフレットのもととなる落ち葉は、急激に腐食し始めていて、葉っぱ用のかごは新しい落ち葉を待って補てんされる。それもあと1か月である。

時に、豪雨にも集う、とはどういうことか、考えてみる。いつも古い人ほどよく出てくるからある種生活のリズムか、天候の変動についてのある種の悟りか、はたまた my-SATOYAMA の熟成か・・・。大雪の日の大集合を思い出しても、雑木林は不思議な吸引力を持っていると思う。雨上がりの午後、盛大な焚火を見ながら、ゆったりとした仕事風景が展開していた。ボリボリはなかった。あと数日を要するか。


薪の需要と価格差


2022/09/23 fri 秋分の日 雨

薪の価格

薪ストーブの人気は依然上がっているという噂があり、付随して薪の需要はどうなのか、気になるところである。最近、千歳の森林組合が薪販売をやめる、という情報が urabe さんから寄せられたので、ホームページをのぞいてみると、令和5年納品の薪材と割り薪については新規希望者への配達による納品はしない、という趣旨のようで、販売の拡大を停止したように読める。

ちなみに、千歳市森林組合の薪の単価はどうか。

  割り薪30cm 27,500円/m3  
   (比較 240cm薪材=原木は 10,450円)

1棚に換算すると74,500円、苫小牧まで2棚(14,9000円)を運搬してもらうこととすれば、

3立方mあたり18,700円だから2棚5.4m3では2台となり37,400円
計186,400円となる。

自宅まで運んでもらえばかなりの金額になるうえ、恐らく2棚では足りないから、ざっと20万円は覚悟が必要だろう。

ちなみに雑木林だより118で書いた、白老の大西林業などの記事を抜粋したのが下記である。

《大西林業》
 ・基本は未乾燥
 ・苫小牧など近傍は送料込み立方mあたり価格、また10万円以上買い上げれば送料無料
 ・ナラ薪・イタヤ薪 税込み26,400円/m3(1棚換算では72,000円ほどになる)、広葉樹ミックス(ナラ  抜き)24,200円/m3(同65,300円)、 カラマツ20,500円(同55,300)

《北海道リンクウッド》
 ・乾燥済み
 ・庭先での積み上げまで、ただし、横移動の状況によって1,100円/m3 が加算
 ・ナラ薪・イタヤ薪 33,000円/m3(同89,100円) ミックス薪30,800円/m3 カラマツ 25,300円   /m3

薪の需要

薪ストーブ販売の老舗サカシタペチカによれば、千歳市森林組合の対応が影響した需要ひっ迫などの動きはないが、常態として需要が多いのは変わらないのではないか、とのこと。また、需要の多くは自宅までの配達を希望しており、現場引き取りは経費の節減とはなるが、トラックの借り上げと積み込み積み下ろしなど、一般利用者にはなかなか手が出ないようだ。

意外と取りざたされないが重要な要素に、「十分乾燥しているか」、がある。苫東コモンズのように、1年半以上乾燥するヤードがあって、次の一年分をストックし、その乾燥材を現在のように利用している現状は、じつは得難いものであることを実感している人は多くなく、割と話題にもならない。そこに至った本当の手間と年月は、知る人ぞ知る、である。


ログハウスに窓ガラスが入り、ついでに大掃除となる

2022/09/17 sat 曇り 23℃
abe-aki urabe oyama kawai-s&f kuri kusa tomi-k ya-taro = 9 persons

窓ガラスが入りテーブル移動、ついでに大掃除



灯り採りの窓制作で段取りを始めたのが 8/4、埋め込まれた鉄筋探しに手間取り、意を決して丸太をぶち抜いたのが 9/3、ガラスの寸法が決まって注文して福井県から取り寄せ、 9/17 の完成となった。ビールケースを新たに4つ用意して、重たいコナラの無垢板テーブル(静川産)を30cm持ち上げて窓に寄せたら、なんとかそれらしくなってきた。窓はurabe棟梁が丁寧にコーキングして仕上げも終わった。




ya-taro さんはもらった廃材を利用していつの間にか資材用の棚(右上)を作ってくれたおかげで、格納がすっきりした。発電機をテントに移動したのも大きかった。小屋が狭いので、作業は3,4人で限界かと思っていたら、結局合計9名が半分野次馬気分で詰めかけることとなり(薪ヤードの刈り払いに飽きたとの説も)、それでは、と 10/15 予定の大掃除に前倒しで取り掛かった。

いやはや、マンパワーがすごい。ヤングkawai の煙突掃除はもちろん、ロフトのガラクタをすべて外に出して要るもの、要らぬもの、1階に置くもの、ロフトにあげるものに選別して、残りはテントのゴミ置き場に移動させることとなった。総力戦さながらである。そうして出来上がった光景が上の写真だった。精力的に動いてくれた kawai パパが帰り際に、「楽しかった」と静かに呟いた。オヤジ9人、なんとも頼もしいのである。



そんなわけで、昼、完成祝い用のノンアルコールビール500ccを9人で分けて竣工と掃除の完了を祝った。出てきたゴミの一部はドラム缶の焼却炉で燃やし、20年来の床下の落ち葉を掻きだして林内に戻した。また一連の作業の前に、育林コンペの看板を修復してくれたようなので、2022年秋の森づくり体制は段々機が熟してきた感じがする。

小屋の経緯について(備忘録メモ)

育林コンペのことにふれたついでに、小屋の来歴についても思い出しながら簡単に紹介して、将来に向けたメモにしておきたい。

静川のこのログハウスの正式名称は「苫東・雑木林ケアセンター」で、平成2年に一帯の平木沼緑地の広葉樹間伐に着手して「美しい雑木林」を目指していた時代の平成9年に完成した。すでに北大の林学科学生と院生らも参加した育林コンペはその数年前にスタートしていたから、小屋は若い学生らもよく寝泊まりしていた。

小屋建設は、昭和63年に、苫東球場の敷地に更衣室用にカナダ産ダグラスファー(直径30~45cm)を用いたログハウスを建設したのが発端だった。この建設は当時苫東会社の職員だったわたしが企画し、当時手を挙げた3人が加わり4人がログビルディングを学びながら約1か月余りで建てたのがきっかけを生んだのである。当時はログビルのブームの後半に差し掛かったころで、カナダ人アラン・マッキーのログビルなどが注目されていた。

ちょっと横道にそれるが、建設はログビルをしたい市民を新聞で公式に6人ほど募集して「ログビルスクール」として実施した。講師は門別町で夢民村ログスクールを開催していた水野雅夫氏。スクールは前半(基礎から積み上げ)5日、後半(窓と棟上げと屋根)5日で格安の合計5万円、材料はすべて苫東持ちである。静川のログは、わたしたちがここで不眠不休の1か月間で丸太を積み上げていたのを、時々見に来ていた厚真町の建設会社社長が、これならマシンカットでできる、と踏んで取り組んだ厚真産ログハウスプロジェクトの第一弾のモデルハウスだった。

丁度その頃、カラマツはねじれが多くて使えないとか、では何年生なら使えるのかなど色々実験が行われていて、厚真のカラマツ研究会は樹齢30年を超えると使えそうだ、と発信し始めていた。厚真は伐期を迎えた材や間伐材の生産に力を入れ始めていて、カラマツのモデルハウスはこの流れを拾っていた。さらにバブル経済が破たんして、ゴルフ場用地が不良債権として社会問題になっていたころで、そのようなゴルフ場跡地にログの別荘を作って販売したい、などという構想も出ていた。小屋は、そのお手頃なモデルだったのである。

実は苫東には緑地管理を立地企業も協力して行う「苫東地区森林愛護組合」という仕組みができていて、山火事防止や工場緑化もカバーし、苫東がその事務局をしていた。担当者はやはりわたししかおらず、育林コンペはこの森林愛護組合の取り組みだった。育林コンペも小屋の管理も、コーディネーターのわたしが責任者だったが、苫東が経営破たんし当方が札幌勤務生活になってからも、育林コンペと森づくり、小屋の使用はそのまま継続させてもらうこととなった。苫東にとって緑地管理はできれば避けたい、お金のかかる重荷でもあり、それを責任が持てるコーディネーターがいるのなら使わせてもいい、というゆるい了解のもとだった。とはいえ、個人的な立場で保安林のカラマツの行為許可を取ってもらい、この雑木林ケアセンターを根城に一人で除間伐をして来たから、正式な作業であり市民の森づくり活動として時々新聞などにも取り上げられ出ていた。そしてややして『林とこころ』(北海道林業普及協会刊)という初めての著作を上梓することになった。

ログハウスの一帯はつた森山林を含むと500haを超える緩衝緑地で、元は薪炭を採った農家の備林だったようだから、放牧の形跡もある。この中から伐採年がわたしの生まれた年と同じ林班を探して建設地を決めた。つまり昭和26年に薪炭用に皆伐された二次林である。この緑地では、人工林の保育間伐が一段落した苫東として、広葉樹の手入れに着手したころで、隠れたねらいは「美しい雑木林」を取り込んだ用地分譲であり、義務付けられた工場緑化に関していえば林付きの方がはるかに付加価値が高く完成度も高かったから、美しい雑木林の保育をしてみせることは不動産業の本業にもプラスであり、作業をしてもらった子会社にとっても、材の売り上げは冬季の人件費に回せるので好都合だったのである。さらに近隣の農家からホダ木を供給してほしいという要望も出されていた。小さなログハウスであるが、このような社会的背景のもとで生まれてきたのである。

ところで、建設地の底地は言わずと知れた苫東のものである。一方、、建築確認などの手続きも合法的に着々と進め、建物の表向きの所有者は建設会社であったため、減価償却するまで必要な固定資産税を収めたと聞いている。ただ、ログハウスは、森づくりの拠点として建設したモデルハウスという触れ込みで、北海道新聞が扱ってくれたので、60軒近い問い合わせがあったと聞く。また、一説では子会社がこの建設会社に売掛金のようなものがあり、緑地管理に熱心だった子会社の偉い人が森づくりの応援のため建設費を肩代わりしてくれた、との話しも聞いたが、本当のところはわからない。

いずれにしろ、建てた会社から使用貸借の形で使わせてもらっている、というのが表面的な真相である。実質的な管理責任者はわたし、ということになるので、これまで使用前に連絡をもらうことにしている。管理責任者が知らないうちに、どこの誰かも知らない人が、勝手に泊っていて薪ストーブや火器も使っている、というのは土地所有者、森林所有者がもっとも嫌うことだからである。使用代謝契約というのは極めて危うい契約で、貸主がやめた、といえば対抗できない。だから、疎かなことはできないのだ。

さてこれからであるが、勇払原野の雑木林の「ポツンと一軒家」で、雑木林の生物多様性と森林美を堪能する隠れ家的存在意義はこれからも揺るがないだろう。それとこの小屋が、人の往来によって「里山」的な雰囲気を醸し出してきた事実は、何よりの価値がある北海道らしい実験だったように思う。野生動物王国、美しい雑木林リゾートの原型を備えた勇払原野は、まだまだ掘り起こしたい宝があるように思う。来るべき時代の課題「コモンズ」の先行事例の象徴として、存続させてほしいと願うものである。



ボリボリが乾いている


2022/09/15 thu 晴れ 24℃
solo




自宅に届いた特注窓ガラスを静川の小屋に静かに運搬。当然、そのついでに林床を巡ってキノコを探索してみたが、ボリボリが乾燥していて、他のキノコも申し合わせたように顔を見せていない。る。朝の低温はいいのだが、キノコはどうも雨を待っている感じだ。

念のため、蚊取り線香を腰に下げネットをかぶったが、不要だった。テラスは赤とんぼもちらほら。ドングリは実成りの年のようで、勿体ないくらい落ちている。ヒグマは喜びそうだが、今のところ足跡は見えなかった。

先週頭の台風11号の風で、大量の落ち枝があり、大島山林のフットパスでは枝拾いのためなかなか先に進めない。そんなときの愉しみは「ミラクルな落ち枝」探し。かなりグッサリと刺さっており、直撃されればひとたまりもない。

静川のテラスで休んでいると、市役所のOBのSさんがキノコ採りの途中に顔を出して懇談1時間余り。温暖化の影響、近隣の埋蔵文化財などに話しは及ぶ。急ぐ予定が何もないという立場は、このような時にとても助かる。


夏の終わり、秋の始まり


2022/09/10 sat 快晴 24℃
abe-e urabe oyama kawam kusa tomi-k&m ya-taro = 8 persons  顔出し= wada migita seki

■台風11号、枝落とす


9月6日の午後から風が強まり夜半から結構な風が吹いた。7日は稀に見る台風一過の快晴で、8日に、風倒木はないか、小屋の掃除を兼ねて出かけた。奇妙に直径5cm以下の落ち枝が多く、見渡すところ、太枝や風倒木はなかった。ミラクルな落ち枝は多数散見。

さて、またもや快晴の10日土曜日は大島山林で簡単な打ち合わせをしたあと、migitaさんの農園に出向いて、薪割り機を薪ヤードに運び込んだ。まだ割っていない丸太が1立法mほど広場に残っていたためである。薪棚へのシートがけなどもあって、刈り払いもたっぷりある。これに4人が取り掛かった。

朝のうち、蚊はほとんど飛んでこなかった。

このところ、作業と季節のはざまで、身の回りの環境の整頓が進んでいる。先週は、薪ヤードやフットパスの刈り払いと並行して、テント入口の自家用薪をabe-e さんがきれいに積み直し丁寧にシートがかかった(入口左)。

今日はテント内の不織布の床材が整えられ、散在していたコーヒーやお茶菓子などがtomi-m さんによってきれいにまとめられた。

現代の文化生活レベルから見れば、掘っ立て小屋よりも簡便な施設だが、われわれにとってはれっきとした作業拠点。胸躍るイヤシロチとは言えないが、それでもよりよい環境を目指すのは、事故防止などでも陰ながら役立つような気がする。今日の印象は身の丈の「清貧さ」もただようたたずまいだ。

小屋プロジェクト

urabe,ya-taro 、わたしの3人はややして小屋へ直行、tomi-k さんと合計4人で小屋のリフォームに専念した。特に、床の絨毯を剥いで、献本6箱などをロフトにあげてからは、ガラスのない新しい窓辺からの採光ができた段階で、4人、フロアの配置について意見交換した。まずテーブルを置く位置、本棚、各種器具の置き場など。それでおおよそ、配置案は固まった。「テーブルでは、窓の外を見ながら詩を書きたくなるような雰囲気を」、あるいはひとりワイングラスを傾けるような、そんな雰囲気にできないだろうか。

目指すは、エンジンオイルやガソリンの匂う作業小屋から、生活できる小屋、ヒュッテンレーベンへの脱皮である。




tomi-k さんは窓の下の薪をいったん崩して、5年以上も放置した下の段の薪と、比較的新しい薪の天地を入れ替えて積み直した。なにより、ブロックを用いて土台をあげたこともあって機能的で美的でさえある(左上)。

urabe 大工さんとわたしは粛々と窓枠を取付け終えた。新しい特注のガラスは9日に福井で発送され到着は14日だから、17日には窓制作が終わって、いよいよ、あずましい小屋づくりの本丸に取り掛かる。左下の写真は小屋右奥の一角だが、ここには本棚などを置くことになりそうで、ya-taro さんが各種部材を駆使してなにか造作を始めた(右下)。

周辺雑話

雑木林の「雑」という字が、多種多様を意味し見下した表現ではないのと同様、この項は今日や最近のもろもろの状況報告、エピソードなどを「雑話」として掲げてみる。

①朝一番、wada さんが神妙な面持ちでやって来た。左手を包帯で巻き、肩から吊っている。そして「やってしまったよ」とおっしゃる。家庭大工のさなか、丸鋸のキックバックで左手親指あたりを切断し、全治3か月とのこと。今季の「伐倒wada 塾」の開校は危ういかも。お互い、これを他山の石とし注意力が散漫にならないよう、気を抜かないで作業などに向かいたいもの。

②第9回のコモンズフォーラムの案内を 9/5 に約70名に送信したので、返信が来ている。メンバー各自の出欠の様子を聞き始めることとした。時節柄、10月は各自多忙を極めるので早々に押さえる意味もある。また、苫東コモンズの考え方にも大変共通するものをもつ「東大・癒しの森」は是非大勢の人に聴講してもらい、齋藤講師と意見交換も懇親もしたい意味ももちろんある。本腰を入れ始める。

③軽トラックの会員借り上げ単価の改訂を模索中のところ、abe-e さんがたたき台を作ってくれたので、昼食の時にそれぞれの現場で意見交換した。その結果、借り上げは500円/day、長距離は満タン返し、または燃費15km/liitter、ガソリン代150円/litter として、kmあたり10円ではどうか、と相成った。abe-e さんと事務局で再検討して公表の見込み。

④migita さんから枝豆とジャガイモの差し入れをいただき、皆で分けた。イモは「きたあかり」、枝豆は「黒豆」で、さすがの味わいだ。山形の郷里のダダ茶豆を想起させる。(わたしは帰宅してすぐ待ちきれずに枝豆をつまみながらベランダで缶ビールを空けた。)

⑤今年は6月から多様なキノコが顔を出している。tomi-k さんは、ボリボリとヌメリニガイグチを一株ずつ採っていたが、「まだでていない」、とのこと。キノコが採れる年は、奇妙に蚊の大群と遭遇する。湿り気と温度は、確かに双方が好きな環境だったかもしれない。今年は期待できそうだ。


パレット搬入と窓づくり


2022/09/03 sat 晴れのちくもり 23℃
abe-e urabe oyama kai kuri kusa tomi-k&m wada ya-taro = 10 oersons + guest 3

薪棚のパレット



今日の山仕事はみっつ。
ひとつは、薪棚の土台となるパレットと、先方が不要になった木材の部材のをいただきに出向くこと、そしてふたつめは薪ヤードの刈り払い。これはやればキリがないほどあって、このほかフットパスも実は刈り払いを待っていた。

苫東コモンズの山仕事はほぼフレックスタイムとはいえ、明確に予定が組まれればほぼいい時間に集合となる。パレット7つと部材を調達し、いつでも使える体制となった。刈り払いも進んだ。テント入口にはこの冬の薪が体裁よく積まれた。肝心の薪ストーブが煙突の付け根部分が破損していることがわかり、シーズン前に買い替えとなる。昼食のプラ容器などを燃やすために高温になるのが原因のようだが、持ち帰るべきか、やはりここで踏みとどまって徐々に燃やす方法で続けるか(わたしは山で燃やしたい派)、すこし意見交換したいところ


丸太小屋の丸太壁をぶち抜く

そして3番目の仕事は、小屋の窓づくりの本格着手である。

(以下、トップページの「雑木林&庭づくり研究室」からコピー)


いよいよ、雑木林ケアセンターのリフォームに乗り出したわけだが、このセンターは平成9年に厚真産のカラマツを使用して建設した、小さいが一応はログハウスだ。棟上げをしたのは苫東が破たんしてわたしが札幌勤務になる1年前で、ちょうど築25年になる。ここにはわたしの周りの多くの雑木林ファンや山仲間が寝泊まりし、焚火や薪ストーブを見ながら、林や山や人生を語った。平木沼緑地を管理観察し育林コンペの拠点にするのが狙いだったが、奇しくも、のっぺらぼうで放置された雑木の山が人の往来によっていつのまにか「里山」に変化してきた。それを平成22年にNPO苫東コモンズを設立した際に、NPOが周囲の里山景観とともに管理を担うことにしたものだ。

実は、丸太の腐朽をストップさせるためにベランダに屋根をかけたために室内がとても暗くなったのをほったらかしにしてきたが、我慢の限界に来た。窓をひとつ増やすついでに、床に座る方式を椅子モードに替え、作業小屋兼物置になっていたものを、いわゆる山小屋生活、山仲間風に気取って言えばちょっとしゃれたヒュッテンレーベンができるようなアズマシサを持たせたい。



ログハウスには倒壊防止のためにダボや通しボルトが縦に打たれているものだが、その位置がわからないと丸太の壁をぶち抜くことができない。そのため鉄板や裏地センサーなども導入してひとりコツコツと調べていたがどうもらちが明かず、つてをたどって設計図を探してもらってようやく概略をつかみ、いよいよ、壁をぶち抜く今日になった。大小二つのログハウスを手掛けてきた当方だが、ぶち抜く採寸、レベル取りなどの段取りをしてとっかかりを手を付けただけで、メインのチェンソーワークは若手の urabe さんに任せた。壁をぶち抜く、というのは実際のところ結構ドラマチックな儀式なのだ。また、難しく考えずいくらでもごまかせるというのがログビルの隠れた愉しみだが、 urabe さんは結構器用に形にまとめてくれた。このプロジェクト、まだまだ、先が長い。  


里山仕事のメインストリーム考


2022/08/27 sat 雨 24℃
urabe oyama kuri kusa tomi-k ya-taro = 6 persons

薪、28棚積み終わる


昨年の晩秋から取り組んだ雑木林の除間伐作業が、本日の雨の中の薪積みで完結。これから以後、ブルーシートをかけて、来春以降の分譲を待つのみになった。

28棚は、ほぼ予想通りだったが着手時のスローテンポと、対象エリアの除伐の多さ(=あまり薪にならない)に比べれば良くできた成果だった。

ただし、薪作業年度代わりを例年通り7月として昨年7月からの稼働延べ人数(ただし探鳥会や研修など除く)をざっと数えると590人に達するから、やはり手のかかる非効率のシーズンだったと言えるかもしれない。おととしも同じ棚数を産出したが、稼働人数は300人と今季の半分だったからである。老若男女、持ち場持ち場、各自の技量と体力に応じての日々を送ることができ、とりあえず安全にシーズンを終えたことになにより感謝したい。

刈り払いの方はと言えば、薪ヤードについてはここがコモンズのひとつの庭のようなものだから、oyamaさんと伸びすぎた雑草を刈ったが、刈り残しは手を抜かず刈りたいところ。
一方、大島山林のフットパスは蚊が出てきたから、もう止めよう、と話しがまとまった。蚊の猛攻と利用者を勘案すると、もう費用対効果が合わない。

ここはゲンキンに行こう!紅葉が進んだ10月末、霜が連日降りて蚊は消え、その代り散歩者が復活するのが通例だ。それまであとわずか1か月余り。

メインストリームの足取り

朝、雨にも拘らず早々にまず5人が集まり、小降りになるまで色々な話をした。その中にはこれからの段取りのヒントも結構出るものだ。実はこうしたやり取りで、運営の方向が決まっていくことが多い。もっともよく顔を出すメンバーが方向を決めていくと言えるが、これはコモンズが理事会の下に運営会議なるものをすえ、かねてから常時やり取りしてきた、まさにその延長にある。

そうした流れを踏まえて大まかな分担もあるにはあるが、そこに居合わせた人や言い出した人、発案した人がそれぞれ当面のやるべきことをこなして、結果的には、たまにやってくる人たちのために滞りなく段取りも済んでいる、という格好になる。が、これは若い時には青臭い「あるべき論」もでかねないところだけれど、今はそんなことを言わない「大人の自然体」と言ったところだろうか。れっきとした経験知である。

実は書きだしたらキリがないくらい申し合わせ事項があるのを、雑木林のフィールドやヤードに「足跡」や「雰囲気」として残されるだけである。簡単にかき消されそうな危ういものにも見えるけれども、いやいやこれは財産の一つであり、積み重ねられれば、かつて関わっていた研究会が対象にしていた地域力の源泉「社会関係資本」social capital の元になっていくように見える。


ついに蚊が出てきた


2022/08/21 sun 晴れ 27℃
kusa tomi-k ? (naka-f&s) = 4 person

ベンチとテーブルに防腐剤塗る


お盆でコモンズの現場は作業を休むことにしているが、気の向いた人が人がやってきて、ポツポツと作業が進んでいる。昨日の雨の日にも、薪積みが行われてあと1棚を残すのみとなっていた。夕方5時近く大島山林に戻ると、テントと薪小屋の前あたりがきれいに刈り払われていた。

今日のわたしは自宅のベランダなどで使ったパイン色の防腐剤キシラデコールを持って、大島山林のチーク材のベンチと、静川に移動してテーブルを塗った。先週までにtomi-k さんのクレオソート作業が済んでいるので、これで防腐処理は完了。来年はログハウスの丸太を塗りたい。

白木を野ざらしにするのはいかにも無粋だったから、チーク材のベンチは塗ってよかった(写真左)。しかし、現場を甘く見てTシャツで作業を始めたところ、蚊の猛攻にやられた。麦わら帽子にはネットをかぶっていたので首から上は辛うじて助かったが、ハッカの防虫処理も効かず、腕がぼこぼこになってしまった。それでも中広場のテーブル周りも刈り払ってそれなりの風景になった。

昼前に移動した静川では、naka-f 夫妻が焚き付け用枝の採取中だった。昼食後に防腐剤を塗り、窓制作のためにデポしてある本箱15箱ほどをヨッコしてブルーシートを敷いた。これでいつでもチェンソーで窓枠を落とせる。垂木も持ち込んである。

作業後、焚き付け集めを終えたnaka-f さんらと川と釣り談義。半袖では肌寒く感じたときにはもう4時だった。こちらは大島山林と違い、蚊のいない、素晴らしい木陰だった。空のポカンとあいた小屋周りは、どういうわけか、いつもいい風がある。


日本人の森と山 

~柳田国男の『山の人生』から見える世界~

2022/08/16 tue 大雨

『遠野物語」と『山の人生』

表記、柳田国男の『山の人生』は、『民藝の日本』や『手仕事の日本』(いずれも柳宗悦著)を読み込んでいるうち、偶然いもづる式に手にした本だった。が、読み進んでいるうちに目からうろこの経験をしたので、是非、少しでも要点をメモをしてみたくなった。

これは日本人の森林観のルーツを正しく掘り起こすうえでも、わたしにとって避けて通れない核心部分に思えた。柳田国男の『遠野物語』はつとに有名であり、東北は遠野の界隈の不思議な現象や霊にまつわる物語の起源に踏み込んで、「歴史の闇に顔を出す異類異形のコトバのなぞを解き明か」そうと、この『山の人生』という大きなテーマに大正14年に取り掛かった、と、宗教哲学者の山折哲雄は解説している。そして、その両著作の関係性は、『古事記』と、江戸時代にようやく解読した本居宣長の『古事記伝』に酷似しているとしている。

鬼、天狗、山姥、そして狐と狸

ここに登場するのは鬼、天狗、山姥、そして人に取り憑いたり化かしたりする狐と狸・・・であり、イメージされてくるのは、古来、日本人の山(≒森)は異界、隠れ家、逃げ込む場であった、ということだった。

端折って言ってしまえば、この本で描かれている山は、そもそも、科学的に多様な自然でもなく、快適な緑環境などでもない。精神に異常をきたした人間が、自ら世間から隠れるように入っていく別世界であり、鬼も天狗も山姥もいる魔の世界、社会の闇のようなおどろおどろしい場であった。それが古来、日本の山、森であった。

描かれている内容は、言い伝えられた、あるいは村々で人々が聞いた神隠しやたたりの話、あるいはそこに住む「山人」達のエピソードである。柳田は『古事記』における太安万侶のように『遠野物語』を聞き書きし、本居宣長のようにその背後にある世界を『山の人生』として解読した、ということになるらしい。

だから、そこに日本人の自然を見る感性DNAの起源が潜んでいるはずだ、読み始めての直感はこれだった。しかし、描かれているものは余りの闇、地底のような別世界だ。近年、学問や報道が喧伝する緑とは大違いである。

もしこれがわたしたち日本人のベースにあるのであれば、わたしたちはありのままの森を、「快」という感性で受け止めることはないであろう。そして現実はまさにそのとおりにあるのではないか。そこに西洋的な概念、あるいは科学の常識や価値観が混濁しているから混乱し、わかりにくいだけだ。

モンスーンの森は暮らすには不適で不快、里山の手自然こそ「日本的緑」

さらに一跨ぎして結論を急ぐと、上のセミ表題のようになるのではないか。

繁茂するモンスーンの森は放置すると森になるほど、豊穣である。しかしそこは、暮らすには不適で不快ですらあり、人々は西洋と同じく集落やマチをつくり、やがてもっと高度な都会を目指して今日の賑わいと利便を産み出し受け継がれてきた。

ようやく心地よさを見つけたのは、人の手のかかった里山、別の言い方をすれば「手自然」であった。これがどうも「日本的緑」の最善の形だったようだ。緑は、経済的に資源であり林業という産業のもとである。以上は、林業というジャンルを無視したかのように見えるかもしれないが、林業が日本のGDPに占める割合が極めて低いように、今の状態でビジネスに転化できる緑は、生産原価のうえでは競争に勝てるものではないように見える。少なくとも今のところは、そういう尺度には合いにくい代物、と言えないだろうか。

~~~~~~~

以上、駆け足で『山の人生』の読後感を、自分の通う雑木林の方向を頭に描きながらメモした。そういえば、哲学者・内山節氏の著作に『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか(講談社現代新書)』があるように、民俗学の対象となる民話的な話は、日本各地につい最近までごろごろとあったのである。

そして『山の人生』に一つの解決策のようなものを見たのは、精神に異常をきたした人が森に隠れたという多くのエピソードであった。今日、人間苦とでもいうような生きづらさを、精神のあり方の窮屈さとともに病に落ち行く人も、先天的に病理を抱え不適応になっていく人も跡を絶たない。縁もゆかりもない人を道連れにする拡大自殺などは特に深刻だ。

ここにはかつて、神隠しなどという安全弁がはさまれてあったのではないか。そこを差配する妙が、「山」「森」にあったのではないか。そこは逃げ込み場であり、ノーサイドの空間、すなわち赤十字が目指すアジールだったのではないか。こころと体と癒し、処方箋は一向に蓄積されているように見えない。



まるで自分の裏山の仕事のように


2022/08/11 thu 山の日で休日 24℃
kusa tomi-k ya-taro = 3 persons

連日、雨やら霧やらが続き、湿度は著しく高い。コモンズの作業はお盆前後の2週は休みにしているので山に来る人はあまりいないが、それでもya-taro さんは薪ヤードで薪積み、静川ではtomi-k さんがログハウスのベランダの防腐処理、わたしは入手した30年前の設計図をもとに窓の位置を再点検。

窓制作のカギになっていた、丸太に打ち込まれてあるダボの位置は設計図の入手でおよそ疑問が解けたのでガラスの注文などに移るが、丸太の壁をチェンソーでドーンとぶち抜く前にはやはり気持ちの整理が必要なので、しばしウルカシテおくつもり。

ここのフットパスは雑草が意外と伸びていない。蚊はおらず。人によっては、林が各々の予定に合わせて自由に動ける状態になっているので、今日のように若干の立ち話程度でてんでバラバラにやりたいことを進めることができる。共有しているフィールドで自分が何を担うかが見えるということは、自分の林に置き換わっているとも言える。

静川に来る前に、薪ヤードで薪引き取りのyabata さんご夫妻と面会。いつも携帯とメッセージのやり取りだけで、顔を合わすのは初めてだった。薪が濡れていたのでやや商品価値がさがってみえたのがちょっと残念。


里山的な雰囲気の維持とは


2022/08/06 sat 曇り 23℃
oyama kuri kusa tomi-k&m ya-taro = 6 persons

“里山仕事、腐朽と延命の仕分けかな”


今日も、安平町遠浅と苫小牧市静川に分かれての山仕事。

tomi-k さんはテラスの防腐剤塗り。もう3年ぶりになるところか。仕上がりはご覧のとおり。事前に浮いた床板にネジくぎを打ち直そうとドリルを回したらバッテリーが切れていて、これはテーブルの塗りと一緒に休み中に出直して補修する予定。


小屋脇でサワシバの球果が自己主張している。そもそもこのサワシバとアズキナシは森や林において、中層を埋めるなどと、よくその存在価値が評価されるが、個人的には「木漏れ日の演出家」ではないかと思う。それほど美しい光景を創る。ホオノキや、ここにはないがブナなども太陽を透かして見ると目が休まる。


苫東コモンズでは若手で、社会的には働き盛りの中堅の二人が、フットパスの風倒木の処理に取り掛かる。数日前、土地所有者もこちらの風倒木の連絡に対応して隣のシラカバを玉切りしてくれたので、これも一緒に持ち帰ることとなった。2,3年放置したこの風倒木は、さすがに一部腐れが入っていた。軽トラック3,4往復の模様。


わたしの仕事は窓制作。今一つ、ダボの位置がわからず設計者にも問い合わせ中だが、わかる範囲で窓の位置を確定して、チョークで枠取りを描いてみた。縦95cm、横85cmで、これで採光が十分かと言えば疑問アリだが、大幅な改善にはなる。居合わせたtomi-k yata-ro kuri の3氏とも相談して、秋までには床の絨毯をはがして洋風の椅子モードにリフォームする予定。

窓づくりのシミュレーションの合間に、薪ストーブの扉と灯り窓のガスケットを交換すべく寸法を調べてみた。9.8mmの最も太いものをビチビチに埋め込んでガスケットボンドで接着させる予定。右の写真のうち左のガスケットが薄暗がりのテーブル下にあったのを見つけて、ヘビと間違ってギャッと驚きの声を出し、「ちむどんどん」(使い方を間違った?)したのを思い出す。

こんな小屋周りの里山的仕事をしていると、表題のような小さな悟りに至る。すなわち、仕事を概観すると、腐るものと腐らせないものを仕分けして、腐るものは放置し、そうでないものは腐朽をストップさせるべく営為を施す、という構図になっていることがわかる。基本は腐らすパワーの方が圧倒的に強く、早く持ち出すなどして乾燥させないと、やがて自然に形を失って融ける。

テラスで団欒しているところへ小ぶりのキツネがやってきて、叢の昆虫をひっきりなしに食べながら小屋を回った。まるで、自分の居場所に闖入者が来ている、というような視線だ。

そういえば、開拓農家が引っ越ししたため置き去りになった猫は、原野で越冬して野生を取り戻したのか、トンボを採って食べていた。勇払原野の柏原などで7年ごとに大発生するオオスジコガネは、ある時期、キツネの主食になっていた。飛行が緩慢な甲虫は、そういえば小型哺乳動物の恰好の餌だったのだ。慣れた昆虫の獲り方をみていて、クワガタの食べ残しの犯人の1人、いや一方、はこのキツネだとみてほぼ良さそうだと思った。

→訂正 

キツネは草むらで捕まえた虫は丸かじりしていた。また、野生動物に詳しい知人は、キツネはクワガタの頭部は残さないで食べるという。確かに、一頭のクワガタを加えてわざわざテーブルの上まで運ぶというのは無理があると感じてはいた。テーブルの上に運べる生き物で、かつ、頭部を食べにくいと感じる生き物、となると、鳥か。それもカラスではないもの。・・・?




夏の緑、鑑賞


2022/08/04 thu 曇り 23℃
solo-work

ベンチ周りを刈る


せっかくモアで刈ってくれたのに肝心の施設周りが汚く刈り残されていたのが気になって、静川ログハウス経由で大島山林の中広場へ。大島山林の町内会利用を前に進める一環として取り組むことにしたのが、サインシステムの見直しと再配備、そしてこの休憩施設2か所である。

特にここ中広場は「団地を望む小高い丘」状になっていて、背中をアカエゾマツなどに囲まれ西日を遮断しており、北望する焦点に当たる隙間から団地がほの見える。広場の雑草を刈り払って、一見芝生状のモノトーンの風景が創れれば憩いの場になるはずだ。自分なら座ってお茶でも飲みたいな、木陰で本でも読みたいな、という場所。

椅子は約1000円のものをふたつ、テーブルはメンバーからのもらい物で、汚れていたところは、薪ストーブの木灰を紙コップに入れて持っていき、タワシでゴシゴシ。これですっかりきれいに仕上がった。間に合わせの通年施設だ。



林の奥のブルーテント前のベンチは約1万円だった。材はチーク。この椅子に座って、長い間みんなで手をかけてきた林の仕上がりを眺めるのはいい気分だ。正面は、この山林では珍しく大きめのハルニレで、周りはハリギリ、ヤマモミジとナラ類だが、林床で控えている後継樹の多くは、コブシ。

コブシが咲くまで、こちらの寿命が持つかわからないが、ジャングルのようになって旺盛に夏を生き延びようとしている眼前の木々からは、明らかに深い緑のシャワー、言うならばパワーのようなものが降り注いで気持ちが良い。今はあまり語られなくなった森林浴で、山林のど真ん中のここは森林のパワーを浴びるのに絶好だ。刈り払いや林のガーデニング風に修景をうまくやれば、パワースポットも夢でない気がする。

そういえばこの秋のフォーラムの基調講演のお一人としてコモンズがお呼びするのは、『癒しの森のつくり方』を書いた東大の齋藤さんだ。キノコも含めていい勉強会になりそうだ。

ところで林は蚊がゼロ、風もほとんどなし。むんむんという木立たちが喜ぶ熱気が伝わってくる。ここは地面はオオバコで覆われ、刈りこむと葉の裏にたまっていた水気もバシバシと顔に飛ぶ。別名「オオバコ交差点」とでも呼びたい雰囲気だ。

ログハウスのリフォームの段取りに本格着手


夏場、室内が暗いログハウスをフルシーズン利用しやすいように、今年からまじめにリフォームに取り組むこととしている。雨ざらしだったログエンドにキノコが生え始めたことに慌て、ベランダに三角屋根を取り付けたのが原因だが、当時の利用は秋から冬、早春までの落葉期がメインだったので我慢できた。しかし、この頃は小屋で暗くて字も読めない。

一念発起、夏から秋にかけて窓を取り付ける算段をしているが、丸太を縦につないでいる鉄筋のダボが、何センチおきに入っているかが今一つ不明だ。今日はスチール製の薄い板を用意してログの隙間に入れてダボの位置を確認した。なんとなくわかりつつあるが、規則性にまだ確信がなくチェンソーをズボと突っ込む自信がないのである。

恐らく45cmなのだがチェンソーで突っ込んで壁を切り落とすのにまだまだ不安が残る。枠取りの寸法さえわかればむずかしい話ではないから、この躓きはちょっと早く切り抜けたいところ。小屋の奥に記念に張り付けておいた建築確認用の設計図を、テラスに出して設計者の名前をみると、見覚えのある方だったので、早速現場から携帯で連絡を取ったら、先方は、運よく職場に居た。数日の時間をくれとのこと。この返事で頭の整理がつけば、このミニプロジェクトは流れ始めるだろう。

週末の土日はは一帯でオリエンテーリングの大会がある。関係者が何人かやってきて挨拶する。


”ヒグマが来ています”

2022/07/30 sat 曇り 27℃
abe-b urabe oyama kusa naka-f&s tomi-k wada ya-taro = 9 persons

動物王国


静川小屋のテラスは、今日もクワガタの死骸が散乱していた。死骸と言ってもほとんどは胴体がないもので、あの、クリーム状の腹部を食べたものと推測される。角のないものは頭から食べやすいのだろう、カミキリなどはほとんど見つからず、きっと固くて食べにくい角のある頭部と羽が残された。

さて、犯人であるが、カブトムシなどの頭部だけが残されるこのような光景は本州でも多いようで、web で探ると、昼はカラスなど、夜はタヌキが多いという。ただ、ここ静川の小屋周辺はカラスはほとんど来ない。オオタカやクマゲラ、エゾモモンガがいる自然度の高さが自慢だから、烏外の鳥だと思いたい。写真左のように、白や紫の鳥らしいフン(ヘビもこんな糞をするが)が落ちているので、恐らく鳥類だろうとoyama & tomi-k の両氏もいう。

ではなぜ、彼らがわざわざテラスにやってきて、それもテーブルの上を中心に行儀よく宴をはるのか。

テラスとテーブルの環境の特長は、上空が開いていること、明るいこと、見晴らしがよいこと、などがある。小屋のベランダもよく食痕があったことを考えると、少し高みで周りを警戒しながら餌を採る、という習性が関係しているのか。河原の石の上、大岩の上などでも動物の食べ残しは見かける。

獣の可能性はどうか。tomi-m さんは警戒心の高いキツネがしばしば台の上で餌を採るようだと話しているらしい。本州の話しに従えば、タヌキの可能性も大きい。タヌキは実はこのテラスや小屋の床下に住んでいたこともあり、多い時には3頭のタヌキがいた。彼らが夜、クワガタを捕まえ、ここで食べる可能性は容易に想像できる。ただ、木登りはするとはいえ、テーブルにピョンと飛び乗るだろうか?

まして捕まえたクワガタを一匹ずつ運ぶのだろうか?これも興味は尽きない。テラスの床をほうきで掃いたら、写真右のようになった。あっと驚く数ではある。小屋の中で観察するか、赤外線写真でも撮るか、砂場でも作って足跡を残させるか、想像は楽しいが、もうシーズンは終わる。遠くでは、アオバトとイカルが鳴いていた。


いつの水たまりだろうか、林道はあちこちでどろどろのぬかるみがあって、大きな足跡が残っていた。落ち枝も意外に多かった。そんな大風が吹いただろうか。気象データを見ると7月20日ころに大雨が降ったがそのあとは大したまとまった雨はない。水がひいたあとに歩いた生々しいもので、左の写真は、上の足跡はズルッと滑ったもののようだ。

別の足跡にスケールをあててみると(右)、横幅が20cmほど、長さは30cm以上あった。urabeさんによると、道東で牛を襲っているクマは、足の幅が18cmで体重300kgとされる。あのトラジロウは、180kgで体長180cmだった。それに比べれば、このヒグマはかなりでかい。

来道して大学1年生だった昭和45年ころ、北大植物園で飼われていたヒグマが当時道内で最大だろうと言われ、見に来ていた子供の手をかじって殺されたが、あれは雄のホルスタインの大きさ(恐らく500kg以上)で、北海道のヒグマを初めて見たこの瞬間、「これはとうてい勝てない」と思わせた。この時の強烈な洗礼に大いにビビったせいか、その後、沢や山々の折々に音やコール(声を出す習慣が自然にできた。北海道の山野を年間100~150日も跋渉することになったが、その頃は山で一度もヒグマと出くわすことはなかった。

先々週、せっかくフットパスを再開すべく刈りこんだばかりだが、また、気持ちはしぼんでしまった。

■abe-b さんから作業機材が寄贈


当NPOの技術顧問であるabe-b さんが、先日の書籍に続き今回は刈り払い機4台を寄贈してくれた。スチールが2台、ゼノアが一台、このほかもうひとつあった。持ってみたら、実に重たいものが2台あった。排気量が多い馬力優先のプロ仕様と見たが、わたしには到底使える重さではない。これを一日振り回すなど、信じられない。暑いさなか、スズメバチの対策もして長袖姿でネットをかぶって、と想像すると、地獄である。林業が3Kと呼ばれる所以にもなっただろう。

静川から遠浅に戻った一日の終わりにこれを見せられ、持ってみてちょっと絶句してしまった。


厚真の本田さんの林を見せてもらう


2022/07/23 sat 曇り時々雨 25℃
abe-aki abe-e oyama kawai-m&f kuri kusa migita tomi-k&m wada ya-taro +
ゲスト hamada-t =13 persons  祝賀会= kai

雨をついて胆振の里山を見学(研修第2弾



森づくりに励む動機は色々あるけれども、よその森林をよく見て自分の山を見直す、というのもその一つだと思う。良さや違いを見直し、いろいろな気付きがある。愛着の生れた林の手入れは自律的に持続するはずだ。そんな研修旅行は、距離がどんなに遠くとも気にしないで出かけている。今年の雨竜研究林は往復650kmだった。

2022年の森づくり研修第2弾は、大島山林からもっとも身近な本田弘さんの山林を訪問した。直線距離で10kmもないはずだ。本田さんとは、胆振の森づくりに関わる面々と作った「いぶり雑木林懇話会」の代表と事務局(わたし)の関係で、テーマを共有していたことがある。育林コンペでも一時はあるゾーンを手掛けてもらった。

研修参加者13名のうち10名は初めての訪問で、午前10時から本田さんの小屋で、里山と向き合うようになった経過や施業の概要などを聞いた。細かく張り巡らされたフットパスのような林道を案内されて歩き始めた頃は、雨も上がって湿度は高いが蚊もいない、まずまずのコンディションになった。

林の中に住み毎日出かける林は、まさに里山はこれだ、と思わせる位置関係であり、それにつれて風景も変わる。どこにどんな木があるか、いつどんな方法で径をつけ伐採をしたかなど、すべての履歴が頭にある、というのが伺われた。現在80歳だから本田さんの代で急いで収穫することもなく、択伐しながらいろいろな広葉樹を入り込ませるという、自然作業を継続して誰かに引き継ぐという印象だ。



直径40cmを超えるのはコナラである。しかもすべてが人工林のように通直であるから、100年ほど前に炭焼きのために伐採した萌芽再生林だっとことが想像される。30年以上前に拝見した時と比べ、さほど太くなったような印象は受けなかった。大島山林では直径50cmを超えそうなコナラは、決して通直ではない、おそらく実生のドングリから暴れながら大きくなった自由気ままな個体だ。萌芽した樹木は大きくならない、という噂はあるいは本当かもしれない、と実感した。

いつしか本田んさんと見方が似てきたのは「大木の林にしたい」という願望だったが、火山灰土壌では往々にして台風などで根返りを起こしてしまう。それが、本田山林でも何か所か見られた。そのうち半分は、元の位置に切り株が戻っていた(写真右)。

里山を目にするつど、この林が将来はどうなるか、どうするか、というような「継続」が気になるが、本田さんの林を見ながらも、やはり焦ることはない、という気がした。森や林は、時間スケールが長い分だけ、「時代」が方向を決める。間違った使い道や回り道になることはあっても、森や林という土地利用さえ維持されればなんとかなるし、少なくても壊れない。万が一台風ですべてが倒れてもやがては林に戻る。要は若干の収穫をするか、地域の人が楽しめるか、修景を気にするかの違いではないだろうか。

会員の卒寿を祝う



研修の日の夜、migita会員の卒寿を祝う会をもった。花束とともに、カンナを掛けて寄せ書きした薪(写真は書き込み前)をプレゼントした。ここ数年、春から夏までずっと薪割りを担当してくれたことも理由のひとつである。また、卒寿を契機にして、チェンソー仕事はもうすべて若手に任せてくれるよう頼んだところ、納得していただいた。除雪なども頼り過ぎないよう自立しなければならないのだが、これは口で言うほど容易ではない。伐倒の時期、搬出機材、除雪計画など、残されている検討課題は多い。


スドキのフットパスを歩く

2022/07/21 thu 曇り  27℃




コモンズの役員を引き受けてくれていたCさんの奥さんの個展「MICHIKO展」を訪れた。会場は「イコロの森」のギャラリー。これまで札幌で行われた何回かの個展を伺ったことがあるが、今回の出品作は切り絵のようなものが中心で、作風がガラッと変わってみえた。

作者の奥さまにお聞きすると、お嬢さんの関わるイベントにあわせて創ったもので、もともと自分が描いてきたものは展示から除いたとのことだった。今回の切り絵は、描かれた若い人々の表情が、ある平和な物語の構成員のような顔をしている。あの、民話風なジオラマ作家の描く、懐かしい表情にどこかつながる。一方、キュービズムのような、今まで拝見したモチーフの四角や丸の2作品も、見るものを和ませる、不思議な魅力があった。

Cさんは前の会社の先輩でもあり、土地の取り扱い(取得、交換、分譲など)のプロだった。緑地の事情と扱いにも精通しておられたので、コモンズが誕生する必然にも理解が深く、色々な面で応援していただいた。久しぶりにお会いしたので家人ともども歓談したあと、ガーデンと林の小径を歩いた。

思い出せば、イコロの森は、メニューのひとつ「森の学校」などのプロジェクトを動かす際に、農学部の別の先輩であるHさんが多年草の苗の養生管理と一緒にこのPTを担当していた関係で、ガーデンの開業当初からしばしばお邪魔してきた。

今は、庭も林も年月を経て、とても自然に仕上がって来ていてさすがである。経営の主体は替わったようだけれども、方向を大きく変えないで開業しているのはまさに敬服に値する。初代社長Sさんはとても話題の豊富な環境デザイナー&クリエーターで、植苗の地史にも造詣があって耳を傾けたのが懐かしい。なにより、勇払原野一帯の風土に愛情を感じておられたのが今でも深く印象に残る。

林の一部は短いフットパスとなっており、奥にも勇払原野の植苗地区の萌芽再生林が広がっているが、イコロの森もニドムも、そして苫東の雑木林も同じような歴史を経ている。それを林のガーデニングのように実践して見せたのが、イコロでありニドムで、林はガーデンやゴルフコースの雰囲気をうまくグレードアップしている。

左上のスドキが茂る小径は、しっかりウッドチップが撒かれた小径に仕上がってみると、スドキがなかなかの役者であることがわかる。逆光のサワシバの葉は、さすがである。他の木ではなかなか醸し出せないフィルターのような葉脈アートに時々感動する。しばしばブナやイタヤもそうである。さりげなく、多様な自然を見せている仕掛けが実にさりげないのがわたしが感じる魅力だ。そんな小径を抜けると、ガーデンのクライマックスであるボーダー花壇にでて、グリーンカーペットを大様になった気分で歩いていく訳だ。




雑木林に人が長く関わると、里山景観は自然とできる

2022/07/16 sat 曇り 22℃
abe-aki oyama kai kawamura kusa migita tomi-k tomiz wada ya-taro seki = 11 persons

山仕事の中心を静川に移動



薪炭を採った後の雑木林は数十年放置されて、人々が見向きもしないいわゆる雑木林になるが、そこに小屋を建てて人が往来すると、そこは「里山」に変わって生き物たちも集まってくる、ということを、苫小牧市静川の「雑木林ケアセンター」周辺の林が証明してきた。

森林について発信力のある本州のある研究者が「北海道には厳密な意味の里山はない」、と断言してそれが常識になっているが、確かに本州のような屋敷林のように隣接する里山はこちらではあまり見かけない。来週訪問する厚真の本田山林などは稀有な例と言える。

しかし、わたしは数百ヘクタールに及ぶノッペラボーの萌芽再生林もアプローチによってここに「里山が生れる」という体験をしており、土地を提供してくれている所有者には「里山景観の再生」としてプロジェクトの名前を報告している。気の長い取り組みだから、普通なら風化してしまいそうだが、こちらも森や林と同じように時間スケールを長くとると、うすぼんやり見えてくるものがある。これを複数の人が関わるコモンズとして進められていることに意味がある。

遠浅での薪づくりが終盤に近付いて、山仕事の主流が、今週からこの里山景観再生に振り向けられることとなった。わかい雑木林の保育をし、人が歩いて利用するフットパス管理、それらを通じて勇払原野の里山景観を維持できるとは、なんと、贅沢な話だろうか。そしてその行為のずっと後では、毎年、関わったメンバー個々の自宅や小屋での薪ストーブ生活がある。



静川のフットパスは、「ササミチ」「奥のササミチ」という2本のフットパスがあり、そのほかに距離の長い「ナチュラルコース」という、刈らない道しるべだけのワイルドなルートがある。フットパスはヒグマの出現が頻繁になった3年前に利用を中止し、刈り払いもやめていた。そこに今日は久々にメンバー5名が入って、ブッシュカッターで1回目の刈り払いと風倒木の一部を処理した。

フットパスはもう元のブッシュに戻ろうとしていたが、不思議なもので少しでも楽をしたい野生のシカが通ったような痕跡をたどると、元の道がわかるという状態だった。野生に評価されたようで、これはいささかうれしさを感じる。写真左の太い風倒木は日を改めて数人で玉切りし、ヤードに運搬することにした。この風倒木だけでも1軒の3か月分の薪が取れるだろう。この隣にあった風倒木は玉切りしたあとヤードに運搬する前に、盗難にあった。2トントラック一台程あった。フットパスは、処理のためのアクセス路でもあるが、往々にしてそれはシカのみならず盗人にも利用される。


薪づくりが終わる



4月9日に始まった今年の薪づくり(薪割りと薪積み)は、今日7月16日まで約3か月でほぼ完了し、あと7棚(層積約19立方)をパレットに積んで完結する。薪積みは楽しみでもあるので、気分はすでにようやく片付いた、という感覚である。

ちなみに、この冬の間伐材で薪にできたのは合計28棚ということになりそうで、作業に携わった会員の薪も確保でき、やや余りが出ることがわかった。関わった雑木林の面積は1ヘクタール余りなので、間伐によって利用できる材積の多さに、改めて驚く。市場では薪には向かない異形のものや若干腐れ始めたものまで、微妙に混じっているせいだ。林でみすみす腐らすなら、できるだけ運び出して燃やそう、の気持ちだ。

そして林のその後は、間伐をしたような荒れた感じが全くせず、左右をよく比較すると確かに明るくなったことがわかる程度だ。写真の左が作業済みエリアである。これはツル伐りと除伐がメインであることと、丁寧に枝を切り刻んで片づけるという世話のせいだ。もともとそうであったかのような林に見えないだろうか。

また、特に延々と続いた薪割りの方は、1台の薪割り機にmigita グループの遠浅3人衆がほとんど専属で関わり、時折の人力マサカリも参加した。出来上がった薪はその都度薪小屋に移動させ、薪小屋や薪棚の周囲も先行して刈り払いをして来たので、これまでよりも一帯の修景も進んで手入れされた薪ヤードができている。

メンバー各位の自由意志がうまくつながっていて、ようやく軌道に乗って来た、という雰囲気がある。


中広場の迅速な刈り払いと試みのベンチ設置

2022/07/14 thu 曇り 24℃
solo-work

先週、暑さと現場の手ごわさから刈り払いをあきらめた中広場について、7/13 駄目もとで土地所有者の担当Mさんに窮状をメールしたところ、翌朝、「現場スタッフと相談の結果、即対応する」との返信をもらった。早速出かけてみると、芝刈り専用のモア2台がフル稼働中だった(写真左)。

伸びすぎたためと高茎のホザキシモツケなどが大量に混じっているため、仕上がりは芝生のようなわけにはいかないが、大幅改善だ。現場から、対応してくれたMさんに携帯でお礼を伝えた。これでもっと付加価値のある修景管理作業に当たれる、と申し添えた。

これで週末は静川の小屋へ現場を移動できる。



また、懸案だったフットパスのベンチだが、ようやくホームセンターで希望に見合ったベンチが入荷したので、担当のtomi-k さんと相談し、これで行くことにしたが、7/13 、郊外のホームセンターに出かけてみると、辛うじて1台だけ残っていた。その木製ベンチを10,800円で即購入したので、テント前で組み立て旧作業テント前に置いてみた(写真右)。チーク材でできている長さ120cmのベンチは、堅牢で重厚感があり、重さは約20kg、結構値ごろ感もある。これならテーブルがなくても休憩とお茶、ランチ程度はできる。

値ごろ感と言えば、めあての硬化プラスチック製ガーデンチェアが3軒のホームセンターでもう見つからず4軒目でやっと発見したのだが、その際にこの同じベンチが展示されていた。そこで表示されていた価格は、当方購入価格の倍で21,800円であった。どちらが正解かは知らないが、ひょっとして得をした可能性もある。(^_-)-☆

これらの入荷を知ったのはちょうど10日ほど前だったが、似たようなグッズを探していた客はほかにもいたのだろう。辛うじて探し当てた、というようなラッキー感が残った。キャンプや庭生活などの人気で、ニーズは高いことがしのばれる。

ちなみに、長さ30cm、直径25cm程の丸太を6分割した薪は、一束約800円で並んでいた。恐ろしく高い。驚いたのは携帯の万歩計だ。散歩もしていないのに4.5kmほど歩いている。はて?と思い出してみると、広いコメリを東西2軒はしごし、ホーマックも2軒、このほか地元のホームセンターを1軒巡ったせいだとわかった。冬や雨の日は、イオンを歩く、という人の気持ちもわかる。




ナラという木の魅力

2022/07/12 tue 曇り 24℃



普段は、間伐して薪にするミズナラやコナラ、いわゆるナラ、英語のオークだが、実はさすがだなと思うことがある。それは、ナラの丸太を割った時に発散される芳香である。芳香とは言っても、お子様クラスには評価できないだろう、大人、それも恐らく男、あえていえばオヤジの好む匂いではないだろうか。英国を評価するのに、わたしはよくぞこれを使ってウイスキーを醸したものだ、という点にまず行きつく。きめが細かく水漏れがない、という機能の脇にある副次的な特異性、付加価値だろう。

今日は素性のいいコナラの薪を選んで鉋(かんな)をかけてみた。やはり、丸太を割った時と同様の香りが立ち込めたが、とりわけ鉋くずは枕の中にでも入れたいくらいだ。そして鉋の作業で見せるもう一つの顔は木目の美しさだ。赤身と白身の、きめ細かな肌触り。またまたさすがだなと思う。

もう一つ忘れられないのはその重さである。家具には使えないと直感する重さで、北大苫小牧研究林2階の林長室の机や調度は、持ち上げても押してもびくともしなかった。苫東コモンズの静川の小屋では、かつてコナラの大木を伐った折に太鼓に引いて継ぎ合わせ、テーブルを作ったが、幅1m、長さ1.8m、厚さ15cmのモノでも、独りでは動かせなかった。

その重みというのは詰まるところ比重だろう。人間には比重を直感でわかる特殊な能力があると思うのだが、色々な木材を手にするとナラが最も重いというのが一発でわかる。そんな気持ちよさから、一時は、ナラの枝を何本も皮むきして撫でることを趣味にしていた。杖も作った。

右の写真が、今から30年近く前に削ったナラである。削って、撫でている間に愛着がわいて、幸運の枝、ラッキーチャームとして机の筆立てに挿している。ここぞという時には、これをグイと握ってから仕事に向かったりもした。独断と偏見を承知でこの稿の結論を言えば、ナラは「気」のような特別のものを感じさせる、ということだ。単なる身びいきとはどうしても思えない。愛着が祈りにもつながるのを、わたしはいくつかの大木や丸太や枝などの、ナラで知った。



酷暑で、作業ギブアップ

2022/07/09 sat 晴れ 26℃
abe-aki abe-b urabe oyama kai kusa kuri migi tomz tomi-k&m naka-f&s ya-taro wada seki = 16 persons

先日までの快適温度が酷暑となり、作業ギブアップ



大島山林のフットパス全ルートに、精鋭3,4人が向かい、残されていた分を午前で完了(左上図)。サイン新設、薪割り、薪運搬、薪ヤードの刈り払いも並行しながらだから、かなり効率的な進捗と言えそう。

午後は取り残された中広場に6人で挑戦したが、こちらは、1時間で暑さのため「止め」の声が 指揮のtomi-k さんからかかって、いわば敗退。ジリジリくる暑さと進みの遅さにストレスが倍増して、誰かからやめようよと声がかかるのを待っていたところだった。で、アイスの休憩を1時間早めて2時に。

森林と伐倒の技術書が寄贈

伐倒技術の顧問 abe-b さんが久々に顔を出し、伐倒技術や森全般にかかわる書籍、全6箱を寄贈。200冊近いかもしれない。これは今年リフォーム予定の静川の小屋に移して貸し出し用に供する予定。氏の名前をとって「文ちゃん文庫」などの声が出ている。近く、チェンソーと刈り払い機も寄贈してくれそうなので、具合を調整して作業に役立てたい。

なお、療養が進み外出に自信が出たら、この秋のチェンソーのスキルアップでは是非、座学だけでも顔を出してほしいところ。


■刈り払いの風景


コナラの沢のフットパスが下左のように雑草で埋まった。せっかく今日、ポイント看板が立った(左上)のにこれではあんまりだから1周刈りこむことにした。作りたてだから仕方がないが、今季2回目だ。

子供たちの木登り用に、と願ってオジサンらが創った丸太梯子は、頭を冷やして眺めてみると、「コワイ」高さである。わたしは特に、落ちて脱臼などしたら大変だから、とても登る気になれなかった。でも、魅力的ではある。ビレーをとってちょっとやってみたい気もする。

刈り払っているうちに結構な太さのコナラに出会った。根元から分かれているが、恐らく100年を超えるコナラが山林内に結構散らばっている。再来週訪問する本田山林にもコナラの大径木はあるが、比べるとどうだろう。

そんなこんなで、万歩計は今日は10,500歩、7km以上歩いていた。わたしには歩きすぎ。



ドイツ人のバーバラさんと大島山林を歩く


2022/07/02 sat 曇り 20℃
abe-e oyama kawam kusa tomi-k tomiz migita wada ya-taro seki = 10 persons + バーバラさん

1回目の刈り払いが一挙に進む




いよいよ、フットパスの刈り払いが本格化した。担当者が用意した未着手ルートを表示するマップを頼りに、メンバーは個別の路線に刈り払い機を担いで出かけた。oyama さんはコナラの樹冠下のシウリザクラなどの下生えも刈り、広場が見えてきた(左上)。

ササがはびこって小径に覆いかぶさってきている。昨年、手を施せなかったところもあるので、雑草に圧倒されるところもある(右上、tomi-kさんとバーバラさん)。これらを丹念に刈り進むことになる。入会して日の浅いメンバーにとっては、自分たちが管理するmy forest の入り組んだ路網を頭に刻むいい機会になる。知るは歩く楽しみとなり、歩けば小径はますます径らしくなる道理だ。

また、サインが増えたので、途端ににぎやかになって来た。文字がクリアで、しかも風景を邪魔しない。仕事の最後には懸案の中広場をちょっと刈ってみた。いずれ、休憩用のテーブルとベンチを置こうか、と話しているあたりだ(上)。

大きな広場は今週、土地所有者がトラクター・モアで刈りこんでくれたが、先方もきっと忙しいのだろう、薪ヤードはたっぷり手つかずで、この中広場は刈られていなかった。これらは来週、総がかりで片づけることになる。結構な大仕事だが、これをこなして静川に移動し、育林コンペの沿道などもきれいにしたい。

ドイツ人のバーバラさん来訪


2,3日前にドイツ人のバーバラさんからメールがあり、なにかNPOに手伝うことはないか、という内容だった。バーバラさんはドイツはデュッセルドルフ生まれのドイツ人で、神戸在住、数年前のハスカップ摘みに人づてに顔を出して以来の知り合いとなった。前回はハスカップ摘みの合間につた森山林の散策コースを案内して喜ばれた。「ドイツのような林だ」と言われると、4半世紀にわたりこの森に関わってきた人間として正直、ちょっとうれしかった。

こちらは山仕事はいくらでもあるけれども、バーバラさんにはむしろ彼女の目から見た、大島山林という森の感想を聞きたい。公的な組織でない、純粋の民間人だけの手づくりの林が森好きのドイツの人にどんな印象を持たれるか、実は興味深い。だから久々の挨拶もそこそこに正門入口から歩き始めた。

彼女は、住宅地に隣接するロケーションにまず驚き、「開発されてなくならなければいいのだけど」というから、「ここはプロジェクトの環境アセスメントで将来的に保全することを約束したオープンスペースなんですよ」と胸を張っったところ、大きくうなづいていた。

文化人類学的なアイヌ民族に関心を寄せていて、今回の旅行も日本人の御主人と阿寒でアイヌ人の木彫り作家(故人)の映像の仕事で来たという。そのアイヌが動物を食料として射止めて食料としていただく時に、感謝の意を捧げることを、自らの出自に関わるケルトの逸話と重ね、ポツポツと話す。アイヌ民族に限らずマタギもイヌイットなど狩猟する人たちや民族は往々にして生命に対して宗教的な感謝の祈りのような慣習を持つこと、日本のような稲作地帯でも収穫を祝って祭りをして来たこと、などをこちらからも歩きながら、時折は立ち止まって話す。

林を歩きながら「いいにおいがするね」とおっしゃる。どうやらジャムやハーブやお菓子などはプロのようだから、印象表現はまず嗅覚から始まった。大雨の後なので特に林のにおいが立ち込めている。さいわい、蚊がいなくて案内者をほっとさせた。

昼は、外のテーブルで一緒にランチをとったが、これも静かに楽しそうだった。食後は、migita さんの農園のハスカップを30分近く初もぎさせてもらった。さらになにか手伝いたいというので、薪小屋で薪積みしてもらった(右上)。昨日までのロングドライブで疲れている様子だったが、日曜日は伊達市大滝区で行われるノルディック・ウォークで8kmを歩くの、と話していた。