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2011/April 23 開店


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@okinawa
ちょっと思いついて、長らく休んでいたリンクの部屋を作りました。その名は「北の森カフェ」。あるところで素敵な「森カフェ」に出会ってから、いつか使ってみたい名前だったのです。意外と早くチャンスが来ました。

自然、林、里、林業、こころと体、これらについて日ごろ、感銘を受けているヒラメキと継続の方々のお仕事を、森カフェのちょっとした「メニュー」として少しずつ、勝手に紹介し、足していこうと思います。アカデミックな論文からエッセー、ポエム、スケッチあたりまで、カバーできれば幸いです。 2011/4/24(草苅)


上のような林とこころ系に加えて日本の歴史を加えます。2016/02/07(草苅)

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雑木林 & 薪ストーブのエッセー
2022年から、これまで公表された関係者の雑木林と薪ストーブに関するエッセーをこのコーナーにリンクします。また募集もいたします。日頃、感じている、雑木林や薪、そして薪ストーブのある暮らしなどについて、言葉にして投稿してください。既存分から順次張り付けていきます。

●ペチカで薪を焚く        …船木 幹也 2020/4/5
●薪とコモンズ          …草 苅  健 2020/5/21 

●苫東の雑木林からの発信  …(草苅 編著) 2022/1/4
 折々の「雑木林だより」から 1~5 の抄



読書メモ & 日々の雑感


■2022/2/08  土地に根をはった生き方「石牟礼道子」
わたしの周りでは作家・石牟礼道子を特別視する方が少なからずいらっしゃる。石牟礼さんと言えば代表作は『苦海浄土』であるが、わたしはいつか必ず読もうと思いつつ先延ばしにして来た作品だった。何だかとても重たい気がしていたのだ。プロフィールを調べていると、山仲間の住む住所で代用教員をやっていて、ほとんどその界隈で暮らしていたことがわかった。さらに肉声に触れるべく、まずエッセー集「蝉和郎」を読んだ。苦海浄土の足ならしである。読んでよかった。熊本の田舎の描写がリアルでさすがに詩的でもあり、人間の生き様(この言葉はふだんは好きではないが石牟礼さんの描写はぴったり)の根っこにはどうしようもない業のようなものがあり、人の心のどこかには必ず良心のかけらのようなものがある、というような視点があるように感じる。人が生きるも死ぬも、生き物全ても淡々と低め安定の語りで、それが妙に落ち着く。数々の生き死に、幸不幸をくぐって来た人特有のものにも見える。そしてこの低め安定がわたし本来のテンションででもあるのか。石牟礼氏はこの土地に定住しながらやがて水俣病と闘っていく。エッセーは「土地に根ざす」という生き方を垣間見る思いだった。土地に根ざせばグローバリゼーションの影はたちどころに消えそうになる。それでいいのだ、という声が聞こえる。

■2022/1/30 賢治の自然観
宮城一男著『宮沢賢治と自然』(1983 玉川大学出版部)を読了。日本人は自然をどうとらえてきたのか、そして自然観がどう移り変わってきたのか、改めて考えてみたい衝動にかられ、『山と詩人』を読み、それに続く二冊目の自然観探訪となった。賢治の童話がどこかエキゾチックな趣があったのは、地質や岩石の専門用語とラテン語めいたものがちりばめられていたせいだった。たとえば落葉松に学名で属を表わすラリックスというカタカナでルビを振るなど、だ。そしてそれら不可思議な文字が作品の中に宇宙的な広さを感じさせる元だった。が、岩石学の専門家である著者のワンポイント解説で、大分親しみが持てるようになったのは意外な収穫だった。
また、初めてエッセーのような文章を目にしてやっと賢治の口蓋に触れた気がした。迷信や無知蒙昧に近かった農民・農村を、科学によって明るみにだそうとするような慈愛に満ちた独特な使命感をエネルギーにして、森羅万象を博物学的な視点から紐解き、多くの童話や詩で心を表現した賢治作品であるが、著者は賢治がそこに科学と宗教の接点を求めていた、と考えている。
その見方に、わたしはもっとも親和性を感じる。自然は神性を備えた超越した存在であり、科学で分解や分類はできないあるもの。「虔十公園林」は懐かしく熟読し、伐採をするときに村人が「少し木貰っていいかあ」と聞く「狐森と笊(ざる)森、盗人森」には、自然との関わりの根幹を表わす普遍的な思いが込められている、と改めて感じる。こうして振り返ってみると、自然=森羅万象は、宗教のような立場にたって付き合い眺めるのが、もっとも「自然」なように見えてきた。『山と詩人』では花鳥風月をとらえる感性がまずあり、その後ろに社会があった。人間も自然のなかのひとつの生き物、という賢治の慈しみに近い視点は多くなかったように思う。
ちなみに、この本は前の職場のライブラリーを処分する際に、放出されたものの中から頂いた。ありがたい拾い物、だった。

■2022/01/24 金子勇先生の論考「二酸化炭素地球温暖化と脱炭素社会の機能分析」へ雑感寄せる (返信要約、長すぎました(-_-;) )

(前略)…先生の連載『二酸化炭素地球温暖化と脱炭素社会の機能分析』計7回分、興味深く読ませていただきました。すべて目を通してからの返信、と考えているうちについメールが遅くなりました。

表記は国政に関心を寄せる国民の間でも、一体何が正解なのか、一体何のことやら、キツネにつままれたような状態で、世界と日本国政府の動向を注視している現在かと思います。先生の論考の肝である原発や火発と再エネの「機能的等価性」というキーワードを手に入れると、天秤の判定に似たわかりやすさに達することができる、ということがわかります。

エネルギー、とりわけ電気はどのように調達すればよいのかは、まさに国益に直結する国の産業や民生とも関わる根幹ですが、CO2の温暖化や再エネのように確たる根拠が乏しいものは、その動かし方によっては色々な損得を生じやすい、ある意味では一方に富の源泉になっている構図が見えます。IPCCやCOPも再エネもひいては国連の掲げるSDGsもビジネスと直結しているということを、国民はうすうす見抜いており、新聞が募集したSDGs川柳の中には、「SDGsと言うやつみんな金めあて」などというものがあったり、歌壇俳壇の投稿欄にすら、「声高にSDGsと言わねども農夫は還す根は葉は土に えすでーじーず」などがあり、市井の人々からも大いなる共感を得ているというのは、どこかケツが割れている芝居の、お手並み拝見といった様相も感じられます。

やや直感的な話になってしまうのは恐縮ですが、科学的根拠を示すことの難しい気候原理については、ジェームズ・ラブロック博士のガイヤ理論と、赤祖父博士のいう北極海の海水移動などが、的を得た見解ではないかという予感がします。行きくところ、地球という惑星の恒常性ホメオスタシスに依存していて、温暖化も寒冷化もそのブレの一つでしかない、ということでしょうか。ホメオスタシスの上の極小のブレを、つるんでビジネスに奉る、あるいは便乗していくナガレのようなものが厳然としてあるのではないでしょうか。

道内あちこちの再エネ施設のうち、…(中略)メガソーラーは、勇払原野の、あまり樹木がないエリアを選んで建てられていますが、関係者からは「1・2・3の法則?」なるもの
を聞いたことがあります。

この法則は、再エネ1ギガワット?を作るのに必要な土地の面積は2ヘクタールで、その建設費はざっと3億円、というものでした。プロジェクトはFITによってビジネスライクに粛々と進められ成立するので、土地の貸借契約の方からみると、20年間の借地料は、売買した際に得られる分譲代金と同じになり、つまり土地代は2回以上回収できる、という仕組みのようです。

話は飛びますが、原発はやめたかに見えたスウェーデンやドイツは災害による民生不安やエネルギー安全保障で「脱原発をとり止める」ような動きが見えたり、国も小規模原子炉の共同開発に踏み込んだり、フランスとの核融合研究に再び?取り組んだりするニュースが目に入ります。(中略)「もんじゅ」にも取り組んできた友人が、「原子力はベストではなく必要悪」と以前から言っていたように、頼り過ぎてはいけない効率ではありながら、ムードに流されて廃止してよいか。ドイツのように再エネ(FIT)のつけを国民が税金で延々と補てんする愚は、日本でも早々に止めてほしいと願うものです。

長くなりました。先生の時宜を得た論考のおかげで少し遠望ができるような錯覚をしています。またボキャブラリービルディングの大いなるサポートになりました。ありがとうございました。以上、お見舞いの御礼と、力作論考読後の思い付き感想をしたためてみました。…(後略)

■2022/01/02 新年2日目 年の瀬の本

明けましておめでとうございます。年が改まる都度、来し方、特に去った一年を振り返ると、一年前の年頭に心に浮かんだ希望の道筋のようなものが、大なり小なりトレースされ、いくつかは成就している跡が見て取れます。ということは、年が替わるのを機会に「念じてみる」ことの意味が知れるというものではないでしょうか。

ところで、この年末年始はさしたる雪かきもせず読書三昧でした。懸案の古典で言えば、高樹のぶ子の解説になる『伊勢物語」で足ならしをしました。昨年読破した『源氏物語』の下地になっていることは初めて知りました。つまり、在原業平が光源氏のモデルではないか、ということですね。朧気ながら聞いたこともあるような…。それから、山の先輩Tさんによる『北海道の鉄道開拓者』。技師大村卓一の功績を追ったものですが、全般に展開される北海道開拓に関与した開拓史など明治政府関係者をはじめ、内地の人たちの多様さとエネルギー、そして国防と新天地建設への高い意志、人脈にはあらためて圧倒されます。近現代の北海道における地域開発の礎部分に当たります。

さらに『北海道ジビエ物語』。岩崎寿次著の、エゾシカの駆除から食肉ブランド化へのクラスター形成の取り組み(小史)が描かれ、コモンズの特別顧問の小磯修二教授が釧路公立大学学長時代に、「30年かかるつもりで」とアドバイスしたことがバックグラウンドとなって、丁寧なネットワークと研鑽を積んできたことがわかります。

歴史としてみてみれば、開拓も鉄道も遥か彼方の出来事のようにかすんで見えますが、それらがジビエプロジェクトのように、コツコツ丁寧に編み込まれていることを知るのは、懸命に今を生きる人々の元気につながるのではないか。

このほか、時事問題のレポートや人間学の雑誌にも目を通していましたら、二宮尊徳応翁の「積小為大」という言葉に出会いました。「小さなことの積み重ねが大きなことになる。大きなことを成し遂げようと思うならば、小さなことを疎かにしてはいけない」の意とか。年頭にふさわしい句として有難く読みました。


■2021/12/19 「ウラヤマニスト」辻まことで『山と詩人』は終わった

田中清光著『山と詩人』約700page を2か月もかかってやっと読み終えました。日本の文化に大きな影響を与えてきた「自然」、この自然なるものはいつも同じような自然なのに扱われ方が時代とともに変質し、かつ明治以降の近代の世相を映しながらなので足取りは重く、なかなか読み進むことができないという事情もありました。ここでいう「山」は、しばしばイコール「自然」であったために、わたしたちが今こだわる自然なるものが、どうとらえられてきたか、とても興味があったのですが、読了後の今も実は結局のところ結論めいたものは残らず、依然として混沌の中にあります。ただうれしいことに、霧の中の自然観を探る巻末に、ウラヤマニスト「辻まこと」が、これからの「人間の思想に新しい地平を開く可能性」を秘めたものとして締められているのが個人的に好印象でした。自然は、鏡であり、風であり、神であり、逃避場所であり、仏でもある…。この本が高価だったために、読み始めのころは読後は売り飛ばそうとメモや傍線なしで読み進んだのでしたが、、、途中からやめました。

2021/9/18 薪と万葉集

外部社会とはネット等でしっかり繋がっているとはいえ、どこかモノトーンな日々であり、これは毎日同じメニューの食事をしているに似ています。そこでおとといから、持参した2年前のサライ「万葉集を旅する」を見始めています。今朝、早々の回診を終えてからは、ノルウェーの名著『薪を焚く』を再読始めました。これらは2020/3/26迷想雑木林だより110の6/22〃111の7/14 と折りに触れて書き込んでいるのがわかりました。思えば、雑木林と薪は天に召される直前までの関心事になるのかも。万葉集といい薪の本といい、ルーチンとは別世界を瞬時にして形作る魔法を持っていて、こんな至福を味わえるのも、白秋期の養生生活のおかげでした。(^_-)-☆


■2021/9/17 「8050」の物語
結婚も就職もできないまま50代になった子供が、80代の親の年金を頼って生きていくという現実の社会問題、「8050」。昨日もまさにこの構図の親族殺人事件が報道されたばかりです。入院生活はリハビリを始め押すな押すなのスケジュールのため、何冊かの本を読破するというわけにはいかなかったのですが、合間を縫って唯一読み終えたのが、林真理子著『小説8050』。いじめが原因で引きこもりになってしまった二十歳の青年と父親、そして弁護士が、7年前の加害者を相手に裁判を起こし、最後は満身創痍のような状態で有罪を勝ち取るという筋立て。加害者3人を含むいじめる側の心理、身勝手な忘却と変身、被害者青年の屈折と息子を持つ父親の葛藤、そして凄惨な家庭崩壊の過程をそれぞれリアルに描いており、他人事とは思えない描写に引き込まれました。息子と父親の軋轢描写も身をつまされる思いがしました。最終ページに近くなって、アレッ、何かに似ている、と思い出したのが、村上龍著『希望の国のエクソダス』でした。あれも主人公は中学生で、恵庭の病院の窓からすぐそこに見える「ノホロ」(野幌)が架空の国のラストステージだったことも、妙な既視感を呼び起こしました。あえて言えばかすかな光が見えたのが救い。とはいえ、生きにくい閉塞した世の中だ、という重苦しさは
いや増すのでした。

■2021/6/7 コモンズの追い風

混迷の時代を読み未来を展望するために
久々に衝撃の本に出合いました。マルクス(本気で読んだことはありませんが)の晩年の到達点と資本主義、SDGs、そして次の時代のキーワードのひとつとしてコモンズを論じています。帯のコメントがすごい。博覧強記の松岡正剛氏が、「気候、マルクス、人新世。これらを横断する経済思想が、ついに出現したね。日本はそんな才能を待っていた」。佐藤優氏は「斎藤はピケティを超えた。これぞ、真の「21世紀の資本論」である」・・・。スケールの大きな経済と環境の懸案を包み込み総括する展望を提示しているように見えます。晩年のマルクスが「資本論」本編とはまるで真逆に近い論(特に地球環境からの搾取)を展開していたことを膨大なノート資料で明かしてみせ、目からうろこの展開でした。資本主義が原因の地球への過剰な負荷とそれを乗り越えるための脱成長、そしてグリーンニューディール。その道としてコモンズの仕組みとアソシエーションが重要としている視点があるため、世界の過去、現在、未来を論ずる高邁な思想が、わたしたちの日常にもつながる身近さを感じさせる一冊だったと思います。いや~、びっくりした、が読後感。






2019年以前はこっちに若干

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