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2021年、日々の迷想


■10/11 山と詩人
入院中に林真理子著『小説8050』を読んでから、分厚い本を読んでいないのに気づき、たまたま本棚をさがしたところ、ありました!買っては見たもののなかなか入っていけず何年もの間、仕舞っていたわたしにとっては超高価な本です。よくほったらかしにしたもので、1986年発刊ですから35年も前のもので8500円。山と詩人は当時もっとも関心のあったテーマであり、新聞の書評を見てすぐ購入した記憶があります。今月初め、ゆっくり読み始めて、現在700ページのうちの3分の一を過ぎたあたり。買ったのは山登りから離れ、ウラヤマニストを意識し始めたころで、山を自然と読み替えることで日本人の自然とは何だったのか、詩の言葉を通じてじわじわと伝わってくるのを感じます。まさに古希の今読むにふさわしい出会いになりました。ただ、あまりに高ぶりが高く没入が深くて書評めいたものを書くにはちょっと頭の整理が必要になりました。著者は詩人の田中清光。これを読み終えたら、隣の『小島烏水』、伊藤秀五郎さんの『続編・北の山』を再読するつもり。その間に『伊勢物語』や『夜と霧』に寄り道したい。自由な読書の時間を得て、初めて、入り込めるという特別の世界がそこにあります。至福の時間と呼ぶべきか。。
■10/9 寒露から霜降へ
快晴の昼下がり、膝まづきながら軒下の草取りをしていて敷砂利の間に見つけたのが写真のハタケシメジ。去年は気づかなかったのですが、おととしから玄関わきのここに薪を積んできたせいでしょうか。とすれば正直なものです、その足元に発見した秋の恵み。でも競争相手はいないから、あと一日、オガラセテからいただくことにします。今年はキノコ採りらしいことをしていないので、ちょうど記念の一品。それにしても温かい日が続きます。昨日は24節気の寒露ですが、長期予報では霜が降るまでにはあと数日から1週間はかかりそうな気配。24節気の霜降まではあと2週間。
■10/7 霜が降りる前にバラ香る
昨日は大雪山旭岳に遅い初冠雪。いよいよ、里も初霜が降りて雑木林は紅葉が始まるころ。近所をウォーキングポールを持ってリハビリの散歩をしていると、どこからともなく、甘いバラの香りがしてきます。向こう三軒両隣でバラを競う一画でした。まだまだ立派に花を咲かせていて、霜を待ち受ける最後のパフォーマンスのようです。当方の庭もハンギングを下ろすのも間近であと数日と見ました。そんななか、再びけなげに葉を広げ花を咲かせ始めたのが、今年初めて植えたエリゲロン(ペラペラヨメナ)。マイナス15℃まで耐える多年草で、ハンギングとコンテナの隙間を埋めるつもりで数株使ってみたのですが、意外に生命力あふれ、伐り戻したあとに写真のような繁茂状態に戻りました。
■10/5 薪ストーブを焚く準備

薪ストーブを焚く日は近いと予想して、焚き付けと薪を居間に運びました。術後とは言え、このぐらいの負荷は、気をつければやれます。しかし今季は、チェンソーを持つ山仕事は断念しました。持ち運びなどしながら、薪を燃やすまでの長く非効率な作業の日々を振りかえると、この暖房をフルセットで自賄いする営みも家族にとってはエッセンシャル・ワークそのもので、共有財を利活用する新しい社会の入り口ではないかと思いいたります。


■10/3 不安(その2) 不安神経症
不安といえば今から20年以上前に「不安神経症」とか「パニック症」、あるいは「心臓神経症」という診断を下されたことがありました。例えば家人が車で出かけた、という場合、心配で心臓がおかしいのです。閉所恐怖症もあったので地下鉄などはとりわけ不調でしたが、もとはと言えば自分の行動様式、アクセルを踏みっぱなしのような仕事の仕方などに原因があることに気付き、5年ほどで脱し幸い鬱にもならないうちに新しいライフスタイルを得ました。心身の不調とか病気というものは、気づきのための天の采配だと言いますが、まさに有難い回復力でした。杞憂とか不安とか、もとになる根源を見据えて生活をリストラすることは容易ではありませんが、結局、心身の主治医は自分しかいない、と知ったのは大きかった。
■10/1 漠然とした不安
朝の目覚めの時に、漠然とした不安を感じる人というのは世界中に大勢いるようです。時間に追われたり生活や将来の不安、仕事や抱えているプロジェクトの不安などストレスの種類に枚挙にいとまがありません。いい加減な人生を歩んで来て反省ばかりしているわたしも例外なく、この不安は何だろう、何故だろう、とずっと考えてきました。が、なんと仕事を辞めて約2年で、これがかなり軽減、いや激減しました。「もう、何をやってもいいんだよ」「何にも追われてはいない」「わたしは今や自由」、とわざわざ言い聞かせる必要が無くなりました。不安というのも避けられない癖の一種のようだから、起きがけにヨガをしたり冥想に入ったり、カーテンを開けたり、とにかく所定の行動を起こしてしまうのがいいようだと知って、実践したのも大いにプラスだったようです。祈りも呪文も有効でした。不安はこころにつきもの、上手に付き合っているうちに消える・・・。これは儲けものですが、ここまでが実に長かった。(-_-;)
■9/29 道央圏は薪不足?!
春から秋までの勇払原野からの発信 ニュースレター28号をアップしました。聞くところによると、今年(も)、道央圏で薪が足りないようですね。、先日、自賄いで残った2年乾燥ものを譲る話を持ちかけたら2,3時間で2件の話がまとまりました。あと10日もすればストーブを焚くこの時期まで、入手できなかったのでは心中察してあまりあり、です。
ところで積んだ薪は膨らむというか、乾燥につれて動きます。薪ヤードの薪小屋の薪は何回倒壊したか数え切れませんし、拙宅の間に合わせの薪小屋がはちきれそうで応急処置をしました。ほぼ半日で仕上げ、材料費9,000円の安普請ですから覚悟はしていましたが、崩れないか心配です。春までなんとか持ってほしいところ。

■9/27 秋晴れが続き
千秋楽は照ノ富士に賜杯、翌朝白鵬引退の報、ガンたちの渡り始まり、キノコの噂聞こえ、ワイドショーは総裁選で持ち切り、コロナ終息原因不明のさなかに要人が「神のみぞ知る」などと言い、理学療法士の散歩は当分家周りという助言を思い出し、『山と詩人』読み始め、多摩丘陵と八王子に惹かれ『八王子千人同心』をamazonで購入し、前の勤めの複数の先輩方から携帯で近況を伺う。
■9/25 入院加療を振り返って
人生初めての外科手術までの3,4年は、どうにかして手術を避けられないか、迷走を続けてきました。結構な不具合を抱えつつ様々な体操、ウォーキング、整体、病院の鎮痛剤投薬などを試してきたのです。しかしこの間、痛みは増して結局、在宅治療の道は未練なくきれいさっぱり諦めることができました。股関節では手術例のとても多いE病院にしましたが、いまどきの病院では普通なのでしょうか、病院という大きなシステムが機動性良く動いていることに心から感動しました。担当医を含む数人のチームは「さあ治してあげるよ~」「心配しないで頑張ろう~」的なパワーとオーラに満ちて毎日回診に来て、おびただしい数の看護士一人一人が患者情報を徹底的に共有していました。麻酔や医療器具担当、理学と作業の療法士のスタッフも親切丁寧で、食事は1500カロリーをすべて完食しました。入院中、7,8人の患者と意見交換しましたが、みなさんがここに入院してよかった、と思っている様子が印象に残ります。このような感想を感謝を込めて病院の口コミ欄に書こうか、とも考えましたが思いとどまりました。ひょっとしたらこれが昨今の医療のスタンダードかもしれない、とふと思ったからです。それにしても何だかうまく治りそうで運気が上昇するような総合力、これは伝統でしょうか。当分、ドクターや療法士の指導に従い、しかし幾分攻めの構えで自宅リハビリを続けます。
■9/24 薪の需給バランス
丸2年乾燥させた広葉樹だけの薪(勇払原野の雑木薪)が、最終的に2,3軒分余ったので、昨日ある人を通じて斡旋をお願いしたら、1,2時間後に2件問い合わせが来て早速成約しました。そのスピードはまるで「飛びついてくれた」感じ。そこにほの見えるのは、良質で安心な薪の不足で、事情通に聞けば、購入薪はしばしば乾燥不足で燃えなかったり、定期的に購入できなかったりと、わたしから見れば同情を禁じ得ない現状のようです。そこでこちらのスタンスを話すと、まるで奇跡でも聞くような驚きの声の表情でした。「それは大変な仕事ですねえ。よくもまあ・・・」。あと10日もすれば、薪ストーブを今シーズン初点火する頃合いです。コモンズ林業的な、狭い範囲のゆるい地域活動こそ、総合的に地域環境に貢献する、という目立たない真理は一般にはなかなか到達できない社会のようで、そこにはやっぱりちょっとした奇跡があるのかもしれません。
■9/21 秋色
「大丈夫、元気に咲いてるよ~」。入院期間の中日のころに聞いた、家人に任せたハンギングやコンテナの花の様子でしたが、2週間ぶりに目にしてみると、その差ははっきり。インパチエンスの葉が黄色に変わり始めています。朝の気温が10℃近くまで下がっているせいでしょう。その割には、まだイカリソウのようにクルクルと巻き込む果実があまり目立ちません。ほぼ4か月前の6月1日に、たっぷりの元肥を与えてずっと放置して水だけを切らさずにきたオブジェたちも、そろそろお役目が終わろうとしています。意外に頑張ってくれたのが、右上のヒメジョオンに似たペラペラヨメナ(エリゲロン)。先月刈りこんだ別の株もすっかり復元していました。わき役としてはこれからも使えそうです。
■9/19 手術による再生の記念に思う
昨年春、熊野古道を巡った際に、「再生 re-birth 」という言葉と祈りを少し深めで身近に実感しました。歳のせいでしょうか、これは新鮮でした。不思議だった後鳥羽上皇の再三の熊野歴訪の背景を、「源氏物語」の時代描写と重ねて読み込んでいるうち、その動機が度重なる不遇と再生の繰り返しの中にある、とかすかに感じ取りました。入院11日目の日の出がこの再生にとても因果が深いと感じると同時に、ぽっかりとエアポケットに入ったような入院療養というのも、追手が入り込めない安全地帯「アジール」に逃げ込み、「再生」に踏ん切る契機に近いものがあるのではないか・・・。
この度の障害と治療の原因は、個人的できわめてちっぽけな、平たく言えば林業的なまねごと、ズバリ具体的に言うと丸太という重量物の運搬のしすぎによる股関節の摩耗だったわけですが、いわゆるこの山仕事の日々をくぐって、外反母趾を患い、その一方では拙著『林とこころ』が生まれ、薪ストーブ生活が始まり、そして股関節に約400gの金属などが装填された・・・。こう書くと、これらひとつひとつがウラヤマニストであるわたしの、山仕事の折々の記念碑であり、今日の日の出もちょっとそれを象徴するなあ、などと思って、あさ5時22分、日高幌尻岳の方向にに向かってシャッターを押しました。入院最終日は、5月から9月初めまでのニュースレター「勇払原野のspirit」に取り掛かります。

■9/18 薪と万葉集
外部社会とはネット等でしっかり繋がっているとはいえ、どこかモノトーンな日々であり、これは毎日同じメニューの食事をしているに似ています。そこでおとといから、持参した2年前のサライ「万葉集を旅する」を見始めています。今朝、早々の回診を終えてからは、ノルウェーの名著『薪を焚く』を再読始めました。これらは2020/3/26迷想雑木林だより110の6/22〃111の7/14 と折りに触れて書き込んでいるのがわかりました。思えば、雑木林と薪は天に召される直前までの関心事になるのかも。万葉集といい薪の本といい、ルーチンとは別世界を瞬時にして形作る魔法を持っていて、こんな至福を味わえるのも、白秋期の養生生活のおかげでした。(^_-)-☆

■9/17 「8050」の物語

結婚も就職もできないまま50代になった子供が、80代の親の年金を頼って生きていくという現実の社会問題、「8050」。昨日もまさにこの構図の親族殺人事件が報道されたばかりです。入院生活はリハビリを始め押すな押すなのスケジュールのため、何冊かの本を読破するというわけにはいかなかったのですが、合間を縫って唯一読み終えたのが、林真理子著『小説8050』。いじめが原因で引きこもりになってしまった二十歳の青年と父親、そして弁護士が、7年前の加害者を相手に裁判を起こし、最後は満身創痍のような状態で有罪を勝ち取るという筋立て。加害者3人を含むいじめる側の心理、身勝手な忘却と変身、被害者青年の屈折と息子を持つ父親の葛藤、そして凄惨な家庭崩壊の過程をそれぞれリアルに描いており、他人事とは思えない描写に引き込まれました。息子と父親の軋轢描写も身をつまされる思いがしました。最終ページに近くなって、アレッ、何かに似ている、と思い出したのが、村上龍著『希望の国のエクソダス』でした。あれも主人公は中学生で、恵庭の病院の窓からすぐそこに見える「ノホロ」(野幌)が架空の国のラストステージだったことも、妙な既視感を呼び起こしました。あえて言えばかすかな光が見えたのが救い。とはいえ、生きにくい閉塞した世の中だ、という重苦しさは
いや増すのでした。
■9/15 団体旅行的「相部屋療養」

手術して1週間、人間の体とはよくできているもので、無事傷口がふさがり、今朝は回診時に医師が切開個所を覆っていたカバーをはがし、昼前はなかば強制されるように入浴しました。歩行器はさきほど撤去され、自立に向かってこれから一本杖で行こうと背中を押され、新しいステップのリハビリに入りました。日常に戻るための厳しい訓練といったところです。ところで、入院当初の数日、年配の男性3人と相部屋で、いつもながらこれは団体旅行に似て楽しい時間でした。団体旅行を馬鹿にする人もいるかもしれませんが、これが実に興味深い時間で、距離感をもちつつ、お互いの人生経験を背負いながらやり取りする、人生冥利に尽きるというものです。中には日本でも超有名な会社に務めていた夫婦だったり、腕に覚えのある職人さんだったり、九州の方だったり、もと公務員の夫妻だったりと様々ですが、その多様性と混とんに、日本人そして日本ていいなあと何度思ったことか。相部屋療養もきわめてそれに近いのです。PCを使用する必要と、C-PAP 対応のため予め希望していた個室に移ってからも元の部屋に顔を出して歓談し、看護士さんから「長居しないでね」とやや嫌味っぽく言われました。目は「ここは病院であって居酒屋やサロンじゃないんだから」と言っているようでした。ハイ、確かに・・・。(-_-;)
■9/13 「ありがとう」50連発
入院は普通の生活者にとっていわば別世界です。とりわけわたしの場合は突然、不自由な身体になったために実に多くの方の世話、いわゆる介護を受けるようになったことが大きいわけですが、その結果が「ありがとうございます」の連発でした。さすがに家人にもこんなにたくさんは言わないどころか、数えるほどです。もともと海外に旅行した際にレストランやホテルなどでサービスを受ける都度、サンキューを惜しまないようにしてきたせいか、抵抗なく自然に言葉は出ますが、今回の病院ではその回数のなんと多いことか。これだけ連発していると、心が軽くなってなんだか運が上向いていくような気がします。
なんとそんな今日のこと、送信されてきた月刊誌「致知」のメルマガに、心学研究家の小林正観さん(故人)の話が紹介されていました。小林さんは、ある時、この宇宙を貫く一つの法則に気づきます。「ありがとうの法則」です。――「ありがとう」という言葉を口癖のように唱えていると、自分でも信じられないような出来事が起き、健康ばかりか運命までも好転していくというのです。・・・聞き覚えのある話ですが、まさにさもありなん、です。

■9/11 手術後3日目
「左形成不全性変形性股関節症」という病名に対して「左人工股関節全置換術」、という手術を行いました。8日の朝一番の9時半、担当医は自信をみなぎらせた頼もしい女医さんでした。2時間弱で手術は終わり全看護の回復室で寝たきりの一昼夜を過ごしてから病室に戻りました。術直後、左足が無感覚で丸太のようでしたが痛みもないので、外科手術とはまあこんなものか、と楽観していたところ、翌日午前で麻酔が切れてからは大変な痛みと腫れがやってきました。初めての手術を甘く見たようです。それからは完全な身障者状態が続いて昨日はやっと歩行器でトイレに行く練習、今日はデイルームの移動許可を得て午後個室に移れてからはリハビリ士の監視のもとフロア1周が許されました。パソコンは個室だけなのでこうしてやっと報告ができました。思うに、山仕事はおろか、日常生活に戻るためのハードルが多々。どうなることやら、少なくともかつてのように山野を跋渉し、チェンソーを駆使して重い丸太を動かすのはもう無理かな、と観念しつつあります。
■9/6 お知らせ
意を決して人工股関節の置換手術をするため入院することとしました。しばし、ホームページの更新はお休みします。できるだけ早く、自分の薪は自分で軽く作れる程度に回復したいものです。

■9/5 土地ごとの気質と大泉洋
日本は狭いといっても、土地ごとにおせちや名物料理が異なるように、一部ではしばしば気質も違うと話題になりますが、それがまた結構面白いものです。血液型で性格を類型化するのが顰蹙を買ったりするように、これも大っぴらにするのが憚られるものがあります。が、でもやっぱりヒクヒク笑うほど小気味よく面白い。コロナ禍の前、あるちょっと固ぐるしい立食パーティの片隅でこの話になって、やがて札幌の人たち、という類型が話題になりました。居合わせた4,5人はいずれも東北、関東、関西の方で、では札幌人の極めつけは誰だ、ということになりました。そこで出たのは、タレントの「大泉洋」。彼が象徴するのは、飄々として、しがらみを蹴っ飛ばしている風で、あっけらかんとしてトータルで楽天的に見え前向き、、、、というあたりです。それに比べ、本州人は大なり小なり土地のしがらみがあってこんなに伸び伸びしていない、というものでした。ひがみでもありましょう。出る釘は打たれるから目立つことはするな、と諭されてきたわたしなども賛同した一人でしたが、年配の名誉教授が珍しく破顔一笑、激しく同意したのが印象的でした。やはり札幌出身の人はどこか違う、とわたしは今でも思っています。
■9/3 木を植え続けた人

世の中には、人知れずコツコツとやる大事な仕事があるものです。いや、子育てなども含めて日常的な大事なミッションというのは人の評価などをほとんど考えないところで行われるのかもしれません。先日訪問した蘭越のSさんの山もそうでした。洞爺湖の10万年前の火砕流からできた土壌が植生を受け付けない困難地で、Sさんはそこにコツコツと木を植え、やがてあちこちから人も集まって来た・・・。と言っても、壮大な夢を語るわけでもない。苗を作り少しずつ木を植え、トドマツ林は暇を見つけてササ刈りをして植生が変わってきた・・・。こうすることが楽しいとおっしゃる。その時間の流れを振り返ってすごく満足そうなのが、こちらに伝わってきてそれが周りをほっとさせる。「これでいいんだ」、という安心感に近いものでしょうか。成し遂げた成果ではなく、その姿。人はこんな発信もできるんだなあ、と感じ入りました。それが植生復元であることが、まことに絵になるのでした。

■9/01雑木林に蚊
この夏も、蚊のいないいいシーズンだと思ったら、9月に入ってやっぱり出てきた。大勢が集まるだろう「つた森山林」の育樹祭がもし行われるのなら、結構、お気の毒だと心配になったが、そんな中、いつもキノコ採りをしていたではないか、と思い直す。しかし、あれは季節の味を求めての個人的なビッグイベントで、切実な別の話だということにしよう。

■8/31 いよいよ9月へ
庭を赤とんぼのようなものが急に飛び始めました。スイカ、ジャガイモ、トウキビなどが届き、家人は1匹250円のサンマを2本購入。季節に乗り遅れない名残のように。
■8/29 共和町の明善寺にて


森づくり研修で岩内温泉に泊まった明くる朝、共和のあじさい寺・明善寺に立ち寄りました。もう枯れ始めているアジサイもあったので、本堂の裏で草取りをされていた年配の男性に、「シーズンは終わりつつあるのでしょうか?」と尋ねると、「アジサイの花期は品種によって長いから、まだまだでしょう」とおっしゃる。たしかに、今を盛りにと咲き誇るものも少なくなかった。盛りのアジサイは独特の「気」をわたしは感じますが、ここのはもっと穏やかな気品を備えているよう。右田さんとコブシの大木を見つけその大きさ、枝ぶりに見惚れ、同行の seki ちゃんに一枚撮ってもらいました。役場前の国道276号沿いには神社とお寺がいくつもあるので、件の男性にその理由を伺うと、「海に近いですからね」というお答え。岩内から開拓に上陸した方々は、出身地の神社や多宗派の寺院を持ち込んだ、という意味かと拝察しました。ここは浄土真宗本願寺派、西隣は曹洞宗でした。地名は前田。前田男爵のゆかりか。アジサイの画像はこちらに。

■8/27 再び猛暑、夜半、月光を浴びる
季節はいつも行ったり来たり、です。寝苦しさで目を覚ました真夜中の2時には、きれいなお月様が真南にあって、目覚めて良かった、としばしベランダで涼みました。月の光を浴びるというのは、どこか心の健康にいいのではないか、といつも思うのですが、明るい光が前向きの希望だとすれば、お月様の明るさは逆の内省を促すような光です。しかし単なる悲観ではない、少し意味のある回顧のような。山小屋のろうそくの灯りに近いかも。冬季うつを避けるために、北欧では太陽のように明るい空間を作り一定時間を過ごすといいますから、人の気分もこの明るさである程度制御できるということでしょう。日の出を見たり朝日を浴びるのは、時に森林散策よりも手っ取り早い気分転換にもなります。

■8/25 歌に見る庶民の共感 7 
このごろ、世の中が少し目まぐるしく動きすぎていないでしょうか。それとも当方がネットで報じられる出来事に関わり過ぎでしょうか。その点、新聞の歌壇俳壇は、庶民の日常が静かに描かれ、まるで生活に錨(いかり)を降ろしたかのように淡々として落ち着きます。
◎昭和はじめ生まれのわれは昭和末教師をやめて野草にしたしむ (茨城・Mさん)
・・・目に浮かぶ風景。リタイヤしたら土地の植物に親しもう。好きな時間に起きて、好きな時間に昼寝もして、いい時間になったら晩酌に入る・・・。子どもたちも育て終わったのだから、ここはもう時間に追われず。
◎虫さされの肘を指しおり審判にデッドボールを主張するごと (大阪・Hさん)
・・・「見てみて~」。大げさにも見えるこのしぐさ、よくあった。微笑ましい情景だ。こうして場数を踏んで大人になっていけば、虫などを気にしないで山野を跋渉できる人になる。
◎捩花の何処も正面少年期 (横浜・Sさん)
・・・捩花はバランスをとって捻じれるのだ、と選者評。少年という時期は家族や友達との付き合いでよく揉まれる、そして時には捻じれながらスックと立つ。
◎親方に感謝の言葉をくりかえし照ノ富士は自分の努力を言わず (山口・Sさん)
・・・なんとできた態度か。日本人はこの姿勢が大好き、だった。
◎あばら屋に無口の母とお蚕の交わす言葉は慈愛に満ちて (埼玉・Aさん)
・・・家中で一番涼しい部屋をお蚕に提供して、せっせと桑の葉をあげる。10歳前後のころ、わたしも桑畑で葉を摘み、運び、数時間おきに忘れず餌の葉をやった。ペットとも違う、子供も十分手伝える神聖なひと時。そこで母はつぶやく・・・。

■8/23 ヘビの抜け殻のお守り

今日は24節気の「処暑」、暑さが少し和らぐとされますが、お盆過ぎには、15℃くらいの朝がありました。が、そうなると和らぎ過ぎで、急にストーブを連想しました。でも内心は「ちょっと待て、冬はまだ早いぞ!」・・・。暑さで思い出すのは、小屋に居着いた何匹かのヘビたち。彼らが来てからトガリネズミがいなくなって喜んだのですが、ログの隙間で羽化し大量発生していた蛾の成虫を、絶好の餌にしているようでした。そして猛暑で50℃近い小屋のロフトの段ボールの上に、鎌首をもたげているのを見たときは心底驚きました。あの酷暑を、むしろ嬉々として喜んでいる風でした。そしてその頃、小屋の内外には何本もの長い抜け殻。きれいな脱皮ばかりだったことと、当時とっておきのビジネスを思案中だったこともあって、苫東コモンズのお守り(ラッキーチャーム)を作ってみたものです。ヘビは弁財天の化身であり、脱皮は生命力を象徴するなどから、運気をアップするものという信仰は、一部で今でも根強いようです。これを会員の希望者に無償で配ったところ、財布に入れたらすぐ大きな商談がまとまった、という声が届きました。「そのうち、ご馳走してあげるね」と言われましたが、そのあと、音沙汰がありません。(-_-;)  500円で販売もしたのですが、引き合いは1件。10年以上前の話です。
■8/21 林の利活用と修景管理に参画する

苫東コモンズを特徴づける活動の一つが、地味な「育林コンペ」である。まだピンと来ている人はいないが、ここで2日も除間伐の山仕事をすれば、薪ストーブ一年分の薪が生産できるのだ。この手応えを実感できると、薪ストーブライフはすごく楽になる。もちろん、枝を片づけたり、搬出したり割ったりする仕事は3,4日かかるにしても、「わずか」それだけで保証されるのはすごいことではないか。しかも、林は人の手がかかって美しくなるのである。昨年来の新人各位に打診したら、全員、エントリーしたいという。それを受けて小さな緑の所有者表示板を用意して打ち込んできた。わたしのところは、育林コンペの全エリアで最も密度の高い場所なので、4人を貼り付けることにした。みなさん、現役の勤めを持っているので、恐らく使うのは当面わたしだけかもしれないが・・。今日の山仕事も暑かった~。

8/19 「北の国」が「別の国」にならないように
大分以前から、国土が第三国人に買い取られていることに気をもんでいる一人です。が、美瑛駅前にあった〇〇食堂も〇国人のモノになったと聞きました。山の帰りなど、よく顔を出したお店でした。外国人による土地買収は、砂川、千歳、ニセコ、日高の豊糠、赤井川、釧路の白糠など枚挙にいとまがありませんが、あの富良野あたりもリゾートのコンドミニアムなどで、土地はバブル状態にあるようです。このような状況のフォローは、道内紙はとんと手薄で産経新聞の記事を読んでいます。道民はまるでつんぼ桟敷に置かれているのではないでしょうか。そもそも、国土は外国人の所有を許さないというのが欧米先進国の鉄則で、アジア各国もできないようにできているようです。お人好しの日本は、そこのところが全く無防備のままで、グローバル経済や自由主義経済のもと、後手後手どころか無策なのではないでしょうか?「外人に土地を売って何が悪い」との声ももれ聴きます。100年ちょっと前は誰の土地でもなかった浅い歴史が災いしたのでしょうか?中国の古い言い方では、こうして他国をじわじわ侵食する方法を「砂を混ぜる」と言うのだとか。
■8/18 栗の玄関飾り
林道に突き出た数本の栗の木の枝を見つけたので、手折って玄関ドアに下げてみました。お盆前の猛暑のあと、いきなり秋めいて、あっという間に夏の様相が変わりつつあります。終戦記念日、コロナの陽性者拡大、海外ではタリバンの全土制圧。衆院選挙など、国政も動きが急。1週間前に五輪を終えたばかりなのに、頭の中からすっかり飛んでいます。





■8/17 ドロノキの使い方

使い方を検討中だったドロノキ丸太の乾燥が一段落したので、自宅の薪ストーブで燃やしてみました。予想通りの「火付き」の良さと「火持ち」の悪さで、この性質を割り切って使えば、薪ストーブ生活の頼もしい伴侶になりえます。なにせ、マッチの軸木に使われた木です。30日干せばよいドロ薪、これは重宝とも言えるでしょう。開発局の柏原試験地などにはまだ沢山の間伐を待つドロノキがあるので、ちょっと個人的な計画に入れていこうかと思います。ここはなにせ、50年前にわたしが学卒で任せられ手掛けた、縁の深い、かつ勇払原野の風土の学びがスタートした植栽試験地なのでした。そこはドロノキとアカエゾマツが主役だったのです。

■8/15 『中学歴史』を完読
歴史の本はなかなか読むスピードがあがりません。6月末に読み始めた本書を、偶然、終戦祈念日の午前中にようやく読み終えました。教科書検定の審議会から相次ぐ駄目だしが続いた、竹田恒泰氏渾身の一冊。中学生向けと侮るなかれ、非常に中身の濃い労作でした。特徴は、次世代を担う中学生が、わたしたちの日本を誇りに思えるようなエピソードをコラムとしてわかりやすく紹介していること。そして文科省の付帯意見を漏れなく表記していること。これによって検定の実相がしのばれる仕組み。江戸時代までの近世はいわば教養として、明治以後の近代と現代は、激動の今の流れを見極める基礎として、一線を画す勢いと熱と公正さが感じられる、そんな変わった、しかし清々しい力作でした。ここからレビューが見れます。
■8/14 テーマ・エッセーのモデル発見

近いうちに、「雑木林と薪ストーブ」をテーマにしたエッセーを募集してまとめたいという企画を温めていますが、さて、どんなふうに、どんな仕上がりがベストか、見当がつきません。そこでいろいろ思案を巡らしていたところでした。ちょうどそんな折、『自転車に乗って』という著名人27人の短編アンソロジーの自転車エッセー(2020/河出書房)に出会いました。写真なしのテキストだけ(その割に高い、本体1700円)というのも、さすがに日本を代表する作家らによるものならでは。夏目漱石、宮沢賢治から、現代の角田光代、群ようこ、三浦しをんなど各氏の、時代を超えた「自転車」エッセーが織り込まれているのです。構成と構図は、「自転車がテーマ」という点で、苫東コモンズが出した『ハスカップとわたし』がちょうどハスカップを真ん中に置いて関係者がこもごもを描いたという構図ともやや似ていますが、新しく企画中のこちらは素人の生活者エッセー。やがて当ホームページに掲載するためには、できるだけファイルの容量を軽くしたいので、このアンソロジーのように、写真集ではなく画像は厳選1枚のみA4で2,3枚の準純粋エッセー風ににしたいところです。ちなみに、文豪・漱石の自転車エッセーはロンドンでの体験ですが、西洋文明への新鮮な驚き描写は秀逸で、明治期の近代化の音も伴奏されてしみじみ読まされました。
■8/13 酷寒/寒/温/暖/暑/猛暑

8月7日は24節気の立秋。この日とほぼ前後して、北海道は7,8日続いた猛暑から一転初秋の気温で、朝は15℃近くでした。気温のこの行ったり来たりで、寝具を変えたり、パジャマを替えたり、パタパタと対応が進んだという話を聞きます。真冬のマイナス15℃あたりから今回のプラス32℃あたりまでを経験すると、いずれも生活するには極端な分だけ、逆に、これから厳しいシーズンに向かっても心に思い残すことはない、と自然に思えるから不思議です。あっけらかんとした晴天が続く風土より、やはりこの移ろいには限りない魅力を覚えます。というか、もうこれしか耐えられない・・・。

■8/11 加齢とともに低下する免疫
昨日は腹痛と下痢で久々に丸一日寝込みました。墓参りがてらの家族旅行もキャンセルして、リセットです。そういえば熱中症のあと、胃腸が弱っていたなと思い当たります。ただ下血を伴い一向に止まらないので、夕方、かかりつけ医に診察してもらうと、「きれ痔じゃないの」と気軽におっしゃる。痔はエッセーを書けるほど経験しているから「違うはずだ」というと、「血液検査して様子を・・・」と相成りました。胃腸科の専門家が、こっちは下血が止まらないと訴えているのに、胃腸炎の一言も触れないのはいかがなものかと愕然としました。前後にネットで調べると、症状から逆算して胃腸炎の可能性が高く、胃腸炎はそのほとんどは感染症だと書いてあります。そういえば夕べ、わたしだけ根室の赤ホヤを食べたので、まさかそれではないか(-_-;)とは思いますが、つまるところ、数年前の百日咳や家人の伝染性ナントカとか、など静かに確実に免疫力はダウンしているのは間違いないようです。そうですよね、そうでないと人間はいつまでも生きてしまい死ぬチャンスを逸する・・・。寝ながら、結構まともなことを考えていました。

■8/8 魂に届く風景


古来、世界的に有名な観光地は独特な「磁場」があるとか、パワースポットだと聴きます。視覚を超えて魂に響く風景というのでしょう。一般には大自然がそうですが、わたしは生のオーケストラとブラスバンドを聞くと鳥肌が立ち、この身体反応もこれも近いと考えます。風景の代表、大自然と言えばすぐ頭に浮かんでくるのは、大きな川、大きな山、果てしない海、そして湿原。そこにはしばしば時間と空間を超えて琴線に触れる何かがあります。昨日、BSでビューティフル・アルプスと称するモンブラン界隈の長い旅番組がありました。そこで思い出したのが、パワースポットとしてのスイスの「氷河」でした。いい年こいて、あれには本当にびっくりしました。言葉が要らないくらい全身全霊に飛び込んでくる風景の力。人々は洋の東西にかかわらず、かつ、意識するしないとにかかわらず、生きるのにプラスの「気」をもらっていることに気付くのではないか。古希を迎えるようになると、これからあとどれくらいこんな体験ができるか、密かに数えてみることにもなりそう。失われる一方だという「気」を「食」と「風景」で補って追加していきたいという下心のようなものか。なんだかちょっとアサマシイような思いもしつつ(-_-;)。・・・とここまで書いてから、人が頑張っている風景というのもいいものだった、とアスリートのドラマを思い出して追加。。

■8/7 世界の中にあった近代日本


近代の日本は、欧米の黒船におびえる弱小国から大躍進を遂げて列強に加わり、第1次大戦のベルサイユ条約に五大国の一員として参加しました。そして当時ドイツが植民地支配していた太平洋の南洋諸島を、国際連盟から統治を委任され、なんと、日本委任統治領が生れました(1920、上左図)。また、大東亜戦争では、東アジア、東南アジア、西太平洋の大半から欧米の軍隊を排除して勢力下にしたのが、上右の図であることを、ある初等の歴史本で先日目にしました。学校でなんとなく習ったような気もすることですが、その意味も含めて、こんなにリアルに眺めたのは初めてのような気がします。というか、この意味はある程度、歳を経ないとわからない所もあるはず。ちょんまげから殖産興業をスローガンに一目散に駆け上がった先人のバイタリティには言葉を失うばかりです。原爆投下と、約310万人の犠牲者をうんだ先の大戦から76年を迎えるにあたって、幕末から戦後までの近代とそれ以後の現代をもう一度振り返って、先人の足取りを是々非々の立場でたどってみようと思います。

■8/5 最後はQOL
つぶれた股関節のレントゲン写真を見ながら、いろいろ経過などを話し、ドクター「で、どうします?」、わたし「ここ数年、自分なりの養生に手を尽くしてきましたが、改善はできず次第に悪化し、結局このままではQOL(quality of life)が著しく低下するばかりだと納得しました。」、ドクター「わかりました。では、・・・」
■8/3 高齢者という烙印がやってくるが・・
今に始まったことではありませんが、最近は特にコロナワクチン接種(7/12に2回目)、自動車免許の高齢者講習(昨日)と、高齢者という烙印というかレッテルが行政の手続きとして否応なくやってくるようになりました。一介の技術者にとって、年金や定年の手続き、、健康保険の切り替えなども、あまりなじみのない新しい世界でしたが、それらを経るにつれ、そうか、自分は先の短い高齢者か、とつい要らぬ悟りを求められるような雰囲気もあります。が、どっこい、そうはいきませんよね。人生は古希から。いよいよ、人工股関節手術の覚悟を決め、今日は初診察へ向かいます。
■8/1 久々に流れ星
風呂上がりに「夏の大三角形」をみようとベランダに出て椅子に掛けた途端、大きな流れ星が、北から南南西に向かって飛んだ。やや赤みがかっていて軌跡が長かったのは意外だったが、その規模などよりもまず今年初めて見たことの喜びを隠せない。だが家人にすぐしゃべってしまうのも大人げないので、ここはしばし温めておくことにした。目指す「三角形」は真上にあったが、近くにあるはずの「さそり座」が見えない。そもそも天の川が見えない。やはり街が明るすぎる。それでも南東の空には木星が明るくデビューしたところだった。昨日は思いがけない炎天下作業をしながら、勇払原野の思い出プロフィールをひとつ追加できた。
■7/31 五輪三昧な日々
オリンピックは「ステイホーム」に限ります。「頑張れ、ニッポン!!」。といいながら、午後はちょっとした山仕事へ。熱中症対策、替えの下着、水をたっぷりと持ちました。花にも水を十分に与えましたが、この暑さでは夕方もう一度あげねば。

■7/28 花は水切れ、わたしはまさかの熱中症

ここ数日は、五輪のヒートアップと仲良く、北海道も本州に負けない猛暑、酷暑。日中は、3,4回、街路、歩道と庭のインターロッキングに打ち水をしていますが焼け石に水、たちまち乾いてしまいます。コンテナやハンギングの花たちは、こんな日、一日1回の水やりでは水切れを起こしますから目を離せません。ハンギングはハングして40日。やっと幅50cmほどになったでしょうか。
ところが、おとといの暑い午前、レンギョウとイチイの刈り込み(今季2回目)をしたあとでした。午後には倦怠感が始まり、昨日は目覚めからきつい「めまい」と吐き気に襲われました。どうやらいわゆる「熱中症」のようです。五輪観戦にもあまり身が入らないまま、日がなソファに横になっていました。熱中症はこんなに身近なところに転がっていました。みなさん、本当に要注意です。
さて、今朝は早くからアゲハが来ました。ハチドリに似たクロホウジャクが飛んで来たらすぐ撮影できるよう、そろそろ玄関にカメラを置いておきましょう。

■7/25 五輪な日々に
オリンピックをできるだけ観戦することにしています。そうなると、番組を次から次へとハシゴせざるを得ないほど忙しいことに気付きました。今般、コロナと五輪に限っても、SNSに満ちていた中傷と攻撃性に満ちた政治的発言や政策批判は、虚言にしか過ぎなかったのではないか。そう思わせるに足る、競技者の「感謝」「反省」そして謙虚な「喜び」の声。そこに大事な真実が込められている、と直感します。そうしてやがて、困惑しつつもモノ言わずに成功を祈って来た、我ら圧倒的多数の大衆の顔が、初めて浮かんでくる。SNSはもはや清掃、いや(-_-;)政争の道具となって既存メディアはかなりのバイアスを掛けた宣伝手段になり下がったの感、益々強し。
一方、コモンズの今週の現場では、北海道には珍しい酷暑のなか、もう来る冬に向けて黙々と丸太を切り、割って積んで、間伐材の搬出と、散策用のフットパスで雑草を刈る作業が続きます。薪ストーブの焚き付けの準備も始まった。かくも眼高視低な日々。
■7/23 樹種識別、最後の決め手が「におい」とは意外
コナラとドロノキが、樹齢(≒太さ)によって樹皮と木口だけでは、時に見間違いそうになることがある。実際に伐採した林に出かけて、葉っぱと樹皮を見比べて確認したのが 7/17 。やはりわたしの直感は間違っていなかった。次に、どうして見間違うのか、二つの樹種を並べ、木口の年輪も計ってみると、なるほど「年輪にみる伸び」が違う。次に割ってみたが断面の模様も割れ方もあまりピンと来ない。最後の決め手は「ナラ」特有の「におい」だった。見た目はまだ間違いの可能性があるが、「におい」は歴然何とも原始的で、犬にでもなったような気分。

7/22 歌に見る庶民の共感 6 ~コロナ禍蹴飛ばし五輪突入~
色々ありましたが、
24節気の大暑オリンピックが本格スターして、数年前から次から次へと続いてきた揉め事がどうでもよくなって来ました。さすが選手のプレイが忘れさせます。それも幸先よいスタート。歌壇俳壇もなるほどなあ、庶民は何時も元気だ。
〇塩をふる蛇殺めたる草刈り機(栃木/Aさん)
・・・この気持ち、よくわかります。ヘビは結構逃げないことがあります。車で林道を走るときは、だから徐行です。ヘビがいたら駐車して「どきなさい」と叱ります。
〇「ただいま」と同時にマスクはずしたり小六の孫「はあ」と息つく(岡山・Tさん)
・・素直な子供たちは決まりをしっかりと守る。本当に気の毒で、笑いの後に悲憤で涙うるみそう。不良の当方はまだマスクの習慣が身についていない。
■7/21 北海道で最も住みやすい街はどこか
ある住宅金融機関のアンケート結果をもとに、北海道の「本当に住みやすい街大賞」というのが6月30日に発表され、わたしの住む苫小牧がトップテンに入ったと地元紙が報じていた。かつて苫小牧は東洋経済の「都市データパック」で、市民一人当たりの公園面積が40平方m以上あり道内トップクラスだったこともあり、全国的に快適なマチの上位を占めたこともあるから、わたしはこの手のアンケート結果には何時も距離を置いてきた。今回の決め手は、駅前のコンパクトなショッピング環境、土地の安さ、そして雪の少なさなどが挙げられていた。
確かに、札幌に通勤していた2年前まで、札幌・小樽で戸建て住宅に住む職員らは、冬はほぼ毎日朝晩に雪かきをし、公道に面した場合は、夜中の2時ころの除雪車の排雪を取り除くために起きざるをえないと話していた。この冬はほとんど除雪をしなかった自分には、やはり想像できない手間であり、「しなくてよいことに対する評価」は、意外と点が高いのだ。この猛暑にあっては、朝晩、サーっと霧がかかることもプラス評価したい。一人ひとりの価値判断はそれぞれだから何とも言えないが、総合評価として何に加点するのか、だ。わたしは少ない雪、時々かかる霧(毎日では困る。最近は適度)、ヤマメの釣れる川が近く、アメマスやニジマスのフライフィッシングのために支笏湖へ30分で行ける(行けた?)こと、などが上位で、飛行機で旅行する際も30分ほどで空港にアクセスできること、などもあった。70代が近づいてこの評価も少し変わるだろうか。

■7/19 今から640年前の明への返書
相変わらず歴史の本を少しずつ読書中。先日、室町の次の南北朝時代に、後醍醐天皇の皇子である懐良親王(かねよししんのう)が、しつこく朝貢を迫る明の洪武帝にあてた返書というものを見て大変驚きました。今の日本が中国に言うべきことと比べてもまったく古びていないし、日本のスピリットを感じて襟を正すような気概と気品があるのです。やや長いのですが貼ってみます。
「中華にのみ君主がいて、その他の国には君主はいないのか。天地は広いものである。1人の主の独占するところではない。天下とは、天下の天下なのであって、一人の天下ではない。

我々は城郭の数が六〇にも満たない、狭くて小さい国に住んでいるが、足るを知る心(満足する心)を持っている。他方、明国皇帝は中華の君主となり、一万両の戦車、数千もの城郭を有し、国の境は百万里に及ぶにも拘らず、まだ不足の心があり、他国を滅ぼして侵略する意図を持っている。それは(明でも重んじられている)易の道に反するので、もしもそのような行いがあれば、天は皇帝の運命を動かすのではあるまいか。かつて中華王朝には殷の湯王、周の武王のように仁政を施す王がいて、よく国が治まっていたではないか。
もし明国が戦を興すのであれば、我が国は小国といえども防御の手段がある。我々は孔子、孟子をはじめ(中華王朝で重んじられてきた)道徳の文章を熟知し、また孫氏、呉子、六韜三略(りくとうさんりゃく)などの兵法書も熟知している。もし明国が我が国の境を侵すのなら、我が国にはその備えがある。どうして跪いて明国の言いなりになろうか。明国に従ったからとて国が存続するとも限らず、また逆らったからとて国が亡びるとも限らない。
もし明国が勝って日本が負ければ、明国は満たされるかもしれない。だが、もし日本が勝って明国が敗れるようなことがあれば、明国は大恥をかくことになろう。古より和を講じることを上策となし、戦を避けることを強いこととなしてきた。私は、民が不幸のどん底に落ちることのないようにして、民の苦しみを救いたいと思う。明国においては賢明な判断を下していただきたい。(『明史』から現代語の部分要約)」


■7/18 ベランダ冥想

雲一つない朝の空気の中、道路からも隣家からも死角になるベランダの一角にヨガマットを敷いて、今年何度目かの早朝冥想。外で行う冥想は、その空気感からか風土との一体感が自然とにじみ出て、束の間、幸福な思いにひたることができます。とりわけ日曜日の朝は人の動き出す気配や車の音もなく、より深い冥想を得られる・・・と期待を持ってしまいますが、実のところはさにあらず、雑念一杯で整理に追われることもしばしば。昨日は29度、今日は室内でも30度に達し、昨夕に続き今朝も早々に打ち水をしました。2回目のワクチン接種からちょうど1週間目を迎え、無反応だったことに安堵の一方で、高齢者の烙印を押されたような気分を実感。
■7/15 ガーデナーのこころ


心地よい森づくりのために美しい森林風景をできるだけたくさん体験することと同様、プロの作るガーデニングの世界を常々見ておくことは、素人の庭づくりでも感性を少しでも養うためには是非必要だと思って、できるだけ出かけることにしています。そろそろ海外は諦めつつありますが、身近にもちょっと足を延ばせば好みの宿根草の庭を味わうことができるのはラッキーです。そのひとつ、イコロの森はなんと高齢者割引で400円でした。バラの盛りがちょっと過ぎた頃で、見事な宿根ボーダーの方は彩りが端境でした。スタッフと楽しい歓談をしたあと、その足で、昨年オープンした恵庭の「はなふる」と道の駅へ。やや手間のかかる丸型のハンギングを飾るところは本当に少なくなりました。ここでは一つ一つが企業からの寄付で賄われているようです。ガーデニングは植物という自然と、風土という全体と、真摯に溶け合わない限り、感動を創り出すのは難しいと、「はなふる」を設計した高野さんのランドスケープデザインを見ながら思います。そう思えば、どこか神がかった営みがあるのではないか、と思わないでもありません。
■7/13 ヒグマへの対応が変わりつつある

ヒグマの市街地への侵入と人身事故が絶えず、益々増えている様子が日々報告されますが、その背景には、人を恐れない「新世代ヒグマ」の誕生が言われています。旭川では市街地中心を流れる美瑛川、忠別川などの河川敷&河川緑地にヒグマが入り込んで居て、市役所、開発局、警察、猟友会と市民の間で、緊張した対話と巡回が繰り広げられています。そして、なかなか考えさせられます。たまたま、「もりねっと」の山本牧さんがほぼリアルタイムで facebook に詳細情報をレポートしアップしてくれ、そのおかげで、ことの深刻さ、重大さがひしひしと伝わってくるからです。
そんななか、このところのヒグマ対応でわたしが感じるようになった変化は、「コリドー」の見方です。かつてはヒグマとの共生のためにいかにコリドーを確保し機能させるかに焦点がありましたが、昨今は、「コリドーをどう確保維持させるか」という議論は影をひそめ、「コリドーをいかに閉じて市街地からヒグマを排除するか、あるいはパスさせるか」という視点が大きくとらえられ始めました。特に市街地における事故を回避する対策に重点がおかれ始めたのです。野生生物保護をただ唱えていればよい段階は過ぎたとみるべきでしょう。
勇払原野がよそとまだちょっと異質な感じがあるのは、郊外のふんだんな里地が動物王国のような実質的オープンスペースになっていて、だからこそ、今、様々な構築物によってコリドーの分断、遮断が少しずつ進行して、かつ、人の流れも活発化して目撃情報が増えたために、どこにヒグマがいそうか、およそ想像がつきます。勇払原野に出入りする人々は、だから「ヒグマはそこにいるもの」として、あまり緊張感なく付き合えている、と言えますが、いよいよ、他人事ではなくなってきています。あれほど、たった一人で草地や雑木林のフットパスを歩いて楽しんできたのに、この頃はさっぱり・・・。最近の追われてパニックになったヒグマは怖いということと、家人や世間に迷惑を掛けたくないから。

■7/12 霧雨の中の小散歩

歩くのがつらくなってからのわたしの散歩は、半径100m圏内を1周するようなショートコースになりましたが、今日は霧雨だったのでさらに縮めて庭ふたつ。ひとつは近所のかかりつけ医の玄関脇の植え込み。イワミツバやギボシなど大人しいグランドカバーのような造作で落ち着く庭。もう一つは数年前に越してきた方で、とにかく庭づくり花飾りが大好きな、情熱がはじけるような庭。公道から見られることを意識して開かれているので、声をかける人も多いみたい。こんな霧雨の日の庭めぐりはわるくありません。
■7/11 バラの香り漂う町内


20数年前、花のまちづくり研究会「Green Thumb Club」が、市民の花のマスターとして表彰したことのある町内のガーデナーが、今年も健在でいずこもバラの芳香が漂っています。やはり達人らはバラに行きついて魅了され、そしてガーデンライフはますます盛んなようです。特にMさんは、両隣向こう隣りとつながって、楽しめる一角が出来上がっています。このような連鎖がさらにまた繋がると、ガーデニング・コミュニティのようなエリアも夢ではありません。一方、I さんはセンスの良い地味なデザインに先日薪用の丸太が加わりました.。丸太や薪は、なぜか、主役ではないにしてもガーデニングの良き引き立て役。そればかりかもし花飾りが限りなく少なくても、丸太や薪のある庭は、足を止めてみるに足るナニカを持っているようです。
雑木林の晴林雨読生活は、健在ながら、自宅薪割りで手首を痛め、しばらく薪割りは断念。雑木林の方は蚊がおらず、フットパスの刈り払いなど順調に進行中。

■7/8 ちょっとした料理の愉しみと一日一食の基本

シ ャンソン歌手・石井好子さんの料理本『人生はこよなく美しく』をたまたま開いたら、さすがパリ仕込みのゴージャスな料理などとホームパーティの写真が目に入りました。そのハイセンスの真似はとてもできませんが、食材を工夫して調理する料理の愉しみだけは十分伝わってきます。そういえば、このところの当方も食べる話が多いな、と気づきます。先月の末に採取した実山椒は早速すぐにちりめん山椒に仕上げて、もう何度もいただきましたし、四川風の麻婆豆腐もなかなかでした。もらいもののチップ(ヒメマス)もルイベにして恐る恐る、おいしくいただきましたが、寄生虫の心配はいらない、と専門家に食べた後に教えてもらったり(-_-;)。4月のサクラマス、川エビと、世に言う贅沢品は何もなく特に地産地消の幅が増えました。はて、この執着はどこから来るのか、と原因を考えてみると、もともとの料理好きとともに、お腹いっぱい食べるのをやめ、一日一食か二食にして空腹感を味わうようになったからか、と気づきました。胃を休めると、積極心が生れものすごく体調もいいのです。小食に如くはなし。
■7/7 七夕、小暑、はたはた

北海道では、7月の今日はいつもまったく七夕の感じがありません。そしてこれから暑くなる、24節気の「小暑」も特に霧がちな苫小牧はいまひとつ。。そんな日、新聞のチラシに兵庫産の「はたはた」の広告があり、なんと、夏の「はたはた」?とりあえず家人に買ってもらって、お昼、早々に煮着けてみました。「はたはた」という魚はこれから日本海を北上するのかな?と、Wikipediaを開くと北海道の個体群は、島根から秋田沖の「はたはた」とどうやら別のようです。ともあれ、夕食が楽しみ。

■7/6 ハスカップご飯はソールフード
勇払原野に群落をなして自生する奬果樹ハスカップは、生食はもちろん、ジャムやスムージー、リキュールと楽しみ方は色々ですが、意外と人気のある、玄人っぽい食べ方は塩漬けでしょうか。白飯ととともにオニギリなどでいただくのです。ハスカップの端境期になって冷蔵庫の奥には、数年前からの塩漬けの小瓶が半端になって幾つか残っていたので、まず3つの小瓶の中身を取り出して水につけ、塩抜きをしました。干からびてしょっぱすぎるものもあったのです。こうやって塩分を抜いて刻み、アツアツのご飯にまぶしたのがこれ。昨夜も少しいただき、今日の昼もまた。苫小牧に来て50年弱、この味がソールフードに感じるようになりました。
7/5 食への好奇心とサバイバルの力
大好きなカレーを作るにあたって、家人は昔タイのお土産にもらったカレーの缶詰を急に思い出し、不安そうにわたしに差し出した。賞味期限がはるか8年前にきれたRed Curry である。カレーを作るのはいつも当方の役目なので開缶して味見したら、どうやら腐ってはいないようだった。これはいけるかも・・・。だが待てよ? ココナッツミルクと香辛料のスープのみならず固形物もあって、やはりアジア独特の未知の香料が邪魔をして、結局は断念してしまった。生カキやツブに複数回あたり、食中毒で10日近く入院した経験もあるから、食い意地は家族に軽蔑されてきたのは認めるけれど、ちょっと腐敗が心配な食べ物がある時は、何時もテスターをやらされ、こなし、それなりに重宝されてもきた。新しい味を知る好奇心が後押しして拒めないし、それぐらいの野性味はむしろ免疫力を高めるような気がなんとなくする。夏の知床を縦走していた時、ノドの渇きに堪えられず、エキノコックスを心配しつつも水たまりの水をたっぷり飲んでしまったこともある。とっくに期限切れの乾燥キノコ「ボルチーニ」を水で戻したときには家中が強烈にラクヨウ臭くなったが、パスタはなるほどの味だった。食が持っている誘惑の魔性、そして食欲、さらに好奇心、これは生きる根源にも関わる大事な感性にも見え、どこかでサバイバル力に繋がっているような気がする。地産地消を核にし、可食領域をどんどん拡大するのである。

■7/4 ハスカップの季節がやってきた
月初め、厚真に出かけたのでハスカップの実を食してみた。栽培農家は、6月4日の大風で実のついた枝先を折られ、枝の処理だけで軽トラ10台以上だったと言う。しかし、なぜか実が大きいとも。期待しなかった摘果(不要な実を取り他を大きくする)の効果みたいだと、笑った。その足で原野に寄りそこのハスカップも食べてみた。渋く、苦く、かつ、酸っぱい・・・。体にいい、と体が喜ぶのは明らかに後者だが、翌朝、家人と生のハスカップを両方食しながら、「本当に(どちらも)おいいしね~」としみじみと声をそろえたのはおかしかった。本当にハスカップはうまい。
■7/3 眠れない夜にオススメ
夜中に目が覚めてなかなか眠りにつけない、なんてことがよくあるものですが、こういった時、ラジオを聴いたり本を読んだり、様々な方法が試みられると聴きます。このごろ、妙案を思いつき時々実践しているのが、恥ずかしながら拙著『林とこころ』を開くこと。いえいえ、身の程知らずな自慢話をしようというのでは毛頭ありません。思うに、この本がメリハリに乏しい風景描写、心象表現が続き、いわば世間的にはどうでもいい呟きだからだ、と思い至りました。突然、世界的名著を引き合いに出して申し訳ないのですが、、ソローの『森の生活』のように眠くなるのです(よく聞く話として)。ひょっとして高ぶりつつある神経を少し収めてくれるような、逃げ込んでいける場所(アジール)のような、特別な側面を隠し持っているから?・・・。著者としての話に限れば、あれを書いた17年前のあの頃に、自分はこんな本を読んでこんなことを考えていたのかと驚きもし、肯定せざるを得ないことも関係があるかもしれません。ドイツや北欧における、人と森のこころの関係性に集中していたあの頃、1999,2000,2002と毎年のようにドイツを訪れるチャンスが到来し、そして自らも創り、2008,2015も再訪することができたのは、いわば執念のような目線をあの国にいだいていたからに違いありません。北欧フィンランドを含め、あの頃に見聞きした森と人は、勇払原野の雑木林と向き合う今、個人的にどれほど広い視点を与えてくれたか知れません。
■6/30 明治神宮の森づくり
Sで「完全版 明治神宮・不思議の森」を見ました。1時間余りの大作はさすがNHK、こういったことは多局の追随を許さない感じです。森林や公園系の人々にはつとに有名ですが、進士五十八座長のもとで行われた大掛かりな調査結果も披露し、その自然創造プロジェクトの成功に驚きます。とりわけ、約100年前の森づくり着手時、本多静六博士らは、神社に普通なスギヒノキではなく広葉樹の森を目指しましたが、それもいわゆる雑木林では荘厳さに欠けると判断した、というところに、雑木林に魅了されるわたしもなるほどと思いました。神宮の森は70ヘクタールで、奇しくもわが大島山林と同じ面積です。全国各地から寄贈された樹木を植え、今や近代的な建築に囲まれる神宮と、炭焼きや林内放牧で営まれてきた大島山林、たしかこちらもざっと入植して100年余りかと思います。そんな対比をしながら興味深く見ました。多々ある東京近郊の森や公園は興味がつきませんから、そのためだけにでも出かけるのですが、今年はちょっと予定がたちません。写真は構想時の植樹計画モンタージュ。
■6/28 70歳をたしなむ、ために
家人が借りた図書館の本。居間のテーブルにあったので読んでみました。間もなく古希を迎えるからわざわざ借りてくれたのかわかりませんが、いろいろヒントがあって寛ぎながらそのバランス感覚を楽しみました。2年前に読んだ五木寛之氏の『白秋期』も高齢社会をいきる「新人」にはヒントがあり、思えば佐藤愛子さんや各種「品格」シリーズなど、生き方指南とも言える本は、よく読まれるのも道理です。ところがネットのコメントを覗いたら、賛否があって、自己本位すぎるとか特定以上の層にしか当てはまらない、などというものがある一方、やはりなにがしかのヒントをくみ取る人ももちろん多いようです。「上機嫌に振る舞う」なんてなるほどいいな、とわたしは思いましたけどね。この年齢に達してみないと起きない共感というのもあるのではないでしょうか。


■6/26 若い力と里山仕事
雑然と捨て置かれた産業廃棄物のようだった丸太の山が、少しずつ崩されみるみる商品としての薪のヤードに替わって来た。その原動力は、やはり若い力だ。丸太の玉切りが若い力で着々と進む。このような風景の変化を見るにつけ、世代交代という言葉がズシリと響く。とは言いながら、現実の里山には年配者や女性や子供にも、いくらでもやるべき仕事が転がっている。森づくりという営みは、里山仕事とも呼べる雑多な手仕事と気づかいの総体で出来上がるようだ。
■6/25 ミズナラの香り
ちょっとだけ気障なことを言わせてもらうと、読書に疲れたり気分転換するときに重宝するのが庭の「薪割り」。今日の昼前も太目のナラを難儀して割った途端、いつもより強烈な、しかし大好きなナラの香りがしてきました。なんというか、大人の香りには違いないですがうまく言葉が見つからない。一説ではビャクダンやキャラの香りなんだそうで、これが西洋のオークにはない東洋の風味で、これこそが今世界的に人気の高い、ジャパニーズウイスキーの秘密なのだと言います。コブシの木も漢方のような芳香を発しますが、匂いのもとが揮発性なのか、材としてはナラほど香りが長持ちしないような気がします。昨今、自宅に運ぶナラ材は素性の良い、いかにも薪にしたくなるものばかりを選びますが、この香り、何かに封じ込めて長い時間楽しめないものか。それ程素晴らしいものであればこそ、ナラの薪をガンガン燃やして煙にする所業はやはり贅沢のひとつかも。ただ、わたしのナラ薪は育林の副産物、という免罪符のようなものがついて回る。
■6/23 内山節著『森と川の哲学』

普段から森や川の自然と向き合っているかどうかにかかわらず、内山さんの愛読者は身の回りにかなり多いように見受けます。そして、かく言うわたしも比較的よくフォローしてきた1人です。内山さんは苫小牧にはしばしばおいでになり、もちろん北海道にはよく来訪されたようです。ある時は北大農学部の特別講義なども行われて、その時、北大近くの夜の懇親会に呼ばれ内山さんと隣同士の席になる幸運も得ました。確か、アルコールは摂らなかったように記憶しますが、かなり強烈な政権批判をその時はしておられたような気がします。先月、の町の小さな新聞社
ひらく」が発刊したこのブックレットは、実は30年近く前に苫小牧で開催された講演の記録ですが、さすが哲学というべきか、時空を超えた日本的課題を浮かび上がらせ串刺しにして一向に色あせていません。
主催者側のあいさつの文の中に、当時は千歳川放水路問題など地域課題が多い中でみんなが羅針盤を探していた、そこで内山さんを呼ぶことにした、という趣旨のくだりがあります。まさにその通りです。色々な自然改変が常に環境問題として扱われ「開発か自然保護か」の構図が展開されてきた苫小牧らしい悩みと分断のさなかだったと思います。講演録は冒頭、北海道には里山らしいものが見えないという話に始まって、群馬県上野村における彼の2地域居住生活を通じて、風土の中に生きること、その中で揺るがないスタンスを得ることの意味を淡々と静かに語ります。それが、特定の土地に限らず、日本という国のローカルな風土のどこかにしっかりとした生活の足場ができると、人はそこで深い思索、哲学をするようになる、そこに大きな意味がある、というメッセージがこの講演でも語られたことがわかります。わたしの背番号は開発側だったのですが、当時は自然保護を主張する人々との付き合いも少なからずあったので、この日も夜の懇親会に誘われていたようですが、所用とぶつかり断念した、ちょっと残念な記憶があります。実はテンカラ釣りのアングラーとしての親しみ(わたしはフライですが)もあったのです。風土の骨組みを成す森や川、農業や林業、そして地域に根を下ろして生きる意味がジンジンと伝わってくるのは、どこか元気が出てくる話ではありませんか?風土哲学の案内人である内山さんの息吹を感じるこの本は、わずか60ページあまりで、今回わたしは初めてデジタル版にして見ました。800円也。
■6/21夏至の日に山椒の実を採るコロナ記念日

記念すべき夏至の日が、これまた時代を象徴するコロナワクチンの1回目接種日でした。連日、曇り空の寒い日で、雨ばかりでなく霧のせいもあったでしょう、コンテナの花の苗も具合が悪そう。すかーっと晴れあがる日が待ち遠しくなりました。
と、うっかり忘れるところでした、
本当の最後の春山菜、「実山椒」です。家人と自転車で裏山に行ってみると、粒が小さくやや早い感じです。それでも、またこの坂を登る難儀を考え(股関節は絶不調)、また、遅らせても2,3日と思って、丁寧に摘みました。そして帰宅後すぐに居間で選別、下ごしらえです。わずかな量でも二人で1時間ほどを要しました。ちなみに、ワクチン接種は順調に進み、夜は軽くビールを飲んで早めに就寝することに。(追伸:翌朝、腕が痛いのが判明。報告:頂いたもう一匹のチップ(ヒメマス)は、恐る恐るルイベにして食しましたが、さすがでした。いよいよ初夏に)
■6/20 ヒグマとの共生、新らしく切実な現実へ移行か?

このところ、勇払原野にいてもジワジワとヒグマの存在を肌で感じるようになりました。遭遇が現実化というのか、本当にいつ出会ってもおかしくないような。自然との共生とよく言われますが、ヒグマとの共生というのは野生生物管理の明確な覚悟がないと、イタズラに事故を繰り返すだけで、その都度駆除されるだけではないでしょうか。極論してしまえば、いつの間にか、ヒグマの生息数が人間側のキャパシティ(都市空間の構造)を超えたのではないでしょうか?基本、根っこはエゾシカと一緒。昨今、言いにくいことですが、「生息数を減らすべき」ではないのか? 写真は、苫小牧市が公表している東部の出現情報。これからますます、ヒグマと同じエリアで行動していることがこの図に示されてきます。



6/18 『ハスカップとわたし』の寄贈作業終える

苫東コモンズが2019年春に出した 『ハスカップとわたし』 を、今季、市内の小中高、大学の教育機関に寄贈する計画のため、先週から準備をしていましたが、今日、すべての梱包と発送を終了。開拓者へのインタビューや出版の段取りを始めてからざっと約10年を経て、どうやらこのプロジェクトも完了した、と実感しました。郵便物を用意しながら、これも勇払原野からの、ささやかでも保全につながる発信になればいいな、という願いが湧いてきました。送り先検討の過程で、市内の送付先だけでなく、道内の農業関係の高校と大学にも寄贈しようということになり、発送した相手先は最終的に道内合計84校になりました。代表理事名の送り状にはこうしるしました。
・・・わたしたちNPO法人苫東環境コモンズは、勇払原野の自然・風土をよく知り、より親しんで次代に引き継ごうという思いから、土地所有者との協定のもと、ハスカップの原野と雑木林を地域共有の「コモンズ」とみたてて調査や保育等の保全活動を展開し、その一環として、2019年に同封の『ハスカップとわたし』を発刊したところです。 このたび、毎年7月早々に始まる勇払原野のハスカップ摘みシーズンを前に、本書を寄贈するためお送り申し上げることと致しました。どうぞご査収のうえ地域理解を深める一助として、お役立ていただければ幸いです  
ちなみに先に紹介した、JR北海道の車内誌6月号のトップ特集「ハスカップ紀行」は好評のようで、面白かったという読者評が届いているとのメールを、昨夜著者からもらいました。現地は春の山菜のシーズンが終わって時をおかず、ハスカップなど、実のなるものの季節が到来です。

■6/17 ガーデニングブームの波はどこに
新聞の織り込みタウン誌に、編集女子がガーデニングめぐりするシリーズをみつけました。1992年にGreen Thumb Club (グリーンサムクラブ)という、花のまちづくりグループを立ち上げて活動していたころをふと思い出しましたが、30年前の方がはるかにガーデニングが活発に行われていたように感じます。当時、市内全域をメンバーが足で探したこれはというガーデナーのネットワークはほぼ100人近くいて、余裕のありそうなマダムたちが沢山おいででした。それに比べると、昨今は世の中がガーデニング好きのミセスやマダムの誕生を難しくしているのでしょうか。であれば大変残念なことで、ガーデニングが社会経済状況を反映するような気もしてきます。ガーデニングは個人的な趣味の満足だけでなく、コミュニティへのメッセージを含むので、ガーデニングが下火であることは少しだけ街の潤いをダウンさせるかもしれません。コロナ禍などで活き下がるこういう時こそ、地域に開かれた庭づくりに一役買って欲しいところです。
■6/15 支笏湖のヒメマスをいただく

6月1日に解禁になった支笏のヒメマスをもらった。40年ほど前、苫小牧の職場では6月1日にはチラホラ休む人がいて、聞けばチップの解禁だという。チップやハスカップは胆振の苫小牧にきて初めて実感した風物詩キーワードだった。30cm弱の今回のチップは冷凍の様子に確信が持てなかったので刺身にはしなかったが、かつてチップの刺身はタマリにつけるとパーッと脂が広がり、口に入れると融けるようなやわらかさであった。同じく30cmほどのサクラマスの小型、いわゆる「クチグロ」もそんな感じ。初めて食べたのはオホーツク産だったが、苫小牧沖でもクチグロは獲れるらしいことを市場の魚種リストで知った。ヒメマスと言いサクラマスと言い、あの繊細な脂の乗りは格別だ。このたびは残念ながら焼いて食した。
6/13 植物をモリモリにする意味
ある時期わたしは、ミズナラに比べ女性的な容姿を見せるコナラが、萌芽更新の密状態でなく十分な空間が充てられればどのような四方見(しほうみ)のいい樹形になるのかを見届けるべく、苫東の中で造園士としてコナラを移植したりして試してきた。同じように、庭づくりで草花を扱う時も、十分な環境を与えてその植物本来の姿を見るように、気配りをし、元肥えはじめ肥料の組み合わせもしている。龍村仁監督のガイアシンフォニーという映画の第1作だったかで、たしか野沢さんという方が1本の苗に数万個のミニトマトを実らせるドキュメントをみたが、それに共通する試みである。彼は、ミニトマトという個体に、水も栄養も光も酸素もCO2も十分に与えるから気兼ねなく心配しないで伸びなさい、というメッセージを与える、と言っていた。同様に、写真のような花の苗にも、彼らが欲しがる酵素や肥料を与えると、10日目ころから、葉っぱの色が勢いづいてきて、「では、これから咲きますよ~」という手応えを彼らが発してくる。その掛け合いが魅力で、植物を育てる楽しみが尽きない。特に西洋起源の一年草は、北海道なら6月から10月の霜が降りるまでの5か月近くも、次から次と咲かせられる。本州以南のガーデナーには真似したくてもできない高緯度地方の幸せである。
■6/10 薪の貯め癖への反省
北海道では暖房は贅沢ではなくライフラインだから、燃料はあればあるほど安心するようなものだが、薪の場合は3年以上も貯めすぎてボケてしまった人もいるし、置き場所がないと嘆く人も少なくない。おととい、家で薪を割っていると、「もう薪は要らないんじゃない?」と家人に言われた。家庭円満の秘訣は婦唱夫髄と悟っているので、発想を切り替えてもう今季の薪ストックは止めることにした。
省みると、リスの貯食でもあるまいに留まるところを知らないまでに貯めすぎるキライがあり、打ち止めサインが必要だと気づいた。晴林雨読のわたしの日常であれば、「ストックより適度にさばくことが得策」と悟ったのである。今の環境なら、耳を澄ましアンテナを掲げてさえおれば、薪はいつでも手に入るからだ。これからは薪そのものよりも、スムーズな燃焼に移行するための数種の焚き付けだ。薪長者から焚き付け長者へ、というシナリオだ。
名著『薪を焚く』でも、長時間の燃焼のために色々な樹種を蓄え、一部には欧州トウヒのような小割の焚き付けを用意すべし(写真)、とのたまわっている。まさにそのとおりで、これからはアカエゾマツやコブシの焚き付けづくりに移行しようと決めた。
先日、山仲間に段ボール二つの焚き付けを送って喜ばれたばかり。お礼のメールには「まるで新聞紙のような塩梅で,従前のストーブ立ち上げ時の苦労・ストレスがほぼ解消されました」とあった。これは去年送った「焚き付けミックス」への感想である。

6/9 いよいよトキシラズ
「トキシラズがあったよ~」。家人が夕方の買い物から帰っての第一声。だが、残念、産地は大樹沖でした。そこで2年前の釣り情報を見ると、6月10日に待望のトキが苫小牧沖の遊漁船で上がった、とあります。トキは東からくるのか?そしていよいよ、これからか?いつだったか堪能した、あのトキのカマが恋しい。
苫小牧沖の海は勇払原野とひとつながりで、ここの美味豊穣は湿原と原野の恵みだと信じて疑いません。
■6/8 アイヌネギの発散するモノ
日中の気温が20℃に達するようになって、家の一角にちょっと覚えのある匂いがし始めた。床下に保存したアイヌネギの醤油漬けである。ひと月ほど前にキャップやパッキンで完全密閉していたはずなのに、なぜか、どこからか匂いが漏れている。一旦気づくと2階にも玄関にも微臭を感じたので、急いで瓶を点検して外側を洗い直し元凶と思しきものの中身を新しい瓶に入れ替えて事なきを得た。が、原因とみなした瓶を丁寧に洗いゴミとして捨てるために袋に入れて物置に置いたところ、今度は物置が匂い始めた。ことここに至って、この匂いのもとを家人は「毒ガス」と呼ぶようになってしまった。匂いのもとはほんの微量でも匂うとはよく聞くものの、しかし、それにしても恐れ入った。北海道では、昔からアイヌネギはパワーを秘めた春の山菜として相変わらず高い人気がある。これだけ強く放つ匂いは、もしかして匂う化学物質だけではなく、季節の「気」や「磁場」、なにか摩訶不思議な「精」のもとが含まれているのではないか、とさえ思える。そう信じればこそ、なおさら年に1度は食するのだろうか。そう思えばこそ、少しは保存もしたいという気持ちになるのは無理からぬことだが、さて、この騒動で来年はどうなるか。
■6/7 混迷の時代を読み未来を展望するために
久々に衝撃の本に出合いました。マルクス(本気で読んだことはありませんが)の晩年の到達点と資本主義、SDGs、そして次の時代のキーワードのひとつとしてコモンズを論じています。帯のコメントがすごい。博覧強記の松岡正剛氏が、「気候、マルクス、人新世。これらを横断する経済思想が、ついに出現したね。日本はそんな才能を待っていた」。佐藤優氏は「斎藤はピケティを超えた。これぞ、真の「21世紀の資本論」である」・・・。スケールの大きな経済と環境の懸案を包み込み総括する展望を提示しているように見えます。晩年のマルクスが「資本論」本編とはまるで真逆に近い論(特に地球環境からの搾取)を展開していたことを膨大なノート資料で明かしてみせ、目からうろこの展開でした。資本主義が原因の地球への過剰な負荷とそれを乗り越えるための脱成長、そしてグリーンニューディール。その道としてコモンズの仕組みとアソシエーションが重要としている視点があるため、世界の過去、現在、未来を論ずる高邁な思想が、わたしたちの日常にもつながる身近さを感じさせる一冊だったと思います。いや~、びっくりした、が読後感。
■6/05 “コモンズの放課後”、今季最終はワラビ

様々な作業を高齢者らしくマイペースで進める傍ら、昼下がりの小一時間はワラビ採りに興じた。希望者はたったの3名。ワラビ畑状態のところに車を横付けして、30分ほどの早業だった。
■6/02 歌に見る庶民の共感 5
最近の読売歌壇から。
〇泳ぎ終え涙で喜ぶ池江選手面差し
(おもざし)似たり興福寺阿修羅(宇都宮市/Oさん)
‥‥政治や社会ニュースはサッパリいい話はないが目を見張って元気づけられたのが水泳池江選手と、米リーグ大谷選手、そしてゴルフ。スポーツの面目躍如。選者は池江選手に青春の輝きと愁いを見た、と。
〇朝焼けに出会えてしばし合掌すこの安らぎは老いて知りたり(枚方市/Kさん)
‥‥朝日とともに起き出でて庭へ、周りに誰もいないことを確かめて合掌。今日も目覚めさせていただきました、と手を合わせると一日が清く滑り出す感じ。老いた人ならではの共感か。日の出の刻のベランダでの冥想、すでに数回。下座、奉仕、感謝、懺悔、そして積極心・・。念じることも、誓うことも朝日ならでは。

■6/01 薪の乾燥

薪を乾燥させることの重要性は、湿った薪を手に入れてくすぶらせたことのある人なら良くわかる。実に「困ったもの」である。
この春入手したドロノキ中心の丸太を、なんとかこの夏のキャンプに間に合わないか、乾燥スピードを調べている。これが意外と早いことがわかった。写真は、割って積んだばかりの薪小屋の薪。あと1年半ここで乾燥させて燃やされる。





5/29 ハスカップの社会的風景

4月末に取材のあったハスカップがトップ記事として特集されているJR車内誌が届きました。原野の自生ハスカップの遺伝子構造や由来から、栽培、お菓子への加工、機能性食品としての働き、そしてその歴史など、ハスカップの持つ素顔を6ページにコンパクトにまとめられ、苫東コモンズもしっかりと端的に紹介されています。サブタイトルは「奇跡の果実を分かち合う」。そこにハスカップを取り巻く社会的風景が見え隠れして、今号も、ライター北室かず子さんの筆が冴えます。web でも掲載され閲覧できますが、5/29 時点ではまだ5月号。同じこのリンクURLで間もなく6月号が紹介か。
5/27 薪ストーブ、焚き納め

今朝はこの春最後の薪を焚き、午後、焚き付けを入れるボックスや薪台などを片づけました。昨年秋は10月9日に薪を焚き始めましたから、今季は7か月と2週間、薪ストーブ生活をしたことになります。4月に薪をやめた年もあったことを考えると、歳とともに温い室温に惹かれているかも知れません。この秋からの薪もほぼ十分運び終え、そして積み終えて、あとは、育林コンペの MY FOREST から搬入した丸太を庭先で割るだけ。軒先に積めるだけ、空きスペースを見ながら少しずつ丸太を運び、雑事や読書の合間に少しずつ割ります。役務ではなく、愉しみだから、ムキになって割り過ぎないよう、チンタラやっていると盛夏までかかるのが常。いつまでも晩酌をしていたい、あの酒のみの願いと一緒です。
5/26 駆け足で濃くなる新緑、そしてそれを愛でる人、来たる

山登りをしていた倶楽部の先輩諸兄が、苫東コモンズの雑木林の新緑を見に来てくれた。林の風景は全員に絶賛され、アンタハシアワセダ~、と口々におっしゃる。この林がどのように長い時間をかけてこうなったかをすぐにわかっていただくのは不可能だし、積まれた薪がどのように人間のか弱い手間で出来上がるのかも、もちろんわかってはもらえない。ただ、ここの雑木林の美しさへの共感は一瞬だった。そしてそれだけでも十分。かつてヒマラヤを目指したアルピニストも、老いてウラヤマに憧れ、ウラヤマニストになる。
合掌

■5/24 コモンズ休暇は、「コモンズの放課後」だった
勇払原野の風景や山菜などを丸ごと味わい尽くす一日を、10年以上前にコモンズの「休日」とか「休暇」などと呼び、初めての人たちと新鮮な発見の日帰りツアーをしていました。最近は、お互い高齢になったのだから作業に従事する時間をもっと短くしようと相成って、コモンズ休暇の名前で復活させてみたものの、どうも言葉と行動の落ち着きが良くないのが気になっていました。そして気づきました。休暇は終日であり、今、試行しているのは単なる「放課後」で、放課後の自由時間、自由研究だったと。
終日の休暇と、作業日の放課後を使い分ければいいのでした。わたしの平日の山仕事や山菜採りはまさに休日の過ごし方で、こちらは晴林雨読のライフスタイルを理想に開拓の余地、未だ多々ありそう。「放課後」は、ここぞという時に、今までもあったように1時間ほど早く仕事を繰り上げて、フリーにすればよい。作業時間の公平さに配慮してですが、そもそも集合時刻もまちまちだから、厳密に意味はないのですが。(-_-;) 新緑のピーク時の霧の今朝、いかにも寒々として窓の景色に、暖が欲しくなり薪ストーブに火をつけましたが、間もなく晴れ間が見え始めました。ここ特有の霧も、柔らかい光線が好きになってきました。
■5/23 今日も「コシアブラの混ぜご飯」

霧の雑木林を歩きながら、昨日もかごに少量のコシアブラを採りました。そして今日の遅い朝ごはんに、刻んだコシアブラをたっぷりのごま油で炒めて醤油をかけ、天かす少々とともに白飯に混ぜて、大好きな「コシアブラご飯」を食しました。コシアブラは米沢藩の上杉鷹山公が、領内の産業振興のために、彫り物「お鷹ぽっぽ」の素材にしたもので、木は柔らかくて彫りやすい材ですが、東北などではつとにその新芽が食の対象として珍重されてきたものです。ある日、東北の方がコシアブラの太い木をみて、「北海道にはこんなコシアブラの大木があるんですね」と驚いたと言いますが、東北などでは採られすぎて滅多に大木になれないのかも。新芽なので、たくさん採ってしまうのは気が引けて、わたしは採り過ぎないよう転々と木を移りますが、霧の雑木林の中を探して歩くのもまた極楽。
5/22 ブランド「雑木薪」づくり、一段落へ。薪積み手伝い「歓迎」

11月から保育間伐をはじめ、1月末からは丸太をソリで運び、雪解けのころから、コツコツ,と丸太を伐って割って積み始めた、勇払原野のブランド「雑木薪」づくり。この作業ももうすぐ、薪割りを終えます。そうして、憩いの、さらに癒しの薪積みへと移行します。お手伝い、歓迎。雑木林の癒しの時間が待っています。お弁当持参で是非。
ただし、何のおもてなしもできませんので悪しからず(-_-;)

■5/20 風景と旬の味を独占する快感

夕方、自宅の裏山方面に出かけてみた。山菜コシアブラを採って食するためだ。雑木林を蛇行する清流も健在で、静かに水辺のフキも採った。コシアブラは誰も採った形跡がなく、これから先もわたしだけのものになりそうだ。そう思うと、うれしくもあり、ちょっとさびしくもある。独占欲と共有願望は、コインの裏表のようである。
■5/19 令和3年の新緑

今年も新緑が駆け足でやって来た。勇払原野では土壌凍結が完全に溶けてすぐ、遅れていた春を取り戻すべく、春はラッシュで進む。この光景はどんなリゾートにも負けない、北国の春のシーンである。これを決して多くない人々とひそかに共有していることを思い起こし、ほぼ占有しているという、やや後ろめたい喜びに震える。
■5/18 コロナ禍の峠は過ぎた!?
新型コロナの感染予測は AI が結構当たっているというので注目していました。それによると、北海道は5月13日にピークアウトするという予想でしたが、なんと今のところ、NHKがまとめたグラフはその通り推移しています。東京や大阪のデータも見てみますと、連休中かその前後の予想も当たっているように見えます。メディアは増加中で大変だ、というトーンがもっぱらですが、口の悪い識者は、メディアがコロナ感染者が減ると元気がなくなる、などと言っています。どこに真実があるか。ここは大事な分岐点で、各種イベント、オリンピック、もろもろ、希望の年への転換が急がれます。
■5/17 勇払原野ゆかりの郷土樹種「ドロノキ」

わたしにとってはゆかりの深いドロノキと再び付き合うこととなった。50年ほど前は、担当した緩衝緑地づくり試験の主役として、そして今は、薪や焚き付けの材料として。ドロノキとの付き合いは古いから、とても他人事とは思えない。
一方、公園に植えられたドロノキが綿毛が飛んで市民に不評を買い、あちこちで伐採の憂き目にあっている。







■5/15 雑木林の早春、山菜シーズン本格幕開け

早春、真っ只中に突入。アイヌネギは終わり、タラの芽、スドキ、コシアブラの時期になった。丁度良い頃合いなので、5月15日はフィールドの仕事は午前だけにして、数人を残し大方のメンバーは午後から山菜採りに没入。旬の都合で、スドキのあと、浜ボーフーを採取。遅くなって、大相撲7日目を車中のラジオで聞く。ちなみに川エビも昼前抜かりなく収穫し、希望のメンバーの食卓を飾ったはず。春の恵みに付き合うのは忙しい。
■5/13 普段の姿への声
お世話になった方や関係者から、ニュースレター「勇払原野のpirit 」27号に感想メールをいただいています。もっとも、何もレスなしというのが最も多いのですが(笑い)、ご自分の近況も添えて一言書いてくれるのはうれしいものです。その中のご感想は、「地道」、「精力的」、「充実した、、」、、などの言葉が多いでしょうか。先日、「テレビなどで見かけるサケ稚魚放流などのおままごとのような気持ちでは入り込めない崇高な信条を感じる」、という趣旨のご感想も人づてに聴きました。ほめ過ぎに近い、身に余るご感想とは知りながら、現場で、目の前の課題にコツコツと携わるメンバーには是非伝えておきたい言葉だと思います。4/19 の迷想ブログで書いたように、世間では緑や自然の、「絵になる」「受ける」トレンド活動というものがあり、広報効果という費用対効果の尺度に照らせば明らかにトレンドに分があります。それに抗しきれない面があるわけですが、すべきことを成すために経済から自立する、やはりこれはなかなかに難しいものであります。
■5/12 薪仕事が一段落
2021年の晩秋から使う自宅用の薪をようやく運び終えました。5/4 レンタルのタウンエーストラックで2往復、5/12 お借りした軽トラックで2往復、定番の2棚の5.4立法mのほか、育林を競っている My forest で風倒木を玉切りしていたものなどをいれ、合計7立法mくらいになるでしょうか。一部は丸太で搬入したので、これから楽しい薪割りです。近所の人や通行人も良く声を掛け、しばし立ち話で思い出が語られます。
■5/10 勇払原野ブランド「雑木薪」を分譲開始
雑木林だより」で1998年から紹介している勇払原野の雑木林の保育。その過程から出る薪を、今年は一部公開で分譲を開始しました。今日は、古い山仲間の facebook に紹介した後、とある観光協会、ミニコミ誌のほか、付き合いのあった薪焚き人にメッセージを送りました。まず最後の方から折り返し、2棚予約の連絡をもらいました。幸先のいい出だしです。残りは7棚、ご希望の方は、掲示板か、左列最下段の take's Profile から管理人・草苅までアクセスしてください。
■5/09 跳ねる生命をいただく


午後、今日の川エビ担当が戻って来た。小さなパレットをみると、枯れたヨシの茎の中に、なるほどエビがいて跳ねている。先週もわずかの川エビを分けて持ち帰ってもらったところ、ご家族から「生きている川エビが可愛そうだ」と言われ、川に放流したというエピソードも聞かれて、そうか、確かにそれもありだなあ、と思う。飛び跳ねる川エビには、まさに「これぞ生命!!」という躍動感がある。小さいが、まぎれもない命のパフォーマンスである。
その反面、家族が闘病中の方に届けたら、大いに喜ばれてすぐ上の右のような画像が LINE で贈られてきた。重病の宮沢賢治のもとに、健康を願ってコイか熊の肝が持ち込まれたのを賢治がそれを食するのを拒んだ、という宗教シーンが思い起こされた。
一方、いい加減なわたしなどは、ちょっとすまないなあ、と心の隅で思いつつ純粋に旬の美味に舌鼓を打った。当方は努めて季節の旬のものを活きのいいうちにいただくことを愉しみにしているが、人生の晩年になって活力の衰えつつある自分の身体に対し、日々の養生だけでなく大地の恵みを、土からも海からも川からもおすそ分けしてもらう気分でいる。失われてきつつある「気」を補給するのだ、とも聞く。いつも連想するのが、水上勉のエッセー『土を喰らう』である。合掌して畑の野菜をいただくのである。そこに酒があったような感じを、わたしは連想し、目指してもいる。

■5/07 ヒューマンスケール
ニュースレターを送信したところ、釧路で畑づくりとバイオリンをものする先輩女性から、近況報告として「手に余る畑仕事から見えてくるのは、”ヒューマンスケール”という響きがかなり心と体にしっくりくる言葉であるなあ…」との呟きを頂きました。わたしも同じことを考えていました。で、早速返信。「人間一馬力の世界、わたしもいつも感じ入ります。薪作りもまさにヒューマンスケールで、だからローカルビジネスとかコミュニティでクローズさせるのが一番、と感じます。大規模化でないと商売にならないというのは、マレーシアのアブラヤシのプランテーションが、高速道路の両側にざっと100kmも続くかとおもう広がりで、びっくり仰天したのを覚えています。(あの土地がもとは熱帯雨林だったと思えばザワッします。)資本主義社会というのは、あんなことをしないと競争に勝てないのだとすれば、齊藤幸平氏がマルクスを引き合いにいう「資本家や投資家は、労働のみでなく環境も搾取してきた」、という主旨の表現が、まさに、という感じで理解されます。ヒューマンスケールはきっと生き方なのでしょうね」。
今日は晴れたのですが朝は6℃だったので、積んだばかりの薪を焚きました。

■5/06 半日で薪小屋に積み終える
おととい自宅に運び込んだ、勇払原野ブランド「雑木薪」、とりあえずの4㎥あまりを、家人の応援も得ながらほぼ半日で積み直した。おびただしい樹皮や木質のゴミが出たが、これが樹木というものの乾燥の第一歩であり、成れの果ての一断面だ。いずれはすべてが腐ってなくなる。その変化の過程から、熱を取り出して使わせてもらうのが薪ストーブであるから、基本的に手仕事による「勿体ない」利活用であると思う。木くずは手前のゴミ袋二つに大きさ別に入れて保管した。さらに夏までに現場の薪ヤードからも木端(こっぱ)を拾い、約30リットル入りの大袋に4つほどをストック、この外に除間伐の枝も少々利用予定で、物置はこれらで一杯になる。薪ストーブシーズンの終了早々に、間髪入れず来るべきシーズンの薪を用意するというのは、どういう心理なのかはよくわからない。しかし、これを終えないと来るべき春や夏を、心穏やかに迎えられないことは確か。天下国家のテーマとはかなり遠い。
■5/04 My forest から丸太を運ぶ

勇払原野はまだまだ肌寒い早春の候。薪小屋の頭上にあるサクラやコブシ(写真右)がようやくほころびかけて、毎年の暦のめぐりを知ります。5月4日、長男が帰省したのを待って、早速、昨秋に少しずつ準備した丸太をタウンエーストラック(積載750kg)で広場に運び込みました。3往復を要しました。秋はすでに股関節の調子が悪く重量物の持ち上げと歩行が困難だったため細切れな作業だったので、実働は1日もあったかと思うほどでしたが、集めてみた風倒木丸太は意外にこんなにもありました。昼前に今度は割り薪を積んで自宅へ。薪小屋の5列のうち、2列で荷台はほぼ満杯になり、午後もう1往復。あと1列は1人でなんとかやるつもり。まもなく薪小屋や薪ヤードは新旧交代します。そして今日5月5日は24節気の立夏
■5/03 “勇払原野のスピリット”
ニュースレター27号ができました。4月末バージョンの苫東コモンズのプランも。
■5/03 ようやく読了、天皇から読み解く日本史
非常な手応えのある力作でした。一日20ページを読み進むのがやっとな重厚さを感じつつ、670ページをほぼ読み終えました。天皇の系譜を軸にした日本史に初めて触れて、目からうろこの連続でした。日本人はどこから来たかも、現在の研究結果の実相は、学校などで学んだ通説とはすでに大きく離れ、文化は大和から半島へ渡った、などとあります。半島における古墳の発見やDNA判定も含めていねいに、ひとつずつ文献をもとに解説しているので、冒頭はこの先どうなるやらと、はっきり言ってわたしには疲れました。(-_-;) 天皇が埋もれていたかのように思っていた近代史もこんなに生き生きと読んだのは初めてでしたが、圧巻はやはり維新~日清・日露戦争~大東亜戦争、さらにとりわけ昭和天皇の肉声が克明に記録される大東亜戦争前後。リタイヤ前後から、古事記、日本書紀、万葉集、源氏物語と、ゆっくり読み続けてきましたその踊り場的一服感、眺望感があります。して、この竹田恒泰という作家は、現代の稗田阿礼か?と見紛うばかり、百田尚樹の『日本国紀』
もそうでしたが、わたしたちはそもそも何ものなのか、まだまだ興味は尽きません。

■5/01 弁天浜にもサクラマスねらいのアングラーがいた
浜ボーフーを見に行った海岸で、サクラマスをねらう若者にであった。わたしが釣りに熱中していたころは、弁天海岸など全く目に入らなかったというか、日本海のアメマスなどの釣果が気になって、それどころでなかった。しかし、苫小牧沖の海のサクラマス漁だって活況のはずだから、可能性は十分。安平川の河口では昔、ベニザケがねらえるという噂もあったし、ウトナイ湖のアウトレット近くの湿原の川で、毎年イトウを釣っている人の話も聞いた。風土の隙間に、色々な人が入り込んでいる図式は、わたしには好ましく想える。つい、ロッドを振りたくなってきた。山仕事はこれから山菜摘みと抱き合わせになっていく。
■4/30 50年前に暮らした寄宿舎の懇親会をリモートで

植物学者・宮部金吾先生が100年以上前に設立した完全自治寮「青年寄宿舎」に50年ほど前に4年間お世話になりましたが、その古い寄宿舎生とのリモート懇親会が、昨日の午後一番に開催、70数歳から50歳代前半の5名が参加しました。うまく連絡が取れず今回は超少なめでした。幹事役のSさんがイントロで寄宿舎跡地や隣の北大植物園、そして構内などの現在の画像をたくさん駆使して紹介されて大変懐かしい思いに駆られました。ちょうど、数日前から寄宿舎生の山小説家で元上州文学主筆・太田実氏の小説をPDFにして当ホームページにリンクさせようと考え、本人とやり取りしていたので、ジワジワと寄宿舎のイメージが蘇っていたところでした。その小説というのは、実はわたし目が(勝手に)主人公にされており、昭和の50年頃、彼を日高の沢に連れて行った学生時代の沢登りが素材になっています。審査に当たった三好京三氏から「元気の出る物語に仕上がっている」という主旨の褒め言葉が贈られ佳作入選したものでした。題は『地下足袋とジョニーウォーカー』。写真左はイントロで紹介された北大構内。
一方、写真右は今、映画監督として活躍している遠山昇司氏が当時学生で東京から札幌に取材にきて制作しドキュメンタリー映画祭に出品した、青年寄宿舎の閉鎖を題材にした作品 『百吟フロンティア』 の冒頭に出てくる一節。寄宿舎生活は今でも原風景だというあるOBの言葉をひろったもの。これも思い出して、DVDをみてみました。出演者がみんな若い。

■4/28 勝手なコモンズ、山菜時期の北海道慣習

家から20分、樽前山麓の雑木林にあるアイヌネギの場所を案内してもらいました。樽前川支流が流れる牧場地帯のはずれ、伏流水が湧き出たあたりの里の山です。苫小牧はこのようなイワナがいそうな川が実にたくさん海に流れていて、周辺には廃屋、廃牧場も少なくありません。そこでウグイスの声を聴きながらネギ摘み。来年も採れるようにところどころの間引きです。誰の土地?さあ?という感じの、実に北海道らしい「にわかコモンズ」です。樹木を損傷したり、土地を改変したり、乱獲したり、火器を使ったりは絶対しない、というルールを言い聞かせて勝手に入る慣習的な一時入会。まあ、住民の勝手な話ですね。しかし、たしかコモンズのある文献にも、このように開放した方が排他的にバリケードを張って見回りするよりはるかにコストがかからない、という擁護論がありました。で、ここは川の観察を含め小一時間ほどで切り上げ、醤油漬けと酢味噌あえを作り、夕食時に卵とじを作れば、アイヌネギとは来年までお別れです。このうちひと握りはお隣さんへ、時々いただく魚のお返しに。

■4/26 釧路でトキシラズが水揚げ



今日の昼のニュースではkg4300円と出ていました。出始めで高いのでしょうが、大好きなトキが苫小牧沖でも獲れているはず。ここは生協の魚屋さんにもトキのカマが出たりしますから、散歩コースの中に生協の魚コーナーを入れてクルージングしてチェックします。数日前採れた川エビはオーソドックスに空煎りしてみました。甘エビよりもう一段小さく、煎るか素揚げか、かき揚げにしますが、今回はこのところの歯の不調で噛めず、味覚としては今一つでした。で、次回はパリパリに揚げてしまうつもりです。奥にある緑は頂いたアイヌネギ。かき油で炒めてみました。季節の刹那せつなをこうしてこつこついただく幸せは格別なものです。

■4/25 一話7円8銭の本

人間学の月刊誌「致知」が、過去の対談や寄稿の中から、人生を「経営」する人々の言葉を一ページに一話ずつ、365日分載せた本である。読めば胸が熱くなる、という書評通り、たった1ページなのに感動のあまりウルウルするものが少なくない。一芸に秀でたり、経営に邁進する人の波乱万丈の世界の結末として、次第に努力が報われ、人情の共感が伝わり、語り手に運が巡ってきたと感じさせ、それが読み手にも伝わる。だからそれぞれの話は「なるほどなあ」とつい元気づけられることが多いので、こちらは首を垂れて登場人物の人生に触れることができる。数多くの読者評の中に、定価を365日(ページ)で割り算すると、たった7円だ、とする話があったが、言われてみると中身の濃い追体験を7円でできるのは、確かにありがたい共有だ。よく、偉人と言われる人の伝記を読めと言われたが、わたしなど凡人は今になってこれがよくわかる。経営者と言えば渋沢栄一や松下幸之助など、枚挙にいとまはなく、多くの言葉を目にし耳にしたけれども、昨今の稲盛和夫氏を含めて、そこには意外にも聞きなれた徳目である「誠心誠意」とか「類稀なる誠実さ」という言葉がにじんでいる。人間、誠意、真心を持って歩みたいものだ、と妙に納得するこの頃である。
■4/23 春一番に庭に咲く花

 
どうやら今年の薪ストーブの最終日は 昨日の4/22 になりそうです。そんな陽気に包まれた今朝、小さな庭に3種のささやかな開花を発見。チョウセンレンギョウ、ミチタネツケバナ、そしてセイヨウタンポポです。十分な空間も与えられないまま、けなげに咲く姿は春到来感、ひとしおです。いずれも帰化植物だというのが妙だけど、日本産は隙間にグイグイはまり込んでいくようなバイタリティに欠けるのでしょうか。
■4/21 デルス・ウザーラのように原野を駆ける人たち

個人的には勇払原野で初めての川エビ試験採取に手を出して1か月あまり、ようやく写真のような川エビを収穫した。ネットでも情報を得たが、どうも本州とは漁期が違う。半信半疑でトリカルネット製のしかけを掛けたのだったが、年配の先達たちが予見した通りだった。改めて周りを見回すと、本わさびを含む山菜各種や、チップ、ヤマメ、アメマス、サケ、サクラマスから、エゾシカ、ヤマドリなど、勇払原野を網の目のように巡っている湿原の川筋や沼などで、山野を跋渉して風土を丸ごと楽しんできた無名の先達は多い。そういう方々は言うのだ。「草苅さん、苫小牧は本当にいいところだよね」、と。わたしはいつも大きくうなづく。文化不毛の地、などと揶揄されても、だからまったくもって気にならなかった。知る人ぞ知るデルスのように、土地の風土に埋没して土に帰るように一生を終える人こそ、幸福だ。わたしも是非そうありたいと願う。

■4/20 今日は「穀雨」
樽前山の雪解けが早いように感じます。雪形が段々小さくなって、今日は穀雨。穀物を潤す雨が降るころ、と言われますが、ここ胆振東部では樽前山の雪が消える5月半ば過ぎにならないと、遅霜の心配があって種をまけないのではなかったでしょうか。去年の我が家の記録を見ると、4月20日に薪ストーブを焚くのを止めています。今年は昨日今日は焚くのはやめ、明日の朝、焚いて終わりにしようかと思います。
■4/19 緑のトレンドと助成金からの自立
NPO法人が立ち上がってから、ありがたいことに少なくない活動助成金をいただいてきましたが、数年前、「会員の平均年齢40歳以下、女性と子供の参加する活動・・・」を条件とする助成と出会い、愕然としました。申請書を書き上げてから気が付いたので、申請作業は無駄骨だったのですが、しばしば届くニュースレターや周りを見回してみると、確かに、森や林など緑系の活動助成は、先の考え方あたりがトレンドになってきているような気配がします。助成する側の企業としてPR効果やCSRという社会貢献度合いからすれば、より社会の好感度が高い方へ誘引されていくことが反映されているのでしょう。そのためには、「次世代への環境教育」や「啓蒙活動」などが色濃く滲み、誰も文句をつけようがない社会通念に沿ったイベントや「つながり」重視は、当然なものになっていきます。必然的に申請する側のプレゼンのスキルも向上してきています。
その一方で、緑環境は、誰かが本気でケアしなくてはいけないものであり、資源の利活用の隙間はまだ無尽蔵にあって、どうもトレンドではカバーしきれない重要なジャンルがほぼ手つかずで眠っているように見えます。予算獲得のための申請テクニックと言えばそれまでですが、ここまでくると、助成金の主旨からはずれたミッションであってもそこから自立して自律的にたどってみる意味は大いにもあると思えてきます。これを実現するための方策として、理解ある特定の篤志家の存在や、パトロネージュという言葉が浮かんできます。もうひとつ、自己資本という言葉も。

■4/18 自然美への感動が自然に傾斜させる

NHK『さわやか自然百景』が、ウトナイ湖の冬から早春を描いていました。空撮は苫東コモンズとウトナイが直近であることを如実に見せてくれます。番組のクライマックスの遠景に、日高山脈の最高峰のポロシリ岳と尖峰北トッタベツ岳を中心にした連山を選んでいるのもさすがのアングルでした。60年近く前、日曜日のほぼ同じ時刻に古典的名番組『自然のアルバム』が白黒で放映され、わたしもその映像で自然に傾斜し始めた1人でした。随分古い話を思い出させましたが、この感動は変わらないものです。
■4/15 サクラマス
先日、回るお寿司屋さんから「苫小牧沖のサクラマスが入りましたよ~」と連絡が入り、行ってきました。先週末は、反対側の日本海のサクラマスの差し入れがあって、手巻きとチラシを賞味させてもらいました。、昨夜は冷凍もののサクラをゆっくり解凍し塩焼きにして頂きました。高級魚のトキシラズや大助とそっくりの脂の乗りと口触りで、「ああ、今年も旬を食する季節が来たなあ」と、喜びに満ちた新たな気分に浸っています。山海の旬のものをさほど苦労せずに手に入るこの苫小牧は、おつきあいの料理屋さんの大将が言うように、「恵まれたいいところです」。昼前は、みぞれ降る中、奥の山から家人とフキノトウを採ってきたので、今夜は2回目の「ホッキとフキノトウ」のかき揚げを作り、残りはフキ味噌を仕込むつもりです。次の地物山菜はアイヌネギか。年金生活者らしい自給自足に近い食生活は、健康の上でもいい感じです。
■4/13 こころの森林浴で風景は芸術に変わる

普段の山仕事では、木に絡まるツルや込み過ぎた木々、倒木や枯れ木などを一生懸命にチェンソーで整理して見通せる林を目指してきたのに、旅の宿などでは谷を挟んだ向こうの、荒れた斜面が時に好ましい別の見え方をするものです。絡むのも自然、倒れるのも自然、斜面の土砂が崩れるのもそれはそれでいい・・・、ありのままの森羅万象、小宇宙だ・・・。森の見え方は状況次第、そして扱い方もケースバイケース。眼前の風景がこんな風に視覚によってこころの森林浴になってくることはよくあるもので、切り取られた自然の風景が外の実物以上に特別な意味をもって迫ってくる。自然風景が芸術に変わる、とでも言えましょうか。その変化のときに生ずるオーラがくつろがせるのか、とにかくゆったりとこれらを眺めるうちに、来し方を振り返って幼な心に映った貧しい生活やその後の人生の喜怒哀楽の意味を自問自答したり、なぜか久々に心身がゆるゆるし、まるで森林浴をしたあとのような自己肯定感や清涼感を得ることがあるのです。ふと、森で哲学するというドイツ人や、木々と語るといわれる北欧人を連想させます。彼らの森との付き合いはとてもメンタルだから。彼らが森の民なら、日本人はなんと言うべきか。そして、北海道人は?
■4/12 本州の薪調達事情と煙突のすす
facebook に開かれた薪ストーブと薪のグループで、本州の薪焚人がどのように薪を調達しているのか、そしてどんな薪ストーブ生活をしているのか、拝見しています。結論は、口コミや人的ネットワークを駆使して、「何とかしのいでいる」という姿が伝わってきます。基本、端的にお金で買っているという人の話はほとんどなく(苦労話はありませんからね)、いわば色々とご苦労されているようです。昨日、YMさんの投稿で、松や杉を燃やして2か月で煙突の天蓋がこうなったという写真を見ました。つまり、2か月ごとに煙突掃除をしているわけです。その投稿に対し、別の方は「松とカラマツで5か月、でも何ともないよ」、というエピソードも続きました。どうもYMさんは乾燥の不十分なパレット材も使っているのが判明。かつ詳細を聞くと24時間、焚きっぱなしです。結果、みなさんのやり取りをまとめると、経験則通りの、「十分乾燥させ、焚きすぎず、空気を絞り過ぎなければ、より安全で快適で、かつ省力化された薪ストーブ生活が実現できる」ような気がします。やはり、みなさん、コナラを中心にした広葉樹薪を理想にしながらも、伐採したリンゴの木、ハンノキ、クルミその他もろもろの不要木をなんでももらい受けてくるのです。ナラが4割近い雑木林を相手にし、広場で十分な乾燥までできる、苫東コモンズのような画像は、寡聞にしてまだお目にかかっていません。目下懸案のドロノキ薪も、ところ変われば大歓迎となっていたと思うと、彼我の違いにちょっと申訳なくて立ち止まりそうになります。
林も広場・原野も捨てるほどあるという北海道・勇払原野の現実に、もう少し感謝しておこうと思います。

■4/11 森林浴のニュース、再録
長崎の畏友「まつを」さんから、当方が別に管理している北大・青年寄宿舎のホームページの掲示板に森林浴に関する照会があったことに、今日、気づきました。このトピックは、この研究室のHPにも照会があったので、別便にてすでにやり取りが終わっていると済ましていました。ただ、寄宿舎の掲示板には氏の疑問のもととなった記事もリンクされており、このほか、日経新聞も森林浴の記事を書いているなど、コロナ禍のひとつの対策としてリバウンドを目指す動きでもあるのかと思います。このリンクをここにもう一度紹介します。当掲示板では2020年の11月16日以降に書き込みがあります。『世界が見習う日本の「森林浴」 新型コロナが人気を後押し』
まつをさんには、ドイツには慢性リウマチ患者などに森林散策を医師が処方するクナイプ療法が100年以上前からあり、日本の森林浴はそれら欧州の伝統にヒントを得たものだと思う旨、返信させてもらいました。関心をお持ちの方は、このトップページ左の「林と人のこころ」や「森を巡る」をご覧ください。わたしのドイツ紀行はこちらです。今、勇払原野の雑木林風景は晩秋のものとほぼ同じですが、日差しに差があり躍動感に満ちています。

4/10 雑木林保育の信託と自覚

今日から山仕事では写真のようなベスト「ビブス」を着用することにしました。bibs(ビブス)とはbib という英語の複数形で、「よだれ掛け・胸当て」がもとの意味。よく競技者が付けるゼッケンでチームの識別に利用されますが、ここ勇払原野では、土地のオーナーから雑木林の保育に関して「信託を受けている」ことを表明することになります。
所属を明記して山仕事をする、というのは、どこか、身が引き締まる想いがするのはわたしだけでしょうか

■4/08 謎の多いハスカップのライフサイクル
勇払原野のハスカップ自生地でしばしば観察してきたものとして、彼らがどのような方法で新しい個体を誕生させて更新してきたのか、それが実生なのか、萌芽なのか、枝条更新なのか、それとも全く予想外の方法なのか、いまひとつ不明であり、老木は50~60年程度の年輪しか読めない。そして若木がまるでない。ひょっとして縄文海退のころに生れた湿原に自生し始めたと推測される(わたしだけの珍説)ハスカップの、想像を掻き立てる謎である。
と、自宅でいつも観賞用にまく実生の苗の遅すぎる成長を見ながら、ますます不思議な植物だと思う。原野で採取した種をピートモスの培地に埋め込んで発芽させた彼らは、1か月ほどで発芽するのだけれど、いつもほとんどが6,7か月経っても5,6mmしか伸びないのだ。そこで止まる。つまり発芽した時からほとんど成長しないのである。培地がまずいのか、栄養が不足なのかと思案しているうち、待てよ、これは彼らの延命作戦なのではないか、つまり、基本、休眠のように「生きつつ眠る」のが彼ら独特の特質ではないのか・・・。特に証拠はありませんが、かくなるために、こよなく可愛い(-_-;)
4/04 季節の醍醐味「ホッキとフキノトウのかき揚げ」

立春、雨水、啓蟄、春分、そして今日は清明。24節気では清明はすべてが輝く頃、とされます。おとといのこと、家人が「ホッキが安かったから買って来たよ。そろそろフキノトウのかき揚げ食べたいな」といきなりリクエストする。道ばたでまだ見つけていないので、まだ早くないかと思いつつ、しぶしぶ裏山の方へ行ってみた。おやおや、斜面には、落ち葉の下に小さな黄緑が見える。ひとつが見え始めると、山菜というのは次から次へと見つかるもの。結局、小さなフキノトウ20個ほどを採り、自らかき揚げにして頂いた。「やっぱり、うまい!!」。この組み合わせを知ってからもう30年近いが、賞味を忘れたことがない。今や、身近な人だけが知る季節の風物詩であります。

■4/02 『源氏物語』を完読して思うこと

昨年9月末に読み始めた角田光代訳『源氏物語』約2000ページを、おとといやっと読み終えました。寸暇を惜しみつつコツコツ読み進み半年を費やしてしまいました。この日本文学全集を編集した池澤夏樹が言うように、この作品は山の縦走のようだ、というのは言いえて妙です。光源氏のきらびやかな隆盛と恋愛のあと、息子・薫のあたりから、ひたすら思い通りにいかない人のはかなさ、哀れさばかり滲んでくるという超大河小説でした。これが1000年前の女性作家の仕事と思うと、日本という国の底堅さや歴史を思い浮かべざるを得ませんでした。描かれている風景というのは、以前訪れた湯河原のある宿の展望、月見台(写真)と通底するものがありいつしか連想していました。月と星をほしいままに眺める優雅な空間に、花鳥風月のあらゆる情報が伝導してくるようで、それはなんだか時空を超えたものに思えたのを覚えています。これは北海道ではなかなか味わえない情景かもしれません。
また、郷里山形の進学校を50年前に卒業したのですが、その高校には時々、生徒のリクエストに応じて『源氏物語』の講義をしてくれる数学のS先生がいて、受験のための数学の過去問題解きに疲れたときなど、「先生、源氏、お願いします」と生徒が発案すると、「そうか、やるか」などと言って数学の授業をほったらかしにして「源氏」を語るのでした(S先生はたしか、メルボルンオリンピックのバスケットの選手だったと聞きました)。確かに、「源氏」には人生のいろいろな断面につなげることのできる機微が盛られている、と言えそうで、この余韻はこれまでの読み物で味わったことのない異質なものでした。

■4/01 早春の雑木林が持つ輝き、力、そしてそれが、はかない

一年で、晴れた早春の今だけ見せる、輝く雑木林。わたしはこの時期のこの構図が好きで、毎年の年中行事の如く、色々な機会に何度もこうしてアップしてきました。なにか、力を感じ取られませんでしょうか?シンプルなテラス、そして木々に葉っぱがないからこその明るさ。雑木林の景観そのものがエフェメラル、一期一会。
■3/31 アマゴが泳ぐ小川

開高健の『オーパ』シリーズでは、作家はアンカレッジのマチの中の排水路をサーモンが泳いでいることに驚きます。「北海道だってそうだよ」とあの頃は思ったものです。先日、郡上八幡で、有名な「いがわ小径」を歩いていたら、大きなコイと一緒に20cm以上のアマゴが泳いでいるのに、びっくりしました。北海道で言えばヤマメにあたりますが、街中の小水路を群れをつくって泳いでいる例は知りません。ここの流速は30cm/sec 以上あり、まさに長良川の引水でしょうか、清流であり生活に密接した水だと実感します。他の小川や小径もよく整頓され、満開の桜が気分を盛り立てます。住む人の快適さ感覚が、知らず知らずに育まれていく、といった感じです。
■3/26 薪ストーブ、焚けばやや暑く、灯油のストーブでは物足りない
薪ストーブは早朝に一度点火し、昼前からはほとんど焚かずに、夕方、オキで焚き直しています。今朝は薪ストーブを止めたのですが、ファンヒータではちょっと寒く感じます。微妙な季節になりました。今日から数日、更新を休みます。戻るころはもう薪のお世話にはならないかも。さびしくもあり、うれしくもあり。
■3/25 川エビの採取に向けて着々
コモンズ休暇「川エビ漁」の準備が着々と進み、2種類の漁具を試作したところで、Hさんに笑われた。結果、二人で錦岡のコメリに行って買ったのがこれ。トリカラネットといい、幅1mのプラスチック製のネットで、1mあたり628円であった。それで試作したのが写真。全くドウの機能を持ち、縫合もしやすく、仕掛け方を間違えなければ大量に獲れそう。しかも、ものすごく簡単にできる。これは面白くなってきた。週末、わたしは作業テントの脇で、これを10個ほど作り上げる予定。
ちなみに、薪材の嗜好について「雑木林だより」に今日持論を追加しました。

■3/24 ドロノキなどの丸太をどうさばくか
里山のフィールドに届いたドロノキなどの丸太を、さて、どう処理するか。下手すると、労力もお金もかかり、得るものがない、などとなりかねない。これがここ数日、頭の隅に懸案として引っかかっている。未明に、ちょっとしたひらめきがあって、枕もとのメモ用紙にこんなスケッチを描いた。ドロノキ、ハンノキをメインにした玉切りされた丸太を図のように積んで、見かけ0.5立法のユニットを幾つもつくるのである。内輪でさばいてもいいし、希望者に丸太で有償で分譲してもいい。それをできるだけ早く、対応しなければならない。ドロノキは乾燥は早く焚き付けなどには最適で、薪としても一応使える。ただ、樹皮から早々に腐っていくのである。放置して捨てればゴミ、上手にに使えば再生可能エネ、というのは除間伐材と基本は一緒だ。
■3/23 山椒に関する新説
前職である財団の理事会で1年数か月振りの札幌。24年間の通勤生活がはるか昔のよう。理事会後、あらかじめ予約を入れていたU北大名誉教授の研究所を訪れ2時間、歓談。その中に、かつて馬の侵入を押さえるために、境界と思しき所に「山椒の木」を植えたものだとの話を伺いました。なるほど、山椒がたくさん生えるわが裏山、豊川・山椒の丘にはそんな経緯があったのかもしれません。一帯は牧場だったとの説有り。
■3/22 するめ塩辛とちりめん山椒

なれ過ぎた、いわゆる塩辛はちょっと苦手で、自分で作る塩辛を毎日かき混ぜながら味見をしながら早々になくなる、そんな浅い塩辛が好みだったのですが、道南旅行で「するめ塩辛」なるものにに遭遇して驚きました。なれておらず、もちろん魚臭さもありません。するめを麹と塩だけで漬けこむらしい。不覚にも初めてでした。日本酒のアテに抜群で、値段も異様に手ごろでした。冷凍ものですが、これからは要チェックです。
ちょうど同じころ、家人が安かった~、
といってまとまった量のちりめんジャコが手に入りましたので、最後の実サンショウを冷凍庫から出して、サササと調理。今季何度目かのちりめん山椒。これはお酒にもご飯にも合う、そしてやっぱり山椒の味は抜群。うまい。今年はもっともっと採らねば、と反省、決意。いつも、猛烈な蚊の大群に襲われ退散するのでした。
■3/21 ドロノキなど勇払原野らしい丸太の山できる

近くで行われた宅地造成で発生した丸太が届きました。勇払原野のこのあたり特有の「ミズナラ・コナラ・ハンノキ林」を皆伐してできたもので、産業廃棄物として捨てられようとしているものをもらい受けたのです。しかし、余りにも量が多い。つい、不用心に「これじゃ、2,3年、除間伐は必要ない」と呟いたら、ある方に「苫東コモンズは薪作りが目的でなくて雑木林の保育、身近な森林公園づくりでしょ!」とたしなめられました。(-_-;)。そう呟かざるを得ないほど、多いのです。
■3/19 600kmのひとり道南めぐり

火、水と道南は乙部町を往復。往きは噴火湾、復路は日本海でざっと600km。真のねらいは海のアメマスのフライフィッシングですが、またもや風と波に阻まれ各日小一時間ロッドを振っただけで終わった。鮎川海岸から始まり、関内漁港、瀬棚の三本杉、横滝、亀岩、美谷、島牧の各所、コベチャナイなどかつて成果のあった白波が寄せるポイントを横目で見て、つど懐かし地名を復唱。
しかしながら、沿道の風景や土地の「木と気」を感じつつ、日本海の波が納まるのを待つ時間は源氏物語の最後の部分を車中で読むなどし、みちみちの特産物をお土産にゲットしたから、なかなか充実したひとり旅になった。こんな遠征は実は今年でもうやめるつもりだったが、よし来年は2泊、しかも宿が平日空室が多いことを知ったので直前まで天候を読んで予約してこよう、と決意。万事、積極心への切り替えは必要だ。

■3/16 関取の名前と顔が一致するために
大好きな大相撲を早い時刻から見ることができるようになっても、どうも名前と顔がうまくつながりませんでした。でも横綱の土俵入りの前の写真のような勢揃いシーン(何て呼ぶのか不明)を久々にみて、なんだこれを続けてみればよい、とわかりました。前頭の下位から全部見ることにもなります。名前、出身、部屋などがひとりひとり場内アナウンスで紹介されるのでこれは助かります。かつて名前と顔はすぐ覚えたのです、きっと。だからこれは全く不要でパスしたものです。それがなかなか名前と顔が一致しなくなると、非常に便利な時間になりました。なるほどですね。ちょっと気分は複雑(-_-;)
⇒⇒幕ノ内力士の土俵入りこそ「土俵入り」とか。昔は幕ノ内力士は少なくて、土俵入りしたらしい。横綱の場合は「横綱の土俵り」。

■3/15 ガン、ハクチョウらとともに
一昨日の山林上空は一日中ガンたちが行きかい、鳴き声が聞こえました。採餌場に近いせいか、行方定めぬ迷走飛行や群れから離れて仲間を追う鳥たちの、まさに乱舞状態。その合間にはオジロワシなども顔を出します。自宅上空も、風の強かった昨日は屋根のすぐ上を飛んでいました。今朝はベランダで寛いでいると上空で声がしたのでこれを一枚。声も姿も毎年まったく新鮮で飽きないのは不思議。ころは大相撲の春場所、これも千秋楽のころにはもっと北へ飛んで行っているはず。
■3/14 山仕事の一段落
今シーズンの山仕事は、昨日の藪だし作業の完了で大きな一段落を迎えた。ツル伐りなどに専念せざるを得なかった悪条件の割には、除間伐材が多くて薪にできることがわかったのは非常にうれしい。若い新人が加入したせいも大きい。また、帰り際にお会いした若い住民の方が、藪状態だった林がみるみる変わっていったのを見ていて、「すごいな、と思った」という感謝の言葉を述べていた。この話も胸が膨らむエピソードだ。メンバーにも是非、紹介しておきたい。
■3/12 おいしい川エビを「食べる」ために

勇払原野の風土を賞味する「苫東休暇」。その手始めに川エビ採りを試みようと、捕獲のための工夫を始めました。記憶にあるのはドジョウやウナギを獲るときの竹製の「ドウ」ですが、これはちょっと手に入りません。調べると川エビファンは意外と多くて、ペットボトルを活用したものがポピュラーのようです。ちょうど、ハスカップ摘みをする際、大きめのペットボトルをちょっと加工して使うのに似ています。ヘッドを切って裏返しにしてホッチキスで止めました。もう一つは、種もみ用のネットの袋が10枚300円で売ってましたので、これをガーデニングのコンテナスタンドにかぶせてみました。ちょっど具合が良いのです。さすが、種もみをウルカスためのものらしく、ひもですぼめるようにできています。で、川エビの入口をどうするか、もうひと工夫です。
これとササや枝を利用した本格的な柴漬けを併用するのです。
■3/11 オオマシコに出会う
痛ましい東日本大震災から10年、黙祷の時報に合わせ子心の中で手を合わせる。旧弥生中学のそばを散歩していると、ほぼ全身赤味がかった小鳥の小さな群れが、アカマツの実をつついていた。オオマシコである。自然界であまり見ない赤にちょっとびっくり。丹頂の赤に近い。里も街中も春にまっしぐらだ。
■3/10 居住する風土に埋没する安らぎ
30年ほど前、原野にて、夕方
昨日はこの春初めてガンの大群を、自宅上空で見ました。東京ではジンチョウゲが咲きだしたと聞きますが、原野のジンチョウゲ(ナニワズ)は、まさに雪解けを待っていて間もなく突然の春一番を告げます。自分が住むこの土地の風土というものを強烈に感じるのは、まず湿原、山菜、雑木林の新緑などですが、その中でわたしの一押しは何といってもガンの渡り、そしてねぐらから採餌場を往復する大群のパノラマ大飛行でしょうか。地域の環境を彼らとシェアしているんだ、と自然に思えてきてウルウルするようです。コモンズの地域活動は昨年からこの稀有な風土に向き合う時間をより多く持つようにしました。風土感をもっと濃い目に享受するのです。幸いここには汲めども尽きない地域資源があるのです。つぎはぎのB級自然であればこそ、コモンズ風のラフな地域慣習、ふんだんな計画緑地にも助けられます。山菜は4月から6月までこれから楽しむのが忙しくなりますが、今シーズンは、これに「川エビ」を加え、早春の川エビ採りから始めようかと思います。薪割り作業を午後から中断して原野に出かけるのです。遊びじゃない、と言っても信じてもらえない、この微妙な感覚、知る人ぞ知る、です。

■3/08 林業現場の美醜感覚
「森づくり」といえば、きれいな森や林を連想する人が多いのですが、経済活動としての林業現場はあまりに無残でびっくりするほど荒れ放題に見えます。伐った枝は放置され、材を出すためにブルを使えば林床はガタガタ、切株がひっくり返っていたり、とても鑑賞に堪えないことが多いものです。とはいえ、数年でおさまりの良い風景に代っていき、更新も進んで10年もすればビフォーアフターも見違えるものなので、要は時間軸の問題なのですが、そこに理解を持てない一般の方はあの風景には腰が引けるものです。それに、そこが訪れる人の視点のそばかどうか、場所の問題もあります。
それと比較すると、苫東コモンズの仕上がりはかなり違います。身近な林は美しくなければだめだ、と自らを律して頑なで来ました。そのもとを思い起こせば、40年以上前に「森林美学」や「森林風致」をかじり、学生時代の当時は年間100日以上を山歩きに費やして森林美を追いかけ記憶し、その後もかつての風致体験を活かして美しい広葉樹林を追求してきたことにたどり着きます。
その延長にある苫東コモンズが時間をかけて具現化してきた修景の試みの結果は、経済行為の林業のでき形と比較したとき、自ずとそこには開きがでてしまうのは当然だったのです。こんなコモンズの森づくりと仕上がりを見てきた方が、同じ林を効率的林業ルールでこなした仕上がりを見て愕然とした、というちょっとした出来事(事件?)が最近ありました。もとをたどれば、苫東コモンズのコミュニティ林業は、実は「森林公園」を目指しているからであり、林業とは似て非なるものだったのです。だから携わるスタッフの愛着ももともと違ってくるのだと思います。それにコモンズはフットパスの両側50mを一所懸命にやり、あとは手抜きする、という考えをとっているのも影響しているはず。

■3/07 稲盛和夫氏と人間学
人は己の人間性を磨き続けないとまっとうな人間になかなかなれないものだ、という考えを支持する。そこに人間学という、通常の日常の範疇には入らない、得体のしれない学びがある、という考えにも賛成だ。月刊誌「致知」は、その人間学を志した稀有な、俗に言う「固すぎる」雑誌(その割には毎月11万人が購読)だが、今月号の稲盛和夫特集を読むと、氏こそその人間学を礎にして京セラを起こし、KDDI を立ち上げ、JAL を再生させたことがわかる。そしてその奥には、わたしは仕事も修行そのものだというヨガ的な宗教観、人生観をかぎ取る。しかし氏の偉いところは、その目的をヨガや冥想などのメソッドに押し込めないで、さらに大きな「人々の幸せ」や国の繁栄に結び付けてきたことである。世のため、人のため、利他を求め、「動機は善なりや、私心なかりしか」と常に自分に問い続けてきた姿勢に打たれ、動機付けられる人は多い。忘れられつつある日本人の美徳をわたしは感じている。
■3/05 オレゴンのハスカップ研究者「マキシム先生」がご逝去

オレゴン州立大学の KAWAI さんから、米国におけるハスカップ研究の第一人者・マキシム・トンプソン先生が2月末に亡くなったとの知らせを受けました。写真左はフィールドであるオレゴンの州立大学のハスカップ育種園のハスカップに、ハチドリが飛んでいる図、右は昨年秋、94際の誕生日にハスカップリキュールを手にするマキシム先生(いずれも KAWAI さん撮影)。お目にかかったことはありませんが、愛弟子KAWAI さんのお世話で苫東コモンズが出した 『ハスカップとわたし』 に、先生とハスカップの出会いに関するご寄稿いただき、NPOがハスカップ・サンクチュアリを見守っていることを大変喜んでくれました。心よりご冥福をお祈りいたします。
今日は「啓蟄」。いつもの春のパターンですが、3日前に名残雪のような大雪を喰らって、今日は暖気。明日の山仕事は、スノモによる運搬の最後となるか。

■3/04 北寄貝

思いがけなくホッキをいただいた。形は小さいが10個余りある。捌いた後、ひもなどがこんなにあるのでさっと湯がいて塩味のスープにし、本体はこのまま刺身で家人とすべてご馳走になった。もうすぐ、フキノトウが出れば、ホッキとフキノトウのかき揚げが待っている。今から15年も前に、ホームページの森づくりで知り合いになった八戸のtanakaさんなど3家族が雑木林に見えた時、tanakaさんが八戸あたりではホッキは1月の季語だよ、と教えてくれた。スドキはアクを抜かないで熱湯を掛けただけで食するという、彼の地の流儀も聴いた。ブナ文化圏の山菜ウンチクはさすがだ、と思ったものでした。
■3/02 風雪の中の野鳥


夜半からこの冬初めての風雪となり、庭には15cm近くの雪が積もりました。窓の外を見てみると、常連のスズメたちの活性がいつもより高く大賑わいで、ヒヨドリやシジュウカラも頻度多く来ているようです。こんな日はエサ不足はてき面なんでしょうか。一方、昨日の朝刊に挟まれていた町内会だよりには、「春の訪れとともに野鳥が庭先に来るが、かれらの野生を維持させるため餌やりは禁物」という主旨の注意が書かれています。家人は「それ見たことか!」としたり顔をされましたが、この言い方は「冬はともかく」の意味もある、と反論。しかし、町内会氏が言いたかったのは自粛警察的な視点での「鳥インフル」の方ではないか。だからもう一言添えてあった「様々な被害があるので」という意味の文言には、こちらは途端に歯切れが悪くなります(-_-;)。ここはやはり基本に返って、庭もフィールドも鳥やキツネ、タヌキなど野生動物との距離は、できるだけ確保することにします。エサやりもストックを使い果たしてあと2,3日で終わります。住宅地の手載せプロジェクトは2年で頓挫です。写真右は、山の先輩・余市はhiguchiさん宅のベランダ。山際の家はこの点、うらやましい。
■3/01 体操で治す脊柱管狭窄症
一分間体操で治そうという医療雑誌が、1月中旬の初版以降たちまち5万部を突破、かくいうわたしも早々に購入し実践中。なにせ、中高年の腰痛の原因のトップで、現在、国内の推定患者は約580万人いると言われているものです。周りにもずいぶんたくさんの方がいて、気の毒なことに手術して快癒したという話はほとんど聞きません。当方は股関節の不具合による日常的な痛みに並行して、これにも侵されているようで臀筋を含む痛みや、歩くのがつらい(間欠性跛行)原因になっているので、「体操で治す」方法の提案には飛びつきました。医療雑誌の通例どおり、大きな字で図解入り。股関節の体操にこれを混ぜ、念入りにじっくりやっています。幸いなことに、こちらは時間がたっぷりある。ストレッチの体操は、かつて筋肉を伸ばすものでしたが、この本で気づいたのは、筋肉でなく「腰椎の骨の間を開く(ゆるめる)こと」。これを繰り返している間に、寝起きの一時間、あるいは午前中一杯、痛くて歩けない臀筋痛はかなり消えました。医者は「このまま良くなることはない」というのですが、わたしは死ぬまで体操で持たせたい。
■2/27 雪が消える前に急いで「藪だし」

気温マイナス3℃。12人の山人が集まり、4か所で分散作業。うち、林内からの材の積み出しには7名、積み降ろしにはヤードで玉切りをする2名が手伝う。雪が解けるのはもうすぐ。藪のなかから材を拾ってくる文字通りの藪だし作業はやっと先が見えた。中央のMさんは87歳。
■2/25 歌に見る庶民の共感(つづき)

わずか五七五、あるいはさらに七七を加えた身近な詩で、人の世の奥義、土地土地の風習にまで思いを馳せて、全国を旅し人々と交わる朝のひと時は、至福の時間でもあります。切り抜きの束から囲みのつけてあった作品を見つけて、再び。
◎「幸せをお金で買えるときありとケアマネさんの言葉読み解く」(芦屋市・Nさん)…お金ですべてが解決するなどと思ってもいないし、思いたくもない、しかし、である。割り切ろうとする作者がいる。お金は全くなく貧乏の真っただ中だったが今思えば満ち足りたときは確かにあった。
◎「お互ひの葬儀にはもういかれぬと老いは握手す品川駅で」(江津市・Fさん)…目に浮かぶ光景。お互い、残された日々を一生懸命大事に生きるのみだ、と。召されるまで。
◎「目的と手段を容易に入れ替える新品ペティナイフの切れ味」(さいたま・Oさん)…そうか、こんなおしゃれもあったのか。ごくごく個人的なひそやかな愉しみ。切れ味の良いナイフは虜になる。

■2/24 歌に見る庶民の共感
人の上げ足を取り、煽り、いじめ誘導などと評されるメディアが報じる、日々あまたの出来事はどこ吹く風、市井の日本の庶民は全国津々浦々で悠々と文藝をたしなんでおられる。そのことに、連帯も感じ、和んでおられる方々は多いはず。「歌壇俳壇」は素晴らしい。
◎「おーいまだ生きているかと賀状来る」(高山市・Nさん)…「この頃、どうしてる~」はたまに当方も使うことがあったが、「生きてるか」の境地までは幸いもう少しか。
◎「名のなくて謎とくような年賀状」(千葉・Sさん)…これも毎年ある。探しあぐねる分だけ差出人と思われる人の思い出を振り返ることになる。「そういえばあの人今どうしてるだろう」「去年のフライの釣果はどうだった?」。
◎「駅前の看板を読む子らの声デンタルメンタルタルタルソース」(大阪・Hさん)…笑ってしまった。子らは大声で無邪気に言いそろえる。文字を覚えたての子供の嬉しさに、こちらがホロリとする。

■2/23 勇払原野という風土にとっての、旅人と定住者、そしてコモンズ
苫東の北電近くで計画されている風力発電のアセスについて、事業者の関係者とリモートでお話をしました。植生は札幌の大学の先生が科学的な詳細をコメントしており、わたしは、勇払原野とほぼ半世紀近く付き合ってきた年寄定住者が、ここの風土への愛着から、経済活動をする「旅人」に愛着だけでなく、「地域では多くの人々が野生鳥獣すべてと風土をシェアしていると考えている」、だから「弁天沼から数万羽のガンが鵡川の田園地帯に向かうその飛行線上に10基ほどの風車を設置する計画に、あれっと思うのが普通だ」という趣旨の感想を付け足して述べました。年寄の風土観は物語のようであり、終わって気づいたら1時間でした。果たしてなにか伝わったのかどうか。話を終えてから「経済活動の旅人」と「風土に定着するわたし(たち)」の構図に、やはり行き当たりました。実はこの図、勇払原野の自然と不動産取引と定住者を長年観察しているうちに思いついたものでしたから、絵に描いたように当てはまるのは当然です(^_-)-☆。
■2/21 武蔵野の原植生を垣間見る


秋の終わりに上京した折、わずかな時間でしたが等々力(とどろき)渓谷を歩いてみました。東京23区は世田谷にある約3ヘクタールの渓谷の公園で、面積はわずか3ヘクタール、延長1km。武蔵野と勇払原野の雑木林を見比べてきた私としては、武蔵野台地の南縁にある、しかも崖斜面のために武蔵野の原植生を垣間見ることのできる格好のところで、訪問機会を狙っていたものでした。正直、私がこれまで見てきた武蔵野の林は、人工も加わって手際よく切り取られた里山のなごりに過ぎなかったことがわかります。目についたのは、樹木はケヤキに始まり、シラカシ、クスノキ、カエデの一種、アオキ、トウネズミモチ、ツバキ、ユズリハ、ムラサキシキブ、シュロなど。雑多な植物が意味ありげに自己主張していたのです。付近の住民には憩いの、夏なら涼しいオアシスです。
昨日の苫東コモンズの現場は雨上がりの雪解けの中、雑木林の中にスノモを乗り入れ、材の運び出し
2/19 “薪は2本入れよ、1本では寂しがる”

昨日、2月18日は24節気の「雨水」。北海道も雪ばかりでなく雨も交じるころですが、夜明けが早くなった以外、林の木々に特に目だった動きは見えません。が、木の芽は少しずつ膨らみ始め、気の早い人はカエデの樹液を採り始めます。でもやはり暖房はまだまだ必要です。数日前から、去年の6月ころに割った薪を使いだしました。割ったばかりのものを軒下に積んだので、美しい色合いを残しています。意外にも乾燥も十分でよく燃えます。そこで扉を開けて焚火風にパチパチいわせて眺めながら焚き始めてみました。北海道の人も薪は一本では寂しがる、と言いますが、名著 『薪を焚く』 でも同じ趣旨のノルウェーの諺が書かれています。例えば「夫婦のベッドに人がふたり並んでいるのにも似ている。片方の薪から出た熱がもう片方の薪から出る燃焼ガスを燃えやすくし、片方から出ている炎がもう片方の薪に火を付け、暖める」ので、薪は少なくとも2本入れよ、と。この現象と理論は実に科学的な裏付けがあり、してみると薪を焚くということは、化学を経験知に高める行為と知るのです。
2/17 今から7年前の山仕事風景


2014年2月、あの頃は年に1,2度、近くに住むTさんが馬搬用のポニーを連れて応援に来てくれていました。Tさんは、おととしあの世に召されたディープ・インパクトを担当していた人。素直な坊やを連れて手伝いに来てくれました。当時は、スノモでスキッド・コーンに括って丸太を運ぶ方法をとっており、翌年、現在の鉄ソリに移行したと記憶します。

■2/16 暴風雪も何のその

今日は朝からみぞれ交じりの暴風が吹いています。雪はほとんど解けました。今季のエサ台はハトの群れがやってくるようになったせいか、カラ類が滅多に姿を見せなくなってしまったのは実にさみしい限りです。ハトの狼藉だけでなく鳥インフルエンザの心配と近所のこともあって、野鳥のエサ台は今季でひとまず中止です。風雪の中やって来るスズメたちは、そんなわけでひときわ可愛い。
■2/15 「話が長い」苦い思い出
機知に富んだ素晴らしいエンディングで話を閉じる方々がわたしには天才に見える。しかも時間内でこなしていたから二重に羨ましい。森さんで始まった「長い話」にまつわる苦く恥ずかしい記憶が、わたしには満載で穴があったら入りたいくらいだ。限られた時間のなか、要領よく伝えないと他のスピーカーに迷惑がかかるという配慮が飛んでしまうのだ。まさか自分の体験や考えがよそにはない特別なものとうぬぼれているのではあるまいが、開会のあいさつで主催者側の都合でしゃべり過ぎるような、なんとも間抜けでアホなシーンばかり思い出す。ああ、恥ずかしい。件の言い方を使えば、老害と呼ばれることを、若輩のころから繰り返していたことになるのである。綿密な準備をしたときはほぼ完璧だったのだから、慢心というほかない。これからはもう人前で話す機会などないと思うけれども、もしあれば今度こそ、アホと間抜けにおさらばしたい…、などと考えるから、なおさら長くなるのである。ああ、これは重症のアホだあ。(-_-;)
■2/14 手入れしながら薪をとる手間

苫東コモンズの薪を焚いている人であれば大体ご存知のことですが、雑木林の除間伐をしながら発生する材を、家庭用暖房の薪に活用するのに、こんなに手間がかかるのかとびっくりするはずです。薪屋さんなら皆伐した林から買い取ってくるだけですが、林の手入れ作業の副産物となると、全く話が違ってくるのです。極めて効率が悪い。機械化する動機もないが資金もない。林の中にスノモで丸太を取りに行き、重い丸太を人力で積んで、降ろして、これから割って積んで1年積んだまま乾燥させる。だから近間に住む人々が手間を提供して成立する、自給自足型ローカル&超スモールビジネスで、採算性はなし。耳を澄ますと、特に薪の積み下ろし作業は不評で、苦情、辞退が続いています。そんななか、比較的若手のTさんが特段の奮戦をしてくれ、本番2日目を終えました。
■2/12 地域における女性の力
平成20年代の初めころ、勤め先の財団で、地域力とソーシャルキャピタルをテーマにする研究会をやっており、23年に『これからの選択 ソーシャル・キャピタル』という一冊の本にまとめました。大学の社会科学系の教授など研究者が中心で、全6章のうち、わたしが担当したのは末尾の5,6章でした。まったく専門外のわたしは、それでも特に身近にあるソーシャル・キャピタルの事例をコツコツと取材し、「女性力が開く地域新時代」など、女性というジェンダーへの視線を、種々、勉強しながら真剣に悩みつつ分析もし執筆したことがありました。結果、我ながら驚くべき結論に達して、しかもこのまとめは複数の学識経験者から身に余るお褒めの言葉も頂いたことを思い出します。
そのことを思い出しながら、今回の森会長の挨拶内容(ほぼ雑談)を読むと、ビートたけしが言う「男も女も間抜けなヤツがしゃべると長くなる」というただそれだけの話で、当の女性の少なからざる方々もそう言っていた、実によくある話であり、女性蔑視などとそう大げさに切り取ってあげつらうことではなかったと、わたしは直観しました。地域のソーシャル・キャピタルにとって重要・不可欠な担い手である女性(男には真似出来ない)という観点からみれば、是々非々で見ておきたいと思ったものです。しかし現実はメディアによって、否、と言えないような雰囲気がいつの間にか作り上げられて、庶民もつい自分の立ち位置をそんな報道の中に求めて、結局はドツボにはまってしまうようです。妙な時代になってしまったなあと痛感ているのは、しかし、わたしだけではないようです。

■2/11 土地、国有化への動き

土地や自然や風土が、いったい誰のものなのか、これはなかなか興味のある問題ですが、今日の新聞報道によると、所有者不明土地を国有化するという対策を盛り込んだ改正要綱が法制審議会から法相に答申されたとのこと。昨年7月27日、所有者不明土地について書いた記事の続きに当たります。私有財産や民法に関わる重大案件はかくも深く潜行しながら地味に表に出てきますが、この間官僚たちの諸手続きもさぞかし、と想像します。土地の問題をわたし風に「自然や風土は誰のものか」と置き換えてみると、これは住民の哲学の如何に関わってくるような気がしてなりません。
■2/10 “初期化対応ができれば何も怖くない”
昨日は Wifi ルーターが不具合を起こしその復旧にたっぷり時間をとられてしまいました。結局、最後はルーターのインフォメーションセンターに連絡をとって作業手順を指示してもらい事態を脱出しましたが、その時に表題の言葉を思い出しました。これはパソコンがとてもバグを起こしやすかった時代に、最終的にはOSを初期化する羽目になった時、当時のある同僚が呟いていたものです。確かにOSをゼロから入れ直せば問題は解決でき、昨日の不具合も基本は初期化からの設定でしのぐものです。 I T 初心者のわたしは目からうろこでした。ことは I T にとどまらず、ゼロからやり直す、出直す勇気と、いささかの知恵と基礎知識があれば、人生、折々、途が開けるときもあるもので、頭を切り替える意味は想像以上に大きいものだと再認識しました。
■2/9 今年の山仕事
雑木林の仕事の折々、雑談で固まってきた苫東コモンズの今年の予定をまとめました。風土と遊ぶ「山菜採り」がいやに多いな、と気づかれる方もいらっしゃるはず。しかし、B級の自然、わが勇払原野は、ウィルダネスだけでなく、山菜のパラダイスであることを素通りしてはいけません。宝の持ち腐れになります。
■2/8 欧州の都市林

ドイツ、フランス、イギリス、オランダ、フィンランドなど欧州の各地で、都市の身近な森林を歩く都度、美しさ、アクセスのしやすさ、そして広さにうらやましさを禁じえませんでした。しかし、このような森林行脚のおかげで、野幌森林公園や北大苫小牧演習林、そうしてわたしたちのフィールドである勇払原野の雑木林・苫東緑地も、なかなか捨てたもんじゃない、欧州にひけをとらない、と心底思えるようになりました。先日、苫東のアセスや景観形成などでお世話になった村野紀雄さんと、苫東の緑地保全の件でやり取りさせてもらううち、氏が30年以上前に単身で一か月にわたる欧州の都市林巡り(道の海外派遣事業)をした際のレポートを送っていただきました。野幌森林公園事務所に勤務していたころの話で、その当時も森林公園の管理などに関する文献をお借りしていたことを思い出します。緑への国民の思いは今、決してかつてのように熱くはありませんが、気の長い森林管理の試行と実践にあたっては、村野さんのような真摯な視点を持った経験豊かな方がいらっしゃるのは、実に心強いものです。
■2/6 手入れが進む里山の風景

強い日差しが射したり、雨が降ったりの立春前後、林の手入れは着々と進む。木口がすべてこちらを向いて作業の進捗を知らせている。そこに人のいる風景には感動すら覚える。
■2/5 確定申告
という「季節」
かつては属する団体・組織でしてくれていた年末調整は、勤め人生活を終えるといよいよ本腰を入れて自分で確定申告をせざるを得ません。今日は、医療費や寄付や原稿料など若干の収入の資料を用意して家人と税務署の設けた会場へ。以前も時々手にはしてきましたが、どうも苦手な手続きの一つです。職場では、大方の事務屋さんがこれをなんの苦も無くしのいでいるようなのを、我々技術系は見ていてうらやましいという人が少なくなかったようです。今回は e-tax の手続きもしたので来年からはいよいよ自宅で対応になります。確定申告も年賀状のような、いささか気ぜわしい季節プロジェクトになっている方々も多そう。その一方で、世の中は、I T 機器を使いこなさなければ立ちいかない時代になっていることを、改めて痛感させられます。
■2/3 コブシが膨らみ立春
10日前に、雑木林から拾ってきたキタコブシの花芽が大きく膨らみ始めました。ただそれだけで、春の兆しが感じられるようです。今日は立春。留萌など日本海側は吹雪模様のようですが、太平洋側苫小牧は−6℃の空っ風が吹いています。外はかなり寒く感じますが、こんな日は薪ストーブの威力や大。3次燃焼をさせながら部屋は26℃あります。








■2/2 雑木林でソロ泊していたころ

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ace-book からこんな思い出の古い画像が送られてきました。そういえばついこの前まで、勇払原野にある雑木林の小屋で、こうして独り泊まるのを季節の習いにしてましたっけ。特に冬まつり、春まつりと称して、雪景色のなか、小屋を熱すぎるくらいに温めて、ろうそくと薪ストーブの灯りで、ビールとワインを呑む。ただそれだけで眠るのですが、朝は羽毛のシュラフでも寒いくらいに冷え込むのが常でした。原野と雑木林とそこに生きるすべての生き物たちをもっとも身近に感じる時間でした。写真右は窓の外の薪の上で冷やした白ワインか。
■2/1 ねずみ捕り

昨年の年の瀬あたりから、野鳥のエサを入れた袋が破かれ、正月には農薬オルトランも齧られ、大量に散乱したため、よしこれは駆除せねばと立ち上がったのが1月6日、かつて設置一日で捕まえたことのあるネバネバのネズミ捕り「ねずみホイホイ」をかけました。ところが、室温で組み立てた際にはあれほど粘着力を持っていたホイホイは、その後の寒の入りになって粘着度を著しく低下させ固化してしまったようで、写真のように足跡までつけられてしまいました。ネバネバの上を自由に動かれたら、わたしの行為は「餌付け」になってしまいます。ここで、設置3週間目にして、「はせがわ機械さん」からエゾシカの冷凍脂肉をもらい、最も信頼のおけるオーソドックスなネズミ捕り器を設置しました。さすがです、翌朝、本体18cm+しっぽという大きなイエネズミが掛かって、バタンと落ちる扉に挟まれて凍死していました。入りきらないほど大きかったことになります。こういう時、雑木林の藪はありがたいものです。隣の町内の藪の雪面に、トビやカラスに見えるよう置いてきました。ネズミは食べ物がなくなると、靴やププラスチックなどなんでも齧るため、釣りのネオプレーンや山仕事の安全靴も狙われます。だから早々に駆除しなくてはなりません。それと疫病対策もあります。これでひとまず安心ですが、複数いる可能性も否定できないので、あと2,3日はかけておくつもりです。
■1/31 季節を楽しむ

1週間前の山仕事の帰り片づけられた枝の先にふくらんだコブシの花芽を見つけたので、一枝を折って窓辺の花瓶に挿しました。こうすると、春を待つ気分がいや増すのです。また、昨年7月18日に採取したハスカップを8月末に播いた、あの実10個から、ざっと30ほどの芽が出て現在よく伸びて、いや、なんとなく生きています。肥料は与えていないものの、この伸びの遅さは、地質年代を生き延びてきたハスカップの秘密が隠されているのではないか。たとえば、条件が整うまでは休眠したままでいること、発芽しても急いで伸びたりしないで環境が変わるまで待つ、などです。これらも私と勇払原野をつなぐ糸のようなものでしょう。
■1/27 山岳雑誌『ケルン』

1933(昭和8)年に始まり、5年後60号で廃刊になった山岳雑誌「ケルン」。90年近く前のその復刻版全10巻を読み始めています。思えば、独身時代の最後のころに10万円で入手し、結婚後もローンを払っていたために家人に何かと糾弾される代物でした。それをゆっくり開く気持ちの余裕を得て、やっと腰を据え向き合いました。昭和8年と言えば日本に国立公園が生れ、志賀重昂の「日本風景論」や小島烏水の「日本山水論」などが出た頃で、人々を鼓舞するような時代背景のなか、「登攀記録、岳人紹介、山岳研究、随想、生物・気象などの自然研究、文学など」が投稿され、昭和13年60号で惜しまれながら廃刊になったもの。朋文堂の発刊で、復刻はアテネ書房。各編に流れる山や自然に対する敬虔さと文章の格調の高さには、思わず目を見張らざるを得ません。今日読んだなにげない、加藤文太郎の単独行の紀行をみても感性の新鮮さに読むのをしばし中断しました。そして、廃刊には編集部がこんな一文を寄せているようです。「支那事変起きてよリ本務は繁劇化し、『ケルン』に割きうる時間は激減した。今や近い機会にこの情勢の転化を見難きことが明らかになった。国はあげて長期戦下にあり、時局と共にわが山岳界の生長層が雌伏期に入ったこともピリオドを打つ上での一つの認識である」。1世紀ほどまえの先人の謦咳に触れ、ページを開くことにしり込みをしている自分がいます。
1/28追伸: 山のエッセー、紀行、省察はなぜか、昔から大変惹かれて読んできたのですが、特にケルンの格調は別格に見えます。それは書き手がすでに、人々の中の高みにあり、いわばこの雑誌そのものが「高い山」になっているからだ、と気づきました。桑原武夫、今西錦司、三田幸夫、松方三郎、西堀栄三郎、中谷宇吉郎、尾崎喜八などが並び、北海道の山関係者では加納一郎、坂本直行、伊藤秀五郎などAACH(北大山岳部)の各氏が名を連ねています。パラパラ読み進んでも1年で終わらない予感がします。

■1/25 薪の炎と似つかわしいのは、おしゃべりの対極にある
最近、「魂のタキ火」なる番組をタイトルに釣られて2度見ました。フジイフミヤとか宮本亜門などが焚火を囲んで語り合うもので、直観的に、ミスマッチだと判断しました。小道具として焚火はいろいろ使いではあるのはわかりますが、基本、「能弁」「おしゃべり」とはあまり合わない。だから道具立てとして間違いではないのか。親和性が高いのは「沈黙」「寡黙」で、コーフンとは合わないのだ。以前、雑木林の風景が見たいというので案内した客人が、林に入ってもずっと関係のないお喋りばかりしていて、げんなりしたことを思い出しました。それも一度や二度ではないのが面白いと思います。コーフンと寡黙。きっと、なにか大事な意味が隠されているはず。
■1/23 ふだんの山仕事とは

東京などでは4,5cmの雪が降るので対策を!などと予報されている厳冬期、勇払原野の雑木林では、写真のような山仕事が淡々、粛々と行われている。総勢11名。左は、なかなか達成感の得られない骨の折れるツル伐り、右はかかり木を大とびで引きずって片づけている所。
■1/22 庭のエサ台、やむなく撤去す

1/11 に書いた庭のエサ台の続報ですが、余りに無様なので程なく強力なナイロンのネットを用意して、写真のように囲い、スズメたち小鳥が入れるような小さな入口を数個もうけ待つこと3日。ところがスズメたちは、警戒して入り込まず、主の良かれと思った手仕事が不発に終わりました。そこでちょっとだけ穴を大きくしたところ、今度はすかさず、鳩がさらなる大群でやってきて無理やり入り込み占拠するようになりました。鳥に対してわたしより凶暴な?家人が追い払っても逃げません。ちょうどその頃、鳥インフルエンザのニュースが飛び込んで、家人は全面撤去を主張。しかしなんとか群がるのは小鳥だけにしようと、吊り下げ型2本に変更しました。大分前、千歳の蘭越にあるレストラン・ミオンでは、エサ台を大きな鳥かごに入れていました(写真右)が、あのようにして welcome モードをアピールするか、十分時間をかけて学習させないと、小鳥だけのエサ台は無理かなあ、とひとまず断念です。ヒヨドリやレンジャク、ツグミの大きさまで居間から観察したかったのですが、これは林に出かけることにしましょう。
■1/21 大寒と暖房と熱源
昨日 1/21 は24節気の大寒、72候ではフキノトウの花が咲く頃とされます。折からのこの寒波で全国的に電力の需給が98%などとひっ迫しているとのこと。特に本州では暖房に電気を使うせいでしょう。また太陽光パネルなどの発電量が落ち、気象に左右される再生可能エネの弱点が露呈することになりました。電力各社はLNGによる火力発電に力を入れているものの、中国や韓国との競争でこれは原料不足。もう少し原発を稼働させておくべきだ、との意見が聞こえます。電気という高次のエネルギーを暖房に使う勿体なさ(無駄)はともかく、もしかの時のためにエネルギー源はできるだけ分散しておくというのが重要だという鉄則がクローズアップされます。暖房が途絶えたら、寒冷地は「死」に繋がります。エコ先進地スウェーデンでも数年前の停電で国民生活に大打撃を与えたのを教訓に、「脱原発」の方針をやめた、というのがそれを証明しています。逆に言えば、薪のような身近な原料から、もっとも原始的な熱エネルギーを取り出す意味は、俄然浮かび上がってきます。しかし、買えば高い贅沢品であり、かと言って自賄いを実践するのは、言うは易く、行うは容易でありません。北海道の薪ストーブ愛好家は、今、そんな思いの真っ只中に居ます。そしてわたしたちの山仕事は、今が本番。
■1/19 薪の愉しみ、ゆらめく炎
拙宅の薪小屋をのぞいた近所の年配の女性が、「今年はハカイクっしょ?」と言います。「結構、冷え込みますから」とわたし。確かに年の瀬あたりから、薪の減り方が早いような気がします。この薪、早朝の焚き付け時や、家人が出かけた一人の時間に、ストーブの炎を見ていると、まさに独りであることをひしひしと感じさせます。炎は人を回想や内観に引き込むのではないでしょうか。そんなひと時、たまにオーロラのようなゆらめきに出会います。

■1/18 災害文学『方丈記』
を読む
阪神淡路大震災から26回目の追悼の日をはさんで、何度目かの『方丈記』を開いています。浅見和彦氏の解説を聞いて後、鴨長明の魅力に目覚めもしました。「ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。・・・」。この出だしで始まる文節の響き、意味とも、どうも今までとは違うのです。浅見氏のいうように鴨長明は「この世にとどまるものはない。・・・人間も住居も、すべていつかは消え果るものである」というのですが、長明が生きた約800年前、時代は、天変地異や疫病に見舞われ、戦が絶えず政情も不安定な、まさに厄災の連続で、大火や地震、辻風(おそらく竜巻)、飢饉(京都界隈だけでも4万人以上が餓死)、遷都など五大厄災が続くのでした。このようななか醸し出され、中世の特徴とされる無常観は、地震の多い、モンスーンの島国日本が持っていた必然だということに、この歳でやっと実感が切実になってきて、文明の進んだ現在と大きな違いがないことにも気づいた、ということでしょうか。文章の美しさもさることながら、長明の選んだ出家遁世、草庵の生活という生き方が少し共感が持てるのは、自分が終活を始めなければならない立場になった証のようです。
■1/16 林を巡ると

雑木林の除間伐に並行して、風倒木のマッピングを始める。これまで管理してきたフットパスを巡りながら、その位置をおとしていく。雪のある時期に、伐倒と玉切りができれば、春には搬出して薪に利用できる。除間伐はそのうち風倒木処理に替わるときが来るかもしれない。それだけ大木になって倒れやすくなっている。
■1/15 日本ファーストで
米国はトランプ政権になってから保守とリベラルの対立を軸に、政治バランスがかつてなく暴露されてきました。政界の腐敗、公然と選挙不正が横行して、かつメディアが無視して報じない国情も驚きです。ネットニュースしか真実は発信されていない感があり、目を凝らし耳を澄まして世界中が米国型民主主義の行方を見守っています。ともあれ日本はどうか。心ある人々は既存メディアと距離を置きつつ、日本の国益を棄損しない方向と言動に注目しています。国を任せられる方も大変でしょうが、任せる方も「もしもし、大丈夫ですか~」と呟かざるを得ないシーンが多いこの頃ですねえ。
■1/14 林真理子氏の対談を聴きながら

若いころ、「笑っていいとも」でよく茶化されてムキになっていた林さんは、名だたる文学賞の選考委員になったり、今や文壇の大御所と言うべき位置にいる。連載しているエッセーは大体都会のどこにでもありそうなおばさんネタだが、お茶飲みながらくつろぐ時などわたしにはちょうどいい。だが彼女の庶民的な低い目線はしっかり世間を見ていて、最近の美輪明宏氏との対談も、先輩を丁寧に立てながら面白かった。大意を紹介すると「スマホで知識を得るのは自分が卑しくなった気がする」(me too)、「まともな人は他人の悪口を言わない」(それが望ましい伝統的日本人の美徳)、「夜中にSNSで他人の悪口を書き込みをして貶め満足している人は所詮ろくな人でない」(最近特に目立つ)、などなど。「LGBTへの今日の理解は美輪さんあってこそ」とも言っている。SNSの一部は、相手が首相であれ誰であれ、匿名で自分を横並びにおいて罵ることのできる道具に成り下がった。「あんたはなんぼのもの?」という美輪氏の視点もオーソドックスで好ましく思えた。分をわきまえない無作法さは国会議員の質疑などにも表れ、世は虚ろなパフォーマンスに血道をあげていると言えなくもない。なんとか振り向いてもらい、認められたがっているのだろうか。

■1/11 無手勝流の鳩バリヤーや、いかに

ペットボトルを利用した吊り下げ型エサ台は一つでは物足りないし、二つでは小鳥の数は楽しめるが種類数のわりに餌代ばかりがかさむ(写真左はそのひとつ)、そこで今シーズンは右のようなオーソドックスなエサ台にしたのですが、これだと鳩が入ってきて占拠します。最初は2羽だったのが友達を呼んだのか、6,7羽に増えて、さらにこのまま増える可能性は否定できません。その間、スズメを主とした小鳥たちはレンギョウの藪で、じっと待機。これではいかがなものか、というので、テープでブラインドを試みましたが、それは鳩には全く効果なく、端材を打ち付けて当座しのぎのガード、それでもしっかり入り込むので、さらに段ボールをホッチキス止め。その結果がこれで、見るも無残なエサ台になってしまいました。
また、物置においた野鳥保護連盟の餌とヒマワリは、いつの間にかネズミが侵入したとみえ、食べ殻が見えたと思ったら、餌を入れた段ボールをかじって袋をこじ開けて食べ始めました。これはまずい、とネバネバのトラップをふたつセットしました。かつては翌日には生け捕りになったのですが、これが、もう4日目になるのにまったく掛かりません。さて、どうしたものでしょうね。


■1/10 書状をしたためる贅沢な時間

昨年、郷里の義姉が他界しましたため年頭のご挨拶を失礼しましたので、松の内が開けると同時に寒中見舞いを書き始めました。近年は年代がそうさせるのか、「来年から賀状を失礼する」というたよりが増えましたが、わたしは逆に100枚余りに減った年賀や寒中見舞いの書状を、先方を思い浮かべてビールやワインをいただきながら、ひと言を書き入れるという至福の時間を味わっています。作家の池波正太郎は、翌年の賀状を元旦早々から書き始めた、というエピソードを聴きました。気持ちはまさにこれです。ひと言で済まなくて、はみ出してしまう絵葉書など、素敵じゃありませんか。あんな風にありたいと思います。立春まで出せばいいというのもゆとりそのものです。一方、1/9は雑木林の初仕事でした。

■1/07 自己肯定感
森林セラピーに関わっていたころ、木に凭れて時間を過ごすワークショップで「今のままいいんだよ」という声が聞こえたという話をよく聞きました。一種の自己肯定感です。内観する時間に生まれる魔法でしたが、かつては祖父母が日常的に孫に送る「お前はいい子だ」というメッセージもこれに代わるものとわたしは見てきました。月刊誌「致知」2月号で、自虐史観の歴史教育と闘ってきた二人の教育者が子供たちの心の土台として正しい歴史教育を進めていくと自己肯定感が増すこと、この先生の歴史講座を、対人関係の問題を解決するセラピストが受講しに来ること、などの体験を対談の中で話しています。日本人が今でも掛かっている東京裁判史観では、自国を否定するドツボから抜け出ることは至難ですが、自己否定の根っこは、誤った史観を子供の時から教え込まれて信じ切っていることに尽きます。えらい、罪深いことを戦勝国の米国、連合国側に仕組まれたものです。このことに自分で気づいてここから立ち直ることは本当に難しい。かくいう当方も、読書などによってこの呪縛から逃れるためにずいぶん年月がかかりました。が、今、教育現場で戦っている先生方がわずかでもいて、子供たちのために奮闘されていることには光を見ましたし、救いを感じてしまいます。

■1/05 日本の風景、もう少し

24節気の季節ごよみは実に良く北海道にもあたはまるのが不思議。今日は小寒。寒さ本番とのご託宣通り、このところ毎朝-10℃を下回ります。昨日に続き、印象に残る歌壇の医療ケア3首プラスしましょう。
デイサービスフィリピン人の職員が誰か故郷を想わざるに泣く(2020/12 青森Yさん)…戦地に送られたというこの歌。士気が下がると懸念されるほど日本人の琴線に触れた。意味が分かれば異国の人の涙も誘う。
留守番の夫の話でもりあがる午後の病室秋すみわたる(2020/12 神戸市Mさん)…選者は夫の軽い悪口で盛り上がったと読む。目に浮かぶ。結句で夫との絆の固さも匂う。
われの手を握り励ます看護師の言葉やさしく瞳は美(ほ)しく(2020/12/牛久市Fさん)…男性が女性の看護師さんにこんな言葉態度で応対されたら涙である。立場替えたらできるだろうか、と。

■1/04 歌に見る日本の風景
読売歌壇俳壇を毎朝、何首か音読します。その作品ごとに風景が頭に浮かんでシーンが変わるから、頭の体操、いや情緒の運動にもなっているようです。感性の、と言ってもいいかもしれません。
後ろ手を組む齢となり雁渡る(2020/12君津市Kさん)…いつの間にか後ろに手を組んだ方が自然で歩きやすい。家人は年寄臭いから止めろというが。いいじゃないの、年寄なんだし(-_-;)
遠ざかるパトカーみたく母親に抱かれて外へ向かう2歳児(2020/12名古屋市Kさん)…通勤時代、JR千歳線の電車でむずかってなく赤ちゃんをすまなさそうにデッキに連れてきてあやす母親。魔の2歳児をテリブルツーと呼ぶらしい。「気にしなくていいよ、泣くのは赤ちゃんの仕事だから」。わたしもいつもそう声をかけたくて。
年賀状今年限りと決めたればつぎつぎ浮かぶ御無沙汰の友(2020/12横須賀市Kさん)…この頃は関係が終わらないのも不自然、と思いつつ、まだ継続中。しかしながら少しずつ、去る者は日々に疎し。

■1/03 源氏物語、その後
昨年9月からポツポツ読み始めた源氏物語(角田光代訳)は、上中下3巻の中過ぎ、450ページあたりに差し掛かりました。源氏物語でもっとも標高が高いとされる三十四、三十五帖「若菜」を終え、柏木に入ったあたり。光源氏が柏木と女三宮の密通を知り、一方、紫の上は病にかかり一命を取り戻したものの、しかし、きらびやかな光君の運命が崩れかけていきそうな下りです。その人間模様は各帖の初めに示される写真のような系図を何度も見返してたどりながら、ようやくその複雑な関係性を頭に入れて読み進んできました。作品を論評する素養は持ち合わせておりませんが、一言感想を述べれば「驚き」の連続です。描かれる人々はいつも「心を痛め」「涙を流して、泣き、袖を濡らし」てばかりです。1000年をさかのぼった日本の花鳥風月と人々の心理、情けの一端を、手に汗を握る思いで懸命にたどっているところで、見事というしかありません。まさに国の誇りと言えましょう。残すところあと900ページほど。

■1/02 しめ飾りと結界

年末28日に今年もシンプルな「ごぼう」を挙げました。各地で地方色豊かな注連縄ですが、「ごぼう」を初めてみたのは伊勢で、彼の地では通年これを軒に下げているようでした。大晦日のラジオ深夜便はデザイナーの森須磨子さんが注連縄のデザインについて語っていて、注連縄とは本来、家の周りを結界で囲って「年神さま」が降りるためにしつらえるもの、と定義しました。それをシンプルに玄関などにまとめたのが「しめ飾り」というわけです。北海道は稲わらのなかった時代、湿原のスゲが使われ、岡山では畳のイグサだったとか。年神さまが拙宅にお降りいただけたか定かではありませんが、スズメたちがエサ台に降りる前に、日に何度もこのレンギョウとイチイの藪に潜ります。邪気のない小鳥たちの行動は、見ようによっては小さな自然神にも思えてきます。

■2021/01/01 太平洋の初日の出を献上します

新年明けましておめでとうございます。日の出予定時刻の少し前、自宅から南へ1.5kmほどにある有明の海岸に行ってみると、例年よりもずっと多い人々が初日の出を待っていました。そこには、何か、庶民の心の奥底に宿る祈りのようなものを感じました。たった一日違いの初春を寿ぐ、こんな心のありようは、八百万の神々や土地に住まう神々と和み励まされつつ生を得てきた、日本人の共有するところでしょうか。旧年を離れ、けがれなき新年へ。今朝は、昼前に届いた年賀状のそれぞれに記された「ひと言」を、ゆっくりと玩味しながら、全国の友人知人のコロナ禍の今に思いを馳せる幸せな時間を過ごしています。今年もどうぞよろしくお願いします。