放置すると異界に化ける森と人を考える

NO.120
2022/10/01

雑木林だより トップ
NPO苫東コモンズ トップ
雑木林&庭づくり研究室 home



ヨーロッパでは、人々の憩いの真ん中に森林を備えた公園のようなもの、例えば都市林というものがあり、市民が自由に行き来する。ドイツなどでは「森なしには生きられない」などという本があるくらいだ。

日本はそれとだいぶ事情が違う。結果として人と森林は、宣伝された緑(森林)信仰は蔓延したが頭でっかちのお題目だけで、実際は分断されたように見える。造園が施された人工の都市の公園あたりが関の山で、メディアなどがムードで描くものと程遠く森林と人の間は隔絶されているに近い。それは何故だろうか。

わたしはその一点にこだわりながら道内外、国内外の森林を見てきた。うすうす、その背景はわかりかけていたところに、先般、柳田国男の『山の人生』という論考を読んで膝を打った。古来、日本の山々は鬼や山姥の住む異界であり、罪人や精神を病んだ人、現実から逃避したい世間の不適応者の隠れ場、誰でも受け入れるアジールだったのである。そしてその背景には、放置すると繁茂して暗い闇をつくってしまう日本の風土があった。かいつまんで言えば、日本の森林はそのままでは人々に「快い」ものではないのである。そこでどうするか。いささか手のかかった自然、いわば「手自然」(糸井重里の傑出した造語)を目指すのである。




チームとしてのワーク=「林の手入れ」

2022/12/24 sat 曇り 1℃
abe-aki abe-e urabe oyama kawam kusa tomi-k naka-f&s wada ya-taro = 11 persons

令和4年仕事納めの日に作業が軌道に乗った

仕事納めの日。時間、体力、技術、知恵、寄付などの財力、等々、持ち寄りの態勢が少しずつ進化したこの一年を振り返りつつ、納めの日の作業模様を描いてみよう。山仕事が、表題のようなチームのワークに近づいてきていないか。

朝、薪ヤードの入口で、urabe さんの車とすれ違った。きっと彼はスノモの燃料を買い出しに行ってくれたのだろうと推測。よく気配りをしてくれることで定評のある彼は、これから需要の上がるチェンソー用の混合油もしっかり用意してくれた。先週、8か月ぶりにエンジンを始動したスノモを、ダイナモ10回の牽引で始動させて充電のため林を巡り、二つの土場へのアクセスの踏み固めを早々に済ませてくれた。
入口そばの除雪器具置き場ではすでにabe-aki さんが、器具取付のフックが今一つ納得がいかない、と取付直していた。

このごろは、山仕事に付随する色々な隠れた雑務がスルスルと動いている実感がある。昨年作った分担表などによらずとも、相互にカバーする体制になりつつある。まるでサッカーのチームのように相互に足りない部分をさりげなくカバーするのである。

設立当初のチャーターメンバーの代から次の世代への交代が少しずつ進む過程として大変喜ぶべきことだが、それを担う人たちは現役の社会人としてあるいは家族の大黒柱として最も忙しいはずの世代の人たちで、その方々がアフター5や週末などに地味な山の手入れの世話役をしてくれている訳である。



土場ではポータブルウインチを使って藪だしが本格化し、暫時、玉切りも行われ始めた。(上) abe-aki、tomi-k 、urabe、nak-f の4名がこれにあたった。着々と丸太が集まり出して、今季から時期を前倒しにして体制を態勢を変えた除間伐から薪生産への一連の作業が、ようやく本格軌道に乗り出したようだ。

別の土場でも、傾斜した危険で難しいナラの掛かり木処理(下写真左)のほか、これまで太目の伐採経験が少なかったabe-e さん、kawam さんが普通サイズの作業に入りつつあった。(下右)



一方、やや離れた池のそばでは、ya-taro さんがひとり孤高の伐採に励んでいた。特に、気になっていた枝折れの大木の枝を片づけてくれていたのには驚いた。実はもう5,6年前に幹折れした大木だったが、飛び地にあたるここの支障木を整理するチャンスもなく放置している間に、完全に枯れ、幹は洞になってしまっていた(下右の中央)。

このような枯れ木は、薪という生産性にこだわれば手間がかかって危険なだけで生産性がない、あるいは低いと直感して常人はパスするものだが、彼は気になっていたといい、人知れず黙々と片づけてくれたようだ。その配慮は得難く貴重なものに思われた。(下)



ヤマビルを見つける



雪景色になったためか、土場へ下る「コナラのフットパス」の沢みち右岸側の枯れ木と風倒木が妙に目立って見えた。わたしは予定を変更して朝からその処理に取り掛かることにした。ここの作業もまったく生産性に乏しい仕事だが、直径30cmもある倒木を処理しながら、皆伐するまで2回ほど抜き切りをしようという意味が証明される現場だ、と再認識した。みすみす枯らすのは本当にもったいない。手間暇かければ、貴重なエネルギーに変わる。林も次第に美しく変身し、人々が遊びに来るようになる・・・。

ここも少なくとも50年以上放置された萌芽再生林だが、この間少しずつ次第に朽ちて倒れ、腐るのだ。わたしたちの除間伐とは、腐るその10年ほど前から手を付け生きているうちに2度に分けて抜き切りして、心地よい雑木林風景を維持するのである。伐った材は放置すれば腐るだけだが、面倒な藪だしをして人力をメインに薪を作るのである。

そんな作業で移動しているさなか、今日は珍しいものに出会った。北海道にはいないと思っていたヤマビルである。枯れ木や洞をいじっていたせいなのだろうか、雪面に蜘蛛など昆虫が這い出して、挙句、こんな珍しいものが道ばたに蠢いていた。

子供のころ、川や沼や田んぼで、ヒルに血を吸われた経験のある人は少なくないが、あのチスイビルとかヌマビルと呼ばれるものは、実は定山渓の奥のダムではかなり発生しており、フライの仲間の間ではヒルの英語名「リーチ」と呼ぶフライが黒いマラブーなどの素材でつくられ用いられていた。




北欧の薪の蘊蓄、北国生活の経験の歴史


2022/12/22 thu マイナス3℃ 曇り

■名著『薪を焚く』を紐解く


 

「薪を焚くということが暖をとる以上のなにかであることを悟った日を、私はありありと思い出せる。・・・」という書き出しで始まるこの本(ラーシュ・ミッティング著・朝田千恵訳『薪を焚く』)は、わたしの周りの薪人(まきびと)にはかなり読まれている名著だ。開いてみるたびにヒントがあり、心に浮かぶ思いがある。

学生時代の山小屋の管理人を含めると、薪ストーブにかかわった年数は半世紀になるけれども、それは生活の中の薪ではなかった。それが生活の中の不可欠のライフラインに変わると、北欧の彼らのように薪を焚くというひとつの行為が、風土を科学する精神に裏付けられていたことを痛感するようになった。おそらく、北海道開拓150年の歴史は、温かく暮らすという生活文化に結晶するのが遅かったうえに、石炭や石油電気利用の暮らしに一足飛びに薪の時代を素通りしていたせいだろうか。わたしたちには我慢という精神文化が根強く、アメニティ/快適さ追求という望みは贅沢とみなされたからか。

しかし、だいぶ前から広葉樹林の保育を先行させつつ結果的にゆっくりと薪ストーブライフに軟着陸してみると、「薪はエコだ」「とにかく熱量の高い薪が欲しい」というような、いわば嗜好の域を超えて、身の回りの環境と自分の関わりのなかではじめて、薪が辛うじて生まれてくることに実感が伴うようになった。土地所有者との折り合いやコミュニティ的な生産の仕組みなど、社会との付き合い方や円満な人間関係も見過ごせないのである。

これらの点で、『薪を焚く』は北国生活の先輩格として、わたし(たち)に多くのアドバイスをしているようだ。今日開いたページ(上左)の写真の脚注にはこうある。「原木はあまりにも長く森に放置しないことー始めの頃に乾燥がうまく進まないと、カビやそのほかの菌類が発生し、のちに乾燥環境をよくしたところで、質の悪い薪になる・・・」、そしてそこには赤い太いペンで線が引かれている。これはここ何年か勇払原野の現場で繰り返し痛感してきたことだったからである。

こういう追体験を他の例に探すと、それは北海道人の山菜のレパートリーに似ているように思う。青森や岩手の人はキノコやほかの山菜についても選択眼が幅広く調理の経験も多様なような気がするのだ。そうこうしているうちに到達したわたしの気づきは、北海道の薪生活も山菜食も、風土を科学するという一点ではまだまだ開拓期にあるのではないかということだった。試みに、それを21世紀のフロンティアと小さな声で呼んでみると、まあまあ、明るく元気が出るような気がするから、我ながらおかしい。



雑木林の小屋に森づくりの文庫


2022/12/19 mon 曇り -3℃
kusa ya-taro

寄贈本を新しいオリジナル書棚に収める



このところ冷え込みが厳しく、静川の小屋の周りも積雪15cm、小屋の室温は-11℃、窓には霜の結晶が張りついていた。今日は、ya-taro さんが9月から取り掛かっていた書棚の据え付け。

これが素人の書棚とバカにしてはけない。最下段の設計図に基づき、ミリ単位で設計され、のみでしっかりほぞも切ってあるスグレモノだ。平日の月曜日、職場の年休を利用して、小屋で組み立てた。建具屋さんがよく持参している、制作物を傷つけない木工作業専用の古毛布をみて、これはかなりやってるな、と直感した。まさに建具屋さんの世界で、費やしてくれた時間も結構なものだと思う。



取り掛かって2時間近くして、いよいよ本を収めてみたところ、思いがけない森の文庫に早変わりした。本は、すでに置いてあった環境アセスや開発の資料などに、abe-b プロがこの夏に寄贈してくれた森と林業、そして伐倒技術などの大量の各種書籍が加わり埋まった。ツリークライミング関係も一通りある。

これから、わたしの書棚からももう読まなくなった森林系の本を移動させるつもりなので、小屋は充実のライブラリー空間になるかもしれない。小人数がテーブルやストーブを囲んで語る、注目のラーニング・コモンズも可能だ。一人静かに、薪ストーブを温めながら短い冬の一日を一人で過ごすには最適だ。



幸い、この夏に新設した窓もよく機能し、雪明りを十分に取り込んでいるから、かつては判読が難しかった本の背表紙も容易に判読できる。その他のガラクタも整理したら、益々アズマシイ小屋に変身してきた。9月17日の大掃除で、小屋(正式名称「tomatoh 雑木林ケアセンター」)の再生=re-birth が始まった感じだ。



ちなみに、本を整理していたら、小屋建設時の平成9年からの「雑木帳」が出てきた。いろいろな人が小屋に集うようになって満25年、現在は4冊目で、2022年の師走から、新しい1ページが始まりそうだ。

■育林コンペで選木基準のすり合わせ

実はこの日、書棚のほかに二つの要件があって、そのひとつは「まほろばコーズ」のトレースであったが、折からの雪で断念した。もうひとつは、雑木林保育の選木基準をもう一度レッスンすることだった。二人でわたしがオーナーになっているゾーンに足を運び、ya-taro さんが保育するエリアで、伐倒する木の見方を伝えつつ意見交換した。

小屋での昼食後は、わたしは「ささみちフットパス」沿いの風倒木を片づける予定だったが、あらためて選木の目で見直すと、随分抜き切りすべきものが目立って、車に戻りテープを持ち出してテーピングを始めた。3時前に再び小屋で合流し、室温が-11℃からやっとプラス20℃に達したところで、お茶を飲んで散会。



雪が降る前に


2022/12/17 sat 晴れ 0℃
abe-aki oyama kuri kusa tomi-k naka-f&s wada = 8 persons

■里山の風景を愛でる日

ひょっとして、今が雑木林のもっとも美しい頃合いではないだろうか。そう思いながら、午前一杯、もう一つの土場周辺で選木の作業をした。雪が降る前にあらかたの除間伐を終えておこうという今年からの算段はほぼ予定通り進んで、伐倒と、PWによる藪だしが並行した。写真は選木作業の周りの作業風景。




すでに選木されているものを、各人が黙々と伐倒し、藪だしに備えたり玉切りしたり、掛かり木を処理したり。土場B周辺の斜面の選木はoyama さんによって一応進められており、わたしは追加分として小高い尾根部分のカラマツと、やや曲りの多い広葉樹に黄色のテープをつけた。ここもこの冬だけでは終わらない量になった。oyama さんとわたしの選木の基準のようなものがうまくあっていて、追加がスルスルと進んだ。

ただ、この一帯はすぐそばに炭窯跡が3つ、4つあるところで、50年以上前に一二度抜き切りはされている気配がある。だから里山景観という点では程よい密度に近い。そこを若干補正というか、競合するものを抜くという程度にした。遠浅川からの風の吹き込みのせいか、曲がりくねった木が多いように感じる。





葉が落ちて裸木となった雑木林では雪が降る直前というのが、もっとも美しい素顔を見せるものだが、この日がちょうどその日に当たるのではないか、そんな思いで木々を見て歩くのは、格別だ。ひとりひとりが離れて、孤独を楽しむように仕事をしている風景も、実に良い。里山風景とは人と雑木林のコラボでもある。

わたしは午後、本来の「コナラのフットパス」に戻り、やりかけていたシラカバの枯損木を片づけた(写真最下段右)。あいにく、シラカバ風倒木は腐れが入っていて、すでに軽くなっていたが、全部捨てるのがもったいなくなって5分の1はなんとか薪サイズの35cmに玉切りして出してみた。夕方、tomi-k さんとも話したことだが、ボコボコでない限り多少腐れが入っても燃やそうよ、と所見が一致した。

ちなみにこのあたりは枯損が多く、眺めてみると、薪材の山より枯死木と小枝の集積の方が圧倒的に多いように見える。それらの枯損をさりげなく片づけておくのは、ちょっとした心の余裕のようなものか。その人の手がかかった風景が、放置林からようやく手自然に近づくかのように見えてとても好ましい。

雪に備える

12月に入ってからは少しずつ積雪期の準備を始めている。先日は、町内の排雪でヤードの入口を閉鎖されないよう、役場と立会し入口を明示して看板も立てた。

今日は、用意していた除雪器具を薪小屋の北はずれにセットした。abe-aki さんの作だが、実におさまりがよく、うまい。これでいつ雪が降っても大丈夫に見えてきた。

また、昼食後はスノモも車庫から出して、力持数人が力比べのようにして固いダイナモを回してくれた。数人で何周目かに、ちょうどkuri ちゃんがブルルという始動音を響かせた。

気休めに草地を一周して若干の充電をしたが、こんな風に準備おさおさ怠りなくやったりすると、往々にして雪を呼んで翌日から雪が降る、などということがある。(追記:12/17 夜半から苫小牧も雪に変わり10cm余りの積雪になった。)



10年ほど前の人と風景


2022/12/16 fri 晴れ 朝−7℃



ずいぶん昔に投稿した懐かしい画像が送られてきたので、思い立ってパソコンのアルバムを開いてみた。左の写真は2013年だからほぼ10年前の山の神参拝の日で、薪小屋はまだスノモの小屋がまだできていない。oyama 棟梁とkai さんが中心となって完成したのは翌年2月。そのころは、馬搬用ポニー2頭が手伝いに来てくれており、かわったにぎやかさだった。しかしこれではいけないと深く反省して、色々な活動の助成金を申請してスノーモービルを確保したのは2014年12月だった。

ざっと10年で、少しずつか大きくか、ともかく状況は「変化」した。メンバーも随分入れ替わった。NPOの準備を始めてから今年で満15年、設立して丸13年が過ぎようとしている。関係者はみんな確実に歳をとって物故者もいらっしゃるが、事故もなくコツコツと雑木林に関わり続けられたことを有難く思う。思えば遠い昔になってしまった。このあたりは「雑木林82」に詳述されている。。



山の神参拝と関連行事


2022/12/10 sat 快晴 2℃
abe-aki abe-e urabe oyama kai kuri kusa kawam kawai-h&m naka-f tomi-k wada = 13 persons

山仕事の安全を祈願し勉強会から忘年会




空は晴れ渡ってキリリと冷たい。薪ヤードはどこか神聖な雰囲気が漂っていて、午前10時からシンボルツリー「ドロノキ」の前も然り。注連縄を外し、新しい紙垂を取り付けた。普段から山仕事に携わる13人が駆けつけ、11時に参拝、11時10分には地元の遠浅神社にも詣でて参拝し、11時半には、地元でコモンズの雑木薪の顧客でもある「そば哲」で直会。

13時から遠浅公民館で勉強会。まず薪会員の船木幹也さんが「ペチカで薪を焚く」、続いて事務局の卜部浩一さんが「勇払原野のサケ文献調査」と題して講演。5時から苫小牧市内に会場を移し忘年会。忙しい場所の移動は師走を象徴。





軽トラの藪だしに、一輪車が加勢


2022/12/7 wed 曇り時々晴れ
solo-work

藪だしに、庶民の味方「一輪車」、登場




週なか日の好天で、育林コンペゾーンに残した丸太を運搬に出かけ、ヤードとコンペを2往復でほぼ終了。

今回は、inaba-wada エリアに置いていた一輪車を軽トラに積んで自分のエリアに運び使ってみた。結果は、トング2本の手持ちよりは楽で、軽トラは入りにくいが道に近いところはカバーできることがわかった。

それでも、林道や林床は、霜柱が立っており、非常に歩きにくく悪路だ。特に林内は隠れ枝に躓きながらの作業で、一応自分も高齢者であることを痛感した。やはり、林はバリアだらけだったのである。わたしの周りでは、高齢者に林の散策など勧められないのは常識になりつつある。

開けたところは写真左下のような落ち葉浄土の世界。エリアの東には結氷して寒々としたた平木沼が見えた。

薪盗難にあった際に、疑われた黒い車(ニッサンX-*****)とすれ違った。顔はわたしの知る「白鳥部長」風細面、ナンバーは札幌〇〇〇、育林コンペで幅寄せした際に会釈しながら確認し、約1時間後、{そば鉄」のある道道に源武から出てくるところだった。シカをねらってクルージングか?苫小牧は休猟、厚真は鳥のみでなかったか?その沼はすでに結氷して、安平町はどうだったか。この一帯は密猟を誘発させるような生息密度だから要注意だ。



11月の育林コンペ作業は細切れで、正味5~6時間で、直径15~20cmを約10本ほど伐倒し玉切り、枝片付けを済ませ、軽トラで藪だし4往復、層積(みかけ)で約2.3立方ほど。1棚(みかけ2.7立方)には足りないが、一冬の最低限2棚を作る人の手間は、かねて自分用に作った歩掛りによく沿っている。1年分の薪なんて、ここでは正味1週間もかからないで作ることが可能である。

高齢者の山仕事考

仕事はこんな風に細切れになっているが、実はこれがちょうどよい。これを若い人と一緒にやったりすると、ペースが乱れてかえって調子が悪い。ゆっくりマイペースの、一人の作業が好きな由縁であり、「里山的」とはこんな風に、好きな時に出かけて、好きな時間だけ体を動かす・・・、これに尽きる。これならいよいよになるまで可能ではないか、と夢見る次第だ。藪だしでは両手に合わせて20~30kg前後の丸太を持ち運び、歩いた距離は万歩計で5km近い。これはわたしには十分すぎる負荷である。

2往復目の帰り際、abe-aki 夫妻とヤードで出会った。彼は手早く薪ヤードの看板を取り付けていった。これで降雪前の除雪対策は一応すんだことになる。



武蔵野の雑木林と北海道開拓

2022/12/04 SUN 快晴 朝−2℃、風強し

岩井洋著『国木田独歩 空知川の岸辺』(2003年道新選書)を読んだ。

『武蔵野』で称賛され社会にデビューした雑木林と、北海道の開拓との双方に関心を持つ人には必読の一冊と言えるかもしれない。本書は、今から20数年前に、著者が砂川市空知太の滝川公園にある国木田独歩の文学碑に出会ったのが発端である。岩井さんは当時、酪農学園の教授でドイツ文学と環境文化論を専門としていて、いわゆる文学や独歩や開拓を専門としていたわけではなかった。

しかし、名著とされる独歩の『武蔵野』が世に出る数年後に書かれた小編『空知川の岸辺』を、文学碑との出会い後にていねいにたどりつつ、北海道開拓を夢見て現地を訪れ、やがて親に祝福されない結婚と離婚を経て、文筆活動に入るまでの独歩を、かなり回り道してトレースしている。

その回り道が、時代の社会背景をも拾い上げているから、全体が壮大な開拓最前線を描くことになっている。そもそも、独歩の『武蔵野』が、彼の短い北海道旅行に動機付けされて描かれたことを知る人はあまりいないのではないだろうか。明治28年の独歩の北海道滞在は、わずか12日間であり、札幌では新渡戸稲造など当時のそうそうたる文化人に忙しく訪問し、北海開拓のための移住の情報収集やアドバイスを受けている。そうして、若い許嫁との開拓移住を夢見て胸を膨らませ、帰京して頓挫、失意の日々に陥るのだった。

こう言ってしまえば簡単であるが、岩井さんの仕事の優れたところは、その行間にある歴史的背景や北海道のインフラ事情、特に鉄道、道路と駅逓や旅館を営む人々の生活を、市史・町史をはじめ多くの文献調査を行い、それを土台にして実に丁寧に再生して見せたことである。


(左)独歩が開拓地探しで最終的に達した道庁関係の現場事務所はこのような掘っ立て小屋だった、とされる。ちょうど、遠浅の古い作業テントのような趣であったろうか。ここまでササや薮のけもの道のようなものを、宿の少年に案内してもらってやってきた。そして、締め切りを過ぎた開拓申し込みにたどり着く。

(右)当時の開拓風景(斜里)。数ヘクタールを払い下げてもらうためには、期間を限定された中で原始林を皆伐し耕すことのできる土地に改変しなければならなかった。山仕事をしているわたしたちは、それがどれほど大変なことか、なんとなくわかるはずだ。裕福な家庭に育った新妻と切り開ける世界ではない。とても胸膨らむチャレンジなどと言っておられず、逃げ出した人の方が多いとも聞く。独歩も道庁の現場職員に、札幌や東京に住んで小作にだすのが賢明だ、と少しバカにされたようにして言われたようだ。キリスト教的な信仰も支えだっただろうけれども、有島武郎のような訳にはいかなかった。


とりわけ出色なのは、北海道の当時の開拓最前線の自然を、独歩という人の目を通して、決して観念的な美文調の紋切型修辞で描くのではなく、暗くておどろおどろしく、そして限りなく寂しい、かつ、人の生活を厳しく拒むありのままの自然をリアルに描写して見せたことだ。

これは美文調に陥りがちな当時の表現の常識や独歩の筆致だけからでは決して到達できないものであり、現代の北海道人にはうまく伝わらなかっただろうという衝撃的世界だ。恐らく写真集でも到達できない性質のもので、そこに横たわる100年の時間と常識のギャップを、岩井さんは言葉によって翻訳することに成功している。換言すると、開拓最前線の現実の迫力は、やはり最後は言葉にたよって読者が想像力を掻き立ててみて初めてリアルに再現できるということか。

また、明治以前の花鳥風月の世界から、近代的自我と称される目で北海道の自然と、関東は武蔵野の雑木林を描いた独歩を、かなり正確に浮かび上がらせた。意外だったのは、『武蔵野』という作品の基調となっている雑木林への感激症のような興奮がわたしにはやや異様に思えたのだが、実は、20歳に満たない若く美貌の許嫁と、胸を膨らませながらルンルン気分で散歩していたころと重なることであった。武蔵野の風景を絶賛する独歩が、武蔵野で畑仕事をしていた老婆に、「まちの人は呑気でいいね」という意味の一言で強烈に皮肉られるあのシーンも、単身ではなく許嫁と二人連れだったのである。これがわかっただけでもわたしは著者に改めて感謝したい、と感じた。

話しは少し飛躍するが、明治28年ごろ、つまりこの年は日清戦争が始まった翌年に当たるが、開拓最前線では土地の貸し下げが行われていて、北海道の内陸部はとても花鳥風月で描き切れない原生林に近い世界であった。いわば野生動物たちの王国であり、物見遊山が行われた里山的風情など、皆無に近かったのである。写真ではそれが伝わってこないが、心という印画紙に映った心象描写で鮮明になった。

翻って、わたしは今、勇払原野という、過去100年近く人手がかかって、自然と人工がモザイク状になったB級自然を相手にして、里山的自然の再生を試みてきた一人だが、時代の要求はすでに開拓を遠く過去のこととしていてフロンティアなど求めていない。

一通りの開拓を終えて、残された未利用だった自然への介入、いわゆる開発が取りざたされている。未利用=低湿地と、それと並ぶ薪炭を採った萌芽再生林である。そんなインフラに囲まれた二次自然だからこそ、のんびりと「里山的」な新たな環境も、関係も創れそうな状態にある。自然よりもむしろ人の関係こそが大事だと、コモンズという関わりの仕組みを模索しながら実は感じている。

著作というものは偉大な力である。この労作でモヤモヤとした霧が晴れたわたしは、また新しい景色が見え始めている。

***
この本の出会いは、11月の初旬、静川の小屋にコモンズのヒアリングに来られた柳田良造さんとの語り合いの中で知った、独歩の小編『空知川の岸辺』が発端である。柳田さんは農村の村落形成や自然資源管理の在り方などを研究テーマとしており、屯田兵村などを建築や地域形成の観点でカバーしている方である。明治の中頃と言えば、北海道の土地所有や経済や社会構造がダイナミックに変動しているさなかで、それらに絡んで、余市の徳富蘇峰、十勝の佐藤春夫、つとに有名な石川啄木や宮沢賢治などが訪れ、文字化されていて、わたしにとっては、歴史書などよりもはるかに100年前の北海道を彷彿とさせる。






もろもろの準備、おのおのの分担で

2022/12/03 sat 雪のち雨 2℃
abe-aki oyama kusa tomik-k&m wada ya-taro = 7 persons

除雪と山の神を前に

いよいよ道央圏以北は根雪になりそうな気配だ。
苫小牧や遠浅は、昼頃から雪となり、やがて雨となった。今日は、これからの除雪に備えて、薪ヤードの入口に、除雪業者用に入口の看板と、置き雪禁止幅を、細い丸太で表示した。担当のtomi-k&m さんによる「緑に白字」看板は、書きたてを乾燥するため、取付デビューは来週となり、長い杭の表示はabe-aki さんによって朝、早々に完了。

選木を追加




土場Aは、エリアと除間伐木が明瞭で、コモンズ内でも力ある若手がテキパキと動いたせいか、伐倒が順調に進みもう少し選木してマーキングをしないと作業が停滞しそうになってきた。選木を担当するわたしは、朝、早々に一輪車にチェンソーなど一式を積んでテープ付けに着手した。

あらためて見る尾根筋の現場(写真左上)は、案の定、鳥の糞が林床にも樹木にも付着していて、ここが畜産公社の関連廃棄物をねらうカラスやトビのねぐらになっているのが推察された。そのため、「コナラのフットパス」から東へ100mあたりで選木を止めた。

もう何十年も人が入っていない一帯は、除間伐の密度調整の前に、上の画像が代表するような多くの風倒木、掛かり木、枯損木、根上りがある。危険でもあり、時間のかかる徒労のような難物もあるが、特に右下の白樺は要注意だ。写真では見にくいが、向こう中央で上空5mあたりで逆V字型に枝折れになっていて、一見つながっているように見えるが、実は樹皮一枚で辛うじて折れていないだけで、幹にチェンソーをあてて振動を加えただけで音もなく落下することがよくある。

腐った白樺は予想以上に重いので、頭を直撃されたら重症または死に至る。掛かり木や風倒木処理はもちろん危険だが、白樺の枝折れはもっとも油断してはならない案件である。

朝の一仕事で、100本以上のマーキングを終えたので、来年春まででも終わらない量になる。このほか、ツル切りや横になった枯死木整理なども、手を付ければ数時間を要するから、手間取る仕事も満載だ。年齢と体力にあわせ、コツコツと、しかし逃げずに果敢に攻めて進めたい。

それにしても選木をしながら樹木の間を一本一本巡って歩くのは、数ある山仕事の中でも至福中の至福ではないだろうか。それはその林と最も深く関わるものが、将来の姿を頭に描いて目標となる風景をデザインする行為に近いからだろうか。



昼休み後、来週の山の神参拝のために、事務局が用意した注連縄の御幣(紙垂)を取り付けに出ようとした頃、再び、雨が強くなった。雨の強さはテントに戻るとやんだり波状の強弱が続いて、ついに、この日の取り付けを断念し、参拝当日の12月10日の午前10時から行うこととした。

こうなると、しばしば薪ストーブ周りの団欒となる。山仕事の段取りばかりでなく、サッカーワールドカップや芸能ネタ、食、仕事、コロナに政治もちょっぴり混ざりながら、止まない雨に業を煮やして散会したのは午後2時過ぎだった。



軽トラで行う藪だし


2022/11/30 wed 雪 1℃
solo-work

今季初の里の雪



大きな寒波がやってきて、朝、ヤードは真っ白に替わった。

ちょうど、町内の除雪の置き雪を回避するため安平町建設課と薪ヤード入口で立会したところだった。先方は建設課土木・公園グループののK主査、当方は薪ヤード整備と除雪担当のabe-aki さんが所用で不在だったので、wada さんとわたしが対応。低い木舞にテープをつけて車幅を表示したが、除雪業者の目印としてもっと目立つ1m以上のピンクのテープ付きの杭にしてほしい、とのこと。近々、看板も取り付ける予定だと話すと、あれば助かる、とのことだった。

ちなみに除雪業者さんに人づてで打診したところでは、ヤード除雪は、オペレーターが足りず請け負えない、とのことだった。いよいよ、冬本番に突入前に、ママさんダンプとスコップによる除雪の予行演習がまじかだ。

軽トラの藪だし



先日間伐したもののうち5本の玉切り丸太を、知人に借りた軽トラで2往復して、ヤードに運搬した。あと5本分が残っているが、これは来週に回すことにした。重いので、腰に負担がかかるからだ。この繰り返しのがんばりが意外と股関節に良くない。

わたしの育林コンペは軽トラによる山づくりを命題にしており、南北方向に3本の藪だしルートを想定している。径は林道からは見えない。軽トラを壊さないよう、伐根を低くできる木をルートに選んで、慎重に運ぶものだ。

何度も書いたことだが、直径20cm程の間伐木なら15本ほどで1年分の薪ができるから、この秋の10本は保管用としてほぼ十分の量になる。雪があがって、山仕事の幸せに感謝しながら、ガソリンを満タンにしてから知人宅を出たのはもう夕方4時を回っていた。もう冬至が近いのだった。



土日の分散作業

2022/11/27 sun 5℃ 曇り
abe-aki oyama kai kusa tomi-k&n = 6 persons

*補足 11/26 abe-aki urabe kawam tomi-k&m oyama wada ya-taro = 8 persons

札幌ウッディーズと立会



11/26土曜日の天候が不安定で風が強いため、コモンズのメンバーの山仕事は土曜日と日曜日に分かれた。土曜日は風が強かったため、伐倒は取りやめたようだ。

わたしは数日前に、育林コンペに参加している札幌ウッディーズから選木のために立会をしてほしいというオファーがあったので、土曜日はやめ日曜日に、富士本代表、女性の佐藤事務局長と立ち会った。札ウの富士本さんらは、これまで除伐中心に来て、当初申し合わせのヘクタール1500本の密度にほぼ達したがこの後どうするか、という対策を立てたいという要望だった。

実際、札ウの現場は、まだ株立ちが多く残り樹冠が細くなったものも多いために、このまま枯損に向かうものも出てくるので、これからは密度に縛られずに「雑木林の修景」に主眼を置いて対応してもらうことにした。このほか色々な意見交換をして、これでお二人とも納得されたが、作業後にコモンズの作業跡をみんなで見に行って、佐藤さんは「論より証拠、見るのが一番、よくわかりました」と言って札幌に帰られた。

実は札ウが、こちらで頼んだ修景の段階に入らないのは何故だろうかと疑問に思っていた矢先のオファーで、これまでの除伐中心の「伐採セーブ」から、さらなる「択伐修景」へのステップアップが、相互のコミュニケーション不足からストップしていたのである。これでスムーズに進むことになるが、フィールドをたくさん抱える札ウの今年の育林コンペはまた来春、ということになる。

焚き付けを確保

日曜日の育林コンペには6人が顔を出した。初冬の寒さだったが山仕事にはちょうど良い。わたしのブロックにもya-taroさんが手掛けたらしい作業跡が見られ、どうやら三々五々、マイペースで休日などにこの里山で作業をしている構図が見える。



小屋に焚き付けがなくなっているので、カラマツの枝をリヤカーに集め、一緒になったabe-aki さんにキンドリングクラッカーでありあわせのホオノキ中心の小割焚き付けをつくってもらった。さらに冥想テラスやベランダに置いた端材をすべて小屋の床下に動し、格納した。

ブルーテントの格納棚がデビュー



この秋から、薪ヤードの除雪体制を組み直している。

まずは薪ヤードの入口を町内除雪の置き場にされて入口がふさがれてしまうのを避けるため、安平町役場と 11/30 am に立会することになった。その簡単な位置出しをした。また、今週末には、サイン担当のtomi 夫妻がグリーンの看板を立ててくれる段取りとなった。表示はズバリ、「苫東コモンズ 薪ヤード入口」。

一方、ママさんダンプなどの除雪機材はキャリー4台、雪かきスコップ3本も、担当のabe-aki さんが早速用意した。

昨日の山仕事は伐倒を避けたため時間ができて、燃料などの格納棚が整備された。血液型A型の人が主導したのではないか、と想像されるような、きちんとした光景になっていた。お茶道具セットなどの棚も、朽ち始めていたものを捨てて、wada さんの手になる堅固な棚がデビューした。いずれもありあわせの手作り感、満載である。

こうしたながれや仕組みを振り返るつど、このごろ思うのは、コモンズがゆるい作業グループを超えて、「チーム」になろうとしているのではないか、ということである。それも野球ではなく、サッカータイプで、分担を持ち、しかも縦横無尽に互いをカバーする、一人はみんなのために、みんなは一人のために、そんなイメージになりつつある。よく動いてくれるメンバーの善意に単に便乗する、という関わりだけでは持たなくなってくるのかもしれない。




秋、深まって


2022/11/19 sat 9℃ 曇り時々雨のち晴れ
abe-aki abe-e urabe oyama kai kawam kuri kusa naka-f&s tomi-k&m wada ya-taro = 14 persons

いつもの作業、しかし、そこに各々のドラマあり



今日も淡々と自律的に作業が進行した。このところ土場Aを定位置にしているので、今日は昼前にBに行ってみた。wada 塾は、今、kawam さんとabe-e さんを塾生としていて、太い丸太に挑んでいた。昨年まで、除伐専門になっていた反省から、生産性の高い除間伐を目指して自分の薪5.4立方と、事業費に充てる数立方も自賄いするアプローチである。このままだと今季のスキルアップは確実視されている。ポータブルウインチを用いた集材も並行している。



土場Aも着々進行している。突如、バキバキという音がしてホイッスル予告なしの伐倒が散見されたが、枯れ木などの事情もあった模様だ。わたしはホイッスルが見つからず伐倒時、手袋を脱いで指笛で対応した。ホイッスルは実は腰のベルトに付いていて、気が付かなかっただけだった。残念ながら、指笛は100円のプラのホイッスルに格段に劣るのは認めざるを得ない。

このところ、北に向かうフットパスと両側20mずつ整理しているが、労力の割にはなかなか見た目が判然としない苛立ちがある。除伐と修景的な整理は材は少なく、手間を取る仕事だが、来春まで見違える径を創りたい。



寸暇惜しんで晴林雨読生活をコツコツ邁進


2022/11/16 wed 晴れのち曇り時々雨 朝3℃、午後8℃
solo-work

一人の山仕事



勤め人仕事をリタイヤしてからの晴林雨読生活は天国だ。人生は70歳からだ、という年寄の迷い言のような口癖を地で言っている、という言行一致感覚がこれまた気持ち良い。毎日、この預かった my satoyama で時間を過ごしたいが、意外と雑務もあるし、片道30km弱というのは近くもないので平日は週の中日だけとなってきた。

今日は午後から土地所有者から呼び出し依頼あったので、昼までのつもりで来た。小屋の薪ストーブに火をつけてから、先週やり残した5本の玉切りを片づけただけで、もう11時となった。新たに2本伐倒して枝を片づけたらいい時間になって、小屋で今日の打ち合わせで話題になりそうな資料をおさらいした。

里山的な山仕事は、あまり意気込まずにちまちまと時間を費やす位があずましい。こうすれば長続きするし、なにより、心が開放される。

■苫東の緑の資源量


打ち合わせは、土地所有者・苫東が外部委託している、緑資源の理活用方策の検討に関するもので、在京の有名な大企業の担当者お二人から、わたしがヒアリングを受ける格好だった。

かつて、つた森山林、平木沼緑地、柏原地区の施業方針について、NPO苫東コモンズが3回にわたり調査を受託して林班ごとの現況と保育の目安を提案したことがあったが、今回は苫東全体の緑資源のデータベースを作り、施業や管理の方法を検討していこうというもの。個別対応はともかくとして、まずあらためて新しい令和の時代の全体計画の元をつくる、というのが土地所有者のねらいのようである。

ヒアリングでは、プロジェクトがスタートしてから約50年の、緑地に関する関係機関の考え方の変遷なども含め、これまでマニュアルもなく手探り状態だった「ミズナラ・コナラ林の保全」について、ようやく見えてきた保育の見通しなどについて、ここの林に関わってきたものとして数々のエピソードを交えて所見を述べつつ意見交換した。(写真は先方のプレゼン資料の表紙など)

世間では、木が生えているのだから木材を売ってビジネスに役立てればいい、という意見が良く聞かれるが、儲けを出すのはそう簡単ではなく、かつ、それを長期的に確実に継続させる約束などは、土地所有者としてできない相談であろう。そもそも、苫東緑地は公共が担保する、というのが当初の約束だったから、民間の苫東としては、重すぎる荷物を背負わされていることになる。とはいえ、そもそも現況を把握し資源量の実態を明らかにしてみないと始まらない、というスタンスとみた。

話を現実の林に戻すと、勇払原野の苫東は、薪炭林として活用してきた低林施業が最も適した施業方法であるというのが、個人的な到達点であるが、その優れた点は、

「基本的に放置してよい」
「薪などに活用できる」
「萌芽再生によるので森づくり経費が掛からない」
「未来に向けて維持できる」
「ニドムのようなリゾート地を創るポテンシャルをもつ」
「多種多様な生物の生息空間になる(なっている)」
「お金のかからない積極的放置ができる」

などで、その管理に多様な主体がさまざまな形で参画できる、緩やかな管理をどうやってコーディネートしていくか、が問われているような気がする。近年注目されるコモンズ的発想がそこにどう関われるのか、そんな視点でも注目したいと思う。また、地域住民も、ここで働く人も利用できる、いわば一種の「都市林」というとらえ方も視点の一つとしてあげておきたい。




風景改善のわざと喜び

2022/11/12 sat 晴れ  14℃
abe-e oyama kawam kawai-h&m kusa tomi-k wada = 8 persons

シーズン2日目で見える変化





今シーズンの除間伐に着手して本番2日目。合計8人、ふたてに別れての作業となった。東側の沢地では、正面土場を kawai 父子、右手の沢を tomi-k さん、北に向かうフットパス両側をわたしが担当して黙々と作業が進む。黙々と汗をかいたが、実際には4台のチェンソーの音でワンワンの喧噪状態。しかし、場に勢いがあり確実に風景が変わっていくのが、ちょっと離れた位置で見るとよくわかる。

わたしはといえば、新しいチェンソーにも慣れてきて、径25cm前後を5本、枯れ木を5,6本片づけた。ホイッスルを吹いて最後にクサビ2,3回たたいて思った通りの方向に倒すシーンは癖になる。にわか山子(やまご)を魅了する。枝を処理して玉切りして径まで小運搬し、かつ風景としてのおさまりをみた若干の手直しなどしていると、これで正味4時間たっぷりかかる。

こんなことを3~5日すれば、少なくとも自宅分の薪程度は作ることができる。今年は除伐が多くないことと、苫東コモンズの伐倒レッスンに秀でた wada 塾が新しい塾生2名を引き受けたので、生産力が増強されるものと期待される。それにメインは11月と12月の無雪期作業だ。

途中水を飲んだり、燃料を補給したりする以外は、ほとんど動きっぱなしだから実にいい運動である。半袖の下着にサラリーマン時代の古ワイシャツ1枚で汗をかく程度とはいえ、70を超える老体には疲れる。。良く動ける理由というのは、実は雪がないおかげだ。雪というバリアーがないから、北海道弁で言う「ハタラカサル」訳である。

チェンソーをいつ引退するか

この夏、卒寿のお祝いをした migita さんがちょっとさびしそうだという声がちらほらと聞こえる。気のいい若い仲間たちと一緒に冬場の作業ができないのは、確かに週末にぽかんと穴が開くようなすき間が生れたのは想像できる。メンバーはみんな優しいから、そんな声が自然に出るが、かといってあらためて何か安全に手伝ってもらうような妙案ないか、となんどか話し合っても実際には見つからなかった。作業テント、冬の除雪ではハウス技術やトラクターを駆使してスムーズで快適な作業環境を提供してもらい、薪割りを専門にしてくれたから、わたしたちは他の仕事に就くことができたのだから感謝してもしきれない。ただチェンソー仕事は違う。

そもそも、チェンソーワークは機敏な若者でも危険であり、とっさの瞬発力で難を逃れねばならないことも多い。そのうえ、土地所有者とのコモンズ協定の本旨からいっても、事故は禁物である。これまでも一般の会員の間では、肉体的にもつらくなったのでなんとなく75歳で区切りをつけたい、という方もいたし、そこは自分の身体能力と、人生の残された時間を見極める時期が個々に訪れるようである。

そういう意味で卒寿で引退していただきたいという請願は、わたしの苦渋の選択ではあった。ただ、卒寿と言えば90歳である。奥さまやお子さんたちのご心配も聞いているので、今朝奥さまにお会いした時も事情を直接お伝えしたが、やはり同じご意見のように伺えたから、わたしたちの選択も間違っていないように思える。ここは時間が解決してくれるのを待つしかない、というのが個人的な結論である。




コモンズのヒアリングと山仕事

2022/11/09 wed 12℃ 晴れ
solo

■柳田良蔵さんと




毎年必ずやってくる落ち葉浄土の世界。

今日は札幌から柳田良蔵さんを静川の小屋にお迎えして、広義・狭義のコモンズについてのヒアリングを受けた。柳田さんは北大の建築を出られた方で、農村空間や屯田兵村の研究を(も)されている。長く建築デザインのコンサルをされたあと本州の大学で教えていたが、里山や地域づくりの関係で、だいぶ前から接点があり、こちらも貴重な話を聞いてきた間柄である。聞けば、近く出版を控えているらしい。

今回は、なぜ、あまり実践例のない、まれな空間をここにコモンズという名前で創ることになったのか、そして出来つつある背景などについて、意見交換しながらの3時間だった。早めに来て小屋の薪ストーブを焚いて準備していたのだが、なんとなく外をご希望だったのでオープンテラスで微動もしないで口だけ動かして過ごした。トイレに1回立っただけであっという間だったが、さすがに寒く、わたしはパタゴニアのマンパーの上にアルバータの厚い羽毛服をはおり、柳田さんはウールのコートに毛糸のマフラーのいで立ち。後半は手が凍え、震えが来た。

■山仕事





ヒアリングを終えてすぐ育林コンペのマイ・フォレストで作業した。1時半を過ぎていたので少しあわてて小屋をでたせいか、燃料を忘れたのに気が付いた頃に現場到着。直径12cmから24cmまで合計5本をまず倒すだけ倒して、6本目(中段左)に差し掛かったところで、とうとうガス欠で途中終了した。来週出直して玉切りと新しい間伐に取り掛かることにしたころ、周辺はもうマズメドキに差し掛かっていた。晩秋の一日はさすがに一日が早い。

ところで、落ち葉浄土はかわらず美しい。帰りの林道で、キジバトが3羽、無心に何かついばんでいる。林道徐行はプリウスの電気作動で静かに進むので、キジバトは全く気が付いていない。わざわざ2,3mまで近づいてきた。なにがそんなについばめるものがあるのか、上木を見るとどうもサワシバくらいしかない。あの松かさのようなものから落ちた実を食べているのだろうか。よくそんな小さなものを見つけるものだと感心しながら見守った。

小屋前のウシコロシの黄葉がかそけき晩秋の紅葉風景を彩っている。地面が濃い落ち葉色になった分、黄色が目立ってきたのだろう。横に張る枝がなんとも邪魔にも思えるけれども、アカマツが曲がるようにこれがウシコロシの個性で、静川の小屋周りの大事な植生であると思って伐らずに残して来たら、小屋の周りのシンボル的景観となった。それが「雑木林&庭づくり研究室」のバナーである。↓

林相の中間を占める樹種の多くがウシコロシのため、林が時に黄色に見える年がある。

   

小屋の窓から見る風景はあいかわらず好ましく、良い。灯り採りのために新設したものだったが、奇しくも雑木林風景を切り取る「額縁的窓」となった。小屋が暗いからこそ生れる和みだ。


オンコ薪の正体や、いかに

2022/11/06 sun



今朝は、薪ストーブの焚き付けに、隣家がオンコを片づけた際にできたという枝を使ってみた。他の焚き付けと混ぜてあるから、決して多くない量なのだが、ものすごくパチパチ爆ぜた。異形の薪や、色々な樹種を燃やしてみるのは望むところだからこれまで使ってきたが、これは経験のない爆ぜ方だ。

となると、migitaさんからもらって、先日割って自宅に運んだオンコの薪(写真)は、どうなるのだろう。ガラス扉が壊れるほど爆ぜることはないと思うが、少なくとも扉を開けておくと火の粉が飛んで床のフローリングを焼いてしまいかねない。たった1,2cmの太さの枝がこれでは先が思いやられる。2,3年乾燥させてからの話しだが…。



2022年秋の里山仕事、始まる


2022/11/05 sat 晴れ 13℃
abe-aki abe-e urabe oyama kai kawai-h&m kawam kuri kusa nakam tomi-k wada = 13 persons

フットパスの評判と山仕事開始

「すごくいい径ができましたね。沢筋の径は大島山林になかったので特に素晴らしく感じます。」

「まだ始まったばかりで、今、本格的に除間伐も入りますよ。来年の新緑を期待してください。」

「それにサインもベンチも素晴らしい。あそこに座って食事でもしたい感じです。」

「ありがとうございます。」

遠浅の山林散策利用者がコナラのフットパスなど、今シーズンの歩く環境をこのように評価していた。まだ、ヤブを切り開き始めたばかりだが、ニュースレターなどでPRしたのが少し届いたようだ。これは山仕事のまたとない励みになる。



二つのエリアに分散しての今年の作業が、先週の伐倒研修に引き続いてソロリと始まった。ソロリとはいうものの、競走馬がスタートラインで前足を蹴りつつスタンバイするかのように、チェンソー初日は集合時刻も早くスタートしたように思う。かつ、伐倒も素早い。世代交代はまず伐倒の素早さに出ている。かといって安全意識もほどほど進んでいて、今日は伐倒前のホイッスルの呼びかけもよく行われていた。

かくして、精力的に、かつスムーズに2022年秋の除間伐が開始した。
土場Aは7人、土場Bは6人。除間伐の作業は、伐倒と玉切り、枝処理、藪だしと続くが、技術を求められる伐倒に比べると枝処理は地味で面倒で嫌われがちだ。しかし、メンバーは雑木林の修景、ひいてはフットパスの沿道風景改善の意味もよく熟知し、適宜、取り掛かっていた。このまま行けば見違えるような風景になるだろう。



わたしはコナラのフットパスを北に向かって再度切り開きながら、フットパス沿いにさらに小さな土場を2,3設けるために拡幅を始めた。その際にツルや倒木もなんとか風景として治めるために結構無駄そうな仕事が見え隠れする。

その一つが切り株の「戻し」だ。北大演習林でかつてブルによる林道づくりで押し倒され放置された切り株が、沿道風景を台無しにするという反省から、ブルで戻したことにちなんでいる。「戻し」はわたしが勝手に命名したものだが、苫東コモンズではその後、風倒木の根返り木で数年経過して根が腐れた頃を見計らい、この「戻し」を試みてきたが、何事もなかったかのように見えるのが実に面白い。フットパスを拡幅しながらこんなことをしていて3時になった。

エノキタケ



2週間前にエノキタケを少量採取したヤチダモの根元を、kawai-h さんが伐倒しているとき、葉っぱの下にオガクズだらけのキノコがある、と教えてくれて、2房のキノコを譲ってもらった。エノキタケだったが、落ち葉の下にしっかりと次のものが出ていたのだ。

帰宅後、水につけておがくずを落とすと、きれいなエノキタケが顔を出して、ちょうど無農薬大根が届いて葉っぱを軽くゆでたばかりだったので、少量散らしていただいた。新鮮なとれたて青物ともども、今季待望の秋の味覚だ。幸せである。

個人的には、11/5 は新しいマイ・チェンソーのデビューだった。

スチールのMS201-CEMで、ヘッドギアもついでに新調した。チェンソーは股関節の不具合を感じてからは、極力、軽いMS152という軽いものを愛用していたから、5kg近いチェンソーは久々で、やはり結構疲労感があった。



ハルニレの大木に出会う


2022/11/02 wed 晴れ 14℃
solo

赤に見惚れる



オンコの薪を運ぶために薪ヤードに来たついでに、林を歩いた。紅葉は終わりに近づいており、先週は社台ファームの道道沿道が圧巻だったが、今日は、広場のはずれがわたしには饗宴状態に見えた。コナラのフットパスの入口である。



エノキタケとムキタケは相変わらず顔を出してくれるが、エノキは多くない。やはり、倒木の多い、切り株に苔が生えているような湿った環境が楽しめそうだ。懸命に除間伐したエリアは、その点、やや乾燥気味に見える。シメジはまだ顔を見せない。

大木に出会う



倒木の多い一帯を歩いていたら、ふとハルニレの大木に出会った。ドロノキのシンボルツリーと並ぶような太さで、まだまだ元気がある。付近まで径をつけて周りを疎開してあげようかと思う。それにここは、苫東で最も標高の高いところである。とはいえ、せいぜい標高25mだが、名前を付けるとすれば「苫東で最も高いところにある最も太いハルニレ」ということになろうか。

苫東の中は、ほぼ半世紀の間にかなりくまなく歩いてきたが、こうやって思わぬ大物に出会った時の喜びはひとしおだ。遠くからではなかなか見つからないのが面白い。神々しくて、保残木としてテープをつけるのはさすがに憚られた。



先週の土場づくり跡では、遠くから真っ赤なものが目に入った。ヤチハンノキの木口である。これから年末まで、ホームグラウンドをこうやって歩くのが楽しい。一期一会の発見がある。



チェンソーのスキルアップで自主研修


2022/10/29 sat 晴れ 14℃
abe-aki urabe oyama kawai kawam kuri kusa migita tomi-k&m tomiz wada ya-taro = 13 persons

チェンソーの勘は戻ったか?、安全意識は万全か?




いよいよ今シーズンの除間伐作業がスタートする。先シーズン1,2月の大雪の反省などから、今季からは11月と12月に主たる伐倒作業を終えることとしたので、紅葉がほぼ終わって落葉も進んだ来週11月5日に本格着手である。それに備えて、安全確認、伐倒手順のおさらいを行った。

数年前まで、伐倒のプロ、abe-b 技術顧問が担当してくれたが、今は療養中なのでガイダンスをわたし、クサビを使った伐倒デモをoyama tomi-kのお二人が担当した。ついで、ya-taroさん、kawai-h さんがトライアルした。いずれも個人的につかんだ手順や作業要点を口頭で伝えながら試技をしたが、どの伐倒もきれいに思い通りの方向に倒れた(いや、倒した?)。伐倒後は切り株の前に集まり、伐倒の手順や目安は正しかったか、みんなで評定したのはもちろんである。



今季からは斜面も含まれるため、藪だし作業にポータブル・ウインチ(以下,PW)を導入するので、午後一番、その操作を学んだ。コモンズは数年前の2シーズン、このPWを用いて経験済みだったが、今回はabe-akiさんが個人で購入した機材を借りての作業である。アクセル付き新機種でなかなか便利である。丸太を載せるヘッドの取付、誘導、滑車の利用など、一通りの操作を体験した。これらの作業は、2か所の土場で12月に本格稼働の予定である。



午後のPW研修に続いて、もう一つの土場予定地に移動して、林相を確認し、選木や搬出のシミュレーションを試み、これからの段取りを話し合った(上左)。「散りモミジ」状態で、いよいよ紅葉ピークは過ぎつつある(上右)。

中広場のベンチ



一日の終わりに、中広場の破損したベンチを補充した。原因不明の壊され方だったのが気になるが、ホームセンターでは一脚の単価が半額になっていたので、二つ追加して合計3脚とした。もし自宅そばにあったら、毎日でも訪れたい雰囲気である。

ベンチの背中合わせにあるアカエゾマツの林に踏み入ると、林縁のシラカバの切り株にエノキタケのひと叢を発見した。この出方であれば、ていねいに林の中を歩けば、かなりのエノキタケがありそうだ。みぞれが降るころまでのこれからが楽しみである。



待望のエノキ、採る


2022/10/26 wed 快晴 13℃
kusa migita seki = 3 persons

冬に備えて




破れっぱなしだった作業テントを補修した。migaitaさんに農業用ビニールハウスの切れ端をもらって、パッカーを外して再度挟み込み、風で煽られないよう強力テープで隙間をつないで完成。

3人並ぶとちびっ子三人組みたいだが、バックの紅葉と薪棚が整然としているため、いい記念写真となった。10/26 という日は例年なら紅葉の盛りだが、もう少し赤く、あるいは黄色に色づくのではないか。

10/23 はわたしの山の先輩が職場の山好きを連れてフットパスを散歩に来ていた。勇払原野の雑木林を堪能した模様。お礼のメールには、「ウトナイ湖に始まり、遠浅の駅と神社、メインの大島山林、そば哲と鶴の湯温泉、おまけに島松駅逓と随分、寄り道をしました。」とあり、数十枚の写真が添付してあった。巡ったツアーコースが、しぶい。

フットパス外周枝拾いと選木のテーピング




ひとりの山では昼食は取らないので、migita さんらと別れたあとはそのまま、懸案のフットパスの枝拾いに出かけた。20年近く使ってきた、枝拾い専用ボッコを駆使して外周一周のコースで、落ち枝を拾いまくった。大枝と中程度はほぼすべて、細枝もほぼ径の脇にぽいとはじくように移動させ、ざっと数百本はフットパスから除去した格好。

もちろん、紅葉のほぼピークを快晴の中で眺めまわるのは、山仕事冥利に尽きる。
皆伐試験地はシラカバとコブシの背比べの最中で、その中にはナラの3mクラスが混じっているので、皆伐さえできれば一斉に更新が可能であることは立証されたと考えていいのではないか。最後は樹齢80年程度で皆伐して更新させることにして、その間、何回間伐を試みるか、である。

ベンチ周りは「散りモミジ」だった。途中からフットパスを離れて「コナラのフットパス」へ向かってヤブを漕いで斜め横断した。週末のチェンソースキルアップ研修の土場用地と伐倒デモ用間伐木にテーピングをするためだ。20m四方程度の見当をつけてマーキングし、ポータブルウインチを懸架木と滑車を取り付ける木などにテープをつけ、伐倒デモ候補も何本か目印をつけると、ようやく土場のイメージが湧いてきた。

ここまでで歩いた距離は6.4km。わたしのリハビリにはちょうど良い距離だった。

今年の山菜を締めくくるエノキタケに遭遇



今年も勇払原野の恵みは十分楽しませてもらった。アイヌネギ、ミツバ、コゴミ、ボウフウ、フキ、ワラビ、スドキ、コシアブラ、アズキナ、ハスカップ、サンショウ、それに川エビである。キノコ類は、ブナハリタケとチャナメツムタケを採った以外、楽しみが途絶えていて、ボリボリはほぼ諦め、残すはマイタケとエノキと考えていた。

土場予定地の薮を漕いでいて見つけたのが、写真左のエノキタケの一塊。途中、手つかずのムキタケもあった。小さなムキタケは、和風出汁をとっておすましにした。大きめのムキタケは、「ムキタケのふかひれスープ」にして食してみよう。



また、昨日は栗をいただいた。これを包丁で切れ目を入れてからアルミホールに包んで、オーブンで5分と薪ストーブのオキで15分の二通りで試してみた。結果、薪ストーブの方がやわらかく甘みもあったように思う。どちらもけっして食べやすいわけではないが、10個ほど食べてみて、なんと1万年前の縄文人を想像してしまった。


NPO苫東コモンズの総会にて

2022/10/22 sat 17℃
oyama kawai-h&m kawam kusa naka-f&s tomi-k wada migita ya-taro + guest/ tsuzuki = 12persons

13回目の総会



紅葉が始まった苫小牧市静川の雑木林ケアセンターで、第13回目のNPO総会を開催した。参集した会員は11名で、そこに名古屋から会友が1名飛び入り参加した。ほか9名の委任などがあり、ほぼ全員参加の状態で行われた。

総会と言っても、過年度の決算と、すでに進行している新年度の事業について、春の理事会の追認をするのが本題になっており、総会の本命は「各進捗状況の報告と活動の予定と懸案」についてであり、たっぷり密度の濃い意見を交換する場となった。正午過ぎには、BBQをつまみながら歓談。

小さなNPOだから形式ばった進行はなく、横道にそれながらの会であったが、話し合いがメインの全体打ち合わせは滅多にないことから、経緯にも詳しい運営役員と会員の質疑応答や情報交換は十分に意味があって、これからの方向性もナントナク見えてくるという、いささかいい加減な会でもあった。しかし、それが良い。歩きながら、動かしながら適当な方途を探して蛇行しながら進められるのは、小さな自立した会の強みであろう。

決算や予算、土地所有者との協議案、行政への事業報告など内容自体を、わたしが事務局として資料作りをするのはこれが最後になるが、まずは13回(13年)、無事来られたことについて、これまで関係された方々に感謝したい。

紅葉の今




雑木林は今日も実に美しかった。かそけきフットパスも幹線の林道も、このまま歩き去るのがためらわれるほどなので、用もないのに落ち葉を踏みつつ径を外れてしばしたたずむことに相なった。

白い妖精、コシアブラの白い葉にも思わず足を止める。そこで径で走る若い人とすれ違った。オリエンテーリングの大会のようだった。参加したアスリートたちは、紅葉が素晴らしかった、などと語っているのだろうか、少し聞いてみたい気がした。



紅葉ピークまであと1週間の風景

2022/10/19 晴れ 13℃
solo

大島山林にて



先週、土地オーナーが大小の広場全体を刈ってくれた(2回目)ので俄然、整然とした草原に替わった。芝刈り用のモア2台でも1日近くかかるかなりの大仕事のはずだが、できればもう少し早く刈ってほしいとは言っても、これは致し方ない。来年に向けて要望はしておいたが、その際には、草の茎が堅くなる8月以降は、コモンズの刈り払い機ごときでは手に負えないという実情も、念を押すように付け加えてお伝えした。この規模は本当なら大型トラクターの出番だと思う。

ところで、いただいたオンコのうち、節だらけの丸太を中広場の奥の薮に運んだ。雑木林を「自然の力で腐らす天然廃棄物処理場」と見立てての扱いだ。昨今はコモンズの作業に関連して発生する木灰など木質系の不要物は林内に散らして持ち込むことでずいぶん気が楽になったと思う。ゴミは基本的に薪ストーブで燃やす。公共にごみ処理を頼むことを考えればずっとリーゾナブルだ。

巷では、森林を大事にするあまり、盲目的に神格化させている。家庭からでるゴミは見えない処理場で処分されるだけで、環境にやさしいのかどうか、よくわからない。雑木林の天然廃棄物処理場は、規制ランクをふたつみつ下げたようなものである。コロナ対応を2類から5類に落とすようなものか。

これはしかし、マナーやルールを内に秘めて自律的なコモンズのようなグループしか、採用できない特権的な手法だろうと思う。フリーアクセスで野放図になりかねない一般庶民行為を管理するのは、実は大変難しい。一般のフリーは散歩のみということになる。

ところで、例年、紅葉は決まったように10月25日ころにピークが来る。そろそろ始まってはいたが、奥のベンチもまだご覧のような状況だ。

静川の小屋にて




大島山林を歩いた後、車を南の静川に移動する。

直線で2,3kmしか離れていない静川の小屋だから、紅葉の進み具合は似たようなものだが、モミジ系がどのように混じるかで、微妙にニュアンスが違ってくる。加えて、静川は黄葉するウシコロシ(和名はワタゲカマツカ)が多いから、紅葉に黄色が混じるために独特のものに感じる。

ここで、車に常備しているテーブルクロスを敷いて、「北の森カフェ」を展開する。

と言っても昼食は抜いているのでココアのお湯をわかしただけだ。テーブルのあるオープンテラスは、総会や研修など野外の会合用のほかに、実は森カフェの雰囲気を作りたいという下心もあって絵コンテを描いてoyama 棟梁に設計制作をお願いしたものだった。いつもはカップ麺やレジ袋のオンパレードになるが、ちょっとこぎれいにしつらえようとすると、まあまあ、期待した雰囲気に近づける。

リフォーム中の小屋も落ち着いてきたが、軒下の窓は依然として明るさが不足していて、小屋の日誌「雑木帳」を開いても卓上に灯りがいる。

林を出る手前で逆光に輝くススキ原が目に入った。と同時に午後3時過ぎの光線が、随分と長い日脚を作っていて黄昏気分をいや増す。

フットパスと雑木林の林床を、キノコかごも持たずにぶらぶら歩いただけだったが、万歩計は4.5kmを示していた。冬の山仕事に向けたリハビリとしては、こんなマイペースでちょうどよかった。山は、こうして心身をリフレッシュしてくれる。有難いことである。




「コナラのフットパス」を歩く


2022/10/12 wed 晴れ18℃
solo

紅葉前の雑木林観察

10月という時期は、蚊の発生も収まり晴天が比較的多く、紅葉の前、中、後とも、散策に都合がよくて、かつ気持ちが良い。キノコが見つかることもあるが、むしろ、あてにしないで歩く方が和みや癒しに近くなるようだ。




こんな日は歩かない手はない。

さて、これからの山仕事(除間伐作業)にあたり、材を集積する土場を造る計画である。土場の予定地は、この春に創った「コナラのフットパス」のほぼ中間にあたるが、土場のスペースを確保するためには実際、どれほどの皆伐をすればいいのか、チェンソーのスキルアップ自主研修をするにあたっては、そこに十分な試技木があるのか、あらためて下見してみた。

漠然と見ていた春とは、やはり観点が具体的になっているから、細かいところも気づき今回の下見は有意義だった。フットパスは未完成だが、この際、拡幅しながらさらに伐り進めて整然としたものに代えていきたいところだ。

林に入ってみると、先週よりはキノコの種類が多い。採ったチャナメツムタケも小さくぬめりが多く、若いせいか、土臭さがない。数日前にもたっぷり食べたので、探せばいくらでも採れそうだが今日はほんの少量で止めた。家人とふたりならこれでも十分だ。ただ、もしかすると今年はボリボリにはありつけず、チャナメで終わる可能性が出てきた。

ちなみに雑木林はほとんど紅葉していない。ウルシすら緑のままだ。折角のベンチも、まだ紅葉を堪能するための出番がない。ドングリは久々の豊作だ。

オンコ薪を積む



帰り際、先日割ったオンコの薪をパレットに積んだ。高さ1メートル、長さ1.5メートルで2列だから空隙込のボリュームは1立法メートル強。しかしオンコがぬれているためにスカスカに積んだので正味は多くない。それどころか、ご覧の通りの異形の薪ばかりだから、きれいに積もうにも積めないシロモノであった。誰にも声をかけないで正解だった。勧めたら、大方に尻込みされ顰蹙を買ったかもしれない。

しかし、異形の薪を焚く愉しみは格別である。そんなことを小さく独り呟いていたら、facebook の薪ストーブのグループには、暴れた薪を焚くのが楽しみだ、という本州人の投稿があった。薪材が比較的潤沢な北海道に比べ贅沢は言えないという事情もあったと思うが、これからは少しは声を大きくしてもよさそうだ。明朝は冷え込むようだから、今季の初焚きにしようと思う。



北大研究林でキノコ採集


2022/10/09 sun 晴れ 無風 17℃
oyama kusa tomi-k&m saitoh-pair = 6 persons

熊ノ沢林道でキノコ探索

フォーラムの翌朝は午前9時から北大研究林の熊ノ沢コースに、講師を含む6名が参集しキノコ採集に興じた。この日歩いた距離は約4km、所用時間はちょうど3時間で、正午に出発点に戻った。案内役は、胆振菌友会会長で苫東コモンズ会員のoyama さん。


主として広葉樹林、時にはアカエゾマツやトドマツ林にも入った。

齋藤さんは一番目ざとくキノコを見つけた。右の写真は彼がいち早く見つけた大量のブナハリタケ。わたしは夕方ゆでこぼししてから前日のチャナメツムタケと一緒に、お味噌汁にして食した。

キノコの山巡りはキノコがあまり見つからなくても、「山歩き」という点で楽しい。熊ノ沢は特にマイタケを採った実績のあるナラの大木も多く、左の記念写真はシナノキだったかもしれない。驚いたのは、スドキの繁茂。45年ほど前、熊ノ沢413林班にはスドキがある、と演習林の方に教えてもらい初めて訪れたところだが、今や、全山スドキがある。静川の実験でも気づいたが、驚くほどの拡散力だ。

アサダの木に小さいものがなっている。tomi-k さんの双眼鏡を借りて覗くと球果の房だった。エゾマツの枯れ木は直径60cmもあるキツツキの大型アパートのような見事なものだった。あたりにはエゾマツはなく単木だったから、ここの潜在自然植生でクライマックスに当たる風景の名残のように見えた。

キノコ採りは、キノコ採りの「人がいる林の風景を眺める」だけでも和む。少しくすぐったいが、これも「癒し系」であろうか。熊ノ沢は苫小牧の市街地から見れば、奥山にあたりヒグマの心配も高いから市民は意外とここまではやってこない。しかし、実際は人のいない和みの空間であるのは、この半世紀も、まったく変わっていないようだ。

それにしても大木が残る林は、歴史の中を歩くような深みがある。勇払原野に広く広がる、薪炭をとった萌芽再生の一斉林とは、所詮厚みが違う。格の差に近いものがある。

正午に戻って、林道が交差する広場で、お弁当を開いた。わたしはキノコは何も採取しなかったが、アカエゾマツの間伐作業エリアで見つけた牽引ワイヤーという、これから大事な錆び切った戦利品をみつけ担いで戻った。

このあと、齋藤さんを支笏湖の休暇村に案内した。飛行機搭乗まで時間がたっぷりあり、聞けばせっかくだから温泉に入りたいというので、湖の向こう側の秘湯・丸駒温泉をお勧めした。夫妻がさっそく丸駒に向かうのを見送って2日間に及ぶ癒しの森づくりフォーラムとエクスカーションは終了した。




「東大式癒しの森づくり」でコモンズフォーラムNO.9

2022/10/8 sat 曇り時々晴れ 18℃
abe-aki oyama kawaih&m kawam kuri kusa tomi-k&m migita wada + nomura-pair kodama maeda= 15
nishino+women tomamin-kawa = 3
saitoh+saitoh = 2 total 20 persons

フォーラム前に講師と現地回る



朝8時半、フォーラムの講師をお願いした斎藤さんご夫妻と市内のホテルで落ちあい、苫東コモンズの現地を巡った。まず、緑地の拠点でもあるつた森山林、静川の小屋、そして会員が作業中の育林コンペゾーンへ。ここでメンバーと短い懇談のあと、昼食は「そば哲」。帰り際、裏でそば打ちをしていたご主人に聞くと、今日のそばは沼田産、11月ころには知床や中標津など道東産が出てお薦めだ、と話していた。近いうち再訪の約束をした。

第9回のコモンズフォーラム

勇払原野の一角を占める苫東において、コモンズの考え方に基づき動き始める前には10年近い潜伏期間のような時間があって、NPO設立の2年前から準備し、前年に第1回目のコモンズフォーラムを開催した。フォーラムは、コロナなどで休んだ年を挟んで今年が9回目にあたる。各フォーラムのサマリーは下記のとおり苫東コモンズのホームページのフォーラムのコーナーにリンクしているので参照願いたい。

第1回 2009 「苫東環境コモンズがめざすもの」
第2回 2010 「環境コモンズの視点で見直す苫東の風土」
第3回 2011 「苫東緑地のフットパス利用と森林健康」
第4回 2014 「ハスカップの新時代に向けて」
第5回 2015 「ハスカップの新たな共有と保全を考える」
第6回 2016 「人口減少時代の自然空間管理」
           ~その担い手と手法を考える~ 
第7回 2019
「シカの食害が雑木林の存続を危うくしている」
第8回 2020
「勇払原野におけるヒグマの移動経路から共生の道を考える 」
           ~トラジロウ」の追跡調査結果から~

さて、9回目は、身近な森や林をどう育て付き合っていくのか、特に森の持つ「癒し」の部分に注目して、森づくりに関心を持ち、実際に活動するものとして、考え、議論をする場を設けた。(フォーラムのチラシはこちら、会場は苫小牧市民活動センター)

基調講演いただいた講師は、2020年に「東大式癒しの森のつくり方」を出した、東京大学富士癒しの森研究所長の齋藤暖生(はるお)氏。齋藤さんは、苫東コモンズの現場に数回すでにおいでいただいており、特に2015年のコモンズフォーラムで「自然資源の共有を巡る知恵と苦悩」と題して、ハスカップのコモンズを世界のコモンズ事情に位置づけながらご講演いただいた。

今回は、『癒しの森づくりは何を作って来たのか』と題してお話を伺った。「癒しの森づくり」というのは、齋藤さんの共著『東大方式 癒しの森のつくり方」(2020年築地書)に由来するもので、この内容が苫東コモンズでも共有できそうな部分が少なくないことから、会員の勉強会をかねて企画したもの。

講演は約1時間、そのあと、質疑と意見交換で1時間半ほどの時間を設けた。齋藤さんのカバー範囲はとても広く深いので、内容は森づくりという狭義の意味合いから、生物多様性、利活用、薪づくり、それから先生の専門の大事な分野であるコモンズについてなど、質疑と意見交換が続いた。

勉強会として想定した当初の視点は、

①森や林は、そもそも人の心身にとってどのような関係をもっているのか再考
②特に、森や林の癒し効果は現在どのように活用されているのか
③東大癒しの森のねらいと全貌
④東大癒しの森と大島山林の共通性、応用性
⑤齋藤さんから見た勇払原野のコモンズ
⑥薪づくり、薪需要、その対応
⑦欧米における森と人の付き合いと日本の森林セラピー  
⑧荒れた身近な民有林を快適な森林公園に変えていくための方向性

などだった。

講演では特に、森林と地域課題、地域のコンセンサスのつくり方、小さな組織のあり方とソーシャルキャピタル(社会関係資本)など、社会科学的な面と、森づくりのコストとその解決方法、森づくりのコツと技術、具体的な伐倒の試みなど技術的な面の双方から考え方が述べられ、コモンズにおける自己責任とルール、リスクマネージメント、ナラ枯れの現状と対策などで質疑と意見交換をし、話題は多様で広範囲に及んだ。

コモンズにおける山仕事の技術と社会的な循環の仕組み作りなど、一般的な解決策はそうそう簡単には見当たらず、やはり個々の現場、現実の中で方向を探すしかないようだ。ただ、できればこのようなフォーラムや研修などによって、常日頃からネットワークを広げて多くのヒントを得るように心がける必要はある、と感じている。今回の講演内容は、もし時間があればサマリーとして文字化したいところだが、できるかどうかはまだわからない。決心がつかない(-_-;)




研究林を下見後、オンコの薪割る


2022/10/6 thu 高曇り 18℃
AM  oyama kusa = 2 persons
PM solo-work

苫小牧研究林の広葉樹林にて





10/8 のフォーラムの翌日、講師を苫小牧研究林に案内するため、地元キノコの会の会長をしているoyama さんと苫小牧研究林の駐車場で待ち合わせた。山梨は富士吉田の東大演習林に住む齋藤講師は、コモンズや森林全体を研究対象にしていて、キノコも重要なカバー範囲としているためだ。どこを案内すべきか、まずは庁舎周辺の小径を巡ったが、針葉樹人工林が多く、案の定、面白味はいまひとつ。そこで、北の熊ノ沢林道方面(写真)へ移動することにした。

ここは広葉樹が多くを占め大木も多く倒木も少なくない。過去、マイタケを見つけたこともある好きな場所で、もともとはこの地区にだけ、わたしが山菜の女王とあがめるスドキが採れるのでよく一人で通ったのがきっかけだった。

キノコはと言えば、みちすがら沿道に駐車していた年配者が「なにもないよ」と断言する通り、いつも食するものはほとんどなく、木に生えるもの数種が目に入っただけだった。帰り際、oyama さんがチャナメツムタケを見つけた。チャナメは秋やや遅く、これからのキノコだ。キノコは成果がなくても、広葉樹林の現場は楽しい発見が一杯で、小面積のトドマツ人工林ではカラ類の群れが移動していた。

久々に熊ノ沢に来たが、やはり林道の様子が記憶と違う。しかし庁舎近くの高密路網に比べればまだまだ道に迷うこともなく歩きやすい。10/9 日曜日はここに案内して林道でお弁当を開くこととした。

もらったオンコの丸太を割る



広葉樹の薪は、ナラやシラカバやサクラだけでなく、いろいろな種類の重さも火持ちも違う樹種を焚くのが楽しみである。できればストーブの扉を開けたときの香りや燃え方や炎も楽しみたい。大島山林ではめったに手に入らなかったハルニレやエンジュやミズキ、昨年はドロノキ、ヤチハンノキを焚いた。ドロノキは焚くというよりも焚き付け用に小割して利用したが、非常に按配がよろしい。

先日、migita さんから「オンコ、要らないかい?」と声をかけられたので、上のような理由から一も二もなくいただくことにした。コモンズのメンバーは針葉樹に触手を伸ばさないから、誰にも声をかけないで、午後、ひとり、薪ヤードに出向いて、オンコ丸太を前にした。

割り始めてみると意外と量があり、元口に当たる部分は30cmもあり、年輪は60以上ありそうだ。割ってみると腐れも多く、薪材としては決して好まれないだろう。かつ、節だらけで割りにくく、薪としては積みにくい不整形ばかりだった。しかし、オンコ特有のにおいと、濡れて赤い薄皮が「おれはオンコだ」と主張している。1立方m程に2時間を要した。このような生木であれば、自宅で約2年は乾燥させようかと思う。

こういう手仕事が薪ストーブ生活の大切な要素だが、根底に燃やさないで腐らすのはモッタイナイという気持ちがある。効率など問題外、と言える身分になれば申し分なく楽しめる。



三菱マテリアル社の地元山林で森づくり研修

2022/10/01 sat 晴れ 24℃ UNT販売
abe-e oyama kawam kawai-h&m kuri kusa tomi-k wada ya-taro = 10 persons
北大研究林 yoshida sakai miyazaki hara + atuma-miya →total 15 persons

胆振地方で森を創り育てる現場

今週も研修である。
6/25-26の北大雨竜研究林、7/23の厚真町本田山林に続き、今年三回目、かつ来週はフォーラムを開催して、東大の「癒しの森づくり」の話しを聞くから、小さなNPOながら身の程に不釣り合いなほど勉強熱心と言えるかもしれない。

言い訳がましく換言すれば、多面的な森林を相手に、自分の住む地域の環境と見比べながらできるだけ間違いの少ない森づくりに到達するためには、このような課題を環境側から暗に突き付けられている、と言っておくべきかもしれない。なにしろ、寄りそって従うべきマニュアルは自ら作らないとないのである。

今回の研修では、苫東コモンズの会員で三菱マテリアル(以下、三マテ社)で現地を担当するkawai さんと雨竜研修での熱い意見交換がもととなって、北大の研究者と現場の技官の方計4名と、地元厚真町から林業専門スタッフとしてバリバリの活動をしている担当者が加わった。そのため、国の森林政策と森林科学、そして行政対応の広い範囲で意見や質疑を、片鱗とは言え直に聞くことができた。これはやり取りを伺うだけでも森林に関する現在のホットな制度設計と緊張感がほの見えて、得難い機会となった。




三マテ社は全国に14,000ヘクタールの森林を持つ国内屈指の山持ちで、その8割以上を北海道内に所有している。今回訪問したのは早来山林約1、300ヘクタールである。案内説明をしてくれた kawai さんは、山林の概要資料を用意してくれて、まず概況に始まり、6つの視察地個々の現場の課題と対応を整理して話してくれた。

同じ胆振地方の山林で、苫東とは数キロの距離にあるものの地位級が高いのか、カラマツの1年の成長量は格段の差があり、大木の風倒木が見られないことなどから、やはり森林の立地環境の差を感じざるを得ない。極論すれば、苫東が萌芽再生の低質広葉樹の低林作業が向いた場、こちらは木材生産の林業が可能な場所、と無理やり言えなくもない。

kawai さんが目下取り組んでいるテーマも段々わかって来た。
ひとつは広葉樹大径木を育てる育成林施業であり、もう一つは、造林失敗地の再生などで行う掻き起こしの天然更新補助、それと80年程度の長伐期の循環サイクルである。特に掻き起しについては今季に早々に着手するため、先行して実践してきた北大研究林の研究者らからのアドバイスや意見交換は熱が入るものとなった。

視察を終えて

勉強の詳細は省略することにして、いろいろな森林を見せてもらった後にいつもたどり着く感想は、すなわち、「よその山を見せてもらうのは自分の関わる自然や山の見方にとって、ものすごく勉強になる」ということである。なにが、と仔細を述べるのでなく、大きく山を見る視点を養ううえで、とにかく「勉強になった」という満足感である。それは風土の再確認、と言っても良いのかもしれない。

今回の研修で特筆すべきことは、三マテ社という100年以上の歴史をもつ大きな企業の懐の深さである。地域に根差した山林を、保全、資源、教育まで配慮し、木を伐って儲けるという経済行為よりも地域貢献を重視し、それが企業の責任だとするCSRの理想を掲げて業務にあたろうとしている。地球温暖化、SDGs、森林認証などなどテンポラリーな時流にもしっかり軸足をおいて、森林を広報ツールとして積極活用している。これであれば、長い目で森を見、最善の対応をとることが企業として可能となり世代を超えて引継ぎもできていくのではないか。

森林を持ち育てることを林業を超えて企業のステータスとしてとらえられている訳だが、それが代々受け継がれ、日本ではほとんど聞くことのない、オールラウンドのフォレスター養成をも意図しているように聞く。これなら若い人も夢が持てる。今回対応してくれた、若きkawai さんはその期待に応えるべく精力的に見聞と研究幅を広め実践しているように輝いて見える。

方や昨今は、木こりを希望する地域おこし協力隊が人気であるが、木こりの山仕事は若い時に限られるし、今のところでは子供の教育に再投資できる経済力にたどり着けるか、いささか疑問が残るのではないだろうか。森林に関わる人に対して、フォレスターを目指すような青写真が提示され、カリキュラムまでより広範囲で出来上がって、意欲ある若者が競ってその到達点を目指す・・・、そんな風にいかないものか。フォレスターは大学や国の機関が標榜して久しいが、その芽はここ三マテ社のような民間の試みが先鞭をつけるのではないか。ふと、そんな気もした。今の若い人たちは、どこか飄々として山仕事に挑んでもいるから、あるいはわたしの知らない兆しがすでにあるのかもしれない。やはり暮らせる処遇とその手立てに手を付けないと代われないのではないか。

~~~~~
それにしても北海道の森林は広くて人気(ひとけ)なく、ウィルダネスに満ち覆われている。苫東に限らず都市郊外は野生の王国である。内心、北海道では人間が森にまさに圧倒されている、と感じることがあり、それに引き換え、人間側ができることは、ちっぽけなことである。地方に住んでいると、人の世界は野生や自然に征服されるのではないか、とさえ思うことがある。これは自分の非力さの自覚のうらがえしでもある。

ともあれ、あと10日以内に自宅薪ストーブの初焚きは行われる。これは話題の森林とのか細いが確実な接点である。