山野河海に軸足を置く

NO.115
2021/07/03~

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先日久しぶりに、哲学者内山節さんの講演録に触れて、改めて、地域の風土に軸足を置く意味について感慨を新たにした。この一年は、リタイヤ生活の過ごし方にも慣れ、今までにも増して土地の自然と人に質・量ともによく向き合えたような気がするから、なおさらだった。

その向き合い方だが、山野河海と身近にいることは、風景や食や雨風だけでなく、是非とも土地の声というものを聞き、一体になりたいという、ある境地への願望が消えない。よく言われる神秘体験のようなものだが、これは都会のように風土の原型となる山野河海がむき出しに見えない所ではしょせん無理な話である。

だから逆に、地方に住む意味というのは、ある心構えのもとで山野河海のこころに到達できるのが強みだと思う。特に勇払原野はこの山野河海の声を聴き、埋没するのにわたしには絶好の場所だ。放置された原野や山に地質年代の匂いがすることに一因があるのではないか。



シルバーウィークの様子

2021/09/18 sat 時々小雨 tomi-k migita seki
2021/09/19 sun 晴れ abe-e abe-aki kuri tomi-k
2021/09/20 mon 晴れ kai

■作業は三々五々


台風14号崩れとは別に北海道のそばに前線みたいのがあったようで、土曜日は明らかな雨の予報。掲示板で各々の参加都合を知らせあって、上記のような作業具合。

広域から人が集まる場合、明らかな中止の声はあまり出ないで自主休業となります。結果的に単独作業になることもありますが、それはそれでいいものです。

報告は掲示板からコピー。薪棚がいよいよ埋まりましたが、倒伏の危険は相変わらず。

9/19 tomi-k さんの報告

《今日は4名。玉切り、パレットペンキ塗り、薪積みです。
薪棚の左から2つ目は完了しました。残りはヤードの薪積みです。




昼食後、各自キノコ採りへ。
先週の食用キノコはヤマドリタケモドキ、ヌメリニガイグチが少々、ボリボリは無し。
今日は・・・ありました。

小一時間の量です。ハナイグチ(右手前)もありました。
旧テント前でクリちゃんが採ったのは出たばかりなので、後、2、3日はOKかな。》



9/20 kai さんの報告

《1枚目作業前 2枚目作業後 3枚目落ちて来そうな薪(-。-;
材の山、減った感じしますか?

トングを忘れて、玉切り後の積み残しがあります。今週末・来週末と土曜日仕事ですので、申し訳ありませんが積んでおいてください。
きのこは探しませんでした(´;Д;`) 》







秋の準備

2021/09/11 SAT くもり
oyama nak-f & s tomi-k & m migita yama seki = 8 persons


(今回は頭領が体のメンテナンス休業ということで新入りのya-taroが代わりに書きます)

■小屋の掃除




これから秋にあるいくつかの作業や企画の拠点となる丸太小屋、いやログハウスを掃除しました。 外まわりは刈り払いと落ち葉の移動、中は片付けと窓拭き、さらに煙突掃除、あとはテラス掃除。 もともとそんなに汚れていたというわけではなかったので、雑談のほうが長かったかもね。

■きのこ採り




 

午後は大島山林に戻ってきのこ採り。 きのこを見つけてはoyama先生に食えるか食えないかの判断を仰ぐ。 そもそも「ぼりぼり」なるものがたくさん採れるだろうという想定のもとでの「きのこ採り」でしたが、どちらかと言うと「きのこ探し」になり、終わって戻ってテーブルに並べて品評会しても、また次回に期待だねという結論。
ま、相手は自然ですから。

我々がきのこを求めてぶらぶらさまよっている間も、ヤードのすみではいつもの通り薪割り作業も進んでいました。


*管理人後記
 9/8 に人工股関節全置換手術を受けたため、先週は参加できませんでした。いや、当分、山仕事は無理かもしれない状況ですが、「たより」の空いた隙間は ya-taro さんがフォロー&バックアップしてくれました。うれしいことに届いたのはテキストのレポートだけでなく、画像を張りこんだフルスケールの html ファイルでした。おー、さすがー!

これでいつでも引退に一歩近づいた!(笑い いえ、冗談ではないんです。コモンズという土地利用の仕組み、権利と義務を踏まえたうえで、土地所有者が広大な林を任せるに足る能力・資格、これからの見通し、そんな状況説明が求められています。英知を集め乗り越えられたらホンモノなんですが、そこはそう簡単ではありません。

そのカギはコモンズに関わろうとする動機。勇払原野の雑木林、ここの自然の多様性がとことん好きだ、という原点。3番目あたりに、薪の自賄い、という順序でしょうか。

複合的な里山の雑事の集合

2021/09/04 SAT 晴れ 21℃
abe-aki abe-e oyama kusa nak-f & s tomi-k & m yama migita wada + supporter 2 = 13 persons

■裏山的な雑事





それにしても里山、裏山を維持するための雑事は多い。一人二役ほどをうけもちつつ、(左上から)薪棚用のパレットの連結と防腐剤塗り、エアブラシによるチェンソーのエアフィルター掃除(昼休み)、薪割り、薪小屋増設用の杭の焼き入れ、などが進められた。

このほか、いつもの薪積みと丸太の玉切りをする人、ヤード管理の段取りで図面を書きつつ歩き回る人など。



それでも日が少し陰り出すころ、恐らく今年最後になるだろうアイスの休憩(上左)が入り、前後して秋の山菜「きのこ」の採集と食毒判別。通常の食用としてボリボリ(ナラタケ)とハタケシメジが出てきた。林の中はやはり蚊が多いとのことだった。

■体験作業



苫東コモンズの取り組みに関心を持たれた地元企業の方が、体験作業のため来訪。大島山林のフットパスを軽トラで案内後、平木沼緑地の小屋と育林コンペも、説明のために往復。

戻ってから薪棚を一つ作ってもらった。事前説明の行き違いで、まず両端のエンドの井桁組みから始まったようだ。しかし、結果オーライ、揺れない堅固な薪棚ができた。キノコの収穫も非日常の経験のようで、Sさんの周りに笑いが飛び交った。


とうとう蚊が出てきた

2021/09/01 wed 晴れ&にわか雨 26℃
solo-work

■気になった STIHL 192 の煙の原因


8/21 の作業で、ドロノキの太枝を玉切りしている際に、チェンソーの排気から青い煙が出てきたのが気になった。機種はnaka-f さんが当初使っていた STIHL の192 で、このチェンソーはその頃も、遠くから一度、煙を出していたのを見たことがある。

いずれ原因を調べる必要があったので、いくつかネット検索してみると、原因として考えられるのは、①チェーンブレーキの掛けっぱなし、②エアクリーナー、③古いガソリン、などだった。①と③はこの際当てはまらず、基本的で初歩的な②が残っていた。初めてカバーを外してみると、何と、フィルターが細かいオガクズでコンモリと覆われていた。

これで解決するかまだ良くわからないが、エンジンをかけてみると1,2分の間は少なくても煙は出なかった。安易に「はせがわ」さんに相談などしなくて本当によかった。(-_-;) メカ音痴であることを暴露してしまい、笑われるところだった。共用する一台だったせいもあり、我が事としてまじめに手にすることはなかったのも一因だが、安全のためにも、もっとこまめにすぐ見ておくべきだった、と反省した。

こうして薪小屋の前で分解しているわたしの周りに、今日は結構、蚊が寄ってきて数か所を刺されてしまった。あたりを赤トンボが飛び交い始めているのでドンドン食べてくれたらいいが、嫌な季節になった。新緑からずっと蚊のいないシーズンだと喜んでいても、たいてい9月の声を聞いた途端、こうして蚊が発生するものだ。蚊だって必至、いや必死だ。

同行した家人は長袖だったからキノコ探しもありえたけれども、そんな訳で勝手に戦意喪失して現場を離れてしまった。これからのキノコ採りが思いやられる・・・。


硫酸山を訪ねて

2021/08/28 SAT 晴れ 27℃
oyama kuri kusa tomi-k&m naka-m&s migita seki = 9 persons
guide 3 assistant & supporter 6 total 18

■蘭越町の「硫酸山の森を育てる会」


今年の森づくり研修は蘭越町の硫酸山でスタートした。土砂採掘跡の岩石成分が空気に触れると硫酸に変わるという特殊土壌(パイライト)を、コツコツと植生を呼び込んで見違えるような緑に代えている下島亘さんと、仲間たちのフィールド。跡地の北側に隣接するトドマツ林とセットで見せていただいた。

22ヘクタールとは思えない空間の広さを感じさせ、植生の遷移とか植生復元に関心のある人には必見の場所と言える。ある方はブログで、下島さんの取り組みを「プロジェクトX」クラスと評していたのもうなづける。

タネから苗木を作って、堆肥を用意してその塊りに苗木を植えていったあたりは、『木を植えた人』そのものだ。個人的な思いを聞くと、なにか表だった派手な意図など初めからなくて、コツコツ、まったくのゼロから育てるのが楽しみになっていたという。深く共感、共有するところだ。


植生が根付いたあたりで、木々の間を縫って歩く。  育った苗木の生い立ちを語る下島さん(右)。

■トドマツ林のキノコ

このフィールドの協力者で、キノコと植生についてガイドしてくれたのが、キノコアドバイザーで森林インストラクターの中嶋潔さん。中嶋さんは、トドマツ林が極めて多くの共生菌の優れた棲み処であると明言し、ここのトドマツ林で実に多くの種を紹介してくれた。あれほど種名を述べながら、「ん~、わかりません」も結構連発されたことに、感動しびっくりした人もいた。

わたしたちの身の回りのトドマツ林は、どちらかというとキノコに乏しい印象だから、このバラエティにはちょっと驚いた。わたしたちの見慣れたトドマツ林は、造林後の下刈りを終えてからは、落ちた針葉が積み重なってシンプルな植生だが、硫酸山の上部のここは、下島さんがササ刈りをしたりしてほどよく攪乱されていることも関係しているようだ。

ここのトドマツ林は、木材生産などはあきらめたような荒れた造林放棄地の様相だが、優れたガイドの翻訳で、目の前の荒れた林を宝の山のステージとして意味を与えてくれている。キノコ好きの人も、特に関心のなかった人も、どれどれ、と見入ってしまう光景はマジックのようだ。

ただ考えてみると、不要な木材を朽ちさせるのはいつもどこも菌たちだから、更新、再生する林には大なり小なりキノコの類はいるはずだ。自分の里山のようによく出向いて歩き、ありかを頭にインプットしているかどうか、それも詳しいキノコ観察に不可欠のようにお見受けした。

見方を替えれば、フィールドが広すぎると、そこがおろそかになりかねない。あくまで、自分の里山のように歩く、マイ・里山、ここが肝心なようだ、と改めて気付かされた。


トドマツ林にて。

キノコの勉強会も無事終えて。たっぷり2時間を要した。

■ブナとカツラの人工林

午後の視察は倶知安に場所を代えて、ブナとカツラの人工林を、女性の Iga さんにガイドして下さった。最初に案内されたソスケの森のブナは、明治45年に試験的に植えられた10数種のひとつ。

面積はわずか800平米だが、樹齢は100年余りで、ヘクタール当たり蓄積は約750立米。

ブナはしばしば評価の分かれる樹種で、今でこそブナ植生と言えば生態系として正目置かれるが、昔は全く顧みられなかったものだ。

苫東コモンズになじみのミズナラやコナラとはドングリのなる同じブナ科で、薪としてのカロリーは、カバやニレやクルミなどより、ナラに近い。長野や月山、白神山地、道内では狩場山のブナ純林は本当に美しい。

左はカツラの萌芽。右、カツラ人工林。

次はカツラの人工林を見せてもらった。阿寒などで自然のカツラを見慣れた人は地際からたくさんの更新の枝を生やしたものを連想するが、ここは極めて通直な、太いものは直径50cm近いものだ。ヘクタール500立米の蓄積とされる。

真狩の樹木園のカツラ並木も、ひたすら通直であったし、大島山林のドロノキの前後にあるカツラもそうである。旺盛に成長を続ける間は通直だが、朽ちて子孫を残すべき段になると、写真左のように、少しずつ萌芽枝を身にまとうようになるのだろうか。それともミズナラの苗木づくりのように、実生苗を一度切断して出るシュートを利用し直幹性を出すのだろうか。

■大木に原始の名残を嗅いだ頃

いわゆる自然形のカツラの大木は実はさほど珍しくなく(乙部町の夫婦カツラなど)、道内各地で見ることができるが、50年近く前、札幌近郊の木挽き沢の源頭近くで見たカツラは阿寒などとあまり遜色がない大木だったという記憶がある。

何といってもわたしのカツラ大木の鮮明な記憶は、阿寒湖の中にある島の一つだった。直径が2m以上もある萌芽をたくさん周りに従えた大木ばかりのカツラの島だった。当時わたしは林学科の研究生で、五十嵐恒夫先生の調査の手伝いで、1週間ほど、一帯で植生調査をしたのだった。

またチウルイ島だったかでは、イチイの純林を見た。直径が1mもあるイチイがゾロゾロとあった。湖岸にはマリモがウヨウヨ押し寄せている状態、だったかは確認できなかったが、伐採歴のない、本当の北海道の原始林というものを見せてもらった。そのあと、伐られた、という噂も聞いたような気がするが、判然としない。

北海道の知床など、本当は釣ってはいけない川でイワナなどを釣って食した経験などを含め、観光がブームになる前後、自然保護運動や保全がうるさくなり始める時代に、人知れず、手つかずの北海道を見て歩いて釣っていろいろ原始を体験できたことも、意外と発想や感性の土台になっているようで、勝手にありがたがっている。半分はアソビだったが、血肉になっているのは罪滅ぼしのようである。

すっかり余談になってしまった。研修はこのあと、森の幼稚園に提供されている民有林を見せてもらって終了。ガイドして下さった Iga さんに感謝のお見送りをした。

■コロナ禍の山仕事

苫東コモンズの現地と同様、世間では緊急事態の再宣言下で、おしなべて自粛に向かっているさなか、地方に住む山の人はいつも通り、粛々と山に向きあう日々を送ってきて、この構図はまたしばらく続くだろうと思う。

ただ、遠浅の林と同様、現地で迎える方はいつも welcome 、問題は密にならざるを得ない大きな都市の生活者だ。そこには常に割り切れなさが残る。にわかに要請されたルールでも守るのが正しいという、いわばポリティカル・コレクトネスのような正義の顔もしている。観光もそうだが、心配なら地方に来ない、行かない、そこに尽きるのではないか。

個人的には、その境界を見極めて気持ちは果敢に攻めることに努めてきたコロナ禍だった。こっそりだが、道内外、気を付けて念願の旅をする道を選んできた。そこでみた宿泊業の方々の徹底ぶりには実に頭が下がる思いがした。どうも理不尽な扱い、現状にも思える。このブログを書いている夕方、支笏湖の丸駒温泉が破産宣告したというニュースを聞いた。

*研修後の雑感  
今回の研修は昨年から「薪と原子力」という、わたしたちの保育間伐と薪生産を、エネルギーの観点から再考してみようという狙いだった。が、折からのコロナ問題で、原子力センターは急遽閉館になり、宿も日程も再三キャンセルを余儀なくされて、今回は4回目の正直だった。帰途、薪ストーブ屋さんに寄ってみたが、やはり閉じたままだった。なにか、すっかり調子が狂って無駄骨を折って来た徒労感がある。

しかし、貴重な土曜日に、わたしたちの小さなグループの訪問を快く受けて下さり、案内をしてくれたみなさんの熱がそれをすっかり融かしてくれた。地域で真摯にコツコツと意味のある活動はできるのだという、メッセージでもある。

ただ、この間、本当に薪や雑木林保育をCO2など環境問題と結びつけて考えるなら、会友の船木幹也さんを講師にする集いを、改めて開催すべきと思うようになった。氏の文明論を読まれた方は恐らく限られた人だけだと思うけれども、実に大切な見方を提示されている。

本当に身近な方でもある船木さんから、できればワインでも飲みながら、薪ストーブから見たエネルギーと現代の生活論などを伺い、各々の林のある生活と、苫東コモンズの次の活動の視点に思いをいたしたい気がする。




2021年度後半の山仕事開始

2021/08/21 sat 曇り 24℃
abe-e oyama kai kuri kusa tomi-k&m migita wada yama seki = 11 persons

■薪棚の様式改善




7月31日の酷暑の中、搬入した18個のパレットについて、出っ張った釘をハンマーで打ち込んで材にめり込ませて一応使える状態にした。そののち、折角だから、防腐処理もしようということになり、abe-e さんが家で使った材料を持ち込んで塗布。脇で、yama さんがこのパレットに実際に薪を載せたのが右の写真(未完)。

これが実に安定して按配がいい。これなら簡単には倒れそうにないし、地面と薪が離れるので乾燥に良く、最下段の薪も汚れない。挙句、土台に隙間があるからシートはロープで縛ることができる。

パレットの幅は丁度70cmで薪を2列に積める。通常は長さが250cmなので、パレットを3等分したものを付け足して使用した。



薪小屋の薪積み(2人)、薪小屋増設作業(1人)、薪割り(2人)は、粛々と進められた。

■世代交代へ一歩踏み出す

理事会では、昨年から少し本腰を入れて世代交代を話題にしていて、昨年は設立10周年を契機に事務作業の大幅軽減と、会友制導入を図った。結果、会員は約70名から20名にダウンし、昨年11月以降は新規入会者を条件付きとし、できるだけ増やさない方向で進めている。この春には、業務分担表のたたき台を公表し、徐々に検討に入っている。

ここへきて、事務局あるいはマネージャー的に動いているわたしが、人工股関節の手術をすることにしたため、現在以上に個人的稼働を自粛することにした。だから否応なく、雑事のさらなる移譲に拍車がかかることになった。これもいい機会だと割り切るのも方法だ、という囁きが聞こえる。

ちなみに薪小屋、テントなど施設はすでにoyama さんが、刈り払い機、薪割り機、チェンソーなど資機材の管理はtomi-k さんが担ってそれぞれこれまでどおり精力的に進められている。今日は、yama さんが薪棚パレットをセットしてくれたのをきっかけに、薪ヤードの現状を詳しく話をした。棚の並べ方、丸太の搬入経路と置き場、売れた棚と売れ残りなどを問わず語りに告げている間に、なりゆきで「もし良かったら、薪ヤード管理を担当してくれない?」と持ちかけたところ、承知してくれた。

ここのところ研修旅行で研修先のアポなどを積極的にサポートしてくれているkuri ちゃんには、今年も含めて研修の担当者になってもらうことにして、これも依頼を受けてくれた。

また、10/30 に予定しているチェンソースキルアップ研修のコーディネート、進行はすでにabe-e さんのアポをとっていたところ、今朝、早々に内容のメモが提案された。abe-e さんはかねてチェンソー講習の講師を務めていた技術顧問abe-b さんの実弟だ。

こうやって、すでに動き出していたり、芽が見えるところを伸ばしていくと、案外、世代交代は進むかも、と思うようになった。ニュースレターやホームページによる広報、あと当面の理事会と総会と会計、対外的な事業報告書などを当方が担うだけになれば、大きな前進だ。

最も大きな命題は、「コモンズの運営」という目に見えない世界である。これは土地所有者との信頼関係の醸成だから、すこし長い目で引き継げればよいが、コモンズという土地の所有と利活用は、これからの時代の地域運営にも関わってきそうな仕組みなので、是非、上手に回して次世代、次々世代に手渡せないものだろうか。というのが偽りのない気持ちである。

これが結構微妙な綱渡り、というのも本音の気持ちであり、この仕組みは不誠実な行為で簡単に壊れやすいのは周りでよく見てきた。わたしたちのコモンズというのは実は「使用貸借契約」の一種で、時に一方的に破棄されることもある。だから気を付けて誠意をもって取り組まないといけない、と常日頃から自戒しているところ。

■新しい林のオーナーを表示


訂正=yamoto→yamamoto

苫東コモンズを特徴づける活動の一つが、地味な「育林コンペ」である。まだピンと来ている人はいないが、ここで2日も除間伐の山仕事をすれば、薪ストーブ一年分の薪が生産できる。

この手応えを実感できると、薪ストーブライフはすごく楽になる。もちろん、枝を片づけたり、搬出したり割ったりする仕事は3,4日かかるにしても、「わずか」それだけで保証されるのはすごいことではないか。しかも、林は人の手がかかって美しくなるのである。

昨年来の新人各位に打診したら、全員、エントリーしたいという。それを受けて小さな緑の所有者表示板を用意して打ち込んできた。

わたしのところは、育林コンペのエリアで最も密度の高い場所なので、4人を貼り付けることにした。みなさん、現役の勤めを持っているので、恐らく使うのは当面わたしだけかもしれないが・・。




ドロノキを燃やす

2021/08/17 tue 曇り 19℃
solo-work

■その後、ドロノキはどうなったか?



この春は、届けられた丸太の中に多くのドロノキが含まれているとの見立てから、その扱いを思案しました。使い切れない量なので、とりあえず、薪にしよう、玉切りするためにはまず丸太に付着した泥を落とそう、ドロノキの薪は35cmの丸太で安くさばこう・・・、などの方向性が出ました。

そして、夏のキャンプや焚火用に商品化してホームセンターで販売しよう、との案もでて、薪の束を作っておいて、事務局のわたしは方やで店舗の販売状況を見て歩きました。で、時期、スデニ遅シ!

平行して、ドロノキがどの程度の速さで乾燥するのか、夏まで間に合うのか、なども調べたり気を揉んだりしている間にキャンプシーズンは終わっていたわけです。(-_-;)

ただ、1辺3,4cmに割った薪の束の重量については、ナラ、ニレとともに計4回測定し、その結果を単純にが上のグラフです。割った初日の重量を100としました。

ドロノキの含水率低下が最も著しく、1か月で3分の一の水分が抜けてその後はほぼ横ばいでした。今日、その含水率を見ると、9%から20%とまちまちで、平均は14%ですから、薪としても焚き付けとしても十分乾燥しています。

これを薪ストーブ内で燃やしてみました。火付きは抜群によく、熱量も十分ですが、ただ火持ちが良くはありません。焚き付けに使って、早々にオキを作る、というあたりに一番適性がありそうです。したがって、この春に試作したドロノキの割り薪は、作業テントの焚き付けに回すことにし、今週搬入します。

この日は試作してもらった薪束全部の重さを図るべく出向いたのですが、なんと、薪に ボールペンで書いたデータのメモがすべて消えていました。

■雑木林の夏の「快」



林内は全く蚊がおらず、静かにそよ風が吹いて、快適そのもの。シカの食害試験地は、伸びるスピードのトップが逆転し、今はタラノキが高さ4m以上になっています。当初は、コブシが優先し、去年あたりからシラカバが増えて、一見、シラカバ林になろうとしているかに見えます。その中で、ナラの萌芽枝と実生が奮闘していますが、実生はいずれ被圧されて消えるのでしょう。



シンボルツリーのドロノキが再び、大枝を落としました。左の写真の左の太枝が6月4日の大風、右は今月になってから落下した模様。直径が30cm近いので相当の重量で、池のヘリの金網を直撃しました。

落葉広葉樹は、隣の木の枝と触れ合って枯れ始めた枝を、突如、見捨てるように落とします。察するところ、枝の重量を支える組織は、枝先の葉の光合成によって支えられている、と考えればもっともなことです。こうしてどんどん、自ら枝を切り捨てていくようです。


雑木林の不思議



静川の小屋は雑草の繁茂も見苦しいほどでなく、小屋に棲むアオダイショウのミドリちゃん、あるいはその後継が、酷暑を満喫したはず。ベランダや階段に、彼ら特有のフンの跡からしのばれました。

テラスの上にはクワガタの死骸、それも頭角と羽のみ。ざっと数えただけで13。なぜ、クワガタがテラスに集まるのか、それとも何かが運んでくるのか、そして残骸はなぜ頭だけか。わたしの想像ではこれもまた、ヘビ君の仕業かと思います。丁寧にお腹のゼリー状のタンパク質だけ食べるのでしょう。

小屋の中が、一時、蛾の羽だけが残され胸部腹部(アブドメン)はきれいに無くなって、ヘビの抜け殻とフンでにぎわったことを思い出します。そして小屋の内外で春から秋まで合計7本の抜け殻が見つかったのでした。

コミュニティ調達


2021/07/31 sat 快晴 30℃
kusa tomik wada = 3 persons

ローカルコモンズの得意技「コミュニティ調達」

先週、刈り払いを一段落して夏休み宣言をしたところへ、薪棚づくりに役立ちそうな木材、特にパレット材などの提供のオファーがあった。急遽、掲示板とメールで参加を呼びかけたが甲斐なく、仲介のwada さんと、朝から薪積みをしていたtomik さん、それとわたしの3人で炎天下の作業をすることになった。

提供者のTさんもリフト車で積み込みを手伝ってくれた。材は、米国から送られてくる大型農機具(北海道酪農の故郷、遠浅らしい)の梱包材で、2×4や2×6、2×8の北洋材に、どうも南洋材も交じっている。

薪小屋などの材料調達にホームセンターによく行く方としては、その廃材の山は「宝の山」に見える。先方にとっては、産廃業者に有償で引き取ってもらう代物で、引き取り前に声をかけてくれたもの。だから、いつまでもほおっておくわけにはいかない。善は急げ、だ。

こんな提供が人づてに届く環境は地域のコモンズ利用には特有のもので、コミュニティ内ではそのお返しとしてなにか手間を提供したり、困った時のお世話に出向いたりするのである。いわば、GDPには現れない「貸し借り」の世界だ。

薪だって、会員の善意の提供によってほぼ平等に配分されるが、お金に換算すればおろそかにできない貨幣価値になる。

気温は30℃を超える中、お借りした1トン車に、パレットを18個、端材は1台分、合計4往復した。梱包材だから釘が出ているので、利用する前に、サンダーで切り取るか、ハンマーで打ち付ける必要がある。休み明けの仕事だ。

■開拓時代をしのばせるコナラ

 

作業の合間にふと気づいた、敷地境界の大木はコナラだ。直径70~80cmの、いわゆる暴れ木のように威風堂々とした一本。付近にはカシワの木も散在していたので、100年以上前の開拓時代をしのばせた。

一帯は、雪印乳業の創立に関係の深い黒沢酉蔵氏ゆかりの地で、その関係で酪農学園の演習農場や雪印の受精卵研究所もそばにある。往時の出来事と森羅万象を結び付けて、風土理解は進む。このパイオニア(開拓)らしい勇払原野の輝く素顔である。

実は4月24日も、ここで牧場区画の処分丸太を軽トラック2,3台頂いた。その時は、ハルニレが多く、この時初めて、ニレがいかに割りにくいものであるか、体感することができた。



フットパスを刈り終えて夏休みへ

2021/07/24 sat 晴れ 26℃
abe-aki abe-e kawamura kurita kusa tom-k&m naka-f&s migita wada ya-tarow seki = 13 persons


■フットパスの1回目の刈り払いをほぼ一段落





はじめて戸外の刈り払い機を使う二人に、tomik さんが軽く手ほどきをして間もなく、合計5人が連れ立って刈り残されたフットパスに向かった。午後からも残ったルートを分散して刈り、かつフットパスのサインの補修などしながら、午後3時前に予定した作業が終わった。道ばたでは、大ぶりのイグチのようなものをいくつか見かけた。秋、近し、と感じる。

苫東コモンズの刈り払いデビューを果した新人らは「意外と楽しい」という。蚊がいなくて暑さも過酷ではなかったのが良かった。

打ち上げのためのアイスを用意して、テント前のテーブルで1回目完了の「打ち上げ」。一度仕上げておけば、もしも2回目を刈れなくても、紅葉の散策に支障にならず冬のフットパスにも繋がる。

来週 7/31 の野外作業はチェンソーによる玉切りに絞られるが、この暑さの中のチェンソーは作業は「苦役」になり、コモンズの流儀に似合わないので、tomik 理事と相談して来週から8/14までの3週は夏休みにして合同の作業は休みとなった。


■もう、この冬の焚き付けの準備に入る



nakaf さん夫妻は午後から休んで、この冬の焚き付け集めに取り組んだ。段ボール15個ほどに、間伐の際に整理した細枝を集めるのだ。わたしは散会後、薪割りでできる木端を、ヤードにかがんで拾った。ヤードの掃除になるし、焚き付けとしては好材料だ。10分ほどで30リットルほどが集まった。林の手入れとは、放置すると腐るものを現場から引き出して、熱にするという「掃除作業」に他ならない。

初夏を過ぎ、もう夏本番に入った北海道だが、太平洋岸は4時過ぎにはもう涼しい。刈り払いが済んだ広場の光線は、かくも清々しい。ひとりチェアリングで、しばし無念無想の時間を過ごす。



ドロノキとナラ、再考

2021/07/22 THU 曇り 24℃
solo-work

*何故、しつこく区別するかと問われます。それは、薪材としては火力のあるナラと、すぐ燃え尽きるドロでは格段の差があるから。畏れ多くも他人さまにも薪を分けることのある立場として、ほどほどのクオリティの薪を作るには、ほぼ均等に混ぜておく必要がある訳です。そのためには、一応、両者の区分け方法を共有した方がいい・・・。

納得行くまで足と手を動かす




7/17 のハスカップ摘みの帰りに、搬入された丸太の伐採地に出かけてヤブを歩いてみた。葉っぱと樹皮の関係を再確認するためだ。というのも、

①ドロノキは直径30cm以上の大径木になると、樹皮が割れてハリギリのようになる
②コナラの素直で若い個体は、ドロノキのようにすべすべ肌になる

という二つの理由で、あれっと思うことがあるからだ。上左はドロノキの大径木から滑らかな地上4,5mに至る途中の肌で、これに似たコナラはよくある。右はハリギリのようにごつごつしたコナラ。



左上の写真は、中央下の長材がドロノキ、その上に重なっているのはコナラである。現場のヤードではこれらが混然と積まれている。

それで似通って見える丸太を選んで並べたのが上右。3つのうち、左の一つだけがナラ(ミズナラ)である。

■木口で年輪を見る



樹皮を見た目だけに頼れば、急いで振り分けている中には誤認することもあると思い、木口に目を向けてみた。木口には当然年輪があるが、年輪幅は成長の履歴が明確に出る。案の定、ドロノキとナラを並べると樹皮よりはくっきりと差が出ている。そもそも、ドロノキは成長期には1年で1m以上も伸び、それが年輪に如実に表れる。

ここのドロノキの年輪は平均4~5ミリ、最大では6ミリもある。一方のナラはそんな風にはならず、コンスタントに2~3ミリ程度である。

心材と辺材の色の差は、ドロノキは余りない場合もあるが、腐れが入る前などはどうも黒ずんでくるようだ。ナラは通常、心材が濃い茶褐色を帯び、力学的に樹木を支える固さが、リグニンの蓄積によって出てくるとされる。黒はリグニンの色である。ちなみに製紙会社はこのリグニンを集めた黒液を燃やし、発電に使うようだ。

ただ、成長の良いナラなどではリグニンの沈着が少ないと言われ、心材が明確にわからない時もあるようだ。ここのナラは、心材と辺材の色が逆だった。大島山林のナラに見られる通り、通常はナラは心材が黒っぽいのだ。

近隣のシイタケ栽培にあたっては、この固い心材がシイタケ菌の周りが遅いので、心材の多いコナラより、辺材が多いミズナラが好まれる。

■識別に有力な「におい」

意外にももっと明確な差は、割った断面から揮発する「におい」だった。ナラはあの、大人のにおい、ドロはかすかだがどちらかというと生臭いにおいを発する。樹木を識別するのに、学生などは葉っぱや樹形を頼りにするが、冬の山仕事のヤマゴさんは樹皮や枝ぶりで直感し、製材屋さんは、板目の模様や木口で判断すると言われる。

そこに「におい」が加わると確実になる。ナラを始め、コブシやエンジュ、ホオノキ、モミジなども思い出される独特の「におい」がある。


ハスカップ摘みとドロノキ

2021/07/17 sat 晴れ 29℃
会員と家族、関係者 39名

■貧果とごほうび




苫東コモンズの初夏恒例のハスカップ摘み。苫東会社の栽培地でハスカップを特別に摘ませてもらうもので、例年、7月15日前後にかなりの収穫を可能にしてきました。それだけ植えられている本数が多いのです。その数、ざっと2万本。

ところが今年は、もうすでに熟し過ぎて実を落とし、残っている果実も触っただけで落ちたりつぶれたりで、早々に収穫を諦めた方もいました。それでも、収穫の量はともかく初めての収穫を満喫して帰られた方も少なくなかったようです。

参加者の多くは、ハスカップが季節の気象に左右されることは百も承知だから、早々に、普段は時間のない近況の情報交換を始めたり、久々の邂逅を楽しむ場に切り替えたりで、40名近い全員が現場を後にしたのは3時過ぎでした。

今日はTOYOTAのOさんが見えたので、oyama、tomik の両理事とともに苫東コモンズや勇払原野の話から、苫小牧の立地環境、まちづくりなどにわたって幅広く懇談。

■コナラの樹皮を現場に確かめる

今年入手した、勇払川沿いに自生していた広葉樹の丸太に、極めてドロノキに近い樹皮をしたコナラのようなものがあるので、ハスカップ摘みの散会後、確認のために伐採の現場に立ち寄り「コナラ」の木を探してみました。「ここには変わった樹皮のコナラが自生しているのか?」。

やはり、大木はドロノキが多く、しかも「コナラのような樹皮のドロノキ」はありません。わたしが慣れ親しんだドロノキの樹皮は、老木はハリギリに似てきて縦に断裂しますが、上部の幹はポプラやヤマナラシのようにヌペーとします。

一方、「ドロノキのような樹皮をしたコナラ」はあるかというと、そこはいずれも歴然としたコナラ樹皮。見間違うコナラはありませんでした。ということはわたしが一見してドロノキのように見えるものはドロノキ・・・ということになります。普通なら、丸太断面をみれば一目瞭然のはずが、、、。


わたしの見立てでは、上2枚はドロノキ。右の幹は元の方が割れ始めて上部はドロノキ特有の樹皮。
芯が腐れ始めている。


左の写真は、真ん中正面は不明だが、右、左、そして下はドロノキ。右の写真、鉄筋の中は割ってみたドロノキ大径木で、樹皮がすでに割れている。そして割と割りにくい。


ちょっと立ち止まってしまう微妙なのが上の写真。右はコナラ独特の黒褐色の心材がないから、コナラではない、と見たが、割ってみてもう一度考えてみよう。

割ったのちにみるみる乾燥して軽くなってしまえばドロノキ・・・。そうなる前に判別したいもの。(-_-;)


いよいよ「薪づくり2021」へ

2021/07/10 sat 曇り 18℃
abe-e abe-aki oyama kai kusa kawamura naka-f tomi-k & m migita seki + ya-tarow = 12 persons

薪の精算終えて「雑木薪2021」へ




6月末日でほぼ前シーズンの間伐材の薪割りを終え、稼働日数に応じた引き取りの報告(精算)も終わった。それで今日から2023年度分譲の薪生産に本格的に着手した。migita-seki ラインの向こうには、玉切りした丸太が見える(写真左)。

相手にしている丸太の山が、搬入当初、一見、ドロノキが多く含まれているようだったため、これまで勇払原野ブランド「雑木薪」と区別して「ドロ薪」と呼んだものである。しかし、丸太をほぐして玉切りを始めると、ドロノキの混入率は意外に少なくてナラの割合はブランド薪とあまり大差ないことがわかったため、今後は「雑木薪」と一括して呼ぶこととした。

それにしても不思議なのは樹皮である。ドロノキ中径木に特徴的な、ヌメッとした樹皮のものが、木口を見ればナラなのである。本当のドロノキはいまのところ、ほとんどに芯腐れのあるごく一部のようであり、ドロノキが圧倒的に多かったのはごく初期に丸太で分譲した4つか5つのユニット約2~3立方mだけだった可能性がある。いまとなってはうれしい誤算だ。


一方、薪小屋増設の準備も本格化し、針葉樹の皮むきをほぼ終え、支柱や横材の加工に入った(写真上右)。

簡易トイレもいよいよ部材の調達が始まった。戸板方式からティピー方式に変更し、水洗の水代わりに落ち葉で分解させるため、Leaf-Let の2号機となる。写真は仕上がり予想だが、四角錐のため支柱を地面に埋める必要はないかもしれない。










■体験入会で

江別在住で札幌勤務のYさんが、コモンズに興味を持ち見学と体験のため薪ヤードを訪問した。パンフや10年史やハスカップ本などを用意し、コモンズの活動や経過を、縦横斜めから簡単なガイダンスを行った。

彼は薪ストーブ2シーズン目に入るところで、昨シーズンは5立方の薪を購入し2立方を残したらしい。

わたしたちが、どれほど除間伐をして1年分の薪を手に入れているか、これはなかなか実践した人でないと感覚がわからないから、今回も、naka-f さんが昨年秋、伐倒レッスンでできた4本の成果(写真手前)を示して見せた。伐倒だけなら30分ほど、玉切りと枝片付けで2時間ほどか。

そして何時も、わたしの結論は、

①安全伐倒の腕を磨けば、1年分の約6立方mは5日ほどで丸太にし枝片付けも終わる
②夫婦で割って運ぶのに2日
③薪供給体制は驚くほど簡単に樹立できる

となる。ただ、この前提は、育林コンペや遠浅の高密フットパスのように、運材がしやすい場所であることが前提だ。そのために、スノモや軽トラが侵入できるアクセスを確保することが必要だ。さらにもうひとつ、高齢者でも扱えるよう、材が太すぎないこと(直径25cm以下)。

色々な話をしたついでに、シカの試験地も案内した。河川を中心にした土木のエンジニアとのことで、共通の話題も少なくなく、軽トラ巡回も含め説明は1時間余りで終了。折角なので午後は軽トラによる薪運びを手伝ってもらった。

■シンボルツリー・ドロノキの太枝が落ちるのを見ながら

ドロノキのふと枝がまた落ちた。下から順次枯れ落ちているが、今回は少し上の枝がどんでん返しで広場に横たわっていた。

このところの大風で林道は落ち枝だらけだが、こんなのに遭遇したら、ひとたまりもない。落下事故にはくれぐれも気を付ける必要あり。また、風のある日は林に入るのを止めるべきだ。

アイヌの人たちは林から燃料を得ていたという説を聞いたことがあるが、もしそうだとしたら、木は燃料として切ることはなくても身近な広葉樹林でこのような落ち枝を拾って乾燥させたのではないか。

そうであれば、確かに燃料の枝、柴には事欠かなかったはずだ。身近な広葉樹林は、彼らにとって電気や石炭・石油に相当するものだっただろう。広葉樹はそれほど枝を落とす。混んで枝先が触れ合った枝は「これ以上、生きて伸ばしても仕方がない」と、枝をどんどん枯らしていくのである。


「苫東コモンズの10年」への祝辞

2021/7/4 sun くもり


育林コンペにも参加し、NPOの設立前から交流のあった、間伐ボランティアの札幌ウッディーズさんから、2021年春号の広報紙「森林人通信」が送られてきました。組織だった活動と担い手育成などで、大先輩のこの会に、昨年「勇払原野・苫東コモンズの10年」をお送りした返礼として、高川勝さんが「森の本棚」のコーナーで、身に余る祝辞を寄せてくれました。以下、ご紹介します。

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勇払原野 苫東コモンズの10年
(特定非営利法人 苫東環境コモンズ)

苫東コモンズ誕生以来10年、その活動を網羅した一冊である。

多士済々といった趣のメンバーたちが樹と森に向き合った数々の思い出を語り、薪ストーブとともにある生活を楽し気に披瀝する。個人的には懐かしい方々との「再会」もあって殊更に感慨深い。

年に2~3度発刊される「~コモンズの現地から発信する~勇払原野のSPIRIT」と題するニュースレター(2ページ構成)の10年分。これが冊子の半分近くを占めて、そこに10年間の活動の一コマ一コマが、時の経過に埋もれることなく記憶される確かな手がかりとなるだろう。

巻末の、同コモンズ事務局長・草苅氏によるレポート「苫東コモンズの経過と展望」は、タイトルが示すようにコモンズの誕生から現在までを、そして未来を俯瞰する論考である。

同論考中の《10年のコモンズ林業(略)で見えてきた指針》には、「大木の雑木林にしてはいけない」「軽易な林の小径づくりがコモンズ林業の要諦」「高齢者でも活動できる作業環境」などとあり、我が山林でも・・・と感じ入ったところである。また、《薪ストーブ生活の起承転結》では、「美しい森林公園の創出と並んで薪の生産がコモンズ林業のゴールである」とも述べられている。自分で伐った樹を自宅の薪にする、薪の入手を望んで会員になる人がいる、生産した薪がコモンズの資金源となっている、等々を知り甚く納得する。

なお、本誌には同名タイトルのDVDが添付されていて、コモンズの作業風景、技術講習の様子などの映像が約25分間にわたって紹介されている。殊にも四季折々の、懐かしささえ覚えるような苫東の森林景観が心を打つ。

本誌の「あとがき」には、「コロナ後の生活スタイルが模索される今、この冊子には、雑木林の保育や新しい里山の創出・保全、そして薪のある暮らしにいざなうメッセージにあふれている・・・」とある。同感、納得!

*併せてのお薦めは草苅氏の
「雑木林&庭づくり研究室」。ほとんど日替わりで更新されていて、自然と向き合うこころ、木を生活に取り入れる知恵が惜しみなく開陳される。苫東コモンズの活動経過の紹介も。   (記 高川)

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先輩グループの大御所的な方にこのような賛辞を頂戴したことを励みに、さらに精進していきたいと誓いを新たにした次第です。ありがとうございました。


生き物の気配とともに

2021/07/03 sat 曇りのち晴れ 22℃
abe-e oyama kai kuri kusa tomik & m migita wada seki = 10 persons

■「動物王国」で生き物の気配を感じる

三重県松阪市にある松浦武四郎の博物館で、武四郎の涅槃図というものを見たことがあるが、これは彼がこうありたいとする理想の社会を描いたものらしく、図は横たわった武四郎の前に鳥獣が沢山親し気にたむろしていた。いわば共生の図である。図の鳥獣たちは北海道で見聞した生き物たちであろうと容易に想像させたが、時代は下った令和3年のこのごろも、その野生動物たちの気配や出会いに、その感を強くする。しかし、その緊張感が全く違う。

というのも、近頃は道内各地でヒグマが市街地に出没するのが珍しくなくなり、時に被害を与える異常な年になっているからかもしれない。わたしは密かに野生動物との共生の新しいステージに入ったような気がしている。高速道路や都市化という壁と、河川というオープンスペースが重要なコリドーとして浮かび上がってきた。

7/2の金曜日は、車で走行中にチュウヒの飛翔をみつけ、7/3の土曜日は、大島山林のフットパスを刈り払い中にこれまでになく大きな切り株の掘り返しを見つけた。徹底したその大きな残骸に、これはクマかな、と思ったほどだ。

場所を移した静川ではキツネが寄ってきてぶつかりそうだったし、小屋の前では、タヌキがきょとんとこちらを見届けたのち、一目散に逃げていった。キビタキが美しくさえずり、アオバトが歌う夏の雑木林である。その前日は、かつてのある遺族が寄贈してくれたイチイの木を見てくれと言われてつた森山林に出かけたが、幹の下部1.5m程をシカにきれいに食べられて枯れたものだとわかった。50年前の勇払原野は、これほど野生の気配が身近にあっただろうか。

その中心、動物王国「苫東」。いい意味でも悪い意味でも、これほど「気配」を感じることはなかった。

■共生と危険回避のための伐り透かしが一般化してきた

遠浅の薪ヤードでは、何時ものように各種の仕事が展開された。わざわざ特筆すべきこともないほど、ルーチン化しているのだが、敢えて言うならば、里の林を維持するために求められる雑用の多さだ。それを老若男女、コツコツとこなす日々。これは、この行為そのものが継続の動機になっているとしか考えられない。

薪の需要が高まっている昨今は想像もできないくらい、ここで山林の保育を始めた10数年前は、ただただ、萌芽再生林などの藪を切り開く毎日で、休職中の技術顧問abe-b さんなどとほとんどツル伐り除伐ばかりしていたような気がする。それでも材は出るので、勿体ないからとソリで運び出しみんなでマサカリで積んで、必要な方には分けて残った薪の山を、ある業者が見つけ「30万円で売ってくれ」という商談に発展したのだった。

今でも古いメンバーはなにか稼ぎのために山仕事をしている人はほとんど居らず、副産物の行方にはあまり熱心でない。ただ、山林の維持には意外にお金が必要で、とても年3,000円のわずかな会費で賄えるわけでもないから、せめて活動の必要経費とときたまの懇親会費ぐらいは出るようにしたい、とその需要と供給のバランスにのみ注目するのである。

話は戻って、野生動物、とくにヒグマとの出会いがしらの事故をなくすために林は藪を伐り透かし見通せる林にしようという動きが、近年、とても活発になっている。わたしたちはこれを当初から意識して作業をして来たが、これは人間が林を美しく感じる心理と同じであることは、つとに科学的に分析されていることだった。