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2017年、日々の迷走 

■6/10名物は・・・うまい 八戸の「さば」

先週、八戸に寄った折、地元のTさんに「さば」専門店に連れて行ってもらいました。わたしが八戸産で最もよく食しているのが「さば」だとお話したから。福井の「鯖」ももちろんおいしいですが、八戸もさすがでした。写真は「串さば」。このアイデアもgood。ハラスと身が交互に。さばは本当においしい。
■6/10荘子の言葉
前期高齢者にさしかかるやや前あたりから、やっとこのごろ楽に人生を送れるなあ、と思うことが多くなりました。そう感じるご同輩も多いはず。そんな時、この荘子(BC3世紀ころ、タオの始祖)の言葉を思い出します。「将らず、迎えず、応じて、蔵めず」 おくらず、むかえず、おうじて、おさめず、と読みますね。

いろいろな訳があるのですが、あるブログでは高僧の解釈としてこんな風に紹介されています。『「将らず」というのは、過ぎ去ったことにくよくよしない。「迎えず」というのは、これから来る未来のことを思い悩まない。「応じて」というのは、その時その時に臨機応変に精いっぱい尽くす。「蔵めず」というのは、恨みや憎しみの念を心にしまいおくな、という意味。』





どうでしょう。平易でわかりきったことでありながら、なかなかできないことです。これができたら世話ない、と思えるほど。加齢とはそこへ自然体で近づくということのようです。だから歳を取るのはいいなあ、という思いの傍らで、あっちが痛い、こっちがどうしたと体や脳力の不具合、不満足がみつかり、気にもなる訳です。お金にも困らず時間もでき、だいたい満足できるようになるころはこんどは余命が足りないということらしい。それでも、夜が明け今日始まったばかりの早朝、、出来立ての朝日を浴びながら素直に感謝の念が湧く、そんなひとときにパチリ。
■6/10「それがどうした?」SNS考   …雨で山仕事が休みのためまとめ投稿
更新に間があきました。ちょっと帰りが遅くなると、もうHPを更新する時間がとれません。それとこのごろはSNS投稿をほとんどやらなくなりました。どこへ行ったとか、何を食べたとか、親しい友人とあってどうしたとか、プロジェクトがどう進んだか、とか、外へ発信する意味をほとんど感じなくなったようです。枯れてきたか。つまるところ、「それがどうした」と突っ込んでちょっとたじろぐような事象はもう書かないと。徹底して、里山の足取り、それと加齢のつぶやきのみ。そしてその小悟のようなつぶやきをたま~にご同輩と共有する楽しみ。いいですねえ。要するに断捨離タイセイに入ったようです。おかげでずいぶん楽になったことはたしか。
■6/3 サインを木に直接打ち付ける
 
薪積みと並行して、フットパスのサインを補修。毎年、春、倒れたり割れたりしたサインのすべてを打ち直す手間が欠かせない。今年からは、樹木に直接打ち込む方法も取り入れることにした。どこかで見たことがあるし、樹液採りなどもよくやるフィールドであってみれば、樹木のダメージも、まあ看過できる程度と踏んだ。すべてとはいかないが、ある程度これを併用すれば省力化できる。
■5/30 継続する広葉樹林
岩手大学の滝沢演習林で天然林の持続的な更新を見せてもらいました。ヘクタールあたり70本の大木(高木)を残し、稚樹の侵入を促して再び若い広葉樹林に再生させるもの。間伐後、3,4年目の近い若い木が育っており、光を取り入れるため列状に刈りこんでいました。苫東で果たしてこれほどの更新が期待できるだろうか、と自信はありませんが理論的だけでなく実際に広葉樹林状態が維持できることは間違いなく存在する。これは力になります。(写真左) 最後にヘクタール蓄積1,000立法mのスギ人工林を見せてもらいました。直径70cmほど、樹高は30m以上。南部藩の時代の植林で圧倒されます。ちなみに大島山林あたりは150立法程度かと思います。(写真右)

■5/29 盛岡にて
盛岡にきています。高校2年の3月、いまからほぼ半世紀前、受験先大学を決めるのにヒッチハイクでここ盛岡と札幌を訪問したことがあります。それから数えて5,6回目でしょうか。今日は駅前のホテルから岩手大学まで初めて歩いてみました。なんと、行きにくいことか、と思ったら、ここは城下町。目的地まではあまたの不規則な道路があるのです。北海道のような直線的な区画にあまりなれてしまうと冷や汗をかくものです。折しも、猛暑で沿線にはコンビニも自販機もほとんどなし。こっちでもヒヤリとしました。webの案内では2kmとあったのに結果は往復13,000歩以上、7.5km。付属植物園は雑然と放置され趣十分、賢治の通った盛岡高等農林学校(左上)の周りには、彼の作品によく出るヨーロッパトウヒのほか、外国産樹種も多く、当時の時代の洋風志向の雰囲気が彷彿とします。写真右上は大学の古い正門。下は北上川。多少道に迷っても真ん中にある北上川にくれば方向感覚がぴしっとわかる。
 



■5/28 薪積みとスドキの里山ライフ
今日は小雨降る中、静かに薪を積みました。ちょっと肌寒い昼食後、雑木林に入って、シドケという山菜を数日は楽しめる分、採りました。ああ、なんと幸せな里山ライフかと振り返ります。
 
■5/27 NPO苫東環境コモンズのスケジュール
更新しました。だんだん増えてきます。ここを見てこれからのスケジュールを確認される方が少なくないので、気を引き締めて更新に努めます。
■5/24 ニュースレター19号 5/27 追記
今年1月以来のトピックをニュースレター19号にまとめました。。ただひたすら丸太を切って薪を割る繰り返しのようにみえます。なんといえばいいのでしょうか、日本の昭和の、決して豊かではなかった頃の各地で毎日行われていただろう「営み」も、かくありなんとか、思いつつ。この小さな幸せと安らぎを、周りの人にも分けてあげよう、と一歩を踏み出しました。トムソーヤーの冒険で、少年が壁のペンキ塗りをイヤイヤ、いえ楽しそうにしていると面白そうだからやってみたいガキ友達が集まり、「やらせてあげる」あの図式にも似ています。やってもらいつつ対価をいただくという逆有償の道もあります。精神科の病院が近くにあったなら、患者さんにもお勧めしたかった。
■5/20 探鳥会、スドキのあとオオタカ
 
大島山林2回目の探鳥会。スドキや春のキノコを採りながら、新緑を満喫。キビタキとセンダイムシクイのさえずりは随所で聞かれた。キビタキをフィールドスコープで見た参加者は「わあ、きれい!」と驚いていた。このほか確認したのは、アカゲラ、シジュウカラ、アオサギ、オオルリのメス、オオジシギ、アオバト、ウグイス。昨年はアカハラやヤブサメの声を聴いたが今年は気が付かなかった。
 大島山林を後にした夕方、静川の小屋で薪割りをしているとカケスがうるさい。何事かと見ると、オオタカがいた。テラスから25mほど。



■5/16 千歳川の遊水地

朝から雨の降る寒い16日、合計で1000ヘクタール近い千歳川の6つの遊水地をめぐりました。最初に訪れた南幌・晩翠遊水地では地元NPOふらっと南幌の近藤さんと橋本さんが1時間余り、案内してくれました。第一印象としての現場は、いわば壮大な土木事業で、それに自然再生事業が重なり、一部では市民が参加するような構図もあるようです。近藤さんのお話からいろいろなことがわかりましたが、明確にいえることは、苫東のハスカップ・サンクチュアリを含む遊水地のように、いろいろな計画が始まる前から地域の人々が利用し今も重層的にアクセスと利用がなされるコモンズとは、明らかに一線を画しているということでした。今日だけでもだいぶ整理がつきました。写真左は旧夕張川堤内の自然再生実験地。小雨降る中、わたしは忍ばせてきたフリースのマフラーをして失礼にもポケットに手を突っ込んでしまいました。(ドウモスイマセン) 右は、3番目に訪れた長沼の舞鶴遊水地、すでにアオサギを含む水辺系の鳥たちの楽園のようでした。


■5/13 スドキの実力
 
例年通り、たがうことなく、スドキが顔を出した。出始めはいつも見つけにくい。小さいというのか、恐る恐る、引っ込み思案なように顔を出すのである。夕食に合わせ今回は40秒ほどゆでてみたが、案の定、アクが抜けすぎて今一つだった。熱湯をかけるだけにした方がよろしい。本番の来週はその調理法に戻そう。それにしても、根室の活が二を手に入れたのでさっそくアツアツのゆでたてとシンプルなスドキのおひたしを並べてみたのだが、驚くなかれ、いささかも見劣りしないのだ。堂々としている。スドキはエグイだけでなく大変エライ。
■5/12 十勝のブランド 
 
会合のためJRで帯広を日帰り往復。昼、「はげ天」で天婦羅ではなく豚丼をいただく。帯広というのか十勝といえばいいのか、六花亭や柳月といい、カレーのインデアン、泊りの時は良くいく屋台村といい、この地域が創り上げてきたブランドには驚きとうらやましさを覚え、称賛するもする。ばったり、十勝バスの社長さんと顔を合わせご挨拶したが、この方もいまやローカルバスの地域交通運営では全国モデルとして注目を浴びる。こういう、築きあげる人々の営みがあり、築かれた成果がブランド力をもって実在する重み、手応え。静かにフォローしている小さな都市林の試み「帯広の森」もある。駅南の十勝プラザのカフェで帰りの列車を待ちつつ。

■5/10 温泉の本質
哲学者の内山節さんが、雑誌「かがり火」に「温泉の本質」というエッセーを書いていて、読んでとても共感したので特記しておきたい。こういうことを書く人はとても稀で、田園での人の生き方、社会の流れに鋭く切り込み見方を示す氏ならではのものだ。温泉の本質は薬効成分ではなく、地底から湧き出てくるお湯の力を借りて、自然と人間の力強いつながりを取り戻すことにあるという。季節の山菜は土地の気をいただくものと見てきた当方は、当然これに膝を打つ。古代から、日本人は花鳥風月に通いあえるアンテナも有していたはずだ。修行によってアンテナという感受性を磨くことは今も可能と言われ、風土の神「産土(うぶすな)」とつながるその典型的なメソッドのひとつは冥想であると思う。人はおのずからなる流れを阻害されやすく、温泉は、自然の霊力を借りて、自然と人間の一体的流れを取り戻すのに使われた。信仰の場でもあったというのである。そういえば、このところ温泉につかりおのずから流れをいただくような機会がない。血圧が高く気管支が痛いなど、体調が今ひとつだ。
■5/7 薪は都会派であるという乖離

薪は自然度の高い地方で得やすく、ローカル性豊かなものだが、一方でなんとも都会的なものだ。表現は頓珍漢かもしれないが、英国の田舎で貴族が住むマナー・ハウスの暖房みたいなところがある。気持ちだけ紳士、みたいな。
そういえば、薪ストーブのうんちくを語れば最右翼候補の、フライフィッシャーの田渕義雄氏があるところで「田舎とはイナカモンが住むところを言うんだ」という主旨のことを書いていた。。もともとの田舎などないという意味。けだし、名言だと思う。地方を田舎というのではない。閉じこもらず、周りの人に胸襟を開いて付き合えるかどうか。世界に目を向け前向きに生きる。人生の扉とはその辺の冥利をさしているのだろう。
この連休、ずっと薪をいじって終わった。3日目、血圧が上がって大変だった。思うに薪が求める手仕事は留まるところを知らないで、人は往々にして没頭してしまう。庭仕事もそうだ。昼、ビールを飲んで庭仕事をすれば、知らず知らずのうちのロードのきつさで、頭痛がしてくるものだ。休み休み、ビスタリ・ビスタリ(ゆっくり)である。















■290503 もう一つのハスカップ大群落を探して

写真左;いすゞの開発行為時、その南の湿原の水位変化を追跡調査してきた観測井戸NO.28。その奥にかなり大きなハスカップ群落を確認。大きさは不明。写真右;「ハスカップとわたし」企画書  
現地のハスカップ・サンクチュアリがどうなるかも気がかりだが、NPO苫東コモンズは、勇払原野のハスカップをめぐる市民史ともいえる「ハスカップとわたし」(仮題)に取り組んでおり、市民のヒアリング結果や講演記録、エッセー、レポートなどを広く集めて、かなりのボリュームになってきた。すでにA5版なら200pを越えた。 開拓時代のハスカップを年配の方々に聞いたり、栽培農家やお菓子の開発秘話などを伺った一連の原稿からは、なにやら、「ハスカップ文化」なるものが匂ってくるのだ。今年はこの編集にも専念することにしたい。
■290430 薪を積む、ついでに最近のITサポートのありがたさに一言
 
ついに連休初日に薪を積み始めました。初日に2棚(1棚はほぼ3か月分)が瞬く間にできあがり、なにか幸先のよいスタートです。薪小屋から遠方への薪搬出も本格化。実はこの日の充実は、雨予報を覆しての快晴のおかげで、一般予報を否定するその情報もピンポイントで雨雲レーダーでキャッチしていたから、なんとかなる、の心づもりでした。この快感は素晴らしい。それにしても近年の雨雲レーダー情報には感謝、感謝です。わたしはリアルタイムではX-RAIN-GIS、普通はYahooの雨雲レーダー。前者ではにわか雨で何分作業を中断するか、などきめ細かく決めたりする。
最近のITで刮目しているもうひとつは、口語翻訳のアプリ。使い始めたのがVoice Tra.。残念ながら台湾では中国語が不都合で使えず筆談になりましたが、それはそれでアナログ会話がよかった。google翻訳もいい。

■290426 旭川にて
 
取り組み始めた遊水地コモンズの予備調査と、コモンズ的里山運営の事例調査のため、砂川と旭川を訪問。そのうち旭川ではコモンズフォーラムⅥでパネリストを務めてくれた陣内さんの、いわばコミュニティ林業の現状を見せてもらった。手の込んだ、地域の人のつながりをみつけ活かし、独特の森林コミュニティをつくりつつあった。さすがだ。写真は高さ10mほどの斜面に突き出たテラス。何気なさそうに立っているが、雪圧回避のため冬季は板をはがしてあり、足元は深い沢。記念のツーショットだ。
 写真右は陣内さんの森のそば、旭川市神居のパン屋さん「パパラギ」。いつも売り切れている幻のパン屋さんオーナーで、10年近く前、ドイツやオーストリアはウィーンなどの森林散策とセラピーの研修ツアーの同士。どういうわけかわたしはその団長だった。神居で店を開いているのを思い出して立ち寄ってみたら、明日の仕込みをしていて、久々に旧交をを温めることができた。日焼けしてとても順調そうなのがわかった。前向きで元気な方と会うのはこのうえない幸せである。くしくもここ写真4枚とも、ウザイ自分が登場してしまった。ご勘弁を (爆

■4/23 早春の雑木林
 
雨上がりの日曜日、フィールドをはしごして一巡り。早春の雑木林は素晴らしい。「森カフェ」もテラスにテーブルをしつらえてオープン。
■4/23 自然は誰のものか
先日「土地は誰のものか」という一文をしたためましたが、今回は「自然」。北大苫小牧研究林で長く林長を務められた石城謙吉氏の講演集で、出版社は札幌のエコ・ネットワーク。先生は講演の際に壇上でいつも胸ポケットから原稿用紙の束を出され、しかしほとんど目を落とされなかった。いつだったか直接尋ねたことがあるのですが、必ずちゃんと講演原稿を書くのだそうです。そしてたしか晩年の仕事にまとめるつもりだとおっしゃっていたような。どうもそれがこの本になったようです。
 語るような諭すような表現、語り口には科学者としての厳しさよりも教育者としての優しを感じさせ引き込まれるような雰囲気があるのは、さすが他の追随を許しません。特に先生が書かれているように「自然保護に携わっている方々への連帯のメッセージ」と位置付けられておられ、視点は明確で関係者は再確認されたのではないかと拝察しました。
 わたしは個人的に先生にはイデオロギーを越えて森づくりという土俵でいろいろアドバイスをもらい意見交換もさせてもらったので、演習林(研究林)と苫東という立場や肌合いの全く違う「都市林」という概念を共有できたつもりでしたが、しかし、そこにはやはり大きな川があったというのが今の心境です。石城先生が昭和48年に苫小牧に赴任して取り組まれた地域環境保護の運動、ずばり苫東反対運動のその「苫東」の森づくりが、51年に初任地として来た苫小牧におけるわたしの仕事だったからです。開発側に身を置いて自然に関わったわたしは、したがって今回のこの著作「自然は誰のものか」を、是々非々の立場で読ませてもらいました。
 あらためて言うまでもなく、経済的基盤の弱かった北海道は、開拓の時代からこのかた、農業・宅地・工業の各々の分野で開発は不可欠の条件にあった、そして森林や原野という自然は土地利用を替えざるを得なかった(=開発)、そうしないと道民は職と豊かさを求めて本州に渡らざるを得なかった、という状況だったと考えています。手つかずの自然の大地をすべてそのままにしておくという考え方に立つのならばともかく、維新後の開拓、戦後の入植、燃料供給等、時代の要請に応えざるを得なかったのが北海道でしたから、「手つかず」から「人の住める大地」への改変はやはり避けられなかった、いや絶対必要だったとわたしは思います。
 もちろん、国や自治体が進める公共事業の方向が間違っていたり、惰性で無駄な事業を進めることは正さなければなりません。しかし経済的でかつ文化的豊かさは求められていたのも事実で、苫東反対運動時によく言われた「煙の下のビフテキか、青空の下のおにぎりか」という、二者選択ではなく、できればクリーンで緑豊かな中での多様な文化生活をわたしたち道民は本心で望んでいました。決して北朝鮮を理想となどしていなかった。そのために、港も道路も農地も宅地も、学校や病院とともになくてはならないものだった。それらは大きな計画に基づくプロジェクトによってもたらされてきて、税金が再配分されてきたのでした。そうして100年余りで500万人以上が住む、近代的な生活を営む島ができあがったのではなかったか、歴史の中の北海道の歩みは肯定したいと振り返るのです。
 石城先生の今回の著作は、そういう観点で見ると、自然保護か開発かで揺れてきた北海道、特に苫小牧の位置づけを考えるうえでとても大切な意欲的な提言をされてきたことがよくわかります。来し方を振り返り将来を占う意味でも大事な問題提起をされていると思います。自然はみんなのもの、と考えるコモンズの視点を掲げる一市民としては尚更、学びの泉にしたいと思います。 

■4/22 小さな感動が人を動かす
 
人をその気にさせるというのは難しいものです。いわゆる動機づけというやつですが、先日、思いがけずに気が代わる体験をしました。つまり「動かされた」。長崎の畏友・まつをさんが紹介していたあるページを開いたのがそれ。それは大滝詠一の「夢で逢えたら」でした。で、聞きなれたこの曲をいつになくガンガン聞いていたら、「音楽っていいなあ」という気分が生まれ、久々にクラシックギターを取り出すことに。
 40年以上前の中学時代に憧れ、バイトでためたお金で安いギターを買い、高校生から35歳ころまでかなり真剣にやっていたやつ。学生時代などは一日5時間もやるときがあった。勤めて間もなく給料はたいてギターを新調し一日2時間はクラシックギターをしていたから、楽譜なしでかなりの曲を行ける。アルハンブラなど今でもまあまあ大丈夫だけどやはり詰まる、そして爪がないから音量がない。だからつまらなくて遠ざかっていた。
 30年近くやる気の失せていたそのクラシックギターを、ちょっと本気で取り出したのだった。大滝詠一のおかげだ。薪ストーブを入れるためにピアノを処分するから、音楽のツールは、これからはギターとリコーダーだけになる。そんな寂しさもあったのか。

 
林を美しく整える森林美学、森で感性を磨き動機を得る森林感性。所詮、芸術のように人に何かが伝わらなければ、本当の手応えにはならない。雨で山仕事が休みになった土曜日、しょうもない書き込みをして午前を終えた。静かな雨は恵みをもたらすものです。
(追加:同じファイルに、竹内まりあの「人生の扉」もありました。他人がカバーしたものばかりが顔を出すこのごろ、久々にオリジナルに出会いました。)

■4/20 きたマップ「あなたの地域の守りたい自然を教えてください」  
このごろ、facebookのような公開するものすべてに腰が引けて、ほとんどのSNSから手を引きました。自分のホームページと唯一twitterを時折見たりホソボソと更新するくらい。SNSに大勢に自分の行動をさらすことへの強いブレーキ。また、他人からどう評価されるのか、ということから段々無縁になっているのでしょうか。
 とはいっても、自分のことではなく、ハスカップ・サンクチュアリと大島山林は別の話で、存在を公に出してあげたい気がします。標記のタイトルは「きたマップ」という、酪農大学の金子正美先生のプロジェクトで、環境活動をGISに落とし込んだデータベース「きたマップ」を創るもののようです。
 ハスカップ・サンクチュアリは、もうこんなに大きな自生地の群落はないのですが、その核心部分を遊水地の土手が横断しそうな状況にあります。別に反対運動などを起こすつもりはありませんが、NPO苫東コモンズが作成したGPSマップだけでなく、金子先生のGISでも記録しておこうと考えた次第。
 大島山林は、隣接するコミュニティと手入れする、まさに「コモンズ型里山運営」の雑木林で、少しずつ、地元の人とNPOが協働し管理の担い手となって美しい快適な林を目指しているモデル。今週末にでも登録申請をしておこうかと思います。

■4/16 台湾にて3
 
15日午前はまず台湾の兵士の霊を祀る忠烈祀で衛兵の交代の儀式などを見た。気温はすでに30℃近かった。次に世界4大博物館の一つとされる故宮博物館へ。蒋介石が台湾へ逃げる時に北京・紫禁城などの金銀財宝を持ってきたという。台湾人ガイドは「盗んできた」と断言した。虐殺、略奪、放火などが戦時は常習化している国だから当然か。翡翠やら象牙やらに細かに細工が施されたもの(白菜が有名)ばかりで、わたしはまったく関心はもてなかった。なのに超満員だったのにはあらためてガッカリした。写真などは1枚も撮らなかった。
 次に中国国民党政府の故蒋介石総統を記念して建てられた中正紀念堂へ行った(写真左)。広大な公園の造りはウィーンのシェーンブルン宮殿を模したようなシンメトリーの花壇と壮大なアプローチで、その先の高台には蒋介石の巨大の像(写真右)があった。戦後台湾にわたり現地の人々を虐殺し35年間君臨したという独裁の有様は、この像のしつらえ方に表れている通り、悪事を覆い隠すための神格化のように見える。微妙な話なのでガイドに聞けば、今はもうそんなことはないといっていた。北の某氏のシルエットに重なるところだ。ガイドは蒋介石の功績は、故宮博物館を造ったことだけだとみんな思っている、といった。なるほど。それは、このメイン施設が補修中で、昨年、国民党から民進党に政権が変わって蔡英文総統になってからは、工事が止まっているということに現れている。

■4/16 台湾にて2
 
世界有数の宝石の産地・花蓮(かれん)から、パワースポットのような国立公園「太魯閣(たろこ)渓谷」を廻ってから電車で九分(きゅうふん、本当は人偏のふん)へ。台北は270万人、その外周を取り巻く新北市は400万、従ってグレート台北はなんと670万人だ。基隆(きーるん)の港の南に位置する。200年前の金と石炭のゴールドラッシュで栄えた廃坑跡だが、15年ほど前から観光地になったという。観光地になって間もなくだと思うが「千と千尋の神隠し」の舞台のモデルになったと噂される建物(実は遊郭だった)とその界隈の石段の坂道一帯に人が集まる。小路は幅2mもなく急な階段だったりするから、もう大変な人だかりだ。ここに小さなこじゃれた店が並ぶ。客は日本人と韓国人の若い人。夕食の台湾料理はここも大変おいしかった。
 9時過ぎには台北で最も大きいとされる夜店へ。またまた想像を絶する人混み、雑踏。金曜夜の大衆の食事は屋台風、的うち‣やえび釣り(金魚ではない)などオーソドックスななゲームセンターなどに圧倒される。しかも広すぎて迷子になりそうだった。しかしこの喧騒はパワフルなものを秘めているようだ。わたしはさすがにこのひと気には疲れる。雑木林とはおよそ別世界だ。自然と人のパワーを見る日だった。

■4/13 台湾にて1
 
昨日から台湾に来ています。千歳から南部の高雄に深夜まっすぐ着いて、13日午前のちょっとした時間に、大きな通りの裏にあった庶民の店を偶然のぞいてみました。とれたばかりの見慣れない魚(左)と、とことん使いつくすホルモンたる腸や腎臓や鳥の足など(右)。ぎょっとする品々だ。野菜を含め驚く安さである。中国の言葉を使いながら中国本土の人々に対して、国民の半分以上の人々が反感を持ち、中国や韓国とは対照的に親日感覚がおそらく世界一高いともいわれる国(地域)・台湾。日本にとって中東との貿易の上でも欠かせないシーレーンはこの台湾の領海と周辺が要です。
 先週からにわかに緊張の増した世界情勢にあって、蔡総統率いる台湾も一つの重要な極にいます。恥ずかしながら今回乗ったチャイナ・エアラインの「チャイナ」を、中国ではなく人口2300万人の台湾が堂々と名乗っているのは初めて気づきました。日本は日清戦争後の下関条約後の50年間、台湾を統治しましたが、1972年の日中国交正常化で台湾との国同士の関係は断交していた。その台湾が蒋介石の国民党時代の名残でチャイナを名乗っているのか。そんな真相もわたしは知りません。今日は高雄から反時計回りに東海岸に出て、今、花蓮(かれん)という人口20万人の大理石で有名な町で夕食を終えました
熱帯を北に回帰線を超えて亜熱帯に入り、やや退屈だった海辺の風景に風土感覚だけは敏感なままでした。


■4/10 再生の壁

日曜日、先週に続いて今季2回目となる「ホッキとフキノトウのかき揚げ」をした。ホッキは家人が午前中に店で確保したので、残るはフキノトウだった。前回は家から1kmほど北の人里で採れたが、今回はさらに数百m行ったところへ。そこにはまだ雪が残っており、雪線そばでは若いつぼみもたくさん採れた。高速道路の北側のその一帯は小高い尾根筋があり、写真左の如く広く雑木林が広がっていて、一部で風倒木処理のような伐採も行われていた。尾根に登って伐採された切株を見て回って驚いた。ナラのおよそ半分は萌芽が認められたが、すべてがことごとくシカかウサギの食害を受けていたのだ。
これでは萌芽枝が伸びても樹木として再生は困難が予想され、果たして林として復元するのか、危ぶまれる。植苗病院周辺、新千歳空港周辺などのような、旺盛な萌芽更新とは程遠い。国道234号の勇払川を渡って遠浅に向かう際の国道とJRに挟まれたエリアも、萌芽更新が盛んでもうすぐ林になる。ナラなどの広葉樹林は、萌芽更新をして3,40年で伐採と再生を繰り返す。胆振で行われてきた「低林作業」の大原則どおり、きれいに皆伐して一斉に更新させないと成功しないのか。極端に言えば、シカたちの食害をものともしない、高密度の、「どうだ参ったか」というほどの「勢いをもった更新」をつくらないといけないのか。シカなどの食害が目立たないほどの再生を創れ、ということか。
陽だまりの切株に座って、安定的な、繰り返すことのできる更新と再生に思いを馳せた。自然とはそういうことか。

■4/08 薪割りと人生

コモンズのメンバーは、それぞれマイ・斧を持ってきている。左はabeさんのスチール製。中央はtomikさんのフィンランド・フィスカー製。右はわたしの、日本は土佐のまさかり。割る瞬間の角度が微妙に差があり、スチール製が最も角度が広く重かった。フィスカーは軽量だがよく割れるような気がする。今日は打ちそこないが2回あって、いずれも刃でなく付け根の柄を思い切り打ち付けたために、掌に打撃が響き飛び上がった。
 見ているとみなさん、実によく割れている。しかし時々なんでこんなにしつこいの?、といいたくなるようなものもある。外見はすらっと素直なのだが、写真右のようにやっかいなこじれた部分を中に持っている場合だ。たいていは枝の痕跡が樹皮に見て取れることが多い。癒合してかすかに膨れているのだ。こんなヤツに何振りも費やすと無駄骨感が残ってしまうから要注意だ。

 しかしこれもまあ、人生そのものではないか。因果応報、業のような原因を内包しているのである。だが、難関を避けてばかりはいられないのが人生、その点、「難しいのは機械に任せよう」と、ここの薪割りでは申し合わせている。割れないのは早々にあきらめて脇におく。ならぬものは、ならぬ、のである。すっと素通りするのも渡世の妙味であろう。

■4/06 土地は誰のものか
昨年12月のコモンズ・フォーラムの概要をリンクしました。環境コモンズ研究会が置かれているわたしの職場・北海道開発協会のホームページで、概要全文があります。北海道ではコモンズの概念も名称もまだまだなじみが薄いのですが、地方から人が減り、かつグリーンインフラに重きを置くこれからは、この考え方が課題解決に一役買うのは間違いありません。洪水対策として進められている各地の遊水地や、身近にある個人所有の里山利用も、コモンズ的な視点で見直してみると地域住民と行政が協働するプログラムの道筋が見え始めます。
 司馬遼太郎氏の著書に『土地と日本人』という土地所有について考えさせる話題作がありますが、高度成長期の土地価格高騰から安定期を過ぎ、余り気味でしばしば放置される時代となり、あらためてコモンズの視点で振り返ると、土地はそもそも誰のものかという将来への問いかけにぶつかります。コモンズへの注目は今、歴史的な必然性を持っていると思われます。ちなみに政府は連絡の取れなくなった空き地、空き家を公共のものにできる道筋の検討を始めたようです。札幌でのやや地価の高いところでは宅地200坪の固定資産税が年間数十万円もするのを知るにつけ、土地は所詮、国から借りているのではないかと思ったりします。

■4/02 今季初、ホッキとふきのとうのかき揚げ
 
ふきのとうの季節到来。雪はまだあるけれども、もう出ているはず、と町内の北はずれに出向くとほどなく、ちょうどいい、開きすぎていないふきのとうの場に出会った。この早春の山菜はどういうことか、苫小牧の名産ホッキとの相性、とりわけ「かき揚げ」が素晴らしい。わたしなど一部のマニアの間で有名になり、青森の八戸では苫小牧のこのマイナーな習慣を、「ホッキとふきのとうのかき揚げ祭り」ほどに盛り上げておられる。
 山菜のふきのとうを確保してからおもむろに、相性のいいホッキを買い求めて5時半ころ、ビール片手ににわかシェフになって家人に数品を振る舞った。手前はふきのとうの素揚げに近く、右上がかき揚げだ。もちろん、ふきのとうの残りはふき味噌(写真右)に加工。明朝、わたしもあらためていただく予定。もちろん味見済みだが、失敗のしようがない、すばらしい早春の味覚だった。

■4/02 韓国は大丈夫か
韓国の動きが急だ。朴大統領が弾劾されて間もなく、一昨日逮捕された。この春は大統領選挙が行われ、最大野党「共に民主党」が政権を取る可能性があるとされる。もしそうなると親北派は北朝鮮に韓国を飲み込んでほしいと秋波を送る・・・。北は電撃的に韓国に侵攻してソウルを陥落させ、親北の韓国政府は早々に降伏し講和を結ぶ。韓国民は再び100万人規模でデモを打つが・・・。こんなシナリオも取りざたされる。慰安婦問題の来し方、行く末に気を取られている間に、事態は着々と別の局面に向かっているようだ。
■4/01 単純な手仕事
 
手自然。手つかずの原生の自然ではなく人の手がかかって、ほどほどに気持ちのいい自然。この語感に似た言葉に「手仕事」がある。針仕事やクラフトとともに、その筆頭に当たるのは「薪割り「薪積み」ではないだろうか。NPOでは5月6日、遠浅町内を中心に手伝いを募集始めた。
その薪割りだが、先週伐倒を手伝った所から、クルミの丸太が届けられたのでさっそくマサカリを当ててみた。完全な生木にも拘らず、かなり堅い。というか粘りがある。6振り目あたりにやっと割れた。写真右は、土ソリを裏返して使っている昼食のテーブル。食後、各々の持ち場にメンバーが移った後、ポツンと残された。

■3/29 女性の集う産業空間 “苫東”へ
 
北大のK先生とともに、韓国から留学中のS先生を苫小牧西港のエリアと苫東に案内した折、あらかじめ予約してもらった苫東柏原にあるJファームの「カフェ・ピリカ」で昼食した。カフェは女性のお客を中心に、ほぼ一杯だった。メニュウはチキンソテーとスープとサラダ、そしてドリンクで1200円。いい感じである。殺風景であるはずの団地にあって、なんという優しい光景であろうか。
 このインダストリアル・パークのマスタープランができた昭和46年ころ鉄鋼産業用地とみこんだエリアが、産業用地であることをやめて、これからは野生生物、とりわけ絶滅危惧種の野鳥たちをも包み込む遊水地になることや、臨空性をもった柏原などのエリアが、再生可能エネルギーの太陽光パネルで埋まってきていること、そして機械工業に交じって野菜工場が進出し、スマート・アグリとかトリ・ジェネレーションなどという世界に染まっていくとはだれが予想しただろうか。
 あえて言ってみれば、鉄のような「男型産業」がやわらかい「女性型」に変化したといえないだろうか。そしてビジネスとして成り立って海外からの視察者も後を絶たないという。
 帰りしなの車中で韓国のS先生は、売れ残っている産業スペースはいつごろ完売できるとみているか、とわたしに聞いた。苫東での仕事から全く離れている身には門外漢になると知りつつ、残りは3000ha以上あるから、当初の鉄鋼や機械産業が遊水地やソーラーや野菜工場に変わったように、未来のワイズユースのためにstep by step 残しながら売るだろう(そうあってほしい)、そして「残りものの土地と環境」は将来への宝・ギフトだと思うと、たどたどしい英語で答えた。もちろん雑木林込みである。雑木林はもちろん女性に親和性が高い。
 さらに、コモンズの概念はこの風土を持続的にかつローコストで運営していくために重要かつ不可欠だ、と付け加えた。「K先生はどう思います?」と振られたK先生は 「same 」と答えて笑った。ふだんは全く使うことのない英語で頭は疲れたけれど、コモンズのアイデンテティをあらためて考え決意するとてもいい時間になった。

■3/26 早春の渡りがうつくしい

晴れあがった日中に、遠浅の薪ヤード上空を東南東から西北西の方角へ、ガンと白鳥の編隊がいくつも飛んで行くのに目をやった。そのつど、薪割りの仕事の手を休める。中には白いのと黒いのが混じった親子の白鳥の群れもあったが、よく見るとそのなかにはちゃっかりとガンが混じっていたのには驚いた。羽ばたきのリズムが割とあっていたのがおかしかった。夜も、自宅の上空で渡りが見えた。テラスの椅子で星空を見ていると、白鳥の真っ白なシルエットが音もなくスーッとウトナイ湖方向に移動していくのだ。うつくしさに見とれると同時に、春の躍動が伝わってくる。  北の森カフェスケジュールを更新しました。
■3/23 英語のパンフ、修正
NPO苫東環境コモンズの英文パンフの不備を修正しました。外国からのお客様には、やはり英語が共通語になります。先日来、韓国の先生とお付き合いがあり、来週はウトナイ、苫小牧、苫東などの訪問をアテンドの予定。3月は決して視察シーズンのベストではありませんが、それはそれなりに。薪ヤードも最後によるつもりです。
■3/20 『日本と台湾』
春分の日はお彼岸の中日で、先祖をおもんぱかる契機にするのだと言います。普段考えたこともなかったのですが、彼岸という言葉は確かに仏教的な言葉そのもので、墓を持つ人ならば早々にスコップをもって雪はねに行くのを思い出した。その春分の日、ちょっと微熱があって終日養生していた。このところ、台湾の歴史に関心を寄せていて、今日は熱でうすぼんやりしながら加瀬英明氏の同名の新書を読んでいた。中に、終戦の日に台湾から引き揚げる日本兵数百人に対して、台湾の盲人が呼びかけた言葉が紹介されていて、胸が詰まった。「・・・私は台湾の一盲人であります。私は日本が私たち盲人にまで教育をしてくれたことを感謝しているものであります。みなさんは故国に帰ってから、さぞ苦労されることと思いますが、台湾にはあなた方に感謝している盲人がいることを忘れないでください。」(台湾協会発行「台湾引上史ー昭和二十年終戦記録」から引用されている)。日本は台湾を50年、朝鮮を35年統治していたわけだけれども、鉄道などのインフラと教育とに国家予算を削って投資してきた。反日に凝り固まって慰安婦像を設置するような動きにばかり目を見張っていると歴史を見誤ることを教えている。わたしは日本人の先人の精神とこころ配りに誇りを持たざるを得ない。メディアと教育が取り上げてきた日本像とバイアスには暗然とするが、日本の時代が来つつあることも一方で予感できる。
■3/18 ガンも薪も忙しい

在原業平の歌に、『世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし』という春のあわただしい流れをうらむ名歌があります。「春さえなければ心はもっとのどかなのになあ」・・・。ウトナイ湖にもう4万羽近くがきているというガンたちも、なにやらせわしない、というか摂食に余念がない。真っ暗になるまで厚真や近傍の田畑で採餌している。そして間もなく北へ発つ。わたしたちならさしずめ、「・・・薪づくりのなかりせば・・・」ということになる。休憩もそこそこに、伐って割って一日を終えたのだった。
■3/16 食べ物のちから
 
「グループ客は一日一組だけにしたいんですよ」とオーナーはおっしゃる。様似のとある日本料理店での話。一品一品、なにか、食材として力のあるものばかりだった。最初は蒸したエゾシロガイ。胆振や日高の自然海岸の5月、山菜取りの気分で浜辺で拾うアレ(ジョロウガイ)だ。お造りの主役は、ここではマツブ。キロ4、000円もするので当地でもすぐ築地に行ってしまうらしい。エンガワはマツカワではないかと思うが聞き漏らした。鮭はブランド・銀聖。活きのいい魚はオーラがある。こういう地方に食と風土感覚を求めて消費者が足を運ぶ仕組みはまだできていないけれども、この稀有な感覚こそ、マイナーなままブランドにしたいような気がする。遠く、不便な、もてなし気分などあまりないようなところ・・・。日高の奥の方は遠い。しかし、なにか宝のようなものがある.。
■3/14 言葉のちから
新聞の広告を見てこの頃楽しいのは、佐藤愛子さんの新刊のタイトル。昔々、北杜夫、遠藤周作らと、素晴らしい仲間たち、のような番組で放談で沸かせて、確か『戦いすんで日が暮れて』あたりから気にとめていた方。近年は、年寄が開き直るとこうなる、というような秀逸なタイトルが並ぶ。『ああ、面白かったと言って死にたい』、『九〇歳。何がめでたい』、『それでもこの世は悪くなかった』、『上機嫌の本 損や苦労はへでもなかった』、『人間の煩悩 悩みの量こそが人間の深さ』、など。
 おととい、新聞でこんな一言を見つけた。何かと話題になる若い百田尚樹氏だ。「人生で何を選択するかはその人の性格次第だ。結局、それが運命だ」。・・・確かにそんな気がする。「人は持って生まれた能力で戦っていかなくてはならない」。・・・もちろんそのとおり。「本当の才能というのは、実は努力する才能なのよ」。・・・そうかもしれないなあ。「誰もが最初は素人だ」。・・・そのあとどうコツコツ努力するかどうか。結局、人生は努力次第、だろうか。それを「へとも思わない」性格で?そ、力まないでやりたいものです。

■3/11 ガンの飛来を見た日、薪材の運び出しを終える

ようやく、今季の除間伐と、スノーモービルによる材の搬出を完了した。毎年、その年の立米数を気にしながら、そして雪解けと搬出のスピードに気をもみながら3月を終える。条件や環境が毎年変わるから、マネージメントもケースバイケースだ。約3か月、一年の4分の一をこれに使い、あと2か月は、薪という製品化に没頭する。といっても、ここまで7,8人で正味13日。こんな風に、人工数と生産量(出石・でごく)をカウントしながらやるようになったのは、少し進歩したのか、ようやく経験が積み重なったか。詳細は雑木林だより4-95で。

■3/10 同窓会は究極のノスタルジー快感
このごろ、同窓会づいています。定年になり始めた大学の同期の集まりが先週の雛祭りの日に、その前の週は同窓会の苫小牧支部の若手と。先週の日曜日は来道した寮生活していた時の後輩らと@焼き鳥の四文屋(写真)。今日は元の会社OBと月例会@「よいところ」。毎回、実に楽しい軽い宴になるのは顔を見ていただくとおりなのですが、さて、この変化、何か環境が変わったかな?思いつくのはまず、リタイヤ年代の自由感覚か。そしてノスタルジー。
 夜、トイレに何回起きるかとか、何の薬を飲んでいるかとか、最近どこに旅行したかとか、などなどから韓国の慰安婦問題やトランプのとっておきのニュース、日本の針路、世界の情勢、はては宇宙のビッグバンあたりまで。人生の冥利は六〇歳あたりからと思っていましたが、いやいやまだまだいいことがある。さらなる福音は死ぬまで続き、恍惚の内に召される・・・。こういきたいものです。




■3/7 フィンランドのコモンズ「万人権」の考え方
北欧5か国の万人権という概念は、他人の迷惑にならない、社会的に許されそうな行為は、アウトドア活動のために許容される、というもの。つまり他人の土地でもある一定のルールの下では入っていい、というものです。これは日本の中でも北海道のような、人口密度の低い土地柄で初めて許される概念だと思われます。一昨年、その万人権に関する英文小冊子、昨年は英文の概要版が、フィンランド環境省から出されたので、環境コモンズ研究会事務局のSさんと訳出を試みました。典型的なコモンズ&万人権の実践例は、あの「ハスカップ・サンクチュアリ」ですが、そこにどんな制約が明文化されていくかを考える際に、とてもいい参考材料になります。興味のある方はぜひ、覗いてみてください。原文と訳はこちらです。

















■3/5 IKURAさんの不思議な思い出


 
今、NPO苫東コモンズが手入れしている雑木林のひとつ「大島山林」では、ドロノキの大木とその周辺で、思えば不思議なこともいくつかありました。そのひとつは「沿道の樹林地皆伐未遂事件」、さらに巫女様からのご神木取りやめるべしというアドバイス、そして上の写真。ドロノキの大木をシンボルツリーにする儀式の朝、「ホームページでこの儀式を知ってぜひ踊りを捧げたくて来ました」。平成22年(2010)11月6日、JR遠浅駅に参加者を迎えにいったら、若い女性がいて、そういうのでした。それが「いくらさん」。早朝、ドロノキの大木に御幣をとりつけ、早来神社の宮司さんに祝詞をあげてもらい、そして急きょ、飛び入りの「いくらさん」の出番になりました。空気か風のような不思議な踊りでした。その後、いくらさんとのコンタクトはありませんが、どこかで創作舞踊でデビュウしているかもしれません。あれから8年半。NPOつるし上げ事件などの曲折をへて今日の山仕事があります。事件などのきっかけにはホームページなどの発信と、偶然のアクセスがあります。不思議なご縁というほかはありませんが、その結果、地域活動の冥利もうまれるようです。まこと、面白い限りです。儀式と「いくらさん」の詳細はこちらの雑木林だよりの11/6 & 7 をご覧ください。
■3/4 最終戦、ならず

運んでも運んでも、なくならなかった間伐した材。つまるところ、意外と秋からの作業は進んでいたということか。平均年齢66,67歳という熟年グループにしては刮目すべきスピードだ。結果的に、もう一日かかるという、うれしい誤算に喜びと無念さが錯綜。写真は積み込み班とスノモ担当。
■3/1 仰げば尊し


3月、弥生の声を聴くだけでなにか春のイメージになってくるから不思議です。卒業式、送別会、マガンたちの渡り・・・。特に幼少のころ、とりわけ今から半世紀以上前の中学校のことが思い出されてきます(半世紀・・・、すごいものです)。あの頃、卒業式といえば、「仰げば尊し」でした。美しいハーモニーが忘れられないだけでなく、個人的には歌詞も意味があった。たくさんのハモる曲を教えてくれた(それこそ100曲以上)女性の音楽のS先生。あれでわたしはハモるスキルが花開いた。必ず読書感想文を書かせて習慣化させてくれた神主さんでもあったH先生、理科の授業で、子供たちに推論させおっかなびっくりの仮説をださせ、「地球はそのものが磁石である」という事実に導いて見せたM先生。思い出せば、あの頃に習った学習習慣などが、半世紀もの間、自分の人生を切り開く大切な道具として活躍してくれた。まさに教育者であった先生方に感謝の気持ちでウルウルして来るのを禁じ得ない。写真は、郷里山形の田園風景。正面はお寺の大ケヤキと杉の木立、その右は秀峰・月山、その左には朝日連峰が続く。
*「仰げば尊し」の原曲は長い間不明とされてきましたが、米国の1871年のある楽譜に原曲があったことがわかってきたようです。が、卒業式で歌われる歌は、「旅立ちの日に」「贈る言葉」「さくら」などに変わってきたといいます。

■2/25 にぎやかな山仕事、1.5トンの材を運ぶ

雪が消える前に・・・。昨年は2月末に林道の雪が消え始め、搬出ルートに雪を足して作業した。その反省で月末の今週にあらかたの仕事を終えようと、12名が参集したが、残念、沢の中の材は運び出すことができなかった。それにしても人海戦術は面白い。大げさにいえば生きている実感のようなものがある。イタヤカエデの樹液採取も始まった。
■2/24 出張帰りの幸せ
22日と翌日、帯広に出張。10ほどの組織を伺ったのでたくさんの名刺交換をして23日夕方6時前のスーパー「おおぞら」に乗りました。事前に駅の物産コーナーで、人気の高い「ますや」の調理パンを2,3種とラクレットなどを買い込んで、例によってプチ・宴。
アジア大会のせいか、車内はやや混んでいましたがどこ吹く風で、ひとり宴はビールからワイン、最後は社内販売のワンカップでトドメ。仕事帰りの緊張が弛緩へと移り、列車の旅の雰囲気が重なった至福。車窓の風景がなくとも、十分楽しめるのがうれしい。そもそも飲める体質というのにも感謝・・・とまあ、とにかく列車の旅はもう無条件にテンションが上がるのでした。








■2/21 今を読み解く人と本

グローバリゼーションの功罪と仕組みが暴露されてきた。メディアが出すこと出さないことの偏向も暴かれてきて、なんだ、自分で勉強しないと間違った視点が埋め込まれるところだった、と一介の市民が気づく時代になった。トランプ大統領の選挙の顛末は、目から鱗の出来事だった。そのあたりをさらに深くえぐって見せる人に馬淵睦夫氏がいる。元ウクライナ大使である。初めて出会った本は『アメリカの社会主義者が日米戦争を仕組んだ』。次に『反日中韓を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!』。そして『和の国・日本の民主主義』『2017年世界最終戦争の正体』『アメリカ大統領を操る黒幕~トランプ失脚の条件~』と続く。その間に、日下公人氏との対談『ようやく日本の世紀がやってきた』と雑誌「致知」に掲載された渡部昇一氏との対談『世界動乱の艱難を磨き砂とせよ』を読んだ。これは圧巻対談だった。日下氏がずっと言ってきた「日本の時代」「日本の世紀」がくるなどとはまさか、と思っていたら、まさかでなくなってきた。伊勢志摩サミットで各国首脳が伊勢神宮にお参りした時の手記にそれが濃く匂う。大変な時代に入ったようだ。

ちなみにその時の各国首脳の一言は下記。

=======伊勢神宮HPから=======
26日午前、伊勢志摩サミットの開催に先立ち、伊勢神宮内宮(皇大神宮)を表敬され、G7各国首脳は今回の印象を次のように記されました。
■アメリカ バラック・オバマ大統領
原文:It is a great honor to visit this sacred place, which has brought comfort and peace to generations.
May the people of the world be inspired to live together in harmony and understanding.
仮訳:幾世にもわたり、癒しと安寧をもたらしてきた神聖なこの地を訪れることができ、非常に光栄に思います。世界中の人々が平和に、理解しあって共生できるようお祈りいたします。
■フランス フランソワ・オランド大統領
原文:Dans ce haut lieu de spiritualité, où le Japon prend sa source, s'expriment les valeurs d'harmonie, de respect et de paix.
仮訳:日本の源であり、調和、尊重、そして平和という価値観をもたらす、精神の崇高なる場所にて。
■ドイツ アンゲラ・メルケル首相
原文:Im tiefen Respekt vor der engen Verbindung des japanischen Volkes mit seiner reichen Natur, die in diesem Schrein ihren Ausdruck findet.
Mögen Deutschland und Japan Hand in Hand dazu beitragen, die natürlichen Lebensgrundlagen unseres Planeten zu sichern.
仮訳:ここ伊勢神宮に象徴される日本国民の豊かな自然との密接な結びつきに深い敬意を表します。ドイツと日本が手を取り合い、地球上の自然の生存基盤の保全に貢献していくことを願います。
■イギリス デービッド・キャメロン首相
原文:It is a great pleasure to visit this place of peace, tranquility and natural beauty as we gather in Ise Shima for Japan's G7, and to pay my respects as Prime Minister of the United Kingdom at the Ise Jingu.
仮訳:日本でのG7のために伊勢志摩に集うに際し、平和と静謐、美しい自然のこの地を訪れ、英国首相として伊勢神宮で敬意を払うことを大変嬉しく思います。
■イタリア マッテオ・レンツィ首相
原文:Grazie per la straordinaria accoglienza in questo luogo carico di storia e di suggestione. Che sia di buon auspicio per il Giappone che ci ospita e per tutti noi per costruire con piu' vigore le condizioni della crescita economica e della giustizia sociale, mantenendo viva la dignita' dell'uomo.
仮訳:このような歴史に満ち示唆に富む場所ですばらしい歓待をいただきましてありがとうございます。主催国である日本と我々全員が、人間の尊厳を保ちながら、経済成長及び社会正義のための諸条件をより力強く構築できることを祈念します。
■カナダ ジャスティン・トルドー首相
原文:Que l'harmonie de Ise Jingu renforce notre engagement à bâtir un avenir empreint de paix et de prosperité.
Let the harmony of Ise Jingu reflect our desire to build a prosperous and peaceful future.
仮訳:伊勢神宮の調和に、繁栄と平和の未来を創るという我々の願いが映し出されますように。
■EU ドナルド・トゥスク欧州理事会議長
原文:A place of peace and reflection. And a deep insight into Japan. Thank you!

仮訳:静謐と思索の場。そして日本についての深い洞察。どうもありがとう!
■EU ジャン=クロード・ユンカー欧州委員会委員長
原文:Je m'incline devant les traditions qui furent et les performances qui sont.
仮訳:この地で目の当たりにした伝統と儀礼に敬意を表す。

■2/18 年間スケジュールを加筆修正
NPO苫東環境コモンズの年間の計画案について、もろもろ手直ししました。今季は、ハスカップの出版に向けた編集と資金計画も本格化しなければいけませんし、冬の作業に引きづられて下刈りなど夏の作業が止まってしまうことも反省してシフトの変更にもチャレンジします。微妙なことを勘案しつつ、頭に浮かぶことをまとめあげるとこんな風になります。
具体的には一度理事会で議論することになります。だいぶペースがつかめてきて、中高年の可能性と限界が見えたので、今季は効率と先見性に磨きをかけたいところです。きのこの食毒判別会など、もし、会員以外の方でご興味をお持ちのイベントなどがありましたらお申し込みください。
■2/18 人生後半、「林住期」からのデザインは「薪のある暮らし」

古代インドの男の人生の区分「四住期」が世間離れしていながら、かねてから興味深いと思っていました。五木寛之氏が「林住期」という本でも、軽く書いていたものです。師についてバラモン教の聖典を学ぶという「学生期」、自立して一家の主としての「家住期」、孫の生まれるころすべてを捨てて森に棲む「林住期」、これは自然と向き合って自分を見つめ直すらしい。そして最後の「遊行期」は執着を捨て解脱に向かうというもの。人生80年時代のわたしの今を当てはめれば、長い林住期から遊行期に移行するあたりか。
このごろ、自分の人生後半のデザインをどうするか、つらつら考えていたところ、このものさしがやや無責任ながら羅針盤になると思えてきた。で、風土と歴史などにもっと深く付き合いたいという願望が素直ににじみ出てきた。そしてその延長にやはり薪のある暮らしが浮かんできた。山小屋だけでの実践にとどめてきたのは、広葉樹保育のボランティアでもあるため、他人には提供するが実は自らには封印しておく必要があったからだ。そうしないと、お手盛りの、薪欲しさの活動に受け止められかねない。
しかし積極的な解決方法も思い当たるから、この際、この封印を解こうという気になってきた。こうなるとまた、目の前が開けてきて新しい世界が見えてくるから不思議だ。林住期から遊行期に移るころ、自分で手掛けた薪を焚いて、その炎を眺めながら解脱し、恍惚となっていくのでありましょうか。なんと、世俗的な願望であることか。

■2/18 山は早春の光景、なれどまだ寒い
 
いよいよ、間伐と薪作りの本番。朝、マイナス7,8℃で日中も0℃前後、でも山仕事にはちょうど良かった。この日の平均年齢は、68歳くらいで、わたしは今日の若手ナンバー3だった。
■2/13 ポリティカル・コレクトネス(P・C)
もう昔の話になりますが、「カメラマン」が男女差別に当たるとして「フォトグラファー」に代りました。私たちにはほとんど無縁の趣のあるこれは、米国でクリスマスという表現がキリスト教以外の宗派への配慮で使えなくなったり、近年では性同一性障碍者のためにトイレの男女区別をなくすなどという極端さに現れてきているらしい。日本でも、人権、民族差別につながりそうな言葉は表向きに使いにくいものになってきつつある。しかし、どうだろう。今回のトランプ騒ぎの発端の言動の背景には、米国民の多くがこれらP・Cの跋扈する窮屈さに心底うんざり、どころか内心猛反発している図が見えてきた。グローバリエーションなど糞くらえ、難民は受け入れより内国民重視だ・・・。激動の振幅が増す世界。歴史を振り返りつつ、注視。
■2/12 春が来る前に
 
すっかり春の日差しなった。雪も固まってきた。これからは降るよりも解ける心配をしなければならない。材の運搬は11日と18日が本番と見て、昨日11日は20往復を超える新記録を目指してみた。やろうと思えば可能だったが、仕事の区切りが良かったので、一服も加えて、19回にとどめた。そうなったのはまたもや「年寄、半日仕事」の天の声が聞こえてきたから。集中と弛緩。ガンバリと憩い。力仕事とたまの一杯。このバランスで行けば、長続きするような気がする。
■2/8 山仕事の幸せ
雑木林を保育する作業は、きつくて危険な気を使う仕事(ボラ)だけど、風景を納める達成感と自然や土地の神様、いわゆる産土(うぶすな)とつながる幸運とで、実は得るものの方が多いのです。エコな生活を目指す人なら、さらに価値は増すでしょう。今日は前2つのため、会社は休みをとって山に向かいました。いい時間でした。3つめの志を私は家庭では実践していませんでしたが、今日の家族会議では、おっつけ、当方も薪生活に入る可能性がでてきました。
■2/6 維新前後の歴史とひと
「幕末維新のえぞ地にかけた男たちの夢」(北国諒星著)を読み終えた。幕末維新と言えば、北海道では松浦武四郎など限られた高名な一部の男たちをイメージするわけだが、この本ではさらに突っ込んで様々な人となりが出てくる。箱館府知事・清水谷公考、蝦夷島政権・榎本武揚(これは超有名)、開拓使初代長官・鍋島直正、2代目長官・東久世通とみ、3代長官・黒田清隆、主席開拓判官・島義勇、第2代判官・岩村通俊(この3人も有名)、第3代判官・松本十郎、庄内藩、越前・大野藩、水戸藩と徳川斉昭、プロシャ商人・ガルトネル、イギリス人・トーマス・ブラキストンなどなど。驚くことに、「蝦夷地」のことはわたしに任せよ、という水戸藩や大野藩が出て、代替わりする開拓使関係者の確執も描かれている。それらのざらざら感が記憶の襞に残る。さらっと書かれているがドラマを垣間見る思いだ。歴史が薄い北海道は、このあたりから和人がなだれ込んで濃密な歴史が動き出す。知るは楽しみなり。


■2/5  積雪60cmで材運ぶ

安平町遠浅の里山。いよいよ、今月中にすべての材を運び出したい。












■2/4 中川町のきこり祭り
(写真は実行委HPから)
道北中川町は林業関係の発信が活発。2月26日のきこり祭りのプロモーションビデオも、楽しそうに見えます。なぜかと考えてみるに、地元の「あるもの」で胸を張っているからではないか、と思います。地方創生が中央から降りてきた大号令だとすれば、こういう祭りは足元からの呼びかけ。元気はそこから来る。地方はそうありたい。
ビデオ⇒http://nakagawanomori.info/kanko/kikori/







■2/1 ウズベキスタンのハチミツ
昨夜の座談会のあと、ウズベキスタンのハチミツをいただいた。その方からのお土産というより、食べ方を知らないその方は、ちょっと剣呑がっており、いわば引き取った格好。こういう食への好奇心というか食い意地の強さを家内は「だから食中毒などになるんだよ」と冷たい。モノは、巣の中に蜜がたっぷり入った状態。ふつうは遠心分離器にかけて蜜だけを取り出す。かつて養蜂家から分蜂した巣の食べ方を教わったことを思いだし、このようなものの味わい方がよみがえった。帰宅しての食後、スプーンでブシュとはぎとり、ムシャッと。これはウメエ!!残渣となる巣の素材は飲み込めるほどコンパクトになる。天然のスイーツだ。これは当分楽しめるぞ!そう、わたしは大のハチミツ好き。




■1/30 ニュースレター18号
 
PDFファイルをお送りします。290129発行のnews-letter18です。ほぼ5か月ぶり。
■1/28 森づくりにご寄付

メンバーを通じて、白老の前田育子さんから森づくりに対するご寄付をいただくことになり、現地で簡単な授与式が行われた。前田さんはプロの陶芸家として活躍されるかたわら、廃船などで使われなくなった大漁旗を再利用してバッグや服(アロハシャツ)などの日曜グッズにして販売、其の売り上げの一部を旗提供の自治体の森づくり活動グループに還元している。 この日は、搬出作業の開始日。前田さんもほぼ一日、作業を手伝ってくれた。







■1/27 柔らかい本、読んで、やわらかくなる
大宮エリーの『生きるコント』1と2を朝の電車内を中心に3日で読破。今日の夜は札幌駅のプラットホームで立ち読みしながら笑ってしまった。目の前には停車中の函館行スーパー北斗の乗客が窓越しにいたのに。不覚なり。

今話題の電通出身で、縦横無尽な自由人的監督、奔放なアイデア、小心なのに大胆なふるまい、そして純真さ、まっすぐさにも共感できるものあり。。生きていくためのハウツー「ヒント」本は限りなくあるのだけど、「コント」化してしまったエリーのキャラにちょっと勇気づけられる人もいるはず。

実は娘の断捨離で送ってきた荷物にあったもの。そこから世代感覚や仕事観を親として垣間見るような一面もあって、非日常的な時間でもありました。新鮮な感性に出会った快感。参りました。






■1/24 風水と風土
モノや場所には「気」があることを感じ取るようになってから、「風土」というものと、実践的、あるいは実証的に付き合ってきたかもしれません。風土はそれほど包括的な概念で、わたしにとっては生き物の名前や分類を超越する上位概念になってきました。このところ、古い日本の「風土記の世界」(三浦佑之著)と「風土学ことはじめ」(谷川健一編 雄山閣出版,)を読んでいたら、目の覚めるような仮説に遭遇しました。風土という言葉は、中国の風水の「水」が、ありふれた日本においては「土」と解するのが良かろうと、つまりはほぼ同意だ、というのです。びっくりしました。そしてもうひとつ自然条件との付き合いでの、ajustment. について。同じアジャストメントでも日本的な方法は「適応」で、自然に逆らわずいくもの。もう一つは「対応」。これは開発の時などの「control を含むのだという。なるほど、こういう整理は本当にありがたい。ちなみに、わたしはほぼ「適応」ばかり、かと。
■1/22 プロとアマの違い
 
migitaさんからabeプロへのたっての願い、「二本のクルミの伐倒」に立ち会った。複雑な応用問題で枝も入り組んで、かつ特別注文もあっていわゆる「危険伐採」と呼んでいい。しかしそこはさすが、プロ。「的確な判断」と「スピード感」あふれる作業に目を見張った。手早い見立てと処方、素早い正確なテク投入。「素早い安全作業」は究極のわざであり、アマチュアには難しい。このクルミ、畑に日陰をつくるので、migita夫妻の懸案のクルミだったらしい。もう一本は納屋の屋根に食い込むように立つクルミで、これはちょっと粗末なトタン屋根に上っての仕事。シバレて大雪のこの時期を選んで頼まれた真意は伺い知らないけれど、いいプロのデモを拝見できた。85に近い老夫婦への人助けのようだったから、abeさんには今年いいことがあるはず。ところで、実をたくさんつけるクルミを見直したのはその枝の複雑な伸び。陽光を効率よくキャッチし、幅広く根を伸ばすべく、3次元的にかなり広範囲に空間を使っている。枝を切りながら、なるほどと感動。
■1/21 「座り過ぎは万病につながる」、だからスタンディング・デスク
NHKの「先読み夕方ニュース」で、ちょっと気になる医療ニュースが流れた。「らじる・らじる」で聞いたのだが、座り過ぎはかなり体に悪いらしい。太ももの内側の筋肉や第二の心臓ふくらはぎなどをまったく使わず、一日10時間近く座っているなんてのは超危ないゾーン。これはわたしの場合ケースではないか。そういえば、この頃、気づくと座りっぱなしが多く、心なしか歩くことや立つのが億劫になった。たまの立ち飲みだけは別だ。欧米ではすでにスタンディング・デスクが使われ、一部では立ってPC仕事をしているらしい。うーむ、通勤だけで4時間を費やすワタシ、生活改善は急務。よし、やってみよう。
■1/20 日が長くなって
24節気の大寒の朝、前日の大雪とは真逆のような快晴で、7時10分ころ、植苗駅のそばの畑から日の出を拝む。こんな美しい日の出をJR千歳線の客のほとんどは見もせず、若いものの多くはスマホに夢中だ。なじみのおじさんは読書。この日の苫小牧の日の出は6時59分。暮れる時刻はだいぶ遅くなった。大寒はもう春の兆しだ。ひな祭りのころなら、山林の雪も解けだし、私の身体暦でももう早春モードだ。











■01/16 今年の予定
一年の計は楽しいひとときです。NPOの今年の活動予定表を作りました。育林コンペの中間評価など、新しいものがありますが、薪作りを前倒しにして、7月以降ゆったりさせるのが目標。理事会やテント運営委員会の意見を反映しつつ、動かしながら加筆していきます。さらなる森づくりへのアプローチとハスカップ保全&ヒアリング&出版準備などが大きく加わる予定。











■01/15 山仕事の極意、セーフティ・ファースト
 
わたしにとって2017年の山仕事はじめ。薪小屋の前でメンバーと新年のあいさつがてら、やはり、出てきた言葉は、「お互い、昔のように若くはないから、無理しないでいきましょう」。いまなら、スンナリと腑におちる。思えば、わき目も振らず突っ走ってきたようなところもあるから、こんな風に踏みとどまってみるのもちょっとした転機だ。前期高齢者になるころから、思った通りに足が運ばれていなかったり、手を伸ばしたらほかのものに触れたり。こういった事実を残念だが素直に受け入れて日々を過ごそう。 今日の山仕事はそんなことを心がけつつ終わった。チェンソーの切れ味もよく(写真左)、それなりに順調に6人の作業は四時前に終わった。感謝、合掌
■01/13 不幸中の幸い
入院は刺激からの隔離。普通なら、日々やってくる出来事、小事件、雑事が刺激となって条件反射する「こころ」が、院内では静穏状態となり、いわば純粋精神生活であります。しかし人生これじゃ物足りない。やっぱりチャレンジだあ!と思わせるのが、入院の大いなるプラス面かも。点滴の合間、精力的に読み、歩きました。「観光立国の正体」「アイヌ、神々と生きる人々」「アイヌの歴史 海と宝のノマド」「七帝柔道記」「札幌文庫 新渡戸稲造」「風土記の世界」(ただし後半3冊は読みかけ。) 廊下の歩行は1日2.2km、階段上り下り8階。年初めに1週間も休んでしまったことは早く忘れよう。
■01/09 食のありがたみ

4日目の今朝から重湯になりました。絶食していてもさほど空腹感はないのですが、重湯や出汁の効いた具のない味噌汁がかくもうまいものかと、久々の感動、そして感謝。人間、観念するとまな板のコイになり、不思議なことに仕事も何も忘れてしまいます。ひたすら読書とお茶。体が固まるのを防ぐため、ストレッチと歩きを欠かさず、早朝はロビーにバスタオルを敷いてヨガ・アサナ。普段からごろごろする習慣がなかったので、今回も思いがけないリゾートになりました。








■01/07 高みから下界の衆生を眺めるの図
年明けに大腸憩室炎がぶり返して6日夕方、入院。初回から約2年で再発した。今回は腹部が腫れるまえで、歩行時の痛みもまだ我慢の範囲だが、周りに結構、憩室炎の経験者がいて、侮って大入院したという人が複数いたので、医者の勧めもあり緊急入院と相成った。5日朝に激しいめまいがして出勤を遅らせたが、痛み始めた日の前後から血圧がかなり上がっていた。2日、3日と、休み明けの締め切りを控えた原稿書きと校正作業などで部屋で固まっていたのが効いたのではないかと家内は言う。今日入院2日目で絶食中。9日におも湯から食を開始とか。病院の3階から朝夕の外の通勤通学者、時にほろ酔い集団などを眺めると、自分の位置が誰も気づかないところのためか、雲の上にいる気分を味わえる。観念して仕事を忘れて読書に励むしかない。




■01/05 開拓
北海道を初めて訪れた本州の方が、まずその広大な大地の風景に一様に驚きますが、一部の人は岩見沢などの空知の田園風景をみて、開拓時代にどうしてこれほどまでに木を伐り尽くさねばならなかったのか、もっと随所に残せなかったのか、と失望を漏らします。柳田良造著「北海道開拓の空間計画」は北海道開拓期の計画論と深層を描いて興味深いのですが、この大作は上の疑問にもこたえてくれます。鷹栖原野の場合、約5haの開墾で0.3haの樹林地を風除けや薪炭用に残すことになっていたのですが、実際は一本の木も残さず切らなければ道庁の成功検査に合格しなかったと言います。もしここに数%でも樹林地が随所に残されていたら、今の田園景観はどう変っていたでしょう。不可逆性はあまりないと知りつつ、なぞが解けた分、開拓が少し身近になったような。
 ちなみに、帯広の市街地はかつて航空写真を見るとほぼ全域が森林でしたが、昭和40年ころまでほぼすべてが伐採され農地や宅地となり、間もなくウィーンの森の理想を掲げ都市林作りが計画されて帯広の森が復活、出来上がりました。したがって不可逆性はゼロでなく、地域のニーズなのだな、と思います。北海道はここまで百数十年で作りましたが、補完、補正はこれからありうる、むしろ理想郷に向けて発想すべき時代になりました。






■2017/01/01
謹賀新年  皆様にとって健やかな一年でありますように
 
穏やかに年があけて2017年。ただただ「昨日」の「翌日」であるだけなのに、生まれ変わった感覚に身をゆだねます。思いが叶わなかったこと、いやだったこと、つらかったことは昨日以前のことと置き去りにして、今日はこれから1年のこと、特に胸をふくらますような企画や計画に思いをはせます。1年を区切れるとはなんとありがたい慣習か。今朝、初日の出は望むのはかないませんでしたから、代わりに伊勢神宮の五十鈴川(左)と、月夜見の宮の大樟(くす)をアップしてみました。荘厳な気にふれて気宇壮大なこれからを思い描きましょう。