自然を謳う
NO.82
2014/01/04〜

俗に花鳥風月と言われる。

作家・松岡正剛(せいごう)によれば、これは自然のパワーを感取する

アンテナだという。わたしはこの説に痛く感動したことがある。「しかり」。

西行は4000の和歌を詠んだが、そのほとんどは自然風景の描写だった。

西行にとって風景を謳うことは、お経を唱えるに等しかったという。

日本の国土そのものが仏土だということに基づいている。

森羅万象のなかで人は生かされているが

いま、人々はアンテナを失い、自然を謳うことの頻度は著しく落ちたのではないか。

でも、わたしを含むごく一部の人々の間では、

花鳥風月から、加齢とともに失せてきた気をもらい、かつ理性ばかりでなく感性で見ようとしている。


どうもそれが自然体というもののようだ、と割り切った。

そうか、それならばこれから先は流れに任せよう、と相成った。












人間一馬力の藪出しも完了

2014/03/29 sat 11℃ abe araki inaba oyama kai kusakari nakatu migita wada 9

    *3・25 abe,oyama 2が運搬作業

いよいよ、スノモによるスピーディな運搬は諦めざるを得ない状況。広場の土壌凍結が続いているから、車の通るところはわだちが掘れてしまい、こてこて。いずれ、スコップで補修せざるを得ない。これまでは、人知れず、arakiさんがやっていてくれた。

午前、ひとり1台のソリをあてがわれて、黙々と小型トラックが入れるルートまで材を運んだ。まさに黙々と、といいたいところだが、そこはそこ、明るい春に光の下、人は陽気に語る。雑談を交えながら余裕で運び終えた。


 
春は笑顔

午後、広場に集められた材を、玉切り開始。合計8台のチェンソーが稼動して35cmに切って行く。ご近所さんはさぞやうるさかろう、とちょっと心配になった。

 
いつも思うこと。薪仕事はみんな持ち場がありそれを知っている。そしてしっかりレベルアップの個人講習もある。



スノーモービル作業は終わりか

2014/3/22 曇り時々雪  abe inaba oyama kai kurita migita wada
 7

(草苅は欠席のため、kaiさんから送られた画像を添付するのにとどめました。運搬路の雪が消えはじめ、migitaさんがトラックで雪を加える「加雪」作業をして辛うじて僅かを残すのみとなった模様。)
  
冬が逃げるように雪は融ける 人はそれに技術や機械やや知恵で向き合う。どこかインインメツメツたる光景に見える


(その頃、わたしは)雪解け進む胆振のはるか南東のハワイで

3/19夜の飛行機でハワイへ向かい、3/24の夜、千歳着。

たかがハワイ、されどハワイ、そしてなんとなく「後ろめたい」ハワイの話をちょっと。リゾートのハワイを、この島はどうして人々を元気にするのか、リピーターにするのかという観点でみると、砂浜だったり、ビックリ大木だったり、あまり語られない熱帯雨林だったり、各種リゾート施設やアクティビティだったりしますが、つまるところ、各スポットが明快な「場」の印象を持っているせいではないでしょうか。天と地と海、そのハザマに生きている自分という存在が見えてくる、というか感じられてくる。わたしは今回のt小旅行で国内外の自分の観光衝動がどの辺にあるのか、よくわかりました。わたしの生命のアンテナと花鳥風月をつなぐこと、どうもその辺のようです。だからハワイとはやはり相性がいい。これは訪問者の少なからざる方々がリピーターになることと関係があるはずです。

 

世界の気候帯13のうち11があるというハワイ。そのオアフ島のワイキキの北側に熱帯雨林 rain forest があるらしいのでいってみました。(実はジェラシックパークのロケ地になった森を予定したのですが島の反対側なのであきらめたのです。)

その名はマノア渓谷、目指すはパワースポットとしてちょっとメジャーになりつつあるマノア・フォール。滝は実はどうでもいいと思っていたのですが、着いてしまいました。おそらくわたしは初めて出会う熱帯雨林です。北東から吹く湿った貿易風がオアフの背骨の山脈にあたって雨を降らすようで、この日も浜辺は快晴なのにマノアに来ると霧雨。

 

ワイキキの年間降水量は500mmだがマノア渓谷は5000mm降る、と一説では言われているようです。海から眺めると山際はいつも雲が立ちこめていてマノアはちょうどそのあたり。

で、どうだったか。・・・・・

圧倒されました。豊穣、旺盛、原始、破壊、再生、奔放、、、、湿潤、、、、、&巨大、、、。直径2m、樹高30m超、つるは絡み放題、そして密生などなど。
水分が多く高温であれば、植物はかくも育つものか・・。屋久島のごとき、です。振り返ってわが北海道の植生というのはものすごいハンディを背負って風土を支えていることになります。これは大事につきあっていかねば・・。

で、わたし的発見は、おそらく「マイナスイオン」のタップリした湿度でした。高度差100mあまりを疲れ知らずに往復。それどころか束の間、丘や岬など歩き疲れが吹っ飛びました。体調の悪そうな方に何人も会いました。知る人ぞ知る癒しのスポットなのでしょうか。また、高温多湿でいてまったく不快昆虫がいないのは不思議です。



雪の中から掘り出してコツコツ積む
のみ


牽引力を増すために3人乗りで
計400kgを引っ張る


チェンソーの大小が興味深い。
左はバーが40cmを超えるHさんの
ハスク。真ん中は、かつてハスクを
重すぎると感じるようになって買い
換えたわたしのゼノア。右は、枝払い、
うらき処理のためのSTIHL 150CE。
チカラはないけど高齢者はこれがいい
春が来ぬ間に 〜間伐もほどほどに運搬に専心〜

2014/03/15 sat 晴れ 2℃ 積雪50cm migita wada inaba kusakari oyama kai hayashi =7 person


25年度冬の大島山林の間伐も終盤に入ったが、積雪のあるうちに発生材の広場への運搬を終らせたい。目論見は、果たして成就するのか。これは春の足取り、つまり運搬路の雪次第だ。

今週はいい具合に雪が降ってくれて、融ける一方だった運搬路の状態がやや冬モードに戻った。ありがたい。ほとんどスノモの通行路で地面は出ていなかった。しかし、現場は雪がくさってぬかるから、チェンソーを持って木を切る作業は遅々としてはかどらない。あるいはほとんど仕事にならない。

右田さんも他の人も雪深さに難儀していたし、丸太の運搬を来週あたりでメドをつけないと林内に残すことになりかねないので、結局、総出で搬出に取り掛かった。そこへ沼ノ端のHさんがkuriちゃんの紹介で見学がてら応援にきて加わった。

年明け、ABEプロが担当したハリギリの丸太。60kgほどある。わたしの大きな顔が小さく見える。

スノモの牽引能力が大体わかってきた。もちろん、雪質によってスベリが違うから変動はあるが、エンジンの回転数が5000あたりで低速でいけそうなのは、おおむね、ソリの自重130kg+丸太300kg。どうもこれがマックスではないか。これを超えると、キャタピラが雪に埋まる。あるいは動き出さない。スノモを長持ちさせるために、限界まで積まないでおきたい。

お昼のテントに水溜りができた。春だ。ストーブも段々熱すぎる、などと苦情が出始めるのもこのころ。嫌がおうにも、もう気分は春だが如実に示すのは陽光だ。何人かが、イタヤの樹液を集め始めた。


帰り際、来週のスノモのルートを探してピンクのテープで目印をつけた。目印を左に見て進むと潅木を抜けて既存の運搬ルートに抜けられる。右回りを6,7回、中津さんと右田さんらの材を6,7回も運べば終る。ホダ木は路面が納まってから右田さんのトラックで搬出してもらえばいい。また、札幌ウッディーズの分も、来週運び切れなければ軽トラにお願いか。材の残り具合によっては去年同様、1トントラックを借りよう。

丸太の行列ができたが、どれほどあるか推測がつかない。わたしは20棚はあるだろうと思う。3棚入りユニット6つが埋まる。



到着。頑丈な、昨日一点張りに圧倒
される


町内会メンバーの作業光景
鉄製のソリが納品、稼動、「機械化」プロジェクト終る

2014/03/08 SAT -4℃ 晴れ  migita wada kusakari inaba araki oyama sasaki =7person

薪作りは大島山林の手入れ作業のゴールになりますが、高齢者が主体となった作業の将来を見据えるとどうももっと機械化せねば、と考えるようになったのがそもそもの発端でした。それから一念発起、ふたつの助成金をもらって取り組んだプロジェクトの最後の道具「鉄ソリ」が到着。

すべてが鉄製のソリです。林床と弱いフットパスの道を痛めないように積雪期にすべての間伐材を広場に搬出することにして、入手したスノーモービルなど道具を駆使しこの2カ月間伐と搬出作業を並行させてきたものの、FRPのソリの破損が連続。修理の材料費も馬鹿にできないので、鍛治屋さんを知人にもつinabaさんと相談して決まったのが2月26日。CADの設計図が届いたのが2/28、一晩寝て設計変更を告げたのが3/1の朝。完成したのは3/5で、inabaさん夫妻がサビ止め塗りで仕上げてくれてフィニッシュ。

逃げていく冬(=雪が消える)を引き戻して3月1杯でなんとか間伐材を運びきるにはスピードが必要だったのです。朝10時過ぎにソリが届き、重さ130kgある鉄のソリを大人4人で下してからスノモに装着。防護用の古タイヤもセットして試運転すると、まずまず動く。納品した鍛治屋さんはそれをみて安心してご帰還。

「薪作り機械化プロジェクト」は4月の「薪割り機」、12月の「スノーモービル」と付属品、そして年明けて3月のソリ稼動で終った格好になります。これに並行して、8月から着工していた薪小屋が3月1日に完成だから、パタパタの大忙しだったことになりますが、NPOメンバーで中心になった担当者とみんなの総合力でよくここまで来たものです。薪小屋は大島山林の保育結果である「薪のショーウィンドウ」。思えばこの約1年、ちょっと大仕掛けな企画だったと思います。

 
きっちり積まないでこんな風にがさつにすき間を多く。これがコツかも

さて、このソリ、丸太を載せて動くか、ですが、結論からいって「大丈夫」でした。問題があるとすれば、人間側がスノモと鉄ソリに頼りすぎて「積みすぎる」こと。スノモが低速にギアチェンジしないと動かないことが数回ありました。すこし軽めに積んで、スノモを長持ちさせる必要があります。これからはいつ発生するかわからないスノモの修理費を確保しなくてはなりません。今のところ、機械化プロジェクトは大幅な赤字です。これをなんとか埋め合わせていくのも事務局の仕事でしょうね。ナント、泥沼に入った感じ(-_-;) 爆

さてあと2週間で運びきれるか。


真冬の視察

2014/03/07 fri 曇り マイナス5℃ 

今日は苫小牧でまとめて仕事。こういう日は段取りをして一挙に攻める。未明、受託業務の仮報告書原稿のデータがメールで届いていたのでざっと目を通して発注者に送付。朝一番に郵便局でNPOの口座から預金引き出し。すぐ市の博物館に行き、企画イベント「おはなしミュージアム」をちょっと見学。農業や里のにおいのしない苫小牧では異色。大島山林で採取された枝(柴)や小さな丸太がいずれ展示される。そのあしで、隣接するサンガーデンの喫茶「エチオピア」で、苫小牧生まれのOさん(女性)とお会いした。

目的は市民とハスカップの間柄みたいなこと。言い換えると、今、市民にとってハスカップはどういうものになっているのかを、苫小牧生まれでハスカップに多方面で関わってきたOさんから、一度じっくり伺って見たかったのだ。案の定、ハスカップは風化の一途、しかし根強いファンも居ることはOさんもわたしも同じだった。これは5月に開催するフォーラム『ハスカップの新時代』の重要なテーマであり、最後にOさんは「フォーラムではハスカップを風化させないど、というわたしの気持ちを話せばいいのね」と。

昼過ぎ、東京の恵泉女学園の准教授お二人(MさんとSさん)とウトナイの鳥獣センターで待ち合わせて、ヒアリングを受けた。コモンズ等の研究をされていてお二人は新刊『コモンズ 地域の再生と創造』をすでにお読みなっている。


展望台は封鎖されていて、雪の積もった車道は地吹雪。当然、頂は久々の寒さだった

苫小牧における工業開発と自然保護、北海道の開拓、開発の歴史など織り交ぜ、小一時間お話した後、わたしの車で大島山林、厚真の田園、柏原展望台と巡って再びウトナイ。暖房の消えた鳥獣センターでさらに1時間意見交換などして散会。Mさんは横浜の里山のネットワークに詳しく、共通の知人も数人居た。




ふたつの運搬具を交互に用いて
丸太をセットしておく







長材でルートは掘られていく






昼、上村先生から出来立てのドーナツ
がテント小屋に到着










間伐と運搬の分業と一体化進む & 薪小屋竣工を祝う

2014/03/01 晴れ 1℃  inaba,take,tuduki,migita,wada,araki,oyama,abe,kai,kurita, 10名

スノーモービルの使い方が次第に板に着いてきた。運搬者と、丸太やソリをセットするテコになる人と、そして事前のルート準備などがセットになって、それは1回何分というサイクルタイムに現れる。現場で丸太や薪材を積んでから積み下ろしして戻ってくる一連の動作は、これに道具と搬路状況といういずれも重要なモロモロとの連携で成立する。

まだまだ改善の余地はあるが、短時間でまあまあのところにきたと思う。今日は、重い丸太を運搬具に載せるのに不可欠だとの判断から「大トビ」を用意して使い始めた。プロのabeさんの先週の使い回しをみつつ、今まで買わないで済ましてきた「大トビ」はやはり欠かせないと痛感したのだ。裏返せば、丸太はそれほど重い。


国産の大トビ、25,000円也。鋳物は土佐製14,000円、柄は札幌、11,000円。
STIHL製は14,000円だったがこちらにした。


もうひとつの道具、FRPのソリの限界がみえたので鉄製のソリを発注した。サイズはジャンボソリとほぼ同じ。inabaさんとジッコンの鍛治屋さんが、依頼した翌日にメールでキャドの図面を送ってくれ、メールと電話のやり取りでパパパと決まり、3月5日頃には納品してもらえる。

しかし、現場では新しい問題が発覚してきた。ソリを利用するために絶対必要な雪が解け始めている・・・。3月8日、15日、22日ですべての運搬を終えたい。除雪ではなく「加雪」をしなければ、29日は恐らくスノモで牽引するための雪が運搬路にないだろう。


 重量見込み130kg。これだけでも十分重い。

薪小屋は3月1日に完全竣工した。週の中日、inabaさんが壁面の2回目の防腐剤塗布をしてくれ、今日は棟梁らが格納庫の施錠とノッブの一式を午前中に仕上げたおかげだ。夜5時半から、市内の中善で、運営委員会を兼ねた薪小屋竣工祝いを行った。
  
スノモは暗くすると野鼠に電気系統をかじられるらしいので、明り取りを屋根に施した。写真中央は2度塗り後の格納庫全貌。右は薪小屋前に積み上げられた丸太、薪材。

つた森山林の取り扱い方向と将来像を描く  (管理方針検討WGA)

2014/02/26 wed 快晴  pm4:00〜 @北海道開発協会・開発ライブラリー 

WGの会議2回目。林の中を歩きながらの検討も含めて今季5回目になる。日ごろから、お互いに自分のフィールドとテーマをもち、自ら積極的に自然(森林といわず公園、原野と言わず)に働きかけ観察も怠らないメンバーならではのコメントがとびだす。可能性と限界、正しい筋道と誤謬をみつめてきたのだろう、どちらかといえば謙虚な発言が続いた。


なにか、森林という自然のオーラのようなものに感化されるのだろうか。いわば自然な語らいのうちに、かなりドラスティックでプロアクティブな方向に近づいていると思う。そこに、地域みんなの財産である森林を扱うことの責任、別の見方をしてみれば、something great からの信託のような風を、わたしはあらためて感じて身が引きしまる。ローカルコモンズの運営は社会的責任が付いて回るが、当然のことだと思う。

今わたしは「森はみんなのもの」という願望を込めた声を上げつつ、もう一方から、「では精神的共有のための正しい取り扱いをお前は本当にできるのか」という声が木霊のように聞こえてくる。ここは土地の神様からの信託
だと読み取り、信託にこたえるべく真摯に山林と向き合うしかない。

若い頃、田村剛氏が書いたものの中に、最も風致体験に富んだものが山林の風景計画を立ててよい(各々の現場はそれしか道はない)、という意味の一文を読んだことを思い出す。ここはひとつ、最も長くここのローカルコモンズの森を見てきて、これからもおそらくもっとも高い頻度で付き合っていくだろう自分が、自信をもって肚を据えてつきあうしかない。そのためにこれまでの経験、知見を総動員し、かつ、これからも真剣に学び、考え、行動するプレーヤーでなくてはならない。

実は、各々の地域には各々にふさわしい、信託を誓うプレイヤーが待たれているのだ思うのだ。ここがそのひとつになれるのか。先は長い。



小屋の作業班は最大4名


南側から見ると手前が格納庫、向こうの北側に薪小屋が7ユニット。全長は約20m
薪小屋が完成    

2014/02/21 sat 快晴 マイナス4℃くらい abe araki inaba oyama kai kusakari wada =7person


この1週間で随分雪が積もった。林の中はスノウシューが要るようになった。雪深さとは裏腹に陽射しは春の予感が十分に込められている。

季節感としてはちょっとずれたかもしれないが、そんな今日、ようやく薪小屋が事実上竣工した。土台の丸太を切り出したのが昨年のお盆頃だから、人海戦術以外は2棟梁が中心だったがほぼ週末だけの作業で丁度半年を要したことになる。

残っていたのはスノモの格納庫のドア、薪割り機のドア、そして外壁のコンパネの防腐剤塗りで、今日はこのすべてを4人で夕方までフィニッシュ。壁の防腐剤がコンパネのあっけらかんとした色合いをなんとか落ち着かせて商品価値も上がった。薪割り機の入り口ドアは垂木の横張りで一点豪華主義だ。
防腐剤の2回目の塗りはいずれ

間伐と運搬はabeさんとわたし、後にinabaさんと荒木さんも入って、合計3つの運搬具を使った。この頃の反省は、ウルトラジャンボのソリも、ロープのところが4回目の往復で割れ、結論は丸太のまま運ぶスキッドコーンとキャップ方式が主役で、これと短く切った丸太を運ぶ金属製のソリを次のシーズンまで新調しようということになった。inabaさんの知人の鍛冶屋さんに頼む予定。


ふわふわの新雪だったので丸太のまま引っ張るとスノモは苦戦した。ソリはその点浮力があるが、FRPの強度や補強方法に課題がある

先々週壊れて先週修理したミニ・ジャンボソリは、一応、ファイバーとパテで接着できた。今日は、これの底にサンパッチシートという、紫外線で硬化する補強材をはって、一時間後試運転してみた。よさそうである。


懸かり木は頻発、大トビが活躍
作業のリズムができてきた

2014/02/15 sat マイナス6℃ 曇り abe,inaba ,oyama,kai,kurita,tuduki,nakatu,kusakari & 町内会migita,wada 10名


すこし、伐採のペースが遅いような気がして、午前中はみんなで間伐に精を出して丸太の長材を作った。午後はkuriちゃんとわたしで、長さ3mほどに伐った丸太をスノモで運搬。先週、スノモの運搬幹線から最寄の丸太や薪材のあるポイントに、スノモをバックで近接させて荷物を牽引する方法に目途が着いたので、今日はそれを実験。微妙に上手くいった。

直径30cm、長さ3mだと280kgある。めちゃくちゃ重い。

また、今回はスキッドコーンではなくabeさんが借りてくれた鋼鉄の運材用キャップを使ってみた。これもなかなか塩梅がよろしい。太さでは直径10数センチから30cmほどを、時には5,6本、太ければ1,2本、合計15往復ほどした。で、わたしのメノコ勘定(これが結構アタル!)ではすでに8棚近くはある。とすれば昨年の3分の1であり、山にほぼ同量あるから、16棚、と計算すると左団扇になるが、はたしてどんなものか、やってみないとわからない。しかし、あと積雪期だけで1ヵ月半はあるから焦る必要はないようだ。そうして4月は育林コンペに勢力を向けよう。

町内会のメンバーの方々も着々と

スノモの格納庫に壁がついた。もうびくともしない。ドアも夕方までほぼできて、防腐剤をぬれば完成である。総工費を計算してみたらちょうど約30万円。延べの人工を考えればざっと100万円ほどのモノになる。2棟梁の労を多とすると同時に、もろもろの準備に関わって手伝ったメンバー全員の金字塔でもある。蚊の大群に攻められながらカラマツやトドマツを伐った8月、9月、皮むきに精を出した9月はもう遠い昔だ。



先週、困ったことがひとつ。薪のサイズに伐った材をソリで運んだところ、案の定、ソリが割れた。今日、修理具を購入して昼休みをはさんで補修してみた。どうもはかばかしくない。エライ、高上がりで、補強の効果も未知数だ。前回同様、屋根補修用のサンパッチシールを使って来週以降に補強してみるが、結局FRPやプラスチックのソリは材運搬の主役にはなれないだろう。なにかいい方法はないものか。



丸いのがハミ

歩行練習。ゼッコで静止させる

荷造りの間、長男がポニーを抑え
ていてくれる
ポニーによる馬搬の3回目

2014/02/09 sun マイナス7℃ abe,kai,kusakari,migita, &tutuiさん親子4名

昨年から数えて通算3回目のポニーによる木材運搬。同じ地区に住むtutuiさんのご好意だ。今日は、昨年のリトルボーイよりちょっと大き目の「ロザン」。シェトランド・ポニーの原種に近く種付けもする現役の5歳。9時過ぎ、tutuiさんが馬具をつけるのを、いろいろ質問をしながら拝見した。その営みには生き物へのやさしさがあふれる。神々しいくらいだ。

まず、毛並みを整える金ブラシのようなもので全身の毛をこする。ロザンは気持ちがいいらしく、なでて欲しい首辺りをぐいぐいtutuiさんのブラシを持つ手に身体を傾けて押し付ける。コミュニケーションなんだという。

ハンドルに当たるハミ(口にくわえさせる)、駆動力を身体からソリにつなぐ本体は「首っ玉」というらしい。20万円ほどする高価な大事なもので、筋肉を微妙にかわすよう設計されている。そしてソリを引く「引き綱」はチェーンである。そして手綱。さらにソリが滑ってもポニーの足にぶつからないように橋渡しする棒(今回はシラカバの2m、直径5cm)の呼び名は忘れた。

ソリを着ける前に、tutuiさんは手綱を持って一緒に歩き始めた。長男のボクに「これは何やってるの?」と聞くと歩行練習で動き出す前に必ずやるのだとか。そしてお尻をたたいて歩かせるのと同じことを口の音声でやっている。ゼッコと言っていた。日本語は恐らく「舌呼」ではないかと思う。これでも、ポニーは歩き出す。こうして色々なバージョンを見せてもらった。すごい。

ソリを着けて出発。わたしたち(abeさんとme)は先発でスノモで現地へ行き、運んでもらう材に見当をつける。鉄のソリは70cmの丸太を横積みしてもらうのが一番安定するような気がするのでそういうことにしてもらった。スノモで固めた林間コースを試し歩きをしていよいよ開始。スノモは別ルートで、大型ソリを使って丸太を運搬した。3人の子供たちにはオモシ代わりに座席に座ってもらったから4人乗りだ。よく手伝ってくれるので積み下ろしの助っ人である。tutuiさんは人間の子育てもうまい。スノモ・ちびっこチームはポニーの先回りをして両方の積み下ろしをサポートした。
 
いざ、広場へgo! 右はスノモとスキッドコーンによる丸太の牽引。
 
ポニーとスノモのツーショット。右は荷造りした状態。

ポニーとスノモで午前中6回往復して、薪の素材の山ができた。残念ながら大型ソリは破損がひどい。そっと積んでも運搬時に割れが入ってしまった。来週、ガムテープで補修後、コンパネを敷きすのこの様にしてやってみよう。12時にお礼を言ってtutuiさん一家と散会。丁度奥さんが差し入れのお茶を持ってきてくれた。

kaiさんと昼食後、kaiさんは間伐、わたしは丸太をスキッドコーンで再び6往復した。丸太状態の運搬は結構スノモに似合うが、運搬中、丸太がはずれる。枝が出ていたりして雪面と摩擦を作るものはこの作業に不適だ。昼からは段々雪が降ってきて3時半過ぎに終えた。


満員のテントで昼
訪問者でにぎわう

2014/02/08 sat マイナス7℃
 

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訪問者とは時期的に固まるものだ。まったく別のジャンルから訪問者が次々とやってきて、その応対をした。まず、9日のポニーによる丸太運搬の下見に筒井さんが歩いてやってきた。昨年に比べると、スノモによる踏み固めも進んでいるから、楽そうだという。午後から荒れそうなので午前だけでもとよろしくお願いした。
kurita さんとタイチ君はスノモで運材

10時半、苫小牧博物館のKさんが、木の枝とガンピ(シラカバの樹皮)を採集にやってくる予定なので広場に迎えにいった。3月のイベントで森と人のかかわりみたいな展示イベントをするらしい。その素材採集だ。ついでにabeプロの伐採行程も動画に修めデモに使いたいという希望で、abeさん、モデルを快諾して伐倒と玉切りをして見せた。

kuritaさんは千歳の友人を連れてきた。北大研究林や森林組合でも仕事の経験をもついわば経験者で、abeさんとわたしと3人でいろいろ共通の話題に華がさく。

町内会からは右田さんと和田さんが来て東側で作業。お二人には支援会員になってもらうことになっているが、安全装備や保険などは自分でお願いし自己責任を前提にしてもらう。お礼に若干のほだ木を進呈することとなる。

arakiさんは頼んでおいた中型ソリ2台を届けてくれた。

お昼はこれに薪小屋制作のoyamaさんが加わり、全員がテントで食事した。超満員であった。夕方まで作業。


つた森山林の取り扱い方向と将来像を描く (管理方針検討WG@)

2014/02/06 thu  北海道開発協会 開発ライブラリーにて

苫東の「つた森山林」について、北大の専門家の先生、森林のコンサルタントのSさん、そして40年この林に付き合ってきたわたしとで、これからどのように扱ってどんな姿にしたてるのかを話し合った。Sさんは「建設環境部門」、わたしは「環境部門」の技術士である。

NPOが苫東会社さんから受託した「つた森山林の管理計画策定調査」の1回目の検討会だ。すでに昨年の10月から現地にいって、こまかな準備を進めていたもの。山林の今の姿をよく観察することで履歴を伺い知り「森がどうしてほしいと望んでいるのか」もっとも理想的でかつ現実的な取り扱い指針を、資料と踏査の結果をふまえて推し量るのがねらいだ。持続可能な森づくり指針が最終的な目的となる。

三人の知見を各々が静かに語りながら意味の深い検討会だった。ある現実の山林を前にして、森の扱い方法を探る。これは森林に関わるものにとってみれば人生、冥利に尽きるものだと、わたしは思う。わたしたちの身近な林のすべてで、もっともよく知る関係者と学識経験者、あるいは利用する市民らが一緒になってこのような検討が行われれば、身の回りの緑はどんなに素晴らしく変化していくだろうと思うと色々なアイデアも浮かぶ。環境コモンズの概念には意味があるし、今、提唱しているコモンズ林業のおぼろげな姿も見え隠れするように思われた。


補足2/9だったか北大の石井寛名誉教授が、林業関係の資格制度についてFACEBOOKに書き込みをして、それに速水林業の速水亨さんがレスしていました。なんだか、あまり実を結ばずに林業が置き去りにされている現状と、速水さんが「技術士」に注目していたことが目を引いた。わたしがたまたま、ある地域の森の扱いをコモンズ林業とかの新領域も含めて専門適に議論していく意味を考えていただけに興味深い。

*******以下、コピー***

石井先生
:私の年代であれば、多くの人は親や兄弟の介護に苦労されている方が多いと思う。たまたま年末に身近な者が倒れて、病院に入院し、見舞いと介護の一端に関わることになった。私は大学を出て、教授となり、今、年金生活をしている。今回は様々な貴重な経験をしたが、その一端を述べる。
 医療は巨大な産業であり、多くの職種があると思うと同時に、それらは多くの教育・養成機関で養成されており、国家試験ということで支えられているということが良く分かった。たまたま同じ高校の同級生が大学の教授をしていたが、退職後は大きな病院の理事長になっている。「石井、農学部の学位、教授という職種はどうなっているのだ、すこし変ではないか」と言われたことにショックを受けた。「農学部の学位なんて、研究者になろうとする者しか役に立たない。再就職にも役にたたず、身分証明書としては運転免許証にもかなわない」といったら、ビックリしていた。林業関係そして農業関係もそうだと思うが、医療関係と比べて、国家試験を伴う資格制度が何故、この数十年において整備されてこなかったのであろうかと反省せざるを得なかった。林業関係ではまずは公務員試験にうかることが大事であり、公務員試験に受かるように授業等は工夫されてもいた。東大やある時期までの北大では、数ヶ月真面目に勉強すれば、上級職と言っても簡単に受かっていたのが現実である。この20年近く、公務員の採用人数が減る一方で、就職を確実にする新たな資格を創造することもせずに、国際的に通用する研究を行うということで、やってきたのが大学ではなかったのか。これでは林業や大学の社会的位置が落ちるのは当然ではないかと反省した次第である。「石井さん、林業はGNPの1%を占めない小さな産業であることを忘れないで下さい。医療分野は巨大であり、医療費の1%の上げ下げに、多くの国民が関心をもつのとは違いますよ」とも言われた。林野庁は「森林・林業再生」に代えて、「林業の成熟産業化」を唱え始めた。これにも違和感がある。

速水さん:石井先生 仰られていることは以前から気になっていました。やはり専門教育を受けた方々の知識が林業の現場に充分に発揮されるような仕組みが必要だと思います。
私は技術士の方ととの付き合いが多いのですが、彼らの力はなかなかなもので、多分今の制度のフォレスターより、可能性が高いと思うくらいです。
やはり専門教育を受けた方々が中心になって、欧州のフォレスターのようなビジネスとして成立する仕組みが必要です。今の指導制度はフォレスターもプランナーもタダでサービスです。逆に責任も無いのですが。
しかし今の教授方が新生産システムの時にコンサルをされたのを同じ立場で拝見する機会を得ましたが、多分コンサルを受けた方は不満が溜まることが多かったと思います。新生産システムのコンサルは特にビジネスのセンスが必要でしたから、先生方にはかなり厳しい仕事となったようでした。



110年のハリギリを伐倒するabe 
プロ。クサビも上手く効いてさすが 
の手さばき


根元の方の腐れは気づかなかった。
恐らくこれだけ薪にすれば一棚近い
のではないか







コブシとヤマモミジの枝を剪定して
持って帰った。水差しにして一足
早い春を楽しむ
間伐作業は本格稼動、そのあと、小屋泊まり

2014/2/1 sat 晴れ マイナス6℃  abe inaba nakatsu oyama kai kusakari 計6名
                       町内会から右田さん(am)

どうやら山仕事が本格稼動。間伐に4名と町内会から1名、チェンソーの音だけでもにぎやかな一日だった。薪小屋には二人の棟梁がついて、後は屋根と壁だけとなった。お昼には2班合同で前進テントで一緒になり、右田さんはお昼で上がった。前進テントにはスノモで早めに行ったが、雪でつぶれそうに見えたので、スコップで雪かき。3箇所ほど、スコップの先でテントがキレた。
お昼、上村先生からアンパンの差し入れ。温かいアンコだった。

なかなかはかどったように見えないが、abeさんはハリギリの一見枯死木110年+αを倒し玉切り、inabaさんは先週のわたしの伐倒木(シラカバとナラ)を玉切りしてくれ、雪ハネをしてからなので、運搬ルートまで藪出しすればそれだけで半日以上を費やさざるを得ない。雪が40cmほどになり、これ以上積もったらスノーシューがいるかも。nakatuさんは「今日は快調」といいつつマイペースで進めていた。わたしは道沿いを数本。腰袋の重さにすっかり股関節がきしんでいる。


4時頃、薪小屋の前で散会したあと、ポニーの筒井さんから電話連絡。9日の日曜日に少し大きめのポニーを出すつもりとのこと。こちらの段取りをして連絡することになったが、運搬ルートと雪道の硬さの具合は要検討だ。

*****

黄昏の太陽をみながら、雑木林の小屋に向かう。今日は久々にソロ泊。動物検疫所の入り口に駐車。防疫のためにチェックが厳しい検疫所の入り口には防犯カメラが着いているような気がするため、用心のため駐車スポットをいつもここにしている。林道はハンターの車のわだちがあって、ソリを引いて楽に歩けた。5時前に着いた小屋の中はマイナス6℃、約1時間でプラス10℃まで上げた。火がついたら、ダンパーを半分締めて炎をストーブ内に回した。入り口も閉めて通風孔のみ開けておいたら、いつもより、蓄熱が進むような気がする。

ロウソクと薪ストーブの灯りで、缶ビールをふたつ、それとチリ産の白ワインを半分、それをナッツ少々とサンドイッチでいただいた。ストーブの炎をただボーットしながら眺めてのことだから、シンプルな晩餐この上ない。このぐらいにシンプルにすると、時間が過ぎることが手に取るようにわかる。無為の時間が、ナニカする時間以上に意味があるようにも思うから不思議だ。勇払原野の、雑木林の、小屋の薪ストーブの前に、ただただたっぷりの時間だけが横たわっている。わたしもゴロリと横になると、一寝入りしてしまい、1時半に薪をくべ直してシュラフに入った。雲間の星が大きく美しい。頭上にスバルがあり、宵の明星だろうか、南東上空に明るい星がある。
シンプル晩餐 壁にスポットライトを当てる

朝日を拝みつつヨガのストレッチを小一時間してから、ややして林を歩く。スノーシューがわたしを心地よく雪面に立たせる。笹がすこし顔を見せてはいるが、もうスノーシューでどこでも歩ける。随分、風倒木が目立つ。特に保安林のカラマツが増えている。
 

10時過ぎに大島山林によると、右田さんが戻ってくるところで「ひとりだと寂しいからやめて帰るよ」と言う。oyamaさんは屋根の作業をしていた。わたしはスノモにガソリンを補給してから、運搬ルートにトレースをつけに回った。合計3ルートを3回ずつ回ったが、転圧効果はないに等しい。長靴で10cmほどぬかるから、ポニーにはズブズブだろう。そこは筒井さんと相談しよう。
ルート転圧のあとにシンボルツリーへ。池は半本凍っていた


12時過ぎに戻ると薪小屋の屋根が完成していた。スノーモービルを頭から突っ込んで、シートをかけると、まあまあ、サマになった。いい加減なわたしは「事実上の竣工ということにしよう」と言ったら、oyamaさんはまだまだ、と堅実なことをおっしゃる。雪が降る前に現場を離れた。

 
昼前、透明の波板を貼る棟梁。右写真は納車後


ストーブは要らないくらいと思ったが
マイナスだった
搬路、初搬送

2014/1/26 sun マイナス2℃ ソロ


webで昨日の報告など書いてからやや遅れて山仕事の出勤となった。さすがに日曜日は誰も来ておらず、ストーブをつけてテントの雪を下ろしてから、懸かり木のシラカバを伐倒にかかった。シラカバはナラにもたれかかっているので、まずナラに手を入れ、テンションのかかったシラカバを突っ込みで中を切ってから、最後に背部にチェンソーを入れた。突っ込みの途中でチェンソーが挟まれたのでおもむろに第二のチェンソーを使って事なきを得た。2台のチェンソーを持参するのは、ソロの作業では大いに助かる。
2台のチェンソーで脱出

今年のゾーンは、今までとは違ったずっと難しい応用問題が多い。そういう懸案を探して動いているせいももちろんあるけれども、恐らくは旧遠浅沼に近くなるほど、山が荒れているからだろう。潮を含んだ霧や夏風は、海から遠浅川に沿って上がってきて遠浅市街地に向かってくると地元の人は言っていたからである。ここに限らず、潮風でもある海霧が当たるところは、樹木はとても明瞭なストレス反応を見せるのだ。その典型はシラカバである。林は荒れて、木は枯れる。ここはその途上にあるのではないか、というのがわたしの説である。作業するメンバーには、自分の実力にあった間伐をして欲しいと思う。手に余りそうなものはパスして構わない。

ひとりの時は昼食もソソクサだ。早々に終えて、スノモの搬出ルートを確認してからスノモで実際にトレースをしてみた。バックもできるからなんとかなるだろう。スノモでトレースする前に雪の下の切り株をもう一度確かめ、円滑なコーナリングができるよう下見してから入った。どうしても横たわる幹は、スノモの荷台に積んだチェンソーで玉切りして障害物をなくした。スノモのソリの幅は110cmほどだからそれより広い幅をゆとりをもって確保して進んで、林道に出た。さらに右回りするルートもピンクのテープでマーキングし、枝、切り株、埋もれ木を片付けておいた。これは来週トレースしてみよう。


このままいくと、今年の薪生産量は去年より大分下回る。スノモと薪割り機械を導入をした分、4月以降にももつれ込んでいけるかがカギである。ともあれ、ノルマではないから粛々とやるのみ。2時過ぎから雪が激しくなって、作業着がたっぷり濡れた。帰る頃ますます強くなって、広場が雪煙に煙った。




会場風景苫東コモンズの発表も
全道7つのサテライト会場に生中継
された。



第2部のWS。テキパキと仕事が進む
コープさっぽろさんからの助成報告会&船木さんの個展

2014/01/25 sat 曇り時々晴れ  3℃   札幌;原口・草苅  苫小牧;inaba、nakatsu 大島山林 wada

コープさっぽろさんからの高額助成を受けることができて大助かりのNPOだが、そのお礼を込めて活動の発表までさせてもらえるのはあり難い。なんと、午後からの講演&ワークショップの前に、昼食会からご一緒するよう案内をいただき委員長や講師と同席した。実は、基調講演講師の牧大介さんは1年前、わたしの関わる地域ビジネスに関する研究会の講師に岡山の西粟倉村からお呼びして、その夜は当NPOと下川のNPOが共催するセミナーに出てもらい、そして翌日は釧路の勉強会におつなぎしたという間柄。今はface bookで彼のビジネス秘話を読むことが多いから、あまり久々という感じもしない。しかしあれから1年ぶりだと言っていた。

また助成の柿澤先生(委員長で北大森林科学科教授)は当コモンズは旧知に近い。昨年11月北大で行われた環境と社会研究会に呼んで下さり、講演と楽しい質疑の時間をもった。というわけで、コープさっぽろさんが用意してくれた昼食会は冒頭から話がはずんだ。

コープさっぽろさんの交流会は約100人。関係者、知人も多く、旧交を温める機会になった。牧さんの1時間の講演のあと、2団体の活動報告、そしてそのあと、最後に当方の番。持ち時間はシビアに13分で、21枚のスライドで事業の内容を紹介した。タイトルは「薪づくりとフットパスづくりを核にした大島山林の修景と薪生産」。事業のあらましを簡単に報告しようと決めてパワーポイントを作ってみたら、うまくいった。大きくはしょってゆっくりお話して13分ぴったしで終えた。

第2部のワークショップでは、6グループでクラフトのアイデアを競った。わたしのいたDグループは札幌ウッディーズ&当別シラカバの那須川さん、それからプロのクラフト製作工房KEMの煙山泰子(この道ではかなり有名)がいっしょだった。結局、わたしの出したアイデア「万能えくぼ」が採用され、グループで肉付けし煙山さんのスケッチでアイデアがプレゼンの企画書に変わった。

キャッチは「なでて安心!願いも叶う!」、製品名は「万能えくぼ」。これは英国のチャーチルが、考えをまとめるときにポケットにしまった平たい石を親指でなでて「相談」していたというエピソードで連想したもので、実は30年ほど前、観音エクボという製品の広告を雑誌で見たことがある。それを、心を病んだり何かとストレスの多い現代にもう一度カムバックさせてみようというアイデア。「ポケットのセラピスト」というような意味だ。

煙山さんの絵は手のひらにそれが乗り、下に「くぼんだお饅頭型お守り」と書きこんだ。お父さん、おねえさん、子供用などと、おのおのサイズが書いてある。大人も子供にも、というのがミソである。一番早くできたDグループからプレゼンをして、結局なかなかの接線だった。選考結果発表では、なんと「万能えくぼ」がグランプリに輝いた。秋までにプロの会社「チエモク」が製品化して抽選した家族にプレゼントするらしい。それならわたしも是非欲しいところだ。
 
チエモクのスタッフが最後に講評。右はグランプリのわがDグループの企画書。

散会は5時近く。それから中島公園そばのギャラリー「創」でやっている、船木さんの個展に顔を出した。土用の夕方なのに、さすが舟木さん、入れ替わり立ち代りお客さんが挨拶にこられ、わたしもその間、30分ほど歓談。作品やアートのようなものが残るというのは建築のすごいところだが、舟木さんによると、建てた本人が出てしまった後の引き取り手がなかなかいないらしい。

 
写真右は、舟木さんの作品の中でも人気の高い網走の「森の家」清水邸。



イタヤカエデにまとわりついたツルと周辺木を整理するabeさん。うんざりする光景だ。思えば人生もこんなことがあって、時々「これをこなせるのだから人生なんて楽なものだ」と思ったことがある。知床連山のハイマツこぎなどでも、やはりそう思っていたのを思い出す。

ツルや風倒木や枯れた白樺などばかりで滅多にナラが出てこない
山仕事の本格開始

2014/01/18 sat 曇り マイナス12℃ メンバー6+サポート隊

ようやく山仕事が始まった観あり。9時半まで待っても誰もいなかったので、大型ソリを引っ張って一人テントへ向かってストーブ点火。やがてinabaさんと、町内会の右田さんが顔を見せた。今年から、町内会の人も支援会員として参加するので、まず右田さんにお願いしたいエリアを案内し、道すがら、選木や採寸、枝の片付け方法など説明した。


右田さんは遠浅にすんでざっと50年とか。チェンソーの経験をお持ちなのでそちらは自己責任で、と了解してもらった。薪小屋建設で山仕事は遅れ気味な分、町内会の熟年パワーが補完してくれそうだ。その熟年班はシイタケのほだ木を希望しているが、応援のお礼としてはお安い御用である。が、あいにくナラがそんなにないなあ、と二人で笑いながら話し合った。

三々五々メンバーが来て、結局6名の仕事と相成った。昼、今季の薪の処分方法とスノモによる運搬方法について話し合う。


なかなか仕事ははかどらないが、さすがに頭数だ。スノモのルート沿いに、カットされた丸太の小口がたくさん見え始めた。


帰りしな、kaiさんのチェンソーが不調だという。12月にそれまでkaiさんが使っていたチェンソーがトラぶって修理に出したので、新品のMS201を貸し出したのだが、新品のソーチェーンの内側のガイドが欠けていて、替えの新品のソーチェーンをつけてまたも不調だったようだ。初回の不具合で内部に無理がかかったかもしれない。ちょうどトラぶっていた頃、kaiさんのチェンソーがカラカラと変な音を出していたので、わたしは実は気になっていたのだ。

機械の不調には安全のためにも故障を防ぐためにも常に敏感でいなければならないものだ。わたしは毎日、分解して掃除する習慣も侮れないと、何度かのトラブルを経て自然に気づいた。所詮、基本の上にテクがあると思うようになった。家への帰途、故障したこの一台をショップに預けてきた。来週はoyama棟梁も小屋制作に専心するはずだから、チェンソーの修理が終わるまでkai棟梁もそちらでお願いしよう。

山林をでてから、家路に着く前にわたしは、苫東コモンズを扱った新著を寄贈しに回った。荒木さんと自治会長、それに、新刊の表紙を飾ったポニー「リトルボーイ」のオーナーのTさんである。3方を一軒ずつ訪ねて一冊ずつ謹呈。特にTさんは、「それならぜひ一度応援に行きたいです」とおっしゃる。スノモとポニーのコラボは面白いことになりそう。



ソリ2連
雑木林を間伐する危険と達成感

2014/01/11 sat -5℃ 晴れ 2名


今日はkaiさんとふたり。

苫東コモンズは後継者を「あて」にしていないし、会員数も今が最も手頃だと思うから、かなりの頻度で来るNPOのアンケートには、「悩みや困ったことは特になし」と返答する。ローカルコモンズの活動は少数が当たり前だし少数こそ精鋭化すると思うからだ。大体、環境コモンズのこのスキームを引き継ぐのはよほど動機がしっかりしないと無理だ。そういう諦めと天然の楽観が悩みなしと答えさせる。今日は精鋭二人(笑い)だが「たったふたり」と世間は思うだろうし、悩みがないなんておかしいという。しかしそれは病気だ。「ハヤラナイと失格」という間違った常識に悩む必要こそない。今こそ適度で適サイズだ。

9時半、定刻で現地に着いたわたしは、大型ソリを手配し白のスプレーで「TEC(tomatoh environment commons)」と大書してから、スノモで道具の乗ったソリ2台を牽引してテントへ。ストーブをセットし終わった頃にkaiさん登場。

今年のエリアを説明してから早速作業にかかった。先週もそうだったが、今年のエリアは、混んでいてかつ懸かり木も折損も多い。これまでよりも荒れている感じ。今日は、クネクネのシラカバの伐倒に冷や汗をかいた。まったく想像しない動きをしてしばし伐倒を中断し方法を思案せざるを得なかった。また、テンションのかかり方を読み間違えて、チェーンをはさんだ。2台のチェンソーを持参しているので事なきを得た。kaiさんはヤマモミジの折損を手がけるところだったので見に行った。4mほど上部でくっついたまま折れている。「折れた部分は腐っていてわずかの振動で落下するから要注意」と声をかけてから見守った。折れた懸かり木は何度か大きくバランスを変えながらギシッ、ギシッと落ちてきた。

 
あまり気持ちのいい作業ではない。しかし逃げないで手がける
  
危ない。リスクいっぱいだ。コツコツ、初歩的な注意をひとつずつ自らに課しながら、超える。同じケースがほとんどないような応用問題の連続。だがそこにはいつも修行のような神聖さと達成感がある。自然破壊などという言葉の印象とは真逆の、慈愛と共生のこころが自分の内側にあると感じるようになるのも、この「樹木の伐採」が心ある人を虜にする媚薬みたいなものだ。もっともそんなことにはお構いなくスイスイとこなしているような方もいるだろうが、殺生するハンターが意外と因果に敏感で独特の宗教観を持ったりするのと似ている。深層心理はわからない。

スノモによる運搬を想定すると、小回りの効かないスノモのルートをまず設定してその何本かのルートに、ソリで藪出ししておくのが得策だと踏んだ。そのため、わたしはソリを使ってルートに寄せた。この方法はいいかもしれない。ただポニーのルートとしてはもう少し広げないとダメだ。ナラは依然として少なく、間伐の主体は枯れかかったシラカバだ。

 
この方法は悪くない。もう少し積雪がましたら、スノモで運び出す

3時半、チェンソーを分解掃除して、スノモに二人乗りして広場へ帰還。kaiさんは積み残しの薪を車に積んで帰る。今、7月に搬出した薪を札幌の自宅で燃やしているようだ。わたしは自治会長に新年の挨拶をすべくスタンドに寄る。



スノモでソリを引く

新しい防寒靴バフィン。寒さ知らず

肉厚の葉っぱのツルマサキ。厳冬期にめげずにいてくれるのは、やはり嬉しい

ツリバナの枝についていた不定芽。これも生のまま越冬するようだ
初日で偶然、山仕事の先が見えた

2014/01/04 sat 晴れ -4℃
  1名

今日からわたしは25年度の間伐に専心。その初日だ。仕事の方はは年末年始の長い休みをもらったので、いろいろなことができたし人生を立ち止まって折り返すような、そんな時間も持てた。深酒もせず食べ過ぎもせず、従って体重も増やさず、家族のささやかな団欒を楽しんでいるうちあっという間に過ぎようとしている。年末年始に暮れの28日と今日の2日間を山仕事に向ける、というのは、してみると、かなりの割合だ。

ひいきの大型雑貨店で、スノーモービルの合鍵や金物などを買ってから、山林の広場へ9時半着。雪はまだ10cmほどだ。さてスノモは動くのだろうか。心配してきたが、チョークを2段下げて一発で起動し、講習で言われたとおりチョークを戻してから1段下げてアクセルをバフンバフン、これでオーケーだ。しかし、動かない。バックでも動かない。エンジンを切って、車体を揺すぶる。もしやと思ってハンドルに直結したソリを動かしたり持ち上げてみる。バリ。どうも凍りついていたようだ。これで動くようになった。

ソリにスコップやチェンソーなどの荷物を積み込んで、テントへ移動。ストーブの点火などいつもの準備をしてそそくさと山仕事に入る。今年は赤いスプレーで間伐木にマーキングする。昨年の白いスズランテープが付いたものとこのペンキをこの冬の対象にするのだが、もちろん全てにマーキングするわけではない。テントの南側の、スノモ運搬ルートの両側を目途にしたもので、あくまで選木の参考だ。しかし、こうやってみると実は今年生産される樹種構成がわかるのだ。こうして見るとざっとナラは10%強しかない。昨年もそうだったが、このようなエリアだけを手入れするとナラ材はうんと少ない。それで昨年、東側で調整したのだった。結果は、ナラが3分の一強に補正できた。今年はどうなるかわからない。
 
木にペンキを付けるのを好まないが今季で伐倒すれば美観に問題はない(左)。右はツルに絡まった一角。

昼前にツルに絡まれた一帯を手がけた。真ん中にナラの大木(黄色のテープをつけた)があり、その周りをすべて疎開せざるを得ない。いつもどおり厄介な仕事で、昼までに終わらなかった。昼飯もそこそこに現場へ戻って続きをやる。始めてまもなくだった。直径15cmほどの、幹の上部がぐにゃぐにゃと曲がった1本を倒したときに、その曲がりのせいで根元が1m右に飛んできた。おおっと危ない!左の頭か頬を直撃するところだった。新年早々、事故に遭うところだった。慢心、不注意、予測タイマン。呆然と立ちながら反省、そして感謝の合掌。山仕事は危険が潜んでいる。細心の注意を払って、リスクを予測し安全側に引き寄せねば。

気を取り直して仕事の続きをしていると、後ろで人の気配がして、振り向けば荒木さんだった。年賀とは別に改めて年頭の挨拶。

わたし  「なんか、この先ちょっとで崖のような気がするんですよ。そ、崖の下は太い、あの林道じゃないか、って」
荒木さん「うーん、なんか土地勘がこの頃狂ってきてちょっと参ってるんだあ」
わたし 「昔から親しんできた土地の人でもそうなるんですねえ。でも確かにすぐそこで林が薄いんですよ」」
荒木さん「いやあ、わたしは山より遠浅沼(今の遠浅川の両岸)の方が付き合い深くて」
 
荒木さんとスマホ@崖の上。そこまでの林は荒れている。

それじゃ、と二人で南に向かってみると、おお、200mほどいったところで崖のようなところだとわかった。iphoneの位置情報でマップと地図を重ねて現在地をみると、確かにこのエリアは湾曲部のヘコミで、林が最も薄いところだとわかった。ということは、、、、と頭のなかであと何年で今の作業が終わるか計算してみた。ざっと6年から10年というところか。それから先は、「ヒューチャー間伐」のたて木である択伐中心の主伐に入ることになろうか。五里霧中だった先のことが、これで少しだけ見えてきて、気分がすっきりしてきた。

仕事を終えてテントに戻ると、もう火はほとんど消えかかっていた。そして椅子の上に揚げパンと「いぶりがっこ」。先に戻った荒木さんにお礼の携帯をかけたら、息子さん夫婦が散歩がてら差し入れに来てくれたのだという。

スノモで3時半頃車に戻る。スノモの座席下に取扱説明書とゴムバンド、それと緊急脱出用の冬山用スコップをいれた。保管場所は先生宅の真ん前から薪小屋に移動した。なぜなら始動時の爆音で赤ちゃんの目を覚まさせるのではないかと思いついたのだ。それほど、スノモのエンジン音は容赦ない、無神経な音だ。





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