02ドイツ散策紀行

2002年の9月末から、個人的にドイツのバイエルン州 
にあるバードウェーリスホーフェン市を訪れ、森林の散策を
体験しました。以下はその旅のメモ。          


●マジメでちょっとこだわりのプロローグ(ドイツの森へ何のためにいったのか) 日本人の緑観はいびつになっていないか。森林の効果をアンケートすると、水源涵養など の公益的機能をしっかりと挙げる反面、暮らしと直結した面の評価が低く人と森のつなが りが希薄である。まず1億2000万立方mの木材を消費しながら自給はわずか5分の1で、 経済的に採算ラインを大きく割るからという理由で放置されてきた国内の森林。森林のあ り方はこのままでいいのか。                             森林の木材資源の供給は、日本学術会議が森林の多面的機能を表現したフローの最後列 にあたる8番目で、評価順位は一番最後にある。林業として経済に貢献していない現状を その他の公益的な機能でカバーしている、だから一応不可欠なんだという図式も描ける。 しかし、資源としてわたしたちが木材多消費型の生活にはまっていることとつなげて語る 論評はあまりない。行動としては各地のグループや森林ボランティアが何とかしなくては と固有の取り組みが始まっているが、根本的な解決には道のりがありすぎる。      散策路と田園と森の関係。保養地を一歩出るとこのような世界に入る。  学術会議のいう順番に実際の意味があるかどうかはここでは吟味しないけれど、もうひ とつ不当に低く見られていると思われるのが、下から2番目の「保健・レクリエーション 」で、これは大きく「日本人のこころ」という大枠でくくってある。わたしは常々、日本 学術会議の順番の後ろの2件、「資源」と「こころ」を粗末にしてはいけない、これはも っとも日常的な森林とのつながりであり、ここにこそ今見えにくくなった「森林のこころ の入り口」があると思ってきた。日本の社会が、メディアや教育のトーンをそのままなぞ り自然を理念でとらえ始めた一方で、身近な緑・自然を失って多面性が感じられなくなっ て、その挙げ句、こころの奥では、つまり本音としては「身の回りに緑などなくてもほと んど困らない」「どこか遠くにあればいい。必要なときに行くから」と考えるようになっ てきたのだと推測する。                               かたや、昨今の自殺者は年間3万人であり、未遂まで入れるとその数倍が自殺の動機を もっていたのではないかと思われる。自殺願望まで至らなくとも現代社会のどこかでわた したちは希望を失ったり、ストレスや迷いに日常的に出会い出口のない思いを抱き続け、 ついには病に至ることも少なくない。その医療は、年間の国民の医療費が31兆円に及ん でいるという。しかしノーマン・カズンズが、医療を求める病人の9割は、ふつう人間の 身体がもっている自然治癒力の範囲内で治る不調で悩んでいるといっているように、西 洋医学を中心とした医療制度は日本でも隆盛をきわめてきたが、反面、人の体がもつ自己 治癒という「自然」への気づきをあまりにも軽んじてきたということができよう。    ひとりで歩く。大木が多く暗いところもあるがこわくはない。  それがここへ来て、東洋医学などを包含したもう一つの医療、オルタナティブ・メディ スンが注目されるようになってきた。これは人間の体が本来持っている自然治癒力をうま く伸ばしていくことに重点をおいており、実はこの自然治癒力とか免疫力に森林がとても 深く関わっていること、こころの側面でも森林に助けられる、子供の心身の発育に大きな 意味と効果があることが明らかになってきた、というのが森林を囲む最近のとても大きな トピックと言える。吉本ばななが「こころと体」をテーマにした一冊を出したというのも なにか、時代の新しい始まりを感じさせる。また、近代医学の父とされるヒポクラテスが 「自然は万病の良薬である」と言ったのを知ったとき、がつんと一発食らったようなショ ックだった。ここでいう「自然」の範疇に、「人間のこころと体」を含めるとさらに深い 話になってくる。                                  フーッ!なんと長い前置きであろうか。でもこれを書き上げないとわたしのドイツの森 林散策記は意味が見えなくなってしまうのだ(笑い)。だから、思いのはしばしをつなぎ 合わせて散策の動機を書き記してみた、というのが偽らざる気持ちだ。ここでようやく今 回の散策のねらいをまとめてみるとそれは結局、「日本では森と人は疎遠になってしまっ たが、市民が高い頻度で森にいくドイツではマチづくりの中で森林がどんな位置にあるの か、森林の仕掛けはどうなのか」これらをただ歩きながら見てみたいということである。  くそまじめにまえがきを書いてしまったので、あとは結構軽く行こうかなと思いはじめ たところだ。思いのテンションは高いけれど、観察者の視線は地べたばかりを見てきた。 以下、画像を中心にしてドイツ・バイエルン州の楽しくためになった一週間の、一端を垣 間見ていただければ幸いである。                          ●訪れたバードウェーリスホーヘンのこと                    バートウェーリスホーフェン(以下、BW)はドイツの南部・バイエルン州の州都ミュン ヘンから列車に乗って西へ1時間あまりのところにある。日本では、ヒュッセンの人気の お城などに比べるとまったく無名といっていいが、BWはクナイプ療法の発祥地として、 あるいはクナイプ保養地としてドイツ国内では有名である。わたしがこのBWを知ったの は、神山恵三さんが書いた「森の不思議」であるが、そこでは森林自然保養地として紹介 されている。                                   メイン通りには人が行き交う。ウインドウショッピングも楽しめる。  つまり日本の森林浴のはしりにあたるわけだが、BWでは療養を求めてきた人に医者が 森林散策を処方するのが特徴である。わたしの周りにも森林や田園そのものが保養とか療 養の効果を持つのではないか、と考え始めた人は少しずつ出てきたが、BWは数歩進んで 健康保険の対象になるために日本よりはるかに行きやすい状況にあると思う。       わたしが得ることができたBWの詳細な情報は、森林療法家という肩書きをもつ上原巌 さん(現・東海女子大学講師)の文献等によるものである。上原さんは長野県において精 神に障害を持つ方々の療育に携わりながら、BWで何回か保養のしくみや森林散策などを 調査しており、いくつかのレポートを出されている。苫小牧のU病院が講演を依頼した折 りも、わたしたち「森林とこころ」に関心をもつ少人数が直接お話を聞く機会があった。 その時に苫小牧の雑木林のフィールドや演習林にも案内したところ「とてもいいところで すねえ」とおっしゃっていたのが印象的だった。今回わたしが滞在したBWの宿も上原さ んが定宿にしていたクアハイムを紹介してもらったものである。            人気のありそうな山辺のフットパス。  BWの一口メモはその上原さんのデータに頼ることにするが、概略は次のとおり。人口 1万4700人、ドイツ鉄道でもアウトバーンでもミュンヘンから1時間程度(前述)。 面積は約5600ha、標高は650m前後、そこに散策路が250kmある。市民の60% が保養関連の仕事に従事し市の年間収支の6,7割が保養地経営にあてられている。1995 年の総宿泊施設数はサナトリウム、クアホテルからクアハイムまで315(ベッド数7319) で、年間の来訪者は75,000人。ピークだった1987年は144万人泊。41歳以上の中高齢 者が95%、保養者の平均年齢は59歳である。                     ●クナイプ療法                                 では森林を処方するというクナイプ療法とはいかなるものか。前述の上原さんのレポート や手元の資料などから簡単にまとめると、クナイプ療法とは120年ほど前にセバスチャ ン・クナイプというカトリックの司祭が始めた自然療法であり、BWがその発祥の地であ ることは先にふれたとおり。水療法のほかに運動療法、植物療法、食事療法、秩序療法が あるが、クナイプ司祭自身が結核をドナウ川の支流の川の水で直したという事実が物語る ように、クナイプ療法と言えば水療法を指すようだ。当地に着いてからクナイプ博物館を のぞいてその歴史を写真でたどってみても、教会の中庭にしつらえたジョロなどを使った シンプルな治療器具を見ることができるから、やはり、クナイプ療法と水はとても縁の深 いものであるのことが現地でもよくわかった。また以前のドイツ訪問で立ち寄ったいくつ かのマチで、散策コースのスタート地点などには足浴をする水槽が設けられているのをし ばしば見つけたが、これもクナイプ療法に欠かせない施設である。            療法として森林を歩くのはこのうちの「運動療法」のうちの地形療法と呼ばれるもので これらのメニューはクナイプ療法医によってな処方される。1990年代後半で、BWに はクナイプ療法の医者が67人、療法士は280人いる。BWは1949年にクナイプ治 療浴場の第一号に指定に指定されたが、この際に設置された条件は           @豊かな自然環境と保養に適した気象・天候                     A保養・医療データの実績データがある                       B保養を行う各施設、医師、看護体制が整っている                  C保養講演、散策コースを有する森林をもつこと                   である。ドイツ国内でクナイプ療法を受けている人は500万人から540万人。対象の疾患 は、心臓、呼吸循環器系(25%)、神経症など多様だが、リュウーマチが45%を占めるとさ れる。現在ドイツには21カ所の治療浴場と43カ所のクナイプ療養地があり、前者に属 するBWはこの手の保養地のプロトタイプとされている。                なお、上原さんのレポートのダイジェストと森林療法などについては、浜田久美子さん の「森がくれる心とからだ」(全国林業普及協会)の2章に詳しいのでおすすめしたい。 ●散策路概観                                  わたしはこのBWに、02年の9月28日から10月4日まで滞在した。すべてエメリエと いうクアハイムに起居したのだが、早朝の散歩、午前の散歩、午後から夕方の散歩という ように、全長250kmあるという散策コースを中心に寸暇を惜しむかのごとくひたすら歩 き回った。やがてだいたい感じがわかるようになってきてからは、淡彩画を描き始めて散 策路のあちこちを思い出のシーンとして切り取るようにした。一日正味3〜5時間歩いて いた格好なので、100km近くになるかもしれない。                  着いた翌日の早朝。霜が降りた草地と散歩道。  散策路を概観してみるとこれからの北海道につながりそうな印象深いことがいくつか挙 げられる。まず、バリアの少なさである。メインになる散策路は高齢者や車椅子でも十分 往来できるよう、簡易舗装がされている。通常アップダウンはほとんどない。高齢者の夫 婦がお互いをいたわりながら実にゆっくり歩く、そんな散歩風景があちこちに見られるし 両手に杖をついた高齢者も多かった。散策路は車が通れるような広いところもあったが 車の乗り入れが規制されているので、危険はまったく感じさせない。健脚の人は、舗装さ れていない山の縁のルートや近道を闊歩していたが、こちらは英国のフットパスに近い。 これが高齢者が歩ける道の基本形だとすれば、北海道の身の回りは高齢者が出ていける外 の社交界はないと言うしかない。それに冬というもうひとつのバリア。札幌ですら「年 寄りが生きて行くには厳しい」」と札幌の娘の家に住んで一冬で東京に戻った高齢者の話 はずしりと重たいエピソードだ。                           次に散策コースのしかけについて。言い忘れたがクアkurとは、治療・療養をさしてお り、クア施設は「クアハウス」「クアパルク」「クアミッテルハウス」から構成される。 クアハウスはマチの中心にあってインフォメーションセンターを兼ね、BWではレストラ ンとコンサートホール、小公園と併設されてショッピングモールにつながっていた。クア パルクは文字通り緑の深い公園で芝生、池と噴水、お花畑やバラ園が整備され、芝生やバ ラ園の周囲にはひなたぼっこができるベンチが適度においてあってにぎわっていた。この クアパルクから散策コースが延びている。クアミッテルハウスは各療養施設のことで、人 によってはクアホテルだったりクア民宿だったりする。                難易度の最も高いハーテンタールの散策路。  コースはマチの南西側に主に広範囲で発達しているが、北西のアイヒェバルト、スピッ ツバルトにも森林散策のコースが整備されている。コースは奥山感覚ではなく、林をくぐ るとたいてい見通しのよい草地にでて市街地が展望できたりするので迷子になるような 不安感がない。森林は基本的に平地林で農地に囲まれているのである。この安心感と物足 りなさは背中合わせであり、本物の自然とか奥山感覚に慣れてきた北海道人などにとって は賛否両論分かれやすいところだ。が、ここは、あくまでからだのための保養の場であり 軽易な運動の場であり、かつ高齢者やハンディをもった方々もバリアを感じずに動けるよ うにと配慮されたところである。多様性とか自然度とかは必ずしも優先されない訳だから それはそれで問題はないだろうと思う。これはわたしたちの身の周りに著しく欠ける発想 だ。                                        みっつめは、この安心感がよって来るところのはサイン・システムである。クアハウス で無料のマップを手に入れてからは通りの名前を読みながら交差点ごとのサインを見てい けば間違う心配がない。事実、自分の現在地は常時確認できた。同じ色とデザインで、要 所にはクナイプコースの施設概要のようなものが書かれていた。しかし、そのような説明 看板はほとんど目に付かないというのが正しいかもしれない。人知れずパーキングの脇あ たりにあって、景観のじゃまはしていない。                     サインはこのモデルでほぼ統一されている。  よっつめはその景観である。風土をとてもよく活用している。富良野とか美瑛、あるい は胆振の早来とか苫小牧のなだらかな風土がこれと似た感じを醸し出すかも知れないが、 好天の平年の日数も侮れない。そうして人気の適地というものはしぼられていくだろう。 さて、その景観はあくまでドイツ的といえる。ゆるやかなうねりの田園地帯のなかの保 養地の有様は、わたしたちがほのかに抱いている理想的な田園風景を出現させているよう に見える。広大で起伏をもった草地と点在する農家、まとまってスカイラインに現れるヨ ーロッパトウヒの林、そこを縫う散策道。その道へ、閑静なクアハイムなどから直接数分 でアクセスできるのである。                            アイヘバルトからクアパルクへ戻る。左前方がクアパルク。  また、レストランやコンサートホール、ショッピングモールもマチの中心に凝縮されて いる。保養の滞在期間を飽きないようにという配慮が伺えるが、これは散策のコースにも 共通すると言える。とかく、理想的な田園景観は飽きやすいという側面をもっている。こ の点、クナイプの散策コースは7段階の難易度レベルが設定されて、クナイプ療法医の処 方によってコースが選ばれることになる。                       少なくともわたしは景観そのものに飽きるということはなかった。見るものすべてが新 しいから当然であるが、刻々と変わる景観は飽きさせないものだった。林で閉じて草地で 開けて、山際で片側が開けて、カーブを越えると新しい景観が顔を出して、ややするとレ ストハウスが見え始め、振り返ると遠くにBWの保養地が木々に埋もれて見える…。そん な感じである。                                  暗い林から草地に出る。明暗の変化は劇的である。  ただ、その景観の枠組みがわかり始める頃に、北海道の雰囲気のあるものが懐かしさを 伴ってすり寄ってきた。それは「雑然さ」「野性味/ウィルダネス」である。大体がわか ってしまうことと、未知なものがまだまだあることの違いはとてつもなく大きい。それは みてくれの景観を越えるものだといっていい。景観を云々するうちにその奥にある風土と いう動かしがたい運命にぶちあたるのである。BWはその点、人がリラックスできるとて も恵まれた運命の風土を得たのだと、朝夕の散策の時に感じざるを得なかった。命が喜ぶ 風景…。心身を癒す保養地はこの天与の風土が欠かせない。それは田園と森が潜在的に兼 ね備えている、というのが散策で得たひとつの結論だった。                ●森はどうなっているか                             で、森はどうなっているか。結論、森は空気のごとし、田園も空気のごとし、だ。     クアハイムのオーナーのルイスさんによると、森林は連邦、州、自治体、個人の4つの 所有形態があるという。クアハイムが並ぶ一帯から南に伸びるコース沿いはミンデルハイ ム営林署が管理しているというから、州有林かと思われるが、ハンティングのために案内 してもらった場所は農家の持ち物だった。ミンデルハイムのトーマスさんに案内してもら ったのはミンデルハイム市有林だった。おのおの、森林の現況も管理の中身も異なってい て興味深い。                                   ヨーロッパトウヒの普通の林。ベンチは日向ばかりではない。キリスト像も。  散策の途中の林に限ると、その多くはヨーロッパトウヒからなる針葉樹林で、林業行為 と併存している。1998年だったかの大型ハリケーンの被害跡地が随所に見られ、再造 林されていた。シカによる食害は深刻なようで、ほとんどの造林地はネットで囲われてい た。中にはアイヒェバルトのようにナラの木からなる森もないわけではないが、規模は小 さい。むしろ、再造林した箇所で、ブナやナラを混ぜていくような試みがなされていて、 ヨーロッパトウヒ一辺倒の森づくりを転換しようとしているようであった。        ヨーロッパトウヒの蓄積をトーマスさんに聞いたところ250m3とか350m3とかの数字  を言っていたから、わたしが歩いたエリアの森もおおむねその程度の蓄積だとみていいよ うだ。90年前後で収穫する。直径は40〜50cm.、樹高は30mほどある。針葉樹林の中  は、暗く植生はほとんどない。ハリケーンの跡地に入ってみると、ヨーロッパトウヒやブ ナの稚樹がごっそり生えていた。これなら造林する必要がないくらいだ。        伐採の跡地にタネから芽生えた実生のトウヒ。  林業をやっているのがわかるのは、幹線のような道のわきに、丸太が整理されて積まれ ているからだ。倒木もいつの間にか片づけられているという塩梅だ。当たり前のことだが そのような丸太が積まれた場所や枝や葉が切り落とされた一帯は、例のテレペン油の香り が漂う。結核とか循環器にはとてもいいはずだから、丸太の集積は医療につながる。単に 森になっている状態よりも、伐採し集積され枝条が残っている状態の方がはるかにテレペ ン油の発生が多いように感じるから、伐採しながら管理する形態は住民にもすんなり受け 入れられるはずだ。こんな情景は以前シュバルツバルトでも見られた。         長さ20mほどの丸太が散歩道の脇に積まれていた。ここは車も入れる幹線だった。  まあ、こんなわけだから散策にとっての森林は空気のようなものと書いた次第である。 森林がなにか特別な仕掛けをもっているわけではなく、かつての農道や林道を改良して散 策コースをつくってきたというBWの歴史どおりの印象である。森林に自然科学的な、あ るいは博物学的な側面をむりやりつなげたり、運動に偏ったりすることなしに、気持ちよ い散策を第一義的にとらえる。森林散策を処方する「地形療法」は、地形をいかした森林 散策を行うものだが、この療法は、神経症、ノイローゼ、不眠症など、心に関連する疾患 に積極的に取り入れられる。                             結局、ここに行き着くのである。森林の中をただ歩くことによって、気持ちがいいと感 じ、気晴らしになり思い悩んでいた事柄が少し整理がついたりする。こころのそんな動き に体が敏感に反応することは想像に難くない。心身を病む人を森に連れていくと顔つきが 変わる、いろいろ話しかけてくるようになる、など現場で森と心をつないでいる人の経験 談はその辺の事情を物語っていると思う。                      ●クアハイムにて                             クアハイム・エメリエの1週間は快適だった。地下2階にクナイプ療法やマッサージの部 屋があり、保養客は朝の5時過ぎから順番に療法をうける。ゆっくり休んで朝食をとり、 お昼前にもう一度療法を受けて休み、午後もう一回療法を受けるのが普通で、平均的には 3週間滞在する。3週間以上でないと効果が出ないというのだ。             部屋は16畳ほどあり、バストイレ付きで芝生を望むベランダがある。また部屋には幅 が1間半ほどのクローゼットがあるので、長逗留の荷物はすべてここに収納できる。華美 ではないが静かで落ち着く雰囲気をもっていて、朝のストレッチのあと行う瞑想は自宅よ りずいぶんと深いなあと感じたほどだ。わたしにはむしろ道場のような使い方がスッキリ する。クアハイムの中にはプール、サウナ、プレイルーム、テレビ室などが備わっており サウナ以外は自由に使用できる。週2回、夕食は休みになるが、近くにとてもいいレスト ランがある。                                   わたしの宿・クアハイム「エメリエ」。奥は牧場。  クアハイムは20人ほどの定員だと聞いたが、わたしの滞在期間は10数名といったと ころで、ご婦人の方が多かったように思う。病院ではなく予防の施設だから、みなさん元 気で夕食はビールかワインを飲んでいた。一泊朝食付きで3500円程度で、実感としても  のすごい値頃感がある。夕食は別に頼むのだが、とてもおいしかった。これを保険を使っ て滞在するとなれば経済的な負担は非常に軽いことになるが、近年、保険の財政事情が厳 しくなって保険の対象が医療費のみになったときいた。また、ドイツに住む多忙な知人は 自分たちの払う保険で保養地に悠々と過ごす人たちがいるなんて不公平だと憤慨していた けれども、BWではそんな憤慨をよそにとてもゆったりした時間が流れていたようだ。  居心地のよかった部屋。読書にも集中できた。 ●クアパークについて                           クアパークの噴水。晴れていればどこかで虹が見える。 エメリエからクアパークまで歩いて5分程度だった。クアの中核施設といってしまえば固 苦しいが、気温が上がってからの日中は、公園内はたくさんの高齢者が集まり、ベンチで 日光浴をしていた。公園内は広葉樹の大木がたち並び、随所にある広場は芝生だったりバ ラ園だったり、あるいはハーブガーデンだったりする。中心部には細長い池があって噴水 が数カ所から出ていた。ここも、芝生の上にベンチがあるので格好のひなたぼっこゾーン になっていた。                                   ここから散策に出るルートが何本かあった。どこか散策にいってみたくなるような、そ んな風情がここには漂っていた。10haほどの公園の北側と東側にクアホテルやクアハイ  ムやレストランがつながっているから、クアパークはそれらにとってまさに裏庭のような ものだ。                                     ●森と人のことを考える                          行きやすい場所に森があれば人は森に行く。森の散策が快適であればなおさらだ。だから 「森を歩くのは快適だ」とからだが感じ覚えることが大切で、そこから先はたちまち習慣 化されるだろうと思う。森と人のことを考えながら、こんなありきたりないつもの結論に たどり着いたのだった。                              高齢化社会の典型的風景。手をたずさえて歩く。  ではこうやって森と人が近い間柄を築くことができた先に何が待っているのだろうか。 それは、自然治癒力を重視した予防医学と長期滞在型療養を組み合わせた、いわゆるウェ ルネスではないかと思う。ウェルネスとは、とりあえず病気でないという従来の健康を越 えた、よりよい存在とでも言うような状態・ライフスタイルを指しているが、そういった 自分を田園と森林の中でみつけていく。これは一見観光とは別物のようにも見えるが、こ れからは保養は観光の一ジャンルと考えていいし、実際グリーンツーリズムと呼ばれてい る概念はそれに結構近い。北海道のみならず、日本全体に田園と森林は各地にあまねく存 在するから、ある種のポテンシャルは限りなく高い。                 田園をひとりで歩く。「孤独力」も必要だ。  しかし現代人が都市に憧れるうちは止まないだろう地方の過疎化とその末期に来るかも 知れない地域破壊。これは農林業とウェルネスを結びつけたつながりの中にひとつの方向 を見つけることができるのではないか。そして都市へ持ち続けてきた憧れとの決別。自律 的・自覚的でないと生きられない地方の暮らしに現代人がどれだけ揺れ戻ることができる か。ウェルネスを目指した長期滞在は、またぞろハコモノ重視になる可能性はもちろんは らんでいるが、見失っては行けないのは田園と森が保養のカギを握ること、そして今忘れ つつあった「心とからだ」にもう一度照準をあてていくことだと思う。         (*狩猟の森、実際に管理する人が語る森については、散策とは別と考え後日改めてペー ジを作りたいと思う。実はまだ、核となるメッセージのコンテンツが固まらないことに 一因がある。いずれまた。) 参考文献:                                    上原巌「自然散策が医療・保養に取り込まれているドイツのクナイプ療法」森林科学第19     号(1997年2月)                             上原巌「ドイツ・バート・ウェーリスホーフェン市における保養地形成過程」2001年3  月 日本造園学会誌vol.64 no.5                      上原巌「ドイツバート・ウェーリスホーフェン市における森林レクリエーション」日林論 109 1998                                浜田久美子「森がくれた心とからだ」2002年7月 全国林業改良普及協会       




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