home
2017年、日々の迷走
■12/31 穏やかな大晦日に 風雨で少し汚れた窓を清め、薪の焚き付けをつくったり、家人の仕事を手伝ったり、その合間に簡単な資料作りなどをして年末はもう大晦日を迎えました。今年も一年、いろいろな場でお付き合いいただきありがとうございました。これから年が改まるころまでの時間、神聖なご神木のイメージを抱きつつ静かに過ごしたいと思います。どうぞ佳いお年をお迎えくださいように。 ■12/30 男は隠れ家を求めるらしい?! ~来年夏の視察研修先を巡って~ 早くもNPOの平成30年の研修先にアポイントを取りました。道南は八雲町にあり、今回は森づくりというより造園的な森(写真)と言えます。近くにある銀婚湯(7/25-26)も、主のかたがコツコツと少しずつ育てた森というか林であり、その人間一馬力の継続でどこまで風景を育てられるか、そこを確かめることができますから、森林風景計画と実践事例の勉強とも言えます。 視察のアポのためお電話をすると娘さんが出られて、父親の道楽でひとりで作ったようなものとおっしゃる。別荘も兼ねていて土日など休みに手掛けているようだ。そこで連想したのは「男の隠れ家」。美術館として名だたるロシアのエルミタージュもそんな意味らしいし、周りにも小屋やプレハブや簡易なビニールハウスで日中を過ごす男が少なくない。奥さんも旦那の「留守」は大歓迎なのでしょう。視察先は山の上に別荘があるらしく、社長さんらしく趣味を凝らしているかもしれない。 ■12/27 ハスカップ出版の原稿を書き始める ~年の瀬の雑感~ あっという間に年の瀬。年末年始の休みの間に、発刊を目指す「ハスカップとわたし」の自分の原稿と1月のコープさっぽろの講演準備をしていかないといけません。発刊の方は、経費の腹積もりができつつあるので編集はもちろん、印刷屋さんとの交渉もそろそろ動きます。こういう企画はいかに粘り強く課題意識を維持できるか、懸案を引きづることができるか、という変な能力が求められますが、こんな能力をネガティブ・ケイパビリティということを最近知りました。流れに任して流れていくことでもあります。また差し迫る壁を前に湧いてくる不安を解消するためには、唯一、課題に向かって応じること、備えることしかありません。それを楽しみながらできるか、そこが問題ですが、歳をとるに連れて感謝と喜びに代わってくると聞いていた通りになりました。ありがたいことで、こうして人生を突っ走って終えれれば最高でしょう。 ■12/23 仕事納めに注連縄飾る 12/9の山の神の参拝の折に、シンボルツリーのドロノキ(グランパ)の注連縄に御幣がついていないのが気になった。早めに取り付け直そうと相成って、仕事納めのお昼に、連れ立って取り付けた。なんだかホッとする。心のどこかにずっと引っかかっていた。 ■12/21 随流去(ずいりゅうこ)、「流れのままに」 久々に「北の森カフェ」でリンク先をチェック。この秋に廻った千葉・茨城の古刹のHPを加えました。そして畏友・斎藤雅紀さんの表題のブログ「流れのままに」を改めて訪問。いつもながら背筋のピンとする主張と祈りが唱えられます。思わずこちらも姿勢を正し、心の中で合掌。 ■12/19 ハスカップを北海道遺産に登録を申請するか、どうか ハスカップの自生地と、他人の土地なのにコモンズのようにハスカップを採取する風物詩的慣習とその食文化が、ここ苫小牧を中心としたローカル性の高い固有の「モノと慣習」であることがわかって、原野のハスカップをもう一度調べ直し、地域の住民のハスカップの関わりを聞き取ってきました。そのゴールの一つを「ハスカップの北海道遺産登録」のようなものにしたのは数年前でした。実は、軽いノリです。北海道遺産の当局に問い合わせると、あいにく、新規登録は当面しないとのことで沙汰やみにしていましたが、じゃーん、来年の北海道150年記念を前に3回目の申請を受け付けています。内容を見ると、恰好のチャンスにも見えますし、やはりハスカップこそふさわしいように思われます。ハスカップを遺産と呼ぶ気にはなれませんが、後世につなぐヘリテージと呼び直すとまあ、そうかなと思い始めます。これからじっくり考えます。北海道遺産の一覧はこちら。 ■12/17 薪ストーブの3次燃焼 毎朝5時前に薪ストーブに点火する。その日の焚き付け、薪の種類と量、それとスタート時のガラス扉の開閉度合いで毎朝の燃え具合、温まり度合いが微妙に違うのは、楽しい。天板の温度計がスムーズに300℃を示すころ、3次燃焼に切り替える。トロリトロリと燃える薪の煙は無色透明で安心度も上がる。■12/16 林の中から材を出すためウインチを使用 厚真の山仕事仲間であるOさん、Nさんにポータブルウインチの手ほどきを受けた。作業は一見、カメさんのようなテンポだが、昼頃までの2時間余りで、薪ストーブ一年分ほどを積み上げることができた。 ■12/16 菱中建設さんグループの地域貢献活動による案内看板完成 大島山林の入口に素敵な看板が寄贈された。マップのQRコード付きだから、スマホに地図を呼び出して歩くことができる。GPSで時々現在地を確認すればパーフェクト。 ■12/15 苫小牧の歴史「山線」保存とまちなか再生 ひと月ほど前、苫小牧で古くからマチづくりに尽力してきたHさんから、支笏湖につながる王子の山線の展示機関車(左)と、最寄りの街路ののゾーンの修景策を相談されたのがきっかっけで、12/13、札幌からマチづくりと食のブランドのプロデューサー・Hさんをお迎えし、有志の勉強会を開催しました。古株Hさんのほか商店街および市役所の若手、それと夜の会食時には地元金融の方も参加されました。写真右は第一洋食でのお茶会。定住する者たちが持つ、立ち上がりたい感覚。それらにHさんの深い経験を混ぜ合わせてもらって、静かで熱い議論に発展しました。そもそも苫小牧は、港の東西の工業開発に象徴されるように、国家的なビッグなプロジェクトが先行して、市民の生活の営為など吹き飛ばすようなマチづくりになっていました。生活者から見るとマチは仕組みとして隙間だらけであり、市民は無力感にさいなまれ、一方で経済は道内では1,2を争うほど潤沢だから、表向き何も困ってはいないという、不可思議な状態にあります。しかし、駅前の空き店舗や空洞化はあまりにも無策で市民側も無頓着だったと反省している人たちも少なくないはず。市民がバラバラでなく、もっとマチづくりに結集したい。花のまちづくり、臨森林のマチづくりというわたしのカバーしていたジャンルを超えて、もう一回り大きなミッションもあることを自覚する必要も痛感します。そういう個人は少なからずいるものです。それなら放置はもったいない。結集の道を探ることになります。 ■12/13 主治医(2) 自分の健康と医療は実に興味深い。40前後の厄年のころ、わたしは心臓神経症でつらい5年を過ごした。パニック症とも言われ、内実、うつ状態でもあったが、このちょうど5年の間に、この疾病が自分の人生の向き合い方に根本原因があることを気づかせた。病気とは人の疾病の治し方を教えてくれる有難いものである。我々の心身がこれほど巧妙に出来上がっていることを知ることができて本当に病気に感謝した。風邪も日頃の心身の偏りをリセットするチャンスだと知った。医師はどうもサブに見える。 ■12/12 本当の主治医はだれか 古代ローマ人は予防医療に怠らなかったらしい。その代り万が一、不治の病にかかったと知ったら従容として死を受け入れたと言います。わたしはこれに憧れ、さしたる養生もしない代わりに、不摂生もしない。毎晩、そこそこの晩酌をして、通勤の途上はできるだけ歩くようにして、かつ朝は全身のストレッチを欠かさず、腹七分目。それでだめだったら潔く死のうと思ったもの。この頃、持病の股関節がすこぶる不調で、脊柱管狭窄症の症状も近いといわれてドッキリします。が、ここ数日、思い立って歩行時の足の振り方を代えてみた。不調の股関節側の足を、歩行時に前方に投げやるのである。こんな、はたから見たらほとんど気づかない些細な方法で、股関節痛が劇的に改善した。どんな主治医もここまでアドバイスなどしない。 ■12/11 資源の循環『じゅんかんコンビニ24』 自宅近くに使い勝手の良いリサイクルショップができたので早速行ってみました。まず登録してカードを入手。24時間、段ボール、新聞、繊維もの、もちろんアルミ缶やペットボトルはいうに及ばず、IT製品や家電や金属も無料で回収可能。自宅では狭い物置がすぐいっぱいになるので、かなり自由に気軽に捨てられるのは素晴らしい。ポイント制だからモノ別の重量でポイントもつくようだ。分別してこまめに捨てることができるのは、リサイクルでエコな生活を送っているようで悪い気がしない。道内を拠点とするリサイクル大手「マテック」(本社;帯広)の経営で、桜木町の百村産婦人科跡にできた。静川の小屋のわずかな廃棄物では、沼ノ端のリサイクルセンターでものすごく待たされた後だから、余計に気に入ってしまった。分別すればゴミは資源、というドイツのリサイクル事情をTVで見た時の情景に近い(写真)。 ■12/09 山の神の参拝 この冬の山仕事の安全を祈るべく、つた森山林の山の神に参拝したのち、大島山林のドロノキにお祈りした。写真左は参拝した苫東ウッディーズの面々。写真右は12月4日に行われたアイリスの池の落ち葉の泥改修工事。菱中建設グループの地域貢献事業で、同グループが遠浅町内会の要望に応じたもの。当NPOは黒子となってその橋渡しを担った。詳細は掲示板の12月7日苫小牧民報を参照。 ■12/07 小屋の主人は、もはやタヌキか 小屋に行くと、タヌキの足跡だらけで、新住人は誰かが一目瞭然。ベランダの下は彼らのトイレと化して、一帯の主はわたし、と宣言。一方小屋の中は、トガリネズミと思われる小動物が、キャンデーやしょうゆの包装紙などを次々と食い散らかし、トイレットペーパーのボックスは格好のトイレになってしまっった。オシッコの黄色いしみと黒いうんちに埋められそうになり、これは迷わず焼却したばかり。冬にかけて、座布団やもろもろが狙われるはず。わが動物王国にも困ったものです。(-_-;) 12/4の助成研究発表会は地味で超まじめなテーマ『地域の活性化と地域政策』にも拘らず約50名が参集して、活発な質疑も続いたので、司会はえらく楽にすみました。高校の廃校がいかに地域のその後に影響を与えるかという警鐘にもなる発表があり、待ったなしの施策が求められていると再認識しました。昨日12/6の北村遊水地のコモンズ講演会は岩見沢のコミュニティ・プラザに170名が参加。コモンズの概念がこれからの地域の様々な課題を解決していく過程で、もはや不可欠であること、北村遊水地のような地役権を設定する重層的な土地利用はこれからのモデルになること、などの点で刺激的な発信になったようです。これも大変堅いテーマなのにも拘らず、客席を振り返って見ると寝ている人はゼロ。元釧路公立大学長・小磯先生の基調講演に続いて事例報告をした若い地元の歴史の語り部Hさんが、興味深い地元史を語りましたが誠に得難い存在だと敬服しました。これで今年の大きな催しはジ・エンド。ホテルで行われた懇親会で、高らかに乾杯を発しました。 ■12/03 高橋広平写真展『雷鳥・四季を纏う(まとう)神の鳥』 夕方、美術博物館でライチョウの写真展を見ました。知人のご子息であったり、夏ごろからこの催しの存在を博物館から聞いていたこともあって愉しみにしていたもののひとつでした。なるほど、田淵行男・岳人賞をもらっただけあって、なにやら先人と共通する山岳写真家のようなところがあり、冬の羽がピンク色に見える不思議マークの雷鳥を雪見daifukuと命名するあたりには極寒の山で見つけた興奮が伝わってきます。見終わってすぐ、この写真家のお母さんにお祝いの電話をしてみました。お慶びはさぞやと拝察しました。北海道には固有のエゾライチョウがいますが、本州のこれはPtarmiganターミガンと呼ばれるのに対してエゾはGrouseグラウスということを初めて知りました。冬山でラッセルしていると、雪の中で寝ていたエゾライチョウがまさに足下から飛び立ち、驚かされたことを思い出します。腕の良いアマチュア写真家の多い苫小牧の、ある種の蓄積やネットワークもどこかで効いたのならなおさら面白いと思います。 ■12/02 思い通りの方向に正確に倒す 大島山林の今年の間伐に本格的に着手した。今年は、道から離れた丸太は、ウィンチでの搬出をもくろんでいるために、道沿いは従来通りだが内部は2.8mから5.6mの丸太状態で現地にデポすることにしました。まずはネガエリを起こしつつあるものから手掛けてみる。狙った方向にほぼ正確に伐倒する醍醐味は、いつも新鮮だ。写真左は、丸太を採寸して玉切り個所の印を付けている所。中国は瀋陽から北大に留学中の秦さんも手伝った。初冬の雑木林は言葉要らず。わたしは満ち足りた気分で作業に打ち込んだ。 ■11/29 内なる祝い HPの十九周年 このホームページを microsoft の word で作り始めてから19年になったようです。このHPのお客様におかれては、いつもご来訪いただき、こころより感謝いたします。文字通り、「雑木林」と「花の庭づくり」そしてマチづくりにこだわった年月でした。そのなかでは、マチのうるおいというものを目指していたということはあまり知られてもいませんが、こんなことに関わるプレーヤーが多ければ多いほど、マチはにぎわってくるものです。 ちなみに十九周年は何かといわれれば、薪ストーブの生活へ突入したことがトピックになりそう。記念の今日は、午後から静川の小屋に出かけ、育林コンペの薪を半分だけ割って積みました。1日間伐で働いた分で、やはり1.5立法メートルほどあります。推論すれば、4日間伐すると、簡単に1年分の6立法メートルは収穫可能、ということになります。 ■11/28 10月は目白押しの不思議 10月末から12月初旬まで、仕事上で主催または共催するシンポジウムやフォーラムなどが6つ目白押しで、他に個人的なオファーで二つの講演を受け持ちました。イベントを催している立場上、挨拶要員に駆り出されるのがしばしばですが、さすがに数が多いと思いました。こんなことはこれまでなかったのではないかと思います。初冬を迎える、無雪期最後の駆け込みみたいな北海道ならではの現象かもしれません。毎年、この時期はラッシュで、忘年会につながるような気がします。 この間に、予定通りに2泊3日の公私の旅行を二つとNPOの総会もありました。前期高齢者の仲間入りして2年目ですが、この忙しさは誠にめでたい話であります。 12月早々には、現実の地域に真正面に向き合った、とても地味な研究発表会(写真)と北村遊水地とコモンズに関する講演会(12/6)があります。苫東の遊水地の経過とはまるで違うプロジェクトですが、ご関心のある方はご連絡ください。 ■11/26 シカとぶつかる 山仕事を終え、厚真で用を足しての帰途、つた森山林入口付近でのこと。1頭のメスジカが50mほど前を横切ったので、クラクションを鳴らし減速したところでした。その瞬間、視界右手からもう一頭のメスが横断を始め、気が付いた瞬間に「ガシャ」。一秒、2秒・・、シカがバンパーのあたりからよろっと出てきてから体勢を立て直して走って林に入っていきました。急ブレーキの衝撃で、助手席のスマホと後部座席の荷物が床に落ちていました。後続車がいたので急ブレーキはやや遠慮義気でした。1km先のパーキングに車を止めてバンパーあたりを点検してみると、一か所にひびが入っていました。すんでのところでぶつかりそうになったことは過去何度かありますが、実際にぶつかったのは初めて。よろめいてからさっと走り去ってくれたのはホッとしましたが、治癒してくれれば幸いです。つた森山林山林の入口は高規格道路の下が通路になっているので、付近は要注意です。 写真は今日のわたしの山仕事。今年の伐採届のエリアを確認しながら、伐採木のマーキングをしたところ。ネガエリ直前の太いナラがいくつか見つかった。「苫東方式」の抜き切りです。樹木の都合ではなく、こちらの都合で「倒れる前に伐る」。 ■11/20 「苫東方式」の提案 勇払原野の一角を占める苫東の緑地は、どう扱うべきか。長い間、官民の関係者の間で懸案になっていたこのテーマについて、ここだけのオリジナルな手法を「苫東方式」と名付けて、土地オーナーである㈱苫東の緑地検討会において提案しました。11月20日に開催されたもの。 広大な、しかも多様な植生を対象に、メリハリをもって、しかもアセスメントの目的に沿った形で、最大限利活用することをめざすもので、地域参加の一環でコモンズの概念導入も重要になります。植えない緑化や森づくり、近自然森づくりなど、林業行政とは一線を画したwordingになりました。 40p余りの資料を作った後に、まとめの言葉として何がいいかを思案した結果、「適地・適木・適作業」という言葉を思いつき、締めのページのタイトルにしました。苫東会社にしてみれば、わざわざ手を染めるには面倒で、マンパワー的にも不足している分野であり、かつ、ディベロッパーの業務としては傍系としか見えない付加価値づくりですから、そのコーディネートなどやりたがらないし、やるべき仕事ではないでしょう。こんなことをしなくても十分土地は売れている、という現状もあるでしょう。 それでもなおかつ、プロジェクトの未利用の隙間を埋めていくためには、やはり、多様な担い手をつなぎ、風土という社会的には共有の資源を、一定のルールで活用していくというのが、道だ、と説いたわけですから、経営者はドン引きしたかもしれません(熱心にお聞きいただいたのですが)。 しかし、若手はこれから「苫東方式」の肉づけをしたい、と言います。なにか、伝わったのかもしれません。「地域開発」が地域の社会的共通資本=風土に謙虚に、そして大切に扱うべきだというミッション性を、昔から感じていた同志なのかな、と個人的には推察し、うれしく思いました。 ■11/19 この冬初めての雪化粧 冬の作業に備えて、ストーブを据え付けたり、薪を運んだり。 ■11/17 道東を巡って 14日から3日間、道東の三つの自治体で地方創生や地域政策について、町長さんや企画担当者などにヒアリング。国は地方では集落が消滅していくと危機感をあおりますが、実際の現場、道内の地方はどうか。昨年度から数えて道内の18の自治体を巡ったことになりますが、実際に伺ってみると、決してバラ色のイメージという訳にはいきませんが、知恵、資源利活用、行動力に寝技、合わせ技を加え、果敢に、そして着実に課題解決に向かっている実感は強くします。それは悲観とは全く違うイメージです。 朝食前のひと時、道東ならではの森林散策コースをふたつ歩きました。15日は川湯温泉のアカエゾマツのフットパス(写真左)。エコミュージアムから硫黄山までの人気あるコースですが、さすがに今は歩く人はゼロ。環境省によるインフラですから、お金もかかっていて、わたしたちの手作りフットパスとはだいぶ違います。もうひとつは林業のマチ・津別の、森林セラピー基地にあるフットパス(右)。清流とエゾマツなどの大木がマッチしたいいコースで、ここはNPOが管理しているようです。いずれもブームに流されることなく、林を歩いて心身を清め休める習慣をつけたいものだと念じつつ、ゆっくり歩いてみました。森林の環境でビジネスをするのは大変ですが、人の呼び水にはなる。だから確かに旅に色を添えるごちそうの一つにもなりますが、わたしは日常性こそ大事にしたいクチ。身近な雑木林フットパスこそよけれ。 ■11/12 晩秋の山仕事、雪の前の薪割り それにしても生木は良く割れる。左の写真のように、節をはらんだ丸太は、乾燥が進んだ段階ではなかなか割れるものではないが、今日は、いとも簡単に割れて作業が非常にはかどった。薪割りとはこんなタイミングでやればいいことを、改めて体感した。体で覚えるとはこのことかもしれない。 ■11/11 泥炭を肌で知る 泥炭に関するリーフレットづくりをしていて泥炭関係の写真を撮り直すことになりました。それで篠津、当別方面へ行ってきました。贅沢なことに、ガイドは泥炭地の泰斗、農業土木の第一人者・北大名誉教授の梅田安治先生。まずお願いしていた閉館中の篠津の泥炭資料館を開けてもらい小一時間。泥炭の実物を身近に感じて、かつ、農業開発に成功するまでの歴史を知るのに格好の施設でした。ついで、高橋ピートモスさんの事務所で社長さんに挨拶してから現場に入らせてもらった。露天掘りのように泥炭を巻きだして乾燥させて商品のピートモスにするのです。わたしはガーデニングのコンテナ用に毎年20リッターを2つほど使いますが、つまりアレです。広大な泥炭ヤードに乾燥する倉庫が隣接し、ベルトコンベアなども見えました。初めて、泥炭というものの正体を見たような気がします。 また、勇払原野のハスカップ自生地で火事が起こってきた理由が、むき出しの泥炭のせいであることをもっと広報しなくてはいけないと改めて思いました。ここの泥炭地では、タバコ厳禁が徹底されているのです。そういえば、約30年前、ハスカップの山火事に閉口して、苫小牧の消防署に泥炭の発火実験とビデオ化を提案して全く相手にされなかったことを悔しく思い出しました。石狩川の後背地に広がる泥炭は厚さが4~5mあるとも聞きますが、その泥炭からこんな風に製品が生産されていたこと、そして壮大な地質年代に改めて感動します。 ■11/10 鵡川のシシャモ 毎年、鵡川のシシャモは食べておきたい。今年の秋はキノコを食することができなかったことで、なにか、ぽっかり穴が開いたような気がすると同様、いつも気にしてしまう案件。今年は手に入った。雄雌混合で3,000円。わたしにはかなり高いが我慢した。ついでにちょっと早いお歳暮になるが、お世話になった方にも一つ。共働学舎の宮嶋望さんは、鵡川は樽前に沈む長い波長の光線がすだれ干しの身の中にまでしみ込んで独特のうまみを創ると解説。釧路や大樹のシシャモでも鵡川に持って来て干せば、ブランド物の味になるという。わたしは信じています。 ■11/08 歴史家のレク、受ける 仕事で「ほっかいどう学」をサポートしている関係で、開拓記念館で長く学芸員を務めた関秀志先生のお話をお聞きして勉強できました。歴史家の、蘊蓄に富んだ90分は格別。冥利に尽きます。81歳になられるのに声もよく届いたから、内容にもことのほか引き寄せられました。 認知症とは無縁と見えた先生を思い返しながら、歴史は、物事のプラスマイナス、現代にすり合わせた練り直し、記憶力、バランスなど、思いを多方面に巡らせないといけないから、認知症の予防にも役立つような気がします。 そもそも、加齢に伴い、これまで生を預けてくれた社会というものがより明確に見えてきて、関心は高くなってくるものだと思います。仕事で勉強できる幸せにつくづく感謝。 ■11/07 認知症予防と森林散策 ~瀧澤先生の健康講話~ NPO苫東環境コモンズの代表理事・瀧澤紫織先生は、森林インストラクターの資格を持つ精神科医で、森林療法では日本を代表する実績、経験をお持ちですが、認知症予防にも情熱をささげてこられました。今日、遠浅で行った健康講話は通算3回目。待ったなしの高齢化と現実のagingを背景に、質疑も徐々に生の声が出て、にぎやかなうちに終わりました。 ■11/3~4 明るい雑木林に早変わり 晩秋の、あの懐かしい雑木林に代わった。明るい。元気が出る。新緑も紅葉もいいけれども、雑木林の真骨頂は葉っぱを落としたこの時期にあるのではないだろうか。「みどり」という言葉が、緑色というだけでなく、人間の求める安らぎや快適さまで表現するとすれば、落葉期の雑木林ほど「みどり的」なものはないとさえ思う。 週末、古い友人が小屋を訪れ、翌日は小屋の周りをさらに快適にする抜き切りとチェンソー技術向上の研修を行った。 ■11/03 月夜の白鳥と花鳥風月 一昨夜、昨夜と、半月を過ぎたばかりの月夜に、あの、いつもの、白鳥が渡る声がして庭先に出ました。昨夜はJR室蘭本線の糸井駅から自転車で帰宅する途中も、深夜、寝る前も白い編隊が見えて、季節と風土をシェアしているあの感覚がよみがえって和みました。花鳥風月は抒情の世界ばかりでなく、複雑な科学の結晶とも取れるし、土地の今を映す鏡でもあります。雁もすぐでしょう。 今週の火曜日、苫小牧市長生大学の合同大学祭で100分の記念講演をさせていただきました。大勢の熟年、高齢者のまえで僭越ですが、高齢者ならではの、というか、この土地に長く住んだものでなければ気づかない、いやだからこそ共感してもらえそうな話を勇払原野の7不思議に託してお伝えしました。写真のアイビープラザ(公民館のhpから)は、蔦の絡まったあの時代からたまにお邪魔しましたが、ネイティブの集いが文化のにおいを醸し出しているようにみえます。ちなみに私の今回のテーマは、『自然が産土(うぶすな)に代わるまで ~勇払原野とgraceful aging~』でした。 ■10/28 育林コンペの仕上がりをプレゼンテーション 育林の経過と仕上がりをゆる~く競う「育林コンペ」第2ステージを開始して5年ほど、本格的に動き出して2,3年になりました。平木沼の近くの市町境界林道沿いに、一人または1グループあたり0.5ヘクタールずつ受け持った雑木林を、各自のアイデアで手入れするものです。目指すところは大雑把に言って「美しく、快適で、持続的な林」。薪づくりや刈り払いが一段落した8月あたりから全6か所のオーナーは思い思いの日時に「自分の持ちヤマ」に通っていました。見た目もだいぶ変わってきて、今日がそのアイデアと仕上がりを自慢するプレゼンの日。なかなか熱がこもったプレゼンと意見交換が続きました。 ■10/26 雑木林の小屋と紅葉 25日、休日にしたので小屋にも行ってみました。週初めの21号台風でだいぶ葉っぱはもまれて落とされましたが、カエデ類は健在でした。あらためて、感動もします。 ■10/25 苫小牧の老舗ラーメン店「鳥よし」11月末で閉店 40年前、現場に行くとたまーに食べた記憶があり、その後は、機会を見つけ行くようになり、やがて完全なファンになりました。今は有名になった小樽の「初代」の経営者・太田氏とも実によく行きました。痩せた年配の親父さんに「味噌ラーメン」を頼む新米客もいて、親父さんは「うちはマルちゃんじゃあ、ありません」という自信に満ちた受け答えをしていました。その後、娘さんが継いでやっていたようです。それが11月末で閉じるという噂を聞いたので行ってみました。チャーシューと麺が少し変わりましたが、スープはそのまま。なつかしく、やはりおいしい。どなたか、受け継いでほしいところ。閉店までもう一回、行かねば。 ■10/22 興味深い里山の本 広葉樹林の取り扱いは土地土地で方法があり、いわゆるどこでも通用するマニュアルは求めても無駄だという見方がありますが、よそではどんな方法で進めているかを知ることは、たいへんタメになります。先日、白老のTさんから、今週末開かれる講演会「木材とお宝植物で収入を上げる」の案内が来ました。内容は興味深いのですがNPOの総会と重なるのでせめて、と講演者の著書を買い求めました。左の本です。北海道では伝統的里山技術は継承されていない、というか、もともと里山という時代がなかったので、とても参考になる、知恵満載のように見えます。写真も多くて初めての人でもわかりやすいかも知れません。これからの育林コンペにも生かせる可能性があります。以下は、白老からの案内の趣旨から抜粋。 ===== 日本の里山広葉樹林は、薪炭用材の伐採、落葉の採取等を通じて地域住民に継続的に利用されることにより、維持・管理されてきた市街地近くの森林です。しかし、このような里山林は、 昭和30年代以降石油・ガスなどの化石燃料の普及等により、薪や炭の生産が大きく落ち込み、地域住民との関係が希薄になり、放置され荒廃が進んでいます。しかし、里山林には良質の木材が育まれている場合がたくさんあり、これらの逸材を活かすことができれば、伐採や更新そして管理を黒字にする林業経営も可能になります。また、白老 町では平成5年より地元企業が薪炭用材を伐採し林業経営を行っている実績もあります。そこで、広葉樹林から「収入をいかに上げるか」という発想で、里山林の経営ノウハウについて詳しい講師を招いて、里山林の経営術を学ぶ研修会を開催します。 ・・・==== ■10/21 秋の色が濃くなった 小屋の紅葉(左)と大島山林のシラカバの樹洞で見つけたヌメリスギタケモドキ。 かつて、もみじを丁寧に残して伐りすかしたゾーンは、さすがに手入れに忠実に紅葉しています。合評会は来週なので、まるで自分の林のように、にわかオーナーはエリアに通っています。また、10月に入ってからは一日に数回、シカと会うことが珍しくありません。苫小牧側が休猟なので逃げ込むのか。それでなくとも雪の少ないこの辺は秋になるとシカが増えたものです。この前はヒグマが目撃され、今日は小屋の脇に新しいタヌキのタメ糞が見つかった。まったく、野生王国のようなところであります。 ■10/18 苫小牧の最も美しい通り「王子正門通り」で 苫小牧の駅前の再開発問題や商店街振興から、目抜き通りの緑化まであらゆるものを手掛けてきた方から連絡があり、一緒に市道王子正門通りを歩きました。王子製紙苫小牧工場の東側の正門から旧駅前通りまでの数百mはもともと苫小牧では最も緑化による景観形成が成功しているエリアで、個人的にはとても大好きな注目してきたところですが、商店街として継続してきた、特に花を用いた修景活動を今後どう展開すべきかという相談でした。 王子の山線の機関車なども展示されている記念ゾーンであるために、わたしはもう一度ストーリーから考えてみてはどうか、と提案しました。ガーデニングのプロはいくらでもいますし、近いうちに道内でも超有名なデザイナーを、苫小牧ならではのお食事でお礼することで格安で来てもらおうかと話が進みました。仕事では今、「北海道学」に関わっていますが、「苫小牧学」というものも考えていく時期かもしれません。一方、市内にはだいぶ以前からマチの歴史と文化、そして建物を調べ足跡を残しているグループもいます。とかく殺伐とした、と形容されがちな工業都市・苫小牧を正しく再評価する「苫小牧学会」みたいな視点。世界のガーデンシティと目されるニュージーランドのクライストチャーチも、市のある部分は港のそばの工業地帯が占めるのですから、要はメリハリなのです。ネバーギブアップ。久々にマチづくりと修景の話をしました。いい時間でした。 ■10/18『明治維新から見えた日本の軌跡、中韓の悲劇』 加瀬英明氏と石平氏の対談形式で、スラスラ読める、しかし、これまでの常識とは違う歴史的な位置から語られているので、待てよと立ち止ることしばしば。加瀬氏は、日本の歴史全般、特に現代史だけでなく、中国人の石平氏が驚くほどの中国通で朝鮮半島にも精通している方である。台湾ももちろんで、おのおのに濃いネットワークもお持ちだ。これまでずいぶん目からウロコのような勉強ができた。この著書では、日本は明治維新の前から近代化されていたというのが一つの大きな伏線になっている。和の伝統や、論理ではない美学的な価値基準などである。そして日本は先進国の中で唯一アニミズム信仰が生きている国と定義するのである。わたしの山仕事や原野の付き合いの背中を押された気分になります。この本で、中韓と分かり合えない理由がかなりはっきりしてきた。ありがたい1冊、2017年7月発刊。 ■10/17 夕張市長鈴木直道氏、語る 北大の学術交流会館で、鈴木夕張市長の話を聞く機会がありました。テーマは Restart Challanging More 。250万円余りの年収のため、2期目は対抗馬がいなかったと謙遜されたが、いやいやなかなか、アイデアが豊富で挑戦的なその実態を知ることができました。研究者を巻き込んだ夕張方式のコンパクトシティ、あるいはCBM・コールベッドメタン (coalbed methane) -という石炭層中にあるメタン ガスを取り出し発電しCO2を再度石炭層に注入する燃料サイクルの実証実験、また高齢者とじっくり付き合って移転合意をとるなどなど。あの財政破たんの団体から、再生へと着実にカムバックしてきています。最近、ダボス会議関係者から国際電話がかかってきて、夕張市は世界の課題解決先進地モデルだと言われたり、安部首相が地方創生とは夕張市のことだと公言しているなど、鈴木市長の打ってきた施策とそのエピソードはもはや破たんのイメージから遠いところへ来つつあります。 ■10/14 小春日和の小屋掃除 年に一度の小屋掃除。2週間後のNPO総会の会場準備の意味もあります。先日、煙突が詰まったとの話に掃除してみると蜂の巣が中に。煙筒のほとんどをこの際取り換えることにしました。もしかしたら平成9年の建設後、2回目の交換になるかも。 ■10/14 コナラの世界 北大天塩研究林のKさんが札幌のオフィスを来訪しました。本州でナラを枯らすカシノナガキクイムシによって枯損したナラの腐朽によって、どれ程のCO2が放出されているのか、オールジャパンで生育するコナラを材料に調査すると言います。苫小牧研究林ではなく苫東にふんだんにコナラが存在すると聞いて、先日、わたしに斡旋の相談があったものです。すかさず苫東につないだところ、苫東は研究に貢献する手間は惜しまないと即快諾。おとといお礼の挨拶に来られたのですが、さすが研究者です、耳寄りな研究成果やファクトを聞かせてもらいました。大学や森林関係のネットワークも重なるだけでなくコナラに関する問題意識もかなり共有できて、土壌や施業も含めてこれからの良き相談相手がひとり増えました。得難いことです。土地土地の森づくりはマニュアルはなく、かくも手探りで孤独なものですが、今日はしばし霧が晴れたような気分になりました。 ■10/8 紅葉の前に緑がフェードアウト よく見ると雑木林が微妙に白くなっている。いきなり赤や黄色になるのではないような気もします。そんな色合いでした。こんな日にひとりで山仕事をするのも贅沢な話ですが、キノコ採りも来なくなり、シカと会うことの方が多いほど。 |
■10/4 ゴッホのポプラ 道立美術館でゴッホ展を見ました。ゴッホがいかに日本と人に夢を抱いていたか、簡素な部屋の暮らしを自らも追体験していたことなども丁寧に表現された展示で、なるほど、どうして日本人に人気が高いのかの一端を改めて知らされた思いがしました。特にわたしの目を引いたのが左の写真の「ポプラ林の中の二人」(1890)です。オランダはドロノキの造林をよく行い、まずこの木で林の外形を作り内側に造園をするというパターンをわたしも見てきました。ドロノキの造林地は柏原にもあり、ちょっと味気はないのですが早く大きな林を創るという点では、特に干拓地では主役だったのではないでしょうか。オオアワダチソウの繁茂する柏原の造林地とそっくりな図柄で驚きました。インパクトがあります。 ■9/30 黄昏の林にて 育林コンペの作業を終えてから、ひとり大島山林に入ってみた。マズメ時は大好きな時間帯だが、通常、この時間帯は人はおらず、急にモノノケのにおいがしてくる。そういえば、幼少のころは人さらいや魔物のようなものが来るから、早く帰ってこい、と親たちは言ったものだ。この異様な感覚を、現代人は感じるのか、感じられないのか、忌み嫌うのか。写真は26年10月初旬。 ■9/27 渡部昇一著の「少年日本史」を読了 今夕ようやく読み終えました。きっと少年から、わたしのような前期高齢者以上まで、我が国の歴史を振り返って概括するにはとても勉強になる一冊です。神話から天皇に移行する国柄は日本独特のものですが、この継続記述にはやや退屈を覚えつつも、発見がいくつかありました。皇室継承は実に長い。前段は皇室関係が続きますがここでくじけてはいけません。 宗教を裁いて中世から近代に移った信長あたりの描写は目からうろこ。それから米国。大正8年のベルサイユ条約締結の際に日本が発した人種の平等と否決。そのころ米国では日本人移民排斥運動が起こっており、大東亜戦争は起こるべくして起こったことがわかりやすく書かれています。米国はかなり腹黒い。欧州もしかり。その中で国益を模索する。歴史は複雑なものですが、当時の満州の世界的な位置や南京大虐殺という中国のプロパガンダも詳述されていて、虚心坦懐で読めば日本観、世界観が変わるかも。平成29年4月25日第1刷り発刊、ご逝去は4月17日。 ■9/27 ボリボリの時期は失したか、、あるいはないのか 何か、この秋の山菜の収穫は今一つです。雷雨が先週末にあったのでキノコ環境は大幅改善かと思いきや、そんな革命はありませんでした。豊凶の差があまりなくコンスタントに出てくれるものに食指が動きます。まあ、そんな意味ではナメコなどの植菌ものもグー。でもやはり、この豊凶の波もよし。採れすぎて仕事にならない年もあったっけ。 ■9/26 ワオーの森と高川さん 札幌ウッディーズから届いた森林人通信に、ALPS(一般財団法人 地域社会ライフプラン)に掲載された高川さんの森づくりエッセーが載っていましたのでご紹介しますと同時に、高川さんの益々のご健勝をお祈りします。 ■9/24 キノコは不作か?! 今年は今のところキノコの発生が芳しくありません。23日の食毒判別会で20人余りで採取したキノコは食毒は別にして27種ほど。しかしボリボリやラクヨウ、エノキタケなどわたしたちがよく食用にするポピュラーなものはごくごくわずかでした。23日夜、かなり強烈な豪雨があったので、これが引き金になれば、今週あたりから本格シーズン開幕か、それともこのまま閉じるのか。 ■9/20 【お知らせ】キノコの食毒判別会が9月23日(土)@大島山林広場で開催 10時にスタートし、各自思い思いののフィールドに出かけ、11時に広場に持ちよります。そこで講師が食毒を判別しながらそれぞれの種について蘊蓄を述べてくれます。参加は自由で無料です。蚊が少し出てきたのでそれなりの準備が必要かも。 ■9/19この夏、報道の正体 やっぱりこれほどひどいのか・・・。この夏の国会閉鎖中審査で加計学園問題が取り上げられた際に、ニュースやワイドの報道と youtube で明らかになった実際の質疑を見比べての実感でした。質疑は約8時間半、うち前川氏の答弁は2時間余り放映され、一方加戸守行元愛媛県知事は6分(ただし30社合計)ほどだったようです。第3者的にみて、加戸さんの質疑によってコトの本質は明々白々になり、小野寺議員などの質疑の正確さは本質をえぐるものでしたが、反面、総理の忖度があったとする前川氏の答弁では忖度は前川氏の作り上げたものだったことがあぶりだされて、まさに勝負ありの体(てい)だったにも拘らず、いやだからこそ、メディアは前川氏の攻めの部分をえりすぐって放映したのです。最初に系列新聞の論説にある結論(総理が悪,)ありきでは、民(たみ)はまんまと誘導され、正体は知らされない。だから、あえて知ろうとしない限り、わたしたちはニュースとワイドレベルで思考停止してしまいかねない。NHKの受信料を国民の義務みたいにのんのんと払ってきました当方もちょっとバカみたいに思えてきました。これも考えものです。 ■9/17 コモンズの悩み 写真はいずれも2016年 理事会の後のウッディーズ懇談会で、Mさんが「山のいつものフットパス沿いにボリボリが大豊作のところがあって、NPOのみんなに教えてあげようとしていたら、見知らぬ人に全部採られてしまった」「採った男に、このキノコはある人にあげるために、第1発見者のわたしがそっと残していたものだ」と権利を主張したらしい。すると相手は、「山林は広いからまだまだあるよ。心配いらない」みたいなことをうそぶいて林を去ったらしい。買い物袋二つのボリボリをもって。 ついに来た。コモンズの悲劇だ。一定の広さの中に大勢が入り込むと、一人分の分け前が減ってしまうというもの。これを邪魔されないようにするためには、ある特定の権利をはっきりさせ(できれば登記)、縄を張るなり、警告を張り出して公表せねばならないだろう。で、どうやって権利を認めさせる?誰に?これが大変な話になる。 なぜなら、コモンズは土地所有者の囲い込みをやめてもらって、不特定多数の住民、地域の人々に開放するのが目的だった。フリーアクセスを認めてもらったのである。「せっかく、わたしたちが手入れした林であるから、わたしたちにまず採取の優先権をくれ」といっても、当初目的とNPOのミッションからみても、筋を通すのは難しい。それなら、どうする。いつでるからないキノコを日々観察すればよい、ということになるだろう。まあ、そこで求められるのは第1発見者であり続ける努力だろうか。これはつらい。でも所時期なところ、これをするために人はしばしば林に行くといってもいい。 地域の人々は、「近年、大島山林は、誰だか知らないが奇特な人(NPO)がいて、いつの間にか林の手入れをしている。おかげでよくキノコが出る」という静かで地味なうわさが広がっている、可能性が高い。 話は戻って「見知らぬ住民のキノコ採り、これはこれで実は悪いことではない。ミッションから言えば喜ぶべきことなのだと思う。忘れてはならないが、わたしたちは林の手入れのほかに、地域の人がキノコの食毒を見分けられるよう、食毒の判別会までサービスしているのだった。が、分け前が明らかに減る・・・。この割り切れなさに、当分、自分で自分の首を絞めるような、気持ちをかく乱させられる人もいるかもしれない。いよいよ、コモンズの悩みが始まった。 ■9/14 ニュースレター第20号 NPO苫東環境コモンズの季節の短信ニュースレター第20号をアップしました。後日、10月の総会の案内とともに会員各位にはお送りするつもりですが、取り急ぎご連絡まで。 ■9/13 いつか来た道 北朝鮮への度重なる制裁を見ていて、何かと似ていると感じた方は意外と多いのではないでしょうか。あの、太平洋戦争時、日本を兵糧攻めにしたあの包囲網です。日本は宣戦布告し資源を求めて南方へ進出していきます。ここへきて、過去も今も各国の外交は邪悪な国益優先のストーリーが根本にあると知るようになりました。同時に絵に書いたような平和などない、とも。そして民は簡単に騙され、誘導される。真相にたどり着くのは至難の業。 ■9/12 今年の秋はコナラのドングリが豊作か 小屋の屋根にこつんこつんとドングリの落ちる音が聞こえるようになりました。それもミズナラではなく、コナラばかりが目についている。折しも、北大天塩研究林の若い研究者からコナラの全国調査のために、苫東のコナラの丸太を分けてほしいとオファーが来ました。それはともかく、そんな9月に薪ストーブの据え付けを終え、多少暑い思い(いや、だいぶか?)をしながら、慣らし焚きを2回。人目をはばかる必要のない小屋と住宅地の環境はおのずと違うので煙突の煙をつい確かめてみたくなります。鋳物のできも中国製とは似て非なるものであることがわかりました。立木の間伐から暖房まで。これでフルコースの雑木林利用が始まります。とても面倒ですがそこはかとない満足と楽しみがあります。 ■9/10 ひとりの山仕事 苫東コモンズの変わった活動に「育林コンペ」があります。平成9年に始まって、今は第2のステージで6つのゾーンで育林を競っています。これは1区画が奥行き50m、長さ100mの面積0.5haを預かって雑木林をできるだけ快適な美しい林にすることを競うものです。だいたい5年を1タームにしていますが、そこはまあ、事情によって弾力対応をします。今年はその中間報告会をすることにしていて、昨年あたりから、苫東ウッディーズの面々はNPOのグループ活動の合間に「オレの山」に通って、コツコツ手入れをします。孤独を愛する男たち、と冗談で言いますが、実は「ひとりの山仕事も愛する男」というのが真相です。 ■9/9 地元紙の報道 久々に地元紙・北海道新聞の取材があり、週末の2日対応しました。さっそく6日の朝刊に気恥ずかしいほど大きく掲載されましたが、このやり取りのうちでいつの間にか当方が少しずれてきたことがわかりました。活動や会員の拡大とか活発に活動している、とか、はたまた後継者がちゃんといるとか、という一般的な予定調和的ゴールがわたしたちにないのです。だから新聞記事らしい収まりに欠くわけです。わたしたちとしては、年寄が体をいたわり半日仕事といわれるのも辞さず、愚直に森づくりの手作業に励む、もうそれだけで満足、手ごたえ十分・・・。この心境は、反グローバリズムにも似た、腰の引けたものかも。でもローカルな現場はそれでいいのです。 ■9/6 鹿追モデルの源泉を探って 今週早々、鹿追町にお邪魔していました。地域力の一つのとらえ方であるソーシャル・キャピタルの源泉を探るものでした。というのも、アンケートをしてみると、鹿追高校の生徒がほかの道内10校に比べて明らかに高い地域愛着度を示し、鹿追のマチの人に恩返しをしなくちゃ、みたいなことを考えているのです。人口減少と高齢社会に悩む今、地域に戻って恩返し!。この自然な発想がどこから来るのか。町長、教育長、高校関係者のほか、社会教育の関係者に聞いてみる絶好の機会でした。子育てまっさい中のお母さんたちも集まってくれました。もちろん、それぞれ別々の場ですから二日にまたがり丸一日がかり。ピュアモルトクラブという写真のこの施設も、若者がのびのびと地域で生きるための示唆に富む取組でした。やはり女性が元気であることの意味は予想外に大きいことを改めて知ります。(共著:『これからの選択 ソーシャル・キャピタル』をご参照ください) ■9/2 薪のある暮らしへ この歳になって自宅を薪暖房に代えることにしたところ、いろいろなことが見えてきた。まずかなり面倒だ。薪ストーブ屋さんは、煙突工事の下見や本番で、なんだか不ぞろいだが、ともかく来るたびに増えてくる薪に興味を持ったらしい。昨年の残ったカラマツを中心に昨年秋の小屋周りでできた薪だ。それを愛車プリウスの座席を倒して少しずつ運んでいるもの。 つい、薪の話から「薪のある暮らし」に話題は移る。近年は若いカップルが自宅の新築の折に、高価な薪ストーブを買いに来るらしい。また、欧州の今流行の薪ストーブは、わたしの目には実用にはどうもかっこよすぎる。いずれもインテリアとして要素が強いらしい。ムードとしての薪だ。当然、薪は流通する単なる商品としてゲットするだろう。 業者さんは、森づくりはともかく、薪づくり、薪利用がいかに手間がかかるのかを知っていた。薪生活のリアリズムである。だから当方は雑木林の修景を目指した間伐の結果生まれる丸太を、伐って運んで玉切りして割って積む手間、つまり薪ストーブ生活を自賄いで完結させる半年の作業を、細かく話してみせると深くうなづいていた。 これからの問題は、この手間をいつまでやれるか、だ。それはしかし、神のみぞ知る、である。ホリスティック医学の帯津良一医師は認知症予防の秘策の一つは「小動」だという。庭仕事、書き仕事、台所仕事などである。山仕事や薪仕事はその雄に当たる。森や林と付き合う充実は、きっとそういうトータルに近づくほど高くなるのではないか。そのためにも、「年寄、半日仕事」は、隠れたモットーにしておこう。 ■9/1 オレゴンのハスカップに飛ぶハチドリ オレゴンのkawaiさんから、彼の地のハスカップ圃場の画像がたくさん送られてきました。驚いたのはこれらハチドリの写真と、ハスカップを食べるレンジャクなどの鳥たち。花が1,2月ころに咲いてしまうが、花粉を付けてくれる虫たちがあまりいない話なども思い出します。自然の成り立ちを飛び越えた移植栽培には思わぬ事件が待っているらしい。それにしても興味深い。 ■8/30 赤ホヤをいただく 8月29日の夜は根室でした。ここで初めて真っ赤なホヤをいただきました。5月の末に、盛岡や八戸で新鮮なホヤ(写真左)のおいしさに気づき急に積極的に食するようになりましたが、根室のホヤは真っ赤(写真右)。しかもしたたかに味もよし。サンマも小ぶりながら脂はしっかり。 ■8/27 落ち葉がようやく融け始める 盛夏、昨年の落ち葉が10か月たって地表面のものまで腐食を始めた。そよ風の吹く雑木林の真夏はちょっとしたリゾート気分を醸し出す。育林コンペで手入れしたところ(右)は、放置された雑木林とは異質な雰囲気を作っている。 ■8/26 Tech・Neck テクネック voice of Americaの英語学習プログラム(写真)を開くと、表記のタイトルがあったので興味を持ち聞いてみました。スマホのやりすぎで首の筋肉が疲れて異常をきたすというものです。わたしのように日常的にパソコンの前で座りっぱなしというのも同じ姿勢で、そんな場合、肩周りの猛烈な凝りや手のしびれもあると言います。症状はわたしも同じなので、マッサージ師がいうとおりわたしの上半身の不調はやはり首だと断定、その矯正方法として、わたしの場合はまず枕の高さを変えてみました。簡単なことですが効果は抜群で、眠りは深まり寝覚めがよく、睡眠中の手のしびれが消えました。自分の主治医は自分である。またもや、つくづく痛感。身近なところにヒントは転がっているものです。 |
■8/23 ひきこもり願望 管理するSNSが終わってから、この手のモノに触手が動かなくなりまして、いわばコミットメント(関わり)を遮断しようという動機が心の奥の司令塔あたりから湧いているのがわかります。限界と可能性を知ったことで一区切りというのもありますが、とりわけfacebook的な過剰な発信に閉口して、逆のデタッチメントに走っている感があります。もう、家族や友人やごく親しい一部の方々以外、受発信は要らない、というような。河合隼雄・村上春樹「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」岩波書店・1995年という本を思い出したのですが、はて村上春樹はなんて言っていたか。コミットメントは生きている証のような能動性を持つけれども、たしか心の変遷のことを言っていたはずだ。つまりある時にふっと空虚な気がするのですね。コミットメントするパイは今不用意に大きくなりすぎていないか。身の丈サイズを大幅に超えてきてはいまいか。ひょっとしてこれってグローバリズムの洗脳だったのか。そもそもSNSなんて会ったこともない人々とつながっていこうという意図など無謀なから元気が求められる。グローバリズムヘの疲れと同時に来たデタッチメントは、どうも加齢に伴う引きこもり願望と酷似し、いささか小さな悟りに似ている。だから極めてあずましい。そんなことを考えていたら、小さな講演会のオファーが舞い込んできた。しばし携帯で受け答えしながらためらっているうち、そのサイズ感を考えたら、よし今回はOKしようと肚が決まった。やはり、なにか、悟ったような気がしている。ひきこもりでいいのだ。 ■8/20 ヒグマに思う 去る16日、静川のログハウスで小さなミーティングをしていた午前11時過ぎ、別の用事で来ていたNPOの女性会員Mさんが「今、クマが林道を横切った」と少し慌てて戻ってきました。その瞬間、「とうとう身近な人たちに目撃か」という感慨が起きました。わたしが勇払原野に関わり始めてからの約半世紀近く、ヒグマの話は時々出ては忘れられ、時には猟友会が出たとニュースになったりしました。しかし目撃は実に稀だったのです。勇払原野の一部の沼ノ端界隈が新たに住宅団地になり、携帯電話が普及するようになってからはより頻繁に穂と目につき通報が容易になったことなども背景に、このところヒグマ情報は益々多くなっています。苫東のなかだけでも、耳を澄ませば年に数回、ほぼ確実にヒグマ情報が聞こえてきます。 ここで深く考えてみたいことは、勇払原野を移動するヒグマは、その「十分な緑地面積」のせいか、ニアミスによる殺傷事件などはなく、被害といえばミツバチの巣箱と試験栽培の農地ぐらいで、人の対応で回避できるものだったことです。千歳のアイヌのKさんが、人を襲わないいいクマと共存していたらその状態は維持した方がいい、と言っていたのを思い出します。緑地の在り方次第ではヒグマと共生できる、いや「現状では共生せざるを得ない」というべきですが、残念ながら勇払原野におけるヒグマとの共生は、取り組みとして光を浴びることはまだなさそうです。 写真は今から20年近く前、苫東で捕獲されテレメーターを取り付けられて、地域の科学的なヒグマ移動情報を発信したヒグマ「トラジロウ」です。ヒグマを捕獲することは比較的簡単なので、個人的には、苫東にやってくるヒグマのすべてに発信機を取り付け、移動情報を管理する方法があると思います。これはすでに知床で試みられたはずですが、専門家はその情報をどう利用するのか、これも大変難しい事情があると言います。しかし野生動物が移動する都市近傍でもリスク管理と生き物との共生を探る実験としてぜひ考えてほしいことです。なにせ、苫東は東西をつなぐ唯一の移動ルート(コリドー)なのですから。 ■8/19 表札27年 半年ぶりに帰省した娘が何を思ったのか、表札を彫りなおしてあげるといいます。裏返してみると1990年の引っ越しの時に作った、とあります。思い出しました、ツーバイフォー住宅の2×12の端材がずいぶん出てきてそれを利用してわたしがテキトーに作ったものでした。北米のスプルースで作ったその表札の表面は、寄る年波で真っ黒くなって名前が読みにくくなっていたのでした。彫刻刀で彫って浮きだした木肌と文字は、ちょっと新たな風格も感じます。材は全く損傷も腐れもなく、むしろ裏の取り付け用金具が錆びています。近年は、木材を燃やして電気にする木質バイオエネルギーが再生可能エネの素材として一部で注目を浴びていますが、木材は表札のように、切った後からその木が生きてきた年数近くを材として役立たせたいと思うものです。それでいけばこの表札はあと100年くらいは楽にいけます。親孝行の娘だなと勝手に思いました。 ■8/16 育林コンペを拡大へ 今シーズンから育林コンペに厚真のグループが参加する可能性が出てきた。昨年秋からこの春にかけて温めてきたプランを、今日は土地所有者も入って静川のテラス・森カフェで提案と意見交換をした。公的な森林を信託という気持ちをもって関わらせてもらうのだが、そのスタンスを共有できれば信頼の輪はもっと広がる。平坦な雑木林を世話する楽しみはもっと多くの有志にも味わってほしいところ。これが苫東方式の里山運営につながっていく。 ■8/15 苫東方式を考える 6,7年前から、将来、大木になりそうな樹木に印をつけてみている。作業個所ではその樹木の周りを透かしている。将来木施業と呼ばれる方法と似ているけれども、苫東ではそれがちょっと違う。 大木になると倒れるのである。火山灰で根が浅くしか張れないから、大きくなって風当たりがよくなった順に倒れるのだ。近く、土地の所有者の緑地検討委員会で、森林管理の提案をしてほしいというリクエストがあり、そこでわたしは「苫東方式」という、長年ここの林をいくらか実践し、見て、感じてきたことを簡単にまとめたこのワーディングでお話ししようと思う。しずかにゆっくり付き合ってたどり着いた言葉で、ここに合う方法、いや考え方である。もちろん、国内以外、あちこちの森づくりを見てのことだが、意外とシンプルなことで言わば「倒れる前に伐って利用する」という抜き切りである。 浜田久美子さんが『スイス林業と日本の森林~近自然森づくり~』という新刊で、スイスの近自然森づくりを紹介しているが、苫東方式はこれに近い。収穫がそのまま手入れになる、という優勢間伐である。皆伐を原則としてしないで持続させるという課題を持つ苫東の保全緑地と周辺では、まず風倒木、掛かり木、ツルなどに絡まれたケガレチ的林をまず改良の除間伐をしてきた。気持ちの良い林への一歩だ。 次のステップとして、これから風倒木予備軍を切るのである。少しずつ折に触れやってきたが、根返りの兆候を見つけるためには林をよく歩かなければならない。大木をマークし、倒れそうな木を見つけるのだ。このためもあってわたしは林を目指してきた。他人の林だが、コモンズ林という側面を持つ林の、決して多くないファンのひとりだと任じている。よく言われるほどには、林を歩くのを趣味にする人などいない。 ■8/13 薪単価の改訂について ニュースレター19号で予報しました薪単価の改訂について、薪会員に正式にお知らせをしました。なお、現在のところ、新たな薪分譲の余裕および予定はございませんのであしからずご了解ください。 ■8/11 密度調査の結果、中間報告 ⇒ 8/12に補足しましたので 本報告といたします 雑木林はヘクタール当たり何本に間伐をすれば(つまり、木をすかせば)自然に萌芽更新が進むのか。これはかなり大事なテーマであります。苫東コモンズの静川の小屋周辺は、それを直に知るため大きく4つのエリアに区分しおのおのその密度を替えてあります。その密度を調べたのが8月5日。その5日に調べた樹木調査に9日のGPS面積調査を加えて集計しました。 ■8/9 (お知らせ) NPO総会日程の変更について NPO苫東環境コモンズの29年度の総会は、10/21 から 10/28 に変更になります。総会は午前10時から、昼食後の午後は、育林コンペの中間報告会で、各林分の現状と作業方法について意見交換します。出欠のはがきは後日発送します。 ■8/7 シーカヤックを売りに出す 関心や趣味は年齢とともに移ろいます。あれほど入れあげたものが、まったく熱が冷めるというのが人の常にしてままあり、私の場合は成人後はまず40歳あたりで離れたのが山でした。ついでカヌーやカヤックかもしれません。カナディアンカヌーを10年ほど前に若い知人に譲り、昨日は物置にしまっておいた組み立て式のシーカヤックを、物置の邪魔だからとオークションに出すことに。そのためにまずやり方を思い出しつつ1時間で組み立てたところ、ナント、20年も使っていなかったのにも関わらず、どこも異常がない。両舷のフロートもパンパンに膨らんだ。さすが、メイドイン・ジャパン。買ったときは25万円ほどしたが、オークションでは4,5万あたりからスタートか。これでカヌーなどの道具は一掃となり、いずれはフライロッドもネットで競りにかけようかと思案中。フライの糸を結ぶ穴が見えなくて四苦八苦するのです。なんのことはない、これも断捨離に促される動機なのでしょう。また、競りで失う貨幣価値分、十分遊んだな、と思えるから幸せと言えましょう。 ■8/5 里山は人をエコな営みに誘う 人里近い、日々往来する林、いわゆる里山というのは一朝一夕で出来上がるものではなく、通い詰めてやっとそれらしくなっていくものです。逆に、放置されていた林でも人の足跡の数だけ里山に近づくといってもいいほどです。今日は雑木林ケアセンター周辺約3000坪に残った切り株を切り戻し、集積されてくさった丸太を周りの林に運び捨て、センター周りの4区画の林の密度を調べました。そして最後に、切り株の切片を、一発芸のように積んでオブジェにしてみました。 ■8/5 イカの塩辛をつくる 突如、稚内沖でイカが獲れ始めたというニュースを聞いた。イカ好きのわたしにはきわめて朗報で、ある。どれほど朗報かといえば、天婦羅のネタとしては海老よりイカを所望するくらいだ。以心伝心、おとといの夕食の揚げ物にはイカの天婦羅が「混じって」おりまして、家人は若干イカの本体とゲソが残っているという。さっそく、塩と鷹の爪と焼酎を手元に置いて、今季初のイカの塩辛を作ってみた。といっても、毎晩、ばっ気させるため瓶をあけ、味見をするのが、いや、この途中で味見をしながら一杯飲むことだけが楽しみで作るようなもの。漬かりきりなれた塩辛は好きでないのである。初日はやや塩っぱく、2日目は少しなれて恐らく明日あたりから本命の日々へ。 ■8/2 「地球と一体になる」 (写真は福田さんのfacebookから) フリーダイビングの福田朋夏さんの語りに注目した。フリーダイビングで海に沈んでいくフリーフォールのさなかにとても気持ちがいい短い時間があり、それはいわば「地球との一体感だ」という。ジャック・マイヨールも「ガイア・シンフォニー」でそう語っていた。彼もそうだったが、ヨガによって内臓や肺の動きを極限まで縮めて血液を局所に凝縮させ(ブラッドシフト)、さらには失神(ブラックアウト)に至ることもあるという。この一体感は大波をくぐるサーファーもあると聞いたことがある。個人的には新雪の大斜面を山スキーで下り始める瞬間にしばしば感じた。身近な例では何かの拍子で冥想がとてもよくできたときも、土地の神様・産土(うぶすな)を身近に感じる。この気持ちよさ、幸せ感は特別なものだ。自然の方へアンテナを伸ばし森羅万象とのやり取りを目指すのはこの準備といえなくもない、と思う。 ■8/1 明日は読書三昧か ようやく少しだけ水曜休暇に慣れてきた。1か月ほどたった憧れの水曜、なのだけども、今一つ実感がなく、予定をそこに集中するから、逆にちょっと忙しい思いも少し。反省して立て直しだ。 ■7/30 雑木林の涼風、里山のリゾート 蚊のいない雑木林の夏は別天地だ。さわやかな風も吹いて涼しい。しかし、そこは夏。刈り払いや薪割りを始めれば10分もしないうちに汗ばんでくる。それにしても快適だった。小屋周りの林床を、フタリシズカ群落やシダを刈り残しながら、見通せる里山風景を整備した。 スレートの屋根に苔が生えて3年ほどになる。明らかに日照が減っているのだろう。その分、樹木が枝を張って成長している裏返しで、これは早晩、微妙な抜き切りをせねばならない。昼休み、どの木をどちら方向に、どんな方法で伐倒すればよいか、意見交換した。小屋の屋根をこわさず、テラスも傷めず、かつ、モミジとイタヤは残す・・・。これは11月4日のチェンソースキルアップの集いでabeプロのもとで実施の見込み。 ■7/30 勇払原野のソウルフード 「庭の紫蘇が虫に食われている」という方から、赤紫蘇と青紫蘇を20枚ほどずつもらったので、さっそくハスカップの塩漬けを作ってみました。土曜日の山仕事に出かける直前のことです。わたしのやることだから万事いい加減だけど、どうやってもさほど失敗作にはならないことを経験済み。今回は赤紫蘇をよく塩もみしてアクをキモチだけ抜いてから、昨年の山口農園の大粒の冷凍ものを一個ずつ塩をまぶして包み、紫蘇にも塩をまぶして並べ、最後に一握りの甘塩を加えた。そして今朝、同じサイズの器を用意してそっくり裏返して詰め直し(写真右)。一粒、つまんでみたら、ん、いい感じだ。時々この裏返しを繰り返せば、10日ほどでよくなじむのではなかろうか。映画「かもめ食堂」ではおにぎりが日本人のソールフードだと言っていたが、勇払原野でハスカップの味を知ってこだわる一部の人のうちの、さらにごく一部の人にとって、ソールフードがハスカップの塩漬けに違いない、とわたしは密かに信じ込んでいる。今年、これを仕込むことができたことはシアワセ~。 ■7/26 銀婚湯の林を手入れする人 24日月曜日から喜茂別を皮切りに南下し道南の2自治体でこれからの地域政策のヒアリングを行い、25日夕方6時ころ森町の銀婚湯に到着、1泊。知る人ぞ知る秘湯ですが、わたしはその庭園と林の扱いに関心を持ってきた一人です。夜10時、3代目の川口翁がフロントで新聞を読んでいたので聞いてみました。 わたし「丁寧な手入れと自然な風味にいつも魅了され感服しています」 川口翁「いやいや、最初はゼロからのスタートで、素人の我流のはずかしいものです。桂並木は苗を作って植え込みました。最初は1ヘクタールだったものを離農した土地を買って今は30ヘクタールになりました。」 野田追川沿いの敷地を自分の好きな木で好きなように覆い、少しずつ手入れし6つの露天ぶろ(写真はもみじの湯)を代々作ってきたようです。桂にこだわり、もみじを重用し、部分的には各樹種の一斉人工林になります。それを自然仕立てに日々手をかけていくわけです。何かを慈しむように、静かににこやかに語ります。タンクなどの異物は薪で隠しますが、材料はやはりくされに強いニセアカシヤで統一(写真右上)。 川口翁「お客さんもなにか林をそだてているんですか?」と聞かれて、人様の広葉樹林で手入れの勉強をしていますと答える。なんとなく理想の林を時間をかけた手入れで目指す同志や仲間のような見えない糸でつながる、そんな気にさせるひと時でした。庭はゲンジボタルが飛び、空は満点の星空で天の川が天中にかかっていた。30分ほど空を仰いで流れ星ふたつ。トラツグミが鳴いていた。 ■7/23 山菜の女王「スドキ」の群落づくりプロジェクト、一応成功?! 不安定な空模様で降ったりやんだりの一日。小屋周りとフットパスの刈り払いのほか、残っていた丸太を割って薪を作った。一日の終わりにふと思い出して、以前、試験的に撒いたスドキの種の発芽を見て歩きました。これまでは発見できなかったのが、あった~(写真左)。過去の写真集を見ると枯れたスドキの花の先っぽを地面にさしたのは3年前の2015年9月6日でした。S長老が自宅庭で試していたのを参考にしたもので、静川の小屋の周りにも、みんなが大好きな山菜「スドキ」(和名モミジガサ)を拡散させようと種のついた穂(写真右)をいくつか刺したのでした。一応、成功といえるでしょう。今年はもっとやってみましょう。 ■7/19 竹中平蔵氏の国力をそぎ落とす陰謀 表面的に日々取り扱われるニュースの陰で、日本の針路を大きく変える重大事が見過ごされていると思います。それは結果的に大量の外国人を受け入れようとする移民政策と、基本的財政収支を黒字化する、いわゆるプライマリーバランス黒字化目標ですが、昨夕の帰宅時に聞いたラジオニュースは、後者すなわち2020年度まで達成が不可能だろうという政府見通しを淡々と報じていました。(達成不能でいいのだけれど) この黒字化にこだわって緊縮財政を続けると日本のデフレ状態はますます悪化すると指摘する識者は少なからずいて、増税を含むアベノミクスを当時擁護した高名な経済学者も、自説の間違いを認めたのに、世間やメディアは一向に地下でシビアに議論されている日本の舵切りの大問題に触れない。PBを黒字にしないと借金の日本は沈没する、とばかり喧伝している。だから昨夜のラジオに耳を傾けた次第。 安部首相も黒字化目標にいまだに恋々としているのかと思いきや、今朝の読売新聞朝刊によると「(自民党衆議院議員若手でつくるグループが)2020年度の黒字化目標を撤廃するよう政府に求める提言をまとめるなど、さらなる財政出動を志向する首相を後押しする動きもある」という。これは意外でした。もし首相が目標撤廃に舵を切るのは歓迎すべきことと言えます。これらのもとは、財政健全化という一見反論のしにくそうなロジックを編み出し骨太の目標を掲げた巧妙なシナリオ・施策にあり、その発案時と、現在その恩恵にあずかる人材派遣会社で富を受けていく当事者がかの竹中氏である。世界のグローバル化による自由主義経済の伸びしろが日本にあるためだと思われますが、グローバリゼーションにのらりくらりとしてきた日本が欧米の世界標準にたどり着く前に、欧米の先進国らはグローバリゼーションにほとほと疲れてしまった。移民政策も大失敗だった。日本のメディアはもっと根源的なところに、眼鏡を曇らさず、偏らずにコミットしなければ、娯楽に成り下がり自滅してしまうというか、やがて国民にも信頼を失っていくのではないだろうか。そして竹中氏の言説はなぜマスコミの議論や批判の的にならないのかが不思議でなりません。ひょっとして財務省はそこまで力があるのだろうか。 ■7/17 森に迷う話 ヘンリー・フォンダ父娘とキャサリン・ヘップバーンの映画『黄昏』(on golden pond)を見ました。1981年の映画で、たしか認知症という言葉が広まる前、ひょっとしたら大橋巨泉の11PMの紹介で知ったような記憶がおぼろげにあります。印象的だったのは80歳になるヘンリー・フォンダが映画の冒頭にいつも行く森にイチゴ摘みにでかけ迷子になってパニックになるシーン。前期高齢者になる前、磁石も地図も持たなかったとはいえ英国とフィンランドの森で道に迷った経験を持つわたしには現実感が迫ってきました。ちょうど、ホリスティック医学の帯津良一氏の「脳活」の本をパラパラと見ていて、身近な認知症とその予防の生活習慣のあり方は新鮮に伝わってきました。帯津さんは「小動き」を奨励していましたが、庭仕事、山仕事、書き仕事、コツコツこまめに動くのがその教えに叶い一番のように見えます。そうでした、うっかり忘れていましたが、湖に遊ぶアビ(Loon)が実に美しく描かれてストーリーの背景にいます。ルーンという英語の響きも素敵。 ■7/16 サンマに見るコモンズ サンマの漁獲規制を協議する「北太平洋漁業委員会」が15日閉幕した。国民をして、よくもまあ、こんな都合のいい提案をするものだと思わせるほどの、お人好しのプレゼンを日本側はした、と思った。サンマが日本の排他的経済水域に入る前に、中国、韓国、台湾の漁船に獲られてしまうので、これまで独占的に常食としてきた日本が自分に都合の良い枠を関係各国に提示したのだった。問題は、スルメイカ、サケのほか、カタクチイワシ、カツオ、スケトウダラ、マアジも同様で、ここ10年の間に1/2または1/3になったものも少なくない。これは、わたしたちの日常にあるローカルなコモンズに対して、グローバル・コモンズと呼ばれるジャンルの話で、ルールがなければ破たんあるいは紛糾する。日本が東アジアで進めている外交政策は伝統的コモンズの課題解決方法のアプローチと見てきただけに、サンマ提案はやや唐突に思えた。もうひとつ、知恵がなかったものか。 というかたわら、先週英国湖水地方に出かける前後にジェームズ・リーバンクスの『羊飼いの暮らし』を読み始めた。湖水地方において、領主から固有の羊を放牧する土地をコモンランドとして利用し生業を成立させていて、著者はそこに生まれオックスフォード大学を卒業したそこのコモナーでもある。5,000年も同じ暮らしをして来たという。描かれているのは、住民自らが土地を管理する日常であり、ワーズワースが書いた湖水地方は文化帝国主義といえるくらい似て非なるものとして違和感をもっている。こうしてコモンズの内側から生活や概念を詳述したものは実は初めて読むような気がする。ニューヨークタイムズに絶賛されたベストセラーで、コモンズは今、時代を読み解くカギになっているのだろうか、と思う。 ■7/15 ハスカップを摘む 恒例のハスカップ摘み。勇払原野の夏の風物詩といわれてきたが、いまや、本場のハスカップ摘みを知る人は少なくなった。が、わたしたちの年一回の集いだけは、オーソドックスなスタイルのおじさん・おばさんが登場し観察できる。効率よく摘むことができ、採った実をつぶさないよう保管できる簡易な器、虫刺され・草かぶれにも対応するいでたちからなる。加えて言えば、紫の実がつぶれてもいい衣服ということになろうか。昨年は成り年で大豊作だったので、栽培農家からは今年は「うらなり」の不作が伝えられたが、フィールドは実こそ小さかったが成りは平年並みということだった。 ■7/12 森林の美学 少し前の同窓会紙を眺めていて、K教授による「北大・森林美学の110年」という小文(講演会要旨)が目にとまった。個人的に、森林をどうしたら本来の美しい姿に導くことができるのかを折にふれ思案してきた一人として、森林の美学的扱いに絡む表現にはつい立ち止まってしまいます。森林美学はドイツの人工林が発端ですから、当方のフィールドである里山の広葉樹林とは一線を画すのだけれども、森林を美か醜か、という目で見る視点はこれからも欠かせないものだと密かに思っています。わたしは森林美学を学んだ後、田村剛氏の「森林風景計画」に踏み込んでむしろこちらの方に親近感がありました。森林ジャーナリストの田中淳夫氏のブログにはその辺の詳細が書かれていて興味深いものがあります。世間では生物多様性から森林をとらえたりするするのが常のようですが、わたしは森林の多面性、特に「林とこころ」についてのこだわりが終わりそうにない。よその森と林を見れば見るほど、奥の方に吸い込まれる。 ■7/8 大英博物館とハイドパークなど ロンドンは3回目にして初めて大英博物館に行ってみました。これまではフットパスなど別の用事が混んでいて、無料の、250年に及ぶ壮大なこのコレクション見学は後回しにしていたのです。さすが、聞きしに勝る圧巻。特に強く印象に残ったのが写真左のエジプトのお棺。BC3000年といいますから今から5000年前の木製です。昨今のように木質バイオマス発電で刹那的に熱を取り出すこともできるし、こうして気の遠くなるほど長い時間もくぐることのできる木材。自然史博物館、科学博物館も無料とは思えないストックでした。一日コース。 ロンドンはパークやコモンと呼ばれる素晴らしいキャンパスタイプの広大な公園がいっぱいです。中心街はこの日、ゲイのパレードでにぎわっており、ハイドパークはというとライジング・サンのようなライブコンサートで喧騒のさなか。テロで騒いでいる都市とは思えない無邪気な人混みがあります。それで隣合わせのケンジントン・パークへ。領主の狩猟地解放とコモンズの運動によって市民のものとなったこれまた壮大な財産。ロンドンは楽しいことがいっぱいで住みやすい、と通訳の女性。 ■7/7 南下してからロンドンへ 7日は、マナーハウスからバースまで南下し、ローヤルクレセント(貴族たちの集合住宅だったところ;写真左上)などの世界遺産を訪れてから昼食で牛肉のパイ。スープはスパイスのきいたトマトスープ。英国の食事はメンバーにおおむねずっと不評ですが、今日は味が濃いので平均点のよう。つまるところ、出来合いが多いのではないかとの説がもっぱら。ホテルが変わってもメニューは同じで味も一緒なのがそれを暗示します。食に対する興味の問題か。英国では食よりももっと大事なものがあると人々は考えていたとある本で読んだ。だから、食のローマ人、ノルマン人が征服してもなにも痕跡を残せなかった、と。夕食はロンドンに近い郊外のパブ。地ビールを飲んだところ炭酸が少なくやや酸味のあるものでした。それはそれで楽しんでバスはロンドンに向かったのですが、渋滞に巻き込まれ、到着は22時。 ■7/6 コッツウォルドにて 5日は世界遺産である海商都リバプールでビートルズが誕生したマシュウストリートを見た後、水道橋など二つの世界遺産を巡って、田園の中にポツンと立っているマナーハウスに泊まった。直径2mのクリの大木数本が満開だった。早朝5時、窓を開けると芝生にウサギが草を食んでいる、そんなところだった。6日、フットパスや石灰岩の民家、そしてガーデニングなどで有名なコッツウォルドを廻る。町中に突如、public footpath というサインが見え人々が歩き通している形跡が見える。エイジングを感じさせる建物はそれ自体が風景を演出している。コッツウォルド・ウェイというフットパスはこのあたりから7日に行くバースまで、南へ150kmほど続く。 ■7/4 湖水地方にて 前日は12時間のフライトのあと、330kmを4時間バスに乗ってリバプール朝方4時着。時差はちょっと便利で、それからゆっくり通常の夜シフトに乗っかり現地時間の11時ころ就寝、早朝リバプールの駅周辺を歩いた。それから余裕をもって初めての湖水地方へ。沿道景観はさすがの羊の牧場風景が続く。風景を美しく見せているのは美瑛の丘のような牧場と風景を仕切るボスケと呼ばれる林帯や石のヘッジ、、アクセントを作る大木など。この日感銘をうけたのはこの地に37年間住んで詩作をした女王おかかえの詩人・ワーズワースの家の庭。詩人にならなかったら庭師になりたかったという。一日中、雨が降って緑はとても美しかったが、寒くてダウンを着て歩いた。写真はワーズワースの庭・ライダルマウント。大木も花々もふんだんな景観式庭園。 ■7/3ハスカップのふるさと「アムール川」上空を飛ぶ 3日の朝、英国行きのブリティッシュ・エアウェイズに搭乗。間もなくユーラシア大陸上空に入り延々と昼間の快晴のシベリアを眺めることができた。圧巻はアムール川。わたしが勝手に言っている勇払原野のハスカップはこのアムール川のほとりのもののタネが海に下りオホーツクから千島海流によって運ばれてきたというトンデモ説の元となる恵みの大河が、眼下にある。上空10kmでこのスケールだから地上で見れば海のサイズか。スケール観に驚く。延々と釧路湿原が北極海まで続いているという感じだ。森林火災は見えなかった。が、ツンドラ地帯は丸い沼沢池、いや支笏湖以上もある湖かもしれないが、これらが無数に広がっている。永久凍土が解けてメタンガスなどが出ている可能性のある一帯とはこのことかもしれない。無人の大地は何時間も続き、これは神様以外には創れないと思わせる。次第に緯度を下げおそらく北緯70℃あたりから道が見え出し、やがて集落が見え始めるのが興味深かった。人々は極寒のギリギリまで住んでいる証だ。日本時間の深夜4時ころ、リバプール着。 ■7/2 研修会にて 7月1日と2日、NPO苫東環境コモンズ恒例の森づくりに関する研修のため小樽方面に出かけ、1日は札幌市の白旗山の環境林(写真左上)に寄って会員のabeさんから山や作業の話を聞いた。午後に銭函・高川さんの「ワオーの森(写真右)を訪問。急な5ヘクタールの広葉樹林を、保育園の父兄などの手伝いを得ながら少しずつ作り上げた、高川さんの使命感と遊び心とネットワークの結晶だ。斜面に一日数メートルずつ小道を創っていった話や保育園の子供たちが文字通り森の幼稚園として果敢に遊ぶ挿話などに聞き入った。 2日は余市のエコビレッジを訪ねた。坂本純科さんが中心となって2012年から運営しているエコライフの実験場のようなところ。農家など地域の方々とつながり、6ヘクタールの農地と林を、環境に負荷をかけない「生活」を展開している。食べ物、住まいの建築、住宅の暖房、、生活排水など一つ一つの行動をあくまでエコロジーで貫く。国内外の若い人も大勢やってくる一帯は、どこか別天地のような空気が流れていた。 ■6/29 白い径つくる花、ハクウンボク 白い花の出会いと再発見が続いています。ミズキ、ワタゲカマツカ(ウシコロシ)、カンボク、そして今回。この日は、町内会の放置された裏山の丘の小路で束の間、雪景色が現れました。5裂の筒型の花「ハクウンボク」です。白い花シリーズになった今年の春の発見に追加。 ■6/28 サンショウの実をいただく 町内の裏山にあたる雑木林は苫小牧では有名なサンショウの自生する丘で、丘の頂上にはよく実をつけるサンショウの成木がある。これまでいろいろ食を試したが情報不足で実食にいたらなかった。が、先日TVで、食するには4つのステージがあることをようやく知った。しかも10日ほど前は、東北が今その第3段階、即ち、実をすりつぶして食する季節だと知った。で、そろそろ北海道もその時期かといってみたのだ。藪蚊の大群に襲われて閉口しながら、辛うじて摘んだ実をすり鉢で摺って白ワインで薄めて「山椒みそ」にしてみた。このような実の使い方なら、くっついている柄も気にならない。そして、容易につぶせる。さらに、うまし。 ■6/28 この一週間の出来事 6/21 水:理事会と評議員会があり、理事の留任決まる。札幌通勤は継続。ただ水曜日を休日にしてもらい、エッセー集『ハスカップとわたし』の編集にも力を配分することに。 6/22 木:昨年10周年を迎えていた実験サイト北海道SNS 『どっとねっと』 が、ドメインの継続をやめてサーバーから削除、完全に終了。facebookに作っておいた移行サイトでメンバー同士で別れの挨拶かわす。夕方から林政ジャーナリストBさんと森林と林業を語ってのち中華バルで短い一献。 6/23 金:郷里からサクランボ、届く。 6/24 土:薪づくりが終了。概略21.5立方mで、昨シーズン24立方mの約10%減が確定。12月の間伐開始から積むまでざっと230人が関わった。前の週から刈り払いも並行、工程は予定通り進行中。 6/25 日:薪ストーブ専門店、訪問&検討。欧州の炎重視のストーブの背景や触媒方式など、いろいろ興味深い話を聞いて勉強になった。いよいよ、一歩近づく。 6/27 火:夕方から「ほっかいどう学」に関する作戦会議と懇親会。刺激的な意見交換で久々の24時帰宅。 6/28 水:嘱託となって最初の中休み。病院と整体、植え込みの刈込、研修旅行準備などで忙しくして終わる。ちなみに昼、ビール。 ■6/24 林は黙って飲み込み、供給する 今日は、朝いちばん、トラクターが応援に来て散らばった薪を集めてくれたので、ついでに残された腐った木片は林の中に運んでもらった。土に還元だ。林とは本来こんな風に、何でも飲み込んでくれる、分解還元ヤードだった。ここに持っていけば、ブラスチック以外はたいてい分解してくれる。 なんでも飲み込んでくれるという話で思い出したが、アイヌの人たちは林はドラッグストアとみなしていたという。わたしたちも山菜など食料庫として見る時期がある。燃料の倉庫ともいえる。ヨーロッパでは、ラブホテルだった、という。姥捨て山でもあり、駆け込み寺でもあり、すべてが許される避難所、隠れ家、すなわちアジールでもあった。森林で癒されるから病院でもあり、特に精神科やセラピストだともいえる。 こうしてみると、林というのは機能が半端でないほど多岐多様で、深い。わたしたちはそのほんの一部しか使えていない。 ■6/23 休眠預金の運用 NPOのサポートセンターから表題のようなタイトルのアンケートが来ました。そういえば、預けっぱなしで休眠しているお金が雑収入として銀行に入り、これが隠れた、しかしバカにできない額だという話は聞いたことがあります。昨年12月に成立した法律ではこのうち700億円程度がNPO等民間の公益活動を担う団体に助成したり融資できることになったもの。アンケートは「NPOのみなさんは何に使いたいか」という問いでした。 こうなった背景はつまるところ、家族がだんだんばらばらになってきて(もと)家族の資産状況の把握などできなくなっているということか。土地も同じで、政府は持ち主が不明な土地を公共事業に利用できるような制度整備に着手すると言います。全国的に行った法務省のサンプル調査結果をふまえたものです。 土地はもともと国家のもので、税金という使用料を払って一時預かるのだと考えれば、使っておらず税を滞納したら持ち主にバックするのは自然な道筋。それが顕著になってきたのも少子高齢化、人口減少などの時代の波、流れの中にあるのでしょう。土地は誰のものか。自然は誰のものか。 ■6/22 報道と政治 国会が終わったが、あれは何だったのか。喧騒感と挫折感のみが残った感じだ。モリトモ、カケと忖度の話で連日パフォーマンスが続いている間に、実はどんどん進む移民の受け入れをどう制限するのか、などなど、喫緊の日本の課題、日本の針路について議論してほしかったところ。結果的に与野党とも、国策を練るという点でなってない。また、種子法が廃案になって、これまで地域が競争しつつ作ってきた稲などの研究開発が民間の競争にゆだねることになったというではないか。モンサントなどが参入して特許という独占、占有の道にリードされていく。本当に、こんなことでいいのか。小池氏も得意とする劇場型政治から、日本は脱してほしい。グローバリズムはどうやら時代を先導することができないことだけはあきらか。世界はアンチ・グローバリズムヘ傾斜する。 ■6/18 ピアノを手放す喪失感 25年ほど親しんだピアノを手放して来し方をおもんぱかり、しばしボー然とした。居間の一番真ん中にデンとしていたから、空白が埋まらない。いずれ、薪ストーブが配置されるまでこの喪失感は続くだろう。近年は娘は帰省した時にたまに弾く程度で調律もしていないので居間の主役は置き換わるのだが、手放してみて、その存在の大きさと生れた断絶に気づいた。娘にメールで写真を送れば涙ぐむに違いない。230kg。今流通しているものより50kgほど重い。この型は木がふんだんに使われていて貴重なのだという。函館の方の家に届けられるらしい。 ■6/17 今年のテンナンショウはどうした? ようやく夏が来た。先週、ミズキなどの地味で静かな開花に見惚れたところだったが、今年は異常にコウライテンナンショウが多く目につく。小屋のアプローチのところに積んだ薪オブジェの裏には、実生と思われるテンナンショウの小群落までできていた。昨年の実成りが多かったのか。このオブジェの裏に赤い実をつけたままテンナンショウが秋まであっただろうか?そんなことはないはずだ。オニノヤガラがずいぶん目立つ年もあった。そんな年はボリボリがよく出る、とある物知りが言っていたが、真偽は不明。ハスカップも去年は当たり年で今年は不作の見込み。あるものが繁茂しあるものは静かに収まっている。どんな事情があるのか、毎年毎年、一瞬一瞬、同じ場面や状況というのがない。じっとこれらを見つめていると、会話が始まるような気もしてくる。木漏れ日を浴びたテンナンショウは何か話しかけているような風情だ。聞き耳頭巾があれば、人は、、、、、天才詩人になるか、狂ってしまいかねない。 ■6/11 地味な花の香り、ミズキとウシコロシ フットパスの作業後、静川の小屋によると、何ともほのかな芳香がする。ミズキの花だった(上)。もうひとつ、地味な花があった。俗にウシコロシ、和名はワタゲカマツカ(下)。このあたりの下層の優先灌木だ。ほとんど名も知れぬ花々、今、せみ時雨の中で静かにクライマックス。 ■6/10名物は・・・うまい 八戸の「さば」 先週、八戸に寄った折、地元のTさんに「さば」専門店に連れて行ってもらいました。わたしが八戸産で最もよく食しているのが「さば」だとお話したから。福井の「鯖」ももちろんおいしいですが、八戸もさすがでした。写真は「串さば」。このアイデアもgood。ハラスと身が交互に。さばは本当においしい。 ■6/10荘子の言葉 前期高齢者にさしかかるやや前あたりから、やっとこのごろ楽に人生を送れるなあ、と思うことが多くなりました。そう感じるご同輩も多いはず。そんな時、この荘子(BC3世紀ころ、タオの始祖)の言葉を思い出します。「将らず、迎えず、応じて、蔵めず」 おくらず、むかえず、おうじて、おさめず、と読みますね。 いろいろな訳があるのですが、あるブログでは高僧の解釈としてこんな風に紹介されています。『「将らず」というのは、過ぎ去ったことにくよくよしない。「迎えず」というのは、これから来る未来のことを思い悩まない。「応じて」というのは、その時その時に臨機応変に精いっぱい尽くす。「蔵めず」というのは、恨みや憎しみの念を心にしまいおくな、という意味。』 どうでしょう。平易でわかりきったことでありながら、なかなかできないことです。これができたら世話ない、と思えるほど。加齢とはそこへ自然体で近づくということのようです。だから歳を取るのはいいなあ、という思いの傍らで、あっちが痛い、こっちがどうしたと体や脳力の不具合、不満足がみつかり、気にもなる訳です。お金にも困らず時間もでき、だいたい満足できるようになるころはこんどは余命が足りないということらしい。それでも、夜が明け今日始まったばかりの早朝、、出来立ての朝日を浴びながら素直に感謝の念が湧く、そんなひとときにパチリ。 ■6/10「それがどうした?」SNS考 …雨で山仕事が休みのためまとめ投稿 更新に間があきました。ちょっと帰りが遅くなると、もうHPを更新する時間がとれません。それとこのごろはSNS投稿をほとんどやらなくなりました。どこへ行ったとか、何を食べたとか、親しい友人とあってどうしたとか、プロジェクトがどう進んだか、とか、外へ発信する意味をほとんど感じなくなったようです。枯れてきたか。つまるところ、「それがどうした」と突っ込んでちょっとたじろぐような事象はもう書かないと。徹底して、里山の足取り、それと加齢のつぶやきのみ。そしてその小悟のようなつぶやきをたま~にご同輩と共有する楽しみ。いいですねえ。要するに断捨離タイセイに入ったようです。おかげでずいぶん楽になったことはたしか。 ■6/3 サインを木に直接打ち付ける 薪積みと並行して、フットパスのサインを補修。毎年、春、倒れたり割れたりしたサインのすべてを打ち直す手間が欠かせない。今年からは、樹木に直接打ち込む方法も取り入れることにした。どこかで見たことがあるし、樹液採りなどもよくやるフィールドであってみれば、樹木のダメージも、まあ看過できる程度と踏んだ。すべてとはいかないが、ある程度これを併用すれば省力化できる。 ■5/30 継続する広葉樹林 岩手大学の滝沢演習林で天然林の持続的な更新を見せてもらいました。ヘクタールあたり70本の大木(高木)を残し、稚樹の侵入を促して再び若い広葉樹林に再生させるもの。間伐後、3,4年目の近い若い木が育っており、光を取り入れるため列状に刈りこんでいました。苫東で果たしてこれほどの更新が期待できるだろうか、と自信はありませんが理論的だけでなく実際に広葉樹林状態が維持できることは間違いなく存在する。これは力になります。(写真左) 最後にヘクタール蓄積1,000立法mのスギ人工林を見せてもらいました。直径70cmほど、樹高は30m以上。南部藩の時代の植林で圧倒されます。ちなみに大島山林あたりは150立法程度かと思います。(写真右) ■5/29 盛岡にて 盛岡にきています。高校2年の3月、いまからほぼ半世紀前、受験先大学を決めるのにヒッチハイクでここ盛岡と札幌を訪問したことがあります。それから数えて5,6回目でしょうか。今日は駅前のホテルから岩手大学まで初めて歩いてみました。なんと、行きにくいことか、と思ったら、ここは城下町。目的地まではあまたの不規則な道路があるのです。北海道のような直線的な区画にあまりなれてしまうと冷や汗をかくものです。折しも、猛暑で沿線にはコンビニも自販機もほとんどなし。こっちでもヒヤリとしました。webの案内では2kmとあったのに結果は往復13,000歩以上、7.5km。付属植物園は雑然と放置され趣十分、賢治の通った盛岡高等農林学校(左上)の周りには、彼の作品によく出るヨーロッパトウヒのほか、外国産樹種も多く、当時の時代の洋風志向の雰囲気が彷彿とします。写真右上は大学の古い正門。下は北上川。多少道に迷っても真ん中にある北上川にくれば方向感覚がぴしっとわかる。 ■5/28 薪積みとスドキの里山ライフ 今日は小雨降る中、静かに薪を積みました。ちょっと肌寒い昼食後、雑木林に入って、シドケという山菜を数日は楽しめる分、採りました。ああ、なんと幸せな里山ライフかと振り返ります。 ■5/27 NPO苫東環境コモンズのスケジュール 更新しました。だんだん増えてきます。ここを見てこれからのスケジュールを確認される方が少なくないので、気を引き締めて更新に努めます。 ■5/24 ニュースレター19号 5/27 追記 今年1月以来のトピックをニュースレター19号にまとめました。。ただひたすら丸太を切って薪を割る繰り返しのようにみえます。なんといえばいいのでしょうか、日本の昭和の、決して豊かではなかった頃の各地で毎日行われていただろう「営み」も、かくありなんとか、思いつつ。この小さな幸せと安らぎを、周りの人にも分けてあげよう、と一歩を踏み出しました。トムソーヤーの冒険で、少年が壁のペンキ塗りをイヤイヤ、いえ楽しそうにしていると面白そうだからやってみたいガキ友達が集まり、「やらせてあげる」あの図式にも似ています。やってもらいつつ対価をいただくという逆有償の道もあります。精神科の病院が近くにあったなら、患者さんにもお勧めしたかった。 ■5/20 探鳥会、スドキのあとオオタカ 大島山林2回目の探鳥会。スドキや春のキノコを採りながら、新緑を満喫。キビタキとセンダイムシクイのさえずりは随所で聞かれた。キビタキをフィールドスコープで見た参加者は「わあ、きれい!」と驚いていた。このほか確認したのは、アカゲラ、シジュウカラ、アオサギ、オオルリのメス、オオジシギ、アオバト、ウグイス。昨年はアカハラやヤブサメの声を聴いたが今年は気が付かなかった。 大島山林を後にした夕方、静川の小屋で薪割りをしているとカケスがうるさい。何事かと見ると、オオタカがいた。テラスから25mほど。 ■5/16 千歳川の遊水地 朝から雨の降る寒い16日、合計で1000ヘクタール近い千歳川の6つの遊水地をめぐりました。最初に訪れた南幌・晩翠遊水地では地元NPOふらっと南幌の近藤さんと橋本さんが1時間余り、案内してくれました。第一印象としての現場は、いわば壮大な土木事業で、それに自然再生事業が重なり、一部では市民が参加するような構図もあるようです。近藤さんのお話からいろいろなことがわかりましたが、明確にいえることは、苫東のハスカップ・サンクチュアリを含む遊水地のように、いろいろな計画が始まる前から地域の人々が利用し今も重層的にアクセスと利用がなされるコモンズとは、明らかに一線を画しているということでした。今日だけでもだいぶ整理がつきました。写真左は旧夕張川堤内の自然再生実験地。小雨降る中、わたしは忍ばせてきたフリースのマフラーをして失礼にもポケットに手を突っ込んでしまいました。(ドウモスイマセン) 右は、3番目に訪れた長沼の舞鶴遊水地、すでにアオサギを含む水辺系の鳥たちの楽園のようでした。 |
■5/13 スドキの実力 例年通り、たがうことなく、スドキが顔を出した。出始めはいつも見つけにくい。小さいというのか、恐る恐る、引っ込み思案なように顔を出すのである。夕食に合わせ今回は40秒ほどゆでてみたが、案の定、アクが抜けすぎて今一つだった。熱湯をかけるだけにした方がよろしい。本番の来週はその調理法に戻そう。それにしても、根室の活が二を手に入れたのでさっそくアツアツのゆでたてとシンプルなスドキのおひたしを並べてみたのだが、驚くなかれ、いささかも見劣りしないのだ。堂々としている。スドキはエグイだけでなく大変エライ。 ■5/12 十勝のブランド 会合のためJRで帯広を日帰り往復。昼、「はげ天」で天婦羅ではなく豚丼をいただく。帯広というのか十勝といえばいいのか、六花亭や柳月といい、カレーのインデアン、泊りの時は良くいく屋台村といい、この地域が創り上げてきたブランドには驚きとうらやましさを覚え、称賛するもする。ばったり、十勝バスの社長さんと顔を合わせご挨拶したが、この方もいまやローカルバスの地域交通運営では全国モデルとして注目を浴びる。こういう、築きあげる人々の営みがあり、築かれた成果がブランド力をもって実在する重み、手応え。静かにフォローしている小さな都市林の試み「帯広の森」もある。駅南の十勝プラザのカフェで帰りの列車を待ちつつ。 ■5/10 温泉の本質 哲学者の内山節さんが、雑誌「かがり火」に「温泉の本質」というエッセーを書いていて、読んでとても共感したので特記しておきたい。こういうことを書く人はとても稀で、田園での人の生き方、社会の流れに鋭く切り込み見方を示す氏ならではのものだ。温泉の本質は薬効成分ではなく、地底から湧き出てくるお湯の力を借りて、自然と人間の力強いつながりを取り戻すことにあるという。季節の山菜は土地の気をいただくものと見てきた当方は、当然これに膝を打つ。古代から、日本人は花鳥風月に通いあえるアンテナも有していたはずだ。修行によってアンテナという感受性を磨くことは今も可能と言われ、風土の神「産土(うぶすな)」とつながるその典型的なメソッドのひとつは冥想であると思う。人はおのずからなる流れを阻害されやすく、温泉は、自然の霊力を借りて、自然と人間の一体的流れを取り戻すのに使われた。信仰の場でもあったというのである。そういえば、このところ温泉につかりおのずから流れをいただくような機会がない。血圧が高く気管支が痛いなど、体調が今ひとつだ。 ■5/7 薪は都会派であるという乖離 薪は自然度の高い地方で得やすく、ローカル性豊かなものだが、一方でなんとも都会的なものだ。表現は頓珍漢かもしれないが、英国の田舎で貴族が住むマナー・ハウスの暖房みたいなところがある。気持ちだけ紳士、みたいな。 そういえば、薪ストーブのうんちくを語れば最右翼候補の、フライフィッシャーの田渕義雄氏があるところで「田舎とはイナカモンが住むところを言うんだ」という主旨のことを書いていた。。もともとの田舎などないという意味。けだし、名言だと思う。地方を田舎というのではない。閉じこもらず、周りの人に胸襟を開いて付き合えるかどうか。世界に目を向け前向きに生きる。人生の扉とはその辺の冥利をさしているのだろう。 この連休、ずっと薪をいじって終わった。3日目、血圧が上がって大変だった。思うに薪が求める手仕事は留まるところを知らないで、人は往々にして没頭してしまう。庭仕事もそうだ。昼、ビールを飲んで庭仕事をすれば、知らず知らずのうちのロードのきつさで、頭痛がしてくるものだ。休み休み、ビスタリ・ビスタリ(ゆっくり)である。 ■290503 もう一つのハスカップ大群落を探して 写真左;いすゞの開発行為時、その南の湿原の水位変化を追跡調査してきた観測井戸NO.28。その奥にかなり大きなハスカップ群落を確認。大きさは不明。写真右;「ハスカップとわたし」企画書 現地のハスカップ・サンクチュアリがどうなるかも気がかりだが、NPO苫東コモンズは、勇払原野のハスカップをめぐる市民史ともいえる「ハスカップとわたし」(仮題)に取り組んでおり、市民のヒアリング結果や講演記録、エッセー、レポートなどを広く集めて、かなりのボリュームになってきた。すでにA5版なら200pを越えた。 開拓時代のハスカップを年配の方々に聞いたり、栽培農家やお菓子の開発秘話などを伺った一連の原稿からは、なにやら、「ハスカップ文化」なるものが匂ってくるのだ。今年はこの編集にも専念することにしたい。 ■290430 薪を積む、ついでに最近のITサポートのありがたさに一言 ついに連休初日に薪を積み始めました。初日に2棚(1棚はほぼ3か月分)が瞬く間にできあがり、なにか幸先のよいスタートです。薪小屋から遠方への薪搬出も本格化。実はこの日の充実は、雨予報を覆しての快晴のおかげで、一般予報を否定するその情報もピンポイントで雨雲レーダーでキャッチしていたから、なんとかなる、の心づもりでした。この快感は素晴らしい。それにしても近年の雨雲レーダー情報には感謝、感謝です。わたしはリアルタイムではX-RAIN-GIS、普通はYahooの雨雲レーダー。前者ではにわか雨で何分作業を中断するか、などきめ細かく決めたりする。 最近のITで刮目しているもうひとつは、口語翻訳のアプリ。使い始めたのがVoice Tra.。残念ながら台湾では中国語が不都合で使えず筆談になりましたが、それはそれでアナログ会話がよかった。google翻訳もいい。 ■290426 旭川にて 取り組み始めた遊水地コモンズの予備調査と、コモンズ的里山運営の事例調査のため、砂川と旭川を訪問。そのうち旭川ではコモンズフォーラムⅥでパネリストを務めてくれた陣内さんの、いわばコミュニティ林業の現状を見せてもらった。手の込んだ、地域の人のつながりをみつけ活かし、独特の森林コミュニティをつくりつつあった。さすがだ。写真は高さ10mほどの斜面に突き出たテラス。何気なさそうに立っているが、雪圧回避のため冬季は板をはがしてあり、足元は深い沢。記念のツーショットだ。 写真右は陣内さんの森のそば、旭川市神居のパン屋さん「パパラギ」。いつも売り切れている幻のパン屋さんオーナーで、10年近く前、ドイツやオーストリアはウィーンなどの森林散策とセラピーの研修ツアーの同士。どういうわけかわたしはその団長だった。神居で店を開いているのを思い出して立ち寄ってみたら、明日の仕込みをしていて、久々に旧交をを温めることができた。日焼けしてとても順調そうなのがわかった。前向きで元気な方と会うのはこのうえない幸せである。くしくもここ写真4枚とも、ウザイ自分が登場してしまった。ご勘弁を (爆 ■4/23 早春の雑木林 雨上がりの日曜日、フィールドをはしごして一巡り。早春の雑木林は素晴らしい。「森カフェ」もテラスにテーブルをしつらえてオープン。 ■4/23 自然は誰のものか 先日「土地は誰のものか」という一文をしたためましたが、今回は「自然」。北大苫小牧研究林で長く林長を務められた石城謙吉氏の講演集で、出版社は札幌のエコ・ネットワーク。先生は講演の際に壇上でいつも胸ポケットから原稿用紙の束を出され、しかしほとんど目を落とされなかった。いつだったか直接尋ねたことがあるのですが、必ずちゃんと講演原稿を書くのだそうです。そしてたしか晩年の仕事にまとめるつもりだとおっしゃっていたような。どうもそれがこの本になったようです。 語るような諭すような表現、語り口には科学者としての厳しさよりも教育者としての優しを感じさせ引き込まれるような雰囲気があるのは、さすが他の追随を許しません。特に先生が書かれているように「自然保護に携わっている方々への連帯のメッセージ」と位置付けられておられ、視点は明確で関係者は再確認されたのではないかと拝察しました。 わたしは個人的に先生にはイデオロギーを越えて森づくりという土俵でいろいろアドバイスをもらい意見交換もさせてもらったので、演習林(研究林)と苫東という立場や肌合いの全く違う「都市林」という概念を共有できたつもりでしたが、しかし、そこにはやはり大きな川があったというのが今の心境です。石城先生が昭和48年に苫小牧に赴任して取り組まれた地域環境保護の運動、ずばり苫東反対運動のその「苫東」の森づくりが、51年に初任地として来た苫小牧におけるわたしの仕事だったからです。開発側に身を置いて自然に関わったわたしは、したがって今回のこの著作「自然は誰のものか」を、是々非々の立場で読ませてもらいました。 あらためて言うまでもなく、経済的基盤の弱かった北海道は、開拓の時代からこのかた、農業・宅地・工業の各々の分野で開発は不可欠の条件にあった、そして森林や原野という自然は土地利用を替えざるを得なかった(=開発)、そうしないと道民は職と豊かさを求めて本州に渡らざるを得なかった、という状況だったと考えています。手つかずの自然の大地をすべてそのままにしておくという考え方に立つのならばともかく、維新後の開拓、戦後の入植、燃料供給等、時代の要請に応えざるを得なかったのが北海道でしたから、「手つかず」から「人の住める大地」への改変はやはり避けられなかった、いや絶対必要だったとわたしは思います。 もちろん、国や自治体が進める公共事業の方向が間違っていたり、惰性で無駄な事業を進めることは正さなければなりません。しかし経済的でかつ文化的豊かさは求められていたのも事実で、苫東反対運動時によく言われた「煙の下のビフテキか、青空の下のおにぎりか」という、二者選択ではなく、できればクリーンで緑豊かな中での多様な文化生活をわたしたち道民は本心で望んでいました。決して北朝鮮を理想となどしていなかった。そのために、港も道路も農地も宅地も、学校や病院とともになくてはならないものだった。それらは大きな計画に基づくプロジェクトによってもたらされてきて、税金が再配分されてきたのでした。そうして100年余りで500万人以上が住む、近代的な生活を営む島ができあがったのではなかったか、歴史の中の北海道の歩みは肯定したいと振り返るのです。 石城先生の今回の著作は、そういう観点で見ると、自然保護か開発かで揺れてきた北海道、特に苫小牧の位置づけを考えるうえでとても大切な意欲的な提言をされてきたことがよくわかります。来し方を振り返り将来を占う意味でも大事な問題提起をされていると思います。自然はみんなのもの、と考えるコモンズの視点を掲げる一市民としては尚更、学びの泉にしたいと思います。 ■4/22 小さな感動が人を動かす 人をその気にさせるというのは難しいものです。いわゆる動機づけというやつですが、先日、思いがけずに気が代わる体験をしました。つまり「動かされた」。長崎の畏友・まつをさんが紹介していたあるページを開いたのがそれ。それは大滝詠一の「夢で逢えたら」でした。で、聞きなれたこの曲をいつになくガンガン聞いていたら、「音楽っていいなあ」という気分が生まれ、久々にクラシックギターを取り出すことに。 40年以上前の中学時代に憧れ、バイトでためたお金で安いギターを買い、高校生から35歳ころまでかなり真剣にやっていたやつ。学生時代などは一日5時間もやるときがあった。勤めて間もなく給料はたいてギターを新調し一日2時間はクラシックギターをしていたから、楽譜なしでかなりの曲を行ける。アルハンブラなど今でもまあまあ大丈夫だけどやはり詰まる、そして爪がないから音量がない。だからつまらなくて遠ざかっていた。 30年近くやる気の失せていたそのクラシックギターを、ちょっと本気で取り出したのだった。大滝詠一のおかげだ。薪ストーブを入れるためにピアノを処分するから、音楽のツールは、これからはギターとリコーダーだけになる。そんな寂しさもあったのか。 林を美しく整える森林美学、森で感性を磨き動機を得る森林感性。所詮、芸術のように人に何かが伝わらなければ、本当の手応えにはならない。雨で山仕事が休みになった土曜日、しょうもない書き込みをして午前を終えた。静かな雨は恵みをもたらすものです。 (追加:同じファイルに、竹内まりあの「人生の扉」もありました。他人がカバーしたものばかりが顔を出すこのごろ、久々にオリジナルに出会いました。) ■4/20 きたマップ「あなたの地域の守りたい自然を教えてください」 このごろ、facebookのような公開するものすべてに腰が引けて、ほとんどのSNSから手を引きました。自分のホームページと唯一twitterを時折見たりホソボソと更新するくらい。SNSに大勢に自分の行動をさらすことへの強いブレーキ。また、他人からどう評価されるのか、ということから段々無縁になっているのでしょうか。 とはいっても、自分のことではなく、ハスカップ・サンクチュアリと大島山林は別の話で、存在を公に出してあげたい気がします。標記のタイトルは「きたマップ」という、酪農大学の金子正美先生のプロジェクトで、環境活動をGISに落とし込んだデータベース「きたマップ」を創るもののようです。 ハスカップ・サンクチュアリは、もうこんなに大きな自生地の群落はないのですが、その核心部分を遊水地の土手が横断しそうな状況にあります。別に反対運動などを起こすつもりはありませんが、NPO苫東コモンズが作成したGPSマップだけでなく、金子先生のGISでも記録しておこうと考えた次第。 大島山林は、隣接するコミュニティと手入れする、まさに「コモンズ型里山運営」の雑木林で、少しずつ、地元の人とNPOが協働し管理の担い手となって美しい快適な林を目指しているモデル。今週末にでも登録申請をしておこうかと思います。 ■4/16 台湾にて3 15日午前はまず台湾の兵士の霊を祀る忠烈祀で衛兵の交代の儀式などを見た。気温はすでに30℃近かった。次に世界4大博物館の一つとされる故宮博物館へ。蒋介石が台湾へ逃げる時に北京・紫禁城などの金銀財宝を持ってきたという。台湾人ガイドは「盗んできた」と断言した。虐殺、略奪、放火などが戦時は常習化している国だから当然か。翡翠やら象牙やらに細かに細工が施されたもの(白菜が有名)ばかりで、わたしはまったく関心はもてなかった。なのに超満員だったのにはあらためてガッカリした。写真などは1枚も撮らなかった。 次に中国国民党政府の故蒋介石総統を記念して建てられた中正紀念堂へ行った(写真左)。広大な公園の造りはウィーンのシェーンブルン宮殿を模したようなシンメトリーの花壇と壮大なアプローチで、その先の高台には蒋介石の巨大の像(写真右)があった。戦後台湾にわたり現地の人々を虐殺し35年間君臨したという独裁の有様は、この像のしつらえ方に表れている通り、悪事を覆い隠すための神格化のように見える。微妙な話なのでガイドに聞けば、今はもうそんなことはないといっていた。北の某氏のシルエットに重なるところだ。ガイドは蒋介石の功績は、故宮博物館を造ったことだけだとみんな思っている、といった。なるほど。それは、このメイン施設が補修中で、昨年、国民党から民進党に政権が変わって蔡英文総統になってからは、工事が止まっているということに現れている。 ■4/16 台湾にて2 世界有数の宝石の産地・花蓮(かれん)から、パワースポットのような国立公園「太魯閣(たろこ)渓谷」を廻ってから電車で九分(きゅうふん、本当は人偏のふん)へ。台北は270万人、その外周を取り巻く新北市は400万、従ってグレート台北はなんと670万人だ。基隆(きーるん)の港の南に位置する。200年前の金と石炭のゴールドラッシュで栄えた廃坑跡だが、15年ほど前から観光地になったという。観光地になって間もなくだと思うが「千と千尋の神隠し」の舞台のモデルになったと噂される建物(実は遊郭だった)とその界隈の石段の坂道一帯に人が集まる。小路は幅2mもなく急な階段だったりするから、もう大変な人だかりだ。ここに小さなこじゃれた店が並ぶ。客は日本人と韓国人の若い人。夕食の台湾料理はここも大変おいしかった。 9時過ぎには台北で最も大きいとされる夜店へ。またまた想像を絶する人混み、雑踏。金曜夜の大衆の食事は屋台風、的うち‣やえび釣り(金魚ではない)などオーソドックスななゲームセンターなどに圧倒される。しかも広すぎて迷子になりそうだった。しかしこの喧騒はパワフルなものを秘めているようだ。わたしはさすがにこのひと気には疲れる。雑木林とはおよそ別世界だ。自然と人のパワーを見る日だった。 ■4/13 台湾にて1 昨日から台湾に来ています。千歳から南部の高雄に深夜まっすぐ着いて、13日午前のちょっとした時間に、大きな通りの裏にあった庶民の店を偶然のぞいてみました。とれたばかりの見慣れない魚(左)と、とことん使いつくすホルモンたる腸や腎臓や鳥の足など(右)。ぎょっとする品々だ。野菜を含め驚く安さである。中国の言葉を使いながら中国本土の人々に対して、国民の半分以上の人々が反感を持ち、中国や韓国とは対照的に親日感覚がおそらく世界一高いともいわれる国(地域)・台湾。日本にとって中東との貿易の上でも欠かせないシーレーンはこの台湾の領海と周辺が要です。 先週からにわかに緊張の増した世界情勢にあって、蔡総統率いる台湾も一つの重要な極にいます。恥ずかしながら今回乗ったチャイナ・エアラインの「チャイナ」を、中国ではなく人口2300万人の台湾が堂々と名乗っているのは初めて気づきました。日本は日清戦争後の下関条約後の50年間、台湾を統治しましたが、1972年の日中国交正常化で台湾との国同士の関係は断交していた。その台湾が蒋介石の国民党時代の名残でチャイナを名乗っているのか。そんな真相もわたしは知りません。今日は高雄から反時計回りに東海岸に出て、今、花蓮(かれん)という人口20万人の大理石で有名な町で夕食を終えました。熱帯を北に回帰線を超えて亜熱帯に入り、やや退屈だった海辺の風景に風土感覚だけは敏感なままでした。 ■4/10 再生の壁 日曜日、先週に続いて今季2回目となる「ホッキとフキノトウのかき揚げ」をした。ホッキは家人が午前中に店で確保したので、残るはフキノトウだった。前回は家から1kmほど北の人里で採れたが、今回はさらに数百m行ったところへ。そこにはまだ雪が残っており、雪線そばでは若いつぼみもたくさん採れた。高速道路の北側のその一帯は小高い尾根筋があり、写真左の如く広く雑木林が広がっていて、一部で風倒木処理のような伐採も行われていた。尾根に登って伐採された切株を見て回って驚いた。ナラのおよそ半分は萌芽が認められたが、すべてがことごとくシカかウサギの食害を受けていたのだ。 これでは萌芽枝が伸びても樹木として再生は困難が予想され、果たして林として復元するのか、危ぶまれる。植苗病院周辺、新千歳空港周辺などのような、旺盛な萌芽更新とは程遠い。国道234号の勇払川を渡って遠浅に向かう際の国道とJRに挟まれたエリアも、萌芽更新が盛んでもうすぐ林になる。ナラなどの広葉樹林は、萌芽更新をして3,40年で伐採と再生を繰り返す。胆振で行われてきた「低林作業」の大原則どおり、きれいに皆伐して一斉に更新させないと成功しないのか。極端に言えば、シカたちの食害をものともしない、高密度の、「どうだ参ったか」というほどの「勢いをもった更新」をつくらないといけないのか。シカなどの食害が目立たないほどの再生を創れ、ということか。 陽だまりの切株に座って、安定的な、繰り返すことのできる更新と再生に思いを馳せた。自然とはそういうことか。 ■4/08 薪割りと人生 コモンズのメンバーは、それぞれマイ・斧を持ってきている。左はabeさんのスチール製。中央はtomikさんのフィンランド・フィスカー製。右はわたしの、日本は土佐のまさかり。割る瞬間の角度が微妙に差があり、スチール製が最も角度が広く重かった。フィスカーは軽量だがよく割れるような気がする。今日は打ちそこないが2回あって、いずれも刃でなく付け根の柄を思い切り打ち付けたために、掌に打撃が響き飛び上がった。 見ているとみなさん、実によく割れている。しかし時々なんでこんなにしつこいの?、といいたくなるようなものもある。外見はすらっと素直なのだが、写真右のようにやっかいなこじれた部分を中に持っている場合だ。たいていは枝の痕跡が樹皮に見て取れることが多い。癒合してかすかに膨れているのだ。こんなヤツに何振りも費やすと無駄骨感が残ってしまうから要注意だ。 しかしこれもまあ、人生そのものではないか。因果応報、業のような原因を内包しているのである。だが、難関を避けてばかりはいられないのが人生、その点、「難しいのは機械に任せよう」と、ここの薪割りでは申し合わせている。割れないのは早々にあきらめて脇におく。ならぬものは、ならぬ、のである。すっと素通りするのも渡世の妙味であろう。 ■4/06 土地は誰のものか 昨年12月のコモンズ・フォーラムの概要をリンクしました。環境コモンズ研究会が置かれているわたしの職場・北海道開発協会のホームページで、概要と全文があります。北海道ではコモンズの概念も名称もまだまだなじみが薄いのですが、地方から人が減り、かつグリーンインフラに重きを置くこれからは、この考え方が課題解決に一役買うのは間違いありません。洪水対策として進められている各地の遊水地や、身近にある個人所有の里山利用も、コモンズ的な視点で見直してみると地域住民と行政が協働するプログラムの道筋が見え始めます。 司馬遼太郎氏の著書に『土地と日本人』という土地所有について考えさせる話題作がありますが、高度成長期の土地価格高騰から安定期を過ぎ、余り気味でしばしば放置される時代となり、あらためてコモンズの視点で振り返ると、土地はそもそも誰のものかという将来への問いかけにぶつかります。コモンズへの注目は今、歴史的な必然性を持っていると思われます。ちなみに政府は連絡の取れなくなった空き地、空き家を公共のものにできる道筋の検討を始めたようです。札幌でのやや地価の高いところでは宅地200坪の固定資産税が年間数十万円もするのを知るにつけ、土地は所詮、国から借りているのではないかと思ったりします。 ■4/02 今季初、ホッキとふきのとうのかき揚げ ふきのとうの季節到来。雪はまだあるけれども、もう出ているはず、と町内の北はずれに出向くとほどなく、ちょうどいい、開きすぎていないふきのとうの場に出会った。この早春の山菜はどういうことか、苫小牧の名産ホッキとの相性、とりわけ「かき揚げ」が素晴らしい。わたしなど一部のマニアの間で有名になり、青森の八戸では苫小牧のこのマイナーな習慣を、「ホッキとふきのとうのかき揚げ祭り」ほどに盛り上げておられる。 山菜のふきのとうを確保してからおもむろに、相性のいいホッキを買い求めて5時半ころ、ビール片手ににわかシェフになって家人に数品を振る舞った。手前はふきのとうの素揚げに近く、右上がかき揚げだ。もちろん、ふきのとうの残りはふき味噌(写真右)に加工。明朝、わたしもあらためていただく予定。もちろん味見済みだが、失敗のしようがない、すばらしい早春の味覚だった。 ■4/02 韓国は大丈夫か 韓国の動きが急だ。朴大統領が弾劾されて間もなく、一昨日逮捕された。この春は大統領選挙が行われ、最大野党「共に民主党」が政権を取る可能性があるとされる。もしそうなると親北派は北朝鮮に韓国を飲み込んでほしいと秋波を送る・・・。北は電撃的に韓国に侵攻してソウルを陥落させ、親北の韓国政府は早々に降伏し講和を結ぶ。韓国民は再び100万人規模でデモを打つが・・・。こんなシナリオも取りざたされる。慰安婦問題の来し方、行く末に気を取られている間に、事態は着々と別の局面に向かっているようだ。 ■4/01 単純な手仕事 手自然。手つかずの原生の自然ではなく人の手がかかって、ほどほどに気持ちのいい自然。この語感に似た言葉に「手仕事」がある。針仕事やクラフトとともに、その筆頭に当たるのは「薪割り「薪積み」ではないだろうか。NPOでは5月6日、遠浅町内を中心に手伝いを募集始めた。 その薪割りだが、先週伐倒を手伝った所から、クルミの丸太が届けられたのでさっそくマサカリを当ててみた。完全な生木にも拘らず、かなり堅い。というか粘りがある。6振り目あたりにやっと割れた。写真右は、土ソリを裏返して使っている昼食のテーブル。食後、各々の持ち場にメンバーが移った後、ポツンと残された。 ■3/29 女性の集う産業空間 “苫東”へ 北大のK先生とともに、韓国から留学中のS先生を苫小牧西港のエリアと苫東に案内した折、あらかじめ予約してもらった苫東柏原にあるJファームの「カフェ・ピリカ」で昼食した。カフェは女性のお客を中心に、ほぼ一杯だった。メニュウはチキンソテーとスープとサラダ、そしてドリンクで1200円。いい感じである。殺風景であるはずの団地にあって、なんという優しい光景であろうか。 このインダストリアル・パークのマスタープランができた昭和46年ころ鉄鋼産業用地とみこんだエリアが、産業用地であることをやめて、これからは野生生物、とりわけ絶滅危惧種の野鳥たちをも包み込む遊水地になることや、臨空性をもった柏原などのエリアが、再生可能エネルギーの太陽光パネルで埋まってきていること、そして機械工業に交じって野菜工場が進出し、スマート・アグリとかトリ・ジェネレーションなどという世界に染まっていくとはだれが予想しただろうか。 あえて言ってみれば、鉄のような「男型産業」がやわらかい「女性型」に変化したといえないだろうか。そしてビジネスとして成り立って海外からの視察者も後を絶たないという。 帰りしなの車中で韓国のS先生は、売れ残っている産業スペースはいつごろ完売できるとみているか、とわたしに聞いた。苫東での仕事から全く離れている身には門外漢になると知りつつ、残りは3000ha以上あるから、当初の鉄鋼や機械産業が遊水地やソーラーや野菜工場に変わったように、未来のワイズユースのためにstep by step 残しながら売るだろう(そうあってほしい)、そして「残りものの土地と環境」は将来への宝・ギフトだと思うと、たどたどしい英語で答えた。もちろん雑木林込みである。雑木林はもちろん女性に親和性が高い。 さらに、コモンズの概念はこの風土を持続的にかつローコストで運営していくために重要かつ不可欠だ、と付け加えた。「K先生はどう思います?」と振られたK先生は 「same 」と答えて笑った。ふだんは全く使うことのない英語で頭は疲れたけれど、コモンズのアイデンテティをあらためて考え決意するとてもいい時間になった。 ■3/26 早春の渡りがうつくしい 晴れあがった日中に、遠浅の薪ヤード上空を東南東から西北西の方角へ、ガンと白鳥の編隊がいくつも飛んで行くのに目をやった。そのつど、薪割りの仕事の手を休める。中には白いのと黒いのが混じった親子の白鳥の群れもあったが、よく見るとそのなかにはちゃっかりとガンが混じっていたのには驚いた。羽ばたきのリズムが割とあっていたのがおかしかった。夜も、自宅の上空で渡りが見えた。テラスの椅子で星空を見ていると、白鳥の真っ白なシルエットが音もなくスーッとウトナイ湖方向に移動していくのだ。うつくしさに見とれると同時に、春の躍動が伝わってくる。 *北の森カフェとスケジュールを更新しました。 ■3/23 英語のパンフ、修正 NPO苫東環境コモンズの英文パンフの不備を修正しました。外国からのお客様には、やはり英語が共通語になります。先日来、韓国の先生とお付き合いがあり、来週はウトナイ、苫小牧、苫東などの訪問をアテンドの予定。3月は決して視察シーズンのベストではありませんが、それはそれなりに。薪ヤードも最後によるつもりです。 ■3/20 『日本と台湾』 春分の日はお彼岸の中日で、先祖をおもんぱかる契機にするのだと言います。普段考えたこともなかったのですが、彼岸という言葉は確かに仏教的な言葉そのもので、墓を持つ人ならば早々にスコップをもって雪はねに行くのを思い出した。その春分の日、ちょっと微熱があって終日養生していた。このところ、台湾の歴史に関心を寄せていて、今日は熱でうすぼんやりしながら加瀬英明氏の同名の新書を読んでいた。中に、終戦の日に台湾から引き揚げる日本兵数百人に対して、台湾の盲人が呼びかけた言葉が紹介されていて、胸が詰まった。「・・・私は台湾の一盲人であります。私は日本が私たち盲人にまで教育をしてくれたことを感謝しているものであります。みなさんは故国に帰ってから、さぞ苦労されることと思いますが、台湾にはあなた方に感謝している盲人がいることを忘れないでください。」(台湾協会発行「台湾引上史ー昭和二十年終戦記録」から引用されている)。日本は台湾を50年、朝鮮を35年統治していたわけだけれども、鉄道などのインフラと教育とに国家予算を削って投資してきた。反日に凝り固まって慰安婦像を設置するような動きにばかり目を見張っていると歴史を見誤ることを教えている。わたしは日本人の先人の精神とこころ配りに誇りを持たざるを得ない。メディアと教育が取り上げてきた日本像とバイアスには暗然とするが、日本の時代が来つつあることも一方で予感できる。 ■3/18 ガンも薪も忙しい 在原業平の歌に、『世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし』という春のあわただしい流れをうらむ名歌があります。「春さえなければ心はもっとのどかなのになあ」・・・。ウトナイ湖にもう4万羽近くがきているというガンたちも、なにやらせわしない、というか摂食に余念がない。真っ暗になるまで厚真や近傍の田畑で採餌している。そして間もなく北へ発つ。わたしたちならさしずめ、「・・・薪づくりのなかりせば・・・」ということになる。休憩もそこそこに、伐って割って一日を終えたのだった。 ■3/16 食べ物のちから 「グループ客は一日一組だけにしたいんですよ」とオーナーはおっしゃる。様似のとある日本料理店での話。一品一品、なにか、食材として力のあるものばかりだった。最初は蒸したエゾシロガイ。胆振や日高の自然海岸の5月、山菜取りの気分で浜辺で拾うアレ(ジョロウガイ)だ。お造りの主役は、ここではマツブ。キロ4、000円もするので当地でもすぐ築地に行ってしまうらしい。エンガワはマツカワではないかと思うが聞き漏らした。鮭はブランド・銀聖。活きのいい魚はオーラがある。こういう地方に食と風土感覚を求めて消費者が足を運ぶ仕組みはまだできていないけれども、この稀有な感覚こそ、マイナーなままブランドにしたいような気がする。遠く、不便な、もてなし気分などあまりないようなところ・・・。日高の奥の方は遠い。しかし、なにか宝のようなものがある.。 ■3/14 言葉のちから 新聞の広告を見てこの頃楽しいのは、佐藤愛子さんの新刊のタイトル。昔々、北杜夫、遠藤周作らと、素晴らしい仲間たち、のような番組で放談で沸かせて、確か『戦いすんで日が暮れて』あたりから気にとめていた方。近年は、年寄が開き直るとこうなる、というような秀逸なタイトルが並ぶ。『ああ、面白かったと言って死にたい』、『九〇歳。何がめでたい』、『それでもこの世は悪くなかった』、『上機嫌の本 損や苦労はへでもなかった』、『人間の煩悩 悩みの量こそが人間の深さ』、など。 おととい、新聞でこんな一言を見つけた。何かと話題になる若い百田尚樹氏だ。「人生で何を選択するかはその人の性格次第だ。結局、それが運命だ」。・・・確かにそんな気がする。「人は持って生まれた能力で戦っていかなくてはならない」。・・・もちろんそのとおり。「本当の才能というのは、実は努力する才能なのよ」。・・・そうかもしれないなあ。「誰もが最初は素人だ」。・・・そのあとどうコツコツ努力するかどうか。結局、人生は努力次第、だろうか。それを「へとも思わない」性格で?そ、力まないでやりたいものです。 ■3/11 ガンの飛来を見た日、薪材の運び出しを終える ようやく、今季の除間伐と、スノーモービルによる材の搬出を完了した。毎年、その年の立米数を気にしながら、そして雪解けと搬出のスピードに気をもみながら3月を終える。条件や環境が毎年変わるから、マネージメントもケースバイケースだ。約3か月、一年の4分の一をこれに使い、あと2か月は、薪という製品化に没頭する。といっても、ここまで7,8人で正味13日。こんな風に、人工数と生産量(出石・でごく)をカウントしながらやるようになったのは、少し進歩したのか、ようやく経験が積み重なったか。詳細は雑木林だより4-95で。 ■3/10 同窓会は究極のノスタルジー快感 このごろ、同窓会づいています。定年になり始めた大学の同期の集まりが先週の雛祭りの日に、その前の週は同窓会の苫小牧支部の若手と。先週の日曜日は来道した寮生活していた時の後輩らと@焼き鳥の四文屋(写真)。今日は元の会社OBと月例会@「よいところ」。毎回、実に楽しい軽い宴になるのは顔を見ていただくとおりなのですが、さて、この変化、何か環境が変わったかな?思いつくのはまず、リタイヤ年代の自由感覚か。そしてノスタルジー。 夜、トイレに何回起きるかとか、何の薬を飲んでいるかとか、最近どこに旅行したかとか、などなどから韓国の慰安婦問題やトランプのとっておきのニュース、日本の針路、世界の情勢、はては宇宙のビッグバンあたりまで。人生の冥利は六〇歳あたりからと思っていましたが、いやいやまだまだいいことがある。さらなる福音は死ぬまで続き、恍惚の内に召される・・・。こういきたいものです。 ■3/7 フィンランドのコモンズ「万人権」の考え方北欧5か国の万人権という概念は、他人の迷惑にならない、社会的に許されそうな行為は、アウトドア活動のために許容される、というもの。つまり他人の土地でもある一定のルールの下では入っていい、というものです。これは日本の中でも北海道のような、人口密度の低い土地柄で初めて許される概念だと思われます。一昨年、その万人権に関する英文小冊子、昨年は英文の概要版が、フィンランド環境省から出されたので、環境コモンズ研究会事務局のSさんと訳出を試みました。典型的なコモンズ&万人権の実践例は、あの「ハスカップ・サンクチュアリ」ですが、そこにどんな制約が明文化されていくかを考える際に、とてもいい参考材料になります。興味のある方はぜひ、覗いてみてください。原文と訳はこちらです。 ■3/5 IKURAさんの不思議な思い出 今、NPO苫東コモンズが手入れしている雑木林のひとつ「大島山林」では、ドロノキの大木とその周辺で、思えば不思議なこともいくつかありました。そのひとつは「沿道の樹林地皆伐未遂事件」、さらに巫女様からのご神木取りやめるべしというアドバイス、そして上の写真。ドロノキの大木をシンボルツリーにする儀式の朝、「ホームページでこの儀式を知ってぜひ踊りを捧げたくて来ました」。平成22年(2010)11月6日、JR遠浅駅に参加者を迎えにいったら、若い女性がいて、そういうのでした。それが「いくらさん」。早朝、ドロノキの大木に御幣をとりつけ、早来神社の宮司さんに祝詞をあげてもらい、そして急きょ、飛び入りの「いくらさん」の出番になりました。空気か風のような不思議な踊りでした。その後、いくらさんとのコンタクトはありませんが、どこかで創作舞踊でデビュウしているかもしれません。あれから8年半。NPOつるし上げ事件などの曲折をへて今日の山仕事があります。事件などのきっかけにはホームページなどの発信と、偶然のアクセスがあります。不思議なご縁というほかはありませんが、その結果、地域活動の冥利もうまれるようです。まこと、面白い限りです。儀式と「いくらさん」の詳細はこちらの雑木林だよりの11/6 & 7 をご覧ください。 ■3/4 最終戦、ならず 運んでも運んでも、なくならなかった間伐した材。つまるところ、意外と秋からの作業は進んでいたということか。平均年齢66,67歳という熟年グループにしては刮目すべきスピードだ。結果的に、もう一日かかるという、うれしい誤算に喜びと無念さが錯綜。写真は積み込み班とスノモ担当。 ■3/1 仰げば尊し 3月、弥生の声を聴くだけでなにか春のイメージになってくるから不思議です。卒業式、送別会、マガンたちの渡り・・・。特に幼少のころ、とりわけ今から半世紀以上前の中学校のことが思い出されてきます(半世紀・・・、すごいものです)。あの頃、卒業式といえば、「仰げば尊し」でした。美しいハーモニーが忘れられないだけでなく、個人的には歌詞も意味があった。たくさんのハモる曲を教えてくれた(それこそ100曲以上)女性の音楽のS先生。あれでわたしはハモるスキルが花開いた。必ず読書感想文を書かせて習慣化させてくれた神主さんでもあったH先生、理科の授業で、子供たちに推論させおっかなびっくりの仮説をださせ、「地球はそのものが磁石である」という事実に導いて見せたM先生。思い出せば、あの頃に習った学習習慣などが、半世紀もの間、自分の人生を切り開く大切な道具として活躍してくれた。まさに教育者であった先生方に感謝の気持ちでウルウルして来るのを禁じ得ない。写真は、郷里山形の田園風景。正面はお寺の大ケヤキと杉の木立、その右は秀峰・月山、その左には朝日連峰が続く。 *「仰げば尊し」の原曲は長い間不明とされてきましたが、米国の1871年のある楽譜に原曲があったことがわかってきたようです。が、卒業式で歌われる歌は、「旅立ちの日に」「贈る言葉」「さくら」などに変わってきたといいます。 ■2/25 にぎやかな山仕事、1.5トンの材を運ぶ 雪が消える前に・・・。昨年は2月末に林道の雪が消え始め、搬出ルートに雪を足して作業した。その反省で月末の今週にあらかたの仕事を終えようと、12名が参集したが、残念、沢の中の材は運び出すことができなかった。それにしても人海戦術は面白い。大げさにいえば生きている実感のようなものがある。イタヤカエデの樹液採取も始まった。 ■2/24 出張帰りの幸せ 22日と翌日、帯広に出張。10ほどの組織を伺ったのでたくさんの名刺交換をして23日夕方6時前のスーパー「おおぞら」に乗りました。事前に駅の物産コーナーで、人気の高い「ますや」の調理パンを2,3種とラクレットなどを買い込んで、例によってプチ・宴。 アジア大会のせいか、車内はやや混んでいましたがどこ吹く風で、ひとり宴はビールからワイン、最後は社内販売のワンカップでトドメ。仕事帰りの緊張が弛緩へと移り、列車の旅の雰囲気が重なった至福。車窓の風景がなくとも、十分楽しめるのがうれしい。そもそも飲める体質というのにも感謝・・・とまあ、とにかく列車の旅はもう無条件にテンションが上がるのでした。 ■2/21 今を読み解く人と本 グローバリゼーションの功罪と仕組みが暴露されてきた。メディアが出すこと出さないことの偏向も暴かれてきて、なんだ、自分で勉強しないと間違った視点が埋め込まれるところだった、と一介の市民が気づく時代になった。トランプ大統領の選挙の顛末は、目から鱗の出来事だった。そのあたりをさらに深くえぐって見せる人に馬淵睦夫氏がいる。元ウクライナ大使である。初めて出会った本は『アメリカの社会主義者が日米戦争を仕組んだ』。次に『反日中韓を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!』。そして『和の国・日本の民主主義』『2017年世界最終戦争の正体』『アメリカ大統領を操る黒幕~トランプ失脚の条件~』と続く。その間に、日下公人氏との対談『ようやく日本の世紀がやってきた』と雑誌「致知」に掲載された渡部昇一氏との対談『世界動乱の艱難を磨き砂とせよ』を読んだ。これは圧巻対談だった。日下氏がずっと言ってきた「日本の時代」「日本の世紀」がくるなどとはまさか、と思っていたら、まさかでなくなってきた。伊勢志摩サミットで各国首脳が伊勢神宮にお参りした時の手記にそれが濃く匂う。大変な時代に入ったようだ。 仮訳:静謐と思索の場。そして日本についての深い洞察。どうもありがとう! NPO苫東環境コモンズの年間の計画案について、もろもろ手直ししました。今季は、ハスカップの出版に向けた編集と資金計画も本格化しなければいけませんし、冬の作業に引きづられて下刈りなど夏の作業が止まってしまうことも反省してシフトの変更にもチャレンジします。微妙なことを勘案しつつ、頭に浮かぶことをまとめあげるとこんな風になります。具体的には一度理事会で議論することになります。だいぶペースがつかめてきて、中高年の可能性と限界が見えたので、今季は効率と先見性に磨きをかけたいところです。きのこの食毒判別会など、もし、会員以外の方でご興味をお持ちのイベントなどがありましたらお申し込みください。 ■2/18 人生後半、「林住期」からのデザインは「薪のある暮らし」 古代インドの男の人生の区分「四住期」が世間離れしていながら、かねてから興味深いと思っていました。五木寛之氏が「林住期」という本でも、軽く書いていたものです。師についてバラモン教の聖典を学ぶという「学生期」、自立して一家の主としての「家住期」、孫の生まれるころすべてを捨てて森に棲む「林住期」、これは自然と向き合って自分を見つめ直すらしい。そして最後の「遊行期」は執着を捨て解脱に向かうというもの。人生80年時代のわたしの今を当てはめれば、長い林住期から遊行期に移行するあたりか。 このごろ、自分の人生後半のデザインをどうするか、つらつら考えていたところ、このものさしがやや無責任ながら羅針盤になると思えてきた。で、風土と歴史などにもっと深く付き合いたいという願望が素直ににじみ出てきた。そしてその延長にやはり薪のある暮らしが浮かんできた。山小屋だけでの実践にとどめてきたのは、広葉樹保育のボランティアでもあるため、他人には提供するが実は自らには封印しておく必要があったからだ。そうしないと、お手盛りの、薪欲しさの活動に受け止められかねない。 しかし積極的な解決方法も思い当たるから、この際、この封印を解こうという気になってきた。こうなるとまた、目の前が開けてきて新しい世界が見えてくるから不思議だ。林住期から遊行期に移るころ、自分で手掛けた薪を焚いて、その炎を眺めながら解脱し、恍惚となっていくのでありましょうか。なんと、世俗的な願望であることか。 ■2/18 山は早春の光景、なれどまだ寒い いよいよ、間伐と薪作りの本番。朝、マイナス7,8℃で日中も0℃前後、でも山仕事にはちょうど良かった。この日の平均年齢は、68歳くらいで、わたしは今日の若手ナンバー3だった。 ■2/13 ポリティカル・コレクトネス(P・C) もう昔の話になりますが、「カメラマン」が男女差別に当たるとして「フォトグラファー」に代りました。私たちにはほとんど無縁の趣のあるこれは、米国でクリスマスという表現がキリスト教以外の宗派への配慮で使えなくなったり、近年では性同一性障碍者のためにトイレの男女区別をなくすなどという極端さに現れてきているらしい。日本でも、人権、民族差別につながりそうな言葉は表向きに使いにくいものになってきつつある。しかし、どうだろう。今回のトランプ騒ぎの発端の言動の背景には、米国民の多くがこれらP・Cの跋扈する窮屈さに心底うんざり、どころか内心猛反発している図が見えてきた。グローバリエーションなど糞くらえ、難民は受け入れより内国民重視だ・・・。激動の振幅が増す世界。歴史を振り返りつつ、注視。 ■2/12 春が来る前に すっかり春の日差しなった。雪も固まってきた。これからは降るよりも解ける心配をしなければならない。材の運搬は11日と18日が本番と見て、昨日11日は20往復を超える新記録を目指してみた。やろうと思えば可能だったが、仕事の区切りが良かったので、一服も加えて、19回にとどめた。そうなったのはまたもや「年寄、半日仕事」の天の声が聞こえてきたから。集中と弛緩。ガンバリと憩い。力仕事とたまの一杯。このバランスで行けば、長続きするような気がする。 ■2/8 山仕事の幸せ 雑木林を保育する作業は、きつくて危険な気を使う仕事(ボラ)だけど、風景を納める達成感と自然や土地の神様、いわゆる産土(うぶすな)とつながる幸運とで、実は得るものの方が多いのです。エコな生活を目指す人なら、さらに価値は増すでしょう。今日は前2つのため、会社は休みをとって山に向かいました。いい時間でした。3つめの志を私は家庭では実践していませんでしたが、今日の家族会議では、おっつけ、当方も薪生活に入る可能性がでてきました。 ■2/6 維新前後の歴史とひと 「幕末維新のえぞ地にかけた男たちの夢」(北国諒星著)を読み終えた。幕末維新と言えば、北海道では松浦武四郎など限られた高名な一部の男たちをイメージするわけだが、この本ではさらに突っ込んで様々な人となりが出てくる。箱館府知事・清水谷公考、蝦夷島政権・榎本武揚(これは超有名)、開拓使初代長官・鍋島直正、2代目長官・東久世通とみ、3代長官・黒田清隆、主席開拓判官・島義勇、第2代判官・岩村通俊(この3人も有名)、第3代判官・松本十郎、庄内藩、越前・大野藩、水戸藩と徳川斉昭、プロシャ商人・ガルトネル、イギリス人・トーマス・ブラキストンなどなど。驚くことに、「蝦夷地」のことはわたしに任せよ、という水戸藩や大野藩が出て、代替わりする開拓使関係者の確執も描かれている。それらのざらざら感が記憶の襞に残る。さらっと書かれているがドラマを垣間見る思いだ。歴史が薄い北海道は、このあたりから和人がなだれ込んで濃密な歴史が動き出す。知るは楽しみなり。 ■2/5 積雪60cmで材運ぶ 安平町遠浅の里山。いよいよ、今月中にすべての材を運び出したい。 ■2/4 中川町のきこり祭り (写真は実行委HPから) 道北中川町は林業関係の発信が活発。2月26日のきこり祭りのプロモーションビデオも、楽しそうに見えます。なぜかと考えてみるに、地元の「あるもの」で胸を張っているからではないか、と思います。地方創生が中央から降りてきた大号令だとすれば、こういう祭りは足元からの呼びかけ。元気はそこから来る。地方はそうありたい。 ビデオ⇒http://nakagawanomori.info/kanko/kikori/ ■2/1 ウズベキスタンのハチミツ 昨夜の座談会のあと、ウズベキスタンのハチミツをいただいた。その方からのお土産というより、食べ方を知らないその方は、ちょっと剣呑がっており、いわば引き取った格好。こういう食への好奇心というか食い意地の強さを家内は「だから食中毒などになるんだよ」と冷たい。モノは、巣の中に蜜がたっぷり入った状態。ふつうは遠心分離器にかけて蜜だけを取り出す。かつて養蜂家から分蜂した巣の食べ方を教わったことを思いだし、このようなものの味わい方がよみがえった。帰宅しての食後、スプーンでブシュとはぎとり、ムシャッと。これはウメエ!!残渣となる巣の素材は飲み込めるほどコンパクトになる。天然のスイーツだ。これは当分楽しめるぞ!そう、わたしは大のハチミツ好き。 ■1/30 ニュースレター18号 PDFファイルをお送りします。290129発行のnews-letter18です。ほぼ5か月ぶり。 ■1/28 森づくりにご寄付 メンバーを通じて、白老の前田育子さんから森づくりに対するご寄付をいただくことになり、現地で簡単な授与式が行われた。前田さんはプロの陶芸家として活躍されるかたわら、廃船などで使われなくなった大漁旗を再利用してバッグや服(アロハシャツ)などの日曜グッズにして販売、其の売り上げの一部を旗提供の自治体の森づくり活動グループに還元している。 この日は、搬出作業の開始日。前田さんもほぼ一日、作業を手伝ってくれた。 ■1/27 柔らかい本、読んで、やわらかくなる 大宮エリーの『生きるコント』1と2を朝の電車内を中心に3日で読破。今日の夜は札幌駅のプラットホームで立ち読みしながら笑ってしまった。目の前には停車中の函館行スーパー北斗の乗客が窓越しにいたのに。不覚なり。 今話題の電通出身で、縦横無尽な自由人的監督、奔放なアイデア、小心なのに大胆なふるまい、そして純真さ、まっすぐさにも共感できるものあり。。生きていくためのハウツー「ヒント」本は限りなくあるのだけど、「コント」化してしまったエリーのキャラにちょっと勇気づけられる人もいるはず。 実は娘の断捨離で送ってきた荷物にあったもの。そこから世代感覚や仕事観を親として垣間見るような一面もあって、非日常的な時間でもありました。新鮮な感性に出会った快感。参りました。 ■1/24 風水と風土 モノや場所には「気」があることを感じ取るようになってから、「風土」というものと、実践的、あるいは実証的に付き合ってきたかもしれません。風土はそれほど包括的な概念で、わたしにとっては生き物の名前や分類を超越する上位概念になってきました。このところ、古い日本の「風土記の世界」(三浦佑之著)と「風土学ことはじめ」(谷川健一編 雄山閣出版,)を読んでいたら、目の覚めるような仮説に遭遇しました。風土という言葉は、中国の風水の「水」が、ありふれた日本においては「土」と解するのが良かろうと、つまりはほぼ同意だ、というのです。びっくりしました。そしてもうひとつ自然条件との付き合いでの、ajustment. について。同じアジャストメントでも日本的な方法は「適応」で、自然に逆らわずいくもの。もう一つは「対応」。これは開発の時などの「control を含むのだという。なるほど、こういう整理は本当にありがたい。ちなみに、わたしはほぼ「適応」ばかり、かと。 ■1/22 プロとアマの違い migitaさんからabeプロへのたっての願い、「二本のクルミの伐倒」に立ち会った。複雑な応用問題で枝も入り組んで、かつ特別注文もあっていわゆる「危険伐採」と呼んでいい。しかしそこはさすが、プロ。「的確な判断」と「スピード感」あふれる作業に目を見張った。手早い見立てと処方、素早い正確なテク投入。「素早い安全作業」は究極のわざであり、アマチュアには難しい。このクルミ、畑に日陰をつくるので、migita夫妻の懸案のクルミだったらしい。もう一本は納屋の屋根に食い込むように立つクルミで、これはちょっと粗末なトタン屋根に上っての仕事。シバレて大雪のこの時期を選んで頼まれた真意は伺い知らないけれど、いいプロのデモを拝見できた。85に近い老夫婦への人助けのようだったから、abeさんには今年いいことがあるはず。ところで、実をたくさんつけるクルミを見直したのはその枝の複雑な伸び。陽光を効率よくキャッチし、幅広く根を伸ばすべく、3次元的にかなり広範囲に空間を使っている。枝を切りながら、なるほどと感動。 ■1/21 「座り過ぎは万病につながる」、だからスタンディング・デスク NHKの「先読み夕方ニュース」で、ちょっと気になる医療ニュースが流れた。「らじる・らじる」で聞いたのだが、座り過ぎはかなり体に悪いらしい。太ももの内側の筋肉や第二の心臓ふくらはぎなどをまったく使わず、一日10時間近く座っているなんてのは超危ないゾーン。これはわたしの場合ケースではないか。そういえば、この頃、気づくと座りっぱなしが多く、心なしか歩くことや立つのが億劫になった。たまの立ち飲みだけは別だ。欧米ではすでにスタンディング・デスクが使われ、一部では立ってPC仕事をしているらしい。うーむ、通勤だけで4時間を費やすワタシ、生活改善は急務。よし、やってみよう。 ■1/20 日が長くなって 24節気の大寒の朝、前日の大雪とは真逆のような快晴で、7時10分ころ、植苗駅のそばの畑から日の出を拝む。こんな美しい日の出をJR千歳線の客のほとんどは見もせず、若いものの多くはスマホに夢中だ。なじみのおじさんは読書。この日の苫小牧の日の出は6時59分。暮れる時刻はだいぶ遅くなった。大寒はもう春の兆しだ。ひな祭りのころなら、山林の雪も解けだし、私の身体暦でももう早春モードだ。 ■01/16 今年の予定一年の計は楽しいひとときです。NPOの今年の活動予定表を作りました。育林コンペの中間評価など、新しいものがありますが、薪作りを前倒しにして、7月以降ゆったりさせるのが目標。理事会やテント運営委員会の意見を反映しつつ、動かしながら加筆していきます。さらなる森づくりへのアプローチとハスカップ保全&ヒアリング&出版準備などが大きく加わる予定。 ■01/15 山仕事の極意、セーフティ・ファースト わたしにとって2017年の山仕事はじめ。薪小屋の前でメンバーと新年のあいさつがてら、やはり、出てきた言葉は、「お互い、昔のように若くはないから、無理しないでいきましょう」。いまなら、スンナリと腑におちる。思えば、わき目も振らず突っ走ってきたようなところもあるから、こんな風に踏みとどまってみるのもちょっとした転機だ。前期高齢者になるころから、思った通りに足が運ばれていなかったり、手を伸ばしたらほかのものに触れたり。こういった事実を残念だが素直に受け入れて日々を過ごそう。 今日の山仕事はそんなことを心がけつつ終わった。チェンソーの切れ味もよく(写真左)、それなりに順調に6人の作業は四時前に終わった。感謝、合掌 ■01/13 不幸中の幸い 入院は刺激からの隔離。普通なら、日々やってくる出来事、小事件、雑事が刺激となって条件反射する「こころ」が、院内では静穏状態となり、いわば純粋精神生活であります。しかし人生これじゃ物足りない。やっぱりチャレンジだあ!と思わせるのが、入院の大いなるプラス面かも。点滴の合間、精力的に読み、歩きました。「観光立国の正体」「アイヌ、神々と生きる人々」「アイヌの歴史 海と宝のノマド」「七帝柔道記」「札幌文庫 新渡戸稲造」「風土記の世界」(ただし後半3冊は読みかけ。) 廊下の歩行は1日2.2km、階段上り下り8階。年初めに1週間も休んでしまったことは早く忘れよう。 ■01/09 食のありがたみ 4日目の今朝から重湯になりました。絶食していてもさほど空腹感はないのですが、重湯や出汁の効いた具のない味噌汁がかくもうまいものかと、久々の感動、そして感謝。人間、観念するとまな板のコイになり、不思議なことに仕事も何も忘れてしまいます。ひたすら読書とお茶。体が固まるのを防ぐため、ストレッチと歩きを欠かさず、早朝はロビーにバスタオルを敷いてヨガ・アサナ。普段からごろごろする習慣がなかったので、今回も思いがけないリゾートになりました。 ■01/07 高みから下界の衆生を眺めるの図 年明けに大腸憩室炎がぶり返して6日夕方、入院。初回から約2年で再発した。今回は腹部が腫れるまえで、歩行時の痛みもまだ我慢の範囲だが、周りに結構、憩室炎の経験者がいて、侮って大入院したという人が複数いたので、医者の勧めもあり緊急入院と相成った。5日朝に激しいめまいがして出勤を遅らせたが、痛み始めた日の前後から血圧がかなり上がっていた。2日、3日と、休み明けの締め切りを控えた原稿書きと校正作業などで部屋で固まっていたのが効いたのではないかと家内は言う。今日入院2日目で絶食中。9日におも湯から食を開始とか。病院の3階から朝夕の外の通勤通学者、時にほろ酔い集団などを眺めると、自分の位置が誰も気づかないところのためか、雲の上にいる気分を味わえる。観念して仕事を忘れて読書に励むしかない。 ■01/05 開拓 北海道を初めて訪れた本州の方が、まずその広大な大地の風景に一様に驚きますが、一部の人は岩見沢などの空知の田園風景をみて、開拓時代にどうしてこれほどまでに木を伐り尽くさねばならなかったのか、もっと随所に残せなかったのか、と失望を漏らします。柳田良造著「北海道開拓の空間計画」は北海道開拓期の計画論と深層を描いて興味深いのですが、この大作は上の疑問にもこたえてくれます。鷹栖原野の場合、約5haの開墾で0.3haの樹林地を風除けや薪炭用に残すことになっていたのですが、実際は一本の木も残さず切らなければ道庁の成功検査に合格しなかったと言います。もしここに数%でも樹林地が随所に残されていたら、今の田園景観はどう変っていたでしょう。不可逆性はあまりないと知りつつ、なぞが解けた分、開拓が少し身近になったような。 ちなみに、帯広の市街地はかつて航空写真を見るとほぼ全域が森林でしたが、昭和40年ころまでほぼすべてが伐採され農地や宅地となり、間もなくウィーンの森の理想を掲げ都市林作りが計画されて帯広の森が復活、出来上がりました。したがって不可逆性はゼロでなく、地域のニーズなのだな、と思います。北海道はここまで百数十年で作りましたが、補完、補正はこれからありうる、むしろ理想郷に向けて発想すべき時代になりました。 ■2017/01/01 謹賀新年 皆様にとって健やかな一年でありますように 穏やかに年があけて2017年。ただただ「昨日」の「翌日」であるだけなのに、生まれ変わった感覚に身をゆだねます。思いが叶わなかったこと、いやだったこと、つらかったことは昨日以前のことと置き去りにして、今日はこれから1年のこと、特に胸をふくらますような企画や計画に思いをはせます。1年を区切れるとはなんとありがたい慣習か。今朝、初日の出は望むのはかないませんでしたから、代わりに伊勢神宮の五十鈴川(左)と、月夜見の宮の大樟(くす)をアップしてみました。荘厳な気にふれて気宇壮大なこれからを思い描きましょう。 |