身近な林は美しく心地よくしなければ意味がない

NO.114
2021/04/03~


雑木林だより トップ
NPO苫東コモンズ トップ
雑木林&庭づくり研究室 home

なぜか、雑木林コモンズの原点を振り返る機会が多くなりました。筋道を忘れることなく、ぶれないでそこに戻って考える、そのもととなる一言は、「勇払原野の風土を共有する」という、パンフレットの冒頭で宣言してきた文言です。

もう一つは、美しい雑木林を創ること、再現すること。
そもそも、わたしたち市民が緑との接点を失ってしまったのは、身近な林が、汚く荒れて、見通しの効かない、ちょっと不安な、不快昆虫の巣窟になってしまったからでした。

もっといえば、そこへ行けば癒され、新しいアイデアも湧き、芸術の芽も生れるような、胸も膨らむイヤシロチではなく、真逆のケガレチになってしまっていることでした。

ケガレチをイヤシロチに変えていく林のガーデニングが進めば、必ず人々は林を見直す・・・。そして癒される場を求めて人は林を友にできる・・・。森林(の)美学(を求め)、森林(で)健康(になり)、森林(で)感性(を豊かにする)、これらの宝の要素を目の前の雑木林に発掘する必要がある・・・。

長い時間をかけてそんな実験をしていると思うのですが、さて今、それはどの辺まで実現できているのでしょうか。



山仕事、夏バージョンへ

2021/06/26 sat 晴れ 22℃
oyama kawai kai kawamura kusa tomik migita seki wada +2 = 11 persons

■適温だが山仕事には暑い



霧の日が少し多い胆振地方の初夏、ようやく厳しい日差しとなって、昼は毎年のように木陰にテーブルを移動した。薪ヤードを団地から見ると、写真のとおりかつての雑然さを消した。整然と並び始めた薪商品のおかげだ。若手新人らの活躍による。その一方で、雑草がグングン伸び始めた。

oyama さんの薪小屋づくりが滑り出し、かたや薪小屋は薪で埋められ始めた。しかし、土台が不安定で、十分な沈下時間をみずに、さらに色々な積み手が交代で関わったせいもあり、しばしば崩れてやり直し。今日のアフターケアはtomik さんとkawamura さんが担った。半ば以上積み終わった後の傾斜は、「あて板」でしのぐことにして応急処置。

■ハルニレは割りにくい



migita さんの薪割り作業に顔を出すと、「この木、なんの木ですかあ?」と声がかかった。見ると、あの割りにくいハルニレである。遠浅の北はずれの牧場からもらい受けたハルニレだと告げると、びっくりしていた。

油圧9トンの破砕力をもつ薪割り機ホンダウォークPLV/9Tも、エンジンがうなり時折難儀することがあるが、実は木の粘りや固さはシリンダーを圧縮した瞬間に木材とエンジンの音で一発でわかるもので、今日の木はどうも割りにくい、何だかおかしい、と感じたようだった。わたしは自宅でまさかりによる初のハルニレ薪割りをすでに体験していたので、話がよく通じた。

このところ、油圧のオイルが漏れる、とmigita さんから申し出が続き心配されていたが、oyama & tomik 両氏が再度チェックしたところ、オイルの入れすぎで給油口から溢れているのが原因だとわかった。オイルが漏れているのではなくて、入れすぎて「溢れていた」のだ。

たしかシリンダーの故障で2,3年前に全体を部品交換したばかりだから、シリンダー油の漏れは考えにくいことも判明。みんなが帰ってから両氏はシリンダーの受け手側にある刃のバリも修理。

振り返れば、薪割り機も万能でなく、かつても十字刃が曲がったり、節(ふし)のひどい曲者を無理やり割って、苦労したことがある。あのうなり音を聞いたら、だんだん無理な丸太は割らずにパスするようになった(そもそも林に捨ててくるようにしている)のだが、まだ、この方針は行き届いていなかったかもしれない。このことはオペレーターに引き継いでおかねば。薪割り機を優しく扱うのはなんだか不似合いのようだが、必要なことだ。

大量のドロ薪づくりを前に、メーカーにもすでに故障の原因究明と部品の照会を平行して進めていたが、オペレーターもやっと了解し、照会はめでたく不要になったことになる。こうやってひとつずつ、step by step で片づけていかねば。まずはやっと一件落着。

■刈り払いと風倒木処理



刈り払いも少しずつ進んでいる。チェンソーや燃料など道具一式を一輪車に積んでフットパスを巡り、wada さんは6月初めの風倒木を片づけた(↑写真右)。林の中は風がなく、むんむんだったから、ヘルメットを脱いだ時は上気していて、今日はフットパスで迷子になったと言っていた。

左の画像は、本日6/26 現在のフットパス1回目刈り払い終了ルート。ここまでつなぎで延べ4人で正味は1人工。あと2人工もあれば1回目は終わる。刈り払いは薪積みなど他の作業と同様、行動的冥想である。そう思えば、ひとりの単純作業もとても愉しい。

蚊はいない。スズメバチに注意し、ヒグマの痕跡なども目で探しながら進んだが、大丈夫だった。

*今年余った9棚の薪のうち、一棚を、長沼でパン屋さんを開業する石川さんらが軽トラで運びに来た。どのくらいの薪を使うか未定なのだというが、ざっと腕で束の大きさを示したのをみると、わたしの家の1日の消費量の2倍程度だった。ということは10立方から15立法、これを1年で倍ということだから、薪代だけでも大変だ。ちなみに残りは5棚。なんとか、顧客を見つけたい。


目前の生き物のドラマで世界を忘れる
  
   ~今日の山林雑事報告~

2021/06/19 sat 曇り 16℃
abe-aki oyama kai kawai kusa nakam & s tomik migita seki = 10 persons

エゾヤチのファミリー

新緑が夏緑に変わって、万物が活発に動き出した感あり。毛虫、甲虫、チョウチョ、セミなどなど。

土地所有者によるトラクターを使った広場の刈り払いをしてもらう前に、そろそろ散在する薪ヤードをコンパクトにしておく必要がある。

それで朝一番、、kawai さんのポツンと離れた薪ヤードの移設作業をしていたところ、最後の薪を取り払ったところに、ビニールロープの切れ端で作ったネズミの巣が出てきて、成獣と思しきネズミが逃げ出した。

かと思うと、6,7匹の子ネズミがハチの巣を散らすように飛び出してきた。体長3cmほど。秩序なく逃げる光景に気を取られて、撮影するのを忘れ、撮った写真が左。映っているのが逃げ遅れた子ネズミだったか、今となっては不明。

ところで、古い薪棚をいじると、このビニールロープは巣材としてお気に入りのようで、あちこちで見つかったが、ファミリーがいたのは初めてだった。薪片付けを手伝っていた数人は、うずくまってこの光景を見ていた。kawai さんによれば、エゾヤチネズミとのこと。木材の腐敗、土壌、決して美しいものではない。そこには樹皮と材の隙間が昆虫などの生き物を育む混沌がある。しかしそれを鳥たちもあてにしてくる。生存がかかったその連関。ふと思いを馳せるひとときだ。

ややした昼過ぎ、この跡地のネズミたちはどうしただろうと見に行くと、親子とももう目に入らなかった。
テントに戻ったその時に、「トビだ!」というoyama さんのの声に空を見ると、わたしが見に行った件の場所からトビが飛び立ったところで、なにやら足には大きめのモノをつかんでいた。

親ネズミだろうか。生き物世界はなかなか厳しい。昼休み、食物連鎖だとか、輪廻転生などの声も聞かれたばかりだった。日本はコロナ禍や五輪、世界はG7が終わって米国、イラン、中国もろもろ、相変わらず難題山積だが、ネズミごときで簡単に世界が吹っ飛んで忘れてしまう。(-_-;) 

■この頃のヒグマの動きから

札幌では東区の市街地にヒグマが現れ、市民にけが人が出た。恐らくヒグマはパニックになったのだろう。後ろから人を襲う風景はリアルすぎた。これをみて、これまでにない近接感や恐怖感を抱いた人も多いのではないか。

実は苫東のエリアでも1カ月ほど前に、柏原の北はずれ(TOMATOHマークのあたり)で体長2mのヒグマが目撃されており、そこはコモンズの薪ヤードからは直線でわずか1,2kmあるかないかの至近距離である。

もういつどこに出てもおかしくない。静川の小屋などはヒグマの通り道のど真ん中だ。だから、1人で林に入るときはクマスプレーを携行するようにしたい。

また、札幌の出没を見ていると、ヒグマの移動ルートの重要な部分は、石狩川などの河川のように見える。考えてみれば、今、最も安全なコリドーは河川と河畔林なのだ。

苫東でヒグマがいきなり海岸に比較的早く現れるのも、高速道路や企業のバリアで経路を阻まれたヒグマが、昔のルートを替え、ウトナイから勇払川沿いに移動して海に至るのではないか。ウトナイから室蘭本線の線路沿いに来て遠浅川沿いに移動することもあろう。

カヌーで下ってみると、勇払川、安平川、遠浅川とも、水深はかなり浅い。1mもなく時には30cmほどなんてことも少なくない。安平川の河口に至ってはカヌーが水底を摺る。かつては、大島山林でヒグマの心配をした記憶がなかったが、河川がメインのコリドーが確立しているとなれば苫東内移動は縦横無尽になっているのではないか。だから、近年は大島山林はクマと会わない、などと言ってはおれない。

結局、古くて新しいテーマ、「ヒグマとの共生」にたどり着く。今回の札幌の事故で、あらたなフェーズに入ったような気がする。少なくとも人間側がさらなる心構え、覚悟を持つ必要があるようだ。「ヒグマを減らす」、だがこれはなかなか言いにくい。

■薪小屋増設に着手



今年のちょっとした作業計画のうち、『ハスカップとわたし』の教育機関への寄贈は、6/18 に全道84箇所に送って一段落し、今週、薪小屋増設に本格着手した。

薪小屋は、一昨年から分譲用ばかりでなく内輪の薪ストーブ利用のメンバー用にも使い始めたのがきっかっけで、いっそのこと、薪小屋は薪ストーブメンバー用に確保し、毎週少しずつ自宅へ搬出移動できるようにしようと相成ったもの。(そうして連休過ぎにはカラにする)

先週あたりから、oyama さんが風で倒れたカラマツを縦引きして加工し始めていた。先週わたしはoayama さんの構想に基づいて、柱材となるカラマツ、アカエゾマツ、トドマツを物色しておいたので、今日はabe-aki さんを伴い、目当ての丸太に蛍光テープの目印をつけて処理を任せた。

静川の雑務を終えて戻ると、oyama さんのカラマツはタイコに挽かれ、一部は角材に加工されていた。abe さんによるアカエゾマツ丸太もkawai さんの応援もあったのか、もう建設予定地に積んであった。玉切りも薪割りも薪積みも、みんなバラバラに仕事を進めて一歩ずつ達成する図は、実に壮観だ。

先々週あたりから手掛けてきた崩れた薪の積み直しも一段落して新たにブルーシートをかけ始めたから、薪ストック体制は徐々に整いつつある。今後は、ドロ薪など新たに搬入された材の薪割りも進むから、それらをどう配置するか、担当の面々を決めることから始めねば。

■薪を集めるスピード考と「美的な薪調達のススメ」



薪ヤードの片付けの一環で、nakam さんが育林コンペゾーンで伐った丸太の仮置きも、刈り払いの済んだ広場に移動した。手前が、nakamu さんにクサビを使った2種類の伐倒をコーチした時に発生した丸太で、2時間ほどで倒した4,5本。これを連休前後に玉切りし、軽トラックで一往復したもの。薪にぴったりの素性だ。

向こうはわたしが昨秋、腰をかばいながら合計数時間で間伐・玉切りし、連休に運んだ約1棚。こうして並べるとわかるが、1年分の2棚の薪を手に入れることは実は、さほど難しくないのだ。わたしのサイクルタイム試算によれば、間伐による伐倒から薪割りまでで1週間もあれば2棚の1年分が可能だ。

これは、現在のように、みんなで間伐してみんなで割って配分され入手する薪に比べると、実は愛着がひと味もふた味も違う。自分の実力、働きも正確にわかる。だから、育林コンペで自賄いしようよ、と声をかけているのだが、残念ながら、誰もやる人がいない。

まあ、勤め人として現役世代ばかりだから無理はないが、いずれ、この方式に移行すれば、その時こそ薪ストーブライフは極めて「美的」になるのではないか。

薪ヤードは、かくして次第に整頓されつつある。migitaさんコンビの薪割りも間もなく終わる。ドロ薪づくりも佳境に入り、先が見えるようになった。そこへkai さんが新車の黒い軽トラで乗り込んできた(写真)。軽トラは薪ストーブライフの理想の道具だ。働いた分だけ、着々と薪にしていく楽しみは格別だから、条件はそろったというべきか。そういう時、往々にして足りないのが時間である。時間、金、体力と生命、3ついずれも満たされるのは、古来、稀だという。

■リーフレット、補修



今年のもう一つの課題は、大島山林の作業用簡易トイレである。当初計画では、写真のような落ち葉で分解させる、天井のない「leaf-let」(リーフ・レット)を広場にも作る予定だった。

が、昨年までの奥の作業テントのフレームを片づける必要があるのと、そのフレームを活用したフットパスサインの懸案もあることから、写真のような板材ではなく、ブルーかグリーンのシートにしようという案が出ている。トイレの分解は落ち葉を活用にするにしても、だ。

その方(トイレもパイプ使用)がいいかもしれない。oyama さんのサイン造作の構想案もちらと拝見したので、それも含め、簡単で、見栄えのいい新型サインも間もなく具体化するだろう。リーフ・レットⅡ(2号)だ。



わたしは、これらの作業に使う材料一式が、静川の小屋にどの程度残っているかを確かめるため、トビのネズミ事件を見てすぐ、車で小屋に移動した。

ここでの仕事はもうひとつ、閉じて倒れてしまった壁面を開き立て直し、ドリルで木舞と貫きを補強する仕事もあった(上の写真右が修復後)。

今年の残る課題は、サインの修復、「雑木林と薪ストーブエッセー募集」である。フットパス刈り払い、薪づくり、研修会や総会は、粛々淡々と実施見込み。


樹木の脱水する速さ

2021/06/14 mon 晴れ

一か月で3分の一の水分が飛ぶ


丸太を焚き付け状に割ってちょうど1か月後、束の重さを計った。

樹種      5/14丸太重量    5/26   6/14  1カ月で脱水された水分%
ドロノキ
       9.4 kg        7.0 kg   5.9 kg      36.2 %
ミズナラ        8.8 kg        7.4 kg   6.8 kg      22.7 %
ハルニレ       11.3 kg        8.4 kg   7.6 kg       32.7 %


ちょっと驚くようなスピードだ。ドロノキの場合、12日で1/4の水分が蒸発し、1か月で重さは2/3 になった。春に伐った丸太が秋には猛烈に軽くなっていた記憶が数字で示されたことになる。

水分計はあまり宛てにならないので測らなかったが、含水率はもう10%以下、つまり薪として十分使える状態になったのではないか。割った直後の水分計は38%を示し、1か月後、36%が脱水されたというわけだから。すぐにでも燃やしてみたいところだが、あと2週間、1か月後と重量測定をしたいので、7月14日の結果を見て、火をつけてみよう。


「ドロ薪」あらため、「雑木薪」に昇格

2021/06/12 sat 昼までは雨、午後から晴れ
abe-aki oyama kai kawai kuri kusa nakam tomik & m migita seki = 11 persons

■雨の中、なぜか止めずに働く


小降りで始まった作業は本降りになってもストップしなかった。今年、濡れても寒くない初日だったかも。

玉切り、薪割り、フットパスと薪ヤードの刈り払い、薪積み・・・。



そのほかに、薪小屋追加のための部材づくりも(左写真=カラマツ風倒木を利用して)。

時折、テントに出入りすることはあっても、雨のなか、休まず昼を迎えた。内からと外からと両方で濡れた。11人総出で各々の仕事を進めて、さすが達成度が高いと痛感。




■発想の転換で「雑木薪」として扱う

この春入手し山積みされていた土砂付きの丸太は、少しずつ玉切りして、2列で0.5立方mの販売用ユニットを作りつつ、口コミで顧客をあたり一部はすでに分譲を終えた。また、ドロノキの薪をこの夏のキャンプ用に乾燥して販売できないか、水分の抜け具合を測定しながら試作品も作った。



しかし、現実を直視すると意外なことがわかり、見通しが甘かったことを実感するようになった。それは、

①ドロノキが圧倒的に多いと見ていた丸太の山を実際に玉切りして見ると、ナラ材が2~4割近くある。当初目立っていたドロノキは均してみると多くなく、1,2割程度か。→ 質を悪く見過ぎていた。これなら雑木薪に近い

②キャンプの薪需要はすでに動いていて、先行するサプライチェーンで国内外から供給され、しかも廉価販売競争。乾燥が進みドロ薪がもしも販売可能になっても、あの丸太の山をさばくには間に合わないし、そんな需要もキャッチできないはずだ。
→ この売り方では売れない。広葉樹の薪を再評価

それで早々に方針の転換。『ドロ薪という差別化名称を撤回し、従来の「雑木薪」として扱う』

来年春に分譲する薪は現在手掛け積み始めているもので、雑木薪としてこの6月に薪割りと薪積みを完了する。現在の薪ストーブ会員(8名)と買い取り用(4名)に24棚は最低限確保し、残は分譲用に回すことになる。

7月以降は、当初のドロ薪に全力を投入し、まず玉切りを継続、次に薪割り、さらに、ドロノキ、ナラ、ハンノキをできるだけバランスよく混ぜて2.7立方mの棚を作っていく。これは再来年の5月に身内分配と分譲ができるように準備する・・・。

以上が、立ち話で構想してたどり着いた新しい取り扱いである。こうすることで、今季の除間伐は、前期のような多少生産歩留まりの悪いツル伐りを含む保育になっても、出材の心配はいらなくなる。また、これまでも話題にしてきたように、風倒木周りなどで、小面積皆伐(20m×20m程度)を2か所ほど、候補地を見つけておくことにしたい。

■新しい巨木発見


大風による風倒木調べと枝拾いの途中、いままであまり気に留めていなかったミズナラの大木に気づいた。写真撮影は2回目になるかもしれないが、今日はアピールが強烈だった。直径80か90cmの暴れ木で、根元から分枝している。大風の圧を分散させながら、倒れる気配がない。

殺人的落ち枝

林道は、大小の落ち枝で拾い出したらキリがない。刈り払いも枝拾いをしながらだからとぎれとぎれとなる。今日は雨の中、ドロノキと広場に至るコモンズ担当分を刈り払いした。苫東コモンズのエリアに顕著な、地面に突き刺さった名物(迷物)「ミラクル落ち枝」も枚挙のいとまなし。

その中でも、殺人的なミラクル落ち枝に遭遇した。

安平町のNPOとの刈り払い境界を確認するため、ドロノキのシンボルツリーに行くと、写真のような「ミラクル落ち枝」に出会ったのである。太さ10数センチで写真左のように、杭と見まごう形で突き刺さっていた。

両手で抜いても抜けない。しばし、ウンウン唸りながら回転させ抜き出したのが写真右で、長さ60cmあり、うち30cmが地面に潜っていた。




重さも数キロあったから、もしこれが頭にでもぶつかったら、間違いなく即死か大怪我。歳取った雑木林、過熟状態の広葉樹林は、かくも枝を落とす。だから大風の時は林に入らないだけでなく、散歩時、あるいは伐倒時も、地面だけでなく上方の枝にも気をつけたい。





*落ち枝は写真のように左右で形が違う。かなり腐朽したもので樹皮が一部で剝がれている。奥に立つのがシンボルツリーで、このドロノキはかねてから大小の枝をボツリボツリと落としてきた。危険なため、一度、プロにツリークライムによって枝を落としてもらったことがある。

老齢化熟の雑木林は落ち枝に注意。


の貯め癖を見直す

2021/06/10 thu 22℃ 快晴

■薪入手の自信と焚き付けの充実

北海道では暖房は贅沢ではなくライフラインだから、燃料はあればあるほど安心するようなものだが、薪の場合は3年以上も貯めすぎてボケてしまった人もいるし、置き場所がないと嘆く人も少なくない。

おととい、家で薪を割っていると、「もう薪は要らないんじゃない?」と家人に言われた。家庭円満の秘訣は婦唱夫髄と悟っているので、発想を切り替えてもう今季の薪ストックは止めることにした。

省みると、リスの貯食でもあるまいに留まるところを知らないまでに貯めすぎるキライがあり、打ち止めサインが必要だと気づいた。晴林雨読のわたしの日常であれば、「ストックよりさばくことが得策」と悟ったのである。今の環境なら、耳を澄ましアンテナを掲げてさえおれば、薪はいつでも手に入るからだ。

これからは薪そのものよりも、スムーズな燃焼に移行するための数種の焚き付けだ。薪長者から焚き付け長者へ、というシナリオだ。名著『薪を焚く』でも、長時間の燃焼に備えて色々な樹種を蓄え、かつ一部には欧州トウヒのような小割の焚き付けを用意すべし(写真)、とのたまわっている。まさにそのとおりで、これからはアカエゾマツやコブシの焚き付けづくりに移行しよう。先日、昔の山仲間に段ボール二つの焚き付けを送って喜ばれたばかり。お礼のメールには「まるで新聞紙のような塩梅で,従前のストーブ立ち上げ時の苦労・ストレスがほぼ解消されました」とあった。
これは去年送った「ミックス焚き付け」への感想だった。


朝一番の打ち合わせと森林巡回

2021/06/06 sun 晴れ 22℃
kusa wada   2 persons
遠浅自治会 2名
NPOポラーナの杜 8名

アイリス公園の刈り払いの新しい担い手と管理連携のための立会




アイリス公園の刈り払い担当が、安平町の「NPOポラーナの杜」に決まり、作業初日の今日、9時に入口で自治会、NPO、そして苫東コモンズの3者で待ち合わせをして、作業の境界や内容について確認した。作業は自治会から地元NPOへの委託という形をとる。万が一、地元で誰もいなければ、苫東コモンズが引き受けざるを得ないと覚悟してその旨関係者にお伝えしていたが、そうならないですんだ。

冒頭、コモンズ側からは大型マップを前にして、大島山林の管理の枠組み、保育とフットパスの関係、それと大島山林の苫東計画の中の位置づけなどお話した。若いNPOのメンバーには、初めて内容がわかった、と喜ばれた。

これで、地元自治会はもちろん、観光協会や「みんなの家」、そしてポラーナの杜というように、身近な関係者との顔つながりが増して、理想的な利用に一歩近づく気配がある。

■大風の後の林内を見回る


打ち合わせが終わって、wada さんと軽トラで林内を回る。おびただしい大小の落ち枝に軽トラは揺られっぱなしで、ところどころでは停車して太枝を除去した。

やはりチェンソーを持参して切らねばならない所も数か所あり、これは来週の仕事に回す。なかには、懸案だった掛かり木が倒れてくれた、というラッキーな場面もあった。左の写真は倒れたネガエリの上空。穴がぽっかりと空いた。

元々腐れが入っていたところから折れたものも2,3見かけた。wada さんは、こんなもので済んだのは事前に保育間伐していたからではないか、とおっしゃる。町内会の人でもあるwada さんとはここでお別れする。

わたしはせっかくだから昼前までの短い時間、自宅用の薪棚に薪を積んだ。しかし、「待てよ、楽しい仕事は後日に残しておこうか」という気持ちに替わり、プリウスの後部座席を倒して荷台にして、今季5回目になる薪の小運搬をして帰途に着いた。


高齢者風のマイペース、一見バラバラの作業風景

2021/06/05 sat 晴れ 16℃
abe-aki abe-e oyama kuri kusa migita = 6 persons

里の山にはいろいろな仕事がある



広い山林を十全に管理しようとすると、実に色々な仕事があるわけで、それをリタイヤした人たちが中心になってうまくこなそうとすると、そこには自ずと年配の人らしい仕事の作法がにじみ出てくる。

よそから見ればだれ一人として同じ仕事をしていない。唯一、薪割り機担当のペアだけだった。ナラのドングリ苗畑の草取り、フットパスの初回の刈り払い、薪割り、ドロノキの焚き付けづくり(試作)などなど。この外に、大風による薪棚ビニールシートの張り直し、倒れた薪棚の積み直しも。これらを前日夜まで掲示板にメモされる段取りにほぼ沿って、思い思いに進められる。各自、何をすればよいかがよくわかっていて、無理なく進むのはいい。

ただ、このところ、若者側に故障者がいて、今日はドロノキの玉切りをする人はいなかった。ややがむしゃら風にやってくれるパワーがないと、あの無造作に積まれた雑木の山は片付かない。それを欠いたから、今日はやや静的な仕事が多かったかも。それらがなにひとつ、余計なものではなく、今、不可欠なことばかり、というのが面白い。

■コモンズの放課後は「ワラビ採り」



2時半から、希望者3人で、この春最後の「コモンズの放課後」としてワラビ採りに出かけた。と言ってもほとんどワラビ畑状態の場所であるうえ、そこに車を横付けして取り始めたから、30分もして終わった。

先行して採った人の痕跡があるが、それでも十分。昨年は5月30日だったから今年は少し遅いが、新緑やコシアブラの伸びなどを見ても今年は春の進行が数日早いような気がする。

広場に戻ると、刈り払いのabe-e さんも戻ってきて、薪割り班も一緒に夕方の歓談。

薪づくりはファミリー行事

2021/06/02 wed 晴れ 16℃
kusa & wife

■夫婦で自家用薪を割って積む




連休に息子に手伝ってもらって育林コンペゾーンから運び込んだ丸太を、今日は家人に手伝ってもらって薪割り機で割った。先日一人で1時間余り割ったので、今日の2時間余りと合わせて合計3時間以上かかったことになる。

昨年秋の育林ゾーンでは、1時間ほどの小刻みの仕事を数回しただけだったから、ほとんど障害を持った老人のようなわたしでも、これだけの薪を自賄いできることがわかる。

このあと1年以上乾燥させて、来春自宅に運び、その秋にストーブにくべる、という長い時間を想像すると、なんとまあ、間の抜けたような、常識的には時代のスピードとは逆行した手間かと呆れてしまうが、そこに親子や夫婦が関わる小さな達成感があることにも気が付く。その両者が釣りあい、あとの温もりまで考慮すれば、プラスマイナスで大いにプラスだ。昼は青空の元、テーブルでコンビニ弁当。



午後からoyamaさんが顔を出して、ドロ薪づくりに取り掛かった。連休前から続いていた土日の公有林巡視活動も終えたようで、これからはこちらにも注力できそうだ。実は平日、メンバーがこうしてちょこちょこと作業をしてくれていたせいだろうか、あの雑然とした産廃の山のような風景が、少しこじんまりしてきた。薪のユニットが並び始めたせいもある。

いよいよ今週から「ドロ薪づくり」本格始動だ。

《気づいたこと、これから手配したいこと》

①ドロ薪の制作で残される枝の量は多いはず。これを集め、安平町の消防と掛け合って、揚煙行為として許可を取り、燃やすことができないか。

②家人が、薪棚の間の雑草の地面に「オオスズメバチ」を発見した。これからのフットパス刈り払い時のことも考えて、スズメバチに刺された際の応急措置、キットを揃えねば。

③アイリスの池の周辺は今年から安平町のNPOが刈り払いを行うと聞いているが、シンボルツリーの周りのオオウバユリは刈り残してくれるよう、青いポールにピンクテープをつけて打ち込んできた。wada さんに頼んで、主旨が伝わるよう連絡したい。オオウバユリは刈り払うと真っ黒に枯れて、シンボルツリー周りの風景が壊れるからである。

丸太から薪へ、その間の乾燥速度

2021/06/01 tue 快晴
solo-work


■脱水の量と速さ

ドロノキの丸太は、これから割っても薪として夏休みの焚火に間に合うのか‥。

この疑問を解くために、実際に丸太重量を計り、大体2週間おきに水分の抜け具合を調べようと思う。
途中結果は、下記の通り。ちなみに割ったばかりの材の含水率は、3樹種とも、38か39%だった。


左は小割した後の試料の3種。右はドロノキ。

樹種      5/14丸太重量 kg    5/26 kg   脱水された水分%
ドロノキ        9.4            7.0         25.5
ミズナラ        8.8            7.4         16.9
ハルニレ       11.3            8.4          25.7 


ドロノキの場合、わずか12日の間に4分の1の水分が出ていった。驚くべき速さだ。これは持った時にすでに直観したとおりだ。実際、「お、軽くなった」と感じたのである。かつて、春先に間伐した丸太を、秋に持ち上げたときに感じたそのままである。この状態が進めば、あと1か月、簡単に火が付く「焚き付け」になれるかもしれない。

なお、今回は焚き付けを念頭に置いたために、小割りしたが、薪ストーブ用の薪としてはもう少し大きめに割るために、乾燥のスピードは鈍るのではないかと思われる。


ハスカップの社会的風景

2021/05/29 sat 雨



4月末に取材のあったハスカップがトップ記事として特集されているJR車内誌が届きました。原野の自生ハスカップの遺伝子構造や由来から、栽培、お菓子への加工、機能性食品としての働き、そしてその歴史など、ハスカップの持つ素顔を6ページにコンパクトにまとめられ、苫東コモンズもしっかりと端的に紹介されています。サブタイトルは「奇跡の果実を分かち合う」。そこにハスカップを取り巻く社会的風景が見え隠れして、今号も、ライター北室かず子さんの筆が冴えます。web でも掲載され閲覧できますが、5/29 時点ではまだ5月号。同じこのリンクURLで間もなく6月号が紹介か。

*朝からしっかりと雨が降っていますが、数名は薪ヤードで仕事していると連絡が来ました。晴林雨読をモットーとしている当方は、ちゃっかし早朝から読書三昧。あのマルクスがコモンズに言及している本で、ナルホドとついつい読み進み腰が痛くなってきました。


駆け足で濃くなる新緑、そして
        それを愛でる人、来たる

   
        
2021/05/25 tue 晴れ
solo-attend guest 5


■感性が創る雑木林リゾート


学生時代に山登りをしていたクラブの先輩諸兄が、苫東コモンズの雑木林の新緑を見に来た。林の風景は全員に絶賛され、アンタハシアワセダ~、と口々におっしゃる。この林がどのように長い時間をかけてこうなったかをすぐにわかっていただくのは極めて難しいし、積まれた薪がどのようにか弱い人間の手間で出来上がるのかも、もちろんわかってはもらえない。

ただ、ここの雑木林の美しさへの共感は一瞬だった。そしてそれだけでも十分。かつてヒマラヤを目指したアルピニストも、老いてはウラヤマに憧れ、ウラヤマニストになる。
合掌

*半世紀近く、勇払原野の新緑と紅葉を観察していると、もっとも美しく新緑らしいたたずまいを見せるのは、5月25日、紅葉は10月25日と、ほぼ毎年たがわずにピークが来るとわかりました。だから、よそからお客さんをお招きするときはこれらの日を軸にして来たのでした。

今年はというと、新緑のもっともいい日は数日早まっていたかもしれません。それも不思議なことに、2,3kmしか離れていない遠浅と静川でも、海にやや近い静川がナラの開葉が遅いように見えました。

こんな日は、ピーカンの日照りよりもやや曇っていたり、霧がかかっていたりする方が落ち着きます。イスに座ってチェアリングとしゃれこむのも好くて、気持ち一つで「雑木林リゾート」が出来上がるのです。思えば、このアングルで、春夏秋冬、どれほどの画像を貯めてきたでしょうか。


雑木薪、あとは積むだけ、しかし・・

2021/05/22 sat 13℃ 小雨
abe-aki inaba kai kawai kusa tomik migita seki = 8 persons

■昨シーズンの薪は、ほぼ片付きかけた





このところ、薪割りと薪積みがもっぱらに進んでいる。まず、薪小屋の7つのユニットを埋めながら、外の野積みでも2つめに入っている。migita-seki コンビの薪割りはあと2日が必要に見える。それで、「雑木薪」の薪割りがすべて終わる。あとは積むだけ、という段階に入ると実はホッとするのである。ゆっくり愉しみながら積むだけだから。

しかし、今季は6月早々から、「ドロ薪」の玉切りと商品化に励まねばならない。

①ドロノキ、ハンノキ、ナラが適度に混じったユニット(底辺3m、高さ1m、奥行0.7m)の0.5立法三角型ユニットを量産 →手掛ける人は厳守のこと(そうでないと誰かが2度手間で調整しなければならない)
②乾燥具合をチェック(草苅が自宅でフォロー中)
③ドロ薪の焚き付け試作(abe-aki さん挑戦再開)
④営業と分譲販売

という壁のような課題が残っている。6月上旬から、平行してフットパスの刈り払いも始まる。

■コモンズ休暇「川エビ」を終える

風土堪能の一環で、今季は川エビを食してから山菜に入った。その冒頭に思いがけないサクラマスの差し入れがあったから、彩りがひとしおであった。今日の川エビ採集で、希望者にはいきわたった。で、これでもう引き上げることとした。

結果、狙える場所は1河川だけだった。安平川本流は農薬汚染だろうか、幹線排水路も含め、捕獲できず採れそうな気がしなかった。弁天沼周辺の排水路は来年チャレンジしてみるつもり。

捕獲はやはり、当初目論んだように、ひとりひとつずつ自由に仕掛けて勝手に採取する方向がいい。というのも、わたしは毎週仕掛けを確認して少量ずつ採集することが義務化して段々と感激が薄くなり飽きてきてしまったからだ。が、これではいけない。(-_-;)

山菜や旬の収穫は、採る動機と過程こそ大事だと思うから、そのアプローチが楽しめなくなっては元も子もない。来シーズンはさてワクワクできるだろうか。収穫と言えば、ほぼ経費を掛けずに仕掛けを作れたこと。そしてかなり詳しい専門家が周りに複数いたこと。このネットワークと、すぐ始めるわれわれの行動力は大事な宝だ。

ところで、コモンズ休暇といっても、例年、お昼と3時からの山菜摘みを、1時間早めた2時からスタートしただけだ。こうすれば、夕方遅くならないうちに帰途につくことができる、と踏んだのであった。でも、決して早上がりにはつながらず、時間が増えた分たくさん採ることになりかねないのである。

それにやはり、山菜は時間に制約されずに、ひとりで気ままに歩くに限る。たくさんの種類が、周りにあり過ぎる勇払原野の春は、次から次へと毎週あわただしすぎる。みんなで採ろう、などというのは余計なお節介というものだった。

つまるところ、コモンズ休暇は、まだ勇払原野の恵みが未知だった方々への、ささやかな入口へのお誘い、イントロだったと思えばいいし、確かにそのほうが本来的でお互い気楽であることがわかった。


風景と旬の食を独占する快感

2021/05/20 thu 16℃ 晴れ
solo-work

裏山的共有地のようなところで




苫小牧は住宅地と林が隣接しているマチなので、どの町内も裏山的なスペースがあり、比較的自由に行き来することができる。それらは支笏湖や定山渓方面まで連続する大森林地帯だから、苫小牧というのは臨海都市であるばかりでなく、「臨森林型」だと、わたしは犬の遠吠えのように言ってきた。そんな土地柄であるから、林や川の好きな人にはこたえられない。

特定の企業の民有地や北大の研究林などのように、盗難やごみの不法投棄、山火事などの危険と不安からネットや塀で制限されていることもある。が、ほとんどはフリーパスである。

わたしの棲む豊川町の裏山は、山椒の丘とも呼ばれ、もうすぐ実山椒を採りに行く頃合いだ。写真(コシアブラと清流)は豊川の隣の有珠の沢町で、ここにも数年間住んでいたことがある。その裏山は地元の人が水を汲みに行く伏流水の出口(落ち口)があり、ここを水源とした川が有珠の沢という写真の清流である。湧きだして数キロで苫小牧川と合流しすぐ海に落ちるが、水が地上にでたばかりの上流は、若い雑木林を蛇行しながら透明な流れが下っていく。小さな淵にはアメマスのような魚もいた。

この蛇行と新緑風景は絶品で、ここではコシアブラを好きなだけ採集できる。といっても採る量は知れているのだが、地元の人はタランボは採ってもコシアブラをとっている人はいない。だから荒れたカラマツ林のコシアブラはわたしが毎シーズン独占しているようなものだ。

いつだったか、「何をとっているんですか?」と年配の方に聞かれたことがある。「これこれしかじかのもので、天婦羅や炒め物にしても非常に美味しい。少し、おわけしましょうか?」と薦めたことがあったが、その方はあっさり辞退した。このあたりでは、余程の山菜好きでなければコシアブラを食する習慣はないのかもしれない。本州ではネット販売が行われ、amazonでも見ることができる美味食材だというのに・・・。

わたしもヨブスマソウやイラクサ、ショウマ、ブドウの芽などまで食べたことはあるが、スドキやコシアブラ、ボーフーなどの定番からいつしか外れてしまった。今年は4月初めにフキノトウに始まり、アイヌネギ、アズキナ、スドキ、ボーフー、ミツバ、タラノメ、コシアブラと続き、これから山椒とワラビとなる。この間に海のサクラマスと川エビを食する幸運も得た。できれば弁天の浜で、フライを駆使してサクラマスを釣ってみたいと、出し風をまっているところである。

■独占と共有

山菜の世界では、市井の人々は自分だけの秘密の場所というものをしばしば持っていて、ほぼ独占できるということが、限りない安心感となっている。山菜だけに限らない。風景や空気もそうである。ヒグマやキツネ以外、人も寄り付かないようなさびしい場所でも、誰にも邪魔されず「独占」できる喜びは快感に近いが、言ってみれば「節度ある理想の共有」とはややかけ離れたエゴの世界である。

ただ、わたしが声をかけて断られたように、人々がアクセスを辞退するのだから、エゴとばかりは言えないかもしれない。関与する人口の密度がゆったりしている証拠で、これは風土とともに生きる田舎の特典だ。大きな都市の周囲では、ヤマメやイワナがいなくなり、アイヌネギは小さくなって、コモンズの悲劇のようなことが起きて久しい。

清流がめぐる若い雑木林の風景も、旬の味と似て地域の宝に見える。この地もゴルフブームが去って、辛うじて残されたが、民有の雑木の山というのは、開発予定地として常に風前の灯のようでもある。トラスト運動でも立ち上げてかけがえのないこの地を買い取り、清流とともに残したい気持ちは今もあるが、どうも歳をとり過ぎた。


2021年、新緑

2021/05/19 wed 曇り 15℃ 風有り
solo-work & 若きゲスト1名

■始まったばかりの新緑の中で巻き割り&コモンズ対話


今年も素晴らしい季節がやって来た。5月末の10日くらいで、開葉から夏の葉に変わっていくから、そのグラデーションを楽しむなら毎日鑑賞するに限る。

今日は育林コンペのゾーンで昨年秋に間伐して連休に搬入した丸太を、薪割り機でひとりで割った。もちろん仕事ははかどらないが、急ぐ仕事ではないから心は穏やかだ。帰りには、昨年作った薪をプリウスの荷台に乗せ、自宅の薪棚に運んだ。どうやら、今年も薪長者だ。余分なお金はないが、薪だけは使い切れないくらい潤沢だ。(-_-;)

午後は、北大の公共政策大学院でコモンズ研究にとりかかろうとしている若き研究者からヒアリングを受け、いろいろ意見交換した。林を歩きたいというので、案内した。雑木林の新緑の美しさにはいささか驚いた様子だった。




郷土種「ドロノキ」とその利用

2021/05/17 mon 雨のち晴れ

■緩衝緑地造成の主役になったドロノキ

昭和51年、大学の林学科で研究生を一年過ごして、苫東会社へ入社した際の採用背景は、国家的プロジェクトである「苫東開発」の緩衝緑地づくりがあった。プロジェクトを所掌する北海道開発庁、そしてその現地実行部局である北海道開発局が苫東の緩衝緑地造成を進めるための基礎データを得るために、火山灰台地、湿原、海岸地帯の3か所にそれぞれ2.4ヘクタールの緑化試験地を設け、その造成から試験調査までを第3セクターの苫東会社に5年がかりで委託したのがきっかけだった。3か所の試験地で、各々の立地条件に合わせて植栽した樹種は10数種で、各地に共通する基本樹種はドロノキだった。ドロノキは勇払原野の郷土樹種と目されていた。

つまり、風の強い、樹木の生育にとって条件が悪いこの地では、早く大きくなって丈夫なものを柱にして、その背後に寿命の長い樹種、例えばアカエゾマツやミズナラなどを植えるという構想であり、それが実際に可能か、その際はどのような土地改良をすればいいのか、というのが試験のねらいだった。その柱となる樹木として郷土樹種・ドロノキになってもらうというわけである。

■オランダとドロノキ

ドロノキをメインにするというのは、水位の高いオランダの緑地づくりも同じようなことをしていた。外周にドロノキの防風帯を作り、その内側に装飾性もある樹木を植えて公園化していくのだった。また、オランダの木靴はこのドロノキを材料にしていた。確かにホオノキのように軽く、見た目は桐のような木目に見える。

この緩衝緑地の基本樹種を確定する試験、つまりドロノキを用いて10年で高さ10mの林帯を創るという命題は、一応可能である旨の結果を得ることができた。植栽後ほぼ50年に達したドロノキは今も柏原の試験地で直径約40cm、高さ13,4mの大木に育ち健在である。

ろくに勉強もしてこなかった自分が、勇払原野という風土に触れながら、ここに根を張り多くのことを学ぶことができたのは、幸運だったとつくづく思う。ドロノキの思い出は尽きないほどある。もともとヤナギの仲間がそうであるように、評価の低い樹種で、かつ、ここにきて薪としては最悪のような扱われ方になりかねないので、せめてやや縁のあるわたしだけでもドロノキの味方になって、なんとか上手な活用策を探してみたいと思う。

■ドロノキの臼とゴッホ

ちなみに、勇払原野では、植苗あたりにかつてマッチ工場があったと言われ、その材料がドロノキだった。また、苫小牧市静川や厚真町共和あたりでは、餅を搗くための臼はドロノキをくりぬいて使っていたと古老に聞いた。大径木になり、軽いというのが評価されたのかもしれない。また、静川のつた森山林には通称「ドロノ沢」という地名があって、ここにはドロノキが純林を創っており、いかにもドロノキが好む環境という風景だった。

ドロノキのいわれは、泥を連想する向きと、もうひとつ、ドロノキの材がそもそも珪砂のようなものを含んでいて、製材する際にたちまち鋸が切れなくなる事例が示すように、材そのものの性質がある。

ドロノキというとオランダをイメージするようになったが、四年ほど前に開かれた道立美術館のゴッホ展で、ポプラの造林地の絵を見つけて喜んだことがある。ドロノキ造林地は試験地などもあってわたしには見慣れたものだったが、ゴッホはポプラ(恐らくドロノキ)のどこに魅せられたのかは不明だ。よく見ると林の中にはカップルが立っていて、おそらくポプラの木立の中を散策している図か。ともかく、オランダは干拓の歴史からヤナギ類の位置づけが日本とはかなり違って高いということを知るのみである。

それほど何の変哲もないものだ。ただ若いころの思い出をたどると、わたしはドロノキがあまり好きでなかった。というのは、少しくねくねと急速に伸びる姿勢が精神の異常にどこか似ていないかと感じていたからだった。

また、宮沢賢治の『虔十(けんじゅう)公園林』という童話で主人公の虔十が造林した木がドロノキだと長い間思い込んでいた。ある時改めて調べてみると、植えたのは「杉」だった。精薄でバカにされていた虔十のことを重ねてみると、わたしはドロノキになにか精神の強弱のようなものをかぎ取って脈絡をつけたがっていたのかもしれない。

■さて、ドロノキとどう付き合う?



さて、大量のドロノキが届いてから、この扱いをどうするか、苫東ウッディーズ内部でもしばしば議論になった。とりあえず、薪サイズに玉切りして、勇払原野ブランド「雑木薪」よりランクを下げた扱いで、薪として売りに出そうということになった。マッチの軸木になるくらいだから、スウェディッシュ・トーチなどを制作するのももちろん、視野にある。

また、一般には焚き付けも付加価値が高く、高値で流通しているようだから、できるだけ付加価値の高い用途に振り向けるのが得策になる。そのため、世間で取引されている事例と単価を、関心を持つメンバーと調べ始めている。

記憶によれば、ドロノキの比重は伐採時にはナラとあまり遜色がないが、数か月もすると驚くような軽さになっていたように思う。ということは含水率は短期間に著しく低下するのではないか、ひょっとすると、小割りにすれば、夏のキャンプ時まで十分薪として使える含水率にならないか・・・。そんな思い付きからさっそく実験に取り掛かった。

5月14日、ドロノキとミズナラとハルニレの直径約20cmを選び自宅の庭に運び、木口と割った内部の含水率を記録した。これを割って1か月後、2か月後と水分の推移を見るのである。

《5月14日の含水率》
ドロノキ (木口)28% (内部)38%
ミズナラ (木口)27% (内部)39%
ハルニレ (木口)18% (内部)38%


伐採はこの冬でありながら、割った内部は、特にドロノキの場合、水にぬれたようにべちゃべちゃしていた。水がしずくとなって落ちるような、そんな状態だった。これらをマサカリで大割りし、次にキンドリング・クラッカーで小割りして写真のような状態で乾燥させる。これでまず1か月でどれほど乾燥するか、経過をみたい。


午後からスドキ採り

2021/05/15 sat 13℃ 晴れ
abe-aki inaba kai kuri kusa nakamu-f&s tomi-k\k&m migita seki = 11 persons

■キャンプ用の薪試作



キャンプ用の薪を売ってもらえないか、という照会があったので、乾燥した雑木薪製とドロ薪で作ってみることにした。今日はまず、雑木薪から。

abe-aki さんの発案で、ちょうどオイル間の外周が90cmになることから、ここに割った薪を入れて、隙間を小さな端材で埋めながら針金で縛る(写真左)。4,5個をまずこれで作った。これなら焚き付けとして販売も可能だが値段はまだ決めていない。ちなみにネットで焚き付けを探すと、13kgで3,500円もしていた。これだと1500円ほどに相当。キャンプ用として、コメリでは外周75cmの一束が税込み723円だった。来週は、ドロ薪で制作予定。別途、わたしは自宅で乾燥スピードを計る試験に着手している。

6/5 に予定されていた安平町観光協会の山林散策イベントが、コロナの緊急事態発令で中止になったが、関係者のkawai さんが見学に来て、しばし薪積みを手伝ってくれた(写真右)。

また、ガラクタ置き場になっていた薪小屋の7番目の空間ユニットを、tomik さんが片づけて正規な薪小屋に変わった。積まれていた薪のなり損ねの端材は10袋あまりあって、これは薪ストーブ愛好メンバーが、なかば強制的に引き取ることとなった。

■山菜シーズンの本格的開幕を祝い、午後からスドキ採り



スドキが10cm以上になったようだ。丁度いい大きさなので、午後から休業としてみんなでスドキ採りに勤しむこととした。早春の雑木林は実に気持ちがいいから、命の洗濯だとわたしなどは思う。帰宅後食してみると、実に柔らかい。1分ほど茹でたが、アクの強いスドキに慣れた家人は、「茹ですぎて風味が薄い」とのたまう。

この日は、うまくいけば静川小屋周辺のコシアブラも採る予定だったが、ちょっとした遭難騒ぎがあって、コシアブラは見送り、その代りにボーフー採りのために弁天浜へ。そこでもかなり採れたが、こうして見ると、「浜ボーフーは乱獲でなくなった」という噂は嘘だったようで、毎年そこそこ継続してある。釣りやサーファーがこんなに来ているのに誰も採っていないようだ。それはそれで大変よろしいことである。

多岐にわたる山仕事と愉しみ

2021/05/08 sat 晴れ 14℃
abe-aki abe-e urabe kai kawamura kusa migita nakam-f & s tomi- k&m wada = 12 persons

陽気にテーブルを外へ出し、三密よ、さらば



新しいメンバーが増えてから、薪ヤードの管理も含む色々な雑務も余裕をもって分担してこなせるようになった。主力メンバーは、①ドロ薪づくり ②雑木薪の薪割り に邁進中だ。

このほか、③新人のabe-aki さんを育林コンペに案内し、この秋に伐採届を出す予定の場所を見せた。
④中村さんの育林コンペの丸太の玉切りを応援し、軽トラで広場へ搬出。振り返れば単なる伐倒のレッスンの発生材だったから、思ったより少量だった。しかし質のいい手ごろなナラだった。

5/7にはoyamaさんが、⑤古いテントの奥にある玉切り済み丸太を軽トラで運搬していると連絡あり。今日わたしが広場のヘリに残された残材を集め、草地にはみ出したウラキ枝条を林内に移動。

■萌芽したナラは食害ゼロ、跡地はシラカバ一色



シカの食害試験地を見に行くと、ミズナラらしい旺盛な萌芽の切り株が、無傷だった。食害の痕跡はなし。「あくまでシカの密度と食料のバランスだから安心はできない」と梶先生は言うので気は抜けないが、穴(ギャップ)を作った後がこのような更新をしてくれれば雑木林の維持に問題はない。しかし、やはりシカの食害はヒヤヒヤだ。

意外なことは、昨年春までは約1000平方mの伐採跡地が一旦は実生のキタコブシ群落に変わるだろう、と読んでいたのが、現場はシラカバが密生していた。本数をカウントしてみると、平米あたり10本ほどあるから、ヘクタール当たりでは10万本ということになる。これまでも皆伐跡地でウダイカンバやカラマツやイヌコリヤナギの密生を見てきたので驚くには足りない自然現象なのだが、まずは朗報ということになる。

■跳ねる生命をいただく意味



午後、今日の川エビ担当グループが「大漁!!」と言って戻って来た。小さなパレットをみると、枯れたヨシの茎の中に、なるほどエビがいて跳ねている。先週もわずかの川エビを分けて持ち帰ってもらったところ、ご家族から「生きている川エビが可愛そうだ」と言われ、川に放流したというエピソードも聞かれて、そうか、確かにそれもありだなあ、と思う。

飛び跳ねる川エビには、まさに「これぞ生命!!」という躍動感があるのだ。小さいが、まぎれもない命のパフォーマンスである。食べてくれるなよ~という叫びにも見える。

その反面、家族が闘病中の方に届けたら、大いに喜ばれてすぐ上の右のような画像が LINE で贈られてきた。重病の宮沢賢治のもとに、健康を願ってコイか熊の肝が持ち込まれたのを賢治がそれを食するのを拒んだ、という宗教シーンが思い起こされた。

一方、いい加減なわたしなどは、ちょっとすまないなあ、と心の隅で思いつつ純粋に旬の美味に舌鼓を打った。当方は努めて季節の旬のものを活きのいいうちにいただくことにしているが、というのも、人生の晩年になって活力の衰えつつある自分の身体に対し、日々の養生だけでなく大地の恵みを、土からも海からも川からもおすそ分けしてもらう気分でいるのだ。

失われてきつつある「気」を補給するのだ、とも聞く。いつも連想するのが、水上勉のエッセー『土を喰らう』である。合掌して畑の野菜をいただくのである。そこに酒があったような感じを、わたしは連想し自ら率先して目指している。


My forest から丸太を運ぶ

2021/05/04 tue 晴れ 12℃
solo-work (with son)

勇払原野はまだまだ肌寒い早春の候。薪小屋の頭上にあるサクラやコブシ(写真右)がようやくほころびかけて、毎年の暦のめぐりを知ります。5月4日、長男が帰省したのを待って、早速、昨秋に少しずつ準備した丸太をタウンエーストラック(積載750kg)で広場に運び込みました。これには3往復を要しました。

秋はすでに股関節の調子が悪く重量物の持ち上げと歩行が困難だったため細切れな作業だったので、実働は1日もあったかと思うほどでしたが、集めてみた風倒木の丸太は意外にこんなにもあった・・・、とうれしい誤算。

昼前に今度は割り薪を積んで自宅へ。薪小屋の5列のうち、2列で荷台はほぼ満杯になり、午後もう1往復。あと1列は1人でなんとかやるつもり。

薪ヤードには入れ替わり関係者がやってきて、kawamura さん夫妻が2トンのボックスで薪運び、tomik さんが育林コンペから丸太を運んでのち、薪割り。やがて、休暇で渡道したOB会員のtuduki さんが来て歓談。メンバーに今年も知多半島のお土産を預かりましたので、週末、テントでいただきましょう。

まもなく薪小屋や薪ヤードは、古い薪のほとんどは姿を消し、新しい薪に入れ替わります。恒例の新旧交代ですが、やや残ってしまった薪をどうするか、活動資金に替えるべく最善の対応を考えねば。


とここまで書いて、待てよ・・・、苫東コモンズはこれから事業毎に分担制というのはどうか?採算性はともかく、例えば薪の販促を担当するセクション、新しい保育エリアを決めていく部門、広報、コモンズ休暇担当、調査研究、フォーラムと研修、助成を受けるの準備、・・・。せっかく多彩なメンバーがそろってきたので、そうだ、存分に力を発揮してもらうために、これはいいかもしれない、これはコモンズの転機だ、と、ふと。


里山に、5月らしいにぎわい

2021/05/01 sat 晴れ 12℃
abe-aki abe-e urabe kawai kawamura kai kuri kusa tomik & m wada = 11 persons
薪運び関係者は計8名。

■薪の搬出始まり、薪積みが追いかける



4/30 から薪の運び出しが始まった。薪割りが進む傍らから、薪小屋を明け渡すのである。明日も恵庭グループが搬出する。


薪小屋に積む人、広場に積む人、てんでんバラバラに仕事が進む。笑い声も息抜きの声も交じる。初めて広場の薪積みを担当したkawamura 夫妻は1時間半ほどで1棚完成。

ドロ薪の玉切りは5人が着いた。廃棄物のような丸太群の見栄えを早く改善するために、最も団地寄りのところから始めたため、相当なチェンソーのエンジン音が団地に響いた。直近でよく林にもくる奥さんに一応、お詫びの声をかえてみたら、まったく気になりませんよ~とのご返事。近所付き合いは大事にしたい。

一方では、残り少なくなった「雑木薪」の薪割りも進行。まだ、旧ブルーテントの奥にふた山ほど丸太が残っているので、薪の量は例年に劣らないかもしれない。昨年の薪が9棚が売れ残り、そのほかにドロ薪である。これは生産過剰に陥ること、必至になった。全員で営業をかけよう、とお願いしている。

■この秋の保育エリアを歩く


abe監事に軽く財務報告の内容を伝え打ち合わせてから、わたしはこの秋に手を掛けたいエリアに行って林の様子を見ながらスノモの搬出ルートにあたりをつけるため歩いた。

行ったところは10年近く前に札幌ウッディーズにも手伝ってもらったところで、やはり荒れ放題には見えないのでホッとした。ここは当分このままにして、むしろ、今年の続きをシンボルツリーのドロノキ方面に進む方が順当かもしれないと思い直した。

ここも大木がない訳でないが、幸い風倒木は見当たらない。。

最近は本州における広葉樹林の保育指針として、「大木にしてはいけない」という考えが進んで勉強会なども行われている。発端はナラ枯れである。経緯や内容は忘れたが、里山が放置されて老齢過熟木となったナラが順次枯れていく現象をさしたように記憶する。

カシノナガキクイムシが原因とされてきたが、この経過は里山の放置も含めて、北大の学生のメモがまとまっているのでリンクさせておこう。昨年秋、初めて北海道の道南での被害が報告されている。

ここ苫東では広葉樹の大木が早晩風で倒れてしまうので、根上りを発見したら、あらかじめ伐倒し、周辺も含め小面積皆伐のようにして天然更新を図ろうというのが考えでいる。本州のナラ枯れとは別の理由で「大木にしてはいけない」。でも、大木はあってほしい。ずんぐりむっくりの大木なら風のベクトルをほどほど分散させて倒れないかもしれない。今年の保育地の北端にあるコナラはその点、注目だ。

■コモンズ休暇、今日の分

今日の川エビ試験採取は、不漁で少量だった、やはり餌は必須であること、かつ1週間放置した方が良さそうなことがわかった。時期は今頃でOK。わずかとはいえ、かき揚げなどには十分なので、tomik さん、abe-e さんで分けてもらうことになった。順次、希望者に回っていく予定。餌のさらなる増量も検討事項だ。



帰途、勇払近くの通称「弁天海岸」に出て、浜ボーフーの様子を見た。昨年は、6月の声を聴いてから出向いたところ、葉っぱが大きく伸びすぎていた。今回は、白い茎がまだ伸びていない。葉っぱが小さいから探すのも大変だ。

今は使わなくなった、かつての名門「カドタ」のピッケルが、ボーフー採りに便利で、適当な長さで持ちブレードを打ち込むと、根と茎の境目から収穫できる。

海岸では視界に、6人のアングラーの姿が目に入った。そばによって聞いてみると、サクラマスねらいで、ミノータイプをちょっと沈めながら引いていた。濁りが強いので駄目かもしれないという。ここでサクラを狙っているとは知らなかった。バックヤードが広いので、ダブルハンドを振ってみたい気もする。釣れなくても、十分風土にひたれるのだ。

JR社内誌の取材と軽トラ4台分の薪提供など

2021/04/24 sat 晴れ 12℃
abe-aki abe-e urabe kawai kawamura kuri kusa nakam-f tomi-k&m wada = 11 persons

■JR社内誌の取材受ける


JR社内誌のトップの記事を担当するライターの北室かず子さんから連絡があって、午前中、6月号のハスカップ特集に向けた取材を受けた。2019年3月に当NPOが発刊した『ハスカップとわたし』を読んでおられるので、「ハスカップ全書」とも呼ばれるこの本の出版が、薪会員に薪を分譲した貯わえで出したことをご承知なので、薪割りに携わっていたメンバー全員が薪の前に陣取り、集合写真も撮った。雑木林とハスカップという異色の組み合わせは聞いたことがない。さて、どんな特集に仕上がるか。

現地は、つた森山林のハスカップ移植地、ハスカップサンクチュアリ、勇払原野を一望できるポイントの3箇所を案内して、昼過ぎに広場に戻った。

■今年2件目の薪材の引き取り



遠浅の牧場主&会社顧問の照井さんから、薪の提供があり、migita さんから軽トラ2台をお借りし、昼過ぎ、wada さん、urabe さんと3人で2往復した。牧場の一角に菜園を借りているwada さんが、冬の間に伐倒したハルニレとクルミの木で、周辺には開拓のころに残されたと思われる大きな樹木の一群があって、気持ちのいい牧場風景が望まれる。

facebook で、本州の薪ストーブ愛好家の「薪調達」で苦労する様子を見ているわたしは、このような丸太提供を、何とも北海道らしい恵まれた環境だと思わずにはいられない。私たち苫東コモンズの薪ストーブ愛好家は、このような提供とは全く別に、ほぼコンスタントに保育による発生材を毎年入手できるからだ。

これらは口コミのネットワークと、フットワークと、そして迅速で確実な伐倒テクがモノをいう。それに加えてコミュニティや組織同士の信頼関係のようなものもあるだろう。

表面上、なんの問題や不都合もなく進んでいるように見えるコモンズの維持の背景にも、やはり微妙な信頼関係とふだんの情報交換、誠意ある振る舞い、そしてそれに対する土地所有者からの信頼がある、ということは余り知られていない。

これは、実は結構微妙な関係でもあり、不誠実さでいとも簡単に壊れかねない、危うい面も持っている。事実、壊れた例も身近にある。信託を受けたつもりで自重を要する由縁でもある。

■ミーティングが行われるようになった背景と成果

このごろは、朝一番に誰からともなくミーティングのような立ち話が行われる。新しいメンバーがほぼ定刻前に来てくれること、また、まだ勝手のわからないこともあり段取りを必要とするからで、結果的にとても風通しが良くなっている。そしてこのミーティングが一日をけん引することになる。

もちろんこれまでも、昼食時などは運営に関する意見交換や打ち合わせをして来たから、今に始まったわけではないが、新しい若いメンバーが加わると、やはり活性化する、と言われる、まさにそんな雰囲気がある。

今日も、土砂のついたドロノキ丸太(写真、以下、ドロ薪)を、値段の張るカーバイト・ソーチェン(約9,000円/本)で伐る代わり、切断部分の泥を「タワシ」(125円/ケ)で落とそうという作業がスタートしたが、マサカリで薪割りを続けるメンバーの中から、「一日マサカリを振るのは疲れるから、午前と午後に分けて、薪割りと玉切りを混ぜよう」という声があがり、次週から段取り変更と相成った。

注文のあったドロ薪2立法mを手掛けたabe-aki さんによると、この原始的な方法でも2回目立てをして事なきを得たというから、買わざるを得ないと覚悟していたカーバイト10本分の約10万円近い予算が浮いた。

また、川エビのドウは道の規則に違反するようだという声が上がった。調べてみると、道の漁業調整規則第36条により知事の許可が必要になる、とある。というわけで、遵法精神にのっとり、試験採取で止めにすることとなった。

考えてみれば、百戦錬磨のオジサンオバサン達であり、あらゆる方向から知恵が集まりやすいのはコモンズという組織にとって大変ありがたいことだ。前項で述べたような善意と誠意ある行為の結集になれば、ますます堅実な展開になる可能性を持っている。


川エビの躍動  ~季節と歩む旬の味~

2021/04/21 wed 晴れ 11℃
solo-play

■やはり、今だ。ウトナイ湖の川エビ漁





勇払川にかけたふたつの川エビネットを回収しに出かけた。

一つ目のドウ(トリカルネット製)はやや浮き気味で、かつ入口がゆるかったのか、川エビはたった1匹、横エビも1匹。これは不発だったか、とやや落ち込みかけたが、ふたつめを揚げると、ピチピチ跳ねる川エビが数10匹飛び出した。童心に戻って心臓が踊る。この躍動を見ると、川エビ漁の旬はやはり今だった、と確信する。

30年以上前、ウトナイ湖南岸のアウトレットで、川エビ漁から帰って来た舟の、川エビが満杯に入ったカマスを見せてもらったのは、たしか、マガンや白鳥が北帰行に飛んだ直後の、肌寒い早春だったと記憶していたのである。その記憶をもとに川エビ採集プロジェクトを始めたのが3月中旬だった。試行錯誤して、それからひと月あまり、いよいよ、川エビのから煎りを食する。今日は小量だが、漁が本格化すれば収量は上がるだろう。

勇払原野の季節を満喫するための試みを山菜から甲殻類や魚類の味覚まで広げての初収穫である。前浜のホッキはフキノトウといただいた。またクロガレイが今、豊漁のようで、今晩はクロガレイを煮着ける予定だ。川エビは、そのわきに主賓クラスの待遇で居場所を与えられる。

帰り際、ふたたびドウを川に投げ込む際に、8mmほどの鉄筋のダボをタコ糸でネットに縫い付け重しにして、湖岸ギリギリの川底に埋め込んだ。これで次回はさらなる収穫が期待できる。また、早々にあと10個ほど採集ネット「ドウ」を増産し、アウトレット下流に落とし込もう。そして収穫はメンバーとシェアしよう。


行くべきか、行かざるべきか、My 里山的逡巡

2021/04/17 sat 曇りのち雨  8℃
abe-aki oyama kawai kusa tomik migita seki = 7 persons

■出かけるのを戸惑う天気だった


数日前から雨の予報で、雑木林に出かけるのは半ばあきらめていたのが、雨雲レーダを見ると昼頃までは持ちそうな様子。わたしの携帯には「今日の作業はありますか?」という主旨の照会が6つあった。

ほとんどが新しい会員だった。古い人はもう慣れたもので、エイヤと割り切り、やめたり、あるいは出てきたり。どうも最近はとりあえず出てくる人の方が多い。それほど、各地(苫小牧の白老寄り、マチなか、札幌方面、江別、厚真、そして地元遠浅)の天気が結構バラバラで、かつ、雨雲が消えることが多いために、判断することが難しいのだった。

だから、ルールは作られていないままである。つまり、「今日の作業はあるのか、ないのか」の判断を事務局はしないことにしてきた。唯一、ネットの掲示板に、仕事の段取りや天気概況などをアップするが、どっちみち、足並みは乱れるのだ。だから、各自テキトーに判断し、天気が納まるころに出てきたり、逆に早く帰ったり。テキトーは結構面倒である。

(ちなみに、山仕事する古老に「出戻り3分、〇〇8分」とか聞いたことがある。出面取りの日銭計算の不文律であり、〇〇の中は「雨」だったような気がする。雨で途中で帰ることになっても日当の80%は払ってあげよう、というものか。)

古いメンバーたちは恐らくそこを自己判断、自己責任にしている。わかりやすく言えば、自分の裏山のような里山に出かけるのと同様、山周りや山菜偵察も愉しいし、もし雨が降っても傘をさしてフットパスを歩くのも有りだから、基本、無駄足ということがない、ということだろう。

当然、独りで作業をすることも厭わない。独りの作業はわたしもかなり好きだから、平日の勤めをリタイヤしている当方はなおさら平日もくることが少なくないが、危ない掛かり木の処理などはしないように心がけてきただけである。

という訳で、行くべきか、行かざるべきか、これは、「My 里山的逡巡」と割り切りたい。豪雨でもなければやってくる人の方が多いこと、そして何か手仕事を見つけて片づけていく方も多い、ということだけは言えそう。里山はやることが実に多いのだ。換言すると、その細かい気遣いが、あたりを「里山化=イヤシロチ化」する。

■山持ち感覚の山案内

10時過ぎまで待ってから、育林コンペのゾーンや雑木林の小屋を見ていない新人のkawai さんを平木沼緑地に案内した。彼は大面積の社有林を持つ山持の、将来を嘱望された社員で、森林を所有者側の立場で考えることの多い、コモンズ内の稀有なひとりで、多分、コモンズの意味と危険さを一番肌感覚で理解してくれているはずだ。

案内の目的は、この秋以降、「自分の山」「My 雑木林(forest)」を受け持つか、現場を見せて打診することだった。彼の返事によっては、あらたに伐採届を出して11月から除間伐が可能なように準備するのだ。

「是非」、彼は即、そう返事した。後にもう一人の新人abe-aki さんにもメールで打診すると、こちらも即決のゴーサイン。kawamura さんはabe-e さんのゾーン、nakamura さん、urabe さんはわたしのところに合流する。

これで決まった。「苫東コモンズ」の派手なビブスを着て、一斉に山仕事をする風景がこの秋から見られる。



写真左=雨の中、残り少ない薪割りの小回りを掛け頑張る、migita-seki コンビ。
写真右=静川の小屋の階段にあったタヌキ?のフサフサの毛皮。棒でひっくり返すと、内臓など本体はなかった。正体は不明。

 


サクラマスのお昼

2021/04/10 sat 晴れ 8℃
abe-aki abe-e urabe oyama kai kusa nakam-f&s tomi-k&m migita seki = 12 persons

■薪割りにサクラの小宴





雑木林のフクジュソウが終わり、ナニワズが咲き始めた。サクラにはあとひと月近くあるが、一足先に家の中で開花した大島山林のサクラの切り枝とともに、サクラマスが届いた。サケ・マスの専門家 urabe さんのご子息(学生さん)が春休みを利用して日本海に大遠征してキャッチしたサクラマスだ。「蟹工船ならぬ鱒工船で送り出した独航船」からの冷凍便が届いた模様。素晴らしい親子のコンビネーションだ。

サクラを配して1枚、浅い酢飯に盛りつけて1枚、これを nakamura さん差し入れの「伊勢海苔」で手巻きずしにしたり、生チラシ風にして頂いた。アニサキスは−15℃以下で2日冷凍すれば死滅するなど、安全な食べ方のミニ講義が、いつしか食当たり自慢となって完食。鱒の筋子の醤油漬け、アラ汁も。早朝からの仕込みにも感謝しつついただいた。

■遅ればせながら、ユニフォームのビブス着る



今日から、懸案だったユニフォームのビブスを着用した。フリーサイズで1着1,500円。web で注文してデザインと決済のやり取りをして3日で山梨県は甲府市の会社から届いた。

これは苫東コモンズのフィールドの作業時に、わたしたちが土地のオーナーである「苫東」から信託を受けて活動していることを証明するものとして、計画していたもの。特に、育林コンペゾーンのように、一般市民も往来するところで効用を発揮する。日頃の活動においても、安全作業喚起の一環にに役立てたい。当然ながら、オーナーや地域からの信託を受けている自覚がついて来る。ビブスそのものは軽いが、責任はやや重たい。


延々と続く薪割りと風土共生の展望

2021/04/03 sat 曇り 7℃
abe-aki abe-e urabe oyama kai kawai kusa kuri nakamu-f&s tomi-k&m migita wada seki = 15 persons


■薪割りは行動的冥想


山仕事は、除間伐の伐採作業から薪割りに移行した。玉切りをする人、機械で割る人、マサカリで割る人のほかに、奥の林に置いてきた丸太を軽トラックで運ぶ人などなど。メンバー15人で昼のテントは過密状態に近くなった。

それにしても、単調な薪割り、玉切りは、傍から見ると、つらい「苦役」に見えることがあるが、その実、本人はどうかといえば、一つ一つの丸太の割れ具合、割り具合に工夫と力加減、安全の気配りが欠かせず、結果、「無心」状態になる。わたしはこれを行動的冥想と呼んできたが、岩登りなどの集中する行為のあと、心身がリフレッシュされることと似ている。だから、延々とマイペースで持続できるのである。ブッシュカッターの刈り払いも同じだ。心を病んだと思う人は是非、薪割りや、これから始まる薪積みに来たらよい。

■新年度「コモンズ休暇」の最初の試行「川エビ漁」はハズレ


昨年から、勇払原野の風土にもっと付き合おうとの趣旨で、「コモンズ休暇」なる息抜きを再開したが、今シーズンの手始めは「川エビ漁」だ。

2日前、試験的に遠浅川と柏原幹線排水路(いずれも安平川支流)に仕掛けたトリカルネット製のドウは、いずれも川エビを採取できなかった。

代わりに採れたのはウキごりとヨコエビ少々。魚類に超詳しいurabe氏によると、ウキゴリは産卵直前だとのこと。

大体様子はわかったので、試験に使ったふたつのドウは、本命にあたる勇払川の本流に移動してかけ直した。専門家urabe氏によれば、やはりまだ時期が早いらしい。これから時々見に行って、掛かり始めたら、別途製作するドウ8本を持って掛ける予定。早く、川エビのから煎りやかき揚げを食べたい。

これからフキノトウや浜ボーフー、スドキ、ウド、ワラビなど、勇払原野の春の恵みを、ひとつずつ丁寧にいただく愉しみは、格別だ。

■思いがけないところから届いた声

二つのオファーがあって、対応している。それを昼食事にミーティングととらえ、相談、意見交換した。ひとつは勇払川右岸の開発行為で発生した丸太の受け入れ、もう一つは苫東コモンズの活動に共感する支援。

《ドロノキ等の丸太》

先日来、大量に届いてしまった丸太の扱いを思案しているが、3/24の記事に書いたユニットをどう自賄いし、余る材をどう処分するか、昼休みにメンバーに問うた。

なんとなく、相場感覚として、一山のユニット0.5立法を2,000円あたりでどうだろうと相なった。ざっくり1立方mあたり、4,000円、1棚相当の丸太ユニット(丸太と割り薪では違うが)2.7立方mでは、10,800円だが、約5ユニットとしてちょうど10,000円ポッキリと端数処理か。

これをまず会員の薪ユーザーが最低1棚、焚き付け用などとして購入する方向を提案した。ソロ・キャンプファンなどへの分譲の呼び水である。このためには、玉切りのソーチェーンを摩耗の少ないものに付け替え、その準備も必要だ。6月の頭前後の着手にあわせ、段取りを進めていく。

(参考)

近傍でもっとも入手しやすい薪屋さんは白老の大西林業ですが、大西さんの丸太状態の薪材(長さ30cm)は、1立方mあたり、ナラ薪は、18,500円(税込み20,350円)、広葉樹ミックス17,500円(税込み19,250円)
。だから、これに比べると、はたして現在の予想価格は妥当か、一考の余地あり、か。

《大手会社からの自然共生活動支援のオファー》

数日前、世界的に取り組みが進むSDGs (susutainable development goals 「持続可能な開発のための目標」)をここ胆振で実現するために、この企業が取り組む地域活動の一つとして「苫東コモンズ」の取り組みにフォーカスを当てたとの話が舞い込んだ。打診の段階であるが、これに対して、前向きに検討しようというおおよその合意も昼のミーティングで得た。

詳細の企画はこれからだが、考えられるキャッチは「〇〇〇は勇払原野の雑木林保全活動を支援しています」「コミュニティ・フォレスト『大島山林』の森づくりを応援」的なもの。このようなコンセプトをゴールにすれば、様々なことが可能性として挙げられてくる。ここはひとつ、若い人のアイデアも聞きながら、うまく進めたいもの。

振り返ってみれば、苫東コモンズは、地域の片隅でコツコツと風土に向き合って良かれと思う雑木林の保全に取り組んでいたので、世間の関心があるのかどうか、マスコミが取り上げるかどうかなど、あまり気にしてこなかった。

このたび先方は、ホームページをみて「なかなか芯のある活動をされている」と評価してくれたようだ。加えて、担当の方は、特に薪ストーブに関心が高いようなことも、親近感が持てる。苫東コモンズのパンフレットのタイトルは、「勇払原野の風土を共有する」としてあるが、この軸がいよいよ生き、膨らむ時が来るかもしれない。