薪のある暮らしへ
NO.95
2017/03/04~
薪のある暮らしに入ろうか、ちと迷っています。
「なんだ、薪ストーブでなかったの?」と聞かれそうですが、
紺屋の白袴よろしく、他人の薪は作りましたが、多くのメンバーと同様、
自分用にはしないでNPOに寄付してきた格好。
あこがれの実現は封印して、個人的には小屋の中国製薪ストーブで満足するようにしてきました。
なにせ、薪調達が象徴するエコライフは本当に面倒だし、
勤め人の忙しい日常にちょっとなじまない・・・。
ですが、人生の後半、林住期に突入した今こそ、薪のある暮らしは開始できる・・・。
薪作りの手仕事は、人生後半に付随する能力低下に効果的なような気もする・・・。
手仕事という運動でもある・・・。

願望を持った時に一歩が始まる。そして念じたことは必ず実現した。
スローテンポではあっても、65歳で自分の薪プロジェクトが始まりそうだ。



広葉樹林をどう持続させるか (岩手大学演習林にて)

2017/05/30 tue 晴れ

雑木林の里山管理の命題

苫東の雑木林では、今の萌芽再生林を密度調整のために単純に間伐しただけでは、後継してほしいナラなどが再生しないことがわかっている。だから、樹木が大きく育ちにくい胆振の海岸部では、40年前後で皆伐して萌芽再生を繰り返す従来方式が最も理にかなった施業、林業だということにも落ち着いた。薪炭材やほだ木生産である。

つた森山林の針葉樹造林地などはもう広葉樹に置き換わろうという植生の動きを、むしろ利用してメンテナンスフリーの、土地の潜在力に沿った森づくりに転換する方がベターだという提案を2回の受託調査ではしてきた。全国一律的な森林行政からの逸脱である。胆振のここで針葉樹の林業を進めてきたことに無理があったであろう。

しかし、欲を言えば、確かに時々皆伐していくことで一応問題の解決はするのだけれど、そこが住宅地のそばの人々がコミュニティの森のように行き来する林なら、皆伐という「里山の雑木林景観の破壊」を避けていく方法はないのか、というのがわたしが密かに狙っている命題だ。

昨年、北大の松田橿名誉教授に大島山林をみてもらってアドバイスをもらった。今回は、ヘクタール当たりの本数を極度に下げれば、十分更新するという試験地を持っている岩手大学の滝沢演習林を訪れ、林長にあたる山本信次准教授にそこを中心に案内してもらった。

山本先生は昨年苫東に視察に来られて、わたしの問題意識をを聞いて「似たようなことを考えている人がいる」とわかり、こんな試験地がある、とその時に教えてくれたのだった。「コモンズ的里山管理」に正式に取り組む一環で、今回は財団のコモンズ研究会としての立場も利用しての訪問である。

■滝沢演習林と苫東

百聞は一見に如かず。植生の多様性は苫東とはだいぶ違うが、考え方は一緒。結論としてはヘクタール70本程度を残し、あとは皆伐をして更新を促すのである。間伐というより種を落とす母樹を残す保残木施業と呼ばれた皆伐に近い。
 
写真左:右側が更新の3年目。   写真右:二人の間にある空間は稚樹に光を当てるための刈り払い地。更新樹種はクワや栗、クルミ、アカマツ、変わったところではサンショウやツリバナなど多種多様。左で腕組みをしている人は、北大苫小牧研究林で林長をしていた青井俊樹元教授。今は岩手大学の教授を終えたところ。
 
写真左:直径60cmほどあろうかという残された木。 写真右:それらは離れてみるとこんな風。

今、静川の小屋の周りは500から700本に仕立ててあるので、あの3分の1の150から200本程度なら、どうだろうかというのがわたしの目論見だった。これがさらに半分の70本となると、間伐の域を超えている、というのが第1印象だった。

あと、天然更新の種類だ。ここでは伐採後3年で更新木がすでに3,4mになっていて、その多くは種子による天然下種更新だった。わたしは希望としてはなんとなくナラに萌芽してほしいと思ってきたからその違いがあったが、それでも再生のエネルギーは非常に強くて再生は約束されていた。

しかし、これは大島山林でもやってみなけばならない。30m四方で7,8本の母樹を残して更新の状態を見るのである。ツルの絡まったあたりをしっかり片づければ1000㎡のギャップなどはすぐできる。

ヘクタール1000立方の森

 

270ヘクタールある演習林のいろいろな実験を見せていただいた後、最後に杉の1000立方mを超える蓄積の人工林を見せてもらった。荘厳な、圧倒されるような感じだ。直径60~70cm程度の150年生だが、樹高がともすると40m近いのではないかと思わせるほど高い。常日頃、樹高10mあまりの藪山を相手にしている身には、特別の重みを感じる。

山本さんはしかし、樹齢の高い、太い杉が林業的に必ずしも高く売れるとは限らない、という。採材する木工所や需要があっての話なのである。それより半分の年数でもっと儲ける方法もあるともいう。確かにそうだ。とすれば、なにか別の視点からしっかりと評価しておきたい気がする。

静かに薪積む

2017/05/28 sun 11℃ 曇りのち小雨
inaba kusa tomik & m migita seki + oyama = 7 persons

粛々と薪積む

 

土曜日はしっかりした雨。作業は掲示板の交信で日曜に順延して、今日28日定刻前後まで4人が集まった。
まず薪小屋を満杯にすべく、運んでは積み、また運んでは積む。倒れないよう、隙間なく積んでいくのは一瞬一瞬小さく考えねばならない。この手間はバカにならない。その薪の向こうは新緑真っ盛りだった。


わたしは大割り状態の薪を探し半分ほどに細かく割るため、薪割り機を引っ張りながらヤードを一回りした。当NPOの薪の顧客は大きいのを全くいとわない人が多いのだが、中にはあんまりだというサイズも少なくないからである。

ペチカ利用者は特に焚口に入らないことも考えられる。そこで微妙な調整が必要になるのである。要はテキトーに。

黙々とそんな作業をしていると、長老migitaさんが来て、町内会の花植え込み作業が終わったのでこれから間伐作業テントのポールだけでもセッティングするとおっしゃる。

80歳を数歳超えた氏の動きには刮目せざるを得ない。町内の常人はこの鉄人には恐らくついていけないと思う。午後しばらくしてoyamaさんがきてこれを手伝う。

昼休み、山菜取りに歩いていく幸せ


昼食後すぐ、連れ立って今季最後のスドキ採りに出かけた。大収穫であった。地元の町内会の人がポツンポツンと採取した形跡があるが、ほとんど誰もここのスドキを採っていないのがわかる。林の中ほどや奥などはもちろんである。

しかし、林の北の縁にあるタランボは採られていたらしい。タランボは(たいしておいしくないのに)有名である。見分けがつく。一方、北海道では超人気のきのこ・ボリボリであってもこの林にはほとんど誰も採りに来ていないように見える。

このあたりの人に限らず、もともと北海道の人々は山菜のレパートリーが東北以西に比べてかなり少ない。キノコはボリボリとラクヨウという人がほとんどだからレパートリーなどほとんど無いに等しい。

つまるところ、身近な山林なんて用無しなのだと思う。「森のそばの分譲地」というPRには惹かれるけれども、分譲単価が比較的安く、森はマチの喧騒よりはいい。そんな評価かもしれない。森や林との付き合い方はまだ知られていない、いや、生まれていないといっていいかもしれない。いわゆる、森という言葉がかもすムードだけ。

その点、ウィーンの森などは言うまでもなく、ヨーロッパの都市林では人々が森なしでは生きられないとまでいう。実によく森を歩く。彼の地の風景を思い出してその差には改めて唖然とする。

英国などは、劣悪な環境で暮らしてきた労働者の心身の叫びが森やフットパスにつながっているが、幸い、日本はそんなストレス時代はなかったから、森の伝統は限定的だったのだと思う。

それに、6月ともなればダニや蚊などの不快昆虫も多い。秋にはスズメバチの心配もる。それと日本は、特に地方はそれほど自然に飢えていないということに尽きるかもしれない。犬でもいなければ歩く動機はない。

それでも地域の人々は山菜の時だけ森に来るという。北大の苫小牧演習林(今の研究林)の林長だった石城さんは、苫小牧市民は山菜の時しか演習林に用のない人が多いという主旨のコラムを地元紙に書いていたのを思い出した。すべてではないけれども、春夏秋冬、林を静かに歩く人はどうも一握りのようだ。

大きく俯瞰してみて、それは自然だと思うようになった。

雑木林は知的楽しみか

難しい言い方をすれば、森林というのは「形而上学的な世界」なのだろう。多少、頭でっかちな人々が集まってきている、と。哲学的な、あるいはサイエンス的な、時々治療医学的な興味でもないと、普通の人はまず用がない世界なのか。

わたしは森林は頭でっかちな人の想像上の「シンリン」(森林)になってしまったのではないかと思う。「森づくり」なんて言葉も、なにか都市生活者の共通語のようになって、その実、ただの記号でしかない。森や林に、じっくり関わり、森のために本当に切って再生している人たちなど、ほとんどいない。インテリ(知的生活者)の世界だからそんな具体的な現場まで下りたりする人は少ない。なにせキケンでキタナク、そしてキツイ。

その辺の微妙な隙間を、静かに粛々と遊びきる醍醐味。わっかるかなあ~、わからないだろうなあ~と現場からつぶやくのである。(笑い


探鳥会、山菜、オオタカ
2017/05/20 sat 快晴 25℃
abe kusa kai tuduki tomik & m wada migita (nakamura) = 10 persons 探鳥会は16名

■第2回探鳥会
 

 

朝7時ちょうどに2回目の探鳥会がスタート。事務局があいさつ後すぐ、ガイドにバトンタッチ。講師は富永まゆみさん。NPOが主催した行事に安平町観光協会が共催し、遠浅町内会を中心に合計16名が参加。入口からドロノキ、さらに林の縁を経由してテントへ、ゴールは広場。

途中、スドキやヌメリスギタケモドキなど山菜を採りながらの、ゆったりした1時間40分だった。富永講師は、飽きさせず、むずかしい話も覚えさせようという意図も特になく、小道具もふんだんで参加者は楽しそうだった。

キビタキとセンダイムシクイのさえずりは随所で聞かれた。キビタキをフィールドスコープで見た参加者は「わあ、きれい!」と驚いていた。このほか確認したのは、アカゲラ、シジュウカラ、アオサギ、オオルリのメス、オオジシギ、アオバト、ウグイス。昨年はアカハラやヤブサメの声を聴いたが今年は気が付かなかった。

遠浅キリスト教会の河野牧師さんが最初だけ参加され、「よくこの辺を歩いています」とおっしゃる。奥さんは一緒に回った。常時、大島山林を散策される利用者は野村先生夫妻だけかと思っていたので、ちょっと驚き。町内会の参加者も、次第に大島山林が身近に感じられるようになれば企画は生きる。

■薪割り
 
探鳥会に参加した子供たちが薪割り機に興味津々。小さい丸太などはちょうど手ごろで、だいぶ手伝ってもらった。猫の手よりずっとまし。tomikさんが専属で指導。北端の野積み分が、倒壊間違いなしと踏んで取り崩し、本来の最寄りの小屋ユニットに運び直した。abeさん、tudukiさんが運び、kai、kusaの二人で積む。単純作業で先が長いのでため息が漏れる。新緑がまぶしく、小屋の外の温度計は30℃を指していた。

北大の中村先生夫妻が焚き付けの枝拾いでテントそばへ。無尽蔵にある小枝を丁寧に追って小さな段ボール15箱近くをゲットするようだ。

 新緑。多くの人々が雑木林に集う。

■大島山林のスドキはピークコシアブラは少々@静川
 
一本を見つければ大概そこには小群落があり、時には大群落に発展する。その場所に到達するまでの小路の散策だけでも心なごむ。山菜がなくても十分うれしい。雑木林の5月は素晴らしい。

2時半ごろ山林を出て静川の小屋にいって、先日育林コンペから運んだ薪を割った。帰りしな、カラマツ林に入ってみると大きくなったコシアブラが少々。菊池さんの庭のウド、tomikさんからもらったフキとともに、夕餉は山菜づくしとなったのはもちろん。

帰途、FMを聞いていると女性のサラダ料理研究家が「サラダとはラテン語の原語で塩、フキに塩をかけてなまで食べてもおいしい」というのでやってみたが、とても食えたものでなかった。ウドは生でもいけた。しかし、だいぶエグイ。スドキはネットにくぐらせただけにした。

■萌芽と実生
 
スドキを探しつつ、大島山林の更新の様子を観察。萌芽はほとんどシカとウサギに喰われているが、生き残った萌芽枝は残っているものがある。これは期待できそう。ほかに、かなり実生苗がある。ナラだけでなくハリギリや桜なども交じっていて、なんといっても多いのはコブシだ。上を見ると林が空いていた。倒木やなにかで穴ができたば場所だ。


今年の切り株の一つ。wadaさんのエリアだ。2枚のクサビを使って忠実に伐倒しているのがわかる。ツルが不揃いでも自信をもって作業されている様子がしのばれる。「師範のレッスンのたまものだ」と先日、言っていた。

■オオタカ
 
静川の小屋によって育林コンペから運んだ丸太を割った。プリウスの後部座席を倒して軽く積む程度の量だけど、なにやら手間で疲れる。

折から、カケスがうるさく鳴いている。手を休めて目を見やると、何かの周りを飛び回っているようだ。双眼鏡を出してみると、カラマツの入り組んだ枝の真ん中に背中の青いタカがいる。過眼線の白いのが見えたのでオオタカではないかと思う。

確かに小屋に来る林道で、しばしばタカにあうのでどこかに営巣しているのだろうとは思っていた。特に小屋の周辺で見ることが多い。開けている空間があり、ネズミなどの狩りもしやすいのか。

だが、写真の焦点はなかなか捕まえられない。これも結構疲れるので、テーブルに足をのせてふんぞり返ってじっと眺めていた。探鳥会の夕方に、オオタカをじっと眺めていられるとはおもわなかった。25mほどしか離れていない。


テント改築とスドキ

2017/05/12 sat 曇り 7℃
abe inaba kusa tomik & m migita wada seki = 8 persons

■前進テント解体

 

昨シーズンの雪で、作業テントの背骨が曲がったので、mibita棟梁が改築を提案、晴れて解体に6人で着手。ばねやクリップを外し、パイプはすべて抜きスクリュー式ののアンカーも取ってから、新たに太めのパイプ2本で位置取りだけして終わった。後日、20本ほどのフレームを取り付けシートを張る。

新居の幅はほぼ同じで屋根が1m弱高くなり奥行きも1.5mほど広くなる。背骨に当たる材料にも配慮するとのことで、今年は降雪と重みでテントの心配をすることは減るだろうと思う。

 

午後、大物の丸太をほぼ割り切る。佳境に達したころは、薪割り機にabe,tomik,kusa の3人がかり。一つの丸太から大きめの薪が10以上採れる、効率のいい丸太ばかりだった。おかげで腰と臀筋が痛い。

で、時折足の甲に薪が落ちる。いつもは防護靴を履いているのだが今日はスニーカーだった。これが猛烈に痛い。家に戻ってみると3,4回落ちた左足の親指の爪が内出血している。

ちなみに写真の親指の付け根は外反母趾だ。今から15年ほど前、一人で山仕事をしているときに長靴履きで根っこに挟まれて靭帯を傷めたときの後遺症。放置したらこうなった。山仕事はこういう小さな事故のあとが、克明に身体に刻まれる。アルバムなんて見ることもないが、こういうメモリアルな刻印がひとつひとつ増え、記憶を蘇えさせる。

■山めぐり

快適な新緑前の雑木林を歩く。ウグイスやセンダイムシクイが、もう堂々とさえずっている。

手入れが済んだエリアの奥を歩いてみる。林床にはユキザサが多く、ナニワズの花は終わりかけか。よく目立つのは、コウライテンナンショウ。こんなにあっただろうか。今年はずいぶん多いように感じる。

  

 

ずいぶん、荒れているなあ、と実感。幹折れ、シラカバを主とした根返り、掛かり木。やはり、根がひっくり返る前に伐倒しないと雑木林は荒廃感が強くなる。しかし手が回らなかった。NPOもフィールドが多いから忙しいのだが、本来、もっとゆっくりしてチェンソー担いで山めぐりを定期的にしたいところ。実際以前はそうしていた。一人で山めぐりするのは楽しみでもあった。

ちなみに昨日、つた森山林山林にクマが出たらしいので、腰には念のためクマスプレーを下げて回った。


■スドキ、出始める
 

待望のスドキが出てきた。昨年は14日に初収穫したからほぼ平年並みか。ちょっと肌寒い日だったから、早めに顔を出してまだ早い、という思い込みもあるが、いつもは20日台になると「伸びすぎだなあ」と思ってきた記憶が多いから、やはり、中旬になんとか探しながら行くのがいいみたい。

テントの南にはフットパス上に苗畑のように実生のスドキが生えているのをtomikさんが見つけて呼んでくれた。小さいのは踏みつけないように、来週収穫できるように注意して摘んだ。

昼休み、吹きさらしの広場は寒いのでabeさんはマサカリを持ち、わたしはスドキ採りに出たのが12時35分頃。奥にある大好きな場所で、ポツンポツンと上品に散生するエリアで少々採取した。それを夜、食卓に乗せた。

なんとなく40秒ほどゆでたが、失敗だった。アクが抜けすぎたのだ。青森のtanakaさんらの流儀に習って、熱湯をかけて内輪で急冷し塩を振る、という調理がやはり一番うまい。先人の味覚に万歳。

 

と、札幌に行っていた家内が根室の活カニが安かったからとわたしの好物を買ってきてくれたので、スドキに並べた。驚くべきことにスドキはカニに負けていない。見劣りしない。

カニは流氷が割れるころオホーツクで漁が解禁される。これも今年食してみたが身はびっしりだ。今回は水ガニではなく味噌もあるものの、殻も柔らかくやや身のつまりがあまい。しかし、あつあつの毛ガニは格別だ。これから白糠あたりに漁場がきて、苫小牧・白老の本場は7月ごろになるのだろうか。
■来訪者が増えているのだろうか

 

大丸太をわっせわっせと割っているさなかだった。林の方から15人ほどのグループが広場に出てきた。聞くと追分のフットパスを歩くグループで、北海道新聞の紹介記事を手に持っていた。この冬も本州の家族連れがきたりして、いつもと違う流れを感じていたさなかだった。来訪者がようやく増えてくるのだろうか。

広場に隣接する町内会がもっと利用する私設の森林公園にすべくいろいろなイベントも仕掛けていく計画だが、安平の観光協会が探鳥会に相乗りしたり、秋には北海道オリエンテーリング協会が大島山林をフィールドに大会を開く話がある。

「おじさんたちは何をしているところですか?」
とオバサンに聞かれる。おじさんがシカジカと答える。
「この薪はどうしたんですか?」「売ってくれるんですか?」
これにもシカジカと答え、販売については「身内でさばくだけでいっぱいです」と答えた。
薪ストーブを使っているらしく、できるだけ安く手に入れたいような気配を感じる。逃げるが勝ち。

この林の来訪者で最も多いのは、残念ながら町内会ではない。多いのはこの日のようにフットパス愛好者だ。エコネットワークなどが、フットパスの全道展開を図る一環で、数回いろいろなパンフや新聞などに記事にした効果といえる。

活動当初は北海道新聞さんが良く取材してくれた。最近は苫小牧民報さんが多いだろうか。報道されることが活動の目的でもないので、昨年の小田桐師範の時以外、こちらから新聞社に声掛けすることはほとんどない。

ちなみに来訪者の多寡を問題にしているわけでない。当面はこのままでも十分だと思っている。苫東や遠浅の奥座敷、「コモンズ的里山運営」の実験は粛々と進められるはず。










薪の余禄を共有する集い

2017/05/06 sat 曇り一時雨 13℃
abe inaba kai kusa kurita tomik & m wada migita sekimura = 10 persons 他町内会など20名

■薪割り・薪積みイベント

雨雲の動きを心配しながら、町内会との薪割り・薪積みイベントを開催。時間降雨量が決して多くないことと、レーダーで見る雨雲の幅が一時間程度と見られたため、inaba理事と現場でやることに決めた。このところ、天候判断で試される日が続く。そしていずれも決行と相成った。結果、オーライ。

薪割り・薪積みは、正直、わたしたちNPO関係者だけの作業とするのはもったいない。薪づくりは燃料としての意味だけでなく手仕事としての、現代が忘れてきた余禄がある。まあ、薪のもうひとつの恵みのようなもの。

余計なお世話といわれそうだが、それを町内会の方々と共有しようというのがねらい。(ホント、オセッカイダネ!) 丸太運搬、薪割り、薪積み(2棚)は順調に進んだようだ。わたしは薪搬送で江別などに行っていたので詳細は不明ながら、仕上がった薪を見てそれを窺い知った。
 
*作業風景は掲示板へ。shukenさんの9枚の画像があります。写真左はあいさつに立った町内会長。

薪割り・薪積み作業をよそに、わたしなどもうひとグループは、薪の配達という商いに午前と午後、札幌方面に2往復した。午前の江別の船木さんは、昨年の薪が少し残っていた。1月ころは足りなそうだとおっしゃっていたのが、どうしたのだろう。作業後、今年もまたまた、おいしいお菓子付きコーヒーとハスカップゼリーをごちそうになって帰って来た。

午後の新札幌の高橋さん宅では今年も子供たち4人が軍手をはいて出てきた。しつけがよろしく、トラックの下で待機している。「おいで、手伝って」と声をかけると、パッと顔が喜び色に変わり荷台に乗り込んできた。きっと、薪の余禄をここでも十分感じている人がいる。

お二人には、来年は薪単価を相場の3分の1から3分の2まで引きあげるから値上げになることをお伝えした。「強気ですねえ」と、kuriちゃんが帰途の助手席で冷やかす。そ、これはグチャグチャ言わないで開き直って単刀直入に告知するに限る。

■思えば薪づくりのプライド

「いやなら結構、ヨソを探して!」 こちらにも、薪づくりの矜持というものが一応はあるのである。「雑木林だより」を見てもらえば一目瞭然。12月から、丁寧に段取りして、コツコツと間伐し運び出して割った一連の作業を振り返れば、叩き売ることはとうてい考えられないし、むしろ、活動に賛同してくれる方々に絞ってお分けしたいほどだ。ボランティア活動だから安くて当然だろうという風当たりはまま感じるが、そういう方はわたしたちのお仲間ではない。

そうだ。薪づくりはプライドをもってやろう。

ちなみに今年の間伐に始まる薪づくりに限定した稼働調書は下記のとおり。仔細はともかく、コツコツという足取りを感じていただけるだろう。働いた分に応じて分け前がある、という訳でもない。分けてもらえる分のほかに、NPOに拠出する仕事量というのがある。ほとんどの人は働いた分の全量を寄付だ。つまり、権利と考えたら割り切れない世界がここに存在する。


大きなハスカップ群落を確認

2017/05/03 WED 快晴 16℃

■サンクチュアリと遊水地

わたしたちNPOが、北海道でも最大でひとまとまりの貴重なハスカップ群落ではないか、と目している苫東のハスカップ・サンクチュアリは、現在、安平川の治水事業の一環で950ha程度の遊水地になることとなっている。


いくつかの絶滅危惧種の野鳥の繁殖や生息の地になっていることから、日本野鳥の会が一帯の保全を働きかけてきたので、このまま進めば、バードサンクチュアリやラムサール条約締結湿地のエリア拡大につながるのではないかと思われる。同会の柳生会長も自然と産業の調和するエリアとして絶賛した報道されていた。

これらの遊水地確定作業は河川管理者の道や学者、自然保護関係者、地元の人などが委員会組織のようなところで協議してきたようで、範囲は確定したと聞く。

しかしこの計画では、ハスカップの一大原生地に顧慮したかどうかはよくわからない。せいぜい湿原や原野の野鳥が多く生息する場所として注目されてきただろうが、地域の住民にとっては勇払原野に関わる人々の初夏の風物詩であり、きわめてローカルな「ソールフード」に相当するハスカップは、真剣な話題に上ったのだろうか。


ちょうど遊水地の境界部分がサンクチュアリの核心部分を横切るから、今のままでは土手で寸断される格好になるかもしれない。移植すればいい、との声も聞こえるが、それではいかにも残念だ。が、あとの祭りだ。

そもそも、委員会に使われた当該エリアの植生図は、点のようなハスカップ群落が申し訳程度に記載されてはいるが、ホザキシモツケ群落やハンノキ群落とも違うハスカップが卓越する純群落もかなり大面積に存在するのに、まったく無視されたかのようで個人的に大変問題だと思う。植生図の誤謬性は指摘されたのだろうか。

要するに、現地を歩いてみた人がいらっしゃったのか。風土に関心のある地元の方も委員になっていただろうに、惜しまれるところだ。

■アナザー・ハスカップ・サンクチュアリ探し

それはそれとして、GPSによるハスカップとハンノキの位置関係などを調べた一帯では、ハンノキを主とした樹林地に移行しようとするような遷移の動きを感じるが、似たような群落が道道南側のデルタにあとどれくらいあるかが、個人的な関心だった。

いすゞ自動車の工場進出時のアセスメントのころから、このどうしようもないの湿原を、鳥やアカデミックな湿原でもない、ハスカップの側から湿原を「眺めてきた」ものとしては、自然保護、自然保全にリードされた一連の検討は、確かに科学的アプローチではあっただろうが、またもやハートを忘れてきたのではないか、と思う。これが実に苫小牧らしい。

それはさておき、GPSで調査しながらここ数年気がかりだった「アナザー・サンクチュアリ探し」。腹を決めて南側から長靴はいて単身アプローチした。かつて地元古老から、「ひらと?牧場あたりにあった」と聞いたことや、水位観測の元同僚が、調査の際に群落に出会ったという話をもとに、一帯に踏み込んでみたのだ。

 

5月3日、ようやく目印の水位の観測井を見つけ、その奥の群落に出会った。根元の直径4cm程度の最大級のものもかなり見られ、ハンノキ、ホザキシモツケに被圧されていた。もちろん、枯れ始めたベニバナヒョウタンボクも何本も見つけた。

 

ただ、湿地を漕いでここにハスカップ摘みに来る人はいないだろう。風物詩のハスカップ摘みは「アクセスしやすさ」で決まることは、「市民史 ハスカップとわたし」(仮題)の聞き取りでだいぶわかってきた。

上の写真右は踏査を終えて一休みした湿原にある砂丘のアズキナシの大木。原野の生い立ちに思いを馳せながら冥想するにはもってこいのスポットだ。

■「ハスカップとわたし」

現地のハスカップ・サンクチュアリがどうなるかも気がかりだが、わたしたちNPOは、勇払原野のハスカップをめぐる市民史ともいえる「ハスカップとわたし」(仮題)に取り組んでおり、市民のヒアリング結果や講演記録、エッセー、レポートなどを広く集めて、かなりのボリュームになってきた。すでにA5版なら200pを越えた。


開拓時代のハスカップを年配の方々に聞いたり、栽培農家やお菓子の開発秘話などを伺った一連の原稿からは、なにやら、「ハスカップ文化」なるものが匂ってくるのだ。

今年はこの編集にも専念することにしたい。


前季の薪が動き始めた

2017/04/29 sat 晴れ一時雨 8℃
abe inaba kai kusa tomik & m migita wada sekimura funaki saitoh-pair = 12 persons

前日夜まで土曜日は雨の予報。それでは困る、と雨雲レーダーを頻繁にのぞきつつ、雨雲のルートを追っていたら、雨は夜半でやんで日曜は降らないことが素人のわたしにもなんとなく判断できた。
あとは祈るしかない。その祈りはみごとに通じて早朝に雲が去り、快晴とあいなった。

連休中に前季の薪をゼロに

 
1ユニットが2トンにちょうどいっぱいになる。1時間半かかった。NPOは6人で30分がいつものサイクル。

9時、薪運搬の中村さんが到着。9時半、早稲田さんが長男と2トンのロングに乗って着いた。決めてあった薪小屋のユニットからまず中村さんの分を積んだ。午後から早稲田氏分。

連休中に、船木・高橋・川村の3氏の小屋の薪が運び出され、外積みの斎藤さんの2棚も6日に出され、小屋用にストックしていたカラマツ(npoコモンズでは雑薪扱い)1棚は草苅が運ぶ予定。これで27年度の冬の薪がすべてヤードから姿を消して28年度の薪が積まれる。これも30年秋以降の薪として、来年5月の連休までに運び出される。

■広場の縁の傾斜木
 
寝返り寸前のナラ3本を手掛けるabeプロ(左)。同じく周到に伐倒方向を見定めて伐り始めるtomik氏。

恥ずかしながら、毎年、薪に換算してどれくらいあるのか、積んでみないとわからない。いつも雪や天候が違い、仕事する人の構成も異なり、戦力に変動がある。そして現場とヤードの間は少しづつ遠くなっている。そんなわけで、やはり「積んでみないとわからない」。

しかし、昨年並みの24棚にはちょっと足りなさそう、という不安があって、広場周りの傾斜木を中心に追加で伐採することにした。abe、wada、kai、tomikの4氏がこれに従事し少なくとも2棚ができると踏んだ。

■積み始めたら
 
薪割り機で割りながら(斉藤夫妻)、方やで船木さんが積んで出来上がった1棚(左)。右は地元の若手ペア。

左は隙間なくち密で、びっしり詰まれている。それにくらべ、若いinaba、tomimペア(右)はなんとなく雑然と不揃い、というか隙間多い。乾燥を重視した、と言い訳もできるか。(笑い) 客は乾燥よりまず正確な量がほしいというかも。それで少し、高めに積んでおいた方がいいかも。比べられたら、体積が少ないとクレームが来かねないから。(笑い 実はびっしり詰めて積んだ方が倒れない。薪の座りが悪くて動くのは倒壊を呼び込む。

■薪の単価、見直し
このところ、薪の単価改訂を考えており、今日、薪利用者に初めて考え方をお伝えした。できればペーパーイチマイの連絡より、顔を合わせて説明した方が良いと思うからだ。電話連絡も紙よりまだましだ。考えは大まかにいえば次の通りで、市場価格とあまりに離れてしまったのである。

①目的とする広葉樹間伐が材の生産具合が毎年不安定で、今後少なくなることが考えられ、

②一方で需要が多く、買い手にお断りしていること、

③そしてNPOの分譲単価が、相場から大きくかい離してしまったこと、

この三つの点から、単価見直しに踏み切りたいと、朝、時間のある時にメンバーにも相談し、昼ごはんの時、薪の話題になった時に口火を切って説明させてもらった。

船木さんには前日お会いした際に、中村さんには朝、薪を積む前に。要するに、薪の規格と質が、商売人のものと「ほぼ」遜色なくなった現在、「叩き売る」ような価格は適切でないという見方がある。この冬も177人の人出をかけてきたことを振り返ると、それは自明のことでもある。NPOのミッションに賛同してくれた方に、ほどほどの価格で、長く分譲するというシナリオだ。

おって、このような趣旨の発信をNPOから出すつもりで、「もっと手ごろのところを知っているからもう結構です」という方はそれでお付き合いをやめていただくことになる。

思い起こせば、最初は薪を売るつもりはなく、ごく内内におすそ分けするつもりで、そのために地域通貨「コモン」を設け、1コモンを約0.3立法mほどとしていたもの。

ある時、外に無造作に積んでいた薪を見たある業者が、〇十万円で売ってくれ、とオファーがあったのが始まりだ。だから、単価の設定は風任せで、規格が不揃いであることへの指摘も向こうからやってきた。当方はそのリクエストにもできるだけ応えながら、かつ、多少の腐れも有効利用、などとしてきた節約感覚もかなぐり捨てて、いわば商品化の努力はある程度してきた。

今回の見直しは現在までの取り組み変化の結論ということになる。


雨で作業休みの翌日、現場一巡り

2017/04/23 sun 曇り時々晴れ 9℃

22日の土曜日は朝早くから雨やみぞれで、終日、雨が降った。予報から見ても当然の作業休みとなった。23日日曜日は、道路にまだ水たまりもあったが、雨はやみレーダーに雨雲もない。8時過ぎに、現場一回りに出かける。

■今年の成果は、薪24棚か26棚、甘い誤算で28棚
 

薪の周りを歩いて一回りし、薪小屋の上からも眺めてみた。目でカウントすると、26棚前後に見える。しかし、昨年が24棚だから、昨年より土場の薪が少ないとみれば24棚以下になる。いやいや、もっとあるよとなると26棚以上ということになる。今年もやはりよくわからないが、いつも少なく見積もる傾向にある。

kaiさんらがいうように小屋の周りで追加するのも方法だが、役所に届け出をしていないので避けたい。したがって、上の写真右のような、広場の境界部分の、大木で寝返り寸前のモノや傾斜木を危険予防で「除伐」という手法を取るのは賢い方法かも。1棚~2棚あると思う。29日の朝、ピンクのスズランテープでマーキングしたい。

 

現場に着いたのが9時。車を降りると、おっ、早春のさえずりだ。とりわけアカゲラのドラミングが3か所から聞こえた。小屋の裏にいたのが写真左。林床にはナニワズが咲き始めた。

■静川の小屋周辺で枝拾う
 

昨年、小屋に行った最後の日は小屋の「雑木帳」によれば11月26日だったから、5か月ぶりだ。懐かしいエントランスを撮影してまず無言の挨拶。

 

なんと、あの青空トイレ・Leaf Letが倒れていた。制作後数年になるが初めてだ。よいしょと立て直しておいた。テラスにテーブルと椅子を置いて「北の森カフェ」の再開。早春の雑木林で光る。

  

ミラクルな落ち枝はいくつかあった。意外に増えたのはタヌキのため糞。3,4か所になった。タヌキが増えているのだろうか。林道とフットパスで枝拾いをした。写真のように中鎌をもって、落ち枝を片づけながら歩いたら1時間以上かかった。空荷だと股関節への負荷がなく、股関節痛を感じないで十分歩けることもわかった。

4月15日の山仕事

2017/04/15 sat くもり 
abe inaba oyama kai tomik & m tuduki migita wada = 9 persons

草苅が 休んだため kai さんの画像を張りました。

やはり、材は足りないのではないか、近傍で調達してはどうか、という声がいくつか。
確かに雪が解けるにつれ、丸太の量が貧相に見えてきています。

風倒木か掛かり木の大木があるといいのですが、ちょうどドロノキの裏に幹折れの大木があります。
あれを伐倒してはどうでしょう。また、薪小屋の裏も少し出しましょうか。

 



上を向いて歩く

2017/04/08 sat 曇り 強風 3℃
abe oyama kusa migita tomik & m tuduki sekimura wada = 9 persons

■強風の雑木林で

 

今日も薪割り精鋭部隊が結集。雪が完全に消えて、山のように見えていた丸太の塊が実は雪がアンコになっていて、結果、地面に転がっているだけだったのをみて、内心かなりがっくり。危惧した通りやはり昨年より足りない、と実感する。

薪割り機はプラグを掃除(交換でなく)し、エアフィルターをmigitaさんのエアブラシできれいにして、ほぼ復調した模様。空気、燃料、燃焼室、エンジンオイル、そして点火プラグなど、メカに強い精鋭らが基本のパーツをつぶさにチェックしてくれたようで、ほぼ以前のエンジン音に戻った。ただ、フルスロットルにすると唸る。これは以前からそうだった。

■頭上注意

 

積雪期に紛失したスノーシューを探しに雑木林の作業現場に行ってみた。雪はほぼ完全に消え、北斜面に残すだけになった。雪が消えてみると、運び忘れた丸太やもう一度伐り戻したい散乱枝、切り株などもある。左上の腐ったハンノキも太い分だけずいぶん存在感がある。

それにしても風が強く寒い。枯れ枝もよく落ちていて、頭上を見るとこんなに枯れた枝は多いのか、と改めて驚く。落ちて当たったらひとたまりもない。したがって時々は「上を向いて歩かねば」ならない。

風倒木や幹折れの大木なども目に付く。そしてとても新鮮に見えるのが天然更新した若木(写真下右)。ヤマモミジの緑のシュートやコブシの実生がもっとも目立つが、ホオノキやサワシバも目に付く。残念だがめざすナラはほとんどなく、林の中ではいわば中層を成す脇役ばかりということになる。しかし、伐りすかした穴に、確実に後継木が見えるのは正直ホッとする。

なんとかなる。ナラの山取り苗かどんぐりから作った苗を植えてもよい。しかし、おそらくはエゾシカと野兎による食害とのバトルとなる。

 

フキノトウは正直だ。雪の解けたばかりの、いわゆる雪線に写真左のような若いものが出ているが、それから1週間や10日たったようなところはもう満開だ。

■孤独を愛して

 

右肩を負傷しているwadaさんは薪割り部隊を離れて、山林入口や池周りの修景作業に取り組んでいる。日頃から「孤独を愛するwadaさん」とわたしは冷やかしているが、この作業は孤独志向ではなく、右肩の養生のためだ。

しかし以前も書いた通り、wadaさんのように土地の人が自ら日常的に修景作業をする意味は偉大である。特に最も人が通る入口が気持ちよいかどうかは、散策利用などの動機につながる。200m先も見通せるような森づくりができれば最高だ。

今、wadaさんはそんな作業に着手していて、写真右のような池周りの藪を片付けもしている。それでも仕事は次から次に出てくるから、わたしたちは死ぬまで終わらないね、と笑った。晴耕雨読ならぬ、晴伐雨読のように、裏山のような身近なところで山仕事ができるのは林住期の日々の送り方としては最高だ。


■木の癖、割って知る

 

みんな、それぞれの斧を持ってきている。左はabeさんのスチール製。中央はtomikさんのフィンランド・フィスカー製。右はわたしの、日本は土佐のまさかり。割る瞬間の角度が微妙に差があり、スチール製が最も角度が広く重かった。フィスカーは軽量だがよく割れるような気がする。

今日は打ちそこないが2回あって、いずれも刃でなく付け根の柄を思い切り打ち付けたために、掌に打撃が響き飛び上がった。

みなさん、よく割れている。しかし時々なんでこんなにしつこいの?、といいたくなるようなものもある。外見は素直なのだが、写真右のようにやっかいなこじれた部分を中に持っている場合だ。たいていは枝の痕跡が樹皮に見て取れる。癒合してかすかに膨れているのだ。こんなヤツに何振りも費やすと無駄骨感が残ってしまうから要注意だ。

しかしこれもまあ、人生そのものではないか。因果応報、業のような原因を内包しているのである。だが、難関を避けてばかりはいられないのが人生、その点、「難しいのは機械に任せよう」と、ここの薪割りでは申し合わせている。割れないのは早々にあきらめて脇におく。ならぬものは、ならぬ、すっと素通りするのも渡世の妙味である。


町内会との連携、交流、協働は進むか

2017/04/01 sat 晴れ 3℃から5℃
abe inaba oyama kai kusa migita tomik & m tuduki sekimura wada = 11 persoms

■まさかりの薪割り隊、5人



木曜夜の春の淡雪で、遠浅一帯は20cm以上積もったようだ。むき出しになっていた丸太や薪の山が、再び雪化粧となった。

人力の薪割りは5人、午後から6人。機械は3,4人が交代。頭数が半端でないのと、折からの割り易さが手伝って、薪割り機に負けていない。それどころか、勝っている可能性もある。このままいけば、連休までに薪割りは終わって、5月半ばには薪積みも片付く可能性が出てきた。ともかく、余裕の2017年春、である。

コモンズの山仕事は本来こうありたい。

■町内会との連携

このところ、山林と隣接する遠浅町内会との連携が進みつつある。

探鳥会やキノコの食毒判別会、認知症予防と森林の関係を勉強する健康講話などのほか、町内会の方々が山林のフットパスをしばしば歩いている。自由度の高い林の利用は散策を中心にもっと発展してもいいところだ。

今シーズンは、これらに5月6日の「薪割り・薪積み体験」を加え、探鳥会は富永まゆみ会員のガイドで、昨年より20日近く遅らせ5月20日の開催。新緑の時期だから、散策目当てにしてもOKだ。

特に6日の薪割り・薪積みは、「手仕事」のセラピー効果を紹介したい。

薪割り、薪積みは手ごろな繰り返しの仕事で、没我の境地に近い人もいる。何かと考え過ぎの現代、自己を肯定するいい時間になるかも。

ともかく、NPO会員だけ独り占めするのはもったいないとの思いから発案したもの。手伝ってくれた方には、お昼はジンギスカンを一緒に食べようという企画。

先週末、さっそく町内会の幹事の方々にオファーのチラシを送ったところ。町内会事務局を中心に、機敏に対応してもらっている。地元の方々と一緒に動くコモンズ活動は一段と手ごたえがある。

町内会とは別に、今日は安平町の地域おこし協力隊の山田さんが顔を出した。当方の探鳥会と連携して何かプログラムをつくろうとしているようで、冬の間からコンタクトがあったもの。

歓迎するのはもちろんで、ついでにまだ雪のあるフットパスを利用して山林をちょっと案内した。以前から大島山林を「里山テーマパーク」とか「子供たちのプレイパーク」と呼んできたから、ゆるい規則のここならではの利用を進めてもらいたいところだ。





■機械の不調を知る

どうも薪割り機が不調だ。とうとう、トルクが下がって、厄介な丸太割りではストップする直前まで来た。oyamaさんを中心にエンジンオイルの交換とプラグ等の点検が行われた。油圧オイルは先日、富永さんが交換してくれた。

前々回、マサカリで薪を割っていたわたしはエンジン音がいつもと違うことに気づいた。聞いてみてわかったのは、生ガソリンを入れるところを間違って混合油を入れたようだった。入れ直すとようやくトルクが少し回復した。

推定される原因はもうひとつ。今日は朝からトルクが上がっておらず、エンジン音もおかしかった。行ってチェックしてみるとチョークが半開きのままになっており排気が臭い。不完全燃焼のようだった。

車やチェンソーなどもそうだが、不調や操作ミスはエンジン音などの変化として、てき面に現れるから、もっと注意が必要だ。今季はいろいろな人が交代で関わったためか、その辺がおろそかになったようだ。


人力の薪割りが機械に負けていない

2017/03/25 sat 晴れ 7,8℃か
abe inaba kai kusa migita tomik & m tuduki sekimura wada = 10 persons

■よく割れて、工程が早い


 

いよいよ、薪割りが本格化した。マイ・マサカリを持った人が5人、そして薪割り機に二人。薪割りに都合7人が掛かった。よく見ると、機械操作の段取りもあるがサイクルタイムは人力が負けていない。

というのにも訳がある。
一つは、今年はナラが多くしかも素性がいいこと。そしてもう一つとても有利なことは、まだ生木だということ。つまり、乾燥していないから、割れやすいのだ。いつもは連休頃から薪割りが進み、木口をみれば放射状にひび割れが入るころだ。言わば結構乾燥してから割っていたのである。今年はまったく事情が違い、下手をするといつもより2,3か月早い。そのためによく割れる。

だから、コブなどのない素性のいいモノを選んでいけば、驚くほど速い。機械はコブがあろうとねじれていようと、ほぼグイグイと油圧で力任せに割るから、それらは機械に任せた方が良いのだ。

雪景色と薪割りはまだなじみがないが、これを知ってしまうと戻れないかもしれない。「薪割りは、早春に!」。

■陸と空からの来訪者

 

人々が歩き始めた。団地の道を散歩する人の数が増えた。物珍しそうにこちらを眺めていく人も多い。とその中に、実際にこちらに入ってくる人たちがいた。林の散歩に行きたいのだという。春休みで、埼玉から遊びに来たというお父さんと娘さんのような女性ふたり。しばらく話し込んで林に消えた。

また、空には渡り鳥もにぎやかだった。

晴れあがった日中に、遠浅の薪ヤード上空を東南東から西北西の方角へ、ガンと白鳥の編隊がいくつも飛んで行くのに目をやった。そのつど、手を休める。中には白いのと黒いのが混じった親子の白鳥の群れもあったが、よく見るとそのなかにはちゃっかりとガンが混じっていたのには驚いた。羽ばたきのリズムが割とあっていたのがおかしかった。

夜も、自宅の上空で渡りが見えた。テラスの椅子で星空を見ていると、白鳥の真っ白なシルエットが音もなくスーッとウトナイ湖方向に移動していくのだ。うつくしさに見とれると同時に、春の躍動が静かに伝わってくる。


■「なんだか、伐るのは惜しいような気がするなあ」

 

右田さんからクルミの木の伐倒を頼まれていたのを、午後、片づけた。直径60cm以上もある大きなクルミは、2月ころ、abeさんが終えていて、今回はその時ふと枝を切った別のクルミ。

木は小屋のなまこ鉄板にくっついているので、まず、トラクターのショベルをあげてもらってそれに乗り、癒着している幹を分離切断。それからチョークであたりを書き込んでセオリー通りにくさびを使って伐倒した。枝分かれした大枝は見事で、本体を道の上に落とすべく調整して、隣接するハスカップ畑へのダメージを小さくするよう努めた。まあ、それはうまくいった。

大木はふつう魂を持っていると思う。だから太い街路樹が嫌いだという人もいるほどだ。この日もとなりの年配のひとがチェンソーを持つわたしにむかって、「なんだか、伐るのは惜しいなあ」という意味のことを言った。

つぶやいたような内容だが、明らかにわたしに語り掛けていた。わたしといえば、もう伐倒モードになっていたから悪いけれど無視した状態で言葉だけが耳に残って仕事を終えた。

民話に出てくる化け猫や動物たちのもののけも、加齢と老齢のものに限られる。齢を経て、超能力を備えるのである。田舎育ちのわたしは、直径2m以上もあるケヤキの大木の根元に住む一家に不幸が続き、ケヤキを伐倒した話や、そのあといろいろなことがあった、などという話の切れ端が頭に残っている。

こういう伐倒も考え始めると、雑念が消えないから、基本考えないことにしている。「頼まれたから」と割り切る。しこうして早々に現場を離れた。

■wadaさんの山仕事の意味
wadaさんから、休みの日に独りで伐倒してつくった丸太が若干あるから運んでほしいと言われた。薪ヤードから100mほどの、山林入口である。wadaさんは町内会の環境部長のような役割も受け持っているので、入口修景をしたようだった。行ってみると結構ある。鉄のソリで6回分ほど。

氏は今季、小田桐師範の講習によってチェンソーワークのスキルが格段にアップして、伐倒方向がある程度コントロールできるようになったとおっしゃる。日々の作業でも生産量が多くなっていることにわたしも気づいた。

大島山林は遠浅町内に直結する里山であり「森林公園」であるから、氏のような取り組みは実は理想だった。だから、この一歩は記念すべき一歩だ。願わくんば、若い後継者が一人でも生まれると面白い展開になる。さびしい逆説だけれど、NPOなんてよそものはもう要らないよ、といわれる時は果たしてくるのか・・・。


ガン集う日、薪割りも開始

2017/03/18 sat 晴れ 5℃くらいか
abe inaba oyama kai kusa migita tomik sekimura = 8 persons

■いよいよ、薪作りへ

 
先週で、除間伐の材は林内から運び終えたので、今日からはいよいよ次のステップ、薪作りに専心する。薪のサイズは35cmだが、細い10cmの枝なども採っているので、そういうものは70cmや105cmのため、35cmに裁断する手間がいる。これも結構ある。

だから、薪サイズに切る人3人、薪割り機で割る人2人、マサカリで割る人2人そして林内で切り株を伐り戻している人が一人。
 
切り戻しはoyamaさん。上の写真のように、切り株が突き出たところがいくつも散見された。堅くなった雪を掘ってこれを根元から切り戻す。丸太は運べるものは運び、使えるものは使う。昼は写真右のように土ソリを裏返しにしてその場しのぎのテーブルにした。雪のあるうちの薪割りは、妙な感じ。

素性の良いナラを選んでマサカリを振ってみたが、いつもながらたいていは一刀両断で、これなら薪割り機よりも早い。

■厚真のガン
 
夕方、土ソリの使いがっての報告に厚真の斉藤 さん宅を訪問。久々の話に花が咲いてつい長居してしまった。帰り際、向いの畑にいたガンたちにカメラを向けてみた。秋まき小麦のような緑のところにも昨夜は近づいていたらしい。落穂や落ちたトウキビならともかく緑の新芽をやられては農家としては気が気でない。しかし、一帯はのんびりしている。数日中に雪は解ける。

斉藤さんも昨夕の大群にはカメラを出して水路のコンクリートに身を隠して撮ろうとしたらしいが、いかんせん、真っ暗に近くて写真どころでなかったらしい。5時半ころ、まだ飛び立つ気配がない。その後7時ころ、ウトナイに寄ってみたが、まだ飛来していなかった。4万羽近く集結しているらしい。


春の日差し浴びて、薪材を出し終える

2017/03/11 晴れ 5℃くらい
abe inaba oyama kusa migita tuduki tomik wada = 8 persons 


約100往復、150km、丸太運ぶ
 
積み込みの3人と枝片付けのwadaさん、運搬担当などの記念写真。薪ヤードには、tomikさんとtudukiさん、migitaさんが張り付いて8名。右上は夕方4時半、薪小屋の屋根の上から。
 
薪ヤードで長材を玉切りするtudukiさん(左)、夜勤明けだという。スノモ運搬担当のわたしは(右)、暑くてヤッケを脱いだ。モンベルの下着とワイシャツだけでちょうどよい。

作業のメモによれば1月28日から材の搬出を開始していた。着手当初は一日8往復程度のゆっくりしたもので、2月の中旬から後半、そして3月初めをピークに一日約20往復した。

そして3月11日、東日本大震災6年経過のこの日、15往復して終了した。出過ぎた切り株、拾い残した丸太も探しながらの、本当の終了、片付け込の日だ。雪が多くてかなり縦横に走ることができたのが幸いした。しかし、スノモをこわさないよう、立木、切り株にぶつからないよう操作するのは、見た目以上にハンドル操作の腕力と神経を使った。

ざっと100往復から110往復した。一往復は1.3kmから1.8kmで、平均1.5kmとすると、ざっと150kmを走ったことになる。出納簿のエクセルをみると、ガソリンを80リットルから100リットル使っている。運搬時の回転数は毎分5,000回転、燃費は2km弱という計算になる。15家族約60名がエコライフをするために、化石燃料をざっと100リットル使ったことは記録しておきたい。

人もスノモもよく頑張った。いろいろな身体の不調にもめげず、筋力とちょっとばかりアタマも働かして、ひとまず、この冬のメイン作業を無事終えた。まずはお疲れ様でした。ちなみに、今日の平均年齢は約64歳くらい!!

■土ソリの出番
 

今季はじめてソリの補充にトライし、会員の斉藤泉さんが土ソリを作ってくれた。初乗りのころは雪が柔らかく、うまく使えなかったが、地盤が凍っている今回はどうだろう。最後に試してみた。70cmの材なら写真右のように積める。ただ、やはり、雪が地面のように堅いことが必須条件で、かつ、もっと重いもの材の方がよさそうだ。写真のような材でやってみたら、横ブレのため、途中、半分を落としてしまった。今後はここに材を載せて、記念のモニュメントにしようか。ポニーがいれば訓練用の土ソリと相成る。筒井さんは鋼鉄のソリをつかって夏もポニーにトレーニングとして曳かせていた。

■日差しが強く、ガンの飛行初見
 
春の日差しとなった。サングラスをしないと雪目の心配があるほど。午後は雪がくさってざくざく。長靴ではズボズボにぬかる、スノモもハマル。この日oyamaさんらが、オオヒシクイの飛行を見たという。

わたしも夕方、ガンの小さな群れをひとつ見つけた。今季、初。ウトナイ湖はまだ真っ白で、渡りは例年より少し遅い気がする。落穂拾いの田んぼもトウキビなどを拾う畑もまだ真っ白だ。週末はマガンたちの群舞を見にこよう。

帰り際、来週からの薪割りに備え、やかんやタンクなどテントの備品をトラックとスノモで薪ヤードに移動。ステージの交代だ。


先が見えた!間伐材の運搬ほぼ完了

2017/03/04 sat 晴れ 5℃
abe inaba oyama kai kusa migita tomik & m wada sekimura = 10 persons

ご苦労さまの一日 ~よく動く中高年への讃歌~
 

 
間伐材の搬出はいよいろ大詰めとなって、今日で終わるか、と期待された。が、結果的にはあと半日分が残った格好だ。ソリ1台に乗せられる見積もりが常にちょっと甘いことと、雪質を考慮すると無理をしない、つまり積み過ぎをしない方が得策だから、現実は控えめに積むことになるため。

実は今朝も朝一番に、ちょっと無理をしてスノモが横転、積みなおして減量し、ロスした。一日のとっかかりに、一日のコンディションを占う出来事がいつも待っているようだ。

しかし、それでリズムに乗ればスラスラ進む。特にスノモの侵入を誤らないよう、確実なルートを誘導してもらう必要があって、少なくとも積載予定の材の場所に人が立っていることは最低条件になる。今日は新しい沢地で、方向によっては微妙に登り勾配になるために、500kgほどを積むソリ運転は慎重にならざるを得ない。

分担も誘導もうまくいったおかげで、午前と午後、各々10往復、1サイクルタイムは12分ほどとなった。スノモは毎分5000回転ほどで、時に唸りながら、積載重量にてき面に反応した。ヤードで待ち受けるtomik & mさんとの連携よろしく集積がどんどん進んだ。

 

写真左の左側一列の8割が今日の作業。今年の特長は、ざっと7,8割が35cmに玉切りされ、あとは割るだけの状態にあること。6月中に薪を終えて刈り払いに着手できる予定。これは昨年までの反省に対応した改良だ。

そして、ナラが多いこと。枯れているものも多いのでそれらは適当な長さにしてから林内に置いてくればこんな感じか。これまでのように枯れかかったシラカバや桜も少なかった。ざっと見ると7割がナラ。こんなことは今までなかった。

 

 
午後、和田さん、右田さんが手掛けた場所から材を運搬。あと数回往復しないと終わらない。

来週は、午前中、①残りを運んで、②高い切り株を切り戻し、③頭を出した埋もれた材を回収し、そのあとはいよいよ、薪割りに突入ということになりそう。

■春が来る
 
イタヤの樹液採集も本格化。「業務用」と称する太いチューブも登場した。なるほど、ポタポタ落ちるスピードが若干早い感じがする。なるほど、と感心。
  

kaiさんは直径10cm以下のウラ木(枝先)を丁寧に回収し、焚き付けに加工するのだという。完全な手仕事が求められるが、適当な長さに切って一本ずつ割っていく手仕事は苦にならないどころか、楽しみも見いだせる人も多いのではないか。

子供たちにもさせてみたい手仕事だ。実際、ある県でこんなことをやらせたら、子供らはゲームをしなくなったという。こっちの方が面白い、と。思えばこのような経験から遠く離れた現代の社会になってきたことに唖然とする。

エネルギーの話に限れば、林はまだ限りなく再生可能エネルギーを捨てている。あの枝先を集めて焚火するだけでもいい。薪ストーブがあれば申し分ない。思い起こしただけでも、頭がカラッポになりそう。

春の日差しが強くなってきた。地域がというか、北半球全体が春に向かっている、という実感がある。今週中にマガンたちの声が聞こえるかもしれない。

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